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2023-08-07 41:55

理想の1日を実現してみた【GMV825】

規格された1日のタスクを上から順次やってみた。

Summary

朝の庭の水巻きから始まり、計画的な行動や企画案に沿ったものを書くことの難しさについて話しています。私たちはタスクリストの作成方法ややらざるを得ないことについて考えるエピソードです。私たちはタスクリストを制限するためにやらざるを得ないことという枠を設けることの重要性や、タスクリストを守ることで満足感を得られることを話しています。また、私たちはタスクシュート手帳を使うことによって伝わることに驚きを感じたエピソードも紹介しています。私たちは自己愛と比較評価について考えています。やらざるを得ないことは自由意思の結果であり、個性が現れます。何者かになりたいという願望は辛いですが、タスクを組むことを通じて自己を見つけたり、長期的な視点を忘れないようにすることが大切です。私たちは理想の1日を実現するために、睡眠時間を3時間にし、食事を10分ずつにし、お風呂も15分ほどで済ませるという方法を紹介しています。また、普通ではないことが許せないという特別な考え方や脅迫症についても触れられています。

朝の庭の水巻き
おはようございます、グッドモーニングボイスです。
8月7日、朝の8時ですね。月曜日、朝の8時です。
すみません、最近暑かったんですけど、
ここのところ雨がですね、ちらほらながらもできていて、
私としては1つ仕事がバチッと減っているんですよ。庭の水巻きというですね。
これを暑かろうが、眠かろうが、なんだろうが、朝7時台に巻き終わらないと、
巻いた水がすごいお湯になっちゃって、植物に良くないので大変なんですね。
これがですね、ないというのがもうすごい楽なんですよね。
夏休みの間にこの時間に、起きて水巻いてまた寝るみたいなね、
そういう訳わかんないことをしなくて済むというのが、すごいラッキーだなと。
ぜひこう、夜雨降ってほしいなっていうのがすごいあるんですけど、
昼はもう別に降んなくていいんで、夜降ってくれると、もう非常に助かるんですけどね。
今ちょっと一時ほどは、最高気温が二宮で36℃とかはもう本当に、
埼玉だと40℃いきそうなんで、最近は31、32℃なんで暑いですけどね。
だいぶ楽だなって感じ。人間の体ってすごいですよね。
慣れるんだと思うんですよ。
多分、夏始まったばっかりの32℃はすごいきついと思うんですけど、
今もうすごい楽だみたいになってるんで、
この感覚の変貌ぶりがすごいなっていうふうに思いながら過ごしています。
企画案に沿ったものを書く難しさ
昨日、書き上げ塾の第8期の第5回目がありまして、
いろいろと面白い回だったんですけれども、
ただ、参加者さんが昨日はですね、お休みの方がやっぱり夏なので帰省されるとか、
そういったいろいろ重なったりして、参加いただく方の数が最初から6回で半年で1期だから、
そこの間に人数の上限はしないんですけれども、
毎回のレクチャーの参加者さんは増えたり減ったりすると。
そういった感じの回でして、
昨日お話し、カラソンさんと少し話した中で、
計画的にものを書くというのは、
実は書き上げ塾で言ってる企画案に沿ってものを書くっていうのに比べると、
企画案を立てずにものを書くのと比べるとですね、
すごい難しいという話でちょっと一致したんですよ、話がね。
企画案に沿ってものを書くっていうのは、
私の経験で最も厳しかったのはですね、
紙の雑誌に私は3回ぐらいの連載、連載っていうのかな、6回か。
6回ぐらい連載したことがこんなマイナーな雑誌っていうか、
そういうふうに言っちゃいけないか。
でもあんまり世に一般に知られている雑誌ではないんですけれどもね。
もっとあるな、12回ぐらいはあったな。
本当ですね、あれは大変ですね。
多分私はそういう能力を結局身につけずにここまで来てしまってる感じがします。
もうオンライン雑誌とは比較にならない、
ギチギチぶりと言いますか、きちっとしないといけない。
だからもう紙面にどういうふうにそれが現れるかが最初からあって、
それに沿って作るという本を書く本の原稿とは全く違うんですよ。
昔ですね、農住教さんが文章とは時数だっていう話をされていて、
あれは面白い話なんですけど、
多分今はそこまでは言えないなって感じがするんですよね。
なぜならオンラインだからなんですよ。
インターネット上に書くから。
時数だっておっしゃるけれども、
農住教さんの彼はずっとダイヤモンドに連載されてたんですけど、
連載のを見ても厳密に数えると結構ばらつくんですよね。
こういう意地の悪いことをする読者はあれなんですけれども、
あれほどの人であってもやっぱりばらつくんですよ。
やっぱし文字数なんてものはですね、
あそこをさらにギチギチにしていくとですね、
