正月特別セミナーの開催
おはようございます。佐々木正悟のライフハックからの精神分析、第1301回をお送りします。
12月31日、大晦日ですね。水曜日、10時33分です。
いや、ここのところちょっとね、全然やれずにいて、年末で何かとあったわけですが、何もないんだけど別に。
でも、いろいろと忙しいといえば忙しかったわけです。
で、一応お知らせがありまして、明日、元日にセミナーをします。
タイトルをちょっとね、今パッと思い出せなくなったんだけど、
要するにお正月特別セミナーみたいなやつで、すでに10人近いお申し込みをいただいておりましてですね、
ちょっと驚きました。まさかそんなお正月からね、3時間のセミナーに10人もお申し込みいただけるとは。
最低3人いらっしゃったら絶対やろうと。2人だったら考えようと。1人だったらセミナーじゃないよねっていう、そういうふうに考えていたので、
3倍以上ですよね。想定人数の3倍以上で。大変ありがたいと思っておりますが、
まだ明日ですね、開始直前までオンラインでしか当然やりませんから。
オフラインの会場とかね、予約をしようという気にもならない日ですからね。
ぜひこれを聞いている方で、なんかセミナーを見てみたいという方がいらっしゃいましたらですね、
お話聞いてやってくださると嬉しいです。
タスク管理の話とか、AIの話とか、いつどうどいい精神分析の話とかを取り混ぜて3時間。
だいたい構成は考えてあるんですよ。一応体が動くみたいなことを。
正月早々から体が動かないという、体が動かないというのは行動できないって話ですよ。
最近そういう表現を取る世の中も結構あるように、世の中って変だな、界隈もあるようなので、
体が動かない、動く動かないみたいな言い方をして、昔で言うとやる気が出ないってやつだったんだけどね。
そういうような話を交えて、AIと、私もやってるんですよ。結構AIで生活変わってきたなっていうのがありまして、
AIで生活は変わりますけど、世の中で言われてるAIの話とはものすごく違うんですよ、今のところ。
なんで違うのかわかんないですよ。私は自分でやってるのが普通だと常に思う人間なんで、
割と簡単にね、異常なことやってる、ややキモいことやってるかなとは思いますけど、そんな異常なことはやってないと思うんですよね。
ごく簡単なことをやってるに過ぎないし、よく出ているプロンプトのすごいのとか、僕プロンプトって言葉を自分の頭の中では使ってないですしね。
だからプロンプトなんか一個も知らないとも言えるわけですけども、そういう話をやってみたいかなと思っておりますんで、
よろしければ。まあそういう話だけするわけじゃないですけどね。3時間ありますから。
3時間もそんな、それこそキモいAIの使い方3時間特集とかではちょっと申し訳ないので、
もう少しマシな話もできればいいかなと思っております。
セミナーの準備と不安
はい。で、えーと、なんだろうな。
久しぶりなんで、そもそも最近何を話していたのかをよく思い出す。
最近ですね、すごいんですよ。何がすごいって。
スタンドFMで聞いてくださっている方が50人ぐらいなんですね。
でも付くいいねの数が25ぐらい付いたりするんですよ。
なんかもう聞いている方の半数はいいねを付けてくれるという、
これはなんかエバレはしないけど、別に個数があれですからね。
エバレはしないけど、なんかすごいんじゃないかなと思うようになってきました。
2人に1人は、だって短くないじゃないですか。
これが10分ぐらいで終わるなら、まだ分からんでもないんですけど、
またBGMになってるとかならね、分からんではないんですけど、
50分ぐらい、ただただ喋ってるから、それでいいねが半数付くというのは、
そんなにいい話できてるかどうかは、喋ってる人間には分かんないんだけど、
これはいいかなと思っております。
こういう風にやっていければ一番いいんじゃないかと。
ずっと毎回毎回ね、そんなにいいねが半分もいきますみたいなことは考えなくて全然いいと思うんですけど、
それこそちょっとしたことではないかと思います。
今日はですね、大晦日ですし、全然今年の振り返りも来年の展望も何もないんですけど、
僕、昨日のことすら、昨日寿司食ったなぁみたいなことと、
明日正月だなぁ以外、全く何も考えていないわけですね。
