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2022-03-10 28:04

【GMV 563】後遺症なんて知らない

いつも今がデフォルト
00:04
おはようございます。グッドモーニングバイブスです。
夜の9時です。 全然お早くもなんともないんですが、早くはなかなか撮れなくてですね。
こういう時間になってしまっているわけですが、
まもなくですね、4月13日かな。
日曜日に
お機嫌な育児とグッドバイブスのオンラインセミナーをやりますので、
ぜひお検討してみてください。 最近娘と直に喋ってないんですよ。
こんなに間が空いたのは本当に久々ですね。
寂しいみたいなのも出てきますけど、私でも。
とはいえ、1階にいるわけですからね。私は2階にいて。
いろんな心理状態が動いてるんだな、日頃から。 よくよく感じます。
こういうタイミングになっている。 こういう状況になっているんですね。
で、あの、なんだっけ。
最近いろんな、暇なので、いろんな本を読むんですけれども、
仕事も始めましたし、打ち合わせも割とひっきりなしに寝てるんですけどね。
この病気になってみて、 後遺症ってあるじゃないですか、言葉として。
よく出てくるんですよ。すごく不思議なんですよ。不思議だったんですよ。
あの、というのも私、
肥宽死前足、子供の頃しょっちゅうやらかしていて、
ある意味よく似ているんですよね。 だけど、後遺症って話を聞いたことがなかったんですよ。
私、インフルエンザもウイルスでよく出てきますけど、 あまり聞かない。なんでこの病気になって、
いちいち、いちいち、この言葉が出てくるんだろう。 思ってたんですね。
で、なってみて一つわかったことがあるんですけど、
みなさん、たぶんなんですが、この言葉に童貞って言うんですかね。
私どうしてもこういう言葉を使いたくなるんですよね。 なんか、うまく簡単な言葉に言い直すのが私苦手なのか、
童貞ってのは同じに定律の定、定義の定ですね。 定義の定ですよ。
童貞、したくなるんじゃないかと思うんですよね。 後遺症という言葉に。
童貞したくなるというのが、僕らの家庭でもいいんですけどね。 家庭したくなるでもいいんですけど、
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一つの癖だなって思うんです。
なんて言うんですかね。分からないじゃないですか。 これが後遺症なのかどうなのか。
これといった薬もなくですよ。 熱が
9度近くまで上がったり下がったりを繰り返した後であれば、 減ったりしますよ。普通に考えて。
免疫がフル稼働したんだから。 そしてしかもそれが
感知したかどうかのところまでは持っていけてないわけだから、 私たちは病気ってのはこういう風な治し方に慣れてないんですよ。
何になったらこれを飲むとか、それこそウコダインを飲むとかね。
抗生物質を投与するとか、様々なものがあるわけじゃないですか。 リタリウムとかね。
今は僕らそういう病気の治し方に慣れきっちゃってるんですよ。
多分、最近であれウイルスであれ、こういうやつを投与して一気に型をつけるっていうのにすっかり慣れてるもんだから。
もちろん自分の免疫は稼働してると思うんですけどね。 全部素人目線で喋ってますからね。
信じちゃダメですよ、こういう話はね。 ここ大事なんですよ、私に言わせると。
本当のことが言われてるんだろうかって皆さん思った時に、 よく専門家の意見って言うじゃないですか。
このやり方に僕らは慣れすぎてると思うんですよね。 だから
童貞したくなるわけですよ。 どういう風に位置づければいいかが、誰かに決めてほしいっていうガースに慣れちゃってるんですよね。
で、後遺症という言葉を使うと、なんかこう 定義でオリエントできたような気がするんですよ。
そんなはずないじゃないですか。 わかってないものを後遺症という言葉に置き換えてみたところで、わかってないわけですよ。
わかったことにはならないと思うんですよ。 全くゼロだと思います、その場合。
この場合はね。 疲れてるのか、疲れは後遺症なのか、
免疫反応を出し切った後だから、栄養が足りてないのか、 まだ細菌が残っているのか、あるいは
違う何かに、二次的にやられているのか、
メンタルの問題、全然わかんないじゃないですか。 全部それ後遺症って言ったっていいわけじゃないですか。
こういうデタラメなものに、僕らは一言それに言葉を添えて、 専門家もそう言ってますって言うと、納得して安心しちゃうんですよね。
まあ、納得して安心するのも悪くはないかもしれませんけどね。
専門家っていうのは、もちろんすごいんですけど、
私が思うに、専門家の凄さというのは、
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私がわかってないのは、わかってないからなんだけど、 専門家の人がわかってないのは、
