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おはようございます、グッドモーニングボイスです。
3月19日の土曜日にオンラインで、グッドボイス勉強会シーズン3、恒例の月1でやります。
今回私はオミクロンになっちゃいましたけど、もう全然復活しているので、通常通りやります。
テーマは、時間の管理というわけではないです。
時間とはどういうもので、どういった扱い方を考え方かな、捉えていくといいのか、みたいなお話だと思います。
事前に打ち合わせがあったわけではないので、実際にクラゾンさんが当日どういう話をするのか、なんとなくは私はイメージできますけれども、知らないので。
私は多分時間なんで、時間管理系の話をすればいいかなと思っています。
すでにある程度集まりいただいていますけど、当日でも間に合いますので、その必要が悪くなければ、申し込みいただければいいかなと思います。
復活という言い方をさっきしてみたんですけど、元に戻るってことって実際はないわけですよね。
元に戻るっていうのは観念ですよ。
頭の中にある元っていうのがあって、そこに戻ると復旧って言いますけど、人間は電車じゃないんで復旧はするけれども、病気に比べれば元に戻るわけじゃないと思うんですよ。
この病気って言われてますよね、様々な話が。
一番みんなが嫌そうなのは何かなと思ったら、先日記事を見つけて、あれ日系サイエンスだったかな、日系サイエンスだから結構信憑性を感じさせられると思うんですけど、
私の番組の知識に比べればはるかにマシとはいえ、日系サイエンスの記事を鵜呑みにするとかはとんでもないですからね。
こういうのって本当に難しくて、専門の知識ってものは180度逆のことが割と普通に言われる世界ですから、
エビデンスって何の証拠にもなってないケースがよく読むと、私にはほとんどのような感じがします。
だから全く信じちゃいけないってことではないし、とんでもに比べればはるかにマシなんですけど、マシなのはどうしてかというと、慎重だからなんですよ。
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慎重だというのはどういうことかというと、結論がないってことなんですよ。
読み手に任されちゃっているわけで、読み手は何かを信じるんですよ、多くの場合。
ああいうのを読むとですね。
でも一つたりとも実は私はこれは確定したことが何も言われてないんだということを、私はむしろ留学で学んだんですよ。
少なくとも心理学は特にそうですけど、古典的な物理学みたいにして、証拠立てられるものって一切ないと思っていた方がいいと私は思うようになりました。
統計学と科学っていうのはすごい不思議な世界ですからね。
前にも言ったことあると思うんですけれども、リンゴは手離せば絶対落ちますよね。
絶対落ちますよね。
統計確率的に99.5%以上の確率で下に落ちていくっていう話はしてないですよね。
誰もそう思わないじゃないですか。
でもこの薬が有意にとかって言うんですけどね。
有意に何も飲まなかったり水を飲んだ時に比べて有意に効果があった人は58%だってことになったら、その薬効くってことになるんですよ。
でもこれは相当違う話だと私は思うんですよ。
例えどういう言い方をしても、それはもうアメリカで散々これがいかにサイエンスであるかって話は山のようにされたけど、でも絶対それは同じ話じゃないと思うんですよね。
石を上に投げたら下に落ちてきました。
言わないですよね。有意に99.5%以上の確率で下に落ちる。
時々は下には落ちないとかって話ないじゃないですか。
で、時々どころじゃないですからね。58%の人に効くってのは42%の人には効かないってことですからね。
で、そうは言わないんだけどね。しかもね。そうは言わないんですよ。
すごい難しい。難しいって言うのかな。ややこしいんですよね。
だからあれは何を信じるかって話ですよ。多分。私が思うに。
しかも必ず話題にも何もならないような研究は別として、すごい話題になったようなのは必ずこれに反証を加えてくる研究をする人がいるんですよ。
必要に。いかに効かなかったかみたいなので。
それを読んでいくと何が本当かなんてさっぱり分からないというか、グッドバイブス的に言うと本当のことは分からないんですよ。
それじゃ怖いじゃんってことかもしれないけど、そういう怖いことを僕らはいっぱいやっているはずです。
しょうがないんですよね。これはね。これ以上上手いやり方が今のところ見つかってないわけですから。
だからエビデンスっていう言葉を私が聞いたときは、その人は科学的な話はしてないとみなして話聞きます。
