1. グッドモーニングボイス
  2. 【792】正しさと自由の選択
2023-06-01 45:53

【792】正しさと自由の選択

自由は危険だと警戒される
ロッテの勝利と野球の話
おはようございます、グッドモーニングボイスです。
ついに6月になりましたね。6月1日の7時50分ですね。
昨日、ロッテが巨人に負けちゃいましたね。
昨日は、巨人が巨人と試合をやっているようなメンバーでやっていたんですよね。
知らない人には申し訳ないんですけど、昨日投げていたメルセデスって巨人から来たっちゃだし、
昨日予判を打っていたポランコって巨人から来たバッターだし、
多分その前、どこかに楽天にいたような気もしたけど、ちょっと間違っているかも。
あと、昨日8回に決勝点を取られたサワブラッテピッチャーも、もともと巨人にいた選手ですしね。
彼はロッテに来てすごくよかったですよね。
ロッテに来たから、多分大リーグにも行けたみたいな感じの人なんですけど、
とにかく昨日は勝ち負けに関係した人はみんな元巨人みたいな試合でしたね。
今年はラッキーなことに主位なんで珍しくですね。
何年ぶりだよっていうぐらいなんで、それでも10年ぶりぐらいだったと思うんですけど、
この交流戦終わった時に3位とかになっていないければ、結構期待が持てるんじゃないかという。
ただ大体パリーグ結構浮かつし、昨日はパリーグの上位3球だと全部負けたんで非常によかったんですけれども、
全部負ければ全部勝ったのと何ら変わらないんでね。
全部負けてる中勝つのが一番いいんでしょうけど、とりあえず主位であればですね。
周りが同じ結果なら問題はないんですよね、ペナントレースって多分。
そんな感じで今日勝てばいいなと思ってるんだけど、
今日あたりそろそろ台風が近づいて雨とかで流れちゃうかもなという感じもちょっと気にはなるんですが、
とりあえずそんなのはいいとして。
100日チャレンジの募集と手帳編の宣伝
まもなくですね、6月3日から100日チャレンジの第4期がスタートします。
長編ですね。
もう本当に満席まであとわずかなんで、多分10%くらいになってきておりますんで。
しかもここで毎回そうなんですけど、ここで一番多く増えるんですね。
検討して悩まれている方はもうここでタイミング的にはご参加いただければいいかなと強く思います。
あと手帳編はですね、非常に実験的な回なので、もし今回うまく、すっごいうまくいったというならともかくとして、
果たしてもう一回やるかどうかはわからないんですよね。
これはJさんや大橋さんとも相談の上決めるという部分がありますので、
僕がご利用したとかいうわけでは別にないんですけども、
手帳編がもう一回やるかどうかはわからないので、今回で終わっちゃうかもしれませんから、
もし興味があるという方は、非常にだから実験的なところはありますが、
タスクシュートを手帳でやるというのですから、実験的ですよね。
こちら、よろしければ今日は素で何とかお申し込みいただければと思います。
満席には多分もうなると思いますので、この流れからしますと。
ただ、いつもに比べると、たぶんギリギリなんとか皆さんご希望の方は入れるんじゃないかなと。
ギリ、多少はね、1名もワーク拡大しないよというわけでは別にありませんから、
最大で100何名かまではOKなので、よろしければぜひお願いします。
たぶんですね、この次はどうなるかわかりませんけれども、この先は、
ノーション編とかがたぶん待っているので、
そう簡単にまた手帳編ですよみたいなことにはならないと思うんですよ。
今いろいろ開発中のところもありますし、タスクシュートのツールですね。
だから手帳編は、来るにしても第8期とかになっちゃうと思うんで、
これ100日なんでですね、別に100日ごとにぜひお願いいたします。
はい、そんな感じで、6月1、2はちょっとチェックしてみてください。
3日にキックオフが開始となります。
ここで一応ね、募集を締め切りますので、なぜかというと100日なんで、
やはり99日ですけどみたいなのちょっと我々としてはね、
そういう時間に応じてですね、クリアをしてみてくださいね、
ぜひぜひお願いいたします。
ノーション編や遠畑海人さんの講義について
はい、ではこれで終わりの方で、
やっぱりこう99日ですけどみたいなのはちょっと我々としては避けたいみたいな
100人以上はいいんだけど90日チャレンジでしたみたいなことにはしたくないというのがあるんで
一応卒業式っていうのもありますからね
傾向不当非卒業式とセットなんでこれは
そんな風に思っていてください
昨日というか前回は対談をして
その前はグッドバイブズ編で
100チャレ編どっかでやろうと思っているんですけども
第4期が始まっちゃいますからね
始まってからまた100チャレ編をお届けすればいいかなと
第3期の方への100チャレ編も並行してやっているんですけども
