対談と読書会のお知らせ
おはようございます、グッドモーニングボイスです。
6月2日の金曜日ですね。
7時40分です。
もう7時50分だった気がするので、なんかもう24時間ぶりにこれを撮るみたいな感じになって、
これが一番いいっていう考え方が昔タスクシュートにはあったんですよね、私の中でも。
別にそういう決まりはないんですけどね。
あとから追加しちゃうんですよね、そういうものって。
大変雨が強くてですね。
庭の、まあ心配してももはやしょうがないんだけど、ミニトマトを心配しているところです。
雨が強い分には結構なんだけど、風がこれに加わってくると結構もう厳しいかなみたいなのがあります。
まだ背高くなってないんで、何とかいけるんじゃないかと思ってるんですが、
例のあれですよ、支柱立てて縛っておいてですね。
縛るって言ってもそんなにきつく縛るわけじゃないんだけど、
何とかこう、倒れた時に柿が折れるともうアウトなんで、その辺なんですよね。
6月に入りましたので、対談ですね。おかげさまで先月はまあまあ好評いただきまして、
対談を引き続きやっていこうと思っています。
60分対話ってやつですね。
6月30日を日付にしてあるんですけど、別にそれは6月30日にやろうねって話ではなくて、
今月中に申し込んでいただければ、基本今月中のどこかで1回60分の対話をさせていただくといったサービスになっています。
これと、これをですね、もっと私としては集中的に3ヶ月で、
1回だけで効果を発揮するって本当になかなか難しいんですよ。
お互い初対面となると特にですね。
それなりの意味はあったようにできてるかなとも思ってるんですけど、
やっぱり1回でって本当に大変難しいので、できればこの3ヶ月をやっていただけるとすごくありがたい。
これは週に1回やりますんで、ここではですね、ご参加いただいた方には何らかの意義が得られているものと私は信じているんだけど、
この3ヶ月チャレンジというのはですね、1回あたりの対話が9900円なんですね。
3ヶ月チャレンジは次回いくらにしようか、確実じゃないけど6万円だとすると、
6回分じゃないですか、対話だけで言えば。
実際には12回は絶対やるから、半額以下ぐらいな感じなんですよ、私の感じでは。
それに作業タイムと読書会を無料でセットでお付けしているので、3ヶ月で。
多分これは金額的にはそんなに参加いただいて損にはならないと。
あとコミュニティがあります。
このコミュニティに心理的な抵抗を感じられる方もいらっしゃると思うんですけど、
特にそういう方にとってほど私は効果が大きいはずだと思ってるんです。
必ずしも積極的にコミュニティで何かして焚き火するとかキャンプするとかは一切ないんで、
オンラインですし、基本的に人の投稿を眺めるというだけでも十分意味はあると思うので、
このコミュニティと3ヶ月チャレンジのコミュニティに参加いただくというのは是非ご検討いただきたいと。
私の中では一番今ですね、一番二番は全然ないんですが、
でも私の一つのライフワークはこれだと信じてやっております。
でも参加者さんいらっしゃらなくなるとライフワークが何であろうと消滅してしまうだろう得もせんから、
コミュニティなんで、参加者1名っていうのでも僕としてはちょっと微妙に無理だろうって感じはあるんですよね。
それだとセッションが永遠続く1対1のサービスになってしまうので、できればコミュニティでやっていきたいなと思っています。
これを6月になって一応刷新して、対話はですね、
もしオンラインじゃなくてリアルがいいという方がいらっしゃったら私がそこに行きます。
ただ、交通費はいただくことにその場になるのでそこはご了承ください。
私、青州に住んでおりますから神奈川県の一番西の端なんで、千葉とかだと結構かかるんですよ。
往復の電車賃が。電車で行きますから多分一番安くなると思うんですけどね。
もし対談と対話をリアルでやりたいという方がいらっしゃったらそこに行きますけど、
9,900円プラス交通費と、9,000円プラス税プラス交通費なんですね、往復の。
そんな感じでさせていただきます。
あとですね、もう2つほどお知らせがあって、1つは6月17日だったと思う土曜日に読書会やります。
これはそのコミュニティ3ヶ月チャレンジの方は無料でご参加いただけるので、
そうでない方は3,300円でご参加いただけます。
本と精神分析的な視点
読書会っていうのはですね、みんなで本読むっていうのではなくて、私が本を紹介します。
それをですね、カウンセリング的な、言ってしまえば精神分析的な観点から読んでいこうと。
私は世の中には精神分析的な観点で読むと非常に分かりやすくなる本っていうのがたくさんあります。
その観点で読むっていう視点そのものを知らないと、そういう風に入ってこないんで、
それはそれでもいいんだけど、全然読書なんて好きなように読めばいいんですけれども、
知ってるとそういう風に読めると、その視点で読むと非常に読書の幅が広がるっていうんですか、
ああいうそういう風な視点で読むことができます。
例えばどういう本があるのかというと、私はよくここでは紹介している新井ピロヨさんのですね、