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これはその人の言うことは嘘っぱしだって言ってるわけではないんですよ。
当人がどういうおつもりであっても、私はこれを科学というふうに考えては聞かないという、ただそれだけなんですよ。
すごく信頼性のある先生の研究とか、この人の言っていることは大体間違いないというのは、全部半分ずつ。
要するにこの人が信じたいことは何かっていう話をしているというふうに聞きます。
これしかできないんじゃないかなって思うんですよね。
信頼性が高いとか、信頼性が高いという言葉を統計学では、少なくとも心理学で使う統計学ではもうお箱で、
私もこの言い回しを英語でいっぱい勉強して、何かというとこれを使うんですね。信頼性が高いという言葉。
もうこれを使わないで論文を書くのは不可能だなというぐらいこれを使うんですよね。
それをただ日本語で訳すと信頼性が高いという言葉になっているだけなんで、しょうがないというやつなんですよ。
話がうんと遠回りしたんですけど、要するに私はこの種の話は基本的には信用しないようにしているんだけども、
基本的に信用しないということと、それを頭から疑うということは違うんですよ。
例えば私はワクチンを打っているわけですね。これはワクチンは安全だと信じているわけではないんですよ。
それどころか私はワクチンに効果があるかどうかも十分疑わしいと思うけど、ワクチンは打っているんですよ。
つまりそれは私から見るとブドウ糖を打ってもらうようなもんだと思いながらワクチンを打っているというだけなんですよ。
でもそれはしょうがないんですよ、私の感覚からすると。
なんていうんですかね、一定の社会的圧力に乗っかっているといえばそういう言い方もできます。
集団が安心するということもあれば、集団で効果があるということもおそらくあると思うんですね。
それはでも自分がそれを打ったときにはかかんないという話とは全く関係ないような気がするんですね。
そんなことは実は言われていないように読めるんですよ、よく読むとね。
少なくともあなたはこれで安心ですとはどこにも書いていないと思うんですよね。
ただそれを間違って、それはどう考えても間違っているという判断を下す材料もないんですよ。
ここが大事なんですよ。つまり正しいという判断も下せないし、間違っているという判断も下せないんですよ。
でも事実はどこかにあるわけじゃないですか。
このチューブラリンの状態というものを、チューブラリンの状態に自分を預けるということに不安を覚えなければそれでいいんですよ、打とうと打つまいと。
あとはもうその人の自由ってやつだろうと思うんですね。
で、盛大にうっとん張りをしているんだけど、たぶん皆さんがこのやつで一番嫌だろうなと思われるのが脳に影響が与えられるという。
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なぜこういう研究を始めるんだとむしろ私なんかは思っちゃう。やらなきゃいいじゃんと思うんですけど、やらなきゃいけないんですよね、考えついちゃったらね。
で、やるわけですよ。なぜ循環器系のウイルスの話をしているのに脳に影響という話になるんだろう。
というのをまず私は、たとえ専門家であろうと、自分から見てはるかに頭のいい人がやっていることであろうと、そこを考えるべきだと思うんですよ。
なんでこの人は脳をやろうという気になって、そういう論文が載っかるんだろうと。
だって論文の研究テーマって完全に自由ですからね。
誰かに何かをやれって言われるというケースは多々あるにせよ、絶対やりたくないものはやらなくていいはずなんですよ。
徹底的に頑張ってやって、一定のそれこそエビデンスなるものを集めまくってきたとして、その人は脳が収縮するとかっていう話が出てくるんだけれども、
脳が収縮するということがあるとして、どうしてその研究をしているんだろうというのがまず大きなポイントだと思うんですよね。
私はその人がどんなに良心的で、どんなに立派で、どんなにちゃんとした先生だとしても、脳を扱ったらインパクトがでかいって心のどこでも思っていないとは絶対思いません。
絶対思わないです。
これが一つ、つまり人にインパクトを与えたいという動機づけは、研究者にとっては極めて大だということです。
その人がどういうつもりでいても、それこそ無意識とか言っちゃうとずるいと思うんですけれども、
でもその方が無意識の中ですら、私がこれで有名になりたいと思わなかったというのは私は信じないという話です。
本当のことは分からないですよ。
これは私が何を信じているかという話でしかありませんからね。
