1. 働くメンタルをとり戻す精神分析的ポッドキャスト
  2. 精神分析をタスクシュートに活..
2024-04-10 36:28

精神分析をタスクシュートに活かす【GMV961】

やっと何かがつかめてきました。
00:06
おはようございます、グッドモーニングボイスです。
7月の何日ですか、今は。
まだ今日なんですよね。
4月9日、23時23分です。
これ取って出しするつもりなんですけれども、
おはようございますというのが冗談みたいに聞こえますね。
ほぼ真夜中。
いろいろありまして、今に至っております。
取るつもりはあったんですけど、やめようかなとさすがに思ったんですけどね。
やっぱりなんとなく取っております。
お知らせはないですけども、
繰り返し3ヶ月チャレンジ第6期ですよね。
第6期の5月、6月、7月と3ヶ月チャレンジのお申し込み。
今回は多枠かな、2枠なんとかして明日告知したいと思っておりますが、
もしかすると2枠頑張ろうかなと思っております。
今ちょっと過境に入ってきたと、僕が勝手にそう思ってるだけかもしれませんが、
過境に入ってきたという感じがいたしますので、
もしければぜひ。
1回あたりに直すとですね、12ではあるから、
72,000円だと7万円ですけど、72,000円だとしても、
1回あたりに直すと6,000円のセッションで、
プラス週に1回のグループセッションで、
プラスもしかすると3ヶ月に1回ゲスト交渉を招きするというののセットなんで、
高くは本当はないと思うんですよね。
なぜ3ヶ月なのというのは散々説明したかもしれませんけど、
1ヶ月では何もお伝えできないんじゃないかという感じがある。
1回では絶対無理なんですよ。
でも1ヶ月1回というのもお試しで、
特に1ヶ月目は用意しますけれども、
1ヶ月では何の変化になるんだって、
今日その話またしたいんですけれども、
そもそも変化ってなんだっていうのを、
最近すごくそれなりのものを得てきたんですね。
これをタスクシュートという入り口を通してでもできるんじゃないかって、
ここまで考えられたのは本当に50になってからですよ。
はっきりと考えられるようになってきたのですね。
だからそういうわけで、そんな話をお伝えしたいと。
これはもうある意味自分単独じゃないと。
だからこういうのって本当にフロイトって人は何考えてたんだろうと思うんですよね。
後継者を世界中に作り出すというね。
03:00
考えられないなって今思いますね本当に。
非常に難しいことをやってます。
そんな感じですね。
というわけで、今月いっぱいでお申し込みいただけるように、
告知も明日辺りから頑張りますので、
一つよろしくお願いします。
で、今タスクシュートに絡めてもちょっと口走ったんですけれども、
どういうことを話そうとしているかというとですね、
絶対今日の12時前には寝るぞと思っているので、
話は最大でも40分はかけちゃいけないと思っているんですけど、
山崎孝明さんの言論の2を見た後1を見たわけですよ。
2はまあ4時間弱。
1も6時間弱と5時間だったと思うんですけどね。
長いんですよ。
しかも僕はこれをですね、両方2週ずつ見ているというね。
だからもう丸1日かかるぜっていう世界なんですよ。
本当に全部見るとなると。
たぶん3週ずつぐらいは見るんじゃないかと思っているんですけども、
さすがに今月3週するっていうふうには思わないですけどね。
要は特に1がですね、後から見ると面白いんですよね。
2がおすすめです。
2が一番おすすめで、
この2を見た後に集中抗議精神分析を見るとですね、
読むとですね、特に下巻のフライン以降を読むとですね、
対象関係論ですね。
もう大体こう少なくとも山崎さんのお話になっていることは大体わかる。
その上で1を見ていただくと、言論の2を見ると、
その上で1を見ていただくと、言論のどんだけって感じかもしれますけどね。
本当になんとなくです。
なんとなくというか山崎さんがお話になりたい、
お伝えたいと思っていることはだいぶわかってきますね。
さすがに。
オノオノ、わからない、私でもわかりますね。
ここまでくればわかる。
その上で小野英吾さんのなんか読むとまたちょっと混乱するんですけど、
もう面白いんじゃないかなと思います。
まあまあその辺はいいとしてですね。
