00:04
おはようございます、グッドモーニングボイスです。
10月4日、水曜日、夜の9時14分、21時14分となりますね。
これを今撮っている段階では、これを明日の朝あげるか、今あげるか、ちょっと悩んでいるわけですが、どうしようかな、わかんないですね。
撮り終わってから考えようと思っています。
当然、常識的には、明日の朝にこれをアップするというのが、このおはようございますと言っている以上、当然なんだけど、
僕は取っ手出しをするのが、多分そういう人間というか好きなんで、いつかにこれを予約して出すということになると、
いつもそれをやっているとですね、モチベーションがダダ下がりになって、まず絶対に続かなくなるんですよ。
取っ手出しだからこれをやってられているというか、続けられるんですよ。本当に変ですけどね。
全然そこに間を空けることが、別に抵抗があるわけじゃないのに、間が空くと思うと別にいいやとなりやすいというんですね。
しかしこれだとどうしてもグッドイーブニングボイスになっちゃうんだよなっていう問題もあるにはあるんですけど。
まあまあ、でもこの時間帯にはこの時間帯なりの非常に良さがありまして、一つにはもう家をトントンとやっている音がしない、
サオダケ屋さんもやってこないというですね、非常にいろいろメリットはあるんだけど、
まあでもね、グッドモーニングボイスでありたいという、要するに自分としてはやっぱりラジオは朝でしょうという、
自分は朝ラジオ聞きやしないのにですね、そういうわけのわからん思い込みがありまして、朝がいいなあっていう勝手なところがあるんですよね。
これをちょっとどうしようかなっていう、今日みたいな日は結構今後増えてはくるとは思ってるんですけどね。
特にこう、秋はですね、まあでも秋は朝でもいいんですよね。冬は本当朝ダメなんですよね、別の意味で。
非常に夏も、もう最近は厳しいですけどね、朝といえども。
まあそんな感じでちょっとまだ考え中、検討中、様々あります。
100日チャレンジのお知らせなんですけど、現在第6期募集中ですね。
J.MASUZAKIさんが先日第6期の募集を開始されたと。
非常に私たちの方もですね、ハッスルプレイ中でして、何としてもこの段階でですね、タスクシュート協会を一つの、いろんな意味で組織力のあるような状態にしていこうと。
なってきつつあるかなと思っているんですけれども、何しろ冬がやってきますからね。
冬は僕はあんまり得意な季節ではないと。
今年はそんなことは言ってられないから、ちょっと一息入れていこうと思ってはいるんだけれども、第6期募集をかけております。
タスクシュートクラウドライトの方も順調に仕上がっている感じで、私ももうあれ一本に早くしようと思っているぐらいでして、皆さんにも好きな方にはぜひ使っていただきたいと。
同時に手帳も、手帳ができるなんて僕も本当、生まれて49年は思ってなかったんで、タスクシュートの手帳ができるなんてね。
できましたからね、50歳になってみて、僕が作ったわけじゃないけど。
こういうのもあって、いよいよですね、タスクシュート協会的には頑張ってきているんで、6期にもぜひ参加していただくと。
ちょっとですね、皆さんの参加した方にはですね、生活がいい意味で変わるんじゃないかなというふうにも、
100人やっぱりいるっていうのは、それだけでも一つの意味があるんだなっていうのを僕も最近、僕コミュニティってよく分かってないところあるわけですよ。
自分自身が非常にコミュニティにコミットするっていうタイプの人間じゃないので。
でもコミュニティって100人規模っていうのには一つの意味があるし、なかなかないじゃないですか。
大きな会社に勤めてられる方っていうのは全然そんな当たり前のようにあるのかもしれないけど、
僕らの最近の生活スタイルっていうのは本当にある意味小舟っていうふうに、
小舟に私たちは乗ってるようなもんだという。
昔は大舟に乗ってて安心だったけど、小舟に移ってから大変不安になってるんだけど、しょうがないからみんなで小舟に乗ってるんだよっていう話なんですけどね。
全くそういうところがあって、100人規模のコミュニティ、100人は大舟では決してないし、コミュニティは組織ではないんですよね。
この中に尽くしてれば安心だぜってことにはなりませんけど、でもそれなりのところもありますから、みんながタスクシュート付きの100人っていうのはなかなかない集団なんで、
多分巷では決して遭遇しないと思うんですよ。
