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2020-11-13 20:02

【GMV 253】考えられないと腹が立ってしまう

妄想していることは考えてるのと違いますし、妄想していると、他人と分離する結末になりやすいのです。
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おはようございます、グッドモーニングバイブスです。
今日はですね、最初はお休みにする予定だったんですけれども、
ちょっと用事がいろいろあって立て込んでいるんでですね。
ですが、時間を見つかったんでやっているわけで、
この辺大変タスクシュート的なんですね。
もう一つ、ちょっとした発見がいろいろあって、
この種の発見ってなんていうのかな、
自分に書くとかもいいんだけれども、
意外と啓発性の高い発見みたいな感じでですね、
それ意味不明だと思いますけれども、
そういうのってあるんですよ。
文章にしてみると大して意味ないこと書いてるなみたいな、
というものがちょっと相次いだんで、
その辺の話をちゃちゃっとまとめてしておこうかなと思いまして、
今やることにしました。
簡単な話なんですけれども、
簡単でもないのか。
ちょっとした話なんですけれども、
私たちってこの番組で、
この番組で初めて言ったことでもなんでもないんですけど、
妄想分裂ポジションっていうポジションに入ると、
一言で言うと考えられなくなるんですね。
これをいろんな言い方するんですよ。
フロイト心理学では対抗と言ったりしますね。
一般的な用語で言うと赤ちゃん帰りってやつなんですが、
赤ちゃんって考えられないんですよね、まだね、ちゃんとは。
それだから考えられなくなると。
精神分析の世界、
心理学一般の中でも一番古典的で、
一番最初にまだ薬もない頃から、
薬が全くなかったわけじゃないですけど、
基本的には薬もない頃から精神分裂病と当時言われていた、
現在統合視聴症と言い直されている病気に
割と取り組んでいったのがフロイトの一派なんですね。
いろんなややこしさがあるわけですけれども、
昔で一言で言うと、みんなが言っていた言葉で言うと、
今ではもう差別用語としてダメですが、
きちがいというやつなんですけど、
ここに入っていったわけですね。
ノイローゼとかではないわけですよ。
神経症とは違うわけですね。
完全に気が狂ったという言い方をされるケース。
それにも古典的に入っていった話なんですけど、
そこで考えられないっていう言い方があるわけですね。
赤ちゃんが入りするから。
その時何があったんだろうということをまず
ある程度探りに行く。
例えば当時はそういう言葉はないですけど、
ニグレクトがあったのかもしれないし、
当時は多分言葉や概念はあったと思うんですけど、
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性的虐待があったのかもしれませんし、
何かあったのかもしれないと。
もちろん今であれば脳の気質的な病気、
脳のこの辺が破損しているとか、
異常があるとかいうことも調べられますが、
当時はそれもできないんですよね。
だから結局心理的な方向から
攻めていくしかある意味なくてですね。
そういう意味で心の病という感じで
捉えていった部分があるんだけど、
その中で一番私たちにとって意味が大きいなと
僕が考えるのがこの対抗赤ちゃん帰りで
考えられなくなる。
その時に起こっている態度がですね、
妄想分裂ポジションといって、
実は私たちも日常生活の中で
頻繁にこのモードに、
モードではないポジションに足を置く
ということが起こるんですと。
いった話がですね、
有益だなと思ってよく見るわけです。
考えられなくなるというところが大きなポイントで、
考えられなくなった時に私たちが一番やりがちなのは
人間関係を壊すんですよ。
壊してもいいやって思うんですけれども、
なぜ壊していいと思うかというと
考えられなくなるからなんですよ。
この2つはセットなんだっていう考え方が
その後のフロイト派の中から
かなり強く出てくるわけです。
その辺の臨床的な話を今、
細々としているのはですね、
こういうことって私たちの日常でも
すごく頻繁にあって、
よく観察していると毎日あるんですよ、実は。
つい先日、私が母とこの話で身内を出すのは
