1. グッドモーニングボイス
  2. 【794】グッドバイブス編 私..
信念とはなんでしょう?
二度寝の話からタスクシュートへ
おはようございます、グッドモーニングボイスです。
昨日はですね、不意に落としちゃったんですけど、
二度寝をして、気がついたら、今度は相模大野というところに、
昨日は出かけなければいけなかったのに、
盛大に二度寝したので、もうご飯を食べてすぐ出発みたいな、
その時はグッドモーニングボイスをとり忘れていたということ自体を忘れておりまして、
タスクシュートやってるのにそれはどうなのって感じもありますけどね。
そんなわけで、盛大に落としたわけですね。
ほとんど不良の事故的なやつです。
たぶん心のどっかでは午後取りゃいいやぐらいに思ってたんだけど、
午後は出かけなければいけなかったという。
帰ってきてから取ろうかと思ったんですけど、
帰ってくる時にはもう、次の仕事が待ってて、
帰りついてからは取り急ぎそちらに行って、
お風呂入ってご飯食べたらもう夜中みたいな、
全然グッドモーニングボイス取るタイミングではなかったんで、
今6月6日火曜日の7時32分ですが、
昨日も全く同じような時間に盛大に二度寝したんですよ。
やっぱり土日明けはダメですね。
土日明け、娘もあっさり夜遅く寝るようになり、
私もこの話も後ほどしようと思ってたんですけど、
グラディウス2のスイッチを娘にねだって、
娘にねだってしても僕が金出してるんだけど、
スイッチは娘のもんなんで許可がいるんですよ。
空き容量の関係の中で、
今ゼルダの伝説とかすごいやつあるじゃないですか、
あれを見てですね、
このゲームはもはや僕の目には今のところゲームに見えない。
ほとんどただ映画にしか見えなくて、
全くゲームをここからやろうという意欲に結びつかないんですよね。
すごいアニメーションというか、
タスクシュートの成功
もはやアニメにも見えない。
本当に実写にしか見えなくて、
ここからゲームをやろうという意欲に結びつかないなと思って。
とりあえずなぜかさえしか私もゲームをするべきだとか言うんで、
非常にしぶられたんですけど、
しょうがなくグラディウス2を買ってもらって、
800円ぐらいで買えるんで、
それをやっていて遅くなるという、
こういうわけわかんないことになっちゃっておりまして、
グラディウス2をですね、
久しぶりにやってめちゃくちゃ下手になってて、
一面がクリアできないというね。
分かる人には分かると思うんですけど、
火の竜が出てきて、その後鳥が出てくるんですけど、
そこで死んじゃうんですよね。びっくりして。
僕アーケードでも5面ぐらいまで行けたんですよ。
まさか家庭用ゲーム機のグラ2で、
1面で死ぬとは。
そして2面はクリアできないんですよね。
2面は変なうねうねした触手と、
イカみたいなやつが出てきて、
あと網の目みたいな土で、
フォースフィールドが削られていくって、
わかんないから。
じゃあいきましょうね。
大して上手くないですよ、僕はシューティングは。
ただ、そうは言ってもですね、
1面で死ぬということはなかったはずなんで、
やっぱり30年以上空いてるかな。
30年前後空いてると思うんですけど、
このブランクは長いんだなと思いましたね。
どうでもいい話なんですが。
というわけで昨日は落として、
今日ですね、
グッドバイブス編をお送りしようと思っております。
で、100日チャレンジ編はついですね、
先週1回もできないまま終わってしまったんで、
どっかで今週はやりたいなと思っているんだけども、
これはもうわかんないですよ。
先のことはわからないって。
現在ですね、
大変ありがたいことに、
セミナーの申し込みがポツポツポツと入って、
7月1日ですね、
久しぶりに私がガッチリとタスクシュート、
今どう運用してるかと。
グッドバイブス以降のこともありますし、
僕の中ではもはやそれはほとんど
何の問題もなくなってしまっているんで、
例のですね、ちょっと前にやったワークの
視点を忘れるというのも、
随時視点を忘れているけど、
タスクシュートは記録できると。
これはですね、
確かにゲートっぽくなっちゃうんですよね。
なんていうのかな、
自分はもうこれをやるのに、
何にも自分の中で違和感はないんですけど、
ある人にはあるだろうなっていう感じなんですよね。
これはね、
タスクシュートは僕の中ではもはや時刻表なんですよね。
タスクシュートによる日本語レベル到達
この時間にこれは、
例えばこの時間に相模洋の駅出発しましたということと、
その乗った時間を起点としないということは、
僕の中では何の領域も矛盾もないんだけど、
でも相模洋の何時に出発っていうのは、
どっかに書いてないとまずいじゃないですか。
それは僕言ってびっくりしたんですけど、
アメリカの訳わからんほど狂っている電車でも、
時刻表はあるんですよ。
そういう感じで、
どんなに狂っても構わないけど、
時刻は残しておくっていう、
しかもどんなに狂っても構わないと思ってるんだけど、