何がわかってないのかまでは、なんとなくわかっている、 わかってなさからって感じがします。
これをウイルスで考えると、すげー難しくなるので、
野球とかで考えればいいと思うんですよね。 野球の解説者の言うことって、ある程度以上にわかってるじゃないですか。
でも元監督の2人が野球解説者でやると、 意見が常に全部一致するわけじゃないですよね。
つまり意見って割れてますよね。 そして野球やってみると、どっちかが勝ってどっちかが負けるじゃないですか。
ということは、どっちかが正しくてどっちかが間違ってると、 言えないじゃないですか。
だってその人たちの理屈が正しいから勝つとは、 野球は限らないわけじゃないですか。
将棋じゃないですからね。 理屈だけでやってるわけじゃないんで。
しかも自分がやってるわけじゃないですからね、監督ってのは。
で、打つのも投げるのも全部同じですよね。 私、前回もお話しした通り、
おちあいひろみつの本をやだら読んでるから、 こういう話をしてるんだけれども、
要はそういうことなんだと思うんですよ。 しかも、おちあいさんの本を読むとですね、よくわかるんですよ。
みんながわかってやってるわけじゃないんですよ。 でも、勝った負けたは出ますよね。
しかも、これは余談ですけど、 野球選手って個人事業主なんですよ。
あれは、だから、契約社員というのとは違うと思うんですよね。
だから、お医者さんが専門家としてすごいのは、 もう間違いなくすごいんだけれども、
彼らも専門家としてまた 異常にすごいわけじゃないですか。
だって、あれ、やたら稼げる人と、 ほぼ食っていけない人に分けられてしまいますからね。
しかも、個人事業主ですからね。 そこへ持ってきて。
結果出さないと、食うのも困るわけだから、 必死にやるんだけど、
答えがあるわけじゃないんですよね、結局。 で、実態はいつもこうなの。
答えがあることに主弾があるんですよね。 だから、仮定ってさっき言ったんですけど、
仮定というふうに考えても、 差し支えはないんだと思うんですよ。
ところが、ここに答えを当てはめようと、 何が何でおかんは、
そして、そのことに対してみんな批判的に言うんだけれども、 それを次第。
そうですよね。 みんな批判的に言うじゃないですか。
自分で考えなさいとか、
習ってきた答えを入れるのやめなさいとか、 横並びにやめましょうとか、
人の話を鵜呑みにするのやめましょうって、 みんな言うじゃないですか。
これ言われてきたのは、機能狂ではないですよね。 私がもう子供の頃からみんな言ってました。
それ自体が一つの答えなんじゃないか、 っていうぐらいみんな言ってました。
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でも、私たちは相変わらずこれをやめないんですよ。
後遺症がありますとか言われると、 みんな気をつけなきゃ、っていうふうにサッと、
あっという間にそれを鵜呑みにするっていう、 そしてその後遺症って言った時に、
実態が何であるかは、 ほぼ問題じゃないんですよね。
多分だって、私にとっての後遺症と、 私の知っている人が何人かなってますけどね、
後遺症って指してもらう。 まるで違ってると思いますよ。
でも後遺症って言っておけば、 納得する感じがするんですよ。
そして、後遺症なんて信じないっていうのには、 勇気がいるんですよ。
これがまた専門家のひとあって、 みんな思うんですよ。
つまりこれは、後遺症というヤバいものを、 自分の中にあるっていうふうに意識しておけば、
安心だって意味なんですよ。 そうとしか思えない。
ないかもしれないとか、ないと思っておくっていうのは、 危険なんですよ。
で、これはなんで危険なのかも、 実は分かんないんですよ。
無理をするからなのか。
私の見る限り、私は後遺症があると 信じていませんけれども、
あると言ってる人の方が、 無理しているように見えますよ。
これは無理をするかどうか、だから、 後遺症の有無では決まってないんですよ。
多分その人の気質の問題なんですよ。
私は、この病気になる前から、 何ら無理をする気はないので、
この病気になった後も、 別に無理はしないんですよ。
ただ、後遺症があるとは思わないんですね。
ところが、例えば、この後遺症があるとは思わないって、
うちの奥さんが言うを思ったら、 多分めちゃくちゃ怒られます。
これが勇気なんですよね。
これを万有と僕は呼んでるんですけれども、
ずっとgoodbios以来、ある程度心がけることになっているのは、
一つはこれなんですよね。
自分にネガティブなレッテルを貼るということを、 やめるという勇気が必要なんですよ。
一つには、このレッテルを貼っておかないと、
これもイリュージョンなんですけど、
このレッテルを貼っておかないと、
