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2021-08-27 29:05

【GMV 446】禁止と脅しを分離する

自分の中の親に罰されるのが怖い
00:05
おはようございます、グッドモーニングボイスです。
最近ですね、長字画という言葉をまず使わなくなった気がするんですね、この番組で。
あの言葉は、使いにくいんですよ。
要するに、ああいう図式的にカチッとはまるようなやつほど、
フロイトは迷いながら描いていた感じってちょっとありまして。
小野木圭吾さんという、日本では早々期のメンバーしか有名な人はいない気もしなくもないんだけど、
精神分析家の人が、やっぱり長字画というものを描くんですけど、
急に自我理想という言葉が出てきてみたり、
つまり、うまく当てはまってない感っていうのがないような読み手としては感じるところがあります。
でもですね、バッスル長字画というものだけは、
多分、私たちがすごくですね、ほとんど全人類に共通してこの傾向が出る。
これが人類のモラルになって、長いこと来たわけです。今もそうですよね。
たぶん、1万年くらいの歴史を持っていて、もっとかもしれないですよね。
あれですよね。
モーゼの10回。
10回なんだけど、10回はちょっとでもよくよく考えてみると違うんですよね。
何時何々する流れ、殺す流れってやつですよね。
で、殺す流れって禁止ですよね。
禁止に実効性を持たせる意味で、罰って出てくるんですよね。
つまり、殺す流れだけだと殺しちゃうかもしれないじゃないですか。
大昔の話ですからね。
殺してしまったら〇〇。
あ、あれですよね。
ハンムラビホーテン知ったっけ。
目には目をってやつですよ。
サピエンス前史でちょっと最近取り上げられたりもしたんですけど、
つまり罰なんですよね。
人の目を潰したらお前も目を潰されるから目を潰すなよってことじゃないですか。
この発想は、たぶん全人類に響くんですよ。
ってことは、フロイトはそういうのを超自我と呼んだような、
超自我という言葉を使って、
フロイトはそういうのを超自我と呼んだような気がするんですが、
ということは、私たちはそれが言ってみればインストールされてるんですよね。
ここなんだと思うんですよ。
精神分析というものが定着してきた。
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定着してない気もしますが定着してきた。
最大の理由ですよね。
なぜ人類には同じようなモラル方針がこんな70億もいても共通しているのかということなんですよね。
子供を育てていると思うんですけど、
このよく考えてみると、禁止と罰は分けられるはずなんですよ。
私はこれを信号機で止まるたびに感じることなんですね。
黄色だと多くの車を見ていると交差点侵入をやめますよね。
私もやめます。
赤で侵入する車はもう発狂気味ですよね。
たまーに見かけますよね。
すげー見ていて不気味なものを感じます。
赤信号なのにビューンと行っちゃうんですよ。
鳴り立てとかじゃないですよ。
赤の真ん中なのに。
僕はそれを2度目撃したことがあるんだけど。
正気を欠いてるんじゃないかとか思ってしまいます。
そのぐらい独特の雰囲気を帯びますよね。
赤は止まりますよね。
なぜ赤で止まるのかというと、
赤で止まらないと交通違反で罰金を取られるからじゃないような気がするんですよ。
そういう風に習いますけど、
多分そう思って止まるわけでは別にないと思うんですよ。
つまり多くの場合、
金紙と罰は分離できるんじゃないかと思うんですね。
このことを真剣に考えるようになったのは交差点じゃなくて、
薄明が生まれてからなんですね。
あんまりダメって言ってはいけませんという教育があるんですよ。
教育の本みたいなのがあるんですね。
僕それを読んだことがあって、
なるほどなと思ったんだけど、
でも言わないわけにはいかないよなと思ったんですよ。
で、言うじゃないですか。
で、その時なんですよね。
その時にダメは禁止ですよね。
禁止に罰を加えなければいけないように思うんだけど、
よく考えてみると禁止に罰を加えなければいけない理由は別にないんですよ。
だから殺す中でなんですよ。
