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2024-03-31 39:42

「心によいこと」にどうやって歯止めをかけるか?【GMV 957】

そもそもどうして歯止めが必要なのか?
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おはようございます、グッドモーニングボイスです。
3月31日、ある意味大晦日みたいな感じの日曜日の朝、9時32分です。
先週ですね、何度も色々気をつけてるつもりだったんだけど、ポンポンスキップしてしまいましたね。
今日はフォローというのも変だけど、そのつもりで日曜の朝、こちらをお届けしようと思いました。
来週も引き続きあやふやな春休みなので、この時期はみんな春休みですけどね。
ちょっとどういう風になるかわからないんですけど、楽ではあっていいんですけどね。
そうそう、めちゃくちゃ暑くなりましたね。これはちっとも楽じゃないぐらい暑いんですけれども。
急ぎ衣替えをして、熱中症対策ってことになるのかな。
ここで撮るのも、例のところでもうずっと、ここ1年は全部ここで撮っておりますが、
たぶんね、ここで撮っても今までは寒さ対策で、目の前にまだ出しっぱなしのスポーツストーブがあるわけですが、
これをつけていたらたぶん、今日動けなくなるぐらい暑いんで、今日はすごいですよね。
この時期で半袖でも全然いけるって感じがし始めたので、こういうことばかり喋っていて、
10時までには終えなきゃならないから30分ちょっとしかないわけですが、30分もないんですが、急ぎ話を始めたいと。
とはいえ、4月7日、手帳セミナー、マスクシュート手帳の会をやりますので、
これはぜひぜひ来ていただけますと本当に大変嬉しいです。
これをある程度形にしないといかんなという感じは私はちょっと持っておりまして、
マスクシュート協会で私も一応3人の理事のうちの1人なわけですね。
大橋哲夫さんは優に及ばずで、創始者だから。
J松崎さんはもう実質稼働の中心者で、この社団法人、中核的存在で、
私はただくっついてるだけになっちゃってはいかんと思うわけですよ。
私は一番この手帳の会で私がやっぱり稼働しやすいというのがあると思うんですね。
Jさんはそもそも東京にいらっしゃらないし、やっぱり手帳の会なんで、
できればリアルにやっていく必要はあると思うんですよ。
なので東京に出てそこそこ動けて、他の活動をしてないとなると、
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どう考えても私だろうという感じで、これを私がやるというのは至って妥当な感じがするのでね。
ぜひこれはある程度は形にしたいと、ある程度以上形にしたいと、
なんならここから何か新しいことが始まるといいなぐらいに思っておりますので、
私自身はすごい手帳がんがん使えるというタイプではもちろんないんですが、
でもほぼ日手帳とか、古くは超整理手帳とか、
古くはフランクリンフランナーの一部とかを使って遊んでおりましたから、
全く使えないわけじゃないからですね。
あの漏れスキンが流行になった時も漏れスキン使ってみたり、ロディア使ってみたり、
ロディアは今でも時々は使うんですけどね、あのオレンジ色好きでね。
ただ私あの威嚇的貧乏なんで、メモ帳にブランド物に手出してる場合じゃないんでね。
やっぱりダイソーにお金をかけてもダイソーで、ほとんどの場合はチラ裏なんですよね。
チラシの裏紙を使うと。
まぁちょっと貧乏臭いんですけど、しょうがないというか、
ある程度性にあってもいるんですよね。
やっぱりちょっとね、ブランド物って僕は使い心地が良くなくて、
なんかしまいこんじゃうんですよね。
引き出しの服とかね。
これ母の影響とかなんですけども、
本当にこうね、しょうがないんですよこの辺はもうね。
品質の問題もあるんでね。
のわりにお前は贅沢な生活してるぞって言われるかもしれないですけど、
これも母の影響なんですよ。
よくわかるんですよね。
まぁまぁそれは良いとしましてですね。
そんなことで4月の27日、7日もあと来週の日曜ですからね。
よろしくお願いします。
これでも多くの方がいらっしゃると、
非常に私としてはラッキーだというところがあるし、
これが多分この回がうまくいけばですけど、
タスクシュート手帳というものの、
期限の一つになっていくことは確かだと思いますので、
そういう意味でもですね、ぜひよろしくお願いしたいと思います。
じゃあですね。
あ、5分。いいところだ。
今日は少し思うところがありまして、
思うところばっかりなんですけど、
思うところしかこの番組喋ってませんが、
思うところがありまして、
今日はちょっと話をしようと思ってるんですけど、
倫理って言葉があるじゃないですか。
モラルみたいなやつですよね。
