ジューシキーズの音の影響
おはようございます、グッドモーニングボイスです。
えーっとですね。
9月
違う、10月だ、10月ね。そうですね。
10月3日、火曜日。
昨日なんか9月って言った気がするんだけど、まあいいや。
10月3日、火曜日、8時58分ですね。
いやあの、
多分この音、聞こえてないといいと思うんですけどね、いろいろ手を
尽くしてはいるものの
ジューキーズの音がすごいんですよ。
もうなんか、家の目の前状態なんで。
目の前はちょっと言い過ぎなんだけど、音的にはもう
すぐそこ、みたいな感じなんでね。
あのー
すごいことになっていて。
まあこれ騒がしかったらちょっとあれだなと思うんだけど、一応こう、一応ね、あの僕も
ようやく最近こう、そういう
一瞬だけでできるような編集と、またバックグラウンドミュージックがあるので
それで何とかなってくれないかなっていうのを期待しておりますが、喋っていると
すごい気になる。なんか自分の声はかき消されているとしか言いようがないような感じで
喋ってます。
はい、えーと
まあ
それはそれとして
10月だというのにネッククーラーを相変わらずしながら喋ってるという、これ終わったら
撮るんですけど
喋ってる間はこれをやっぱりしていないと厳しい。
ですね、すごい季節ですよね。時代というのがね、これはもう
えーと
で、えー
今日は特に
ロッテのCS出場とオリックスとの差
キンキンのお知らせはないですね。昨日ロッテ買って3連勝で
めでたくCS出られるんじゃないかという感じがしてきました。もう一時絶望的な感じだったんだけど
だいぶ
持ち直してきて、ほぼ興味のない人には申し訳ないんですけど
あのもう、ステイブ相性が千葉マリンスタジアムでやる限りゾゾっていうのかな。相性いいような気がするんだけど
まあこの際もうどうでもいいからとにかく勝ってくんないと困るみたいな。残りもう
ロッテが5試合、えー楽天が4試合、ソフトバンク3試合かな。
これでどこかが1チームが落ちるという
えーと状態ですから
ほとんど差はない。もうなんかこう
どっちが勝ったかによって今日の順位は変わるっていう状態ですからね。もうあとは
終わった段階で3位以上にいられればどうにせよ良いと
できれば2位であって欲しいけどまぁちょっともうね
どっちにしてもオリックスとの差は異常なほどついちゃってるんで
CSに出てこれで出ちゃったら本当に物議を緩和すんじゃないかって
17ゲーム差ぐらいでしたっけ
17ゲーム差って詳しくない方に一応
ご説明するとロッテ17連勝とか例えばロッテとオリックスの差が17ってことは
ロッテ17連勝で
オリックス17連敗したら追いつきますと
いうことなんですね。勝ち越し負け越しの勝敗の差がですね34あるってことなんですよ
両方を合わせると
もうなんか
絶対的にそれでなんか
決定戦をやりますとかっておかしい感じもしますが
のむかロッテファンなんでね。申し訳ないけどでもちょっと山本
吉信っていうすごい人がいるんですよね
あの人がいて佐々木老貴のロッテの調子は
まだそもそも
一軍で投げられるかどうかも不明みたいなこの状態で
CSやっても勝てる感じはあんまりしない。しかも
一勝のアドバンテージがあるんですよ
その上全部向こうのホームでやるってことに当然じゃないんだけど
そういうルールなんですね相手が上ですからね
ホームって結構大事なんですよね
どっちの球場でやるかロッテで言えば千葉
オリックスで言えば神戸かな
昔グリーンスタジアム神戸とか言ってたんですよね
今キョウセラドームって言うんですかね
まあそういうことで全部キョウセラでやるわけです
まあこれもロッテが出られればの話ですけど
どこが出てもオリックスはキョウセラで全試合できると
しかも一勝のアドバンテージがあると
しかもオリックスのは強いんで
まあこれはもうまあでもよっぽどのことがないと
出られなくていいシステムとは言えるんですよね
今年はオリックスと安心が日本シリーズやるのは妥当ですよね
極めて妥当な感じがします
どっちもすごい差ついてますもんね
野球談義ばっかりなのは
つまりお知らせが気にないから
いい気になって喋ってるだけでして
とですねそう最近これは全然何ら少しもまたこれも
整合性を無視したメモの使い分け
だからお知らせにも入らないんだけど
私最近あのだんだん面倒くさくなってきてですね
あのもう一つ一つの切り分け
つまり例えばタスクシュートとグッドバイブスと
精神分析とライフハックみたいな切り分けは
やめようと思うことにしました
なんかこう整合性なんですよね
これ整合性っていうのが何なのか分かんないんだけど
そういう変なクセがねついてるんだと思うんですよね
私自身
えーと例えばこうエヴァノートにはこういうメモを残し
標準メモにはこういうメモを残そうみたいなね
そういうマイルールを作っておいた方がいいっていう
これを特に大概的にはやりたがるんですよね
やめようと思って
そもそもそれをやめようとずっと思ってきたんだけど
なおちょっと頑張っちゃってるところがあったんですけども
いいやと思ってですね
タスクシュートはタスクシュートだよということでですね
自分やってるし
別にこれとグッドバイブスや精神分析と
なんか言いたくなったらそこの兼ね合いを言えばいいんだって
別に整合性とっておくっていうことが
自分はどうせやってるわけですから
