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2021-12-30 41:15

【GMV 524】ヒステリーに気をつける

社会人が社会に起こるとき
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おはようございます、グッドモーニングバイブスです。
昨日、久しぶりに知人と東京で会ってきました。
そのメンバーは、ちょっと久しぶりだったので、
なかなかオンラインじゃなくて、リアルっていろいろいいと改めてっていうのが、
よく言われていることではありますが、最近、私は思いました。
人によるというか、自分はどっちかというと、何でもオンラインで済ませられるならありがたい。
住んでいる場所も住んでいる場所で、都会が遠いので、そう思うところもあるんですけど、
でも一方で、いらっしゃるわけですが、筋金の引きこもり派みたいな、
そこまでは行かないんだなと、昨日改めて思い直しました。
もともと外に出るのが嫌いだってことはなかったので、
ただ、私は便利さというものが好きなところはあるんですよね。
これは意外なんですが、父の影響なんだと思うんですよ。
父はこういうところはあるんですよね。そんな風には見えないし、
全然ITとかも詳しくなれない人なんですが、でもあるんですよね、父には。
明らかに。ライフハックは父の影響がありますね。
ただ、じゃあ父はライフハッカー的だかというと、全くそうじゃないんですけどね。
そういうわけで、外に出てきて良かったかなと思っています。
それとあんまり直接関係ないんですが、
1月25日にリアルのセミナーをやる予定です。
これは多分夜になるので、これから告知させていただきますけども、
よろしければ参加いただければと。
倉澤さんとの共催なんで、精神分析みたいな話がメインになるってことはないんですけどね。
こういう話をしたいという方は来ていただければやります。
今日は割とガチのっていうのかな、昨日もそういう話をしましたけど、
精神分析的なところからちょっと行きたくて、
昨日電車でですね、長かったから道中が。
久しぶりに色々コミックとかを読み直して、本当に多いなこれと思ったのがヒステリー。
このヒステリーにはライフハックの人も気をつけましょうねという話を、
私は実は案にここの番組では結構してるんですね。
アンナ・オーデさん、これはもちろん偽名でして、本名ベルター…また分かんなかった。
バッペンハイムとかそういうような名前、有名な方なんですよ、この方は。
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ユダヤ人婦人教会とかを作ったのかな、とにかく福祉とか教会とかを作っちゃうすごい人で、
教科書にも出てくると。
でもアンナ・オーの方が今では有名ですよね。
この名前は偽名なんですが、聞いたことがあるという方はいらっしゃると思うんですよ。
なんかね、昔、いわゆるアダルト系にもこの人が出てきちゃうという、
フロイトというのがどれほど誤解されているのかという典型的なパターンだなと思うんですよね。
症例分析あるんですけど、フロイトというよりはブロイヤーという人がやったんだと思うんですよね、彼女のケアは。
で、あれを見てもどこにもアダルト的な感動的なものを感じさせる、そういう話はあるけれども、
どっちかというとそういう展開からすればですね、今の僕らには退屈極まりない話しか出てこないんですが、
それでもそういうのが出てくるというぐらい、フロイトって全然見られ方が異常だなと。
心理学の人がそういうのの題材にされちゃうなんてことは考えられなくて、精神分析だからなのかなと思ってしまうほど、
イヴ・ブラックとイヴ・ホワイトもオカルトとかでよく出てきちゃうんですけどね、
それも全く筋違いだと今では思いますけれども、あれもヒステリーですね。
ヒステリーというのはでも私が思うに、もちろん女性の方が目に入りやすいから、
女性に多い病気であるみたいに言われることも多かったんですけど、私は男性にもたたん見られると思います。
怒っている人などというのは怒っているんだから、それなりに社会的な理由もあり、その人なりの合理的な訳もあったり、
私が顔色をうかどうの本でも何度も書いた通りなんですが、でもヒステリーだと言ってしまえば、
それで説明がつくなというふうに今なんかじゃ思うんですよね。
だからフェア・バーンがフロイトの孫弟子なのかな、直接は関係していないけどすごいフロイトに浸水していた小児科医で、
