エピソードの導入
おはようございます。朝っぱらから精神分析、第1247回をお送りします。
9月11日木曜日、8時18分です。
なんでこれね、2巻すればいいんですかね、私ね。なんかこれ、1000回ぐらいは時間を言ってる気がするんですけど。
なんか、そうした方がいいって思ったことはないんですけどね。なんかこう、気がつけば日時は言うぐらい。
気候から入るとかも、なんかあれなんですよ。
ポッドキャストのスタイルを、僕そういうこと全然しない人間なんですよ。
だから自分がこれをやった時、一番最初はもっとですね、なんかのきばトークとか言ってた時代があったんですけど。
もうなんか、いつの時代だったか覚えてもいないんですけど、まったく。
他のポッドキャストなんて、一つ聞いてたかなぐらいで。
勉強とかを一切せずに、こういうのあるんだ、やろう、やる、みたいな。
そういうのを、ここの間が、なんか2秒とかなんですよ。本当に。
何にも考えてないんですよね、そういう時ってね。あまり先のこととか。
だから本当に私、昔から、なんか佐々木は最近逆算を急にダメだって言うようになったよね、みたいに思ってる人もいるかもしれないですけど。
僕逆算いいなって言ったことって多分1回もないですよ。
でも1回ぐらいはあるかもしれないですけど、いや嘘を言ったかもしれませんけど、いいと本当に思ってたことはないんですよ。
なぜなら、やったことが本当の意味ではないからなんですよ。
逆算したことはありますよ、さすがに。
夏休みの宿題で30ページのドリルを30日で、一瞬でできるじゃないですか。
これを逆算っていうのか果たしてって。
しかも僕はそのドリルとか得意だったんで、大体1日で全部やるみたいなノリだった。
30割る30は1日1ページでやりゃできるよね、こんなのって思ったって、そうやったことがあるわけではないんですよ。
30割る30は1みたいな、そういう計算は早い方だったんで、相当早い方だったんですよ。
頭は良かったわけじゃないんですけどね、計算が早い方だったんですよ。
なんか自然と出るんですよ、144割る12みたいな、そういうのは。
なんと今は出ないんですけど、小学校時代出たんですよ。
なんかこう瞬間的に、だから計算してないんですよね。
でもあれ暗記かって言うと、暗記じゃなかった気がするんですよ。
なんか多分脳がそれを出してくれるみたいな感じだったんですよね、無意識で。
だからあんまケアレスミスとかも全くなかったわけじゃないんですけど、そんななかったんですよね。
であれをケアレスミスって言われるんだけど違うんですよ、計算ミスなんですよ。
計算ミスとケアレスミスは僕は違うと思うんですよね。
そんなことはいいんですけど、なんか自慢しやすいじゃないですか。
脳の構造っていうのは人が言ってるほどはシンプルじゃないのって言いたいんですよ、私は。
なんかね、それを決めつけてきがちなんですよね。
ケアレスミスだろうとか、子供って批判される対象だったから、昭和とかでは特に。
ケアレスミスだとかって言い上がる。
それは計算ミスであってケアレスミスじゃないって私は思ってたんだけど、そういうことを言うと発放されてた時代だったから、発放されてまで言うようなことじゃないじゃないですか。
どうせミスしてるんで、どうせ原点されてるから。
計算ミスだってことが認められたからって言って、なんか点が半分くれるとかじゃないんでね。
そういう孫徳館長も働いてて、分かりました、ケアレスミスで今後気をつけます。
山崎孝明と東方カイト
気をつけようがないんですよ、計算をミスってるんで脳が。
バグなんで、バグはバグだよ。
脳のバグとかいう言葉を僕はすごい信用してないんですけどね。脳はコンピューターじゃないと思うんで。
はい、どうでもいい話で3分も使ってしまいました。申し訳ないです。
あのですね、今日はややテンションが高いのがあると思うんですけど、一つには間もなく雷が。
雷って僕のテンションを無駄に変えるんですよね。怖いんですよ、端的に。
なんか頭上に落ちるみたいな、そういう頭上に落ちるなんてことがあるかって思うんだけど、なんか僕はもう雷が鳴り出すと頭上に落ちるイメージを持っちゃうんで。
雷が今日は鳴ることになってるんで、テンションがハイに鳴りあって。
これも日によるんですけども、もう明らかになる日はダメなんですよね。
だから僕、実家に帰るのがその意味で夏は相当嫌で、実家は埼玉県南部であそこ絶対夕立が来る。
2回に1回は来るみたいな世界で。
行くと気が切れなくなってソワソワしだしちゃうんで。
本当に神奈川県南部に引っ越してきて最高にいいことは、ほぼ夏に夕立が来ない。
これ地域によるんですけど、ここはほんとないんですよね。ないんですよってことを地元の人がみんな言うぐらいになる。
で、これはいいっすね。本当に。
夏がすごい一段と好きになりましたね。
またこれどうでもいいことで1分余計に使いました。
テンションがやや高くなってるのはこの雷恐怖のせいで。
久しぶりに日に1回ぐらいは来る、それが今日どうやら来るらしいというね。
結局克服できてないな。
電気系恐怖ってのはダメですね。僕はほんとダメですね。
静電気も相変わらず怖いですしね。
静電気怖いんだから雷怖いに決まってますよね。
何億倍って世界ですよ。
億でも通らないかな。
倍率出すのが虚しいぐらい。でも静電気も十分怖い。
もうやめよう。
あのですね。
テンションの中にもう1つの理由がこれから話す内容と関係があるんですけど。
山崎孝明さんがですね。
