精神分析と夢の重要性
おはようございます。 佐々木正悟のライフハックからの精神分析第1312回をお送りします。
1月29日木曜日10時3分です。
あの、すっかり日が昇ってからのこれになってますけど、まあこれは一時的でして、またいずれはやや薄暗い中でやらなきゃならないなぁと思っておりまして
無料の相談会というものを開催することにしております。
何日だっけ、1月の30日の金曜日夜の7時ですね。夜の19時から1時間ほど
3ヶ月チャレンジ第13期の無料説明会というのを、少人数でやりたいと思っております。
当然これはPRするものですし、直前にやるものなので、まあ勧誘ゼロってわけにいかないんですけど、
勧誘主目的というよりは、定期的に無料説明会みたいな、ずっと無料でやるかわかりませんが、
あらかの形で説明会を行っていく必要を感じておりまして、今期まだ最終枠ぐらいまではPRをしながらやってみようということで急遽やっておりますので、
まだ空きはございます。一応ね、条件は決めておりますっていうのは、100名の方に説明会とかをしてもいいのかもしれないんですけど、
まあその、やっぱそうだな、12名ぐらいかな、現在の私のキャパシティではその辺だなっていうのがやっぱりありまして、12、3名って感じですね。
うん、ありますので、やっぱり100名に向かって行っちゃって、万が一20名とか、まあわかんないですけどね、20ってなってくると多分結構無理なんですよね。
どのぐらいまでやれるかって本当、実は気によってまちまちだったりして、なんでかというと、やっぱり私の認識とか私の知識と言っていいと思うんですが、
キャパが左右されるんだなということが、体調とか寒さとか暑さとかもあるわけですよ。
まあ機材とかね、結構いろいろあって、なんだかんだわかんないところもあるんですよね。
急にこう、先日も急にね頭痛に襲われまして、頭痛は私全然ないんでびっくりしたんですけど、なんのことはなくて、あの耳がその前に痛くなったんですよ。
そしてまあこれ、仕事からずっと耳、あのね、イヤホンつけてるわけじゃないですか、音、結構音量絞ってるんですけれども、
人の声が聞こえればいいわけですから、ノイキャンですごい音量絞ってるんですけど、1日6人も7人もとなって、しかもそこにミーティングも入ってきたりすると、セッションだけじゃないんで、
ミーティングってあれなんですよね、その音量の上下をある程度上にしておかなきゃならない事情があるんですよ。
なぜならば、あのセッションは1対1だから、相手の声が聞こえればいいわけじゃないですか、でもミーティングって例えば5人いるだけでも、人によってマイクの音量って違うんですね。
マイクの収音能力も違うし、そうすると声がいきなり聞こえなくなったり、別の人だと妙に大きかったり、まあね、そういうことが起こるわけですよね。
だからどっちに合わせるかって言ったら当然小さい方に合わせなきゃならないわけですよ。
で、このAirPods優秀なんで変えてはくれるんだけど、やっぱり一瞬でかいのがドーンと入ってきたりして、声の大きい人の場合はドーンと入ってきたりして、耳が痛くなると。
特にミーティングが挟まると歴然だなということがようやくわかったんですね。
で、それでちょっとね、あるじゃないですか骨伝導のやつ。
ところがあれはツルと干渉するんですね。
僕これチャットGPTに教えてもらったんですけど、メガネのツルと干渉して頭痛が起こるんだっていうことを知り、すげーめんどくせーと思って。
冬場はそれでヘッドホンステレオ型も使ったりもしてしのいでるわけですが、夏になると小年期障害でこれがですね、頭がゆでだこのようになってしまい、全く何も入ってこなくなるし、あれは危険極まりないので、ヘッドホンステレオは冬限定なんですよね。
だからそれはそれで不便なのでちょっとこれは骨伝導のツルに干渉しないやつを入手せねばと思ってるんだけど、そもそもスピーカーのままでよくねっていう話もなくもなくてですね、ミーティングとかもスピーカーにしちゃうっていうこともしてるんですけど、スピーカーにするとどうしてもですね、若干ですがハウるんですよね。
ハウるというのは私は結構敏感なようでめんどくさい人間だなと思うんですけど、要するにハウリングを起こしてちょっと聞こえるんですよ私の耳にはキーンって本当に小さい音なんですけどね、めんどくせーと思っております。
はい、何の話か全然わかんなくなっているわけですが、そういうわけでキャパシティーがそうは言っても一人二人が前後するという程度でしてね、あんまり意味はないんです。それもわかってるわけじゃないんですよ。例えば5月はオーバーな気がするけど6月は余裕だなみたいな、メンバー変わってないんですよ。でも7月になるとまたオーバー感が出てきたみたいで忙しさもやっぱありますしね、他の仕事との兼ね合いとかもあるんで、まあ安全なラインを今選別中といったところですが、
いずれにしてもまだ枠はございますので、最終調整の、調整じゃない、最終1日前に無料説明会やります。31日が最終日ですからね。2月1日から第13期なので、よろしくお願いします。
夢分析の実践