私はどの医者問題っていうのかな。
問題は別に何もないし、
僕が考えることですらない気もするんだけど、
やっぱりこういう仕事をしておりますとですね、
私専門家の方も少なくとも片足ぐらいは突っ込んで、
違うな、専門家でもなんでもないから片足も何も突っ込んでないんだけど、
首だけはやたら突っ込んでるみたいな人間なんで、
専門的な心理療法というものが大事だというのは、
よくわかるんですよ。
だからよくそういうことがTwitterで流れてきたりすると、
あるいは先日のYahooニュースの話題も取り上げましたけど、
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考え始めるんですよ、何かをね。
ですが、とはいえですね、
例えば心の問題は独占にするべきだみたいな、
まあべきだって書いてなかったけど、
独占にするべきだって言っても全然リアリティを感じないんですね。
全く感じないんですよ。
なぜならそうはならないはずだから。
簡単ではないんですよね、この話。
どの医者だけ問題にするのは全くナンセンスで、
どの医者っていうのはこの、わからないですけどね、
本当に取ってみないとわかりませんけど、
この心の問題エングラフの中では多分ね、
本当に大したこともないパーセンテージなんですよ、
実数として見ればですね。
ここを、なんていうんだろう、
昔の社会と旧社会とがおっしゃってた、
構造改革で財政問題を切り抜けようみたいな、
土台それはおかしな話で、
借金がいっぱいあって収入が足りないときにですね、
支出の一部を削ったり、その構造を変えたぐらいではですね、
収支が釣り合うようにならないはずなんですよ。
なんでしょうかな、これはもっと簡単な話にしよう。
こんなめんどくさい話する必要は全然なかったですね。
今取り消しまして、
要は家計で節約しないとねって言って、
例えばそうだな、外食に行くの減らそうって言っても、
もともと外食にあんまり行ってなかったり、
たくさん金を使っているつもりでも、
全体のパーセンテージの中で1%ですみたいなところを削っても、
何にもならないじゃないですか。
何にもならなくはないけど、
非常に節約効果としては薄いですよね。
これと同じで、私はのの医者っていうのを問題視しても、
大して意味ないだろうなという感じしかしないわけですね。
つまりですね、心の問題を扱っているのは、
専門家を扱うっていうのは分かるんですけれども、
例えばですよ、占い師さんのところに行く、
この話はしょっちゅうしてますね、のの医者ですね。
占い師さんのところに行くっていう人に、
占い師というものがいなくなったからって言ってですね、
心の専門家のところに行くのは限らないんですね。
そして占い師ってのの医者と言えるかどうかも微妙なんで、
あれですからね、民間の謎資格とかって言われている心理カウンセラーと、
占い師さんは別物なんで明らかに、
その民間の心理療法家がいなくなっても、
占い師はいなくならないわけですね。
ヒーラーさんみたいなところも微妙じゃないですか。
それをご当人たちがどういうカテゴリーと位置づけているのかなんて、
他の人には分からないわけだから、
あなた心理療法やっちゃダメですって、
いや私ヒーラーやってるんで、心理療法はやってませんって言われれば、
それっきりのような気が私はするんですね。
ここからさらに話はややこしいところがあるわけですよ。
例えば、ちょっと前に話題になったから取り上げますが、
取り上げる必要は一瞬ですけどね、
ホストってどうするんだよっていうのが僕はあると思うんですね。
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いやあのイケメンのお兄さんとお酒飲んでることでしか、
私は癒されないって言ってる人たちに、
専門の心理療法を受けなさいみたいなことを言える権利のある人は、
私はいないと思うんですよね。
家族とかなら言えるかもしれないけど、
多分そういう風にはなりにくいと、
あるいはなりにくいというか、
僕はほぼそれは可能性としてはゼロに限りなく近いだろうなって感じするわけですね。
で、これものの医者が一掃されても、
それによってホストが消えるっていう理由には全くならないし、
し、動いてるお金はホストさんの方が多いぐらいじゃないかなと、
私はこれはあくまでも当て推量でしかなくて、
実際にはさっき言った通り統計取らなければわからない話ではあります。
ありますけれども、これもどうかと思うんですね。
で、これの反対側もありますよね。
ホストさんがある以上は、例えばレンタル彼女さんとかいるじゃないですか。
いやもう仕事毎日行くにはレンタル彼女、
彼女のために私は仕事やってんだよみたいな人っているわけですよね、現実に。
これものの医者と関係ないと言えばないんですよ。
それものの医者だっていうカテゴライズに、
