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おはようございます、グッドモーニングボイスです。
昨日はですね、飛ばしちゃったんですけど、
割と最近はまた微妙な事情なんですよね。
朝が慌ただしいと。
娘の定期テストというものが入ったせいなんですが、
様々なことが起こりますよね。
で、いよいよ明日ですね、
橘さんとのクロストークをやりますと。
これを何回か聞いてくださっている方には、
かなり繰り返し聞かされているCMなんですが、
こういう話を盛り込めるかどうかが、
一つのポイントだなと思っています。
それが正義の分かれ目とかではないんですけどね。
なるようになって、なった方がベストっていう風に。
これはですね、そう考えておくっていう話が、
最近もある方が出たんですけど、
そう考えておくというよりは、
やっぱりそうだとしか言いようがないっていう風に、
思えるんですよね。
これって結局、頭の中で考えたことの方が、
現実よりベターだって言いたいわけじゃないですか。
もしそう考えないならばですね。
それほど頭ってすごいものかなって。
私たちの時代はですね、
昔から人は多少そういうところもありますけど、
知能ってものを過大評価しすぎてますよね。
どう考えても。
これは脳科学者ならみんな言うことですけど、
あんまり変わらないんですよ。
ボノボチンパンジーとかと。
僕らはボノボチンパンジーの知能とか、
ものすごく低く評価してますよね。
はっきり言って。
火が使えたらびっくりするぐらい、
アホだと思ってますよね。
でも人間の知性ってものすごい高いものだと思ってますよね。
全く別のものぐらいに思ってますけど、
かなり造形的には似てるんですよ。
前東洋の大きさに相当量の差はあるけれど、
それにしても似てるんですよね。
なのに現実っていうものは、
我々脳は決して作れないんですけど、
現実は脳を作ったんだけど、
現実ってものをえらく低く評価するんですよ、また。
朝6時に起きられないとかね。
朝6時に起きるっていうのは、
脳が考えるベストなんですよ。
でも起きたのが6時38分でしたってことになると、
落ち込むんですよね。
これは脳がやってることなんですけれどもね。
現実っていうものをすごく低く評価するんですよ。
これは私たちの相当独特の癖ですね。
多分人間しかそんなことやんないし、
人間ってのはどうして自分の頭はそんなにいいと思ってるのか。
で、そういう話は多少は入ると思うんだけれども、
ただタスクシュートの話、時間管理の話をしてるとき、
これはもうベースにあるものではあるけれど、
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これについて延々喋るっていうのもあれなんだなっていうのを
最近すごく意識するようになって、
でもそうするとどうしてもテクニカルな話に終始しちゃうと。
この辺をちょっと実際にやってみないとですね、
その辺のいい塩梅を捉えるっていうのはできないんで、
それはもう実際明日やってみてのお楽しみってやつなんですけど、
僕自身にとってもそうなんですけど、
まだ何の結論も出してないですから。
これと同じですね。
というわけなので、興味あるという人はですね、
高いやすいっていう話もあると思うんですよ、オンラインでですね。
僕この高いやすいっていうのも相当最近、
どうなんだろうって思うようにもなりました。
今、東方カイトさんっていう方の連続講義をお金払って受けてるんだけど、
これはいろんな人と一緒にですよ。
一人で受けてるとかじゃないですよ。100人くらいいますけどね。
高いやすいっていうのはああいうところでもお金払ってるわけだから
意識せざるを得ないんですけれども、
でもこれってやっぱり約束ごとなんですよね。
そして約束ごとっていつでもそうなんだけど、
正しさってものが出てくるわけですよ。
適正価格の正って正しい字、正しい手字当てるじゃないですか。
適正価格って何なんだろうなって思いません。
私は非常に強く思うんですよね。
非常に極端なことを言えばですね、
我々が高いって思った時、それは事実なのかって問うべきだと思うんですよ。
事実かどうかってのは、
あなた起きてますかって話も含むんですよ。
だって皆さんマトリックスとか好きじゃないですか。
インセプションとかね。
広角軌道帯とか、私まだちゃんと見てないんだけど。
本当にそれ事実なんですかっていう、
私たち平気で事実として高いとかわけわかんないこと言うんだけど、
事実として高いとはどういう意味なのか。
まずそれ夢じゃないかどうかから入っていかなきゃダメだと思うんですよ。
やっぱり。
私もよく言われるんですけど、
佐々木さんがこう言ったからこうしてるんだけどうまくいかなかったみたいな。
それは事実なんですかと。