本当にエッセイ的なものは面白くなくなっていくんじゃないかなと思いますね。
技術的な話であれば、
でもそれだってやっぱりですね、
時数っていうのはある程度はもちろん絶対一周連させられるんですけれども、
一定の枠内に収められるんだけど、
それだって簡単なことではないんですけどね。
段落の数とか、そこで盛り込まなければならない内容とか、
込み出しとかまで決められてくるとですね、
込み出しはさすがに自由なんですけど、
でも込み出しに入れる言葉というのはやっぱり希望があったりしてね、
先方の。
大変難しい仕事。
何て言うんですかね、
本を書く時の原稿を書くということに比べると、
やっぱりあれをやるというのはですね、
プロダクトを設計図に沿って組み立てていくみたいな、
組み立てるという感じがいかにもあっているんですよ、感じとしては。
あれはやっぱりちょっと異なるスキルなんじゃないかなって感じがするぐらい、
紙に書く連載と、
オンラインといえどもやっぱり傾向があるので、
自由かどうかっていうのは毎度同じではなかったんですけど、
というものと本の原稿とブログというのはそれぞれ違うなって感じが。
そして紙の連載が一番難しいなっていうのを感じました。
僕は月刊じゃないとできないな、
あれを週刊でやれと言われたら多分すぐ破綻するでしょうね。
そんな気がしました。
そんなことをしゃべっていてもしょうがないんで、
でも何を言いたいかというとですね、
要するに私は極力ノープランでいけるところはノープランでいった方がいいと思うわけですよ。
最近そういうことを思い出してもますますですね、
毎日やることにプラン立てるなんて本当やめておこうというふうに、
僕自身はってことですけどね、
本当につくつく思うようになりました。
だってせっかく自由にやれるのに、
何だってそのアオジャシンに沿ってやらなきゃならないのかと。
そこはですね、多分これもまたすごく変な話で、
私はグッドバイブスの逆から考えていくということを最近考えるようになってきたんですね。
グッドバイブスでやっていくと楽だというか平安だということを考えると、
逆をやると辛くなるのかっていうね、
まあこれは辛くなるんだけど、
なんで辛くなるのかを含めてですね、
自分にあまりダメージを与えない程度で、
これ本当はですね、聖書にあるあれなんですよね、
試してはいけないってやつで、
むやみに試しているとハマり込むんだけれども、
一種の実験ですよね。
人体実験ってなんですかね。
例えば自分を攻撃してみるとかね、
あるいは罪悪感を持ってみるとかやると、
はちまち何かがひどいことが起こり始めて、
すごいなっていう感じがするんですよ。
それじゃあまるでオカルトだろって感じもするんだけど、
でも昔はこれを思い出すとゾッとするんですよね。
ゾッとすることはないと思うんだけど、
四六時中これやってましたからね、
一歩間違うと一日中これやって平気でいたわけで、
それは平気じゃないと思うわけですよ。
一日中自分を苛み続けるとかね、
そんなことをやっていて、
平気でいられるという方が無理があるよなと思うんだけど、
その中に一日の計画を立てて、
その通りに過ごすと俗に理想のライフハックの一部、
そんなことをはっきり言っている人たちっていうのがいるってわけじゃないんで、
ある意味共有されているように見せかけて、
共有されていないイリュージョンみたいなもんで、
なんかややこしいですけどね。
要は逆算思考ってやつを極端にやってみるという実験をね、
先日、これはグッドバイブスとも書き上げ塾とも関係なく、
でも昨日のテーマと絡むことになるんだよなと思いながら、
あれですよ、だから一日の企画案を作ってその通りにやるというのが、
どうしてそんなにダメージがでかいのかというのを
ちょっと実験的にやってみたんですよ、これも。
要するにあなたの言葉を試してはいけませんという、
聖書の逆行するように試してみていたわけですね。
いいこと起こらないだろうなという懸念はありつつも、
とにかく今余裕があるからですね、体調もいいし夏だしやってみたわけですよ。
逆算思考と理想のライフハック
これがですね、ひどいんですよ。
自分を苛み続けて24時間よりはマシなんだけど、
朝ルーチン、タスクシュートがあるからリピートタスクを持って用意して、
普段やらないことなんだけど、ほぼ厳密にですね、
その通りにやると何が起きるか。
理想という話もある一方で、私は理想ではないと思うんだけど、
何が起きるかと思ってやってみたところですね、
1時間パターンや自然化もめちゃくちゃ体調悪くなってって、
しかしそこで見えては全然1時間じゃ話にならないから、
奥さんとかが起きても娘とかが起きても、
なお頑張ってやってると喧嘩になるんですよ、絶対にね。
事前に自分がどれほど相手の人のためを思い、
少なくともわけわかんない計画じゃないですから、
