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2021-08-26 35:57

【GMV 445】タスクシュート クラウド無料体験版が発表されました

今日は臨時回ですね
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おはようございます。グッドモーニングバイブスです。 昨夜、タスクシュートクラウドの無料体験版が発表になりリリースされました。
昨夜じゃなくて昨日の昼だったかもしれませんけど、多分昨日だと思います。
これはちょっとした出来事でして、タスクシュート的には一大ニュースなんですよ。
私の考える限り、多分無料でタスクシュートをちゃんとどんな環境でも使えるということは、昨日まではなかったことなんですよ。
タスクシュートクラウドは一応クラウド対応でブラウザでも動くので、多分今それなりにまともなネットにつながるガジェットであれば、タスクシュートクラウドは何らかの形で使えるはずなんですね。
十分満足のいくというレベルに達していないケースもあると思うんですけど、まあ使えると思うんですよ、使おうと思えば。
で、そうしてくると、あとはお金払わないと使えなかったというだけで、今までオリジナルのベースはエクセル1の大橋哲夫さん。
オリジナルの人ですね。開発の一番最初にタスクシュートというものをこのように出した。
人が作ったエクセルベースのものがあって、もちろんこれはエクセルベースでありまして、しかも当時は開発当時はwindowsしかエクセルというものは使えなかったので、
今はいろいろエクセル使えますけど微妙に違ったりするんですね。結局こうwindowsでなければ使えないというのに近いわけですよ。
しかもこれは無料ではないんですね。タスクシュート2というのが今出ていて。
これ私別に高いもんじゃないんで、windows機のちっちゃいのを買ってでも絶対1回は使うべきだと思っておりますが、そんなことを言ってるのは多分私であって、
あの到底納得できないというふうに思われる方は、例えば自分macしか持ってなくて、しかも無料体験版を使わなければとても買う気にならないという人に、
今言ったような話はタワゴトなんで多分ダメだと思うんですよね。
次にタスクマというのがありまして、これは私が今使ってるんですけどね。タスクシュート。iPhoneでタスクシュートする。でもこれはクラウドじゃないんでiPhoneじゃないと使えないんですね。
ということはiPhone持っていない人はこれは使えないと。これもですねさっきのタスクシュートエクセルベースと同じで、私はですねiPhone買って使うべきだと思っていますが、
これもさっきと全く同じようにiPhone持ってない人からすると全く意味の不明な話だと思います。しかもこれも無料体験版はないんですね。
まあ4000円しないんで高いと思わないんですけれども、高いと思うという人は奪うと思うので、これもまあダメでしょう。
そうすると残るはタスクシュートクラウドしかないんですね。これはブラウザだから、しかも月額500円のサブスクリプションなんで、やるんだったら1ヶ月でやめてしまえばいいと、
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私は思うんで無料版いるのかなと正直思うんですが、これも私の言い分であって、多分無料版でなければ使う気がしないという人はいらっしゃると思うんですよね。
かなり多数。そうするとやっぱりこれタスクシュートクラウド無料版っていうのはエポックなんだなっていうふうに思います。
それが出ました。これを一つのイベンタブルの話かなと思うので、今日はちょっとその話をしたいと思うからしたいわけでは全くないんですけどね。
私はタスクシュートというものは、ある意味佐々木定義なんですよ。
昨日もYouTubeのせっかくのイベントだったんで、タスクシュートクラウドはJ松崎さんという方が開発していて、広報担当に近い位置づけでエフタさんという方がいらっしゃって、オリジナルは大橋泉さんで、喋っていらっしゃったのを聞いたり、喋ったよっていうのを見たりしてですね。
なるほどな確かにそうだよなと思いつつ、私は多分だいぶ違う考え方で使っております。今は特にですね。このGood Morning Vibesで喋っているという段階で、Good Vibesにはなはだ寄っているんですよ。
でもこれも何度も言ってますが、私はもともとこれに限りなく近い考え方で使ってたんですよ。それをGood Vibesでより一層確信を深めてそっちに流れているというか、佐々木定義でやってると。
これやってる人は多分ですね、昨日もyoutubeとかちょっと見たり思ったんですが、多分この世に私を含めて何名とかしかいないんじゃないかなって思うんですね。それはそれで全然いいと思うんですよ。
