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2023-03-02 59:10

【743】人を切って「スッキリする」のはいけないの?

躁的防衛がやめにくいのはどうしてか?

00:04
おはようございます。 先送りせずすぐやる人になるポッドキャスト第743回だと思いますね。
3月2日木曜日、7時38分です。
3月になりました。まあ2月は少ないですからね。 ギョッとするような展開で3月になっちゃったみたいな。
私今年忙しくなっているせいで、そういう感じを抱くんだと思うんですけど、もうひな祭り前日じゃないですかっていう感じです。
今週から週4・5に戻そうというところがありまして、正直ですね、今ちょっと思うところがあって、可能な限り前日、つまり毎日にしようかなと。
週に1回か2回、結局休む気もするんだけど、そうやっておいても。
曜日は何曜日でももう構わないかなっていう感じを今ちょっと持ってやっております。
スリーカーのキャストの方もね、なかなか撮れていなくて、これもちょっと申し訳ないなと思ってはいるんですけどね。
なかなか回ってないんですよ。珍しくですね、確定申告にまで追われているという、やっぱりこの1月の末のうちにあったこのやっぱりね、身内の不幸というものがですね、ひっかき回していますね。
仕事はやってるんですが、仕事以外はすべてが徹底的にゴテゴテに回っていくというね。
もうしょうがないな、これはね、思うんですけれども。
まだまだ全く落ち着く気配がないというか、だいぶ私自身の方は落ち着いてきて、この確定申告が終わって、
さらにまあ私の冬特有のちょっとね、体調の万全じゃない感じが抜ければ、多分こう、少し無理を聞かせて持っていけるんではないかというふうに思ってますが、
今年私ももう50になるので、昔ほどやっぱりこう無理も聞かなくなりつつあるなというか、その無理して何かを崩すとするじゃないですか。
まさにこの今年に入って、なんだ、北東北にいて戻ってきたら体調を大いに崩したんですけど、長引くんだよね、やっぱりこう。
30代だったらこのことでここまでは長引かなかっただろうということが長くなっちゃうんですよ。
一度腰を痛めてしまうとやっぱりこう、整体に行っても即座には治んない。昔は整体に行って2日すればほぼ元通りみたいな感じだったんだけど、
仮にヘルニアっぽいことになっちゃっても、今はもう1週間ぐらいになるんで、やっぱりこう、
なんていうんですかね、
03:02
慎重にしようみたいな感じにはなっています。
と言いつつ活動がじわじわと増えてもいるんですけれども、
先送りせずすぐやる人になるというので、今私は自分のブランディング、セルフブランディングっていうんですか、
要は面倒くさくないようにですね、この文言を見つければ佐々木だという、
軒場だというふうになんとなく思ってもらえるようにまとめております。
これとタスクシュートのどっちかで大体こう伝わるだろうと。あとはその中身で言うことはですね、
結構グッドバイオスだったり、臨床崩れっぽいことであってもそこはもう良かろうみたいな感じで入り口としてですね。
入り口として先送りしないっていうのは本当に僕の中では意外と当たりだったかなと思ってます。
まあわかんないんだけどこれも。でもですね、先送りしないって言葉の意味は、つまりこれが受けがいいってことももちろん、
というかまずそこを考えたんだけど、後から考えてみると先送りをするというのはですね、分裂が入っているということなんだと思うんですよね。
だってやりたいという感じと、希望とあるいは願望と、できないという現実と、そういうふうに自分自身の中に分裂があるはずなんですよね。
もう私は今、問題は分裂であると思っているわけですよ。そういう意味ではやっぱりグッドバイオスな感じで一つになる、自分を一つにすると。
で、自分を一つにすると一つ意識なのかって思われるでしょうけれども、自分が一つになるときにはですね、それを厳密に考えていくと全体を一つにしていかなければならなくなっていくんですよね。
今日はそういう話をちょっとやや抽象的な感じもしますけれども、この話をしたいんですね。
だから3カードキャストが今日も明日に送る、これもやっぱり先送りの一種ですよね。
そういうふうに分裂状況は必ずしも利己的な理由ばかりでなく避けがたい面があるんですよ。
これを分裂と呼ばないようにグッドバイオスでは色々と考えているんだけれども、自分を丁寧に言えばそうなんですけれども、やっぱり先送り感というのはそうは言っても否めない。
これをクラゾンさんはタイムラグというふうにご説明されていますね。
僕らは物体でもあるから、物体ということはつまり時間の軸、何て言うんですかね、時間の軸ではないんだけど、やっぱり縦横高さに時間をかけているというところがあるから、
その瞬間瞬間の停止、物体がこう停止している感じね、これはもちろん嘘なんだけど、宇宙に停止しているものはないですからね。
06:08
どこかにないものかと思って頑張って探していたのがニュートンあたりの物理学者だったと思うんですけど、絶対停止系とか言って、そんなものがあるはずがないですから、
すべてのものは動いているし変化していますからね、今この瞬間もそうですけど、でもタイムラグはあると、タイムラグらしきものを作り出すことができる形状記憶があるからね、そういう話なんだと思うんですが、
そういう込みった話をしていてもあんまり始まらないので、CMをしてさっさと行こうと、つまりこの先送りせずっていうのを勘することに僕がして、
今一番自分自身の、一番佐々木的純度の高いっていうんですか、あんまり意味ないですけどそんなこと言っても、
そのサービスとして先送りせず、夢を叶える3ヶ月チャレンジというのをやっているんだけど、これをどうにかですね、僕はその3ヶ月更新の先送りから入る、
なんていうんですかね、一つ意識を目指すでとグッドバイブスになっちゃうんで、ちょっと違う、そもそも先送りせず一つ意識を目指すでは意味がわからないので、
なんかちょっと考えて、それを一つが夢を叶えるっていう風にしてみたんですけどね、あそこにコミュニティーをちょっとごく小規模なのを作って、
そこにその3ヶ月更新で参加するというのを今僕はすごく考えているところなんですよ。これを自分としてはメインでやっていきながら、この中でですね、