タスクシュートもタスクシュートについての話もしますよねと
するべきところではですね
そこで喋っていることも特に僕の中で
いやこれとグッドバイブスはあまりにも関係がダメだみたいなのが
ゼロだとは言いませんが
それを考えるからいけないんだなって思うようになりました
考えなきゃいいんだその時にと
精神分析とグッドバイブスとかね
もちろん重ねようと重ねてみようとすれば
見られるところもいろいろ出てくるし
矛盾するって言えば矛盾してるところも見えてくるんだけど
あんま関係ないんですよ
僕はやっぱ好きで読むんだし
好きで山崎さんとか読んじゃうんですね
その人に話を聞きたいという
単純にそういうことがあるんですよね
それでいいんだなって思うようにすることにしました
エヴァノートにはこのノートで
余順メモにはこっちにしなきゃいけないってことは
作っといてもどうせ破綻してますし
いつもそうなんですけどね
でも作っちゃうんですよね
そういう癖があるんだと思うんですよ
えーと
なんかある種の人間関係では
こういうの守んないわけにはいかないというのは
確かにありますよね
例えば今日はうちの奥さんと一緒にいますけど
明日は違う女性と遊びにはいきますみたいな
えーとなんか別にいいケースも
いいと言われてる人間関係の中であると思うんですけど
これもある種の整合性なんだと思うんですよ
でもまあこうなってくると問題だよねっていうことになる
ケースは多々あるし
僕はあんまりそういう方面は
えーとなんていうんですかね
いけてないから心配はいらないんですけど
自分の中でいけてると心配がいるんだろうなって
感じがやっぱりするんですけど
昔のかつての私の経験からして
えーとここの領域で
僕が心配することは何もないっていう感じがするんで
えーと何の心配も言えばしてないんですけどね
でもエヴァノートと標準メモだとしょっちゅうやっちゃうんですよね
あの使い分けとかって言うじゃないですか
まあありますよね
結局なんだかんだそのなんだ
iPad miniとMacBook Airみたいな
どういう時にはどっちを持っているかと
大体でもまあ感覚的にできますよね
そして理想の状態になってないんで
あのいつを持って歩いてもやっぱり僕は
MacBook Airはこの機能にしちゃ重いよなって感じを
どうしても抱くんですよ
でもiPad miniで全部の作業できるかっていうと
えーとできなくはないんだけど
事実上できないよねっていう
これはもう2000年より前から悩んでた問題と
変わらん問題だなと思うんですよね
えーとものすごくお金かければ
だいぶ今は本当に良い線行くんだけど
その場合ものすごくお金をかける必要は出てくるわけですよ
今度は
まあなんかね絶対買えないってわけじゃないんですよ
36回払いとかにすれば3年かかるわけだ
それは払えるんですけど
でもノートブックにその値段なんだっていうのが
やっぱりこう耐え難く感じるんですよね
これもまあある種の勝手な基準なんだろうけれども
あのとはいえ私外出る機会がやっぱり
今すごいコロナ開けてるのかどうなのかわかんないですけど
とにかく外出る機会が多くなりましたが
根本的に僕は毎日平日出るとかではないので
やっぱりこうなんかもったいない感じがするんですよ
最大月5回だなという
月5回ってまた微妙な数字なんですよね
月5回でも絶対出ると決まってるならば
その時は外でしか作業できないと確実ならば
やっぱりその1回はかき上げ塾ですし
絶対Zoomは使いたいし
えっと何だろうな
ノートも見る
ノートなんて別に本当はiPadで全然いけるんですけどね
ノートも見るし
あるいは100日チャレンジの方にコメントを出す
これはディスコードなんですけどね
これもね全然いけるんだけども
やりにくい感じもするんですよね
iPadみんなとこのいちいち少しずつやりにくいのが
きっかかってくるから
結局MacBook Airを持っていくんだけど
MacBook Airは決してそんなに早いわけではないし
なんだiPhoneとのテザリングも
なぜかねあの引っかかるんですよね
うまくいかないことがあるんですよ
でそうなってくると
結局iPad miniで作業してますみたいなことに
iPhoneで作業してるなんてことになりかねなくて
なんなんですかねっていう感じはあります
ありますが
これも結局だから綺麗に切り分けられてるわけじゃないんですよね
ということが言いたくて
わざわざ今の話をしたんですよ
だからもう今後この
ある程度の成功性について尋ねられたら答えるけれども
別に聞かれてもいないのに
先に考えておく必要はないだろうと
いうことで考えないことにしました
タスクシュートの仕事をするときは
タスクシュートの仕事をすればいいんでしょうね
っていう感じがします
それを言い出すと本当に
全然気にしてないところでは全然気にしてませんもんね
考えてみると
例えばGood Vibesとこの特定の野球チーム
僕の場合今はもうロッテに過剰な
肩入れをする時期だからしてますが
するのは分離の選択なのかとか考えだすと
これと変わらないレベルの時がある気がするんですよ
成功性というやつなんですね
別にだからそうは言っても
どせロッテの応援しかしないしな自分はと
大リーグ見るっていう時はちょっとね
違う感覚で見てもいるんですけれども
やっぱりでも日本人ばっかり追ってるのは事実です
