1. 佐々木正悟のライフハックからの精神分析
  2. タスク管理0とカウンセリング..
2025-12-18 41:44

タスク管理0とカウンセリングのリテラシー【1297】

相談ができない人は誰に相談してもいいが、誰に何を相談すればいいかがわからない。
---
stand.fmでは、この放送にいいね・コメント・レター送信ができます。
https://stand.fm/channels/658790a07376b3f9361fc70f

サマリー

このエピソードでは、タスク管理とカウンセリングのリテラシーについて議論され、特に日本における心理カウンセリングの現状が課題とされています。また、戸畑海人さんの理論を通じて、リテラシーの不足がどのように影響を与えるかにも言及されています。タスク管理とカウンセリングの重要性が強調され、特に非正規な相談の価値やその影響が掘り下げられています。さらに、学校における相談体系の複雑さについても触れられています。タスク管理とは、タスクを管理するためのリテラシーとして自己理解や心理的支援の重要性を探求します。精神的な疲労の解消とカウンセリングの役割についても議論され、現代社会におけるタスク管理の新しいアプローチが提案されています。カウンセリングの本質やタスク管理の観点から、困っている人々に支援を提供することの重要性が考察されています。

タスク管理の現状
おはようございます。 佐々木正悟のライフハックからの精神分析第1297回をお送りします。
12月18日木曜日8時34分です。少し遅くなりましたのは、いつもの通りのルーティンが
1時間ずつ後ろに倒れるとこうなるという、単純にそれだけなんですけど、でも一つ
しくじったってほどのことじゃないんですけどね、管込みを出せなかったっていう、地方で田舎なんで
管込みの日とか結構ないんですよね。 全然長くじゃないんですけど、あまないんですよね。それで
早々にいなくなるんですよ、早い日はですね。8時とかにですね。もうなんか本当にやたら遅い時は11時とかまであるんですけど
そのなんかこう、もちろん8時までってあるんだけど、今日はこういうタイミングだったものだから出せなかったという
信じがたいパターンでですね。 よくないなっていうか、まあ田舎あるあるかなっていう感じであれなんですね。
はい、えっと、まあそれでですね、全然管込みで1分使ってる場合じゃないんですが
今日は、今日のですね
お昼、違うな、16時からですね、タスク種塗装を決算でどうしても現地Wi-Fiが事実上死んでたんで、現地だけじゃなくてあれなんか
大規模障害が起きてたみたいで、しょうがないんですよね、こうなってくると。現地の関係ないんで。で、その大規模障害が起きていた関係上
お昼のクロストークという大橋哲夫さんとのトークがですね、配信しきれてなかったんで、ここを再収録した上で今日お届けすると。
だから今日の再収録が生配信されます。ので、それにご興味あるという方は、何を見ていただくと一番いいのかな、大橋哲夫さんの
大橋哲夫さんのでもいいんですけど、私のXでも
飛ばすと思います。ただこれ一般公開向けというよりは、一応有料のセミナーの一部なので、そんなに大々的に告知していくっていうものでもないかなと思っておりますので、でも一般告知はするはずなんで
もしこれを聞いていただいている方でですね、興味ある方は見ていただくといいかなと。ただ話を開けずにタスクシュートのクロストークなのでですね。
はい、精神分析の話とかはあんまり私もさすがにするわけにいきません。するわけにいかないわけじゃないんだけど、聞かれないことには答えようがないっていうこともありますので、ここに興味がある方の中で
タスク管理の方にも興味があるという方は、かつ総決算には全く触れてなかったという方は見ていただくといいかもしれないという感じですね。
その総決算終わって、最近私が繰り返し申し上げているのは、タスク管理ゼロって話からの
リテラシーの重要性
カウンセリング、マッチング、リテラシーみたいな、カウンセリングを受けるためにはマッチングという理論が、今、戸畑海人さんですね。
今、もはや時代の人になりつつある臨床心理師で婚姻心理師の戸畑海人さん。彼は専門はユングなんですけど、彼の話がこれから世間で一定の勢力を占めていき、かつ彼が言ってる通りだとするならば
やっぱり私は現段階では日本の心理カウンセリングを受ける人は、どうしてもリテラシーが問われてしまう。
彼の論はそのリテラシーがなくてもいいはずだっていう論だし、これは一般的に心理臨床はベーシックにそういうのがあると思うんですけど、あくまでもそれは理想であって、
実際には誰もそう思ってない気が私はするんですね。絶対一定のリテラシーを問うてるとしか思えない。
あのすごく極端なことを言うと、これも業界から批判されるかもしれませんけど、美容院に行くのにリテラシーって問われるじゃないですか。
いや問われないっていう人はいると思うんですよ。何それって言われるかもしれないけど、僕は行けなかったですもん。やっぱり美容院って言ってどうすればいいのっていうのがありましたからね。