例のYouTubeの例のついてもご存じない方はご存じないと思うんですが。
YouTubeで今もしかして消えてきたかもしれないですけど、
もう1回言い直してますね。
YouTubeで山崎孝明さんがですね。
京都大阪心の発達研究所用。
発っていう言葉がついてるんですけど。
これの意味が僕正確にはわかってないですけど。
あのお話になっていて。
なんと東波田海斗の全著作を語るみたいな。
非常にYouTube的な内容を僕は言うのがいいと思うんですよね。
本当にこうなんだかんだ京都大学最終講義とかならば聞けるじゃないですか。
今の時代はいい時代だからってことはあるんだけど聞けるじゃないですか。
でも山崎孝明が東波田海斗の全ての本について語るとかにならないじゃないですか。
テレビで集計するはず絶対ないですし。
こういうのがやっぱり僕はインターネット時代とかSNS時代に打ち付けだと思うんですよね。
やっぱマンバジとか。
それは惹かれますよ私だって。
ピーボットに出てみんなが喜んでくれてるんだからとてもありがたいことだと思うんだけど。
結局ピボットでマンバスするとかの当たり前じゃないですか。
だって極穴2人も出てるんですから。
そうならなかったらむしろ危険だと思うんですよ商売的に。
でも私が勝手に今日の撮れたナスについて話しますみたいなのが動画で出て。
それを見る人がいるってところがやっぱりSNSの本当は価値だと思うんですよね。
そんなことできなかったから。
いやそんなのは価値ないだろうって思うかもしれないけど。
ある人にもある価値ってものがあって。
これもう散々パラ語り尽くされているし。
それをやってても生きていけないからやれないよね。
それは結局お金がある人の増落だよねってなるんだけど。
増落っていうものがそもそもなぜダメなものみたいに語られてる現代って思うんですよね。
江戸時代だって風流人とかいたのかどうか知りませんけどいたことになってるし。
やっぱですね。
いいと思うんですよそういうことをやってた方が人間というのは。
やらなくなるというのがいかんと思うんですよね。
ウィニコットの遊びがなくなる世界です。
遊びのない世界なんてもうなんか。
じゃあ何やってんだって感じがするじゃないですか。
これも実存主義とか共産主義とかで散々パラ語り尽くされていた。
シェイクスピアとナムルズどっちの価値が高いみたいな話とあんま変わんないんで。
そんなことを今更この年になって語りたいとは思わないんで。
喋っちゃってますけど。
あんまり喋らずにいきたいんですけど。
まあとにかく山崎孝明さんが桃畑海人さんの本について語ると。
でやっぱりですね。
やっぱり僕はこれは非常に面白いんですよね。
でつくづく思うことなんですけれども。
野の医者は笑うから始まったんですよね。
まあさもありなんて感じがしたんですよね。
まあ僕は異流の扱いをかなからはないか。
でもやっぱり一定の商業的な狙いがあるとするとないと思うんだけど。
まあいくらかはあって。
あったとしたらやっぱり野の医者は笑うからいくのは正しいですよね。
絶対的に。
僕もその普通の相談野の医者は笑ういるのは辛いよ。
このあたりはやっぱりぜひ。
まあ語られると思うんで。
そのためにyoutubeを有料課金した。
やっぱりだから商業的効果はあるわけですよ。
来たんだから僕はね。
久しぶりですよ。
1280円払ったんですから。
1680円か。
まあやっぱりね。
そのためだけに払ったようなもんですから。
あるんですよ。
でやっぱりつくづく同じようなことを考えていらっしゃっていて。
だから私は彼の著作総合的に惹かれる。
山崎孝明さんのですね。
東方カイトさんがもちろん惹かれるんですけど。
山崎孝明さんは東方カイトの推しらしいしキャッチャーらしいんですけど。
著作の影響と感情
もうその説明はしませんね。
見てください。
キャッチャーらしいんですけど。
でもですね。
東方カイトさんを山崎孝明さんが押すのはとてもいいと思うんですけど。
東方カイトさんなんて押さなくたってもう押されまくってるじゃないですか。
私やっぱりこういうところがあるんですよね。
ビジネス書いてた人間なんで。
押すっていうからにはミリオンセラー。
ミリオンセラーじゃないんですけど。
ベストセラー作家を押さなくてもなんとは思うわけですよ。
だって文庫化もバンバンされていて。
一つありますね。
東方カイトさんは多くの人がそうだと思うんですけど。
僕のような人間はやっぱりかなり結構。
これ僕が勝手に傷つくんでまさにナルシシズムの傷つきなんですけど。
傷つくんですよ。
彼の本読んでると。
やっぱりね。
こういった本当に申し訳ない面もあるんですけど。
僕はこういうところがあるというふうに思っておいていただければいいんですけど。
僕やっぱり自分誇りを持つって言葉の意味がわからない人間なんですよ。
本本的に誇りってないんですよ。
プライドってほぼないんですよね。
あるんでしょうね。
プライド高いって言われることもあるんで。
だけど。
なんか。
野の医者と誇り
私は君を誇りに思うとかって。
先生に生徒に言う決め台詞あったりするんですか。
なんかあれを読んでてもなんかふーんって感じがするんですよね。
なんかもう目が下がっていくみたいな。
誇りってない方が良くないみたいな。
そういうぐらいな人間なんで。
逆にそっちがあれなんですよ。
虚勢されすぎている人間で。
やっぱりおもねるっていうのはすごい感覚的に。
わー俺おもねるわすぐおもねる。
ほんと良くないと思うんだけどしちゃうみたいなね。