同じ会社で使ってる人が見つけたらすごくびっくりするっていうようなツールなんで、そこはしょうがないんですけどね。
そんな感じでですね、ご参加いただけるといいかなというふうにいろんな意味で、高いコミュニティでは決してないので、
以前はもうタスクシュートを使ってさえいればいいっていう、ただ同然のコミュニティだったんですけど、
今はさすがにその形だけではやっていかないようにはしているんで、少し変化してきているんですけれども、
いろんな意味でここがタスクシュート協会の入り口的なものだと思いますので、よろしければぜひここからいろんなその後の展開みたいなのをつかまわれていく方もいらっしゃるんで、
よろしければぜひご参加いただければと思います。
借金玉さんの仕事術について
はい、それでですね、今日は別にその逆チャレなんかとタスクシュートとかの話とはちょっと違う、
でもタスクシュートは関係がないわけじゃないなと思うんですけど、
例の、かのスティーブ・ジョブズもそうだったと言われている、発達障害って言葉があるじゃないですか、概念。
障害って言うんですから、精神障害の一つと言ってもいいと思うんですけれども、
これですね、私よく思うところがあるんですよ、いろんなことを考えさせられるんですけど、
発達障害でないとしても物忘れ激しい、先送り繰り返す、それから物をなくしたりしやすい、コミュニケーションがあまり得意じゃない、
全部俺当てはまるよねっていう感じがあるんですよ、僕はね。
で、これがおかしな話で、これとはスティーブ・ジョブズがそうだったって話がどう関係するんだろうって考えてみて、
改めて考えてみてね、例のあれですよ、借金玉って方が書かれたすごい仕事術の本。
最近あの種の本を私もめっきり読んでないんですけど、久しぶりに読み返してみて、
これは何て言うかある意味、辛そうだなってまず思いましたね。
なんか他人事みたいになってるってところがまたミソなんですよ。
昔自分はあのまんまに近い人間だった。あれほど厳しくなかったけど、
まあああいう感じはあったわけですよね。借金玉さんと似たところはいっぱいあった。
で、まあいろいろなお薬も飲まれていて、大変そうだなって思う。
この大変そうだなって感じが以前あんまり抱かなかった感想なんですよね。
以前は自分もこういうところ多々あるなみたいな方に注意が引っ張られていて、
これって発達障害なの?ADDとかADHDとかって言うけど、昔あのね、何知ったかな、
リター・エメットさん、ちょっと名前忘れ、違うかもしれないですけど、
結構これは先駆けとなってる人っているんですよ、やっぱり。
その以外もモッパラADHDって呼ばれてたんだけど、先駆けになってる研究がアメリカの方であって、
結構ですね、私が2000年に留学してた頃はね、ADHD全盛みたいな、
発達障害って言葉はまだね、よっぽどの専門的な人じゃないと口にしないみたいな、
デベロップメンタルディスオーダーっていう言葉はあったんですけど、
デベロップメンタルディスオーダーっていう、何て言うんだろうな、
ストレートですね、DDみたいな言い方をしていた人すらいますね。
今ちょっと違う言い方してますよね。
ADHDっていうのはちょっとそういうアダプティブ、デベロップメンタル、
あれ、ちょっと待って、アナライ、違うな。
多動性、注意、欠陥、障害だから、英語って本当忘れるんですね。
アテンション、何だっけ、ハイパラクティブディスオーダーですよね、最後はね。
デフィシットか、アテンションデフィシットか、注意、欠陥、障害、
多動性注意、欠陥、障害、注意、欠陥、障害、つまり注意の問題だってしてたわけですよね。
これはすごくやっぱり認知の世界から見た、認知発達的な考え方を取ってますよね。
子供の注意、子供の集中みたいな、ここに集中をコントロールできるのが自然だっていう、
ダニエル・カーネマンって人の発想があるんだけど、
ここから、集中って言葉が出てくるわけじゃないですか。
注意の制御に関する議論
注意が足りないっていうのがアテンションデフィシットですよね。
で、注意が行き過ぎてるっていう言い方をするんですよね。
僕はこの言い方にそもそもすごい実は当時から、それこそ2000年ですよ、まだ。
僕がフロイトとかはただ趣味でしか読んでなかった時代、今でも趣味でしか読んでないけど、からすっごい違和感があったんです。
だって注意って引き寄せられてしまう部分もあるじゃないですか。
このところはずっと論争があったんですよ。