てかどこ行けばいいのか、何をすればいいのか。私最初入るときめちゃくちゃ恐ろしくて、アトピー持ちだったんで体中痒くなったんですよ。
あれは全く身体科なんですけど、美容院に行くと体中痒くなるんですよ。で、こういうことはリテラシーの極端な不足している人間には起きることなんですね。
で私はそれはタスク管理においても起きているんだっていうのが、あの総決算2025の日に衝撃的に閃いたんですよ。衝撃的じゃないんですけど。
いや、薄々そう思ってましたよ。だけども、辞野松崎さんの最終講演を聞いている、最終って彼の最後のっていうんじゃなくて、2025年最後のね、講演を聞いているうちに、そうかこれはやっぱりタスク管理のリテラシーというのはなくて済むのが、それは一番良いに決まってるんですよ。リテラシーなんて。
タスク管理なんて右も左も分かりませんけど、やってみたらすごく良かったです。これが一番良いに決まってるんだけど、これはあくまでも理想論であって、
カウンセリングの分析
現実は絶対そうはいかないんだっていうことを、彼の話を聞いているうちにもう絶対的に確信して、これからの時代、当然タスクシュート、タスク管理、AIなんですけど、それは私はタスク管理3.0みたいな話だと思ったんですね。
僕は時代に逆行する人間なんで、これはもうタスク管理0.0しかないなっていう、突然そういう風になったわけですね。もちろんタスクシュート協会の理事なんで、タスクシュートをこの中でも、そのタスク管理0なのか0.0なのかどっち言っていいんだけど、そこはネーミングの問題なんだけど、その世界の中ではタスクシュートを推していく。
でも私は2026年の裏テーマなのか表テーマなのか佐々木テーマなのか知りませんが、タスク管理0.0だっていう風に思うようになった。これは一人でやろうって思ったんですね。これはまだ何もできてない発想しかないものなんで、これを人とやるとまた佐々木だけが正しいのか論みたいな、私にとって何の興味もない話が始まっちゃうんで、そんなはずないじゃないですか、佐々木だけが正しいとかってナンセンスじゃないですか。
だから一人でやるべきなんですよ。これ僕いっつもそう思うんですけど、なんかですね世の中ではいろんな意見があっていいから独断的なのは良くない。私は全く逆だと思うんですよね。いろんな意見があっていいということは全ての人が独断的であればいいと思うわけですね。だからそのなんで調整する側に立とうとする。調整する側に立つということはすなわち進級しているということであって上級者なんですよ。調整している人はメタにものを見ているわけじゃないですか。
メタにものを見ないというのが、これも誤解を招くんですよ。フロイトなんて精神分析のことをメタ心理学と呼んでいるんで、あれは心理学の上位にあるって意味ではないんだけど、だからメタっていうのはいろんな意味を持っちゃうからいけないんだと思うんですけどね。どっちかというとあれは、これを言うとまた翻訳すると一気にムーの世界になっちゃうんですけど、あれは超心理学と言ってるんですね、彼はね多分ね。でもまあ今あんまりメタサイコロジーっていう表現も流行らない。
私あの松木さんの本、松木お二郎さんの本を読んでびっくりしたんですよ。メタサイコロジーと書いてあって、メタサイコロジーって今時言うんだって一応かろうじて知識あったんで、だけど私もうちょっとGPTに聞いちゃいましたもん。そもそも今時メタサイコロジーってどうなのみたいなね。私のものの聞き方って全部そうだから。別にそのなんていうのかな、そのAIに答えを聞いてるわけじゃないんですよ。
なんかどうどう感じるあなたはみたいな。まあ感じないんですけどね。でも僕からすると感じてるんでAIは。それは僕のグッドオブジェクトを投影してるって意味ですけど話飛ばしてますけど、あのとにかくメタサイコロジーって言うんだ今時でもと。僕は1950年代あたりにあのね、なんていうのかな、死滅したものだと思ってたんですよね。
まあ死滅はしてないけど、ごく一部のマニアックなそういうのが大好きな人が使う言葉であって、メタサイコロジーとかって今時だって絶対誤解招くじゃないですか。なんか超越的心理学とか言ってやばい感じしかしないじゃないですか。だからまあそういうね、フロイトはね自負心がものすごい人だからそういう表現も使っちゃうんですよけど、でも当時はそう必ずしもそうじゃなかったと思うんですよ。
だけど今あれを使うと、いや僕からするとムーですよね。ムー以外の何者でもない感じ。しかもそれを精神分析が言っちゃうっていうのは、精神分析でしばしばムー扱いされかねないところにある部分があるので、僕はメタ心理学やめた方がいいって思っちゃうんですけど、それを松木邦路先生のような非常にストイックでお堅くてリジットっていうかなんかよくわかんないけどそういう人が教科書的な本の中でメタサイコロジー言うから、いやこれってただ使うべき言葉なのかなみたいな。
言葉なのかなみたいに思って、つまりメタサイコロジーって言うべきなんだって思うのかなと思って、ちょっとJET GPTに聞いたら僕と感覚的には近い答えが返ってきたんで、時代の感覚としてはそうなんじゃないでしょうかって感じがして、メタサイコロジーの話は一切したくありませんから、この辺でやめます。
