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2023-11-16 37:18

『ふつうの相談』を徹底的に議論する、を視聴した【GMV 879】

東畑開人さんと下山晴彦さんの対談を見て、なんで自分はコレを見ているのかと考え込んだ。

サマリー

遠畑海斗さんの『普通の相談』という本について、臨床心理の世界では統一した仕事術が欠けているという問題や学派の対立が議論されています。『ふつうの相談』が話題になり、普通の相談の重要性が注目されています。具体的には、発達障害に関する相談や議論では、学派や参照先の違いが存在し、脳内での参照の原点や意味を考えることが重要です。また、相談の中では参照先や相手の知識に対する評価も行われますし、参照学やマーケティングの影響も考えられます。今回のエピソードでは、参照の重要性と洗脳の議論が行われています。

普通の相談と臨床心理の世界
おはようございます、グッドモーニングボイスです。
11月16日ですね、11月19日木曜日、朝8時23分です。
今日は、別にこれをテーマにする理由はどこにもない気もするんですけれども、
オンデマンド視聴を昨日見たんですね。
割と昨日は余裕がありまして、最近ちょっと忙しいと申し上げてたんですけど、
昨日はたまたまポカッと空いて、余裕がありまして、いろいろ事情も重なって、
寒くなったりもしているんで、それとも関係がないわけじゃないぐらいなんですけれども、
まあ関係なくて、オンデマンド視聴を見たんですね。
普通の相談を徹底的に議論するという、なんかこう、ダイレクトなタイトルだなと思うんですが、
遠畑海斗さんの新刊、新刊じゃないのかな、もっと、でも結構最近の本ですね。
の、図の相談という本がありまして、その図の相談に対して、
下山春彦さんというレジェンドな方なんですけど、
乙美学園女子大学、乙美学園女子大学の教えてる方だと思うんですね。
あと臨床信頼NEXTというところを運営されていて、
その臨床信頼NEXTというところでオンデマンド配信をやっていて、
そこに遠畑海斗さんをお招きして、Vimeoですよ、Vimeo。
Vimeoで配信されていて、私それを見たわけですよ。2時間。
これがですね、めちゃくちゃ面白かったんですよ。
なんか私、極度に気の弱い、気の小さい人間なんで、
この徹底的に議論するというのを見ただけで、
すごい無駄に気をもんでですね、あんまり見なかったんですね。
すごい興味は前からあったんだけど、配信期間が11月1日からだったのに、
なんと昨日、15日までなんですよ。
それを配信期間ギリギリに見るという形で見たわけですね。
面白かったんですけれども、
まず見ていて私が非常に不思議だったのは自分なんですね。
何を俺は見てるつもりなんだろうっていうね、
これ多分私のような人間には関係ない話なんですね。
なんですかね、
要は文外官って部外者なわけですよ。
だからあんなに2時間かけて、
もう釘付けになってたわけですよ。
釘付けになってうわーって感じでずっと見てて、
自分は何やってるのかなってまず思ったんですよね。
非常におかしな感じがしました。
お前関係ないだろっていう声が自分で自分に突っ込みが入っちゃうわけですね。
全く関係ないんですよ、私には。
この議論、だからそもそもこの議論を見ていて、
熱中して気をもんだりしている自分がおかしい。
関係ないんだから、もっとリラックスして見てればいいわけですよ。
なんなら眠くなってもおかしくないけど、
なんなら眠くなってもおかしくないぐらい関係ない議論なのに、
一服も入れずってやつですよね、まさに見てた。
どういう話をしていたかというと、
まず遠畑さんの普通の相談って本はですね、
純金と合金って言葉があるんですが、
相談というものは、
水で薄められた精神分析じゃないんだよっていうことを言ってる話なんですね。
それはどういうことかというと、
結局日本の一つの臨床心理の状況というのかな、
ちょっとした問題がありまして、
いろんな学派があるといっても主流に僕は3つぐらいなんじゃないかとは思うんですけど、
それを分けていけば確かにいろんな学派があって、
お互いあんまり仲良くないわけですよ。
お互いに対して極めて批判的であったりもするわけですね。