ダニエル・カーネマンがなんか決着したみたいな顔を、これはディスってるみたいに聞こえますよね。
僕はでもダニエル・カーネマンっていうのはもうヒーローに近い人なんてディスる気はさらさらないんですよ。
イスラエルの日尻学者、経済行動学者でもありますよね。非常にすごい人なんですけど、あの人確か経済行動学科なんかでノベル賞を持ってますよね。
もう本当に偉人なんですが、どうしてもリソースにおける注意の、僕それにやっぱりディスってるっていうのはあれですけど、ケチつける論文みたいなのを大学院で実は書いてるんですよね。
それはそこそこ小論文ですよ。レポートみたいな形で、教授には受けがよかったんですよ。
僕はもっぱらポップアップって言って、例えば2の中にいっぱい2っていう数字の2ね、数字の2をいっぱい書いてる中に5とSを書くと、全然見つけられないじゃないですか。
ウォーリーを探せ状態になりますよね。
それだけれども色を変えると、5の色を赤にするとパッと赤分、当然ですよね。
当たり前の話ですよね、これはね。
でもこれが注意というものの、私はリソースだけでは非常に語りにくい部分の説明としてはこれをポップアップって言うんですけど、注意しようという意識いらないですよね。
5が赤であればパッと目に入ってくる。
だから検索の、僕はこの話を検索と絡めたんですけど、そっくりな文章の中でどこを変えているのかと、プログラミングとかでもそうですよね。
変えているのかを色分けするじゃないですか、常識的に。
人間はこのことをよく知ってますから。
いや、超注意を集中させてわずかな差を見出すんだっていうのは全然人間的じゃないじゃん。
ここが大事だと思うんですよ。
機械だったらここに人間的かどうかなんて問題にもならないと思うんですよ。
差分をとるってやつですよ。
だけど人間には色分けがいりますよね。
注意と認知の関係性
なぜなら人間はここに注意を集中する気はないからですよね、あんまり。
すっごく酷似したもの、だからオーリーを探せっていうのはゲームになるわけですよね。
だからパッと目に入ってくるようにするってことは、パッと目に入ってくるような認知のさせ方をする方法はあるってことになるわけですよ。
僕は人が何に注意しやすい、注意しにくいっていうのは、当然そこにはすっごく細かなデザイン的なものっていうのがあるに決まってると思ってるんですよ。
長い文章を読ませるよりは子供に歴史の漫画を、日本歴史漫画みたいなのを読んだ方がよっぽど頭に入りやすいのには、
漫画を書いてる人たちがすっごい色んな工夫をしといてくれてるからですよね。
集中線一つとってもそうですけれども、それがつまり注意って話で、この注意を欠陥とかリソースとかいう話をする。
つまりなんか能動的なんですよね、注意っていうのは結局。
能動的なんだけど、能動の部分ばっかり言うっていうのは妙なんじゃないかなっていう。
ダニエル・カネはこの辺のことは十分承知の上で、リソース論にはいろんな工夫を凝らされてるんですけど、
僕は逆にですね、あの工夫のせいでこのシステム論って何を言ってるんだかよくわからなくなってしまってるような気がするっていうのを、
ずっと前から意識して問題にしてたつもりだったんですよね。
その辺が僕の大学院のときの専門領域だったんですけど、僕はそれで何の成果もあげることなく帰国しましたんで、
これについて言及する権利は全くない、資格がないって感じかな。
でも今ならばそういうアプローチはそもそも取らないなって思ってるんですよ。
どう考えてもこれは精神分析の領域でしょうって僕は思うんですよね。
だからですね、そうすると話がまた著しくややこしくなって、どういうことかというと、
いや発達障害ってそもそも障害だから精神分析で扱うとすると、それはやっぱり臨床の世界じゃないのって思われるかもしれないけど、
僕はその前に、やっぱりその前にですね、この問題を注意の観点だけから見るべきなのかっていう、
フロイトが失策行為とか日常生活の、要するに間違いですよね。
忘れ物する、約束破っちゃう、物を無くすっていうのは全部失策行為として彼はアプローチしたわけじゃないですか。
この話、今日初めてするわけじゃない気がしてきました。
なんか意気揚々と喋ってるんだけど、全然今日だけじゃないですよね。
興味の不足と話の面白さ
僕こういう話頻繁にしてますよね。
僕はやっぱりこの話に多分結構興味のポイントを取られてるんだと思うんですけど、