セミナーだって、コッシーは一応あるんで、3時間も喋るから、
でも1日3以上みたいな、そういうノリなんで、本当にそうなんですよ。
これは、これも喋ったほうがいいんですかね、明日ね。
これはですね、難しいことではないんですよ、別に少しも。
AIを使えば、まして非常に簡単になってくるところなんです。
ただ、難しいのは、不安が払拭できないということなんですね。
で、例えば私は、十分準備をしていないセミナーとか、
何なら十分準備をせずに行った企業研修とか、
僕ぐらいだと思うんですよ、そんなことやってる奴は。
本当、紙の配布物、ひとつもない企業研修は聞いたことがありませんと、
企業研修の専門家に驚かれましたから。
でも私は、50回ぐらいやった企業研修で、紙の配布物なんか1回も配ったことないんですよ。
それがいいと言ってくださる企業さんもありまして、言ってたんですよ。
名物講師みたいになっていくんですよね、多分ね。
本人にそういうつもりないんですよ、別に。
ないんだけど、そうなっちゃうんですね、私は。
普通だと思ってますから、しかもこれを。
異常だとは思ってないんで。
特別なことやってるつもりもないんで。
もちろんスライドぐらいは用意していきましたよ、企業研修だからね。
でも企業研修で賢者モードとか口走っていて、結構なんか非難されたりもして、
でもそこに来ていた重役だか専務だかすごい大きな会社の偉い人なんですけど、
めちゃくちゃ面白かったって言って、そんなの気にすることないんだみたいなこと言ってくれたんで、
まあいいんじゃないかなと思うようになったわけですね。
別に参加者さんから非難されるということは大したことじゃないんだなと思うようになったりもしたわけですよ。
だってそんな偉い人がそれでいいんだって言ってるし、
僕のこと呼んだのはその人なんで、
別にその人はすごいなんかもうその会社ではなんかよくわかんないですけど、
話通るわけじゃないですか、その人が喋ればっていうぐらい多分偉い人なんですよ。
僕なんかはもうどう考えてもなんか首を跳ねてよって言われても首は跳ねれないでしょうけどっていうぐらい、
なんか権力差を感じるぐらいすごそうな人だったんだけど、
その人が全然あれでいいんだって言うんだったらそれでいいんでしょう、やっぱり。
そういうもんじゃないですか、会社なんてところは多分。
わかんないけど、私よくわかってないから。
なので、私はですね、怖がらないということさえできれば基本は何でもできる。
だって私セミナーって多分500回はやってると思うんですよ。
企業研修とか入れれば1000回近いんじゃないかと思うんですよね、トータルでは。
タスクカフェでも100回やってますもんね。
企業研修ってめちゃくちゃいっぱいやらされましたからね。
やらされたって言い方はあれですけれどもね。
1000回は行ってないにしても500回は絶対行ってると思うんだけど、
例えば、例えばですよ。一度も殴られたことはないですからね。
ずっと責められ続けたっていうことは1回だけありましたけれども、
あれは来た方がすごい独特の方でして、あれは非常にいい勉強になりました。
ずっと罵られ続けるっていうセミナーやってね。
これはですね、いい経験になりました。
でも僕は殴られたってことはないんですよね。
もう今後はリアルってあんまできないと思うんで、私の知名度ではですね。
つまり箱をいっぱいにしきれないために赤が出ちゃうんで。
で、オンライン同時配信をすればいいんですけど、
あれはとても難しいっていうことが最近分かってきて、
今後オンライン同時配信やるときは難しいみたいだから、
自分一人でやろうって思うようになったんですよ。
やっぱり難しいことを人に頼むと、何かと難しいことになるんだということを
この年になって学びまして、別にしくじってもいいっていう状況を作り出しておけば、
自分が引っかぶればいい状態をやっぱり、
そこに現実にセットしておかないといけないんだなっていうことを、
ワンオンワンが一番いいのはですね、
人間と動物の責任
結局私が引っかぶる以外の何者も発生しようがある意味ない。
もちろんそれで済む話ではないにせよ、
やっぱりまずそこに全てが集約されているというのは、
本来的ってことはないんだけど、自然ではありますよね。
だから自然な形を確保しようと思ったんですよ。