美大に行けたらもっと幸せになれたのかな、みたいなタイトル。
いわゆる自伝的エッセイがあるんですけど、
自伝的エッセイというのは、自分の本を読むことで、
自分の本を読むことで、自分の本を読むことで、自分の本を読むことで、自分の本を読むことで、
青神分析なんですよ、あれはのもはや。
雄心分析ではないんだけど、青心分析を知ってる人が読むと、
これは青心分析だよなと感じが、もう本当に落ち着いているのかな、みたいなタイトル。
ちょっとその反応が面白いのかなというのもね、
中にはその展開可能として、
なーって感じがえっともう本当になんて言うんですかね 1ページごとに現れるレベルで精神分析的なんですね
非常にそういうところがありますまあ彼女は古典的には多分ヒステリーって言われる とは思うんですよね
あのヒステリックに怒り出すってわけじゃないです彼女はそう怒り出しもするんだ けどそういうことでは全くなく
青神分析とヒステリーの例
例えばの男性との関係で次から次へと男性に声をかけるんだけど一つたりともいい 関係に発展させないとその遥か手前の段階で8パッと振り捨てるという
これこういう展開になって苦しんでる男の人中の実際世の中にワンサがいるん じゃないかと思うんだけれども
全然そういう意識はないんですよでもこれをやるということはまず間違いなく 昔お父さんと問題があったんだろうな
知ってる人なら絶対そういうふうに読むはずで実際そういう お父さんに性的に近い虐待を日常的に受けてた話で後から出てくるんだけど
ご本人だってそのことがどう関係してるかなってあんまり意識してないそこをどうやって 意識していくかみたいな時に自分の心の中の対象というものとどういうストーリーを
組み上げてるかって話がですね 延々出てくるんですよ
あれは完全に対象関係論の話になっちゃってるんですよね 規制としてってやつですね
全然ちょっと違うジャンルで言うと村上春樹さんのこの番組でも一度紹介したことあるんです けど
ねじ巻きどり黒に来る最近の本でも最新作でもそうなんだけどあの方は意識されて ますけど明らかに意識してこの話投入しているし
昔で言うとですね三島英京さんの 14歳になるとこう刑法で引っかかるから13歳までにすごい悪いことしようみたいな
よくわからない午後の栄光っていう短編があるんですけどね あれももう完全に精神分析の世界の話ですし
あのその少年が 技風ですよね新しくできたお父さんをに殺意だったんですけどその前に
お母さんとのセックスを覗き見るっていう非常にプロイド的なんですよ これも絶対三島英京だから意識はしてると思うんだけど
あと大江の大江健三郎の初期の作品にも頻繁に出てきますこの種のモチーフは 性的人間とか思いっきりそういう感じがしますよ
その辺の話も全部紹介するわけじゃないんだけど いくらでもあると言っていいぐらいですこれらを分析的観点を取らずに読むとですね
どうなるんだろうっていうぐらい分析的な話になっちゃってるんですよねだってその 三島の午後の栄光なんてこれエリプスという観点から見なかったらどういう風に
この物語を楽しめばいいのか僕なんかむしろ さっぱりわからんってことになっちゃうと思うんですよ
めっちゃ面白くもなんともないじゃないですか えっとなんて言うんですかね義父義理のお父さんが急にお母さんが再婚することになり
ました なんかこう船乗りでなんかこうイケてる感じのお父さんがイケてる感じでこう自分の中
ところに入ってきてめちゃくちゃこう腹が立つからまあ殺したくなるという感じで そのお父さんと自分のお母さんとのこう
えっと寝室を覗き見ている少年っていうのは非常にめちゃくちゃエリプスでまぁ こんなものは何にも知らなくったってそういう気持ちで読むことになるとは思うん
ですけど私こういうですね 昔あのこれは高校かなぁ
推薦図書になっていて言ってこれを推薦する学校の先生って何を考えてるんだろう なとつくつく僕は思ったんですよね
何を子供にさせたいんだろうっていうかそんな感じがするしたものなんですけれども まあ僕はそういうのを
を読んでは熱に浮かされたような気分になってですね あの
読書の好みと子供に本を進めることについて
なんちゅんですかねこうなんとも言えない 何とも言えない心理状態というものを
を抱え込んでいた気がしますね高校時代といったもの 三島行きは特にそうでしたね何を読んでもこうなんとも言えない
あの昔ですねあれも三島だったのかな三島じゃないな えっと青べか物語あれも
なんちゅんだか高山俊五郎ですね山俊五郎はそこまでその深刻ではなかったんです けれどもでもやっぱりあれも相当
気持ちのしなんていうかね気持ちの高 あの
うまいことを言えないんですけれども ファンの記事ってあるじゃないですかファンの記事ってこうこねて発行させると熱を持って
ああいう微妙な熱をですねこうしかも感覚的には気持ちの良い熱じゃない熱をですね あの
心と頭に持たされたような毒互換というとそんな感じですよ 僕はの本読んで8風邪ひいちゃうことっていうのがしばしばあったんですよね
