継続のメカニズム
おはようございます。佐々木正悟のライフハックからの精神分析第1296回をお送りします。
はい、12月16日火曜日7時25分です。
うん、あのー、全く昨日と同じ話になってしまいますけど、出だしは。寒いくらい。
だいたいね、朝が早すぎる。そういうわけですね、はい。他に言うべきことはあんまりない。
で、夜も早すぎる。もうなんかこう4時、3時半になったらもう日が陰ってくるね。
厳しい感じがしますね。だいたい暗くなったからって別に、今のように電気がつけ放題な時代にそんなに厳しいことも何もないんですけど、
陶器写っているのも言葉としてありますけど、いや、あると思うんですね。季節性写っているのはね。でも結構
研究を細かく読んでいくと微妙なんですよね。難しい。 まあ難しいということ自体が難しいというところもある時代なので、まあ
これぐらいにしておきますが。 まあそうは言っても気分は重くなりますわなっていう。まして冬に雨降ってるとね。
これまたね、実に面白いことに、総決算の日に雨が降ってたんですね。 タスクシュート総決算の日に。ここ1ヶ月近く東京に雨がなかった気がするので、
よりにもよってこれだもんなって思ったんですけど、一方で 雨いいじゃないですか。
だって雨降らないと、まあ静電気走りまくりだし、乾きまくりだし、もう インフルエンザとかも流行りまくりなので、雨やっぱり降るに越したことはないわけで。
やっぱりね、あの気分が重くなる時には必ず気分を軽くしてくれることが実は含まれているものでして、
そういうことなんだよなぁと思いますね。どんなにこれは悪いことでしかないことっていうのが起きたとしても、
いいことが、しかもですね、その悪いことが起きている時ほどいいことが起きているもんなんですよね。
こんなちょっとしたことなんだっていうのを、多分今日は話すことになるんじゃないかなと思いながら、まだ何を話すかが全然わかっていないのは
1200回とも同じなんですね。この話からいきますかね。 1200回という回を言うと、
なんかどうすればそんなに続けられるのかとか、こう困ったことを聞かれるわけですが、私はですね、これは毎日毎日
別に今日は取らなくてもいいんだがなと、ほぼ毎日思っています。 1200回のうち1000回は今日はどっちでもいいと思っていました。もっと多いかもしれませんね。
絶対1000回超えるぞとか、そんなことを決して考えることのない人間なんで、本音のところではですね。
だから1200回というのは毎日毎日基本的にはどっちでもいい。だってこれどっちでもいいですもん、本当にね。
聞いている方には絶対ないと困るっておっしゃってくださる方もいるし、それに極力応じるようにはしてるけど、でも心の奥底では実はどっちでもいいと、
奥底でもないな、心ではどっちでもいいと思っているわけです。 そこまで僕の中でこれの価値は高くはないし、でも1200回続ける価値はあるんですよ。
そういうものなんですよ。でもそれは1200回続いたから言ってることですよ。 突然消えるかもしれないしね、そんなことはわからないわけですよね。
で、そういうと心配になる方もいらっしゃるかもしれないですが、私はでも1200回続けることにほぼ心理的抵抗は全然なかった人間なんで、
この朝ね、7時、まだ暗いうちに一人で洗面所でポッドキャストを撮っていて、めちゃくちゃしかも寒いと、
こういう日が何日も何日も続いても基本的には続けられる人間でもあるんですよ。 これを習慣の力とか継続力という人もいらっしゃるんだけど、それはネタラメですね。
何の説明にもなっていない。 ただこれは結果として続いたのであって、続ける力が私にあるとかないとかいうこととは何の関係もないですね。
継続力の誤解
これをねじ曲げたがるんですよ、人は。 私が何を喋ろうと信じないここまでめちゃくちゃ大事なところだということにぜひ気づいてほしいんですよね。
私がこれは習慣の力ではありませんよ、継続する意思はありませんよと言っても、その人は、それを信じたくない人は必ず、いや佐々木さんには継続力があるんですって話にしたい。
これは何の意味しているのかということを本当によくよく考えていただきたいんですよね。 まあ間もなく始めようかなと思っているだけの、始められないかもしれないサービス、短期集中サービスというもので、こういう話はすることになるだろうなと思っているわけだけど、しないかもしれないけどね。
忘れちゃうかもしれませんから、私メモとか取らないんで、忘れちゃうかもしれませんけれども、そんなことはまあ良くてですね。
なぜその人はその見方にこだわっているのか、なぜ継続力でなければいけないと思っているのか。 佐々木が1200回続いてます、私はそれに興味ないんだけど、1200回続ける秘訣を教えてくださいと言って、僕が1000回ぐらいはどうでもいいと思ってやってますと言うじゃないですか。
そうやるべきですと言ってない、そういうふうにやってますと言うじゃないですか。すると継続力なんですよ、佐々木さんと言うこの謎、ここの謎にその人の継続力があるというふうに思わなかったら、一体何をもって継続力って言うんでしょうねっていうところなんですよ。
