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おはようございます、グッドモーニングボイスです。
1月28日、月曜日。8月も夏休みも大詰めかな。
もう既に北国とかね、北国って言わないですかね。東北北海道では学校始まっているかもしれませんけれども、
私のところは関東だったんで、新学期といえば9月みたいな、そういう感じでしたね。
月曜日、ゴミも出してきましたし、9時30分ですね。
これアップする頃は10時過ぎてるだろうなとは思うんですけど。
普通の相談が原石
先日、先週の土曜ですね、山崎孝明さんをお迎えして、精神分析館ですね。
本当にこう、何ですかね、最近ちょっとベストセラーっぽくなってる普通の相談、あれは遠畑海人さんの本ですけど、
で、言うところの純金の人ですよ。
あの、まあ、あれなんですよね。精神分析なのかな。
まあ、専門のカウンセラーをやってる人を純金のカウンセリングって言って、
他の混ぜ物、例えばユングっぽくやるとか、そういう混ぜたやつを合金と言うわけですね。
で、遠畑さんのあの普通の相談はその観点を逆転させて、
普通の相談が原石なんだって。
まあこれ、その純金、合金の言い方は変えずにってところが上手いんですけどね。
普通の相談って野の医者は笑うでもそうですけど、野の医者のやってることは原石なんだってわけですよね。
で、原石からものすごくこうね、方法論とかメソッドとか、
そういったものを抽出して抽出して徹底的にやると純金が出てくるに過ぎないんであって、
もともとそういうものは普通の相談の中に、
だからそこら辺の意思の中にも転がっていて、
その普通の相談から精神分析が出てくるんで、
その逆じゃないんですよって言ってる本なんですね、あれは多分。
まあ僕は読んだんですけど、そういう本なんですよ。
ちょっと論文帳でですね、
普通の人が読んで、僕は面白いと思うんですけど、
まあ、いつもの東畑さんのギャグで押しまくるみたいなのとはちょっとニュアンス変わってんなとは思いましたけど、
あとですね、あれなんかね、僕、なんていうんですかね、
略中と正しがきの間みたいな、本文中でフォントを小さくしてある部分があって、
この手法は何とかちょっと違う方法はなかったかなって時々思うんですよ。
なぜなら多分あそこ読み飛ばされる気がする。
余計なことなんですけどね、本当に人の本にね。
読み飛ばす、あそこ読み飛ばすと、あの本は分かりにくくむしろなると僕は思うんですよね。
多分東畑さんは、あるいは編集者さんは、
親切でああしてるんだと思うんですね。
ちょっと専門的だよっていうシグナルなんですけど、あるいは余談ですよっていうシグナルなんだけど、
そうは見えないんですよ。
あれを通しで読んでいくと、それは余談じゃなくて必要な手法だろうって感じが読んでてするんですよ。
でもまあ親切なんですよね、結局。
そこはちょっと専門的ですよっていう。
いかにも純金の世界は専門的な話が多いから、
ああいう風にしたくなるんだろうなってのは分かるんだけど、
特に論文をもとでにして作った。
もともと論文書くつもりだったんだけど本になっちゃいました。
そういう本ってあるんですよね。
話膨らんだし面白くなったし一般向けにも役立つからってことで、論文が本になるって。
あんな風に売れないですけどね、普通のね、きっとそういう本は。
面白いですね、やっぱりね。
そういう才能があるんだろうなということをちょっと感じつつ、
その遠肌先生を読んだわけじゃなくて山崎先生を読んだという回って、
これは非常に刺激的でした。
僕がイメージしていたような展開には全くなってないんですけど、
もう本当にそうはならないってか、
もうイメージするのやめといたんですよ、はっきり言って。
イメージすればするほど無駄なことになるだろうと。
野の医者の世界
やっぱりですね、僕なんかはまさに野の医者なのか野の医者未満かもしれないですけど、
そういう人間が頑張ってなんかこうね、
それこそ玉石効果っていうんですかね、
玉あるのかみたいなところもありますが、
カオスの中で頑張ってやってきたライフハック的な、
しかもライフハックとも言えないみたいなのの中で、
純金の人を呼んできて話していただくと。
向こうに向こうのご事情とか絶対いろいろあるはずで、
しかもそれは僕らから全然わからないというね、
大変カオスなことになるに決まってるんですけども、
来ていただいただけで、そういう状況からするとありがたいって感じで、
来てどうなるかはもうお互い分かんないまま始まっていくっていうね、
まさにそんな感じだったわけですけど。
だからね、動画配信とか動画販売ってわけにはいかなかったわけですね。
だから来ていただくと、これはそれしかないんですよ。
そしてしかもそれが果たして皆様の来て、
お金払ってこういうものが聞けるだろうと思ったものとは、
多分全く違うものを聞くことになるんですけど、
僕はそれでも、というかそうでなければおかしいだろうって思っています。
だからそういうものだと。
そういう意味ではですね、やっぱりこう、
例えば倉園恵都さんもそうですし、
ちょっと昔のJマスザキさんもそうでしたけど、
野の医者の人たちはよくわかってらっしゃるんですよね、その辺が。
そして、ある種の束縛はないわけですよ。
やっぱりその、なんていうんですかね、
親方のいる世界、エディクスが厳しい世界で一線を張ってやっていらっしゃる方は、
もうほんとそこで何を言うか、どんな言葉を使うか、