何を最後に急いだのはですね、何喋るかもう忘れかけたから、もう忘れちゃいましたけど、最近ですね、夢分析というものを、なぜフロイトがやったのかというのをようやく納得のいく説明をですね、藤山直樹さんの本を読んで、他にも絶対書いてあったんですよ、ああいうことは。
でも、先日ようやくそれが納得できて、そしたらですね、急に、夢を精神分析するんだっていうことの、するんだじゃないんだけど、ことがですね、私の頭の中で異論によくまとまり、世の中だから結構チューブラリーになったわけですよ。夢扱い兼ねるなみたいな、もちろんあれですよ、わかりますよ、全く知らないってことはなかったんだけど、
なぜ夢を扱う、どういうふうに扱っているのかみたいなことを知らないってことはなかったんですよ。一応、夢判断も読んだわけですから、投資で。ただ、自分は何かこう、ビジネスコンサルらしいと思う。これが非常にこう、体の良い逃げなわけですけど、ただ、何かこう夢を報告受けるとすごい、あのね、藤山直樹さんなんかは、夢が全く語られない分析や何かが間違ってんだみたいなことを書くし、
松木さんも、松木さんそういうことはそういう書き方しないんですけど、あの、松木文博さんも、あの、夢の報告がされたみたいなことを書いてるときには、極めて重要なことが起きているんだっていうニュアンスはっきりと出してくるわけですよね。だから、夢を聞いていないというのはダメなことに違いないみたいに、そういうふうに思うんですよね。まあ純金コンプレックスですけど。
でも何かこう、夢を聞くその方の文脈からしての判断というものも、まあ分析っていうのか、まあ解釈っていうのかも、少なくとも自分にはできる、できなくはない。間違ってるとか正しいとかないと思うんでね。
で、まあ返してヒットされることもあるんですが、なんかやってて全然釈然としたことはあんまりないみたいな。少なくともこれが欠かせないんだって言われても、そうなのかなぁみたいなのはあるわけですね。ただ、ただですよ。例外はあるんですが、ただ、夢の報告がゼロの人が一気で終了されることは多いっていうのは経験的にあります。
夢の報告を頻繁にされる方が3ヶ月チャレンジ2期以上に突入されることも、統計的にはあっと、明らかに、体感的にもこの差はあります。だから3ヶ月チャレンジやってる身としては、夢が何か大事なんだっていうことは、少なくとも人に夢が話せるという場合のラポールの形成の程度は、そうでない場合より高いということは、一般論としてはですね。
例外もあるんですよ。毎回に近いぐらい夢の話はするんだけど一気で終わりましたみたいな人がゼロだったわけじゃないし、何期も何期もやっていらっしゃいますけれども夢の話はほぼ出てきてませんっていう人もゼロなわけではないし、それはそうなんですよ。しかもNが小さいんで、もともとさっきも言いましたけど10名前後っていうところにNがあるので、Nはでも小さいですけど、セッション回は決して少なくはないですから。
一気12回はだいたいやってるわけで、12回かける10人だったとしても、まあ12人ぐらいはいらっしゃるので、140回ぐらい行ってるわけじゃないですか。しかも今100日チャレンジのセッションも僕これに加えてるから、3ヶ月で300セッションぐらい、300は行ってないな。でも200は突破してるんですよ。
3ヶ月で200突破というのは、毎月7,80セッションしているということで、年間に直すと1000セッション近くなっていくわけです。まあでもそれは1日3,4やってますから、360個かけると1000突破するんで、まあ1000は突破してないかもしれないけど、1000、いやだいたい1000だと、年間1000セッションってそんなにすごく少ないってことはないと思うんですよね。正規じゃない人間としては。正規の人は知らないけど。
で1000セッション中に、これは自慢するようなことでも何にもないんですけど、でも僕の中で一定の、なんていうのかな、ここは売りにしていいなと思っているところの一つに1000セッション中、物を売ったセッションはゼロだし、
1000セッション中、オカルト的な、いわゆる世の中でいうところの、自然科学から明らかにアウトみたいなことを言ったことも多分ないし、ないと思うんですね。だから1000セッションやっていて、スピリチュアルに酔ったことはないというのが自慢なわけじゃないですが、まず第一に同一空間を共有していないので、物の買いざりってほぼ不可能なわけですよね、第一にね。
第二に、そこでオンライン越しだから波動とか遅れないじゃないですか。僕はもともと遅れませんけどそんなもん。そういう意味でも1000やっておきながら、手相を見たこともなく占ったこともなく、物を買いざりされたことがないというのは、僕の中ではやや自慢なんですよね。
真面目にやってますって言うのも、でもこれはスピの人が別に不真面目なわけじゃないんで、全てのスピの人が不真面目ってわけじゃないんで、この言い方は問題がある。何と言えばいいんですかね、特殊能力を使ってませんと、そういうことです。
で、その中で夢というのがやっぱり一番ですね、オカルトに、現実世界との接続点で言うと一番ある意味オカルトに近づいていて、だから夢にフロイトが行ったっていうのはそういう資質があるってことなんだと思うんですよね。
