1. グッドモーニングボイス
  2. のの医者の代替として「正式の..
Yahoo記事を読んでの雑感です。
00:05
おはようございます、グッドモーニングボイスです。
3月14日、木曜日、7時42分です。
ここ2日でスキップしてしまって、申し訳なかったんですけれども、
なんでかというと、なんでかというとではないんだけど、
一昨日はなんでかは忘れました。
昨日は、台話処方さんに言ってきたんですよ。
私、台話処方さんという会社と台話出版さんという会社が、
完全に同一だと信じてたんですね。
これはもう出させていただいているのに、
どっちからものになると、まだこれからなんですけどね、もう一つの方は。
でも結局、両方から出させていただくにもかかわらず、
大変申し訳なかったんですけど、同じだって本当に信じてたんですよ。
江戸川橋という駅から歩いて行ってたもんだから、
私、風景とかの記憶がすごくいい加減だったんですね。
だから、全く同じ道を歩いているつもりで、全然違う道を歩いていて、
しかも全く同じ建物に入っているつもりで、
異なる建物に、少なくとも両方に2度ずつは確実に入っていると思うんだけど、
会う人がね、その度に少し違ったりもするんですよ。
同じのケースもあるんだけど違ったりもするんで、
まさかね、ここには私は4回来てるって思ってたんだけど、
実は2回2回だったみたいなね。
ミステリー小説あるじゃないですか。
作りこってますけど、全く同じ建物にしてあるとか、
そういう風になってますけど、
じゃなきゃ僕みたいな人間じゃない人は騙されませんからね。
私は毎回同じ建物だと思って違う建物に入ってたんですよ。
そして、同じ風景だと思って歩いてた道が、実は異なる風景だったんですね。
すごい、めちゃくちゃびっくりしました。
昨日、違う会社なんだと。
オーナーさんが同じだというような話だったんで、
そっくりである。
名前もよく似ていらっしゃいますし、
そっくりであるのはやむを得ないとしてもですね。
今、だから私は大和出版さんと大和書房さんの、
おそらく両方で並列して本を書くことになるだろうなという感じを、
今なんとなくそういう流れになってきているんですけれども、
非常に驚きました。
ただそれだけなんですけどね。
自分にはいかにもありそうなことなんでね。
こういうことが私にはあるなと。
ひとつにやっぱり風景の記憶が、結構素朴に曖昧なんですよね。
03:01
でも僕に言わせれば、江戸川橋とか飯田橋とか和世田とか、
歩いてたんですよ、高校時代も。
よく似てるんですよね、あの辺ってまた。
歩いてる感じからして。
きっきりと覚えておこうと思えば、違って見えるはずなんですけれども、
僕はやっぱりあんまりそういう風になってないんだなという感じがしますね。
なんかによく似てるんですよ、本当に。
だからもうひとつですね。
毎日歩いてるやつ、それは気づきますけれども、
何ヶ月かに一遍行ったっきりで、また何ヶ月かに一遍行くっていうようでは、
覚えないな、私は風景は。
無理だなって感じは、昨日も歩いててしました。
昨日はJ松崎さんと一緒に歩いてたんで、
だいたい彼に任せておけばおおむね大丈夫なんですけど、
少なくとも私よりはいけるんでね。
本当は私の方が詳しくていいはずなんですけど、
あの辺歩いたことが結構ありますから、学生時代ですけどね。
まあまあそういうわけで、びっくりしたというだけの話でした。
4月7日にタスクシュート手帳セミナーというのをやります。
これはタスクシュート手帳のセミナーなので、
史上初開催ということになりますので、
どういうふうにやるかは思いよい考えていきますけれども、
多分島ごとに分けて手帳をタスクシュート的に使っていくと。
サンプルとはいえ、アルファ版とはいえタスクシュート手帳もできていますから、
これをもとにどうやっていくかということをお話ししていければと。
もちろん私はどっちかというと手帳派じゃないので、
手帳派の認定トレーナーさんのお力添えがあって、
何人かでやるということになります。
総勢5名かな。
だから割とリッチにやれるので、
よろしければ気になるという方は、
来ていただけるとありがたいです。
神田か秋葉原からおそらく歩いていけるところに開催しようと思っています。
これもシリーズ化できると本当にいいんですけれども、
まだそこまで至るかどうか確実ではないので、
あとこういう形式でやるのがいいかどうかもまだ確定していませんから、
おいおい探り探りやっていくことにもなると思っています。
今日はテーマが別に特に何もなくて、
適当に話をしようと2回もスキップしている割には、
そういうことなんですけれども、
ちょっとね、
ヤフーニュースっていうんですか、
特集記事みたいなので、
野良心理カウンセラーがバッコしていて懸念されるっていう、
大学の教授の方が書いている記事があって、
06:01
これは面白いテーマだと思ったので、
それをちょっと取り上げてみようかなと思っています。
それに反対だとか賛成だとかは僕には全然なくてですね、
というのは、
僕は自分カウンセラーだとは思ってませんから、
