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おはようございます、グッドモーニングボイスです。
今日はですね、撮るのが遅くなったんで、
少し短めに押さえたいと思ってはいるんですが、
どうなるかわかんないですけどね、これを撮っている段階では9時20分なので、終わってみないと。
で、今回ですね、必ずしも一緒に撮っていただかなくてもいいんですが、
一応、私と60分対話するっていうサービスをやっているじゃないですか、6000円で。
で、これを8月にお申し込みいただいた方はですね、
7月までにお申し込みいただいた方全員なんですが、
8月中に、働く人の真相真理というオンラインのミニセミナーをします。
ミニセミナーをします。
これには無料で、つまり対話にお申し込みいただければ、
こちらは無料でご参加いただけます。
こちらは確か3000円か4000円くらいに設定していたと思うんですけど、
こっちだけを受けていただくということもできます。
これつまり、セミナー自体の人数制限もあるんですが、
プラス対話をお申し込みいただいた方全員、
こちらも無料でお聞きいただけると。
もし日程が合わなかったらですね、アーカイブでもお渡しします。
視聴できるようにさせてもらいます。
どっちかだけということはなくて、対話に申し込んでいただいた方はセットでついてきます。
参加しないとか見ないとかは全然ご自由なんですけどね。
セミナーだけという方の場合には、
割高にはなりますけれども、6000円対話のところでセミナーは4000円だから節約はできますね。
対話は嫌っていうこともあると思うんで、はっきり言って。
だからセミナーだけという形の申し込みもいただけます。
で、その日にどういう話をするのかというと、
これは無料でしゃべっちゃうと微妙なんですけどね。
それを今日話題にしようと思っているんですが、
要はセミナーで話すのはですね、少し体系だってまとめたものにする予定なんですよ。
この心相心理、精神分析なんだけど、人によっては人によってというか、
角度を変えて心相心理学というケースもあるんですね。
ユング派の方がよく、ユングなんかが言う話なんですけども、層があるからね。
無意識の層みたいな。そんな層はないんですけどね。
そういう心相心理の話がビジネスパーソンに役に立つ部分が間違いなくあるという話を、
少し体系立ててやろうかなと。
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ここでしゃべっているのはすごく断片的で、断片的な話しかある意味できないんですけども、
仮に断片的であっても、こういう場面にこういう風に役に立ちますということを
多少は一般論として語れるかなと。
ここでしゃべっているのが個別事例的な話から言っているんですよ。
なぜならば、本来はそういうものだからなんですね。
これが心相心理が世の中に普通に普及したり、なかなかしないのは、
これが臨床ベースと、これ何度も何度も言っていますけど臨床ベースだからなんですよ。
脳の構造上、心とはこうだとか、人間の観察とか、
人間の観察をしてみたら、心とはこういうものでしたとか、
いうものではないんですね。
だから、目立った知見というのかな、
カウンセリングをやってくると常にこういうことが出てくるよね、
常に出てくるものというのが、まず観察対象というのが、
要するに取り扱う対象になって、それの現象に名前がついていって、
しかもそれをフロイトが、最初はフロイトが体系立てていったわけですよ、臨床ベースから。
だから、例えば幼児とお母さんかとか言うけれども、
見ているのは成人だから、幼児もお母さんもそこにはいないわけですよ。
見ているのは成人なわけですからね。
じゃあお母さんって誰よっていうと、お母さんというのは例えば、
分析家であったり、カウンセラーであったりするわけですよ。
男の人であってもおじいさんであってもお母さんなんですよ。
で、これはどう考えても比喩だから、そこにお母さんを見ているという患者さんが、
こういうのを定義って言うんですね。
普通一般の用語では、一般じゃないけどね、一般的な用語では投影って言うじゃないですか。
投影が精神分析のあるいはカウンセリングの枠組みの中で、
やや人為的に起こすことを狙って起きたら定義になるわけですね。
人為的に起こすことを狙わなくたって起きるんですけれども、