あくたがあの地獄編の時は酷かったんですけどあの時はをそのまま僕は 幼齢菌感染症になっちゃったんですけど
だからそれは地獄編のせいでなったわけじゃないと思うんだけど あのもう高熱があったんですよね微熱とかでは済まないんですよ
あん時は40度一部ぐらいまで熱が上がって周りはちょっと病気が重かったんで あのよくなかったんですけどそういうふうに僕は読書によって発熱するという
しかもなんかこうほとんど読書によって10秒にかかるみたいなそういうところがあったんで 基本的には読書というものを人に進める気はしないし
好きだとも言いがたいんですよね熱に浮かされるって表現がある 朝にあれがぴったりで私はよかなりこう
娘がですね本なんかいいの面白いのないとか言われてなんかまた来たわーみたいに思って ですね
えっとしょうがなくこう非常に あの当たり障りのなさそうなでもまあ一応面白そうなのを進めるという事を繰り返して
いるんですけどやっぱあんまですねえっとこれと同じ目に人を合わせたいとはあんまり 僕は思わないんですよねどうせそういうのって
えっと読みたくなったら読んじゃうもんなんでえっとそれまで 自分そんなものは自分でぶつかってくれみたいな事故みたいなところがちょっとあると思うん
でえっと大人になってしまえばねあなんとってことはないですけどね本当に所詮物語だ なって感じしかしないんだけどやっぱり行こう
頭だけが回って子供が読むって話がちょっと違うなっていう風に自分を思ってあんまり こう子供に本を進めるってやなんですよ
えっと私だからあんまり極力避けるようにしてるみたいなところがあったりします これは別に子育て論とかじゃないんですよ
オンラインセミナーの告知
自分の経験的なところから来ている話なんですね でまぁ読書会をそんな中でやるのは矛盾してるかもしれないですけど別にこれは子供集めて
いるわけじゃないかね大人の方なんで全然問題ないだろう ことで読書会を6月17日にやります
でもう一つ7月1日にこれはタスクシュートのセミナーオンラインでねこれはもう オンラインオンリーです
リアルではさっきの読書会はリアルでもオンラインでもやりますハイブリッドであります でもあの7月1日のタスクシュートのセミナーはこれもオンラインオンリーです
でこれは久しぶりに動画も撮って8配布しますので事前に 少なくとも7月1日までにえっとお申し込みいただいた方は
セミナーの参加もできるし動画の配信もさせていただきます 3300円ですこれ3000プラス税ですねえっと
7月2日以降になってその動画だけを販売するかどうかはまだ決めてないです ただその場合も値段は買えないつもりなのでえっと
事前にお申し込みいただいた方が損することはないということですね えっとオンラインで参加いただいてもいいし
えっと質疑応答部分はカットしますけど レクチャー部分に関しましては動画配信させてもらうとそういったことになります
よろしくお願いしますでも15分経っちゃったんで えっといい加減本題に入ろうと思ったんですけど昨日のちょっと聞き直したら
やだら作種って言葉でできてるなぁと思って聞いていたらですね不意に あるだいぶだいぶ昔の出来事をセミナーチューニングの話でまだそのグッド
バイブスを知る遥か以前でタスク タスクシュートしか僕は意識に登ってなかったエバーのねえっと
まあその仕事ではってことですよ 精神分析とかもまあその知ってはいましたよもちろんあの
フロイトも読んでたんだけど人隠しに隠していたという時代ですね 最近読み直してなんかびっくりしているという不思議な現象ですよねこれもね
読み直してなぜびっくりするんだろうって思いますよね でも前と読んだ時と全く違うことがそこに書かれているなんてことは当然ないわけ
なんですが全く違って読めるということは実際起きますこういうことはよく起きるんだ けど
体験すると何度体験してもすごい不思議だなぁって感じはしますね で
スクシュって言葉ですね私頭の中では実際英語なんですよ でその英語をいちいちしゃべんないですけどなんで英語かというと日本語では使うって言葉がある
ですか あれを人に適用するとスクシュみたいな意味になっちゃうんですよね
ユーティライズこれは英語言っちゃってますがなんでかっていうとこれはウィニコットが 使った言葉なんですよ
でユニコットは絶対あそこにサクシュの意味は込めなかったと思うんですね ユーティライズは多分
えっと サクシュという意味はないと思うんですよ
だけど我々日本人が人を使うって言うとなんかね サクシュみたいな意味が張ってきちゃうんですよね
なんとなくユニコットが言ってるのってほとんど心理的な部分の世界なんで例えば 昨日私
えっと昨日も負けちゃったんですけどロッテ巨人をこうずーっと見てたわけですよ ずーっと見てたんですねであの角中という選手が
えっともうちょっとでは事実上あれは秋広だったっけ 秋広選手の代引きを取った瞬間があってこの時私はあの
フェンスフェンスをユーティライズしてたんですよ フェンスへの意味付けも強烈なわけですよ
フェンスの向こうに行くか行かないかがすべてじゃないですか あの段階でまあ昨日どうせ負けたんだけど