野良カウンセラーがいかんと言われてもそうだよねって思うぐらいなわけですよ。
かつ、バッコしているって言われても、
私は別にバッコしているからそれは大変有意識問題だとも、
それほど思わないので、
それはこれからなぜかも一応お話ししますけどね。
それほど思わないって、
まあまあ他人事っていうのは変なんだけど、
野良心理カウンセラーがいかんって言われても、
それほど思わないって、
まあまあ他人事っていうのは変なんだけど、
すごく興味がある話ではありますが、
一方で、
だからといってすごくこれに感情が動くってことではないんですね。
たまたま今日テーマがないから、
このテーマでいきたいかなと思ったところです。
で、バッコしている。
まずですね、この記事の趣旨には、
大筋僕もそうだよねって思うんですよね。
バッコをなんとかできるかっていうと、
僕にそんなアイデアはないし、
なんとかする必要がどのくらいあるかすら、
見当つかないので、
インターネット上にね、
さまざまないろんな人から見て有意識者がバッコするのは、
当たり前じゃないですか、ある意味。
なぜなら手軽にできるわけですから、
政治運動とかでも何か盛んにね、
叩き合ったりすることになるのは、
結局バッコするからですよね。
バッコして当然ですよね。
例えば原発派がバッコするって思う人はいらっしゃるわけじゃないですか。
反原発派がバッコするって思う人も当然いらっしゃるわけで、
どっちにしてもですね、
自分のムーブメントみたいな自分の考えを広げたいなと思った人が、
まずやることは今の時代ネットからですよね。
これはもう当然そうで、
むしろあるべきだとまでは言わないけど、
当たり前にそうなるでしょうっていうのは、
だって紙にね、ビラを書いてこう、
ワクチンは良くないみたいなのをマークとなったら、
めちゃくちゃお金も時間もかかって、
普通の人にはとてもそんなことはできないわけですが、
ネットだったら一発じゃないですか、
ほとんど無料、完全無料とは言わないまでも、
ほぼ無料でやれる、私でもできる、
ということからしてもですね、
ある意味バッコするわけですよ。
自分から見て有識者がバッコするのはネット上に決まっていて、
ネット上だからこそそういうことができるわけですね。
で、私がもうまず何よりも、
この記事でそれが良くないというのはですね、
野良カウンセラーというのは、
一番僕はここがポイントなのかなと思ったんですけど、
やっぱり褒愛なお金を取ると、
この褒愛というのが、
09:02
法で決まっている金額があるかどうかというふうに、
厳密に考えだすと微妙ですね。
でも僕の見るところ、
相場は1時間1万円前後ですね、
カウンセリングの値段は。
そうすると、どこからが褒愛というのは難しいんですけど、
1時間100万円は褒愛な感じがしますよね。
法で決まっているのかどうかちょっと分からないんだけど、
1時間100万円だと褒愛な感じはしますよね。
でも1時間100万円というのは、
僕はさすがに見たことがないので、
1時間10万円というのは実は見たことはあるんですよ。
そのクラスのない金額ってのですね。
でもこれは褒愛なんだろうかって考えてみると、
ちょっと考えが少し躊躇するんですね。
私は一般的にはそれは高すぎるだろうと思うんですけど、
お金持ちの人からするとね、
私貧乏だから1時間10万円、
いやいやないないってなっちゃうけど、
お金がある人はそうじゃないじゃないですか。
結局お金ってのは非常に相対的なものなので、
心の苦しみをこの人が取ってくれるなら、
1時間10万円なんてもういくらでも払いますよ、
それも言い方おかしいか。
とにかくそういうふうに感じる人はいておかしくはないだろうとは思うんですよ。
何しろお金持ってる人って持ってますもんね。
私の知ってる人の中にはそんなにいませんけど、
多分世の中にはすごくね、
ホテル一等貸し切るみたいなことをニュースとかでしか見ませんけど、
バラエティ番組とかでは割としょっちゅうやってるじゃないですか。
そういう人から見れば1時間10万円がどうして高いんだぐらいに言われても、
ああそうですよねっていうことになるしかないような気もするので、
褒愛とは何なんだろうってのはありますが、
時間1万円前後が相場であるところの10倍から先は、
高い感じは数万円っていうのも褒愛かもしれません。
ただ、2万円は褒愛なのかなっていうと、
高めのカウンセリングならあるかもなみたいには思っちゃうので、
私は払えませんが2万円じゃ、
自分の仮にそういう野良カウンセラーこれからやろうと思っても、
1時間10万円は払えません。
自分の野良カウンセラーこれからやろうと思っても、
1時間2万円取ろうとは思いませんけど、
それは法で定められてるとかいう話とは違うような気がしますね。
でもこれですよね1つはね、やっぱりやたらと高いもので、
効果が全然ない。
例えば、効果って言っても、
相談なんだから話聞いときゃいいんでしょうっていうように、
記事では書いてあったんですけど、
もし聞けばまだ良くて、
例えば一方的にめちゃくちゃ説教されるとか、