ちょっと変わった方だと思うんですけど、非常に独創的だと多くの精神分析で書かれてますが、
フェア・バーンなんかがヒステリーに帰れってはっきり本の中で書いている通りだとある意味思うんです。
いろんな言い方ができると思うんですけど、ヒステリーってのは勝負ごとに非常にこだわっちゃうと言ってもいいと思うんですね。
勝ち負けに非常にこだわると。勝ち負けというのはつまり分けているわけですよ。
これはオグデンという人がよく書いていることなんですけど、とにかくまず最初にやることは分けることだと。
私たちが最初に生存のためにまず必要だと思って子供が学ぶことは分けることだと。
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特に私が思うに、やっぱり食べられるものと食べられないもの、これ分けるなっていうのが大事。
何でも口に入れる時期ってありますからね、本当に。
あからさまにそれやばいだろっていうのでも、子供は全く気にせず口に入れる。
ということはつまりどういうことかというと、食べ物をかぎ分けるのは本能じゃないってことなんですよ。
ほとんどの人は本能という言葉をもっとはるかに曖昧に使っていると思うんですけど、
食べられないもの、それ飲み込めば死ぬなくても平気で子供は口に入れるんです。
だから目が離せないって言うじゃないですか、あの通りなんですよ。
だから本能とかではないんですよ、食べられるかどうかを分ける能力は。
人間にとってはですね、社会的なものなんですね。
もう一つ分けるっていうので言うと、やっぱり見方と敵を分けますよね。
見知らぬ人についていっちゃダメだというのも、これもかなり早い段階で教え込まないと。
これも本能ではさらさらないんですよね。
人懐っこい子なんか特に、割と誰にでもついていっちゃうし、
人間の大人のやることというのはやはり、そういう本能の野生の動物をすごいに騙しまくってるじゃないですか。
すげー騙してますよね。
だからテクニックを使えば子供なんていうのはいくらでも騙せてしまうので、
当然それは本能とかじゃないんですよ。
本能で敵が避けられるぐらいなら人間にですね、誘拐とかされませんよね。
まあ誘拐とかされちゃうわけですが、私が子供の時はすごかったんですよ結構。
一定の頻度でミノシロ菌目的の誘拐というのが新聞をドーンとにぎわしていて、
やっぱりああいうのが世相もあるんだなと思いますね。
今じゃあそういうのがあんな風に定期的に登場するということはまずない。
ということはつまりミノシロ菌目的で誘拐しても、それが成功することはまずないということを
あらゆる人がリテラシー的な意味ですよね、理解したんだと思うんですよ。
だから今全然違う犯罪の方がやっぱり話題になります。
オレオレ詐欺とかね。
昔からあったんですけどああいうものも、今のようにうちの周りなんか毎朝毎朝ですから
高齢者多いからここら辺の区域に電話がかかってます。
この方法はどの程度効果があるのかわからないんですけど
パトカーが周知するんですよ。電話がかかってきている地区が集中していて
その地区の周りをパトカーが一生懸命この周りに電話がかかってきてますって言いまくって
電話を取るなんてことなんですね。取っちゃうともう騙される人が出てきちゃうからですね。
まあいいんですけど。
つまりヒステリーというものに私たちは結構ライフハック系では気をつける価値があるなと思うんですね。
ヒステリーっていうのはつまり分けることから始まるノイローゼナですね。神経症。
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で今ではヒステリーという用語自体が言ってみれば女性差別的だということなんでしょう。
ほぼ排除されたためにヒステリーという病気の状態はあるので残っているのでなくなったわけじゃないですからね。
病名がなくなったってそこにあったはずの概念は分散されたって話はこの番組でもしたことがあります。
一つはボーダーラインというやつに流れたんですね。流れたというかそっちにカテゴライズされ直したんですね。
ボーダーとヒステリーは同じじゃないと思うんだけどやっぱりボーダーというところ境界例ですね。そこにまず追いやられた。
境界例人格障害というのをネットで引いていただければ多分どんなサイトでも必ず出てくる項目の一つとして
虚言癖があると思われることがあるということが書いてあるはずです。
もう一つが過度な理想化と脱価値化っていうんだけどやたらと人を称賛しているかと思えばいきなりその人をこき下ろし出すということをやると。