その1の中でドリフ侵略って非常に僕が感じた表現がある。
何に感じているんだとかって感じたんですけどね。
ドリフ侵略ってどういうことを言っているかというと、
ドリフターズって今時あまり見てない人も多いと思うんですけど、
ご存じない方もね、
誰かね、ドリフターズって5人の中の1人がですね、
最後番組の終わりにですね、子供向けなんですよね結局。
歯磨いたかとか顔洗ったか。
顔洗ったかって言ったかな。
風呂入ったかとか言うわけですよ。
これを要するにお医者さんは型通りに聞いて、
そして診療を終えにしますと。
そういうことなんですね。
つまり、いやご飯は食べられてますか。
なるほど。
歯磨きましたか。歯磨いてますか。なるほど。
夜眠れてますか。なるほど。
06:01
じゃあまた来週っていうわけですね。
これをドリフ診療って、
これはやゆうも入ってると思うんですけど、
言うらしいんですね。
このじゃあまた来週が非常に肝だと僕なんか思うんですけど、
なんつーんですかね。
まず1つには、
少なくともこれで定期的なやり取りが確保できると。
これが非常に多分やっぱり、
病気と戦場にいる人には非常に防衛力が高くて、
健康だって本当にいい言葉で、
基本的には青春医療の世界の話なんですけど、
結局健康と不健康のボーダーなんですね。
私たちやっぱりそこがもうポイントなわけですよ。
普通の生き物って、
多分不健康な状態がずっと続いたら死んじゃうんですよ。
で、普通は健康ですよね。
我々が見る、
例えば虫とか動物とか大体健康じゃないですか。
それは動物が病気にならないっていう意味じゃなくて、
なってしまったら死んでしまうというね、
そういう過酷な世界にいるとそうなるわけですよ。
人間だってそうだったわけですよ。
多分1万年くらい前は。
つい最近なんですよ。
それは人間にとってはね。
3000年くらい前もきっとそうだったと思うんですよね。
発症したら基本命取りだみたいなところあったと思うんですけど、
今そうじゃないですよね。
そして人間は古いというに言うと、
本能からは隔てられているわけですよ。
本能では行動できていない。
トイレに行くって本能じゃないですもんね。
明らかにこれは人間社会における習慣ですもんね。
目の前の人間を攻撃したくなっても本能ではできませんよね。
だからXで全然関係ない人を攻撃するとか、
すごい不思議なことを人間ってやるわけですよ。
非常にいろいろな束縛がある上に本能から切断されている。
本能が関係ないわけじゃないですけど、
本能をむき出しにして生きることはできないわけですよね。
どうしても。
だから本能からは切り離されているっていう表現をしてみたり、
本能とは雷鳴のように遠くから響くみたいな、
ミニコットはちょっと詩人みたいな言い方をしてましたけど、
そんな言い方をしたりもするわけ。
危ないものでもあるっていう雰囲気がありますよね。
遠くからゴロゴロゴロってなってくるわけで、
自分の中からなってこないわけですよ。
それはいいんですけど、
これってつまり、
だから歯磨いたか、顔洗ったか、
夜寝てるか、また来週ってことになるわけですけども、
つまり、非常に健康に生きるっていう生き方ができてしまう。
体に良いものでないものも食べるし、
心に良いことではないこともするし、
みたいなことが起こるんですよ。
本能でやってないからね。
ということは動物は選択できないんだけど、
人間は選択できちゃうから、
目がずっと辛いなと思ってるけど、
ゲームをずっとやってるから、
そういうことができるわけですよね。
そこで、何をやってるかというと、
つまり、それにある意味歯止めをかけ、
しかもその人の逸脱、
生活の逸脱によって、
過剰に逸脱しすぎていないかどうか、
少なくともそこを判断できるのが、
ある意味、医者っていうことになるわけですね。
09:00
お医者さん。
つまり、この人はまだ大丈夫だな、
というふうに、
そこを判断できるのが、
ある意味、医者っていうことになるわけですね、
お医者さん。
つまり、この人はまだ大丈夫だな、
いけるな、まだいけるな、
っていう場合は、
この人がどんな生活してるかとか、
あんま問わないわけですよね。
そのミニマン、ギリギリのラインを、
どこで測るかといったら、
夜寝てる、眠れているか、
