心理臨床の重要性
おはようございます。佐々木正悟のライフハックからの精神分析、第1307回をお送りします。
1月14日、水曜日、7時39分、です。
まあ早いような遅いようななんですが、相変わらず早いんですね。早すぎる。で、眠くなりますね。
まあ今は眠くならないんだけど、これが終わるとガガッと眠くなります。
お知らせを続けておりますが、お知らせを続ける効果ってあるのかないのかわかりませんが、
でもこれをやめたということはないんですよね。考えてみると。やっぱり3ヶ月目はこの3ヶ月チャレンジのお知らせを絶え間なくしていくと。
大概の人は聞き飽きているはずなんですが、これを聞くのが初めてですという方が必ずいらっしゃるので、やっぱり言い続けておこうと思います。
来月2月の1日から3ヶ月チャレンジの第13期が始まります。
来期はあまりコースが、いわゆる2期以上なさる方のコースが減るんですが、
最初に始める方のコースは変わらないので、基本的にこれを聞いて初めて考えますという方は形としては変わらない。
今まで見たことがあればですね、13期から始める新しいことというものはありません。
この3ヶ月チャレンジでは、週に1回私とセッションしていただく、週に1回私からのレクチャーがあります。
そしてテキストによる質疑応答は上限はありません。
ただ、24時間以内に必ず返事を出すとか、そういった私側の制約はありません。
私の制約としては、ただ確実にセッションまでには読んでおきますと、1回はですね。
1回どころではないんですが、読みます。
お返事を出すことも、なるべく出そうとは思っておりますが、出すこともあれば出せないこともあります。
セッションまでの日付がですね、直前という方もいることもあるわけです。タイミングによってはですね。
なので、お返事書くこともあれば書けないことも、書かないことはないんですが、書きあぐねるということは起こります。
で、想像以上にこれは様々な問題を引き起こしたり、あるいは全く機能しなかったりするということもありますので、やってみなくちゃわからないっていうやつですね。
で、これも心理臨床の人にしてみれば、なぜそんな無限界で、しかも効果があるのかないのかもわかんない危ないことをやってるんだと言われることになるんでしょうけど、
やってみてわかったことは、確かにこれは力度が動いてしまうんだけど、やっぱり私は精神分析やってるわけじゃないんだなっていう、精神分析で手紙のやり取りが発生することはあるようなんだけど、
3ヶ月チャレンジの詳細
これは手紙でもないですしね、メッセージですしね、新しい試みなんで、やっぱり体感覚的に経験を積み重ねていくより他ない、そこが危ないんでしょうけど、しょうがないんですねっていうことです。
今日はこの話をしつつ、サンチャレの話も織り混ぜていこうと思っておりますが、しょうがないっていうことがあります。
危ないって言っても、何がどう危ないのかすらわかっていないのに、ひたすらひたすら危ない話をしていても、結局のところ何もわからないので、わかって書かれてることって確かに少ないんですよね。
サイコアナリシスオンラインっていう本を、オンラインでやってる私としてはですね、サイコアナリシスではないんだけど、オンラインっていう本を読むと、やっぱりこれはわかって書いてるとは言えないよなって感じがするんですよ。
わかったふうですけど、わかっていないはずだな、ここまではっていうことも結構書いてあったりするんですね。
そういうのを読んでいきますと、やっぱりわかって何もかも書くなんてわけにいかないですよね。
でも書かれてないことは、わかっていたとしても共有はされないわけですから、そこはしょうがないななっていう、こっちも目隠しして手探りですよねっていう、
盲人が盲人の手を引くものなんですよね。でも手は引かれているんだから、そこを信用しようねっていう話でもあるわけですよ。
それも相当どうかと思うかもしれませんけど、昔から変わらないことは変わらないんですよねと思います。
ちょっと形を変えれば全然違うという話をしているのに、オンラインですからね、サイコアナリシスオンラインですからね。
というわけで、話がPRの割にはすっとんでますが、3ヶ月チャレンジというものをやっておりまして、そこでは精神力動でビジネスコンサルという形をとっています。