怒ってる時にこれやりますよね。人はこれをやる時必ず怒りをやると思います。一番わかりやすいのが夫婦ですよ。
あんな人だとは思わなかったって怒ってるじゃないですか。これをしかもヒステリーということはよくありましたよね。
なぜこれが起こるかというと分けるからですよ。分けるのは私たちが生存していく上で最初に学ぶスキルなわけです。
その分けるというスキルをやたらと乱発するわけですよね。
敵か味方か、つまり親かそうじゃないか、自分に好意的なのかそうじゃないのかというのを分ける。
これを2歳児はもう学んでいかなければ、もっと言えば0歳8ヶ月あたりから。
だから昨日言った通り覚えちゃいないわけですよ。そういうスキルを学んだということですね。
これを一般の人にもやる。第一印象が悪いとかいいとか、人と相性が合うとか合わないとか言うじゃないですか。
あれはおそらくは私たちが幼児の時に学んだスキルをそのままの形で一般の社会でも適用しちゃっているわけです。
しょうがないと言えばしょうがないけども、これは人は第一印象が9割とか言えばそうなんですけれども、
実に当てにならないスキルでもあるってことですね。
だって赤ちゃんが見る目がないから親は目が離せないわけじゃないですか。
赤ちゃんは自分に見る目があると思い込むわけだけれども、当然ないわけですよね。
あるんだったら誘拐とかされることはないわけですよ。
だけどないから当然間違う。
この間違うスキルをそのまま大人になっても適用して意外と自分の直感を信用できるとか人は言うわけですけども、
そうじゃないことは種々の、こっちは精神分析じゃなくて心理学の実験でほぼ明らかになっているんですが、
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あんまりそういうものは人は信じない。やっぱり自分の第一印象、直感力は極めて優れていると思うんですよ。
これはですね、外して人を疑う人の方が信じます。
なぜならば疑っておいて損することは少ないと思うからですよね。
信じるということは実はよりスキル的には難易度高いわけですよ。
信じる方ができたらレベルが上ですよね。
疑う方は容易なわけですよ。
疑いが間違っていたとしても別に何も起こらない。
その人と関係を結べないだけですが、疑いが正しければ損害を未然に防げたという結果が残ります。
これが信頼の場合、信頼してよかったというのは単なる気持ちの問題と思われがちなんですね。
しかも信頼してよかったかどうかはある意味死ぬ前は判明されない。
これがですね、ヒステリーの私は非対称的な大きな問題だと思うんですね。
一度でも自分を裏切った奴は二度と信用しないという方は大勢いらっしゃるわけです。
ヒステリーというのはつまりそれが極端に出た形なわけですよ。
あんな人だとは思わなかったということは何かが起こったわけで、その何かは良いことじゃないわけで、で、起こっているわけで、だから二度と信用しないという話になるわけです。
でもこれを反復的に何度も何度もいろんな人との間で繰り返しているとトータルでよく見てみると、うちの父なんかもそうだったんですよ。
うちの父なんか信用しがちで騙されやすい人だと思うんですけど、それでもそうなんですよね。
結局一度でも裏切った奴は信用ならないということになるとですね、トータルで見るとこのパターンばっかりになっちゃうんですよね。
信用できる人なんかいなくなるわけです。
なぜなら相手がやらかす可能性がゼロになることは全然ないですからね。
人間なんで。
で、このヒステリーというのは、それが目につくという程度の問題であって、我々みんなある程度持っているんですけど、なぜなら我々って分けるじゃないですか。
当然分けますよね。
食べられるもの食べられないもの。
敵と味方。
人によっては虫が湧くところと虫が湧かないところ、あるいは虫が湧く状態とそうでない状態。
分けないわけにはいかない。
だから分けるんです。
で、分けるのの程度問題なんですよ、あとは。
さっきボーダーと言いましたけれども、ボーダーでも境界霊というはっきりとしたかなりきついぞっていうのから、境界性人格障害というちょっとそういう傾向がある性格というのがあります。
性格の偏りが感じられますね、ぐらいの違いがあるわけです。
ここも分けてるんですね。
で、もう一つここがひどくなってくると、乖離性人格障害といったりするんですが、要するにあんな人だとは思わなかったって言ってる人は、実は自分の責任を少し認めてるわけですよ。
