1. グッドモーニングボイス
  2. 改めて3ヶ月チャレンジ【GMV 9..
2024-04-12 55:20

改めて3ヶ月チャレンジ【GMV 962】

話を聞いてどうしたいのか?
00:05
おはようございます、グッドモーニングボイスです。
4月12日金曜日、朝7時10分です。
戻ってきました。何にどう戻ってきたのかわからないですけど、
戻ってくるというのが、今日の一つのテーマになりそうな気がしますね。
難しいですよね。戻ってくる。
この表現自体が何か混在、混乱させるものを感じますが、
それは良いとしてお知らせですね。
3ヶ月チャレンジのお知らせを、断続的にさせていただきます。
おかげさまでですね、6期を迎えようとして、今5期なんですけど、
ほとんど誰もお辞めにならないという、
トータルでもう2名かな?すごいなっていう感じが、
今のところまだトータルでも1名なんじゃない?
これはね、後ほどスタッフの人に話を聞かないと、
僕の記憶だけでたどると適当になっても、1か2ですよ。
すごいなっていうふうに思ったりしているわけですね。
これも後ほど話すからいいや。
つまり、第6期が入ります。
5月、6月、7月。
これ結局、ダメだな。
このCMをしながら本編に入るのが妥当な感じがしてきたんですけど、
なんていうんですかね。
これはどうして交換のっていうと、
一つはですね、それが今日のテーマになるんですけど、
ここずっと最近言ってるんですけどね。
多分伝わりにくい話を始めちゃったなとは思うんですが、
でもこれすごい僕にとっては一大発見だったんですよ。
ある意味では。
ドリフ診療の話なんですけどね。
それにプラスアルファであと3つぐらいあってですね。
発見するといろいろ見えてくるものってあるんだなと思うんですけど、
この3ヶ月というのはまず一つの枠組みじゃないですか。
もう一つ僕が絶対的にここを枠としようと考えるようになったのがオンラインってことなんですね。
基本オンライン。
オフで絶対会わないとかいうのは儲けませんけれども、
ベースオンライン。
会える人はオフで会うこともありますが、
オンラインをベースとするというふうに枠を決めているわけです。
これで3ヶ月。
あとはですね、
基本的には一応私は仕事術のほうから来てる人間なんで、
一応仕事術なんだけど、
仕事がホドコールとか仕事がうまく回らなくなってきつつあるなというふうに思えるような事態はすべて取り扱えますから、
例えば家庭内不安とかね。
あるいはもっと知人関係で、
つまり人間関係のこじれみたいなのって直結しないじゃないですか、仕事術。
03:04
この辺いつも僕はですね、
実はビジネス書を書くときに編集さんに詰められてイライラしてしまうんですよね。
イライラしちゃいけないんだけど、
グッドファイブス的にね。
このグッドファイブスは一旦置いとこう。
イライラするのでも、
そうなんだとか思っちゃうというのでも何でもいいんですけれども、
まるで仕事術って仕事の時だけ出てくればいいって感じに。
これはね、本読んでる時のモードってまさにその通りなんでね。
なんかこう、奥さんとの関係とか言われてもさ、
そんな話は聞いてないかなって思うんだけど、
でもその人も、いざ奥さんとめちゃくちゃこじれたりすると仕事に差し障るわけですよ。
でもそれは通常時には意識されない話なので、
やっぱりこうね、仕事術の本開いたらエヴァノートガーとか、
5分間ダッシュガーって出てきて欲しいわけですよね。
それこそあの最軽に効果で途中でキリの悪いところでやめると。
僕あれは最近あんまりイチオシじゃないんですけど、
やめればやめたで効果出るから、
やめてもいいよねみたいな感じはあるから、
特段反対はしないんですけど、
僕は結構キリのいいところまでガッツリやっちゃうみたいなのが最近、
自分好みになってきたんで。
これも時間が許さない場合にはガッツリできない場合があるから、
このさらどっちを言うことは自分の中ではなくなってるんですけど、
こういう仕事術ってのは平時のものなんですよね。
結局、自分の調子がいい時や人間関係が多すぎ、
涙ってない時はこれでうまくいくんですけど、
いろいろ起こるじゃないですか。
のみならず、長くこういう問題に実は絡んでいるにもかかわらず、
本人はあまりそういうことを意識していないんだけど、
いざという時にある種のことを先送りすると。
この辺になってくるとだいぶこうメンタルよりになってくるわけですけど、
そういう話を面々とビジネス書に書いても受けないと言われればその通りなんですよ。
ここにやっぱり難しさがある。
新ジャンルを作り出したいぐらいのところがちょっとあるんですけど、
新ジャンルなー、なんかこう難しいなっていうのがちょっとまだありますね。
全く受けないジャンルを作り出したらジャンルになりませんしね。
こういうのは感触で決めていくしかないので、
また世の中の風向きが変わったりもすると思うんで、
ある種の方は読みたいとおっしゃってくださると思うんですけど、
現状こういうものだけを集めたらKDPだろうなーっていうのは確実になってしまいますね。
私がね、それこそ100万部の本を2回出しましたって言うんだったら、
割とどんな本でも書かせてもらえるんだけど、
そういうわけにはいきませんし、
それはそれでちょっとモラルハザードっぽさありますしね。
そんなわけで、いかにEvernoteの話をしつつもメンタルを盛り込むかというのが、
今のところ私がやってるやり方だなと。
でも3ヶ月チャレンジは違うんですよ。
3ヶ月チャレンジではもはや、
06:00
ご希望とあらばしますけど、
もうタイマーの話やタスクシュートの話すらも原則しない、
原則しないタスクシュートの話をするとしても、
かなりメタにすることになりますね。
っていうのは結局タスクシュートの使い方がここで分かったところで、
たぶんまずそれを使うかどうかすら疑わしいという場合に、
やっぱりなんで使わないのか。
なんで使わないのかっていうと、
タスクシュートの機能とか効能の話になっちゃうんですけど、
そうじゃないんですよ。
たぶん記録をめんどくさくてできませんというのには、
もっと違うわけがあるわけです。
どうだろうな、どういう例がいいですかね。
例えば記録めんどくさいんですって言ってる人の中にはですね、
これは完全に僕が今創作していくんですけれども、
まあね、ちょっとね、
このポッドキャストだから多めに見ていただきましょう。
いや、多めに見てもらえないか。やめよう。