そもそもそこに行くのどうなのみたいな、
そういう縛りが多々ある中で、
もう来るだけでも大変なわけですね。
だから、極一般のちょっと困ってんだよな、みたいな感じで、
わらわらっと集まったところで、
倉園さんなんかが僕の知っている中では、
すごいそういうのに長けている方ですけど、
さらっとみんなが聞きたいような話が染み入っていくだけには、
なかなかそういう立て付けにはできない。
僕はそもそも野の医者系なのにそういうのが得意なわけじゃないんだけど、
野の医者の人たち、やっぱりその辺は上手いんですよね。
山崎さんがそういうのが下手だっていうわけじゃないですよ。
多分山崎さんが野の医者になって、
全然違う、山崎心理学みたいなのを始めると一気に変わるんだけども、
精神分析科という立て付けで来ていただいたから、
いろいろとすごくここは走るけど、ここはもう動かないみたいな、
そういうことが僕らに感じられるっていう話になりやすいんですね。
つまりそこには層があるってことですよ。
これがまた精神分析の集まりだったら全然違うと思いますよね。
だからこの非常に無理な立て付けを僕は、
無理を承知で設定して、今後も無理を承知で続けていくという、
ものすごくありがたいお話で、山崎先生は本当ありがとうございますという感じなんですけどね。
それでできるだけいろんな形で無理のないようにはしたいと思うんだけど、
でも実際どうなるかっていうのがイメージがない、できないまま始めている子どもって、
皆さんが受け取ったのは僕が想像しているものとはもう違うでしょうし、
来ていただいた方ね、参加された方の中でもいろいろだったと思うんですけど、
これは僕はいい回だったと信じてやっておりまして、
今後もそう信じると、何がどういいのかは説明できませんという、
ちょっとわけわかんない感じではあるんですけれどもね。
5年経ったらその良さがわかるかもしれませんよっていう、
じゃあその日良くなかったかっていうとそうではなかったんですよ。
すごく楽しかったって方も何人もいらっしゃったし、
そうでなかった方もいらっしゃるかもしれないけど、
僕はそれはじわじわ来るって思っております。
普通ではこういうことはできないからね、僕は思っておりますと。
無理な立て付け
だからこれをやります、来月もね。
9月の29日に今度は上板橋でですね、非常にさらに無理な立て付けで、
エフタさんという方と東京ライフ発見協会の北信也さん、ベックさんですね、
私とでやると。
もしかするとベックさんはその日お仕事とかがあって、
万が一来られないかもしれないんで、
まだ公式の告知はまだスタートしてませんけれども、
8月中には必ずやろうと、告知もやろうとでおります。
これもね、山崎さんは来てくださるということなので、
非常にまたありがとうございますといった感じなんですけどね。
そういう告知をして、
ぜひ多くの方にオンラインで、
多分上板橋にダイレクトで来られるって方は平日夜になるんですけど、
そんな多くはないと思いますし、
僕もこの集まりというか、
集いと言いますか、
ミニセミナーというのか、
これをですね、
すぐにビジネスにしましょうみたいな気はさらさらないです。
ギリギリ赤、前回赤黒ギリギリ、
自分の途中で食べたものの分ぐらい赤かなみたいな、
マイナス300円とかね、
そういう可能性はあるんだけど、
それはいいでしょうという感じで、
これでもうプラスにしようとか、
これで俺は生きていくぞみたいな気はなくて、
これを続けられれば本望だって感じでやっています。
僕はこれ必要なものだと思っているんですね。
多分ビジネス紹介というのか、
ライフワーク界というのか、
仕事術界というのか、
とにかく今日はそういう話を、
少しまた違った角度から話したいんですけど、
とにかく必要なもんだと思っているので、
何がどうこれで提供されるのって言われると、
本当に答えられないんですけど、
でも絶対いるって思っておりますから、
やります。やれる限りはですね。
真っ赤くなってめちゃくちゃこう、
完全に全部自腹だよって言うんだったらやめますけど、
そうでなくて、
僕のお菓子代が当日分マイナスになりましたぐらいならやります。
プラスにしなくてもやるってことですね。
でもそれでずっと続けていけるのかっていうのは、
まだわかんないですけど、
そこはおいおい考えて、
プラスそうだな、
プラス交通費と、
当日のなんかちょっと食べちゃった代を出して、
プラス1000円とかだと、
プラス34000円だといいかなっていうのが、
本音としてはありますが、
その辺ですね。どっちにしても。
マイナス1000円からプラス1000円の、
そのレンジでやれる限りはやるぞっていう感じですかね。
はい。
もうなんか、
いくら話しててもしょうがないんで、
とにかくやるっていうことですね。
今日お話ししたいのは、
それとはちょっと違うかな。
先週もこのキーワード出したんですけど、
最近僕はこの立て付け…
概念でいこうと思ってるんですけど、
タスクシュートでですね、
2つのフェーズに分かれるなというか、
分けて考えようと、
最近思うんですよ。
それは脱出ゲームっていう言葉で、
表現しようと思ってるんですけど、
要は現状を変えたいという時に、
タスクシュートの役割と活用
タスクシュートに多分普通の人は手を出すと、
思うわけですね。
多分なんですよね。
これはその現状や家族も素晴らしく、
勤め先もいい人ばっかりで、
仕事も充実していて、
日曜も土曜もすごく気分が良くて、