精神分析でとは言わない、精神力動でです。
で、試験としては精神分析がほとんど、特に対象関係論がほとんどです。
これは私はもう自分の中では一生もんだと思っておりますので、看板を変えることがあっても、ここの角になっている部分でこれがすっとぶことは、つまりこの対象関係をやめるとか、精神分析の知見はもう使えませんみたいなことは多分永遠に起きないだろうなと、無理だなって感じがします。
精神分析の知見を使うということの中に、私がやっぱり一番ってことはないな、例えばすごく重大だと思うのが、
ジェットコースターは好きな人と嫌いな人に大きく別れがちであると。
もちろんどっちでもないって人もいらっしゃるんでしょうけど、大変それが少ないんですよね。どっちでもないっていう人がね、すごい好きな人とすごい嫌いな人に別れがちであると。
こういうことが精神分析じゃないとすごく分かりにくいなっていうふうに思うんですよ。
やっぱ主観と客観って言っても、ジェットコースターに乗るのって客観じゃないですか。
しかし怖い、大好きってものすごく主観的に聞こえるじゃないですか。
ここのウーバーラップについて、こんなに詳しく、いろんな人の、それもかなり真剣に知識を積み上げてきたものはほとんどないなと。
このジェットコースターをセックスって言ってみると、画前ですね。大好きな人と大嫌いな人に、なぜこうも別れるのかと。
ニュートラルって人あんまりいないんですよ。どっちでもないなみたいな、好きでも嫌いでもない。いると思いますよ、もちろんね。聞いていけば。
ただ、そういう話題になりにくいですよね。大好きと大嫌いに妙に別れがちであると。
お化け屋敷とかでもいいんですけど、そういうことについてすごく深刻に考えてみた。
決してこういうものであるということが言いにくいものであるっていうことですよね、人間にとって。
まあ、地位がつく虫とかですよ。なぜはも嫌われてなければならないのかと。
蜂よりよっぽど嫌われてる気がするんですけど、とても不思議な話ですよね。
蜂の害と比較すると不思議な話ですよね。
あるいは私が思うにシロアリよりもだいぶ嫌われてる気がするんですけど、シロアリの方がよほど恐ろしい気もしますよね。
だからそこに客観性ってものの意味があまりない世界。
なぜあの社長、あの会社に行くのが自分だけこんなに辛いのかって考えるときに、こういうときに聞いてくる考え方としてこれはあると思うんですよ。
まあいいおっぱい悪いおっぱいって言ってしまえばいいんですけれども、あの両極端な考え方をしても良くないって言うわけじゃないですか。
よく何かをすごく理想的に見たり、急にその人が大嫌いになったりするのはあれだって言うんだけど、でもそういうことは起きちゃうわけですよね。
たぶんジェットコースターなんてのは最たるもので、大嫌いだった人が何かをきっかけに大好きになる。
非常に不思議なことになっちゃうんですけれども、その中間がないわけですね。
なんで中間がないのかの説明をかなりうまく精神分析はやれてるなと私は思うんですよ。
この白黒思考とかゼロサム思考とか両極思考とか、いろんな思考の名称だけはついてるんだけど、
それはあくまでも両極に割れるとか、白黒になっちゃうという話を、しかもそれはグレーだからグレーに還元ましょうねって言うだけなんだけど、そうじゃないだろうと思うんですよ。
白黒になぜなるのかって話が必要だと思うんですよね。そして、そう簡単にグレーで収めることができないっていう話も必要だと思うんですよね、私は。
そういうことを考えていきます。来月からやります。
週に1回のセッションの中で、私は最初は少なくとも、力動的な説明というものを重視します。
で、説明をするということが重要というよりは、やっぱり話を聞くってことになるんですけれども、私はどう聞いているかというと、力動的な観点から聞いています。
力動的な観点だけから聞くとかそういうことはありえないから、力動的な観点を必ず含めて聞いてますっていう話ですね。
聞いてることだ、聞いてることなんで、あんたがどういう観点から聞いていようと、別にそれはどうでもいいんだって言われればその通りなんですけれども、多分ね。