創作だからといって何を喋ってもいいわけじゃない。
難しいな。
まあでもほら、じゃあ僕の話にしましょう。
実は記録めんどくさいのは大学生のとき持てなかったからなんですよ、
っていうのは僕の中ではパチッとくるんですよ。
だけどこれたぶん聞いても、
はあ?っていう感じになるじゃないですか。
ここがミソなんですね。
だから一人一人にカスタマイズするより他なくなるんですね。
こういう話は3ヶ月チャレンジ外で、
果たしてできるか、
で、して意味あるかっていうとないんですよ。
もしかするとあなたが記録したくないのは、
大学時代持てなかったからなんですよって言っても、
たぶん納得する人はほぼいない。
稀にいるんだけど。
そういう方向けに3ヶ月チャレンジをやる。
これじゃあ何のPRにもなってない気がしてきた。
難しいですね。
例えばそうだな、
なんてことないんですけどね、
私昔やっぱり肉体的に男性的でないってことに
大変強いコンプレックスがありまして、
だから車田雅美さんの漫画とか、
新谷香織さんの漫画とか、
なんならけんしろうとからおうとかね、
特にもうらおうに対しては意味が全くないコンプレックス。
だってあんな人いませんからね。
いやらおうに勝てないよっていうか、
勝てる人いないじゃないですか。
ああいう人が現実にいたとしたらですけどもね。
だかららおうに勝てないから会社に勤められないっていうのが
僕の心の中で成立しちゃうわけなんですよ。
これがね、やっぱり僕の中では3ヶ月チャレンジの
一つの肝なんですよね。
いやらおうに勝てないからタスクシュートの記録が
残んないんですよっていうのは
僕の中では大筋おかしな話ではないけど、
まあ普通はおかしな話ですよ。
で、この場合記録を取るために
リマインダーを頻繁に鳴らしましょうって
全く意味をなさないんですよね。
なぜなららおうの影がちらつかなくなれば
記録はスイスイ取れるんですよ。
私はそういうふうに、
今言った通りではないけども、
私はそういう認識があるから、
09:00
いやこれはもういわゆるエディフスコンプレックスなんだ。
お父さんが怖いんだよっていうふうに
考えることによってですね、
いやお父さんが怖いから
記録を取れないっていうことであれば
お父さんが怖いっていうその
意識をどうにかこうにかしてしまえば
記録はスイスイ取れるでしょうということで
ちょっと話ものすごく端折ってますけど
取れるようになるんです。
だからこれはタスクシュートの問題でもなければ
忘却だけの問題、忘却するんですよしかし。
いやラオ怖いからもう思い出すのも嫌だから
思い出さないことにしようと
無意識が決めると思い出せなくなるんですね。
そういうことをフロイトって人は言ってるんですよ。
自分にも隠すってんですけどね。
しかも面白いことに
自分が隠しておきながら
なんかが見つからなくて困ってるから
一緒に探してくださいよっていうことをやっちゃうのが
人の意識ってやつなんですよね。
だから人が必要なんですよ。
単に助けてもらうためだけに
必要としてるわけではないんですね。
あなたなんか場所知ってそうな気がしますから
っていうのもあるんですよ。
で、例えば
あなたと一緒だったらラオ怖くない気がします
っていうのもあるんですよ。
こういうのはもう全部ですね
なんていうんですかね
カウンセラーというものが
サポートへヘルプだけする
これは一種のヘルプなんだけど
だけではないんですよね。
だから絶対私はカウンセラーも
他のカウンセラーを
必要に応じてつけるべきだと思う。
これをスーパーバイザーって言うんだけど
指導者なんだけれどもある種の流派では
私はもう指導者じゃないんじゃないか
って思うんですよね。
現に弟子みたいな人をスーパーバイザーに
する人って結構昔はいたんですよね。
そういう話はあるんですよ。
いろんな精神分析だけでなく
カウンセリングの本とか読んでると
結構いろんな和訳者の話
いっぱい出てきますから
それこそフロイトなんか娘を精神分析しちゃってますから
でも本当にやばい話ですから
この話は
昨日ひととしたんですけど
もう本当にこれはね
お父さんに話せないことを
話してご覧なさいって言ってるのが
党のお父さんだったらわけわかんないじゃないですか
でもそんなことは多々あるわけですよね。
実はお父さんと
関係が持ちたくてお母さんを
もう亡き者にしたいんですって
お父さんに言っちゃったらやばいじゃないですか。
プライバシーも守秘義務も
何にもなくなってしまいますよね。
だから親子でこれやっちゃダメなんですよ。
親子ダメだし
兄弟もむろんダメだし
親友とか
絶対ダメですよね。
だからこういう風にしてルールができていくわけですね。
こういうルールも
私は3ヶ月チャレンジでも
自分の中で
主に持とうと。
この種のルールってゆるければゆるいほどいいんですよ。
持つことは持っても
ゆるいほどいい。
例えば週に1回にしますって言ったら
週に1回にすると。
これがルールになるわけです。
週に1回ってルールはゆるいですよね。
でも原種とかじゃなくて
例えば1分でもズレちゃダメみたいなのも
流派によってはあるんだけど
そんなことはない。
あとオンラインでやります。
これはオフラインでしかやりません。
つまり対面が実際リアルじゃなきゃダメって
12:01
ルールはいっぱいありますから。
私はむしろ逆に持ってって
原則をオンライン。
オフで絶対やらないってことはない。
だから色々ゆるいわけですよ。
野の医者的にはゆるい。
野の医者的な世界は
オンラインセラーってゆるいんですよ。
ゆるくていいんですね。
なぜなら専門じゃない上に組織化されてないんだから。
だけどこれを守ることの意味は
知っとかなきゃいけないと思うんですね。
この守ることの意味を
知っておくっていうことが
なんつうんですかね。
あとスーパーバイズを持つってことね。
このスーパーバイズを持つのは
私の健康のためとか
私が迷った時のためとかではないってことなんですね。
私が私に隠そうとしているものが
出てくるので
これは無意識の働きとしてある意味出てくる。
これは一種のたとえですけどね。
本当に一種のたとえですよ。
でも一緒に探してくれる人っていうのが
出てくるんですよ。
そういう人が。
それがカウンセラーというふうに
設置されていくみたいな
そういう話でもあると思います。
とにかく
そういうことですね。
ヒエラルキーがそこにあるとは限らないと言っても
いいと思います。
