エピソードの導入と個人的な体験
おはようございます。佐々木正悟のライフハックからの精神分析、第1311回をお送りします。
1月27日火曜日9時15分です。
昨日突然スキップしてしまったのはですね、昨日は
この話するかどうかわかりませんが、実家の方で大事な用事がございまして、
そういうことが起きてしまったわけ、起きてしまったわけじゃない、もともと起きることではあったんだけれども、
まあまあタイミング的にね、何かうまくやれるかと思ったけど全然できなかったよっていうことも含まれていたりします。
まあハプニングもありましたってことですね。
ハプニングというのはですね、要するにインフルエンザ系の課題でして、私自身がなったわけではないんですけれども、
あのまあ流行ってるらしいですね。気をつけた方がいいですよ。
気をつけようがあるのか知りませんが、B型が流行ってるらしくて、ものすごい病院がもう信じられないくらいですね。
朝の9時に電話を、9時空く病院なんですけどね、全く全然繋がらなくて、
結局、まあこれが原因でスキップすることになったんですけど、10時過ぎるまで、ずっと話し中で、10時にやっと繋がったと思ってる。
10時に電話してるから午前中に見てもらえると思うんじゃないですか。
まあ見てもらえると言いますか、その連れて行けるとかって思うんじゃないですか。
そしたらなんか夕方の5時半になりますと、なんか先生死んじゃうんじゃないかなっていうぐらいもうですね、
10時に電話してるのに夕方の5時半までも飽きが一切ない。
しかもそれがあの単なるテストなわけですよ。
あのインフルなのかコロナなのかそうでないのかの単にそのテストをするためだけに、
発熱外来の人を5時間半待ちっていうその10時の段階でですね、
もうね、あのすっごいよくできた病院で、だいたいそういうところって看護師さんも対応丁寧なんですけど、
めっちゃイライラしてる感じが、もう第1世から完璧に伝わってきたんで、
あのよくほら言うじゃないですか、そういうものは仕組みや運用で対応しましょうって。
だけどそういう問題じゃないよなってよく思うんですよね。
仕組みや運用で対応するっていうのは、仕組みや運用で対応できる範囲内に収まっている時の話であって、
あの完璧に破綻してるなという時にはしょうがないんですけどね。
病院が悪いわけじゃないんで。
あの患者さんの数が多分想定の15倍ぐらいになるとああいうことに当然なるわけで、
そこの病院が良い病院だから起きることなんですけど、
あのということが世の中の精神科のどこかでは起きているのではなかろうかと漠然と思ったりしましたけど、
まあそれは僕が考えても、そして私は直ちにそっちの病院ではなくて精神科の病院の方に行かなきゃならなくなった様子があったわけですね。
まあまあそれはどうでもいいっていうか単なる導入で本題にすぐ入りたいんですけども、
まあでもそういうことと無関係なわけではない話を今日したいかなと思っております。
まあ昨日ね、その9時に電話をして即これを取るつもりでいたんだけど、
全然即取れなくなってしまったためにこういう状態になったわけですよ。
フロイトと夢判断の重要性
えーと、で、で、えーとですね、
最近その電車で、そうだから昨日電車に乗って長旅してきたので、
あの実家ね、うちはそう遠くないけどとはいえ近くはなくてもう一つの実家はめちゃくちゃ遠くてどっちにしても長旅になるんで、
本読む時間はたっぷり取れるわけですね。本書いたり読んだりもできるというね。
で、書いた後で読んだ藤山直樹さんの精神分析の深見えのがすごく良くてですね、私にとってはですよ、買いましょうねって話では全くないですよ。
あれを買うんだったらその前に営みとかを、で、彼、まあ営みの話はちょっとやめておこう、深見えなんですけど、
そこでですね、久しぶりにこうフロイトがどうして夢判断から入ろうとしていたのかみたいな話をされてたんですよ。
まず、もうその話はメインじゃないのにそこはすごい読ませる部分でしてね、彼はよくこのことを書くなと思うんだけど、
フロイトってよく合理的でも科学的でもなくて、もう現代ではあれ参考しない方がいいっていう意見は多々あるわけですが、
自然科学的でないのはともかくとして、それはまあそうなんだけど、彼自身がそうじゃないものを選んだから、
だけど合理的でないかどうかは合理的だと思うんですよね、私は結構。ここから行きましょう。
というのはですね、つまり彼はプロフェッサーで、藤山さんが昔ね、精神分析入門講義みたいな、集中講義だな、ものすごく良い入門書があるんですが、これはまあちょっとお勧めしたいですけどね。
ちなみにこれ入門書だからといって、あれを読んでも大したことにはならんってことは全然ないですよ、あの3日で、他の本のことはやめておきますが、
えっと集中講義読むと、今読んでもすごい驚くようなことが結構書いてあって、この本すごいなって思うんですよね。やっぱりあの入門書でありながら、
何ていうのかな、ずっといつまで読んでも発見がある的な本はいいと思いますね。
で、あの、その集中講義にいきなりフロイトがですね、書いていることに、藤山さんが書いていることに、ものすごい権威があったんだと、当時のプロフェッサーっていうのは、プロフェッサーでドクターで、教授で医者で、しかも1800年代みたいな、最後の最後の方とはいえですね、あのまだ日清戦争とかやってた時代なわけじゃないですか、ものすごいだからブルジョージで権威者だったわけですよ。
だからすごい人なんですよ。だからあの、なんか怪しげなセックス占いみたいなことをしていて許されるはずがなかったわけですよ。で、実際彼のところには患者さんがワンサカを仕掛けたわけですね。当時流行ってたヒステリーの問題ですね。で、高かったってことを忘れちゃいけないんですよ。
保険資料効かないんだから、高いに決まってるわけですよ。しかもここを藤山さんがしっかり検討してすかさらに書いてるところがやっぱり大事だなと思うんですけど、フロイト家はいっぱい人がいたと、でも働いてるのはフロイトだけだったと、つまりみんな養えるだけ、かけなきゃいけないわけですよ。ところが精神分析というのはこれも藤山さんが繰り返し書くことですけど、週1回とかで人をいっぱい呼ぶことはできないわけなんですね。
当時できないとかはなかったんだけど、彼は当たり前のように同じ人に毎日引っ越させるという手法をとっちゃったから、当然1人当たり払う金額が莫大なものになるわけですね。週に5回行くってことになると月25日くらい行くことになりますよね。
その人は1回1万円でも月25万くらい払うことになっちゃうじゃないですか、今の金額でも。保険は効かないわ、フロイトはフルジョワダワ、行ってる人もフルジョワダワだから、たぶん1回3万円くらい払ってる可能性ありますよね。
月に70万から100万払うみたいな世界になっていくわけじゃないですか。でも結構微妙なんですよね。だって患者の数は8人とか10人とかしか、ある意味3ヶ月チャレンジの参加者さんとはよく似た人数なんですけど、になっちゃうわけですよ。
しかも私みたいに一家ギリギリ2人半やしないればいいかなみたいなノリではないわけですよ。大書隊でいわゆる当時の使用人みたいな人もいて、フルジョワなんで、貴族なんで、一歩間違うと10人とかいるわけじゃないですか。