そうするとユーザーとしては非常に困りますよね。
先生方は何学科とか、
教大科とか法大科とか知りませんが、
認知行動力法科とか、
ユング科とか言ってるかもしれないけど、
患者は私ユング科の患者ですからとか思って言ってるわけではないわけですよ。
そんなことは気にしてない人は気にしてないと思うんですけど、
正しくないところに行くと治んないぞみたいなこと言われると結構気になるじゃないですか。
まして正しくない療法をするとむしろ有害だよって言われると本当に困るじゃないですか。
出す方はそれを気にしているわけですよ、結局のところ。
自分の学派だけから、ある意味そういう風になりがちなんですけど、
自分の学派だけから治療サービスを提供するって言うならいいでしょうけど、
日本国のカウンセリングサービスだよっていう顔をして、
統一したものは出せないと。
統一したものを出すとなるとやっぱりでかい派閥のことは当然気になりますよね。
向こうの人たちの先生方は全員インチキですからっていうファメになりますよね。
それを言いながら出すということはいろいろと問題があるので、
結局は統一したものを出したいですよね。
少なくとも良心的にはそう考えると思うんですよ。
ところが統一したものを出すには、
あなたが仲が悪いっていう状態は非常に難しい。
それにその状況に対してすごく独特のですね、
独特のというか斬新な視点で切り込んでるのが割と普通の相談っていうやつなんですね。
これは今のような話を聞いても興味持てない人は持てないと思うんですが、
統一されない仕事術
ライフハック的に見るとちょっと分かりやすいと思うんですね。
例えば私がやってるからこれで行こう。
タスクシュート以外はあれはダメだからみたいな。
やっても絶対仕事では役に立たないし、
むしろ有害ですからねみたいなことを僕が言い出したらですね、
結構それだけでも難しい事態を招きかねないじゃないですか。
招かないかもしれませんけど、
とりあえず話の辻道といいですね。
このタスクシュート以外は有害ですからみたいなことを言った場合、
統一した仕事術というものはこのようになくなるわけですよ。
タスクシュートだけが正しい仕事術で、
他はデタラメだということになるから、
統一することはできなくなるわけですね。
当然タスクシュート以外にも大きなグループってあるわけじゃないですか。
そっちのが全否定されるってことになると、
日本の統一の有効な仕事術というかですね、
仕事術に困ったらとりあえずこの仕事術協会に行きましょうみたいなところはないわけですよ。
ないってことになるわけです。
現に今ないですけどね、そんなもの。
でも臨床審議を続けてそういうのがないと困るというのがずっとあって、
例えばイギリスにありますとかアメリカにありますっていうことになると、
じゃあ日本にもそういうのを用意した方がいいよねってところまではなるんだけど、
統一したものが出せないために結局出てこないみたいな事態が起こって、
出てきたものが大派閥が作ったものになると、
その派閥以外のものはそこには入ってないってことになるわけですよ。
当然他の入っていないグループの人たちは、
いや我々だってカウンセリングするぞとか、
臨床審議できるんだぞっていうときにどうするんだっていうような問題が
割とずっとあったらしいんですね。
僕はそんなに詳しくそんなことを知ってるわけじゃなくて、
まさにこれは本で読んだ知識を適当に口喋ってるんですけど、
あったらしいんですよ。
そもそもそういうことがどうして起きるのかというと、
考え方が逆だからだって言ったのが尾端さんなんですね。
これもライフハックに寄せて言いますと、
マスクシュートが先にあると思うからおかしな話になるんだって言ってるわけですよ。
仕事術というのは、つまりそのタスクシュートが純金なわけですよ、ここではね。
普通の相談は合金とされるわけ。
タスクシュートという純金の正しい教え方を、
適当に水で薄めたようなものが出回って、
そして混ざり物の多いダメな仕事術になり、
効果が低下すると、あるいは有害になっちゃうと。
そういうふうに日本の臨床審議の世界ではずっと言ってきたという話が書かれてます。
だいたいね。
だから例えば、私今は言ってませんが、
昔ちょこっと言ってたようにですね。