で、私はでも夢を解釈すること、つまり不思議な夢を見ました、それはこういうあなたの現状からしてこうですねみたいなことは言えますが、あれに何の意味があるんだろうなとは思わなくもなかった。
夢と象徴媒介の関係
いや意味があると感じられるケースと、あまり意味があると感じられないケースがあるっていう程度であり、そんなことを言えばフロイトだってそうだったと思うんだし、それこそクラインだってそうだったと思うんですけど、プレイセラピーの意義もわかるんですよ、子供が言葉を使えないからプレイセラピーすると。
私の知ってる人もすごい本格的にプレイセラピーしてる人が海外ですけどいずれも2人いるんで、まあわからなくはないんですが、でも私はやっぱり未成年の人は一応こう、一応じゃなくて未成年の人は3ヶ月チャレンジやれないんで、従ってですね、プレイセラピーはしないわけですよ。やっぱり同一空間を使ってないってこともありますしね。
で、こうなってくると、夢、つまりまあ要するに象徴媒介ってことになるんでしょうけど、っていうかそう思ってたわけですよ、象徴媒介なんだろうなと。
できるだけ私にとっての象徴媒介っていうのは交差点の話になってしまうし、あれは夢というようなもんでは、まあ夢なんですもん、あれはあれでですね。なんかこう、夢を分析するというような話になってないぞっていうのがコンプレックスだったわけですよ、要するに。
で、これは何としたことだろうと思っていて、最近、まあそのこれすごい私にとって重要なだから活動だったんですけど、3チャレを最近とうとう長く続けた方がお辞めになり、その方が読書会というのを開いてくださっていて、で、不在論を読み直してみると、不在論って欲動論からスタートするんだってことに、なんかとっくに気づけよお前みたいなことに改めて気づくわけですね。
まあやっぱりいい本に限んないんだけど、本というのは読み直すと思わぬ発見があるわけですよ。で、フライトも以来の伝統的なカウンセリングの悩みとしてですね、僕はこれ伝統的な悩みだと思ってるんですよ。
開けられないものを分けようとするって、よく言われるわけですけど、河合俳夫さんとかよく言ってましたけど、分けるところから始めるしかないわけですよね。欲動なのか外傷なのか、つまりトラウマですね。
そりゃ絶対このショーの仕事をやってる人は、このことで悩みます。絶対これは悩むはずです。だから、サイキックリアリティー・心的現実っていうのがあって、まあその、ほんとこれはね、一言口にするたびに炎上案件になる。だから、悩んで当然なんだわけですよ。
参加者さんにもいらっしゃるんですよね。いじめを受けた人がいたとして、過去にいじめを受けても前向きに生きていけばいいじゃないかとか言われるのは、言葉の暴力だみたいな話ですよね。でもそういう話を別にサンチャリしてるわけではないんだけど、でもそういう例え話が出てくるあたりに、この課題ってあるわけですよ。
で、欲動論の重大な、まあ私はそれは言いがかりだと思うんですけど、でも欲動論のやっぱりよく噛みつかれる部分にこれがあるわけですよ。だって欲動だってことになると、なぜ被害を受けたんだって話に対応が非常に難しいじゃないですか。
つまり、赤ちゃんはおっぱいを欲しがる。これが欲動論のスタートなわけです。だから、欲動論だから母子が出てくるわけですよ。で、ここから説明しにくいのに、たいのの一つに、お母さんにひどい目にあされました。それは赤ちゃんの欲動のせいなのかってことなんですよ。
これさっきのいじめの話と全く同じになるわけじゃないですか。結局、赤ちゃんは虐待を受けているわけじゃないんだよ。でも赤ちゃん泣くじゃんみたいな。夜泣きするじゃんみたいな。お母さんがワンワンオペでお仕事行ってヘトヘトになってるのにグワーって泣いておっぱい出ないとか言ってしかもおっぱい出てるしみたいな。それは赤ちゃんの欲動が悪いんだみたいな話になって、いやいや欲動が悪いのかみたいな話になって、それ以上虐待を受けている赤ちゃんが悪いみたいじゃないかってそんなはずないでしょうって話になって、
炎上するわけですよ。でも僕はこの炎上は言いがかりも派手しいと思うんですよ。赤ちゃんが悪いわけでもお母さんが悪いわけでもないのは、これを話してる人にしても聞いてる人にしても当たり前の話であって、どっちかの責任を問うてみたところで意味ないことは客も承知の上でどっちが悪い論を始めちゃっているわけだと思うんですよね。
赤も赤ちゃんを欲動する。当然欲動するって書いてるわけですよ。松木さんは。
てことはこれは欲動論からスタートしてるわけですよ。もちろん不在によってお母さんが不在、つまり最終的にはそれがわかんない赤ちゃんにとっては、お母さんがこうまあ要するに、これニグレクトってすぐ不在って言うとそれを考えちゃうんだけど、そうじゃないんですよね。赤ちゃんのお好みのおっぱいが出てきません。
お好みのタイミングでおっぱいが出てきてません。これに対して赤ちゃんは要するに、お母さんがいるとかおっぱいがこの世にあるとかを知らないから、だから例えば噛みついたところでおっぱいが出てきやしないってことも知らないから、なんかこう自分が求めてないものが出てきやがったということで、つまり悪いものが自分に押し込まれてきた。