だってその人は継続力だ、たとえ誰が何と言おうと、現実に何回やってる奴が言おうと継続力が大事なんだと、まあ我々の言葉で言うところの誤信念って言葉があるんですけどね、マイナス経ってやつ、我々のじゃない、すいません、ビヨンの言葉ですね、誤信念って言うのかな、マイナス経です、経はノーイングだからね、知りつつあることのマイナス、知りつつあることができないことです。
だって素人しないじゃないですか、私が何を言おうと、その現実は無視してでもねじ曲げても継続力にするぞっていう強い意志があるじゃないですか、その強い意志と継続力こそがその人が欲しがってるものじゃないですか、すでにその人ゲットしてるじゃないですか、わかります、わかりますって言ってもよくわかんないですよね、でも私にはそう強く感じられるわけですよ、私が一生懸命このよくわからないなぜ1200回も続いているのか、
正直言えばわからんという、わからんというのが本音だから、わからんと言っておきたいわけですよ、ところが私が何を言おうとそこは無視される、継続力でなければならんのだというその人の強い意志を私が感じている、その人はなぜか自分の心の中の継続力というものが信じられない、でも私にはそれを信じさせようとする、こういうのを力度と言うんだと私は思うんですね、
だったらそれを信じればいいじゃんということになるんだけど、これがなかなか簡単ではないんですね、不思議なことですね、とてもね、私に継続力だと言ってほしいんですよ、その人、でもその人は自分の継続力は信じられないんですよ、そしておそらく方法で継続力だ継続力だと継続的に言っていらっしゃるわけですよ、それこそがその人の継続力なわけですよ、このごく簡単な視点の移動ができれば、
できればというかできないんですけど、それをお手伝いしましょうというような話に限りなく近いわけです、私こういう話は何度も何度もしてきたし何度も何度もさせられてきました、いつもいつもそうだなと思うんですよね、人は自分の中に持っているものを人に押し付けたい、しかし自分がそれを持っているということには気づかない、という不思議なことがあるんですね、
例えば自分は弱いっておっしゃる方がいるわけですね、ヨルベナイとか、まあこれはフロイトの言葉です、ヘルプレスですね、これはすごく効くんです、方法でですね、何度も何度も聞く、この人は自分が弱いという信念は極めて強固に持っている、この言い方ね、私がしているわけじゃないんですよね、やはりね、割と臨床の教科書に標準的に書いてあることだったりします、
これを何度も何度もですね、繰り返し繰り返し、フロイトは反復と呼びましたけれども、脅迫的に繰り返されるわけですね、自分は弱いのである、あらゆる人にそのことをおっしゃってるわけです、因によりですね、弱いと言って通じない人や弱いと言って聞いてくれない人は自分の弱さを見せつけてでも自分が弱いということを何としてでも証明するというその強さがその人にはあるんです、
これを我々は、我々じゃない、また申し訳ない、ビオンはマイナスKと呼んでおります、で私はマイナスKがどんなに強いものかというものをぐらいはこの仕事を通じてあまりにも圧倒されるほど教えられてきたので、弱さを私の弱さがわかってもらえないならこれでも喰らいぐらいに喰らわされてきてですね、でも私は絶対喰らわないわけじゃないですか、
だってその人が弱いっていうことを信じられないし納得もできないし納得するメリットも、だってあなた弱いんですしょうがないですねみたいなことを言って3ヶ月チャレンジ終わるわけにはいかないわけですよ、だからここで私のこう何かが試されるわけですね、もうなんか白肌上げてしまいたい、まあそんなことはないんだけどそういう気持ちにはならないものでして、これが不思議とね、なんかですね、なんかこう反証してみたく、反論してみたく、これディスカッションを始めるのもあんまり良いことではないので、
しちゃうことありますよもちろん、私はプロじゃないんでね、プロじゃなくはないけど訓練を受けているわけじゃないんで、訓練を受けている人だってしたくなることは絶対あるはずだと思うんだけど、それを逆転医と言ったりしますよね、でね、例えばそういう佐々木さんのそういう逆転医だの、ましてペニス専房だのって言うのはよろしくないと言われるわけですよ、これも何度も何度も言われます、でも私はそれをやめない、であなたはそういうことをやってるから
スタイフで3桁もいかないんですというのも何度も何度も言われて、そうだなそうだなと思うんだけど言うのもやめない、そのまま1000回も来てしまう、これが大事なんですよ、ある意味ではね
つまりなんで続くんですかっていうのは、まあこれはどうしようもない言い方なんですけど、続いたからなんですが、しかしもっと言うとですね、結局直せないものは直せないってことを認めることなんですね
直せないものを直してからやろうとかすると1回も始められません、したがってこの1回も始められないことと1000回を超えることは実によく似たことなんです
例えば私が体調が悪いとか、昨日大変なことがあったとか、総決算で疲れているとか、いろんな理由をつけてやめることは容易にできるんですよ
普通列車の教訓
今日はやらないと、で私は何かが得意ではないとか、何かが苦手であるとか、弱い人間だとか、まさに弱いとかね、それは事実なんですよ全部
