2023-03-04 38:03

【744】100チャレ編 タスクを「おもむろに」実行する

急ハンドルや急ブレーキを避ける

00:05
おはようございます。先送りせずすぐやる人になるポッドキャスト、第744回かなと思います。
3月3日、あひが祭り、金曜日の7時35分です。
はい、えっとですね、今日は100チャレ編かなぁと、かなぁってのはどうかと思うんですけどね。
あの、実はですね、今、まぁいいや、まずは昨日50分を超えていて、
まぁこれね、もう本当時間の縛るのやめようと思いまして、今もう平日日間とかじゃなくて、日間で言ってるつもりなんですね。
まぁ少なくとも今週は週5か、言ったと思うんですけど、ネタが異様にありまして、でも多分同じようなことをぐるぐる喋ってるだけだとも思うんですね。
で、これ全部聞くの大変だっていう方はですね、全部聞いていただく方は大変ありがたいんですが、あれなんですよね、もう虫食いで聞いていただければいいんじゃないかと。
なんか適当にこの辺聞こうみたいなのを感覚的に決めてもらって、それで聞いていただければいいんじゃないかと。
あの、なるべくCMはですね、最初と最後にしようと思ってるんだけど、だからCM、あえてもしいらっしゃったらですか、聞きたいという方はね、
最初か最後を聞いていただければお知らせはなされています。
これでもうこっちの努力不足なんですよね、やっぱりお知らせは全チャンネルで満遍なくやるべきだと思うんですよ。
お知らせってね、狙って手に入れる情報とはちょっと違うと思うので、これも思いついたらどんなところでも随時喋るみたいにしておけばいいんでしょうね。
ただ、ポッドキャストってのは、なんか違う話しちゃうと、何喋ってたかすぐ忘れるんですよね。
これはもう私だけかもしれないけど、2秒ぐらいで忘れるんで本当に。
鳥かっていうぐらい忘れるんで、鳥3秒で忘れないんですけど、鳥ぐらい忘れる感じ、鳥頭のね。
ので、あんまり脱線しないほうがやっぱりいいなっていうのを時々聞き直すんですね。
僕はクラゾンさんみたいに毎度毎度聞き直すという、クラゾンさんが毎度毎度聞き直してるのかどうか本当は知らないんだけどことはしてないんで、時々抜き打ちで聞き直すみたいな。
この抜き打ちで聞いていただくとポッドキャストはいいかなって思うんですよ。
同じような話きっとしてますからね、かなり長々と。
僕の中では、完結するまでに何週かしちゃうっていうのが自分の話してる感覚なんですけれども、しょうがないと思うんですけどね。
さっき言ったように2秒で忘れるんで。
で、今日は100チャレ編と一応銘打っておきます。
これは週に1回はやるっていう約束ですからね。
100チャレ編でするということは、つまり7話の形でタスク管理、タスク習得の話を中核においてやると。
03:01
本当は全然違う話もいっぱい今日もしたいんで、あれなんですけれども。
これを忘れなければね、たぶん毎日平気でいくと思うんですよ。
何しろ今忙しいということもあるんだけど、話したいと思っていることは多岐にわたりまして。
ブログもついでにやればいいんでしょうけどね。
ブログってのはですね、そんなに伝わらないし、これもやっぱり技術の問題もあるんだけど、そんなに大変なんですよ。
伝わるようにちゃんとやるとなると。
にもかかわらず、最近アイキャッチ画像がどうのとか、いろいろと僕の苦手分野にかかってきていてですね。
しかもあんまり読んでもらえなくなっているじゃないですか、昔みたいにはね。
別にそれはそれで全然僕はいいと思うんだけれども。
とはいえ、ポッドキャストの方がはるかに自分が言わんとしていることを率直に出せるのに、
そうじゃないメディアをより多くの手間と時間をかけて、しかも絵とかもつけなければならなくて。
絵とかいらないですもんね。つけてもいいのかもしれないけど、
僕は別に絵いらないと思うので、非常にぴったりくるんですよね。
これでYouTubeのように盛り上がっていれば素晴らしいなと思うんだけど、