えっとですね、普通の相談という私と岡井戸さんの本で、現在のところは一番いい本だとは言いませんが、僕の中では非常に重要な位置づけになっている本があるんですね。普通の相談という本。
で、普通の相談の中に普通の相談ゼロっていうのが出てくる。オーって読みべきなのかわかんないんだけど、多分ゼロだと思う。これはつまり相談全域をほぼ指している。なんか相談の原石みたいな。で、彼は2つに分けるんですよ、相談の方向性を。
モデルが球体ってやめてほしいですよね。彼は頭がいいからそれでいいかもしれないけど、私も球体なんて脳内に全然描けませんから、球体描くと地球とか太陽とかになっちゃうんで、具体的になっちゃうんですよ。球体そのものが抽象的な球体って私脳内に描けないんですよ、本当に。立体は絶対無理なんですよ。僕の脳内でギリギリ描けるのはアンパンマンとかなんですよ。しかも正面顔だけなんですよ。
あと、ついでに言うと顔だけなんですよ。細い人間っているんでね、ほんと球体やめてほしいって思うんですよ。球体なんて、彼はもう、あの、球体って後ろの部分影になるじゃん、また余計なこと喋っちゃう。なんか点々とかで描くじゃないですか。でも私実はあれ点々に見える人間なんですよ、ある意味では。つまり、球っぽく感じるのに一定の時間を要するんですよ。
本当だからああいう描き方やめてほしいんだけど、しょうがないか、この3Dモデルなの。3Dとか本当、僕の脳内に3Dはありませんって言いたくなるんですけどね。2Dしか、2Dだってしかもモノクロで線画ですから、線画。本当に。だからあれで非常に精緻な理論ができているのはわかるんだけど、はぁーって感じがしちゃうんですよね。
読むたびに、この本疲れるわーっていう、しかもこの点々のせいで疲れてるだけですからね、僕はね。全くどうでもいい話なんですけど。
えーと、普通の相談ゼロというのが中核にありまして、僕の想像できない地球の中核にあってね。北極と南極の側にそれぞれですね、北極の方に精神分析とかが任意に入れ替え可能と書いてあるわけですよ。
で、下の方にソーシャルワーク、任意に入れ替え可能。もうすでにわからないだろうって。南極が任意に入れ替え可能なソーシャルワークで、北極が精神分析で任意に入れ替え可能。まぁCBDとかね、たぶん。
つまりこれは何を言ってるかというと、いわゆる学八な方は相談のための相談をできるんですよね。相談とは何かという問いを立てる。実際普通の相談ってまさにそういう本なんだけど、相談とは何かっていう問いを立てるわけですよ。
でも我々はそういうこととは何の関係もなく相談って日頃からしてるでしょ。なんかカウンセリングを名称独占にするべきかって話あるんだけど、カウンセリングって相談じゃないですか。
一方じゃなくて相談を名称独占、まぁそうは言ってないんだけど、例えば心理相談って言葉はどうするのかねって思うんですよね。
セラピーはギリギリ名称独占の場合、セラピーも名称独占なのかもしれないけど、コンサルタントとかメンタルコンサルタントとかどうするんだよっていう、メンタリストとかどうするんだよっていう、もう永遠につきないような気が僕なんかしちゃうんですけど、
だって心理師とか心理相談員とか心理相談師とかなんだってあるじゃないですか。なんかこう私だってビジネスメンタルコンサルとかなんとか言いたがってるわけですよ。なんかビジネスメンタルコンサルって言いにくいからやめとこうって思ってるんですけど、ビジネス心理相談。
まぁとにかくですね、これは相談というものをすごく専門突破してる。まさにだってフロイトがそうだったと思うんですよね。彼は明らかに人生相談をやってる感じなんですよね。ストレドラ以前とかは特に。
彼は結構僕はやっぱり喋る方だと思うし、なんかウルフマンとかにご飯食べさせてるし、彼はお腹が空いてたからご飯を食べさせてる。
彼はお腹が空いてたからご飯を食べさせてる。
すごい良いですよね。まさにフロイトって感じがする。なんかこう素晴らしいなって思うんですけど、でもダメじゃないですか。それは多重関係ですよね。
多重関係の重要性
だけど僕この多重関係っていうのも、だって多重関係なんて、それは多重関係気をつけるべきですよ。いうこと変わるからね。
例えば私が一番ありそうなところというか、事実上あるであろうと考えられるところとして、私はタスクシュート協会理事です。認定トレーナーさんいます。認定トレーナーさんがもしサンチャレを受けると、私はそのサンチャレの人に対して言うとすると、今休むべきですって感じなんだけど、でも私認定トレーナーやりますみたいなことを言っていて。
で、教会の理事としては、これからもどんどん頑張ってくださいみたいなこと、これは簡単に話してるんですよ。言ってることが矛盾するよね。だからその関係性が多重化するということが一致しなくなっていくじゃないですか。だから精神分析家というのは、いかなる関係を他と持たないものである。ということはストイックにある限りは口コミ相談はダメだってことなんですよね。