そんなこんなで
第6期をやるんで。
この第6期のCMがてらだと思って
これは聞いていた。
本当に最近ですね、ブログも
ブログは全然書く気が
今のところしないんだけど
書くとすると
なんで自分はこういう活動をやっているのか
ということに合わせてCMをして
ノートも書ければいいんだけど
そんなに今
モチベーションと余裕だけで言うと
そこまではまだないんですよね。
いやポッドキャストで喋っておけばいいじゃんって
思うんですよ。
書いてあるやつを読んだ方が
手っ取り早いって思われるかもしれないんですけど
手っ取り早いって思う人が
わざわざ3ヶ月チャレンジなんかするかなって
思ってしまうんですよね。
手間がかかってる感じがすると思うんです。
僕からすると3ヶ月短すぎるんだけど
長いと思われるのはしょうがないんでね。
現代の
時間尺度から考えればですね
ノートで
パッと読んでっていう風になっていくと
パッと読む人が
読むものはもっとパッと終わるもの
じゃないかなって思ったりしているうちに
この長々としている
ポッドキャストが
ちょうどいいんじゃないんだろうかと
今思ったりもしているわけですね。
あれですよ
スーパーアバイズをつけましょうみたいな
話をするって話では全くないですからね。
これカウンセラー向けじゃないんでね。
はい。
そういうことで5月からやるから
よろしければ1ヶ月お試し
コースも今用意しましたから
よろしければぜひというところです。
とにかく
URLはあります。公開もしました。
第6期のね
募集しましたから
これからちょっと一般的に
ちょこちょこやっていこうと
どうせ1枠か
最大3枠かな。追加でできるので
そんな感じです。
話の続きみたいな話になるんですけど
15:01
ドリフ診療って
話しましたよね。
今週ちょっとあんまりできなかったんで
申し訳ないなと思って
毎週できればいつかやりたいんですけどね。
でも4日できれば
まあいいかなと思ってます。
週の半分以上はやりたいんですよね。このPodcastも。
今は。
ということで
ドリフ診療。あれはですね
正常という
あなた正常ですよ
というのをどうやって与えるかってことなんですね。
だってこれが与えられなかったら
倫理的じゃないですよね。結局。
ここが一番精神分析の
世界で
ややこしくなってくるんですけど
つまり何が正常か異常かっていうのを
一番言わないりゅうはな。
でもゼロって言うわけにはいかないと思うんですよ。
やっぱりお金を取って
つまり社会的な活動である以上
やっぱりこれは社会的に
いいことなんだっていうね。
これがお先傍問題っていう
別の問題を引き起こして
本当にややこしくなっていくんですけど
お先傍なんていうのを
徹底的に避けるなんてありえないんだと
僕は思うんですね。
一番その
いろんな意味でいろいろ
あまり悩まずに済むのがドリフ診療なんですよ。
一番ミニマムに
僕の考えたところ
話聞いててきっとそういうことなんだろうと
一番ある意味
お互いの負担が少なくて済むよねっていうので
開発されたっていうのは変なんですけどね。
という
ある意味
極なんですよ。
一極なんですよね。
だからある種の人は一番好きなのかもしれないんですよ。
ドリフ診療で済むなら
一番それがいいよねって話なんですね。
夜寝れてますか。
ご飯食べてますか。
そうですか。
風呂入ってますか。
いいですね。
じゃあまた来週ということですね。
これは
飯が食えて風呂に入れて
夜寝てれば正常だと。
非常に安直っちゃ安直じゃないですか。
でもお医者さんだから
ここがやっぱり
絶対ですね
資格を持ってるとか
枠に準拠してるとか
いくら言ったって
お医者さんの俗人性出ちゃいますよね。
見て分かる人と見ても分からない人って
絶対いると思うんですよ。
名医と野部みたいな話ですけれどもしょうがないですよね。
人間なんだから。
だからAIって話出てくるわけですよ。
でも我々
患者側としてはですね
あなた正常ですよって言ってくれることが
治療効果になるんですよ。
ここが肝だし
さらに話が一段ややこしくなってるところなんですよ。
単に向こうが判断するだけでは
済まないわけですね。
そしてそれが治療との
一環になってるんだと思うんですよ。
あ、私正常なんだ。
そしてまた来週も見てくれるんだ。
だったら大丈夫だと思うと
病気ってある種の病気って治っちゃうんですよ。
しかもここに薬が追加されますよね。
その薬も当然この先生の
信頼があればだけど
プラシーボ効果が加わりますよね。
だから薬の中身は空っぽで
やってることもドリフ診療でも
18:01
人は治るんですよ。
で、これも昨日
人と話しててですね
完全に健康な人がそれで良くなるのか
っていう話が出るかもしれないですけど
完全に健康な人は医者行かないじゃないですか。
しかも今の時代って
その医療保険の話からしても
完全に健康なくせに
行くんじゃねえっていう話をガンガンやってるから
基本的には何かしらの
課題を抱えてここに来るわけですよ。
そういう人が
夜も眠れてるお風呂入れてる
ご飯食べられてる食欲もある
しかも来週見てもらえる
だから大丈夫だろうと思うと
大丈夫になっていくと
これが精神科でもある程度は機能するだろう
っていうような考え方が
あるんでしょうね。
ついでにこの先生が本当に
すごい眼力を持ってて
見ただけでこの人大丈夫だなとか
この人やばいなってのがパッと
わかる人ってわかるらしいですよね。
そういう話ってありますよね。
だからわかるんだったらなおいいわけですよね。
でもよーく考えてみると
これって変ですよね。
何が変かっていうと
大丈夫だと言っておきながら
また来週とも言うんですよ。
大丈夫ならもう来週見なくてもいいじゃないですか。
薬で一発で治るんであれば
この薬出しといて
1週間後の経過見なくてもいいじゃないですか。
経過見なきゃいけないということは
100%ではないって言ってるようなものですよね。
僕はここにエビデンスという言葉の
いい加減さが少しやっぱ
あるんだろうと思うんですよ。
つまり深海会うっていうことに
意味があるというのは
結局精神分析は少なくとも
その程度は絶対正しいと思うんですね。
深海会うことに
意味があるということは
この診療は完璧ではない
って言ってるようなものですよね。
この診療が本当に完璧で
普通に言えば100%どんな人間でも確実に
この診療は100%正しくて
エビデンスの通りで
って言うんだったら1週間もいらないですよね。