なぜかというと身内は持ち出しやすいんですね。
この話はやっぱりですね、
大公とか赤ちゃん帰りとか
他の人にも事例を持ってきたら
失礼な事例が多くなっちゃうわけですよ。
だから、命名の人は命名の人の
人間関係の中で
このことを考えていただければいいわけなんですけど
一般論として話してもいいんですけど
やっぱりどこかでそういう事実があったという方が
分かりやすいんですよね。
とにかく母がですね、
私のクレジットカードの口座がひも付いていた
口座を変えたいという話をして
変える手続きをしに
一緒に銀行に行った時の話なんですけど
急に嫌だと言い出したんですね。
そしてこれがですね、かなり意味がよく分からなくてですね
何週間も前から
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実家近くにあるわけじゃないんで
そんな遠いわけでもないですけど
すぐそばにあるわけじゃないんで
何週間も前から色々セットしておいたんだけど
そんな急に嫌だとか言われても
っていう感じだったわけですね。
この時に起こったことがですね
妄想分裂ポジションなんですよ。
母がそこに入ったわけですね。
赤ちゃん帰りしているわけですよ。
あの、いろんな理由があったんでしょうね。
その妄想の全てが分かるわけではないので
とにかく口座を変えたくなくなった理由として
自分の老後の資金が心配になったのかもしれないし
それは全然合理的な説明にならないんですけど
一応お金に絡むことではあるので
心配になったのかもしれないし
あるいは、そうだな
その銀行がもともと好きじゃなかったのかもしれないですね。
大切なのはですね
母は母なりに理由を述べていたわけです。
この時、母の言う通りに私がするのが正しいかどうか
っていう議論を始めると
ハマるんですよ。沼にハマる感じになるんですね。
永遠に答えの出ない議論を始めちゃうことになるわけです。
言っていることに一定の合理性があれば
親の言うことだし、老人なんだから
聞くのが正しいみたいな話もあれば
そんなのをいちいち聞いて
時間を無駄にすることがないという理屈も成り立つわけですね。
その他にも母はいろいろ考えがあったのかもしれないし
とにかくここでどっちに理があるのかって話をすると
分かりにくくなるし、分かんなくなるんですが
僕らそれやりがちなんですよね。
これをやる時に私もハマるモードがあるんですね。
それがモードって言っちゃダメですね。
妄想分裂ポジションなんですよ。
なぜならば、結局私たちは
考えられなくなる時に吐き出してしまうんですね。
これ、経験すると非常によく分かるというか
よくそういうことを感じることが多いんですけど
フロイト派の言葉の使い方は
この妄想分裂ポジション一つとってもそうですが
独特なんで分かりにくいんですよね。
吐き出したくなるとかも分かりにくいんですけど
実際に自分がその場に入ってみると
なるほど、考えたくなくなると吐き出したくなる。
あれにね、子供育てていると
本当によく分かる時がありますね。
子供が病気になると
熱出すとかあるじゃないですか。お腹痛いと。
でもですね、分かりにくいんですよ。
子供の言うことというのはやっぱり。
本当にお腹痛いのか、お腹が痛い気がするだけなのか
判断がはっきり言えばつかないんですね。
小児回とかならつくのかもしれないんですけど
つかないわけですよ、親では。
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そういう時は怒るんですね。
その目の前に子供がいると。
子供はですね、要はさっき言った通り
この時、妄想分裂ポジションに入るわけですよ。
気持ち悪いので考えられないわけですね、まだ。
それがどのような状態で
どういう結末をたどりそうかということを
慣れてないですしね。
うちの子はよく抱え込める方だと思うんですけれども
やっぱり吐き出すわけですよ、親に。
代わりに考えなければならないのは
親なんですね。
これがカウンセラーとクライアントの関係なんだと思うんですよね。
患者さんは対抗して
先祖返りして考えられなくなるわけです。
そうすると吐き出すことによって
代わりに考えてもらう。
これは子供がやることなんですね。
親は代わりに考えてあげる。
学校行った方がいいのかどうか。休んだ方がいいのかどうか。
昨日何を食べたのか。日々整理していく。
これが考えるということで