そうはならないだろうなと。ラジオとテレビだからね。
やっぱりラジオとテレビだったら、それはテレビに群馬に上がるようだとは思うんですけど。
1つくらいはCMを入れておこうかな。何がいいですかね。
3ヶ月ジャレンジャーはまだしばらく、4月にならないと新しい方は募集できないし、
かき上げ塾も4月からかき上げ塾はものすごくCMしたいんですけどね。
どうやればいいのかがよくわからないっていうのがありますね。
グッドバイブスファクトリーかな。
でもこれはね、逆に常時募集中だから、ことさらCMをするっていう風にならないんですけど、
これはいいサービスだと思っているんですけどね。値段も格安ですし。
他に何かないですかね。あんまりないな。
ぴったりちょうど今のこのタイミングだっていうのはあんまりないんですよね。
でも100日チャレンジに今予約リスト、ウェディングリストがありますからそちらのほうに。
これちょっとどういうところからなのかな。
公式ブログはあるんですけどね、タスク習得クラウドの。
あるいはjmatsuzaki.comっていうブログがあったと思うのでそこで検索していただくと出ると思うんですけどね。
100日チャレンジはタスク管理系ではお勧めしたいかなと。
私がやってますからね。
06:01
私が今やってるのはタスク管理というのは当然なんだけど、
あそこでやってるのは仕事上の行き詰まりみたいなものに対してコメントを書いていただくんだけど、
それに対してコメントをつけると。
ただ私は最近、私の流儀として、この全員のコメントにひたすら少しずつつけるっていうのではなくて、
一つ二つのですね、行き詰まりみたいなものを見つけたときに、
ここにお答えする中で皆さんの目に触れるようにしようっていう感じで、
かなりがっちりそこに書き込むっていうのを今私のスタイルにしてます。
あそこでブログ書いてるみたいになっちゃうんですよ、ある意味では。
こういうことをあちらこちらでやっているものだから、
余計ブログを書くみたいなのが高まってこないのかなと思うんですね。
今日はなかなか100チャレ的な方に頭が向かってってないんですよね。
次のタスクは直感で決めましょうっていうテーマでちょっと話してみたいと思うんですけど、
リストって順番に並べるしかないですよね。
リストですからね、順番に並ぶんだけど、
この順番に過剰に縛られるっていうのかな、
とらわれることはないと思うんですよ。
最近つくづく思うのですけれども、
私たちはですね、
これもね、不思議ですよね。
100日チャレンジ編だって言った途端に
なんかこっちの話をしない方がいいんじゃないかと思っちゃうんですけど、
やっぱりでも最近は精神分析を何かから切り離すのはやめようと思っているのと、
グッドワイブスを切り離すのもやめようと思っているので、
全部込み込みで話すしかないんですが、
つまりタスク管理になった途端に急に
グッドワイブスは忘れ、精神分析も忘れっていう、
なんかそのほうがすっきりするように思う自分がいるのが不思議なんですけどね。
それじゃあ僕は喋ることなくなっちゃうんだなっていうのを今思いました。
直感で決めましょう。
なぜ直感で決めるのかというと、
私たちはですね、基本的には主観の中にいるわけですよ。
マトリックスなわけですよ。
つまり僕らこれを客観だと信じてるんだけど、
これは全然どこにも客観性はないんですよ。
例えば今私の目には848って数字が絶えず動いてるんだけど、
これは収録中の、録音中の時間なんですよ。
8分56秒、今7秒、58秒、まもなく9分になりますと。
09:03
これ見てるの僕だけですよね、今ね。
これ主観ですよ。
もちろんこの数字は多分僕の外界にあるんでしょうけれども、
やっぱりこれは僕だけが見ているものであり、
私の脳内に映ってるものなわけですよ。
しかもそれに意味をつけてるわけですね。
だって918っていうのは9時18分かもしれないじゃないですか。
9分18秒だっていうのは意味をつけてる。
その意味正しいんだけど、意味をつけてるからこそ私には意味をなすわけですよね。