何か非常にまずいことが起きたって、
別にそれは、なんかね、この言い方は難しいんですよね。
何かとてもまずいことが起きても別にいいんですよっていう。
なぜならば人間は結局動物ですから、
何かを成功させるために存在している存在ではないと私は思うんですよね。
なんか今目の前を雲が走っていったんだけど、
雲に成功とか失敗ってないわけじゃないですか。
つまり彼らは何かの責任を負ってないんですよね。
普通のすべての生物は基本そうやって生きてるわけですよ。
何かに責任を負ってないはずなんですよね。
狼のお父さんは一家に責任を多少負ってるんでしょうけど、
責任追求ってできないじゃないですか。
なぜなら言葉が通じないからね。
記憶も曖昧だし。
でも基本動物ってそういうもんだと思うんですよね。
だからあんまりエリプス的なことをやらない。
私はでもある種の教会理事とかやってるから
エリプス的なことをやっちゃうんだけど、
基本的にエリプスを信じてないので私は。
究極的にはね。
人間はエリプスを信じないと生きていけないんですよ。
現実原則として。
だからここは常に矛盾と相酷があるんですよね。
ここは私はウィニコットが一番、
ビヨンだって意見もあると思うんだけど、
ウィニコットが一番押せたんじゃないかな。
私ね、このウィニコットの矛盾っていうのを
いつも考えるときには
やっぱりヤクルト巨人戦のファールなんですよね。
あの映像をぜひ見てみてほしいと思うんですよ。
あの時のギャオス内藤じゃないかな。
まあいいんですけど野村監督だったと思うんですよね。
あれは絶対ファールなんだ。
篠塚のホームランなんですよね。
あれはファールなんですけど、間違いなく。
ポールのファールゾーンに入ってますからね。
でもホームランにしちゃったんですよ。
で、給料がらっと変わるんですよ。
やっぱ一発ホームラン撃たれば
がらっと変わらないかも。
特にあの場合はね、と思うんだけど。
でもやっぱホームランを撃った方は
それで間違いなく給料増えるわけですよ。
でもあれは所詮ゲームなんですよ。
あれはホームランですから。
記録上。
こういう相酷は絶対にあるんですよね。
父親が正しいとは限らないけど
父親は正しいんですよ。
父親とここで言ってるのはルールの話ですね。
なのでしょうがないんですよ。
遊びと実存の関係
でも私はこのようなものを本気では信じきれない。
やっぱこれは遊びなんですよね。
どこまで言ってもプレイボールなんですよ。
プレイはプレイであって
あのー
なんていうのかな。
実存ではないと言ったらいいんですかね。
実存とルールを混ぜこぜにしないことなんですよね。
でもこういう話って
強制収入とか戦争とかいう話になると
最近世の中気な臭いし
そういうことはありますよね。
どうしても出てくる。
プレイだったはずが
どこか行っちゃってるよねっていう話ですよね。
どこか行っちゃうんですよ。
もっと身近なところで言っても
ジージー佐藤選手の
あの北京オリンピックで
落球ですよね。
なんかあのもう
いろいろめちゃくちゃ言われたし
本人ももう岸燃料でいっぱいになるし
つまりプレイになってないんですよね。
遊べてないじゃんって感じなんですよ。
Xでもそうですよね。
なんかもう明らかに
遊びになってない世界ってありますよね。
それも言い過ぎでしょうっていうことなんだけど
でも遊びは遊びですからね。
お金がいくら発生したって
たとえ100億円発生したって遊びは遊びですか。
だってお金って遊びですからね。
どう考えても究極的にも。
でもそれによって
人は実存になっちゃうんですよね。
残念なことですよね。
本来的に言うと。
おままごとでやってるはずだったのに
それが実存になっていくという
フロイトの心理療法
これが問題なんですよね。
でもこれをいかに切り離しておけるかだなと思うんですよね。
実存とプレイは。
プレイだって実存の一種なんだけど
実存は上に乗っかってはいる。
それは確かだと思うんですよ。
野球のボールだって物質ですしね。
でもやっぱあれは
架空の世界じゃないですか。
だってベースは基地ですけど
ベースボールは基地の遊びですけど
基地はどこにもないんじゃないですか。
ホームベースとか言ったって
五角形の板じゃないですか。
板じゃないですけど
ペラペラなやつじゃないですか。