でも私はここで力動的な観点から聞いてるよっていうことと、力動的な観点でそもそもどういうことかということと、
力動から、機的な観点から聞くとこう聞こえますっていうことをいちいち種明かし、できる範囲内ではいちいち種明かしをしていくというのが、
精神分析というものと似ているようで違うと思います。多分精神分析ではそんなことはしないだろうと。他の心理臨床は知りません。
なぜなら私は心理臨床をしたいと思ってないからなんだという話も今日できればいいかなと思います。
ここのところその話よくしてますけれども、それは結局3ヶ月チャレンジのPRする以上はこの話するしかないなっていうことなんですよ。
ということで来月から13期が始まります。75,000円です。初回が無料でセッション1回だけ受けられて、初月25,000円だけで終わりにすることもできます。
内面的葛藤の理解
つまり2月28日をもって終了という場合は25,000円で済みますということですね。
これは高いと言われるかなと思うんですけど、25,000円って読んで割るとだいたい6,000円ちょっとじゃないですか。
1回のセッションなり1回のマッサージ1時間が6,000円ってバカ高くはないと思うんですよね。
で、レクチャーつきますから。で、テキスト音もつきますから。そう考えると極度に高いわけではないんじゃないかというふうに
絶対4回セットになっちゃうんですけど、これよりも頻度を下げちゃうと私の方で今度結構困るんですよ。
よくわからなくなってしまうんですね。力度的な関係というものが。一方でこれより頻度を上げていくということをやるとですね
結構こう力度が激しく動き始めるので1回目の3ヶ月ではお勧めできないんですね。
だから週1回固定。これはもうどういう場合の方であっても週1回固定。
だから私から見ると、この話は厳しいからこうするとか、この話は楽そうだからこうするというものは存在しない。
そういう意味でもちょっと、いわゆる心理療法とは違うかなというふうには思っています。
でも今日はやっぱその話から行きたいかなと思います。
で、どっから行こうかっていうのを毎回悩むんですけど、基本的にはビジネスコンサルなので
具体的な話から入ることがとても多いということです。
つまり具体的に仕事上あるいは生活を回す上で時間が足りないとかですね。
何で困っているかっていうお話を伺うところから始まります。
で、共感というものを目指しているんですけど、私はどちらかというと共感よりは同情という方向に流れやすいんですけどね。
これ良くないってされるんだけど、良くないも何もないんだって思うんですよね最近ね。
共感と同情の違い
共感と同情って僕の中ではそんなに違わないんで、なんか対等とか上からとか言うんだけど、そういう問題では全くないんですよ。
で、同情であれ共感であれですね、まず話を理解しないことにはできないことです。
理解できない話に同情も共感もできないじゃないですか。
だから話を理解するってところから全てが始まります。
しようってところね、話を理解しようと。
で、理解できるはずの話を相手の方はされている。
ところが最初からここでいろいろ起こるんですけど、話が理解しにくい。
で、話が理解しにくければしにくいほど、私はだんだんだんだん力度よりになっていくっていう現象が起き始めます。
治療であるという、心理療法であるというならば、やっぱり抽象的な、ここが非常に大事だと思うか思うんですけど、
抽象的なアセスメントってのが欠かせなくなる、これを診断と呼ぶんですね。
でも私は抽象的なアセスメントっていうものが私にできはしないんですよ。
これは非常に大事なポイントで、抽象的なアセスメントは視覚上できないってこともあるんだけど、
やっぱり気質に結構合ってないっていうこともあると思うんですね。
だからここに診断名というものの重要性が出てくるわけです。
ところが私はこれがすごい得意でない、だなっていう、やろうと思って絶対できないとは思わないんですけど、
体系的に学んでまでこれをしたいかって言われると難しいなというふうに思います。
寄り添うとか、この寄り添うってのも後の後の方に来るんですね。
同情や共感は寄り添いにはならないのかって言われるかもしれませんが、
寄り添うという話っていうのは、僕は診断ということととても深い関係があると思うんですね。