で2万円取られるみたいな、そういう話だと思うんですよ。
まあでもこれでも一応手を出してるから、
まだマシかなみたいに思うんですよね。
12:00
例えばもう、ただこれをカウンセラーと称してるかなっていうのもあるんだけど、
なんか物を売っておしまいにするみたいな。
ただこれもですね、先日私はTSUTAYA書店さんに行ってみて、
結構ちゃんとしたっぽい石みたいな、宝石っていうのかな、
パワーストーンみたいなの売ってるんだけど、
これも結局ダメっていう立場からすれば、
それはダメなんでしょうけど、
これ健康グッズと似てきますよね。
これはカウンセリングじゃないような気もするんだけど、
身につけるだけで幸運になれますみたいなものを、
人って結局身につけるじゃないですか。
そこで問題になってくるのって、
歌われている紅葉があるとむしろ問題になるだろうけれども、
そうすると宝石って不思議なものですよね。
紅葉を歌わなければ、いくら高くてもある意味いいわけですよ。
あれは石に違いはないですからね。
たとえどれほど価値が高いものだったとしても、
ダイヤモンドで普通につけたら100万円みたいなので、
ザラギあるわけじゃないですか。
効能は一切ないわけですよね。
効能が一切なければいいのかっていうといいんですよね。
この辺って要するにそれが相場と言ってみたり、
コンセンサスというものだったと思うんですけど、
私から見ればパワーストーン10万円と、
幸運になると歌っているパワーストーン10万円と、
何の効能も歌っていない本当のダイヤ100万円と、
どっちの方が自分にとって至れが少ないかで考えちゃいますから、
10万円の方がマシだなと思ってしまいますからね。
効能はどうせないだろうけれども、
10万円で済むんだったら、
10万円で済ませてしまいたいって思いますからね。
私からすると100万円のダイヤモンドには何の価値もないので、
というふうな感覚になるわけですよ。
それをまた後で売れるかどうかってなると別ですよね、当然ね。
私はそれを後で売れるとは思わないので、
売る気も多分ならないでしょうしね。
その辺は日本人なんで、
現金持っておけばいいだろうくらいに思ってますから、
この考え方はファイナンシャル的にダメなんでしょうね。
私の人生ではとりあえず現金があって、
何とかなってきたっていうところがありますんで、
私はこの程度なんですよね。
ここから先まで行こうというモチベーションに
かけてる気がします、お金に関しては。
だからあんまり儲かんないのかなとも思うんですけど。
つまり、カウンセリングといった場合、
効果、効能って言うんだけど、
ここがやっぱり焦点になるだろうと。
すごくいろいろ書いてありました。
例えば、要するに専門のが今はあるんだと。
公認心理師のことを指すわけですね。
国家公認のがあると。
臨床心理師という、公認に準ずる資格もある。
この準ずるって資格の書き方が、
事情をさまざま、少しでもかじった人間からすると、
かじった人間だとしても、準ずる、
なるほどなって思うんですよね。
別にその準ずるで正しいんですよ。
15:00
でも、正しいかどうかを僕がここで言うのもおかしいな。
とにかく、公認心理師、臨床心理師って、
公認心理師の師は医師の師ですね。
師匠の師です。
臨床心理師の師は侍です。
で、この2つ多分ですね、正式というふうに、
もちろん正式なんだけど、
正式の心理カウンセラーさんはこの2つを多分、
謳っていると思います。
どっちか1つでいいんじゃないかっていう気もするんだけど、
されるかもしれませんけど、
そこにもまた非常に複雑な事情があり、
ここでスロー喋ると、
そっちの話だけで間違いなく50分いくので、
全部省略します。
この2つを多分、公認心理師スラッシュ臨床心理師って、
やってると思います。
公認心理師、中黒臨床心理師だと、
非常に微妙な感じがするんですよね。
少なくとも、臨床心理師、
私はします。
でもこれも、将来はどうなるか分かりませんけどね、
全然全く分かりません。
とにかくそういうふうに、
日本では今、正式と言ったらこれを指します。
つまり、逆に言うと、
でもこれをね、
口にするのが少し僕もはばかられるんだけど、
この2つのどちらでもない心理カウンセラーというのは、
この記事中での野良に相当するのかなと思います。
野良心理カウンセラーっていう表現を取った時に、
遠畑階人さんが野の医者っていうふうに書いたものと、
おそらくほぼ合致するよなと、
ほぼイコールだろうというふうに思いますね。
で、まあ遠畑さんは野の医者に対して、
少なくとも諸手を挙げてっていうところでは全然ないんだけど、
野の医者は笑うっていう本の書き方を見ると、
極めて好意的ですね。
遠畑さん自身は、
いわゆる正式の臨床心理師というのは、
野の医者に対して、
いわゆる正式の臨床心理師さんだったし、
今、後任心理師さんでもあるのかどうか、
多分あるんだろうなと思うんだけれども、
あるんじゃないかなと思いますけれども、
かつ、今辞められてるかもですけど、
大学教授も、大学で講師もされていたと。
教授じゃないな、講師かな。