そういうことなんですよ。
だから世の中一般で普通に起こっていることなんだけど、
そのカウンセリングという枠の中では確実に起きちゃう。
特にそういうセッションなりを設定するとどうしてもそれが出てくる。
そういうものを一つ一つ解きほくしていったというか、
まあそういうものが起きるよねと、
そういうものを見てまとめていったのが多分精神分析であり、
カウンセリングの技法なわけです。
そこから人間の心というのはこういうことが起こるということは
こういう風になっているんじゃないだろうかと検討をつけていったわけですよ。
だからそういうものが何点ですかね。
観察から発見されたわけじゃないし、
そこで言われている母子関係とかいうのは、
母子関係を見て考え出したものじゃないですよ。
ここが非常に重要だと私は思うんですよね。
これを誤解されるから、
誤解されてもしょうがない書き方をしているにせよ、
06:02
誤解されるから私の育て方が悪いのかとか、
母親のせいなのかとかいう話になってしまうんですよ。
そういう話のケースも、
結局そういうことを問題に取り沙汰している場合もあるにせよ、
本来はそれとは何の問題なのか、
あるにせよ、本来はそれとは何の関係もないんですよ。
これがもしですね、
児童心理学者が子どもとお母さんを観察してこうだって言えるならば、
そういう話にもなるんでしょうけど、
そういうところからの出発は全然全くしていないわけですから、
そういう話ではないんですね、と思うんですよ。
で、
例えばなんですが、
例えば、つまりですね、
いろんな現象がそこで出てくるわけです。
ある意味では似たような現象には別の名前が付いちゃっているということも多々あるわけですね。
それは様々な臨床をやる中で、
やっぱり臨床化臨床化、人それぞれの個性って出ますから、
それについて例えば投影同一化という名前を付ける人もいれば、
考えられなくなってしまうというふうに言う人もいるし、
直接コミュニケーションという人もいるし、
それこそ粉弁をぶちまけるとか言ってしまう人もいるわけですよ。
それは、それが、つまりどれぐらい対抗、対抗という言い方もしますけど、
それも子供帰りとか赤ちゃん帰りとか甘えとか様々な言い方が出てくるわけです。
対抗って言うよりは日本人には甘えと言った方がわかりやすいよねと言ったこともあるわけですよ。
で、
それぞれがまた全く同じじゃないから本当に概念上のややこしい、
こうではないだろうか、ではないだろうかってことになるんですけど、
もともとやってることがややこしいわけですね。
非常にものがわかった人がお互い大人同士が来て会議やってるんじゃないんでね、
それこそ割と養殖にあるような人が、
実は心の中にはなかなか難しい問題を抱えていて、
対抗を精神分析家の前で、あるいはカンセラーの前で対抗すると、
とんでもないことが、とんでもないというのは世の中の人が聞いたらって言うんですよ。
とんでもないことが出てくると。
そういったことも起こるわけだから、やっぱり簡単な話ではないわけですね。
この簡単な話ではない話に名前をつけていくと。
その名前がついているいろんな現象は、実はそこかしこで起きているように私には見えない。
どう考えてもそこかしこで起きているわけです。
このそこかしこで起きているものというものを、精神分析の試験がせっかくあるんだから、
この観点に照らし合わせてみると、
世の中の人一般には結構役に立つのになと思っているから、
働く人の真相真理をやるんですよ。
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そんな面倒臭いことを思う人は多分、
今のところそれほどの問題にはハマっていないか、
ほぼ自覚がないかの大体どっちかだと思うんです。
あるいは、佐々木家精神分析とかいうやつは信用ならんと思う人。
もちろんそれはいっぱいいると思うんだけど、
そういう人があんまりこれを聞いていないだろうと。
そういう人はそもそも働く人の真相真理なんて私がやったところで興味を持たないでしょうから。
それはそれでいいわけですね。
例えば、これもいずれにせよ働く人の真相真理が第2回、第3回と続けば、
必ず取り上げることになると。
第1回では取り上げませんが、
創的防衛というものが例えばあるわけです。
創的防衛というのはつまり、
コミュニティ、200人の人が集まって、