要は無意識っていうものをやっぱりここに持ち込みたいところなんですよね。
認知的なアプローチの大きな問題っていうのは、意識の話に集中しすぎてると思うんですよ。
注意一つとってもそうで、注意ってものがリソースとか意思とかポップアップとかだけから考えようとするから、
何かおかしな話になってるような感じを与えてしまってると思うんですよね。
ポップアップ一つ取ったってそれは意思なのか。
2の色だけを変えるとパッと目に飛び込んでくる、これは意思なのかと。
意思とリソースだけの問題なのかっていうと大変どうかと思うんですよ。
運転なんかの時にこの認知ってよく出てくるんですよね。
眠いなぁと思ってると自己利やすいじゃないですか。
これはつまりリソース不足で説明されるんだけど、その前に大事な話あるだろうってやっぱ思うんですよ。
精神分析的に考えるとね。
なんで眠くなったってことですよ。
十分寝てないとかだったら話わかりやすいんだけど、そうとは限らないじゃないですか。
僕らは十分寝てますという時でも、人の話を聞いてると急に眠くなってくるってことが、
これ精神分析で非常によく問題になってきますよね。
ついに眠くなってると。
この時にリソースの話だけしてちゃダメだと思うんですよやっぱり。
リソースの話だけしたくなるのは現代社会ではよくわかるんですよね。
まるで人間の意識をコンピュータのメモリみたいに例えたいわけですよ。
いや95%が取られてるからもう眠くなるんですよみたいなことを言うとわかったような気になるんですよね。
でももう一つ大事なポイントがあると思うんですよ。
なんで目の前の人は退屈な話を延々してるんですかっていうことなんですよ。
退屈な話ってそもそも何ですかっていうことが大事だと思うんですよね。
大学の先生が日本史の授業をしてます。
もう本当そんなの退屈だからみんな寝て当然じゃんっていうのは正しくないんですよ。
目をランランと輝かせて聞いてる学生っていたりしますでしょ。
いやあいつ変わってるよねって人は言うじゃないですか。
変わってるってこの場合どういうことなのかってことですよね。
日本史の授業は100人のうち96人が寝るのは当たり前なのかと言うと別に当たり前ってわけじゃないですよね。
わけあって眠くなってるわけじゃないですか。
ここが大事だと思うんですよ。
リソースの話だけするっていうのは、
寝不足だった学生だけが寝てて目をランランと輝かせている学生さんは昨日8時間寝たからです。
この説明誰も納得本当はしないじゃないですか。
寝不足か寝不足じゃないかだけがこの問題を決定するはずないですよね。
だから興味とかいう言葉がキーワードとして出てくるわけですよ。
発達障害と仕事の影響
ダニエル・カネマンも興味に相当するものはちゃんと用意してるんですよ。
でも僕は興味だけじゃ足りないだろうってやっぱ思うんですよね。
さっきの2と5のオーリーを探せの話ですよね。
興味ってのはありますよ。
オーリーを探せ大好きな人いますからね。
興味だけかそこにあるのは僕だったら思いますねやっぱりね。
興味が全部を決定するか。
興味を持とうとするのは大事ですよね。
カウンセラーの人が相手の人の話。
興味を持とうとする訓練は12分に受けてきている。
まあ12分じゃないかもしんないけどとりあえず12分に受けてきているとしましょう。
でも眠くなるんですよ。
ここが大事ですよね。
オイハヨウさんもどうしてもこの人の話を聞いていると眠くなる。
ここでメラニ・クラインも怒ったわけですよ。
いや眠くなるのはあんたの事情でしょうと相手のせいにすんなよ。
でも相手のせいかもしれないって思うところがやっぱり大事じゃないですか。
この人話を聞かせて眠気を誘うような話をわざわざするってどういうことなんですかっていう。
で、そこで出てくるわけですよ一つは。
隠し事してるんじゃないですか。
仕事をされてるとどうしてもその話の核心部分には触れられないから興味持てなくなっていくんですよ。
どんなに興味を頑張って持とうとしても。
人の作り話ってのはやっぱりわかるんですよね人間には。
あのめっちゃくちゃ作り話が上手い人いるからそういう人は無理だったかもしれないけどやっぱりいるわけですよ。
今僕の話を聞いててもいやいつもの話に比べて佐々木の話つまんないな今日終わって思う人がいるとすると。
多分僕が核心に触れることがこの話の中でできてない部分があるからなんですよ。
逆にめっちゃ面白いなと思う人はその人にとって私の今日の話が何かの核心に触れてるんですよ。