知的に含めることはできてもですね、
学術的にはああいうのものの医者の一種ですとかっていうことはできるのかもしれないけれども、
社会事象としてはそうは捉えられていませんよね。
だからこれもなくならない。
で、これらは僕は全部心の問題の独占というテーマに
引っかかってくるはずだろうと思うんですね。
で、改めて考えてみたわけです、先日というか昨日あたり。
結局自分のような人間とホストって違いがどこにあるんだろうというと、
自分の中では違いますよ。
関わってくださってる人も違うと思っていただけるとありがたいけれども、
でも同じだよっていうふうに、
どちらかというと批判的な眼差しを向けられた場合、
違うと言い抜けられる根拠どこにあるんだろうと思うと、
僕は究極的にはどこにもないような気がするんですね。
で、これは謙虚だというような話とちょっと違うと思うんですよ。
喪失した頃のフロイトだってそう見られかねないなって感じがするんですね。
今でこそそういうふうに言うのはダメ、ナンセンスですけど、
喪失したばかりの頃の精神分析はのも医者じゃんって思うわけです。
国家公認じゃないしね。
国家公認じゃないなんて言い方をしてしまったら、
減少心理師って民間の資格だと私は思ってるんですけども、
確かそうだと思うんですけどね。
この辺はちょっと後ほどちゃんと調べないとあれですが、
確かあれは公認じゃない。
だから公認心理師というものの公認とはちょっと意味が違うんじゃないかと思うんですよね。
精神分析というのは少なくとも日本では国家公認ではないと思うし、
あれは非常に国際分析学会があるんだから、
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そういう意味ではきちんとしたもので、正式のもので、組織だったもので、
ということになると思うんですけど、
組織だっているかどうかを言い出してしまったらですね、
結構でかい組織ののの医者だと言われているものだって、
世の中にあるわけでして、
組織の大きさだけで比べて本当に大丈夫かっていうことはあると思うんですよね。
正式だ正式だって言ってるのを、
結局それは正式だっていうのは多分にコンセンサスなところがあると思うんですよ。
国家が認めていることが全てではないと思うんですよね。
そういうふうに考えてみると、
私なんかの場合、フロイドですらですね、
よく詰めてみるとですね、
のの医者呼ばわりされて根拠を示すのは非常に難しい部分がある。
現に彼が最後に亡命しなければならなかった頃の
ナチスドイツがユダヤ人の喪失した、
あの性が全てだみたいなことに誤解されやすい精神分析を
公認するはずないじゃないですか。
明らかに撲滅の対象に当時なったわけですよね結局ね。
それってのの医者よりも厳しい扱いをある意味受けているわけですよ。
だからこの種のことに業務上の独占を認めるということの
危険性っていうのはやっぱりあると思うので、
だから我が国はそれをしない状態にあると思うんですよね。
それは僕は賢明だと思うんですよ。
この問題は何と言ってもあんまり僕はこれも持ち出したくないんだけど、
私の家は寺だったんですよ。
宗教に最終的には入っていくんですね。
宗教は国家公認にするほどダメなことはないとされてるじゃないですか、
我が国ではね。
だって戦前のあの出来事があったから理想の反省に立って
性共分離っていうものが微妙なところもないわけじゃないんだけれども、
でも性共分離っていうのが一応ありますよね。
でも例えば宗教というのはですね、
まあこれはこういう言い方をするのをますます微妙になってくるんだけど、
ある種の保護を受けているわけですよ。
つまり直接何の支援も受けてませんけれども宗教は、
直接は一応そういうことになってますが、
日本国は特定の宗教を支援しないと、
それは絶対いいことだと思うんですけどね、私の意見では。
でもこれ無税ですからね、法人税ない。
これはすごい大きな大きな保護じゃないですか。
多分今実業で、つい最近もう確定申告の時期でしたけれども、
すごい大変な思いをされている方々からするとですね、
そもそも法人税ゼロってものすごい優遇されてるじゃんっていうことになるわけですよね。
これはまあ無縁であるっていうメッセージでもあるんですけれども、
つまり間接的ですよね、直接的ではないけれども、
結局は課税なしという形で保護はされているわけです。
ちなみに法人税ですからね、所得税は取られますから。
例えば坊主だって私人としての側面があるんで、
所得というものがあり、そこから税金は取られるんで、
坊主と税が無縁であるってことにはならないし、
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法人税ゼロなだけにですね、何らかの形で収益出してるんじゃないかみたいな、