昔言ってたように、24時間の記録取らないとダメなんだと。
しかも途中取り忘れたの後から整合するようでもダメなんだみたいな、
そこまで言ってないけど言ってたとしましょう。
そうしないとタスクシュートというものの効果が現れないんですって言った場合、
これは言う側にはそれなりの理由があるわけですよ。
自分はそうやって効果を上げてきたから、
そうじゃないやり方をされて効果ないって言われても困るっていうふうにどうしても思うわけじゃないですか。
だからサービス提供側は純金にこだわりたくなるわけですね。
ここに混ざり物を入れてほしくないわけですよ。
学派の対立と議論
タスクシュートに、例えばこの25分でアイコンでもくっつけて砂時計ひっくり返すようなマークを付けましょうみたいな。
タスクシュートマニアナもやりましょうよ。
タスクシュートポモドーロもやりましょうよみたいな。
トマトのアイコンでもいいですからみたいになってくると、やっぱりイラッとするわけですよ。
タスクシュートを提供する人間の側は、いやいやポモドーロ関係ないから混ぜないでよみたいな。
そしてちょっとそこで議論が白熱してくると、
ポモドーロみたいなのを混ぜると25分というのに縛られて、
タスクシュートのせっかくの有効成分がパーになるんですよみたいなことが言いたくなるわけですよ。
これが大学とか医療とか行政とかまで関わっている心理カウンセリングの世界では、
もっともっと深刻にこの事態が進んでいるという、当然ですよね。
だってお金も大きく動くんだし、関係者も長い年月をかけて訓練したりしてるわけだから、
タスクシュートとポモドーロよりは厳しい事態がそこに進行中なわけですね。
そうすると、あの多発のは絶対あれをやったらむしろうつとかもっと悪くなるからみたいなことを、
本当に普通に強い調子で言う人もいなくはないわけですね。
タスクシュートの場合も、タスクシュートですらそういうことが混ざり者だとか純欠だとかみたいな話が出てくるわけだから、
出てこないですけどそんなに。
出てくるとすればですね、そこで合金というものはダメだっていうのはどうしたって言いがちになる、
そういうふうに言いたくなる真理ってものはありますよね、それこそ真理は。
だけどトバタさんはそこを逆に言ったわけですね。そうではないんですよと。
もともと誰もが知っているような、例えばチェックリストを適当につけて、
そこら辺のロフトかなんかに行って、良さそうな手帳買ってきて、書き出しとかもしちゃって、
なんならキッチンタイマーで時々25分かかるみたいな、
こういう普通のやり方というものを極度に人工的に洗練させて、
これが正しいっていう方向に向かっていったのが、
普通の相談の重要性
特殊な相談と、つまり純金というものはそういうものであって、
だからそういう方向に頑張ったのが、例えばタスクシュートであったり、
フォーモドーラであったり、マニアナであったり、GTDであるのであって、
原石は普通のやり方なんだって言ったんですよ。
だから普通の心理カウンセリングというのかな、心理相談というのか、
もしかすると普通の人生相談から、例えば精神分析が生まれていくのであって、
精神分析からそれを水で薄めたものが、そこら辺のアドバイスになったわけじゃないっていう話をしてるんですね。
コペルニクス的転換テストかな、要するに話を逆転させているわけです。
私はこれは非常にこれによって、安心感を得る人っていっぱいいるだろうなってまず思ったんですね。
やっぱりその辺厳しいと、やりにくさも当然あるわけですよ。
もしだって、それこそガチガチに精神分析の訓練を受けてきたというのでない限り、
普通に臨床心理の大学で習ってカウンセリングを始めましたっていう人は、
教科書どころりの純金的なやり方って、なかなかできないものだと思うんですよね。
例えば、1時間きっかりで終えなさいって言われても、話が盛り上がって、
1時間超えそうみたいな時、どうするんだっていう。
1時間ですって言うのはどうなの?難しくない?っていう話が単純にあったりしますよね。
これはさっきのタスクシュートでも同じですよね。
24時間って言わないとダメなんです。
あなたのこの記録23時間59分で止まってるじゃないですか。
言ったりするというのを言うべきなのかどうなのか。