オムライン入ってればもう負けてるんで完全に3回で5対0ぐらいになっちゃうんで あの
で取ったんですよ この時フェンスってものが私の中で大きな意味を持つ
これは僕は思うにユーティライズなんですよ フェンスというものを使って
えっと私は自分の主観というものを言う意味のある形に構築し直していたんですよ 急速にですねそんな意識はないんだけど
えっとそういうふうにそれでまあロッテファンみんな喜びますよね それと何か一体化に
なんですね一つになった感じみたいなのを抱くわけですよ テレビのこっち側にいる
これが僕が思うウィニコットが言う えっと一人になる能力なんですね
えっと 人と一緒に一人になるんですよ
こういうことをえっと 例えばママゴトのセットを使って子供は
えっとお母さんと一緒に遊ぶんですよ ここにお母さんがいなくてもですね
これが非常にミソなんですよ こういうふうにして我々は人を使うんですよ
そこに作手感はないんですよね でこの話いろいろ喋っているんだけど
えっと僕は昨日ですねその自分がそういう言葉を何度か使っていて えっと
この作手って言葉もそうなんだけど 世の中で一般に長寿がの話を昨日散々し
ましてねストレスというのは外から来るものなのかどうかみたいなことをいろいろ 検討してたわけですが
えっと作手っていうのも外からは来ないんじゃないかなって えっと思ってるわけですよ
作手というのは主観で決まるように思うんですね えっと
嫉妬と煽謗
ドイタケオさんが言ったところ邪魔って言葉と同じなんです 作手っていうのは
人はですねこれを多分主観で決まるというと変に思われると思うんですよ 一般的にはそれは客観的に決まるもんだろうと思うんだろうけど
客観的に作手されたかどうかが決するかなぁって思うんですよ どうしてもえっと
いくら以上のお金を取られたら作手になるのかとか えっと決まってると思うんですよ法律で8労働法みたいですね
だけどそれは8多分作手という感じと一致しないんだろうなぁと思うんですね この労働法で何にも問題なくてもいやーあれは酷い作手だったっていう人がいる自体は
絶対あるじゃないですかだから裁判ってものがあるんだろうけど 一方で8明らかにそれは明らかにというのは誰にとって明らかなのかっていう
結局主観なんだよ えっと明らかにそれ作手でされてるよねって言われてもいや本人は全くそうは感じ
ないって多分これがもう昨日も喋っててこれが問題なんだろうけど えっとこれ問題なんだろうかって思うんですね
あと一番私が思うのは 2社いないし3社がいて8お互いが作手されているって考える関係っていっぱいあると
思うんですね 普通に考えると作手ってされる人とする人がいるわけじゃないですか
でも私は8そんなに綺麗なケースっていうのかな えっときちんと分かれるケースっていうのは実は滅多になくてむしろ
いや俺作手されてるってお互いが思うっていうケースの方が多いぐらいじゃないかって 思うんですよ
でその場合8明らかにこれは主観の問題であって客観的にはどこにも作手はないのか あるいは両方されてるっていうのは
いわゆる客観的ないうところの作手とは関係ない話になっちゃいますよね でこれはやっぱりですねメラニークラインの嫉妬と煽謗だなってそういうタイトルの本が
あります amazon で検索してみたら一発でできます 買うのはお勧めしませんけど全然さっきのその熱に浮かされるの関係ない
全然こう面白くないと思われるんですね あの嫉妬と煽謗
嫉妬と煽謗の話だなって思うんですよ 嫉妬は曲がりなりにもいいんですよ嫉妬がいいってことはないんだけど嫉妬がいいですよって
総括と感想
クラインが言ってるわけじゃないんだけどでも嫉妬ってのは一応客観的にある程度 説明のつく事象なんで妄想と言い切れないんですよねやっぱりね
あの人のことを私より大事にする許せないってのは 人が見てもそうなっているケースは多々あると思うんですよ
でも煽謗はそうじゃないんですよ煽謗ってのは三者関係じゃないから絶対に主観の世界なんですよ あのクライン流の煽謗って言葉ね
煽謗のおかしなところは最近ワイドショーで盛んにその言葉が出てきたんだけど 自己破滅的な願望なんですよ煽謗というのはですね
例えばなんですかそうですねえっと今100日チャレンジ一緒に手帳編まもなく満席になる j 松崎さんと仕事してますか
8 例えばなんですがえっとですねそうだなぁ
参加している人が私より j さんの方が人気がある 私が人気が足りなくて許せないと思うのは嫉妬じゃないですか
j さんに嫉妬しているこれは曲がりなりにも増しなんですよ なぜならばえっと人が見ても一応それってわかるじゃないですか
あさきさんより j さんの方が人気抜群なのが悔しいのね そう確かにそうなってるもんねみたいなこれは悔しがっておかしくはないわけですよ
一応 客観的にも見えるからこれはえっと多分妄想的なところあるけどでも妄想と言い切れない
だけマシンっていう考え方が考え方をとっているわけですね一応ね これが
えっとそうじゃなくていや自衛のやることなすことうまくいって許せないよねっていう そういう心理になるとこれはプライン的には戦亡なんですよ