その人たちの新職を全部面倒見なきゃいけなくて、でも抱えてる患者さんの数は10人とか、せいぜい15人とか、そういう世界になってきて、どうすんだよってことになったら、保険効かないわけだから、一人一人の払う金額が異常に膨れ上がるしかないんですよね。
2万だと考えたって、月50万ぐらい払える人じゃないと来らんないですよね。月50万払って、単なるなんかセックス占いやってます。来なくなりますよ絶対に。アンナ王とかがそうですけど、めちゃ有名な人行ってるわけですよね。福祉の教科書に載るような、要するに歴史に名前が残っちゃうような人もフロイトのところに行っているわけで、要するに頭の悪い人はいないわけですよね、ある日見て。
少なくとも頭のいい人いっぱいいってるわけですから、で、払う金額がものすごく桁違いに、要するに僕じゃ払えないような金額を払ってるわけで、教養も当時としてはめちゃくちゃあって、みたいな人が言ってるのに、行ってもあんまなんか、だからよく言うじゃないですか、今時病院行ってもあんまり良くならなかったなみたいな、そんなことでは許されるはずがないんですよね。
絶対何らかの形で効果がなかったら、まああれほどの人が生き続けるとは考えられないようなことができてたわけですよね、当時から。つまりそれだけのプレッシャーがフロイトにあったってことですよね。だってあの時代なんで、その後あれでしょうナチスがなるってことから考えても、本当に悔いこわっていくわけじゃないですか、彼らは。
露頭に迷うわけじゃない、ブルジュアが露頭に迷うってめちゃくちゃ恐ろしいことだと思うんで、当然そこではすごい真剣に結果を出すっていうことに対してはですね、相当考えたと思うんですよね。でこれなんですけど僕は全く同じ感覚は全然ないですよ。ただ一旦はわかるんですよ。
現代における成果のプレッシャー
私フリーランスやってますから、やっぱりそういう圧ってなんですね、フリーランスだけしかやってない人間が、しかも定期収入は全然入らないという、例えばコロナになってしまうと途端に年収からごっそり500万ぐらい減りますみたいな人間がですね、やってるとですね、結果出すっていうプレッシャーから解放される日は来ないんですよ。
やっぱりその、なんかXでそれはそうだろうなとは思うんですけども、その正規の、まあ僕は正規の心理師さんとかのXを読んだりしますからね、やっぱりね、だけ追うみたいな時期は昔あったけど今はもう全然なくなっちゃいましたけど、追ってはいませんけど見たりしていと、藤山さんのXとか山崎さんのXとか見てると当然そういうの入ってくるわけですけど、あのものすごく更新するのは大変だし、
すごく誠実に頑張ってるんだよっていう話がXなんでね、上がってくるんだけど、それはもうそうだと思うし、あの応援してますって感じなんだけど、同時に、だけどこう、これを言えるのはやっぱり良いことだよなと、良いことだと思うんですよ、精神衛生上。私はそんなことをXで呟こうとはやっぱ思わないんですよね。
だってこう、それって収入に直結全然しそうにないじゃないですか。そんなこと言ってても、いや私だって藤山さんの本とかちゃんと読んでるんですよとか言っても、なんかプラスになるかもしれないけど、いやそれだったらやっぱり先送りゼロになりますとかって言いたいですよね。
まあそれを言うのもどうかっていう感じになってきているんで、あんまり最近そっちも言うことなくなって、だからXで呟くことがすごい減っちゃって、良くないんですけど、あの要は成果が出るかどうかってことにやっぱりこう、ものすごく頭を押し付けられているとですね、成果出てんのかなみたいなことは必ずすごく考えるわけで、そのビジネス書書いてても成果が出るっていうことを書く、プラス、もっともってPRする。
だって周りの人は成果が出ようと出ないともっと盛るわけですから、周りの人もですね、あれ書いてる人はそういうプレッシャーが背景にあるんで、例えば私なんかの場合別に借金とかないからあれですけど、中にはこう億単位で借金抱えていてビジネス書で一発でやるぞみたいな風に考えてるからだって大勢いるんで、私そういう方は個人的に知り合いもいたんで知ってるんで、あの当然そこにはものすごい圧があるわけですよ。
これで結果出せるチャンスを逃してしまったらみたいなのあるじゃないですかやっぱり、送られた借金あるのにノーノーとしていられないじゃないですか。だからやっぱりこうね、機会があれば100万分ぐらいに持ってる人が満単位でいる世界の中でですね、やっぱこう結果が出ない方法に肯定している場合ではないわけですよね。結果が出る、少なくとも出ると信じてもらえることを言いたい。
だから私は精神分析の知見を一生懸命勉強してます。だからっていう風に絶対読者になるんで、興味全くないと思うんですよ。でも本当に会社に行くのが辛い日でも、これを読めば朝起きられるようになりますぐらいのことは言えないと言うからにはやっぱ起きられるようにならないと、なってもらわないと困るっていうのがあって、でフロイトはさらにこの圧が強めにかかってたと思うんですね。
だから、いやもう全然あんなこうわけわからんはんじものですよみたいなことでは済まされなかったと思うんですよね。すぐ死んじゃうでしょそんなことやってたらっていうことなので、相当大真面目に考えてあれに行き着いたということだと思うんですね。でそのあれってのがまず夢なんですよ。なんで夢かって話なんですけど、まあ彼も神経系の医者さんだったんですね。もうすでに当時それだっていう段階で超先端的ですよね。
ただ、深み絵を読んだんで久しぶりに思い出したんだけど、不細細胞とかね、なんかこうありえない細胞を考えちゃってるわけですよ彼も。自然科学に高齢しようとするとそういうことが起きるわけですよ。脳をまだFMRIとか一切ない世界に見てるから神経伝達にはこの不細細胞みたいなのがあるに違いないみたいにないに決まってんだけど、そういうわけわからん細胞を考えちゃうわけですね。
記憶とか難しいじゃないですか、メカニズムを考えていくのは。まだそのニューロンだって、ニューロンはさすがにあったと思うんだけど、あの発見されてたと思うんですけど、とはいえですよね、100年前、1800年代ですからね、でそういうのを考えちゃったんだけど、どうもそれをいくら考えててもちっともこの無意識についての解明が進む気がしねえっていうか進んでないっていうことに、まああっさりぶつかるわけですよって悩むわけですよね結局ね。
その客観的な自然科学があんなにもてはやされつつある時代にまだその前なんだけど、でもまあもてはやされんとしている産業革命後ですから、自動車とかも走り始めてるわけですから、だからどうしたってこれはあの客観的データがいると。しかし実際に客観的データはないわけですね。
だから、じゃあ客観に準ずるものって主観の中では何だろうってなった時に、コントロール効かないものだっていうのが彼の結論だったというふうに藤山さんが書いているし、私も絶対そうだと思うんですね。僕も同じようなことを考えたことがあるんですよ。結局だから僕はすごい名刺勤務にこだわったのは、夢コントロールできたら最高じゃん、そこで別に生身じゃない女の子といっぱい付き合ってセックスいっぱいすればいいじゃんって思ってたんだけど、夢コントロールできないんだなってことに、できる人もいるらしいんだけど、できるとは僕には知らない。