コミュニティ、2者関係でもいいですよ。
何らかの人と人との関係を壊す。
壊しては、
何て言うんですかね。
壊したくなる、そうですね。
そういう状態になって壊したくなる。
何か興奮して、
何かですね、壊すととてもいいことがあるんじゃないかと思って壊しちゃうわけですよ。
そして、壊しては関係を断ち、
孤独になっていく。
これが私は、たぶん創的防衛と、
ローゼンバーク、ちょっと名前がですね、
でもこれは非常に陰性治療という名前で、
また名前が違うんですよね。
陰性治療という名前で、
これは非常に大事な知見だったと思います。
本の中ではわけわかんないことばっかり書いているように、
たぶん読まれると思うんですけど、
よく読んでいくとそこにはですね、
常に心の中で蠢いている、
何かね、悪党集団みたいなのがいるわけですよ。
それがそいつらが、
何かこう生産的でいいことが始まろうとしているときに限って、
暗躍してきてぶち壊すという。
これをですね、アクティングアウトって言うんですけど、
行動化するわけですね。
心の中だけでそれが行われてればいいものを、
これこの悪党どもの心の中の働きのせいでですね、
例えば奥さんに向かって、
ババババババって悪口を言うと。
踏ん弁を投げつけるという。
これを言うんですよ、フロイトが。
例えばですよ、
ただそれもちょっと独特なんですね、
この装的防衛というのは。
防衛という言葉がついているぐらいですから、
これはフロイトが言う防衛反応なんですが、
つまり防衛なんですよ。
守りに入っているつもりでいるんですね。
守りに入るときに、
その関係性に破壊的ダメージを与えると、
たぶんその関係が残っていては、
自分が守れないという考え方と関係があるんですね。
そういう意味でちょっとですね、
どこか脅迫症に酔わせるんですよ。
脅迫症よりは深刻かなって思うんだけど、
普通に軽い脅迫症よりは深刻かなってところがあるんですが、
軽いとか重いとか言ってもダメなんですよね。
つまりこの種の精神症とか神経症というのは、
12:03
それこそボーダーラインという境界線で
精神症と神経症を分けるみたいなことをやるんだけど、
精神病と神経症だね。
分けるってことをやるんですけど、
そんなに綺麗に分からないんですよね。
これ逃亡失調症の被害妄想っぽいなっていうのと、
脅迫神経症っぽいのと、
ヒステリーと不層的防衛が全部ガチャッコして、
それらが起こった後、
その人が欲打つにバッチリハマるみたいな、
いろんな病気のデパートみたいになるじゃないですか。
でもそんなことはたぶん、
臨床の世界ではザラなんだと思うんですね。
これはDSMでは何とかの異類で、
どうどうここに当てはまるとかいう、
あれは症例診断なので、
そういう発想を取るんですけど、
それではたぶんやっぱり、
あんまり意味ないんじゃないかなって感じがしますね。
原因を探らないのは、
それはそれで結構なんだけど、
併発みたいな問題は、
やっぱりある程度のフレームワークみたいなもの、
こういう観点をつけて、
大体この症状が出てくるのも当然だよねって、
そういうストーリーみたいなのがやっぱりなかったら、
人間の頭にはわかんないですよね。
人間はAIじゃないですから、
膨大なパターンをただ認識するだけっていうのは、
無理があると思うんですね。
特にこういう何か情緒が入り組んだような話になってきた場合には、
で、今みたいな話は、
AI側の人たちにとっては、
今みたいな話は、
AI側の人には全然違う、
全くナンセンスだと思われたかもしれないですね。
そこはもうしょうがないです。
知識の偏りはありますし、
気質の偏りもありますからね。
で、想的防衛というのはですね、
例えば、今脅迫症の匂いがするって言ったんですけれども、
例えば、私の悪口をあいつらは言ってるに違いないと、
ある、そうですね、
非常に簡単に会社の小さな部署みたいなコミュニティがあったとするじゃないですか、
私の悪口を言ってるに違いない。
これは、ここで幻聴がバッチリ聞こえるようになれば、
被害妄想の統合主張専門みたいな話に、
専門ないか幻聴みたいな話ですし、
聞こえるわけじゃないんだけど、
明らかに悪口を言ってる目つきかとかいうのは、
ちょっと脅迫症っぽいんですよね。
鍵の閉まってるのを確認したい、
ああいう感じがするわけです。
どっちかといえば、
脅迫症の方がやっぱり正常な人でもそういう風になりやすいし、