こういうことってあるじゃないですか。
で、それって結局話の面白さって言ってしまってもいいんだけどイコール必ずしも面白さだけじゃないですよ。
で、ましてカウンセラーはクライアントさんの話が面白いからただ聞くってだけにいくわけにいかないんですよ。
話がめちゃくちゃ拡散してますけれども、ウィニコットっていう有名な精神分析家は言ったわけですよね。
牧師さんだっけな、教会でも悩み相談するわけじゃないですか。
だけどもどんな悩み相談はあなたたちのような精神分析家とかカウンセラーのところに起こさなきゃいけないと思うっていうこれは非常に真っ当な質問だと思うんですよ。
どんな質問は人生相談としてあるいは宗教化として受けて良くてどんなのはダメなのか。
一発で答えられる感じの区別なんかなさそうですけど、ウィニコットはかなりクリアに答えたわけですよ。
退屈だったら私のところに寄越してください。
これすごい良いですよ。
退屈だったら人のところに寄越したくなるじゃないですか。
一つには。
そして退屈だってことは身を入れて聞けない事情があるんですよ。
だって神父さんなりはやっぱり面白い話ばっかり信者さんが持ってくるとは限らないはずなのに、
でも退屈すると。
ちゃんと信者さんの話聞こうってまあしますよね。
今時の神父さんなんてきっと良心的だからちゃんと聞こうって思うと思うんだけど、
あー退屈だわってなるってことは、その人は精神病水準なんじゃないのかと。
話が普通の人が聞いたらおよそまとまりのない話ばっかりになってるから退屈なんじゃないのかって考えると、
それを精神分析家のところに回すってのは非常に妥当なんですよ。
なんで今日僕がこういう話をしてるかというと、
最初は発達障害気味のところから来たわけなんだけど、
どうするにですね、発達障害とかそういう話になった時、
仕事の差し障りって部分にすごく直結する話だからそうですよね。
先送り、これはもう仕事に直結しますよね。
だからライフワーク界隈ではよくこの話出てくるわけですよ。
発達障害だ、ADDだ、ADHDだ。
だからタスク管理で何とか回しましょうみたいな話も出てくる。
でも僕はなかなかそうならないだろうなって思ったんですよね。
いろんな意味で。
一つはですね、なぜなのかよくわからないんだけど、
この種の話ってスティーブ・ジョーズになることで解決しようとするっていう議論が起こるんですよ。
借金玉さんそこをど真ん中で取り上げてるからあの本売れたんだという面が僕はあると思うんですよね。
スティーブ・ジョーズになろうとしてはいけませんって彼は書いてましたよね。
書いてるんですよ、本の中で。
先送りはひどい。
物はなくす、人の話は聞かないし、約束は破る。
こんなんじゃ社会人としてやっていけないけど、
俺はスティーブ・ジョーズだからいいんだっていう論はダメだっていうふうに
あの本の中で書いたわけですよ。
スティーブ・ジョーズになることで一発逆転を目指すのはやめましょうと。
だけど大体においてこの注意・欠如・気質の人というのは
アイディアマンが多いから、このアイディアで一発逆転できるんじゃないかとみんな思っちゃうと。
だけどそのアイディアを実現するという、このなんていうのかな、
コツコツ頑張るっていう部分が欠けていると。
こういうふうな話をしながら受けたんだと思うんですね。
だけど僕は全然違うものを感じるんですよ、そこに。
なんていうんですかね、この独特のものを感じるんですね。
非常に独特のものを感じるんです。
無意識ってものの開剤をそこに感じてしまうんですよね。
アイディアマンだとか、アイディアをまとめられないだとか、
先送りをしてしまう、約束を守ることができない、ものをなくす。
すべてですね、フロイトがかなり初期の頃にテーマ設定している話なんですよね。
一言で言うと天の弱って感じがしますよね。
なんかこう自分で自分を裏切ってるというか、裏にいる自分。
ユング派のファイオファイオさんがそれこそ、
影の現象学って本を書かれてますけど、ああいう本の中で出てきそうですよね。
仮暮らしのアリエッティって話あったじゃないですか。
あれファイオファイオさん相当早い段階で取り上げてるんだけど、
宮崎先生もジブリですよ、アリエッティの作品ありましたよね。
ものをなくすと隠す
ジスタジオ、ジブリ。
ものを隠されるじゃないですか。
あれなんですよ。
ものをなくしているのか、ものを隠されているのか、大きく違うじゃないですか。