で、私は別に全然口コミ相談いいんで、これを聞いていらっしゃる三ヶ月チャレンジの方は是非口コミで広めていっていただきたいんですけれども、つまりこの人からお客さんが増えたということになると、この人との関係はお客さん圧戦業を兼ねるみたいなことになって、その人に対しては特別融通したくなるみたいなことが兼ねないわけじゃないですか。
だからその辺すごいストイックにある人はストイックにあるってことを分析の本とか臨床の本では出てくるんですけど、そりゃそうだなと思うんだけど、あまりにもそういうことを言い続けてると超カタックルしくなって、ストイックになることが目的化するって言いますか、そういうこともあると思うんで、この辺は僕はなあなあな人間なんで、なあなあにやっていきます。非正規ですから。非正規大事だなって思うんですよね。この話と関係があるんですけどね、今日の話は。
つまり普通の相談ゼロってのは非正規だってことなんですね、まず。で、この普通の相談をわざわざ一冊の本にしてるということは、つまり戸畑海斗さんはいかに非正規の仕事が重要かっていうことを非常に難しいって言えば難しい話の中でおっしゃってるわけで、まあこの話簡単には済まされないんで。
で、現場じゃどうせ非正規に決まってるじゃないですか。だって、例えば、あのなんだろうな、非常に簡単なところでスマホの相談に乗りますって言ってる人、スマホカウンセラーとか言ったときに、いやカウンセラーはダメですとか言って取り締まるのかって言ったら取り締まれないでしょそんなもの。そんなこと取り締まってたら、もう世の中のほとんど全ての業務を取り締まらなきゃなんなくなるじゃないですか。心理臨床の側から。で、それはおかしいじゃないですか。
やはり相談というのはそこで必ず起きちゃうものであって、どういうやり取りの中でも普通に入ってくるもので、しかもそこに金銭のやり取りもビジネスとして当然成立する場合は成立するのであって、そこにメンタル的なものが入ってくる可能性は十分あるわけですよ。一番わかりやすいのが学校の先生ですよね。
学校の先生のところには子供が心理的にメンタルに調子を崩すということは絶対に起きることであって、その相談も絶対受けることであって、その場合はスクールカウンセラーがいるとか心理臨床の先生が特別にいるとか在住してるとか常住してるとか、だから例の保険、昔本当我々の時代はあれは良くないんだけど、保険室のおばさんとかいう表現があったわけですよ。
もうジェンダー的にもソーシャルワーク的にも今は絶対ダメでしょうけど、でもですね、この表現によって救われている子供さんは絶対いらっしゃるわけですよ。一方で。だからこの話は結構難しい話になるんですよね。で、私の学校にもいましたもん。保険室のおばさん。で、これがまた非常に重要なんですけれども、そこがすごくグレーになっていくんだけど、勉強教えるとか起こるわけですよ。
実際にやってましたもん。勉強を教えるとそっちに行くじゃないですか。で、増えていくじゃないですか。そうしたら問題になりました。やっぱり問題になったっていうのは結局のところ、いや、保険室のところに行って勉強を教えてもらった方が分かりやすいしとか、学級崩壊するじゃないですか。一歩間違うと。
そこまではいきませんでしたけどね。でもそれなりに大きな学校だったから、小学校ですよ。小学校。そういう雰囲気ってあったわけですよ。やっぱりね。だってあの担任の先生にだけはクラス替えのときになりたくないみたいな小学生の生活の知恵で、小学生なんでアホなんである意味。特に男子とかアホなんで。しょうがないんですけれども、おみくじを引くんですよ。
このおみくじを引けば、あの先生のところにはいかないですぐおみくじとかね、やってましたもん。僕だってそういうものを作る側でしたけど、やってましたもん。そのおみくじに何の効力があるのかっていうことを問えないのが小学生のいいところなんですよ。
まあ完全にオカルトなんですけどね。で、この相談というものが普通の相談、保健室っていうのは非常に象徴的な場所だなと思うんですけれども、もちろん保健室だけではないです。例えば今であればスマホの操作。ここで私も見ましたけれども、やっぱり私の地元の実家の方ではですね、ご老人いっぱいいらっしゃるからすげえ言ってるんですよ。そして全然関係ない話をしてるんですよ。スマホとは。
絶対そうなるでしょ。やっぱり先日孫が来てね、みたいな。で、これの対応がうまい人がやっぱりそこに、で、仕事をというか、居場所を確実なものにしていくわけですよね。ちょっとしたカウンセリングルームになってきますよね。当然、ケースによっては。
まあ、そういうことは私にはわかりませんから、専門の人に聞いた方がみたいなことを言うこと、それ自体がすでに相談に乗ってますよね。だからそういうことを含めて考えていくと、この普通の相談が原石で、結局のところ相談のための相談、スーパーバイザーですね。
というところが、楽波の極北に位置するみたいな話っていうのは、もう非常によくできていて、で、横軸はつまり赤道付近にあるのが、つまり一般の相談なんですよ。世の中で行われる相談。その中にもすごいうまい人っていうのが当然いて、それを普通の相談Cとか彼は呼んでたんじゃないかな。