その時刻は私がつけてるのは多分相当正確なんですよ。
これはちょっと芸当に近いなみたいな、
そういうちょっと名人芸っぽくなっちゃってるなとは、
自分でも全然良くないことだと思うんですよ。
タスクシュートのユーザーさんにお話しする上で、
この種の話をするのはどうかと思うんだけど、
普通はそうやってるということですね。
もうやっぱり10年代毎日やればですね、
このくらいにはなりますよね。
特に特別間を空ける必要があったとかなくて、
もう自由自在に、
しかもあれは24時間やってるわけだから、
10年間24時間やってればそうなりますよ。
特にこれといった意識せずとも、
日本語喋れるじゃないですか。
英語は絶対そうはなかなかいかないですよね、
このくらい違うんですよ。
私の中ではタスクシュートは日本語レベルなんで、
これをやるのに何かを意識するとか、
努力するとか、
精神的な努力は一切いらないんですね。
呼吸に限りなく近いものなんで、
呼吸よりは大変ですよ。
日本語喋るのも呼吸よりは大変じゃないですか。
そういうレベルなんですよね、でもね。
そのくらいの差でしかなくて、
イベント開催のアナウンス
いつでもどこでもいくらでも付けられますという感じになっちゃってるんですけれども、
この状態であれば、
起点を忘れるけれども、
起点では開始時刻を入れるという間に、
何の違和感もないんですけれども、
これはどういう両立の仕方をするのも難しいなということであれば、
またそれは随時考えていきましょうということですね。
この話はいずれしようと思っています。
グラディウスの話よりはマジだと思うんでね。
それでも7月1日にもっと一般的な話をちゃんとつくしようということで、
久しぶりにまとめて2時間ちょいかけて、
質疑もがっちり入れてやろうと思いますので、
よろしければ3000円プラス税ですからね。
高くもないと思いますので。
7月1日は土曜なんで、せっかくの休みにあれだということもあると思うんですが、
代わりにオンラインなんで在宅で普通に受けられますと。
ついでに多分ですけど、これは拡約はできないんだけど、
なるべく拡約させていただきます。
アトピーの話
アーカイブも撮っておきますから、
当日ご参加いただけなくてもね、
見ていただくことは、
質疑応答の部分はカットさせていただこうと思っているんだけど、
同額でアーカイブも入手していただけます。
ネタは大量にあるんですよ。
月曜を落としたから。
土日に溜まっていくわけですよね。
土日に溜まり月曜を落としたから。
しかも昨日相模大野に行って、
倉園慶三さんとGood Vibesの対談をしたんで、
ネタは豊富にあるんだけど、
豊富にあるときには今度は別の問題が起こるんですね。
何から話せば、どれを話そうかみたいなですね、
贅沢な悩みって言うんだけど、
この贅沢な悩みって結構、
立ちが悪いはおかしいんだよな。
別に気持ちはウキウキしてるんで、
ただなんかちょっと浮ついちゃってるっていうのかな。
ブログで書くこといっぱいあるんだけど、
だから書けませんでしたとかいう、
言葉ごとに聞こえるかねないんだけど、
これ多分言ってる人はそれなりに真剣にそう考えてんだと思うんですよね。
そういうことはあり得るということです。
でも今日話すことあるんで大丈夫なんですけど、
悩んでるわけじゃない。
昨日ですね、たまたま出た話なんですけど、
私アトピーだったわけですよ。
今もアトピーだと思わなくてもないんだけど、
治ってしまっているんですね。
今肌見ながら喋ってるんですけど、
これは皮膚科の先生に行けば、
先生によってはまだちょっとあるねみたいに言われる可能性はあるんだけど、
それはよくわかるんですよ。
長らくこの病気と付き合ってるんで。
多分僕2歳くらいからだから、
48年くらいはそうだったわけですから。
でも僕の中では治ってるんですよね。
別に薬いらないし、痒くもないし。
虫刺されから少し汗もが悪化したとかになった時に、
そこに薬塗らないと、それはアトピーじゃないから。
原因はっきりしてますからね。
そう、アトピーっていうのは奇妙なって意味だったそうなんですね。
ラテン語だったかな。
つまりその他アチックになるんですよ。
原因も特定しきれないし、
あるんですけどね、ヒスタミンがどうしたとか、
HGAなんとか抗体とか、
もっと病気がひどかった時は僕も真剣にやったから、
今のようなのは全部さらさら言えたんですけど、
今のように人間厳禁なもんでして、
良くなってしまってもうそれで苦しんでないと全部忘れるんですよ、
この種の知識はね。
今はステロイドはこういうふうに効くんだなっていうのが
頭の中で漠然と図式化されてるだけで、
その間の細かい科学記号とかも全部頭にあったんだけど、
全部消えてしまう。
すごいなって思いますね。
だから説明できないんですね。
でもあるんですよ、一応。
キジョっていうんですかね。
キジョっていうのは機械のキに順序のジョですね。
このキジョって言葉は私は多分通り悪いなと思うんで、