だから自分はこんなに苦しいんだって。ほんとお腹が空いて苦しいんだけど、そんなことはもちろん考えつくはずがないから、とにかく欲しいものとは違うものが押し付けられてきたと。
大したのはこの押し付けられてきたという概念すらもないもんだから、この世っていうのは地獄だっていう風になっちゃうって話をしてるわけですよね。つまり本当は天国なのに、ここが難しいんですよ。欲動論ってのはそういうニュアンスが出るわけですよ。
ほんとほぼ天国なのに、ユートピアなのに、自分じゃ何もできないくせに全てが全自動的に世話をされ、ミルクは登場し、優しいお母さんがいてみたいなのに、この世を地獄にしてしまう。それが欲動論の欠点なんですよね。
なので天国イコール地獄なために、ここに隙間がないんですよ。我々はもし天国にいて、急にそれが火の海とか血の沼とかになると、あれさっきまで天国にいたはずなのにって覚えるじゃないですか。ここに隙間があるでしょ。夢の中で天国の風景が地獄に切り替わるっていう夢を見る人はいると思うんです。その間に本当は間隙、隙間ってないわけですよ。
はいここで一旦幕寝みたいなものがないわけですよ。だけど我々は記憶を持っていて思考を持ってるから、あれさっきまで天国にいたはずだったのに、あの天国どこ行っちゃったのって思えるじゃないですか。ということはつまりそこにギャップがあるっていうことに気づけるわけですよね。赤ちゃんはこれがないんですよ。最初から地獄なんですよ。最初から天国なんですよ。天国イコール地獄なんですよ。
この間の隙間が全然ない。だから不在論の中では不在に気づくということがどんだけ大事かという人間にとって最初にこのギャップには間があるはずだという間がなければ自分の思考で作れよっていうことなんですよね。
なんかね面白いことにこのテーマは割とあのホラーさん、ホラー漫画家の富士山じゃない、梅坂堂さん超有名な人ね。あの怖い漫画、蛇おばさんとか猫少女とか描く人。あの人がこのテーマすごい描いてるんですよ。つまり子供たちが大変な目に、あの漂流教室でもそうですよね。
リーダー格の少年が言いますよね。リーダー格の少年になっていく人が言うんだけど、みんながこうやっぱりショックを受けて泣き出すわけですよね。静かにしろみたいなこと言うわけですよ。つまりここで持ちこたえるんだって言ってるわけですよね。ああいうのをすごい梅坂堂さんはいろんな漫画で随所に差し込んでるんですよね。
持ちこたえられなくなるということの危険性っていうのを彼はすごいホラーの中心に結構持ってきてるんですよ。だからここで考えないとダメなんだっていうことを一生懸命言ってるんですよね。面白いなと思うんですよ。考えるためにはショックをただただ受けちゃダメなわけですよね。
だけど赤ちゃんは考えられないからショックをただただ受けて泣くわけですよね。我々も問題に対応できないときはこうなりがちなわけです。ただこの原点にはここでトラウマを引っかぶってんだけど、トラウマに対する欲動論ってこういう風になりやすいんですよ。どうしてもここで持ちこたえるんだみたいなの。結局のところ被害を受けてる人に責任があるみたいになるわけじゃないですか。
で、どうしてその責任あるのっていうと欲動があるからなんですよ。おっぱい飲みたいという欲動があるから苦しいんだっていう大前提があるから、別に赤ちゃんが悪いわけじゃないんですよ。おっぱい飲みたいのは当然じゃないですか。だけど悪いわけじゃないんですよ。なぜなら当然じゃないですかっていう説明は必要なんですよね。欲動論でトラウマに遭遇するときには。
神経症と接触障害
つまりそこは外傷論とは全く違う。外傷論の場合いじめられたいわけじゃないじゃないですか。つまりいや俺は別にこの世に生まれてきたくなかったんだよ論なんですよ。ある意味。外傷論ってのはすごく受動的だってことなんですね。ものすごく受動的な欲動がそこにある必要がなくて、いきなり現実に遭遇してしかもいきなり外傷を受けてしまうわけです。
欲動が背景にあるっていう説明をここに持ち込まずに、いきなりトラウマからスタートっていうことができるというメリットがあるわけですね。
だから古典的ないわゆる神経症水準でノイローゼンになりましたみたいな、ああいうものも無しで済まそうとすればできるってことなんですよ。だって実際に現在のタッピング療法とかトラウマに対する身体的な主義ってそういう話しないじゃないですか。
ボーダーラインがあって精神病水準があって神経症水準があってその神経症水準では性欲が現実に満たせないからファンタジーの中で満たしちゃうという葛藤を抱えてるんですみたいな。要するに神経症っていうのは葛藤の病ですから。
そういうのって欲動論にこそふさわしいじゃないですか。何かをしたいのにできないと。早く家から出て自立したいと思ってるからお母さんからのご飯なんか食べてる場合じゃないんだよってことで虚職が始まるみたいな、そういう接触障害みたいな話も言ってみれば神経症水準だと思うんですよね。葛藤をそこに強く抱えている。神経症なら楽とか全然ないですよね。
接触障害すごい大変だよな話なんで。それも松木さんの書いてあるんで。興味ある人は接触障害の話を。実冊まるまる接触障害に松木さんが葛藤している話あるんで。葛藤家。この辺の話ってでも欲動論じゃないですか。だって食べたいという気持ちがあるから。あるいは食べたくない。自立したい。全て欲求ですよね。