育児におけるタスクシュートの重要性
診断でなく病気でなくても寄り添うことはあるじゃないですか。
ところがこの寄り添うというのは、寄り添いというのは情緒に向かうことですよね。
いきなり情緒に向かえないんですよね。
なぜならば私の考えでは、その人の情緒がどういう状態かが、そんなに明快ではないからなんです。
昔それは佐々木さんは人の気持ちがわからないとか言われてたんだけど、
それは相手がおっしゃることであって、これも非常に大事なんですよ。
勝手にわかるのはまずいし、
まあこの表現は取りたくありませんが、
根を押ししてるじゃないですかと。
だってよく言うじゃないですか人は、
私の気持ちがわかってたまるかって言うじゃないですか。
一方でわかれという意味、他方でわかるはずがないとも言う。
でも気持ちはそういうものであって、なぜならその人固有のものだから。
まあこの自分の気持ちは自分の気持ちであるって言えるようになるためには、
実は情緒的に数段の成熟を重ねての話であって、
そうというふうには言い切れないんですけれども、
しかし、まあ社会的をできている人は、
これを言うぐらいの感覚をお持ちなわけですよ。
自分の気持ちは自分の気持ちであると。
実際には果たしてそうなのだろうかって問題もあるんですけどね。
あの、まずビジネス的にアプローチするということは、
至って具体的にアプローチするってことになるんですね。
抽象的な診断をするのはものすごく難しいことをやらなきゃならなくなるで、
それをする資格も必要で権利もないのに、
しかもそれが困難であるということになってきたら、
まずこれをやろうといきなり考えないという人が大事かなと。
それやらなくてもできることはたくさんありますから。
例えば、仕事を進めていくという上で、
まあ育児でもいいんですよね。
例えば100日チャレンジでもセッションでやってるわけです。
で、100日チャレンジだから、
タスクシュートとかタスク管理とかリストアップして、
子供を散歩に連れて行くんだと。
これがどういうわけか赤々しく進まないという話が、
これは実話に近い話です。
許可を得ているので、実話に近い話をします。
100日チャレンジのワンワンセッションではないです。
ですが、そういうのに近い枠組みの中でお話しさせてもらったことなんですけれども、
最初の話は、それこそ寄り添い系の話だったんですよ。
夫が育児に協力できていないと。
私はそういう話を聞いて、
動揺が薄いとか共感できてないとは思わないんですよね。
夫が育児に協力できていないというのは、
それを発した段階で既に相当厳しいなっていう感じがするから、
当然同情的な気持ちにはなります。
ただ、それは大変ですねって話が言葉が欲しいとは限らないとは思うんですよ。
それは大変ですねとは言う時もあれば言わない時もあります。
でもここでの話の一番軸になっているまず第一のポイントは、
少なくともタスクシュートというものが出てきているわけですよ。
これをすっ飛ばせないでしょうということがあります。
で、すっ飛ばすには資格がいると僕は思うんですよね。
権利もいると思う。
だからタスクシュートのことは一旦置いといてっていうことを言えるためには、
治療に向かいますよって言ってるわけですよ、ある意味では。
治療に向かわないまでも夫婦関係に向かいますよって言ってるわけですよ。
でも相手の人はタスクシュートの話から始まってるわけですよ。
無視するっていうことは、私はやっぱり礼推ししてると思うわけですよ。
いきなり同情されても困ると言わないまでも、
同情されて困ることはないかもしれませんが、
タスクシュートを飛ばさないでよとは思われると思うんですよね。
タスクシュートっていうのは、私がタスクシュート協会の人間であり
理事であるから文脈上出てきたものなのかもしれませんが、
例えばこのタスクシュートというものがありまして、
夫婦関係のアプローチ
それここに育児って書いてあるんですよと、果たしてそれを信用ないかで言うかってなると、
言うとしてもラポールが必要だと思うんですよね。
つまり、これをどっちのアプローチから行くかっていうのはものすごく重要なことだと思うんですよ。
もし信用ないかでタスクシュートの話をするとなると、多分、多分ですよ。