また来週の部分が余計になっちゃいますよね。
言ってるってことは
そしてできれば毎週毎週来てほしい
と言うってことは
お金を儲けようっていうのが100%で
ないならば
多分それはやっぱり
どこか完全ではないところ
当たり前だと言われるかもしれませんけど
この当たり前が
えーと
なんて言うんですかね
当たり前がクセモノなんだと思うんですね。
クセモノですよね、これはね。
自分の方はエビデンスあると言っておきながら
これを言うってことはですね
自信が100%ではないよ
っていうことになりますよね。
その分
すごい言い方をするともう飛躍も
はなはなしいんだけど
そこら辺のノラカウンセラーが絶対だめだ
って言えない理由がそこにあるような
気がするんですよ。
そんなこと言ったって通りやしませんけどね。
フォールと思って僕もしゃべってるわけでは
ないんですけどね。
この枠組みという
ものがないと正常の判断
というのが、正常以上の判断というのが
できないと。正常以上の判断
そのものがもしかすると
マイナスの効果になるんだけど治療効果
にもなると。この際
21:00
えーと
ブラック企業のお先棒っていう
言い方をするならばですよ。僕はこれは
余計だと絶対思うんですけど
大事な話に違いはないので
一言付け加えておきますが
えーと
これはドリフ診療だってないわけじゃないですよ
だってこうやって正常です
って言ってしまうから
その人は仕事に行かなければならなくなるわけですよ
正常なんだ。じゃあ仕事に
来なさいと。ブラックなところが
言うって話でしょ。結局のところ
人を元気にするのは何のためなんだ
って言って
元気になってブラック企業でバリバリ働いて
また病気になるんじゃどうしようもないじゃん
これが多分お先棒問題なんですけれども
そしてそういうことは実際に
起こりうることだし
起こってることだと思うんだけど
それを言い始めたら
そもそもの医療行為って全部ナンセンスになりかねないですよね
医療だけじゃないですよね
健康になることそのものは
良くないことだって話になってしまいますよね
だから
長い時間をかけて親密な
関係を築きながら
治療すればするほど
ここの問題で悩むんですよ
1日1回1分も
見てくれないところに
今勤めてるところはちょっと辛くて
はいわかりました来週ってことになっちゃうじゃないですか
話聞いてもらえませんよね
そういうところでは
そういうところでそういう話しないじゃないですか
ここに枠があるわけです
枠の中でやるのが
正しいんだって立場は当然あるわけです
なぜならリソースが足りないことになってるからね
時間も足りなければ
お金も足りないから
ここに患者さんの側の
非常に僕はですね
いろんなところで見聞きする
人ってわがままだなって
思うところがあるんですよ
なぜならば自分が仕事をするときとか
のときは枠を
少しでもはみ出させるのはブラックだという話は
しょっちゅう言うんですよね
作種だとかね
つまり医者として見る側の立場に立てばですね
1日100人も来るとか
100人来る
お医者さんこの近くにもあるんだよね
100人も来るということになってくれば
枠狭くしたくなるに決まってますよね
1人1人の事情なんかに
いちいち聞いてられないみたいなのもあったり
1人につき
5分かけてしまったらもうアウトだ
だって500分とかやんなきゃならないけど
午前中の診療で500分もかけてないわけですから
9時12時でやっても
180分で終わるんで
3人いてようやく540分じゃないですか
だから100人5分ってのは
ものすごいことになってしまうので
なかなかこう
ドリフト化していくのは当然
なんだけど
同じように
そういうなんていうんですかね
新自由主義的っていうの
そういう方を良しとしているような人でも
病院って全然
話聞いてくれないよねとか
割と平気で言うんです
これっておかしいわけですよ
ある意味では
病院が話を聞かないように
僕らはそういう社会を作り上げてきているわけじゃないですか
何事も
人が余剰に動くのは
余計なことをしたり
人に余計な手間をかけさせる人は
24:00
面倒くさい人だって
言っておきながら
患者になると途端に
自分は面倒くさい人になりたいんですって話が
始まっちゃうわけですよ
でもこれは人情として当然ですよね
私はだから
ナルシシズムというのは
むやみに否定するというか
基本否定しない方がいいと思うわけですね
特に一時ナルシシズム系は
だから甘えというのは
なんていうのかな
甘え
これも先日
沖縄に行って沖縄に旅行してきたんですよ
ある人と話していて
つくづくこう
いろんなところで価値観と意見が異なる人で
その人の話僕いつも好きなんですけど
意見が一致しているのが
人間は甘えずに生きていくのは
無理だよねって話
ここだけはめちゃくちゃ一致するんですよ
他のところは全然一致しないんだけど
人間は人に甘えずに生きていこう
っていうのはそもそもめちゃくちゃ甘いよね
ってところは妙に一致するんですよ
だから甘えてもらうって
どうやって
うまく甘えてもらうかっていうのが
この辺がですね
どれぐらい甘えさせられるか
っていう言い方と
どうやって人に甘えてもらうか
それがビジネスになるかみたいな話になってくる
ところに
彼と私の
少しある種の違いがあって
この違いを聞くのが面白いっていうような
人とお話してきたんですけど
そうなんですよね
つくづく思うんですよ
甘えてるんですよ
もうこの
めちゃくちゃ新自由主義的にしておきながら
そもそも
医療に頼りたいっていう
発想を持つこと自体が
どこか矛盾してる気がするぐらいなんで
だから
人はだってね
やっぱり自分つらいときに
ドリフ診療やられまくりたくないと思うんですよね
それをずっとどこまでもやっていこうというのは
自分がよっぽど元気なときの
発想であって
自分が弱ってくるとね
結局誰かに話を聞いてもらわなきゃ
なんだろうなっていくはずなんですよね
そのこと自体が
治療効果を持つと
そのときに
相手が話をどの程度聞いてくれるか
すごい難しいんですよここは
話を1時間聞いてるからといって
全然聞いてもらえないということも
ここもさらにややこしくて
全然聞いてもらえなかったと思ってたんだけど
実はすごい聞いてもらっていたとかね
あるいはすごい聞いてもらってると思えたんだけど
実は全く聞いてもらってない気がするとかね
気がするだけじゃなくて
実際そうなってるとか
ということはいくらでもあるんで
やりとりがすべて