普通の相談Cがあるわけですよ。で、楽波の方は普通の相談Bなわけですよ。で、BとCは、つまりBは相談のための相談に乗ってくれる。まさにだから心理カウンセリングってそうじゃないですか。相談に来てくださいみたいな。その内容は問いませんから、私は相談のプロですからみたいな。
その極北には相談する人のための相談Cっていうのがいるわけですよ。フロイトですね。だから認定制度っていうのはそういうことですよね。相談のための相談。先生のための先生ですよね。だからメタなわけですよ。メタ先生ですね。
横は要するにメタ先生は基本いないはずなんです。いないとは言い切れないけどいなくてもいいわけですよね。だってそこは相談の専門なわけじゃないから。あくまでも何々の専門。この中にタスク管理の専門というものがあって、タスク管理の相談というものが発生するわけですね。これはもう絶対発生しますよね。
タスクシュートクラウド2のこの使い方わかんないですけどっていうこれが相談じゃないですか。こんなものを心理臨床でやる必要全然ないですよね。これただのタスク管理の相談ですよね。この一番ゼロのところって何かというのを僕は考えた。さもこれだとタスク管理ゼロって普通の相談ゼロと関係があるみたいな顔をしてますけど、私普通の相談のことは全然念頭になくてそのときは、総経営さんのときはずっとJさんの話聞いていてタスク管理のことしか考えてなかったんですよ。
タスク管理とカウンセリング
で、タスク管理未満ってものがある。そこにおける相談はタスク管理の相談にはならないっていう相談が実際は起こるっていうことをずっと考えていたんですね。で、普通の相談の影響って多分僕はあの本10回ぐらい読んでるんで間違いなく起きてると思うんだけど、起きてると思う。あると思うんですけど、ただ念頭にはなかったんだよね。こういうことってあるなって思うんですよ。
別に普通の相談の影響を受けてませんって言いたいわけじゃなくて、受けてるんです。受けてるんだけど、意識の中ではあんまり受けてなかったんですよ。意識の上では意識してなかった。なんだこれ。意識してなかったわけ。要するに。で、改めて家に帰る途中でこの話って普通の相談ゼロって戸畑が書いてたやつじゃないですかって思ったんですよ。
で、戸畑が一さんが書いていた話と合わせて考えてみて、あの本を読み直してみると、すげーこの本さすがだって思って、これがつまりカウンセリングとは何かに結実していくわけなんですけれども、今10万部突破したんですか。おめでとうございますって感じですが、10万部って本当金字塔の一つですよね。今の時代で10万部となってくると、昔でいうと20万部以上の価値があるような気がするんで、いや本当にいいことなんですけれども、
出版業界にとっても何にとってもいいことなんですけど、売れてないときはヒーローがとにかく必要なんですよね。ヒーローがいないと始まらない、ここまで来てしまうという感じですね。個人の力で無理やりでも何か逆風を吹かせてくんないと、逆風じゃないんだけど突風が必要なんですよね。突風がないと今の出版業界に成り立たない感じがします。また余談が今日は多い。
普通の相談。私、ここのところずっと普通列車とか一生懸命言ってたじゃないですか。普通列車は各駅停車で、各駅に停まらないものは各駅停車がなければ駅の意味がなくなる。当然そうですよね。だから普通の相談も同じなんですよ。精神分析がえらいのはそうかもしれないけど、精神分析だけがあったんではみんなめちゃくちゃ困るわけですよ。
だってスマホの相談をしに行きたくて、地元のなんかこうちょっと怪しげでギラギラしているっていうかキラキラしすぎているスマホ激安みたいなものが書いてある。あそこにいるんですよ。あそこに孫のことも相談しに行ける場所があるんですよ。それが相談というものの重要性で、確かにそれらの人たちが本気で困るっていうことが起きる。
どきた時に専門的な相談者というものの存在がぐっと増すんだけれども、本気で困るっていう前に相談できる場所があるに越したことはなくて。そもそももう一つは普通の相談ゼロでも書いてあることなんだけれども、何に自分が困っているのかわからないが困っている。
私この話をするとパッと頭にもいかぶのがうつぱんっていう本なんですよね。うつぱんさんはそもそも相談ができなかった。だから私はタスク管理ゼロと心理カウンセリングマッチングというものは全く同じことを意味するんだって今思っているわけですね。
この話を先日からある意味ではしていて、今日はこの枠組みをどう作るかということについて考え始めているわけです。正月に間に合えばいいなと思ってるんだけど、正月ってもうあと2週間後ぐらいじゃんっていう感じで、正月無料でやればいいのかなっていうのはちょっと考えたりはしていたりします。
これはタスクシールドを広めるとか、3ヶ月チャレンジの拡大とか拡充とかそういったこととはまたちょっと違う線にあるので、ちょっと違うところから真剣にやっていこうとは思っていて、プロジェクト増やすなよ俺っていう感じもあるんですけれども、これはでもできそうだなと思いながら考えてやってます。