引き上げ塾なんかでも避けるべき言葉みたいになると思うんですけど、
どうしてもこれじゃない言葉を使うと、
性格じゃないっていう思いが出てきちゃうんですよね。
これ正しさなんだと思うんですけどね。
順序とかじゃないってことですよね。
順番とかね。
でもそれとちょっと似たプロセスみたいな意味と、
連鎖反応みたいなものが何となく重なり合うような、
私は医者じゃないんで分からないんですよ。
なぜこの言葉を使わなければならないのかとか、
性格には分かってないんだけど、
でも正しい感じがするなっていうのは何となく感じるんですよ。
非常に曖昧で中途半端なところのある人間なんで。
まあそういうことですね。
それであるんですよ。
これが私の中ではね、
このお話を今日したいんですが、
グッドバイブス聞いて、
まあまあ良くなったよって話をしていますよね。
甘いものを食べても、
昔は糖質制限で抑えてたというか、
糖質制限でも非常に良くなるんですよ。
ほぼ治る。僕はですね。
これは多分、いくらかの人には再現性があると僕は思います。
かなり真剣にあれば。
でもこれはですね、ある意味では、
私は本当の意味ではあんまりお勧めできないですよね。
あれですよ。
全く気をつけてない人は気をつけるべきです。
例えば糖質たっぷりのコーラで割ったハイボールを3杯ぐらい飲みますみたいなのはやめた方がいいです。
アトピーの人はね。
絶対に良い結果は生まないだろうってのは分かるんだけど、
果物を食べるのをやめるかどうかって話になってくると、
これはですね、難しいところだと思うんですよね。
まして、食事に入っている砂糖を全部絶つとなると外食できないですよね。
外食はまず入ってると思って間違いないですから。
専門の店とかに行かないと。
だから私は外食で食べるものがなかったので、
すごい面倒くさくて困ったわけですよ。
今はそういうのも全くないんですね。
で、それはこういう話をしちゃうとですね、
グッドバイブスについての雑談
アトピーの人はグッドファイブスやればいいのかみたいな話になっちゃうじゃないですか。
僕はそうは思わないんですよ。
ここが難しいところなんですね。
まずは医者に行けと思います。
このアトピーだったらね。
理由は、
つまりですね、それは医者なら治るとかそういう話ではなくて、
医療にはプラシーボ効果っていうのは必ず関係してくるんだと思うんですね。
つまり、なんで治ってるのか、
薬じゃない部分で治ってるっていう部分が入ってこない医療ってないと思うんですよ。
だからこの番組でよくお話してる台湾では、
ブドウ糖であろうと注射をすると治るみたいなのは今は知りませんけれども、
そういうのってあるんですよ。
つまり注射しなければ治らないと人々が信じている文化圏では、
注射すれば治るんですよね。
かなりの病気。
でも僕はそれは、
絶対治らない難病も注射さえすれば治るのかというと、
そうはいかないと思うし、
多分ですね、その台湾の人の中でも注射しなくったって、
薬飲めば治る人は治るんだと思うんですよ。
だから今わかんないって言ったんですね。
そういうものは変わり得るってことですよ。
このグッドバイブスとかもそうで、
人に災厄性がないとは思わないんですけれども、
これってのはですね、
信じるからいいって話ではないんだけれども、
その人は何を信じているんだろうっていうことに、
ものすごく左右されちゃうと思うんですね。
例えば、私がなんか調子が悪い人に、
グラゾノさんのセッションを進めるとするじゃないですか。
これは私は進めるバイト、進めないバイトで結構差があるんですが、
この人には進めたいなっていうケースでは進める。
それはこの人なら話を聞けば
効果がはっきりありそうだっていうところに限るんですね。
そういう場合、自分のところを進めることは絶対しないです。
それは多分ですね、
僕は自分のを進めるというケースはよっぽど稀で、
この人にはもう話聞いてほしいぐらいの人じゃないと、
やっぱり本当は向こうから来るのがこの場合は適切で、
僕から引っ張ってくるっていうのは、
こういう話ではおかしいんですね。
それに順次で見えちゃうと思うんですよ。
僕はグラゾノさんから何かセッションのアフィリエイトとかを
いただいてるわけじゃないんで、
順次でないんですよ、本当はね。
だけれども、多分僕が関わってる関係からすれば、
順次で見えると思うんですよね。
自分のに引き込んでいる、
それでは無理だからグラゾノさんに頼むんだろう、
ぐらいに思われると思うんですよ。
そういうことではないんだけど、
多分そうは見えるだろうなと思うんです。
だから、いく分慎重になるんですね。
治った人間としてみると、
治るんだよということは言えるんですよ。
でもそれはグッドファイブスが治すというのとは
またちょっと違うんですよね。
ちょっと違うというか、
簡単に言うと自分で治すんですよ。
で、その時にその人が
信じていることがあるはずなんです。
グラゾノさんのところをお勧めして
行くっていうのは実は何の障害もないと思うんですね。