突かれることはしょっちゅうあるわけですよね。
結構厳しいんですよ、税務署はね、寺に対して。
だから税理して必ずお寺さんにはついてますからね。
まあそれは余談ですけれど、余談やってるし時間が無いんだよ。
結局最終的にはですね、
これはこう言っても納得されると僕は思わないですし、
これに意味があるとすらあんまり思わないんですけど、
でも結局ここの境目っていうのは倫理的な話だなって思うんですよ。
すっごい極端な話をした場合、
イケメンのお兄さんが、
いやもうとにかくこの中から絞れるだけ絞ろうと、
イケメンのお兄さんって言ってるだけですよ。
職業言ってないですからね。
思っていたらこれは倫理的じゃないですよね。
だけれども個人の倫理にそこを任せて大丈夫なのかっていうと、
多分大丈夫じゃないですよね。
が、ある程度はそうせざるを得ないと思うんですよね。
結局ナノ医者さんにしてもですね、
それこそ精神分析にしても、
悪毒やろうと思えば結構なことがやれてしまうじゃないですか。
宗教ってのはさらにそういうもんですけれども、
うちも寺に住んでいたからその辺はもう分かる気はするんですよ。
子供心にもですね。
悪毒やろうと思えばそりゃ相当なことができますよね。
結構詰められますけどね、そういうことをやってると。
でも一時的には絶対やろうと思えばできます。
何でもそうだとは思うんですけれども。
ここで何を考えたくなるかというとですね、
結局一つには意図的な加害はしない。
これがもう最低限かもしれないんだけど、
こう歌ってるだけでもちょっと違うんじゃないかなっていう風に私は思います。
利用者側なんですよ、結局。
ある程度はその倫理的な観点ってやはり利用者側に必要で、
利用者側に必要なのは何かというと、
利用者が倫理的になろうって話じゃなくて、
利用している相手の倫理を守らせようっていう意識だと思うんですよね。
これができるぐらいならば、
そもそもカウンセリングとかいうものではなくなるかなって気もするんだけど、
でもやっぱこれしかある意味、
少なくともこれがある程度働くっていう必要性はあるんじゃないかなという。
だから第三者ってある意味いいんですよね。
第一者と第二者だけの存在だと、
カウンセリングそうなりやすいんだけど、
第一者と第二者だけの存在だと、
二者関係だと本当に利用者が守らせようとするのが石の山になってしまう。
第三者がそこにある程度にこの組織なりを存続させてあげたいなと思う第三者なりが、
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この組織に倫理を守らせようという、
少なくともやたらはみ出させるのはやめようみたいな、
大リーグの通訳さんみたいなんですよね。
だから第三者っていうのは多少開在できるっていうのが一つ大事だろうという感じが、
やっぱり世の中的に面白くもなんともない話なんですけどするんですね。
これって結局善意でやってるからといって、
いいことやってるとは限らないって話にだんだんなっていくじゃないですか。
わかんないじゃないですか。
この女の子にいいお酒をいっぱい飲ませて少々お金使わせるのが、
意外とこの子の幸せなんだよと思ってるかもしれないじゃないですか。
そんなことはわからないじゃないですか結局。
だからしょうがないんですよ。
ここを善意でやっているっていうのが第一者にできるある意味限界だと思うんですよね。
そうすると善意でやっているということが必ずしもいい結果を生まないわけだから、
生まない場合もあるわけだから、そこのところはどう考えるかというと、
結局一つは社会的な存在になるってことですね。
つまりそれをやっていいことになるのかもしれないが、
どう越してやると世の中と圧力を、だからめちゃくちゃお酒を飲んで、
めちゃくちゃお金を使ってってやると世の中と圧力を起こしますから、
圧力を起こしているかどうかを考えると、
圧力を起こしているかどうかを確認できる人がそこにいるといいよねっていう話なんですよ。
これを第二者に期待するのはまずもって不可能で、
第一者に期待するのもよっぽど自覚的な人であれば、
カウンセラーさんの話してるんですけどね、できるかもしれないんですけれども、
だいたい無理なシチュエーションって必ず発生するから、
だから私先日ね、言論という動画をずっと長い時間見ていて、
そうかなるほど、そういう話をずっとされてるんだなということが分かってきたんですね。
ようやく分かってきたんですよ。
歯止めなんですよね。
構造と呼ばれているものは、もちろん構造と呼ばれているものには歯止めだけではないんだけど、
歯止めという意味があると思うんですよ。
例えばあの長い動画には時間的な歯止めはなかったから長くなったわけですよね。
それこそお酒飲む時間に関して言うと、時間で切るってことができるじゃないですか。
つまり時間は絶対第三者として機能しますよね。