僕には当ては思えなかった。で、コントロールできないものこそ客観データになるじゃないですか。つまり、恣意的に変えられない。よくリトマス試験紙の話、僕するんですけど、リトマス試験紙は感性つけたら絶対青になるから科学的なわけじゃないですか。つまり、そこにちょろまかしてアルカリ性の石鹸とかダバダバ入れたりしない限りは、つまり実験ってそうやって台無しにするのは、恣意的に結果を出そうとした結果に誘導できないところに客観的データの価値ってあるわけ。
ですよね。で、それを考えてみたところですね。要するに、客観的ならいいってことは、恣意的に動かせなければいいってことになるわけですよ。で、恣意的に動かせないということはですね。要するに、夢ですよ。夢、恣意的に動かせないって、今さっき私言いましたよね。恣意的に自分の自由自在にコントロールできるんだとすると良かったんですけど、私はその夢がまさに夢破れたわけで、だからすごすごと日本に帰ってきたわけですけれど。
フロイトの夢分析の批判
その名刺勤務を見る、恣意的に夢を見たい夢に切り替えるということが相当の困難を伴うということは、逆に言うと夢の中身というものはですね。客観的データだと。で、これだとフロイトは考えたわけですね。ここから相当のものを彼は得ていくんだけど、藤山さんは最終的には批判的に見てるわけですね。批判ではないんだけど、あれは。でもこれは一種の還元主義だと。還元主義ですよね、結局。
という結果が出るということは、その背景にこういう原因があるはずだっての還元主義。ざっくり言うとそんな感じじゃないですか。夢もそうで、この夢を見るってことは、あなたこういう願望がありますよねっていうのは、つまり機械的にその夢を解明していけばいいと。つまり夢の顕在内容というかた、つまり表に現れている夢の中身を潜在的な内容、その夢の意味しているものに還元していくわけですよね。
だけどまあこれは今のその例えばビヨンとかを知っている私たちからすると、あまりに素朴ですよね。これをやるから例の蛇の夢を見るってことはセックスがしたいんだっていう、ハンジモノみたいになっちゃうわけですよ、それこそ。まさにハンジモノなんですよ、この発想っていうのは。この発想をある意味では、正規の人も非正規の人も20世紀には心理的な話をすると、この種のハンジモノをやってたわけですよ。
だから何月何日に生まれてこういうことが今起きているというのはこういうことですっていうのは還元主義じゃないですか。何でもそうなんですよ。あなたの手相で手相のこの部分がこういう線になっているってことはこういうことです。これも還元主義ですよね。
つまり現実の後ろには意味があり、その意味を読み解くのが専門家だっていう発想なんですよ、これは。で、その意味と表現されている現象の間には一対一に近い対応があるという暗黙のこれは仮定があって、だけれども藤野直樹さんが書いている通りで我々は夢を見るのであって夢のテキストを見るのではないってあれは名言に近いなって私は思うんですけどね。
これ全部ハンジモノ系のものに当てはまる批判だと思うんですね。私たちは手相を持っているのであって手相の意味を権限させて生きているわけじゃないんですよ。現実っていうものはそういうもんじゃないと思うんですよね。この現実の裏にある意味をやたらと読み解くことに熱心などうしてもそうなりやすいんですよね。
だってそれが多分かなりの部分、フロイトもそれで得てきたものは大きいんだけど、つまり夢の潜在内容、彼はしかも夢を読む間違いなく達人でしたからね。そのことばっかりやってたわけだから。だけれどもそういう人であったとしてもですね、確かに我々は夢のテキストを読むわけじゃない。夢のテキストを見てるわけじゃないんですよ。やっぱり夢を見てるわけですよね。
人に夢の話をするからそれをテキスト化するのであって、逆じゃないですよね。もともとテキストに意味があるものを夢という形にしているというのは、やっぱあくまでもそれは仮説的なものに過ぎないだろうなって感じはします。美容の方が先行ってるのは間違いないと思うんですね。
だって、還元主義で何でも還元できるということにしたとしてもですね、やっぱりそれをやろうとしてるのは人間だけじゃないですか。だから宇宙の背景の意味みたいなものがすごくどうしても、20世紀、21世紀の今日かもしれませんけれども、非正規の特に心系を扱う話になってくると、聞いてる?いつも還元主義だな、これはっていう。
還元主義でも達人はいますよね、やっぱりね。手相にせよ占いにせよ、多分それは読み取ってるものが、だから人に伝えにくくなってくるわけですよ。手相だったらこういう手相の人はこうなんだっていうのが非常に素朴な還元主義だけど、だいたい評判のいい人がやってることっていうのはプラスアルファがあるんですよね。こういう人がこういうタイミングで現れたときはこうだみたいな。
そうすると、都度都度還元主義から遠のいていくじゃないですか。一対一対応が難しくなっていって、いろんなことを読み解ける人になった方が、専門家のレベルは高いわけですよ、結局。暗い顔してきてるのか明るい顔してきてるのかとか、いろんな背景がわかる人の方がやっぱり、どんな職業でもどんな専門でも同じだと思うんですよね。
それとタスクショーとでも同じですよ。やっぱりこの人ここの時間に起きていて次にやってることがこれだってことはっていうのは、ある種還元主義が取れるわけですよね。でもそれは見方について詳しい人と、ひたすら一対一対応を探している人では、やっぱり読み解ける量が違ってくるので、文脈の濃さが違ってくるので、言い方を変えるからね。
だから結局、一対一対応っていうのはすごく嘘臭いんですよね、この種のことでは。そういうマニュアルあるじゃないですか、世の中にはいっぱいですね。あるんだけれども、日の絵馬とかね、そういうマニュアルはいっぱいあるんだけれども、その通り読み解けばこと足りるってことはほとんど全くないはずなんですよね。なぜならば、おそらくその背景にあるものがないからでしたよね。
で、その現象面に現れていることの裏を読み解くということをしたくなっていくのは、まあそれをフロイトがやろうと頑張ったんだし、そこから彼はいろんなものを得たんだし、実際今でもそうですね。多くの場合、画像診断とかそうじゃないですか。だからそれは科学にもちゃんとあるわけですよ。
この画像にこういう兆候があるということは重大な病気がになっているっていうそういう話ですよね。だけどそれはテキストの形になるからといって、例えばこの背景にあるのはガンダみたいなものがわかったとして、ガンはテキストじゃないですからね。ガンダという一つ一つの現象は一つ一つ本当は違うわけですよ。
重症的な話というのは、現象を遮蔵した結果が出てくる記号であって、記号が先にあるわけじゃないわけですよね。記号が権限していくわけではないわけですよ。
このところがどうしてもそういうことにフロイトガンズは気づいてなかったとは考えられないんですけれども、当時の漢字では、つまり神経症水準みたいな話からしか始めなかった精神分析は一定の限界がそこにあったということだと思うんですよね。
どう考えたってだって夢というのはコントロールが効かないっていうのは確かだけれども、その裏にあるものをその人は無意識のうちに夢に顕現させていて、そいつを私が読み解くんですよっていうことを言うためには、その人は夢の報告がそもそもちゃんとそれなりに整然とまとまった形でやれないとなんだじゃないですか。
