1. グッドモーニングボイス
  2. 【GMV 447】制約があるから自..
2021-08-30 20:58

【GMV 447】制約があるから自由になれる

万能と万能感
00:04
おはようございます、グッドモーニングボイスです。 実はテイク2です。
結構ちゃんと喋って言ってるつもりだったんですけど、なんかこう 面白くならなかったんですね。久しぶりです、テイク2は。
あのー ちょっとですね、先日
タスク管理トレーニングセンター、これはですね、タスク管理トレーニングセンターというので検索してみてください。 あるいはShigotanoというサイトで探してみていただくと
タスクシュートを中心とした オンラインコミュニティです。
一応ですね、開発人がみんな
なんて言うんですかね。 講師役で24時間ではないかもしれないけど、少なくとも72時間以内には
タスクシュートに関するご質問にはお答えしますと。そういう、まあ有料サービスですけどね、サービスです。
そう、それでそのタスクシュートなんですが、なんでタスクシュートの話を今日始めたかというと、先日そのオンライン コミュニティの月一の、これは無料で、そのコミュニティに入っていればご参加いただける
セミナーがあります。そこで、いつも通りの
一つの、まあ多分最大のトピックと言ってもいいんでしょうけど
24時間の中に収まりきりません問題というやつですね。 要するにやりたいことを全部タスクにしても書いてもできないんですよというやつですね。
あれをどうするのかという話題になりました。この話題もほとんど
常に出ている話題と言ってもいいと思うんですけど
で、この時に私の答えと大橋 越夫さんもいらっしゃったんで答えたんですけど、多分
ほとんどに言ってることが真逆に聞こえるんだろうなと思ったんですよ。 でも、真逆に聞こえるっていうのは私の言い方の問題なんでしょうがないかとも思うんですが
この通りに、つまり私が言ったように考えてやっても、大橋さんが言ったように考えてやっても結果は同じになるはずなんですよ
ということは僕はですね、言ってることはほとんど同じだなとも言えると思うんですね
ちょっと逆説明た表現を大橋さんも取られるんですが
制約があるから自由なんだみたいな表現ってあるんですよ。 これは例えば私たちは24時間という
この制約が私は制約じゃないという言い方をするんだけど、24時間、1日24時間だという制約があるわけですよね
だからその中で自分がやりたいことが選べるんだというような表現なんですね
私はちょっと違う言い方をするんですけど
だいぶ違って聞こえると思いますが、現実は私たちは現実には万能なんです。 万能感を持ってるんじゃなくて万能なんですっていう表現をするんですね
03:04
万能だというのはつまり制約があるから万能っていうことに意味が出るんですよ
だって何の制約もないところで万能であるというのは全く何の意味もないですよね
そうじゃないかなと思うんですよ。 四方八方どこへ行ってもどこまでも自由に行けて考え出したことが全て実現するという状態で
万能という、そもそも多分そんな観念自体出てこないと思うんですよね
だって万能なんだからっていうのかな、何にも制約なく全てが実現するのに万能もへったくれもないわけですよ
しかもそういう現実というものが一度でもあった試しがないのに
私たちはにあやもするとすぐにですね、考えた通りにならないのはどうしてなんだろうって言い出すんですよ
で考えた通りになるということはどういうことかというと
これがよくあれなんですよね、良いおっぱい悪いおっぱいなんですけどね
なんでここでそれが出てくるのかというと私はこれしか出てこれないからだと思うんだけど
嫌なお母さんがいたら破壊してしまいましょうと
だって万能ですからね、頭の中ではできるじゃないですか
破壊してしまいましょうと、いなくなりましたと
追放してもいいんですよ、何でもいいんですよ、要するに悪いやつは追放なんですよ
ところでお母さんいないと困るので呼び戻しましょう
簡単にできますよね、万能なんで
これが至高の万能なんですよね
だから良い悪いとかいうことが出てくるわけです
だからそうはいかないんですよ、追放してしまったら戻ってこないですよね
このことで悩むということが私たちは実は頻繁に起こるわけじゃないですか
良い会社と悪い会社に分けるのはいいんだけど
分けて悪い会社を追放するのはいいんだけど
それって自分が転職するってことになりますよね
でも転職し都合が悪かったからやっぱり悪いと思ったけど
あの会社呼び戻そうって言ってもそうはいきませんよね
これが制約ってやつですよね