生きててすごいハッピーです。
じゃあタスクシュートでもやるかっていう風には、
私はならないとやっぱ思うんですよ。
これはね。
タスクシュートをやろうという時は、
現状の現実に不満があって、
そこをもう変えたいと。
何なら生きるということは、
そもそも不満ばかりで、
ここをリセットしたいというのかな。
一心したいっていうね。
そういうような時にタスクシュートってものが、
多分ある意味、これも野の医者ですよね。
藁にもすがるというところもあって、
手を出すという方が多いんじゃないかと思うんですよ。
こういう方に使い方云々っていう話をしていっても、
どっかすれ違うなって思うんですよね。
とはいえ、こういう方が圧倒的に多いと思うので、
ここを脱出ゲームフェーズって呼ぶことにしたんですね。
この時にやろうとしているのは脱出なんで、
後ほど言いますけど、
これは僕はですね、
この脱出をする不満だらけの環境というのが、
果たして問題が本当に環境にあるのか、
それはある種のイリュージョンなのかという、
グッドバイブスでいうところもね、
イリュージョンなのかという議論はあるんですけど、
多分そんなこと言ってられないというか、
これで先日の山崎さんとの会でも、
そんなこと言ってられないっていう言葉と、
あと3回までは変えていいっていう話でちょっと盛り上がって、
同じ話、近い話に出てるなって思ったんですけど、
そんなこと言ってられないわけですよね。
結局、この会社から脱出せねば、
これは一番多いかなと思うんですけどね。
一番多くはないか。
転職的なね、転職したい。
あるいは、もっと多そうなのが、
いわゆるゲッティング・シングス・ダンでも言うところの、
気になることがいっぱい取り囲まれても、
本当冗談じゃないよっていう状態。
この洗い出しモード。
この時も脱出ゲームだと思うんですよね、一瞬。
脱出するために今やるべきことをガンガンやっていかないと、
このままではもうとにかくどうにもならんっていうこと。
この時にタスクシュートに走っている人にですね、
現状に満足しましょうとか、
評価はあなたがあるがままでいいんですとか言っても、
始まらないなというか、
多分声が聞こえてないなって感じがしますんで、
この時は一つの原則さえ守っていただければ、
ありかなと。
脱出ゲームの目的と繰り返し
他のことはどうでもいいかなっていうふうにある意味思ったんですよ。
逆算していただこうと。
第二領域増やそうと。
別にそれはそれでいいんじゃないかと。
どういう方針でもいいから、
とにかくタスクシュートに縁があってですね、
見つけていただいたんならば脱出してくださいと。
脱出したいと言ってる人に、
そこは決して悪い現実ではなく、
あなたのイリュージョンですとか言うのは本当に、
そんな話をされても困るわけですよね、きっとね。
だから脱出しましょうと。
分かんないわけですから結局他の人には、
僕なんかにはですね、その人が実際にどんな目にあっていて、
どういう思いでいるのかというのを究極的には分かんない。
そもそもタスクシュートに出会っただけの人には、
私は出会わないかもしれませんからね。
私が出会っているわけじゃないわけだから。
だから話としてはですね、脱出を心がけていきましょうと。
その時にタスクシュートは僕は役に立つと思うんだけど、
なんでそんなに役に立つかというと、
何から脱出しようとしているかを、
これほどはっきりさせてくれる方法論はあんまないと思うんですね。
あなたは今何をしていますかを問うツール。
そしてこれは問い続けるんですよ。
我々は今というところから流石に脱出できませんから、
今住んでいる家から、あるいは今付き合っている彼氏から、
脱出することはできますが、
今という時間から脱出することは、
生きている限りは無理なんですよ。
だから必ずこの問いは永遠に続くわけですね。
今あなたは何をしていますか。
これね、自分を責め立てるように見ないでほしいですよね。
本当にできるだけ冷静にニュートラルに。
人間ニュートラルはないって話をこれからするんだけど、
ニュートラルに今何を自分はしているんだろうと、
それを書く。
いつそれはしているんですかっていって、
今の時刻を書く。これだけなんですよね。
これだけを守っていれば、
間違いなく僕は脱出ゲームに大いに貢献できると思うんですよ。
今あなたは何をしているか。
多分脱出ゲームに強じているというか、
もう本当に脱出しなきゃっていう風に
モチベーション高く脱出を心がけている人は、
この今やったことは俺の脱出に役に立つのかと、
自問すると思うんですよね。
自問しちゃうと思うんですよ。
私はそれが通常の私が使っているタスクシュートのやり方と
ちょっと違うんだけれども、脱出ゲームモードの時は
もうしょうがないと思うんですよね。
多分こういう思考になると思うし、
こういう思考になれば脱出には役に立ちますよね、やっぱりね。
それなりに。
脱出しようとするのに、これは貢献する行為だった。
脱出したいんだ。
その時、この問いの次に当然立ってくるのか。
その行為が、例えば英語の勉強なら英語の勉強、
資格と主権の勉強なら資格勉強が、
脱出ゲームに役に立つというならば、
一体何から脱出しようとしているのかという問いも
常に突きつけられるというか、
常にそれと直面し続けることができるんですよ。
だから僕はタスクシュートを頻繁に見返すということが、
朝の自問と持続的なタスクシュート
タスクシュートを使い始めた初期のユーザーには