タスクシュートでログを取ってるわけだから、実に理にかなっていてですね、
そんな日の三倍も何かしようぜみたいなのではないわけですよ。
でもね、破綻していくんですね、端から破綻していって、
しかもなんかもう普段全然感じない独特の緊張感を感じて、
あれなんですよ、例のこの番組で聞いている方にはおなじみのですね、
ジンマシンが出てくる、マジで出てくるんです。
背中のね、左の背中の腰だな、後ろのあたり、
この辺僕ちょっと弱いんですよね、そのジンマシンじゃないですけどね、
これが弱いあたりのところで腰に痒みを覚えたらこう、
ポコッと膨らみがいきなり出て、本当に出てですね。
写真撮っとけばよかったんだけど、写真撮りにくいんですよね、腰のあたりって。
うまく撮れないじゃないですか。撮ろうと思えば撮れるんだけど、
あのー、ケツ出ちゃうんで、これ人に見せるっていうわけにもなかなかいかないしなと思って、
その辺に出るんですよね、最初にね。困るんですよ、あれすっごい。
いや、これはダメだなと思って、
罪悪感と何ら変わらないレベルでダメじゃんと思って、
早々に辞めてですね、諦めて、普段の僕の、
僕が考えるところですね、行動があくまでも、
例えば秒単位でも行動先行で、決して計画を先行させないという、
思い思いに行動して、そのログがただ黙って残っていくようにするというタスクシュートに、
何て言うんですかね、これ、ごく簡単な話です。
ヒゲを剃るよって思ったら、ヒゲ剃りって押して、
ここで押してるんで、若干タスクシュートに先行感を与えるんですけど、
要するに、やっぱり現在なんですよね、全てが。
現在の枠でやっていて、ヒゲ剃りたいなと思ったら、
剃るって押して剃る、剃り始める。
このサンドイッチだけしか意識しないってやって戻したら、びっくりしたんですけど、
もうほとんどそうした瞬間にジンマシンが消えていくんですよ。
オカルトみたいな話なんで、嫌なんですよ、こういう話するの。
だからなんだよって感じもするじゃないですか。
ジンマシン消すためのタスクシュートというわけじゃないしね、
そんなことしても消えませんから、
これは全てが関係している中での話であって、
行為の一つ一つに、そういう医療行為だ、治療行為だが含まれてるって意味では、
もちろんないですよね。
ここを聞いていただければ分かる話だと思うんですけど、
いかにただ僕が思うに、何て言うんですかね、
無理のある緊張感を自分に強いちゃダメなんだなと。
この直前の体験をもってですね、
企画案に沿ってもの書くのは、
よほどのスキルがいるから良しと言った方がいいよ、
という話をしたいだけだったんですけれどもね、
昨日はね、という経験をしてみたわけですね。
なんでこれが世の中で言い切ってされてるんだろうなって思ったんですよ。
やっぱりそれは自分が決めた人生の生活のスケジュールというかプランみたいなものの、
自分の、結局僕は自分の長時間だとそれは思うんですけどね、
きちんとしたといった言葉で表現されている取りこぼしのないですね、
1日といったものは欲しいんだというのが分かったんですよ。
やっぱりね、これをやろうとすると面白いことに、
面白いことにっていうのは、
倉田のけいぞうさんのポッドキャストでよく出てくるフレーズだなと思うんだけど、
欲深くなるんですよね。
タスクリストの制限とやらざるを得ないこと
タスクリストって特に作り始めの人ってなりがちなんですけど、
あれもこれもとリストに追加していくじゃないですか。
僕はあれを制限かけるために、
やらざるを得ないことという枠をはめるっていうのをお伝えしてきているわけですけど、
やらざるを得ないことというところの線を引かなくするとですね、
やるべきこととか、やったほうがいいこととか、
やっといたら楽になることとか、わけわかんないことですね。
これわけわかんないことなんですよ。
どんどんどんどん追加していって、
そして超大なリストがただ出来上がるっていう、
そしてそれに圧倒されるっていうね、
どうでもいい事態を引き起こすんですよ。
何の意味もないと思うんですよね。
私はそういう事態を引き起こしてみたところで、
ただ自分が妙な無力感を自分に持ってきちゃうだけで、
私はそういうことでも先日やったわけじゃなくて、
ただ1日におそらくこれが妥当であり、
自分も十分満足できる、
ただそれをですね、きちんと守ると。
それこそあれですよ、
出来そうなこと、現実的なリストを作り、
それを上からただ祝々と実行していけば、
その日は1日満足できるはずだリストって、
これを作ってその通りにやるということが、
こんなに無理のあることなのかというのを、
先日知ったんですね。
即やめたわけ。
結局2時間ともだなか、
2時間は持ったかな、
でも3時間は持ってない。
3時間ですからね、
24時間のうちの。
起きてる時間も15時間だとしても、
5分の1もいってないんで、
この現実を考えると、
これではダメだなっていうふうに思ったんですよ。