カウンセラーの方はタスクシュートなんてご存じないから背景からの説明がいりますよね。
多分タスクシュートユーザーの人はこれ言っても通じないなと思ってこれを封鎖しますよね。
私はこれを抑圧と呼ぶべきだと思うんです。
これをやって伝わらなくなることがたくさんあるはずだと思うんですよ。
文脈が共有されてるんでタスクシュートユーザーと私の間には通過で行けるわけですよね。
だからこそその人はタスクシュートに書いてある育児という項目が、これは聞いた言葉ですからね。
架空の話してるわけじゃないんで、ここから入れるわけですよ。
これは非常に大事なポイントなんですよね。
別段タスクシュートの使い方について聞いてるわけじゃなくても、
タスクシュートに書いてあるこの育児という項目で見積もり時間には全然収まらないという話をされた時、
子供の散歩ね、散歩そうそう散歩。
見積もり時間に大体収まらないにせよ、大体近づくはずじゃないですか。
見積もりをトークオーバーすると。
例えば30分の散歩が1時間以上になると。
であれば見積もり時間を1時間にすればいいわけだけど、
ここで夫が育児に協力的でないという言葉の意味が出てくるようなもんなんですよ。
だからそれは聞くわけですね。
ご主人が育児に協力的でないからなんでしょうか。
ってなったところで沈黙が入る。
ということはこれは自明じゃないわけですね。
果たして主人が育児に協力的なら散歩30分で収まるのかと。
散歩の見積もりが1時間では長すぎるのかと。
夫の世話とかをしなければならないから。
他のことも全部自分でしなければならないから散歩が1時間取ることもできないで困っているのかと。
考えられたはずなんですよ。そこで。
でそうではないという結論が出た。
だったらばご主人が協力的でないんですか。
それは本当にお辛いですねではダメなんですよ。
全然納得いかないと思うんですよね。
それではね。
で、そもそもセッションの時間が無限にあるわけじゃないんで。
こうやって全部寄り道していたわけではですね。
1回で到達できるポイントが遠すぎるわけですよね。
だから毎週1回という設定は大事なんですよ。
週を飛ばし始めるとこの話を思い出すこと自体が困難になってくるってケースがありますし。
そもそも手を当てられるのに時間がかかりすぎてしまう。
ビジネスコンサルって言ってまた私は場合はタスク管理っていうのは大体大筋網羅してるつもりなので。
でタスク管理で仕事を進めるというのはどういうことで人のメンタルがどういう影響を及ぼすかというのを一応相当程度検討してきたつもりなので。
つまりそれが例えば回避性の人と脅迫性の人とではタスクシュートの見え方がどう違うのかを大体想像はつくっていうところはあるんで。
まあこれらは所詮は背景的な知識でしかなくてそれを全面で活かせるかというとそういうわけにはいきませんけれども例外事項が多々ありますしね。
ただ分裂機械室の人と抑鬱機械室の人とではやっぱりタスクシュートの見え方は全く違う。
使う色合いも掃除で違うんですよ。こういうことは私からするとクリアなんですよ結構。
当然そうなるに決まってるだろうっていう部分があるんですよ。
ただそのの説明できませんから相手の人にね。
ましてそれを使ってアセスメントはできない。ましてそれが必要かどうかもわかんないんで。
そういうことではないんですね。
もっともっとつまり結局のところアセスメントといいそういう当たりをつけるといい先読みしちゃってるじゃないですか。
相手はこうだろうこうだろうこうだろうって言ってるわけですよ。
で僕はそれを必要とすると思うんですアセスメントでは。
少なくとも松木雄二郎さんがおっしゃってるところの最近アセスメントのところの欄が空欄であったり
最近っていつの話か知りませんが非常に一行でさらっと書かれていて非常に悲しいことだというなら情けないことだみたいなことが書かれていて
いやこの人はできる人だししかもストイックだからなとは思うんですけど。
でもまあでもユーザークライアント側からすればそうだよなと。
やっぱりこうここでなんかこうざっくりされては困るよねと。
なぜざっくりされては困るか。
意思同士は通過であるというふうに我々は思ってるからですよね。