でもこういうことは抑えておく価値があると思うんですよ。
たまたま脳のことを研究しましたというのはむしろとっても不自然だということですね。
次に脳の収縮という話をしたときに、これは一体何を意味するんだろう。
みんながまずインパクトを与えたいというのは、大体成功してインパクトを与えられているからこそ、
サイエンスでもバッチリ取り上げられたりするわけですけれども、
つまりそれに乗っかりたい、乗っけたいというのは大きな動機だということですけれどもね。
プラス、この収縮をすると言われたらみんなすっげえ嫌だと思うんですよね。
もうすっごい嫌だと思うんですよ。
収縮をすると言われるだけでも絶対にこれにかかったら人生終わりだと思うぐらいだと思うんですね。
だけど考えてみてほしいんですよ。
肺白質の0.2%が収縮して、だから何だってんだって思うんですよね、私は。
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これが嫌だとは思うんだけれども、例えばお尻の筋肉が力を失いますって書かれてたら、
多分半分ぐらいだと思うんですよ。半分ぐらいだと思うんですよね。
私はそれがどうして脳が肺白質が0.2%だとみんなではないんですよ、
読んだ人の何割かが偶然としか寝ないのかっていうのは大きな疑問なんですよね。
私自分の脳が例えば1%縮小しましたって言われても、だからって感じしかしないんですよ。
だから何なんだって思うわけですよ。
つまりいつも脳科学者はこういうことを書くわけですよね。
脳は重さでは測れない。つまり重けりゃ頭がいいわけじゃない。
脳がでかけりゃ頭がいい。でかけりゃ頭がいいんだったら一番頭がでかいやつを引っ張り出してくればいいわけじゃないですか。
東大の入試とかで。そんなこと絶対しないじゃないですか。
頭が大きい順で受かりましたとかしないじゃないですか。
つまり誰も脳の重さとか大きさとか、シワとかってよく言いますけどね、
ああいうもので頭の良さが測れるとは本当は思ってないわけですよね。
収縮で怖いのはバカになるってことでしょ。要するに。
多くの人が心の底で恐れているのはこれですよね。みんなにバカだと思われると。
これをぶっちゃけ相談等でも、それこそ倉園恵同さんにも相談される方でも、
要はバカだと思われて恥ずかしい思いをしたくないっていう。
これは頭の良い人からごく普通の人までみんなが共通して思っているものすごい重要なことなんですよね。
僕らはそういうふうに育てられちゃってるんですよね。
でも肺白質が0.2%に収縮したらバカになりますとは書いてない。そんなことは書けないんですよね。
で、なんで肺白質が0.2%にしちゃいかんのだっていうのは多分そこで議論にならない議論なんですよね。
私はそこが一番大事だとは思うんですよ。2%収縮するとして何がいけないんだろうと。
認知機能とかっていうまた困った言葉が出てくるんですけれども、
認知機能が損なわれるっていう言い方も、だから全部言い方なんですけれどもね。
やりますよそりゃ。簡単ですからね。ストロープタスクみたいなのをやるとか、
簡単な掛け算を2桁のいっぱいやるとか、よーくやっぱり考えてほしいんですよね。
ほとんどの人が小学生じゃあるまいし、この病気にかかる直前に果たして自分は2桁の掛け算100台を何分で解けましたかって。
やってました?やってなくないですかね。僕やってないですよそんなことは。
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毎日毎日100台を何分で解けたかなんてやらないですよ。
僕あれすっごい早い方だったんですけどね小学校時代。そんなことはどうでもいいことになっちゃうじゃないですか。
これと比較しないと自分の認知機能とかなんとかの機能とかが損なわれたかどうかわからんわけじゃないですか。
だって直前と直後で比較しなかったら意味が全くないですよね。
昔はもっとできたはずだとか言っててもしょうがないわけですよ。
そもそも昔どのくらいでできたのかだってわからないわけですよね。
なんかさ、かかってから頭がぼーっとする気がするとか、なんかブレインフォグがかかってるような気がするとか言うんですけれども。
先日の後遺症みたいな話しましたけれども、そんな感じとかはしますよ。
これ誤解を招くかもしれませんけれども、私は絶対すると思うんですよね。
どんな人でも。つまりそれは後遺症とかとまるで関係なくてもわからないですよ。
これだって私は専門家じゃないんでね。後遺症とかが関係あるのかもしれないです。
ただ私の知っている、経験しているタスク管理とか時間管理の世界では間違いなくですね、