話を聞いてもらえるということに直結しないので
なので私は
サンチャレという枠を
作ったわけですね
ここでは話を聞くぞと
これが倫理規定なんですよ
倫理規定なんですよ
私の中で
これ以上は無理だって思うんですよね
倫理規定ってのは結局のところ
モラルみたいなもんですけれども
話を聞くということ
枠組みの中で話を聞くということ
だから
27:00
例えば奥さん
奥さんの話が十分聞けてないな
っていう時はあるんだけど
これも昨日ある人と話したんですけど
奥さんとの場合は
カウンセリングとはイコールじゃないよね
って思うんですよね
普通に健全な夫婦ってのは
聞けてないってところが
残っちゃうのはしゃあないなっていうところが
どっかにあるんだけど
でも聞こうと思う必要はあるなっていうのが
あるんですよ
だけど3ヶ月チャレンジはそうじゃないな
と思うんですよ
やっぱり私の状態とか
私のことはどうでもいいからとにかく
聞くっていう意識でいる
いい口を挟んじゃうとか
ちょっと介入がうましいとか
そうじゃないんですよ
でも聞くという意識は外さないでおく
っていうことが
多分倫理規定なんだろうな
ドリフ診療なんて思いっきりそうですよね
これが
結果どうだかは別ですよ
結果どうだかは別ですが
患者さんのためになるんだと思えてれば
私は倫理的だと思うんですよ
善意の問題みたいなのは
あるかもしれないけれども
でも結局
できる範囲内で
やってますって話じゃないですか
いろいろできる範囲が狭いわけですよ
ある意味では
だいたい組織的なものっていうのはそういうもんです
いろんな制約がありますから
でも違うじゃないですか
その中で
ドリフ診療なんだからしょうがないから
別に話を聞いて
寝てるか食欲があるかを聞いて
チェック項目入れてチェックしてるんだったら
OKでしょっていうのと
何かこう
この人にとってはいい状態を維持しようと
思ってやるのと
同じ一分だとしても
僕は違うと思うんですよね
この感覚を持っておくかどうかしか
ないような気がするわけです
幸いにもというのかな
私は組織化されている世界に
いるわけでもないし
見なければいけない人が
100人もいらっしゃるはずもないので
ある意味頑張れるわけですよ
ある意味
だからお前は野良だってことにもなるわけですよ
ここがすごくポイントだなと
ちなみに私
野良と正式の違いをどこに見るんだ
みたいな話聞いてて
一つ確実にこれは言えると
先日も言ったかもしれないけど
言えると思ったのがリファーって言葉が出てきて
リファーってのは要するに
紹介制度みたいなやつですよね
うちは内科医なんで
足折れたってのは見られませんから
いい外科医の医者さん紹介しますね
みたいなあれ
あれをリファーって言うのかなと思うんですけれども
あれは私
当然精神科では絶対
内科の医者さんが精神科を紹介するとかって
するじゃないですか
何なら心理カウンセラーこれですよね
この時に野良紹介できないですよね
ここに野の医者と
正式の違いを
見るべきだって私は思ったんですね
やるかどうかは知りませんよ
やらない人が多いと思うんだけど
でも私は
必要だと思ったり
自分のところじゃないと思ったら
30:00
なるべく正式の紹介はできないけど
一緒に探すぐらいはします
つまり野の医者側から
正式側へ
送るってことはできると思うんですよ
する次第は別としてできると思うんですよ
でも逆はない
多分正式側から野の医者を紹介することは
絶対僕はないような気がします
あのー
うちのカウンセリングで見てあげたいんだけど
あなたはグッドファイブス行ったほうがいいね
ない絶対無理だと思いますね
ここに違いが
ここが一方通行になるようになってる
これを正式と言うんだ
っていう風に私は認識します
多分この区別の仕方
以上の以外の
はっきりとした区別は
難しいんだよあとは国家が
公認してるかどうかくらいな
でも一方間違うと
例えば精神分析って今日本では国家は公認してないと思うんで
そんなこと言うと
どっちが野良だかわけわかんなくなっちゃうんで
やっぱりこうあると思うんですよね
リファー可能かどうかっていうところは
一つあるかなと
まあこれは余談ですけどね
であのー
そうなんですよ
でその
つまり僕は
リフ診療でも効果はあるし
そこで倫理的になることは当然
可能だと思うんですね
でこうやって結局枠組みの中で
まあ基本的に
最低限自分が大事に
つまり自分だけ
やっぱり食べられているだろうか
寝られているだろうか
お風呂入ってるかって
これ他者によって判断し得るものじゃないですか
自分で判断すると思いますけど
他者によって判断し得るものじゃないですか
だから僕はお医者さんもスーパーワイズを
つけてると思うんですね結局
なんだかんだ言って
自分だけ検診受けるわけだと思うんですよ
でそのチェック項目が
ややこしくなってくるとつまり人間毒とか
そうですよね時間もかかるし項目も
多いとこれを精神的に
やってるのがある意味では
時間の
長いカウンセリングというもので
あってつまりそこには
何かしらの
その人にとってこうであった方が望ましい
というものがありしかもそれを
自分が望ましい方向に
向かってるとそっちが望ましいのか
どうか本当のところは分からないですよ
そういう
お酒棒問題も含めてね
本当のところは分からないですよ
だけれども夜寝れてる方がいいよな
お風呂入れてる方がいいよな
食欲あった方がいいよなと思うから
そういう風に聞いて
来週もそういう状態が
維持できてるかどうかを確認する
という話があるわけですよね
これをうんと長くすると
話をもっと聞けるという
話になると
だけれども根本的に
やってることは同じだろう
思います
無意識も含めてやるってことになると
すごい難しくなるし
専門的である必要も
多くの場合あるというのが
その通りだと思うんだけど
だってそんなこと言えば
ドリフト診療って素人でもできちゃうじゃないですか
33:00
だから専門的な知識というのは
逆なんですよね
夜寝れてません
食欲もありません
お風呂にも入ってませんっていったときに
専門的な知識が出てくるわけですよ
この時は
さすがに3分じゃ終わらない
終わらないと思うんですよね
だから結局は
時間というものを
誰にどのように配分していくか
だんだん話に
常にそういう話にしかならないだろうし
現にそういうことを
やっているんだと思うんです
私はですね
もちろん
野の医者すらないから
野の人だから
