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2020-08-17 21:15

【GMV205】正しさゆえの苦しみ

あなたのブログがまるぱくりされていたら、腹が立ちますか?
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おはようございます。グッドモーニングバイブスです。
えっと、最近、久々にですね、正しさというものについて考え直してみたくなって、というのはですね、
基本的に攻撃、攻撃される、怒る、怒られる系の話は全部傷つくっていうのも含めて、
恐れや不安という話とグッドバイブスとは結びついているわけなんですけど、
ある種の怒りに関してはですね、なかなかこう、相手が恐れているとか、自分が恐れているという部分を考えても、
うまくですね、救い上げられないというか、確かに恐れている部分は多少はあるんですよ。
それをかなり振りほどいた気になってみても、なんとなく残る、悔しさみたいなものが残るということが結構あったんですね。
で、この悔しさみたいなものというのは、やっぱこう、恐怖心というよりは、
私、正しさというのは内心ではこう感じているんですけど、正義感のようなものの方が邪魔で、
この正義感がなくなれば、ずいぶん違うんだけどなと。
変な話なんですけど、正義感さえなくなればですね、よっぽど自分の振る舞いは正しくなるのになというところがあるんですよね。
で、この正義感についてちょっといろいろ、ここのところ考えてたんですけど、
とはいえですね、最近私、傷つけられるといっても、グッドバイオスのおかげで画然減って、
そもそも私は上司に怒られるってことはないんですよね、立場的に。
仕事のパートナーである大橋さんとか倉園さんとかいるんですけど、上司じゃないんで、上司だと感じたこともないので、
結局、そんなに課長に部下が怒られるみたいにガミガミ怒られるってことは経験自体もないですけど、
ということもあって、あんまりそっちは、そもそも昔の思い出みたいなものから掘り起こすことになるんですよ、自分に関していえば。
で、どうしてもそれなりのリアリティがある話になると、もっぱな奥さんなんですけど、これも最近悪くないので、関係が。
そういうところではない。そもそもその話ばっかりだと、個別具体的なですね、こういう感じで関係は修復できるっていう部分も出てくるので、
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ちょっと正義感というのとは違うんですよね。正義感で悔しさが残るみたいなのが全くないわけではないんだけど、
仕事してるとそういうことはありますけど、もっとですね、違うのないかなと思ってたところにですね、
最近立て続けにいろんなところで、なぜかこういうのって偶発的に目にするのか、必然的に目にしてるのかちょっとアレなんですが、
著作権法の問題っていうやつが、自分もちょっと絡むんですけどね。
本書いてるからこれも、つきまとむ問題なんですよね。犬も食わない著作権問題なんですよ。
例えばなんですけど、シチュエーションを考えてみたんですね。
自分のブログなりサイトなり、かなり気合い入れて作ったものがですね、
まるぱくり100%内容としてはコピーされていて、しかもデザインとかそういうことってなかなかないことなんですけど、
この話を徹底させるために考えたんですが、デザインとか構造とかはより精度を増していて、
完全に作り変えられていて、しかも佐々木翔吾の名前になってて、
けどアフィリエイトとかは全部、得体の知れない方にお金が流れ込むような仕組みになっていたとすると、
ショックを受けますよね。
そっちの方にPVとかもどんどん行っているように見えると。
するとやっぱり、いろいろと腹が立つだろうなと思うんですね。
こういうので腹を立てるというか、訴訟問題になったり、すごく怒っていらっしゃる方も探してみるといっぱいいるわけですよ。
だいたいの場合は劣化コピーになっているケースがほとんどで、
しかもそっちの新しいコピーの方にはPV全然行ってないとか、そういうケースの方が多いようなので、
実際はそうだろうと思うんですよ。私の経験からしても。
だから相手の悪い度100%。
つまりここで考えるのが、相手が悪いと、悪いんですけど、
自分の被害って何なんだろうって考えるじゃないですか。
ある程度は考えると思うんですね。
今の私の例は、金銭的な被害が確実に起こっているという実例なんですが、
外してこの種のケースでは、そんなに目に見える被害はないにもかかわらず、腹が立つわけですよね。
仮にそういう恐れや不安を取り除けるとして、取り除くべきなんだろうかって思うと思うんですね。
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PVが無くならないなら良しとするか。
これはPVが無くなることを恐れているって裏返しなんですけど。
お金が例えば自分の金銭的損害が発生しているとすると、そこに恐れを抱いているならば、
でも私のブログって金銭的な収入がまるでないので、これに対して恐れを抱く理由はないんだけど、
これを取り払ったとしても、つまり勘コピされて、丸パクリされて、金銭的な被害が無く、
PVの被害もないとしても、悔しさが残るっていう言い分はあり得るよなと思ったんですよ。
私がそう感じるかどうかはちょっと過程に過程を重ねちゃったので分からないけど、そういう言い分はありますよね。
この場合、よくGood Vibesのところの話でも、10対0で相手に火があるのかと考えてみると、