先日改めてね、
まさかあそこまでひどいことになるとは、
たった3時間で、
もう5年間出てこなかったジブリマシンが、
バッサリと再発してくるという、
これは僕の事情ですからね、
誰もがこうなるというわけでは全然ないですよ。
ただし、
これと同じことをやろうとすれば、
どんな人でもとは言いませんが、
多くの人にはかなりの負担になるのは、
なると思いますね。
私の作ったリストって、
結局前の日の自分、
ここ1週間くらいの平均値としての私、
みたいなものの、
ベースとしてのリストですからね。
そういう意味では、
全く無理がないはずのリストなんです。
ただ、現実が歪んでるんですね。
結局、頭の中でというか、
この場合はログをベースにしてはいるものの、
リストなんで、
そのリストは、
その通りにはできないものなんですよ。
もう新しい日に、
新しい1、1、2はですね、
あくまで、
その時々の、
なんていうんですかね、
この瞬間、瞬間に現れてくる
リアルな条件というのは、
大きく変動してるんで、
これはですね、
むしろ、
ある種のアスリートが
よく知ってることだと思うんですよね。
マラソンとか、
短距離走の人かな、
スケートの選手とかね、
氷の状態っていうのは、
一瞬ごとに変わるんですよ。
だから、事前に、
多分、
思い描いていたルートなり、
プランなりの通りに滑ろうとすると、
よほどの人でも、
うまくいかないと思うんですよね。
僕はスキー場でそれをよく体験してたんですよね、
昔。
で、こういう風に滑ろうみたいなことを、
最初に来た人ほど考えたがるんだけど、
それは全く意味がなくて、
そのこういう風にってないからっていうね、
ゲレンデ状にそういうルートは存在しないから、
もうその、
そういう、
自分が滑ってるその瞬間に、
どういう体勢にするかを、
その都度その都度考えていくしかないんですよ。
どんな人でも実はね、
どれほど初心者であっても、
それは、
初心者ほど無理なんですけれども、
だから最初はしょうがないから、
葉の字にしてゆっくり、
だから葉の字にしてゆっくりなんですよ。
状態、条件によって自分の状態を変えられるの、
変えられる、
まだスキルがない人は、
同じ体勢を維持するっていうことを、
まず最初にやるしかない。
でもあれは、
実はすごい強引な滑り方なんですよ。
斜面の状態に関係なく、
自分の足をガチッと固めて、
最初はするしかないからね、
そこからやっていくんですけれども、
徐々に徐々に歩行しているように、
斜面の角度によって、
足の角度とかを、
いちいち変えていかないと、
常に同じ状態を、
切面って言うんですけど、
常に同じ状態を切面を保っていきたい、
っていうのが、
スキーなんかにあると、
あれと似てるんですよね。
事前に立てた通りに、
やろうとするということは、
そもそも幻想に過ぎないっていう。
実際に滑ってみると、
滑った瞬間にも、
自分が削るっていう理由によって、
切面の状態が変化しちゃうんで、
これと同じことが、
実際リアルな生活には、
ほとんど絶え間なく起きているんで、
というか、起きてるに決まってるじゃないですか。
自分動くんですからね。
だから、事前に作った通りに動こうとすると、
積むんですよ。
即積むんですね。
だから僕は先日、
そういう花の頭とかにもできて、
すごい驚いたんですよね。
そんなのだって、
ほんとここ5年ぐらいなかったんですよ。
いきなりボコッと上がってきて、
いろいろとね、
昔やっていたことについて、
僕はさっきも言ったけど、
ゾッとして、
よくこんなことを何年もやって、
この体、死ななかったよなっていう、
むしろそっちにですね、
関心を覚えました。
頑張ったね、みたいな感じでですね、
こういうことをやっている上に、
罪悪感も抱いて、
自分を攻撃したり、
人を攻撃したりする、
やってたわけですよね。
死ななかっただけ、
大したもんだと思いますよ。
今、どれも一瞬で、
やめたくなるようなことばっかり、
ガンガンやってて、
辛かったわけですけれども、
この辛さが辛いとは別に思ってなかった、
気がするんですよ。
そういうもんだと思ってたんでね、
しょうがないでしょう、
みたいな感じで、
すごい無理をしてたなと思います。
最近ね、
タスクシュートの手帳、
手帳編100日チャレンジで、
タスクシュート手帳という、
手帳編というのをやっていて、
手帳編というのをやっていて、
手帳編というのをやっていて、
ここでですね、
私はまた面白い現象を、
これは私が全く予期できなかった現象を、
見ておりましてですね、
私がお伝えしたかったことが、
なぜか手帳だと伝わっていくという、
デジタルだと伝わらないのに、
手帳だと伝わるというね、
ことが起こってるんですよ。
これはタスクシュートならではの発想なんだけど、
私はアナログでは無理なんじゃないかと、
思うんですよね。
で、