この欲求があるからそれをうまく現実に満たせないから私がそうだったわけですよ。彼女といい感じになりたいっていうよろしくやりたいってセックスじゃなくてもよかったんだけど。とにかくそういうのがあったんだけど現実の女性が誰も私に見向きもしないっていうかどっちかというと生理的嫌悪感とか言ってくるから満たせないわけですよ。それがボーダーの下に潜っていく。これは神経症的葛藤なわけですね。
精神病的葛藤だともう幻想の中で満たしちゃってるから俺オッケーみたいになるんだけどそれは幻想と現実の区別を無視することができるところまでいってるわけですよ。私そう決してならなかったんで。一生懸命声をかけてはあのなんかけっていう感じになって痛い目を見ていたわけだけどそれはつまり現実と幻想の区別がついてるからなんですね。つまり神経症水準の悩みで悩んでる内容はまさに神経症的で欲動があるわけですよ。
制服なんだけどまぁレビドーですよね。いずれにしても欲動があるからそういう目に合うと。これはだから神経症的な悩みなんですよ。これといきなり大地震に遭遇しましたら違うじゃないですか。いやあの地震に遭遇したいという欲動があったんですとか関係ないですよね。あるいはその電車に乗りたいという欲動さえなければあんな地震の時に電車乗ってなかったのにみたいなことともちょっと違うと思うんですよねこれはね。
だから外傷論と欲動論でカンセラーみんな悩む。フロイトなんていうのはもう前期とか後期とか局所論とか第一局所論第二局所論とか明らかにあれは欲動で行くべきなのか外傷で行くべきなのかで悩んでるわけですよね。
最初はヒステリーの時には明らかになんとなく欲動で行ってる感じだったけど実は何結構なんか性的な被害とかに受けてるからこれは外傷なんじゃないかみたいになるんだけどでもやっぱり実は患者さんたちはあのヒステリーの人ってそういう人は少なからずいるんだけれども話持ってねーみたいなそういう目にこの人会ってもいないのに会ったことにしちゃってるくらいやっぱり欲動なんだみたいなすごく欲動なのか外傷なのかで悩みますよね。
だってカンセラーにしてみればその現場に行ってセクハラ確かにありますねセクハラみたいなできないわけですよ絶対にもうその言動はパワハラだわみたいなあんた今殴ったねみたいなないわけですよもう殴られてボコボコにされて酷い目にあってセクハラもされて残業もずっとしていてとか言ってるけど実はその人ずっと家にいるのかもしれないわけですよわからないんですよそれはだから欲動か外傷なのかは永遠に悩み続けなければならないんですよ。
欲動論と外傷論の探求
その愛なんていうのかなその攻め合いの中で例えばこうメラニクラインは欲動論ですよね事実上やっぱりいいおっぱいと悪いおっぱいがあってって言ってる段階ですでにいいおっぱいが欲しいって話してるわけですから赤ちゃんが欲動からスタートしてる悪いおっぱいにこう押し付けられるというさっきのですね感激を意識できない赤ちゃんの苦しみのところでトラウマチックになってるけれども少なくともそれは欲動あってのトラウマって感じですね。
でもウィニコットっていう人はそこを巧妙に避けましたよね環境としての母親なんだって言ったわけですよね母親はいいとか悪いじゃないんだ環境なんだっていう風に言ったわけですよねだからすごくウィニコットって人は外傷論に寄ったわけですよねこれをやっぱりカウンセリングってやっていく歴史を持ってる気がするんですよ
欲動論からだいたいスタートするしそれに間違ってるとは思わないんだけどだって我々は欲動を現実に満たすために苦労するわけじゃないですかお金が欲しい仕事がしたいって自立もしたいからって言って会社に出かけて行ってそこで痛い目を見てそこにやっぱり欲動ゆえのトラウマみたいな側面ってあるわけですよね私もこのビジネスコンサルっていう命名からしても少なくとも欲動が扱える人でないと困るよねっていう欲動が扱えないとお金が扱えないんですよ
欲動が扱えないとお金も稼げないのでお金稼げないと3ヶ月で7万5000もお支払いいただくのは無理なんでだからこう欲動が扱えてこそビジネスコンサルのわけですよひたすら外傷での人っていうのはやっぱり特に外傷っていうのはCPTSDみたいにどんどん進んできているので
やっぱりトラウマってなってくるの治療って話になりますから治療できないので私の立場では能力の問題あると思うんだけどそもそも能力の問題じゃないんですよこれは権利の問題っていうのかな権限の問題ですね資格の問題ですねだからとにかく治療はできないので
ただ外傷論というものは外傷を治療しなきゃいけないってことでは必ずしもないと最近ようやくようやくここまで考えられるようにはなってきたわけです
それはやっぱりビヨンっていうのがその前にウィニコットで行こうウィニコットは環境都市の母親がいきなり対象になってしまうと今まで環境だと思ってたものが対象になるここにトラウマの目があるこれって欲動関係ないですよね無関係じゃないと思うんだけどでもやっぱり巧妙に避けてるし非常にウィニコットは先行った部分があると思うんですね