おもねておきながらしかもおもねまくっておきながら。
これ理想化と出す価値観なんですけど。
ある意味マイルドだとは思うんですけどね。
おもねまくっておきながら。
なんかいやこの人もういいかなみたいになってしまうという。
そういう人いらっしゃると思うんですよ結構。
いわゆる知的生産系とか。
それこそアカデミーの世界とかも。
僕も思いっきりそういうタイプですよね。
おもねがち。
なんで誇りはない自分には。
自分の仕事とかにもあんまりない。
真面目にやらなきゃいけないとは思いますよ。
だからむしろ逆に誇りがあんまりないと。
ここで手間で抜き始めると。
もうなんか収集使えなくなるだろうなと思うんだけど。
誇りに思うとかは実感として湧かないので。
全く湧かないんで。
あれですよちょっとえぐい。
ちょっと下ネタ入るとパタないんですよ。
誇りとかでは全然。
少しも僕に響かないっていうところがありますんで。
だからですね。
東方カイトさんのとか見るとちょっと気づくわけですよ。
なんでかっていうと。
自分は商業出版社だっていう意識で書いてきたわけですね。
だから基本的には出版社を儲けさせなければまずいけない。
これはもう必須だっていう。
こういうふうな縛りをかけておかないと。
僕はもう仕事ちゃんとできなくなる。
できれば書店さんも儲けてもらう。
書店さんは多くの人が誤解されているんですけど。
別にインターネットで潰れ始めてるわけじゃなくて。
もう1960年代から潰れてるんですね。
本屋さんの現状
厳しいんですよ。
マージンが少なすぎる。
だって輸送料、紙のお金、印刷代、インク代が全て値上がりしている中。
本ってほとんど値上がりしなかったじゃないですか。
本屋さんに毎日行っていた私にはよくわかるんですけど。
だから子供が本屋に集まりがちだったんですよ。バブル時代って。
物がガンガン高くなって、缶ジュースまで高くなって、
アイスクリームまで高くなっても本は高くならないんで。
コミックって実は凄いあの時代に読まれたと思うんですよね。
子供がお小遣いで一番確実に手を出せるものだったから。
良心的だって言われるかもしれないんだけど。
それで地方の本屋さんは自動的に潰れていく形が整っていってしまったんですよ。
いろんな理由で。本って割引すらできないじゃないですか。
当たり前だと思うんですけど、輸送費が実はコストが利等とかかかってるんだから、
高くするべきでガソリンが高くなってるじゃないですか、実際に。
実際、実は典後の一時期、地方の本は高いっていう時代があったんですけど、
それすらも結局いろんな事業が殺到して、全国一輸り数になったんです。
だから子供は本屋って好きなんですよ。
地方行っても旅行中本屋さんって行くでしょ。値段がめちゃ安定してるんですよ。
しかも安く、安どまりしてるんですよ。
でもそれってどこかにしわ寄せが間違いなく行ってるわけじゃないですか。
誰が見ても明らかじゃないですか。
まさにそういうことが書いてあったんですよね。
日書連ってのがあって、日本書店連合みたいな、よくわかんないですけど、
言ってみれば組合に近いんですけど、何の話をしてる。
要するにそういうわけで1970年代、僕が生まれる前から地方の本屋さんって潰れ始めていたんですね。
だから昔は本屋さんがあったみたいな、なんか足立光さんが漫画で書いてたんだけど、
それは冒頭昔に遡らないと実は嘘になっていくんですよ。
ネットじゃないんですよね、本屋さんを潰しているの。
決してネットじゃないんですよ。
取り分の問題なんですよ、あれはね。
運ばなきゃならないっていうのは本当に厳しいんですよね。
輸送コストっていうのは距離が伸びれば伸びるほど高くなっていくわけだから、
作ってるところが東京に集中してるってことは東京から遠いところでは本はたっぷついてるはずなんですよ。
なのに地方の本屋さんがあって、安易に言ってみてもダメだと思うんですよ。
臨床心理の問題
そうでなくても運送の方もすごい厳しいじゃないですか。
言ってるじゃないですか、皆さんね。この猫山戸さん大変だみたいなそういう話。
なんだけど遠くに運ばれる方としてはできるだけ安く運んできてほしいわけで、
そうすると何が起こるかというといびつな問題が起きてくるわけですね。
例えばベストセラーは全然入ってこないというか、
ますます本屋さんの人気って魅力って下がっちゃうじゃないですか。
だって村上春樹の最新刊はキノクニアしかないですみたいなことが平気で起こるんですよね。
何十万部とか吸ってんのに何でか知らないけどここの本屋さんにはないよね、
ダメだよねみたいなことになるんだけど、それは本屋さんが一番分かってたことなんですよね。
何の話をしてるんだかよく分かんなくなってきたんですけど、
そういうわけで僕はビジネス著作家として長らく生きてきたから、
やっぱこういう状況を嫌でも大でも知ることになるわけですね。
教え込まれるから。何らかの形で伝えられるし、自分でも勉強しちゃうし、
だんだん重い気持ちになってて、売れない本はダメだみたいな、
飛べない豚はただの豚だみたいな、そういうノリになっちゃっていたのに、
専門的なことを書いている遠方さんが私より売れるみたいな、結構傷つくわけですよ。
お前は専門家の能力もなければ、ただ売る人間としての能力もなくて、
何の能力もないよねみたいに言われてる感じが、余計なことなんですけど、
言われてないからそんなことを。そういうことを感じるから、
遠方さんの押しは、バリバリ読んでるくせに押しはしなくていいかなみたいな、