私の立場から言うのはどうかと思うんですけどね。
でもまず佐々木そう言いましたかってのあるよね。
で、もしかして夢見ませんでしたかってのもあると僕は思うんですよね。
我々は疑うのは大切だとか、
すごく疑わしい知覚を信じないとか記憶を信じないとかって言う割には、
非常に事実というものを簡単に受け止めますよね。
事実としてって平気で言うじゃないですか。
私事実としてって聞いた時にはまず100%嘘だと思ってます。
解釈としてっていう風に聞き直すことに脳内でね。
だって解釈ですからね。
そして何よりもまずいのはその解釈は脳がやってるんですよ。
で、本人はそれを事実だと思ってるんですよ。
しかも知覚だとすら思うんですよね。
でも知覚ってのは夢の中でも知覚ですからね。
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この話も死ぬほどしたんでもういいかなと思うんですけど、
これは毎回毎回新しいことのような気もします。
だせなら毎日毎日夢に騙されてますからね、私たちは。
で、というわけでやります、明日ね。
で、もうこれでほとんど今日言いたいことは言い尽くした感はあるんですが、
私たちはですね、怖いというのはつまり人が怒っていると怖くなるんですけど、
人が怒っているのを見たときにまず今のように考えるべきだと思うんですね。
夢見てるんじゃないだろうかと。
もしそれが夢ならばですね、恐れるには及ばないんですね。
これってどういう意味なんでしょうね。
ある人が怒ってます。
例えば私が書いたものが、今回GTDの話もするんですけど、
佐々木のGTDはデダラメだと怒っていると。
で、僕ひるむんですよ、それを読むと。
ところがなんでひるむんでしょうね、これね。
まず第一にそれが夢だとひるまなくていいんですよ。
これはどういう意味なんですかね。
夢だとひるまなくていいってことは、
夢ならば攻撃されていないということになるってことを意味してるんですよ。
つまり私たちは知覚を100%信用してはいけないんですね。
知覚の中で怒られていたからといって、本当に怒られているとは限らないわけですよ。
これはすごくややこしく考えているように思われるかもしれないんですけど、
私、人は絶対こう考えると思うんですよね。
だから知覚の中でだけ、例えばですね、
私、グラドーンさんの勧めもあって、
VRで人が怒っているシーンっていうのを、
私が怒られているというVR何度も見てるんですけれども、
怖いと思ったことないんですよ。
めちゃくちゃ言われるんですよ。
だけど私が言われている気はしませんからね、あれね。
ちなみにVRのファンザのものとかって結構すごいですよ。
リアリティがあります。
あれだと簡単に体反応します。
これ一体どういうことなんですかね。
あれだって嘘だって知ってるんですよね、私は。
この辺のことは、すごく怒られた時には意味があることだと私は思うんですよ。
つまり怒られるというのは、
怒鳴られるとか文句をかかれるとかいう知覚のことではないんですね。
その外にあるものなんですよ。
その外で相手は確かに怒っているっていうのが怖いんですよ。
でもツイッターで何か佐々木はアホだって書いてあったからといって、
恐れる必要はないじゃないですか。
だいたいその佐々木って私のことじゃないかもしれないじゃないですか。
この苗字いっぱいいますからね。
異獣院とかぐらい珍しくは、もっと珍しい千代さんって人いるんですよ。
私の高校時代の同級生にいたんですけど。
のは平仮名なんですよ。
そういう珍しい苗字ならば、それですらどういう人物かわかんないけど、
私の苗字ごときじゃ全然わかんないですよね。
佐々木俊男さんの方がよっぽど有名な上に厳しいこと言われてますから。
ツイッターでですけどね。
このツイッターでそういうことを言われて怖いというのは、
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一つにはですね、やっぱり自分の評判が落ちるって考えなんですよ。
ところがこれも不思議で、
評判が落ちると商売が成り立たなくなるとかいうことがあるのかというと、
私はそれは事実としてそれこそないと思うんですね。
私の評判は、一番売れてる時が一番悪かったんですよ。
これはごく当然の現象で、一番売れてる時というのは、
必ずと言っていいほど、私のことが好きになれないはずの人が本読んじゃったりしてくれるんで、
大変良いことなんですけどね、これは。
それが良くないことだという意見もあるんだけど、
私は最近それは良いことだと思うようになったんですよ。
なぜならば、愛の反対は無関心ですから、
この話してると10分過ぎるんで、
15分には切り上げたいという事情があるので、
ここは切り抜けますが、
愛の反対は無関心ですから、
バカにされたり怒られるということは実は、