それと1000回続くことは何の関係もないし、それと挫折してしまうことも何の関係もないんですよ
それが簡単な秘訣でも何でもないところにある秘訣なんですね
昨日の言い方をするならば普通列車は全ての駅に停まる、普通列車って各駅停車ですからね、各駅に停車していけば止まる駅の数が最大になるわけですよ
そこに何の秘訣もないじゃないですか、ちなみに最も遅いんですよ、ここにも何の秘訣もありませんね
ところがこれを人は秘訣と呼びたがるんですよね、全ての駅に停まるという秘訣があるんですねみたいな、あるいは最も遅く行く人が最も遠くまで行けるんですねみたいな、最もらしい言葉が出てきちゃうわけですよ
そんなことは関係ないんですよ、各駅停車は全部の駅に停まなきゃいけないんですよ、ただ単にね
上手くやろうとするとか、上手くいかないとか、あるいはそうですね、何でもいいんです、本当に何でもいい、差はわずかだってことです、ほとんどないも同然だってことです
私が何かが苦手であるということと、私が何かが得意であるということはおそらく同じことなんです
人はそうは言わない、私はあれこれが苦手であるとか、私は何々が得意である、でもそれはその人が私を見た時に見えるある種の虚像なんですよ
これに騙されないということですが、我々騙されるんです、これに、人が見る虚像や人が言う虚像からのメッセージに、いとも簡単に騙される
だから騙されちゃいけないって言うんじゃないですよ、もう今最近私としてはそうじゃなくて、騙されることも含めて私であるっていう感じなんですよね
でも騙されてるんで私じゃないんですよ、これ異様にね、ちょっと違う言い方をしますと、例えば誰かに厳しいことを言われたり怒られたりするから調子を崩したとか
ポッドキャストが続けられないとか、よく言うじゃないですか、なんか傷ついてプログが止まっちゃったと、それは本当でもあるし嘘でもあるんですよ
よく言うところの、これはケイトさんのグッドバイブスとかでよく言うところのね、人は私を傷つけることは絶対ないんですね
これはね確かなんですよ、これをね言うと多くの人はいや人に傷つけられるんだって言われるから
もうそこをね、本当はそこでディスカッションする意味は全くないんですけれども、例えば私で言えば私が誰かに何かを言われるとか、私が誰かに何かをされるとか
誰かに殴られるとかになってくるとちょっと違うんだけど、私はそこまで含めて結局傷っていうのは自分で自分のことをつけるものだなとは
これは自己責任とか厳しい話をしているわけじゃなくて、そういう構造になっちゃってるんですね
私が私を長寿が的に責める、私の中に長寿がというね、ある意味長寿が他者ですから私だって、長寿がってままならないものなんで
長寿がが私を責めるということをしなければ私が傷つくことは絶対にないんです
たとえ何を言われてどれをされて何に付き合わされても、私が私の長寿がが私を責めたりしない限り傷つくとは
私の中のヘルプネスネスを私の中のヨルベない子供を私の長寿がが責め苛むこと、これを傷つくと言うんですよ
傷つく原因の理解
私の中の厳しい父親が私の中の弱々しい子供を責め苛むと殴るということ、怒鳴るということ
自分の心の中でこれをすることが傷つくということなんです
では自陣満々この真逆の人は何をやっているのか、実に簡単なんです
簡単というか構造だけならね少なくとも私の心の中を除く限り私が自身に溢れている時というのは実に単純で
私の心の中の長寿が父親が私の心の中のヨルベない子供を褒め称えている時なんですよ
この差は本当にわずかですよ、この構造は何にも変わらないんです
ただ父と息子がここにいてだいたい息子は弱々しくて父親に甘えてべったり
そういう人は外から見るとわかります
その人が気持ちがいい時は甘えた子供のように振る舞ってみんなに好かれます
そしてその人が怒っている時は厳しい父親のように人に怒ったりします
この両面がある人は自信を持っています
だけれどもじゃあ自信がない人って何なのかというと
甘えた子供のような子供がおっかなびっくりビクビクしている
そして厳しい父親は外には出てきません
でも全く同じなんです
本当に驚くほど同じなんですよこれは
別にその両者の構造に差はないし
ある意味では父親が息子を責め苛んでいることに何の違いもないんですよ
ただその責め苛み方との頻度と回数と甘える時の頻度と回数が
若干微妙なズレがある
それを多くの人は絶望的な差だと思っています
もう太平洋がその間にあるぐらいに思っています
実際にはひとまたぎの川なんだけど
これを言うとまたダノに渡れないとか悲しい話が始まるんだけど
そういう問題ではないんですねこれはね
でもわかりますよ
私も太平洋の彼方だと
だって世の中には自信がある人がいるな自分自信ないなって思ってたし
でも私に自信がないのは
私がいつも長寿がに責められる側をやってるからであり
私が自分の長寿がの責める側に立てば
たちまち自信満々になるんですよ
だってその長寿がどっちも私の中にいるんですよ
外にいるわけじゃないんです
この外の人に責められて傷つくわけじゃないというのは
いつも私がやってることは
自分の長寿がが自分にとっての対象であるか