つまり例えばAIに実はあそこ中に人がいて人が答えてたんですよみんなギョッとするでしょえー何それって感じになるじゃないですかすぐトラウマになっちゃったりしそうじゃないですかこれが環境都市の母親が対象化するとトラウマになるっていう話で欲動が無関係だとは言いませんけれどもなんかこう信じきってるわけですよ赤ちゃんはある意味では
それは赤ちゃんのウィニコットが言うところの赤ちゃんはクラインが想定しているのそれとは違ってですね欲動メロメロじゃないわけですねだから静かに息づいているそこには誰もいないみたいな日を使うわけですよ赤ちゃん自分がいるなんて思ってないし母親がいるとも思ってないつまり一人っきりだと思っていてしかもスヤスヤ寝てるときとかがそうなんですけどただただこう生きてはいる
ゴーイングオンビーングで生きてはいるんだけどあのでも誰が生きてるとかは知らないだからそこには誰もいないっていう言い方をする生きてはいるんですよでも誰かはいないわけですよだって赤ちゃんは自分って概念持ってないからですねなのにそこに母親なるものが突然登場してきて実は私自分のこうやりたいことあるしいざそのトランタ捨てるしみたいなそんなことは言わないにしてもその可能性が芽生えちゃうわけじゃないですか
そのことに赤ちゃんが気づくとトラウマになるっていう風に外省論でスタートしてるわけですよねだからウィニコットの臨床例ってのを見るとなんかこうそれまでのクラインフロイトクラインラインを見てきた精神分析のとは随分様変わりしてるなって感じを受けるのはわけあってのことなんですよあれは外省論を相当取り込めていると思うんですよね
少なくとも欲動論ベースいっぺん等とかじゃないわけですよだから雰囲気としてやっぱり神経症水準みたいな感じではなくなってるわけですよこれを統合しきれたという風に言われているのがビオンって人なんですよねだからすごいんですよねコンテナっていう概念を持ってきてその欲動も外省も扱えますみたいなニュアンスについになったと言いますか
夢の理解
だから結局のところある意味それは欲動論を手放してる感じなんですよねつまりまず赤ちゃんは欲動するんだじゃないんですよねあれはね赤ちゃんはおっぱいを押し付けられるんだみたいなニュアンスが強いわけですよ
確かにおっぱいが本当に良いおっぱいがあるといいんだよだからこの良いおっぱいなんだけどその良いおっぱいを欲しいって思ってるとかじゃなくて来たおっぱいは基本的に良くないおっぱいなわけですよこれがやっぱり新しいんだと思うんですよねあの世界ってちょっとわからないですよあのビオンの研究している人がここを突っ込んでくるとか全然いいですけどこれを持ってビオンを勉強しましょうとかやめてくださいね
そういうことをしても何の責任もいませんからこれもベータ要素かな現実というのは私たちが望むようにはできてないってことを言ってるなと思うんですよね現実が望むようにできていようとできていまいとそれはやっぱり欲動の結果とかじゃないじゃないですか
例えば私は交差点に行ってあのさこの寒いのにねあのずーっと青だったのに赤になっては全然青にならないよみたいなあるんですようちの近くにボタンを押しても赤ずの踏切みたいなやつねでまぁトラウマにはなんないですけどなんなんこれみたいになるぐらい遅いわけですよ剣道だから渡れないしでこの時に欲動だとか言われても困るわけですよいや欲動だってそんな普通の信号って言われるんですよ
普通の信号ってのはある程度街青くなるだろうみたいな青くなれという欲動を持ってるからお前はトラウマを持っているわけじゃないじゃないですか
現実というものに遭遇してその現実があれってなった時に初めて気づくような話なんですよねそれはおかしくないみたいなのに気づくという欲動がないとは言いませんけど欲動ゆえにこういう目にあってるって言われるとちょっとなんかこう不自然なものがありますよね
だから学校に行ってなんかちょっと先生がひどいことを言いましたみたいなのは先生がひどいことを言わない学校であってほしいという欲動があったっていうそういう感じの説明になりやすいんですよ欲動論ベースで頑張ろうとするとそうじゃないと思うんですよね
いや何も別に特に考えてないけど学校行ったらこういう目にあったとそれはやっぱり現実に唐突に遭遇してそこで街青にぶつかったっていう感じの方がだから街青論ではもはや街青論と言い切れるかどうかわかんないんですけどね
でこういうふうに街青ってなった時に今では主義っていう方法あるいは民罪みたいなのがすごくつまり物質だがは物理的に対応するっていうことでが進んできてるのでそっちの方が速攻性ありますしねやっていくんだけど政治分析でもこれが対応できないわけではなくなってるわけですよ
ビオンのおかげで多分まあウィニコットとかもあったしそもそもトラウマには対応できませんというわけでは全然全くないんでこういう言い方はご併用があるんだけどでも欲動論ベースである精神分析は精神分析はいずれにしても時間かかりますしその速攻性とかあんまり期待できないですしねだからそのどっちであったとしても主義とかは今後発達していくと思いますしあのわかんないですけどね高速眼球運動みたいなじゃなかった