だからもう5時間経ったから帰りましょうみたいな話ですよ。
だってほらパチンコ屋さんとかもそうじゃないですか、閉まるじゃないですか。
それが24時間になってしまうと、ますますリスクがでかくなっていきますよね。
つまり歯止めになるんですよ。
3点でお金と時間を使うということを検討すればですね。
特に利用、結局利用者側さんがってことに対象になってしまうんだけど、
利用者側さんがお金と時間についてのところを念頭に置くって感じかな。
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それが喉医者さんを、僕は絶対喉医者さんを利用するっていうのは避けがたいと思っているんで、
こういう言い方になります。
専門家さんはそっちが結局担保されてるんですよ最初からね。
ある意味1時間以上やりたくないみたいなのですらも、
例えば1時間なら1時間しかやりたくないですっていうのですらも
倫的なものとして機能するんで、
ここがやっぱり構造に守られているっていう意味なんでしょうね。
目的をはっきりさせる点でもいいと思うんですよ確かに。
あらゆる悩みについて聞くんじゃなくて、
例えば先送りなら先送りについてだけにします。
そうすると例えばハワハラみたいな問題がある意味発生しにくくなりますよね。
セクハラみたいな問題もある意味発生しにくくなる。
でもやっぱり結局影響者側は特に喉医者さんの場合はですね、
働く気満々だったりするとますますなんだけど、
俺いくらでも働いちゃうからみたいになると時間的な歯止めがかからなくなりますよね。
そうするとお金的な歯止めもかかりにくくなるわけですよ。
だからある程度この人信頼できるんだな、この辺は感覚ですよね。
しょうがないんですよ。
それが合ってるかどうかっていうよりもある程度感覚なんですよね。
ということがわかる前の段階であれば、
喉医者さんっていうものを利用するにあたって、
やっぱりあさせからいくっていうのが大事だと。
前と似たような結論なんですけど、
それ本当にあるんじゃないかと思います。
金額的に少ないところ。
それはすなわち時間的に短くなるはずなんですよ。
なぜなら喉医者さんは組織に多くの場合守られていないために、
長く安くやればやるほど自分の首が締まっていくので、
だから多分そういうことはほとんどの場合行われないはずなんですね。
たまにそうでもないような人もいなくもないんだけど、
でもそれはある意味良心的とも言えなくはないじゃないですか。
つまり60分は6000円だったんだけど、
100分だったら10万円ですとかいうのは微妙に変じゃないですか。
そういうところで、この人は大好きだからそれでもいいみたいにならないようにするためには、
やっぱりあさせからいくっていうのが正解かなっていう感じがするんですよね。
つまり喉医者さんの効果っていうのは、
私はある意味アイドルの効果に近い部分って絶対あると思うんですよね。
それだけじゃないですよ。
これは私は一応世の喉医者さんの少ないかな、
一部の人たちと縁があるからそういうふうに思うんだけれども、
プラシーボ効果だけじゃないと思うんですけど、
でもとにかくアイドルとの握手会とかあるじゃないですか、
押し勝ちとか僕全然わかんないですけどね。
でもああいうものが心の癒しになるってことは絶対あると思うんですよ。
ここでも何が歯止めになるかというと、やっぱりお金だと思うんですよね。
お金が、全然お金をいくらかけてもいいんだみたいな、だからやっぱりそうなんですよね。
そうなってくるとだんだん歯止めが効かなくなっていって、
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だんだん心のメンタルを癒す方向に向かっちゃうじゃないですか。
両輪かけるのがいいと思うんですよ。
もう一つは同じことなんだけど、
お金と時間に歯止めを持つということは、つまり両輪かけるってことなんですよ。
自分の心の癒しだけを目的にしないってことなんです。
ここもそれじゃカウンセリングにならないじゃんみたいになりがちだと思うので難しいと思うんですが、
でも僕は最近そういうことなのかなと思うようになったんですよね。
なぜ仕事術というのは、これは偏見ですよ、偏見ですが、
なぜ僕は仕事術というのは、まだしもややスピリチュアル系が強すぎるというか、
圧倒的に強いのの医者さんよりは安心感がある感じがするかというとですね、
僕はそうする、そういう感じがするんですね。
自分が提供しているという偏見がありますが、そこはもう逃れようがないからそうですけども、
例えばタスクシュートですって言うと何か安心な感じがするのは、
つまりこれがメンタルマッシグラ、100%メンタルですではないからと思うんですよね。
アイドルの仕方っていうのは、やっぱ目的がアイドルの仕方にあった方がいいじゃないですか。