ほぼ10対0と見なしてもいいんじゃないだろうかと思ったんですね。
で、仮に万が一こっちに火があるにしても、そう思ったからといって腹立ちが収まらないような気がしたんです。
とすると、何なんだろうと。何で自分は腹を立て続けるんだろう。どうすればそれを何とかできるんだろうと考えてみた。
どうしてもそうすると問題になってくるのは恐怖心というよりは正しさの方にあるような気がしたんですね。
どっちも恐怖心とも言えるんだけど、少なくとも自分には直接被害を受けないと。
PVも向こうが大したことがなく、向こうが得る収益も大したことがなく。
私の名声とかに対してそもそも気を払わないんですけど、傷つけても大したことがない気がするんですね。向こうのPVが少ないなら。
なおそれで腹が立つというのは恐怖心というよりは自分が正しいという感情なんだろうなと思ったんです。
これが結構、著作権問題をいろいろブログで検索してみると知ったような名前もちらほら散見されるんだけれども、
怒っているわけですよ。皆さん。怒って当然だと思うんですけどね。
で、ちょっと考えたんですよ。この辺のことをずっと考えていたんですね。ここ1,2,1。
まず、他の人の自分の名前が勝手に使われていて、自分の考えも勝手に流用されていると。
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この場合丸ばっくりの方がむしろいいぐらいで、適当にアレンジメントされていると。
私が言ったことにされて、私が言ってもいないこと。そういうふうに誤解が広まると。
これを懸念される方も多いですよね。でも私はこの懸念って大してしないんですよね。
というのは結局、これは僕の感じ方も強くあるんですけど、自分は分かるんですよ、やっぱり。
これはもう分かるとしか言いようがなくて、誰が書いたかっていうのは即分かる気がするんですよ。
そういう話って文学の世界では結構あって、この著者は著者じゃないみたいな話って結構あるんですけど、
僕はね、あれ分かる感じがすごいするんですよね。これは確かにすごい難しいっていう例もありますけど、
そういうのはそのことで歴史に残りますから、その名前が。
フェルメールの願作みたいな話で、残るんですよね。そこまでできるレベルの人が出てくると。
外してそれは無理なんですよ。なんか変なんですよね、オリジナルじゃないものって。
いや、そんな見る目がある人ばっかりじゃないでしょうって言われるかもしれないですが、
そういう意見は分かるんですか?僕はそれは全然気にならないんですよね、正直言って。
見る目がない人が佐々木が書いたものじゃないものを佐々木が書いたものだと勝手に誤解するというのは、勝手に誤解してくれって感じなんですよ、結局。
それが分からない人に理解してほしいとまでは、正しく理解してほしいとは全然思わないですね。
だからここは感じ方なんだよなぁと思うんですよね。ただ、この感じ方があるゆえに、この点で腹は立たないということがあるんですね。
誤解が広まる懸念っていうのは、僕は興味がない。で、興味がないと腹って立たないんだなと。
で、そうすると残るのがですね、何なんだろう。
それでも自分が正しいということにこだわってしまうとすると、どうしてなんだろうと思ったんです。
で、分かってきたのは、2つほど僕の場合にはあって、1つは個人的な性格に由来しますね。
時間を失ったっていう感覚。これがありますね。
時間貧乏症なんですね、結局。これは全然グッドワイルス的じゃないんだけど、僕の場合これが抜けなくて。
この著作権問題について考えてしまった時間がもったいないっていう発想が生まれる。
現にこの時にすら生まれたんですよ。この1、2日で。
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著作権問題。この問題は結局私、くだらない問題だと心の底では思ってるんで、きっとお金が大きく動くケースもあり得るのは分かってるんですよ。
100万部とか出す著者のレベルになってきて丸パクリみたいなことになれば、金額でかい金額が動きますよ。
だからそれでこの問題がくだらなくないという視点があるのは分かるんだけど、これはお金の問題なので。
それ以上の価値は感じないんですよね。そんなに。
自分は生活水準、実はギリギリのお金があればいいと思ってる口なんで、
財師がいなければ本当自分はしょうもない生活してそうだなと思うんですよね。これが1つ。
で、この時間がただ失われた観点は出ちゃう。これはただもうこの恐怖心を克服するしかないなと思っております。
だいぶ減ってきたしですね。時間がもったいないというのは。どう考えてもイリュージョンなので。
もう2つ理由はあって、1つは時間は一気には使えないというやつですよね。自分が散々言ってることです。
自分は時間を一気には使えない。かつ時間を貯められない。
だからもったいながるとして唯一できるのは、そうじゃない時間の使い方をした方が良かったということ。それだけなんですよ。
これを調べてる暇があったら映画でも見てればよかった。これだけなんだ。
でもこれは分からないんですよ。それは。両方やってみてかつだいぶ経ってみないと。
だいぶ経っても分からないんですよね。死ぬまで分からないんですよ。どっちの時間の使い方の方がベターだったかということだと思うんですよね。どう考えた。
そうすると時間がもったいないというのはイリュージョンなので、残るはですね。
正しさに固執するということを通じて、自分は最終的に何がしたいんだろうと考えてみると、とても奇妙なことが起こるんですよね。
自分が100%正しいと仮定しました。