他の話が盛大に飛んでるな
メキシコの名前すぐ出てこなくなるんですよね
メキシコの日本メキシコ戦
あれが一番僕は面白く見えたんですけど
あのガイアシュすげーなと思って
あの人を好きになっておるわけですけれども
まあでもそんな話をしてもしょうがないので
あの人ロッテに来ないかなとか
わけわかんないことを考えたりもしているんですけど
楽しったかな
すごいすごい人だなって思いました
あので永遠に終わりそうにないのでやめまして
あのそうですね
今日はそのテーマがどうっていう話ではないんですけれども
テーマとしてはそれこそ
だからこの辺がいけないんだろうけどね
精神分析的だなと思うテーマなんですけど
精神分析的なテーマ
要は先日ですね
あのかき揚げ塾で面白い話を立て続けに聞いて
すごい面白かったんですけど
一つのテーマは匂い
匂いがダメっていう人の感覚から来て
そのもう一つは
あの外の特に汚さそうなテーブルは絶対あるっていう話
これはもう精神分析が一番最初に取り上げそうなテーマだった
今では精神分析じゃないところが主体になりつつあるような気もしますが
精神分析では相変わらずお馴染みかなと
精神分析はですね
あのやっぱり古いんですよね
古さが少し大きなネックになってるなっていうのは感じることはあります
だいぶ今ではそういうのを
良し悪しは別として薬っていうもので
実際抑えば効く面があるんですよね
そしてそうですね
例えば手が震えが止まらないみたいなのも
心理的な場合ももちろんあるんですけど
そうしたら精神分析的でも
自己啓発的でも今ではいけると思うんですけど
一方でこの手の震えは間違いなくドーパミンの不足ですっていう
老人になるとね起こるんですけどね
それはもうどっちかっていうと
薬物的な話になってくる
この震えと一緒に生きていくみたいな話になると
またカウンセリング領域に入るんで
ここもまた切り分けられないところではあるんですよ
ただ症状を抑えたいっていうのはあるじゃないですか
例えば痛み止めなんていうのがまさにそういうものですよね
いくらグッドファイブスだからつって
麻酔もなしに
歯医者の治療は受けられないんですよ
今の私たちはね
でも江戸時代とか受けてたわけじゃないですか
グッドファイブスもなしに
だから可能不可能って話とはまた別にですね
いろいろあるんですけど
やっぱりでもここ
歯医者の歯の痛みをグッドファイブスで抑えましょう
って話する人はあんまりいないですよね
非常に少ないと思う
グッドファイブスでないにしても
カウンセリングで何とかしようっていうのではないと思うんですよ
やっぱ痛み止めで何とかしようとするのが
困りますから局部的にピタリと
それがやっぱりでかいですよね
しかも最近の麻酔って僕もびっくりしたんですけど
僕なんかは昔の麻酔しか知らなかったから
あれを恐れてたんですけどね
最近になってちょっと歯の治療で
だいぶ前だでもだいぶ前になるな
すげー恐れてたんですけど
まあでも結構大変ではありましたけどね
あのやってみていつ麻酔したのか分からなかったんですよ
すごいびっくりしました
これは麻酔なんだっていうぐらいでしたね
昔は本当にこの話するのやかな
注射を刺すんですよね
反復器にね
僕子供の頃あれを食らってですね
歯医者というものに行くのがものすごい抵抗強くなったんですけれども
本当にあの麻酔が怖いんですよ
まあまあえーとつまり何の話をしているかというと
そうそうつまりですね
拭くと拭くのは全然いいんですよ
拭いた方がいいケースは多々あると思うんですね
うちの奥さんもすごい拭くしね
あのすごいは拭かないんだよな
割とすごく引きはしないんですよね
そういうことに僕よりはだいぶ神経質だから
そう見えるんだけど別にすごい拭いてるわけじゃないんだよな
っていうよく見ると
であのこれは心理的な部分が大きいんですよ
もちろんだから汚い場合はありますし
僕だって拭くことはありますからね
めったにないですけど
僕はウェットティッシュをカラッカラに乾燥させてしまうという
えっと人間なんで実はね
あのそんなことに僕はこだわらない方なんですよ
実はあの対して実は実は言ってるけど
別に僕はそういう人間なんで
そう思ってる人も結構いるんだろうなと思うんですけどね
気にならない方なんだと思うんですが
気になる人は気になる
でこの気ですよね
えっと気になるということか
気が済まないというところまで行かない間は
多分その辺がどいたけおさんが痛がっていることだと思うんですね
気が済まなくなっちゃうと
多分に脅迫神経症水準に入ってくる
まだ言ってないですよね
近づいている
でも別に脅迫神経症水準に近づくとか
全然全然なんてことないですからね
先日あのそれこそ山崎隆さん
心分石神歴心理療法科の山崎隆さんに
話聞かされて聞く機会あったんですけど
その時に平心病人格障害神経症というような
一応序列かなみたいな話
これは絶対じゃないけど
こういうようなやっぱり重さみたいなものは
意識するよねみたいな話があって
だから神経症の入り口なんていうのは
もう正常となら変わらないみたいな感じなんですよ
甘えと気の済まなさ
でそれを神経症とか脅迫神経症とか
いうのは分かりにくいから気が済まない
気が済まなくても手を洗うのが止められない
ってなったらちょっと考えましょうねって感じ
気が済まないまあまあいいでしょ