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あんな人だとは思わなかった、見損なったというか見損なったのは自分なので、自分の責任ですよね、ある意味では。
どんなにその人が評偏したとしてもですね、見抜けなかったのは自分なんだから、あんな人だとは思わなかったという発言は100%相手の責任だとは言ってないわけです。
自分が好きになった瞬間があったことのことは認めているわけですよね。あるいは信頼した瞬間のことは認めている。
これが認められないというところまでいくと乖離が起こりますよね。
あんな人だとは思わなかったとはもはや言わないわけですよ。いきなりキレて、しかもそのことに違和感を本人は持たなくなるわけです。
ということはつまり健忘が起きていると、他の人から見ればそういうことになります。
これ大事な点だと僕は思うんですよね。昨日メンタルリアリティと言いましたけど、本人がもう覚えていなければその人にとっては評偏はしてないし、
健忘でも乖離でもないわけですよ。人格が後退したとか言われてもそれは他人が言うことですよ。
これすごい大事なポイントだと思います。本人にとってはそういう現象じゃないはずなんですよ。
例えばある上司、すごい尊敬できる上司だったと。いつもその上司がいかに尊敬できるかということを言っている人はいっぱいいますけど、
不意にその上司のことはもう二度と口も聞かなくなっていると。周りの人はびっくりするんだけど、その人の中では何らびっくりするべきことは起きていないんですね。
なぜなら忘れているから。忘れているということは何か衝撃的なことが一つだけ起こって、その衝撃的なことを起こしたやつはもう絶対に許せないやつになっているわけです。
それは見損なったとかあんな人だとは思わなかったじゃないんですよ。もはや本人もあるいは相手も別の存在なんですね。
このことを僕は多分今の説明分かりにくかったかもしれませんけれども、その当人の主観に立ってみればそのはずなんですよ。覚えてないんですから。
そして私たちだって忘れるってことはあるわけだから、ある出来事はすげえ近くにいる上司がすごいひどいやつだ。ただそれだけなんですよ。
これってどういうことかというと、その分世界は怖いってことになるはずです。世界はそういう人にとってはすごい恐ろしいところなある意味わけですよね。
乖離性人格障害というのは、私はその記述がすごく多く出ているかどうかは別として、本人にとっては大変恐ろしい。
近づいてみたら自分がすごい嫌いな虫だったみたいな感じですよね。近づいていたらですよね。見たらじゃなくて近づいていたらみたいな感じですよ。
そういうおぞましさがある意味ある世界。これが多分乖離で起こる現象だと思うんです。
イヴ・ホワイトとイヴ・ブラックという有名な多重人格の女性の話で、気がついたら身も知らぬ男と寝ている。これが起こるわけですよね。乖離性人格障害では。
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ヒステリーの場合は大好きだと思って寝てみたらすごいひどいやつだったなわけですよ。こっちの方がマイルドだと思うんですよね。
気がついたら身知らぬ男とって、その人の主観にしてみればそうなんですよ。そして悲鳴を上げたりする。でも周りはこう思いますよね。
こいつは一体何なんだと。このこいつは一体何なんだとが、ヒステリーとボーダーとボーダー性のパーソナリティと乖離性とではそれぞれレベルが違うということです。
そして一つのそれを一つの現象の多様な面というか重さの計帳とかそういう面だと見るかそれともそれぞれは別のものかと見るか。今はそれぞれは別のものだと見ているのに近い。
DSMとか主流のアメリカの精神病理のマニュアルを読むと全部別々のものとして扱われている。項目が配置されているページも随分離れています。これは結構象徴的なことだと思うんですね。
しかもこれだけでは進まないんですよ。もうちょっと違う方向にエスカレートすると相打つ。この相打つってのも多分今我々がアメリカとかで習うマニックとディプレッションのいわゆる相打つとフロイトの流派で考えられてきた相打つとはすごい違うような気がするんですね。
相打つというのは僕も相だったんですけど相病だったって意味じゃないですよ。私もアメリカにいた時は偉い元気な人と急に元気がなくなる。つまり相状態と打つ状態っていう風に習ったし原則としてはね。そういうもんだと思ってたんですけど全然そういうことではないんですよね。相というのはつまり嫌になっちゃってブチ切れる時の状態です。その後に打つが来るんですよね。