これを同じ、そうだな、ものすごく知的だとしてもですね、
ボノボチンパンジーが見ても何の意味もないわけですよね。
数字だとすらは思わないわけ。
それはそれで正しいじゃないですか。
彼らが別に間違ってるわけじゃないんですよ。
こういうことを僕らはずっとやっている、
つまり私たちは外界をニュートラルに見るとか、
フラットに見るとかいうことはですね、ありえないことなんですね。
必ず偏見丸出しで見ている。
偏見丸出しで見ているということは、
まず確実に言えることはこれだけは言えるよね。
タスクリストに正しいことが書いてあるわけがないんですよ。
この通りにやれば絶対にいいんだって。
佐々木が何を言おうとこの通りにやるほうがいいに決まっているんだと。
そのSNSだの、Twitterだの、ファンザーだの、パチンコだのに脱線することなく、
このプロジェクトABCDEを全部やったほうがいいに決まってるじゃないかと言われても、
それには同意できないんですね。
絶対そんなことは言えないと思うんです。
なぜならば偏見丸出しだからですよ。
これが客観だっていうならば、
私は本当は私の脳の、映すものの外に出られるんです。
本当はこのリンゴは赤く見えるんだけど、
実は赤じゃないっていうことを私は知ってるんですと。
私の目には確かに赤に映ってるんだけど、
私は外界に出る力を持ってるんですっていう人は別ですよ。
でもそんな人は僕はいないと思うんですね。
絶対にその人が客観だと信じているものは主観丸出しだと思うんですね。
主観丸出しだということはね、
そのリスとか客観的に有意義だとか正しいとか、
時間が充実しているとか、
こうした方が豊かに過ごせるというのは全部嘘かもしれないというか、
半分ぐらいは嘘だろうぐらいに僕は思うんです。
これを言っても言っても言っても、
なかなか理解はともかくとして納得はされないんですね。
でも今日はこれをしなきゃいけないんだと。
それはそうですよ、たぶんね。
そうしておいた方が安心で安全かもしれない。
ただしそうした方がいいとは言えない。
あとそうした方がまして幸せになれるという保証は絶対ないと僕は思います。
そうすることによってかえって不幸になる可能性は十分あり分からないということですよ。
12:05
どっちに転ぶかは絶対分からないと思います。
これは僕は50-50で分からないと思っています。
つまりこのリスト通りにやるということに、
何ら合理性も必然性も正当性もないリストを僕らは見ていると思う方がいいと思うんですね。
そうした場合次に何をすればいいのか分かりませんという話になるんだと。
そんなはずはないんですよ。
そんなはずは絶対ないと思うんですよね。
だって僕らはああいうリストなしに生きてきた時間の方が大体の人は長いじゃないですか。
大橋立夫さんは例外かもしれないけど、
僕は彼だって1歳の時にはそのリストを見ながら生きていたわけじゃないんですよ。
後から考えるとみんな今親ガチャとか言うじゃないですか。
どこに生まれるのかも分からず、
どんな親を持つかも分からず、
どんな経済状態で生まれてくるかも分からず、
自分のどんな体質を持って生まれるかも。
僕なんか生まれつきのアトピーだとか言われてましたかな。
分からず生まれてくるわけだけど、
いやもう本当に危なっかしいよねって思われるかもしれません。
もっと裕福なお家に生まれて病気も一切なくて、
保険もバッチリ効いていて、
なんなら生まれて文字が読めるようになったら即座にタスクシュートやって、
もちろん家計簿もつけて生きていた方が、
はるかに自分は安心だって思われるかもしれませんけど、
なんか聞いててそれおかしいと思いません?
そんな生き方をしてきている人ってほとんどこの世にいないけど、
そういう生き方をするよりも、
安心・安全で全てをリストアップして、
時間を節約して、お金も節約して、
すべてが整っている世界で生きている人の方がみんな幸せになるっていうのって、
なんかおかしいと思いません?