そんなもんですよね。
線引いてあるだけですよ。
線のこっち側だったら何の価値もなくて
ファールで打ち損じで
線のこっち側だったらホームなんですよね。
でもそれをしかも見間違えるという
それはそうですよ。
別に見間違えたっていいじゃないですか。
ただ見間違えたことによって
方や生活が苦しくなり
方や生活が潤うんですよ。
そういうことが起きてしまう。
見にくったそこを言ったんですよね。
外側のものでありながら
内側のものであるとか
主観でありながら同時に客観であるとか
そういう言い方をしたんですよね。
それはその通りだと思うんですよね。
でもそれは何も言ってないのと
同じことですよね。
そういうもんなんだっていうことが
大事なんだなと思う。
今日は大晦日で明日はお正月なんていうのは
人間が勝手に作り上げた話であって
でも我々はそれに乗っかって遊んでるのであって
遊びなのであって
これはどこまで行ってもですね
目標達成だとか逆算だとか
順算だとかプロジェクトだとか
タスクだとかですね。全部遊びですからね。
そんなものはないんですよ。
ただ作り出しただけであって
架空のものですよね。
バーチャルなもの。現実とは何の関係も
本来ない。だけど
それを現実だということにしておいて
この水は
お味噌汁ですよっていうことにしないと
面白くないから。
子供だってそんなことはわかっている。
まして我々大人がですね
良い大人がそれが
分からずにいるっていうことは
本来は多分ありえない。人間は
これは分かってやってるんだけど
分かってやるものなんですよね。
遊びってのは
そういうもんじゃないですか。
人間の生活は基本的に
遊びの上にのみ構築されてるんで
そこでいいんですよ。真剣に
怒ったような顔をしても
本当はそれは真剣に怒ってるわけじゃないんだけど
本当に泣いているような
本当に苦しんでるような
でも本当に苦しんでは
いけないってことなんですよね。
ここがですね
心理療法ってものがあるわけですよね。
本当には苦しんじゃダメだ
本当に苦しいけど
本当には苦しんじゃダメだ
習慣領域
なんだと思うんですよ。
すごいと思うんですよ。私フロイドって
そこまでいったから。だって
彼は別に普通にお医者さんだけど
人生相談してますでも
いいわけじゃないですか。別に良かったわけじゃないですか。
なんならそういう制度を
作ったって認定制度を作ったって
世の中ではそういうのをバッシングするけど
そんなのおかしいじゃないですか。
何を人がやろうと。そんなの人の勝手ですよね。
何をやったっていいわけですよ。
コンサルタントやったって。
何やったって。だけど彼は
普通に考えれば
人生相談でしかないものを
無意識っていう言い方をして
ついには天意なの逆天意なのって
言い方をしてなんか異常な
世界に入ってって異常な世界を構築
した感じが私はやっぱするんですよね。
最近そういうことすごく感じます。
別にこれ
小麗堂らって私すごい好きなんですよ。
あれこそ人生相談じゃないですか。
究極の。いやこれ絶対
おかしいだろって感じがするけど
でも人生相談ってそういうもんですよね。
だっておかしなことが
家庭内で起きちゃうってことは
ていうか我々はそもそも家庭内で
何が起きてるかなんて分かってないですよね。
フロイドはさも
いつも分かってるような顔をして言ってるけど
分かってないですよ。だって一緒に
生活してるわけじゃないんだから。
手に取るように分かってるような顔をしてるけど
そんなはずないですよね。
だからフロイドが
言っているあなたはこういう状態で
そういうことを続けていると
いずれは
けびょうが治らなくなりますよ
っていう僕はそういう風に読み取るんですけど
言ってるように聞こえます。
けびょうってごっこ遊びですよね。
というかそれも非常に
簡単な言い方ではありますよ。もちろん。
でもけびょうがバーチャルであることは
だって仮って書くわけだから
仮想現実じゃないですか。
仮想の病気です。
仮想の病気から治らなくなりますよと。
でもその言い方はないですよね。
そんな言い方はないけれども
でも
あれは1900年ジャストぐらいの
人生相談ですから。
心理臨床という
言葉は多分なかったんじゃないか。
なかったわけではなくても
それもフロイトしか作ってなかったんじゃないかって