ででもちょっと注意してもいいかなんて気が済まない
気が済まないが口癖みたいになってきた
でも気になるこれはしょうがないよねっていう
だから気になると気が済まないの間には
少しこうグラデーションなんだけど
それでもこうちょっとランクの差があって
ランクの差って重度があるって感じですよね
重さがあるみたいな気が済まない方が
やっぱ重い感じはしますよね
いや俺あいつにちょっと復習しないと
気が済まないってやばい感じがちょっとするじゃないですか
結構ねいやあの人の言動がちょっと気になるんだよね
というのとは違うじゃないですか
これはねこの辺を土居さんの上手いこと
これが神経症やその他精神障がい等を
日本流に言ってる表現なんだってことを指摘したのが
彼の大きな仕事の一つで
でベストセラーになったのが
甘えの構造だという話だと思うんですよね
甘えというのはだからそういうもの
善意気に関係しているんですよっていうのが
良い文なわけですよ
つまりなんでって話になるじゃないですか
なぜその机を吹く吹かないが甘えの話になるのかと
でもなんとなくなんですけど
ちょっとこじつけがましくなるけど
えっと綺麗でなきゃいやっていうのは
ちょっと甘えっぽさがあるじゃないですか
で甘えがいけないわけじゃないですよ
甘えはいいんですよ
例えば僕がいやいや大丈夫だよ
これも甘えですよ
でこの時どっちの方が甘えられてますかってことなんですよ
ここが甘えられてると表面化しにくいんですよ
つまりあの適当において平気でベタベタさはある
甘えてるわけですよ
絶対に衛生的にバッチリ
あのポツリングスキンもないですとか
誰も保証してませんから
大丈夫だと勝手に僕が思ってるじゃないですか
だいたいこれでうまくいくから
こういう状態心理状態においてあった方が
えっとだいたい心理的には健全に過ごせるわけですけど
それは一時なるし沈むが成立しているみたいな
言い方を分析的にはするんだけど
それはわけわかんないから
甘えられてるよねってこれでいいじゃんって感じなんですよね
甘えられていないことの曖昧さ
のりさんがいた方のそういうことなんですよ
別に一時なるし沈むが満たされてますだっていいけど
えっとあるいは母子関係がそこに正常に
心理的に発達してるとかでもいいけど
えっとわかんないですよね
普通に考えるとそんなこと言って
で成立しているから
カミナプキンがあんまりいらないけど
えっとそこに不全感を持ってしまうと
カミナプキンが出てくるよみたいな話をしてもいいんだけど
えっと意味がわけわかんない感じになってくるから
まあでも甘えられてるだって
この場合分かりやすいかというとそうでもないですけど
解説異竜法な気がしますけど
でも私は甘えられているわけですよ
つまりここに甘えが成立しているんですね
でそれはいいことじゃないですか
ある意味ではあのある面では甘えって
こういう両面性があるんですよ
ここが大事なんですよねきっとね
えっといいことでもあるけれども
いつもそれだけでいいとは言い切れない
だって子供はお母さんを信頼してます
いいことじゃないですか
でもお母さんにひたすら頼りきりになっていることは
とてもいいことですとまでは言い切れないですね
そこにこう微妙なものがあるっていうのが大事なんですね
でもまあ甘えられているんですよ
そしてそれは概ねいいことなんですよ
甘えられていないことはじゃあ悪いのかというと
甘えられてる方が望ましい感じがするけども
甘えられていないことが悪いことだとは言えないんですよ
だって拭いた方がいいケースあるわけですからね
でそこは結局その都度その都度しか判定できないですよね
どっちにした方が明らかにいいのだっていうことは別にないわけです
ここの曖昧さが気になるっていう話になってくると
つまり曖昧なものが許せなくなるみたいになってくると
とても脅迫的になって効かねないから
ちょっと用心しましょうねっていうような話なんだと思うんですね
だから気が済まないということは甘えられてないっていう話であって
甘えられてないんだとすると
あなたとここでいきなりまたそんなに古い話になっちゃうのはおかしいんだけど
でもそういうことではあるんですよね
遠巻きになたとお母さんの関係を考えてみましょうと
いやいやうちの実母もう亡くなっちゃってるんですけどみたいなことではないってことですよね
それはあの分かっていいはずのことでもあるわけですよ
例えばそのこれはあれですよ
こういうところで今の時代難しさがあるんだけど
例えばそのパーキングエリアなりにしよう
こういうことを言っただけでももうなんかちょっと難しくなってくるんだけど
まあでもサービスエリアとしましょう
店員さんとのイメージ
ちょっとね醤油のベタベタみたいなのがよくあるじゃないですか
店員さんがちゃんと拭いていてくれるって思えるかどうかってことは
そこの店員さんについてのGoogleランキングとかでチェックしてるわけじゃないんですよ
私たちの心の中で起きてることはそこの店員さんというものが
ほぼ間違いなくそこの実態としての店員さんとは関係ないんだけど
そこの店員さんというイメージがあるんです
サービスエリアでテーブルをきれいにしてくれる店員さんはこういう人だ
このイメージはしかし一見したところみんな同じようなイメージ持ってるようなつもりでいますが
一人一人全員に違います