僕はそれ相当無理があるなっていう風にしか思えない。
でもこれは考え方の捉え方ですからね。
ただ僕は間違いなく少なくとも30になるまではタスクシュートなどを知らずに、
だってそれはしょうがないですよね。
たぶんこの世にあったかもしれないけど知られてはいなかったから、
僕は仕事なども知りません。
あったのかな?ギリギリなかったんじゃないかと僕は思いますね。
だから30年はなしでやってきたわけですよ。
全然やってこれたし、当時はそれでやっていけるともちろん思ってたわけですよね。
で、そう考えてみると、
あれがないと次にやることがわからんというのはおかしいと思うんですよ。
だから、次にやることは感覚で決めましょう。
それでいいと思います。
15:01
たぶんタスクシュートを持っているんだから、
少なくとも2つのことだけは一応あのリストを参考にしてみればいいと思うんです。
1つは約束時間。
カレンダーに書いてあるようなことですよ。
例えば今日は3時からセッションが僕はあるんだけど、
3時からのセッション、これは守ればいいじゃないですか。
これをすっぽかした方が人生うまくいくかもしれないって考え始めると、
結構ややこしくなっていくんで、
人と交わした約束、これは優先的に守る。
つまり、ネクストにそれが来ているときはこれをやったほうがいいと思うんですよ。
ネクストにセッションが来ているんだけど、
今日はちょっとその気分じゃないからキャンセルにして1時間ファン座に浸ろうみたいなのは、
僕はまずいなって思うんですよ。
ちなみに僕は大学時代はそれにほぼそういう人間だったんですね。
で、その頃面白いんですけど、
そんなに根本に生きているとどうなるかというと、
僕はかなり抑鬱的でした。
はっきり言って相当抑鬱的な時期があったんですよね。
2年、神奈川大学のほとんど朝から酒を飲んでいて、
体を動かす気すらほぼなかったんですね。
いわゆるHKのビデオをずっと見ながら酒を飲んでいたんですよ。
全然幸せじゃないんですよ、これが不思議なことに。
すごい幸せそうなんだけどね。
言っても幸せそうな感じはしないけど、
でもこれでなんで不幸っぽくなっていくのかっていうのは、
僕はまだだいぶ説明できる気がするんだけど、
釈然としてない。
ちなみに僕その時の大学の単位は8単位しか取ってない。
8単位っていうのは2教科ですよ。
これをやっててもくれるような授業以外は、
単位以外は取れてないってことなんですよ。
でも僕は留年はしてないんで、
8単位しか取ってないんですよ、年間って。
8単位ってありえない数字ですよね。
真面目な女子とかは、
ものすごいこういう男子学生に嫌悪感を示してましたね。
僕はそういうふうに嫌悪感を示されていると、
告白しに行きたくなるっていう人間なんですよ。
ものすごい今話脱線してますね。
でもこれは僕にとって、
皆さんのこのタスク主管理というものに、
実は関係がかなりあると思っているから喋ってるんですよ。
皆さんがタスク管理というものをされている方が、
ある意味恐れていらっしゃることって、
こういうふうに転落していくことだと思うんですよ。
自分を甘やかすとか、
自分がないとサボっちゃうとか、
そういう話。
僕はそれを急にやめるのは難しいと思うんで、
徐々に手放していきましょうっていうことを、
実は100日チャレンジで、
100日かけてお勧めしているつもりなんですね。
つまり、転落を恐れているから、
タスクシュートに私をコントロールしてもらう。
なんならばちょっとストイックに、
コーチしてもらうんだっていうやつを、
18:01
やめましょうって言いたいわけですね。
やめても全然平気でいる人間が少なくても、
ここに一人がいますよって言いたいわけですよ。
これをやめないってことは、
恐怖に人生を縛られてOKだってことになっちゃうじゃないですか。
なっちゃいません。
こうしていないとこれはダメになっていくんだって、
それ怖くないですか。
私はそれは非常に怖いことだと思います。
そして本当のところタスクシュートでも、
タスク管理でも、GTDでも、なんとかリストでも、
マニアナの法則だろうと、ポモドーロテクニックだろうと、
そんな力はないんですよ。
あのタイマーに25分セットしたら、
私は自動的に動くんですって、
言い聞かせている人はいるでしょうけども、
本当にそんなことをさせる力が、
人間ごときにあるわけがないんですよ。
だって、25分のタイマーをセットすれば、
私は強制的に仕事をさせられる人間になれるから、
安心ですって言うかもしれないけど、
25分セットして仕事を始めましたと、
ここは渋谷の13階のビルですっていう時に、
ぐらぐら揺れ始めたらどうします?