それについてちょっと今日は100チャレ編じゃなくてもいいかなみたいに
思っております
どうしますかね
でも100チャレ編とか言っちゃっておいてもいいのかもしれないですけど
ちょっと今日もどうなるかまだ決めてないんですね
決めあぐねておりますので
これから喋って考えます
でえっとですね
最近その
鼻がぐずぐずしてですね
最近ストレスということと
怒りといういつも通りのテーマなんですけど
についてですね
遠畑海人さんの新しいオンライン講義が始まったんで
私は早速申し込んでですね
ずっと聞いてて
相変わらず面白いなと思って聞いているんですけれども
彼が
テラピー
違いましたね
ケアなきセラピーは暴力であるっていうことを
わりとこの
強調してお話しされてたんですね
私はこれはもちろんそうなんだろうけど
ご自分に強く言い聞かせているように
これはわかんないですよ
わかんないけど僕にはそう聞こえたんですね
でえっと
確かにケアなきセラピー
っていうのがあったとすれば
それは大変問題があるんだろうと思うんですが
でもケアなきセラピーってあるかなって思ったんですよ
まずね
でついでに思ったこととして
そもそもセラピーなきケアって可能かってのも
思ったんですよ
あの何かというとアドバイスしてくるみたいなことを
言う方もいらっしゃるし
ストレスとその原因
実際そういうやたらアドバイスするぜみたいなことも
世の中にはあると思うんだけど
でもやっぱりよく聞いてるとですね
えっと確かにアドバイス好みというのか
もうそれがアドバイスがマウントになってるみたいなのが
最近の流行りの言い方なのかもしれませんが
聞いててそういうこともあるんだけど
でもえっと
でもそのアドバイス誘発されてる感じも
絶対するんですよね
私は旗で聞いてても
自分がそういう立場に立ったとしても
される側もする側もですよ
えっと何でかっていうと
そういうなんていうんですかね
だから免罪されると言いたいわけではないんだけど
えっと
アドバイスをされるモードみたいなのってあるんですよね
これだから投影なんですよ結局
話が急速に本題に入ってるんですけど
話をちょっと前の方に戻してですね
ストレスとか怒りというものの
僕はやっぱり
一番それを受けた時
受けるじゃないですか
今日も受ける方が
いっぱいいらっしゃると思うんですよ
えっとこれから電車に
今電車に乗っている方も大勢いらっしゃると思いますし
これからその
必ずしも危機として行くわけではない
職場に行くという方もいらっしゃるわけで
行かなくても家で火事がたまってるとか
いろいろあると思うんですよね
その火事とかは非常に
火事とかだと身につまされない方も
いいかもしれないんですが
火事のいいところはですね
まさに意味付けがそこで行われている
ところにあると思うんですね
例えばそうだな
カゴの中にまだ洗ってない洗濯物が
溜まっているのを見て
ストレスだって思ったとするじゃないですか
でそのストレスを
これも散々使い古している
僕の中では
例えば私なんですけど
子供が乳児が見て
ストレスかって言うと
それはストレスじゃないですよね
つまり生まれついて
カゴの中に溜まった洗濯物が
ストレスになるわけじゃないですよね
ということは
何かそこには
それをストレスだと
決定する
決定するための
論拠というのは
言葉が硬いですが
原因というか
ストレスに対する自己決定
カウンセリング的に言うと
力と言いたいところなんですが
原因
理由
根拠
何かがあるわけですよ
洗濯物は
洗えとは言ってこないわけですよ
これはニードとニーズの話ですよね
洗濯物はですね
洗われる必要性を感じていないんですよ
くどくどしい言い回しになってますけど
それを洗ってないことが問題だとしているのは
やっぱり
洗う人の側にあるはずなんですよね
だから
自分で決めているという話も
よく出てくると思うんですけれども
自分で決めているというよりは
やっぱりこれは
自分の中にそれを決める
要因がある
というのが
細かく言うと
その方が正確かな
というのが
その方が正確かな
と思うんですね
自分の外には
ないだろう
というのがまず一つなんですよ
原因はですね
自分の中にあるはずだと
自分の中にあると言っても
自分自身かどうかはまだ定まってない
と思いますよね
ストレスを感じている程度の段階なら
この洗い物が
ストレスを感じさせつつある
というのが私は
ストレスの構造とその対処
いいと思うんですけど
そんなめんどくさい言い回しを
現実にする人はいないと思うんですけど
私は今そういうことに結構
なんていうんですかね
そういうところが大事だな
みたいに思ってるんですよ
ストレスを感じさせられつつある
みたいなね
誰が感じさせつつあるのか
というのも
なんていうんですかね
詳細に
検討していくと良い
って思っているんですね
そういうことが