そういう自己正当化が要するに無理かなんだけど、やっぱりするんです。
山崎さんの方は少なくとも、結局専門家の仕事だよなと思えるんだけど、
心の中では。でも本業には売れてるわけじゃないじゃないですか。
文庫化とかもしばらくされる気配はないし、やっぱりこれは押していて気持ちが楽みたいな、
人間弱いもんですよね、そういう意味ですよね。そういうことを感じながら、
山崎さんは素直に押せるっていうね、そういうやっぱりあるんですよ。
虚勢されてるは不安があるとも言えるし、コンプレックスが強いとも言えますね。
だから山崎さんを押して、ここまで裏話をしてみるとですね、
なんか聞きたくなくなるかもしれませんけど、まあまあ聞いといてください。
山崎さんを押している私、山崎さんは東方さんを押していると。
そういうこと、そういう構造、構造はない、別に。
適当にそういう実態があって、実態はないか、なんかそういう流れがあって。
で、山崎さんを押している東方さんの文医者は笑うと。
これがまた危険な本なんですよ。
山崎さんと東方さんは臨床心理師でも婚姻心理師でもあって、
いわゆる正規の心理師さんだから、そういう裏側か内側からだね。
内部告発的な本なんですよ。だから危険なんですよね。
つまり臨床心理ってのは野の医者とどう違うんだ、どうも違わないじゃんみたいな。
で、しかも東方さんはまさにあそこが読ませどころだと僕も思うんですけど、野の医者は笑うの。
たえこさんってところのセラピストのところに行って、しかも一定の効果を得ちゃうんですよね。
僕はそう読んだんですよね。一定の効果を得ちゃったなと。
そうするとますますやばいよね。だってマブイセラピーとか言ってるわけですから。
マブイセラピーって見たことがないじゃんっていう。
臨床心理学の教科書にマブイセラピーとか絶対出てこないですし、
やっぱりスクールカウンセリングとかで学校でマブイセラピスト一人呼んでいきましょうとかってないじゃないですか。
公的なお金出して雇ったら多分問題になっちゃうみたいな話なんだと思うんですよね。
でも聞けばいいじゃんみたいな考え方もあるんだけど、聞くのは問題ですよね。
しかも正規の臨床心理師である遠畑海人さんに聞いちゃったから、聞いちゃっていいのかっていう。
でも聞いちゃったものは聞いちゃったもんなんで。
そこで例の決め台詞っていうか、殿下の報答が出てきて、本当が良くなってないとかって言い出すわけですよね。
正規の方の側の言い分としては。それはよくわかります。
例えばですね、ちょっと歯がとても痛いと。
歯医者行けよって話になると、その人はもう歯医者は恐ろしくて、ドリルでガーってやられると。
歯を磨かないからいけないんだけど、そこでなんかスーパーキシリトールとかを口に噛めたら、
虫歯治りましたみたいな。あれも認めないじゃないですか。
で、歯医者さんに寄せれば、それ治ってないから、ただ痛みが一時的に拷問されただけだからって絶対言うじゃないですか。
これがなぜ正規の真理の話では同じ話にできないのかっていうことで、悩む人は悩むわけですよ。悩まない人は悩まないんだけど。
だから本当は治ってないんだとさらっと言える人もいれば、本当に治ってるのそれ。
まあこの辺が歯数を占めるんじゃないかなと。私もそう思うから。
でもロガータさんが書いちゃうわけですよ。本当に効果ありましたみたいなこと。
あったかもしれませんみたいな。あったかもしれませんだけでも相当ヤバそうなのに、
ありましたに限りなく近づいたわけですね。
で、ここで不思議なことが起こるわけですよ。
つまり東肌さんとか山崎さんのような正規の人がこの本ヤバいよねってのはヤバいんですけど、
僕もヤバく感じた。なぜだってことなんです。だってお前正規じゃないじゃん。
僕はこういうことで考え込むタイプなんですね。
これを聞いてる人はまたそういう話じゃなくて違う話してくれないかなって思ってるかもしれませんけど、
僕はやっぱりこういうところがすごくある人間なんで。
この番組では2通りありますよね。精神分析の佐々木なりの理解をガンガン伝えるという。
それ自体が何か皆さんに、
まあ一応のセラピー的効果ではないんだけど、効果が起こるっていう感じと、
同時に野良と正規は何が違う。
結局これ同じ話してると僕は思うんですけど、
心理学と自己調査の重要性
僕はつまりどう感じるかというと真相的にはね、
真相真理ではないのかもしれない。表層でも同じように感じてるんですけど、
要は正規は正規で、
正規の方が正しいはずだってどっかで思ってるわけですよ、私は。
正規でもないくせに。
自分にとって不利なことを正規側で語りたがってる私がいるわけですよ。
つまり正規ぶってるわけですよ。
ところがこれが尚方さんのこれによって、
なんかこうわけわかんなくなっていくわけですね。
確かにMVセラピーで太鼓さんっていう本名か知りませんが、
マスターセラピストのこの人のは、
なんか一定以上の影響がありそうだが、
これは本当に効いてるのかみたいな、
正規の人が言いそうな疑問を僕が持っちゃうわけ。
あれは正規の人には危険な本なんでしょうけど、
私のような意味にとっても結構危険な本で、
いや心の底から臨床心理の方がどうだと思ってたわ、私みたいな。
そこを変に揺さぶられる。
でも揺さぶられてて僕が損する理由は何もないよね、とか。
むしろ揺さぶった方がいい側じゃんっていう風に。
だってお前野良なんだっていうことですよね。
自分野良なのに野良は効果ないでしょって言ってて何になる?