講師をされてもいたと思うんですよね。
つまり、めちゃくちゃ抜刀で正式の人です。
でも、だいたい正式の人から見ると、
遠畑さんは例外的で、
野良カウンセラーというのは、
バッコする存在なんですよ。
バッコってね、僕絶対字書けませんね。
あれ、大学試験とかで出たら、
ヘビっぽい字だったな、
ぐらいのところで終わっちゃいますね。
ああいうのを覚えるという努力も、
僕はだいたい怠る人間なんで。
読むことはできますけどね。
小潔さん、
日本では携帯電話が小潔を極めている。
よっぽど嫌いなんだなっていうのを
感じましたけれども、
その嫌いだろうぐらいの感覚は伝わってきます。
で、
嫌う理由もよくわかるんですよ。
一つには、
商売がたき、しかも劣悪なって感じ。
つまりですね、
18:00
商売がたき、しかも劣悪なって感じ。
例えば、お医者さんが、
野良医者が罰告すると、
信用に関わるって考える。
これとたぶん近いと思うんですね。
ただ、今の日本で
お医者さんに関しては、
これが起こらないと僕は思うんですよ。
だって、
よくこの番組でもお話ししますけど、
臨床審議の性格が悪くて、
お医者さんに関しては、
これが起こらないと僕は思うんですよ。
だって、
よくこの番組でもお話ししますけど、
臨床審議の性格が悪くて、
お医者さんに関しては、
これが間違いなく起こるんですね。
でも、
歯医者の世界では、
まず起こらないんですよ。
いや、歯の調子悪いんだけど、
正式の歯医者さんに通うのは、
ちょっとめんどくさいんで、
お隣のおじさんに歯を削ってもらうよ、
っていう話、聞いたことないと思うんですよ。
そんな恐ろしいことは誰もできない。
で、
昨日のヤフーニュースの記事を書いた人からすると、
その歯よりもやばいことなんだぞ、
っていう警鐘を鳴らしていらっしゃるんですね。
歯医者さんによっては、
そうだと思います。
だから、この記事は、
正しいんだと思うんですよ。
ただ、
これは歯医者のように、
クリア、クリスタルクリアには
絶対ならない話だとも思うんですよね。
というのも、
歯医者にだって結局、
なんだかんだ通わない人っているわけじゃないですか。
私も知ってるだけで、
人生で知ってるだけで、
4人いるんですよ。
明らかにこの人は、
歯が伸ばし伸ばしにしたり、
ある大学時代の友達が、
イケメンのやつだったんですけど、
何しろ甘いものが好きで、
歯が、
虫歯がひどいんですよ。
で、僕2回ね、夜中にコンビニ行って、
氷買ってきてたことがあるんです。
氷で冷やさないと、
もう痛いんですね。
歯医者、行けよってみんな言うんだけど、
彼は氷で冷やしてしのいじゃうわけですよ。
もうめちゃくちゃ、
面白話みたいになっちゃうんですけど、
これがつまり、
医療につながることのできない姿だと、
ある意味思うんですよね。
非常にこれは目に見えて分かりやすいし、
どうせいずれ行かなきゃならないんだけど、
これが真理だと、
同じ事象がやや複雑化して
こじれるんだと、
僕は思うんです。
この番組でもおなじみのうつぱんさんも、
なかなか正式のお医者さんに
つながることができてませんでしたよね。
まず1つに、
ハードルの高さが、
ただしこれは、
歯医者さんが、
ハードルが高いように、
高い人にとっては高くて、
当たり前なわけですよ。
怖いわけですよね、通うのが。
まずこの問題があって、
ノラカウンセラーばかりが
障害になっているとは、
僕は思えないんですよね。
ノラカウンセラーが、
妨害なことをやって、
何の効果もない、
それこそ壺売るぐらいな感じで、
お茶を濁しているのが問題だというのは、
問題だと思います。
21:00
それはどう考えてもきっと問題なんでしょう。
ただ、これだってですね、
歯と違うんですよね。
壺買ったりパワーストーン買っても、
むしろは絶対良くならないのは、
確かだと思うんだけど、
果たして心について同じことが言えるだろうかと。
そのことが、
疑問の余地がないとは、
とても言えないからこそ、
戸畑海斗さんが、
のど医者を洗うの冒頭で、
自分がずっと見てきた、
統合失調症の女性が、
物資研クリニックというね、
それこそノラ医者なわけですよ。
カウンセラーなんですね。
そこでちょちょっと、
よくわからない前世療法みたいなのをしたら、
治ったという話を、
本当かどうかわからないですけれども、
とにかく、
いきなり冒頭にこの話を持ってきているのは、
そういうことだと思うんですよ。
治ったかどうかはともかくとして、
そういうことは起きちゃうという話ですよね。
何しろ、
相手は心なんで、
歯じゃないんで、
虫歯ならこれは絶対起きないわけじゃないですか。
多分、
心にいくら行っても、
虫歯よくはならないわけですよ。
でも、心はよくなれちゃうわけですよ。
ここのところがあるから、
さっき言ったように、
クリスタルクリアにならないと思うんですよ。
正式と、
純正式と、
ノラ等を、
はっきりと区別する理由が、
非常に怪しくなってくるわけですね。
記事に書かれていたのは、
そこを分けるために、
3つの要素があると。
1つは、