佐々木定義的に使わなければいけないとか、Good Vibes流儀でタスクシュートをやらなきゃいけないということは全くないんですね。
だいたいGood Vibesは倉園圭三さんですけど、この倉園圭三さんはタスクシュートは使ってませんからね。
だから全然そうしなきゃいけない理由はどこにもないんですが、これを聞いている方は話のネタぐらいに思っておいていただければ一番ちょうどいいと思います。
とはいえ、実はですね、私は大橋泰三さんと使い方が大いに現実に使っている形として感覚的に異なっているとか、気持ち的に違う使い方をしているとも思ってないんですけどね。
実際には、少なくとも私と大橋さんの使い方は、私の方が大雑把で緻密性が足りないとは思うけれども、大きな違いはあんまないと思ってます。
例えば食事の前に食事開始ってやって、食事終わったら食事終了ってやるときに、私と大橋さんで全然違う感覚を持って使っているなんてことは多分全然なくて、
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その意味ではJ.和崎さんだろうとエフタさんだろうと、使っている時の使っている限りにおいては、その使い方が大幅に違っているってことは別にないと思うんですよ。
ただ、私の使い方っていうのはないんだけど、私が考えるこういう時にはこういう風にするっていうのはちょっと違っているかもしれないです。
一番私がやっぱりタスクシュートでどこに気をつけたいと思っているかというと、評価しないってことなんですね。
何よりもまずこれが最大のポイントで、ほとんど唯一のポイントかなと思うんですけど、自分のタスクなり自分の行為なり時間の使い方なりを一切評価しない。これが原則かなと思ってます。
評価しないというのはつまり、それについての価値をいちいち考えないということです。これをやってよかったんだろうかとか、もっと違うことをやるべきだったんじゃないかとか、絶対そういうことを考えないと。
考えないんで私はもう、考えないとするとかいう必要はどこにもないんですけれども、これを考えてしまうということはですね、自分を分裂させるってことだと思うんですよ。
こういうことを考えたいからグッドバイブスを考えてるんだし、精神分析のような話もするんですよ。精神分析などというのはですね、実は全くここに持ち込む必要はないんですよ。
認知心理学とか行動科学とかをやっとけばいいわけですよ。それで済むんだろう。報酬をやって習慣化するって話だけしとけばいいんですよね。
ネズミが、チーズが出ればレバーを倒すようにタスクシュートを使いましょうって言っとけばいいんだけど、私はそうは全然自分はしていないということを常に意識しちゃうんですよね。
そういう意識をしておきながら、そういうことをずっと垂れ流していくのは自分としては結局ダメなんですよね。
こういうのに誠実とかいうことを持ち込むつもりも別にないんですよ。ただただ釈然としない。
釈然とするものを追っていって追っていって追っていくと、一番釈然とすることを書いているのは結局フロイトしかいないんですよね。
フロイトと一部メラニー・クラインという人と一部ドナルド・ウィニコット。それしかいないんですよ。
あとビオンとかオグデンとかそういう人たちですね。多分聞いたことも見たこともないという感じなんだと。見たことは誰もないですけどね。
あとハンナ・スイガルか、そういう人たちです。これはもう趣味みたいなものだと思います。私は知的好奇心です。こういうことをやってるわけでは全然ないんですよ。
ただ自分が困るんで、困りたくないからこうやって追っていくと。
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それらの人たちを追っている時に、時にじゃないんだけど、追っていく流れが自分の中であってですね、あんまり真剣にやってなかったんだけど。
クラウド・ケイゾーさんのグッド・バイブスを読んだと。特にチェーンズのブログ連載を読んだんですよね。
あの頃僕は困ってはいたんだけど、困っていることが噴出してきたんですよね。
一気に困るぞーみたいな兆しがあったんだけど、それは兆しだったんですけど、2016年、7年、8年あたりに爆発し始めて、すごい困るみたいになっちゃったんですよ。
で、しょうがないから、そういう時に精神分析とかって本当ですね、よく言われていることですけど、何かにつけて性欲の話をする。
で、なんかこう、好愛気とか、口で噛むサディズムとか、うんこを出さないサディズムとか、わけわかんない話に見えるんだけれども、でもですね、他のは僕の役に立ってくれなかったんですよね。