さもなく罰っていうのが罰じゃないですか。
まあ脅しなんですけどね、あれ。
脅しになるんだけど、
何々をしてはいけません。
出なければっていう風に繋がるってことは、
この出なければいいかを繋げなければ、
禁止と脅しはセットじゃなくなるんですよね。
でも僕らこれをセットだと思ってる節があるんですよ。
なんでなんだろうと思うと、
昨日おとといあたりに喋ってた総的防衛ってやつなんですかね。
何々をしてはダメです。
出ないとあなたはこの家の子じゃなくなるよとか、
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ああいうやつね。
あれは総的防衛だと僕は思うんですね。
総的防衛というのはつまり、
関係の破壊を脅しのネタにして相手の行為を禁止させるんですよ。
これが私たちはでもものすごく使っていて、
ごく当然の使っていいもんだぐらいに思っていて、
これがですね、
ウッドワイブスでいうところの攻撃に相当するものなんですよね。
ほぼ同じもんだと思いました。
これが出てくるから、
我々は人間関係が面倒くさいものに感じられてくるんですよ。
自分がこれを使うときは、
すっごい妥当なことをやってるような気がするんですよ。
これを人に使われるとめちゃくちゃ腹が立つんですよ。
ここにはすごくですね、
インモラルだと言ったら言い過ぎかもしれないですけど、
僕にはやっぱりインモラルな非対称性というものを感じるんですよね。
つまり全然公平じゃないじゃんっていう。
最近そういうセリフが裁判で出たらしいんですけど、
全然公正じゃないじゃんって感じがするんですよ。
相手がこれを使うのはOKなんですよ。
あ、違う。自分がこれを使うのはOKなんですよ。
相手にこれをやられるのは最悪なんですね。
関係を破壊するというのをネタにして、
つまり関係解消をネタにして相手を脅すというのは、
恋人とか夫婦でもしょっちゅうやりますけどね、
やっぱり親子関係がベースにあると思うんです。
最初にこれをやり出すのは親じゃないんですよ。
最初にこれをやり出すのは子供のほうのはずなんですね。絶対に。
なぜなら子供のほうが最初にこれをやるんですよ。
最初にこれをやり出すのは子供のほうのはずなんですね。絶対に。
なぜなら子供は最初、欲打つポジションというものを知らないので、
装的防衛というものを知らないんですよ。
最初にこれをやり出すのは決まって子供のはずなんです。
妄想分裂ポジションに入ってしまった時の子供が、
ちゃんと背負わせてくれないんだな、
この家出て行ってやると言わんばかりの勢いで火がついたように泣く。
これがつまり、禁止と脅しのセットだと思う。原型みたいなやつ。
大体親は動じないですよね。
これに動じるというのはよっぽどで、
ないでも全然気にならないというのが普通なんです。
この態度でいいはずなんだけど、
相手が大きくなってくるとこの態度を貫けなくなるんですよね。
なぜなら怖くなるから。
これは禁止と脅しをセットにしているわけですよ。
悪いお母さんがいるならば、あんたとの関係は解消しますと。
そうは言えませんけどね。
それが言えるようだったらそういう言い方はしなくなるはずなんで。
それが言えない時の戦略なんです。
だから我々が一番小さな頃、おそらく最早期言うんですけど、
生後0歳。
その時に使う一つの重要な戦略としてこれがあるんですよね。
分離の選択。
これしかできないんですからね。
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嫌なものについては泣く。
何が来ても泣くんですけど、
嫌なものが来たら泣く。
これをベースにしている。
つまり妄想分裂ポジションというものが
禁止と脅しをセットにするという時には
必ずあるような気がします。
抑鬱ポジションというのは結局
ここを頑張るということですから。
いきなり関係の破壊に持っていってしまったら
困るのは自分だということを考えるようになったら
抑鬱ポジションですからね。
考えられないからこそ妄想分裂ポジションに突っ走るわけで、
考えるという時にはもう
抑鬱ポジションに入っているということになるので、
ただ考えてもやっぱり
解消をネタに脅して
こいつを黙らせなきゃって思うのが総敵防衛です。