何にもならないじゃないですか。
これが私の中では歓喜される本。
だからあの本は力量あるなという感じはしましたね、やっぱりね。
で、もう面白おかしくも書かれていて、
この辺で僕が非常にコンプレックスを引きされるわけですけど、
面白おかしくすら書けない自分みたいなのがいて、
面白おかしく書いとけばいいのに、
なんかそこがだからプライドがここで邪魔して、
誇りがないくせにプライドはあるみたいな、
この2つの言葉のどういう違いがあるのかよくわからないんですけど、
ここからですね、
戸畑武士みたいなものに当てられていっていたわけですよね。
そのマグニセラピーというものが効くとして、
効いたんだと思うんですけれども、
野の医者は自分の仕事に疑問を持たない。
そこで臨床診療は自分の学問性に問いを立てるから、
要するに自己調査があるっていうのかな。
内省があるからそこが違うんだ、学問としてですね。
でも私は結構、別に私は学問ぶりなわけじゃないんですけど、
タスクシュートって本当に効果あるわけって、
しっきり深刻に悩んでしまうわけですよ、理事やってんだけどね。
だから私の話に一定の魅力を感じてくださってる方は、
多分僕のこういうところに魅力を感じてくださるんだろうなと思うんですよね。
野の医者の苦悩
本当にGTDよりいいかこれはっていうのがいいと思ってるんですよ、僕はね。
だけど、それをいちいちやたらと検証したがるわけですよ。
そこから出てきているものを伝えるっていう感じになって、
ところがちょっと違うだろうなって感じはするんですよ。
簡単的に言って信じてないわけですね。
で、私は3ヶ月チャレンジでもいっつもそれで、
なんでこれで効果が出るんだろう。
いや、出るはずなんだけどなんでなんだろう。
出るはずなんだろうか、そもそも。
というのがぐるぐる回り続けて、一機まで到達しているわけです。
だけど、ああいうのを見ると逆になってしまうんですよ。
いや、臨床じゃないとダメでしょうみたいに急になるんですよね。
野の医者を笑うみたいなのを読んでると。
特に太鼓さんのところとか本当だから、
それが突きつけられているものを一番ど真ん中だったな。
遠畑さんはあの時、山崎さんもおっしゃってたんですけどYouTubeで、
本当に悩んでたんだっていう、まさにそうなんですよね。
本当に悩んでた感じが伝わってきたんですよね、あの辺から。
仕事ないし、沖縄にいちゃってるし、
なんかよくわからないフィールドワークとか称して、
フィールドワークになってるのかなってないのか。
人によっては見止めてくれないようなところの仕事をしちゃってるし、
本当に悩んでますってところで、
マッサーフェラピストにいきなりキレられて説教されるんですよ。
こういうこと絶対しないんで。
なんかですね、いやそれじゃダメでしょって思うんだけど、
でもダメな理由はなんだっていうことですよね。
それはロジアルがダメだとか言ってるからじゃないのって言われると、
そっかって思うわけですよ。
いやでも説教される方はやだと思うしなっていう。
尚方さんも怒ってたしね。
だから悩んでしまうんですよね、
ああいうのを本当に見てしまうと。
本当に悩んじゃうから、
いいことなんだって言われている本でダメ出しされているみたいな、
そういうこう、えらくねじれた何かを感じ始めて、
困るわけですよ。
野の医者は笑うのかもしれないけど、
自分はあんまり笑わないなとか、
どうでもいいことを考え始めて、どうでもよくはないんですけども、
何て言うんですかね、
自信がなくなるというのとは違うんですけれどもね、確かに。
でもそこの線引きがえらい曖昧だという、
しかし曖昧なんだけど何か線を引いている気が自分はしているんだけど、
その線について言及しようとすると、その辺がえらくぼやけてくる。
よくある話ではありますが、
よくある話で、よくある悩みに、よくある形で陥ってしまうわけですね。
で、山崎さんがそれについて、
おしかつのような、おしかつではないんだけどね、あれはね、
非常にいいなあと思うんですよね。
やっぱりさすがに天文家なので、
まあでも、点としては私はすごくよく似ていて、
ただ私は逆側からある種の不安になぜか書かれた本なんだけど、
理由は同じだなっていう。
臨床心理と野の医者の線引きが曖昧になっていくんだけど、
それでいいのかっていうのが、
ある意味結構ジョークのような本なのに深刻に問われていて、
そしてそのことがある種のアイデンティティクライシスって、
心の問題に対する見解
山崎さんがさっき言ってたわけじゃなくて、
私がさっきYouTubeで聞いたわけですが、
でも私のアイデンティティはクライシスにならなくていいはずなのに、
どこにおいてそれが起こるんだろうと思いながら、
確かに読んだ記憶があるわけです。
僕なりの全然別方面からの、
つまり仕事術、ライフハック側からの一つの結論があるんですけれども、
要は私は結局これ心の専門家だっていう話をする世界の話であって、
私は心の専門家である必要がそもそもないんだっていうのが、
それも結構時間がかかったんですけど、
出せた結論の一つだったんですよね。