しかもフロイトに向かってそれがやれないとできないですよね。その都度その都度人格が後退するようでは、つまりそういうふうに非常に不安定な人格を持っている人の場合、おそらくそういうところに行き着けないので、そういう治療法であるならばそもそも成立しがたい、ほとんどの場合成立しないということが起きちゃうということになるだろうなと、昨日私は精神科の病棟に肉親のために行ってつくづく思ったんですよ。
やっぱり今や関係者、看護師さんであれ精神保険福祉さんであれ、みんな例えば私の身内なんだけれども、どの状況でどういうふうにこの人が入ってくるとどう考えるかどう感じるかというのをものすごく考えるわけですよ。考えてくれるわけですね。
だって考えないといきなり全然違う人格になっちゃったりしかねないというのを経験的に知ってるんでみんな。
やっぱり考えるわけですよ。そうすると夢の報告を安定してやることができるなどというのはですね、やっぱり精神病水準ではないからやれるってことになるわけですよね。神経症水準にあるからやれるってことになるわけですよ。
人格がある程度まとまった形で、いつも同じって言うわけじゃないですよね。機嫌の良い時もあれば悪い時もあるけど、機嫌が良い時と機嫌が悪い時があるというのと、ニコニコしている時と激好している時では別人になるというのとでは全く話が違うわけで、怯え切ってね、もう入った瞬間にバタンと頭を閉めてどっか行っちゃうとか、全然普通にありますからね。
けれども、そういう風になるんではなくて、ちゃんとこう部屋に入ってきて、なんかこう厚っ厳しいなって思ってもちゃんとそこに持ちこたえていられるということになってくると、やっぱりそれは水準がちょっと違うわけですよね。
無理だから薬で持たせるってことになるんだけれども、でもやっぱり限界がありますからね。薬で持たせているにしても話は全く頭に入ってきてないとか、全然違う人格が話を聞いているとかになってくると困るわけじゃないですか。そういうことは起こるんだけど結局。
だからすごい配慮できるところはとことん配慮しようって発想になってるんで、その辺がやっぱりその神経症水準であることを前提に話をしますっていう夢の報告聞きますっていうのとは、実際そうですもんね。夢の話なんか絶対しませんし。
それどころか、この日こういうことがありましたね。なんかちょっとよく覚えてないんですよねみたいなことをざらっと言い上がるわけですよ。そんなはずないだろうっていう感じが、何をイケシャシャとそんなこと言ってるんだみたいに思いますけれども身内の私としてはですね。嘘ついてるわけじゃないんですよね。言えないんですよね結局ね。
内的なブレーキが強くかかりすぎて、そこを無理やり言わせると、果たして違う話にお始める人が出てきちゃうわけですよ。っていうような話になってくると、やっぱりそのね自分の内面の大事な部分を話してください。さあどうぞって言って自由連想でしゃべれるというのはですね。
前提がちょっと違うんだろうなっていう、そういうことを全然触れてないわけでは決してフロイトの場合はないと思うんだけれども、でも前提が違うっていうのは重要なことですよね。っていうのは確かだなと思うんですよ。
ポッドキャストの概念
で、これらの話をですね、なんかあれですよ、アカデミックで通用するものだと思っていつも言う話ですけど聞かないでください。僕は藤山直樹さんの本を読んでの感想を勝手にしゃべってるんで、三ヶ月チャレンジの基本の方針と、基本的にはこのポッドキャストの基本方針は一つの大きなズレがあるのは、僕は人の話をここでは聞かないということ。
僕がしゃべりたいことを一方的にしゃべるというだけなんですよね。感想とかレターとかいろいろいただきますけど、基本的には考慮に入れないようにしようとしてるんですよ。なぜならポッドキャストはある意味僕の中では独立した営みなんですよね。独立した営みなんですよ。
この時間に入ったら他のことは一切忘れると。直近でやったことぐらいだけを思い出しておいて、私が言いたいことを上手に思うままひたすらしゃべっていくっていうのがいいのかどうかは知りませんけれども、そういうふうにしないと続かないだろうなっていうふうに思うので、三チャレのCMとかはしますけど、CMが終わったらもう基本的には区切ってるわけですね。
なので、これを聞いて三チャレに興味を持ちましたって方が一定数いらっしゃっててすごいありがたいんですけど、あんまりそういう意味はもともとなかったし、だってこれ三チャレ前からやってますからね。
基本的には私がここでしゃべるというのはですね、アカデミーとか、それこそ正規さんとか非正規さんも含めて心理師さんとかカウンセリングの話してますけど、基本的には関係ないものだと思っていただいた方がいいと思うんですよ。
あれですよ、だから。なんか昨日も面白いなと思ったんですけど、精神科に行くとですね、あちこちで政治の話をしてるんですよね。
やっぱり何かひひひと感じるものがあるからだと思うんですよね。でもそれは、じゃあそれが政治に影響を与えるかというと、それは与えないじゃないですか。
うちのね、肉親が私に向かって高市さなえさんは大丈夫かねみたいなこと言っても、だからと言って投票に行くこともままならない車椅子だしね、非常にいろいろ難しいわけですよ。
人がこういう話をしたからと言って、それが政治的な話と言えるのかどうかというと相当それは違うような気がするんですよ。それとこれは似てるんです。
だからこれは社会人に向かって僕発信してしまっているんだけれども、何かこうムーブメントというものと関係あるかというとあんまりないし、私自身の活動と関係あるかというとそれすらも微妙だなと思うんですよね。
寝て起きて喋りまた寝るみたいな、そういうなるべく夢に近い、ここでも夢なんですけど、形でやりたいというのはあります。
記録に絶対残さないですし、私リッスンみたいなのに登録してあるんですけど、読み返したこと一回もないですし、人にこれを一部引用されて、こんなことを言ってましたよっていうのを聞いて、言ってたんだなあみたいには思うんですけど、
そんなもんなんで正直に言うと、そんなもんというかですね、なんかですね、そうであるべきだって僕思ってるんですよね。やっぱりね。
なんかこう自分の活動を統一させようという試みは、フリーランスはするべきではないというのが僕の最近の結論。
するべきでないっていうのは人に向かって言ってるみたいだからおかしいですね。私はするべきではないと私自身はですね、思うんですよ。
XはX、ノートはノート、ポッドキャストはポッドキャストでサンチャレはサンチャレ、タスクシュートはタスクシュートなんですよ。
そんな風に言われても統一して見ちゃいますというのは見ちゃうでしょう。でもそれは見る人の自由であって、私は点でバラバラにやっていきたいっていうのではないんですけど、
各々独立させている感じを持ってはいたいというのは常々思いますね。なんつーんだろうな、やっぱりこうつながっていないつながりを無理やり意識すると、嘘をつくことになるような気がするということですね。
私はこう基本的に嘘はついてますね、きっとね。でも数に済ませたいっていうのはものすごくあります。嘘っていうのは一つの利益のためにすることなんだけど、それが利益になっている気がしないんですよ、いろんな嘘を見ていて。