でも、だったら23時間59分でもいいってことは、23秒でもいいよねみたいなことになると、
いやそれは違うだろうってことになるじゃないですか。
そうすると、どこで線引くのってことがやっぱり起きてきますよね。
その有効成分にこだわるならばですよ。
有効成分にこだわらないんなら、じゃあタスクシュートいらなくないみたいな話になってしまうじゃないですか。
この種のことがもっと深刻な形で精神分析とかでは置きかねないんですよ。
ソファーじゃないとダメなの?別に普通の椅子でもいいじゃないですかみたいな話になったりですね。
対面じゃない、対面じゃダメなんですかとなってみたり、
週に4回では大変だから週にせめて2回にしましょうってなったりすると、
有効成分が減ってる感じがしていきますよね。
これは日コード旅行とかでも、それこそロジャースとかユングとかでも全く同じことはあるはずだと思うんですよ。
どこかでそこから先のことを言っておかないと、有効成分が失われるんじゃないだろう。
有効成分が失われてもいいってことになったら、だったら別に精神分析じゃなくてもいいってことになってしまうじゃないですか。
結局最終的には、ちょっと物の分かったような活腹のいいおじさんとかに、
どうした悩み事があるのか、俺がラーメン屋で聞くぞでも精神分析の代わりになるのかみたいな話にだんだんなっていくと、
どうやるんだってことですが、東方さんはそこを割とラディカルに逆転させたわけですね。
で、下山春彦さんというレジェンドな方が、それに対して猛批判を加えてるっていう立前なんだけど、
そう言ってみれば、マーケティングですよね。そんなに洗練されてるマーケティングかは知りませんが、マーケティングですよね。
そうか、猛批判なのかと思ってみるじゃないですか。別に猛批判には見えないわけですよ。
部外者が見るからね。
関係当事者の中では、あれはあれで猛批判なのかもしれないんですけど、私はやっぱり素人なんで、
なんか批判すらしてるようには正直思えないし、そもそも批判するような観点かそれっていうような観点なんですよ。
観点なんだけど、でもやっぱり当事者とそうじゃない人間には、すっごいここに大きな温度差があるわけですね。
平山先生がおっしゃってるのは、なんつうんだろうな。
まず言ってみれば、戸畑さんが言うような、私は臨床審理っていうので、そんなにゴリゴリに固いことを言ってるわけじゃないという、
要するに、まず下山批判をしてるわけじゃないんですけど、そういうある学科があって、その学科がゴリゴリ言うっていうのも問題だみたいな話。
でも戸畑さんは全然譲りませんでしたけどね。この辺がすごい、なかなかやっぱりすごくてですね。
戸畑さんの方がずっと若いんですけども、彼はすごい論争好きなんだろうなって思うんですよね。
声が裏返って、興奮して喋ってるような感じなんだけど、理論は全然失わないんですよ。
すごいエキサイトしてきたなって感じなんだけど、エキサイトすると、だいたいもう少し路列も怪しくなって感情論っぽくなるんだけど、そうはならないんですよ。
まるでむしろエキサイトしてくると、論文を書いてるのがこのまんまなんじゃないだろうかぐらいな感じで、脈絡も失わす、とうとうと出てくるんですよね。
これはすごいなって思いました。
で、私はすごくそっちの方に納得感があるんだけど、結構下山先生もすごくて、いやそこは逆なんだよねみたいなことをさらっと言うんですよ。
逆なんだこれみたいな、全然逆に聞こえないがっていうような話が割とパンパン出てきて、実に面白いんですよ。
でも下山先生はやっぱり年配の方なんで、すごくマイルドで感じのいい感じの人に見えました。
ご本人に会ったことがないかわかんないんですけど、会うとすごい嫌な思いするかもしれませんが、そういう感じは全くしなかったですね。
やっぱり若い川畑さんがすごいエキサイトしつつも論理的にガーッと言うんだけど、そうなのかなみたいな感じで柔らかいんですよね、割とね。
慣れてるなって感じがしました。
で、まあそれはいいんですが、下山さんのお話っていうのはちょっと違う話に聞こえたんですよね。
その普通の相談をど真ん中に置くのは、実は全然いいって話なんですよ。
だから僕にはどうしてもね、それをいいって言ってしまったらもうこの本に徹底討論も猛批判も何もないんじゃないかって感じが。
行政からの圧力