その時効分裂の精神病水準ではなく、ボーダーラインでもなく、でも、だとしてもやっぱり全ての人がそれなりに、少なくとも私の感じでは抱える、私なんかも当然抱えるその分裂的な葛藤、
こういうタイトルの本がありますけど、やりぬくみたいな感じですよね。
例えば、Good Vibesでも、聞いて1時間ではできないから、やっぱりやりぬくっていう感じのワークスルーするところはあると思うんだけど、
こういうのを徹底操作って言われても、意味さっぱりわからないなと思うんですよ。
09:01
早期なんとか徹底操作だったよな、日本語の論文のタイトルは。
こういうのがパッと出てこなくなるんだし、これキャスト中だから出てこないってところもありますよね。
こういうのを度忘れって言うんだけど、度忘れでは済まされないようなことを喋ってますけどね。
そんな感じです。
なので、これの告知もさせていただきますが、何文にも極少数っていう風に決めていて、
しかも更新していく内容にするので、
次の3ヶ月チャレンジ、チャレンジってタイトルをつけるか分かりませんが、
3ヶ月更新のタイミングで一般募集もさせていただくんですが、
多分3人とか最大でも追加3名とかになっちゃうんじゃないかなという風になっちゃうんじゃないかなというか、
追加3名満席にならないかもしれませんけどね。
その辺でやっていきたいという風に私は今思っています。
それで、今日はですね、散々回ってきましたが、
久しぶりにと言いますか、昨日は不思議な日でしたよね。
セッションがいっぱいあったんですよ。
そしてそのセッションがいっぱいあった、どのセッションも重くなったんですね。
重い軽いはイリュージョンですけどね、本当に。
重いとか軽いは本当はないんだけど、
でも重い感じに僕としては、これは僕が未熟なせいでそう感じるという面も多々ありますが、
なったわけですね。
で、つくづくですね。
こうなってこそ、グッドバイブスの言葉っていうのは、
それこそ重みを増すよねっていうのをすごくやって、
やりながら、やった後でね、感じてたんですよね。
最近になれば、さすがに、
例えば倉園さんとやっているグッドバイブスファクトリーでもですね、
今日のグッドバイブスというのを倉園さんはなお毎日毎日上げてくださっているんですけど、
これを読んでも基本的にはわからんということはないわけですよね。
僕の得意不得意はどうしてもあるんだけど、
グッドバイブスの前から、それだったら大体やれていたなっていうのと、
それは全く自分は得意としないなっていうのとは依然としてあるんですけれども、
以前よりもある気がするんだけど、
とはいえ、全く手もつきにくいですっていうことはさすがになくなったわけですよ。
ということは最初はあったってことなんですけどね。
でもやっぱり事態が深刻だと思った時ほどですね、
そういうこともまた非常に大事になってくるし、
かつ容易でもなくなってくるっていう感じを抱くわけですよね。
12:02
こういう時こそやっぱり、むしろ忠実にやろうみたいに思う、
そういうタイミングってあるんだなっていうのを昨日思ったわけです。
セッションの詳細をここで言うわけにはいかないので、
しゃべるわけにはいかないので、今みたいになってしまうんですけど、
例えばですね、セッションの中身とは関係なく、
例えばワークスルーもそうなんだけど、
一つ意識といっても、
簡単に言うと家族、親戚、
今回私そういう方々とよく接してるわけですが、
わきあいあいと仲がいい時に一つっていう風に考えるのは、
別にそう難しいことではないわけですね。
一つ意識でやるとか、
目の前の人にギフトモードで与えるとか、
大事だなと思ってやれるし、気分よくやれるし、
そう無理もないわけですよ。
そういう時でももちろん有効ですし、
集まりの中でもスマホを見ずに相手の話をよく聞くとか、
いいし、いい感じになるし、結果もよくなるし、
ついそれも怠ってしまいそうになる、
欲使になるという意味ではいいんだけど、
どっちにしても深刻じゃないわけですね。
仮にここでスマホを見ちゃったとしても、
そんなに急速にバラバラになるわけではないので、
そんなに急速にバラバラ意識になって、
私の最近使っている用語で言うと、
急速に妄想分裂ポジションになって、
大変苦しむみたいなことは、そうは起こらないですよね。
私はそこまで、これもイリュージョンだけど、
そこまで不安定ではないから、そんな風にはならない。
けれども、これがやっぱり一段と深刻な場面では、
そうはいかないんですよ。
スマホなんか別に見たくなくたって、
スマホに行くしかないような気がしてきたりするとか、
そういう風になっていくんですよね。
つまり、何にもしてなくても妄想分裂ポジションに
行っておきたくなるみたいな、
そういう精神病水準では言わないでしょうけれども、
やっぱり自分の中の精神病部分みたいなものが、
引きずり出されてくるみたいな、
そういう場面になってこそ、
ギフトモードだからっていう言葉が響くわけですよ。
ギフトモード難しいでよねっていう、
というかギフトモードここではあり得ないでしょうっていう時にこそ、
やっぱりギフトモードだよねと。
ギフトしたい気満々の時はいいんですよ。
そしてその時に役に立たないわけじゃないんだけど、
ギフトしたい気がもう全く失せましたと。
15:00
なんかギフトですかっていう、
そういう時にギフトモードっていう言葉が響くんですね。
こういう時には次から次へと連鎖的に思い出せますよね。
夢見る人に罪はないとかね、
本気で、今即座に本気でとか、
全てが不可能に感じるからこそいいんですよ。
即座に本気もあり得ないし、
ギフトモードって何ですかって感じだし、
夢見る人に罪をいっぱい見て罰しまくりたいみたいなね、
そういう時にこそ効くんですよね、こういうのが。
あれですよ、ギフトをやっても何にもいいこと起きないような気が感じになりますね。
いや、そんなのではどうしようもないでしょう。
でもこの時ですね、こんな時こそ、
そんなのではどうしようもない感じはするんだけど、
ではどんなのがあるのっていうこれが大事なんですよね。
そんなのではどうしようもないという感じはするんですよ。
多分誰に聞いてもこういう時はしますよね。
でも代わりに出てくるものって何かっていうと、
僕の感じでは代わりに出てくるものは
装的防衛一択になっちゃうんですよ、こういう時は。