いずれ
外人関係なり仕事の問題なり
気が進まないとか
最近で言うと
そうですね
新しい企画の告知が気が進まないとか
記録を取っても
見返せませんとか
こういうことと深く
関係があると
私は思っているんですね
その
これは洗濯物という
動かない生き物でもないもの
だからあれなんだけど
例えばそれが
それこそマウント取ってくる
上司でもいいと思うんですけど
いけつかない奴だとするじゃないですか
その場合も僕は同じで
いけつかない奴に
ストレスを与えられつつあるとき
その原因はですね
どこにあるのかというと
やっぱり自分の内部の中に
要因が潜んでいる
と思うんですね
この場合は洗濯物と
違って
いや外にあるって感じの方が
強いと思うんです
このいけつかない上司が
原因であるって感じが
強いと思うんです
でも私はそのいけつかない上司を
見たというときにストレスを
かすかにでも覚えたとすれば
まだ何も言ってくる前に
ストレスを取ってくる前
こっちをにらむ前
その段階でもなお
洗濯物と同じように
洗ってない洗濯物と同じように
ストレスというもの
同じタイプのストレスじゃなくても
ストレスというものが感じられてくるならば
やっぱりそれは
この構造は
同じだと思うんですよね
自分の外にものはあります
人はいますが
それがまだストレスを
生み出すという力を発揮する前に
心の中に
ストレスが生じてしまうならば
やっぱりそれを生じさせている
超自我について
要因は心の中に
あるはずですよね
そうじゃないと
おかしいとやっぱり
思うんですよ
くどくどと言っているんですが
つまりなんでこういう風にくどくどと言っているかというと
ここで私は
この心の中でストレスを生じさせているのが
超自我です
そういう話をしても
やっぱり外にあるんだ
というところから
なんていうんですかね
私からすると
私自身が
考えているもそうなんだけど
この問題の
なんていうんですかね
そういうの
頭では分かりました
終わってしまうので
超自我ってのは
まず自分の中にあって
自分自身じゃまだない
というところから
始めたいわけですね
超自我っていう風に
言ってもいいんだけど
とにかくそれは
自分の中にあるんですよ
超自我が自分の外に
あるはずはないんですよ
超自我のきっかけになったのは
うちのひどい親なんですっていう
その親は外にいますっていうのは
そうかもしれない
でもその場合ひどいって言ってるのは
自分の心のって
その親がひどいかどうかというのは
外的に決定されない
事案なので
外的にはそのひどいっていうのは
客観的に結論としては
まだ出ていませんから
誰かが認定したわけじゃない
ってことですね
ひどいっていうのはたぶん心の中に
いるはずなんですよ
やっぱり多くの場合
しかも私の場合なんかも
別に私は親ひどいと思ってないので
親が超自我に
強く関わっているにせよ
やっぱり私の超自我ってのは
私の中にいるんですよ
そして洗濯物が
私洗濯物が洗ってないのを見ても
ストレスならないけど
その場合そんなことを正しがきしてると
しょうがないのでなるとしましょう
なる場合中の超自我が
いや洗ってなきゃだめでしょ
って言うから
ストレスになるんですよ
それは
私に上司いないんだけど
好きになれない上司の
背中を見たときでも
たぶんストレスになる
背中を見たときに
全く同じ構造で
背中がストレスを
作り出してくるわけじゃないですから
それだったら
写真でもなるはずですよね
私たぶん
自分の場合はですが
好きになれない人の
背中の写真では
ストレスは感じないんですよね
だからビジュアルが私の心に
直接ストレスを作り出すわけではない
これはたぶんVRでも
僕はならない
VRであることを忘れなければ
だから
そうやってストレスを
作るということは
たぶん超自我が
超自我に相当するものが
自分の心の中で
私自身がと言ってもいいんだけど
何か私自身とは
少しずれたものが
ストレスを作り出しつつあるという
状況が
あるはずなんですよ
そうでなければ
私が内心にストレスを感じる
のがオカルト
になってしまうんですよ
直接絵が私の心に
手を入れてストレスを
作ってくるみたいなのが
オカルトなんですよ
絵は手を入れて来られないので
ということなんです
ここが第一段階だと思うんですよね
この構図をさっぱり忘れて
自分の超自我とか
自分自身とかも一切なくて
あいつがあるいは
下着やらが汚れている
光景そのものがストレスを
作り出すんだという風に
ストレスの作り出し方
思ってしまう時に
作り出しつつあるという
流れから
オカルトという流れに
移行して
完全に次の段階に
入ってしまって
その時には
私はもう超自我と
一体化しているんですね
さっきまでは
私の中にある超自我と
正しさでもいいんだけど
ルールでもいいんですし
怒りの厳選みたいな
言い方でもいいんですけど