だから私たちは自由なんだっていうのは
僕はそんなに実は逆説明でないと思うんですよ
つまりそこに自分が何とかする余地ってものが生まれるわけですよね
こういう条件があるからこうしようとか
ああしようっていうことに意味が出てくるんであって
何の条件もないんだったら
こうするもあわせるも何にも私やることがないわけですよ
だからこれはまたちょっと別の表現でしたけれども
幼児にはニーズがないっていう表現があるんですよね
幼児はおっぱいを飲みたいとか
うんちがしたいとかお物買えてほしいとかは思わない
なぜならばそういう観念がないから
06:00
ただそこにはニードがあるっていう言い方があるんですよ
このニードっていうのも前に説明したと思うんですけど
一番私の中でしっくりくるのは
車はニードを持ってるんですよ
ニーズはないんですね
車はガソリンを入れるという
入れてほしいなとは全く思わないわけですよ
よく絵とか変わった絵があるじゃないですか
あのギガ化したやつ
なんかゴクゴクとガソリン飲んでお腹いっぱいになって
ゲップとかやってるやつですよ
ああいう風に車は絶対実際には思わないですよね
空っぽだろうと満タンだろうとどうでもいいですよね
それによって私たちが困るだけ
つまり用事ってあの車なんですよ
ただし泣きますけどね
泣きますけれども
泣くのは車だってアラート出すじゃないですか
ガソリンエンプティーに近いですよってアラートを出す
あれとそっくりですよね
ニードしかないんですよ
ニーズはない
車要求はしませんから
空っぽになると困るとか言って
満タンにしてくださいって
そのうち言うようになるでしょうけどね音声とかで
でもそう思っちゃいないですよ
そんなことは私たちは分かってるわけで
だからつまりある意味では
いつまでもガソリンを補給しなくても
我々は車に対して申し訳ないんだとは思わない
ここが大事なんですよ
これが抑鬱ポジションなんですよね
用事に対しては悪いな
早くおっぱい飲ませてあげたいなって思うじゃないですか
これが抑鬱ポジションですよ
ニードに対して我々は財布家を持ったり
申し訳ないと思ったりはしないんですよ
本当にニードであればね
用事はニードしかないんですよ
最初は一番最初ですね
生後0歳6ヶ月に満たない状態ニードしかない
でその時そのニードをニーズに変換するのは
誰かというと母親父親かもしれません
私もやりました
これはおむつを取り替えて欲しいんだろうとか
これはおっぱいを飲ませて欲しいんだろうとか
寝たいんだろうとか
すべてニードニーズに変換するんですよ
だって車の整備ってまさにそうですよね
どれがニードか分からないから
人にやってもらうんですよね
解釈がそもそも必要になるわけです
ニードっていうものを他の人にですね
その解釈ができるようになるというのが
大きな進展で
それが抑鬱ポジションへの進展だって話なんですけれども
その前の段階っていうのは要するに
良い時と悪い時と分けちゃうわけですよね
ニードしかないんで
良い時から悪い時になっていったという
歴史的経緯がないんで
お腹がいっぱいだったのが
だんだん空腹になったとかじゃない
いきなり空腹が突然やってくるわけですよ
そして泣く
全部バラバラになっているわけですよね
この世界に制約はないんですよ
なぜなら経緯がないから
経緯がないところに制約はないですよね
例えばタスクシュートが溢れてる
09:00
いきなり溢れてるわけですよ
そういうふうに捉えてる方っていうのは
最初はいらっしゃるなと思うんですよね
何がどうなってるのかよく分かんないから
どんと見ると何か終了予定時刻とかが
夜のというのかな
明け方の4時になってる
ちなみに今は5時だみたいな
でもその見方は分かんないから
それはただ現象として突然あるんですよね
これに解釈を与えるのは人間の側じゃないですか
別にタスクシュートは困りませんよ
どんなことが起ころうと困らない
つまりタスクシュートはニードしかないわけですよ
私たちがニーズをそこで解釈を当てていくわけですよね
その時に私が思うに必ず我々は
そこで全体性ということを問題にしているはずなんですよね
タスクって断片的なものじゃないですか
バラバラに刻まれてますよね
1日がバラバラに刻まれている
何であんなことをしてるのかというと
扱いやすいようにするためですよね
でも扱いやすいようにするということは
めちゃくちゃご都合主義ですよ
赤ちゃんが良い悪い良いお母さんと悪いお母さんに
ご都合主義的に分けてるのと全く変わらないことを
我々はなるべく現実に対してやろう
やろうとするところがあるわけですよね
制約というものが邪魔なんで