仕事を続けますかね?
あるいは続ける方がいいですか?
そうじゃないと思うんですよね。
あるいは煙が見えてきて、
充満してきましたっていう時になっても、
いやもう25分のセットしちゃったから、
もうこのエクセルの入力が終了するまでは、
火に巻かれてもここから動けないんですってのは、
いいですかね?
僕はこれは、いいと思う人は誰もいないと思うし、
そうはならないと思うんですよ。
逃げ出すと思うんですよね。
タイマーなんてほっといて。
それが普通の人ですよね。
ほとんどの人じゃないですかね。
だから一見したところ、
あのタイマーには何かを縛る力があるように
思うかもしれないけれども、
それを催眠と言うんですけどね。
専門的には多分僕は思うに、
あれは一種の催眠なんだと思うんですよ。
あれですよ、
フロイトも頑張ってやろうとしたんだけど、
フロイトはもう一つうまくいかなかったと。
それでも彼はね、
おでこを押しておいて、
あなたこういうふうに今思ってますねっていうことを言って、
で、おでこを押しながら、
これが終わったら水飲みたくなりますよっていうのをやると、
ちゃんと患者さんは、
なぜなのか分からず水を飲みに行くってことは起こるんですよ。
これを暗示、
催眠とかそういう言い方をするんですけど、
無意識に暗示をかけるってことは、
あの当時からもう常識となっていたんですね。
これは決して不思議な話でも何でもないんですよ。
で、これに近いことを僕はタスク管理とか
お戻ろテクニックでは行われてるとは思う。
そしてそれは便利なんだろうなとは思うんですよ。
でも僕はそれはごめんだと思うんですね。
そんな暗示を自分にかけて、
自分をこう、
催眠的に仕事に導いていくっていうのは、
絶対に、
僕だったら、
絶対受け入れられないんですよ。
そのようなことは。
これを受け入れても構わないというのは、
大変つらい状況だと思います。
あの、
なんつうんだろうな。
21:00
もう自分、
これを自己コントロールっていうのはそもそもどうかと思うんですよ。
これは他者にコントロールされてる感じしか
僕にはしないんですよね。
この先に、
僕は、
長いミサイルの上で、
みんなが拍手していて、
手を振っている世界を
連想しちゃうんですよね。
それは、
少し大げさかもしれないと思うんだけど、
でも、
そういうことなんじゃないかなと思うんですよね。
基本的に恐怖に縛られていたいってことですもんね。
さっきも言いましたが、
転落するのが怖い。
これはつまり社会的な話ですよね。
それが故に、
その恐怖があるから、
ちゃんとするというのはつらいことだから、
自分を縛りたい。
その縛るために、
ちゃんとするというのはつらいことだから、
ちゃんとするように自分を暗示をかけておきたい。
そうすれば、
NEXTを見た瞬間に、
それに取り組むことができるし、
あるいは25分をセットすると、
25分は集中して、
仕事をさせられる自分を作り出すことができるし、
そうすれば、
転落して酒ばっかり飲んで、
これのビデオを見て、
ホームレスにならずに住むっていうようなお話を聞くにつけて、
そういう話を書いている方はいらっしゃらないけれども、
でも、僕はやっぱりそう思っちゃうんですよね。
自分を甘やかしてしまうという言葉を見た瞬間に、
自分を甘やかしてしまうということの先にあるものに対する、
強い恐怖感があって、
その恐怖感から逃れるために、
自己アサイニングをかけていくという手法というよりは、
タスク管理であるというのは、
私ならそういう話を人にお勧めしたくはないんですよ。
そういう話です。
なので、好きにすればいいと思うし、
好きにできるようでないと困ると思う。
タスクシュートをしてもいても、
このネクストに何が見えていようと関係ないから、
約束が見えていたときだけは守る。
あとは、どっちにしてもそれを絶対やるようになっていることを、
やりたいときにやったらいい。
だって僕らってそうしますよね。
どっちにしても絶対、
例えばお風呂に、僕は入るんだけど1日に1回は。好きなんで。
入るということになっているお風呂に、
入浴というのがリスト上のどこかにあったら、