繰り返しこういう行動をしておけば上手くいくとか、認知の脳のこういう部分について検討すれば上手くいくとか、全然そうはならない。全くそういう感じがしなかった。
で、精神分析の話だけがですね、特にカウンセリングのこのポッドキャストでやった中では、例えば平気で嘘をつく人たちとか、あの読むと、非常に僕が悩んでいるようなことに、同じとは全然言えないんだけど、接近したものが出てくる。
可愛いハイホーさんは元々そう、全部精神分析なんですよね、元を辿っていくと。だからここをやっぱり何とか理解してみないと、少なくともそこに可能性があって、で、投影とか分裂ですよね、妄想、イリュージョンですよ、不安ですよね。
もう不安神経症と言ったらフロイトですからね。全部、あとその、感主観性、主観に閉じ込められてしまうっていうような話。これイリュージョンと言ってもいいんだけど。で、意味付けですよ。全部グッドバイブスで、どんどん出てきたんですよね、渋谷に聞いてて。不思議な気持ちがしたんですよ、本当に。どんどん出てくる。
別に倉園さんは精神分析の話をしてないんだけど、現象学の話もしてないんだけど、でも今でも覚えてるんだけど、倉園さんがですね、武道館を見たときにこの武道館は一体、みんなにはどう見えていて、本当はどういう姿をしてるんだろう、あれは本当にですね、現象学なんですよね。
リンゴなんですけど、なぜかリンゴなんですけど、フッサールとかみんな盛んに言いましたよね。このリンゴは自分の目に映ってる通りに他の人の目には映ってないんだ。これは仮題だったんですよ、現象学というのは。精神分析というのは心理学というか心理療法の現象学。つまり、人が狂ってるとはそもそも絶対考えないんですよ。赤ちゃんであろうと何であろうと、正しく理解していないとかも考えないんですよ。
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ここが非常に大事なんですね。赤ちゃんの目にはお母さんがどう映ってるのか、それはどう映っていようと正常ですよね。その人にとっての正常ですよ。ただ他の人には同じものは見えないし、多分同じようには感じられない。だからといって、お母さんが例えばヤマンバのように見えます。赤ちゃんに怒ったお母さんが。それは気が狂ってるんですとは言えないじゃないですか。赤ちゃんが物の見方が未熟なんですっていう言い方をするのもおかしいと思うんですよね。
他人がそういうことを勝手に言う権利はないと思うんですよ。そういう話をグッドワイブスではしていて、完全にこの話は精神分析に通じるし、他には通じるところがあんまないなっていうのがあったんですね。話がどんどん逸れてるんだけど、タスクシュートでまず評価しちゃいけないのはだからなんですよ。唐突に戻ってきて違和感があると思うんですけど、評価ができると思うっておかしいと思うんですよ。
ある瞬間のある時点において、私が漫画を読みたいと思った。それはさっき赤ちゃんがある瞬間のその赤ちゃんがお母さんを見てヤマンバのようだと思った。それが絶対に正しいじゃないですか。
いやいや、あれはお母さんでヤマンバじゃないんだから、あんた間違ってますってのはダメだと思うんですよ。そんなことを言う権利はないと思うし、それを言ってしまったらコミュニケーションが取れなくなっちゃうと思うんですね。私が正しいんだから、私が見てる通りにあんたは物を見なさいっていうことになりますよね。でもそういうことって世の中ではしょっちゅう起こりますよね。
今だってすぐに大炎上しそうなことがいっぱいあるじゃないですか。ワクチンを打つのは正しいのか正しくないのかとか、なんとか制度だったら安全なのかどうなのかとか、政府はワクチンの供給を知ってて止めたのかどうなのかとか、平らだったからなのか、オリンピックをやったのかなのか。
そういうのに対して、あんたこの見方が正しいんだから、こういうふうに見なきゃダメでしょっていう人がいっぱいいるじゃないですか。
いやだってそれはわかんないじゃないですかっていうのも認められないケースが多いですよね。保守側だろうとリベラル側だろうと、認めてくんないですよね。
本当に物の見方を考えてわかっている人ならば、こういうふうに見るのが正しいし、私が見てる通りにあんたも見るのが絶対正しい、それ以外の見方をするってことは誰かに騙されているんですって言うじゃないですか。
そうすると赤ちゃんがですね、うちのお母さんは怖くて鬼ババみたいなんですよっていうのは認めてくんない人はいっぱいいますよね。でもそう見えたっていうことは、そう見えたっていうことなんだけど、動かしようがない。しょうがないことですよね。
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これが1点目だと思うんです。タスクシュートをやるってこと。だから現在の技術をなるべく正確にしましょうねっていうのは、タスクシュートにしか私は見出せないし、GTDとかには全然これに相当することは出てこないですからね。