それは眠睡眠だそうじゃなくてあの眼球運動的な用法も発達していくと思うんですけどでも精神分析でも扱えますよっていう道をかなり確立したのがビオンだという話だと私は認識してるんですねこっちの方のお光じゃないんですけどファンだから
でで冒頭で夢の話なんで夢かって話なんですよつまりここで今までのそのフロイトが欲動論彼は古典的な欲動論ベースの夢を夢を分析し夢を解釈しその夢の意味を伝えるみたいだったわけですよね
私はあれがよく意味がわかんなかったんですよ藤原直樹さんがあんなにきちっと書いてくれてようやくそうだよそこに疑問があったんだよってことに気づいたんだけど我々はメッセージを受け取るために夢見てるわけじゃないですよく言うじゃないですか体からのメッセージ敏感になれとかなんか心が伝えてきていることがあるみたいなそれはそうなような気がするしちゃうんだけどそうじゃねえだろうって思うんですよやっぱり
夢とメッセージの関係
まるでそれじゃコンセプトが先にあるみたいじゃないですかコンセプトってのは体験の後に出てくるもんじゃないですかこんな怖い目にあったんだよっていうのはまず何か曰く言い難い凄まじい体験があってそれを人に伝えるために怖い目という名称をつけてそれを人に媒介して渡そうとしてるわけじゃないですか
怖い目っていうテキストメッセージみたいなものが現実を怖い目からブワッと膨らんで地震が発生しましたではないじゃないですかあの夢のメッセージ性について言い募る話って私はそこがすごい納得のいかない話だと思ってたんですよね
いやそうじゃない話ってメッセージが先にあるわけじゃないじゃんっていういやそういう話はいっぱいありますけど世の中には何かそういう話が先にあるわけじゃないじゃんって思うんですよ
いやそうじゃない話ってメッセージが先にあるわけじゃないじゃんっていういやそういう話はいっぱいありますけど世の中には何かそういう話にいい話は一つもないような気もするんですね
なんか罪と罰は無敵の人の真理を描いているそうかもしれないけども無敵の人ってのはもう俺どうなってもいいんだだからやっちゃうみたいな人の真理って言いたいんでしょうけど
それはまあそういう面はありますけどあれはそれだけじゃないじゃないですかそのそういうメッセージを伝えるためにあんな話考え出さないと思うんですよ
でやっぱりそのメッセージ先にありきっていうのは変なんで還元主義ですよね結局のところねそのメッセージに還元できるってそれは嘘くさいだろうっていう
どっちかっていうとコンセプトの車掌であっていろんな具体的なところは大事なんだけど伝わりにくかったり膨大すぎるからそこを切り落としてでメッセージに凝集させるというか減らしてるわけじゃないですか情報量を言ってみれば
でベータ要素ってもう究極的にはそういうことだと思うんですよ現実というものはあまりにも情報量が多い
知覚できない部分もいっぱいあるしとにかく受け入れられないところもたくさんあってまして言葉なんかには直んないところがごっつりあると
そこにベータ要素っていうものがあってここは心の中にも入ってこれないところだからだから夢になんか直らないよねって話ですよね
夢ってのはすっごい現実そっくりに我々はつまり夢ってのは知覚内容を全部持ってるから音は聞こえるわ匂いはしないな
でも何かが見えるし動いているし知覚内容を全部持ってるから現実そのものと取り違えるんだけどあそこにないものがあるんですよ
何がないか知覚できないものがあの中にはないわけですよ例えば世の中にはX線があるわけですよね
でも我々はそれは見えない匂いもしない音はもちろんしないX線なんて放射線か微量には絶対あるはずなんだけど無視してますよね
だけど夢の中にX線はないわけですよだってそれは夢だからX線があるはずないですよね光線がそもそもないわけですから夢の中に光はないんですよ
目つぶってるんですからしかも暗い部屋で夢の中に虹はないわけですよ夢で虹を見ることがあったとしてもですね
つまり夢で見るということはそれをある種の現実を夢に変換できましたよということなんですよね
である種の夢は変換しきれてないβ要素的なものが残ったまんま寝てしまってそしてその夢を見ると起きちゃうわけですよ
これがつまり心では抱えきれない夢に変換されきらない部分は我々は夢思考まで持っていくことができないということを
これフロイトも近いこと言ってるんですけどね多分ね言ってるんですけどそういうところまで彼は臨床理論化できてないと思うんですよね
夢ってのある意味見られりゃそれでいいわけですよ見て目を覚まさなかったんならばつまりこういうことが起きてもここまでのラインならば
ひどいことは起こるじゃないですか夢の中でも起こってもここまでのラインならば起きなくていいんだ寝てていいんだ心が対応してあげるから大丈夫なんだっていうことが夢が見られるってことなんですよ
辛いかもしれないけど心ここまでは行けるよっていうニュアンスがあるわけです行けなくなったら起きちゃうわけですよ
ダメだみたいな感じで夢中断みたいな感じでこういう現実にはちょっと心は耐えられませんからまだみたいな感じで起きちゃうわけでだから赤ちゃんすぐ起きちゃうわけですよね
起きたところで対応できないんだけど起きちゃうわけですよつまり起きるということは私一人ではもう無理ですって言ってるのに限りなく近いわけですよね夢見のために起きちゃうということ