身も知らぬ男と寝ていたと。すげー驚いて相状態になります。このような状態は一刻も我慢ならないから全部破壊するしかない。つまり破壊衝動になるわけですね。
でも破壊しきってしまった後に嵐が治まった後にその人は猛烈に後悔します。いろんな意味でね。つまり打つ状態が来る。これが多分メラニ・クラインが言ってた良いおっぱい悪いおっぱいの赤ちゃんの心境なんですね。赤ちゃんは心理という風にはまだ言えないんで心情ですよね。
ものすごい火がついたように喚いたとなんかぐったりとする。そういうことは実はうちの子にもありました。本人わかんないわけだからしょうがないですよね。記憶もそんな風にきっちり繋がらないし何が起きたのかもよくわかんないわけですよ。それに近いと思うんですね。そんな乖離とかが起きるようなレベルに入ってくるとは。
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とにかく大好きだと思っていたものにぐっと接近したら実にひどいものだったというのは本人にとっては大変な事態なので。それを周りから見れば大したことはないかもしれないけど本人にとっては大変な事態なので火がついたようにパニックになるわけです。
これが必ずしも大人なんで泣き叫ぶとか赤ちゃんじゃないんで限らないわけというかまずそんなことは起きませんよね。何が起きるか激怒するはずなんですね。ここで一番社会人として通用する態度は激怒なんですよ。
素晴らしいと思っていたエヴァノートがひどい裏切りをしたのでめちゃくちゃクレームを出すとかこれが大人になって見られる時の私は一つの相打つに近いパターンだと。
だからヒステリーという言い方の方が私やっぱり妥当なんじゃないかなとむしろ思う。これを相打つと言ってしまうと本当に大変な事態。一方は違うとそれこそですね。
自分の人間関係は全部リセットしようみたいなリセットという言い方をこういう時によく出てきちゃうのは赤ちゃんが親を完全に跳ねつける時の態度に近いんですよね。
赤ちゃんが親を本当に跳ねつけちゃったらリセットしちゃったら赤ちゃんはたちまち明日からもうダメですよね。これがリセットじゃないですか。
これをいわゆる社会的な人間関係の中でそれを口にするということは強いナルシシズム。だからボーダーとかヒステリーとか今ナルシシズムとも診断されるケースがあるわけです。
あるいは自己愛性人格障害ナルシシティックパーソナリティディスオーダーという言い方をするNPDみたいなね。
私はそれは言い過ぎなんじゃないかと思うんですよ。このリセットするということのあるいは自分がその人を好きでくっついたということを忘れるというレベルここまで来たらそれは確かに別物として取り扱うべきでしょうけどその間があると思うんですね。
ボーダーのパーソナリティっぽいところからナルシシズムの病理までは相当開きがあって今の展開でいきなりナルシシズムと言われてもよくわからないじゃないですか。
なんでナルシシズムなのって話になってしまうんだけどそれは自分しかいない世界だからですね。要するに創始期の母親ユニットに完全に入っている状態。
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もう自分の心理なんてない状態ですよ。自分が何をニードしているのかわからずに泣き叫んでいる状態。リセットだと。こんな会社はもうないものにしてやると。
そんなこと言ったってそんな会社あるじゃないですか。それこそ大企業だったらどうなるのかと。自分がいなくなるだけですよね。客観的に冷静に見れば自分がその場から立ち去るだけですよね。
リセットしてやるというのはその人の心理状態の中で言っていることなんですよ。でもこれ赤ちゃんが火がついたように泣き、親に向かって物を投げるとかやった場合これはやっていることはよく似てますよね。
相手の方にはるかに力があり実務能力ももちろん圧倒的にあり、やろうと思えば自分を黙らせることだってできちゃう。
そういう存在だということを全く気づかずにほとんど環境だとしか思っておらず物投げたり近づいてきたら怒るとかやるわけですよ。
でもそれは赤ちゃんだからいいんですよ。これを社会人になって全く同じようなことになるとですね。
つまり結局いなくなるのは自分だけっていう状態で不利益をこむのは自分だけということになるわけですね。
これが悔しくて例えば泣き寝入りはできないとかっていうわけじゃないですか。だからそこ難しいんですよね。
これは社会問題なのかいわゆる情緒の問題なのかっていうことです。
そういうことはあるけれどもあくまでも精神分析は情緒の問題として取り扱うので