世の中を納得させるのが難しいっていう、 変なシステムがあるんですね。
本当にこれ面白いというか、 なんというかなんですけれども、
常に何かしらの予防線なんですよね。
自分の調子が悪い、肩は凝りやすい、 後遺症もあるんです。
世の中の女性は戦争で心配ですねって言っておくと、
安全なんですよ。
結構人に攻撃されずに済むっていう、 独特の安全さっていうのがある。
この逆、ずっと言ってたら、
かなりヤバいことになるんじゃないかっていう気がするぐらい、
この不思議な、何て言うんですかね、
自分にネガティブな防御線を貼っておかないものは、
叩いていいバッシングみたいな、 よくわからない展開があるんですね。
必ずそこに守ってくれる、 守ってくれないんですけど、
守ってくれる人のグループとして、
専門家という人たちがいることになっているんですね。
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だから、多分後遺症が心配ですって言っておけば、
少なくともその方について文句を言ってくる、
文句を言ってくる専門家って少ないと思うんですよね。
いや後遺症なんて考えてるのはダメだよっていうお医者さんは、
多分ほぼいないんじゃないかと思うんですよ。
で、面白いのが、前回も前回から言ってますけど、
落合博人って人は嫌われるんですね。
なぜかというと、この種のことを言うことに対して、
否定的な専門家だからなんです。
珍しいんですよ、そういう人って。
あの、いろんなエピソードがあるんですけども、
そういうエピソードはいくつか出てきて、
だいたいもうそれだけで嫌われるんです。
それが嫌われるっていう、
この人のキーワードの一つにもなってるぐらい嫌われるんですよ。
なんてことはないんですよ、別に。
だって要するにこう、
要するにネガティブな予防策も張らないっていう、
ただそれだけですからね。
そんなことでも嫌われちゃうっていう話をしてるわけですよね。
嫌われたっていいじゃんっていうことを言うんですけど、
だから嫌われるんですけどね。
本当は、これ最後に面白いどんでん返しみたいなのがあって、
本当は嫌われてないんじゃないかみたいなテーマで終わっていくんですけれども、
でも本当に嫌ってる人もいますからね、結構ね。
で、今みたいな、私はこの後遺症って考えるのは、
きっぱりやめたいなって思うんですけれども、
例えばですよ、不調だという感覚が、
そうは言ってもあるってするじゃないですか。
別にそれは不思議なことではないですよ。
例えば家から全然寝られないとか、
部屋からも寝られないのに一週間以上経つとか、
それでついちょっと前までは、
熱出して免疫反応を強く引き起こしていたとか、
しかもウイルスに対する薬それ自体は存在しないとか、
少なくとも服用してないとか、
しかもこれだけ重いのに医者に見に行ってもらってるわけでもなくて、
人との接触もできず、
で、前と同じように動けるのかって言ったら、
そうたやすくはいかないですよね。
で、また頭に何かかかったようなとか、
ペインフォグとか言うと納得感が強まるじゃないですか。
本当にこれ精神分析でもそうですけれども、
一言で言えるような言葉に集約させるっていう言葉、
いかに無理があるかっていうのは、
むしろ専門家の人の方がご存知だと思うんですけど、
これは必ずしも好意表だとみんなが思うのに、
専門家がそう思えと言ってるってわけでもないですし、
非常に難しいんです。
リリュージョン感が強い話なんですよ。
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リリュージョンに対して感はないですけどね。
私は頭の中にフォグがかかってる感じは一切しないんで、
というかですね、ここから私の一つの本題なんですけど、
タスクシュートを使っているとよく分かることがあるんですよ。
これを言うとそれこそ嫌われるか、
少なくとも嫌がられるんじゃないかと思うんだけど、
ここは大事なポイントだと思うんですけどね。
果たして私が自分が例えば不調だと言ってるとき、
じゃあ好調のときの私の生産効率って
ひかほでのものだったんだろうって見ると面白いんですよ。
ほとんど変わらない。
ほとんど変わらないです。
これがおはしえぞうさんの言う記録の重要性なんですけどね。
僕よく夜間を考えるんですよね。
夜間ってのを沸騰させるじゃないですか。
で、うちの夜間を沸騰させると
だいたいかかる時間が11分なんですね、水だった場合。
これでも夏の話であり、冬だと少し長く、当然かかりますよね。
水は冷たいわ、温まるのに少し時間かかるわ。
その差は一体どのくらいなのか、30秒なんですよ。
測ったんでね。
これなんですよ、私たちが言うところの不調ってのは。
でもその差は小さいとは言い切れないかもしれませんよ。