食事は取れているか、
この辺で問うわけです。
そして、これを定期的に繰り返すことによって、
この人がある程度、
本当のことを言っているかどうかというものも、
合わせて判断したりできるんでしょうね。
あとは、そこからも、
この人は割と個人の技術に
置き去れるみたいなところがあるんだろう、
思うんですよ。
こうやってみると、つくづくですね、
私、最近思ったんですけど、
最初から精神分析については、
いつも書かれることがあるわけですね。
精神分析というのは、要するに、
100年、大昔に生み出された、
おそらく世界で最も最初に生み出された、
ちゃんとした形の、
心理カウンセリングの一技法なんだろう、
って、僕は思うようになったんですね。
ようやく、
そんなことを言ってみれば
当たり前なんだけど、
考えてみると、
これ、ようやくそう思えるようになってきたわけですね。
今まで、何か精神分析ってね、
悲義のようなもの、
何かよく分からない、
よく分からないものである、
みたいな感じがあったんだけど、
ようやくこれは、つまり心理、
アセスメントっていうのかな、
心理、
安心ですかね、
心理相談の一技法だと思うんですね。
やっぱりそこは、
これなんですよ、
また明日なんですけどね、
本当は精神分析、
また明日ってことなんですよ。
だから来た時には、
いらっしゃいました、
どうなされました、
みたいな感じで、
歯磨きますか、
みたいな顔洗ってますか、
お風呂入ってますか、
ご飯食べてますか、
よく眠れてますか、
また明日ってことなんです。
これをただね、
この作りはめちゃくちゃ
誤解を招きますけど、
それでも言ってしまいますが、
その間に認知行動療法っていうのが
あるんだと思うんですよ。
つまり、
一つ一つの技法の中身で
行われていることは、
結局かなり俗人的な部分ってあると思う。
特に腕のいい人の手にかかってくると
俗人的な部分ってあると思うんだけど、
でも、
ある種の型は破らない。
そして、
そこで起こすことを選ぶ
って感じがするんですよ。
例えば、
精神分析では転移って起きるんですよ。
多分絶対起きるんですよ。
僕は精神分析でなくたって
あんなに頻繁にやってれば転移って起きる。
転移って何かっていうと、
要するに疑似家族関係がそこでできちゃう
ってことですよ。
それが何がいけないのって思われるかもしれませんけど、
そりゃ家族関係がそもそも
12:00
偏前である人の場合はいいですよ。
いくら起きたって。
で、
私の奥さんも
実家の方に頻繁に通うようになったんですけれども、
そうすると何が起きるかっていうと、
お父さんが
ご在宅で体が悪いんですけど、
奥様はもう亡くなっちゃったから、
うちの奥さんが、
つまり娘ですね。
母親代わりになるわけです。
そうすると、
お父さんなんかは年がいってるから、
うちの奥さんに向かって実の娘ですよ。
母さんって呼んじゃうんですよ。
母さんっていうのは奥さんのことですね。
母親の人なんで。
そういうことが起きるわけ。
これは転移ですよね。
こういうのを転移って言うんですよ、結局。
まあこれは病室内で起きてるから
転移とは言いませんけれども、
この親子関係であるはずのものが
無意識が誤解をし始めて、
夫婦関係みたいに
思い始めちゃうわけですね。
年齢いってるってこともありますよ、もちろん。
そしてフロイドがなぜ
言い間違いということにあんなにこだわったのかも
この辺から非常に感じられるものが
あるじゃないですか。
これよくね、
フェミニズムとかジェンダーの問題でもね、
こういうところでね、
男の人はね、
そんな娘までも奥さん扱いかよみたいな、
絶対あると思うんですけど、
でもそれはそれとして、
精神分析ではこれを転移って言って、
これを治療に生かそうっていう発想を
取ってるわけですよね。
で、転移を使うわけですね。
転移を使うというのは結局、
もう極端に言うと
男性にとっては
男性同士でもですよ。
精神分析家と、
最近山崎さん、高木さん、
ユーザーっていうらしいから、
患者さんのことをユーザーって言うから、
僕もユーザー言いたくなってユーザー言ってるんですけど、
分析家とユーザーの間で
男性同士でも夫婦関係が
巻き起こされるわけですよ。
そんなに頻繁にあってるから。
で、これをしかも治療に生かそうと。