大変有効に作用すると思うんですね。
終了予定時刻が何時だとか、
このルーティンの順番がどうだからというのは、
ある意味二の次だと思うんですよね、やっぱり。
問題になるのは、現状のこの状態を肯定できない、
肯定できない現実に自分は取り巻かれている、
取り囲まれている時に、そこから脱したいと思うならば、
その現実とはいかなる現実で、
その脱出のために自分は何をしたのかということを
常に自分に問わないと、結構僕らはこれを忘れて、
気がつくとですね、脱出したいところに舞い戻ったりするんですよ、本当に。
全然それは驚くようなことじゃないんですよ。
よくタスクシュートカーナビに例えるんだけど、
ここには大きな落とし穴があって、僕ら地図を持ってないんですね。
正しい地図なの。
カーナビの地図は正しい道路地図なんです。
あれだって日本だからなんだけどね。
そんなに人生の地図が明確に、
刻印に客観的に書ける人はいないんで、自分の地図だから。
当然その地図はデタラメなんですよ。
だからタスクシュートというので、
どれほどカーナビっぽく使えているように思えても、
それは錯覚であって、あくまでもタスクシュートにできていることっていうのはですね、
今自分が何をしているのかをクリアにする。
ここを非常に明確にする。
それも本当はそんなに明確になってないんだけど、
インスタントでできるレベルとしては最高レベルで明確になって。
つまり何時何分に何と自分が名付けた行為をしているかということがわかる。
たったそれだけなんだけど、
これがしないのとするのとでは違う。
人が多いと、ユーザーが多いから、
これが有効に作用するんですね。
私は今はもう完全にそういうふうに認識してるんですよ。
それってタスクシュートのね、
元祖の開発者である大橋列夫さんの発想と、
そこはないのと言われるかもしれませんがないと僕は思うんですよね。
彼が会社でね、
ちょっと厳しそうな業務をいきなり振られて、
時間が十分あるかどうか、締切まで間に合うかどうかがちょっと不安になったときに、
その業務に自分はどれぐらい避けているのかを記録しようと思って始めた。
Excelに記録を始めたというのがタスクシュートの原点なんです。
これは僕は脱出ゲームだと思いますし、
それから彼の当時の真理は脱出ゲームになっていたと思うし、
そのために今自分がどれぐらい脱出ゲームに役立つことができているかを明らかにしたという点で、
何らタスクシュート、タスクシュートのほうが洗練されてますけど、
Excelにいきなり打ち出すより、やろうとしていることに違いはないと思うから、
僕はこのやり方が脱出ゲームに有効だったという、
彼の原的体験と現在のタスクシュートの初期のユーザーにお勧めする脱出ゲームの方向性というのは何らそごはない。
おかしなところはないと思う。ぴったり一致していると思うんですよ。
だから私は原点的なところから話を始めて、もうここに行き着くと思うんですね。間違いなく。
そういうふうに考えるならば、脱出ゲームにおそらく有効に作用するし、
今脱出したい現状というものをお持ちであるというか、
そういう現実環境の中にいらっしゃるなら脱出しましょう。それ使ってですね。
そしてですね、ここから先が大事なんですね。
朝タスクシュートを使い続けられた場合ですけど、使い続けるにあたって、
だからこれ習慣化が大事だとか、記録の習慣をつける必要があるというのは、
必ずしももう本筋でもなくなってるんですね。穴だらけだって構わないですよ。
これを何度自分に問えるかという点だけが大事であって、何度でも問い直せばいいわけです。
だってどんな環境だって変化するわけですから。
だから今あなたは何をしているか、それまでの記録がビッシリきちっと取れているかどうかっていうのは、
かなりどうでもいいことなんですよ。
だってタスクシュート始めるまでは多分そんな記録なかったわけじゃないですか。
大事なのは過去どういう記録がどの程度正確に残ってるかよりも、
遥かに大事なのは、今自分が何をしているかという記録というか、
この自問が確実に問えるかどうか、そしてちゃんとそれに答える気があるのかどうかが、
多分この脱出ゲームの整備を分けるポイントになると思いますね。
だから頻繁に問えばいいわけです。
そして朝ですね、必ずこう問い直してほしいんですよ。
脱出ゲームまだ続けるっていうこれって、これがいるんですよ。
脱出ゲームはどこかで終わらなきゃいけないと私は思うんですね。脱出ゲームなわけですからね。
最近私ピクミンというゲームにハマってて、
脱出ゲームの続行
昨日なんか1日5時間くらいやって、久しぶりに時間とかしたってこれだわっていう経験をしたんですけど、
ピクミンというのは要は対列を引き連れてピクミンというね、
なんかわけのわからない小動物を引き連れて脱出するゲームなんです。
レスキュー隊としてね、人を助けるんですけどね、そこから脱出するゲーム。
中にちょっとヤバそうな生物がうようよいる、原生生物とかいうの。
それをピクミンの力を借りて、やっつけて脱出するという脱出ゲーム。
脱出ゲームは終わるんですよ。
終わらなければいけないんですね。
終わらないってことは、私たちは人生から脱出することになってしまいますよね。
やっぱり別れるにせよ、別れないにせよ、どこかでそれを決めなきゃならないと思うんですね。
ずーっと脱出し続けているわけにはいかない。
だから朝必ず自分に問い正す必要があるんです。
脱出ゲームを今日も続けますかと。