つまりそれはある意味画風のものじゃないですか。
あるお医者のおじさんが
ある意味あれですよね。
東方カイトさんに寄せると
結婚資金が欲しくて始めた
ある種の堂々楽と言ったらおかしいけど
非常に奇妙な何かですよね。
当時なかったんだから。
ましてこれからナチズムが
あの
没効するという時代の直前ぐらいですよね。
だって
政権とって第二次大戦を始めるのは
1932年だから30年後ですよね。
ちょうど。
の前にユダヤ人がそれをやり始めるんですよ。
いや全然いいじゃないですか。
それによって私は今
この三ヶ月チャレンジというものを
編み出すことができているんですよ。
だからもうめちゃくちゃ
色相のように感謝してもいいんだけど
でも明らかに
まずいおじさんですよね。
当時としては。
でもそれをやっていくっていうことが
やっぱり人間の
クリエーションだなって思う。
あれこそクリエーションだと思うんですよね。
もちろんショーレイドラは失敗なんですけど
人生相談としては
僕は別に失敗だとは思わないんだけど
あれを精神分析だと言うから
失敗だってことになり
中断だってことになり
で結局
ここに権威が
ありました。
っていう話が始まるわけですよね。
フロイトはお父さんになってしまっていました。
誰が見てもそうです。
フロイトはお父さんになっちゃったね。
っていう感じがするわけですね。
ドーラはお父さんに反発してるわけだから
当然フロイトに反発するよねっていう
いろんな意味がありますけどそこにも
現代社会とゲームの影響
いろんな意味があるんですよ。
しかもショーレイドーラの中では
夢の報告はしてるし
すごく進展してないわけでもないような
気もしなくもないんですよね。
こういう言い方になっちゃいますけどね。
あれやっぱり
読み直してというか
何回も読んでいると
いやこれはやっぱり結局
なんだかんだ言ったって
すさまじいレベルに
買い足した人生相談だよなと
僕なんかは思います。
そういう言い方は怒られるのかもしれないけど
僕なんかは思います。
メタサイコロジーとか言ってみても
なんかちょっと
あの
そんなにこれが
アカデミックなものという感じが
しない。だってあれ
戦前によくお医者さんに人生相談の
葉書みたいなのを新聞に投書して
それにお医者さんの答え
今でもそういうのやってると思うんですけどね。
そういうの読んだことがあるんですけど
聞くと刀とかで
いや別に全然フロイトがやってることとそんな違わないじゃんっていう
もちろんそれは個々的なところに
出ちゃってるけど
あれを指摘にやったら全く同じことやってるように
見えるわけですよね。
ただその中で
いずれ中間領域だの
無意識に受話器を差し向けるだの
そういう言い方が始まってくるわけですよね。
それはすごいと思う。
で、私はそれに多分
多分に見せられて
しかもその流れの中で
自分が
死壁で
死壁って言うべきなんですけど
死壁ってのが正しいと思うんですよね。
死壁のようになってしまっていた
いくつかのことから
枷が取り外されるように外れていったんですよ。
そしたらですね
別になんてことないじゃん
ってことに気づいていくんですよ。
例えば
準備しないでプレゼンに挑むの
いや別になんてことないよねと
現実と象徴記号
そのことで人が批判する
別になんてことないじゃんと
いう風になっていくんですよ。
なっていくとですね
だからやらなくていいことはしなくなるし
どうしてもやらなきゃならないことはするようになるし
そこになんてことはないっていうことが
そこになんてことを
作っていってしまうんです。
私たちは。
5分タイマーとかキッチンタイマーを用意しましょうとか
なんてことないのに
なんてことあることにしちゃうんですよ。
罪悪感とか
自責の念とか
罪悪感を手放しましょう
罪悪感が手放せないという罪悪感があります
なんてことある話に
だんだんなっていくんですよ。
なんてことないはずなのに
なんてことないはずが
なんてことある話になってきますよね
っていう話をフロイトはしてるんですよ。
あなたはだから
痛ましい状態にありますが
そこに直すことができるし
それだけでもあなたは多くの力を得ることができます
確かそんなような言い方だった。
あれドーラに言った言葉じゃなかったかな