ここに親への信頼というものが深く関与してしまう
まあそのこの場合昔はですよ
昔は日本でサービスエリアで働いてこういうところで働いている方は
こう言っちゃいけないのかななんてことないんですけどね
中年女性が多かったわけですよ
でその中年女性はどこかの本当にどこかのお母さんでやったことが多いわけですよ
これは良くないことかもしれないですよ確かにね
でその中年女性が働いている人に我々はほとんど全く意識することなくだから無意識なんですけど
母親を見ていた
自分が子供だった頃これを正していこうねっていうのが最近の日本の社会の一つのトレンドだし
それは良いことだと思うんだけど事実としてはでもそうだったわけですよ
我々が子供だった頃はですね
だから正していくわけですもんね
昔そうだったからあまりにもそうだったから
そこで働いているようななんかこう机吹いてるような男性
しかも若い男性職員のほとんど見たことがなかったぐらいだったんで
すごい極端だったんですよね
まあ働いている人の9割はお父さんでしたし
そもそも小学校のクラスの名簿って凄まじいんですよ
男子が先に読まれるんですよね
しかもあれを当時疑問に持つ能力のない年代からやってましたからね
小学校1年生とか疑問に持たないじゃないですか
そうなってたらそういうもんなんだって素直に受け止めますよね
先生あの女子後ろなのおかしいじゃないですかって小学校1年生は言わないですよね
6年生からあれを始めれば変だっていう人はいっぱいいたと思うんだけど
1年生からあれをずっとやられてくると変だとは思わないですよね
しかも家でお父さんが働いていてお母さんは家事をしていると
こういうことを言うだけでももう今問題だってなって
やっぱり世の中進んできたってことだと思うんですけどね
今から40年前はそうだもう自分で喋ってて不思議なんですよね
今から40年も昔かあれはもっと前ですね
僕が6歳とかだから今から45年ぐらい昔のことってことになるんですね
本当にもうなんかそれって結構大昔じゃんみたいな
昔戦後50年とか言ってましたから
50年前戦争してたみたいな話だったわけですからね
信じがたいですよまあいいやでとにかくですね
そういう時代だったので投影は簡単に起こるわけです
この時投影するというのはお母さんが家で服のをサボってるとか
そういう話ではないんですよ
うちのお母さんは家事してくれなかったからなーとか
うちのお父さんも家事してくれなかったからなーとか
まあそういうことがあるかもしれませんけど
そういうことでもない
投影の影響
要は自分の心の中の出来事ですよね
えっと投影するんだけど
僕らはすぐしちゃうんだけど
しかも意識せずにするんだけど
えっとそこの投影という行為の中に信頼というのが
どのくらい含まれているでしょうかと
不信と言ってもいいですよ
信頼がどのぐらい含まれているかというのは
当然不信がどのくらい含まれているかって話にもなるんで
投影している人心の目で見てますかってことなんですよ
投影している人っていうのは自分の心の中にいるのでね
心の中にいるその対象って言うんだけど
まあ対象としか言いようがないですよね
心の中のキャラクター
キャラクターとただ言ってはいけない理由がちょっとあってですね
力を持ってるってことが大事なんですよね
対象ってのは力を持ってるんですよ
この人のことを心の中で好きだ嫌いだ
喧嘩をしたり愛し合ったりしてるんですよ
だから単なるキャラクターとちょっと違うんですよ
とにかくその好きでもない対象というもの
つまり不信を持ってる対象ですよね
いるんですよ僕らの心の中には多分
これを外に投影すれば
その場所全体に対するある種の不信感というものが成立しますよね
これが甘えられていないという意味になっていくわけですね
でですね
その当然なのか当然ないのか難しいですが
そうは思ってないじゃないですか
僕らはその空間を信頼しているかどうか問題に何かしているつもりはないですよね
吹くか吹かないか綺麗か汚いかで決めているつもりでいますよね
ここが意識の層と無意識の層のやってることのズレなんですよ
で精神分析とかカウンセリング精神分析って
今ほぼ事実に行われてないですね
こういう話をまた山崎さんを招いてしてほしいかというか
しようとしてたり僕はするわけだけど
精神分析っていうのは今の世の中では
幸福度と不適応
実は言葉があるだけみたいなところがあるんです
この辺がややこしいんだけど
精神分析的心理療法とかいちいち言ってられないから
精神分析言っちゃってるんですけど
ああいうところで結局何を目指しているのかって
これは本当にしょっちゅう問題になるんですけど
すっごく漠然とするしかないんですよね
ある意味ではやってきた方の幸福度の増進を目指しましょう
提供しましょうって話なんですけど
提供はできないんですよ
実際のところ何をするのかってのは本当にややこしくてですね
何をもって良しとするのかみたいな話になるんだけど
要は突き詰めると何をもって良しとするのかを
その人に気づいてもらいましょうっていう営みなんですよあれは
もう僕はうまく説明できてないのは当然で
僕がやってるわけじゃないですから
僕が考えて読んで考えて話聞いたりして
それこそ本人からやってる方からですね聞いたりして
推測に推測を重ねてそういうことに違いないだろう
くらいな感じで
最近ようやくそのことにある程度の自信を持てるようになったんだけど