ここが一番議論のしどころに見えるんですよ、普通の相談を。
僕のように素人が読んだ場合、結局そこはラディカルなんですよ。
言わんとしてることは素晴らしいんだけど、普通のやり方が良くて、宣伝された純金的な、それこそいい、タスクシュートでもいいですよ。
タスクシュートとかGTDとかそういうものはあくまでも普通の相談っていう原石を削って抽出して作り上げたものであって練り上げたものであって、
そっちが種じゃないんですよっていう、どっちかというと柔軟ですよっていうのは理念としてすごい良いなって思うんですよ。
これでどんな人でもある意味、人の相談にツッと乗ったり、自分なりのやり方で人に物を伝えたりすることが安心してやれるじゃないですか。
いやそれはダメなんだよって言われると厳しくなるわけですよね。
週に4回来なさいとか、1時間できちんと切りなさい、50分間切りなさいとか、お金は絶対取りなさいとか、キャンセルしたとしてもお金取りなさいとか、
これ普通にセミナーとか開催しててもかなり厳しいですよ、これを絶対守れみたいな話になってくると。
だからそういう時に、いろいろ持留はあるんですけれどもね、守んなきゃいけない理由はあるんだけれども、
そっちがメイン、規範としてあるものではないんだっていうのは、やっぱ誰かが言わないとやれなくなったりやる気がなくなったりするっていう事態を
延々と引き起こし続けかねないみたいなところが問題意識にあるんだと思うんですね。
しかも島山さんはそういう学罰的な、師匠様の言うことが絶対ですみたいなのがいけないんだってところは全く賛成だみたいに言うから、
どこに論点があるんだってことに私は聞いててなったわけですね。
どこに論点があるのかというと、だけど普通の相談に、要するに簡単に言うと、
遠畑さんは普通の相談に過剰に期待しているって言いたいわけなんですね。
普通の相談からそのに、何でしょう、起点を置くのは結構だけど、そんなことをしていると、
これは別の観点なんですよね。
だからね、そんなことをしていると言ってみればですね、今の日本の国の行政っていう感じで言っていらっしゃるんですけどね、島山さんは。
行政のこの、ちょっとここはですね、本人の言葉でないと誤解の余地が大きいなと思うんですけど、
その行政の側から臨床審理はこうあれみたいな圧力が今極めて強いと。
これだいぶ、島山先生は裸感覚みたいな言い方をされていたんで、
わかんないじゃないですか、私たちは圧力が強いと言われると、権力だから強そうだなとかは思うけど、
具体的に何を知っているわけじゃないので、わからなかったんですけれどもね、正確にはというか、
実際に何が進行中なのかは。
ただ、島山先生はそれを必死と感じるみたいなことをおっしゃってたから、
少なくともないわけじゃないんだと思うんですね。
で、その行政からの、臨床審理、カウンセリング、確あるべしみたいなものに吸い込まれていっちゃうんじゃないか、
みたいなことが問題だっていう話をされていたんですね。
参照学の意義
で、問題だっていうところで基本的に議論は終わってて、
だからどうするんだっていう話には、
だからどうするんだっていうのはすごくさらに島山先生の、
これは島山晴子さんの本を読むとですね、ほぼ常に載ってる話ではあるので、
ここは難しいんで、しかもイギリスの結局モデルっていうものをすごく参照にするっていう話になってくるんですけど、
ただ日本であれは全然具体的に見えてくるものでは今のところないので、
わかんないんですよね、正直ね。
島山さんがイメージしている素晴らしい臨床の世界っていうものがどういうイメージなのかが、
分かろうとはして読むんですけれども、結局僕には分かってる気がしないというか、
で、まあ部外者なわけですよ。
直接僕がそれに関われるわけでも関わったわけでもないから、
会ったことがあるわけでもないですしね、本読んだことがある。
で、昨日初めて喋ってるところを動画で見たという程度ですから。
で、結局見ましたっていうことなんですけれどもね、今日の話は。
でも、なんで見てんだ俺っていうのが最後にあるわけですね。
このPodcastで喋ってるわけなんですが、
なんで見たのかはお前そういうの好きだからなって言われれば全くその通りですが、
なんで見たのかなと思ってずっと考えていくとですね、