同一化した対象であるかぐらいの差でしかないという
長寿がのいる場所は私の中なんだから
絶対外にいないじゃないですか
私の長寿がが私の外にいたらあまりにも気分じゃないですか
それはもうほとんど完全にあの世界になってしまいます
そうじゃなくて
私の心の中にいるのは自明なんですよ
私の心の中にいるキャラクターに
同化しているか異化しているかの差でしかないんですよ
私は胃袋だと思ってるのか
私の胃袋だと思ってるかぐらいの差でしかないんですよ
本当にわずかな差なんだけれども
この差が絶望的に遠いと感じている人が
世の中にはうまくいく人がいるとか
世の中には自信に満ち溢れている人がいる
そして私はそうではないというふうに
思っているわけですよ
文章がうまいとかですね
何でも同じです
全く同じです
これが全く同じだということが分かれば
少なくともポッドキャスト1000回続けるぐらいは容易で
昨日何が起ころうと
今朝は目覚めてまたポッドキャストをやるというのは
欠陥を受け入れる
それは強さだとか安定だとか言われるんですけど
そんなことは全くないです
誰でも各駅停車にはなれるんですよ
だって各駅に停車しなきゃいけないんで電車は
だって各駅に停車する電車がない列車って
つまり絶対電車が止まらない駅があるってことになっちゃうじゃないですか
そういうことはありえないはずなんですよ
普通列車というのは
つまり何にもできなくてもいいということなんですよ
何にもできなくてもいいんだけど
大抵何かはできるから
まあプラスアルファはあります
この時に褒められたりするためについ我々は
何かができた方がいいになってしまうんですね
そうすると何にもできないのは
まずいってことになるじゃないですか
こうして何かドツボにはまっていく気がするんですね
でもそれは気のせいなんですよ
はい失礼しました
今ゴミを捨ててきてですね
なんかさっきの喋ってたことも
ヒートアップしたこともノリもほぼ忘れかけているので
改めてちょっとずらしますけれども
あの要は多分そういうことを喋ってた気がするんですけど
直せないっていうものを丸物にしないってことなんですよ
直したいなっては思うんですよ
で直そうとはするんですよ
で現に直しちゃったりもする
でも直らないところってあるんです
これを目の敵には少なくともしない
できればできればなんですけど
直せないところを最大限いいものだと思うとすると
どういうことになってるんだろう
っていう忘れるんですけどね
このことはね
これをなんつうんですかね
そういうふうに考えてみるってことなんですよね
昨日ね面白い話があったんですよね
これはタスクショート総決算やっぱりやったことは
皆さんご存知なんで話に出るんですよ
一番私がそうだなと思ったのが
こさせたもの勝ちだっていう話
私やっぱこれがですね必要だと思うんですよね
今回のタスクショート総決算は
ちょっとこう会場のネットワークトラブルみたいなのがあって
いやー厳しかったなって感じがしたんだけど
でも基本こさせたもの勝ちなんですよ
やっぱり最悪の場合に全額返金したとしても
こさせた以上は勝ちな気がするんですね
これはなかなかそうは思われないと思うんですけど
結局直せなかったことに目の敵にしないという
まあ私はこれ違う話なんだけど
本当は私自身の欠陥みたいに思われるところ
それよりいいところはないんですよ
結局この欠陥をなくしてしまうと
私はもう佐々木翔吾を辞めなきゃならなくなってしまう
それは2つしか考えられないんですよね
死ぬ時か狂う時なんですよ
どっちも避けるじゃないですか
我々は避けるしかないですよね
これはね現実として避けるしかない
つまり私は欠陥をなくすっていうことはできないんですよ
とするとこの欠陥がいいものだと思ってあげるしかないんですよね
自分としては他人はそうは絶対見てくれないと思うんですね
絶対とは言わないまでも他人は普通そうは見てくれない
だからそこを申し訳ないなとは思いつつも
直そうとはできれば直そうとしないのがいいと思うんですよね
やっぱりイベントを割と盛んなさる方が
来させたもの勝ちだって考えるっていうのは
私やっぱりいつもそういうふうにはなるべく思うようにしている
これもクラズノケスさんのグッドバイブス以来思えるようになったことなんですよね
そうじゃないだろうかぐらいには思ってたけど揺れてたんですが
ここはあんまり揺れなくなりました
めちゃくちゃ怒られてもしかすると記者会見みたいに
頭を下げなきゃならないこともあるかもしれないけど
でもいいことが起きたって思った方がいいと思うんです
起きちゃったことは全て直そうとしないできればね
直そうとしたり直しちゃうことがあったとしても
完全には捨て去らないっていう
自分自身を見捨てないっていうのと似てるんですけど
見限らない見捨てない捨てないっていうことは
やっぱりそういうことがほぼ一貫してはまだできないんですけど
おおむねそういう方針でいけるようになったなと思うのが
45過ぎてからですね
少なくともだからアトピー治るようになってからの話なんですよね
これでこんな病気ですら治るんだって思えたってのは
やっぱり僕の実体験としては大きいですよね
