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全然関係ない話から始めちゃうんだけど。
はい、いつも通り。
先週見た、20年後の人が見たら全く価値が分からないかもな、
あるいは20年前の人が見たら全く価値が分からないかもしれないなと思ったサービスの1個が、
使う場所と長さとかを指定すると、
すごいそれっぽいんだけど全く意味がないダミーテキストを生成してくれるサービスっていうのを見つけて、
例えばウェブサービスとか作るときに、
これはダミーテキストですっていうのをいろんなところに入れるじゃないですか。
はいはい。
一定の長さのダミーテキストになると、これはダミーテキストです、これはダミーテキストです、これはダミーテキストですみたいなのを、
うわーっと長く書くみたいな感じになると思うんですけど、
それがたぶん気持ち悪いっていうことだったり、
文章のトーンの開業の感じとかを含めて確認するには、
これはダミーテキストですではイマイチじゃないですか。
うんうん。
だから自然、見た目パッと見自然なんだけど、
読むと全く意味がわからないっていうのを、
もうコンピューターに自動生成してもらおうっていうことだけをやってくれるサイトって思って、
便利と思っちゃった今の自分。
それ小説、青空文庫とかのコピペでよくないですか。
なんだけど、青空文庫だと小説文章じゃないですか。
あ、若干文体がね。
そうそうそうそう。
例えば私が全職でやってたときの、
医療系のサービスのUIとか作るときに、
なんかそれだと違和感があるんですよ。
それで作って、いい感じだねってなって本番に反映して、
リアルにあなたの重症化リスクは?みたいなやつが文章に入ると、
あれ?前よかったのに今おかしいなみたいな感じになったりして。
なるほど。
だからダミーの精度を上げるっていう、
なんかすごい謎のなんだけど、
本人化すとすげー有意義っていう。
なんでそれが20年後には役に立たないかと思うんですか?
なんだろう、20年後くらいになるともうちょっとスマートにいけそうじゃないですか。
もっとなんか、一発でそれっぽいの入れてくれるみたいな、
文脈を補完してテキスト入れてくれるとか、
なんなら、なんて言うんだろう、
そういうサービスを外で使わなくてもいいし、
なんかアドビが勝手に入れてくれるとかっていう世界が待ってそうだなって。
なるほど、なるほど。
なってるかな?意外と難しいですよね、コピーって。
どうですか?2022年。
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まだ2022年が本気で始まってるってことは信じられなくて、
ふらふら旅行に行ったりしながら過ごしております。
まだ21の13月を過ごしてますか?
そうですね、まだ13月過ごしてる感じで。
モラトリアムしてるじゃないですか、2021年の。
そうなんですよ。
でも楽しい、なんかちょっと今は比較的余裕があって、
3月のイベントに向けた準備とかをしてるんですけど、まだスイッポ使ってなくて、
束の間の嵐の前の静けさみたいなのを今味わっております。
今の忙しさを1とすると、
みきさんの3月のイベント前とかってどれくらいになるんですか?
あ、でも30くらいかな。
30倍にはなるんだ。
徐々に忙しくなってくるからなんかいけるんですよね。
明日から30ですだったらいけないんですけど、
人間ってそういうもんじゃないですか。
それはそうだね、それは確かにそうだ。
のぞみさんはもうバリバリ働いてますか?