幻聴まで行くとちょっと深刻かなっていう、
問題の深刻さはそれぞれで、
脅迫症の深刻のやつは深刻ですけどね、
悪口がちょっとでも言われてると思うと、
もう会社にはいけないと。
これは必ずしも妄想とは限らないんですけど、
やっぱり倉園さんが言う心象が、
イリュージョンが非常に、
なんていうんですかね、
無話になってでかくなってきてるなって感じはありますね。
そういう時に妙に元気になっちゃうというか、
15:02
いやいやいや、もう会社辞めればいいんじゃっていう、
こういう結論に常にパッと飛びつくというタイプの、
心理的な、
挙動っていうのがあるわけですね。
これが総敵防衛と、
ローゼンフェルドが名付けたというか、
発見したわけですよ。
発見するまでもなく、
こんなのはどこにもあるんですけど、
例えば同じ脅迫症になったとしても、
でも一生懸命会社には残ろうとするという、
心理状態もあるわけじゃないですか。
そこで苦しみますよ。
苦しみますし、
しょっちゅう欠勤するとかいうことになっちゃうかもしれない。
不登校とか、
不登校の会社場みたいになっちゃうかもしれませんけど、
でも辞めるという選択は、
なかなか取らない人っていると思うんですよ。
それに対して、いやいや、すぐ辞める。
そこになると急に軽くなる。
軽相っていう言い方、軽い相っていう言い方もあるんだけども、
妙にそこから深刻さが外れて、
変に明るいわけですよ。
よく言うんですよね、
本人はいたって平気そうにしていると。
むしろ周りがそれによって、
大きな何かをこむっているように見える。
これがですね、
例えば東映堂いつかっていうもの、
そこに何かの関係性を見て、
例えばお父さんとの関係性とか、
奥さんとの関係性を見ては、
見ているわけじゃないんだけど、
相手に対してそれを投げちゃうわけですね。
相手をお父さんにして、
親父許せねえみたいな、
言われた方からするとびっくりじゃないですか。
自分はあなたのお父さんじゃなくて、
お父さんじゃないんですけどって話になりますよね。
だから投影されているわけですね。
しかもその人はお父さんと昔、
ギクシャクして、
家で同然で家を出たとか、
これもそういう事実があるかないかは、
また別なんですよ。
ないかもしれないんですけれども、
その人にとってそういうような事実が
あったように見えているとか、
そういうトラウマがあったっていうのが、
そこの場所に持ち込まれるわけですね。
だからアクティングアウトっていう、
行動化みたいな言い方をするし、
ぶち壊して、
家を出るように会社を辞め、
離婚もし、
仲良かった友達も切り、
っていう風にやるわけですよ。
縁を切り。
このですね、
この人の心の中では、
例えば立つ鳥、跡を濁さずってあるじゃないですか。
もうなんかこう、
綺麗さっぱり生産してから、
自分は飛び立とうみたいな気分になっている可能性もあるんですよ。
だから本人はいたって、
これから自由の大地に飛び立つぞ、
みたいなそういうノリがあったりして、
だからそうなんですよね。
非常にそうっぽい。
これと、
強迫症っぽさっていうのが、
その前の段階にあったりするわけです。
非常にこう、
猜疑心が強くなって、
ここにいてはダメだと。
私のいろんなキャリアとか、
その他のものに対して、
こいつらの足を引っ張ることしか考えていない。
この辺はすごい妄想的じゃないですか。
18:01
これで、
例えば、
その証拠に最近私のパソコンの挙動がおかしい、
そうすると、
私のパソコンが覗かれていて、
一挙一投足が見張られているのかもしれない。
これはあんまり想的防衛っぽくないですよね。
完全に統合主張っぽいんですよ。
そういうことを言いながら、
その人会社にずっと居残ったりしますからね。
こういうところで、
動きが分かれてくるんですけれども、
世の中、
一般的に見えてくるのは、
後者の方よりは、
私には想的防衛のような動きの方が
よく見えるんですよ。
そこで、
何かを起こして、
綺麗さっぱり分かれる。
それのどこが綺麗なのかというのは、
多分、微妙なんですけど、
ここにはどういう心理が働いているかというと、
例えば、
聞いている人は、
さぞ変な話だって思うかもしれませんが、
SMみたいなね、
SMがそこで展開されるって話じゃないですよ。
倒作明たことが起きるんですよ。
例えば、その直前に、
大きめのプロジェクトが、
この部署で持ち上がって、