アセスメントの有無だと。
これはね、確かにあると思うんですね。
公式の方が全員、
全ての100%アセスメントを、
バチッとやるかというと、
私はそれは、
分からないなって思うんだけれども、
アセスメントを多分、
ののカウンセラーの方はしないですよね。
診断のことですね。
で、これ、
虫歯で考えると一発じゃないですか。
虫歯に関してアセスメントしないお医者さんって、
多分いないでしょう。
何とも言えないんだけど、
この歯とこの歯が悪くなってますね。
C3までいってますね、
みたいなのはアセスメントですよね。
これ絶対しますよね、基本的に。
でも、
多分、公認心理師さんが、
例えば、
あなたは、
そんな風には言わないと思うんだけど、
話を簡単にするために、
例えば、
境界例人格障害、
境界性人格障害の、
診断できます、
ということを言うとは思うんですよね。
統合視聴症ですとか、
うつ病ですとかも言うと思うんですよ。
これを、
ノノカウンセラーは多分言えないので、
言う人もいるかもしれないけど、
言うのも問題で、
多分言わない。
だからアセスメントの有無というので、
アセスメントある方がいいっていう風に、
医療ではなってるじゃないですか。
だからこれはですね、
言えると思うんですよね。
公認側だったらアセスメントするよっていうのが、
まずある。
24:00
2番目に、
えっと、
倫理的であると。
これもね、多分そうだと思うんです。
ただこれは、
ノノカウンセラーは全員倫理的でないと、
言い切れるかっていうと、
ノノカウンセラーやってる段階で、
倫理的じゃないんだよと言われてしまえば、
その通りなんだけど、
ちゃんと真面目にやる気があるかどうかを問うのが、
倫理的だとすると、
大変微妙なところもあるだろうなと。
そもそも、
正式な人たちは全員、
倫理的なのかっていうと、
これはですね、
通う人の捉え方っていうものも含めるとですね、
相当微妙だなあという感じがします。
えっと、
そもそも、
お医者さんは全員倫理的なのかっていう、
話を考えてみたいところも、
あるわけじゃないですか。
私、子供の頃、
本当に子供の頃、
小学生に上がるか上がらないかぐらいの時に、
歯を抜かれたことがあったんですよね。
地元の歯医者さん。
名前渡しませんよ。
ところがその抜かれた歯は、
正しくなかったわけですよ。
抜くと言っていた歯じゃない、
隣の歯が抜かれてたんですね。
これは倫理的かどうかって、
大変疑わしいと僕は思うんですよね。
つまり、
正式な医者は倫理的であるっていう命題って、
すごく微妙だと思うんですよ。
これは例外的な話だと言われれば、
そうなんだけど、
少なくとも例外はあり得るってことが、
感じられるわけですね。
昔は歯医者さんって、
なかなか本当にあったわけです。
こういうことってね。
私もなんか、
例えば麻酔とかも、
昔に比べて、今に比べて、
今なんかもう麻酔なんて私、
ちょっとね、チクッとしますよって言われるんだけど、
なんとも感じないですよ。
でも昔の麻酔、
めちゃくちゃ痛かったんですよ。
しかもなんかバスバスバスバス、
みたいに刺して、
しかも隣の歯抜くと。
刺されると、
何が起きるかというと、
もう一回抜きに行かなきゃならないんですよ、
あのバスバスバスやって。
もう本当にね、
倫理的であるってなんだろう、
っていうような出来事に、
たぶんみんな一度や二度は体験があるんじゃないか、
という気がしますね。
そうすると、
正式だから倫理的だっていう、
この命題の立て方は、
読んでいて微妙な気持ちにならなくはない、
というところがあります。
もう一つは、
これもそうだと思いますね。
少なくとも、
生ぬるいって書いてあったんだけど、
ノラカウンセラーという人たちが、
そもそも、
訓練を受けているかというと、
受けてないだろうなって感じは、
ケースはいっぱいあると思います。
ただし、
ただしですね、
クライアントの立場に立ってみると、
ここから先がちょっと難しくなってくる、
話だと思うんですけど、
可用側の人間にしてみると、
果たして、
アセスメントはまだしもですね、
その人が倫理的であるかどうか、
という話と、
倫理的だって欲しいとは思いますけど、
27:01
倫理的であるかどうかという話と、
まして、訓練を受けているかどうかって、
そこまで大事にしろっていう意味の論文に対して、
こういう話をしても、
フェアじゃないかもしれませんが、
論文を書いているって大事か、
という話をしても、
フェアじゃないかもしれませんが、
論文を書いているって大事か、
という話をしても、
フェアじゃないかもしれませんが、
という話ですよね。
私が間違って歯抜かれていたお医者さんだって、
絶対論文書いてたと思うんですよ。
訓練も受けてたしね。
やっぱり、
我々は結局、
可用人間はね、
お金を払って可用わけだし、
結構怖い思いも痛い思いもする可能性もあるわけだから、
治してほしいわけですよね。
さっきの具試験クリニックさんのポイントは、
そこにあると思うんですよ。
治っちゃったって人にしてみると、
いやいや、