親子関係でもいいんですけど。
そうすると例えば、
ユーザーは精神分析家のことを
お父さんだと、
親子関係でもお父さんだと
勘違いしてしまって、
お父さんは全然分かってくれないよ
みたいな態度を取るわけです。
こういうのを使ってですね、
親子関係から始まった心の
バランスを崩してるところを
ここで改めてやり直して、
少しまた修正をかけていくっていう、
非常に息が長く、
また根絶丁寧なやり方に、
やり方次第ではあると思うんですけどもね、
非常に根絶丁寧にやり直していくと。
古典的にはそういう、
形だったのかなと思うんですね。
で、さっきのドリフ診療みたいな、
超短いお医者さんとの診療では
どうするかっていうと、
こういう定義は絶対にまず
引き起こさないようにしてますよね。
いやいやお父さんに頼りたいな
みたいな気持ちがあってですね、
身体の不調を作り出してしまう
みたいなことは絶対ご法度ですよね。
身体の不調をあくまでも
身体に取り戻して、
身体の不調を取り戻して、
身体の不調を取り戻して、
身体の不調をあくまでも
身体に留めておいて、
身体の不調を捉えるんだと。
15:01
そうすると定義みたいなものが
起きないに越したことはないわけですね。
あくまでも医者と患者は医者と患者。
親子関係でもなければ夫婦関係でもない。
でも患者っていうのは
身体も弱ってるし、
気持ちも弱ってるから、
ついつい先生のところに行って
家族のような気持ちにしたいじゃないですか。
特に孤独であったりするとね。
先生悩み聞いてくださいよ。
はいはいわかりました。また来週みたいなね。
ありがとうございました。
ありがとうございました。
どうもありがとうございました。
どうもありがとうございました。
どうもありがとうございました。
聞いてないわけじゃないと思うんですけど、
ドリフト診療って聞いてないみたいじゃないですか。
夜寝れてますか。はい。歯磨いてますか。はい。
ご飯食べれてますか。はい。
じゃあまた来週って。
全然聞いてないみたいですよね。
でも一方で精神分析っていうのは
自由連想ですから。
あなたの話したいこと、
あなたについて知りたいんで
なんでも話してください。
めちゃくちゃ長いし、
全然取り留めもないわけですね。
でもそこから正常という範囲を
自分にとっての正常の範囲というものを
探っていくと。
そういう意味では僕は多分
認知行動療法と今呼ばれている
18:01
CBTって呼ばれているですね。
カウンセリングはこの中間に来て
なんだかんだ精神分析と似たようなことに
なるんじゃないかなという気がしています。
長くかけるか。
認知行動療法中、
定義は扱わないかもしれませんけれども、
結局定義的なことは
発生していくと思いますし、
そういう知見を
お持ちでしょうか。
認知行動療法の先生っていうのは
きっと持っているという前提で
使わないって言って
出てくると思うんですよ。
なんだかんだ。
例え週1回でもまた明日とまた来週じゃ
全然違いますけれども、
いずれ長くやってれば出てくるような
気はするんですよね。
だって頼りたいと思う人の方が
普通ですからね、ユーザーなんていうのもね。
頼りたいと思っていれば頼りにする。
頼りになるっていうのは結局心の奥底で
親であるっていうケースは
非常に多いでしょうから。
そういう意味では結局
そこに頼ると。
そこに頼るっていうのは
場所ですよね。
人に頼るんだけれども、
場所にも頼る。
私んち寺だったから、
この話は以前しましたけど
分かる気はするんですよ。
この空間に来るっていうことが
一つのその人の心にとってっていうのかな。
もしかすると体にとってすら
居心がいいとかね、
安らげるとかね、
そういうことが起こるわけですよ。
また私はここに来ていいんだ。
このミニマムを担保しているのが
そのいわゆるドリーフ診療って
呼ばれてたやつなんだろうなって思ったんです。
だから私は
美容によってはなんですけど
ドリーフ診療でも
認知行動療法でも
精神分析でも同じだっていう気がする。
ある枠組みを設定し
その枠組みにおける正常というものを
推定し、
これは推定ですよね。
この人にとっての正常とは何か。
夜眠れてれば正常だ。
もうちょっと言って
家族と親密な関係が
保てていれば正常だ。