あの彼がうまくいく奴をことごとく邪魔しようみたいに私がなってそして私も自分の 子お仕事が全然うまくいかなくてもいやそったら全然構わないから
8とにかく奴がうまくいってるのは許せないっていう うまくいかなくなりさえすれば自分も8一緒にダメージを受けるんだけどそれは全然
ok なんだっていうのが戦亡なんですよ この方が遥かに8危険で破滅的だっていう風にくらいは言うんですよ
でも我々はこういう気持ちになぜかなることがあるんですよね えっとつまり相手が
なんかこうエコ引きしてるから許せないっていうのは一応こう筋がある程度通ってるんだ けど
8相手が素晴らしいから許せないになってしまうともはや全然筋が通らなくなるんです でこのくらいにせよ精神分析の世界というのは母子関係だから子供が母親にこの気持ちを
破壊衝動と愛したい欲求
抱くというのは破滅的なんですよ 母親は素晴らしいから許せない私の世話をきっちり見て
えっと母乳もいっぱい出て あのとても素晴らしいから許せないってことになってくるとどうしようもないですよね
ここの母親をできないんだけど赤ちゃんが破壊してしまったら自分死ぬしかないですよ このことをワイドショーで盛んにある方が言っていてですね
あれ 暗いんだと思って聞いてたんですよある犯罪なんですけれども
えっと人に見つかってもかも両重の話かな 人に見つかっても構わない死刑になっても構わないなんかあの
えっとなんか最強の人みたいな言い方することあるじゃないですか 最強っていう言い方が適切だとは思わないんだけれども
えっと非常に破滅的ではあります えっと
あれをワイドショーで聞いた言葉なんですけど拡大自殺っていうケースがあるみたいなんですね なるほどそういう言い方もできなくはないかなって思う
要はえっと あちらこちらにハメ破壊的なことをやってみんなすっごい大変な目にこれからあっていくのに
そして自分も間違いなくそれによって大変な目にあるんだけどそれでも構わないっていう とにかくこう破壊的な
えっとものがそこにこう爆発しているこれはクラインがいう戦法なんですよ そして
えっとメラニクラインがこれは多くの人が実際は今あの同意してないんだけどクライン派 の人たちも多分同意してないと思うんですけど
えっとここに破滅衝動というものを本能だって彼女は言ったんですよ あれはそうは思わないんですよね私もそうは思わないんですよ
えっと一時ナルシシズムがいいって僕あれ私が言う 例えば甘えがいいっていうのはつまりえっと
一時的には愛しかないって考え方があるんですよところくらいはそうは考えない 彼女一時的に破壊衝動があるって言うんですかね
それをフロイトの思想道から取ってきてるんだけれども つまりくらいに寄せると愛したいという欲求と破壊してやりたいという欲求の両方を人は
携えて生まれながらにして持ってやってくるって考えるんですよね 二言論です彼女
臨床の視点から見た心の構造
あの性悪説っていうのはこっちに近いんだと思うんですよね 性悪説っていうのは多分人間の本性が悪だというよりは善と悪を両方持ってくるっていう
感じなんだと思う この方がなんつーんだろうな
いわゆる草曲ですよね草曲性障害の草曲の説明としては2曲とも最初から本能として あるからえっとスッキリはするんですねスパッと説明がつく
ただ最初から人を破滅させてやりたいというのを本能として赤ちゃんが持ってやってくる っていうのは
ものすっごいあの想像し赤ちゃんっていますから何を言わんとするのかなんとなくわかるんだけど ウィニコットとかフェアバーンとか
えっといわゆる小児会で子供をいっぱい見てきた人たちがそこに同意できてない感じが するのはつまり赤ちゃんっていうのはそういう子もいるんだけれども
生まれつき感の強い子とかって言うんでしょうけどね あのいるのみたいなんですよねだけどもえっと
10中半分穏やかなんですよ満ち足りてさえいればですね だから一時的にはあの破壊衝動を持って生まれてこないでしょうっていう感じを多くの人は
持っているのでクラインのこの点は同意されてないんだけどただ えっとクラインは
もうみんなそうだけど臨床の人たちっていうのはその破壊的なものを強く持っている人 たちを実際はお客さんとして見てきてるわけですよね
だからえっと最初からそういう衝動を持っていると思ってしまった方があの 心の構造としては理解しやすいってところはあるんだろう
臨床の場ではってことですよ 最初からある程度歪んでいるというのはいけないか
偏見に近いものがあるってことですよねバイアスがかかってるってことです その破滅的っていうのと愛したいっていうのが
よく出てくるんですけどこれは臨床の中ではあの 要は母親を愛したいんだけど母親をえっと
やっつけたいとか父親を愛したいんだし父親に愛されたいんだけど父親を乗り越え 乗り越えたいとかそういうアンビバレントを説明する上では
この最初から破壊衝動がありますみたいにしてしまった方が8 まあわかりやすいぐらい破滅的なことを言ったりやったりするっていう人が多分
一時なるシーズン