訓練を積んでないと言われても、
でも治ったからなって思うわけですよ。
必ずと言っていいぐらい。
あの、
いっぱい訓練を受けて、
いっぱい論文書いた人が、
隣の歯抜いたんでは困るわけじゃないですか。
で、患者にしてみるとですね、
これは1回でいいんですよ。
ここが大事なんだよね、
と思うんですよ。
治るのは1回でいいんですよ。
別にそのお医者さんは、
いや、私は隣の歯抜いたこともあるかもしれないけど、
1万回とか、
訓練中のそれは1回だけだから、
って言われても、
その1回に当たっちゃった患者さんにしてみると、
いや、それじゃあもう本当に倫理的だろうと、
訓練積んでようと、
どうでもよくなってしまうわけじゃないですか。
で、こういうことの可能性が、
心理は、
歯の比較にはならないぐらい高いだろうと、
思うんですよね。
多分、論文は書いてないでしょう。
野良のカウンセラーさんの大半は、
訓練も受けてないでしょう。
でも、治せたってことが大事なわけですよ。
で、
治した人からすると、
それで十分で、
その人がアセスメントしないとかは、
その人が、
もしかすると、
倫理的でなくたっていいわけですよね。
治れば。
それじゃダメなんだっていう立場は、
当然、正式の側にはあるんだけど、
それじゃダメなのは、
あくまでも、
システムを作る人の立場からしてみての話であって、
治してもらう人の立場からしてもらうと、
そうではないんですよね。
治る理由はパワーストンであろうと、
壺であろうと、
治るんだったら、
それでいいわけです。
で、書いてあったんですよね。
すっきりはするのかもしれないが、
治ってないと。
ここですよね。
すっきりはするかもしれないが、
治ってない、
という言い方もできると思うんですけど、
治ってないかもしれないが、
すっきりはする、
っていう言い方も、
心の問題なったら、
できてしまうと思うんですよ。
心は同じようにはいえない気がするんですね つっきりはしたかもしれないが直ってないぞ
お前そういう正式にかかんないとダメだぞと言われると 8多分そうだろうなと僕なら思うけど
30:03
いや全然そうは思わないねっていう人がいてもその人責められないような気がします で逆にあなたは正式のところにこれだけかかってなおモヤモヤしているかもしれないけど
よくはなっているからね正式の人に言われた場合 8それもまた私はそうだろうと思うんだよ
いやそんなの全然受け入れられないっていう人を責められないと思うんですよねこの種の モヤモヤの数が8
会社の日ではなく残るはずですだからバッコするんですよ なくなりは絶対しないと思うんですね方で取り締まればいなくなるかもしれないけど
方で取り締まらない限りはいなくはならないでしょうねっていう感じはします で本題相変わらず30分たって本体なんだけど本でこっからなんですよね
ここまではまあたてつけみたいな話だと僕は思います 本題はですね
あのこの記事中にあったまさにここがまあ僕が読む限りですよ ここがポイントだと思ったんですが効果のない治療法をだらだらと続けてお金を
どんどん取られていく患者さんが多くであの そういう問題を抱えた人が多くなるのが懸念される
文書を読む限りそれはそれで全く正しいんですけれども この効果が上がらない方法をだらだらと続けるって言葉は私は正式側に刺さってくる
じゃんっていう風にまあ私が読むとね思っちゃうわけですよ 効果が上がらない方法をだらだら続けるって言葉はめちゃくちゃ
クライアントさんが正式のお医者さんに対して思ってなくもないことなんだろうなぁ と思うんですよねこれは書いてる先生だって
8書いてる先生のお名前はあの 記憶から飛んでるんで書いてる先生にしてもですね
絶対そんなことは100も承知で書いているという僕は思うんだけれども 効果が上がらない方法をだらだら続けるって言葉は
私には大変8なんていうんですかね恐ろしい表現だって思うんですよ このこれと対になるのがスッキリしたかもしれないが直ってはいない方なんですね
これはどちらも8簡単に考えてはいけないところで 8記事はさらっと読むものかもしれないインターネット記事ですかね
8それはそれでいいんですよクリスタルクリアに書かれている記事を見てああいうのは 良くないよねぐらいでいいと思うんだけどあの
よく考えると9票9ところに書かれていたことっていうのは あの今だからつまりバッコすることにもなるしこの話実は簡単に見えるようでちっとも
簡単じゃない気がするんですよ 私の身内もの話もしてますし含めてなんですけれども
私自身だってクライアントの側の人間だという部分が常にあるんですね で8正式のところに通ってる人は効果が上がる方法
33:09
効果が上がらない方法と同じぐらいの効果しか実感できないまま だらだらという時間の長さはだらだらだからわかんないけども
少なく見積もっても10年から20年にわたって 当該ではないかもしれないけど安いとは言えないお金を支払ってきてなお依然として
直って直り始めているのかもしれないけれども すっきりとは全くしていない状態の人っていうのを私は少なくとも5人は知っているんですよ