今今、こういうふうなことをやりたいと思って、こういうふうなことをやっていて、こういうふうな気分になっているんですってのは、どうしようもないんですよね。
この漫画をこれから見ていたいんです。しばらくの間はねってのは、しょうがないわけですよ。それが正しいとか間違ったりとか言ったって、しょうがないと思うんですよ。そこから全てが始まると思うんですね。
そういうことを、まるで他の考え方では出てこないので、まずこれが第一点として、私は評価絶対しちゃダメだと思うんです。
評価するということは、すでに自分じゃない人になって評価するわけじゃないですか。それ誰だよって話なんですよね。漫画を読みたいと思って読んでいましたと。
いやーそれはダメでしょうという自分が登場しましたと。良い活動と悪い活動みたいな話だけど、なぜそいつはそんなことが言えるのかと。
で、なぜそいつがそんなことを言えるのかが第2点で、その評価している私って
社会の側から投影されてませんかっていうのを問い合わせるべきだと思うんですね。ここに僕は計画とか想定とか
ロードマップとか何でもいいですけど、一切やんない方がいいと思っている一つの大事な理由があります。プランニングとか設計とか
つまり、少しでも先のことを今やってもいないことについてこれをやるのがいいんだよっていうのは
評価についてダメだと思うんですね。これが第2点。これがタスクシュートだと私は思うんですよね。
これからこういうことをやって、こういうことをやって、Aやって、Bやって、Cやると。できなかったらプランBを考えていく。一切ダメだと思うんですよ。ここが第2点です。
これをやんないというのが私はタスクシュートだと信じているんですね。でも今タスクシュートの主流ではそうは信じられていないんで、それはそれでいいんです。
これは佐々木定義なんですよ。思いっきり。私は第1点目から第2点目は当然の結論だとは思うんです。
評価を一切しないんだから、評価を一切しないということは将来において何をした方が
ベターだということは言えないはずなので、当然そこに自然の設計みたいなものは出て、必然の設計か、出てこないと思うんですね。
だって漫画を読むのよりも、本当は原稿を書くべきだったんですっていうことを言えないのに、
あなたは未来においては原稿を書くべきなんですとも言えないと思うんですよ。 だから必然的に評価しないということはプランはないってことになって、プランはないということは想定はないってことなんですよ。
そもそも想定しても当たらないし、ここでもさっきと同じ問題が出てくるんですよね。
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9時16分33秒の自分は正しく想定できますが、その次の瞬間の自分はそうではなくなりました。
なぜそんなことが言えるのかと、そんなことを言えるはずが僕はないと思うんですよ。
ご飯を食べる前の自分はすごく食べたいと思ってましたが、食べてみたらこれを食べない方がいいと思ってました。
どっちが正しいんですか?どっちも正しいんですよ。どっちが正しいってことが言い切るためにはですね、
やっぱりプラトンの神みたいな第三の視点が、しかもそれが自分の主観的な思維とか性能に一切左右されない完璧な視点が、
常に変化もせず、じっとモニタリングしてくれてるっていう何かが必要なの。それはないんですよ。
そんなものがタスク主導に乗り移ってくれてるはずはないんですよ。後になってみて評価をすればできるって言うんですけど、それも全くデタラメだと私は思うんですね。
ある日原稿を書いてみました。すごい良い出来の原稿だと思ったということで、翌日見てみて、翌々日見てみて、3ヶ月後見てみるでもいいと。ずっと丸だった。
でも3ヶ月と1日後に見てみると、この原稿を書いた本は出ないことになりました。
書いた時間無駄になったじゃないかと。バチになってしまう。
こういう風に評価って揺れるじゃないですか。後になったらわかるなんて、とんでもないことであって、後になろうと先になろうと、主観は主観であって絶対客観にはならないんですよね。
これは私は自明だと思うんですけどね。だから評価をしちゃいけないと思うんですよ。できないんで。
で、その3ヶ月と1日後になって本が出ないことになったからバチにしてみたんだけど、
実はその3年後になってみたら、その原稿がいいという人がたまたま現れて本に出来ました。やっぱり丸だ。
いい加減ですよね。極めて。丸なのかバチなのかは、その時その時の主観によって判断されるものでしかないので、どんどんどんどん変化していく。
そこに実態はてちゃダメだと思うんですよね。バチだ丸だは実態ですよね。