ワン坂を押し寄せてくるというケースを見てきたってことなんだろうな と私は結局一時なる沈みこだわってるっちゃこだわってるんですよ
えっと人は一時愛で生まれてくるだろう一時愛と一時なるシーズン少し違うんだけど この場合はこの文脈では同じだと思うんですよ
えっとまああのあれですねグッドワイブスでいう愛そのもので生まれてくるみたいなのと 同じなんです
私にもそう感じられるがやっぱり私自身の8 体験がそうだったのとつまり自分が子供の時の感覚がそうだったと子供を育てて
みた感覚がやはりそうだったので私これしか知らないで8世界中の子供を見て歩いて きたみたいなんじゃないんで
ただフラインは一つ独特のあの経歴を持ってるんですね 彼女はなぜか家でやたら爬虫類買ったんで爬虫類っていうのはそう見えますよね
確かにねあの多分みんながすべての爬虫類がそうだと思わないんだけど えっと職しているところの爬虫類見るとそういうふうに見えるってことはあるだろうな
っていうのはあります 1900年代の前半だったということも忘れちゃいけないと思うんですよ
そして彼女はやっぱりそこで8 ユダヤ教だったってことも忘れちゃいけないとは思う
ちょっと僕らの感じ方とはこの辺は違うのかなっていうふうには思います われわれ保乳類館じゃないですか
保乳類っていうのは今掃除で穏やかだし穏やかなその時には満ち足りてれば穏やかだし しかも我々は戦後に生まれてますし
8今2000年ですし我々やっぱ仏教的なところが あのすごくあるんで
そういうところいろんな意味からしても生まれながらに社会衝動を持って生まれてくるんだ みたいに思うというのはあの
なかなか自然にはそう思えないかなとそれは決して日本人に限った話じゃなくて やっぱりこうクラインのお弟子さんたちですら握り筋なんだけどそうなんですよ
だからまあそういうことなのかなっていう感じを僕はなんとなくこう意識しているん ですね
で作詞の話なんですよ作詞の話じゃないんですけども専門の話を僕はイメージして いるんだけれどもつまり
作詞も同じだろう 専門っていうのはあの
土井さんは邪魔って言葉でむしろ表あの捉えてたんだけど邪魔をするっていうのって えっと一人じゃできないじゃん
私一人しか今この部屋にいません 邪魔をする誰の邪魔をするんだって話になっちゃう
邪魔をするということは誰か別の人が必要なんですよ しかもその邪魔をするっていうのは自己完結的なものじゃないですね
つまり一時的なものじゃないんです二次的なものなんですよ 誰かが何かをしようとして初めてそれを邪魔するってことができるんであって
そこに2人いるだけじゃやっぱりダメなわけじゃないですか 2人いるだけで何もしないんだったらその人の邪魔をすることはできない
この人が勉強しようとしたらじゃあ勉強の邪魔をしようということになる つまりえっとどこまで行っても自発的な行動に当たらないんですよ
金銭の多価で決まらないもの
発的な行動になってしまう 切磋手ってのも同じですよね
切磋手ってのは
必ず誰かが何かをした後で 後でというのが誰かが何かを能動的にしているところにわざわざすることであって
何にもしていない人から何かを搾取するってわけにはいかないし まして搾取って一人じゃできないわけですよ
やっぱ2人は絶対必要 そういう意味ではこう
やっぱ一時的な行動ではないですよ 戦亡と僕は邪魔と搾取よく似てるなって思う
でそれは全部主観的な話だなって思うんですよ 主観的がですねどうしてもピンとこないという方もいらっしゃると思うんで
さっきJさん出したんですけど 例えば倉園さんと私の仕事というのがあるとするじゃないですか
架空の話なんですけど ここでですね
何かすごい仕事が大当たりして月賞1億になります 1億ちょっとまあでも1億にしておこう
1億になりました その時に分配で倉園さんが9000万を取って私は月1000万ですってなった場合
私これ搾取されたと感じないと思うんですよ なぜならば今に比べると
圧倒的に収益増えるから だからこれを特にこの
総額でいくらになっているのかを知らなければですね いやーこれは全くありがたいなってことで終わっちゃうと思うんですよ
搾取されたとは全く感じないと思うんですよ これをでもいや客観的にそれは搾取でしょって言ったとして
そこに意味を認めるんだとするとやっぱここ9対1ってことにこだわったって話にしか ならないとそれは客観的には決まらないなと思うんですよ
なぜならば今はそれよりもどう考えても月1000万を倉園さんからもらうことはできないんで それよりはるかに少ないんだけどそれを搾取だと感じてないわけです
つまり金銭の多価だけで決まらないんですよねこれは 何で決まるんだろうって感じがやっぱりするんですよ
でえっとこれがキャッさらに極端に言ってねえっと 椅子9900万体100万ですでも私の今の感じだとやっぱり搾取された感じでしないと思う
んですよ 月100万あれば10分だなって思っちゃうから相手がいくら取ってる顔特に知らない場合に
まあ えっとこれを搾取と感じることはあり得ないと思うんですよ
これを搾取を感じるということはえっと さっき言ったすっごく戦亡に近づいていくんです