11分だったのが11分30秒、つまり11分だったのが11.5分です。
微妙な差でしかないとも言えるが、
割合的に言えばですね、
例えば20時間でやる、22時間でやる作業が
22時間半かかるようになりましたっていうのは、
トータルで見るとなかなかなものかもしれません。
22時間じゃないな。
11.5だったら23時間、1時間増える。
サスキューターはわかると思うんですよ、このシビアさ。
24に収まったものが1時間オーバーする。
結構答えるはずですよ。
これどうしたらいいのかなって、真剣に悩む人は悩むと思うんですよ。
ただですね、
10%も落ちていないものが、果たして後遺症というような表現を使うほどのものなんだろうかと。
はっきり言ってそれは調子の悪い日なんで、そのレベルではしょっちゅうあったんじゃないんでしょうかと。
いつも人間絶好調なわけじゃないですからね。
そして、同じ仕事をするのにあたって、果たしてテンパー余計に仕事の時間がかかることが不調っていうふうに言えるのかと。
ブレインボグなどという大層なものが、そこで持ち出される必要があるんでしょうかって感じがするんですよね。
むしろコロナになったから、これ幸いとって言ったら、もうこれは言い過ぎだと思うんですけれども。
いかにもこれは後遺症だって思う、いいきっかけになっちゃうじゃないですか。
私こういう物の見方って人ってよくすると思うんですよね。
どうも今日はちょっと文章書くのが乗らないと。
じゃあいつ乗ってたんですかっていう感じなんですよ。
乗ってた時は何文字かけてたんですかと。
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1分でね。
で、かけてる量が10%少なくなったくらいで、果たして絶不調って言ったりできるもんなんだろうかって僕なら思うんですよね。
私はタスクシュートで比較してみて、今の方が調子は確かに悪いんですけど、3月1日の日に比較すれば、もう微差だなって思うんですよ。
こういうのを微差って言うんだなと。
微差だったらあり得る話ですよ。
今の状況からしてお風呂も入ってないんですからね。
微差もなかったらむしろ普段がどうなのって感じがするくらい微差ぐらいはあって当然なわけですよ。
ところが僕らはそうは思わない。
必ずしも客観的な物差しを持っていない時は自分の調子は常にもっといい。
そもそもコロナになる前からみんな人間そうだったと思うんですよね。
もっとできるはずだと。
よく言うじゃないですか。
隙間時間が有るなんとか。
もっと気合い入れればとか。
集中力が増せばとか。
本気を出せばとかね。
本気出せよって話なんですが。
つまりこの微差は普段からある甲府町の波って言ってしまえばそれまでなんだと思うんですよね。
そしてこれをグッドバイをする理由ならば甲府町の波なんてそもそもないわけだから。
それどころか過去はすでにないわけだから。
今しかないわけだから。
今の調子が良いとか悪いというのは結局のところイリュージョンとの比較でしかない話なんですよね。
これ私本当に大事だと思っていて。
確かにこういうことを言うと嫌われるかも分からないんですけれども。
何を私たちは言っているつもりなのかということなんですね。
これが意味深なことを自分では思い描き考えて言っているつもりだしやっているつもりなんだと思うんですけれども。
これはストイシズムの勧めではないですよ。
言われていようと免疫不可動語だろうと真剣に書けば書けるとか言いたいわけではないんですよ。
私が言いたいのはむしろ逆なんですよ。
この調子っていうのはコロナ前もこうだったはずなんだと私は言っているんですよ。
そしてこれは不調とか後遺症とかブレインフォグとかの結果ではなく私のデフォルトなんだと言いたいんですよ。
デフォルトってこんなもんだよと言いたいんですよ。
そしてこんなもんが実は理想というわけのわからないイリュージョンと比較しない限りは
リアルな私の実力として十分これをあえて称賛するとか自分やったから褒めたたえるとかではないですよ。
このあるがままの能力が大事なんだと思うんですね。
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しょっちゅういう話だし、倉園さんも昔歌の教室でただ歌うのが一番その人の歌の能力としては高いっていう話をしょっちゅうしてくださるんですけども
私の父も一応書家なんですけれども
一番上手いのは二歳児が筆を最初に持った時の字だっていうような字をよくするんですけど
本当にそれに尽きるんですよね、ある意味では。
イリュージョンの理想というものを持たずにやれればベストであって
イリュージョンの理想というものを持ってそいつと比較して今はこう遺症の結果だから書けないとかいう
このデフォルトの能力を大幅に低く見積もるっていう