ごく簡単なことだと思うんですよ、話を聞くというのは。
話聞けばいい。
これに抵抗があるというのは、
もちろん抵抗があるんだけれども、
抵抗があるなりの理由がありまして、
その理由がどういう理由かによって
効果が絶対変わってくると思うんですよね。
そこがアスピリンを飲むのとは違うということなんですよ。
グッドバイブスを人に勧める際の注意点
本当はアスピリンでもこの問題はあるんだけれども、
あるはずなんですが、
アスピリンじゃないな、抗生物質のほうがいいですね。
抗生物質が効くケースでは、
抗生物質について信じているか信じていないかとか、
サイエンスを信じているか信じていないかに関わらず
効くところが大きいと思うんですね。
本当は影響はあると思いますが、
ゼロではないと思うんだけれども、
抗生物質が効く分については、
抗生物質を信じているかどうかはそんなに大事じゃないというか、
信じてなくても効くと思うんですよ。
例えばこれが仏教とかになった場合、
全然信じてないですという人には聞きにくいはずなんですね。
そういうことはあるはずなんですよ。
大体こういうところだったけど、
僕方からお勧めするという場合には、
実は何をお勧めしているのかというと、
これが明日の100日、明日喋るかなと思っているんだけど、
明後日になるかもしれませんが、
その人が信じていると信じているものの問題なんですよ。
私はクラゾンさんであろうと、
グッドワイブスであろうと、
それこそ仏教であろうといいんだけど、
例えばグッドワイブスに行くのは絶対だ、絶対嫌だ、
触れてしまうのが嫌だっていう場合、
その人は一体何を信じているんだろう?
だって、連れて行かれて拷問とかされるっていうなら、
話は別ですけど、
なんだかんだ1時間話す程度なんですよ。
グッドバイブスが与える影響について
1時間話す程度だということはですね、
それによって自分の信念がガタガタに崩れるということが、
もし本当に起こるんだとしたら、
その人は自分の信じているものを大して信じていない。
クラゾンさんのグッドワイブスを聞いてしまったが最後、
私が信じている質量保存の法則とか、
それこそビッグバンとか、
万有引力とか全て信じられなくなってしまうのが恐ろしいとすると、
そんなことがあり得るだろうか?って僕なら思うんですよ。
直ちに洗脳されてしまうとかね、
そういうことが起きてしまうと、
自分の信念がガタガタに崩れてしまう。
直ちに洗脳されてしまうとかね、
8時間くらい監禁されてビデオを見させられるとかじゃないわけですよ。
そんなに直ちに洗脳されてしまう、
家族も捨てそうだって本当に思うということは、
その人が信じているものは、
よっぽど信用するに値しないものなんじゃないかって、
まず一つ思うんですよね。
ということについて考えてみて、
自分の信念について再考する価値
考える価値がありそうだと思わない限り、
お勧めはしないんですよ。
これは僕の中では結構いろいろありまして、
一番単純に言うと、
家が寺だったってことがあるんですが、
お寺なんかに近寄りたくもないっていう人って、
一定数はいらっしゃるんですよ。
例えば私の友達なんかにもいるんですよ。
その人の話を聞くと、
いや、科学を信じているからって言うんだけど、
科学を信じているということは、
寺の門をくぐると、
信じられなくなるほど、
科学を信じているってのは、
どういう意味なんだろうって、
話を聞くたびに思ってたんですよね。
だいたい科学を信じるってのは、
なかなか面白い表現だなとも思うんですけれども、
この話をちょっと聞くということも、
耐えられないような信念って、
どういうものなんだろうと思うんです。
もう一つありますね。
もう一つ信じているものがある。
お金ですね。
これも大きいと思うんですよ。
倉園さんに1万円なりを払うのが、
それをして聞かなかったらどうしようみたいなね。
これってつまり、
1万円を信じているみたいな話になってくるんですね。
1万円の価値かな。
だからそれをミスミス捨てるということが、
とても恐ろしいことなんだ。
どんなに恐ろしいことか、
あなたにわかるかみたいなね。
そういう人が、
もし月々6万円で生活してるって言うなら、
勧めません。
それって結局わかることじゃないですか。
一緒にそもそもどこかに私と行くことができて、
月々6万円で生活してるという、
これは小遣いが6万円って話ではないですよ。
月々本当に6万円なんですっていう人は、
僕のセミナーなんかには絶対来ないと思うし、
そもそも僕と知り合う機会というのも、
そうはないと思うんですよね。
もし月々本当にかつかつで、
外食なんかもう年に何回もしないし、
私のこのポッドキャストを聞いていただき、
仕事読んでいただき、
つまり全部無料で接することができるのに、
接しているんですって方がいらっしゃったらすみませんし、
非常にありがとうございますと言いたいんですけれども、
でも私はそういう人と地下に接することは、