野の人って何も言う必要ないですね
ただの人ですけど
あの
僕が思うのは
多くの場合
お父さん問題なんだけど
それはつまり
お母さん問題でもあるし
えっと
僕が持っている枠組みの一つとしては
タスクシュートなんですけど
なんでタスクシュートを全面に出さないかというと
タスクシュートは僕の中で
ほぼノリフ診療でしかなくなっている
率があるからなんですよ
あそこでチェックしているのは
お弁当作れてるかな
娘の掃除してるね
お風呂入ってるね
食欲あるね寝てるね
じゃあまた明日
来週じゃなくて明日でやるところが大きなミソですけどね
でもこれを
人にやる気にはならない
これだけをやって
これをやっていれば
人は正常に生きていけると思います
それを見せてくれるのが
タスクシュートの一つのポイント
非常に
大事なポイントだと思うんですね
これを壊すんですよ
人は
例えばここにこっそりと洗い出した
英語の勉強もしなきゃいけないし
教育の勉強もしなきゃいけない
お風呂入って飯食えてるだけじゃダメだと
ダメだと言うんですよ
自分に
これが長寿が
僕が長寿がという言葉をこういうところで使うのの
カウンセラーなんです野良なんです
これを言ってくる
そうすることにより夜寝れていたはずなのに
夜寝れなくなっていく
食事の時間も十分取れるはずなのに
譲られていっていく
そうしてさっきの言う
非常に単純なミニマムのチェックリストすら
回らなくなっていく
そういうことが起き始める
そういうことが起き始めたときに
この私はですね
思うに
タスクシュートを
僕が一緒にやってもいいんですけど
要するに他者が
チェックをかけてくるわけですよ
あれ夜寝られてなくない
遅すぎない
この時間になってもまだ
起きて
なんですかね
発言こまち見てますか
みたいなそういうやつが始まるわけですよ
お医者さんのやり方とはまた
違った形で始まるわけですよ
最初はタイムマネジメントが
セルフマネジメントのような顔をして始まるわけです
36:00
なんか昼食
すっ飛ばしてる日が多いですけどみたいな
そういう話をするわけじゃないですよ
一緒に見るとも限らないし
見ないことの方が普通ですけど
そういうのは話の中で出てくるわけです
なんなら見てもいいかなって最近思うんですけど
いずれにしても始まるわけですよ
ドリフ診療で
正常の枠組みから外れていく
タスクシュート診療かな
診療というのは
言葉が良くないと思うので
タスクシュートでチェックすると
外れていくわけです
夜寝れてる方がいい
7時間ぐらい寝てる方がいいと思うんだけど
そういうのが出てくるわけです
なんでってことになるわけですよ
でもそれをそうしないと
人生良くならないし
自分は絶対そうする必要があると思う
こういう話が始まったときに
自分って
誰なんでしょうかっていう話を
始めたくなるわけですね
私は
自分って誰なんでしょうかっていうことなんですね
他の人は
7時間寝ればいいけど
自分はダメなんです
それでは人生
良くもならなければ豊かにもならないし
満足いきませんってなったときに
その自分って誰なんでしょう
って話が
僕の中では出る
この自分って誰なんだろうっていうのを
自分一人では
僕は問いきれないと思うんですよね
超えるっていうときはあると思うんだけど
問いきれないと思うんですよ
だから3ヶ月ぐらいは
他者と
関わる必要があるだろうな
って思うわけですね
結局自分から見たい世界と
人が
この人について思う世界って全然違うじゃないですか
主観と逆観とかよく言いますけど
主観と主観ですよね
自分の主観と
自分の主観を通してみる
自分の世界と
他人の主観を通してみる
その人の世界ってすごく違うと思うんですよね
この会議が
著しくなったときに
他者という人と一緒にやらないと
その人の
頭脳の良し悪しとかで
現代の人は考えようとするらしいんですけど
どだい無理があると思うんですよ
これ頭の良さじゃないんですよ
主観の歪みなんで
主観って歪んでて当然じゃないですか
主観なんでね
でも歪んでるにもかかわらず
私の主観はこれでいいんだ
って思わないわけにいかないでしょうね
だってそうしないと
私完全に狂ってるってことになってしまうので
それは無理がある
そうやって普通に生きていこうとしても
なんかやっぱり
つまり今が正常か異常かって
指標は人は結局どっかで
持っちゃってるってことだと思うんですよね
でさっきから
枠組み枠組み言うているわけですが
あの
枠組みない方が
まあいいわけですよ
理想だけを言えば
だけど実際にはそうはいかないわけですね
39:00
だってもう料金が
決まってるって瞬間に
枠組みって発生しているはずなので
えーと料金が
決まってるということはそこに時間が
介在してしまうわけですよね
だってこうね
100万円です
代わりにいつ払ってもいいです
っていうことになってじゃあ1000年後に
じゃあダメなわけじゃないですか
だからあの料金が決まる
ということは枠組みがもう
たとえミニマムなものであっても
設定はされてしまうんですね
あとは
その枠組み内でできるだけのことを
する気はあるのかないのか
的な話ですよね
で枠が狭いほどある意味
技能を発揮させられる面もあるけど
枠が広いければ広いなりに
やっぱりある種の能力が
発揮させられる面は当然ある
わけですよね
短い時間で正しくやるのは
難しいかもしれないけど
長い時間をやるのはそれだけでも
それなりに難しいっちゃ難しい
話のはずなので
この枠組みで
考えた時に
自分の場合には
話を聞く
どうしてかっていうと
話が分からないからですよ
話が分かると思っているのが
ていうか話が分かるんだったら
いらないって言ってしまえば
それっきりなんですよね
いろんな仕事がこの世の中には
ありますけれども
結局
やっぱり
話が分からんわけですよ
タスクシュートの話を
例にとると
まさにその
記録を取りましょうっていう言葉は
随所に出てくる
たとえそれが1行だけのタスクについての
1行だけの開始と終了
時刻であったとしても
記録に違いはない
なんでそんなものを取るのっていう風に
言った人は
この話が分かってないわけですよね
でもなんでそんなの取るのって言われた
私が
あなたは分かってないけれども
取ると効果があるんです
っていうのは私が分かってないんですよ
その人の言い分
つまりお互いが分からないときは
こういうことが起きるんですね
あとはモラルの問題なんですよ
結局は
そういうことになっていくと思うんですね