例えばその具体的に考えると少しわかってくる感じがするんだけど
服のはいいじゃないですか別に僕も服しで服のはいいんだけど
徹底的に拭いてからじゃないと一切食べられないっていうのは
ペースによって困るじゃないですか
例えばその人の幸福度っていう話になった時にでも
昔マルキシズムに最大多数の最大幸福って言葉がありましたけれども
そういう比較的抽象的なスローガンになりやすいんですよ
やっぱり幸福って話になってくると
一人一人望んでるものが違うところがある
で例えばある人がとても清潔でピカピカの家に住んだら
とても幸福だと信じているとするじゃないですか
言ってみれば精神分析というカウンセリングでいいや
ポストでもいいんですけど
長らく通っていくうちに何がわかってくるかというと
まず自分が何を望んでるのかというものが
だんだんわかってくるわけですよね
解釈というやつですよね
だから私はピカピカで清潔な家に住みたいんだなぁ
ということが本人がだんだん
つまりそういう自覚すら僕らはなく
しかし人によっては割と吹くわけですよ
頑張って人によっては全然吹かなかったりする
だから全然吹かない人は何を望んでいるのかとかも
そのサービスエリアだけじゃわかんないけれども
同じ時間に同じ設定で同じ人と何度も何度も
しかもその人のことをよく知らず顔も合わせず
密室で喋ってると見えてくるものがあるわけですよ
どうやら自分はすごい清潔でピカピカの世界に住みたいらしい
そうすれば私の幸福度は増す
今すごい単純に喋ってますからね
そういう人が来るって話じゃないですよ
でもピカピカのところがいいよね
ピカピカなのは悪いわけじゃないですか
ここで難しい話が出てくるんですよ
例えばこの社会の適応とかって言うんだけど
ピカピカ良くない社会不適応っていうと
ものすごく汚くしてる方が適応的ですかっていうと
別にそんなことは当然ないわけじゃないですか
清潔にしましょうとか
トイレ行ったら手洗いましょうとかって
学校ではちゃんと習うじゃないですか
だから私はすごくピカピカで清潔にしてるんですよっていう人が
時々不適応になるわけですよ
それはよくわかる話じゃないですか
例えばこの教室に行っても
教室中の机を雑巾消毒するまでは勉強できませんっていう子は
だいたい適応してはいないじゃないですか
そして僕らはでもその時に
ある種の直感が働きますよね
この子の家ってどういう家なのかなって思うじゃないですか
ここに甘えって話が出てくるわけですよ
我々はある程度学校とか先生とかに
容易く甘えることをしてしまうから
学校の先生はちゃんとしておいてくれてるよね
このコロナの流行ってる時に机の消毒とかしてくれるよね
当たり前だよねぐらいに思うじゃないですか
思ってるんですよ
思ってなければできないことが出てくるってことですね
だから甘えているわけです
でそれでいいわけです
甘えてんじゃねえってよく言う言葉出てくるけど
そんなことはないです
甘えられなくなると
あのいや今はコロナが流行ってるわけだし
全ての机を慈愛演奏さんで吹いてるところを目撃するまで
私は机には絶対座りません
で子供が言ったら
多分親御さんはそういうふうに考えてるんだろうなって思うじゃないですか
こういう親御さんに甘えるのは難しいだろうなとも思うじゃないですか
まあまあそういうような話なんですよ
そして来ると何度も何度も大人なんで
何度も何度もその場に行ってみるんですね
当然現れてくる何かがあるはずなんですね
でだからと言って
無意識の力と幸福度
例えば私はそのヒカヒカで金のないところで生活しないと
不幸になってしまうんですって言って
そういうすごくこうねきちっと清潔に頼まれてるところにいたら
すごい幸せなんだろうけど
世の中って本当そうじゃないよなっていう話をまあまあしているとしましょう
あなたは本当にそれを望んでいるんでしょうかねっていう問いは
かけないと思うんですけども侵入的すぎるって言うんですけどね
トラウマになっちゃうんでそういう人にそういうことをいきなり言ってしまうと
しかしやっぱりそういうことに気づいていかないと
幸福度は増していかないですよね
おそらくめっちゃ不幸な面があるじゃないですか
どう考えてもその感覚のまま公衆トイレにはいけないし
公園のトイレなんか使えないわけですよ
で具体的なんですよね結局話はその人が高速道路に乗ってるとき
ものすごいおしっこがしたいとすげー辛いっていうことになったとき
サービスエリアにいっぱいトイレがあるのに
いやあれは使えないとでまあ車にいつも入れているセルレットでします
でもそのことはすっごく家族が嫌がります
この人にとって人生は結構難しいものになるじゃないですか
当然のことながらだからやっぱり行くわけですよね
カウンセリングなりそれこそ信用ないかでもいいんですけれども
それによって方向性というかアプローチがやっぱりそれぞれあるわけですよ
さっき言った通り痛い
歯医者に行ったら痛いって言った時にじゃあ麻酔をする
あるいはもっと強く麻酔をするという考え方は当然あるし
それが良いとか悪いとか言うのはおかしいと思うんで
やっぱり普通にあるしで一方ではそれこそカウンセリング的に
いや歯医者に行っても痛くないから
カウンセリングでそういうことをやることではないんですけどね
歯医者に行っても大丈夫だからみたいな話にするのかもしれないんですよ