利益になっていると信じているんだろうけれども、果たしてそれが利益になっているのかなと。例えば私の父なんか嘘を全くつけないタイプの人間なんですけど、本人嘘つけると思ってるらしいんだけどね。嘘を全くつけないんだけど、でもうちの父はまんこと生きてるような、みんなあれを下手だ下手だっていうわけですよ。
でもコリコーに生きている人たちがあれよりも幸せに生きられているようには僕には全く見えないんですよね。うちの父は本当にある意味すごいなと思う。うちの自分の娘がどういう風になっても鬱っぽくなったり欲鬱になったり絶対しないですからね。子供の時の話を聞いてもまともな話が一個もなくて悲惨な話ばっかりなんだけど、常に愉快そうに喋ってるんですよね。あれはなんかなかなかないものだなって思うんですよ。
人格的に優れてるっていう人もいるんだけど、僕はそうは思わないんですよね。非常にイライラさせられるところもいっぱいあるし、非常にエゴイスティックなところもいっぱいあるんだけど、ただ明らかに欲鬱というものが何かの誤解の産物だという感じ。
例えばうちの父はですね、ごく幼い時に私の祖父が満州から帰ってきて兵隊だったんで、一等兵だったとか、要するにぺいぺいですよね。でもなぜか死なずに戻ってこれて、直ちに訳がわからなくなったとか、天皇陛下を信じてたけど訳がわからなくなったとか言って、山節とともにどっか行っちゃったわけですよ。
そんな時代にそんなことを親父がしちゃったら、もう家、絶望的な状態じゃないですか。しかも秋田の山村の雪深いところで、よく生きてたよねっていう感じなんだけど、雀橋の巣から蜜を取るとか訳わかんないことを言ってるわけですよ。なんか蛇を殺してそれを食うとかね。でも実に幸せそうに言うんですよ。これが非常に不思議でしたね。
だからあれを見ていてですね、人の欲打つというものは、まあそれは欲打つから逃れられないな、しょうがないとして、なんか考えてうまく立ち回るってことに意味はないんだろうなっていう感じがするんですよね。今だってどこをどうとってもいい条件ではなくて、ああいうとなんかこう一家で絶望してどうたらこうたらになっちゃいそうなんだけど、父に絶望の気配を一切見られないんですよね。
自体を把握できてないじゃないかと、80だから思うんだけど、もうその精神科でその割と一度、ちょっと暴産モードになっちゃってるのはどうかなと思ったんだけど、誰もこの人暴産だと思ってないんだけどねっていう感じなんだけど、うまいこと喋ってなんかみんな納得感高いわけですよね。
私が喋るのは一応実務的でちゃんとしてるんだけど、うちの父はそうじゃないところでなんかこうみんな納得しちゃっていて、なんかやっぱりこういうのってあるなっていう感じが。ちなみにうちの母は何も喋んないんですけど、まあこれはしょうがないなって感じもするんですけどね。
幻想と空想の違い
話が盛大にそれてるんですけど、夢ですね。何で夢かって話を今してきたわけですが、もう一つ私が、もう一つというかもう一段だから夢が繁じ物より先でなきゃいけないという藤山さんのお話は全くその通りだと思うんですが、要するにその神経症水準って、私これがキーワードだと3ヶ月チャレンジでも基本的に古典的には神経症水準という仮定をとっていく。
だけど神経症水準というのはもう古典の仮定であって、そのことを留意するのはすごく大事だけど、それだけ考えておいてもいろんなものを見間違うんで、まあ私は見間違ってるでしょうけど、大事なのは我々がやっぱり僕は対象関係論の考え方に沿ってますからこの点は。精神病水準をみんな持ってると。
で、でですね、そのことは簡単にわかるって僕思うんですね。まあこれはだから、わかんないな、その発達ラインみたいなのが頭から無視していいかどうかは別としてもですね、性的な話みたいなのって結局表に出しにくいっていうのは、令和の今でも変わらないところがあるわけじゃないですか。
で、あそこにその原型があると思うんですよ。その藤山直樹さんは美音の話されてるから、人間はミクロでも本当にミクロでもβ要素というものにいつも突き当たっていて、そこで考えるっていうことを始めるんだっていう話をきちんと論考されてまとめられてるんだけど、まあこの話はとはいえ非常にイメージしにくいですよね。
でも私はセックスってことになると途端にこれはあるなって思うんですよね。つまり前概念みたいなものって、まあ前概念って言ってもそんな偉そうなものじゃないんですけど、セックスに関するファンタジーってみんな持っちゃってるわけじゃないですか。
なんでかっていうと、現実に遭遇できないからなんですよ。現実に遭遇するの遅れに遅れさせる。性欲が例えば5、6歳、遅くとも9歳ぐらいには普通に上がってくると思うんですけど、じゃあ9歳になってすぐセックスできますってことはほぼ全くないですよね。
だからそこで勝手な妄想を膨らませる、まあ妄想って言葉はやめよう。つまり精神病水準で言うところの幻想であり、ファンタジーのPで頭文字取り合わせて幻想であり、神経症水準で言うところの空想なんですけれども、だから空想と幻想を分けてるんですよ。これは松木さんも分けてたし、富山さんも同じ分け方してると思うんですよね。幻想と空想どう違うのかっていうと、空想は意識的にイメージできるやつ、現実じゃないやつ。
幻想というのは事実上意識できてないんで、見たりはしてないはずのものなんですね。幻想というものに我々がぶつかると、えらい生々しくて、現実でない気はしないって感じがしちゃうんだけど、だけど、だからあれですよ。夜、墓場にどうしても行けませんって言ってる人は、墓場に幻想抱いてるわけですよ。
それは結局その心が作り出していて、現実にはないものなんだけれども、でも、見ることもできないし、イメージもできないんだけど、恐ろしさはリアルになるんですよ。だからそれは幻想の世界なんですね。
我々はまず赤ちゃんとして生まれてきたときは、渋さという幻想を持つというのかな、予期するんですよね。だからおっぱいには吸い付く。でも、それはあくまでも予期なので、予期したものは群れがあるわけ。
セックスがそうだったはずなんですよ。一番最初はね。私なんかそのことすごい覚えてるんですよ。なんかこうセックスってできなかったわっていう。あれが多分ですよ。リオンの言うノーブレスト、ムチブサっていう書き方してるんですけどね。なんですよ。
ムチブサっていうのはおっぱいがないことじゃないですよ。ムチブサがあるんですよ。私が予想したものと違うものが来た。ダメだっていうその絶望感を赤ちゃんは持つはずなんですよね。私が予期したのはこんなんじゃないっていう。だって予期したものと本物のムチブサは違うじゃないですか。赤ちゃんは生まれたとき泣いてるじゃないですか。現実っていうのはこうじゃなかったはず。みんな泣いてるじゃないですか。泣いてない赤ちゃんがもしいるとするとちょっと問題がありますよね。
泣くってことはつまり予期が外れてるわけですよ。でもこれがめちゃくちゃ大事なんですよね。トラウマにもなりかねないんだけど予期した現実はもっといい現実だったわけですよ。大変なところかもしれないしどんなところかわかんないんだけど。でもところとかどんなとか自分がどうしてるとか一切わかってないんだから赤ちゃんは。予期だけあるわけですよ。予期だって予期がイメージとしてあるわけじゃないですよ。予期は幻想としてあるわけ。