なんか忙しいですね。
ありがたいことですね。
仕事がないよりある方がいいっていうのは、
父母、じいちゃん、ばあちゃんから口すっぱく言われたやつですね。
人間働いてなんぼだっていう。
田舎の人間あるわけですけど。
あ、そうなんですね。
私はうちの母から、女は働かない方がいいぞみたいな、
逆の価値観をめっちゃ言われてきましたけどね。
それはやっぱりあれですよ。
都市に住まう方々はそうなるんだと思うんですよ。
みんなで助け合ってお互いにみたいなのって、
一定誰かが余剰生産をしてくれてるからじゃないですか。
誰かが余裕があるからで。
私が生まれた長野県北部は何て言うんですか。
数百年にわたって虫を食べないと生きていけないっていうエリアだったので。
あ、そうなんだ。
そんなに動物とかいなくて。
そうそう、牛豚も育たないし。
じゃあタンパク質の摂取権が。
そうそうそう。
虫しかないから虫食べるっていうところにおいては、
女の子は働かない方がみたいなのって、
そんなこと言ってらんねーっていう。
全員働けみたいな。
子供だろうと老人だろうとみたいな。
へー。
働くあるもの食べられず。
なので働いてるのは良いことだなっていう価値観ですね。
いいですね。私もでもそう思います。
やっぱり社会と接続してないとね、
人間心が腐ってしまうと思います。
そうだねー。
今回みきさんが取り上げてくれた本、
このイソノマホさんの他者と生きるっていうタイトルの複題が
リスク・病・死をめぐる人類学っていうやつなんですけど、
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これをいうのを読んでいると、
病とか死みたいなものって、
あんまり、なんていうんですか、
ガンガン働いてる時って、
頭にあんまり上がらないじゃないですか。
うん。
そうならない前提でやってるのが結構働くっていうことだなっていうのを
読みながら思っていたのが一つですね。
確かに。
コロナって、まさか自分がみたいな、
突然降りかかってくる人多そうですね、そういう意味だと。
結構ガン、重症化しないって分かってても、
死に至る病みたいな扱いじゃないですか、今のところ。
だからそういう意味で、不良の事故とか突然の死みたいなものと
同じ感じでまさか自分がっていう体験をしている感じなのかなって、
今コロナかかるって思いました。
そうね。
なんか2つあって、
コロナの問題ってかかった時の重症化するしないっていう話と、
周りの人が地域としてなりすぎちゃっていて、
病院に入れなくなっちゃって、
全然関係ない、例えばお怪我しましたとか、
ガンになりましたってなっても、もう病床空いてないから受け入れてくれないっていう、
もう1個の問題もあるじゃないですか。
多分この2つを混同して考えているがばっかり、
いや重症化しないから大丈夫って言っている人を見ていたりすると、
リスクっていうのを人に説明するというか、
リスクを分けて捉えるっていうのは、
非常に難しいことなんだなっていうのを、
ニュースを見たりしていると感じるところが。
確かに。
さらっと本の話に入っちゃいましたけど、
この前半の話、リスクっていうものを、
感じ取れるリスクと、超えたリスクと、
いろいろ書いてあったと思うんですけど、
怖がりすぎも良くないし、怖がらなすぎも良くないっていうことだと思うんですけど、
リスクっていうのは難しいなって思ったりするですね。
まず最初に本の概要を簡単に話したほうがいいですかね。
今回はイソノマホさんのタシャで生きるっていう本にしたんですけど、
概要を読みますかね。
これ読んでも何かな。
これどんな本って言えると思います?
副題にある通り、人類学っていうことをテーマにして、
これイソノマホさんも人類学者。
そうですね。
確かイソノマホさんって元々看護師さんだったのかな。
どっかでそういうの見た記憶があるんですけど、
確か医療系のバックグラウンドを持ってらっしゃった。
看護師ではないですね。
違うんだ。
なんかで見たんだよな。
国際医療福祉大学の何かを勘違いしたのかな。
私、去年たまたまイソノマホさんがオンラインでやってた
人類学勉強会みたいなやつで出てたんですよ。
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その時、学者一本でやってきたんじゃなかったみたいな話を聞いたんだけど、
違ったのかな。
でもいずれにしても。
一瞬だけ社会人経験ありますね。
社会人経験をしてない奴はクズだって言われた反動で。
何してたんだっけ。
医療系だったバックグラウンド。
全然私の記憶違うかもしれないですけど。
接触障害とかが専門だったから。
研究とかをしてたから。
確かに確かに。
もともと大学でずっと教職につかれてて、
助教、準教みたいなことされて、
他の有名な本で言うと、
なぜ普通に食べられないのかとか、
ダイエット幻想だったり。
医療者が語る答えなき世界とか。
急に具合が悪くなるっていうのを、
確かどなたかと一緒に書かれてて、
それがすごく売れたりしたっていう方だったかなと思って。
新書としては初めてなのかな。