ものをなくすっていうのは偶発的な事象でしょう。
偶然起きることですよね。たまたまものをなくすんでしょう。
でもユング派のフロイトっていう人たちはそうはものを考えないんですよ。
誰かが隠したって考えるんですよ、ここで。
隠すのは偶発的じゃないですよね。
意図的な行為ですよね。
隠されてるから見つからないんですよね。
私がだらしないからいろんなものをなくしちゃうんですっていう説明は、
偶発事象だって言ってるんですよ、この事象について。
でもユングの人とかフロイトっていう人たちのものの考え方、
ここに無意識ってものを入れることによって、
偶然の出来事なんてそうはないっていう言い方に切り替わるんですよ。
この観点すごい違うんですよ。
偶然じゃないんですよって言ってるんですよ。
無意識の影響
必然的に誰かが隠したんだよって言って、
じゃあ誰が隠したのって。
小人さん、アリゲッティーの人とかそういう話になるじゃないですか。
これも面白いんだけど、
いやいやフロイトに言わせると、
あなたが自分で隠してるんですよっていう言い方になるんですよ。
会社に行くカバンを隠したんですよ、あなたの無意識が。
なんで会社に行きたくないからですよね。
っていう話を始めたわけですよ。
こうやって見ると、これは注意欠如機質では全然説明してないってことがよくわかるじゃないですか。
今この説明の方法、アプローチは不人気ですよ、確かに。
明らかに注意のリソースが足りないとか言っている方が格好つくんだけど、
全然無格好な話が注意のリソースとは見ても、
ちょっと話が解決に向かってないような気がするんですよね。
あなたの無意識が隠したんですよっていう観点を取ってみると、
実はよくわかる話、いっぱい出てくるんじゃないか。
無意識が隠すような真似、
つまりあなたの無意識があなたを裏切るような真似をさせないように持っていけば、
そのために精神分析家とかカウンセリングがつけてくれるんだけど、
そうしてみればカバンなくなったりしなくなるわけですよ。
この方が僕はよっぽど有効に作用しそうな気がする上に、
実はオカルトですらない。
一見したところリソースとか言っておくと、
科学的でITっぽさがあって合理的な説明になってる気がするんだけど、
僕はiPhoneのメモリならともかく脳内にリソースっていうことが
オカルトでないとでも言えるだろうかっていうと、
めっちゃそれオカルトじゃねえかって思うんですよね。
どこにそういう証拠があるのかっていうとないじゃないですか。
無意識もないんだけど。
でも自分が会社に行きたくないから、
気がつかないところで自分がものをなくす、落とす、
約束を破る、コミュニケーションが取れない。
すっごくここにある種の方向性が感じられる。
ここを言うのが意外に難しいのが現代だから、
みんなリソースに走っちゃってるような気がするんですよね、
アプローチとして。
リソースって説明に突っ走っちゃってる気がするんですよ。
よく聞いてると、
この種の話っていうのは僕は、
だからタスク管理が助けになるっていうのは7割正しいと思うんですよ。
タスク管理が何をやってるのかっていうと、
これもリソースの不足を補ってるんですって、
僕もそう本に書きましたよ。
そうすると納得されやすいからね。
ていうか僕多分、
あの時フロイトアプローチだったら面白がられても、
本にはできなかったという気がするんですよ。
今だったら僕は本にするなら、
本にするんだとしても、
フロイトアプローチでいきたいわけですよね。
これは何かを明るみにさらすことによって、
自分が本を隠したり書類を隠したり、
コミュニケーションを忘れたりするのを、
諦めさせるアプローチなんじゃないだろうかって考えているんですよ。
無意識というものを引きずり出すことによって、
勝手に僕が会社に行けないという、
要するにそういう気持ちに無意識が加担するというのを、
かなりの封じるという作戦なんじゃないかなと思うんですよ。
ここにキツさがあるよねと思うんですよ、タスク管理は。
だから今私はそのタスク管理をするという上で、
拾い集める、つまり勝手に加担するのはダメだけど、
だからといって全部無意識がやろうとしていることを
封じ込めるのもよろしくないと思うんですね。
この観点を取らないと、
タスク管理をやっているうちに、
急遽になってキツくなってやってられなくなりますという問題を
解決することができないんじゃないかなという気がしているわけですね。