これは非常に進行すればですね、乖離とか相打つとか結局はなる沈むってところに行き着いていく。
これはそもそもどこから始まったかというと分けるってところから始まっているわけです。
良い会社、悪い会社。この良い会社と悪い会社が全く異なるものとして見えると。
そういう精神状態ってのがあるんですよ。自分が良い会社だと思って見ていたその記憶はもう完全に消滅したと。
だからそれはもう良い面と悪い面ではないんですね。その人にとっては悪そのものになったわけです。
しかも自分はそこにいるわけですよ。なぜか知らないけど。
気がついたら隣に寝ている男がいるってやつですよ。それぐらい会社の中に自分がいることがおぞましくなるので
ここを一刻も早くこの会社を無いものにするか、自分がここを飛び出すしかないっていう状態なわけですね。
でも私は人が怒った時というのは基本的にこれに近いところに近づいているんだと思うんですね。
冷静に非常に理性的に怒ってるっていう主張する人もいるんですが、私はもうそれは全く信じなくなりました。
だから怖くなくなったんですけどね。いわゆる脳の中の状態から考えても、いわゆる母子ユニットみたいなところから考えても
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どこから考えてみても怒るってそういうことなんですよね。
分けてしかも自分が一度はいいと思ったものに悪のラベルを張り直すっていう作業が全部ではないかもしれません。
例えば全部ではないって言ってるのは私が言ってるのはめちゃくちゃ例外的なこともあるよって話ですよ。
例えば虎に追いかけられて追い詰められたから怒るっていう時、こういう時はそのパターンにははまらないと思うんですが
いわゆる社会的な関係、人間関係の中で怒るって時は、じゃあなぜそこに近づいているのかと。
なぜその人と関係したのかっていうのを考えてみればですね。
忘れているケースが多いんだけど、出だしは必ず自分が近づきたいと思った面があったはずなんですよ。
いいおっぱいだと思っちゃったことがあるわけですよ。
吸ってるうちに悪いおっぱいだということが判明したから激怒した。
それはどこかやっぱり最早期、ゼロ歳児に限りなく近づいている情緒的な何かがなければ、そういう判断に自分を委ねることは恐ろしくてむしろできないと思うんですよね。
私だったら怖いと思います。
つまり自分が乖離して自分が今ここにいるのはなぜなのかが本当の意味でわからなくなるというのは怖いことだと思うんですよ。
だってそこはもはやどこだかわかんないわけだから、何が起きても不思議じゃないってことになっちゃうじゃないですか。
安心していられるということは知ってるっていうことであって、知ってるということは何で自分が少なくとも好きである程度そこにいるということは知ってるという意味にしかならないと思うんですよね。
すっごく世の中に不信感を抱いている人はこれを洗脳されてるって言うんだけど、私はそうは思わないんです。
私は何度か言ってる通り家が宗教の世界だったから洗脳というのはそういうものと違うものだと思うんですね。
まず強い強心というものに訴えない洗脳ってないと思うんですよ。
もう一つは前東洋優勢の洗脳って無理だと思うんですね。
やっぱり洗脳するときは判断力を奪うという、相手がバカだという話では十分では全くないと思うんです。
相手の脳をもしできることならば、ある種の宗教ではやりたいと思っていると思うんですよ。
前東洋をパラライズさせてしまいたい、機能不全に落とし入れておいて他の脳だけを使えば逆なんですよね。
相手がバカだからじゃないんですよ。
誰であれ洗脳しなければならないという組織上の都合があるならば、自分以下で全員あればあるほど望ましいわけじゃないですか。
そうすると組織の上立ち行かなくなると思うんだけど。
つまり全ての人間が自分よりバカであるためには一番簡単な方法は自分の周りにいる人の前東洋を全部停止させればいいわけです。
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それに一番便利なのが恐怖心だから恐怖を使っているに過ぎないんですよ。
これ恐怖じゃなくてもなんでもいいんですよ。
前東洋を完全停止させる。完全停止は無理にせよ。ほぼ機能不全に落ち入らせることさえできれば。
ただこれを一番薬も使わず電磁波も使わず一番確実にできる方法として恐怖心に訴えるということなんです。
恐怖心に訴えた時に偏頭体と前東洋の関係性は逆転して偏頭体優勢になって前東洋は行ってみれば偏頭体のために動いちゃうんですね。