でこのアプローチって実は全然違うアプローチで
これを例えばトイレに行くのが不潔で怖いですって言った時にですよ
おそらく分析的には親子関係みたいな話になっていく
それって何なのって感じもするんだけど
それで有効に作用するケースはいっぱいある
でもじゃあ親子関係あればその種の不潔気を不祥みたいなのは全部治るのかというと
そんなことは言えない
だから医療行為としては難しい立場に立つんですよ
絶対そうなるっていうことが言えもしない医療っていうのは
実はそんなものはないと思うんだけど
私はでもあることにしてるんですよ
僕らの社会の中ではかなりの分だってそうですよね
いや麻酔効きませんでした
歯はとても治療中めちゃくちゃ痛かったですってのは困るじゃないですか
みんなそれは起こると思うんですね
ということはつまりこうすればこうなるのが明らかだということが
言えるっていう前提に立ってると思うんですよ
あの歯をいっぱい削ったけども
芝良くなんなかったよねでは
あの医者は訴えられかねませんよね
でもそれって要するにここも甘えがあるんだけども
実は保証はあって当然だっていうことになってるわけですよ
一方で手を洗うのをやめられない人が精神分析できると
絶対やめられるようになるのかという問いには多分答えられないんです
それは困るじゃんってことになるんだけど
でもそういうもんなんですよあれはアプローチが違うんですよ
だから親子関係を洗えば絶対にそういう行為は止まりますとか
そういうことにはならない親子関係を洗うとしても
刑事が別に取り調べるっていうわけではないので
どういう行き先でこういう恐怖を自分は抱いているんだろうというのに
気づいた方が気づかないままでいるよりも
ベターだという感じが来ている人にも分析家の方にも
あるいはカウンセリングやってる人にも納得されれば
おそらくその方向に向かっていいですよね
非常にある種慎重になっているところがあるということでもありますね
そしてそういうふうに一個一個追っていってですね
ようやくだから自分はもしかすると
こういうふうに潔癖になってきてるのかなってぐらいのところまで来た時に
さっきの問いが場合によってはなんですけど
さっきのような問いが発生するかもしれないわけですよ
あなたはその次亜塩素酸で完璧にきちっと処理されたところに
耳を置いている方が幸福ですかっていうような
もうこれは非常に直接になとになってしまいますけども
そういう問いが発生するかもしれないわけですよ
その時にその人が自分で一体何を望んでるんだろうなっていうところに
行き着いた方が気づかないよりも幸福度が増すんじゃないか
これが精神分析的な世界で言う
多分幸福度の増進みたいな回りくどさんですよね
それって何を目指してるんですかって言われると
一言で答えるならば多分幸福度の増進ってことなんだろうけど
そこで考えられていることは多分ですね
僕らの世界のつまり
水止めをすれば痛みが止まるという幸福感とはすごく違う世界なんですよ
だからしょうがない
なぜならば麻酔をすれば痛みが止まる幸福感だけでは
なぜか幸福になれない人たちが行くところだから
Good Vibesもそういうところはあると僕は思うんですけど
そういう話なんですよ
だからといって麻酔はしなくなりましたってことには決してならないと僕は思うんですよね
それはそれこれはこれなんですよ
世界観が違うっていうのはそういうことだし
世界というのはいろんな世界観を提案提出できる
ものなのでプリズムみたいなものなので
一つの光が7色以上に分かれるように世界観はいろいろあるわけで
でも世界観の合計が世界なわけじゃないんで
世界というのはやっぱり世界観の合計以上なものじゃないですか
世界観は様々あって相互には結構全然違う結論になっちゃうんだけど
それはしょうがないんですね
白と黒を反対だけれども同じ色であるようにですね
しょうがないんですよねそれはもう両方出てきちゃうんですよね
麻酔をしましょうっていうのと心の持ちようですっていうのは矛盾してるんだけれども
両方必要なケースは当然あるわけですよね
ということを先日のですね
かき上げ塾の中で考えていて
話をいろいろ聞かされているし考えていて
やっぱり僕らはですね
無意識ってやつがですねすごいんですよ
これはね私たちは多分すごくある意味間違ってるってわけじゃないんだけど
すごく簡単に考えていて
そんなことが起きてるんだろうかっていうのは信じられてないと思うんですよね
これは僕は精神分析だけじゃないと思う
世界の日常生活のすべての場面でそうだし
グッドバイブスでもしょっちゅう問題にしているところだと思うんですけれども
気がつくと何て言うんですかね
そんなことは思いもよらないみたいなことが平気で進行していると言いますか
していると思うんですよね
よく精神分析の本とかカウンセリングの本には実はあっさりと当然のように書かれているないと
多分僕はこれは受けたことがあったり
専門的に関係してる人じゃないと信じてもいないんだろうなってことがあって
例えばですけど
性欲が怒りの感情に転換しとか平気で書いてあるんだけど
これってどういうことかというと
私がある人に性欲を感じたとする女性に
僕の場合は多くはそうなる
女性に性欲を感じると
僕それに全く気づかない瞬間的に怒りが湧いてくるみたいなことが起きるんですよ
起きてるんですよね