いよいよこれをやれば、
会社も大きくまた上昇するかもしれない
という時に限ってこういうことをするんですよ。
何かというと、
やっぱり倒作気味なんですよね。
これも精神分析では非常によくあることで、
好きなものは危険なものだとか、
愛してしまうとひどい目に遭うとか、
そういう、
良いものは悪いものであるっていう、
マクベスみたいですよね。
汚いは綺麗、
綺麗は汚い、
良いものは悪いみたいな、
非常にやっぱり、
シェイクスヴィアンってすごいですよね。
この無意識ってものを、
とことんよく理解している、
不気味なところがありますね。
これといった強要がある人ではなかったらしいんですけど、
ああいう魔女じゃないですか、
それ喋っているの。
いかにもこの装的防衛っぽさっていうのが、
その倒作的な部分っていうのが感じられますよ。
要するにさっき、
悪党の集団みたいだって言ったのは、
つまり自分の心の中のものなんだから、
自分に対して生産的で、
前向きで健全であって良いはずなのに、
良いことが起こりそうになると、
ブチコハシにかかるっていうのは、
好きになりそうになった奴のことは、
嫌いになっておくみたいなね。
そういう、例えば好きになりすぎて、
告白しようとして、
中学生みたいですけど、
告白しようとして、
振られるのが嫌だから、
好きな奴は嫌いだみたいな、
あるいは好きな奴は危険だみたいな、
これをもっとフロイト的には、
対抗していくわけですよ。
既に十分長くなってきたら、
例えばおっぱいを飲むと、
おっぱいでお腹がいっぱいになってしまうと、
そうするとお腹がいっぱいになって、
これ以上飲めないという、
嫌なことが起きるから、
おっぱいを飲むというのは悪いことだって、
これ盗作的でしょ。
そんなことを赤ちゃんが思うのかよって話とは、
また別なんですよ。
母乳が出なくて困ってるお母さんもいるって話が、
こういうとこに出てきちゃうんですけど、
そういう話はしてないんです。
21:01
そういう話なんですよね、これは。
よくいるじゃないですか、
このお菓子食べちゃうと、
お菓子がなくなっちゃうから、
お菓子食べずに置くとか言ってる子ども、
いるじゃないですか。
あの心理を指してるんですね。
あれ盗作的なんですよ、ちょっとですけど。
あれを子どもが言うなら、
非常に可愛らしいですけれども、
大人がそれと全く同じことを言い出すと、
非常に盗作的に聞こえるんですね。
で、これがもう癖になっちゃうみたいな、
ある種の行動、
だからフロイトが言う反復なんですけれども、
で、特にどこで生じるか。
カウンセリングの場ですよね。
いよいよこの人の調子も良くなってきて、
今まではいろんなところで関係を無視してきたけど、
今度こそ大丈夫そうだってなると、
いきなり精神不適やめるとか言い出すとか、
これは非常に顕著なんですね。
すぐやめるって言い出しちゃうわけですよ。
で、その時には先生のところにずっと来ていたから、
ろくなことにならなかったな、
やめてこれから人生がすごく好転する気がしますとか、
そういうわけですよ。
何かちょっと言ってることが妙な感じがするじゃないですか。
でも本人の中ではそこには結構なロジックがあって、
例えば戸畑海人さんが何でも見つかるように、
心だけが見つからないから、
あの中でも書いてたじゃないですか、
書いてたんですけど、
あれは想的防衛とはまた違いますけれどもね、
私はここに来て酷い目にばっかりあってると、
恋人も作って欲しくなかった恋人も何か作っちゃって、
酷い目にあってると、
展開を追っていくと、
あんなの人の言う通りなんだけど、
あの人の言ってることって非常に妙な感じがするんですよね。
端的に言って、
グレちゃった時の子供みたいなことを言い出すんですよ。
対抗が起きている。
そして、とにかく私はもうこんなのはやめるっていうわけですよ。
これは想的防衛ではないけれども、
あれはもう想的防衛というよりは、
もっともっと深刻でしたけどね、
悲惨な感じがあったから。
でも、そういう真理って私たちにはあるんですよね。
掃除でこれは、いいものを作ろうというものを、
ここは大事なポイントですね。
ここまで言ってしまうと、
働く人の真相、真理、有料にしている意味ねえじゃんと思うんだけど、
でもまだまだあるんですよ。
まだまだあるというのは、
この話には関連する部分がいっぱいあるんですね。