いやこれは俺のメンタルを癒すために全部やってるんだっていうことになってくると、
何か不健全なものが強くなっている気がするんですよね。
だからいわゆるののお医者さん系でひたすらメンタルに向かっている場合は、
ある程度注意が必要だと思うんですけど、
そういえばやっぱりお金と時間が第三者として機能するというふうに私も思うんですが、
それだって自分で歯止めかけないわけにいかないですからね。
でも自分で歯止めをかけることが、こういうことを言ってもしょうがないかなと思うんですけど、
自分が歯止めをかけることによって相手を守るんですよ。
つまり自己啓発なりフィーリングなりを提供している人が、
社会的に存続しやすいという形を維持してくれるんですね。
ここが歯止めがなくなって、
いやもう有金全部払うからみたいになっていくと、
相手が壊れていくっていうことがおそらくあるんですよね。
おそらくあるというかほぼ確実にあると思うんですよ。
逆転位が非常にまずい方向で働いたりもするでしょうし、
そうして乗っ引きならない状態、状況というものが生まれてくると思うんですね。
だからこっちで歯止めをかけることができるし、
もう一つは目的を別に持つってことなんですね。
ずっとこの番組でもお伝えしていて、
私もようやく納得がいき始めたんですけど、
なぜ我々が飲み会に理由を必要とするのかの理由はこれだなと思ったんですよ。
なんか理由いるじゃないですか。
新橋でもプロジェクトの打ち上げがあったから今日は飲もうみたいな。
つまりただ飲むため、ただ遊ぶために人はなかなか集まれないんですね。
私ずっとこのことを考えてたんです。
27:00
2005年あたりからこっち、2010年ぐらいかな特にね。
東京ライファー研究会という会でね、
すごい楽しそうにみんな飲んでるわけですよ。
Evernoteがどうしたとか、タスク集とかこうしたとか、GTGがどうだとか言ってですね。
なんか一生懸命食べたり飲んだりしているわけですよね。
あれは僕はなんでここにトラケンという理由づけがいるんだっていらないじゃん。
この人たちは好きに集まって楽しくカラオケとか行ったらいいじゃないって思ってたんですよ。
ないないし。
でもそうじゃないんですよね。
そうすると歯止めが効かなくなっちゃうんですよ。
みんな家庭もあって、お金も無限に使えるわけじゃないですよね。
だから理由が必要な方がいいんだなっていうことが、
ようやく大筋画展がいったわけですね。
これがアンセリングでは一つ消滅するんですよ。
私は心の問題でここに来てますっていう立て付けで来ちゃうってことになるので、
だからこそ時間とお金っていう規定がすごく、そして倫理規定がああもうるさくなってる。
そうしないと私先生が好きだからここに来てますになってしまうでしょう。
いずれ必ず。
そういうことは起こりますよね。
そしてそれがどこまでも進んでいくと、
つまりひたすら一時なるシズムへの没頭への道がここに開かれてしまうんで、
しかもそうすることによって、
一人のパトロンさえいればその人食えるっていうことになると、
真理やってる人だって告知しないで済むし、PRしないで済むし、楽じゃないですか。
これがやっぱりまずいんでしょうね。
これを精神分析的な表現をとる。
どっちかちょっとかわい早男さんがよくとったかな。
近親相関的対抗みたいな言い方をするんですよね。
でもまあそんなエグい言葉を使わなくても、
なんとこれまずいわっていうのはわかりますよね。
で、たとえ提供者側が、
いやこれ提供者側としてはきついから、
この人にずっといてずっとお金もらうのはあんまり嫌だなみたいになると、
今度はストーカーっぽくなる形をとるじゃないですか。
これがアイドルの人の大変さだと思うんですよね。
めちゃくちゃ太いお客さんが、
すごく自分に良くしてくれるのは良いんだけど、
ちょっと困るなみたいなのって、
こういうところから生まれてくるんだと思うんですけど、
これはやっぱり当然ですよね。
その人にしてみると、心の癒しのために全部やってるってことになってくると、
目的が他に何もないわけだった。
これはついでに来てやってることじゃなくなっちゃうんです。
本当はついでにやるのが多分賢明なんですよ。
握手をしてついでに、
明日会社に行く気持ちを整えるとか、
活力にするとか言うんだったら、
話として非常に通りやすいと思うんですよね。
ここを逆転するとしばしばするんだけど、
どうしても微妙な感じになっていく。
でも逆転するぐらいだったら良いと思いますよ。
それが9割から10割を占め始めるみたいな、
お仕活をすること自体はどうでもよくなっているみたいな感じに、
本人はそういう意識がしかもおそらくないんでしょうから、
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なってくると話が一気にややこしくなる。