こういうことってでも変だって思うかもしれないけど
そしたらサービスエリアに行って
かなり徹底的に吹くうちの奥さんみたいな人と
そこに平気で食べ物を
もしかすると時間に置きかけない私のような人間っておかしくないですか
何か無意識に何かが作用してもいないのに
全く同じおそらく同じように見えてるはずなんですよ
物理的な意味では同じように見えてるのに
行動がガラッと変わるというのは
そこに感じている肝心について無意識です
完全にお互いに無意識です
無意識の影響と変化
完全に無意識の中で感じているこれは綺麗だ
これは汚い180度違うわけですよね
そういうことが僕らはしかも自分で自覚することなく
そこに実現させているということはですね
性欲が怒りに変わるぐらいは朝飯前というのは変だけど
いくらでもあることなんですよ
だからえっと何て言うんですかね
なんていうのかな
無意識って侮ってはいけないというか
東映も無意識なんだけど
そういうことはそこら中で起きていて
それには訳があるということです
無意識の方でそのいわざわざ性欲をわざわざですね
怒りに転換するなということを
本人が気づく気づくこともない中でやってくれている
ということはやってくれちゃってるってことですね
なんかあるんですよ
これはこれはグラゾの三流だと僕は思うんだけど
希望もあると思うんですよ
怒りに転換しなかったら
世界はガラッと変わるじゃないですか
ここに僕はやっぱり希望を持っていいんじゃないか
無意識というものがなんか厄介もんだな
みたいに思うところは多々あると思うんですね
なんでそんな余計なことをやってくれちゃうんだろうと
おかげで手を洗うのがやめられなくなったじゃないか
っていう見方もあると思うんだけど
無意識がやっちゃっていることっていうのが
夢と無意識
そんなになかなか凄まじい上に大きな影響を及ぼすんだから
これをある種のところでうまく使うっていうのは
あんまり語弊があるんですよ
どっちかというとここで暴走をさせないとか
勝手な振る舞いをこのタイミングだけでは
やめてもらうっていうだけで
僕はこれを手放すっていうんだと思うんですけど
大きな変化が起きるんじゃないかって思うんですよね
無意識っていうのはわかりにくいことは確かなんだけど
確かにはっきりそういうことを繰り返しやるっていう面でも
尻尾をつかみやすいっていうのかな
別に隠すつもりはある意味
隠すつもりがあるケースもあるんだけど
ないことも多いですからね
例えば私は夢の中でトイレに
トイレが出てこないですよ夢に
僕はもう2000日分ぐらいの夢っていう記録があるんだけど
一度もトイレが出てこない
これが無意識の力なんですよね
どんな夢を見ましたでは分からないことも結構あるわけです
どんな夢は見ませんということは
無意識がその夢を見せないようにしてるっていうことでもあるわけじゃないですか
このトイレが出てこないというのは非常にわかりやすい例ですよ
あまりにもわかりやすすぎる
長時間のトイレとトレーニングの成果なんだけど
夢の中の規制
とにかく出てこないんですよ
私を夢の中でトイレに行かせることは決してしないという
無意識の断固たる措置があって
僕は夢でトイレというものを見ることすらできない
あるっていうことも認識できる
だから私の場合夢の中の世界はトイレのない世界なんですよ
間違ってトイレに夢の中で行くことは決してこれによって起こらないことになってる
都合は大変いいですよ
でもこういうことを意識でできるかというとできるはずがないです
で一度や二度の夢の報告でこのような規制って言うんだろうけど
かかってることすらわかんない
気づくこともないですよね
あのいや昔のねお父さんとキャッチボールした夢を見て
トイレは出てこなかったよねって話は誰もそんなこと考えもしないじゃないですか
しかし僕の夢は2000日分洗ってもトイレは出てこないんですよ
ついでに言うと先日これはね
あの3ヶ月チャレンジで話をしているしにふと気づいたことだったんですけど
まあ気づかされたんですけど
夢の中で僕はセックスが出てこない絶対出てこない一度もない
だから無性という経験が僕はほぼない
全くゼロだとは言わないけど
もうゼロとみなして差し支えのないレベルでしかないんですね
これも規制なんですよ
絶対出させないとして
こういうところから私は母親との関係というのを洗い出し
一点何もそこにはないように見えるし
実際あの非常に何にもないただのお母さん
今ではただのおばあちゃんなんだけれども
実に独特の規制を僕にかけたということが
僕にかけたというよりは僕と彼女の関係の中で
そういう規制が了解されたというのが
おそらく妥当な言い方だと思うんですけれども
そんなことも起こっていると
お入れが出てこないってのは便利なんですけどね
セックスが出てこないってのは便利なのかどうか
非常に微妙なところですよね
でもこういう機能を無意識ってのは持ってるんですよ
だから手を洗うのもやめられなくなるってことは起こり得るわけですよね
それに対してその辺まで生まれた上で
じゃあこの定罪を飲むと手を洗うのをやめられるようになりますって
どういう意味を持つだろう
それは言ってみればある人を
どのくらいそれによって幸福にすることができるんだろう
みたいな観点を多分これから持っていく時代が来るんじゃないかなと
ちょっと期待してるわけですね