それだけに夢が抱え込めないということを逆に捉えると夢が抱えきれるということはその夢を見ただけでも起きませんというところまで行ければですねどんなに酷い夢であってももう ok なんですよ
その夢を何もわざわざその夢はこういう意味ですとか言ってあげるそれは余計なことなんですよある意味
もちろんそれによって夢思考から前概念に進むみたいなそのビオンのあのグリッドで言うとですねさらにはコンセプトまで行くんだみたいなそれはそれでいいのかもしれないだけど多分精神分析でやろうとしていることとかやってることはビオンのようなスタイルまで行くと夢を見る力を後押しするって話であってその夢を解釈するという話ではないとましてそれで夢占いみたいなことをやるっていう話では全くないんだと思うんですよね
夢思考の重要性
夢を見る力が十分発揮できないかつまりそれが昔だからあのビオンはあのアルファ機能っていうのではなくその前に言ってたのが夢思考アルファって僕はその方がわかりやすいなって思ったんですよ
アルファ機能とか言うからわかりにくいんでアルファ機能によってアルファファンクションによってアルファ要素にするわけですよつまり赤ちゃんは最初は多分押し付けられてるわけでうわーってなってるだけでなんかよくわかんないものが口の中に入ってきたってなってるだけなんだけどいずれおっぱいっていうイメージがこれが多分アルファ要素ってアルファエレメントってものだと思うんですよねそれは夢じゃないですかだっておっぱいだけで人間生きてるはずないからおっぱいだけが見えるっていい大人になってもそういう人はいっぱいいますけど
おっぱいだけ見ちゃうっていうそれは夢ですよねつまりアルファ要素ですよね全体像になってないからそういう現実はないですよねでもその夢を見ることによって様々なことができるわけじゃないですか様々なことができるようになってくるつまり要するに操作ができるようになるわけですよね
素材がようやく心の中で意味を成す形になったところから操作ができるようになっていくわけですよねだから夢を見ることができてさらにはそれを報告するってこともできるようになるわけですよねそれを文章化すると逆じゃないと思うんですよもともと文章があってその文章伝えるために夢というよくわからないものになったんでそこをフロイトのように優れた人知識をいっぱい持ってる人ユングでもいいんですけどがその夢はこういう意味ですみたいな元の文章に戻しましょうみたいなそんなはずないし
そんなはずないじゃないですか逆だろって感じですよねだから夢に見られれば別にもうそこから先はとりあえずはいいわけですよ危ういところの場合はこのコンセプトに直してあげるなりなんなりすることによってその夢思考アルファつまりアルファ機能を強化する手伝いをするってがありだと思うんです
つまりそれは持ちこたえる結局コンテインになっちゃうんだけどコンテインできる力をサポートしてあげるっていう話でしかなくてさらにそこからのコンセプト化を助ければその人の心が軽くなるでそれはその人がある意味ご自身がなされば十分な話なんですよきっと夢見まで持っていけたんであれば問題は我々は現実に毎日毎日遭遇している中でベータ要素いっぱいあるわけですよ
おそらくベータ要素というのは貯蔵はされるんですね行動化もされちゃうんだけど排出もされるしでも貯蔵だけはされるんですよベータ要素の貯蔵は記憶にならないわけですよねだからフラッシュバックみたいな事態が発生し得るわけですよ
現実というものがそこにただ入ってきちゃいましたそれについて考えることも注意することも思い出すことも物語ることも変形も何もできませんとただただそういう体験を体が受け止めてしまいましたっていうその辛さがあるわけですよ
私なんかそれがアトピーになったわけですよねアトピーがそれだって言い方もできるんですけどもどっちにしても同じようなもんですだから何かが肌にかかると私の肌って妙にこう赤くなったり激しい炎症起こしたりしたわけですよそれはベータ要素がぶつかってきていて全くアルファ機能を肌とかが発揮できていなかったから夢にならないわけ夢になったらもう肌が荒れる理由ないじゃないですかどんなに肌荒れの夢見たって肌は荒れないじゃないですか
そういうふうに夢を見ることまで持っていくことができれば夢思考アルファが機能することができればですねここを言ってるんですよねだからフロイトの時代には夢は判断とか分析とか解釈の対象だったのかもしれないんだけど
多分ビオンになって夢というものは夢を体験するとか夢を見るっていうこと自体に意義があったと思うんですよねこの報告において重要なのは夢の報告相変わらず重要なのはなぜかというと私は達成しましたという報告だからだからこれはある意味分析家にとっては大変喜ばしい報告であるという話だと思うし
だからこそ藤山さんが言ってたように夢の報告が全くない分析は何かが問題があるっていうのはそういう意味なんだろうなとそれを素材としてこれから扱えますよというのではなくて一つのこの分析がうまいことそこそこいっているよというシグナルになっているとつまりそれは分析家との間では共有し得る価値があるっていう感覚をその人が持てるような夢を体験できました
って話なんでしょうね