アナログでは無理なんじゃないかと思ってたんだけど、
それがポツリポツリと、
デジタルではできなかったけど、
アナログではできた。
この辺がやっぱり、
アナログとデジタルの違い
人のことは分からないし、
先のことは分からないんだなと。
私自身も試してみたんだけど、
手帳はもう瞬間的に挫折したんですよね。
やっぱりね、
無理だな、これはっていうことがよく分かりました。
僕には無理。
デジタルじゃないと、
僕はあれはやれない。
だから、
読んでもなかなか理解できないんだけど、
でも、
そうなんでしょ。
アナログの方が楽だという人にとってはそうなんでしょ。
だからそこを云々しても始まらないんですよ。
で、
僕が思ったのはそういうことじゃなくてですね、
書いてることが、
全く僕がいつも喋っていただけのことと、
書いていただいてることが、
コメントとかがね、
一致していて、
なぜこれが以前は伝わらなかったのに、
今手帳を使うことによって伝わるんだっていうね、
のを、
今検討しているわけですね。
その一環なんですよ。
その上から順々にやっていけばいいと。
これはですね、
究極的には、
私たちは、
悩みたくないってことなんですね。
次にこれをやっていいのかとか、
今これやってていいのかと思いたくないわけですよ。
だから、
タスク集となりで、
極めて妥当性が高く、
しっかりと、
理想的でもあるリストを作り、
これを集中的に上から、
悩まずにやっていきたいっていう願望なんですよ。
これに無理があるんですね。
タスク集とっていうのは、
本当は僕はそういうものではなくて、
今これをやっていることには、
どういう条件で、
何をしていようと、
100パーセント安心するってことに、
まず決めてからそれをやるべきだっていう。
だから、やらざるを得ない状況で、
何をしていようと、
100パーセント安心するってことに、
まず決めてから、
やらざるを得ないことっていう風に、
僕が言ってるのは、
やらざるを得ないことというのは、
決して客観的には決まらない。
ここもどうしてもなかなか、
やらざるを得ないことの主観的な決定
飲み込んでいただけないんですけど、
やらざるを得ないことっていうのは、
主観で決めてるんですよ。
やらざるを得ないことが、
本当に客観で決まるんであれば、
同じような生活をしている、
同じような性格の人は、
同じようなリストになるわけだけど、
そんなことはならないんですよ。
だから、
たとえやらざるを得ないことでも、
決して100パーセント受動的には、
できないんですね。
必ずそれを選択してやっているんですよ。
能動的に決めてやってるんですよ。
やらざるを得ないと、
自分が決めてるんですよ。
やらざるを得ないと、
言ってるけれども、
それは嘘なんですよ。
本当はですね、
お風呂なんかが、
僕はやっぱりちょうどいいところかな、
と思うんですよね。
入らざるを得ない人にとっては、
やらざるを得ないことというのは、
選択の余地がないように見えて、
自分の思い込みというものを、
追加している分だけ、
選択の余地がないように見える、
選択している行為なんですね。
これを、
やってる限り、
我々は悩まないんですよ。
なぜなら、
それはやらざるを得ないと思い込んでるからね。
ここに、
僕は焦点を全部当てればいい、
っていうふうに、
タスクシュート的には、
考えたんですよ。
だから事前に決めちゃダメなんですよ。
というか事前には決まらないんですね。
何をやらざるを得ないかは、
本当はこの時々にならないとわからない。
その時になってみないと、
これをやらざるを得ないなっていうのは、
わからないんですよ。
ずっと前で、
1日、
せいぜい半日前ならば、
いや今日は1回もSNS見なくなって済むよ、
って思ってたって、
見ちゃうんですよ。
見ちゃう時には。
やらざるを得ないんですよ、
その人にとっては。
で、それは残念だとか、
比較評価と自己愛
残念でないとか思うっていうのは、
結局そこは悩みなんで、
ここで悩んじゃダメだってことなんですね、
僕が言いたいのは。
これはね、
ペチョーだとなぜか伝わるんですね。
ペチョー式にすると、
いやこの通りだったっていう人が出てくる。
いやこの通りだと僕は思うんで絶対に。
疑問の余地は本当はないはずなんですよね。
やらざるを得ないっていうことは、
やらざるを得ないじゃないですか。
でも一つだけ、
皆さんがよく誤解されてるのは、
やらざるを得ないことは、
完全に受動的に決まってる。
だから流されるってことになっちゃうんだけど、
そうではないんですね。
どんなにやらざるを得ないように見えても、
それは必ず自分で選択して、
自由意思の結果、
コードを選んじゃってるから、
やらざるを得ないんだけれども、
自由にやってるんですよ。
だからそこに個性が現れる。
そこを、
だからそれは流されているわけじゃない、
自分の意思決定のもとに、