愛されてるということなのでもあるのでね。
これ同一化に対する抵抗なんですね。
もう説明が始めてるからダメですね。やめますね。
で、一番売れてる時が一番評判が悪かったんですよ。
ということは、評判によって売れなくはならない。
多くの場合、多分そうなんですよね。
私、評判によって売れなくなるっていうのは、
よっぽど疑わしいという気が最近はホントします。
今が一番何の評判もない、この状態っていうのがですね、
ある意味一番売れない、でもそれは当たり前ですよね。
例えば私の奥さんなりが、
ノートとかに今何か書くとするじゃないですか。
ビュー1とか0ですよ、本当に。
文字通り1とか0になります。
これって悪評0ですよね。
全く誰にも読まれてないですよね。
こういうことになるはずなんですよね。
これが一番良いんだったら簡単じゃないですか。
完璧に無名であれば、
誰にも絶対文句は言われないわけですよ。
これが一番怖くないっていうのはそうかもしれないけど、
これだともう100%売上はなくなりますよね。
ここから売上がつくのは大変ですからね。
これに比べれば、
だから炎上商法ってせりずしちゃうんですけれども、
炎上してる方がはるかにやっぱり
食うことはできるだろうなっていう感じがするので、
私が言いたいのは炎上が良いとか、
炎上で食えればいいって話ではなくて、
悪評で食えなくなるというのはイリュージョンだと思うんですね。
さっきも言った通り、悪評が怖いというのは
ここで2つあるんですよ。
2つなくなったんですよ。
つまり悪評という知覚は怖くないんですね、私たちは。
多分そうだと思う。少なくとも私はそうですね。
VRの悪評は怖くないですから。
次に悪評で食えなくなることが怖いわけじゃないってことなんですよ。
でも怖いんだとすると、
もう一つしかないと思うんですよね。
攻撃は悪である。
私はこれじゃないかなって思うようになりました。
最近奥さんとやり合っちゃったことがあって、
この時思ったんですよ。
なぜ自分は腹が立つんだろうって一生懸命考えたんだけど、
NがどうしたとかNSがどうしたとか、
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甘えさせるとか全部考えたんだけど怒っちゃったんですよね。
一体これ何なんだろうと思ったんですよ。
その時に結局攻撃は悪であるってことなんだなと。
そうするとすっごいおかしなことが起こるんですよ。
攻撃が悪だとすると、
これから自分がやろうとしていることは何かというと攻撃なんですよ。
たとえそれが反撃であろうと、
防御のためであろうと、
防御のためなんだけど、
私が言い分があるからだと言おうと何だと言おうと、
攻撃をしようとしていることは間違いないんですね。
攻撃は悪なんですよ。
攻撃が悪だから攻撃を仕返そうとしているわけですよ。
これはいろんなグッドバイブスでも言われていることなんだけど、
改めてその場に自分の身を置いてみて、
この攻撃を悪だと思いながらやるとやったんだけど、
どういうことなんでしょう。
夢かもしれないにもやったんですよ。
夢かもしれないとも思いましたね。
この場合の悪評によって私が食いパクれるのは論外ですよね。
奥さんが私の悪口をいくら家の中で言おうと、
そのようなことで売れなくなったりはしない。
一つしかないんですよ。
攻撃は悪であるな。
私がそういう正義感を持っちゃっている。
この正義が通らないという恐怖感なのかなと思うんですよね。
非常に変な話な気がします。
誰でもいいんですけどね、
私に攻撃をしている人がどこかにいるとしましょう。
その攻撃は悪いことだと。
その攻撃をするような人は悪い人だと。
私に見えているかというと見えているんですよね、これが。
売れなくなったって構わないと思っていて、
VRのようなものだと思おうとすることは相当量できて、
なおイライラするというのは、
結局それは悪がのさわっているって話なんですよ、例の。
悪がのさわっているからといって何なんだと。
仮にその人に対して私がここなり、家なり、
どこででも攻撃を始めるとすると、
私は悪になっちゃうんじゃないですか。
困るんですよね、この図式だと。
非常に困ると思うんですね。
私は非常に困ったから。
困らなくなる方法があるなと思ったんですよ。
攻撃は悪ではないことにしちゃえばいいんですよ。
そうしたら困らなくなるわけですよね。
攻撃が悪じゃないということは、
私が攻撃したっていいんですよ。
だって悪じゃないんだから。
善であるぐらいに、この際ちょっと頭が混乱してるからね。
攻撃は善であるぐらいにしちゃうと。
そうすると攻撃をするということは何の問題もなくなるんですよ。
これで気持ちよく攻撃できるんだけど、
ふと不思議な問題が起きるんですよね。
攻撃が悪でないなら、私は何に腹を立てていることになるんでしょう?