なんでそんな記録
取らなければいけないのを
私は分からなければいけないわけですよ
分かってやる
なんていうのかな
義理はなくはないんですよね
なぜならこれを広めようとしてるから
これがモラルってことなんですよね
いやこういう風にやればいいんですよ
というのが黙ってても分かっててもらいたい
っていうのが甘えなんです
しかしこれはあるんですよ
どこまでもどこまでも
いやいや分かんない
全然分かんない
記録を取る価値が私分かんないから
分かるように言ってって
1000回言われると悩むわけです
ですよ
この絶望感は相手の絶望感なんですよ
当然
こういうことを何やっても無駄だっていう
42:00
絶望感が相手が言ってるわけですよね
これを
理解できるかどうかっていう枠組みとして
考えると3ヶ月は決して
長くはないんですね
3ヶ月で果たして分かるかっていうと
分からないケースも
結構あるような気がするんです
でも3ヶ月という風に
期待上は
3ヶ月で分かるように努力をしなきゃ
ダメじゃないですか
だからここにモラルっていうものが
出てくるんだろうなって思うんですよ
これが
6ヶ月で何とかしよう
っていうならまだ非常に
良心的だと思うんですけど
いや300年のうちにやります
全然良心的じゃないですよ
だから枠ってのは
そこを通ってくるわけですよね
結局設定してしまった以上は
そこまではやるギリないなってところまでが
私の限界になるわけですね
ところがこれが面白いことに
結構
なぜか分かる時が来るんですよね
3ヶ月ぐらいで
これがまた不思議なんですけど
実に不思議だなぁと思うんですよね
それは何が不思議かっていうと
僕は3ヶ月という枠を
ある程度自分の生活なり
何なりと
相談の上漠然と決めたつもりなんだけど
意外とこれが
非常に必然性を持って
決まっている枠のような気が
名前なんかね
100日チャレンジ3ヶ月100日って
すごい近いし変わらないじゃないですか
なんならJマスザキさんの
許可を得てやりましたみたいな
ノリなんだけど
その程度のノリなんだけど
実際はそういうわけではないわけですよね
もうちょっと違うものが
そこにはある
あったわけです
分からないんですよ
相手の人の言ってることなんて
結局ということはつまり
相手の人に私の言ってることなんて
分からないってことなんですよ
お互いここに甘えはあるわけですよ
もうちょっと分かるように言ってほしいって絶対思っちゃうじゃないですか
また思わないんだったら
話合わないじゃないですか
だから甘えがなきゃ絶対もう成り立たない商売だし
どうやって甘えてもらうか
っていう商売でもあるわけなんだけれども
間違いなくそこは確実にそうなんですよ
例外は一切ないと
それはもちろん
なんとなく話がすごく通じ合ってるように
思える時もあれば
そうでない時もあるんですけれども
どっちの場合であったとしても
甘えが全くありませんと
提供してるものはこれこれ
向こうが受け取るのはこれこれ
っていう風に
薬を出しておけばその病気は治るみたいな
ケースはほぼ一つもないんですよね
私たちの扱ってるものは
病気ではないけれども
仕事術であっても
何であっても
これを提供しておいて
これを言っておけば
この人は必ずそうなるみたいなものは
何もないんです
なぜかそういうものが
今の時代はあるって思われてるんですけど
僕は
山崎さんと
言論の金枝談を聞いていて
45:00
一切ないんだっていうのを
精神回答認知行動療法課と
精神分析課ですから
3者の立場は3者3様で
対立
抜き差しならない対立構造もあると
だからこそいろいろ内紛があったり
心理界は揺れに揺れてきて
未だに
ある意味爪痕が残ってるような感じ
なわけですよ
この辺の詳しい事情は
山崎貴昭さんの精神分析の
歩き方を読んでいただくとよくわかるようになってるんですけど
そうなんですよ
これらのことがある以上
3者3様の話が
出てくるだろうと思って聞いてると
よくよく似た話しか出てこないわけですよ
だからよっぽどここは似てくるんだろう
と思うんですよね
で結局
わからんわけです
なぜ記録を取りたくないのか
なぜ記録が続かないのか
なぜ私は続いたのか
一個もわかんないんですよ
でクレームとかは特にそうだったわけですね
かつて私が聞いたことのある
私に向けられたもちろん
本当は私に向けられてなんかいないんだけどね
クレームを見ていると
わからん全然わからん
何をこの人言いたいんだろう理解に苦しむわ
ってことになるわけですよ
この次が大事なんですよね
わかる義理はあるんですよ
わかる義理はないわってなってしまったら
もうそこには何もないじゃないですか
やりとりもなければビジネスも何もない
わけですよね
でもわかる義理を見出せれば
甘えの関係が成立しかけていく
どうせすぐには無理ですけど
そしたらもしかすると
うまくいけば
よっぽどうまくいけばですか
ビジネスにもなるわけですよね
そのための手ずるとしては
本気で話を聞くしかないんですよ
本気で話を聞いても
わかんないかもしれないんだけど
わかるかもしれないと思って
聞くしかないじゃないですか
じゃなかったら
本気では絶対聞かないと思うんですよね
題して後になってみると
これは事後ってやつですけどね
後になってみると
自分間違ってたわ
これはこの体感が
気分がいいと思わないと
別に惑ったわけじゃないんだけどね
この体感が気分がいいと思えなければ
こういう仕事はできないだろうな
とは思いますね
この人が今まで
言ってきたことは
全然成功性が取れてないと思ってたんだけど
実はすごい趣味一貫してたんだ
ってことに
いきなり気づくんですよ
そういう時に
その話が半分しかわからなかった自分は
話聞いてなかったんだな
半分しか
っていうのに気づくんですよ
でもこれは聞いてる最中に
わかんないんですよね
そこは我慢するしかないんですけれども
わかる時にはいきなりわかるんですよ
その人の話には
すごいまとまりが
全くないように思えたんだけど
クレームとか本当そうなんだけど
なんかもう破れかぶれで
ひたすら拡散している
怒りが湧き知らされてるようなんだけど
趣旨一貫したことを
言ってたんだなと
48:00
聞くぎりないって言ってしまえば
それまでなんですけれども
そうやって結局
それにきりになって終わってしまってる
っていうことだってあるわけなんですけれども
ないほうがいいなってのは
こういう仕事やってると
本当思うんですよね
わかった時の喜びっていうのかな