非常に難しいと思うので、
その人にグラドムさんをお勧めするなんてことは、
あり得ないようですよ。
だけれども、
地下に接していて、
どっか一緒に食べに行くのに、
セミナーに来ていただいて、
懇親会にまで来ていらっしゃるという方は、
1万円が融通できないとは、
僕には思えないんですね。
セッション1ヶ月分4万円だとしても、
それは少々厳しいなと感じるぐらいじゃないと、
僕は効果ないと思ってるんで、
感じるべきだと思うんだけど、
でもそれだって無理すれば絶対出せると思うんですよね。
ここで、僕のアトピーでもいいんですけど、
アトピーが良くなる可能性がそこにあるという時に、
果たしてその1万円というものは、
絶対に払うことが無理な金額って話になるかなっていうと、
僕はそうはならないと思うんですね。
私、アトピーにかけてきた金額を考えると、
1万円というのは冗談みたいな金額なんですよ。
そのぐらい面倒くさい病気なんですよ、これはやっぱり。
だいたい糖質制限真剣にやったら、
食費プラス1万円では絶対効かないですよ。
外食だってしたくなるじゃないですか。
でも砂糖を買ってくれる店にしか入らなかったら、
めちゃくちゃ金かかるんですよ、はっきり言って。
普通にそこら辺で松屋で牛丼食べますみたいなことは、
絶対できなくなりますから。
糖分いっぱい入ってますからね。
ご飯じゃないですか、ご飯の糖質も馬鹿にならないですからね。
つまり高くつくんですよ、こういうものっていうのは。
だからこれは、
だからクラゾンさんの話聞いて直してくださいねって話では全くないんですよ。
そうではなくて、そこを自分で選ぶことができないというのは、
なぜなんだろうって考えるのは価値があると思います。
金銭的余裕のない人には勧めない
僕この言い方をすることによってですね、
人の怒りを買うんだけど、これが不思議なんですよね。
僕は自分の信念について、
再考する価値ってとても高いと思っているし、
その人にとってそれは、
屈辱的なことでは絶対ありえないとも思っているし、
しかもそれはがひんにもならないと思うんですよ。
まずこれ、それを一考できる能力がない人に、
これを勧めることはできないじゃないですか。
それを一考することによって、
たちまち崩壊するような信念だったら、
おそらく僕は少々問題があると思うんですよね。
それなのに自分の行動を縛るんだから。
そういう意味で、
どうしてそれに1回話を聞くということが絶えがたいとか、
1万円払うことが絶えがたいというのであれば、
もちろんそれに相当しない悩みであれば当然です。
自分が信じているものを考える
それは勿体ないよねって話です。
別にほとんど問題となってもいないような、
例えば蚊に刺されて痒いとかで、
そういうところでフラゾーさんに相談しましょうとか、
ありえないと思うんだけど、
もうちょっとことが深刻になってきた場合には、
それに自分が信じているものについて
一考するという価値はあると思うんですよ。
だからこそ先に皮膚科なり診療内科なりに
行きゃいいと思うんですね。
なぜならそこでは一考せずに済むからですよ。
自分の信じているものがどうなのか、
こうなのかみたいなことを悩まずに済むんですよ、
皮膚科に行く分に。
皮膚科に行っても皮膚それ自体には問題ないですとか、
触れた薬を塗っているんだけれども、
一進退を振り返すばっかりで
全然良くなっている気がしませんとか、
そうなった時に僕らは自分が信じている世界観みたいなもの
っていうのと多分向き合わなきゃなんなくなる
ということなんだと思うんですね。
その時に向き合わずに全然違うことを考えていても
グッドバイブスの再現性について
多分ダメなんじゃないかなという感じがするんです。
私の経験上ですね。
向き合わずに自分が信じているものは
そっくりそのままにしておきながら、
でもこの世の中で普通に通用すると思う方法では
全然うまくいきませんと。
皮膚病院で皮膚科に行くみたいな話ですよ。
まさに。
普通に考えればそうしますよね。
普通に考えてそうするっていうところに
まず行ったらいいんですよ。
それは大半の人がそうしているので。
ここに行くことの良さはですね、
効果があるかないかのせいぜいどっちかだってことです。
そうじゃないところに手を出した時の問題っていうのは
悪化するってことなんですよ。
だから悪化する可能性を懸念する中で
そういうちょっと普通の医療ではないところ、
つまり東肌先生というところの脳の医者にかかる時には
試してみるってスタンスが一番いいと思うんですよね。
すぐやめられるから。
で、その時に試すことすらできないっていう心理が働いた時に
僕はそこを考える価値はとても高いと思うんですね。
試すことすらできない。
試したくもないっていった時に
この人は私は独特の信念の持ってき方をしちゃってるなって思うんですよ。
多分その人は科学を信じているとか合理主義を信じていると言いながら
あんまり信じてないんですよ。
その一方でものすごく科学なり合理主義なりに