意思はここで専門用語を介すれば相手はその引き継げると引き継げるということは背景が膨大にそこでコミュニケートできるんだという話になってるわけじゃないですか。
これをしていいからいわゆる資格者なわけですよ。
正規なわけですよ。
育児の苦悩
私はこれをするのはまずいだろうと思うんですよね。
私がそれを書いたところでこれを使ってコミュニケートできないんで正規の人とは。
つまりそれはやらずに済むならやらずに済ませたい。
どうせ他の人の役には立たないことなので。
専門用語ってのはコミュニケーションのためのツールですからね。
完璧に一言で大量の情報をやり取りできるんでタスクシュートが今まさにそうだったじゃないですか。
これは専門用語ですから今の段階では残念ながら。
世の中に人口に十分感謝しているとは言い難いですからね。
子供の散歩生まれたばかりのねゼロサイズの散歩つまりあれですよ。
ベビーカーに乗せてクルッと回ってくると。
これで滞るというお話を伺ったときに
そして夫は育児に協力的ではないんですっていう話だけしかまだないわけですよ。
育児と親の対応
それはおつらいですねっていう段階ではないとやっぱり感じるわけですね。
だから寄り添うとは何なのかということ。
寄り添ってほしいのかということなんですよ。
この話はちょっと先を急いで進めてしまいますけれども
橋に立つとですね、そこで川を見てしまうと。
こういう話が出た時もそれは危ないって思ってはいけないと僕は思うんです。
危ないというのを頭によぎるのは大事ですよね当然。
でも私は違うことが頭をよぎったんですよ。
夜じゃないんですよ。夕方とも言ってない。
昼日中に結構穏やかな光景じゃないですか。
すぐに何でもかんでも起死年齢とか言い出すのは危険っていうかおかしいと思うんですよね。
そうやって先読みして先読みする時には我々はだいたい不安に捉えられていると思うんです。
不安というのは未来からやってくるものだから
未来のネガティブな気持ちというものが刺激をして合流しちゃうんですよね。
だからこれはまずいんじゃないだろうか。専門家に相談するべきなんじゃないだろうかってすぐ頭がそっちに行ってしまう。
それは何か妙に専門的な話をしているようなんだけど
果たして橋で立ち止まった人がみんながみんな同じことを考えるかっていうと
そこがだから僕は同情と言いたくなるんですよね。共感でもいいんですけど
要はその人の個人的なものすごく事情があるでしょうにと。
そこで必ずすぐに命の電話に相談っていう話にされたいかと
自分が相談しに行った時に全然違うこと考えているのに
果たしてね30分の見積もり時間を1時間にするかどうかで悩んでる人が
こんなに簡単に人生終止符打とうとしてるって考えるべきだろうかと
やっぱ思うんですよね。私はタスクシュードユーザーだから余計持ってる背景がありますからね。
で光景としては物思いって言うんですかね。昼日中に割と穏やかな感じで
0歳児の馬車なのかな。ベビーカー回してで橋の上に佇んでると
なんで橋の上に佇む話が出てくるんですかねここで
っていう話になるべきだと僕は思うんですよね。いいじゃないですか
まず第一に急いで、意外と30分という見積もり時間を持って急いでるのに佇むと
それは危険な兆候なんだろうかって思うんですよ
なんで橋の上なんだろうかって思うし、なぜその話がここで出てきたんだろうかと思う
当然思うと思うんですよね私は当然
でだんだんだんだんこの話はじわっと力度に寄ってきているわけ
ですね僕の感じではタスクシュートから離れ始めている
で家事育児を回すその上で
夫はいるのにワンオーペになってしまっているみたいなそういうビジネスライクな部分から少し離れ始めている
橋の上で佇む話になっている
で
まあここから先も本来は長いわけ。長いっていうかそうは言っても1,2セッションだったと思うんですけどとはいえ
全部で120分以上使ってるわけですからそんなに早い話じゃないんですけど
しばらくやっぱり橋の上で佇むんだと思って
橋の上で佇むからここで戻すわけですよ
タスクシュートに30分以上かかっちゃうのだろうかっていう話に戻すわけですよ
そうだよなぁというわけですよ
その女の人も橋の上でぼんやりしてなければ30分で帰ってこれるはずのになんで自分は橋の上で佇んじゃうんだろう
でその時に