で、それについて、もしそういうことを常に緻密にやっていきたいならば、毎日毎日全行為について丸バスつけ直さなきゃならなくなるじゃん。
そんな馬鹿げたことをやっている人はさすがに誰もいないと思うんですよ。
そうすると、評価しちゃいけないということは想定することはできないっていうことになるので、必然的にね。
私の考えでは必然的になるので、想定はしないと。だからプランを立てないと。ロードマップも描かないと。
青写真も描かない。設計はしないということです。できないものだと思います。
そしてここまで来てですね、
例えば、ここまで来てタスクシュートを作るときに私が心がけるのは、
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自分の肉体優先で、他人からの依頼優先。
その他はその他ということなんですね。でも基本的にやらないことは描かない。
やらなかったことは描かないですね、一番厳密に言うと。この言葉は依頼優先という言葉を生み、
クラフトマスケットさんが先日ぶっちゃけ相談で、僕は依頼優先ということ、依頼を優先しなさいと言ったことはないと仰ってて、そうだと思います。
これが私がタスクシュートにグッドバイブスを寄せたゆえに出てきた発想なんですよ。
グッドバイブスだけならばそんなことが出てくるはずはないんですよね。
心が平安であればいいわけだから優先するかどうかっていう話にはならないんです。
優先という言い方をするってことはバラバラだって話になってますから。
でもタスクシュートっていうのはある意味タスクをバラバラに置いているんで、優先っていう観念と無縁ではいられない。
先にやる方は優先されてしまっておりますから、厳密にはどうかっていうのもあるけれども、
他者からの依頼優先っていう言い方は決め事ですよね。一応それをしておくことによってですね、組み、
組んでいくことが可能になると。で私はこれも佐々木定義ですが、肉体優先、他者優先、他者というか依頼優先ですね。
肉体優先なんです。自分の肉体からの依頼最優先で、なぜならすげーお腹痛くなったみたいな時に、奥さんが
鍋の蓋閉めろって言っても無理ってことはあるんで、自分の肉体が優先です。ただしここは今話した通りでですね、
定義が定義通りにはいかないということは多々あります。実際それほど研究なのかどうなのかって問題は出てきます。
で、もう一つが、
そう、他者優先、依頼優先ですね。これは自分の肉体も依頼なんで、私からすると全部依頼になるんですけれども、
人からの依頼を優先するという定義にしておく。そうすることでですね、
やっぱり同じなんですけど、妄想分裂ポジションに行きたくないというのもあるんですよ。これについて今日は一時説明しませんか。
メラニー・クラインのやつですよ。妄想分裂ポジションに行きたくないんです。妄想分裂ポジションは行けないとかじゃないんですよ。
別に妄想分裂ポジションなんですよ。時々赤ちゃんは。しょうがないんですよね。しょうがないというか、それでいいんですよ。
だけれども、私としては心の平安という話があるんで、心の平安の方がいいんで、妄想分裂ポジションは避けたい。
で、妄想分裂ポジションを避けるためには、
自分の肉体でもなんでもない自己優先みたいなことをすると、もうその瞬間に妄想分裂ポジションに半歩踏み込むことになってしまう。
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知的好奇心みたいな話がここで出てくるんでしょうね。だからそれは私は全然この文脈にはいらない話だと本来思うんですけど、必ずここで出てくるんだなっていう風に思いますので、
多少話しますが、話しますと、例えば私が先日、源太郎さんがお亡くなりになりまして、
フンジたちの続きがどうなるんだろうと非常に気になっているんですが、
フンジたち読みたいとあるわけですよ。あれ一体なんで読みたいんだろうって、いつも私は疑うんですよ。自分を。
歴史が面白いって言うんだけど、私は歴史なんかが面白いはずはないと思ってるんですよ。本音を言うと。
私に知的好奇心というものは、さっきも言ったんですけどあんまりないんですね。
僕はこれを何で読みたいんだろう。少なくともこの部分について疑うぐらいはしていいと思うんですよね。
なぜ歴史なんかを面白がるんだ、自分はって思うんですよ。
面白がってもいいじゃないかって話になると思うんですけど、僕はそういうことを認めたくないんですよ。自分についてですよ。他の人についての話ではないです。
自分については何かを面白がるということは常に疑いの対象にはなるんですって、私の場合は。必然性が別にないですから。
さっきのように非常に困ってるから必ずしも面白くもないフロイトを読むっていうことはわかるんですよ。