なんかよくわからないんだけど、僕らが長年それこそ30年近くに経って植え付けられている
キテレツな癖をですね、なくせば
たぶん何だってどんな時でも何だってと言っていいレベルでやれるはずなんですよね
これ以上言えることってないんですけど
本当にですね、自然っていうんですかね
最近読んでいる河合俳和さんの本も並行して結構いっぱい読んだんですけど
ワイルドってから言うんですよね
人が神経症になるのはつまりワイルドと断ち切られるからだっていうのを書いていて
ワイルドっていうとどうしても暴力的っていう風に考えられてしまうんだけど
野に咲くスミレだってワイルドなんだっていう風に
彼はたぶんあの表現機に似てて何回か出てくるんですけど
私も大変それが正しいと思うんですよね
野に咲くスミレもワイルドなんだっていうのは本当にそうだと思うんですよね
あれは前の問題かな
雲は何か目標を持って雲の巣を張ってるわけじゃないんだけど
雲の巣を張り終わってみるとうまいこと餌が引っかかってるんだけど
なんでなのかたぶんわかってない
あれなんですよね
そういう能力が私たちの中に間違いなくあるはずなんだと思うんです
雲にできて僕らにできないっておかしいじゃないですか
雲は自分に何ができるかそれはわかってないわけですからね
僕らそれがわかってるのがいけないのかもしれないんですけれども
いつもこれをやりたがるんですよね
一つには他人が教えや他人がくれた正解の通りにやりたがる
一つには
24:00
もう一つは自分の現状というものを何かと比較して脅しめたがる
それをやめさえすればいいんだけども
それをやめるということは何かを諦めるか敗北するということでしかないという風に頭から決めてかかる
これはですねこの癖がどこまで行ってもつきまとってるなと思いますね
一つは夜になるからなのか朝からそうなのか知りませんが過激な話をさせていただくと
今この世界情勢の中で物の見方ってほぼ決められてるじゃないですか
私別に反対の見方をするとかこうも言えるよねっていうことがいいというわけじゃないんですよ
私がこういう時にいつも変だと同じ見方をしていく流れになっているにも関わらず
みんなが同じであることは危険だっていうことが独自に言われるのが不思議なんですね
これってどういう意味なんだろう
どういう感じをみんな抱きながらこれをやるんだろうっていうのは毎度毎度不思議です
多分不思議だと思っていらっしゃる方もいっぱいいるんじゃないのかなと思うんですよね
選択できないかのようであるんですよ
選択しがたいってのはよくわかりますよ
当然これしかないでしょうっていう物の見方になりますよね
まるでハリウッド映画みたいにね
前はこちら悪はあちらみたいなそういうのがはっきりしている感じになっていて
これ以外の物の見方をただ表現しろとか表明しろとかツイッターに書きましょうって話じゃないんですよ
心の中でちらっと思うだけでもいけないのかなっていうのがあって
しかも対外多くの人がみんなと全く同じ物の見方をするのはやめましょうとか
全体に合わせるのは危険ですって言うじゃないですか
今も世界中が全体に合わせている感じになっているじゃないですか
どうしてこれは危険じゃないですかね
ハリウッドだからなのかな
ハリウッドではないっていうのが多分私たちがいつも言われてきていることだと思うんですけど
いざそうなるとスパッとハリウッド化していくわけじゃないですか
このことが僕はなんか今言ったような全てのことと関係があるような気がして仕方がないんですよね
どんなにこう戦闘的であろうと暴力的であろうと攻撃的であろうと
こういう世界って一度もマイルドじゃない
かわいはやはさん急に言えば
ものすごく不自然で人為的で人工的な統一感っていうものに彩られているような感じがするんですよ
ウッドバイブスでグラドローさんが最近のキーワードみたいに言っているのが
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こう見なくてもいいとかこうでなくていいっていうやつなんですよね
ものすごく心が傷ついたとかすごい罪悪感を感じるとか
どうしてもあいつは許せないと思った時
こういう見方しかできないって感じにとらわれますよね
あれやめましょうって話なんですよね
相手を許さなくてもいいから
相手の物の見方に立つとかはましても必要ないんで
ただこうでなくてもいい
こういう物の見方を私は誰からも実際には強制されていない
自分自身にもそれを強制する必要はないっていう風に考えてみる
たったそれだけのことができなくなるような瞬間ってあるんですよね
以上私喋ってきて感じているのは
私の頭はそこそこはっきりしたということなんですよ
そんなにフォグはかかってねえって
そういう感じを今日は抱ければいいかなと思ってました
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