個人相談のセント、この話を一般に広めるセントで分ければ、多分個人相談はすでに100日チャレンジでも70何名の方を受ける、今20名突破しておりますけれども、まあまあこれはやっていけるなっていう感じが1日1件増やすぐらいであれば十分やっていけるって感じは得たので感触として、今後これ1日2件にすればうまくいけばですね、年間700セッションぐらいは持てるわけじゃないですか。
だからこれだったらやっていけるんじゃなかろうかっていう、疲れますよ、疲れますけど、でも別に毎朝5時40分には全然起きられるぐらいの疲れで、あのね、このなんかすごいことをやってるように思われるかもしれませんけど、僕は普通列車なんですよ。
だから各駅に停まるから停まる駅の数だけは増えるんだけど、別に各駅停車って早くないんで、1人に、だって1時間かけて1人の方と相手させていただいてるだけですから、お相手させていただいてるだけなんで、ある意味だから内科医の先生とか凄まじいじゃないですか。
午前中何人見てるんだよと。あれね、私この仕事するようになってからあれがどんなに大変かっていうのを思うようになりました。もうほとんど常にどうなさいましたって言ってんだろうなっていう感じがするだろうなっていう。今日はどうしましたかっていう。あれご機嫌にやれてる人偉いなって思いますね。
だいたい私、医者めちゃくちゃ通ってる人間なんで、お医者さんって8割方不機嫌だったんですよ。昭和は特に。でもまあ今思うと不機嫌なんだらいいなみたいな。なんか罵声とか罵倒とかしない人は基本的に立派な人だなって思うように今はなりました。
精神的疲労とその解消
いや僕はそういうのは全然ないです。だって僕は1日10人には接触してませんもん。やっぱり。藤山直樹さんが書いてるんですよね。名前と顔が一致しなくなったらそれ以上引き受けるのはなんか考えものだみたいな。でも名前と顔が一致する数って年々減るじゃないですか。
だからマスキューニューロさんも似たようなことをおっしゃってましたよね。とりあえずでも口が動けばできる仕事だみたいなこともその辺がストイックだなと思うんだけど、自分もなんかある意味では競っててもできるぞみたいな。なんかカールベームっていう指揮者さんが、まあそういう指揮者さん、小澤成治もそうだったかもしれないけど、最後は立てなかったけど指揮棒振ってましたもんね。
あれすごいですよね。立てなくなっても指揮をしたいというその発想が蝶ネクタイとか締めてね。私はそれがそもそもやりたいと思わないんじゃなかろうかって思うんだけれども、まあでも需要がある限り頑張ろうって思い、なぜかそういうことだけは思えるようになったんですよね。
でも大変なんじゃないんですよ。別にその1回1回は確かに大変ですけど、なんかこう野球選手とかと違って別に翌日に身体的な疲労が持ち越されることはないので、あくまでも精神的なものなので、精神的なものっていうのは僕はこう割と寝れば取れるという体質の人間なんで、寝れば取れる。なんかちょっと最近違うような日が、寝ることはとても大事なんだけど、寝れば取れるのかな。
夢を見れば取れるような気が最近してきましたね。もちろん寝るべきなんですよ。確実に夢が見られるから。夢を見れば取れるのであれば、多分ハクチュームでも取れるんではないだろうか。精神的な方ですよ。肉体的な方は寝ないと取れないんで。
僕の感覚では肉体的な疲労に関しては寝るという時間は多分4時間ぐらいでもいけるような。ただ精神的な方は多分夢を3時間ぐらいは見ないとダメで、合わせて7時間になるなと。
それ一緒に圧縮でいないのって言われるかもしれないけど、僕はですね、夢見の時間は身体的な疲労っていうのは取り切れてないような気がするんですよね。だから昼寝って体の疲れは取れないような気がするんですよ。夢見ちゃうから。僕の場合は昼寝って悪夢を見るんですね。
で、代わりに夢も全然見ないでスコーンと寝たっていうときは体はすごいスッキリするんだけど、必ずしも頭はそうではない感じがして。でもその間に夢見てるはずなんで、スコーンと寝られれば。ただ時々夢見をなぜか妨害される。つまり夢を見た瞬間にアラーム鳴るとか、あれなんかスッキリしたいんですよね。
多分僕はなんかこう夢を見ることで頭の疲れ、夢を見ないことで体の疲れ、合わせて7時間っていう印象を持ってる。やっぱりだから各駅停車なんですよ。できれば1階1階止まるべきなんですよね。
今日あのここ特にこの街はそうなんですけど、この街は老人の街みたいに自らそういうことを歌ってるところがあるんですけど、小学生が歩いてるところおじいちゃんたちが旗でねガンガン車止めるんですよ。大渋滞が起きるんですよね。めちゃくちゃ面白い光景だなと思って。人がすごくこうある意味重視されていて非常に正しいと思うんですけど、やっぱりですね遅いってことはすごい大事だって思うようになりました。
遅いってことが既に近代社会の主に責任ですけど、悪いことって捉えられているために、なんかこうね遅いということそれ自体、遅いってのはただ早い遅いの遅いじゃないですか。全然遅いこと自体が良いとか悪いはないわけですよ。だから各駅停車と新幹線で新幹線が偉いっていうのはおかしいわけですよ。新幹線は飛ばされる駅からするとちっとも偉くないわけですよ。