倉園さんのフォトキャストに装的防衛って言葉は
ほぼ出てこないと思うんだけど、
時々お話になってるなっていうのは聞いてるんですけれども、
要は切っていくってことですね。
切っていくっていうのを最近新しい定義っていうのかな、概念で見つけてですね、
今度はその話をしようと思ってるんですけど、
今日はそれよりもスプリットオフなんですね。
松木先生という、私もこの先生の本を見つけてから
だいぶまた読書が進むっていうのかな。
何しろ対照関係論っていうのは読書が進まんのですよね。
一本一本読むと日に2ページぐらいしかよくわからないから
読めないみたいになるんだけど、
松木先生の本読むようになってから、
もう先生言っちゃってますけど、
私、面識もなければどこにいるどんな人なのかも一切知らないんですけど、
ただの本の著者の名前として知っている松木さんだったような、
僕こういうのはよく間違いますからね。
確認しよう。松木邦弘さんだと思いますね。
今読んでるのが、体系抗議対照関係論の条という、
これも読み直しなんですけど、
わりと2021年に出た新しめの本で、
どう考えても僕が読む、買うだけでもおかしいだろうっていう、
奥さんにこれを見られたとき、
これなんで買ったの?みたいに言われて、
私も一応こういう本好きなんですよねっていう話をしたんですけど、
もう全く普通の人から見ると、
そういう間違って注文をしたと思われそうな本ですね。
18:00
で、売る気なさそうですよね、こういう本って何よりもね。
売る気があるんだろうかっていう。
僕もこの界隈というか、ビジネス書に長らくいたから、
いや、これで出すとなるとこれは逆張りというしかないよねっていう。
もう売れなさそうに作れば売れるかもしれないっていう戦略なら分かるっていうぐらい、
売れなさそうなんですよ。
でも面白いんですよ、中身はね。
で、話が分かんなくなっちゃった。
スプリットオフ、スプリッティングですね。
要はあれですよ、良いおっぱい悪いおっぱいなんだけど、
悪ってことは分けるってことです。
そして分けるってことは僕らはやらないわけにはいかないんですよね、生きていくために。
だけれどもこれをやることによって僕らは、
簡単に言うとですね、僕の考えではこれをやるから先送りが始まるんですし、
これをやるから苦しむんですし、
これをやるから蔵園さんのグッドバイオスで理由に言うところのバラバラ意識に
どんどん追い詰められていくんですよ。
要はあんまり良いことはない。
でもこれやらないってこともわけにもいかないんですよね。
だってほら、食事にウイルス混ぜるわけにいかないですよね。
やっぱり分けなきゃダメですよね。
僕らは基本的に生存のために分けるっていうところから全てが始まると。
これはメラニー・クラインが一番非常に強調している部分ですけど、
要は排出ってことなんですよね。
良いおっぱいから良いものを取り込み、
身体の中にあるノーシングというね。
ノーシングっていうのは要するに何もないものがある感じ。
多分赤ちゃん誤解してるっていうことですよ。
お腹が空いたって不愉快じゃないですか。
だからお腹の中に不愉快なものがあるというふうに誤解してるんですが、
それを良いおっぱいから良いものを取り込む。
ミルクっていうのを知らないから良いものを取り込むと、
ノーシングという悪いものが出ていくと。
悪いものを出すために良いものを取り込むのかなんかわかんないですけど、
とにかく良いところから良いものを取り込めば、
悪いところから悪いものが出ていくという、
そういう非常に生々しいということなんですよね。
体感覚があるということ。
これは説明されてみて本当に感じるところがあるわけですよ。
あんまり嫌な話というか、
あんまり良い話じゃないですけど、
例えば奥さんなり妹なりとか、
昔私が小さかった頃とかに、
さも分かったような顔をして、
ガンガン腹が立った時に相手にぶつけるわけじゃないですか。
怒りなど、そういうことはやるよね。
やったことはあると思うんです。
すっきりするじゃないですか。
この体感覚なんですよ。
悪いものを自分が出して、しかも相手にぶつけると。
すっきりすると。
21:02
これをですね、クラインは明らかに悪い意味で、
万能感と呼んだんですね。
ここがまた難しいんですけど、ウィニコットあたりは、
そういう万能感を完全に手放しては人は生きていけなくなるんだっていうね。
だから万能感の意味を補正かけてる感じがあるし、
そっちも大事だと僕も思うんだけど、
少なくともこの万能すっきり感で、
悪いものを排出するということをですね、
やりまくってると、
人は孤立していくんですよね。
この時でも面白いんですよ。
この万能すっきり感しかない感じがしてくる瞬間ってあるんですよ。
それがさっき言った、
カラ元気っていう風にこれを言う分析家の人もいるんだけど、
とにかく元気になった感じがするんですね。
グラドノさんが昔、こういう戦略に
酷く訴えていたという風におっしゃっていて、
なんとなく最近は分かるような気がしてきたんですけど、
実は最初はよく分からなくてですね、
この人がそんなことをやるって信じがたいなって思っていた時期があったんですよ。
そういう時期があったんですね。
そういう時期があったんですね。
この人がそんなことをやるって信じがたいなって思っていた時期が、
僕は最初に聞いた時、非常に不思議な印象を受けたんですよね。
私はこれよくやってたの。
なんつーんだろうな、そんなに僕は元気よくはやらないんだけど、
静かに切っていくみたいな、
なんか気がつかないところでハサミ入れていくみたいな、
こうスッと切って、フッと消えるみたいな、
そこにまた僕は快感を覚えていた時期が結構あったんですよ。
そこにまた僕は快感を覚えていた時期が結構あったんですよ。
これはビヨンという人がまさにこの種のことを説明しているように
僕には感じるところがあって、
すごく自分のことを言われている感じがするなって思ったんですね。
すごく自分のことを言われている感じがするなって思ったんですね。
このスッと切るんでも元気よく切るんでも、
一番これをわかりやすく描いているのは
ドコンジョガエルの娘で、
ドコンジョガエルを描いたお父さんが、
ドコンジョガエルを描いた人なんですけどね、
あのお父さんまさに総敵防衛をやるんですよ。
あの人が。俺は平気だぞ。
全然お前たちがいなくたって大丈夫だからな、