あくまでも精神力動とか心理臨床とか精神分析の知識を
やたらと借りまくって人生相談する。
なんならばビジネスコンサルする人なんだっていう位置づけで、
いけるはずだって思ったんですよ。
でも精神分析の知識をやたらと沿用して人生相談やってたら、
それって結局心理臨床になっちゃうじゃんっていうことになるのかもしれないんだけど、
お金取るし、お金いただきますし。
でも、結局普通の相談に書いてあったことですけど、
これだから普通の相談と野杖・シャワランは基本全く同じ提前の話だと思うんですけどね。
そのうち出てくると思うんですが、
普通の相談の中に心の相談が入るのは当然なわけですよ。
ライブハックだとしても、やっぱりビジネスコンサルだとしても、
別に心を全然扱わないですっていうこともできると思うんですけど、
心の話が入ってこないと取れないという捉え方はあると思うんですよね。
つまり結局それを心の問題として見ちゃうか見ちゃわないかっていう、
心の問題を見がちな人間は、
もうそこを意識しないようにすることなんてできないわけですよね。
だから心の問題で見ることが正しいわけじゃないんで、別に。
だって例えば片付けられませんっていうのに対して、
いきなりそれは抑圧症状ですっていう人っていらっしゃるんですよ。
専門家であれ専門家でなくても。
でもそれは片付けられない問題を心の問題に見立ててるわけじゃないですか。
私もそういう傾向が強くあるんだけれども、
片付けられないのはあくまでも掃除のスキルの問題だっていう、
そっちが間違ってるなんてとても言えないじゃないですか。
片付けられない問題が掃除のスキルの問題なんですって言って、
何がおかしいのかってことですよね。
だからよく当然これはPRだからそう書いてあるわけですけど、
心理カウンセリングルームみたいなところで、
本物の専門家に相談してみませんか。
子供が言うことを聞かないのはなぜ心理相談すればならないのかって思う人からすれば、
もちろんPRが間違ってるって言うわけじゃないですよ。
ただそれは心の問題に見立てる必要というか必然性ですよね。
必然性は別にないよねっていう。
それはだって親子の問題とか、
それこそ起こり方の問題とか、
しつけの問題とかっていう言い方をすると、
本物の心の専門家に相談しなければならないという理由はないわけですよね。
だから普通の相談でいいわけですよ。
いいと言えば。
ただこれを心の問題と扱いたがる人っていうのは確かに似て、
私がそうだってことなんだけど、
扱いたがるからと言って、
別にそれが心理カウンセラーである必要はないと思って、
心の問題として扱いたがるんだけれども、
扱いたがるという中で、
ビジネスの問題として捉える。
だから私はマスクシュードの問題も結局、
心の問題として扱いたがるんですよ。
それは私のパーソナリティなんですね。
だから扱いたがるものとしては、
一番昔からやっていて、
一番本格的な精神分析というものに惹かれて、
直感的で無意識的なものだったんですけど、
でもそれは僕にとっては正解で、
ノノとまでは言わないまでもノノですけど、
非正規であることは確実ですが、
それは精神分析としては非正規であることは確実ですが、
でも結局心の問題として扱いたがるけれども、
別に心の治療はしていないと。
最近ここが最終戦だなと思ったら、
3ヶ月で切るっていうのも最終戦ですけど、
一旦少なくとも3ヶ月で区切るっていうのが
一つのラインですけど、
いくつかの構造がありますが、
これは心の病理として、
もう見る以外の手はないってなったら、
リハーサルしかないかなっていう風に思うようにはなりました。
これは心の病理なんていう風に、
どう考えてもそう見るよりも、
心の問題とその見解
僕は自分の中でしょうがなくなったら、
そうなのかもしれないとかじゃなくてですね、
心のなんとかっていう話もそこには出てくるかもしれない、
それだったら併用していっていただければいいわけですよ。
でもこの問題はどう考えても、
心の病理ですね、
病理として見るよりもどうにもそう見ないっていうのは
明らかにおかしいってなったら、
私の領域ではなくなっても、
今のところそうではないんですよ、私の中では。
3カ月チャレンジの参加者さん、
そうじゃない観点というものを取ることがいくらか必ずできる、
その中で心の問題っていうものを見たがる人間として、
精神分析的な考え方っていうものを導入するのは
ありだろうと、
非常にもってもらった言い方になってるんですけど、
自分の中で一応クリアになっていて、
なったんですね。
それは今日のYouTubeの山崎さんのお話聞いていても、
全くその通りだなって思えたから、
たぶん今のところはこれでいけるんだなって思う。
山崎さんと遠方さんの本を私が好んでるのは、
たぶんやっぱりなんだかんだ言って、
マブイセラピーだって、
完全にパチモンだとは言えない、
パチモンってさっき山崎さんが言ってたから出たんだな、
パチモンだとは言えないっていうか、
パチモンだからと言って聞かないとは言えないみたいな、