だから、この解決策だけ大把握的に聞きたいという方もいらっしゃると思うし、
私もそういうものがあるんだったら、
そういうのを出していくのもいいと思うんだけど、
やっぱりそうはいかないんですよね。
これって何でかというと、
結局、ある意味心の中の暗躍みたいな問題で、
その人のそれが止まない限りは、
やむっていうのも、
なんか摘出手術したいみたいには取れないんですね。
そういう問題じゃないので。
ただ、盗作だってことに気づくのは非常に大事なんですね。
その人にとっていいことが起きそうになると、
さっきのきれいは汚い問題が発生してしまって、
このいいことの果てには、
よくなことが起こらないんだっていう風になぜか考える。
24:05
そこにはもちろんだから、
脅迫症的な面がどうしてもあるわけです。
そもそもいいことが起きそうになるってことは、
何かが動き出しちゃうじゃないですか。
だから、いいことが起きそうになる前兆には、
いいことばかりが見えてこないわけですよね。
本当に不別的ですよね。
あの人王様になるといったときに、
悩んでばかりいたじゃないですか。
根本的にそれはいいことじゃないですか。
あれは犯罪的な話ではありますけれども、
でもあの人は王様になりたかったんだから、
根本的にはいいことですよね。
でもそもそも、あの人が王様になりたいという
怪しげな欲求を持ったのって、
ひどく出世したからですよね。
このひどく出世するっていうところに、
つまりいいことが起きつつあるときに、
ある種の人っていうのは、
そこにひどい猜疑心を持つんですよ。
こういうことは脅迫症の人には、
実は非常によくあることなんですよ。
なぜかというと、脅迫症というのは、
つまりコントロール欲求なんですね。
これもまた、あ、だめだ。
この話をしていると絶対10時過ぎるから、
この話は後。
脅迫症というのはコントロールしたいわけですよ。
家の鍵をきちんとかける。
火事にならないように木元はきちんと消す。
これがとことん、
やろうとするとですね、
自分は粘波で世の中を回しているわけではないわけだから、
限界を迎えて辛くなってくる。
何度も何度も確認するとか、
変なことが起きてくるんだけど、
つまりコントロールというものには限度があるんだけど、
脅迫症の人には、
このコントロールの限界というものを、
非常に認めたがらないトラウマがあるわけですね。
だから絶対全てをコントロールしていきたいというためには、
世の中の酸素、
徹底的に安定しないように、
コントロールしないといけないんですよ。
これがいいことが起ころうと、
悪いことが起ころうと、
全部悪いことだっていう、
前と同じ、昨日と同じ、
毎日が同じっていうのが一番いいじゃないかって、
それは本人にとってはそうでしょうけど、
みんながみんなそうなわけじゃないですよね。
そして実際そんなことは不可能ですよね。
季節も巡るわけですから。
だからコントロールしたいという欲求は、
つまり安定させておきたいという考え方があって、
そこに不安定要因、
いいことであっても不安定要因がくると、
それを壊しにかかっちゃうんですよ。
で、脅迫症と創的防衛は同じじゃないんです。
あくまでもこれは、
そういう並行した流れがあるケースもあれば、
たぶんないケースもあるでしょう。
脅迫的な信念というのは、
必ずしもその創的防衛の人がコントロールに
常に心を砕いているわけではないです。
心を砕いている人もたぶんいると思いますけどね。
だけれども、
だんだんと、
急にグッと何か変わろうとしている時には、
やっぱり人は不安になるわけですね。
不安になる要素ってどうしてもあるわけです。
その不安に意外に耐えかねるというケースがあって、
その時にですね、
一段と自分のコントロールを強めたいと思うわけですよ。
徹底的に自分の思う通りにしたい。
27:02
なんかスターリーとかそういう感じがしますよね。
なんかこの話には、
良い話は出てこないんですよ。
やっぱりそこら中の人を殺しまくるとかそういう話。
つまり、自分にとってちょっとでも不安の種になりそうなのは
全部片付けておきたいとか、
そういうですね、
物騒な話になりやすいんですね。
だから私はその、
創的防衛で心の中で暗躍しているのは、
なんか悪党みたいな、
これ、そうだ思い出した。
有名な先生です。
藤山先生って方が、
ギャングっていう表現をとって、
女性プログラムをとってたのかな?