どこかで終わりが来るはずなんですね。
どこで終わるか、これを自分で決めなきゃいけないんですね。
どこで終わるかというのは、現状を変える必要を切迫感を持って感じるかどうかで決めていいと思います。
今この現実がありますと。
その現実はあなたが緊急に変えなければ人生やっていけないとか、
命に関わるかどうかはともかくとして、そういうこともあるかもしれませんが、
とにかく自分が傷つき続けるというのは難しいんですよ。
非常に難しいけれども、でもここを疑問にできて答えられるようになって、
そしてですね、やめられるようにならないといけないと思うんですよ。
人生に定義を与えちゃいけないと思うんですね。
私の人生はこういうものなんだ、そうなんだ、みたいな。
決めて、永遠に脱出し続けるんだって勝手に決めちゃいけないと思うんですよ。
ここにGood Vibesのイリュージョンっていう話が出てくるんですよ。
あなたはちゃんと現実を見てますかと。
これはダスクシュートである程度補完できると思うんですよ。
つまりダスクシュートというのは、今何をやってますかと問うわけですよね。
今の現実はどうですかと、あれは問うてるわけですよ。
それは何時、何月何日の何時何分の現実ですかというのを聞いてるわけですよ。
過去はすでに現実ではないわけです。過去なんだから。
そういう過去とか、記憶ですね、記憶に誤魔化されちゃいけないんですよ。
昔ひどい現実だったからそこから脱出しなきゃいけなかったんですということと、
今現実から脱出しなきゃいけないんですことは全然違うわけですよ。
何の根拠にならないじゃないですか。
過去、ひどい彼氏が暴力を振るってきました。
その彼氏は今いませんが、私はまだ怖いので脱出ゲームを続けますというのをやめないといけないと思うんですね。
これを続けてしまうと、ダスクシュートが非常に不毛な窮屈さを強いてくるツールになっちゃうと思うんですね。
脱出ゲームは終わるべき時を迎えているのに、脱出ゲームを続けちゃうんです。
一体何から脱出するつもりなのかと。
そのために何をしているつもりなのかと。
これの呪文が嫌だっていう、実は心理が働くんだけど、
この呪文嫌だっていうのは僕はやっぱりおかしいかなと思います。
もう原生生物はいないんです。
なのに生物の幽霊みたいなのを見てですね、ここから早く逃げなきゃと思ってる。
これはやっぱりおかしいわけですね。
これをクラトノさんは、クラトノケイゾーさんですね。
おかしな行動と呼んだわけですね。
おかしいじゃないですか。
そこに危険はもうない。
危険に備えるとか言ってね。
続けてしまうわけです。脱出ゲーム。
だからここは新しいゲームの名称を僕は与えようと思って、
最初すごい悩んだんですけども、今のところ僕はですね、
ここをリアルゲームと呼びたいかなと思っています。
なんかこうユートピアゲームみたいに言おうかと思ったけど、
あれは存在しないっていう話になっちゃうし、
やっぱりユートピアとかではないな、リアルなんですよ。
ここでルールが逆転するってことを意識してほしいですね。
これまでの脱出ゲームは脱出ゲームなわけだから、
リアルゲームへの切り替え
環境に不満があったわけです。現実に不満がある。
それも強い不満がおそらくある。
それが脱出するべき根拠になるわけですが、
リアルゲームに切り替わるということは、
もう脱出する必要はないわけだから、
現実には原則として満足することができるはずなんですね。
満足すべき現状ってことになってるわけです。
ここにダメ出しをしちゃいけないと思うんです。
つまりルールが逆転して、
今までは脱出するために何かを自分はしなきゃいけなかった。
タスクですね。この現状が非常に厳しい、
非常に自分にとって不満の強い、
自分を傷つける、危険に晒すものだから脱出しなければならないから、
そのためにこれとこれとこれをしようというタスクリストだったかもしれないけど、
リアルゲームに切り替わったからには、
現実は満足すべきものなんだから、
そこから脱出するためのタスクは全て捨ててしまっていいはずなんですね。
手放すっていうのがいいかな。手放してしまっていい。
新たにやることというのは、
その現実と関わっていく上で、
いずれにしても変わらない行動ってのがありますよね。
例えば食事をするとか、そういうものは全てです。
家事も仕事。
やる、それは現実というものがおそらくもたらしてくれる行動。
もたらすというか、もたらしてくれるタスク。
とにかく自分がすること、その現実の中でする行為というものに、
原則満足がいくように観点を補正し続けていくっていうのかな。
調節し続けていくのがいいと思うんですね。
リアルな、満足すべきリアルに過ごしているんだから。
脱出すべきリアルとは全然違うわけですからね。
だからそこではその行為に一つ一つに満足がいくはずであって、
もしいかないっていうならばですね、
いくように自分の観点を変えられないかとまず考える必要があると思うんですよ。
結局変えられないかもしれませんよ。
変えられないかもしれませんが、
とりあえずこれに満足がいくっていう観点を取れないかという風に
発想を切り替える必要がある。
脱出ゲームにおいてはそんなことをしている場合じゃなかったです。
ここでそれが出てくるんですね。
観点変えてる場合じゃないと。
父親殴ってくるんだから逃げるしかないっていう話だったわけですが、
もうそうじゃないんだから、
今度はリアルな環境に満足するように自分を補正していく。