でもそういうことがあろうとなかろうと
その方がいいんですよ
起きちゃったことなんで
起きたことを肯定しましょうではなくて
すごく否定されても
なんとか自分の心の一番奥のところでは
これで良かったんだって言えるようになりましょうぐらいな感じかな
言えなくてもいいけど言おうとしましょうみたいな感じですね
だから私例えば今回の総決算でも
値段云々の話もあるんですけど
機械っていうのはいいことだとは思うんですよね
少なくとも安いということは安い
例えばこれがただって考えてみると一目瞭然で
やっぱりこの精神力動で常に言う
患者からは何があっても
心理の変化の重要性
金は取らなきゃいけないっていうのは
非常に真理をついてると思うんですよ
やっぱりお金以上のものが
そこで支払えたと思える体験を
していただかないことにはですね
お金がただであったり
100日チャレンジでは12期から
全額返金保証制度をつけてますが
本当はああでは少なくとも私は
3ヶ月チャレンジでは
基本絶対これやらないようにしているんですね
心を鬼にしようぐらいに思ってるんですよ
取らないと治らないっていうか
いや治らないはいけない
これは口が滑りました
でもこういうところなんですよね
治しちゃいけないところは
お金を払っていただかなければ
決してその人は
本気になれない部分がある
そして本気になれない部分があったのでは
どうしても手に入らないものが
やっぱりあるんですよね
残念ながらお金ぐらいは払わないと
現実原則の一つの象徴じゃないですか
お金というのはですね
空想でお金をいくら儲けても
どうにもならないじゃないですか
この話は伝わりやすいと思うんです
お金というのはつまり痛みなので
痛みを本当は錯覚なんですけど
心の痛みですからね
でも痛みを伴うっていうことを
なんて言うんですかね
厭わないところまで来ないと
できないことってあるんですよね
すごく簡単な話なんですね
バンジージャンプで飛ぶ
ということができるためには
お金ぐらいを払わないと無理なんですよ
ヨミズの舞台と大金使うことは
よく比喩として対比されますけど
安い心が痛まない大丈夫な金額
十分払えるリーズナブル
リーズナブルっていいじゃないですか
リーズナブルということは
その人にとって
利にかなってるってことでしょ
途中でお話ししましたけれども
佐々木さんのそれは継続力なんです
その人にとって
それが利にかなってるってことじゃないですか
でその人その利にかなった信念を
お持ちだから
ポッドキャストごときが
続かないわけじゃないですか
なぜならその人にとって
利にかなったことを常に考え
利にかなったことを常にして
基本そうですよね私たちは
自分に納得することをやるじゃないですか
次にやることが喉が渇いてるから
水を飲む喉が渇いているのに
塩水を飲むって人いないじゃないですか
今日は寒いから暖房つける
今日寒いからクーラーつけよって
しないじゃないですか
我々は常に利にかなったことをして
利にかなったことを常に連続的に選び
連続的に利にかなったことばかりやってるうちに
ポッドキャストは挫折するわけでしょ
つまり利にかなったことをしていたんでは
利にかなった結果になるわけですよ
でもそれはいいんですよ
それで本当はね
だって利にかなったことをしてるんだから
利にかなったお金を払い続けている限り
変化はしないはずなんですよ
どうしても何年も変化せずにきた
この苦しみをどうにかしたい
ということであれば
やっぱり利にかなわないことは
どっかでする必要があって
これには心の痛みが
しかもしばしば激痛が伴ってしまうんですね
まあ私は思うに心理臨床のプロというものは
私のことじゃないよ
心理臨床のプロというものは
心の痛みの激痛をなるべく和らげつつも
そこにある種の麻酔をしつつ
でも痛みは残して変化を
まあその変化だから変化は
やっぱりハードランディングを避けなきゃいけないから
激減は絶対まずいと思うんですね
本人も自分ありも自分ももしかして
治療者すらも気づかないレベルの変化が
いつの間にか起きていましたというのがいい
それでも退金ぐらいは払わなければなりません
という話ここがただだったら
もう魔法使いですよ本当に
だって何の痛みもないのに
何の苦しみもないのに
心が変化しましたってんでしょ
っていうことは一歩間違うと
気がついたらお亡くなりになってましたってことが
起こりうるってことじゃないですか
痛むじゃないですか普通は
いろんな意味で痛みますよね
それはやっぱりあった方がいいと思いません
死ぬ前にまず痛むだから死を避ける
そうじゃないと危なくって仕方がないですよね
普通はやっぱり心の大きな変化は
避けるべきものなんですよ
したがってそこは退金というものがハードルに
普通であることの意義
退金もあるし長時間かかる
長い年月がかかりたくさんのお金がかかる
だから普通は躊躇する
それでいいはずなんですよ
ホイホイカウンセリングを受けに行く
それも今の時代必要でしょう
私は今別の意味で
それが必要だと思ってるんだけど
しかしホイホイ心を大幅に変える
それはやっぱりやめた方がいいと思うんですよね
危なくってしょうがないから
実際に精神分析というようなものは