だけれども、私はこれ心理カウンセリングの話してるんですけどね。
アイドルの話っていうのは、
僕は全て漫画で得た知識のレベルを全く超えないので、
実際は全然違うものであっても不思議はないと思います。
これは僕はあくまでも心理的な話、心理カウンセリングの話なんですよ。
だって心理カウンセラーの人を心の底から頼りにするってのは、
別に全然不思議なことでもなんでもないじゃないですか。
他に目的ないわけですからね。
握手にしに行ってるわけじゃないわけですから。
押してるわけじゃないですよね。
この臨床心理師さんは素晴らしい人だから、
今ちょっと不具合だけで私が押してあげようっていう、
そういうんじゃないですよね。
これはこれですごいおかしいと思うんですよ。
目的からすると。
だから他に目的を持つか、倫理規定で縛るか、
第三者的な構造。
この3つは多分セットになるというのが一番理想的なんですけども、
セットになるといいと思うんですよ。
目的をぶらさないように誰かがする。
この場合心理カウンセリングの場合は、
心理がまっすぐ目的になってるから、
ある種の難しさがあるってことですね。
倫理規定が厳しくなるし、時間とお金も厳しくなる。
ないならば違う理由がやっぱり、
たとえそれが揺らいそうなことだって、
ここに来てるのは占いのためなんですってのはいいと思うんです。
なんかいい感じがするじゃないですか。
私は占い師のこの人に触れたくて来てるんじゃなくて、
占いに来てるんだっていうのがはっきりしている方が、
おそらくお互い安心だと思うんですよ。
でもそうじゃならなくなっていくということは、
普通にいくらでもあるので、その時に占いの世界に果たして
倫理規定がどのくらいあるかっていうと、
やっぱりこれは心の問題になっちゃうんですよね。
利用者と提供者がそこを意識する。
たぶん占いする前にこの占いの結果以下って、
どのような結果になっても、
当方はそれに責任を負いませんとか、
反抗を押すとか署名するとかそんなことはしないと思うんですよ。
占いの結果が外れても全額返金いたしますとか書かないと思うんですよね。
倫理ってそういうことですよね、結局ね。
なぜあれをやるのかというと、
他の目的がないからかと思うんですよね。
メンタルのためだけに来てるから。
宗教って本当にそこが微妙なんですよ。
絶対ああいうことはやらないにもかかわらず、
宗教って一体何のためにやってるんだっていうのが、
全然わからない部分があるわけですね。
でもなんか精神分析の始まりとある意味似てるオープンエンドだし、
どうすれば良くなるのかっていうことを規定しないし、
そして宗教と精神分析で圧倒的に違うのは、
宗教はいくら払うってことは決まってない。
お金払わなくてもいい。
だからものすごく大金払うってことも当然起こりますよね。
そういう意味でもお仕活的なところと似てくるわけですよ。
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でもあれは本当に場を私が維持するためだっていう言い方もできちゃうんですよ。
つまり何でもありなんですよね。
何でもありだから、宗教って倫理そのものみたいなもんですけれども、
倫理規定が非常に厳しくないと、
当事者の間の倫理が強く働かないと、
めちゃくちゃデンジャラスになってしまうということですね。
そういうことなんだなということを、
私はここ数日奇妙にいっぱい入れられてですね、
ちょっとそっちに偏ってんだろうなって思うんですけれども、
それを加味しながらまたやっていければいいんじゃないかなと、
自分の3ヶ月チャレンジのものですね、思ってるわけです。
この3ヶ月チャレンジっていうのも結局そうなんですよ。
今のところは規模を小さくしているし、
やっぱりお金と時間で縛ってるから、
そこで多分歯止めがかかるようになっているんですよね。
やっぱり目的があとはもう一つなんだろうなと。
目的をあんまり強く持つと、
結局メンタル面の話をテーマの中心に持ちたいわけだから、
私としてもおそらく参加されている方としてもですね。
そこはあまりに目的を強く持つっていうのは良くないと思うんですけれども、
でもやっぱり目的を一つ置いておくっていうのが必要なんだろうなと。
タスクシュートをやるでもいいんですけど、
タスクシュートっていうのは逆に目的としては強すぎるんですよね。
だって挫折するツールみたいに言われるじゃないですか。
あれ全然誤解だと思うんだけど、
タスクシュートを、私も理事やってるわけだから、
含めるのは全然いいと思うし、含めて広めていくっていうのも、
むしろやっていくべきだと思うんですけど、
タスクシュートだけ置いちゃうと、
あまりにもタスクシュートが勝ちすぎる感じがするんですよ。
メンタルが置き去りになるみたいなね。
別にそういうもんではないんだけれども、
やっぱり何かを設定するってそういうことなんですよね。