せめて夫に言いたいことが
言えていれば正常。
もしかすると夫に言いたいことが
言えないのかもしれないけど
その口をこぼす相手がいれば正常だ。
正常の範囲を
その人その人なりに決めていってあげて
その正常の枠組みから
どの程度由来できているのか
というのを見ながら
明日、来週とか
5日後っていう頻度を
何で頻度かというと
結局冬でも正常か
春でも正常かってあるじゃないですか。
春になると花粉症がひどくなって
調子崩すとかね。
リズムってものがあれば
パターンってものがあって
パターンってものがあるってことは
いろいろな環境条件があって
いろいろな環境条件の中でも
正常性が保てるかどうかって大事ですよね。
そういう意味で
頻度っていうものがあって
だから来なくなるっていうのは
良くないことだから
それを保てるっていう状態を
なるべく維持する
それは関係性の維持っていうことになると
関係の維持かな
21:01
その関係を維持するために
そしてその関係を維持する中で
正常というものを
見定めるために
設定があるんだろう
で、その設定によって
流派が出てくるんだろう
こういうことなんだろう
っていうふうに思うんですね。
そういうふうにようやく
なんとなく精神分析が
少しの相対化は
大きな意味があるなって感じがして
私が
短く切り上げたいのに
20分経ちましたけど
短く切り上げたいという意識はありますが
これはタスクシュートでも
ほぼ同じことが言える
一つにはタスクシュートの中で
何が正常かというものが
だんだん定まってくるんですよ
あれははいまた明日ですよ
毎日やるものですからね
そして
ここにどういうパターンが
正常なんだろう
っていうのが見えるんですよ
あれを人に見せるっていうのは
やっぱりありなんじゃないかなって
最近思いますね
これ自分だとほんと分かりにくいんですよ
デビューの意味っていうのが
精神分析でよく言うんですけど
事故にならなければ気づかない
っていう話があるんですね
つまり自分は今異常な状態に
傾きつつあるんだけど
そのことは後からでないと
分からないんですね
後からになると分かる
気がするんですよ
あの時までダメだったなんて
後からじゃないと
分かんないことが多いんですよね
この正常からの逸脱というものが
見えるためには
まず同じような枠組みの中で
頻繁に
ある種の何ていうんですかね
提示をし続けなければならないですよね
この条件ってタスクシュートって
大筋持ってるなと思うんですよ
一つの枠組みを持っていて
そこに頻繁に提示し続けて
その中で
ある種の正常性というものが
何となく見えてくるようにできている
この何となくは非常に大事で
正常なパターンというものは
定義できないんですね
朝起きて夜寝るのが正常ですとは
言えないですよね
夜起きて朝寝る人だって
いっぱい世の中にいて
その人たちが別にそれで困ってないなら
それは正常なんで
1日3食食べるのが正常ですとは
言えないですよね
なんかその種のことにはいつも
3食とか6食は取りたいとかね
いろんな意見がありますから
正常というのは
何が思って正常というのは
難しいわけですよ
私も昔難しい仕事は
午前中やりましょうとか言ったけど
平気でこのグッドモーニングボイス
モーニングと過ごしながら
真夜中に取ったりしてますからね
でも僕は別にこの状況異常だとは
見なしてない
それでもあるんですよ
この状態はいい状態
これはちょっと後から見ると
何を思って正常とするか
やっぱりある程度
本人にしか分からないし
本人にすら事後でないと分からないし
24:00
そして事後であっても
本人だけでは分からない
といったことが出てくるんです
そういうものがあるという
過程を考えてみると
他人がそこにいるって
だから2者なんだなって思うんですよね
考えてみれば
ドリフであろうとなんだろうと
お医者さんは2者で
患者さんと向き合いますし
精神分析
認知行動療法のCBTの先生も
2者で向き合ってますし
精神分析は言うまではなく2者です
2者いるんですよね
これを1者で何とかしようとするのが
現代の少しややこしくなっているところ
と私は1つ思うんですね
自分の調子が悪いのに
1人でもんもんと考え込む
一番まずいやり方だって
これが面白いことに
お医者さんとCBTと精神分析で