嫉妬と戦亡の戦亡 いやもうその9900対100は許せないから自分ゼロでもいいから
ここでこう一騒動を起こそうっていうのはこう 自己破滅的な欲望ってものを持ってるじゃないですか
の正義感と捉える人もいるのかもしれないんだけれども えっとすごく戦亡の話と似てくるなという感じがするんですよね
なぜその相手が素晴らしいのはダメなのかってことなんですよ ででですねここでもう一つ面白いのはこれでまあでも
もしクラスのさんクラスのさんがそういう人なわけじゃ全然ないんだあれなんだ けど
9000万と1000万でいやこいつはアホだなぁと思って9000万をまんがめていると これなら搾取になるんだけどこういうケースで少ないと思うんですよね私は
実際どうなるかというと逆になっちゃう可能性すらあると思うんですよ えっと
私が1000万と何ならそのスタッフの矢部さんが矢部聖子さんが1000万で 倉殿さんが8000万なんだけど私と矢部さんはすごく満足しているんだけど
倉殿さんはめちゃくちゃ搾取されている気がしているってことは起こり得ることだと 私は思うんですね
「搾取」という主観的な感情
私たちは基本的に1000万もらってるけど他に何にもしてないと 倉殿さんが全部ありとあらゆることをやってものすごく忙しくてでも8000万を
持っていってます でいや俺すっげー搾取されてるなって思うのはそんなに僕はおかしなことじゃないと思う
で この事実を知って私も矢部さんも搾取されているとさらに思うってケースも
は多分ないんだけどえっと実際にそういうケースは私はこの世の中であり得ると 3社が3社とも搾取されていると思うんだけど
8 じゃあどうなるでしょうという客観的には一体誰が誰を搾取しているんだって話
多分誰も誰も搾取してないんじゃないかと思うんだけど 3社とも搾取されていると
心から信じて疑わない状態になりましたってことはあり得ると思うんですよね だから私は搾取とは主観で決まると思う
それは邪魔とか戦防というものとそっくりなものだと思うんですよ えっと客観性はそこになくて
もともと私は客観性ってどこにもないとは思うんだけど えっとあのこういう場合は特になくて2社関係の中で
えっと 搾取という主観的な思いだけがある
だからそれはえっと まあ妄想ですけれども妄想分裂ポジションなんですけれども
えっと
なんていうんですかねえっとそれを どこかで測定するわけにはいかないものなんだ
あくまでもそれは自分の心の中で決まるものだと思います だからあのあれなんですよ
と 一時ナルシシズムってものは一時ナルシシズムってのは主観丸出しなんで母子一体ですからね
私と母は一体だというふうに信じている 世界この中でそのこれが良い状態っていうものは素晴らしいんだけど
お母さんと私は一体で幸せいっぱいっていう状態素晴らしいんだけど これが実際の人間関係でこれに近いし
あの人間関係が発生した時はこれが逆転するという時に一切が許せないっていう だからすっごく
クラインが言いたかったことはそういうことなんだと思うんです 全てを破壊してやれっていう気持ちになる
それは2者関係の世界なんですよね 客観性ってものがもうどこにもなくて
えっとひたすら主観があってでその主観の中で真っ黒になっていったみたいな 私はその真理を人が8を抱えてしまってるっていうことを
クラインはその一時的に抱えてるんだよって言って 私はそれはそうは信じないんだけど8でも
こういう心理状態になってそのワイドショーの人が言っていたみたいですね 8を破壊さえしてやればいいんだみたいに
なんで人はなっちゃうのかなぁみたいなまあそれはワイドショーなんでなっちゃうの かなぁみたいなことをコメンテーターの人が一生懸命言ってたんですけどね
なっちゃうのかっていうのはクラインはそう説明していましたと で私はそのやっぱり妄想分裂ポジションってやつなんだろうなっていうふうに
つまり人間社会ってのは3社以上で成り立ってますよね 現実的な世界というのは3社以上で成り立ってるんだけど
すっかり2社間というものにのめり込んでいってしまった時この心理状態になるんだろう なって感じを受けるんですね
2社関係だなぁって感じがするんですよそしてえっと だからなんですけど
実際そうなんだがそうなんですけど削除とかってのを裁判沙汰にするとすっごい ややこしくなっていくじゃないですか
客観性の不可能性と夢からの覚め方
そうすっきりは決まらない本人の中で主観の中ではいや俺絶対すっげーものすごく削除ある というのはこんなに致命なのになんでこう心理とか
弁護士とかそうやっていっぱいこう手続き踏まなきゃなんないんだって思われるかもしれない けどこれをいかにあの
客観的に測定することがほとんど不可能に近いかってことだと思うんですよね えっと相手と自分で全く同じような気持ちを抱いていて
どっちが損をしているのかを厳密に測定しようとすると全然決まってこないんだろうと思う だから8
客観的な事実はおそらくそこにはほとんどなくてあってもごく稀でこれ私は 8世の中に着作種がないって言ってるんじゃないですよ