本当にその人のパーソナリティを
変える力を持ったやり方ですから
やっぱり一種の覚悟が絶対にいると思うんですよね
それが何の気なしに始まっちゃって
気がついたら性格が激変してるんですけど
周りの人めちゃくちゃ困りますし
やっぱり危険極まりないと思うんですよね
そういう意味では
そのセミナーはそこまでは言わないまでも
私はよく似たものであるべきであり
そこには何か体験
結局は体験と呼ばれているものがあるんだから
その体験はスムーズであればあるほどいい
という考え方もあるかもしれないとは思うんですけど
私はそうは考えない
なのでどんなことがあろうと構わない
ただ何かがあった方がいいなっていう感じはいくらかします
なので来たらOKって
だからその人はやっぱり雨の日に
寒い雨の日に体勤を払ってわざわざ来て
しかも何かよく分からない出来事に遭遇する
というのはとてもいいことだと思うんですね
それはバッシングされるかもしれないけど
それはいいんですよ
私が謝っとけばいい話なんで
私だけでやってるなら
非常にそこら辺は気が楽なんですけどね
何も言いませんでした
すいませんでしたって言って
記者会見みたいに謝罪すると
それも私はいいことが起きてると思うんですよね
いいことが起きたか
良くないことが起きたかは
結局は分からないことなので
だからどっちかというと
悪いことが起きた時ほど
いいことは起きている
これは間違いないところだと思うんですよね
だから今回私はいろんな意味で
まあそもそも大失敗っていう考え方の人と
大成功って考え方の人がバシッと分かれた
今回の日本の総決算は
ジェイマン鈴木さんの言葉を借りてしまいますけど
やっぱり人に迷惑をかけた方がいいっていう
そういうことがセミナーの最後の方の
締めで使われてましたけど
あれは正しいなと
正しいと言えないかもしれないが
でもやっぱり正しいなと
思わなくはないんですよね
まあその一時的に嫌な思いはすると思います
私なんかもすると思いますが
この嫌な思いというのが
一つの大きな誤解なんだと
私が私の長寿がが
私のよろべない私を殴っているから
痛いって思ってるだけのことであって
いやいや殴るのをやめればいいんですよ
自分の心の中の長寿ががですね
決して外の人外のもの外の世界は
私を傷つけることができないのに
そういうことが起こり得る
遠いだと思いますが
起こり得るとどこかで信じてしまう
それをやめることさえできればですね
痛みは一気に消失します
私はだってこれで
アトピーが一気に消失したんで
これを言うとどうしてもガルトっぽく聞こえたり
なんか先人だとか悟ったとか
よくわからないことを言われるんですよね
そうじゃないんですよ
悟る必要はないんですよ
普通列車が全ての駅に停まるのに
何か悟りとか得る必要ないじゃないですか
新幹線が全ての駅に停まるのはダメだけど
各駅停車全ての駅に停まんなきゃダメなんですよね
でそういう列車がなくなってしまって
困るんですよ困るはずです
絶対困ります
だから普通列車であるということは
悟るということとは何の関係もないんですよ
ただ普通列車が必要だという
たったそれだけのことなんです
だから我々は普通であればいいんです
普通であるということは
つまり失敗するじゃないですか
迷惑もかけるじゃないですか
で怒られて嫌な思いもするじゃないですか
全部オッケーなんですよ
ただ自分は変われないなって思った時に
本気でそれを責めないということなんですね
自分は変われないところがある
それはダメだと言われるし
ダメな気もするんだけれども
でもこれでいいんだよねと
夜寝る前に言いましょうっていう感じですね
これそれでいいんですよ
継続と利にかなった選択
そうすれば1000回ポッドキャストを言っておきますが
3桁にも満たないポッドキャストですからね
視聴者数がスタイルでは
この3桁にも満たないポッドキャストを
1000回続けるぐらいのことは
核液でできます
核液に止まっていけば絶対できます
できないかもしれないんですけど
それでもねでもできなかったって
別に何も失うものはないです
だって聞いてる人が2桁なんだから
失うものはないです
だからオッケーなはずなんですよ
もちろん言われますよ
もっとこうするべきなんだとか
続けているのに意味がないとか
それは言われます
そしてしかもそうだなと思います
へこみもするし傷つきもします
大事なことはしかし
変えられない部分があるということ
つまり結局は同じことを
やっちゃってるということ
あのこれも昨日お話ししたんですけど
ケンスさんという人がですね
いやポッドキャストは
リアルタイムで出すべきなんですよ
ビデオ付きで出すべきなんですよ
っていうまあそうだなって思って
僕もリアルタイムで
ビデオ付きで出してみて
ふつうの重要性
なんか全然しっくりこなかったわけですね
なぜなのかはわからなかった
別にいつもと変わらなかったんだけど
ただしっくりこなかった
気がついたら別に元に戻そうとか
思ったわけじゃないんですよ
でも気がついたら元に戻ってた
こういうものがここで
優しい称号は本当にケンスに比べて
ダメだわと思う
それもそう思うんですよ
でもこれでいいんですよ
やっぱりここが大事