我が町二宮もそうですけど、新幹線横をガーンと走っていきますけど、あんなの全然偉くないわけですよ。乗れもしないんだから。だから新幹線が偉いっていうのは、間違った価値観だと思うんですよね。単純に。選択できるからいいのであって、選択できないっていうのは意味がなくなってしまう。だったら新幹線が止まらない駅は存在しないのと同じになるじゃないですか。普通列車が必要なわけですよ。いつでもね。
だから遅いというのは、特に今のような時代には。だって早いとですね、やっぱり老人とかお子さんとかですね、困るじゃないですか。みんながどんどんどんどん、だからどんどんどんどん行くから、老人用に設計されてない部分がいっぱい出てくるわけですよね。
それについて今一生懸命設計し直そうとしているっていうのが、今の日本の一部見られる現象だと思うんですけど、この遅くするっていうことの価値っていうのを、最近私はどうやって確実に確保していくか。これもやっぱりタスク管理ゼロだなって感じがするんですよね。
J松崎さんに言わせると、タスクシュートこそタスク管理2.0。私もだいたいそう思うんですよね。これは時間を投入したんですよ、ここに。時間枠というものをタスク管理枠にはっきり、しかも充足的に入れることで、主役じゃなくて時間管理じゃなくて、タスク管理なんだけど時間枠を投入することによって優先順位というものを取り払ったんですよね。
それまでは1.0ね、GTDに代表される、とにかくこうやんなきゃいけないことは全部やるんだみたいなのに、あるいはやんなくならないことは少なくとも一旦、訴状にあげるんだ。だから優先順位なんだ、とりあえずなんだって発想だったわけですね。この発想ってとりあえずちょっと違うんだけど、この優先順位をつけるという発想っていうのは、時間枠がないからこそ出てくる発想だと思うんですよね。
優先順位は取り払うっていうのが2.0ならば、やっぱり0.0あるなって思うんですよね。優先順位も云々も何よりもタスク管理というものが機能しませんという、その部分がある気がするんですよ。タスク管理をやるために必ず挫折しますとか、タスク管理をやろうとしてもタスク管理が仕事の役に立ちませんとか、そもそもタスク管理始まりません。これが僕が一番言いたいんですよね。
いっぱい書くじゃないですか。全部先送りしますと。全く機能しないどころか、ほとんど精神的にはただ有害なだけですと。こここそがタスク管理0だと私は思うんですね。ゼロ地点。ここはだからあらゆる方向に相談の方向性が伸びるわけですよ。地球でいうと360度に向かっていくわけですよ。どこに相談しても相談する内容はあるわけなんですよ。
別に精神分析に行ってもいいんですよ。私はやることを全部先送りしてしまいます。CBTに行ってもいいんですよ。私は何もしません。ただ寝てるだけですとか、ただ寝てるだけじゃないかもしれないけど、私はもう人に会うこともできませんみたいな。
ライフハックに行ってもいいわけですよ。このエクセルのセルのこの感じが気持ち悪いですとかね。タスクシュートの話になってないじゃないですか。このセルの感じが気持ち悪くてもうこういうの扱えませんみたいな。あるいはここでやるメールチェックって言うんだけど、私もメールを開いた瞬間にもう恐怖で体が固まってしまうんですとかね。
いずれもタスク管理が始まらない地点にいるわけじゃないですか。そして相談の方向はどこにでも伸びますよね。だから家が散らかり放題になってるからって言って片付け師さんに相談してもいいわけですよ。っていうことは家の掃除ができないと言ってソーシャルワークさんを呼んできてもいいわけですよ。生活が破綻していますと言って市役所に連絡してもいいわけですよ。
どこに相談しても相談する内容があるんですよ。こういう方はどうなるか。どこにも相談しないんですよ。すごく多くの場合。その人はそもそもどこに相談すればいいのかがよくわからない。
あのうつパンの本で私はうつパンの本っていうのは全編リアリティーに満ちすぎていて、すなわちリアリリアリズムの極致みたいな漫画は非常に読んでいて難しい気持ちになってくるっていうのを痛感した本だった。1968年ぐらいに誰かが言ったことだったと思うんですけどね。
あのうそれってつまりリテラシーってことになっちゃうと思うんですね。だってその人はうつですと言ってどこかに相談するべきなのに、例えば相談すると2週間待ちくださいって。2週間待てるかとか言って電話切ってんだけど。いやいや2週間待つしかないし。2週間待てないんだったら2週間待たなくていいところに連絡するしかないんですよ。
でもなんかこう○○××とかいう精神分析とか精神科とかが全部線で消されていったんだけど、どうしてこういうことになってしまうのかと。どこに住んでいらっしゃるんだろうと。オンラインはどこにあるんだろうと。オンライン閉じなかったのかもしれないですね。
AIも閉じなかったんでしょうね。でもいろいろあるはずなんですよね。で突然こうフラッとどっかに行ってなんか女のメガネをかけた厳しそうな人にそう見えてるんだ。あれも投影なんだけど。つまりこの投影ってのも彼には投影彼なのか彼女なのかすらわからないうつパンダさんには投影という概念を持ってるのかもしれないけど持ってないような気がしたんですね。