そういう方向にスイッチしなければおかしいだろうと思うんですね。
なんだけど、
花々しくタスクシュートを使って脱出ゲームに成功した人は、
そうは考えられないんですよ、なかなか。
脱出ゲームを続けてしまう。
満足すべき現状かもしれないが、
よく言いますが、現状に甘んじていてはダメだと。
現状に甘んじているとまたあのひどい現実が襲いかかってくるから、
脱出ゲームは続けようと。
もしかすると前よりもギアを上げて続ける。
ここが非常に不思議なんですけど、
これを言ってて本人は全然不思議じゃないって思う方の方が多いぐらいなんです。
ここでやっぱり切り替えるっていうのを、
タスクシュートでは強く言っておく必要が本来あるんだなっていうのを、
それこそ先日の山崎さんとのセミナーでもものすごく感じたんですよ。
ここを言わないとダメなんだっていうことをね。
とにかく脱出ゲームは終わったんですよ。リアルゲームになったから。
ここで脱出するための訓練とかはやっちゃいけないというか、
やってもいいけどやっちゃいけないってのはおかしいからこういうのはやっても構いませんが、
脱出ゲームは終わったという認識をはっきり持っておきましょうねと。
タスクシュートの強化
朝の最初に脱出ゲーム今日も続けますかと自分に聞いてください。
脱出ゲームを続けなくても脱出のための訓練が趣味だっていうのは、
そりゃそれでいいでしょ別に。趣味なんだから。
でも脱出ゲームが終わったってことは確か、
脱出ゲームは続いているんだ何らかの意味でって思うのはやめようねということです。
そういうふうに使ってると完全にイリュージョンの現実に囲まれることになりますから。
間違いなくそのいないものがいることになり、
危険な彼氏もいつやってくるかわからないとかね。
そもそも日本の男はDVだらけだから、
男を見たらみんなDVの彼氏だと思えみたいな、
そういう不思議な世界観を持つことになっちゃうんですよ。
これを持っていてもいいことは何も起きないので、
これ自体が非常に変なので、
僕らの物の見方にはどうせマイナスがかかってるんだけど、
このマイナスはきつすぎるんですよね。
そもそも現実が厳しい時よりも、
この方が私は厳しいと思うんですよ。
いないものの中に悪を見るっていうのは、
悪の中に悪を見るよりもやっぱり危険ですよ。間違いなく。
だって周りの人はそうは受け取ってくれませんから、
周りから孤立しやすくなりますしね、
こういう脱出ゲームを続けていると。
例えば、お金がない貧困だという脱出するべき現実があって、
それなりにお金が回るようになったけど、
この国の経済政策ではいつ貧困になるかわかんないから、
お金を全く使わない脱出ゲームを、
お金持ちになった今も続けようっていう人は、
だいたいちょっと孤立していくじゃないですか。
これはおかしなことでは全然ない。
ここでしかもタスクシュートは非常に強化することができちゃうんですよ。
脱出ゲームのつもりでリアルゲームをやるという状態を非常に強化してしまうんですね。
どんどんお金は貯まるでしょうし、
そしてお金を全然使わない人がそこに出来上がる。
これは少なくともタスクシュートを世に広めたい人間としては、
こういう広まり方はしてほしくないとは思うんですよね。
これは僕の勝手な意見、願望ではしかないんですけども、
ツールがどう広まるかをこっちで規定するわけにはいかないと思うんだけど、
でもやっぱり気持ちとしてはそういうことを言っておきたい。
リアルゲームに切り替わったらここで満足していいんですよ。
お金も使っていいんですよ、お金が貯まったんだったら。
ということを毎日認識しておくのが大事だろうと。
この脱出ゲームとリアルゲームというのは、
どっちかになったら永遠にそれが続くということは決してないもので、
いずれまた脱出ゲームになっちゃう時もあるでしょうし、
一脱出ゲームみたいになることもあるんですけど、
ここにいろんなある種の問題が登場しがちなんですね。
脱出ゲームは終わった、少なくとも一時終わっているのに、
脱出ゲームとリアルゲームの共存
再び脱出ゲームがやってくる時に備えて朝から晩まで自己鍛錬を繰り返して、
いつやってきてもいいようにしておくとかね。
なんとなくそれは不毛な感じがやっぱりしますし、
あるいは脱出した罪悪感。
これがよくクラゾノさんのGood Vibesでおっしゃっている罪悪感なんですけど、
まさに罪悪感の投影なんですが、脱出した罪悪感というものが自分を苦しめるので、
脱出した後のリアルゲームに移れないというケースが散見されるんですね。
せっかく脱出したんだけど、脱出時に。
だからこの脱出時というのはよく考えてほしいんですけどね。
脱出時に父とおさんに酷いことを言うと、
この罪悪感が自分の心の中に残ってしまっているから、
リアルゲームでも現実に少しも満足がいかないので、
やっぱり脱出ゲームを継続しますみたいな。
非常にこれは不毛なんですよ。
ちょっと精神分析の話に戻して、戻すというのもおかしいけど、借りてくると、
脱出ゲームというのは結局PSポジションなんですね。
妄想分裂ポジションなんだと僕は思うんですよ。
ここはとにかくある種の妄想は絶対避けられない。
リアルゲームというのは抑鬱ポジションなんですが、
この抑鬱ポジションの抑鬱という言葉、山崎さんも土曜日にお話しくださったんですけど、
要は脱出した罪悪感のせいで欲望的になっちゃうというケースが多々あるわけです。
自分は実家を出たくない。
実家に残った人たちが心配だみたいなね。