だから先送りあたりが前に出てきているんだろうなっていう感じもするし、
もうちょっと目的を交代させてもいいのかもしれないなっていうのもあるんだけど、
無しにしちゃダメだなって感じがするんですよね。
佐々木のメンタルクリニックみたいな、
そういう名前は絶対しませんけど、
行政指導とか入れられそうですからね。
そうはしませんけれども、
つまりメンタル全面に一番最初に置いて、
それしかありませんっていう形は、
一時僕は何でそれじゃダメなんだろうな、
何かそれじゃダメな気がするんだけど、
資格がないからなのかなと思ったんだけど、
資格だけの問題じゃないなと思った。
資格っていうのはもちろん、
話に中心に持ってきませんですけど、
資格っていうのがもちろん一番重要ですよ、
ある意味では。
歯止めという話ですよ、これは。
心理カウンセリングにおいて、
やっぱ資格っていうのは大事なんですよ。
民間の謎資格だろうとなんだろうと、
36:00
資格っていうのは大事なんですよ。
なぜならそれは、
組織が入ってくるので、
組織というものを維持するっていう、
やっぱりそういうコミットするじゃないですか。
そのためには組織が社会からパージされるようなことは、
なるべくしたくなくなるじゃないですか。
それが倫理ってことに、
この場合やっぱりなるわけですよね。
この人から絞り取れるだけ絞り取ろうみたいな、
ちょっとお酒飲ませた方がいいから、
お酒も飲ませようみたいな、
なのは心理カウンセリングでは、
ちょっとありえないじゃないですか。
でもこの辺だってあれなんですよね。
本当にあれなんですよ。
だってフロイトって、
患者さんと食事共にしたりしてるんですよ。
そういう記録まであるんですよね。
その時ヨーロッパのことだから、
僕は酒が入ってないとは思わないですよ。
わかんないですよ、もちろんね。
見たわけじゃないんだから。
でも別に酒が入ってても、
ワインとか飲んでても、
不思議はないよなと。
一体そうなってくると、
その場合にそれはどこへ行くんだっていうのは、
やっぱありますよね。
あると思うんですよ。
だからそういうことを今は絶対しないと思うんですよね。
心理カウンセリングに行って、
ちょっと帰り一緒に食事しようかみたいにならないと思うんですよ。
これが同性ならまだしも、
フロイトの場合同性だったけど、
俺だってわかんないですからね。
同性だからいいという話には決してならないと思うし、
まして異性だとか、年齢差あるとかなってくると、
そこに最近流行りのですね、
原力構造みたいな話にもなってくると思うんですよ。
そういう意味では、
対面であることが非常にいいっていうのも、
分かるんですけど、
一方でオンラインであるからいいっていう面も、
あるんじゃないかなっていうのを、
最近少し考えるようになったんですね。
オンラインであれば、
直接触るだの密接でっていうことは、
消滅してしまうので、
だから良くないんでしょうけれども、
だからいいってことも、
結局のところ、
野の医者的な話で言えば、
アリなんじゃないかなって感じがしてきております。
逆に言うと、
オンラインで飲み会やっても面白くもなんともない。
これも偏見かもしれない。
今の若い人とかZ世代の人はそうではないのかもしれないけど、
私は飲み会というものをオンラインで、
めいめいのテーブルにね、
PRのビールとか僕も置いて飲んでたりするんだけど、
これ面白くもなんと、
なんでなんだろうと思うんだけど、
実際には面白いと言いがたいわけですね。
多分僕はこれはですね、
やっぱり、
なんて言うんだろうな。
そこには空間の共有をする意味ってのが、
必要だからなんだと思うんです。
やっぱりアイドルの握手会とかも、
僕も本当に知らないのに、
動画で見ただけの知識で言うんですけど、
空間を共有してるじゃないですか。
オンラインでやってもダメだと思うんですよね。
その感覚が再現される、
特殊なVRを使いましたとかでも、
それだとどうなのかな、
微妙にいいような気もしてきたんだけど、
ダメなんじゃないかなって感じはしなくはないですね。
つまり、
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環境としての母親とか、
そういう話になってくるのかなと思うんですよね。
移行空間とかですね。
そういうことなのかなと思うんですけれども、
何にしても、
推し的な感覚っていうものがやっぱり、
そこにはある程度は必要で、
それは、
多分オンラインでは実現しにくいものなんでしょうね。
だからこそでも安全っていう、
安全っていうのは何も生み出さない、
ということでもあると思うんですけれども、
話が一周して、
だから手帳の場合はリアルだってことになるのかな。
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