次に入りたいと思ったタイミングで入って、
家族が許せばね、それをピックアップしてくる。
僕はそのピックアップしてくるという言い方をするんですよ。
自分がやりたいと思うことが先に決まって、
リストからピックアップしてくる。
リスト上にそれがなかったら書き込む。
これだけなんですよね、タスクシュートでやっていること。
これを習慣化するとか、
ネクストアクションがどうだといったことは一切考えないです。
一切考えない。
それで回るはずなんですよ。
それだけしかやらないんだから、
時間は余るはずだと思うんですよね。
足りなくなるなんてとんでもないことだと。
24:01
私、今、相当所持場が忙しくて、
24時間かなりパンパンになってきているんだけど、
これでも回りますもんね。
これは実家にトラブルがあり、
偽実家にもトラブルがあり、
日常の今までのパターンというようなものからすると、
レギュラーからすると、ものすごくイレギュラーになっている。
これでも回るのに。
これで回らないほどのものを抱え込むというのは問題だと思います。
3つの家に非常事態宣言みたいな状態ですから、
今私のこの状況はですね。
これで回らないというのはですね、やりすぎですね。
たぶん1人の人間が3つの家での非常事態宣言に付き合う。
ここがたぶん僕はマックスだと思うんですよね。
関係のあり得る家って3つじゃないですか、普通の人にとって。
自宅、実家、偽実家。この3つですよね。
これ以外にあるというケースもあり得るとは思うんだけど、
ただその3つでほぼ同時に、それが今起こったことなんだけど、
非常事態宣言的なこと。
普通起こらないですからね。
4つ5つあるという家はあると思いますよ。
プラス仕事ね。
これは全部に同時に何かが起こるというのはちょっとおかしいなと。
僕は3つ同時にこの状況ももう間もなく終わるだろうとさすがに思っています。
1つは残ると思いますけどね。
そういう話なんですよ。
そういう話だけじゃないですけどね。
なので今日は言いたかったのがですね、
リストに何が書いていようと構わないから、
直感的にその時、
その自分が置かれている状況を全部可能な限り意識して、
やりたいと思うことをおもむろにやる。
おもむろにというのが大事です。
おもむろって漢字は助走の助なんですよね。
助攻の助観。
ゆっくりってことですね。急にやりださない。
ゆっくりやり始めるというのがいいと思う。
なんでかというと主観の世界に生きているからです。
途中言いましたよね。
私しか知らない世界の中に生きているんだから、
逆に言うとそこに見えているものの
現実という呼ばれているもの、
目の前に入っているものですね、
周りにいる人とか周りにあるものは
全部私に関係があるんですよ。
関係ないものはないんです。
関係なかったら目に入ってないはずです。
意識もできていないはず。
意識できているってことは関係があるということですよ。
関係があるものはすべて考慮に入れてですね、
無視しないで動かしていく。
その時急に動くと何かが不正語を起こすじゃないですか。
何か言っている意味が分からないかもしれないけど、
例えば教室でみんなが算数のテストをやっていますときに
急に大声とか上げられると
やっぱりみんなに大きな影響を及ぼしちゃうじゃないですか。
だから文句言われるじゃないですか。
27:02
そういうことをなるべくやらないってことなんですよ。
直感的に一番やりたいことをやる。
ただしおもむろにやる。
急にいきなりキキッてやる。
たまにそういうこともならざるを得ないんだけど、
それは非常事態にやるべきことですよね。
時間だけ見るとかネクストアクションに沿うっていうのは
周辺の状況を無視するってことになるんですよ。
でもそれは非常に恵まれた状態だからそんなことができるんですよ。
周辺の状況を無視できるということは
ある意味特権なんだと思うんですよね私は。
地震が起きたときそうだったじゃないですか。
周辺の状況を無視できなくなる。
つまり周辺の状況を無視できるというのは
その人が非常に自分にとって過ごしやすく
特別にあつらえられた環境の中で生きているから