大学から出られて、独立研究者的にやられてからは初めての本で。
いくつかのリスク、病、死っていうのを、
それぞれ第一部、第二部みたいにしながら、
ちょっと論文チックに書く書を書いていくっていう感じ。
そうですね。
リスクとか病とか死がどんな風に語られているかっていう解説をした上で、
後半で他者と生きるっていうのはどういうことか、
みたいなことを述べているような本ですかね。
各章のタイトルを見ると、
第一章、情報とリスクとか、
第二章、正しく想像をせよとか。
こういうのがリスクっていう部分に関わるお話。
で、中でさっきまさに美木さんと話をしてた、
新型コロナウイルスっていうことが発生したときに、
志村健さんとか岡井久美子さんのメディアの報道って、
どういう扱われ方をしたんだっけとか、
あとファクトフルネスみたいな本が流行ったときって、
社会で何が起きてたんだっけみたいな、
比較的私たちの日常に近い部分の考察っていうのも入っているし、
一方で人類学的な、
土着の民族の研究の中でこういう知見がたまっていてねっていう、
学術的なところを横断しながら書いていく本だったなっていう感じですかね。
そうですね。
人間として生きることの価値ってどういうことなんだっけみたいなこととかを、
いろんな切り口で、
時間とか個人、自我みたいな持ち方とか、
そういうのがいろんなパターンがあるよねとかっていう話をしながら、
最終的に自分らしく生きるってどういうことなんだっけとか、
そういったことに最終的に行っていたかなと思います。
最後の第6章、7章、
あと最後の終章っていう3つの章が、
自分らしさがあなたを救う、
人とは何か、生成される時間っていう、
すごい、なんていうんですか、
哲学書入門の方にあるような章立てのテーマだったりをしていて、
最後の方でぐぐっと駆け足にまとめていくみたいな感じがする本でしたね。
そうですね。
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前半の、確かに医療現場はこう語っていた、
医者はこう語っていたっていう論語から、
最後こういうとこに行くんだっていうのは面白かったですね。
そこは繋げてる人ってあんまりいないかもですね。
確かにね。
大まかに言うとそんな本だったかなと思うんですけど、
三木さんの独語館第1巻を。
独語館第1巻は、
いやー、そうなんだけど、
それを認めたくないって、
それを認めちゃうともうちょっと実存が揺らぎますみたいな感じですね、私としては。
独語館、一言で言うと。
それを認めちゃうと、
そうなんだけど、それを認めちゃうと実存が揺らぐ。
実存が揺らぐ。
ちょっと後で、特に時間の考え方のところとかですね。
思いました。
野辰さんの一言感想はどうですか。
私の独語館で言うと、
なんて言うんでしょう、
不思議な独語館?
不思議というのは、
なんて言うんですか、
私、本を、この一冊を通じて、
通じて、
ワンメッセージ、これです!みたいなことを言っている本じゃ必ずしもないのかなっていう風に読めて、
こんなこともあります、あんなこともあります、こんな捉え方もあります、あんな捉え方もあります、
はい!こんな感じでーす!っていう、
なんか三段銃で撃たれましたみたいな感じの。
はいはいはい。
で、たぶんさっき例に出したファクトフルネスとかって、
メッセージがものすごくクリアだと思うんですよ。
ファクトフルネスなあり方を追求した方がいい瞬間ってあるよね、みたいなワンメッセージあると思うんですけど、
この本って一言で言うと何なのかな、わかんねえな、
でもなんかいろいろ面白いファクトというか考え方というかコンセプトはあったなーっていうのが第一感ですね。
不思議な動空空間でした。
なんかさ、私がこの本選んだのが、
野澤さんも磯野さんの講座受けてたことあるって言ったんですけど、
私も毎年演劇ワークショップのシリーズを運営していて、
だけどそれは演劇だけにとどまらずに、いろんな分野の方を講師にお招きした、
演劇だけじゃない価値観を揺さぶるっていうテーマのワークショップをやってたんですけど、
去年の7月のその演劇以外の枠で磯野さんをお呼びしてワークショップやったんですよね。
文化人類学の枠で北千住にみんなで集まって、北千住にうごめく呪術を咲かすっていうワークショップやったんでめっちゃ面白かったんですけど。
北千住は呪術ありそう。
あれめっちゃありました。
ありそうだな。
その時に磯野さんがすごくパワフルで、みんなコロナ禍でお出かけとかあんまりできないっていうオフラインイベントをやったんですけど、
すごいキュートでパワフルでわかりやすくて、わーって感じがある。
その方が好きって思って、磯野さん応援したいっていうだけで選びました。
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なるほど。
もちろん言ってることとかも面白いし、文化人類学とこの本もすごい面白いんですけど、
それよりも人柄が魅力的だなって前から思っていたので、選んでみたっていうのがありました。
磯野さん推しってことですか?