その人の中のね、にがんじがらめになってるんですよ。
この感覚って僕は恐怖症っぽさを感じるんですね。
恐怖症の時って戻って頭を閉めない人とか
戻ってガスの線を確認しない人って思うんですよ。
この時僕らは多分やっと絶対閉めたって信念を持ってるんですよね。
火も絶対ついてるわけないって。
大体私の経験ではそうなんですよ。
そう信じてるんですよ。
にもかかわらず戻りたくなるんですよ。
これはつまり信じてないってことじゃないですか。
こういう変な状態に陥るっていうのと
野の石を一回も試せないって心理は
僕はすっごい似てるなって思うんですよね。
だから僕は思うってことですよ、これは。
そういうことが精神分析なり臨床の世界で実証されてるとか
そういう話じゃないですからね。
なんとなくその心理状態に共通しているものを感じるということです。
それは昔私が子供の時に
寺に寄りつかないという信念を持っている人と
似たものを感じるっていう話なんですよ。
もう一つ時間というのがありますよね。
時間がもったいない。
これも僕はタスクシュートでもおなじみだなって思うんですよね。
時間がもったいないからできない。
それは時間の価値を信じてるってことなんだけど
これも僕はすっごい変だと思うんですよね。
その人たぶん私がアドピーだったらそうなんだけど
何十年と使ってきてるんですよ、時間。
私間違いなくアドピーで30年ぐらいは
治療なり悩みなりに使ってきてる。
30年が言い過ぎならば20年は使う。
でも1時間をグッドバイブスに捧げるのが
もったいないっていうこの感じ。
これがですね、面白いと思うんですよね。
それは時間の価値を本当に信じているんだろうかと。
なんかものすごく視野を無理やり狭めているんじゃないだろうか
って感じを抱くんですよ。
この試せないっていう状況、心理状態。
これも私の経験では肌を悪くするんですよ。
試すことができない。
自分にとって確実なレールから踏み外すことができない。
でもだいたいそういう方はどっかに冒険に出たいとか
そういうことをおっしゃるんですよね。
ちょっとこれはサラッと言い過ぎましたけれどもね。
突拍子もないことを試したいみたいな。
私は多分それは無意識の観光ってやつだと思うんですけれどもね。
人ってのはやっぱり自分がそれなりに苦しい状況に置かれると。
私はアトピーですごい苦しい状況に置かれたこともあるんだけど。
手堅く手堅く行こうとしすぎるということになっていくんですね。
そうそう、これが結局口腫れで言いたくなることなんですね。
手堅く手堅く行こうとするんですよ。
絶対に正解のある道だけをたどりたいという心理にだんだんだんだんなっていくんですよね。
これが要するに脅迫的な心理なんですよ。
その道以外は不安で疑心暗鬼になっちゃうので
絶対に効果があるとか再現性があるとか
そういうことにとてもこだわるようになるんですね。
ここで最初の話に戻るんですね。
グッドバイブスをグラゾンさんから聞いて教えてもらって
私が肌が良くなりました。
これに再現性はないんですよ。
そもそも再現性ってものはないんですよ。
そういう考えに耐えられないってことがこの問題をこじらせてると自分は思うんですね。
他の人が言っても同じになりますか?
一般的な医療との違い
そういうことは私は知らないんですよ。
でも私はこれで良くなったんですと言えるんですね。
この考え方がおかしく聞こえるのは
世の中には客観的に測定できる何かが自分の目の外にはあるんだって考え方に
取り憑かれちゃってるからだと僕は思うんですよね。
多分どんな人もそんなものを見たことはあるかもしれないですよ。
つまり私が見ている世界でないところに客観的な世界っていうのはあるのかもしれないんだけど
僕はないと思うんですけどね。
でもあるのかもしれないんですよ。
でも問題なのはそっちで生きていけるって思っちゃうところがおかしいんですよね。
そして一般の医療はそうなんだって思ってるんですよ。
つまり一般の医療というのは人によらず同じ薬は同じ効果があって
客観的な世界の存在について
人によらず条件によらず同じ病気には同じ治療法が存在する。
建前は確かにそうなってますよね。建前は。
何だろうな。
何でもいいんですけれども。本当に何でもいいんですけれどもね。
それこそ抗生物質でいいんですよ。
この病原菌の病気に、風邪には抗生物質が効くってなったら
それは飲む人によらず効くはずだし
その見たてが間違ってなければ、誤診でなければ
その薬を出しとけば治るっていうのは多分そういうことになって
それは私たちの主観によったり個別性によったり個人差によったり
そういうものを超えて客観的な効果が客観的な病気に効くって話ですよね。
でも一方でかかってきた全ての患者の病気は微妙に違いますよね。
それも事実じゃないですか。
だからその人がいつかかったのかとか何歳の人なのかとか
性別がどうなのかとかその人の体調はどうなのかとか
免疫の状態がどうなのかは全員違いますよね。
再現性というのは僕は本当はないと思うんですね。