みたいな、あの元気感なんですよね。
私はああいう風にはあまり言わないんだけど、
同じことをやってるなってのはすごくわかります。
同じことをやってるなってのはすごくわかります。
ああやって自分が困るんですよ。
あの方はそれをやりまくった挙句、
なかなかそのことに気づかない。
ここも面白いんですよね。
フロイトの言うところの反復脅迫なんですよね。
同じことをやって、同じ失敗を繰り返すわけです。
本人はどうしてそれではダメなのかが、
なかなかわからないということがあるわけです。
やっぱりほら赤ちゃんの時に、
クラインに言わせればですけどね、
自分が台徳した手法なんでね、
自分としてそうやってるつもりなんですよ。
それだけをやってるつもりだから、
24:02
ごく当然だろうって思っちゃうわけですよ。
例えば奥さんの中にもダメなものを見つけたら、
奥さんごと切り捨てるっていう、
うんこを出した時のように体感的にすっきりするわけですよ。
すっきりするじゃないですか。
なんかもやもやする人間関係を切ると。
もうあの人と別れられてほんとよかった、
っていう言い方を人はするじゃないですか。
ここを捉えてるんですよね。
ここにもまた難しさがあるんですよ。
いやそれは万能すっきり感で、
それをやってると云々っていうと、
多分その人は自分の当然切るべき、
自分に利益をもたらす人間関係を
切り捨てたことを強く非難されてるように感じるんで、
腹が立つわけですよね。
総敵ってここを言っていくから、
すごい話してるよなと思うし、
自分もしちゃってるから腹立つよなと思う。
これは総敵防衛一択だって思えてる時に、
これを言われると、
どうしろって言うんだって感じがするんですよね。
これを我慢しろと言うのかとかね。
こんな人間を我慢させられていたら、
だからかえって人は我慢しすぎて、
ストレスを溜めて鬱になるんだと。
最近もそれに近いちょっとした行き違いがあったりして、
僕はまだまだこの辺、
ここはよっぽど上手く、
どう伝えても腹が立つんですけどね。
一択ですから。
総敵防衛以外はありえないと言ってるところに、
この総敵防衛を今しばらく攻めて保留しましょうって言っただけでも、
もう行き違うんですよね。
ふざけんなってことになるんですよ。
本当にこの時不思議なんですよね。
怒りのマグマが爆発しそうな時に、
ちょっと怒るのを待ちましょうって言われてる時には、
多分言った人はめちゃくちゃ怒られますよね。
それに近い行き違いがあるんですね。
だから一見したところそこで行き違ってる行き違いは、
相談の行き違いとか、
カウンセリングでカウンセラーが分かってないと言われるとか、
そうしないとカッコつかないから、そう言われちゃうんですけど、
実際はそうじゃないんですよ。
総敵防衛を留めるのはすごく難しいことなんです。
私も自分が留めようと思えば、
よく分かります。
いくらクラズノさんにグッドワイブするように、
そうやっていると孤独になりますって言われても、
孤独になってもいいよって感じがするんですよ、こういう時って。
それしか感じないって言ってもいいから、
この一番の出だしに
スプリッティングがあったんだっていうのが、
クラインの言ってることなんだと僕は思うんですよね。
最初に良いものを取り込み、
美味しいミルクを取り込み、
そういう意識はないけれど、
自分の中のノーシングという、
27:00
空腹があるという間違った感情を使って、
空腹というものを押し出したと思ってる。
この感覚、体感覚を含みながら、
例えばそれを人間関係なり、
転職活動なりに適応するわけですね。
新しい職場からの良いミルクを取り込み、
体育とか環境とか条件とか、
良いミルクを取り込み、
元々あったクソ上司とかを、
まさにクソですよ、排出して吐き出して、
自分から切り離すと、
すっきりする。
その時自分は万能だという感覚を持つ。
これが万能感ですね。
これ誰かが偽りの万能感って書いてたかな。
ここに偽りのって書いてしまうとですね、
何を言ってるのかよく分かるんだけど、
ここに偽りのっていう形容詞を当ててしまうと、
全くモラル的になっちゃうんですか。
ここでは万能すっきり感と、
僕は勝手に解明しているんですけど、
これもきっと怒られると思うんですけどね、
ある種の筋からは。
万能すっきり感は、
最終的にその人の人生を厳しめなものにするから、
あれだよっていうのは、
何らかの形で伝えていく必要があると思うんですけど、
これをですね、何か悪、
それこそ罪のある行為みたいに捉えるのはダメなんですよね。
そうしたとしても、
これ一択しかないって思ってる時に、
ただこれを押し留めて我慢して、
その人間関係をただ保持すればいいってものではないんですよ。
実際にその上司はクソかもしれないですからね。
つまりその上司に問題がないって言ってるわけではないんですよ。
そういう意味ではこれはないということなんですね。
ここが非常に多分理解しがたいと思うんだけど、
結局僕らは、
それこそ本当のことは分からない。
つまり客観的にどう起きてるかということと、
主観的にそれを誤解しているということは、
別々に考えていく必要があると思うんですよね。
その上司に問題があるのかないのか、
作種なのかどうなのか、
条件として問題があるのかどうなのかは、
それはそれとしてちゃんと考えなきゃいけないと思うんですよ。
そうではなくて、
私たち自分が主観の中で、それは客観的な事実で、
私たちに本当に完全にそれがどう見えるかってのを
突き詰めて見つけることはできないと思うんですよ。
本当のところどうなのかっていうことを、
完全にニュートラルに見ることはできないと思うんです。
そういう視点はないから。
だけれども一方で主観的にそれが、
悪いものを切り捨てたいんだ、
切り捨てるべき悪いものなんだっていう、
その主観っていう状態、
ここにスプリットがあることはもう間違いなくて、
30:02
スプリットというものは現実にはないんだってことを、
よくよく見ていかないとですね、
僕らいずれスプリットにやられていくと言いますか、
言ってみれば良いことは起きないはずなのですよね。
だから良いことが今起きていないなら、
スプリットが原因になっているっていう風に
考えると、
スプリットが原因になっているっていう風に、
つまり良いものを取り込み、悪いものを出すと、