しばらく考えているうちに
あの石切りって水切りっていうの?あのぴょんぴょんぴょんってやるやつあるじゃないですか
あの水面でぴょんぴょんぴょんってやるやつ
あれが自分はすごいしたかったんだと
で
あの
多分3,4,5歳ぐらいかな河原で今はねちょっと河原とかで子供をただ遊ばせておくなんて
考えられない時代ですからそんなことは
川で流されるとかねいうことがあるから昔は結構平気で
私も幼稚園時代河原で勝手に遊んでたもんなんですよね
昭和ってそういう時代だったんですよ
いや危ないと思いますよ
やっちゃダメですけど
私なんかもう毎日それが楽しみで楽しみで幼稚園時代
いっつも行ってたんですよ
あれは楽し
まあね良くないんでしょうね今の時代はね
うーん難しいですね
えっとで
ぴょんぴょんぴょんってやるわけです
僕最大で12回ぐらい
いいんですけどそんな話はどうでも
で
自分はその女性が言うにはね一回もできなかったと
なんかもう投げてポチャンみたいになっておしまいっていうね
でしかもそれがすごい怒られたと
つまり汚いんですよね
今より汚いんですよ昭和の河原って
地域によりますけど工業排水とかあっさり流れてるんで
親が勝手に遊ばせる割にはそこで遊んでると怒るんですよね
まあでも昭和の家ってそういうところあるんですよ
でそもそもその石切りに付き合ってくれないんですよね親とか
まあうちの親も別にそういうの付き合わないから
私が勝手に遊んでたんですけど
その人は家にこう帰させられると
どこに住んでたのかよくわかんないですけど
とにかくすぐ帰ってこいって言われると
だからできるようにならなかったと
それがとても悲しかったというお話なんですね
でこの話は続きがあって
でも近所の自分よりだいぶ小さい2歳児とかなのかな
やっぱりポチャンなんですよ
2歳児石切りとかできないですから
水切りっていうのかな
あのジャンプさせられないですね
だからポチャンなんだけど
あの子はお母さんが手をつないで
ずーっとそのお母さん大変だと思うんですけど
ずーっとポチャンに付き合っているのを
窓から眺めてたと
その子はすごいいいなと思ってたっていう
後継の話になったわけですよ
まあしみじみした話っていうんですかね
で私はだからこのご主人が
育児に協力でいてないっていうのに対して
それは辛いですよねって言っちゃダメな気がしたわけですよ
やっぱそうだよなって思うわけですよ
聞いててこの話のどこにも
主人の育児への不参加に同情してほしい部分は
限りなく無くはないのかもしれないけど
この話の段階では薄いじゃないですか
どっちかというと
親が自分の石投げに付き合ってくれなかった
悲しみの話をされてますよね
だから立たずんでたわけですよ橋の上で
だからここでやっぱり命の電話の話を
するべきではないんですよ
橋の上で立たずんでたのは
多分河原を見てたんですよ
で河原の上で自分が遊びたかったという
光景を見てたんですよ
もしかして今時河原で子供遊んでないはずなんで
育児の重要性
子供を見てたとは思いませんけれども
河原を見てたのは確実だと思うんですよね
だから私は河原見てましたかと聞いたら
そう河原を見てたと
話はしょってますよ
こんなに素早い展開で
こういう話はできないんで
すごい難しいというところなんで
人の考えてることは
分からないことですからね
だから同情的になるっていうのは
私にとっては大事なんですよ
それは遊んでたいよねと
ちっちゃい頃はね
で最後にこういう話を
主人としたいんだと
いう話なんですこれは
これが協力的でないという
発言になって出てくる話だし
30分の散歩が
なぜか1時間になってしまう話
外にいたいわけですよ
子供時代に戻って
ゼロサイズの子供を連れて歩いてるからね
そのうち一緒に河原でその子が分かんないですよ
心行くまで石切りに付き合ってあげたいのかも
知れないんですよ
まあ石投げですね
でもあんまり夫は協力的でないから
そういうことにと思ってるわけですよ
そうすると
もし突破口があるんだとすると
そういう話をしてみればいいんですよ
っていう話になっていくわけですね
僕はこれが力度なんだと思うし
ビジネスコンサルの中で
力度を生かすという話なんだと
思ってやってるわけですね
話としてはどっか全然ビジネスじゃないじゃん