やっぱり私は途中ちょっと飛び勝った言葉なんですけれども、
お二方の議論中に参照学っていう言葉が出てきたんですよ。
参照学とか参照先としてはっていう言葉が、
特に嶋山さんがよくおっしゃってたんですけれども、
発達障害についての相談と学派の違い
要するにここは所詮参照してるだけだよっていうニュアンスが、
はっきり言って強かったような、これは印象ですよ私に聞こえたんだけれども、
結局そのいろんな学派があるということが、
一番表に見えてきやすいのはですね、病気の決め方が変わってくるんですね。
例えば、それこそ発達障害っていうのを、
よく最近話題になってましたけど、
発達障害ってビジネス書でベストセラーを叩き出したテーマでもあるわけですよ。
ということはビジネス書でも扱う概念なんですね。
ここらへんに参照ってことが出てきてると思うんですよ。
ビジネス書の人たちは多分ほとんどの場合、医師ではないですよね。
発達障害の専門家ってわけでも別にない。
でも発達障害という言葉を出してくる、
そして出せば本が売れるってことは、
多くの人がそれを脳内で参照しているはずなんですよ。
発達障害ってものを見聞きしたわけですよね。
その参照の原点ってものが、私は気になってくるわけですよね。
どこを見て最初この言葉が出てきたんだろう。
そうすると、例えばDSMっていう有名なアメリカが作ってる精神病のマニュアルみたいな、
一覧表みたいなすごく便利なものがあるんだけど、
そこに最初の段階では発達障害ってどう扱われてたんだろう。
これが参照ですよね。
でも学派が違うってことになると、
DSMを参照する学派とおそらく精神分析の学派は異なる見解を持ってると思うんですよ。
例えば昨日はそういう話は出ませんでしたが、
下山さんはじゃあ発達障害ってものをどういうふうに考えるんだろう。
どういう病気で、そもそも病気なのかどうかってことが始まって、
どういうふうにアセスメントって先生はよくおっしゃるんで、
アセスメントするんだろうみたいな。
それこそ逆に遠畑さんはユング派で兄弟、兄弟派っていうのかな。
僕分かんないですけどね。
そういうものだとして、じゃあ発達障害って、
昔かわいはよさんは発達障害ってことを本の中でほとんど書いたことはなかったと思うんですが、
遠畑さんは発達障害ってのはどういうふうに捉えるんだろうっていうのを聞いたとするじゃないですか。
多分僕はですね、僕の考えですよこれは。
本当にどうなるか分かりませんが、
スパッとした分かりやすい答えが戻ってこないんじゃないかなって思うんですよね。
どちらの方に聞いても。
ウニャーンとした、要するに専門家の方に聞くとこういう言葉が戻ってくると。
そもそも発達というのはねっていうのから始まって、
全然私が聞きたいと思ったことにストレートには答えてくれないような答えになるんではないだろうかと、
これは僕の勝手な予測するわけですよ。
ここに僕はこの話を聞く私のような人間がこういう話に興味を持つ最大の理由があるなって感じがしたわけですね。
発達障害一つ取ってもクリアカットされない。
でも発達障害ってのはビジネスショーの界隈でももはや重要なキーワードに少なくとも現在はなっていて。
それこそ借金玉さんが先送りばっかりしてるんですとか、
アルコールばっかり飲んじゃうんです薬と一緒にねみたいなとか、
バンバン書いてたわけじゃないですか。
会社では会社っていうのは部族みたいなもんです。
狸に立ってお辞儀はしましょうみたいなそういうことを書くと。
で、その本が大事な書類すぐなくなっちゃうから、
書類は全部1個にしているのもいらないのも全部1個にしてバインダーに分厚く閉じましょう。
それを持ち歩きましょうとか。
それを絶対なくしたくないなら仏壇の上に置いておきましょうとか。
面白いですけどね。
で、10万部を突破していくっていう本が出てくるわけですね。
借金玉さんが考える発達障害っていうのは、
なんとなくズボラで仕事ができない人ぐらいのイメージなんだけど、
でもそれは実は病気だったんですよってところに、
ある種アイデンティティみたいなものを置きつつある。
そういうふうな印象だったわけですね。
あれは見てどう思いますかみたいなことを聞いても、
もはやまともな答えは戻ってこないと思うんだけど、
でも気になるじゃないですか。