私自身はまだズレが
この段階では私は
検討できるんですね
このストレスを作り出そうとしているものは
何かという検討ができるし
私の
それは私の中にいるのか外にいるのかを
見極めることができます
できると僕は思うしできるんですよ
あるストレスを感じたと
それは何が作ったんだろうという
第一次的ですよ
直接作り出したものは何なのか
言うことを
検討することができるんですよ
多分これは超自我にはできないことだと
僕は思うんですよね
私自身にしかできないことだと思うんですよ
これを作り出したものは何なのか
ということと
それを作り出したものは
私の内側にあるのか
外側にあるのかを検討することは
私にはできると思うんですよね
超自我にはできないことと
超自我の決定というのは
決定にしてしまうんですよ中であるという決定をするケースもあるんですけど どっちであったとしてもですね
一体化による問題
8長寿がの良い分通りになってしまう そのストレスを作り出したものは悪であるっていう結論を出しちゃうんですね
これが82つ目のステップなんですよ 長寿がともし私が一体化するともうこの段階では内か外かとか
原因そのストレスの原因だったものは内側にあるのが外側にあるのかという見極め はできなくなります
それと8これを作ったのは長寿がなのか私なのかという問いは何センスになります私と 長寿がが一体化しちゃう
8長寿がであり私であるって結論になっちゃうんですよ 私か長寿が買っていう問いを立てられるということは私と長寿が別物なんですよ
私の中にどっちもあるんだけど でも一体化しちゃったらもう8その結論は決まってるんですね
私とは正しさだっていうことになる つまり私は正しいってことになっちゃうんですよ
でこの時はもう怒っているはずなんですね 怒っているということと私は正しいということはつまり同
同時に発生するということです でこの時にはもう8
外か内かの判定も 8
このストレスを作った原因は悪かそうでないかの原因での選定もできなくなっ なぜならば私は正しいのだからそして私正しい私がストレスを感じてる
ということはこのストレスの原因は悪に決まってるんですよ だからここでも見極めるってことはできなくなるんですね
2つのことが確定する そのストレスは悪でありその原因は8長寿がである私にはないというところまでは
確定しちゃうんですね 残るは8この原因をそのストレスを作った原因はどこにあるのか
いう問いだけになってしまうんです でそれはマウントを取ってくる上司かそのマウントを取られた私のどっちかですね
この場合の私というのは多分8私 ミスをした私とか長寿が以外の私とか
えっと未熟な私とか私の肉体とかとにかくですね えっと長寿がじゃない私つまり正しくない私なんですね
このようにしてえっと私はですね長寿がと一体化した時に8時 自罰的になるか8多罰的になるかの選択だけが残ってくると思う
8この話ももう散々してますけど8今日は少し構造を8 細かく黒く言ってみたというだけなんですね
で多罰的になるか自罰的になるかの選択というのは8誰が考えてもそうだと思うんです けれども自罰的になれば自体は丸く収め埋まるけどものすごく
で多罰的になると8 自体をことを抗てなければならなくなります
なぜかというと多罰的でありながら他を罰さないというのは結局自罰的になってしまうので 多罰的になった時つまりこの上司が悪いんだという場合は何らかの形で上司を罰する
までは結局自分はすっきり長寿が的にはね 長寿がと自分が一体化したので長寿が的にはすっきりしないのでえっと
こういうふうにして私たちは心にもやもやを抱えるって言うこれも流行りの表現ですけど そうなって次に私たちがやる
本当はどっちが悪いんだろうというこれも長寿側ですね やっぱりえっとあっさりと多罰的になるという人もいるんですが
えっとここでいろいろ考えがちな人はですね本当はどっちが悪いんだろうというふうに 考えるんですね
そのためにえっと親しい友人はこの選定自体がですね 自分にすごく有利なんですけれどもあの親しい友人にどっちが悪いと思うっていう話を持ち
かけるっていう風にしてこの話は終わっていくんだろう もちろん海外の場合はいやそれはもうその上司が最悪だねっていう答えをもらって
納得するっていう流れになると思うんですよ で私はこれに飽き足らないところがあるのでえっと
この話をもう少し先へ進めて まあある意味
人の品種交換ことが多々あるわけですけれどもそれはしょうがないんですけどね つまりこの話をの話を先に進め一番求められているのはやっぱりいやそれは本当に
あなたは悪くないよって話をしてくれることなんだけど えっと私は大半のなんて言うんですかねな最初になぜケアとセラピーの話をしたか
というとですね 大半のセラピーなりカウンセリングでも結局人が求めるのはそれなんですよ