当然やらざるを得ないことをやりすぎているせいで、
そんな事態を引き起こしている、
先送りを繰り返すとか、
もちろん食べ物に菌を混ぜちゃいけないんですよ。
食べ物と菌は分けなきゃいけない。
そうして私たちは人を分けていくわけです。
間違いなく。
例えば、
男女平等とかそういうことにも、
理解のある人と、
女性差別主義者みたいに分けるわけですよ。
一見これは理にかなっているようなんだけど、
世の中をパッと見た時に、そういう風に分かれてないですよね。
パッと見た瞬間に、
危険人物だけが別のところにいるとか、
いうことはないじゃないですか。
パッと見た瞬間に、
品川駅とかに人がわーっと。
すみません。
電話がここのタイミングでかかってくるとは思わなかったですね。
品川駅とかでね、
パッと人が人混み雑踏で、
わーっと人いるじゃないですか。
パッと見て、人って別れていないですよね。
現実というものって別れてないですよ。
スプリットしているのは私たちの心ですよね。
心が当てているわけじゃないですか。
例えば、強盗集団をやる、
とても危険な人と、
普通に真面目に生きている人という分け方は、
一見したところ、
すごい自然な分け方なんだけど、
そんな風に現実に本当に分かれているわけじゃないじゃないですか。
時代劇の悪人ってすぐ分かるような、
めちゃくちゃヤバそうな顔をして、
めちゃくちゃヤバそうな格好をして、
いかにも私は極悪人ですって顔で、
雰囲気で歩いてますけど、
あんな風に歩いてる人ばかりじゃないじゃないですか。
仮に世の中に犯罪する人がいたとしても、
私は犯罪者ですよっていうことが、
誰の目にも明らかなようにしてないですよね。
つまり、私たちは、
スプリットしたものを見ることはできないはずなんですね。
できないからこそ、
ウイルスを混ぜないとか菌を混ぜないために、
我々はこんなにあれこれ気を使ってるわけですよ。
33:00
見えないからね。
つまり、混ざっているのがデフォルトであり、
混ざっているのが現実なんですよ。
スプリットしてるっていうのは、
私たちの心を作り出す世界であって、
イリュージョンなんですね。
グッドバイをするように言えばね。
だから、分かれてないものを分けようと頑張っている結果として、
スプリットってものはできるのであって、
最初からデフォルトで分かれてるわけでは絶対ない。
つまり、現実を現実として
捉えて受け止めるのであれば、
分かれていないんですよ。
そこは一つなんですよね。
生まれた時から生物としての
基本機能としてやっていく。
それがどんどん過剰になっていくわけですね。
一番過剰になったところに、
多分統合失調っていう概念が出てくるんだと思うんですよね。
そういう心理現象です。
分けて分けて分けまくるということをやる。
つまり、この分けるというのは、
それこそ恐れと不安から来るわけですね。
恐れと不安だけではなく、
そういう機能があるから
常習的にやる癖になっているということもあるにしても、
9割以上は恐れと不安からやる行為ですよね。
食べ物に危険なものを混ぜないというのは、
危険だからです。
もちろんこれは必要なことです。
腐った食べ物を炊いたばかりのご飯の中に入れちゃうとかは
ダメですよね。
混ぜるのは危険というのはもちろんそうなんです。
でもそれは危険だから混ぜないわけですよ。
そうすると、とことん世の中に不審感を抱き、
自分の人生に不安というものを抱えて、
恐怖でいっぱいになればなるほど、
徹底的に分けていこうという風になっていくじゃないですか。
徹底的に分けるということは、
まず良い人と悪い人を分けますと、
良い会社と悪い会社を分けますと、
私のところには良い会社だけ、
良い人だけにしていくわけですよ。
その時に万能感を保持していくということは、
どういうことかというと、
自分の人生は絶対大丈夫、絶対危険なものが入ってこない、
絶対快適であるというのを追求していくことがある。
つまりある種の万能感なんですよね。
自分の万能感を維持する。
貧乏を排除し、
お金をくれない人は排除し、
自分に理不尽なことを言う人は排除し、
とにかく排除しまくるわけですよね。
それしかないような気がしてくる。
この排除が総的防衛なんですよ。
つまり、
これをやればやるほど自分は万能になっていくんだという、
そういう一種の希望を持って防衛していく。
そうすると、
同じ付き合っている人も分けないわけにはいかないですよね。
36:01
この人は素晴らしい人だ。
けれどもタバコを吸うと、
タバコを吸うところだけを切り捨てようとするんだけども、
でもそのために私のいないところで吸えとか、
吸った服は脱げとか、
言っていくんだけど、
どこまで頑張ってもタバコを吸う人と付き合っているんだから、
やっぱり、
吸わないその人とだけ付き合うことは不可能なわけですよね。
そうすると、
最終的にやっぱり、
タバコを吸うこの人を切ろうとする。
この時僕らはすごく万能的にスッキリするんだと言ったのが、
そう考えているところが、
対象関係論的なんですね。
すごく関係性の中の話をしているじゃないですか。
そして一方で関係性の中での話をしているのに、
その人の対象だけを見ていますよね。
部分対象って言うんだけど、
良い部分だけを見ようと頑張っている。
良い部分と悪い部分に分けている。
だから部分対象と付き合おうと頑張っている。
この人、こういう言葉を使うんだけど、
全体対象として受け入れる気はないわけですよ。
そして人を部分のように扱えば扱うほど、
自分が万能になれるという、
自分の気持ちとしては、
この万能感はどう考えても偽りでしょう。
人はみんな全体対象なんだから、
全ての人をバリバリ分けまくって、
部分対象化することによって保持される万能が、
万能であるはずがないでしょうという含みが当然あるわけですよ。
でも僕はここに偽りのって付けるのはどうかと思うんですけどね。
自我心理学、
アンナフロイトの方の対象関係論ではない方は、
あくまでもこれを防衛とみなすんですよね。
防衛、確かに総的防衛というぐらいだから防衛なんだけど、
つまり人を斬ることで自分の安全を保つ方法を
強調しているんですけれども、
僕はやっぱりこの万能感の方をもっと言っておかないとですね、
分かんなくなっちゃうと思うんですよね。
何のために人とのつながりをわざわざ斬るのか。
自分が万能だという感覚に快感があるからだと思うんです。