相互にあまりしっくりいってないわけですよ
例えば精神
これ特に精神医療の話をしてるんで
精神科医と
いわゆる心理カウンセラーと
精神分析科と
3者が叶えないやってたら
本当は喧嘩していてもいいはずなんですよ
しないんですけどね
しない人選ばれてますからね
ちゃんと物の分かった人たちばかりが
くるんですけど
本当は献献学学になっても
おかしくはない関係のはずなんですよね
素人目線では
そうするとどうしてかっていうと
そういう立て前がありますからね
実際そうなってるのかどうか知りません
でも実際そうなってますね
確かにね
精神科医は薬で病気を
精神病であっても薬で治す
臨床心理師っていう方々は
いわゆる精神力動的では
精神分析ではない方法で
カウンセリングで治すと
治すのか知らないけど
精神分析は精神分析で精神分析やると
3者の立場は違うわけですよ
でもですね
なんか金枝に聞いてると
ほとんど皆さんの意見が
やたらと一致してですね
全然激しい論争になってるわけじゃないんですよね
っていうのは
何を意味しているのかというと
つまり
考え方や価値観や目指してるところは
相当類似してるんじゃないのだろうか
って感じはするんですね
だから
短い時間でやってても
ある程度その
なんていうのかな
行動なり考え方なりを
あの話聞いてると
全然精神分析とCBTって
実際どこが違うんだろうって感じが
したぐらいなんですけど
あの
実はすごい似たところが
あるんじゃないかなと
それこそ素人的な感想としては
そういう感じではありましたけどね
私の精神分析が結局
ある意味好きといえば好きなのは
訳があったんだなって
やっぱりつくづく思いました
一つはやっぱり家族問題っていうものを
なんとかしたいっていうのが
ずっとあって
仕事術でも
僕の場合やっぱり
家族の関係性
要するに家族の
27:02
不安は
仕事をできなくさせるよねって感じが
僕には一つに非常に強くあった
ということですね
あともう一つは
家族との関係性
という比喩の使い方が
やっぱり
とっても僕にはしっくりきたんですよ
家族そのものにもしっくりくるし
例えばメールをこの人に出しにくいなってなったら
相手に母親を見てしまう
っていうのは
私には非常にしっくりくるものの考え方で
あの
つんだろうな
僕はやっぱり認知コード量で
よくわからないってことですよね
何が起きてるのかを見てみましょう
だけでは
手ずるがなさすぎる
何が起きてるのかを家族の比喩で考えましょう
の方がよっぽどわかりやすい
っていうのがあります
しかもそれから
無意識が介在してくるっていう
無意識ってのは
なんとなく潜在意識では全然ないんですよ
全く自分が
気づいていない方向からやってくる
みたいなところがあるんですよ
だから母親がここで介在してるのって
想像もできなかったよ
っていう感じがあるんですね
ある意味は
うちの奥さんがそうですけど
肉親を亡くされた方が
その肉親というものを取り込んでいくっていう
つまりうちの奥さんは
絶対にそうだっていう意識を
強くは持ってないと思うんですけど
知らず知らず自分の母親に
言うんですかね
同意使ってるんですけどね
同意使というのか
取り込みというのか
知らず知らず自分の母親というものと
自分が重ね合っていくという
そうすると自分の父親であったところが
自分の夫になっていくって
この考え方は気持ちがいいもんじゃないですよね
多くの人に
そこで抵抗やら摩擦やらが
あるんだけれども
そこにまた独特の力が働いていって
新しい関係というものが
作り出されていって
現にそうですよね
今してないほど
実家に戻ってますから
これは別に
自分の母親というものと
これは別に
心から望んでそうなってるとか
私が反対してるとか
一切ないんです
ただただそうなっていってるんですね
ただただそうなってるってところに
感主感性って言うんですけど
関係者の無意識の力が働いて
そうなるように仕向けているんだ
みたいな考え方を取る
ちょっとだからオカルトっぽく聞こえるんだけど
実際に体験してみると
これはオカルトじゃないんです
本人たちは
あまりそれを意識したくないんだけど
そうせざるを得ないような
気持ちにもさせられている
っていうことがあって
こういうことは多々ありますが