気になる人間としては。
発達障害ってああいうふうな話として扱われている。
これが現場で起きているある意味ことだと思うんですよ。
それに近いと思うんですよね。
普通の相談というならば、
普通の相談をする人は普通の人を相手に、
俺ちょっと発達障害っぽいんだよねっていうふうに
相談が始まるわけじゃないですか。
多分僕はこういう辺りに下山さんの批判的なポイントがあるんだろうな
って思うんですけれども、
とにかくそういうふうに聞かれて、
参照先や脳内の参照の重要性
そうなんだみたいに、
これは答えになっているのかなっていないのかわからないんだけど、
そうなんだって答えたりするわけじゃないですか。
これが普通の相談ですよ。
私たちタスク集とを扱う人間だって、
もう少し純金的なことを言いますよね。きっと。
それ絶対忘れたくないことでしたら、
ルーティンタスクに入れていくってのも一つの手ですよ
ぐらいなことは言うと思うんですよ。
入れないと思うけど。
入れないと思いながらこういうことを言ってるっていうのもあるんですよ。
これはカウンセリング的なのかどうなのかわかりませんが、
でもやっぱり僕は普通の相談からは少し
カウンセリング的な方ににじり寄ったかなって感じはするんですよね。
この時も私たちは参照先ってものを気にしてるんですよ。
たぶん。
してないかもしれませんが、私はします。
発達障害ってのはこの人はどういう意味で言ってるんだろう。
つまりこの人の脳内ではどこを参照して
この言葉出てきたっていうのがまず一つ。
もう一つは、
私はDSMを見るとか、
DSMにある発達障害、ADDとかを見るとか、
注意欠如機質とか注意欠陥障害とか、
多動性注意欠陥障害とかを見ているのか、
それとも精神分析的な発達論みたいなものを見ているのか。
これは違うことなんですよ。やっぱり。
で、最後にこういうこともあるんですよ。
聞いてきた人は、
佐紀さん発達障害ってそもそもご存知ですかみたいなね。
これにはいろんな意味があるんですよ。
知らない奴相手にできないなみたいな意味もあるでしょうし、
こいつどのくらいもの知ってんのかなみたいなのを
測りたいみたいな。
これも僕は参照だと思うんですよね。
相談の中での参照と評価
僕の脳内の参照を先にとして、
それが格納されているのかと言ったらいいんでしょうか。
お前本読んでるのかみたいなノリですよね。
ある意味では。
僕は読書家じゃないんですけど全然。
お前本読んでるのかみたいなそういう人もいらっしゃると思うんですよ。
結局のところ、
それを病気だと認定する方が安心できる人なのか、
そうでない人なのかっていうような、
これ絶対です。
今、僕の話をただ、
僕がぐだぐだしゃべってるのを聞くだけだと、
ピンとこないかもしれませんけれども、
相談するときの人の心理っていうのは、
こういうものがどんどん動いていくと思うんですね。
特に批判をしますみたいなことを、
これからのオンデマンドの上で批判をして、
それをみんなに配るぞみたいなことをやるような方の場合、
参照先っていうのはすっごい重要な問題になってるんだろうなと、
所詮は参照学みたいな言い方かもしれないけれども、
僕はそうは思わなかったんですよね。
私がやってることはまさに参照学のオンパレードだと。
ディレクタンティストと言われれば、
それまでかもしれないし、
私はそれこそいかなるものの専門家でもない人間なので、
それがもうアイデンティティみたいになりつつある。
好きでなったりじゃないですよ。
僕だって臨床心理師ですとか言っていられれば、
幸せだったろうなって思うことぐらいは、
しょっちゅうあるんですけれども、
でも実態を知ってみると、
そんなに簡単なもんじゃないんだなっていう、
例えば僕が一生懸命頑張って、
臨床心理師になったとしてもですね、
相変わらず仕事終わりとないわとか、
なんとか先生怖いわとか、
そういうことばっかり言ってんだろうなとは思うんで、
今はもう専門家であるかないかっていうのは、
些細なことだなって感じはするんですけど、
でもそれは50年ぐらい人間社会をやって、
生きてきて思うことであって、
やっぱり20代の頃はですね、
なんとかしって言われるだけでも、
幸せになれるだろうぐらいには思ってた時代はあります。
あるんだけど、