これがグッドファイブスというところのイリュージョンですよ。
イリュージョンをたくましくしてこのまま行ったら自分は仕事も失い友達も失い恋人にも捨てられ家族にも見放されてというストーリーを前東洋がつまり冷静になる代わりにストーリーテラーになってしまうわけです。
一生懸命自分に語りかける。それは原動力は偏頭体にあるわけです。
普通この偏頭体の原動力は一定時間を過ぎると消滅するというか沈静化してしまうので自分自身の負のフィードバックが働いて会話からの流れで停止してしまうので停止させないために寝せないとか恐怖を絶えず煽り続けるとかそういうことをしない限り洗脳というのは成立しないんですね。
ずっとワイドショーを見ている程度では不十分なんです。全く不十分なんです。もっと徹底的な全く同じものを眠ることなくずっと見るとかそういうことをする必要があるわけです。
稀にそれを自分自身でされてしまうという方もいらっしゃるんですけどそれは結構とんでもないことであってつまり脳はセンターがないって自分が自分のこのやってることはセンターがある意思があってやってることだと思い込んでいてもそんなことはないのである意味では僕ら常にある意味ではですね
イブホワイトとイブブラックなのでただ細かな交代があんなにでかい交代2個か3個しかない人格がパチパチと入れ替わったりするほど大雑把にできてないんですよ。もっとグラデーションなんで細かく交代しているから周りにも自分にもそんなことを意識せずに済むようになっているそういうことなんですね。
だからボーダーではないしボーダー性のパーソナリティーでもないしまして乖離ではありえないのでヒステリーっていうのがむしろいいんじゃないかと。
こういう風に考えておくこと。特に女性じゃなくてですね。女性がキーッとなるあれじゃなくてですね。あれはもう含むけど男性がヒステリーというものを意識するのが特にライフハックがただ好きとかとにかく生活がスムーズに回りさえすればいいっていう人はあんまりどうってことはないんですがライフハックで勝ちたいということになってくるとやっぱりこう
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ヒステリーっていうのが接近してくるとヒステリーっていうものへ接近してくるんですよね。一番最初のフロイトのたぶんアレゴリーはアレゴリーですけど全て例え話ですが母子が最初一体だったけれども母子は一体じゃないんだぞということを教えるというか知らしめる存在を存在しているだけでそのことがわかってしまうのが父親なんですよ。
これが要するにエリプスの原型みたいなもんですよね。母子は一体じゃないということに気づき自立が始まるんだけどここでじゃあ次にじゃあお父さんはお母さんと僕どっちのことが好きなのっていう問いが発生するんです。これがヒステリーですよね。
特に私のことはっていう女の子だった場合この競争が割と単純な形で起こるように見える。お母さんのことが好きに決まっているわけだけど今までは一体だったからそんなことは気づかずに済んだ。
でも今はどっちが好きなのという問いが発生したと。常にこの問いがずっと発生したり問題を引き起こすというわけではないんですけど問いが発生したということが一つのヒステリーのうまい説明というか多くの人がこれだったら納得できるでしょうというかだからむしろ納得できないっていう人が多いんだけどお母さんと私どっちが好きなのという問いが発生した。
だからヒステリーなわけですよ。勝ちわけというものがここでは働いている。好き嫌いというものも働いている。そしてもともとちょっと勝てそうにない勝負を挑んでいるというのがヒステリーの大事なポイントで。
もう一つ、ルールと、ルールはないかもしれませんがでも最低者がいる。お父さん。この最低者がいるっていうのが勝負ごとの一つのパターンじゃないですか。行事軍配ですよ。で、勝ったときは穏やかでいられるけど負けるときとなると。
いい環境にいればいいんだけど、それが悪い環境で同時にあり得るということが、その人のアンビバレンスというもの、葛藤を強烈にするし、いわゆる白黒思考、ゼロサムの発想になってしまう。勝てば全部手に入り、負ければ全てを失うという感情に引き裂かれやすいんですね。
これらがセットになっているのが一番ある意味よく見られるのが、いわゆるニューロシスト、ノイローゼ、神経症としてのヒステリーで、これに、私が思うにね、ライフハッカーという人たちが一番ハマりやすいのは自分のジゾイド的な気質を信仰させることとヒステリーだと思うんですよ。