やらざるを得ないものを決めて、
やってるんだから、
それは自由なんですよ。
決してそこに誰がやっても、
同じように流されて受動的に、
ただ運命的にですね、
定めに従ってるわけじゃないってことなんですよ。
そういくら自分が思い込んでても、
そうじゃないんですね。
なぜなら、
やらざるを得ないことのほとんどは、
実際にはやらずに済ませられるから。
寝なくったって一日過ごせますもん。
寝なくたって一日過ごせますもん。
お風呂なんか入らなくたって、
100年入らなくたって死にはしませんからね。
だから、
やらざるを得ないというのは、
あくまでも自分がそう決めているんですね。
ここだけなんですよ、
ポイントになっての。
で、それが事前に分かるとでも思っているのが、
僕らの大きな間違いなんですよ。
事前には分かんない。
それはね、直前にならないと、
本当にその時になってみないと分からない、
っていうところなんですね。
これを事前に決めておいた方が、
より効率的で、
選択がやれるんじゃないかと。
より良い選択を、
事前に決めてばかりいたのでは、
長期的な視点を見失って、
やりこもらすんじゃないかと。
そして人生で損をするんじゃないか、
という幻想。
この幻想を振り払うために、
タスクシュートがあると、
僕は思う。
だから、この幻想をタスクシュートで、
わざわざ強化しちゃいけない、
と思うんですね。
デジタルだったら、
現在の時刻っていうのは、
もう、
一日入力する手間も大いに省けるし、
紙だったら毎回毎回書かなきゃならないから、
面倒くさいんじゃないかと、
思うんですけれども、
紙の方がうまくいくという方は、
そうおっしゃってるから、
そうなんだなっていうのが、
今回の手帳編における、
割と大きめの発見だったんです。
そして、
でもここで伝わっていることは、
全くタスクシュートなんですね。
そうか、
須貝さんが昔言っていた、
大事なこと、
つまり大したこともないことっていうのは、
食事とかトイレとかお風呂とか、
寝るとか料理するとか、
そういう大したこともないことばっかりやっている自分が、
残念だと思ってたんだけど、
そういうわけではないんだというふうに、
書いてくださる方が、
何名か、
いろんな書き方ですよ、これはね。
今のように書いてくださった方も、
そうでない方もいらっしゃるけど、
これは僕が、
なんかこう、
もう本当に明らかに聞き飽きてるだろうな、
というふうに、
言い方をしてもいいですし、
一見価値がないという言い方をしてもいいですし、
僕は今、
やらざるを得ないという言い方に、
統一しているんですけれども、
繰り返しやっている。
どうしてこれが価値がなく見えるのかっていうのはね、
また、
一つ論点なんだけど、
とりあえず今回はそれは置いといてですね。
同じことの繰り返し、
同じことは繰り返さないし、
同じ食事ではないはずなのに、
同じ食事ではないはずなんだけどね。
でも、
そういうふうに思えてしまうこと、
そういうことを私たちはやって、
そこに時間を費やしていると。
それでいいはずなんですよね。
そもそもそれができるというのは、
幸せだと思いたいと思うんですけれども、
それがどうしてもそうは思えなくて、
そこにも僕は、
これはね、
この言葉を今日出すかどうかで、
最初も悩んだし、
最後まで結局悩んでるので、
ここには自己愛があるんですよね。
この自己愛は、
精神分析用語で言う自己愛なんですよ。
自分が好きって話じゃないですよ。
自己愛っていうのは、
このいつか明日にでもかな、
喋んなきゃだなと思うんですけど、
ナルシシズムって感じがするじゃないですか。
でも、精神分析のナルシシズムとか自己愛って、
実際いろんな意味で使われている。
大体最近統一されてきてるんだけど、
歴史的にいろんな意味で使われちゃったために、
ですね、
自分が好きだったり、
自分が嫌いだったり、
ナルシシズムと自己愛を、
そもそも分けなきゃダメだと思うんですよ。
これ、役の問題も本当にあって、
ナルシシズムと自己愛分けろなんて、
ふざけんなって感じがしますけど、
この場合の自己愛は、
病理に近い意味なんですね。
ナルシシズムは悪くない意味で使ってるから、
本当に困ったもんだなっていう、
思うんですけどね。
この辺の用語の統一って、
精神分析でもよく頑張る、
なんていうのかな、
試みられてはいますけれども、
うまくいっていないような気もいたします。
これを僕が、
無害者のくせに言うのもどうかだもん。
でも、無害者だから言うっていう面もあると思うんだよね。
なんでもいいんですが、
自己愛の病理というのはですね、
いろんな様々、
本当に病理になると、
困った問題というか、
非常に難しい問題を引き起こしますが、
我々一般の自己愛っぽさみたいなものってのはですね、
一番あの言葉に出てきます。
何者かにならなければならない。
これって、
不思議だと思いません?