これ私だったらですね、病気の後にはみんな仕事の時に頭がぼーっとするに違いないって絶対私ならそう思うんですよね。
少なくともそういうことを言う人が統計的に58%くらいいて、優位に差があっても不思議でもなんでも私はないと思います。
何でかっていうと、僕らは仕事をしている時に僕が散々言っているあれですよ。
自分はもっとできるって思ってますからね。
自分はタスク管理で見積もり時間で仕事の記事を書くのに40分くらいでできるはずだってこと。
50分とか60分とか80分とかかかろうものなら、なぜこんなにかかっちゃったんだろうと思ってPDCAとかやるわけでしょ。
そして私がどれほど40分毎回かかってるなら40分かかるのが現実だし、それが正しいし、言ってみればそれはもう理想的なんですって
いくら言っても納得されないじゃないですか。
80分もかかっちゃダメなんだってみんな言うじゃないですか。
25分が理想だと。
で、私が言うのはリアリストかもしれないけれども理想が足りないってみんなおっしゃるじゃないですか。
理想を追い求めなかったらもっとかかってもっとダメになってもっと記事が書けなくなるってみんなおっしゃるじゃないですか。
でもこれは少なくともこう言ってるってことですよね。
デフォルトは悪であるって、そういうことですよね。
デフォルトはダメであると。
とにかく理想というものは一回も実現されてないかもしれないけど理想っていうのはあって
デフォルトで書いている自分の能力もやる気も前向き度も全て何もかもが悪であるってこういうことですよね。
突き詰めて言ってしまえば。
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放置しておいたら何分かかるかわかんないってことですよね。
理想を追うから読んでもやっと80分で書けるんだって思わなきゃもう永遠に書けないかもしれないと
一方じゃないとそういうことを言ってるわけですよね。
少なくとも達成されることがほぼない理想というものの方が理想的であって
デフォルトの自分はいつもダメであると
一方じゃないとそういう言い方をしかねない言い方になってますよね。
で、考えてみたいわけですよ。
コロナにかかった後でやった時の自分が理想的な結果になるのかと。
僕これなる可能性ほぼゼロだと思いません?この話だったら。
自分は必ず理想的な自分というものをデフォルトにしようとして
そいつと比較してるわけじゃないですか。
何なら十何分とかで書けちゃうすごい自分ってのがいて
それと比較するわけですよね。
コロナの直後に書いた一発目の原稿がそうなる可能性ってほぼゼロだと私は思うんですよね。
少なくともデフォルトに限りの近い筋になると思うんですよね。
そしてそのデフォルトは悪なんでしょう。
これがブレインフォグだったり
0.2%の肺白質の収縮の悪しき結果の影響下にあると判断するのは
当たり前じゃないですか。
ごく当然のことだと思うんですよね。
デフォルトの自分が気に食わないんだから
そしておそらくコロナの後にデフォルトになったらいい方ですよ。
デフォルトに少し及ばないぐらいでちょうど当たり前だと思うんですよね。
ところがそれは理想的なあるべき自分の姿と比較されるものだから
すごくダメな自分に思えるわけですよね。
ここに収縮の影響を見ようとしたら
すぐにその記事は信用されるじゃないですか。
こういうことが僕らの世の中でわんさか起こっているはずだと思うんですよ。
もうわんさかですよね。
常に起こっていると言ってもいいと思うんですよ。
今の仕事の記事でサンプルを出しましたけど
それは私の宝であって
ほとんどの人は事務作業とかコンピューターとかSEさんとか
みんなそうですよね。
つまり認知作業ですよね。
それがデフォルトであると
それを悪であると
感覚的にそうなんですからね。
だから私がどれほど言おうと
絶対デフォルトの方がいいっていうことを受け入れて
はもらえないわけですよね。
デフォルトはダメなんだということになっているわけです。
だから私はむしろ日頃から逆を逆を言うし
逆を逆を信じていかないといけないと思うんですよ。
デフォルトが善だと思う感覚を身につけておかなかったら
多分こういう時に決まって
このデフォルトの自分を
より低く評価することになるに決まっていると思うんですよ。
全然不思議な話じゃない
全然不思議な話じゃないと私は思うんですよね。
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実際私は下田の山焼けに書いてみたんですよ。
いつもと全く変わらないんですよ。
かかる時間はですね。