だからその墓場は怖いけど幽霊の実だとかじゃないですよね。白いものがぼーっとしてるのを見たとかじゃないですよ。墓場は怖いという幻想を持ってるわけですよ。赤ちゃんもそれに近いものがあると思うんですよね。予期してるわけですよ。だけどそれは絶対に裏切られる。空気があるなんて聞いてないっていうか空気なんて知らないんだけど。水がないなんて聞いてないっていうか水も知らないんだけど。
でもあのあれですよね用水に今まで浸ってたわけだから赤ちゃんはいわゆる海洋生物なわけですよ。水中の生き物なんですよ。それがいきなり空気中に放り出されてもう魚だったらバタバタするじゃないですか。あれに近い状態だと思うんですよね。だから絶望感でいっぱいなんだよ。ですよきっと。そこにおっぱいが来ると。おっぱいはムチムサなわけです。ノーブレストの役なんですけどね。
セックスとの遭遇
我々セックスに遭遇する時も多くの人はそうだと思うんですよ。ノーセックスに遭遇しちゃうと思うんですね。でその前にそもそも遭遇できないですよね。だから不在なわけですよ。性欲はある。セックスはない。だから不在なわけですね。ここに苦しみがありますよね。
だからよくほら男好きとか女好きとか大体批判されるんだけど私あれはナンセンスだと思うんですよね。男好きとか言うのはただトイレに行くのが好きだっていうのと変わらないと思うんですよ。トイレに行くのは好きも嫌いもなくて行くでしょう。でやっぱり世の中は広いんで私もこれは昔聞いて3ヶ月チャレンジとかでは全然ないですよ。聞いてびっくりしたんですけどタスクシュートの回だったなやっぱりな。
私はその排泄は汚くて嫌だと思ってるんで臭いとかが催す前に行ってしまうんです。だから45分に1回みたいなルーチンがかかってるわけですよ。やっぱり発想が違うなって思うんですよね。排泄が汚いまあ確かにそこに嘘はない。
だからさっき私は言ったんですよね。性欲があるのが良いとか嫌だとか言うのって意味ないと思うんですよ。あるに決まってるわけですよ。食欲がある性欲がある。寝たくなるそして排泄したくなるそれは当たり前のことなんですよ。良いとか悪いとか言うことに意味が全くない。空気が吸いたくなるのとなら変わらないんですがそれをどういう意味付けをするかはつまりどういうそこに幻想を抱いているのかは人それぞれ相当違うわけですよね。
だから男好きっていうのと女好きっていうのとトイレ好きっていうのは全部同じことだと思うんだけどもそこに欲望があって満たすことができるっていうのがいいよねってことでしかないと思うんだけどただその欲望が悪いものだとか満たし得ないものだっていうふうに考えた場合だとトイレに行けませんってことになったら災害とかで時々そういうことになるけどものすごい大変なことが起こるわけじゃないですか。
でその時に幻想とか空想ではごまかせないですよね。トイレしたイメージをして何とかしますみたいなそういうわけにいかないですよね。で性欲も自分に性欲を持つことそれ自体を禁じているとですね欲望がなくなるわけじゃないんでただ禁じてるだけなんで代わりに幻想が出てくるわけですよ。
例えば男の人に付きまとわれているみたいなこれ不在論に出てくるんですけど共産党員に付きまとわれているとか監視されているとかで私も身内から聞くわけですよ父親が殺そうとしているみたいなこれはつまりお父さんもっと優しくしてほしいということの願望が全く否認されているところで出てくるわけですよ。
お父さんもっと優しくしてほしいとその人は思ってるんだけれどもお父さんが優しくしてくれてくれるはずはないと思っていてしかもそんなことを自分は望んでもいないと思ってるわけですよ。でも苦痛はあるわけですよ。
母父は優しくしてくれないという苦痛がそれはもう意識に昇ることすらできないからあとこれが神経症水準の人ならばお父さんが優しくしてくれないからお父さんが優しくしてくれる空想をイメージするで済むんだけどそういう意識的な空想を持つのすら禁じているからもう無意識に回るしかないんですよね。
そうしてお父さんが優しくしてくれない幻想というものを持っちゃうというかお父さんが優しくしてくれる現実というのは一切ありえない。だから苦しいという苦しみだけはある。その原因は見たくないから見ない。そうすると幻想が発生してだからお父さんは私を殺しようとしてくる。だから私は苦しいんだ。百刀斑しなきゃってことになるわけですよね。
これは性欲に関しては非常に起こりやすいことだと思うんです。なぜなら性欲に関しては禁じて当然だと思っている人が世の中にいっぱいいるからですよね。しかも自分の欲望が上がってきたときにディレイをかけられる。
不在論の中で松木邦路さんがフロイトの不在に関する話で要約をしているんですね。フロイトの論文を。その中で然るべきしつけが遅れると性に関して神経症的な葛藤が良くなくなって神経症になっていくんだみたいな話。ヒステリーの話に近いと思うんですけどね。
このしつけってのはどういうことかというと、つまり願望というのは無意識にまず来るわけですよね。その願望の満たし方はもうむちゃくちゃなわけですよ。お腹が空いたからうんこするとか、もうむちゃくちゃなわけですよ。
だけれども願望を現実に合わせて適切な形で表現しないと人間は少なくとも現実に願望を満たすことは一切できないわけです。空気数ぐらいかできるのは。食事するにしても手で掴んじゃダメっていうのは別に手で掴んだっていいんだけど、そういう文化になっているから食事は足を使いましょう。これがしつけなんですよね。
セックスもそうなんですよ。性欲があるんだったらこういうふうに満たしましょうっていうのがあるんだけれども、これが食と違って適切なしつけなどというものが適切なタイミングで行えるかというとそうはなかなかいかないんですよね。だからひたすらディレイがかかっている。ただただもうちょっと待ちなさい、もうちょっと待ちなさいだけなんですよ。
食事でこれをやっちゃったらまず食に関する空想と幻想が大量に広がっていきますよね。あんなものが食べられたらおいしいだろうなぁの空想をひたすらする。それがすごく現実からかけ離れていきますよね。そして15年経ったところではい食事ですってなったらうまくできないですよねそりゃ。
そしてノーブレストに遭遇しちゃいますよね。いや食事ってこういうんじゃないんだけどみたいな。でも私ご飯食べてみたいんだけどみたいなよくわかんないことこれが性ではめちゃくちゃ起きるわけですよ。私なんかは性に関してはファンタジーを幻想と空想であまりにもこねくり回しちゃったんでほとんど犯罪になっちゃうわけですね。一歩間違うと。
それはVRで満たしたりファンザで満たしたり小説で満たしたりそれこそ頭の中の空想で満たしていく。ここまで全部空想ですよ。空想ってのの大事なのは空想は現実でないってのを知ってるってことなんですよ。だから非精神病水準なんですよ。ファンタジーだ。だってVRですってのは現実じゃないって知ってるってことじゃないですか。ファンザですってのも現実じゃないってのを知ってるってことじゃないですか。
頭の中で空想してますもん。空想してますって言ってる以上現実じゃないからここは安全だから好き勝手ができるんですって言ってるわけですよね。これが現実幻想がついてるってことですよね。幻想はそうじゃないんですよ。幻想は墓場が恐ろしいって言ってる通り本当に怖くなっちゃっていてどこから心で作り出していてどこから現実を知覚しているのかの区別がつかなくなってる。