そういうことを考え、そういう気持ちが残るために、
脱出した新しいマンションを満足できない。
そこでいつかまた死ぬと不幸になるんじゃないかみたいなね。
そういうことを何となく心の底で思っているのだったら、
この気持ちを包囲してしまうんですよ。
その新しい現実のいろんな、そこで付き合っていく人なりに包囲する。
例えばそこで新しく一緒に同棲している男に対して、
こういうところがお父さんと似てるとか思い始めて、
東映堂いつかが起きるわけですよ。
ちょっと言われると、お父さんそのときのことを言ってきた。
この人の将来は暴力を振るうようになるかもしれない。
ここからも脱出しよう。脱出ゲームが終わらなくなってしまう。
せっかくリアルゲームに切り替えるチャンスを得ているのに、
それを脱出ゲームにわざわざ戻してしまう。
この欲打つポジションと妄想分裂ポジション、
行ったり来たりを繰り返しているうちに、
ほとんど欲打つポジションにわざわざ行く意味がなくなってしまう。
ポジションだから行くってのはおかしいんだけど。
ここで幸せになれるんだけど、
それを手に入れることができない状態を継続させてしまうというのかな。
そういうことが普通に起きるんですよ。
これがまたちょっと残念なこと。
だから脱出ゲームとリアルゲームは共存させられないってことです。
どっちかになりますね、基本的に。
リアルゲームだったらリアルゲームに徹しないと。
その時のゲームの仕方は脱出ゲームとは全く逆にするってことです。
現状に不満というものはないはずだという原則に則る。
だからタスクごとに終わった時に○×つけるじゃないですか。
全部デフォルト○にしておく。
×は発生しないはずだというふうに考える。
不満のない人生ってやつですね。
あのですね、先日。
これまた完全にくらどのさんの孫引きみたいになっちゃうんですけど。
あれですよ。
クッド、バイブス、ミッド、ナイト、ラクザかな。
の100何回かな。
159回だったと思うんですけどね。
159回だったと思うんだけど違ったかな。
違う、161回ですね。
誰かと一緒にいても孤独を感じるなら不満を手放してみる。
この回は俗に言う神回なんで。
ぜひ聞いてほしいんですけど。
あれですよ。
もう一回言いますけど。
クッド、バイブス、ミッド、ナイト、ラクザというポッドキャストありますか。
第161回です。
誰かと一緒にいても孤独を感じるなら不満を手放してみる。
これですね。
ここでフラズノさんは結局私はって言うけどみんなそうなんですよ。
みんなは誰につけても不満ゼロの人なんていないっていう話をしてるんですよ。
これよく自分でお考えになってみてほしいんです。
1人や2人はいるかもしれませんよ。
でも圧倒的大多数に対して自分は不満を抱いている。
これもちろん謹慎者に対してでもいいんですけど、
電車とかに乗ってみていただいて、
ここにいる、パッとですよ。
パッと電車に乗った時に嫌だなって思う人は特に。
誰と誰と誰は良くて、誰と誰と誰は嫌かってのを考えてみてほしいんです。
圧倒的に多くに、僕はね、よく感じるんですよ。
クラズノさんとちょっとアプローチ違うんだけど、電車に乗って。
なんで自分はここにいる多くの人たちに何となく不満を抱くんだっていう問いが昔たったことがあるんですよね。
そういう不思議さがあったんです。
関係ないじゃない。
どっちかというとですね、エメリットを受ける理由はないと思うんですよね。
例えば電車が止まるなり何なりがあった時に、助けてくれる人の方が多いと思うんですよ。
僕はなんでここで、俺らの人に掃除でうっすらとにせよちょっとにせよ不満を抱く根拠がないのに持つんだろうっていうのを考えたことがあって、
その話と似てるんです。
この不満、例えば自分の知り合いの90%に知ってる人の不満を持ってるということは、
90%だとしてもクラズノさん100%なんじゃないか。
100%だということの方が多いかもしれない。
不満ゼロじゃないっていう意味ですからね。
ここさえなければ100%なんだけどって、ここの言い方がすごいんですけどね、実はね。
これ聞いてください。
フォトキャストクラズノさんのね。
この少しは思うと。
多分他の僕を知ってる全ての人も、佐々木のここが変わってくれればなってみんな思うと思うんですよ。
で、そう思う権利はどこにあるんだってことをよく考えると不思議なものが見えてくると思うんですよね。
これはクラズノさんもおっしゃってた通り、もし99%でもですね、99%の知人に不満を抱くということは、
おそらく人間が99%以上に対して不満を抱くんです。
神レベルですよ。
じゃないですかね。
80億いる人の79万人に不満を抱く。
こいつらここに変わればって思うって神様ですよ。
間違いなく僕はそのレベルだと思うんですよね。
スターリンとかなら思うかもしれないけどね。
なんでこうなるのかっていう話ね。
だから脱出ゲームをするのは当たり前じゃんって思われてる方、聞いてていらっしゃったと思うんですね。
スクシュートであれ、ほかのなんであれ、それこそゲッティングスタウンであれ、なんであれ。
管理する、仕事実施する、脱出ゲーム当然ですよね。
当然ですかってことなんですよ。
人に対する、知人に対する99%不満を感じる、100%知人には不満を感じている、どこかってことですよ。
0.1%でも不満を感じるという意味では、誰に対してもあるなってことだ。
それと言われ、現実に対しても全く同じだと。