けれども面白いから読むということになってくると、それを面白いとあんたに言ったのは誰なんだというか、それを面白いとあんたに感じさせたのは誰なんだというか、
それを面白いとあんたに感じさせるようになったいきさつは何なんだってことをすっごく考えさせられるわけですね。
もしかすると面白くもなんともないかもしれないじゃないですか。そんなことわかんないわけですけどね。
でも私はなぜ野球を見ていて自然とロッテ応援しちゃうのかってことなんですよ。わかんないわけですよね、それ。
この放送が入ると喋りにくい。
今喋ろうとしていたことを全部吹っ飛んでしまうんですけど、
つまり知的好奇心というものを優先させるということは、私が例えば奥さんなり
出版社さんなりに頼まれたことを優先せずに
知的好奇心という名のもとに雰囲気たちを読みますということをやるということはですね、
その環境を私に供給してくれているものについて私は魔術的な思考になっちゃうっていうのが
クライン的な言い方になりますね。魔術的というのは、
これこれ読んでいられるし、以上ってことですよね。赤ちゃんってそうですよね。
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このミルクはどっから来たんでしょうなんて考えずに飲むし、それ以上ですよね。
ここのいきさつを考え始めると厄介なことが起こりますよね。赤ちゃんのもうちょっと大きくなって3歳ぐらいになりました。
お母さんは僕のものです。 僕以外の人を好きになっちゃいけませんと思いました。以上それだけでいいわけですよ。
いやもともとお父さんとうんうんだったからあんた生まれたんだよっていうのがいきさつですよね。
こういうことに意識を回したって話ではないですよ。それは所詮は例え話なんですよ。
だけれども結局あんたがその知的好奇心になるものを使って今それができているのは何でなんですかっていうことを
僕ら考えちゃうじゃないですか。考えないとすると
相当
相当、なんて言うんですかね。
開き直んなきゃいけないと思うんですよ。これを想的防衛って言うんだと私は思うんですよ。
いやいやこれ大丈夫だもん。お母さんが何かくれる。お母さんが大好きと。お父さんは居なくしちゃおうみたいな。
だってそれでいいじゃん。これが想的防衛ってやつなんですよ。心のどこかではそれじゃまずいんだろうなって思ってると思うんですよ。
こう思った瞬間に平安じゃないじゃないですか。明らかに何かひどく不安にさせられながらそうやって無理やり開き直っているようなところって必要になってくると思うんですね。
依頼を断って事故を優先するっていうのはそういうことを必ず招き寄せると思うんです。
で私はそのそうは言ってもそうは言っても事故の何とかを優先する必要があるんだという人はいると思うんですよ。
例えばアインシュタインとか。アインシュタインがもう少しで相対論が固まりそうだっていう時に、奥さんが洗濯物を干せって言ったのを優先するべきだとは思わないんだけれども。
思わないんだけども、きっとそういうことって起こらないんだろうなと思うんですけどね。でも思わないんですよ。
でも私は自分の原稿と奥さんが頼んだものを天秤にかけたら、原稿は一旦振り捨てるべきだと思うんですね。
私の好奇心なり何とかはそこまでいかないと思うんですよ。ここはもう判断ですよね。
ただこういうことを考えるに値することだろうとは私は思います。結局のところ何かを優先する、何かを先にやる、何かをより重要視するということは結構な部分、
社会的な価値ってものが関わってきているはずなんですね。純粋な知的好奇心って言葉がここで頻繁に話題になったんですけども、
知的って言った瞬間に社会的っていう部分が含まれるに決まってると思うんですよね。
だって知的好奇心と言われているものに歴史とかで、歴史って誰かが歴史を記述したわけじゃないですか。
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いきなり魔法的に作り出したものであればそれファンタジーであって歴史じゃないですよね。
知的好奇心って言ってるものってすでに社会的なものを含んじゃっているし、
これは特にライフハックの人たちに私は尋ねたくなるんですよね。
そんなに社会性を自分の身の回りに優先していいんだろうかっていう問いも成り立つんじゃないかと思うんですよね。
だって社会が何と言おうと私は私のやりたいことをやりたいっていうのがライフハックではよく言われることだと思うんですよね。
お父さんが医者になりなさいっていうのはやめにして、自分はもっと自分の好きなことをやりたいっていうのとライフハックは直接関係ないんですが、
非常にそういうことが言われるじゃないですか。
で、ありながら知的好奇心というものを選択ものを起こすことに優先するってことは、