だから総敵防衛というのは
抑鬱ポジションになければ出てこない発想なんですよ。
言ってみれば自分が原始的だった頃、
要するに幼稚だった頃の戦略を
幼稚じゃなくなった時にも使い回すというのが
多分総敵防衛というものなんです。
総敵ですからね。これが幼稚なままだと思いっきりそうになってしまうんですよ。
本当に関係を破壊して出ていくとか
要するにその分、総そのものなんですよ。
総敵になってそれを防衛のために
ドームのようにして使うというのは
明らかに何らかの意味で
ワンフェーズ進んでいるわけですよ。
だから対抗とか
ステップの
前進みたいな言い方を
アンナフロイトの自我心理学方面では
言われるんだけれども
ロンドンの方なんで
そういう言い方は基本的にはしない。
ステップが前へ行ったり上へ上がったりはしない。
あくまでも妄想分裂というクルーズポジションを
僕ら両方股にかけているみたいな考え方をとっています。
ちょっとグッドバイブスターその辺、違いますけどね。
これはロンドン学科と呼ばれる
派閥じゃないんですけどね。
人たちの発想なんですね。
精神分析の中の。
そのリフトポジションに入って
想的防衛使う。そして関係の解消とか
関係の破壊をネタに脅して
相手に言うことを聞かせる。
ということを親がやっちゃうことがあるわけですよ。
親もやっぱり自分昔は子供だったわけで
そういうやり方を頻繁に使うという人も
いっぱいいますし
今でも普通にこれがモラルという
名前の中で、名前のもとに
使われている戦略なんですね。
あんたそういうことを言うんだな、もう知らないから
みたいな言い方をするのも完璧にこれですよね。
これじゃない攻撃ってむしろ
少ないんじゃないかって思うぐらい
12:02
関係の解消をネタに使って
禁止というものを強要する。禁止なんですね。
かなり多くの場合、攻撃ってのは禁止で
何々してはいけません。
あなたは私にそういうことを言ってはダメです。
私は関係を破壊したものとみなします。
こういう言い方をして攻撃をすると。
反撃をする方はそんなことを言うんだったら
こっちの方から関係はお断りだっていう
言い方をするじゃないですか。完全に相的防衛
対相的防衛になるはずなんですよね。
突き詰めていくとそういう形になります。
だからこそ関係を解消されては困る側が
言うことを聞かなきゃなんなくなるわけですよ。
例えば会社で言えば
対象する側はリストラする側だし
される側は給料もらえなくなるので
される側が通常は黙って言うことを聞くと。
例えば遅刻をするのを禁止するとか
禁止されるとかですね。書類にミスを書くのを禁止されるとか
全部禁止と脅しをセットにする。
その時に相的防衛を使うんですよね。
だから逆に言うと
例えば私事実知りませんが
Appleでは
ファックユーマネーだったかな
十分な代金を渡しておけば
そういう理由で人は言うことを聞かせられる
ということはできなくなるから
和訳はもっと別のことを考えなきゃいけないと
クビにするぞっていう脅しで
人の言うことを聞かせるのは無理なんで
いっぱいお金をもらっちゃってますからね。
っていう話がありました。
これはどうなのかなっていうのがありますけどね。
例えば大リーガーなんかそうですよね。
私たちは一生絶対に
使い切れないくらいお金をもらっている人がいるんで
大リーガーをやってたいから
頑張っているわけであって
ここで撃たれたら
クビにしますみたいな
そういう脅しを真に受けてやっているわけではない人は
確かにいっぱいいると思うんですけれども
つまり金のためだったら
明らかにどう考えても
金のためではないでしょう
というケースはいっぱいあるんですけど
私たちは大概普通そうではないので
年間35億ドルとかもらっているはずないので
何か
言うことを聞かせようと思ったら
リソースを多く
ばらまいている方が
強いっていうのはあったりはします。
あったりはしますけど
それだけってことは滅多にないですよね。
いずれにしても
金子を
金子をしたい。
金子はしないわけにはいかないと
ほとんどのケースで思われているので
確かに子供ができれば
一切金子をしないといけない
一切金子をしないといけない
わけにはいかない
割と難しいんですよね
よく見てみればそれを金子するのは