あるんだと思うんですよそういうふうにこう 滅ぼうという悪意があってつまりある種の人にしてみればですね
必要は全然実際ないんだから作種って必要は絶対ないと思うんですよ ただそういう意図でものが発生することあると思うんですね
邪魔をしてやろうみたいなあるじゃないですか 大変子供っぽいけれどもそういうことを大人がそのパターンにハマってしまうってことはある
わけです 8こいつの邪魔さえしてやれば俺は満足だみたいな
それは2社関係の世界なんで2社でしかわからないことなんでそこを裁判というですね めちゃくちゃ第三者的なところに持っていこうとするところの
8困難あるんですよねきっとねつまりそれを第三者には説明できっこないんですよ 無理やり説明しようとした時には何かちょっとそれっぽいものが見えては来るかもしれない
んだけど 多分そこでうわぁすっきりしたってことにはならないと思う
それぐらいだったらどっちかというとカウンセリングを受けに行って なんでこれがカウンセリングを引くかというとですね
8これはもう 信じるしかない世界なんですけど人は
この夢から少し覚める能力を多分持ってるからですよね これは妄想分レスプポジションというのは思いっきり夢なんで
えっと母子一体なんて夢じゃないですか 母子一体で本当にあった時はそういうことはないようじゃないですよ星が本当に一体だった
時あるわけです あのお腹の中にいたことがあったわけですからただ
8対外の人はそうなってないわけですよ だから母子一体というのは夢なのでで僕らは夢から100%は覚められない
だと思うんですが ちょっとは覚められるんですよちょっと覚めればもう十分なんですよ
カウンセリングと目覚め
所詮夢ですから でそのちょっと覚めるために他人を使う必要があるここで僕は使用って言葉が出てくると思うん
ですよね クライアントさんはカウンセラーを使用する必要があるんですよ
間違ってもクライアントはカウンセラーを搾取しちゃいけないし またあのカウンセラーというのはそういう訓練なんだと思う
搾取されてはいけないんですよ そのうちに目が覚めてくると思うんですね
好きな好き勝手なように使用してどんどんどんどんカウンセラーにば愚痴をいっぱい ぶつけるとか自分のいいも全部聞いてもらうとかやっても決してカウンセラーは搾取は
されてないっていうところから8目が覚めてくるそういう構造なんだろうと思います あの
使用はいくらしてもいいっていうのかなそれが使用である限りにおいてはですね だからえっとそれが絶対仕様であるように自分を使わせるっていうのがカウンセラー仕事
なんですよきっと そういうことを8
いややっていかないとなんつうそういうことをやってもらう だからあの
つんですかねよくこの文脈で出てくるじゃないですか あの
愚痴ばっかりあの人は聞かされていいように搾取されてるみたいなことを言う人もいるぐらい じゃないですかあるいはこう甘やかしているみたいな
このこれも甘えの構造の話になってくると思うんだけど 全部そうなんですよねその2者関係の話になっちゃってそれを2者関係の話し
ないってことが大事なんだろうなと思います えっと夢から覚めるっていうのはつまり現実を認識するってことだから
あのグッド5するに言うと現実を見に行ってまぁ垣間見ることができたっていう時に えっと一切が公開
回血というよりは解消していくんだろうと思うんですよね そこにはこう
なんつーのかな自分がわからなければいけないことは全部そこにあるし えっと
わからないことそこには一つもない だからわからないことがないってのは8
わからないことを分かろうとしない限りわからないってことは目には見えてこない わけです
わからないものを空想で埋めようとするから8イリュージョン見ることになるわけじゃない ですか
わからないことがないってのはつまり現実には8わからないものは見えようがないし わからないわけだから聞こえようもないんですよね
見えるものと聞こえるものだけを手がかりにしていても 搾取されるなどということは起こらないってことだと
それは多分やっぱり 主観だけの世界だからなんだろうと思います
客観というものを垣間見ることさえできれば 8主観てものはですねどうでもいいものになってしまうのかなというふうに
ハウンセラーの役割
8思うんですよねこの辺はやっぱりあの矛盾しているんですよ どこまで行っても人は主観しか主観から出られないって言っておきながら客観を
買いも見るって言い方おかしいんでね本当はおかしいんだけど 多分
この世の中にはその邪魔なり 搾取なりっていうことが全くないわけじゃないじゃないですか
ほとんど全くないと思っていた方が僕はいいだろうと思うんだけど全くないわけ じゃない中で8きっとですね
ハウンセラーが 訓練受けたみたいな訓練を受けた後ならば
搾取ってされないと思うんですよねそれはやっぱり ちょっとは目覚めてるってことを意味するんだ
夢を解釈する夢見る人なんですよやっぱりちょっと矛盾してるわけですよね夢見てる くせに人の夢解釈できるのかよって感じなんだけどでも多分それはできるんだって
ビオンは言いたかったんだろうと思います