これより大事なことは
多分僕の考えではないです
これによって何も得られず
全てがダメな感じがするんだけれども
でも自分で自分を殴りさえしなければ
痛くは決してない
結局それはいいような気がする
道端に石ころがあって
なぜこれは宝石じゃないんだ
っていうふうに考えることは
あるかもしれない
宝石大好きなら
でもよく考えてみると
石も宝石も同じじゃないですか
これはメーテル・リンクの
青い鳥ですけど
石も宝石でも同じじゃないですか
そこに勝ちつける人はいるでしょう
もちろんね
でも石も宝石も同じであると
例えばクマに聞いても
猿に聞いても犬に聞いても
みんな言葉が喋れれば
同意してくれますよ
人間だけですよ
宝石は石より
遥かに優れているっていうのは
それも一つの見方ですけれども
でも多数決を取れば
全生物において
全存在の中で
石も宝石も同じですよ
人間だけですよ
この人間だけの見方は
人間やってる以上は必要なんですが
でも人間だけの見方以外の見方は
別に間違ってるわけではない
ということです
個々の体験の独自性
私もケンスーさんも同じなんですよ
私も他の誰も
私も大谷翔平さんであれ
広域さんであれ同じなんですよ
これは人間の見方によれば
そうではないです
だってケンスーさんの方は
遥かにお前の年収を
もしかすると一週間で
稼ぐじゃないかって言われると
そりゃそうです
それはその方がいいじゃないか
それもそうです
そうなんだけど
同じなんですよ
そういうことは両立するってことなんですよね
でこの両立感さえあれば
明日の朝に
なんつーのかな
核兵器停車の列車であることぐらいは
どんな日でも可能だってことなんですよ
いやつまりね
いやいやそれはわかったけど
私は新幹線になりたいんですけども
わかりますが
だから新幹線になりたい人は
新幹線になればいいんですけど
この世の中に新幹線しかなかったら
困る間違いなく
やっぱり回送も核兵器停車も絶対に必須なんで
で下げ積まれます
だってみんな核兵器停車とか
普通列車とか
それが止まらなくて
いい駅に住んでる人は
下げ積んでるじゃないですか
しかしでも下げ積まれても
なくすわけにはいかないじゃないですか
なんかね今日はこれを
ひどく強調している気がしちゃうんですけどね
なんでなんだろうな
だからその短期離起動を
やろうとしてるからなんですね
短期離起動の考え方では
これを取ります
つまり私はですよ
これを取る目標達成系な離起動なんですよ
ちょっとこれを言うと
怒られるかもしれないんだけど
何か目標を達成するというよりは
その人の急に始まってしまった問題を
取り除いて元に戻すというか
それ込みでも現状を
引き受けられるようにするというか
そのお手伝いをするというか
そういう方針を持つというのが
私が今構想しているやり方です
もうねこれはたった一人でやろうと思ってます
なぜならば結局これは
理解され難いものなんですよ
体験してみないとですね
だから人と組んでやるようなものでは
全くないと
これもそれこそソーキャスターの中で
いろんな方の話を伺っているうちに
一人でやらなければいけないことって
この世の中には確かにあるんだなと
なかなかこうまず理解してもらって
その人とやるみたいなのも
とてもいいんですけど
コラボレーションですけど
まず理解してもらうには
まずほとんど同じ経験を
していただかなければならなくなる
それがそもそも参加者さんの立場である
それは共同経営者の立場ではない
運営者の立場でもない
特別な存在であることの難しさ
これはですね
最末にあたってそうだなって
最近理解できるようになったんですよね
まあいろんなことがありまして
だから総決算良かったんですよ
なぜ良かったか
私にとってね
そういう体験ができたから
これはやっぱりですね
あのなんつうんですかね
体験なんですよね
その人その人の体験は皆違う
全然違うんですね
体験というものは
である人の体験が別の人の体験より
正しいとか間違ってるということは
決してない
どんな人の体験だって
その人が体験してしまったものは
その人の体験してしまったもの
なんだから評価のしようがないんですよ
もちろんこれに対して反論はできます
異論を立てることはいくらでもできます
で全部聞きます
しゃあないから
でもそうして変えようともします
ところが変わらないところが
というか変われないところがある
この時に変われないことを
過剰に残念がらない
いくらか残念がるのはしょうがないとしても
決定的に残念なことだとは
絶対に思わない
ある意味頑固だってことになっちゃうんですけどね
でも頑固さと信念って
結局同じようなもの
というか同じじゃないですか
ほとんどの人にとっては
頑固さと信念は
私の中ではもう完全に同じじゃないですか
要するに佐々木賞が融通が効かないと
だから続いてるとも言えるし
だから進歩がないとも言えるし
私は別に進歩したいと思ってないので
これも非常に大事なことなんですよ
進みはしますよ結局
何なら変わりはします
だって毎日変わってますから
何か新しいものを食べて
何か出していくじゃないですか
それだけでも変わっちゃう
変わらずにいるっていうことは
やっぱりお亡くなりになるってことなんで