これらの5人の人たちは精神会とカウンセリングと両方をずっと受けてたとまでは言い切れないかもしれないけども
かなり多年に少なくとも10年にわたって受けているっていう人を少なくとも5人は知っているんですよ でこれはダメですよこういう話ってつまり一般論に対して具体論で反論していくってダメだと思う
んだけどこの立場の人なり立ちにしてみるとですね 8野良だろうと正式だろうと同じじゃんという気持ちになってしまうのは酒がたいと思うん
ですよね 方ないですよこの範囲内のお金だからでもそれも20年払い続けていればですね
トータルではなかなかの金額になるじゃないですか であの
効果が上がる方法これは正式の方法だから効果が上がるってことになるんだろうけど 効果が上がるにしても20年続いているっていうのってこれもまた非常に微妙じゃない
ですか 僕これで思い出すのがあのジビカダの治療だったんですね
僕昔子供の頃僕これは非常に心理的なものだと思ってるんだけど 8
アレルギー整備演って言われてたんですよまあこの診断名て山のように好きですよね 私でも今花呼吸ってできるんですよ全然余裕でできるんですよ
なんか花となると実は根本的には下下治療がいるとか恐ろしい話を聞くんだけど いや恐ろしいがってな僕だけかもしれませんけどそんなのは僕は別にしてなくても
花は全然いいんですね花粉症でもないし でも何だか知らないけど僕はアレルギーアレルギー言われて
8幼稚園の年長から小学校6年ぐらいまでほとんど毎日と言っていいぐらい ジビカに関与はされ続けたんですね
正式の治療です効果も上がっていることになってますよね 私であれはどうだったんだって思うんですよねそしてなんかこうお医者の態度だといやそれは
一生治んないからねみたいな感じで僕は治っているわけですよ でこういう場合どうなるんだって思うんですよね
8正式じゃない治療まあ僕は治療したわけじゃないんだけどでは効果が はっきりと感じられてあなたのそれは本当は治ってないんですって100回言われても僕はそれは
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信じないんですよ どう考えても直っただろう少なくとも
小学校の頃のあの状態とは違いますからあれはずーっと医者に通っていたわけですよ 正式な医者にね
こういうことって身体の病気でもまあ美縁みたいな非常に曖昧な病気の場合はある わけで
えっとまして心理の場合はあるわけで 結局8同じになっちゃわないかなって思うんですよね効果が上がらないとか言い始めて
しまう効果が上がらないというのはつまり 8正式のものは効果が上がるが野良カウンセラーすべて効果が上がらないという定義の上での
話なんですよね だから効果が上がらないものなんだからその治療はいくら受けてても無駄なんだけど
でも気分が良くなることあるでしょうねっていう話をした場に8 受ける側としてみるとこの話は大変困るよねっていうことです
受ける側からすると僕はこれ野良カウンセラーを進めているわけじゃないですからね 受ける側からするとただどっちも全く効果が上がらなかった場合
8少しでも気分が良くなる方を選んではどうしていけないんだっていう気持ちが残っ ちゃうということです
だから8よし足は置いとくとしてもバッコするっていう事態を消し去ることは多分無理なんだろう あとはですねあとは8でも僕が思うのは
つまり僕が言いたいことなんていうのは僕が考えていることっていうのはここにあるんだ けど
野良だろうと正式だろうと構わないからつながれっていうことなんですよ 私が思う
ただ8なんつーんですかねこう だからと言ってお金がどんどんなくなるとか困るじゃないですかここにも心理の家
5位厄介のところがあるんだけれども お金がどんどんなくなるっていうのは良くないと思うんですよ
だからこの件に関しては正式か野良かという判断ではなく 効果が本当か嘘かという判断でもなく
ただ自分の経済状態だけを一つの指針とするのが私は望ましいですね 8例えば具志堅クリニックさんみたいなところに行って
東郷市長賞が良くなってしまったらすっごく具志堅クリニックさんを信頼するのは 僕は例え正式のまま同意をと
8どんなに偉い先生がこう言おうと避けられない どうしたってそういう気持ちになりますよねむしろね
だってその正式のところに8効果が上がる方法をだらだらとではなく短期間で済ませる ために15年かかりましたけれども直ってはいません
でも正式だから効果があるしだらだらじゃないんですって言っても多分心の中の 疑念は消えないと思うんですよ
そういうことにはそういう実例てなくはないんですよね 私自身の体験から考えても絶対そういうことはあり得る話なんですよ
でも8だから正式と野良を比較しても無意味だってわけじゃなくて 正式の方がいいとは僕は思うんだけれども8
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野良で良くなっちゃうこともあり得るしその場合 8
野良カウンセラーさんのの医者さんに通ってその人を尊敬したり その人こそ頼りになると感じてしまうのも当然だと思います