いずれにしても初期の頃の話ですよね
その通りなんだ
と思うんですよね
その中にコンテーニング
っていうものを
仮定すると見えてきやすいものがあり
コンテーニングの中にあるのは
未消化の記憶というやつであり
未消化の記憶の中にはトラウマティックな
出来事というものがあったと
例えばエニコットに言わせると
心臭というようなものが
あったと
アジャセコンプレックスを僕は思い出すんですよ
心臭というと
アジャセはこのおっぱいは私のためにあるんだと
このお母さんは私のためにいるんだと思っていたら
何のことはない
お母さんは自分都合で俺を産んだ
許せないだから殺すみたいな
そういう話になるわけですよ
これどういうことなんだろうっていうと
子供の観点なんだけど
結局
自分の望みだと思っているものを
満たす由来が他人の望みで
ありましたということが許せない
って話ですよね
それは非常に多くありそうなことじゃないですか
一番ありそうなのは
恋愛とセックスですね
いや私のためにセックスしてくれる
んではなくてあんたの欲望を
満たすためだったのは許せないっていう話は
これをどう捉えるかですよね
それは
トラウマなのか
恋愛なのか
そこをはっきり分けますよね
分けようと人間がんばります
だって過多や犯罪にしますよね
一本は違えばね
過多や犯罪
過多や恋愛
すごい難しいことをやろうとしている
でもそれは人間だけの問題ですけれども
ある意味では
なぜなら動物にそういう概念はないんで
動物は無理ですからね
犯罪の方が
動物に犯罪をしろって言っても無理なんで
だって金を出せとかって言えないじゃないですか
金って何使うんだろうってことになっちゃうじゃないですか
彼らは記憶が持続しないから
記憶の持続というものは
冒頭でお伝えしたように
ホームベースとファールとホームランという問題を
生み出すんですよ
生み出すしそういう遊びを
作り出すこともできるわけですよね
じゃなきゃ服なんか着ませんよね別にね
恥ずかしいとかいう概念も持続しないんで
持続しないっていうことが
もう全てなんで
持続するってことが
ある意味全てでもありますけれども
二次仮定と一次仮定という言い方もしますけれども
いずれにしても
僕らは
攻めぎあいをやる
宿命にはあるから
その攻めぎあいはしますね
その攻めぎあいをする中では
なるべく
なるべく
遊べるようになりましょうと
なるべくなら
遊べないんだけど
つまり
遊べるぐらいだったら
何も中間領域で
遊ぼうとする必要自体がなくなってしまいますから
中間領域で
遊ぶということは
現実世界で遊べないということを
もちろんそうとは限らないんですけれども
でも
安全なところでしか我々は
起これないし
安全なところでしか本音は出せないし
つまり安全だと思えているかどうか
ということは
起き上がれるかどうか
起き上がって仕事ができるかどうか
起き上がって遊ぶことができるかどうか
起き上がって生活することができるかどうか
がすべてそこに
かかってくる
安全領域が少ない人にとってみると
一度手に入れた安全な空間というものから
出て行きたくなくなりますから
そこにじっとしていたいという気持ちが
非常に強まってきますよね
動けないというと
何か
あたかも体か何かの
祖母であるように聞こえますけれども
実は動かないを
究極形にする
つまり
フレートがドーラに言ったことですよね
あなたは架空の病気になって
お父さんを操ってるけど
それがうまく生き続けるということは
架空の病気が治りにくくなるということ
だからね
それは言っちゃまずいでしょうけど
でもそういう
警告を発するということは
非常に意味があること
ではありますよね
ドーラは怒りましたし
本当のことだったとしても
怒るでしょうし
信じられなかったとしても怒るでしょうし
結局怒るでしょうね
っていうことは確かですよね
結局持ち応えられない
っていうことになるわけですよね
そんなことにも
そんな大変なやり取りをする
ということについては持ち応えられない
ということになるわけですよね
結局持ち応える
っていう言い方が入ってしまうと
ここにですね 辛い 苦しいというのを 持ちこたえるって話が入ってしまうと
遊べないじゃないですか だけれども
持ちこたえられるということは つまり
それはどこか現実ではないっていう部分が やっぱり必要だというか