ほとんど平均値に近いところには出たんですよ。
つまりデフォルトなんですよ。
配白値が0.2%くらい減っているかもしれないけど
そんなことは関係ないんですよ。
記事はデフォルトの記事に上がってくるんですよ。
しかし質もいつもと変わらないことを書いているなと
よくも悪くも私らしいことを書くんですよ。
配白質が収縮したかどうかどうでもいいじゃないですか。
こうなってきたら。
いつもとかかる時間は変わらない。
いつもと書く内容も変わらない。
いつもと書いている質も大して変わらない。
つまり前と後で変わったことは何もない。
ただサイエンスの記事に0.2%の収縮をするケースがある
という恐ろしいことが書いてあることと
なんだか調子が出ないような気がするなって感じがしながら
書くことはありますよ。
いろいろとグッズでいっぱい休んだりしましたし
食べているものも違いましたし
体重も少し落ちていましたからね。
ただその影響が出たかというと
私の統計学的な測り方であれば
出てないわけですよ。
何の影響も出てないんですね。
出たような気がすることと影響が出ていることは関係ないんですよ。
これは僕らの気というものの当てにならなさだと思うんですよね。
しかもこの気はいつも同じこと言ってますけど
私はこれほど言ってても
結局デフォルトのどこかに不足分を認めるんですよね。
本当はもっとできる。
なんでこんなことを信じようとするのかね。
本当はもっとできると信じたところで
ちっともできるようにならないことは
私が一番よく知ってます。
何度も何度も見てますから。
私はむしろ不思議なんですよ。
タスクシュートを何度も使っていて
なおこの感覚、PDCAということを信じているという
なんていうんですかね。
アイデアルなものですね。
PDCAというよりアイデアルなものですよ。
プラトンですよね。
ありもしない自分の素晴らしい姿を
信じていた方がいいという
信じていても信じていなくても
結果変わらないような気がするんですよね。
ほとんどが同じ結果に収縮するのに
これを否定したところで
何もならないような気がします。
そして、いざとなると困るんですよね。
デフォルトが一体どこなのかが
わからなくなってしまうと
普通の人はわからないはずですからね。
少なくとも時間だけ取ったって
タスクシュートをやっている人って
日本でほんのマイノリティーなんだから
大多数の人はそもそも
自分のデフォルトの
デフォルトのというのかな
アベレージをご存知ないはずです。
アベレージ
あれですよ。
打率を知らない打者なんですよ。
24:00
打率を知らないんだけど
自分は7割くらい打てるだろうと思っている
打者だと思ってくださればいいんですよ。
7割打てると信じているから
2割5割は打てるんですっていう話を
多くの方がされるんだけど
僕は全く信じられないんですよね。
そんなことは信じれない方が
むしろ結果残せるんじゃないかと
思うんですけどね。
どうでしょうね。
私は理想の自分を信じている
っていう話は
信じていないってことだと
しか思えないんですよ。
特にこういう時になると
適面だと思うんですね。
私は別に
アベレージをしましょうとか
ここでタスクシュートを使いましょうとか
そういう話をするつもりはないんですね。
これはグッドモーニングバイブスなんで
知らないし
理想の自分を
影のように追い求めているというのも
別に結構というか
そんなのは全く自由なんだけれども
ただ
僕らは
定義されるリンガリズムに
ひどく弱いって話ですよね。
これは結局。
何でもいいわけですよ。
一歩間違うと私は本当に
何でもありなんじゃないのかな
と思うんですね。
肺の機能が少し低下するとか
何ならもう
言ってみれば
足の筋肉が弱まるとか言ったって
信じる人は信じちゃうんじゃないかなと
そして
そんなデータを出そうと思えば
出せなくはないんですよ。
あれもすごくアメリカで
私は釈然としない気分になったんですが
やろうと思えば
エビデンスなんてどんなのだって
探してくることができます。
こういうことを言い切っちゃうと
炎上案件に近いんですけれども
そしてこれを
まんま受け止めていただかなくて
いいと思うんだけど
ただ私の受けた印象としては
エビデンスをそれっぽいのを
探すというのは
根気さえあれば
決して難しいことではない。
それをエビデンスと
呼んでしまっても
構わないことになっている。
だけど私の指導教官は
これは全員がですね
心理学の先生ですから
プルーって言うけど
要するにプループですね
証明するっていう人
何も証明されてはいない
これは全員言ってましたから
全員ですからね
異端的な考え方の人もいるし
アルチュウみたいな先生だって