抑鬱ポジションにいたのでは考えられないので
だから抑鬱ポジションに入るという言い方をするわけですよ。
抑鬱ポジションに入ることによって
この結果に対する責任を負いますと
追うから抑鬱になるわけですよ。
追わないんだったら抑鬱になるはずないんですよね。
何か結果として
学校行けと無理やり行かせた。
無理やりではないんだけど強引に行かせたというか
押し切って行かせた。押し切るというのが一番正解でしょうね。
だけど行ってみて入っちゃった。
しかもこんな時期だからインフルエンザの疑いがとか
コロナの疑いがとか言われて大変なことになった。
どうしてくれるんだというようなことを
例えば奥さんから言われるという話になると
後悔するじゃないですか。
あの時行かせなきゃよかったって思いますよね。
これが責任を負える思考ってことなんですよね。
でもそういう時って
ハンジが木槌の斧で
トンカチみたいに
カンカン学校に行くことに決めましたって
誰かが言うわけじゃないんですよ。
なんとなくノリと流れで決まるじゃないですか。
だからあの時本当に誰が何をどうしたんだろう
ということをはっきりと
みんなが決めるわけじゃないし
これが考えられないということなんですね。
抑鬱ポジションに入れない。
いやいやあの時はお前が学校に行きたいって言ったから
行ったんだよみたいなこと言えるじゃないですか。
後で問題起こしますけどね。
でもまあ言えますよね。
だから抑鬱ポジションを拒絶する態度ってあるわけですね。
そうすると抑鬱ポジションに入れないという人に
考えを吐き出しても無駄なので
考えられる人のところへ考えられる人のところへと
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考えは持ち込まれていくわけですね。
これをコンテイナーとかコンテインドとかいう言葉を
また持ってくる人。コンテナーってあるじゃないですか。
箱みたいなやつ。
考えが浮遊してる感じのイメージがあるわけですよね。
そういうのも精神分析の言葉にあるんですけど
何しろこういう言葉が出てくると
本を読んでて混乱の元になるわけです。
考えを押し付けていくわけですね。
グッドバイブスで倉園圭三さんと一緒に
お仕事しているんですが
倉園さんはグッドバイブスで
何年も考えてこられただけあって
言ってみれば要するに頼れるわけですよ。
頼れると何が起こるかというと
みんながそこに考えを押し付けていくんですね。
自分が考えられないことを抱え込んでいると
うちの娘がという話をしましたが
気持ち悪い。これが吐き出すってことなんですよね。
気持ち悪いということを
全部自分で処理できるならば
親にわざわざ言うことないわけじゃないですか。
休む必要があると思えば
今日は気持ち悪いから休む。以上。
言いもしないで結論を出せるし
ちょっとお腹が痛いけど
気づきもしないで娘が学校行って
これはやっぱり大丈夫だったという結末に至ることができる。
これが完璧に考えることができるってことですよね。
こういうことはめったにあることじゃないし
これがあまり早期に起こるのは
良いことでもないと今では普通に
自動心理学でもされてますけれども
大人になってもですね
全て自分で抱えて処理できるわけではないわけですよ。
処理できない考えであればあるほど
考えられそうなところへと
自動的に運ばれていくわけですね。
そういう時に一番考えられそうな人のところに
一番多くの考えが運ばれてくるという
流れになるわけですよ。
どうしても。
今ですと私がやっぱり
この家であっても実家に行っても
何か考えなければならないことが
どっさりやってくる感じってあるわけですよ。
それは考えられる力がある人が減っていくので
親は年取ったりしますからね。
そうすると考えられる人間のところに
持っていかれるしかないわけですね。
それがダメになると私の方で突き返すということになるので
考えが浮遊してあっちへこっちへと
行ったりして未決の問題が
増えてくるわけですね。
そういう現象が起こったりもするわけです。
この辺を捉えて多分ビヨンという
これも精神分析の人なんですけど
集団は正気を保つのが難しいという話をしたんですね。
集団は集団になって一つのプロジェクトやると
みんなで多くのタスクをシェアして
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うまくことが運ぶように思うわけですが