許されることなのであって。
それは許されることでしかなくて。
次、約束もありません。
事さら検討するべき状況でもありませんっていうのは
実はすごく恵まれてるってことですね。
その非常に恵まれてる条件というものすら無視して
時間だけ見て動くっていうのはですね
ある意味よっぽどの動き方だと思うんですよ。
別にこれはあれですよ、環境に感謝しましょうとか
全部に一個一個ありがとうと言いましょうって話をしてるわけではないんですよ。
ただ、やたら自分だけがその空間の中で
特別な扱いしてるんだけど、僕もそうなんですけど
特別な存在としてですね
環境と空間を振り切って動くような動き方っていうのは
僕は無理があるって思うんですよね。
なるべく連続性を壊さないように動いた方が
多分良い結果になるような気がします。
なので、おもむろになんですよ。
おもむろに動き出し、急ハンドルを切らない、急ブレーキをかけない、急発進しないってことですね。
最後に簡単に付け加えておくと
今のように急に動き出すとか、急に切り替えるとか
急にやることを変えるとか
つまりネクストアクションというリストに沿って動こうとするというのは
恐怖感っていうものが根底にあってのことだと思うんですよ。
決めた通りじゃなきゃいけないと思うってことは
脱線っていう言葉を使いますけれども
僕は極力控えるようにはしているんですけどね。
30:00
なぜなら現実には線はないから。
これなんですよ。
現実に線がないのにそこから逸脱するっていう意識を持つってことは
逸脱に悪い結果が待ってるっていう。
悪い結果なのかどうなのかは分かるはずがないって言いましたけど
それよりも僕が脱線を避けるために
ネクストアクションを決めた通りに動くっていう発想に
異論があるのはですね。
つまり反対なのはってことなんだけど
逸脱した先に悪い結果があるということは
この線以外は悪であるって感じがあるんですよ。
リストだけが良い結果につながってて
他みんな真っ黒になっていくじゃないですか。
この世界観を持つのがまずいだろうって思うんですね。
この悪であるっていうのは
自分で決めたからそうなったんですよ。
そうですよね。
この逸脱しない線が良い道なんだって決めたから
それ以外が悪いものになったじゃないですか。
こういう未来観を持って動くと
僕はですね、全てのタスクに影が落ちると思うんですね。
自分がこれからやる全ての行動に
不安要素ってものが入り混じってくるに決まってると思うんですよ。
もともと良いも悪いもなかったはずのもの
未来ってそうですよね。
未来はまだ何も起きていないことなんだから
たとえその予測をどうするにせよ
そして未来は必ず現在になるにしてもですね
そもそもその言い方がおかしいんだよね。
未来が現在になるわけじゃないんでね。
未来というのは僕らが幻想として持ってるものであって
実のところ未来が現在になるわけでは全然ないんで
現在というものが過去にもならないわけですよね。
現在は現在でしかないので。
この発想を持っちゃうと
何かが起こるのが嫌だから
このこれからする行動を取るのは
何らかの転落とか逸脱とか
そういった結果を招くのが怖いから
その予防のためにこれをするんですっていうその発想自体に
その行動これからする予防行動には
不安要素っていうものが
混じってくることになるじゃないですか。
どう考えても。
最初から不安が理由でやってるわけですから。
つまり一番わかりやすいところで
保険ってのがありますよね。
がん保険ってのはがんになるのが怖い。
がんになったらまずいから保険をかけておくわけで
これは別にがん保険やめましょうって話ではないですよ。
ただこの発想を取るということは
33:00
その保険を保険金を毎月払うという行為の中には
不安要素が混じっているわけじゃないですか。
その行為をするということ自体が
不安と全く無関係ってことはありえないですよね。
そんな風にタスクを実行していってしまったらですね
全タスクに不安要素が入ってくることになりますよね。
これを毎日やるってことは
全人生が不安に彩られるってことになるじゃないですか。