いないわけじゃなかったんですよ
でも全ての先生が
すごいちゃんとしている人から
すごい微妙な人まで
全ての人がそれは言ってたんですよね
証明というものはできないんだと
プループって書くことはあるんですけどね
書いちゃうと
学生はダメだって
よく言われるんだけれども
でもさっきも言った通り
何とかこうと
結局同じような話になっちゃうんですよ
信頼性の高い何とかであるとか
という知見が得られて
この信頼性は十分だと言えるとか
そういうことばっかり
私は英語で書かないと
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なんなくて
この微妙なニュアンスとか
わかんないじゃないですか
一生懸命人の真似をするんで
トレンドみたいなのもあるんですよ
今使っていいような言い回しと
受けの良し悪しみたいな感じですよね
この話を私が一生懸命やってるのはですね
結局その
身近な人も含めてですね
みんなこのことを言うんですよね
結局わからないわけだから
気をつける意味越したことはない
それを言ったら
じゃあ何を気をつけるんだってことになってしまいますよね
わからないのに
気をつける意味越したことはない
って話をしていたら
もう何が起きても不思議はないから
あらゆることに対して
神経質になろうぐらいの
良い文でしかないと思うんですよ
やめといた方がいいと思うんですよね
やっぱりね
本当にそれこそグッドバイブスじゃないですけど
これはつまり
人生をやっていて
生活にまつわるあらゆることに
おそれと不安を抱きましょう
っていうのと
何ら変わらなくなっちゃいます
それをやってて
平安に生きるなんて論外だし
病気になっちゃうような日がします
本当にそれをやってて
私は子供の頃に
機関自然息持ちで
ずっとというほどじゃないけれども
寝たり起きたり寝たり起きたり
要するに熱出てですね
繰り返しだったんで
親は自然神経質になっていくわけです
母はもともとそういうタイプだった
ということもありますけど
本当に神経質になっていって
何をするにも
気をつけさせられるわけです
牛乳飲むにも気をつけるし
枕替えるにも気をつけるし
パジャマ替えるにも気をつけるし
気をつけてばっかりいるわけですよ
あれ絶対自分病気になるのに
役に立ってたなと思うんですよね
親からすればしょうがないですよ
何が起こるにつけて
風邪ひいているわけですから
イベントがあるたびに
こいつはすぐ寝込むと
手間がかかってしょうがないわけですよね
親としては忙しいわけだから
病院に連れていかなきゃならないし
いろいろあれこれあれこれしなきゃならないしね
だからそうなるんだけれども
そうなることが健康になるのには
役にたぶん立たないんですよね
現時点で私は
ちっとも健康にならなかったので
結局健康になった時に
私が気が付けばそうなったのは
自分の体について神経を払うのが
雑になっていったわけですよ
丈夫になるからそうなるとも言えるんですけれどもね
そういうことが起こるので
まして肺白質に気をつけるなんて
できないじゃないですかそんなことは
毎日脳トレをするとか
そういうことぐらいしか
私は脳トレをすれば肺白質が増えるっていうのも
仮に増えたとして
だから何なんだって感じしかしないんですよ
30:00
二桁の掛け算が暗算で早くできるようになるってことを
通常僕らは社会人としてはあまり目指さない
にしては子供にやらせすぎてると思うんですけれども
例えば赤と書いてある字の色は黒だっていう
訓練をしたからといって
すると少ししかできるようにならないじゃないですか
そんなことをしたら
つまりそういうふうに
持っていけるというのも
すごいなって思うんですよね
本当に脳トレのやつとかも売れましたし
あれはゲームだから売れたんだとは思うんだけど
そういうふうに人を持ってけるところがすごいですよね
本当に僕らが脳の収縮なんて
恐れて生きているとは全然思えません
自分の脳の成長を
自分の脳の重さなり拡大度なり
それこそ皺の数なり
知っている人いないんですよ
私も全く知りません
大きくなっているのか小さくなっているのかも
知らないわけですよ
なのにああいう記事が出た途端に
気にするとしても
気にしたからといってできることも
別にないわけじゃないですか
非常に嫌な話だと思うんですよね
最初に戻ってきて
なんでこの人はこういう研究をするんだろう
私は無茶苦茶なことを言っているように
聞こえたかもしれませんけれども
しなきゃいいと思うんですよね
本当に
誰がどういう特派をするのかを
よく考えてみる必要があるような日が
しません
私はするんですよね