なるべく断片化する
断片化すると制約に引っかからなくなるわけですよね
例えばこのグッドモニューワイブスも
30分とかやるからいかんわけですよ
熱中症アラートとかにぶつかるという制約がね
生まれてくるわけですよね
10分しかやんないとか3分で終わりにするとか
すげー勢いで喋ったやつを
例えば5時間分を3分で喋って
それを引き伸ばす技術みたいなものが出てくると
思考の万能化に近づきますよね
つまり圧縮したりバラバラにしたり
置き換えてみたり消してみたり
存在させてみたり自由自在
それが思考ですよね
自由自在じゃないですか
私が橋立夫さんのことを思い浮かべようとすると
ボンと現れるすぐ目の前自由自在ですよね
非常に私の都合に沿ってますよね
彼が今何をしてるとか
どうでもよくなってしまうわけですよ
どこにいるとかね
それが経緯ってもんですよね
制約ってもんですよ
だから制約がないと
自分の力って発揮のしようがない
だと思うんですよ
でそのことを制約があることによって
私たちは自由になれるという風に言っても
現実に私は万能なんだと言っても
同じことだと僕は思うんですね
だからなるべく制約というものは
現実の制約そのもの以外を
相手にしない方がいいと思うんです
現実の制約は一日
12:00
僕の考えではね
24時間ではないんですよ
いついつまでに
これを仕上げなければいけないというのが
現実の制約ですよね
締め切りというやつです
あるいは夜みんなが寝てるんだから
夜仕事をしちゃいけないというのが
現実の制約ですよね
でここのこれをどれを
現実の制約と捉えるか
それは個人差があって
私と橋さんの家は
違うに決まっているわけですが
ここを捉えて違うと言っても
始まらないと思うんですよ
大事なのは制約があるところで
僕らは自由だと言ってもいいし
万能だと言ってもいいと思うんだけれども
それをグッドバイブス的に言うと
価値マックスで最強の存在で
傷つかないと言ってもいいと思うんです
つまり制約の有無が問題なんじゃないってことなんですよ
制約がない世界で
自由自在に万能感を発揮して
思考の中で鉄を跳ぶみたいになってても
現実は一歩も動かないし
僕らそれをやる時には必ず
実は現実をバラバラに断片化していくんですよ
そして自分は弱いものになっている
その自覚はないかもわからないんですけれども
明らかにそうなっていくんですよ
だってさっきみたいに
このグッドウォーニングバイブスも
30 40分も続くからいけないんだと
1秒が1秒である
そういう速度で喋るんじゃなくて
1秒のうちに1時間分60倍速度で喋れればいいのに
思考だったらできますよね
こうして僕たちはできない
その思考でできて
自分の現実ではできないという
奇妙な対比を作り出して
自分が無能で弱いものだっていう風な
錯覚を作り出すんですよ一瞬
その時必ずやってることが
こっちも多分無自覚だと思うんですけど
断片化なんですよね
分裂させてるわけです
だって例えば
グッドウォーニングバイブスという行動だけを
1日の中から分裂させて切り出してますよね
そしてそのところで喋る能力というものを
やっぱり切り出して分裂させています
こうして断片化して断片化して断片化していって
自由自在にそれらを
思考の中で操れるようにするわけですよね
これを先にやるとかこっちを後にやるとか
全部自由自在です
置き換えも消去も削除も呼び出しも
全部自由自在にできるんですよ
そうするとすっごいそれが便利なように思うんだけど
現実にはそうはいかないから
私たちはそういうことができない自分は
無能で弱いものだと思うと
これやめましょうっていう話でしかないんですよね
タスクシュートの世界では
一度に一つのことしかできないし
実際にはそういう風にバラバラに噛み砕いて
自由自在にあっちに置いたり
こっちに置いたりということは
できないようになってるわけですよね
現実だから
このことを僕が一番最近で感じるのは
15:01
話がまた飛ぶように思われるでしょうけど
書き上げ塾で私はこうやっぱ本っていうのは
書いてみて思ったんですけど
断片化の集合体じゃないんだなってことなんですよ
これがですね現在ではすごく違ったように
考えられてるんですけど
フラグメントにした方がいいと思われてるんですね
だからどんどんフラグメントにしちゃうんですよ
本一冊読むにしてもそうなんですよね
分かりにくいと
いい分かりやすい文章と
悪い文章のわけじゃないんですよ
いいおっぱいと悪いおっぱい
なんでここを母親っていうより
おっぱいという方がいいと僕が思うかというと
断片化ってことがきちんと伝わると思うんですよ