しなくてもいいんじゃないかというケースも
少なくないですが
でも金子をしないわけにはいかない
例えば今なんか本当
結構困ってますよね
学校始まりますけど
私も子供の時
私が子供の時はだいぶ
15:01
昔ですから40年くらい前ですから
いますよね
人に
よだれをつけて楽しむ子供も
いるし
なぜか床を舐め回っている子も
はっきり言っていました
今はそれを金子しないわけにはいかないですよね
この状況でですから
金子をする時に
絶対にと言っていいほど
お年が
セットになっているはずです
お前それを言っていると病気になるんだぞ
ということを言うじゃないですか
つまり
金子とお年はセットになりやすいんですよね
これが一番最初に
セットになりやすいタイミングって
いつ頃かというと3,4歳だとやっぱり思うんですよ
なぜならそれまでの
金子時効はすべて
妄想分裂ポジションですから
この文脈ついてきにくいかもわからないですけど
図で書きたいぐらいなんですが
文章ならもう少し整理して
説明できるんですけどね
要するに妄想分裂ポジションというのは
歴史がないわけですよ
嫌なことがあったら関係破壊なんですよ
嫌なことがあったら関係破壊なんですよ
同害報復という表現があるのかな
害を及ぼすものは
全部敵だってやつですよね
だってこれしか知らないんですからね
子供はね
怖い虫がついてやってきたら逃げると
この生物的な
非常に本能的な戦略を
心理的にも持ち込んで
嫌な態度をする奴は全部敵だから
泣く追い払う
そこから逃げる
ですよね
これを
脅しの種に使うというか
禁止とともに
セットに使う
これを最初にやるのが多分親なんですよ
一番
熱中症ですね
セットに使うんですよ
それを
エディプスコンプレックスできっと言うんですよね
えっと
お母さんとあまり
イチャイチャしちゃいけません
さもなくば
この家の子じゃありません
やっきり言ってこの通りのことを言われるような
人は今の日本にはいないと思いますよ
私も全然そんなことは
記憶にございません
でも
こういう話になった時が
あったという話です
お母さんとイチャイチャじゃないですよ
例えば
ずっと見ていると
ずっとそれでいいとお前は思っていたかもしれないけど
ここでいい加減テレビを
見るのをやめないとうちの子じゃないからね
って言われている子は
私はいると思うんですよ
これは
ゼロ歳時にこれを言う親は
多分いないんですよね
つまり
これはどういうことかというと
禁止と
罰がセットになるということを
親は内在化
内在化させたいんです
そんなことを
意識している人はすごい少ないと思いますが
でも自分がそういうことを考えた時って
多少考えます
18:01
簡単に言うと
子供にミニ親を
インストールしちゃいたいですね
なぜならば楽だから
っていうのもあるし
これはグッドバイブスからパクると
時間を短縮したいから
繰り返し繰り返し
そうするのはかったるいじゃないですか
テレビ消しなさいといい加減
みたいなことを言うのはかったるいじゃないですか
親の側としては
子供が自発的にそうしてほしいと思うじゃないですか
そうすると
何が一番有効かというと
親と全く同じことを
子供の心の中で
アラート発生してほしいんですよ
これのどこに自発性があるんだって話なんですけど
この形
すっごい多いと僕は思います
自分の価値観を子供に植え付ける
みたいな
あるいはもうちょっと単純に言うと
ある種のセットを子供の中に
埋め込んじゃう
私はこれが嫌で
直感的にもう気持ちが悪くて
これをどうやって避けようかということは
いつも意識はしてたんですよ
そんなこと子供に言っても始まんないですけどね
とにかくこれが嫌で
これをやるぐらいなら
何もしたくないなっていう感じなんですよ
これをされて
嬉しい人っていないと僕は思うんですよね
これをやりたがる人は
なぜかいっぱいいるんですけど
とっても気持ち悪いと思うんですよ
自分と同じ価値観を
人に植え付けるっていうやつですからね
何にしてもこれが
ミニ親みたいに機能する
わけですね
機能すると思うんですよ僕は
3歳児ぐらいならね
○○をしては
ダメ
出なければっていうのがくっついて
親みたいな機能
心の中で
働き始める
全てが全てじゃないんですが