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必ずしもその人がヒステリーにそれほど、つまり勝負ごとにやたらこだわっていない人であっても、どうしてもこのエヴァノートの使い方のほうが他の人のより優れているとか、他の人が出てきちゃうんですよ、これ。出てきやすいんですよね。
製品比較とかも絶え間なくしますし、何かと比較というものを比較することによってその良さを明らかにする。それっていうのは一見普通のことなんですけれども、よく考えてみると、何かよりも良くなければそのもの自体は良くはないっていう発想になりやすいですよね。
つまり不思議なことにっていうべきなのかな。自信を失いやすい観点なんですよ、この観点を取り続けるということは。だからヒステリーというのは自分自身に対する強烈な不安感があるという、これはお父さん、私とお母さんどっちが好きなのかというのは既に勝ち目はないんですよね、いろんな意味で。
勝ち目のない戦いになっている、この子が4歳児とかであることを考えてみれば、この競争は性的競争ですからね、勝ち目はないわけです。こういう絶望的な戦いというところに怒りの要素があるわけですよ。相手の方が強い、自分は不当な扱い方をしている。
この戦いはですね、母親と娘であるケースは多分昔から今ではほとんどなく、どちらかというとやっぱりヒステリーの原型は兄弟の争いが多いと、そこをすごく言ってるのがアドラーだと私は思うんですけど、今アドラーというのが全然違う考え方になっているように見えるんだけど、そうじゃないと思うんですよね。
ここを一番言ったコンプレックスってことを彼が言ったときに、いわゆる劣等感という問題を彼が言ったときに一番問題にしたのがこのヒステリーの兄弟感におけるヒステリー。だからフロイトの理論の中にはそれが決してないわけじゃないと思うし、アドラーが新しくそれを言い出したというのもちょっと無理があるような気が、彼が自分でそれを考えたというのはその通りだとは思うんですけども。
で、その兄弟感という話になった場合でも全く同じ兄弟の方がわかりやすいっちゃわかりやすいかもしれないですよね。
実際イヴ・ホワイトが最初に帰りのチョークを示したのは結局妹が生まれたことに起因していると思うので、妹が生まれて妹が今まで私だけが女の子としてお父さんもお母さんもすごく重視してたのに、いきなりそこに妹がやってきて妹の足に噛み付いたという、しかもそれをイヴ・ホワイトの方は覚えてないと。
こういうことなんだと僕は思うんですよね。これはすごくいい説明になっているなと。これを精力から説明するというのに多くの人が無理を感じるし、この昨日も言ったような文脈を知らないと知り滅裂な話にも確かにこれは物語みたいなもんだと思うんですけれども、本当にそれで帰りが起こるのかって言われると起こらない人は全く起こらないし、困ってしまうんですよね。
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だからメンタルリアリティって言うんですけどね。妹が生まれた程度のことがトラウマなのかと言われると多分困っちゃうと思うんですよ。だからあとは本人によくよく話を聞いてみるしかないんですよね。臨床ベースっていうのはそういう意味だと思うんですよ。
でもよく話を聞くと似たようなところはみんな言うんですよ。例えば男の子と駆けっこして負けたことがすごい悔しかったとか、特競争の時に自分男の子は7秒台だったけど自分はどうしても8秒台だったとかいう女性がいらっしゃる。
そしてそのことが例えば30になっても先に男が出世するとすごく不平等なものを感じるって私はそれを聞いたことがあるんですけど時間に。これが非常にフロイト的だと僕はフロイト的であると言わなくてもこれがアドラーでも言ってるっちゃう。全くその通りで全く同じような話はします。
これをいろんな、それこそ母子ユニットにまで遡って徹底的に説明してみたというのが僕は精神分析なんじゃないかなというふうに思うし、そこはすごいパーソナルなものなんですよね。
そして僕らにとって一番たぶんやっぱり身近なのはあんな王女のようなものとはすごく違うにしてもヒステリーっていうのはあるなと。少なくとも現象としては間違いなくあるなと。
人が怒っている時にこのヒステリーの構造、ルールがあり父親があり競争があり、そして自分の方が弱いという思いがあって一つのパニック状態に入った時に人は真剣に怒るんだということを見ておけばですね、結構得られるものはあると思うんですね。
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