いやあなた悪くないですよって言ってほしくてカウンセラーのところに行く でその場合カウンセラーがまあまああなたそんなに悪くないよとまず言ってくれるのが
ケアなんですよ 多くの場合そういう形を取らざるを得ないと思うんですね
セラピストはわかってるからここでまあまああなた悪くないよと言ってても何の解決 にもならないしほとんどプラスにもならないんだけどそうは言っても
セラピストの役割と課題
これをよくマネジメントって言うんだけれどもマネジメントとも言うんですけど あるいはラポールの確立とかいう信頼関係の確立って言ってる時も
だいたい結局はこれをすることになってるんですけど多少 慣れた人でないと多少考え込みながらやると思うんだけれどもでも結局やる
ことにはなると思うんですね あなた悪くないよっていう話をしてほしいという圧が強くかかってくるはずですから
特にお金からってまでセラピーに来てる場合はですね 多分これでこじれるケースはいっぱいあると思います
でもやっぱりセラピスとしては誠実に誠実にあなた悪くないよっていうのを避けると そうすると聞きに来ている人はなんだこいつはってことになって俺金が払ってまで
あんたの説教聞きたくないんだよと言ってあのセラピストでは最悪でしたということ をレビューに書いたりしてこじれるわけですよ
まあそういうことはきっといっぱいありますね だから部屋のないセラピーは暴力であるということを
尾形さんが喋っているときに私はこれは絶対この人は自分に聞かせてるんだろうなと思っ てたわけですよ
これはみんなカウンセラーだったらやっぱり言い聞かせるわけですよ でもここでセラピー始めちゃダメなんだあなた悪くないんですよと言ってまず落ち着かせてから
セラピーを始めなきゃダメまあこれはすっごく今話はしょってます そもそもこのケアだけで1年かかったりするケースが絶対あるんで
まずケアから始めるっていうのもそのその場の15分ぐらいで話が済むんだったらみんな そうするんですよ多分
だけれども多分それでは絶対に済まないっていう人も中にはいるというかいっぱいいるので えっと悪くないと言われるだけでもえっと1万回ぐらいする言ってくれないと
全然心が落ち着きませんという方もいっぱいいらっしゃるわけだから あなた悪くないんですばっかり言ってなきゃなんだいと
言い聞かせと心のケア
いうケースになる場合も多分あると思うんですよ だから言い聞かせるんですよそんなことをずっと言ってられないよねって思っちゃいます
からセラピストは多分セラピーがしたいっていう気持ちがありますからね それがえっと
さっき言った通りこうアドバイスのマウントみたいな話にまあなりやすいわけ でえっとこの話をずっとしてたらしょうがないのでこれはあの
ギリややスキル的な話でもありますからただこういうのって夫婦間とかでも えっとそれこそ先生と生徒みたいな関係でもあるようなというか特に親友とかは
ありますね これは
ほとんどセラピストじゃないわけだからケアだけが求められているというケースもいっぱい あるのでいやはと分かってるんだよ私も悪いことはさあみたいな話になるので
ほとんどずっとケアしてなきゃならないということになるわけですよね そこでもうセラピーはできない
だからセラピーは専門家がやるみたいな話にもなってるんだと思うんだけど でえっとそれはまあいいんですね私はでも
今こちらを聞いていらっしゃる皆さんは基本落ち着いていらっしゃるという前提で僕しゃべって ますから
えっと落ち着いている状態で考えるとやっぱり問題なのはですね 私が悪いかあなたが悪いかではあいつが悪いか私が悪いかというこの問いに入って
しまう前に解決策あるはずなんですよ あとでもあるんだけど前が一番いいんですよ
要はこの私と長寿がが一体化する前です この時に私にしかできないことというのは2つあって
えっと一つはこの原因が長寿がにあるのかストレスを作ったな 私の長寿がなのかつまり私自身じゃないんですよ
検討しているのは私だから私の長寿がなのかそれともあいつなのかっていうのをまず 返答するタイミングは残ってるはずタイムかな
時間というのかなこの場合はそういうチャンスはまだ機会は残ってるはずだというのが 一つともう一つは
えっとそれをそのストレスは悪だと 決定
悪なのかどうなのかの検討ですね 例えば洗濯物が洗ってないのは悪なのかっていう話なんですよ
これを私と長寿がが一体化する前私が検討することができる内容だと思うんですよね だから検討事項2個あるということです
これは悪なのかどうなのかということと作り出したのは長寿がなのか 外側にあるってことなんですよ
でえっと納得いかないケースはしょうがないと思うんですけども 100個1日に大抵の人は100はストレスを受けると思うんですが機械としてですね
まあ100受けなくても50は受けると思うんですが 50のうち一つぐらいはですね長寿が作ったに違いないっていうのが見つかるんですよねこれ