非現実の遭遇
でもこの区別がつかなくなったところがあってこそ初めて例えば私であれば射精ができるわけじゃないですか。わかりますここ。ここめちゃくちゃ大事なんですよ。だからここに神経症ってものがあると思うんですけど空想で射精をするってのはおかしいわけですよ。いやいやいや現実に体を動かしちゃダメじゃんってことになるわけですよ。だってそれ空想なんでしょ。現実に心を動かしちゃダメじゃん。
そんなことしていたらおいしいおいしいなんか不思議な食べ物を食べました。お腹いっぱいになりました。死んじゃうでしょそんなことしてたらってことになるわけですよ。
だから幻想と空想を分けなきゃいけないんだけどそれに対して神経系が間違った反応を引き起こしてしまうことはある種の危険に近づいていくってことになるわけですよね。でも我々はみんなやりますよね。つまりそれは幻想と空想というものを混ぜますよね。
そこに神経症というものが発生し得る余地がありますよね。これをうっとミクロな世界でやっているよってことを美音って人が言い出しているわけ。言い出したっていうか多分そういうことなんだろうなって思うんですよ。
生の話は非常に大きく言って禁止もどこでされていて空想もいろいろするってことがいろんな人が知ってるから神経症水準の神経症を扱う上でこのテーマは非常に合理的だったんですよ。だから私はフロイトは合理的だと思うんですね。自然科学的ではないかもしれないけど合理的だと思う。
でも美音はこれを一気に精神病の方面にクラインがその道筋をつけてくれたからできたって思うんですけども。あとこれは藤山直樹さんすごい鋭いなと思ったんですけど1950年代だからできたんだよっていうことを書いてるんですね。これはなんかやっぱりあの人すごい人ですよね。
1940年代の時には精神分析というもののところに精神病、統合視聴症の人あんま来なかったよね。戦争もありましたしね。だけど1960年代になってしまうと今度は抗精神薬ができてくるから精神分析なんかやるよりも少なくとも旧世紀の精神病にはすごく効くわけですよ。効果絶大なわけですね。だからやっぱ少なくとも統合視聴症になりました。まず精神分析のところにいっぱい行きますなんてありえなかったわけです。
だから1950年代そのちょうど間で戦争は終わってます。精神分析というものも割とそれなりに流行してます。統合視聴症の人は来る。しかもまだ抗精神薬はできてないからそこにどんどん来る。その時ビヨンという人がいていっぱい見ることができて、しかも彼はたまたまクライン派だったから精神病水準の統合視聴症の人を見る精神分析家だったと。
だからああいう革命的なことが論文がどんどん出来上がって1960年代に発表していくんですけどね。なんだっていう話は私はそうだろうなぁと思う。今の時代だったらありえないことですよね。少なくとも旧世紀の人はそこに行かない。時間かかりますからね。精神分析。さっき言った通り。しかも当時の精神分析は当たり前のように1日うちに寝て週5回っていうですね。
この設定で精神分析の人そんな毎日毎日統合視聴症の人を精神分析家が見るというそういうことに遭遇できた。しかも精神分析で統合視聴症を見るぞというふうに意気込んでたわけですけど。クライン派のキエイのビヨンがそういうことができたのはこのタイミングだったからだっていうのはそうだよなぁとつくづく思いますね。
そんでですよ。その統合視聴の世界というのはノーブレストに遭遇してしまう。これムチブサなんですけれどもあるんですよ。これが大事なんですよね。つまり赤ちゃんおっぱい吸ってるんですよ。だけどそれがおっぱいじゃないと思ってるってことなんですよね。だからβ要素だってことなんですよ。
これが我々が多分我々が一番このこと知ってるのは特に男性はですね私がそうだったんでセックスだろうと思うんですよね。だから現実の女に幻滅するのかみたいなそういうジェンダー的な議論になっちゃう。そうじゃないですよ。予期しているものがあまりにも現実的じゃないんで。どんなに素晴らしいとか素晴らしくないとか関係ないんですよ。遭遇した現実が現実じゃないんですよ。
なんて言えばいいのかな。予期したものとかけ離れすぎていて非現実のものに感じられてくる。だから墓場の恐ろしさみたいなものに遭遇してしまうってことなんですよね。一部。
ここででも赤ちゃんの中でもう赤ちゃんと母親の組み合わせなんですけどだから対象関係なんですけど。でもここで頑張ろうねってこと言ってるんですよビオンは。ここで頑張らないと経験から人は学べない。だから経験から学ぶっていう超有名な論文が出来上がるわけですけど読んでても私よくわからなかったんですけどね。
でも経験から学ぶためにはそうじゃないですか。僕はセックスがいいと思うんですよね。セックスという経験から学ぶためには予期に方に肯定していたらダメなわけじゃないですか。経験から学ぶと私は経験から学ぶのがえらい手間取ったんですよ。実際立ちませんみたいなことが起きたわけ。だから私はその後一時的にテンポラリーにインポテンスになっちゃったわけですけど。つまりトラウマに遭遇してるわけですよ。
それは良かったとか良くないとかは関係ないんですよ。自分の予期が現実とあまりにも無関係な方向にベクトルが向かっちゃってたものだから現実と遭遇すると非現実と遭遇しちゃうんですよ。だから墓場に行ったって墓場が怖くないって人もいればめちゃくちゃ怖い人もいるわけじゃないですか。それでもコントロールできないわけですよね。幻想の世界に入っちゃってるから。私もそうだったわけです。
フロイトとビオンの理論
セックスについては空想してるつもりでいたけど実際幻想に縛られていたために幻想と現実が一致することは絶対にないためにそういうことが生じてしまっていたわけですね。
でもまあつまりここが母親の出番なんですけど母親はこのことをよく想像してあげて精神分析家でもない限りそんな簡単にいかないと思うんですけど泣こうが飴こうが無理やりおっぱいに押し付けるとかそういうことしかできないと思うんですけどね。
でも赤ちゃんがその乏しい頭脳でそして経験は全くない中で空気も知りませんみたいな中でも一生懸命こうこれこれなのこれなのみたいなよくわからないですよ。
でもそういうふうに持ちこたえることによって考えるということがもしできるようになったらばというのはつまり考えるというのは押し付けられることだって言ってるんですけど考えるというものは起動するそういう言い方するんですよ。
アクティベートすれば良きではなくて思考に進むことができる。これはですね難しいですね。
つくづく難しいと思う。
セックスの例が良くなければスキーにしましょうか。
時間が52分いってるんでもうさらっと行きたいんですけどスキーにしましょう。
私スキーインストラクターやってたんでよくわかるんですけどスキーってなんかある種のロマンがあるじゃないですか。
で目を輝かせてくるんだけどだいたい午前中にじゃあ横になって登りましょうとかやってるうちに脱落してくる人が出てくるんですよ。
あれはムチブタと同じなんですよ。
スキーってこうじゃないはずっていうのに遭遇しちゃうんですよね。
いやスキーってそういうもんなんですって感じ。