実際にはそうはいかない。
いろんな考えを他人に押し付けがちになる人の方が
どっちかというと増えるので
未決の問題がどんどん沸き上がってきては
一人の人間に集中してみたり
いろんなところに拡散するだけ拡散して
処理されずにいたりして集団全体としては
正気とは言い難い状態。
つまり妄想分裂ポジションに集団で入ってしまうというケースが
すっごくよく起こる。
本当はテニスをやるために集まっているのに
みんなで悪口を言ってお茶をして
楽しんで帰ってくるみたいなパターンになるというケースは
私もテニスをやっていたとき非常に頻繁に体験したんですけど
ああいうことが
それは正気ですよ。
でもかなり頻繁に
普通の集団でも起きるわけです。
なぜそういう不健全で建設的でないことばかり
みんなするんだって言うんですけど
それはみんなが集まったから
その結果としてそういうことが起こりやすくなるのであって
みんなの出来が悪いからそうなると言い切れないんですよ。
明々だと意外と建設的に働いたりできるんですね。
集団だと難しくなる部分があると
そういうこともあるわけです。
娘の話に少し戻るんですけども
最初は母の話ですけど
要するに母であれ娘であれ
自分で抱えておけない病気とか
調子が悪いという話だったら
他人がそれを抱えてあげればいいわけなんだけど
他人もそれを抱えてあげられないからこそ
医者というか精神科医みたいな人が
必要になってくるわけですよ。
病気だということが分かっているのに
ちゃんとして格好いいなさいみたいな
なぜ泣くの?みたいに言うことあるじゃないですか。
なるべくしないようにしてきましたけど
なぜ泣くの?病気だから泣くわけですよね子供は。
つまりそういう時には
お互いの妄想分裂ポジションに入っちゃうわけですね。
抱え込めなくなってしまう。
考えることができなくなってしまう。
考えたら分かることでしょうって言うんですけど
自分の頭で考えようという本もありましたけど
自分の頭で考えるということは
すでに考えることができるという前提にあるのであって
私たちは考えることができない状態に
要因に入りうるわけですね。
そういう時っていうのは考えることではなく
喋ることであったり
何か行動することをしてしまうわけですね。
外に出してしまう。考えを抱え込んでおくのは嫌だから。
外に出すということによって
誰かのところにボールみたいなのがぶつかるので
その人が嫌な思いをしたり
欲打つポジションに入れる人であれば
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入ってその人が責任を取る
みたいな形になるわけですよ。
これに失敗した時に
おそらくですね
一番最初に問題を引き起こした人
つまり例えばさっきの例で言うと
うちの母だったり娘であったりが
その部分を苦しむみたいになっていくのかな
という話なんです。
母の話はですね、母だから
正しい感じが依然として私の中では少しはするわけですね。
ここが難しいんですよ。母はもう
6、7歳児に戻っているわけですよ。
講座変えるのなんて嫌だって言った時にはですね
いつもは元に戻りますよ。そういう瞬間があるわけです。
妄想分裂ポジションに入る瞬間があるわけです。
その時に代わりに私が
考えなければいけないんだけど
母は母なんて正しそうなんで
私も一緒になって対抗するケースが圧倒的に多くなるわけです。
ここで言い争いってものが起きるわけですね。
幼児と幼児の喧嘩なんだけど
理屈だけは大人っぽいことをするんで
分かりにくくなるんですね。ものすごく。
単なる分裂ポジションでしかないんですよね。
その時母も私も大体こう思うわけですね。
こいつの面倒見るのはやめようと。
お互いでもそれじゃ困るんですよ。今の場合特に母の方は困る。
私が一切母のことをやるのを
家のことをやるのを捨ててしまうというのは
つまりそれがいわゆる関係の破壊なんですけれども
後で必ずお互い困ったことが起きるわけです。
このお互い困ったことが起きるから
そこでどっちかがここで責任を取って
後々後悔をする可能性を
引き受ける。
それを引き受けなかった方は割とケロッとしていられるんだけど
そっちの人の方が困るんですよ。
そういう構造があるってことです。
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