ってことが起こるんですね、ここで。
私が攻撃されていることが良いことならば、
私これに腹が立たないはずじゃないですか。
さっき言った通り、さっきの二つは取っておかないとダメです。
これは夢かもしれないってこと。
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これはデカいです。
あともう一つ、これによって私は、
言ってみれば実害はこうもらない。
実務上の被害はこうもらない。
これはですね、よくよく考えておく必要はあります。
ただし、攻撃がゼロになったときに、
私のような商売は食いっ暴れるってことだけは、
忘れないほうがいいような気がします。
これはもう実績的な話だけしてるわけですからね。
残る一つは、攻撃は悪であるなんだけど、
ここで攻撃が悪でないとすると、
私が腹を立てる理由は失われるんですよ。
これって何かに似てるなと思うんですね。
このポッドキャストでは言ってることですけど、
同一化なんだなって思うんですね。
私は攻撃している対象に同一化できないんです。
その人と同じになれない。
同じになれないことに腹が立つということは、
同じになりたいってことですよ。
甘えなんですよ、これは。
私は母親に同一化したい。これが甘えですね。
母親のようになりたい。
父親のようにでもいいですよ、別に。
なんならウルトラマンのようにとか、
ラオウのようにとかでもいいです。
ラオウわかりにくいのかな、今のときは。
なんでもいいですよ、鬼滅の刃の先生みたいになりたいとか、
なんでもいいんです。
それになりたい、それになれない。
なぜならばそれは悪だから。
これが甘えられないときの状態の、
極めて典型的で、極めて子供っぽいやつですね。
だから、怒ってる人には同一化できないんですよ、
悪であれば。
でも、怒ってる人が悪でないならば、
同一化できるんですよ。
この同一化がやりたくないんですよね。
相手のようにだけは決してなりたくない。
そう思いません。
私たちは相互に批判しあっているだけ、
相手のようにだけは決してなりたくないんですよ。
これが愛の反対は無関心なんですね。
無関心でいられれば一番、
安全、安心だっていう態度ってあるじゃないですか。
軽蔑したいっていうのは、
同一化しそうになっているときに起こる心理だと、
私はこのポッドキャストで言ったんですね。
結局こんな話に戻りましたね。
軽蔑っていうのは、
同一化に対する自分へのブレーキなんですよ。
相手と一つになりたくないんです。
一つ意識的に言うならば。
こいつにだけはなりたくない。
だから、なりそうになっている自分というものが、
いかに愚かであるかを自分に今しめているわけです。
これが軽蔑だと思いますね。
だから、こんな奴になっては人間おしまいだと、
よく言うじゃないですか。
あんな宗教に入るようじゃ人間おしまいだよね。
っていうあれです。
あんな宗教に関心を持っちゃったから、
そういうことを考えなきゃなんなくなっているんですよ。
全く無関心なら、そういうふうには感じません。きっとね。
だから、愛の反対は無関心なので、軽蔑じゃないのでね。
つまり、悪だと自分が思っているもの。
攻撃していてつらいな。
今後この人に攻撃されていてつらいなと思うものを、
私たちはやっぱり愛しているんでしょうね。
これは非常に今みたいに、
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ぐるぐるぐるぐる回してなんとなく見えてくるような話だけど、
でもきっとそうなんだと思います。
だってVRで怖くないのは結局そういうことですよ。
自分と本当の意味で関係がないものは、
知覚として攻撃してきても怖くはないんです。
怒っていることが怖いというのは、
いたたまれないということに近いんですよ。
全く怒られてなくても、
それこそ口で悪口を言われてなくても、
みんなに白い目で見られているような気がするとき、
私たち怖いと思うんです。
攻撃されている気がするから。
それって、それらの人たちに
受け入れられたいという気持ちの占い師だとやっぱり、
しか考えようがない気がするんですよね。
だから攻撃そのものが悪であるということは、
結局その攻撃対している人に
関心を向けてしまったんですよね。
なんだけれども同一化はしたくないから、
引き止めなきゃならない。
その相手がいかに悪くて駄目な存在かということを、
自分に認識させないと駄目なんですよ。
そこで例のマウントという問題も出てくるんですよね。
相手が駄目で悪いやつだということを
認識したいと言っているその側から、
相手が立派な人だと思うのは非常に嫌なことですよね。
そういうことなんだと思います。