再現性と言ってるのは僕らがそれが再現していると錯覚するような現象を見てるだけであって
錯覚させられやすいような現象を見てるだけであって
ただそんなしめんどくさいこと言う必要は全然ないんですよ。
普通に医者に行けばだいたい治るんですよ。
でもそういうややこしい病気になっちゃってる人は
私のアトピーみたいなややこしい病気になっちゃってる人は
再現性はないと思っておいた方がいいと思うんですよね。
実際ないって。そんなもの。
私のアトピーと別の人のアトピーは違う病気なの。
だいたいだから最初に言ったんですよ。
あれは奇妙なという意味だな。
奇妙なっていうのは病名としてはどうかと思う場合ですよ。
皮膚が悪くなってます。原因はその他ですみたいに言われてるようなもんじゃないですか。
だからアトピーAとアトピーBは違うんですよ。
全く同じってことは少なくともないんですよね。
人が違うんだから。
そしてこれといった治療法も完全な形で確立されてないんですね。
確立されてるんだったら私なんかはむしろものすごく損してきたってことになるじゃないですか。
確立されてないんです。治らないケースもあるんですよ。
これで治るということになっている処方箋が出ても
なぜか治らないケースもあるわけですね。
私は思いっきりそれにはまってたわけです。
だから再現性はないんですよ。
ないんだけれども、というかないからこそ
こうすれば絶対こうなるっていう観点で何かにアプローチするのはやめるっていうことが大事だと思うんですよね。
この病気にはこれを出しておき、これを飲めば良くなるというこの観点でいくと
この観点を信じている間は良くならない病気というのが残念ながらあるんだと思うんですよ。
これに僕らはがんじがらめになっている気がするんですよ。
客観的事実がこの世の中にはあって
それは主観では見通せないものなんだみたいな考え方。
だから客観的なところを発見さえすれば
私のアトピーの真の原因になるものを発見さえして
真に効く治療法というものに携われば治るんだというこの発想、おかしいと思うんですよね。
この発想をとっているから治らないんですよね。
僕はずっとそうだったわけです。
最終的にそれが糖質制限だと思ったんだけれども、治りきらなかったんですよ。
それは多分、僕が信じていることがおかしかったんですよ。
真に効果のある治療法なら治るって考え方。
これをやめるってことがですね、
これをやめるってことが僕がグッドバイをして知ったことなんですよ。
これをやめるってことを頭で聞いたこともなかったってことはないですよ。
一期一会って言葉があるぐらいだから。
だけれども、どうしてもそれを体感にして
自分の病気にまで適応するというところまでは持っていけなかったんですよね。
持っていったんですよ、それを。
これを私の経緯では簡単に言うと、
私の真の病気の状態を知って、それに対する真の手当ての仕方を
プラズマさんに聞いてきましたってことでは全くない。
全く逆なんですよね。
だから再現性はないんですよ。
その人その人が最終的にどういう心理状態に自分を持っていけるかということに左右されてしまうので。
ということはつまり、その人は自分で治すってことになっちゃうんですよ。
ここを言うとね、言うのが僕は躊躇があるんですよ。
グッドバイによる解決
お前は自分で治す力を持ったってことだねっていう話になるんだけど、そうなんですけども、
結果としてそうなんですよ、これは。
治す力を持ったというよりは、治すのを妨げるのをやめるようにした。
そういうことが可能だということをプラズマさんに聞いた。
こういう感じなんですよ。
で、これに再現性があるかどうかはその人その人によるじゃないですか。
そして、その人がそれをどのくらい深刻な事態だと捉えているかにもよりますよね。
全然深刻じゃない場合もあんまり効果ないだろうし、
逆にものすごく深刻な場合も果たして効果があると言えるかどうかは疑問ですよね。
ただ、事態が本当にどのくらい深刻かを客観的に測定する方法もやっぱり同じように、
全く同じ理由でないと思うんですね。
その人がどのくらい深刻だとそれを捉えるかはやっぱりその人次第じゃないですか。
これって本当に親に虐待されるとか殴られると言っても、
人によってものすごく感じ方、考え方が様々だと思うんですよ。
例えば私だって叩かれたことはあるんだけど、
それは全然深刻だとは感じてないんですね。
これをでも一回でも叩かれれば、
それを非常に深刻だと受け止めるということはあり得るし、
それってシチュエーション次第なんですよ、結局。
測定のしようがないですよね。
例えば今私の肉親が、もし親に手を挙げられようものなら、
もうまずいですよね。
それはもう戦争になるんじゃないかぐらいな気がしかねないレベルですよ。
私には測り知れないです、それは。
私が親に手を挙げられたからといって、
もうそれは蚊に刺されたという程度にしか私には思えないし、
それが少なくともね、家破壊せずにはおらんぞぐらいになるというのは、