1個見つければ ある意味十分役に立つかなと思います
最近私が自分のを計測している限り常に50対0あるいは100対0で長寿がが作ってるんだけど だから私は多くの全部じゃないですよ全部じゃないですが多くのケースでは長寿が
作ってるはずだと僕は確信しますが えっとそんなはずはないという方もいらっしゃると思うんですよね
50勝0敗であいつが作り出しているんだっていう方の方がいても別に僕は驚かないんですよ だけれども8そのうちの一つぐらいは長寿が作っているのが見つかるはずだと思うんですよね
えっとこれを見つける価値はたとえ1勝49敗だとしても別に勝ち負けはないんだけど 一つが長寿が作って49個があいつらが作り出しているんだとしても
やる価値はあると思う なぜなら長寿が作ったということになればですねえっと
ここに善悪はなくなるんですよ 正義ですから長寿がっている
長寿が作ったってことは長寿が悪いのかって話になると思うんですけど 長寿がに悪を当てることはできないんですよ
これは僕はすごく大事なポイントだと思うんですよ えっと長寿がが正義なんですよ
だから正義がそれを作り出すことが私の苦しみになるというなら 正義はなくなっちゃうんですよね
もしそれを確信することができればです そうするとさっきの問いはいらなくなるんですよ
あいつが悪いのか私が悪いのかってのもいらなくなるんですよ 作り出したのは長寿がなんでということはえっとこのストレスというものを
作り出した長本人が悪を抜したいっていう展開にさえ持っていかなければ この苦しみっていうのは最初からないことになる
正義という概念について
こういうふうにして交流話を多分セラピーの人はしたいんだと僕は思うんですよね でもこのセラピーをさっきも言ったとおりケアのない状態ですると暴力になると
いうんで えっとつまりこれを一旦ですね自分と長寿がを童貞した後になってしまうと
大変 手間も暇もかかるということですその手間と暇かける価値はあるんですけど
その手間と暇をかけるのがアンセリングなんだということだと思うんです でもう一つここには別の話があってですねまあそれはすごく
クラゾのさんのグッドバイブスの話になるんだけど えっと
トムの壁塗りだよな トムの壁塗りだと思いますが
えっとトム爽也の壁塗りっていう話がトム爽也の冒険の冒頭で出てくるんですね であれはですね要は
まあトムが
おじさんに壁塗っとけって言われて まあ塗りたくないわけですよねとでもえっとものすごく楽しそうに塗っているフリを
したら友達が通りかかってちょっとやらせてくれというとそしてトム爽也はうまいこと 友達にみんな壁を全部ならせることができたって話なんですよ
そしてこの話がですねいつも高価値マックスの話を聞いている時に8 思い出すんですよ
あのつまり これは価値マックスだと思ってやると価値マックスになる話だと僕はそういうふうに解釈
してたんですね昔 トム爽也の壁塗りこの話はだから
よく仕事術で僕はですね少なくとも自分の書いた本で4回は紹介してきたと思うんです けれども一番最初の頃にも紹介したことがあるんですが
えっと要はこれトムはそうは思ってないんだけど トムの友達はこの壁塗りをやることは素晴らしいことだって思ったじゃないですか
思ってやってしまったらもうその壁塗りはとても楽しくて8 だからアレですよね長打の列ができたまあそうなるかどうかは微妙なところだ
なと思ったんですがマクトゥエインの言いたいことはそういうことなんですよね えっと長打の列ができるとなおさらその壁を塗りたくなってくるんですよ並んでた子供たちは
ですね これはあの食事も同じだと思うんですよねレストランとかでも8まあ今の人は超えてます
から並んだからと言ってうまいというふうに思いたくないっていう気持ちも強いと思うん だけどでもやっぱりですねこの店はうまいと信じています
お金もたくさん払いましたしかも結構待ちましたってことになると多分それは 8安くてフラッと入って8入りたくもなかったお店で食べた場合と比較すると同じ味
だったとしてもえっと最初の方が遥かに美味しく感じると思うんですね で
価値と客観性
この話をするとですね多分それはただ騙されてるだけじゃないかっていう話になっちゃう という部分があると思うんですよ
8マックスなんじゃなくて搾取されてるんじゃないのって言いたくなると思うんですよ 僕はそこの心が8問題だとよく思うんですけれども
搾取という言い方をした時はまず絶対価値はマックスではないはずなんですよね 問題になってくるのは8想像
最初にどう決めたかなと思うんですよ これをですねえっと私はなぜ搾取って言葉が出てくるかというと
さっきのストレスと悪の話と同じ構造のような気がして仕方がないんです なんで私たちは客観ということにこんなにこだわるのは搾取って客観と関係が深く
ありますよ 本当は騙されているんじゃないのかって言った時に