この行動、あの行動、100%満足の行動、あるいは現実、ないしは観光、運動、経験ってのはもったいないでしょうね。
不満を持ち続ける人間関係
これは一体どういう観点からそう考えているのか。
ここにマイナスがないんだっていうならば大変なことですよ。
環境とは、私の見ることをあらゆる意味で改善されなければならないって言ってるのと全く同じですよ。
あらゆる意味でですよ。
この地球は私の好みに合わせて作り変えられるべきだっていうのとほとんど変わらないですから。
これをずっとやっていくってどうでしょう。
よく見方を変えるんですね、要するにって言われるのは。
見方変えましょうよってことですよ。
今のその見方が、私のもそうだけど、客観的に正しいっていう、そして不満だらけだ、同時に。
それを見えるほどの存在ってどこにいるんだよっていうことをあんに言ってると思うんですよね。
そういう存在はないっていう感じがよくやっぱりするので、自分神じゃないと思ってますから。
たぶんここにイリュージョンがあるんでしょうねっていう話になってると思うんですけど。
要するに何かを錯覚している、誤解している、非常に不思議なバイアスがかかっているここにね。
しかもそれをずっとかけてるってことをやってると思うんです。
だから僕はリアルゲームにするべきだと。
つまりそれは非常に奇麗ごとに聞こえたり変な話に聞こえる。
あり得て無理やり自然な見方を歪めてるって思うかもしれません。
つまり今日あったことは全て良いことでした。
何かの宗教かよって思われるかもしれませんが、それこそスピリチュアルであり世の医者っぽいかもしれませんが。
よーく考えると、倉園さんがお話になってる通りですね、ポッドキャストで。
よーく考えると逆じゃないかと思うんですよね。
これは自然な見方だと自分が思ってる見方の方がよっぽど不自然で。
だってこの地球を作り変えなきゃなんだいって私思ってない気がするんですよね。
思ったこともない気がするんですよ。
この世界の人間の在り方を、一人一人の人格を少なくとも数%であれ、
共生させていかなければダメなんだって思うかなと思っちゃうんですよね。
つまり脱出ゲームしてる時の心理でそうなってしまう。
しゃーないとして、そこは脱出ゲームとして始めたんだ。
どこかでそのゲームは終わるべきだし、
終わったら現実作り替えモードか現状肯定モードで切り替えるしかない。
そういうことになる。
その時のタスクシュートは同じという話で、これが僕に意外に立つんですよ。
つまり今あなたは何をしていますか。
いつそれをしていますかって問いですね。
何月何日の何時何分何をしていますか。
それは満足のいく行為ではないですかっていう問いに変わるわけです。
これをずっと続けるわけです。
これはもう変わらない。終わることは多分僕はない。
タスクシュートやめちゃうということができるかもしれませんが。
リアルゲームをしているタスクシュートではこういう問いに変わる。
そしてこういう問いに答えていく。
今はこれをしています。満足です。
これでいいんですよ。いい動画を。
これをずっと続けていく。
一番の問題は、これは脱出したい対象になっているなとなぜって思える。
他は全部OKなのになぜこれだけダメなのか。
その時に自分がさっきの倉殿さんのポッドキャストでお話になっていたような、
不可解なバイアスによって目が曇っているからじゃないかと考えるのは、
多分極めて有効なことだと思う。
最後に一つ、いずれもゲームでしかないということを忘れないでほしいんですね。
脱出ゲームもゲームだし、リアルゲームもゲームなんですよ。
脱出ゲームの失敗と挫折感
特に脱出ゲームにおいては、これは後々話したいと思うんですけど、
特に脱出ゲームにおいては失敗すると脱出に失敗したことになって
トラウマになりかねないところがあるんですね。
そう考えないために非常に役に立つと思うんですよ。
タスクシュートのようなものを。
あなたは本当にここから脱出しなければいけなかったのかということと、
失敗しているか脱出にということが問えるから。
これはそういう問いを持たずに、失敗した挫折感、
永遠に自分はここに閉じ込められる、脱出できないひどいこの現実に置き去りにされて、
一生を得ていくんだという絶望感のようなものから、
解放してくれる可能性がありますよね。
だからどっちにしてもゲームなんだ。
昨日5時間やったピクミンで脱出に失敗して、
ローラーで踏みつぶされて、しかも思わずその後動揺してセーブしちゃったんですよ。
47ピクミンを失ってですね、すごいこうなったんですけど、
まあゲームじゃないですか。
これは同じなんですよ。
脱出ゲームとリアルゲームの同一視
実は脱出ゲームでも、人間社会でやっている脱出ゲームでも同じなんですよ。
突き詰めるとね、多分そう言われると腹が立つと思うんでこれ以上言いませんけれども、
所詮ゲームなんですよ。リアルゲームであってもね。
タスクシュート上に載せているとそのことがよくわかると思うんですね。
架空のものですから、タスクシュートの記録などというのは、所詮は。
だからこれにしくじるということは、ピクミンを失ったのと何ら変わらないレベルの話なんで、
振り切ろうと思えば絶対振り切れないはずはないんですね。ゲームなんだから。
そう思うためにも脱出ゲームであろうとリアルゲームであろうと、
ゲームでしかないということを覚えておいてほしいですね。
そしてどこかでそのゲームのルールは反転させなければいけません。
最初に多分脱出ゲームとして始めますからね。