まぁわかんないですけど、
そういう感じってあるんですよね。
心の中に、
この良いことが起こりそうになったら
全部壊してしまおうと。
で、
小さな男の子にそういう感じの
その心理状態が
非常に優先になる時ってありますよね。
なんかこう、綺麗なものを破壊しまくりたい衝動。
あれ多分、
成長の一環で何か大事なんでしょうけど、
これが心の中で、
どこかに何か残っちゃうんじゃないかって感じがしますね。
良いものを作ろうとすると、
ケッて思っちゃうっていう。
こう良いものを作るというものに対して、
猜疑心を持つ。
多分これはですね、
より良いものを完成させるために、
有益に働くケースがある、
ごく初期の心理状態なんだろうと思います。
つまり、
確かに、
完成する前に破壊していく、
ある種の完璧主義みたいなものを感じるんですよ。
これじゃダメだと。
ほら、何だっけ、
茶碗とか作る人を思い出すんですよ。
本当にやることしてるのか知らないですけど、
悪いんじゃないですか、
バリーンとか言って、
ちょっと気に入らないのがあって、
ダメだ、作り直すみたいな、
そういうあの衝動がですね、
人間関係に全体的に適応されるわけですね。
それは多分、
このコミュニティでは、
なんて言うんですかね、
やっぱり不安なんですよね。
このコミュニティではダメだと、
そういうふうに思うんですよね。
もっとこう、
一から作り直そうみたいな、
そういう、
だからやっぱり最初に申した通り、
明るさというものがそこにあって、
で、脅迫的なものも何か、
脅迫症と完璧主義っていうのは、
精神分析では同じ扱いなんですよね。
精神分析では同じ扱いなので、
完璧主義症とは言いません。
言わない代わりに脅迫症というだけですから。
こういうことなんだと思うんですよ。
いろんなものがやっぱり、
併発して出てくると。
だから、
ある程度体系的に喋んないと、
どうしようもないと。
で、今言った話全部、
私はビジネスマンの世界にあると思うんですよね。
やけに完璧症。
何かリセットしたがる。
で、転職を点々と見たり、
あるいは離婚と結婚を繰り返すみたいな。
そして何よりも、
そういうギャングの暗躍みたいなものが、
その人の心の中で、
そして、
30:00
当人が制御できていない。
非常に当人は、
実はそれで不利益をこむっている。
例えば、転職先がどんどん減るし、
こういうことを例えば、
作家がずっと編集さんとやって、
ダメだ、こんな本じゃ、
一から作り直しとか言って、
円切っていったら、
多分本出せなくなりますよね。
そしてそれが、
本当に神業的な職人課題でやるっていうのは、
まだしも、
破壊衝動に支配されているみたいなケースも、
結構あるわけです。
何かあの人、
もうちょっとでいいところまでいくのに、
本とか出せるのに、
ってなったところで必ず話がポシャるみたいな。
これが本当に、
偶然ならばしょうがないんですけれども、
大体そうじゃないんですよね。
そういう話って、実はですね、
男性が今すごく意識したんですけど、
女性でも結構僕は、
見受けられる気がするんですよ。
いい線までいってるのに、
あんな些細なことでって人は言うんだけど、
それはなんかわがままみたいに
映っちゃうんじゃないですか。
そこも嘘じゃないんだけど、
わがままというよりはですね、
やっぱりこう、
いいものというものに対して、
盗作的に破壊したいみたいな、
そういう心理業態というのがある。
だから、
一見したところ、
安定させて、
落ち着きたがっているように見えるのに、
いつまで経っても、
そこに反比例のぐらいあるみたいな、
近づくんだけれども、
行き着けないっていうようなね、
そういう不思議な苦しみがあったりすると思うんですね。
こんな話を、
セミナーとかでしていきたいなと。
でも、第1回は違う話しますけどね。