8主観的にたてその人が満足したとしても8価値はなかったんじゃないのかって言ってる わけじゃないですか
もう価値を決めているのは客観ですよね客観じゃなきゃいけないわけですよ 自分が満足してもダメだって言ってるわけじゃないですか
8トムの友達たちが同じ立ちっておかしいな壁塗りに満足してはいけないというのは 主観的にはもう彼ら満足しちゃってるんだから
フォームに騙されたというならば壁塗りに価値がないことは客観的に決定済みでなければ ダメですよね
客観的に壁塗りは価値ゼロだというふうに決まっているからこそそれは搾取って言える わけじゃないですか
それと同じだと思うんですよその 例えばあの上司は行け好かない奴だということが客観的に決まっているとか
8まだ洗ってない洗濯物の籠にあるのは8良くない状態だと客観的に決まっているとか そういうふうに思うから僕らはまずストレスを得ると
つまりストレスは外からやってくるっていう風に考えることができるんだろうと思う 作種もやっぱり同じなんですよ
外からやってくるんですよね でそれ決めるの誰なのかってことですね僕はこれは
やっぱりその都度その都度その人がその人が8検討するしかないと思うんですよ 多分作種っていうのは長寿がだと私は
確信しているということですね あの客観的に決まっているというふうに我々が信じるときは決まって長寿がが決めて
いるはずなんですよ 客観的に決まっていることっていうのはこの世の中にないものなので
この世の中で客観的に決まっていることがあるって言えるのは多分その人の長寿が なんですよ
心の中の自分自身ではない部分 表示がってのがありまして多分それが正しさというものを一手に引き受けていて
あなたがその壁塗りを 喜んでいるのは正しくないと判断して初めて
作業と正義感
その行為には価値が本当はないんだっていう思いが発生するんだと思うんですよ 壁塗りに価値があるかないかはわからないじゃないですか
それは8誰が決めることでもないですよある意味ある意味では誰が決めてみたところで 主観でしかないですよね
それ価値があるとかないとか言っている人の主観が決めるわけじゃないですか 宇宙が決めるとか神が決めるとかいうもんじゃないですよね
壁塗りに価値があるのかないのかという 対価が発生するかどうかですっていう人もいると思うんだけど
そもそも対価が発生することに価値があるっていうのだって いかにも長寿が的な発想だと私は思うんですよ
対価が発生することに精を出すのが正しいんですって言った人がいたとか あるいは親がそう教えるなりしてそれを自分がその通りだと納得した瞬間があって
でそういうのがそういうルールが自分の中でインストールされるわけですよ で代わりに例えば時給10円で喜んで仕事をやるのは
8なんていうんですかねまあ要するに間違ったことをやらされているというふうに 自分で感じるわけですよ
それを感じさせている要因が私自身と別のところでも私の中にあるはずなんですよ 外にはない
なもの だから8作手っていうのはですね
8長寿がが決めていることだと思います そしてこの長寿が決めている非常に大事なポイントにですね
8 さっきの話が出てくるんだけど
価値マックスのものがないっていう定義があると思う 価値は上下があるっていうものがあるはずなんですよこの考え方の大元には
着手ってそうですよね8対価の良い仕事と悪い仕事 つまり価値のある仕事とない仕事がなければ作手っていう観念は生まれてこないわけですよ
フォームの壁塗りには価値がないというのは対価がないからかもしれないし 壁塗りなんてくだらないことだからもしれないんだけれどもそれは価値がないわけです
それを頼んでくる人間にも価値がないわけです それって価値マックスっていうこととは相入れないと思うんですよ
マックスっていうのに上下ってないですから 別の言い方をすると価値無限ってことですからね価値マックスって
その場合上下ってものはなくなるわけですよね だから作手って観念はなくなるわけですよさっきのあの
洗ってない洗濯物も同じで 洗ってない洗濯物がそこにあるのはダメなことだっていうか価値マックスではないじゃない
ですか 少なくともマックスという発想から出てこない感覚ですよね
だからこれを決めるのは長寿がだと私は思うんですけど 洗濯物はちゃんと洗っておかなきゃいけないのよって言ってる長寿がだと思うんですが
この長寿が発想 家には強く上下する可能性が高いっていうか価値というのはあるものとないものが
あるんだっていうルールがあると思うんですよ 正義そういうもんだと思うしで多くの場合
あの政治的な正義だけじゃないのでつまり作手は 作手はすることもされることも悪であるっていう考え方があるはずで
そこにはやっぱり正義感ってものがあってそしてそれには価値の上下ってものがある と思うんですよ
価値のマックス
だから8 本当に