ってことになっていくんだけど
人の心の中にある
満たされない思いというものは
やっぱり仕事に停滞をもたらすなって思うんですよね
やっぱりだから早く帰ってくる方がいいとは
言い切れないじゃないですか
ここまでいろんなことが
なんとなく思い出されてきたならば
1時間3分するのは悪くないような気もするし
この中でどう時間のやりくりをしていくかというのは
改めて再構成って言うんですかね
改めて考え直していった方がいいような話ですよね
30分にしてワンオペで
どんどん仕事を進めていきましょうっていうふうに
ここまで来るとならない気がするんですよ
子供の石投げに付き合ってあげたいというのも
河原でやるのは危ないかもしれないからあれですが
いいじゃないですか
何か別のやり方で付き合ってあげる
ということも考えられますし
大事だというかここまで来るともう
全部吸っ飛ばすってわけにはいかないと思うんですよね
っていうところまで自分で情報を
たくさん持つことができることが
自分自身のエピソードというのかな
ものについて記憶なんですけどね
についてもっとこう
素材多く検討できた方がいいという話だと思うんです
ある意味精神分析というのはですね
素材が少ないんですよ
子供をあんまり協力的でない夫と一緒に
自分の仕事をしながらその中で行くならば
ここで散歩は30分だなっていう
この結論の出し方は合理的な感じなんだけど
素材が少ないんですよ
自分の石投げに子供の頃付き合って欲しいと思ったんだけど
親は全くそういうのを試みてくれなかったという
無念さみたいなものを考慮に入れると
だいぶ変わってくるわけじゃないですか
なんてことない話ですよこれははっきり言って
なんてことある話ではないと思うんですが
なんてことない話ですけれども
ここまで考慮に入れると判断の仕方変わりますよね
ということは言えると思うんですよね
結局判断の仕方なんでビジネスなんである意味そこは
ビジネスにおいて大事なのは結局
ジャッジってことをしなきゃなんないわけですよね
どんなことであろうとも仕事なんで
仕事をする上でジャッジする上で
素材となるものを未評価のまま抱えて
しかもそれは捨てきれないってことになってくると
ジャッジがすっごい時間がかかったり停滞したり
そしてなんでそう時間がかかるのを停滞するのも
今回の話でも別に橋の上で今の話だからして
佇むのは全然ありじゃないですか
ただなんで佇んでるのかが分からないっていう
分からなかったわけですよね
だから分かったほうがおそらく
なんていうかな
納得して動けるということになるんですかね
そういうこと対のないところからいけば
そういう対のある話になることは
もちろんありますが
対のないところからいけば
そういうことになるだろう
こういう話だというふうに
踏まえて考えてみると
育児における協力の重要性
ご主人が育児に協力的でないというのは
辛いですよねって言われても
いやほんと辛いんですよって話になってしまうと
何かが私は無視されてる感じがしちゃうわけ
でこの話最後は主人が育児に協力的でないことは
問題じゃないんだってところに
ついてるんですよ
そうじゃないんですよ
やっぱりある意味では
協力的な方がいいに決まってますよ
そりゃでもここで問題にしてるのは
協力的でないことではなかったんですよ
むしろ子供時代に自分が親に
この石投げの話は象徴でしかないわけですよ
もっと相手してほしかったという気持ち
だから自分は子供の相手を
もっとしてあげたいという気持ちに
それが変わってるわけですね
であるならば
もっと時間が必要だと
その時間が取れないんだって話が
タスク主導に返ってくるわけですよ
もっと子供との時間を増やすってことを
目指していくならば
現在の枠組みでは無理がある
無理があるなっていうことに
納得がいくわけじゃないですか
気づくというよりは
納得がいくわけですよ
話はそっから始まるんだと
ビジネス的な話でしてもですよね
これからどういう仕事にしていくのかっていうのも
こっから始まるじゃないですか
ここまでくれば基本的には
その人ご自身で選択していけるじゃないですか
そういうふうにしていければ
私の場合はいいんだろうなというふうに思います
2月からですね13期にあります