若者が、
ちょっとね、
雄大な夢を語るみたいな文脈で考えれば、
それが悪いとは言えない。
そもそも自己愛は、
悪いとは言えないんですよ、別に。
自己愛的な性格とか、
自己愛パーソナリティっていった時に、
一番目につくのは、
ここなんですよね。
我々普通の、
いわゆる僕がよく言うところの神経症水準、
健常者のレベルでもよく出てくるのが、
これなんですよ。
なぜ?って感じじゃないですか。
この何者かでなければならないってのは、
他の連中は、
特に自分の周囲の連中は平均的で、
凡庸な人生に埋没せよ。
しかし私は何者かでなければならないのである。
なかなかな表現ですよね。
これを本当に何者かである人が言うならば、
何者かになることの辛さと意義
いいんでしょうけれども、
どう考えても、
その人はまだその、
いわゆる人間社会において、
その、
自分の中で、
まだその、
いわゆる人間社会において、
それほど何者かであるべしっていう、
感じに見えないなっていう人が、
そこに非常にこだわっていらっしゃった場合、
うーんと、
それどうなの?みたいな感じが、
ちょっとしますよね。
そして、
ここにはいまでは、
ここが差別用語になってやや困っちゃうんだけど、
さっきのジムマシンの話のように、
ヒステリー的な側面があるわけですよ。
つまり嫉妬なんですよ。
あいつは、
ジーソーとは何者かであって、
いいなと。
私は何者でもない。
ところで周りにいる連中も、
親も含めてね、
何者でもない。
私はこんな人生では満足できないっていう話。
ここに比較がありますよね。
だから、
ここに比較があるということは、
第三者による評価がある。
第三者による評価があるということは、
例のあれですよ、
三角関係がある。
お母さんと私とお父さんがいる。
私とお母さんはどっちが好きなの?
私とお母さんはどっちが特別なの?
私とお母さんはどっちが偉いの?
私とお母さんはどっちが魅力的なの?
ここにエディフスっていうものが
明らかに出てくるっていう話。
だから、
非常にヒステリー的なものが見えてくるし、
ちょっとここは飛躍があるか。
とにかく、
比較というものがある。
嫉妬という心理状態がある。
嫉妬というのは、
独立的な、
第三者の目線を意識していなければ
出てこないので、
二者間で嫉妬っておかしいですよね。
私とお母さんしかこの世の中にいません。
母子はほとんど一体です。
嫉妬する対象がいませんよね。
評価する人がいませんもんね。
評価する人への意識っていうものが
芽生えている分、
ある意味認知の成長というのが
ここに見られるわけですよ。
だから、
エディフスコンプレックスっていうのは
昔古典的には特にそうですけど、
死後妻まで現れないみたいな、
前から現れるっていうことが
分かってますけど、
やっぱり死後妻にならない、
第三者目線ってものを意識しなければ
嫉妬というのはあり得ないっていう、
つまり個人という意識の現れなんですよね。
これは。
自立と言ってもいいんですけど。
そこに比較評価というものが出てきて、
私は一番愛されてるんだろうか。
一番大事な人に
最も愛された存在なんだろうかってことを、
だから兄弟間ですごくこういう問題が
顕著になってくるケースもあるわけですよ。
ここで他の兄弟は凡庸でいい、
でも私は特別な子でありたいっていう、
そういう心理からスタート、
スタートっていうのかな、
そういう心理が芽生えて、
それが社会の生活の中で
投影されていくわけですよね。
私は何者かでありたいのだと、
何者かであるために
自分の時間を有意義に使わなければならない
っていう文脈で
タスクを組み始めると辛い。
これは別にタスクを組み始めなくなっても
もう十分に辛いんですよ。
タスクを組み始めなくなっても
タスクを組む意味
もう十分に辛いんですけど、
なって何者かになるって大変じゃないですか。
大谷翔平さんとか、
一日何回敬礼してるんだよ
っていうくらい敬礼してもない
野球やってたりするじゃないですか。
収入多いっちゃ多いですけど、
何者かになりたいってのは大変なことなので、
何者かになるという人生だけが
良いっていうふうにみなすってことは、
さっきのあれですよ、
大したことのないことの時間、
つまんない時間になっちゃうじゃないですか。
ただ凡庸に飯を食い、
ただ凡庸に風呂に入り、
ただ凡庸にダミーをむさぼっている。
もう最悪みたいな。
でもそういうので僕らは、
大谷翔平さんだとしても
15時間ぐらい扱うんですよ結局。
だって寝る時間のこと考えて、
理想の1日のスケジュール
寝るのと食事と風呂ですからね。
3つ合わせたら、
だからここを超圧縮するっていう発想が
現にタスク管理というか
ライフハックでも
自己啓発でも出てきたわけですよ。
睡眠時間は3時間にして、
食事は全部10分ずつにして、
合わせで何回?