これが私は人を怒りまくったり、
人に怒りをぶつけるときの、
なんとも言えない報復を成就させた、
正義がなったような、
そして自分の安全も保持されるという
高揚感に近いものだと思う。
これがやっぱり欲しくなるから、
これを我慢するのがですね、
なんだかとってもモヤモヤして理不尽で、
こんな人のこんな振る舞いを、
こんなタバコの匂いを我慢するということによって、
私が癌になったらどうしてくれるんだろうみたいな、
新しい理論がそこに発生しちゃうんだと思うんですね。
それがイリュージョンだというものだと思うんですよ。
で、このこうやって分けていくじゃないですか。
ごく当然のことをやっていると
みんなで思っているわけですけど、
39:01
ここにやっぱりかなりの無理がある。
最初はタバコの部分だけ切り捨てたかったんだけど、
結局人を切ることになった。
一時か万時でこれをエスカレートさせていけばですね、
こうなるしかないわけですね。
例えば本を書くと、できれば
好意的な読者だけに読んでほしい。
ここでスプリットが起きているわけですよ。
好意的な読者と悪評を立てる読者と。
悪評を立てる読者がいれば、Amazonで石とかを付けて、
悪行憎悪を並べ立てられれば、
出版社にも迷惑がかかるし、
良いことは何もないから、
そういう人の目に触れないようにしようと。
だから読者を良い読者、悪い読者に分けるんですね。
悪い読者の目にはなるべく触れないような
マーケットをしていくと。
これは難しいですよね、非常に。
本屋に並んでいるのに良い読者だけが来るようにはできないじゃないですか。
その良い読者は別の本も買うわけだから、
日送りの本に悪意を持つ人は立ち入り禁止します、
みたいなわけにはいかないわけですよ。
でもそれに近いことをして、
好意的な人だけをセミナーに呼ぶといったようなことはできますよね。
例えばセミナーの金額をやたら高くすれば、
よほど好意的な人しか来ないですよね。
1回5万円とかにすれば、悪意のある人はなかなか来なくなります。
そういうことはできるんだけど、
そうしたとしても、5万円のセミナーを
開催しましたということをして、
良い読者だけが来たんだけども、
聞いた人が5万円にしたらちょっとあれはどうかなっていう
程度の内容だったよね、みたいに思うかもしれないじゃないですか。
ここで良い読者をさらに選別しなければならない
となったりするわけですよね。
良い読者の中でも決して悪口は言わない読者とか、
こうして減っていくんですよ。
私の読者というものが。
必ずもたらす一つの問題ですね。
もう一つの問題は、
排出した人たちはどうなっているかってことなんですよね。
悪い読者認定した人、
タバコ吸うからといって切り捨てた彼氏とか、
そういうふうに切った人は、
この世から消えてなくなるわけでは決してないですから。
あくまでも分けただけですから。
桃太郎の話ですよね。鬼ヶ島には鬼がいるんですよ。
つまり村と鬼ヶ島に分けても鬼は残るわけです。
しかも、
お前らは鬼ヶ島だけ住め。
これが刑務所なんだと僕は思うんだけれども、
普通はそうはいかないですよ。
我々はそんな権限はどこにもないんだから。
こういう権限を簡単に与えると大変なことになるから、
これをやるのはものすごい慎重にやろうねとなったのは、
現代ですよね。近現代の現代だと思うんですよ。
分けてとにかくみんなを閉じ込める政策というのを、
20世紀中央にすごく流行ったじゃないですか。
今でもありますよね。
強制収容所というところですよね。
42:01
あそこに悪いとされる人たちを全部ぶち込むと。
私の本の悪口を言うとか、ダスクシュートの悪口を言う人は、
全部強制収容所に入れるんですよ。
そういうことだったと思うんですよね。
あれやると大変なことになるんだということをやってみて人類は知るんですよ。
問題は何?
これをやらないで、同じようなことを精神内であるいは、
ある程度の操作でやるとしてですね、
さっき言ったような工学セミナーやるみたいなやり方でやったとするじゃないですか。
そうすると、
混ぜるな危険が文字通り発生しますよね。
だってそこら中に自分の悪口を言う、
そこら中に私のことを心よく思っていない人がいて、
それらの人たちは実際には混ざっているわけですよね。
スプリットしているのは心の中だけの話であって、
現実にはちっともスプリットなんかされていない。
鬼は鬼ヶ島にだけいるわけじゃないわけですよ。
鬼認定した人たちは、
そこら中に街を普通に歩き、
ネット上にうようよいるわけ。
このうようよ感というのを、
僕らはスプリットしたと同時に引き受けなければならないわけですよ。
スプリットしたんだから、
悪認定はどこかに、
それができないんだったら何の意味もないですもんね。
良いものと悪いものを分けるという認識を始めたところから、
このうようよが始まるわけですよ。
このうようよを極端にしたものがですね、
私は控えな対象というものだと思うんですね。
ATMが見張っているとか、
パソコンのカメラが私を勝手に映して、
向こうでゲラゲラ笑っている人たちに見られているとかね、
そういうものが始まるわけです。
これはうようよいるものの恐ろしさですよね。
うようよいる中でもですね、
我々はこういうことをやるんですよね。
やらないですけど、やらないですよ。
よほどこれは精神状態が厳しくなってこないとやらないですけど、
厳しくなってくればなるほど、
どんな悪い奴が自分を苦しめているんだろうと考えるようになるじゃないですか。
例えば今で言えば、
確定申告が私を苦しめているから、
うようよしているあの税務、税理士とか、
税理士じゃない、ごめんなさい。
国税局とかそういうところが悪なんじゃないだろうかと。
その中でも特に悪い奴は誰なんだろうかと。
そういうふうに考えていきますよね。
自分が辛くなってくればね、会社に行くのが辛いと。
何のせいなんだろうと。
あの上司がいけないんだけど、
自分のことをさらに悪く吹き込んでいるんじゃないだろうかとか。
吹き込んでいることはもうわかっているとかね。
そういうふうにお話しする方はいっぱいいらっしゃいますからね。
ごく普通の会話の中でも。
ここからさらに相当数を、
相当歩幅があると思うんだけど、
例えば雲がとても嫌いって人いらっしゃいますよね。
雲にこういうものをかぶせるわけですよね。