すべての人の価値がマックスならば頼んできたおじさんの価値がマックスならば えっと壁塗りというものの価値は揺るぎないものになる
えっとこれを そのやるにやらされるのは基地としてやらされる
悪いことであるって発想を取るという発想自体は成立しなくなるはずなんですよ でえっとこれに
ここから行ってもいいですしえっと 言ってもいいっていうかよしよしの問題じゃないんですね
ここから行くというてもありますし私のようにですね えっと長寿がを見張るっていうまあこれは趣味みたいなもんだけど長寿がを見張る
っていう観点でもそうなんだけれども
結局 自分が
よく言うじゃないですか自分がそうするかどうかを決めるとか えっと自分が自由にやりたいっていう言い方をするじゃないですか
私たちの周りではよくその言葉を聞くと思うんだけど搾取されたくないのも同じですよ 人にいいように操られたくないってことです
自由にやったと思うんですよ でトムの友達たちはまた友達たち言っちゃったんだけど自由にやって壁を塗ってたわけじゃないですか
これが騙されてたことになるのかどうかっていうのは私はすごく えっといい問いだと思うんですよね私あそこのシーンよく読み返すんですよ
あれは騙されてたことになるんだろう で騙されてたというためにはですねやっぱりスパッと切る軸がいるんですよね
一家がないだって楽しんでるってことは確かなんだから えっと苦しんではいないんだから少なくとも
えっと楽しんでやっているのは悪いことだって結局言うためにはですね なんか理由がいるじゃないですか
その理由外部にはないですよ間違いなく内部にしかないと思うんですよ 楽しんじゃいけないとはいえないじゃないですか
誰が何を楽しもうとそれこそ自由じゃないですよ 残るは対価があるかないかということとその仕事はくだらないのかどうかってことだと思うん
ですよ でその仕事はくだらない上に対価がないけど楽しんでるから
8その人にとってはそれは悪になるわけですよね 許せないという人にとっては許せないという人にとっては許せないという気持ちの軸が
自分の中にあるはずだと思うんですよ この中にあるものが8それを決定しない限り外にあるものを使って8子供が壁塗りをして
いてはいけないとか憲法に書いてないので外にあるものは使えないので中にある ものを使っているっていうところまで行ってその中にあるものと自分が
8度童貞っていう言い方をしたいんですけどね 同じく定まるですね同一のものであっていいのかどうかってことですよね
私は自由っていうならばダメだと思うんですよ つまり自分が正しさというものと完全に重なっちゃうというのは
8そうするとその軸が悪だと認定したことは一切やれないということになりますから 8それでも自由じゃないかって思われるかもしれませんけど
これはやってみるとわかるんですよ 8長寿がと自分が完全に同一化するとライフ自由になるんですよね
ほんのほんのちょっとしたこともやれなくなるんですよ これそれが果たして自由なんだろう
だから僕はですねえっと 今よく思うんですよ価値マックスってこともそうなんだけど
価値マックスっていうのはやっぱり自由を保証するためのものだと思うんですよね もう一つは8
正しさか自由かっていう選択が僕らには結構突きつけられてるなって思うんですよ 正しさを取るってことは長寿がと同一化するってことはですね
8全然自由じゃなくてもいいっていう感じになるんですよ 多分例えばですよ
自由を手放す勇気
えっともう時間も長くなっちゃったんです何喋ってこんな長くなったのか グズグズ喋ってたんだろうなぁと思うんだけど
これでもいいんですよ例えば 正しさの中にですね
ポッドキャスト25分以上なんて聞く人いないから 30分以上のものは2回に分けるなりカットするべきでしょうっていう
正しさがあるとこういう正しさいっぱいありますよね あるとするじゃないですかそうすると私は30分以上のポッドキャストはできないという
形で一つ不自由になるわけですよ こういう風にしてあっという間に大量に不自由になるんですよ
私は搾取されるような仕事はできない 対価が発生するような8活動もでき対価が発生しないような仕事もできない
対価が発生するかどうかわからないような仕事をするわけにもいかない そして対価が発生しない仕事というものをしてしまってあの人から
はっきり言ってこれは笑われるではすまない あいつはもう弾べき奴だから一緒に仕事するのをやめようというのを恐れるということもしなきゃいけ
なくなるんですよ 一つの軸を自分と一体化させると多分そういうことが起きてしまうんですよね
避けようがないと思うんです ただこれはそれを手放した瞬間に10は戻ってくるんですけどね
でもこれを手放すっていうのは結構勇気がいることなんですよ
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