3回の食事で30分。
だから3時間30分で
食事と睡眠が賄われて、
お風呂ももう、
お風呂の最中に勉強しながら
15分ぐらいで済ませるみたいな、
もっと短いのかもしれない。
それ以外全部自己研鑽とかに
当てるわけですよ。
絶対つらいと思うんですよね。
特別な考え方と脅迫症
でも私なんかもそうですけど、
ビジネスショーとはいえもの
を書いてるから、
いやお前は何者かになったから
そういうこと言ってられるんだよ
っていう話になっちゃうんですよ。
ここにやっぱり僕は
すごい自己異性パーソナリティー
なんとかみたいなもので
よく出てくる話だなあこれって。
自己愛性の人ってやっぱりこの
なんていうのかね、
ある種のボーダーの方もそうなんですけど、
何しろ普通が許せないってところが
あるんですよね。
普通って言ったらもう全部
軽蔑の対象なんですよ。
特別っていう言葉が
ものすごく響きが良くて、
もう普通っていうのがですね、
普通列車とかドンコーみたいなね、
なんかこうドンコーって言わないじゃないですか。
急行って言葉はあってもですね、
ドンコーってのは
まあいわゆる俗語ですよね。
普通列車っていうか
普通席とか、
もうとにかくダメなんですよね。
モブみたいな世界になってしまって、
すごく貶められている
その人の価値観の中で、
いわゆる軽蔑の対象になってる
っていうふうに思います。
だから、
この問題に
引っかかってる人にすると、
私が言うタスクシュートってのは
本当に目立ったら
タスク管理なんかしませんよって話に
即なるっていう部分があるんですよ。
さらについでに、
もはや脱線ついでで、
この話まとまりを変えてきたんで、
今日はこういう流れにしちゃいますけど、
脱線ついでに
普通じゃなければ気が済まないっていうのが
脅迫系の精神状態なんですね。
脱線ついでに
脱線と言ったら
脱線は
脛関節。
脛関節は
脛の骨折を止める
脛を打ち抜く
脛関節は
脛が、
脛骨折っていったら
脛がぽっと抜けて
脛関節が
本当に
脛が抜けknockoutする
脛関節が
ってのは普通の状態を良しとする わけですから普通じゃないと気
が済まないってところがあるので 特別じゃないと気が済まないの
と普通じゃないと気が済まない のではほぼ反対なんですね普通
に対する価値観が反対なんですよ 脅迫症の人っていうのはほらガス
コンロの火が止められるべきとき には止められていて出かけるとき
には閉じまりがきちんとされる これ普通の状態じゃないですか
いかにいつもあらゆるところが 普通になっていなければこれは
これはこれで心理的には非常に 負担が大きいんだけどなぜなら
世の中というのは普通になるように 向かっていってるわけじゃない
ので全てを普通へコントロール だからコントロール幻想という
ものが激しくなっていくんですね 万が一特別なことが起こっては
耐えられないということになる のでパーセンテージが低いところ
へ低いところへと目が行くんですよ 万が一ってそもそもそうじゃない
ですか0.01%って意味ですよね0.01% のことが万が一にも起きないように
ありとあらゆる手を尽くしていかな ければならないっていうのが
漂白神継承の苦しみですねこれは 普通でなければいけないって言ってるんですよ
かたや普通であってはいけない っていうのがその自己愛的な世界
みたいなボーダー的な世界っていう のかな
本用である普通である最悪である ってなんかここもすごいんですけど
ね普通であるっていうのはもう 本当全然ダメで特別である何者か
であること特別な人生を過ごす ことだから毎日が祝日であるべし
みたいなそういう平日が許せない みたいなそういう感じなんだと
思うんですよまあまあそんなわけで 私は実験してみてですねこれ普通
というのも幻想だし特別性ももちろん 幻想なんですけれども大したことが
あるかないかというのは価値観 含んじゃっているんだけれども
とりあえずまずはどういう普通 の毎日であろうと特別な毎日で
あろうとまず頭で考えた企画通り の1日というのは無理があるんです
よねそういうのを僕はタスクシュート っていうのは別に目指しちゃいない
と思いますしそれは新たな葛藤 を生み出すんですよいずれにしても
悩まないでやれるっていうのが 目指しているところだと思うので
それはもうタスクシュートでも それこそ祝祝とでも同じだと思
うんですよねこれやってて間違い はないという感じこれを僕は抱
くことができるのはやっぱり直前 だけだと思うんですよね直前になれば
わかるこれやっとけば間違いない なっていうのは今ヒゲ剃っとけば
間違いないのか今グッドモーニング ボイスをやっとけば間違いない
直前になればわかるというふう に思いますね
41:55

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