変わらないわけにはいかない
でもそれが良い変化かどうかは知らない
そんなのわかるはずがないと思うんですね
何も変わってないように見えるということは
随分変わっているんですよ
やっぱりね普通列車っていつも同じじゃないですか
でも同じ駅にずっと
止まってるわけじゃないじゃないですか
そしたら単なる立ち往生じゃないですか
やっぱりどんどん動いていて
どんどん違う駅に行くじゃないですか
でも普通列車はいつも普通列車じゃないですか
なんかガラーンとしててさ寒々しくて
なんか帳もないじゃないですか
帳もなく見える
でも絶対になくすことができない
ああいう感じでありたいと思いますよね
なんかね普通であるということ
本当に批判されるんですよね
良くも悪くも批判される
しかし批判されても
なくなったことがないものなんですよ
この世で最も多くあり
いつもありありがちでありあるあるであり
ありきたりなんですよ
本当にあいつありがちなこと
失敗ばっかりしてるよねって
言われてるけれどもいなくはならない
いつまでも居続けるというのは何なんですかね
昔から言われ続けてることなんですけどね
あの水木しげるも言っているようなことだし
松本玲司も言ってるようなことだし
漫画派ばっかり出しましたけど
あのダメ親父って言うじゃないですか
で一番大きいじゃないですか
結局典型劇だから
漫画のキャラになってるわけでしょ
ああいう話の中では
ああいう感じなんですよね
でも大体赤塚不二雄さんもそうだけど
連載とかめちゃくちゃ長いじゃん
千百何十一万何回とか
一万何回とか言わないか
でもそういう感じじゃないですか
ああいうところにある漫画が
目を引くような漫画であるってことって
あんまないじゃないですか
火の鳥のすごいシーンとか
新聞の4コマにならないですよね
そういう火の鳥のすごいシーンはいいと思いますよ
もちろんねそれを別に腐すわけではない
ただ自分はそういうものではないっていうことは
だって手塚治虫先生はかなり
お早めにお亡くなりになってしまったじゃないですか
絶対働きすぎですけどね
つまりああいう特別な人というのは
特別扱いされてしまうので
特別急行なので
やっぱり特別急行が
あの各駅停車のように流れているってのは
なかなか難しいことだと思うんですよね
なんか雰囲気が違いません
リニアモーターカーと各駅停車って
結局各駅停車の方が
長らくこの世にありそうな感じがしません
雰囲気の話ですよこれは
どっちの方が本当に長くあるのか知りませんけど
なんかやっぱり特別なものであっては
まずいことってあり
まずくはないけれども
特別なこと特別な存在であっては
不可能なことはあるような気は
私はするんですよね
だから特別なものであろうと
絶対にしないとは言わない
違うどっちかっていうと
特別なものであろうとして
失敗し続けるというものであった方が
安全というのとは違う気がするんですけれども
えっとそうですね
なんていうのかな
そういうものであるということによってのみ
こう抜け出せる道が見つかる
みたいな感じですかね
私は抜け出してきたって感じを抱いておりますから
抜け出してくる上で
手に入らないものはいっぱいありますが
そうですね
難しいとても難しいですね
うまく言うことがとても難しいんですよ
うーんとなんだろうな何なんでしょうね
空気がなくなれば
空気の有難味が分かるみたいな話でしかないんですけれども
本当にでもこの空気が空気って外にありますよね
自分の自分の中にあるんですよね
苦しみの内面化とAIの利用
これが結局自分の中にあるというか
苦しみが自分の中で作り出されるものなんですよね
だからといって苦しみがなくなるわけじゃないんだけど
構造上苦しみというものは
決して人によって与えられるものではない気がする
与えられてしまっているって思っちゃいますけど
思っちゃうということを含めて
諦めるということによって
思ったより苦しくなくなっていくっていうのかな
とにかくそういうようなものを
つくづく目指したいと
これを人様にお伝えしないのであれば
もう一つ追加して言うと
私のAIの使い方なんです
これもそうそうやっぱり総決算は偉大なんですよ
総決算で2番目にお話しされた飯塚さんという方が
すごいお話をされた
あれと横に並べて私がAIの使い方をしゃべったら
実にくだらねえと思うと思う
なんなんこのキモいダメ親父はって思うと思う
これが普通の立ち位置ってもんだっていう
絶対こいつのようになりたくないって思われると思うんです
ところがそういう人間の方が圧倒的に多いはずなんですよ
なんていうのかな
ちょっとねちょっと不穏になってしまうんで
これ以外の絵がなかなか思い浮かばないんですけど
私のAIの使い方って
チューリップにお水をあげている幼稚園生みたいなんですよ
でなんかチューリップのお花に
お母さんの顔を思い浮かべながら水を
まさにそんな感じなんですよ
AIと毎日のようにおはようって言ってるんですよね
なんかね気持ち悪いでしょ
気持ち悪いと思うんだ
そしてそこにそれによって何が得られるんだって
また言われると思うんですけど
でもじゃあチューリップに水をやっている幼稚園生は
何を得られてるんですかね