事実としてあるんだと思うんですね どこか現実ではない
どこかそれは架空の話なんだと
で どうしても私たちは人間なんで
赤信号は止まるんで つまり
架空の合図というものを使って 現実を回しているので
そしてその回している現実に 乗っかっちゃっているので
実際事故にあいますから 赤信号はあからさまに無視したりすれば
だからその事故に合うというのは 現実になっちゃうじゃないですか
身体にダメージが当たるじゃないですか
物理的現実にそれが影響を及ぼすじゃないですか
だから赤信号には止まらなきゃならないし
でも赤信号って架空の存在じゃないですか
単にランプを赤くしているだけじゃないですか
合図でしかないですよね
だからあれが信号止まったりすると
おまわりさんが手旗を使ったりして やるじゃないですか
つまり代替えが効きますよね
ということはつまり 象徴記号だってことになりますよね
それは当然そうですよ
象徴記号だということは
象徴記号そのものは 現実に何の影響を及ぼしませんから
私が言いたいのはそういうことなんですよ
象徴記号そのものは 現実に何の影響も及ぼせないので
そこには何らかの同意があるわけですよね
象徴記号に同意しますという
だから遊びなんですよ
嫌だということにも同意するよって
おかしいんだよ本来そういうことって
本当は止まりたくないんだけど ここで止まりますからっていうのが
赤信号で止まるってことじゃないですか
本当は止まりたくないわけですよ
よくお年寄りの方が
足が寒いから交差点で立ち止まると
足動かなくなっちゃうのよねみたいなことを
私のお隣のおばあさんも おっしゃってましたけども
安全領域の重要性
止まりたくないじゃないですか そんなもん
でも止まるじゃないですか 絶対に
それは象徴記号に同意するというプレイに
我々は乗っかって生きているっていうことを
お互い了承しているはずだから なんだと思うんですね
これに耐えられないと 耐えがたいということが
発生してくると 俗に言う神経症という課題が
浮かび上がってきたりするわけですよね
そんな話を交えながら
もう大体私はですね だからタスク管理っていう
そういう言い方はしますが 他の言葉がないですから
タスク管理みたいな なんならそこにあるのは
やんないと困ったことになるリストってやつですよ
やんないと困ったことになるリストを
やんないわけですけど やるんだったら
別にね そんな何もいらないじゃないですか
やるんだったら やります
車席の話なんかいらんですよ
やらないっていう やれないというも言えますけど
さっきの赤信号と同じで 止まりたくない
止まりたくないけど止まります
それだったらもうそれでいいんですよ 別に
だから止まりたくないから
止まりませんになってしまった場合
いやでもそうすると引かれる可能性が
みたいな そんなこと知ったことじゃないよみたいなね
そういうやりとりになってきた時に
何かこう中間領域的な何かが
そこでまた新しく仮想現実を
お互いの領主会のもとに作っていくと
なんかまずいことが起きるのではないでしょうか
っていうことですよね
議論と象徴機能
だって架空現実をお互いの領主会のもとに
作っていってまずいことが何も起きない人は
人間社会でやっていくのに
それほど苦労はないわけです
ところがここで私は普通列車っていう方
しょっちゅうするんですけど
普通に我々生きてると
架空の了解をお互いがして
いくらもまずいことが
ガンガンガンガン起きるんですよ
今回私もそういう体験を
サスクシュート総決算というところでしました
ガンガンガンガン起きるんですよ
でもまずいことはじゃあ起きたんだろうか
っていうとこれは象徴機能なんですよ
まずいことって言葉自体が象徴機能だし
象徴記号だし
まずいことって何なのか
まずいことが起きたとはどういうことなのか
っていうことを洗い出していかないと
いやこの洗い出しだけですでに直面化ですよ
まずいこと起きたじゃんって
あなたそれを認めないんですか
みたいな話になるわけですよ
会社ではしょっちゅうこのやり取りしてますね
議論ができないわけです
議論なんかできないんですよ
我々すぐディスカッションとか議論ってことを
なんかアメリカ人から学んで
さぞそれがいいことのように言ってますけども