家の中で頼まれたことよりも社会で自分が要請されていることの方が価値があるってことになってしまいますよね。
なってしまいませんかね。歴史に興味があるってそういうことだと僕は思うんですよね。
語学でもいいですよね。よく言うじゃないですか。英語の勉強とか。純粋な知的好奇心としてそういう話をしますよね。
知的生産の技術でもそういう話は頻繁にされると思うんですけれども、
どうしてそれは社会性ではなく自分発だって言い切れるんだろうってのはやっぱりどうしても出てくると思うんですよね。
だってほとんどの場合、私が取り上げたのはさっきあれはわざわざなんですけど漫画でしたけど、
大概の場合知的好奇心というのは文章じゃないですか。文章って人が書いたものじゃないですか。
そういうふうに考えていくと、自己優先っていうことをするってことは、私はですね、身の回りの人よりも少し遠い人を優先するってことになってしまう気がするんですね。
これはグッドファイブスで知ったということではないんですよ、僕の中では。このようなことはブログで書いたことがあります。
もうそのブログどっか消し飛んじゃった気がするんですけどね。先日ちょっとお話したんですけど、
契約しているプロファイラーさんとのお金を払うタイミングを間違えて、僕はこういうことをやらかす人なんですけど、消し飛んじゃったんですよ。
そういうところに書いておいたことがあります。あるタイミングで自分が優先しようとしている人の間に、本当に純粋な自己から出発したものってのが一つでもあるだろうかと。
なんかあるじゃないですか、博物館に行きたいと。博物館って社会的じゃないですか。美術館に行きたいとか。知的好奇心と呼ばれているものに社会性が含まれないものってことじゃない。どうしても見つけられないんですよね。
オペラ聴きたいとか、オペラって他人が作ったものですよね。それがいいって評価している人のすでに何人もいるものですよね。
自分が初めて発見しましたって言うならまだ下なんだけど、そういうものってほとんどないと思うんですよね。
そういうふうに考えていくと、別にこれは佐々木定義なんですよ。どうでもいい話なんですよ、全部。
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私はこういうふうに考えてますというのに過ぎなくて、こういうふうに考えるべきですとは到底そういう話はできないって話をしたばっかりですからね。
何やってもいいと思うし、知的好奇心優先でもいいと思うし、自己都合優先でも全然いいと思うんですよ。
ただ私は心をずっと平安にタスクシュートを使うということになってくると、
これはGood Vibesが強い影響を受けていなければこのセリフは出てきませんけれども、
依頼優先っていうのを遵守していった方が、これ実はこうやると差もシンプルになるようですけど、そうはならないんですけどね、実際には。
例えば、出版社さんから緊急で教授にやってくださいということがあったと。
でも奥さんがすごい体調が悪いですと、同時に自分の体調が悪かったらどれを優先するんだ?こんなことはあり得る話ですから。
どれ優先するんだっていうのは結局迷いの種になります。
ただそれでもこの3つで済むならばだいぶやりやすい。
ここにさらに自己都合というものも含めようとしたら、まあ無理です。
絶対妄想分裂ポジションになると僕は思うんですよね。
開き直るっていう形に近いものを取るしかない。
その時ですね、産まないってやることもできるはずなんだけど、産んでしまうものにイリュージョンがあると。
忌みづけとイリュージョンはこういう時にほとんどと言っていいぐらい、99%以上の確率で、今上古して言ってるんですけどもっとずっと高いと思いますが、出てくる。
なぜこいつはこういう時に体調を崩すんだとか、前の日に何々を食べたから自分はお腹が痛くなったとか、全部イリュージョンですよ。
もっと前からどうして出版社は言ってくれないんだとか考えるじゃないですか。
そこにさらに自己都合を投入したら、なんで世の中こう自分の邪魔ばっかりするんだろうって思う人がいて、何も不思議はないと思うんですね。
ここまで来てしまうと、私の感覚では1週間ぐらいの間、心の部屋が乱れまくりだと思う。
そんなことになるぐらいだったらですね、依頼ひたすら優先していて、でも寝起きとか寝る直前とかに文字達をちょっと読むと。
それは完全に自己都合であって、知的好奇心でもなんでもないんですけど、ただ自己都合で読むと。
そうしている方がよっぽどうまくいくような気がするんですね。
これから無料でタスク修道を使おうという方がもし万が一これを聞いていたら、ちょっと気に留めておいていただければ嬉しいかなと思います。
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