多分それは単なるイリュージョンだったんだな、
っていう程度の話です。
だから昨日見てたんですよ。
そういうものを見てて、
なるほどなっていうふうに思ったとともにですね、
自分はここで何やってんだろうなと、
仕事でもないのにね。
なんでこの後任心理師が、
原力がとか、
医療がとかいう、
僕がこれを聞いても何か役に立てることが、
一つできるとも思えないんだけど、
でもなんかやっぱり自分は、
いろんなものを参照したがる、
心理系ですけども主に、
ほぼ心理系ですけども、
いろんなものを参照したがる。
昨日もずっと聞いてるうちに、
心理臨床学の広場みたいな本を、
つい買っちゃったわけですよ。
お金もないのにね、本当に。
しかも読むかどうかもはっきりしないのに、
でもこれ読んどこうみたいになって、
あっさり買ってしまったわけですよ。
だからすごい上手いこと、
マーケティングに乗ってんなみたいな。
これが一つの理由だとは思いますね。
僕は下山さんの、
下山春久さんのマーケティングに、
上手いこと乗っかってしまったというところは、
多分昨日はあったと思います。
どういう風に聞いてても、
昨日は猛批判も大反論も、
あんまり聞くことはなかった。
全然それはいいんですけれども、
私は昇進モードなんでね。
非常にだから、
勉強になったとはとても言えないわけですよ。
違うこと勉強しろよってぐらい、
勉強になったとも言い難いような、
参照とは
でも非常に面白かった、
身近だったということではあります。
皆さんがあれを聞いて、
面白いと感じられるかどうかは、
それはもうなんだろう、
性格みたいなもんですね、これはね。
知識とかの話では、
全然ないような気がしますね。
あの辺の話になってくると、
全くないと言ってもいいぐらいの話だったんで、
知識は多少は必要でしょうけれども、
僕が面白がってたのは、
なんだか違うような、
違う話のような気がしました。
とにかくその参照というもの、
私はいろんなものを確かに参照しています。
スクシュートは参照以上のものだけど、
Good Vibesも参照以上ですけども、
参照してるとも言えますし、
フロイトを参照している、
山崎孝明さんを参照している、
岡田海人さんを参照している、
嶋山さんはちょっとね、
少し僕から遠いんだけど、
参照していいわけじゃない、
河合駿さんを参照していますよね。
だから所詮では全然ないんですよね。
むしろそれらが全部重なってる、
そのど真ん中なんだかよく分かりませんけれども、
重なってるところは結構僕は、
信頼して使ってるような気がするんですよ。
全部重なるところあるかな、
スクシュートにも精神分析にも、
認知行動両方にも重なりがあるような、
ベンズを今思い描いてるんですけど、
参照して参照して参照して、
重なってるところはすっごく濃くなるじゃないですか。
そこについては自分が、
そこを信頼して喋ってますぐらいのことを言っても、
実害はないんじゃないかなと思いたいわけです。
洗脳とくびき
昨日嶋山さんは洗脳って言葉使われてたんですけど、
洗脳はいくらなんでも強いんじゃないかと、
みんなもっと考える力を持ってると思うんですよ。
思うんですけれども、
何を言わんとしてるのかは分かるような気がします。
洗脳とまでは言わないまでも、
昨日戸肌さんのほうはくびきって言葉を使われてて、
やっぱ僕はこっちのほうが実態として近いんじゃないかなと。
くびきが出てしまうんですよね。
やっぱりそれこそタスクシュートでも、
あんまり強く言えば当然くびきが出てきてしまいますよ。
嶋山さん起きたらすぐにタスクシュートを、
何までもあり開きなさいみたいなことを言ったら、
開けませんみたいなところから分岐点が起こっちゃうじゃないですか。
そこら辺にくびきができるわけですよね。
朝一番に開けないんだったら、
自分はタスクシュートユーザーと言えないんだみたいになって、
しょんぼりしてしまうと、
これはこれで大変よくないんだけど、
でもおそらくは心理臨床の世界みたいなところでは、
もっと厳しいことがあったとしても、
不思議はなかったんだろうということは、
昨日見ていてつくづく思いました。
37:18

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