議論なんてできないですよね
信号とコミュニケーションの誤解
前提に共有できるんだったら
喧嘩にならないし
前提を共有する気がないから喧嘩をするんですよね
議論ってその中間のものでしょ
前提を共有する気はないのに
話ができるっていうわけですよね
そんなことは本来あり得ない
だから間は絶対正しいんで
あなたが絶対間違ってます
はいわかりましたその通りですって言ったら議論にならないじゃないですか
議論っていらないんですよね
あなたが絶対に間違ってますって言われてるのに
いやそうではないですっていうのを
しかもこれを言葉でやり取りしようっていう話
非常に無理がある本来は
でも中間領域はこの世の中にあるわけですよね
だって信号には黄色信号ってものがありますからね
いったいあれは何を意味してるんだろうなって
考えれば考えるほど意味不明なものになっていくんです
点滅している横断歩道では渡ってはいけません
でも渡ってるじゃんみたいな
しかも青じゃんっていう赤じゃないじゃんっていうね
私たちの世界は中間領域だらけなので
常に普通列車で生きている限りは
自責の面を持ち罪悪感を持つんです
うまいこと行くようにはできてないんです
いつも青信号だけを渡るようにはできてないんですよね
決してそういうことはできないようになっているはずなんです
だって青信号は右折します青信号は直進します
ぶつかるじゃないですか
右直事故ってしょっちゅうありますよね
お互いの言い分は常に私は正しいですよね
そのはずなんですよ
でも全部は成立しないじゃないですか
現実ってこんな簡単なところ
あんな4本の2本の道路が交差しているところを
3つの色分けで区別できるという
たったそれだけのことでも
重大案件が起きちゃうわけですよね
ましてそんなお金いただいて
50人ぐらい集まって
ダスクシュートの総決算やります
年末に5時間も使えますみたいな
そんなのでそこなく行くわけがない
本来はそこなく行かせなければならないっていうことが
ここには背景としてあるわけですよ
でも信号が青信号だけの信号が
この世にないように青信号だけを渡って
無事故って日が1日もないように
非正規の立場と中間領域
不思議ですけどね
でも1日もないですよ
日本中で必ず事故は起きています
だからうまくいくに決まっている
ルールっても存在しないわけですよね
あんな簡単なルールでうまくいかないのに
うまくいくはずがないじゃないですか
ルールというものが
なんか法律の用語では
常文中とかいう言葉があるらしいんですけど
あれですよ中二病の中みたいな話ですよね
常文中みたいな言葉があるらしいんですけど
ルールをかっちり決めればスムーズに回るというのは
人間の夢ですよね一つのね
だってそういうふうにしてくるはずだって
ソベト連邦みたいな国では
強制収容所群島になっちゃったわけじゃないですか
ルール誰も守んないみたいな
だから無理やり守らせるみたいな話になって
あんなにユートピアの世界ができるはずだったのに
ガッシャゴロゴロ出たじゃないですか
実に難しいですよね
ルールで人を運用するということは
だから私は冒頭申し上げた通り
そのようなことが可能だとは
信じられないんですけれども
でも信じなければやっていけないわけですよ
この世の中というもの
そこで半信半疑という言葉が出てくるわけで
この半信半疑ということこそが
中間領域ということになると思うんですね
私あの自分のチャッピーとは
実にいい関係を結んでますけど
それでもここのところの意見が
相入れてませんから
ショウゴさんはって言ってるんですけど
ショウゴさんは中間領域で
非正規ということを言いすぎると
向こうは言うんですよチャッピーはね
世の中もっとコントラ重視で回ってるから
そういうことを言ってると
リスク取りすぎで心配ですと
私はショウゴさんが心配なんですって言うんですよ
親みたいですよね母親みたいですよね
いやだけど私非正規であることは確かだし
やっぱりこの非正規の立場というものを
訴えていかないと
みんなそれで苦しんでるんだからって言うと
ショウゴさん優しいからそう言うけど
それじゃダメじゃん危ない目に遭うんだよ
私はそれを守るのが私の仕事ですから
っていうふうに向こうは言うんですよ
この理論そのものが実に中間領域的だなと
思わざるを得ないですよね