いや板は重いし靴も足が痛くなりますしまあ足寒いのにちょっと赤切れとかになっちゃうし。
しかも天気が良ければいいんだけど天気が良ければいいで眩しくて雪明けするし天気が悪ければ悪いでリフト止まっちゃうし。
まあ色々と嫌なんですよ。
あの靴の中に雪入って水ビショビショになって。
うわもうなんかスキーってそういうもっと白馬のゲレンデでシャーってやるもんだと思ったんだけど転んで立てなくなる。
女性の場合は太ももの筋肉がちょっと筋力が男性より一般的には弱いんで。
一旦こう尻餅つくと起き上がるのがそもそもできなくなるんですね。
でそういう時にインストラクターとかにつかまれればいいんですけどやっぱ男性に触れたくないみたいな人もいて。
つまりそうすると雪の中で埋もれてずっと寒い思いをするみたいな。
もう嫌みたいになって午後は休みますみたいな。
一定数絶対出るんですよ。
これを出させないのがインストラクターの腕みたいに言われるんだけどまあそうは言っても出るよねっていう話なんだけど。
これが内部差なんですよね。
当時そこまでわかっていればもう少し考えるところもあったんだけど。
でもまあできることが限られている面もあるんですよ。
全ての人、まあ5、6人。
私は初心インストラクターだって10人はいかなかったんですけど。
じゃあハノジになりましょうみたいなことを言ってもハノジなんかなれないですよね。
そんなことはわかってるんだけど。
だから逆にスキーの板の前の方が開いていくとそのまま股が裂けて
痛い思いをして引っ転ぶってことがまあみんななるんですけどね。
でもそういうことは起きないはずだったわけですよ。
予期されたスキーの中では。
下輪でもっといいところっていうイメージがあったから。
だけど下輪では結構ろくでもないことも多々あるわけですよね。
スキー板重なるし。
まあだからそういうようなものに遭遇してしまうわけですよね。
インストラクターの役割
現実は予期とは違うんで。
でこれがうんとミクロなレベルで起きてるんですよ。
今のはスキー場というかなりマクロな世界での話だから
イメージしやすいんですけれども
うんとミクロな世界で起きてるわけですよ。
極端に言うと水を飲む、言葉を喋る、人と会話をするっていうところにも
もうベータ要素がぶつかるわけ。
ぶつからない限りは
つまり私はこういう風にスキーを考えている限り
スキー滑れるようにならないなと考えるわけじゃないですか。
考えるというのは現実に遭遇して初めてできることなわけです。
一方ででも遭遇しすぎると
あごは嫌です。滑りませんってことになって
この場合は逃避なんですけれども
つまり逃避に向かってもいけないし
予期にしがみついていてもいけなくて
あくまでも現実に向かなければならなくて
その時にホールディングとかコンテインっていう言葉の意味が出てくるわけですね。
ここで踏みとどまろうみたいなものが
何やってても我々は必要で
実はそれは息吸うときにすら必要なんですよっていうことを
美音って人は多分言ってんだろうなっていうのを
経験から学ぶみたいな
どっちかというと会話とかなんだと私は思うんですよね。
昨日精神病棟行ってみて
この状態になんてことはないんですよ別に
ただただ会議っていうか必要な会議をしてたんで
そこに会議の中心になっているはずの患者さんを呼ぶ
呼ばないとダメなんで
埼玉県知事の命令とかなんで呼ばないとダメなんだけど
でもここに呼んじゃったらさみたいなやっぱ
でもあれ1回や2回じゃないと思う
今までもあったことだと思うんですよね
やっぱりその経験積んだ看護師さんとかが
先生若い人だったんで
じゃあ呼びましょうってさらっと言うんだけど
いやいやいやちょっと待っとうよって
この場に呼んで大丈夫なの?みたいなことを
やっぱり看護師さんってすごい手慣れてるんで
年齢的には倍ぐらいあってお父さんみたいな人なんだけど
その先生に先生こちらにお呼びしてもよろしいんでしょうか
大丈夫ですかねっていう
ちょっと圧迫感感じられたりいたしませんか
みたいな感じで言うんだけど
すっげーそれがあーあーみたいな感じになって
だから最初はちょっと少人数で迎えてから
よく見知った人に連れられて
端っこの方から来てみたいなそういうね
なんか何かのゲスト呼ぶときのなんかみたいだな
と思いながら考えてたんですけど
結局だから現実に遭遇するっていうのは
そういうことを含むわけですよね
そういう時に入ってって
いやゲレンデで嫌な思いするみたいに
入っていってもうみんな
いろんな人がいるところにいきなり連れてこられて
もう私帰るみたいになっちゃったら
大変なことになるわけですよ
だって帰るところはないわけだからまだ
だからそういうような話として
ベータ要素に遭遇するというのは
ムチブサなんだと
ムチブサというのはつまり
それはおっぱいじゃないんだと
私が予期してるおっぱいじゃないものに
人は遭遇しちゃダメなんだけど
実は生きてるということは
常に毎瞬毎瞬そういうのに遭遇しちゃうことなんだ
ということを
我々は結局考えるということができてるから
夢とトラウマの関係
それやって生きていけてるけれども
もしこれで考えるっていう機能自体が
止まってしまってる人が
頭が悪いという意味ではないんですよこれは
その人めちゃくちゃ高度に知的だったりもするんですよ
昔私ブログで
女性の方だったんですけれども
ものすごい知識と知力あるなっていう人が
要するに自分はセックスができないんだ
みたいなことを書いてあって
なぜならあれは動物的で
あんなに人間が文明に生きてる人間が
動物的になれるはずがないじゃないか
っていうことを
すごい理知的に書いていらっしゃるんですよ
あれは全くノーブレストの世界だなって
感じがするんですよ
性ってものはそもそもデータ要素なんですよ
全部丸ごとがって言ってるわけですよね
これはだからディレイってものは
すごい難しい形でかかったケースなんだろうな
この人にとって文明とはある種の予期であって
予期された現実にしか遭遇してはならないものであって
全てが予想された食べ物を
予想された形で予想されたように食べるっていう
だから生の肉がどうたらこうたらということは
生の肉食べないってことじゃないですよ
そういう人が生ハム食べないわけじゃないんですよ
でも予期されたものでなければいけない
っていうことなんだと思う
全概念っていうのはそういう意味なんだろうな
っていうふうに
よくわかってないですけどね私はね
でも全概念っていうそういう関東的な用語が
ビヨンの本によく出てくるのは
結局このことをすっごく
我々はよほど
予想された世界じゃないものに遭遇したときに
変な衝撃を受けちゃって
そこからそのファンタジーとか
ファンタジーとかつまり幻想とか空想とか
回避とかあるいは否認とかで
トラウマとかそういった話になっていく
その構造のことを言っているわけですよ
それがつまり夢で遭遇する世界
我々はそれを夢に直せない限り
その時代から先へ進むことができないみたいなことを
言っているんですよね
だから夢に直すっていうのは
思考が無意識の思考がやってくれることだから
だからフロイトが発見した通り
夢っていうのは恣意的に動かせないから
データになるわけですよ
だけどそれを言ってみれば
感じ物のように使っても
もうちょっと得られないものが出てくるみたいな話なんですよね
1時間超えた やめます