これが長寿がの
一つの重要な要素になっているとは
言われていて
きっとそうだろうなっていう感じは
します
この時私たちは妄想分裂ポジションに
すでに入る能力を持っているはずですね
だって
家を破壊されたら困る
っていう風に子供が少なくとも
思えなければこの脅しは
まるっきり意味がないものになりますから
これが意味を成しているということは
それについて考えられるだけの
能力はこれが欲打つポジションですね
持っていて
しかもその時は
かなり情緒的に動揺がある
にもかかわらずこういうことを考えられる
これを言われた瞬間
火がついたように泣くようでは
妄想分裂ポジションに○○入っていくようでは
この脅しは意味をなさない
親はほとんどの場合
本当に子供を
縁を切りたいわけでも家からおっぽり出したいわけでも
ないですから
ここが非常に大事ですけどね
要するにこれを言うのは愛情だからだ
ってことなんですよ
この話だけでも
いろんなところで
○○ツイッターで書けば
炎上しそうなほどあれですけど
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でも原則はこうのはずなんですよ
親はただ
子供に聞かせたいわけですよね
しかもそれは
親の利益になるからではないですよね
子供の利益になると思ってのことなんですよ
つまりそれは
ここから脅しの部分だけ
つけなければいいわけですよね
禁止事項だけにしておけばいい
だから私は最初に考えたのが
その交差点なんですよ
赤信号に
脅しはないと思うんですね
赤だというのに対して
恐怖心を感じるとか
そんなことはないと思うんですよ
でも親が
禁止について
おそらく厳しい口調で言うと
それどころか奥さんが禁止について
あなたペットボトルの
口つけて水飲まないでよって
言われるとカチンと来たりするじゃないですか
しない人は
多いかもしれませんがする人も
いっぱいいると思うんですよ
でもこれは禁止を言っただけなんですよね
もちろん口調次第では
禁止に脅しが混ざってますけれども
つまり攻撃になってますけれども
でもその部分について
全く聞かなければ
赤信号と大して違わないと思うんですよね
で赤信号に
カチンと来るまあ急いでるときは別ですが
普通は来ないと思うんですね
私は別に赤信号を見て
少なくともカチンとは来ないんですよ
つまり攻撃されてるとも脅されてるとも
感じない
でも禁止はされてますよね
禁止
禁止そのものは
情緒的に苦痛を生まないと思うんですね
これは
内的な
罰をつかさどる超自我が
禁止だけでは
発動しないからだと
私は思うんです
話がいきなりややこしくなったと思われるかもしれませんが
夢の中で赤信号を見ることだって
あると思うんですよ
ということはつまり赤信号を見るというのは
すごく内部で動いてるんですよ
だって意味を持ってますからね
虫が赤信号を見て止まるはずないじゃないですか
犬だって止まりませんよね多くの場合
賢いやつは別かもしれないけど
つまり
あれは
ない心の中で光ってるはず
なんですよね
心の中で禁止が光ったとき
多くの場合私たちは傷つくんですよ
どうしてかというと
脅されてる気がするから
それは自分の心の中にあるんですよ
そういうミニ親みたいなのが
いてそいつが脅してくるんですよ
私はしょっちゅう
それは言われたんですよ
これは別にうちの母が毒親だとか
言ったわけじゃないんですよ
誰でもそうだったんですよ40年くらい前は
多分99%以上そうだったと思います
だって今
モラルというようなことについて
禁止と脅しをセットにするのが
常識でないと思っている人は
少ないですもの
例えば最近で言えば
タリーバーンとか
そうこの人たちに
何かを禁止させたいと思っている人は
世界中にいっぱいいますよね
そのとき脅しが一番有効だと思われてるじゃないですか
24:01
ごくごく普通にですよね
あれは
例えば
一番多いのが
国際関係の輪の中に入りたければみたいな
あれ関係を切るぞってことですよね
総的防衛なんですよね
お隣の国でも
同じじゃないですか
核合意に合意しなければ
国際関係のとか
言うじゃないですか
これは関係の破壊をネタにして脅して
禁止事項を飲ませたいということですよね
これは総的防衛だと思うんですよ