これは最初から仮定の話なんだけど。
そして自分に非がなくて、起こることによって何かこうですね、社会的に正しさ、つまり誤解を広めないとか、悪い奴にお金が渡らないとか、そういうことがメリットだと。
すればするほどですね、この問題は解けなくなるんだなと。
つまり進めば進むほど、私が苦しむ以外は得られるものはないんだという点が手放すべき最大の理由なんです。
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つまり恐怖によるものではなく、相手の恐怖を、相手が一体何で丸パクリしたのか、丸パクリというのはおかしな行動だから何か恐れているのかと考えてもですね、もし相手がAIだったと考えると不毛になってしまうんですよね。
そのAIの先の人が何かを恐れていたのかもしれないですけど、もはやあまりにも私と関係なさすぎて、手に負えない、少なくとも私を怒らせようとしてやったことではないわけですよね。
今のはAIが作ったという過程を乗っけました。
そうすると残る一つなのは、もう社会的正義しか残っていないんだけど、これをどこまでも押し進めていくことによって、一番つらいのは私だということになるんです。
ここがおかしいと思ったんですね。
丸パクリを放置しておくことによって、私が損害を全くこむらず、かつ私に非が全然ないのならば、損害をこむのは社会だけじゃないですか。
これが社会的正義なんだろうかと、多少そういう一面はあると思うんですよ。
ただ、私はここまで来た段階で、完全に怒りが解ける気がしたんですね。
これがもし社会的正義だということ、それだけが理由であるならば、私がそれによって苦しむべき理由って何にもないじゃないですか。
これって私が正しければ正しいほど、私は苦しまなきゃならないって話じゃないですか。
そうじゃないほうがいいっていうのは、これは藤野圭三さんのいつもよくおっしゃるお話ですが、つまりそうじゃないほうがいいわけですよ。
言ってしまえば、私が何らかの理由で、私にはわからない理由で、正しくなければ、私はこんなに苦しまずに済むんですよ、結局。
非がないから苦しむことになるんですよ。
そこまで行った時にですね、多分怒らずに済むなと思ったんですね、自分の場合は。
誤解が広まる云々はちょっと置いといて、私はこれは本当に小さな問題だとしか思えないですね。
何か過剰に言い立てられている。そんなことで誤解はそうそう広まらない。
もっと違うところ、例えばそのマネーロンダリング的な話、社会正義的な話、そっちもちょっと言い立てられすぎていると思うんですけど、
私のブログごときでどれだけの金を設けられるというのかわかんないんですが、
この社会正義というのは、正しく荒らしめる相手なのかどうかということが大きな問題だと思うんですね。
大体私たちはパクっている人のイメージというものを、何かそこら辺のしょうもない、
すみません偏見ですけどね、しょうもない、そういうことだけがちょっと得意な若いお金もなさそうな人ってイメージでいるから穴が立つんですよ。
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さっきも言いましたけど、フランスのヨーロッパ全体を取り仕切るマフィアみたいになったら腹立たないと僕は思うんですよね。
これはもうただの冗談ですよ、仮定の話ですけど、例えばそういうAIみたいなのを総務省とかに訴えられるリストとかを作ると、
ヤバい人たちのリストに乗るとかだったら絶対訴えないと思うんですよね、私なら。
わかんないですけどね、そういうパクリを訴えた奴がテロの対象にずっと後ろの方になるとか、噂だけが流れたとしましょう、そんなこと現実にあり得るはずないんで、
なんかアルカイダとかのリストに乗るとかですね、絶対訴えないと思うんですよね。
たとえ噂が流れているだけだとしても、つまりそれは正義感でもなんでもないと思うんですよ。
相手がそこら辺の人のしょうもなさそうな人の丸パクリだとすげえ腹が立つけど、相手が死んじゃいましたけど、
ビンラディンだった場合は恐れおののいて手を出さずにおくんだったら、そういうの正義感では言わないと思うんですよね。
なんかやっぱり違う権利意識だと思うんですけど、とはいえ小さな自分の想像の区域内における正しさってものにすごくこだわっていて、
でも途中言った通り、僕が正しければ正しいほど、僕の苦しみは永遠になきゃならないことになる。
これが馬鹿げている感じが一番したんですね。
これが馬鹿げているということは、あとはもう実害の問題だけじゃないですか。
だいたい実害の問題というのは、それこそ手立てがないわけではないと思うんですよね。
訴え出るなりなんなる。その時やっぱり戻ってくるのが時間がもったいないという。
この辺でぐるぐる回り出すんだけれども、一個一個を整理して考えてみると、突き詰めなきゃいいわけなんですよね。
自分の正しさを突き詰めなければいい。
自分が正しいと思えれば思えるほど、自分が苦しい思いをするという、この構造にさえ気づければ、
和らげるしかないんじゃないかなというか、そのメリットのなさに多分引っ込めると思うんですよね。
本当に同時に感じているのが僕の感じですけれども、正義感というものがですね、ターゲットとしている相手ですよね。
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その相手のイメージが多分、安直な。
多分、自分が嫌いな人をイメージしている。
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