何らかの形で必要だったからなんでしょうね。
これは端的に仕事をする上でのある種の免罪婦みたいな、
罪ではないと思ってるんですけど、
いうものだと思うんですけど、
だけど一方で考えてみれば当然そうじゃないですか。
全てを心の問題として扱いたいっていうのはあると思うんですけど、
でも遠方さんがカウンセリングの、
あれ本当にそうしてるのかわかんないけど、
高い買い物とかすればいいじゃないですか、
あえて心の問題にそれを言ってもいいんだろうけど、
それってなんかちょっと違うじゃないですか、
所詮術的な何かじゃないですか、
そういう言い方をするっていうことも、
あえて心の問題って言うならどこまでもできますけれども、
それこそファルスとか言えばいいんでしょうけど、
言わなくたっていいですよね、別にね。
高い買い物で自分にご褒美を与えるみたいなのが、
単純に生活の知恵みたいなものとして、
ニオイをツールとして使ってますよね。
遠方さんがライフハック使うかどうかは知りませんし、
タスクシュートは言及されないと思うんですけど、
したって別にいいわけじゃないですか。
していけないということはないと私は思うんですよね。
だからお互い様だというつもりはないんだけども、
何かを心の問題として見たいっていう人は、
それはそれでアリだと思うんですよ。
それは当然心理臨床科のほうに多いと思うんですけど、
心理臨床科でない人がそういう成功を持っているってことは、
今さらそんなことを一生懸命30分もかけて
しゃべるようなことではないのかもしれませんけれども、
私はやっぱりこうやらないと、
ある程度自分の中で納得感を持つことが
難しい人間なんだなというふうには思います。
いろんな意味で私は、
たぶん自分の中で、
自分の中で、
誇りというものが私の中で響かないように、
教授とか倫理ってあんまり響かないんです。
納得っていう言葉がいっぱいいっぱいなんですよ。
私は精神分析の考え方には納得がいくんですね。
例えばさっきの出てきた、
別にそれと比較して、
それこそどっちがいいとか悪いとかって言うわけじゃないのがいいのか、
やっぱりここが難題なんですよね。
でも、
僕は臨床の処方の方にはるかに納得するので、
ミラクルとかいうものに全く何の共感もできないんですよ、結局。
だから、
そういう話が出てきた時にはむしろ乗れるんですよ。
ライフハック畑だったから。
SPは近くないんだけど、
お隣にいましたからね。
自己啓発、スピリチュアルって。
自分の中で、
話をして仲良くなることは無理はないんですよ、別に。
ただ、私は家が寺だったということもありまして、
寺の中ではミラクルって一個も起きないんで、
本当に。
起きないと思ってたから起きないのかもしれませんけど、起きなかったんで。
そういうものがあるかないかじゃないんですよ。
利用かどうかなんですよね。
寺では少なくとも必要としているようには見えない。
でも、
寺では少なくとも必要としているようには見えないんですよ。
だって寺の上はミラクル抜きで成り立ってたし、
信者さんたちは、
別にミラクルがなくても、
うちの父の話は真剣に聞いてる人は真剣に聞いてましたからね。
ミラクル性はどこにもないような話だったんで。
だから、ミラクルがあってもなくてもいいんですよ。
ただ、無しでもなれるんですよ、寺はね。
私は、
死に臨床にミラクルがあった方がいいのかもしれないんですよ。
だから、それがスピリチュアルってことだと思うんですけれども。
だから、それがスピリチュアルってことだと思うんですけれども。
私は、さっきの野野医者を笑うでもそうなんだけど、
野野医者は結局はミラクルを使うって話に近いんですよ。
野野医者は結局はミラクルを使うって話に近いんですよ。
でも、私はそこが全く納得がいかないわけです。
秘密だからなぜミラクルを使う。
ライブハックってある意味そうじゃないですか。
だけど、ミラクルがないライブハックって、
有効なのってことに今度はなってくるわけですよ。
非常にややこしい話なんですよ、これはね。
有効かどうかの検証を始めてしまうと、
ミラクルがない世界って実に耐えられてないんですよ。
例えば、GTDみたいなもの。
GTDここで出すのはアンフェアかもしれませんけれども。
書き出して整理して、
なぜ全てのものを書き出せば上手くいくと思ってるんだよみたいなことを言われると、
それは厳しくなるわけですよね、立場的には。
なんかこう、やった分だけ損してないみたいなことに。
でも例えば、
やるとビリビリやるとスッキリするんだよねみたいな。
だから私は効果なくてもやるんだよみたいな。
非常に良心的で、
秘密なことをおっしゃってる方の話っていうのは、
一方で違うと、つまり反対派みたいな人から刺されるとですね。
それは自己満足でしょうみたいに言われちゃうじゃないですか。
でも自己満足でもいいんだみたいにして、
その良心的なんで、一生懸命言って守っている人は、
今度はなんかある意味、
ミラクルみたいなものを言ってることに近づいていっちゃうわけですね。
いや、私つまり心が満足するからGTDやってるんです。