どういう心理状態なのか、理屈は知ってるんだけど、やっぱ分からないですよね。
で、やっぱりそれは同じことだと思うんですよ。
さっきから繰り返し述べているような。
それはその人が決めることなんですよね。
その深刻度も、それを諦めるかどうかというのが、
再現性はないんだということを納得するかどうかといったことも含めて、
その人が決めるよりほか、ないんだと思うんですよ。
だから、その真の原因とか、自分の心の中で起きている、
例えば、真に悪いやつは誰かとかね。
グッドバイブスのオススメ判断基準
結局そういう話ですよね。
私の場合は糖分、糖分を完全に分解しきれない水蔵なり、
肝臓なりじゃないんだけど、本当は。
そういうところの機能が弱い、私は生まれつき悪いとかね。
あるいは、そもそも糖分というものが現代の食生活には多すぎるのが悪いとか、
悪いものをいっぱい探しに行くわけですよね。
それこそ、乾燥とか気候とか、関東は冬、乾燥しますからね。
寒さと湿度の低さが真の原因ではないかと。
その複合的なね、寒くて乾いているときにたくさんの糖を取る。
これは良くないですけどね。
複合的に起きると、分解しきれない何かが悪さをするのではないかとか、
こう考えますよね。
こう考えるように僕ら習ってきてますし。
通常はそれでいいということなんですよ。
再現性という言葉もそこには疑似的なものとしては機能するわけですよ。
大変しないですよね。
だって冬の空っ風とか吹いたから、湿度が必ず同じ状態になるわけでも、
温度が必ず同じ温度になるわけでも、
その時取る糖分の量が全く同じになるわけでもありませんから。
再現はしないんですよね。
何グラム以下ならいい、何度以上なら大丈夫だっていうのも厳密に計りきることはできないわけですよ。
で、そこを諦めるんですよ、結局ね。
結局どこまで行っても分かるわけじゃない。
それはあれと似てるんですよね、やっぱりね。
本当に閉じまりをしたのかどうかは、結局分からないというのに似てるんですよ。
でも、なんつうんですかね。
だからそれは自分で決めているってことなんですね、最終的には。
これは普通はそうは考えないんですよ。
閉じまりしたかどうかは客観的に決まってるんだけど、
でも心の中では最終的には自分で決めてるんですよね。
何十回もこれで行き来しちゃう人が現実にいらっしゃるということは、
その人はやっぱり決めきれないという心理に入ってるわけですよ。
でもこれは大変厳しいことなんですよ。
こんなにこう、はためにはどう見えるにせよ、笑い話では済まない話なんだけど、
でも私のアトピーも全く実は同じだったんですよ。
決めきれないんですよね。
心の底からというのか、体の体感としてというのかな、
客観性云々とは関係なく大丈夫だと決めるということができなかったんだけど、
できたんですよ。
それはできるんだよということと、
そう難しいことではないんだよということを聞いたってことですね、グッドバイですね。
でも同じことを聞いたから同じように思えるかどうかはそれは分からないですよね。
あとは、でも最終的にはそれはどういう話を聞くかによらないじゃないですか。
最終的にはうまい話をしてくれるとか、いろいろ大事な点はあるんだけど、
でも最終的にはどういうふうに自分が決着させるかは分からないじゃないですか、
その人その人で、
でも私はこの人は多分倉園さんと話せば自分でそっちに決めることができそうな感じがするとか予感がするということなんですよ。
その時にオススメをしたいという気持ちになるということなんですよ。
勘を信じることの大切さ
そこに再現性という話はほとんど逆を向いているんですよ。
だからオススメする場合もあるししない場合もあるし、
同じ人でもする時もあればしない時もあるし、
この根拠はと言われると勘ですみたいになっちゃうんですよね。
でも僕はその勘ですっていう感じをつかめたから、
私はそういうのが大変信用しない人でしたし、
苦手な人間だったから、
この勘ですみたいなのがなかったわけですね。
勘がなかったんじゃないんですよ。
勘を、なんていうんですかね、
勘にもっと秘書を送ってことができなかったんですね。
今はこの病気はこれぐらいのものを食べても全然いけるというのが、
勘でわかるんですよ。
その勘に従っている限り、
自分の体が狂ってこないんですよね。
それに対して、
いやいや危ないでしょそれじゃっていう風に感じる人はいっぱいいると思うんですね。
自己信頼が解決する症状
それはそれでいいと思うんですよ。
だけれども、自分の体について、
そういう信頼みたいなものを見失って、
何か医療の知識なり何なりというものの方を優先させ始めた時に、
その時何も問題を持ってなければいいんだけれども、
持っているとめんどくさいことが起きると。
それならば多分客観的な事実とは何の関係もないイリュージョンですね。
それを僕らが持ち始めるからだったと思うんですよ。
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