これをすると
自分の脳の成長を
自分の脳の重さに
よく感じるんですよね
これをすると一体
誰がどういう特区をするのか
する人はいるんですよ
確かにいると私は思う
こういう見方は非常に
意地が悪いように思われるかもしれませんけど
でも逆に言うと
あれは元々言語と英語ですから
何万人という人がこれを読んで
どういう影響を受けるのかってことを
ちょっと考えてみた方がいいような日が
するんですよね
自信するとこは駄目ですよ
絶対に駄目なんだけれども
つまり私も昔
研究者になるものを
目指していた時代があるから
よくわかるんですけど
研究者にどういうインセンティブで
どういう方向づけをするかってことは
実はすっげえ重大な影響を受けるんですよ
結果として
私が心理学科にいた時に思ったことは
結果としてみんな同じようなことを
目指すんです
ドクターになりたいわけですよ
同じような研究で
同じような研究じゃないんだけど
同じような展開を見せて
同じようなことを人は
目黒のようになっていくんだな
私はある意味それが
嫌になってやめたってところもあるんですよ
これはマフィオシンみたいなもんですから
そういうふうに聞いておいてくだされば
33:01
結構なんですけれどもね
確かにドクタードライバーとかって
韓国の方は言ってたんですけど
ドクター持ってても
必ずしも転職につけないし
みんながみんなタクシードライバーになっちゃうわけじゃないし
ただタクシードライバーが
いけないわけでもないんだけど
タクシードライバーになりたくて
ここまで頑張ってるわけじゃないよね
っていうのは確かにあったんですね
ドクタードライバーになりたくないという気持ちは
みんな同じですよね
そして結局
いろんなことを考えているうちに
日がつくと
インパクトがある研究をしたくて
そしてどういう研究に
インパクトがあるかということも
だいだい決まってくるわけですよね
そして気がつくと
それだって非常にうまくいった場合ですよ
ああいうところに乗っけてもらえるのは
でもうまくいった場合に乗っかる記事というものは
しばしばこういうものになっていく
何か関係があるようなないようなところから
とても不思議な
そしてみんながとても恐れる
脳の収縮みたいな話になっていく
誰もそれに対して
それは実は
どうでもいいことなんじゃないかとは
めったに思えない感じになっていくわけですよね
心が傷つくと脳が縮むみたいな話もそうですけれども
これすっごい無理がありますからね
この今のによったことを
エビデンスでまとめようとしたら
何十年と言わないまでも
やっぱり人によるかもしれないけど
人によるかもしれないけど
十何年とかあるような日がするんですよね
そしてそれは本当かどうか
相当疑わしいようなものが出来上がるんですよ
でも一人歩きするでしょ
必ずそうなると思うんですよね
子供の頃に
お母さんがとても
優しくないということがずっと続くと
脳が収縮するみたいな話って
怖いじゃないですか
私はこれと今回のこれがすごく似て見えて
すごくある意味感じ悪いんだよなと思うんですよね
そういう風な記事が出たからといってですね
じゃあそれを読んで
ある種の人が虐待をやめるようになるかというと
ならないんですよ
まず読まないですからね
日記センスとか読まれないでしょ
なかなかそういうところで
でもなぜか影響は上がっていく
虐待はしない方がいいに決まっているじゃないですか
だけれどもそれすら止められないような
意外に関係のないところで与えられる影響って
どういう意味があるんだろうって思うと
非常に疑わしいものを感じるわけですよね
36:01
私はね
これだったらもう何て言うんだろう
もっとまっすぐ虐待すると子どもがふたき込みますとか
言っておけばいいんじゃないかなって思うんですけど
そのほうが効果があるとまでは言いませんけれども
少なくともこの巡り巡ってきて上がってくるような
不思議な影響と脳画像の写真が出てくるよりは
あれ見たからといってすぐに何かが分かるわけでもないですし
しかも実はあの写真では何も分かってないんじゃないかな
という気すらしなくはないんで
こんなに手間暇かけてこんなに難しいことを言って
しかもなんとなくみんなの気持ちがどんよりしていくっていうよりは
普通の話をしているほうがまだマシなんじゃないだろうかと
結局体重は減るわけですよ
コロナにかかって2週間近く家で待機させられればですね
体力だって落ちるでしょうよね多少は
でもそれと認知機能は僕は何の関係もないような気がして
仕方が万が一認知機能が落ちて
野球のフライを取るのが下手になっているにしても
だから何なんだよっていう感じの話だと思うんですよね