わからなかった時の
あの感じとは全く違うんですよね
次元をことにすると
言いようがないんだけど
そういう快感みたいなものが
まあ快感ではないんだけどね
ありますよね
なんかこう
ナスカの地上絵みたいな話なんですけれども
一つ一つの意味がさっぱりわからなかったんだけど
唐突に全てが鮮明になる
っていう
その時に自分が間違ってたなって思える
というか思うんですよね
間違っていたなという感じがするんですよ
この間違い感がないと
話が始まらない
まあこの話始まったからと言って
それで全てが丸く収まるとか
そんなことは全然ないんですけれども
少なくとも意味はわかるので
それに対しては
今度どういう話をしていけばいいかというのは
自ずと全然違う観点から
出てくるっていうのがあります
こういうところが
多分やるのに
少なくとも2ヶ月は絶対かかるから
やっぱり3ヶ月になってしまうんだな
これを1回でやれれば
まあいいんでしょうね
1回じゃ絶対無理なんですよね
なぜならば
その人からまず拡散した話
その人の中で拡散してなくても
私が聞くと拡散してしまっている話を
聞くところから始めなきゃならなくて
それが全部出るのに
1ヶ月ぐらいはかかる
全部は出ないんですけど
少なくとも
必要な素材がある程度揃うまでに
最低でも4回ぐらいは
4時間ぐらいは話を集中的に聞き込まないと
わかんないんですよ
このわかんないというのが
わかんないんですよね
わかってないってことが
残念ながら最初は
わかってないんですよ
わかってる気がしちゃってるんですよね
これが多分
この種の仕事の一番のややこしさだな
って思うんですよね
わかってないっていう状態が
ずっと続けばまだいいんだけど
だんだんわかってきたような気がするんですよ
ただ大事なのは
なんかこれ以上この話を
聞いてても無駄な気がするとかね
ネガティブなものが出てきてるときは
実はわかってはいないんですよね
全部がわかったときは
話は全く同じ話になってるのに
ネガティブな感じは
まるで出てこないんですよ
もっと聞きたいって感じしか
しなくなってくるんですよね
この感じの差が
差を実感する
必要が僕の場合には
あるなって思うんですよ
聞きたくないなって思えるときほど
聞きたくなるべきなんですよ
それがすごい理性的に
やるしかないんですけれども
これ以上この話無理だわって
思ってるときほど
ぜひ聞きたいっていう感じになり続ける
必要があるんですよね
51:00
こういうのが結局
僕はモラルというものなんじゃないかな
って思うんですよ
枠設定しちゃったのは私ですからね
この枠によって僕はある意味
この枠だけで食べてるわけじゃないけど
結局でもこの枠によって僕は生きてるわけですよ
そういう意味では
本というのも枠だし
本って完全に枠じゃないですか
こう読めってものがありますよね
大体日本語で読むっていう枠を設定しちゃってる
縦に読めとく
あれに片っ端から火をつけるとかじゃ
ダメじゃないですか
枠があるわけですよね
そこにはね
僕はこれを枠と感じてるからそう読んでるんですよね
そしてそれは
百日誌チャレンジみたいなのにもあるし
いろいろあるわけですよ
大橋さんとやってるSH研にもあると
とにかくいろいろあるわけですよ
こういうものが
設定してしまった以上はですね
相手がその設定から逸脱していないのであれば
もうやってくしかない
だと思うんですよね
だから枠のない世界というのは
難しく見える
実際にはないんですけどね
ビジネスやってしまう以上は
おかしいと思うんですよね
ビジネスやってしまう以上は
そこに対価が発生してますから
対価が発生してる以上は枠があるわけですよね
ないからといって
無限にするっていうのをやると
家庭内不安とかが起こるわけですよ
家庭
家族関係はビジネスにはないので
枠の設定は一番
緩やかになっていますよね
どういう形態の夫婦もあるみたいなのって
そういうことを言うと思うんです
一緒に暮らさなければいけないとか
ないわけですからね
そういうのはね
ただ離婚と結婚状態は違うっていうのは
あれは契約なんで
結構ガチガチに決まってますよね
一応ね
でも対価が発生するわけじゃないし
話がちょっとずれてるようなんだけども
枠ってそういうもんだと思うんですよ
同じ屋根の下に暮らさねばならない
とかいうわけでは
なかったりしますしね
でもそこには何かがあって
そこから完全に逸脱する
そこから完全に逸脱する
ということは多分ダメなんですよね
その辺の非常に微妙なラインがあるわけじゃないですか
他の人と関係しちゃうとか
それはどうなのみたいな
でもそれは当事者がOKなら多分ダメだという
国がダメだとは言わないじゃないですか
現在の日本では
ダメだっていう国もありますけど
でも
そこにもやっぱり枠があるわけですよ
思うにね
その中で最善を尽くすって話に
なってるところに違いはないと思うんですよね
そんなわけで
これは3ヶ月チャレンジのPR
でもあるし
自分がどうしてこれを3ヶ月で
やっているかということと
そこで何をしているか
何をしているかというのはつまり
話を聞くってことなんですよ
全て言うと
本当に思うんですよね
最近一見すごい話が分かりやすい
って思って
ずっと聞いてても
自分全然間違ってたわっていうのが
54:00
3ヶ月目に不意に発生する
でもそれはそれまでのが別に
分かりにくいとかクレームメーテルとかでは
ないんですよ
ただいや全然違う話だ
っていうのが不意に分かる
っていうこれが起こるんですよ
これが起き
これを起こすのが
目的ではないんですけれども
最初から分かっていた方がいいと思うんだけれども
どうしても最初からは分からない
ケースの方が
通なんですよね
自分じゃないからっていうのと
もう一つは
言葉というものは
本来そういう欠陥を
持ってるんだろうなっていう風に思います
私は3ヶ月チャレンジは
オンラインがメインである以上
言葉が中心と
信じてますので
空間を共有していないから
雰囲気とかそういうものは
ないわけじゃないにしても
やっぱりそれは
伝わりきらないと思うんですよ
だから言葉を中心にして
いくしかないと思うので
そこに
誤解の余地が山ほど
あるわけですよね
ここを乗り越えようという
多分これは
トライなんだろうな
っていう風に思います
よければよろしくお願いします
55:20

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