いい母親を悪い母親でも断片化してるんですけどね
してるんですけど分かりにくいじゃないですか
全体っぽさがありますよね
おっぱいだともう完全に
千切り出されたって感じが出るじゃないですか
ここが大事なんだと思うんですよ
千切り出しますよね私たち
本でフロイトっていうのは分かりにくいけど
ここは分かりやすいここはいい場所
すごくご都合主義的ですよね
なんで自分に分かりやすいところがいい場所なのか
いいフロイトと悪いフロイトに分けるわけじゃないですか
そして分かりやすい論文と分かりにくい論文
良い悪いをそこで分けて悪い方を外に追い出してしまう
良い部分だけを摘出してノートに書き出すなり
エヴァノートに取っておくなり
しかもこれをやることはとても良いことだってことになってますよね
そうやって良い部分だけを集めてきて
フラグメントになって断片化されたものを
寄せ集めて作るととても良いものが出来上がる
はずがないと僕は思うんですよ
そんなことは起こり得ないじゃないですか
ただ自分にとって都合の良い断片を
いっぱい集めてきただけであって
幼児がですね自分の好きなキャラクターとお人形を
いっぱい集めて一箇所の箱に入れて
いいですけどねこういうことをやるのは
宝物だって言っている
その宝物が自分のクリエーションなんです
僕はそうは思わないんですよ
そんなはずはないと思うんですよね
そこのどこにもクリエイティブな要素は
極めて薄いと思うんですよ
ないわけじゃないかもしれないけど
自分の趣味思考に集めて
沿って集めたという意味での
オリジナリティはあるかもしれませんけど
そこにこう創発的なものって言うんですかね
クリエイティブなものって
ないような感じがするんです
精神分析でよくこう
口相的って言うんですオーラルってやつね
口から噛み砕いて飲み込むと
噛み砕いて飲み込むことしかできないんですよ
食べ物を全体として取り込むんじゃなくて
噛み砕いて飲み込むと
断片化させたものだけを飲み込むと
しかもそれはそのまんま出てくると
全然そこに生産的なものがないと
ただ飲んでるだけっていう状態
非常に高愛的っていう表現をするんですけど
18:02
そういうふうになっていきそうな日が
するんですよね断片化ということに
ひたすらひたすら断片化に向かっていく
ということをすると
だけどもそれはとてもなぜか
いいことだということになっていて
学校でそれを教わるんですよね
大事なところをかき抜きましょうっていうやつ
私も娘が時々やってくるのを見るんですけど
なんで学校はこれさせたがるのかなって
思うんですよね
よくきちんとまとまっている教科書を
切り張りして切り張りして
全く別のやつに切り張りしたやつを
きちんとまとめ直す
これが勉強だってことにはならないと
僕は思うんですけれども
これは切り張りですよね
それも一つの何かなんでしょうけども
あまりにもそれが多いなっていう感じは
するんですよ
しょうがないんでしょうけどね
でえっとそういうことを
僕らはなんかやるんですよね
全体として何かを取り込むのが大変なんで
だって大変じゃないですか
フロイトを全種読むだけでも大変ですよ
だから断片化させて取り込むということが
自分にとっては都合がいい
置き直したり
自分の考えに沿って置き直したりすると
なおいいような感じがすると
多少何かが生まれるっていう感じは
あるのかも分からないんですけど
タスク管理というものが
こういうものだと思われている感じって
あるんですよね
自分の行動を分解して分けて
前に置いたり後ろに置いたりすることによって
新しいものが自分の一日として生産されると
そうはいかないんじゃないのかなと
それはすっごく思考中心っていう感じがありまして
だから私は記録っていう話をしている時には
基本逆方向を向いていると思うんですよ
記録っていうのはそういう風に
都合よく置き換えたり並べ替えたり
分裂させたり分解したり
消したりはできない
特に消すっていうことが
ゴファットに近いじゃないですか
だからいいんだと思うんですね
未来にやることになってしまうとですね
これ今言ったことは全部可能なんですよ
未来の計画って思考に非常に近いんですよね
そこをいじっていると
何かが生み出されませんっていうのは
僕は非常に当然起こり得る現象であって
現実の記録を取るっていうのは
それとは全く違うことだという風に思うんです
そんなに現実から乖離して
思考そのものの方向に向かって
都合よく扱えるものにならない
そこがそして大事なんだろうと
制約があるから自由だっていうのは
そういうことになるんじゃないかと思うんですね
20:58

コメント

スクロール