スプリットしてスプリットして、
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善悪、善をどんどん抽出する。
一方で悪をどんどん特定していく。
その悪の中でも悪の中でも悪っていうのが出てきますよね。
分けてるんだから。
真っ黒ですよ。
ものすごい恐ろしい、おぞましいものが、
ごくごく抽象化されて抽出されるんですよ。
悪中悪みたいなやつですよね。
これが例えば雲とかに見えるわけです。
雲怖い人はね、蛇とかに見えるわけです。
蛇の上に見るんですね。
だから機械な対象って言うんです。
機械な対象って言ったのは誰だったかな。
サンドラっていう人だったかな。
機械な対象、ここでもまた対象なんですよ。
もちろん部分対象です。
うんこって私たち、悪いもの汚いものと思ってるじゃないですか。
それは世の中の客観的事実としてそうなわけじゃないですよね。
僕らがそういうふうに認識した、そういうふうに分けた。
分けて悪い方のものとして押し出された。
その結果ですよね。
その中でも特に特別悪いものですよ。
そういうものの凝縮されたものを、
例えば雲とか蛇とかの上に見て、
雲だなってことになるわけですよ。
これと全く同じものをね、
例えばある人の上に見ると、
これはとてもじゃないけどいけませんよね。
だからこの会社から転職する。
つまりこれが総的防衛。
これを防衛した時に僕らはとても元気になった感じがするわけですよね。
原因は自分が作ったものだから、
決してこの原因に対して結果出せない、
防衛しきれないんだけど、
防衛できるような日が一時的にするんですよ。
ここにだから、
いろんな人なりのスプリットした悪というものが
どういうものであるかによって、
その悪に自分が晒された時、
触れざるを得なくなった時、
雲がめちゃくちゃ怖い人が顔の上に雲を置かれたら
どんな気がするかってことですね。
今のは間違いなくそういうことなんですよ。
自分の心が作り出した悪、
例えば私の本を出た瞬間に
めちゃくちゃ厳しく批評する人が
このようにいるとするじゃないですか。
その人が私がこれはうまく書けなかったなっていうところを
わざわざ見つけ出して、
それを引用し、その人がプレゼントし、
知らないですけどね、100人の前で
鈴木がこんなに愚かなことを言っているぞと言っている光景を
目にしたらどういう気持ちがするか。
僕はこれは雲が顔に置かれた時と
実によく似た感触を抱くだろうなって思うんですよ。
それを作り出したのは僕なんですよ。
間違いなく私にしかできないことだと思うんですね。
こういうふうに僕らは
何か世の中でよっぽど恐ろしいこと、
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よっぽど破滅的なことを
一つや二つは持っていると思うんです。
絶対この失敗だけはやっちゃいけない失敗とか
そういうものを作り出すわけです。
そういうものはその人の心の中で
出来上がるものです。
どんなことであろうと、
例えば原子炉を誘拐させてしまうような
何かのミスであろうともですね、
それがおぞましいというのはあくまでもおぞましいという
おぞましいって認定するからですけどね。
認定した結果、それを自分がやったら
どんな気持ちがするか、そういうことですね。
これが機械な対象というものと
多分関係していると思うんですね。
そして機械な対象もスプリットオフから
作り出される感覚なんだと。
感覚というのかな、対象なんですよね。
対象というのが一番しっくりくるような
気がしますね。
ここまで長々としゃべってきたんだけど
解決策はという話になると思うんですよ。
解決策はこれをやめるってことだと僕は思うんですよね。
倉田さんはグッドバイブスの中でもっと
踏み込んでいらっしゃいます。
平安に至るまでこれをただやめると言われても
やめるモチベーションが湧かないじゃないですか。
だからすごくいい報酬というものが
この先にあると僕も思うんだけど、
僕はまず何よりもこれをやめるってことしか
言えないんですよ、今のところ。
なんでなのかって言われると困るんだけど
これをやめることの効果はでかいと思うのと
これをやめるのはとてもある意味難しいというところと
だけれども、これをやめるわけにはいかないんだと
みんな思い込んでるんですよね。
精神分析なりカウンセリングが長らく取り組んできたのは
どうやってこれをやめようかって話だったと思うんです。
特に精神分析はそういうところがあると思うんです。
リンケージみたいな表現で繋ぎ直すっていう
つまりスプリットして切り離したものを
繋ぎ直すっていう概念がありますから
嫌ですよ。
これがいかにも嫌なのは
これが嫌だと思えてないということは
この話が抽象的にしか響いてないってことなんだけど
これをやれって言われるとみんな怒りだします。
人に悪評を立てられることを非常に恐れる人に
悪評を立てる人と仲良くしましょうと言ってるぐらい
無理のある話になってるはずなんです。
だから精神分析は長くかかるんです。
一歩間違って2年も3年も退金払わなきゃならないのは
このスプリットをいかに僕らがやり
でもやっぱり
自作自演であるってことにどこかで気づけば
人はこれをやめられるんだっていうのが
精神分析が発見した考え方なんですよね。
治療法と言ってもいいと思うんですよ。
僕らは軽度だから
51:00
機械の対象はせいぜい虫の上に見るし
つまりこれを虫の上に見ても
そんなに生活不都合ないですからね。
スプリットしたとしても
そこら辺にうようよ人がいても我慢するでしょう。
そう思うんですよ。
でも繋ぎ直すところまではなかなかいかない。
ちょいちょい想的防衛は使っちゃう。
孤立する。
倉園さんがおっしゃっていたような関係者が
誰もいなくなるってところまで行く人は
あんまりいないと思うんですよ。
少なくとも私はそこまで行き着いたことはない。
私は相当やる方だと思ってたけど
やっぱりそこまではできないんですよ。
その前に不安になっちゃうんですよね。
でもちょいちょいやっちゃいます。
やっちゃダメだって言われようと言われまいとやっちゃいますからね。
でもこれをやめるということの方向性。
だからグッドバイオスでよく倉園さんが
逆方向に行く。まさにそうなんですよね。
逆方向なんですよこれは。
つまり自分が枠標を立てられるということが