でもそれ宗教でしょみたいになっちゃうわけじゃないですか。
そういう問題って至る所にあるんですよ。
だからミラクルを排除するっていうのが、
自分の中で一番大事だと思うんですよ。
ミラクルを排除するっていうのが、
私はいわゆる正規の方で言ってることであり、
私はそこに非常に共感するんですね。
有効なのは何なのかっていう説明ができてないとしても、
でもミラクルを排除したいという、
その気持ちが大事だと思うんですよ。
だけど本当にそれができてるのかっていうのが、
ミラクルとその価値
究極的な問いですよ。
だからミラクルはこの世にないのかと。
実は排除しながら使ってるんじゃないのかって言われると、
プロイトガトン、例えばね。
そういうことなんですよ、私が思うの。
大肌さんの放ったことというのは。
ミラクルを排除してるということによって、
裏口からミラクルを招き入れて、
上手くやっているくせに、
ミラクルミラクル言ってる人たちを下に見てるんではないのかって、
そういうことに近いんですよ。
で、サンジェルはそうじゃないと言えるかって言われると、
ミラクルというものがこの世にあるとすれば、
終わったことになるな、それはっていう。
しかも私はキツイ人来てるから、
正規の人のようにミラクルを排除しますと言ってるわけでは別にないので、
私は無知ませんとは言いますけれども、
敵意志してるわけですらないので、
いやいや、あなたはいくらでも裏口からミラクル入れられる立場で何言ってんのっていう、
こう非常に、
二重三重に検討していくとですね、
そういうことは言えちゃうよなと。
結局ミラクルに頼ってるよねって、
次の側の人からそう指摘されたときに、
そうではありませんとは言ったって、
それはただあんたが言ってるだけですからと。
実はあなたは気がつかないうちにミラクルを招き入れて、
ミラクルで治療してるんですよと。
なんか東映ドイツかとか言ってるけど、
そんなの呪文ですよって言われると、
そうじゃないつもりなんですよってしか言えないんですよね、結局ね。
そうじゃないことを言うために今度は、
東映ドイツか言うんならば、
先に公認死にしとってよって言われたりしかねないわけですよね。
自己認識とライフハック
僕の立場というのは、
ものすごくコウモリ的なところなんですよね。
それはつまり僕、おもねる人ですし、
芸術苦手だし、
大学院とか今更行くお金も時間もって、
でも50年立て取ってる人もいますよとかって、
現に私、実は心理カウンセラーの人に言われたことがあってですね。
いや、それなんか懸念なんだよなっていう、
一歩間違うと、
いや僕はヘラヘラしてたいわけですよ、そういう時は。
いやもう本当先生は素晴らしいけど、
僕ダメ人間なんでみたいなんで、お茶を濁して、
お目こぼしいただきたいわけなんですよ。
もう相当おもねってますけど、そういう時はね。
もう本当ヘラヘラしてたいんですよ。
キリッとしてる人って苦手なんで、
お前キリッとしてるじゃん、その割にはって言われてびっくりするんですけどね。
いや僕はヘラヘラしてるし、なよなよしてます。
そういうパーソナリティなんです。
だからこれも多分、ある種自己欺瞞なんだと思うんですね、そういう。
本当にここはややこしいんですよね。
コンプレックスがあるのは確かなんですけれども、
でも大学院の勉強とか、大学の勉強とか、
掃除で苦手なのも確かに。
教授と議論するとかは好きですよ。
野の医者の苦境
そういう人間っているんですよ、残念ながら。
そこを頑張るほど、自分を頑張らせられる理由を持ってないというのか、
もうそういう、ある種のメンタリティが、
多分だから虚勢されすぎたんでしょうね。
ここがやっぱテラっていうものの圧の強さなんですね。
圧はかけてきてないですけど、
そうは言ったって私3代目ですから。
じいちゃんも坊主、父も坊主っていう家ですからね。
そしていとこも大抵坊主。
坊主になってない人も、なろうとしてなれなかった面があるし、
信仰心はとても厚い。
私ぐらいですからね、信仰心ほぼゼロみたいな。
よくそんなことやってられんねって言われる感じなんですけれども、
だってでもね、うちの父なんてね、坊主でありながらね、
分かんないからね、
分かんないことについて言うのはやめよう。
でも左翼ですからね、頭の中身はね。
いわゆる心情左翼ですね。
心情左派を通り越して。
心情左翼ですからね。
だから私いつも父に対して反抗的になった時は、
お前なんかだってな、
共産革命が起きたらニロチンなんだよみたいなことを言って、
そうして父がすごい苦い顔をするのがすごく気持ちが良かったっていうことはありましたね。
若かったってことですかね。
幼かったとも言えますね。
だからどうしても虚勢されている感っていうのは確かにありまして、
なんか正気に近づいていくと、
途中で投げ出しちゃうところがあったんですよね。
今は我慢できるかもしれないなって思うんですけども、
50歳過ぎちゃったんで、本当にお金結構ないんで、
今度その話を交えながら動画とかやったらいいのかなと思ったりもしますね。
ご視聴ありがとうございました。