その上でお金と相談するのがいいって僕は思うんですよ ここでお金のみを指標にしたらいいと思うんですね
8お金がなくなったらでもやめてみるっていう感じ つまり8お金を借りてまでやるとか
8そういうふうにのめり込むっていうところだけをこれ言っててすっごい無理があるな と思うんだけどでもこれが一番僕は当てになる仕様だと思うんですよね
つまり信頼してもいいし8尊敬してもいいけど お金がなくなっても無理やり通い続けるのはやめといた方がいい気がします
でこの時に正式は代替になり得るよっていうのを 意識しておくといいと思うんですよ私はねこういうふうに正式ってものは
えっと野良との関係はあると思ってるんです つまり8具試験クリニックさんに行きましたよくなりました具試験クリニックさんが大好きになりました
ここに頼っていきたいですいいと思うんですよ ただ8お金が続くつらいなと思ったらこの具試験クリニックの
代わりに8 手近な正式というものを使ってみようっていうのは排除しないでおいた方がいいと
この時に具試験クリニックの代わりになるような野良を探すよりは 具試験クリニックの代わりになるような正式を探す方が安排だって僕は思うんです
ここ心理においてはですねえっとここが僕が考える 落としどころだなっていうふうにいつも思っています
その方が安全だからここに訓練と倫理の意味が出てくるんですよ でいやいやでもさっきも言ったようにね隣の歯抜くような歯医者さんだって昔はいたわけ
だから正式だったら安排だっていうのは安易じゃないって思われると思うんですね だから具試験クリニックさんと比較した上でこれは具試験クリニックさんを言ってるんじゃない
ですよ 皆さんが知っているかもしれないのの医者さんの代わりになるような
正式は8 チェンジしながら当たっていったらいいと思う
そうすると当たる可能性は結構あると何の指標もなく正式の医者さんをチェンジしていくと なんかねえっとお医者さんジプシーになっちゃうんですよねどうしてもね
そうならないために1個自分の中でうまくいった民間療法なりなんないというのを持って おくのはいいことだと思う
これと比較してどういうことがあるんだろうってことを肌身で感じられるじゃないですか 私アトピーだったからよくわかるんですよこの種のことって正式の医者さんが直してくれない病気を
抱えちゃうと民間療法に頼ることって絶対起こってくるんです でそれで効果が上がる方法も出てくるんですよ
それと比較した時に民間療法との軸に置きながら正式の医者さんを回ってみると 正式の医者さんの腕ってものがむしろ見えやすくなるんですよね
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これだろうというふうに思います だからあの最初から正式のお医者さんのところにいてうまくいったというのが一番理想的だし
8いい話なんだけどそうならないケースが8この分野はどうしたって多いので その場合にはこの
ののお医者さんの うまくいったという体験をベースにもっといてでも
8そこにずっと通っていくとお金がなくなったりするので その時に
それよりはおそらく安価な安価だから比較の対象になるわけですから 安価な代替となる正式のところというものを
なんていうのかね見つけ出していくようにしていくといいんじゃないか これは多分昨日読んだ論文あの記事の趣旨から著しく逸脱している気もするんですけどね
でも私はそういうふうに思うしこの辺が今の段階のですね 8日本でこの種の
ものを利用する時の考え方としては割とあの 妥当なんじゃないかな
ちなみにあの相場っていうのも大事ですね1時間1万円てな相場です ただし期間でありますからね
8正式だからと言って豊富がある方向だかつってそんなに短期間でスパッと治るか っていうと大変あれなので
もちろんそのカウンシリングよりもお医者さんに通う 通うべきっていうのもいろいろあるんだけどそういうことも僕らは全部が全部わかってるわけ
じゃないじゃないですか 8その種の知識っていうのは幅広いまは相当で出るようになってますけど
幅広くこう 8それこそどうな知識が幅広く出回ってるかどうかも微妙なわけですよ
だから最初しょうがないと思うんですよ手探りになってしまうのはですね だから手探りしていくより他ないとも思うんですよ
そういう流れの中で8正式というのはいつでも代替として考え得るものだ 大体って大事ですから代わりになるもだって人間生活環境変われば引っ越しもするし
8前にいたところにいつまでも生き続けられるとは限らないじゃないですか 試験クリニックさん沖縄だし沖縄でたまたまそこが見つかってよかったかもしれないけど
東京に出てくるかもしれないじゃないですか その時に代替となるものは8ののお医者さんじゃない方がいいかもしれない
ということなんですよ その時に指標となるところに正式ってものがあるっていうのが助かるよねって
いうことだと思うんですよね
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