すごくダメだっていう場合でも
枠標を立てられてもいい世界にわざわざ行くってことなんで
それはものすごく変な感じがすると思うんです。
感覚的には
まさにご飯にウイルス混ぜるぐらいに
感じる人は感じると間違いなく思います。
僕も。だからできないんですよ。
なかなか。
だけどやっぱりこれをスプリット
必要もないのにやらない。
必要な部分はどうせ僕らやりますからね。
世の中から刑務所なくせないじゃないですか。
例えば冤罪の人を刑務所に入れるみたいなこと
僕らはそれもやりますよね。
これが3つ目の問題だと思うんですよ。
1つ目はいいものばかりを抽出すれば
いいもの1つもなくなるという問題。
もう1つは悪いものを分けているつもりでも
分けきれないから混ざっちゃってきていて
そこに怯えなければならないという問題。
3つ目はいいものを誤認して悪い方に置いておいて
隔離してそれで良しとしてしまう。
それによって新しい問題をわざわざ作り出すという問題。
この3つは絶対確実にあると思いますね。
もう1つあるんですよ。
これをやってしまった後の後始末を
僕らは引き受けさせられている。
総的防衛をやった人は間違いなく
必ずそうなる。いつかはなるんですけど
いいものと悪いものは同じであったことにいつか
分かれます。だってもともと同じものを分けただけですから。
そして分け切れさえしていないわけですからね。
つなぎ直すという作業の難しさの中に
欲打つが入ってくるってことです。
理想的な上司だと思ったのに
こんなひどい人だったんだって時僕らがっかりするじゃないですか。
これのもっともっと激しい難しいバージョンに
54:02
いわゆる毒親という
今日は言っちゃいますけれども
特に見ていると女性が
厳しいほとんど
脅迫症っぽい女性のお母さんに育てられた
ケースでこれが起こるんですよ。
その中ではスタンダードが極めて高くなっている
要求水準ですよね。テストは全部100点じゃなければ
ワンモファン抜くからね的な話ですよ。
こういう話をずっと聞かされている人は
このお母さんを憎んでいる一方で
そのお母さんのスタンダードというものが
良い対象になっちゃう。理想の対象になってしまうんですね。
つまりこんなお母さんはダメだとは思うんだけど
でも100点を取りまくることには価値を残すんです。
そうするとそのお母さんの部分対象
つまりそのお母さんのおっぱい
少ないかもしれないけど少ないだけにめちゃくちゃ価値が高くて
ゴールデンなわけですよ。
ゴールデンなおっぱいなんですよ。
それをどうかしようとする一方で
このお母さんそのものはとても悪い対象になっている
他の部分は全部ですね。
いつかこのゴールデンなそのお母さんのスタンダードと
そのお母さんの存在そのものは
同一であったということに気付く日がやってくるんですね。
この時多くの場合非常に抑圧的になるわけです。
これほどのスタンダードを追求してきた私の人生は
何だったんだろうということになるんですよ。
第一にこのお母さんはそのスタンダードを
実現できていないじゃないかと。
第二にこのスタンダードってそもそも実現できないじゃないかと。
お前もバイオリンで世界一になって
しかも宇宙飛行士にもなって
しかもフィギュアスケートで金メダル取りなさい
ぐらいなノリになっちゃってるわけですよ。
出来っこないわけですよね。
そういうスタンダードを言う人と
そういうスタンダードを要求する子育てというのが
同じところにあるんだと気付いた時に
大いに落ち込むわけですよね。
人生がものすごいダークな灰色になってしまう。
混ざってるから灰色なんだけど
普通の人の人生こんなもんなのねの
ものすごくダメなバージョンを
その人は自分の人生そのものに
これが欲打つポジションの入り口なんですね。
つまりスプリットをしまくってる時は
妄想分裂ポジションなんです。スプリットって妄想ですから。
分けきれないものを分けた気になってるというのは
イリュージョンで妄想ですよね。しかも分裂してますよね。
自分が分裂もしているし対象を分裂させてもいるから
まさに妄想分裂ポジションなんですよ。
発狂してるわけじゃないんですね。
穏やかにやってる人もいるんですよ。僕みたいに。
これもハサミっていうのがイリュージョンじゃないですか。
切ってるのもイリュージョンです。だから妄想なんですよこれは。
妄想分裂ポジションなんです。
57:00
でも実際には繋がってるんだってことに気づいた時に
気づいたその瞬間はさっきの万能すっきり感の逆が来るんですね。
えーそうなんだ。
残念だな。
ひどいもんだなみたいな。
ご飯にウイルスが混ざってるのはしょうがないんだっていう
これが鬱なんだと思うんですよね。
欲鬱ポジションっていうところの鬱。
つまり繋ぎ直さないと平安にはいたれないんだけど
繋ぎ直したその入り口には欲鬱が入ってくる。
これが嫌なんですよ僕らは。
これがものすごく嫌だから
やっぱり万能すっきり感でいきたいと。
このぐるぐるなんですね。
このぐるぐるの話は以前も何度か何度もしましたね。
妄想分裂ポジションと欲鬱ポジションの
間を行ったり来たりしてしまうということが起こるわけです。
はっきり言って僕は未だにこれをやってる気がします。
ちょいちょい想的保衛
取っちゃいます。
そして万能すっきり感を偽りのっていうならば偽りのを得て
その後しばらく経って
あーやっちゃったなと思う日がやってくる。
っていうかすぐやってきます。
いやもうそんなこと言うならば知ったことじゃないみたいな。
グッドワイプスも何もかも知ったことじゃないと言って
バッと投げるわけですよ。
今までみたいにバーッと投げつけるとかハサミで切るみたいなことはしませんが
バッとやるわけですよね。
これは結局やってることは
スプリットしたことに違いはないんですよね。
ところがその後ご飯作ってもらったりしなきゃ
なんないわけじゃないですか。
そういうときにスミってのは人が作った概念だよねと
バツってのもそうだよねと
そしてだから想的防衛をいっぱいやっていて
人が幸せになれるわけがないよねっていうのが
重く響いてくる経験ってのがあるんですよ。
ということで
今回の動画は以上です。
ご視聴ありがとうございました。
チャンネル登録よろしくお願いします。
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