それはそうしなくても全然いい話なんですよ。
少なくとも保険をかけるという行動と
別に全然関係ない行動があるはずなわけです。
というかあるわけです。
そしてどっちかというと不安要素を絡めている仕事の方が
少なくていいはずなんですよ。
ところが真逆になっているって方もいらっしゃるわけですよね。
休憩とか食事以外は全部不安に彩られていますみたいな。
それがつらくて当然じゃないですか。
だから私はですね
そういうことにならないためにも
この線の上を歩いているときは安心だが
そこから逸脱してはいけないんだっていうその観点で
タスクリストを作ったり実行したりするのは
絶対許しておいた方がいいと思います。
そうした方がそもそも仕事が進むはずです。
し、当然楽です。
不安要素を絡めなければ絡めないほど楽です。
不安ってのは言葉で何度も言うからおかしくなるんだけど
不安ってのは気分が悪いっていうことでしょう。
こうなりたくないってことじゃないですか。
それを常に念頭に置きながら
仕事をする方が楽だってことはありえないですよね。
それを常に念頭に置いていなければ
仕事をしなくなりますってこともありえないです。
例えばこのポッドキャストというのは
私は今回数を増やしていっておりますけど
不安ゆえに増やしてるわけでも
不安ゆえにやってるわけでもありません。
そもそも忙しいんだし
これがどの程度収益に関係しているのか
僕には全然わからないというか
全然わからないんですよ。
そして直接の収益は生んでない。
このようなことを不安ゆえに増やす理由がないです。
これを不安ゆえに増やしているんだっていう解釈を
私にしてくる人がいるならば
じゃあ不安ゆえに減らすっていうことの解釈は
成り立たないのかと言いたくなるわけですよ。
だって収益に直結していないんだから
そして私は今忙しいんだから
不安があったら減らすほうがいいじゃないですか。
不安があるなら不安の理由によって
この時間をなくしてできれば
その分別の仕事を進めなければならない仕事を
やってるほうがよっぽど不安の解消になるじゃないですか。
何かの予防にもなるじゃないですか。
時間の節約にもなるじゃないですか。
なぜ増やすのか。
僕は別に不安と関係なく増やしているから増やすんですよ。
36:01
で、これを恐ろしいと思うということはですね
不安を優先して行動を取らなければ
恐ろしいってことになってしまうわけですよ。
そしてそういうふうにやるということは
いつもいつも不安を念頭に置いていなければ
恐ろしいって話をしてるってことになるんですよ。
とっても変だと思うんですよね。
不安をずっと抱えているのが一番安心ですっていうのって
とっても変だと思うんですよ。
一日中不安で
だんだん寝てるときも不安であるのが
一番安心ですっていうのは
僕には説得力を持たないんですよ。
説得力を持たないと思うんですよね。
なんて言えばいいんですかね。
ずっとコーヒーの苦味を感じているのが
一番甘みを感じる方法です。
わからなくもないような発想ですけどね。
でもやっぱり私はそれは
奇妙だなと思うし
第一、ものすごく体に悪い。
これは実証済みです。
つまり不安をずっと抱えていくというのは
少なくとも健康に対しては
不安要素を増やしているようなものなんですよ。
それだけでも、それ一つとっても
やめたほうがいいような気がするんですよね。
全部が全部直感で決めなくても構いませんけれども
大半は直感で決めていいと思うんですよね。
タスクリストで次何をやるかというのは
そしてそれが働かないというのであれば
それは不安が邪魔しているからです。
働くはずです。
今まで働いてきたはずなんですよ。
それで何ら差し支えはないだろうというよりは
そっちのほうがはるかに結果は良くなるはずだと。
これも結局不安というものは
言ってみればこう
要は恐怖なので
怖がらないようにしましょうと言っても
そう言われたからできますというものではない。
だから僕は100日かけましょうと言っているわけですね。
38:03

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