集団になると
これは頻繁に使われます
そしてやっている人々の
例えば国の話
コメンテーターとか識者とかを聞いていても
これは非常識なやり方です
これは非常識なやり方です
ほとんど見たことがないです
一回もないような気がしますね
常にそれのもっと厳しいとか
メッセージを明確に
完全にこれは総的防衛を
相手にもっとはっきり伝えろって
言ってるわけじゃないですか
そのことには
効果が絶対あるって皆さんおっしゃっているんだから
多分効果があるのか知らないですけれども
少なくとも
あるというのが世界の常識なわけですよね
これは
モラルなんだと思うんですよ
モラルだと少なくとも
信じられている何かだと思うんですよね
相手もほぼほぼ
同じことを言いますよね
妄想分裂ポジションに
限りなく近いなと思うんですよね
相手の頭が悪いとは思えないんで
あえて言うんでしょうけど
だからすごく総的防衛的
なんでしょうけど
我々を孤立させると何が起こるか分からないぞって
あれは脅しですよね
禁止と脅しをセットにしている
そういう意味で
しかもそれは関係性の破壊に直結するぞって
言っている段階で
とっても総的防衛的だと思うんですよね
でもこれはお互いに
そうはなりたくないなって
どっかで思っていないでおかしいと思うんですよね
本当はそうで
ありたくないなとは思っていると思うんですよ
そういう意味で
親子関係であれば
愛情が優先されているということに
違いはないと思うんですよね
究極的には
それでどうしろっていう話は
私はできませんけど
親子関係ならどうした方が良さそうだというのは
なんとなく分かります
禁止に脅しを混ぜなければいいんですよね
禁止と脅しを完全に分けてしまえばいい
赤信号を見て
脅されたとは感じないんだから
でも禁止はきっちりと
機能しているわけです
ごく稀に確かに例外的な車
ありますけれども
ほとんど見ませんよね日本では
つまり
そんなに脅しを強調しなくったって
禁止というものを通したければ
通るんだと思うんですよ
特に親子関係
ぐらいであればですね
愉快だとは思いませんよ
子供にとって何かが禁止されて
それが愉快だとは思えない
だからダメって言っちゃいけない
あんまりダメと言い過ぎないようにしましょう
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というのは分かるんですけれども
問題なのはダメということではなくて
ダメと何かをセットにしてしまうことなんだと思うんですね
それは私たちの心の中に
あるものなんだと思うんですよ
ダメと脅しをセットにする
そうしなければダメは有効化しない
という感情が
私たちの中にあるんだと思うんです
この気持ちがないんだったら
禁止されて脅されたとき
あんなに私たちの心に
刺さってくるはずないと思うんですね
正しさを手放しましょう
って話のつまりこれは
正しさと攻撃を混ぜないように
しましょうという話
グッドワイブズ的にはそういう話
なんだけれども
あれがそんなに私たちにとって
不愉快だというのは
きっとですね
超自我と罰する超自我というものが
私たちの中ですぐ作動してしまうから
それは多分
34歳の頃にインストールされた
かなり古い記憶なので
ほとんど半自動的に動き出し
その由来はもう
我々は記憶の彼方になっちゃっている
そういうことなのかな
というふうに思います
だから
ごくごく
簡単なんですよね
相手に対して何かを
禁止したいのならば
多くの場合攻撃されたときに
攻撃を禁止してほしいんだと思うんですよね
脅さないこと
ということになると思うんです
もっといいのは
何か禁止されたときに
脅されたと感じないこと
そうすれば多分
相手の何かを
禁止するという必要自体が
なくなるので
怖くなくなると思うんですよね
結局
怖いのは自分の相手にじゃなくて
自分の中の
右親に怒られることが怖いんですよ
この種の話は散々してきて
私自身が
まだ完全には納得しきれて
ないんですよ
納得しきれれば怖くないはずですからね
納得しきれてないんだけど
まず間違いなくそうではあるとは思うんです
29:05

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