推しなんです。推しの学者さんなんです。
あと研究者としても良くないですか。大学とかじゃなくて独立学者としてかなり売れっぽで、ひとつのロールモデルみたいになっているような気もして推していきたい。
なるほどね。
そのワークショップの中で感じたコンセプトとこの本を通じて出てきたコンセプトはどうですか。
磯野さんなりに通ずるものが何かあるのか、それとも違う側面を見たなっていう感じなのか、いかがでしたか。
通ずるものとしては、やっぱり自分が一見わからないと思っているものとかも知識とかを身につけて、そういうところをつなげることができれば、どんなものも身近に感じられるんだみたいなことは、それが人類学の面白さだみたいなこととかは言ってて。
前もちょっと話したかもしれないんですけど、
トロビアント諸島に住む民族がカヌー作るときにおまじないかけるのと、受験生が五角鉛筆で試験に臨むのは一緒だみたいな話をしてくれたのが磯野さんなんですけど。
それは何でかっていうと、受験生が五角鉛筆を最後に使うのは、受験免許を必死にして、最後もどうにもならないものに縋りたいと思って、何とかして手に入りたいんだって未来をコントロールしたい気持ちで五角鉛筆を持ちました。
それと、トロビアント諸島の民族がカヌーにおまじないをかけるのは、カヌーは普通に超うまく作れて全然成功なカヌーです。
だけどそれでも時々は事故に起きちゃう。何とかして事故を減らしたいんだという気持ちでおまじないをかける。
だからこの2つっていうのは同じですみたいなこととかを言ってくれて、伝わりますかね。
伝わっている。伝わっているし、確かこの本の中で感じた不思議さのうちの1個が、磯野真帆さんって結構あえてだと思うんですけど、
これとこれって同じだよねとか、これとこれって違うんだっていうことを、私みたいな人間からすると、
いやそれ同じじゃ別にねえんじゃねえかなみたいな時とか、やっぱりそれは違うと言い切れないよなみたいなところで、
結構踏み込んで同じだっていうことをあえて言ってみるっていうスタンスを強く取る方だなというふうに思っていて、
でもそれが1つ私なりの不思議さってこともあるし、逆にそれってなんか面白いなっていう観点に繋がる気がしていて、
なので三井さんが言っているお話も、そういう話、なるほどなるほどなっていう中身のお話と、
磯野真帆さんが言っているイメージがすごくこの本から感じたことと通定しているなっていうので、2つうんうんと聞いていました。
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そうですね。正しく想像せよみたいなメッセージは、とワークショップは結構通じているっていうか、
まさにのぞみさんが言っているみたいに、これとこれもしかしたら同じかもしれないよねとか、
これこう言われてるけどこうじゃないかもしれないよねみたいな、
なんかことを言っている姿っていうのはなんか共通しているかなって思いました。
本の中にはあんまりこう、何て言うんですか、学者さんって今回のコロナもそうだし、
例えばトンガの噴火とか見てもそうだけど、あんまり断言しないっていうのが一般的にある気がしていて、
こういう可能性がありますよねとか、こういう恐れがありますっていうスタンスで向き合うことが多いと思うんですよ。
それが科学的な態度だっていうのはなんか私もそうだよなって思うところがあるんですけど、
磯野真帆さんはこの本でいろんなもの、ファクトを参照しながらも、
あんまりこうかもしれないとかっていう形を取りあえず、あえて断言形をすごく強く使ってるなっていうのは感じたところでしたね。
磯野さんは内容の話じゃなくなっちゃってあれですけど。
そうですね、科学絶対主義みたいなものとかについては、
ただ今の時代がそういうふうに言ってるだけみたいなポジションはすごい感じますね。
科学が正しいとかって言ってるのも今はそういうことになってるだけみたいな。
人類学スタンスっぽいところではありますよね。
でもそういうふうに言い切ってくれるから、もしかしたらテレビとかにバンバン呼ばれて今売れてきてるのかもしれないし、
実際話してみるとすごいキャラクターがいいから、
多分受け入れやすいんですよ、磯野さんの言葉って多分。
すごいパワフルで、だからそういうとこがどんどん売れてきてる秘訣なんだなって今改めて思いました。
確かにね。
あえてスタンスを乗っ取って断言するのも悪意があってやってるとか、
磯野さんなりの間違った方向にガイドしようっていう断言じゃないじゃないですか。
これ食べればガンに治りますっていうのは多分全然タイプの違う断言の形なので、
なんかいやらしさというかね、そういう浅ましさみたいなことは全然もちろん当然ない素晴らしい方なので、
なんかいいんですよね。
いいですね。