でなんか結局ライフハックに頼りだすんですよ。なぜライフハックに頼ることができるんだろうって。僕なんかなんかある意味こう非常にこうなんて言えばいいのかな。なんて言えばいいのかという気持ちになったんですけどもライフハックに頼って日の光を浴びようみたいな。そして結局うつは何も良くならなかったっていうね。
あと有名な人と名刺交換とか始めるんだけどいやそれは事態を悪化させる気がするって私なんか思ったんですよね。でもそういう方と私も名刺交換もしたのかもなぁと思うといよいよなんかこうね。なんかやっぱタスク管理ゼロだわみたいに思うわけですね。僕の多分パーソナリティでしょうね。これはね。
タスク管理ゼロとは心理カウンセリングのリテラシーなんですよ。ある意味ではね。ソーシャルワークに相談するんでもちろんいいですよ。でも最終的に心理カウンセリングが必要になると僕は思うんですね。とにかく心理カウンセリングの分野においてこれが一番取り立たされています。正規や非正規で非正規が危険だという。
非正規が危険だというのも一つのリテラシーじゃないですか。非正規が危険だなどということを知らないかもしれないしそもそも何をもって正規とするのかもご存じないかもしれない。これは全部リテラシーですよね。婚姻心理師と妊娠心理師を今正規と言うんですってのはそれはそうなのかもしれない。そうするとでも精神分析はどうなるのかとか精神分析的心理療法これは婚姻心理師みんな持ってるでしょうけど精神分析的心理療法とかどうするのか。でもそんなの知らないですよね。全然知らないと思う。
少なくともウツパンさんの中には全く出てこなかった。こういうことが自明であるとはとても思えないわけですね私には。でこの人はでもいきなり目がライフハックに向かっちゃってるわけですよ。日の光を浴びようから始まって有名な人と名刺交換。有名な人と名刺交換してどう考えてもウツっぽい欲打つ状態から回復するのにプラスになるとは思えないんだけどもこれもまたリテラシーなんですよね結局。
相談ゼロの状況
どう考えても覚えないというのはなぜお前はそう思えないんだって言われるといやだってってなった時に次に出てくるのは専門家に近い。私の前に成人力道の話になっちゃうでしょうタスクシュート協会のくせに。
だってタスクシュートの中にはそのなぜ有名な人と名刺交換しても仕事のやる気にならないんですかって言われても答えがないですもんタスクシュートの中にあるわけないじゃないですか。それはやっぱり普通の相談ゼロに近いんですよ。普通の相談ゼロの人も同じ問題を抱えていらっしゃると思う。だってウツパンさんは普通の相談もゼロじゃないですか。どこにも相談できてないから。
で、全方位に向かって相談する意味を持ってるから。まさに原石ですよね。タスク管理ゼロも同じです。相談することができないんですよ。タスク管理の方面に向かって。タスク管理がある程度少なくともゼロじゃないぐらいには機能して初めてそれについての相談というものが具体的なところまで絞り込まれて意味を成してくるんだけど原石だとどうしていいかわかりません。
って言って例えば代表理事の大橋さんのところにどうしていいかわかりませんって言ってそれだけだと結局のところ何を答えるかっていう。じゃあ今日やったことを記録してください。ネタみたいなね。でもネタだったら少なくとも0.0ではなくなる気がするんで0.01ぐらいになる気がするんですよね。ゼロってのはつまりネタすら書けないってこと。あるいはネタってある日書いたんだけどそれはどっか行っちゃったとかね。
機能しないってことなんですよね。未満であるということ。以前ではなくて未満であるということ。何一つそこには発生していない状態つまり不在だということですね。考えられない考えがそこにあるんですよ。で誰かが代わって考えてあげなければいけないと。
その考えてあげるというところはまさに私は相談ゼロっていうものだと思うんですよね。だって相談されてないわけだから。介入が先にあるっていう形を取るわけですよ。ここから私は2026年は始めていきたいなと今思っている。
まあ無謀かもしれないし余計なお世話かもしれませんけど余計なお世話って確か余計なおせっかいだったかな。戸渡海人さんがカウンセリングとは何かで書いてましたね。私はまさにその通りだなって思うようになってきたんですね。相談の前に介入が発生する。ケアとしての介入だと思うんですけども。
そういう地点に原石があるだろうっていう。だってそこには困りごとの集大成がそこにあるわけですから。困っている人を何とかするのがカウンセラーとこれは非正規正規、学派地位相談、ABCいずれを問わずですけれどもね。
ならばやっぱりここに向かっていくしかとりあえずないかな。ここに向かっていくことはいずれは必要になるかなと。私はタスク管理とかライフハックの側から来てるからゼロ点のところにその普通の相談もカウンセリングもライフハックもあるならばそこに向かっていきたいよねっていうふうに思った次第なんですよ。
まあまあ無理な仕事なのかもしれないけど2026年はこれがチャレンジのポイントになるかなと思っています。
41:44

コメント

スクロール