そういうところから
こういう結末が生まれてくる
行動化って言ったりしますけれども
行動化があるならば
それによって失われる行動も
当然あるわけですよ
うちの奥さんが実家に行けば
うちの奥さんが家ではできないことが出てくる
30:00
こうしてタスクの流れというものが
変わっていきますよね
これがタスクシュートには
現れると思っている
つまり無意識の行動化
あるいは非行動化が
タスクシュート上に
炙り出されてくるって思うんですよ
そこをつぶさに観察していくと
君つぶさに観察したいと思ったら
精神分析的な知見
知識っていうものが
非常に有効に役に立つんですよ
っていうのを
ここ2年ぐらいで実感しているうちに
私はその認知行動両方的に
タスクシュートを見るよりも
不思議かもしれないけど
フロイド的に見た方が
よっぽどこのリストの意味は分かりやすい
自分の無意識が
何を私にさせようとしているのか
私の気づかせないようにしつつ
私に隠しながら私に
何かをさせようとしている
っていう風に
だからこれは潜在意識とかではないんですよ
心のどこかでやりたかったのか
そんな感じは全く
みじんもなくて
むしろ他人すら巻き込んで
あなたこうしたあなた
こういうふうにしてみたら
いいんじゃないのって
もう全く意識の上で
普通に言ってると思ってるのが
実は私の無意識の介在のおかげで
奥さんはそういうことを言い出している
っていうようなことが起こるんですよ
現実にね
うちの奥さんの潜在意識とかじゃないんですよ
むしろそれは明瞭に意識していることなんですね
なんだけれども
その人の本音とは何の関係もない
力がそこに
だから力動学って言うんですけども
働いていく
そういうのをね
僕はあんまり他の心理学の考え方から
見出せなかったんですよね
分析だけがこれを教えてくれ
あと僕にこれを
ある意味教えてくれてるのが
グッドバイオスなんですよ
そしてある意味別の理由で
教えてくれてるのは
タスクシュートなわけですよ
だから私はタスクシュートをやるんだな
っていうのが最近本当に
いろんなものから分かってきたんですよ
もちろん
それこそドリフ心理をやってる時もありますよ
お腹すくった持ち物持った
出発みたいなね
これはだから時間がないときに
これやるわけですよ
まさにドリフ心理は時間がないお医者さんが
たくさんの患者さんを見て
たくさんの診療をしなければならない
そこにはお金がかかってますからね
当然ビジネスの関係もあって
多くを裁かねばならないという
そしてその多くを裁いたお金を使って
大きな病院を維持して
心理師というものを雇って
あんまりお金の稼げない心理カウンセラー
というものを雇って
話を聞けなかった分
心理カウンセラーが長い話を聞くという
それはちょっとね
生活の知恵的な構造ですけれども
そういう話も頻繁に出てきてはいたんですが
構造だなそれはと
理想的とは言えないような気もしますけれども
現実でそういうところはありますよね
ただ私が思ったのは
つまりどこかで時間をかけて
話を聞くっていう存在が
どこもかしこもドリフ心理を
なったらたまんないじゃないですか
33:00
話聞いてくれる人は誰もいなくなる
でも頼りたいっていう気もします
自分の気持ちの中に
話を聞いてまずもらい
話聞いてくんないと頼りようがない
そしてこの複雑じゃないですか
私の無意識が開催することで
相手が本音だと思ってないものを
意識化してしゃべってくる
この構造非常に複雑ですよね
あるいは亡くなった自分の
親の思いというものを
取り込むことによって
例えばその
お父さんの奥さんみたいになってしまう
とかそういうことって
しかも本人はそれを望んでいないから
意識の上ではね
いやいやながらやる形を取るんだけど
まるでいやいややるっていうのとも
また違うみたいな
めちゃくちゃ複雑じゃないですか
本能では全然できないことですよね
本能から切り離されていると
そしてこういうことが起こるからこそ
誰かに話を聞いてもらいたいというのは
実は簡単じゃないんですよね
人間にとっては
意識の上でしゃべっていることを
いくらしゃべっても
その人の本音を自分で伝えている
気持ちにならないわけです
その伝え方で
クライアントさん
つまりユーザーさんは
カウンセラーなりに伝えていくと
その伝え方は
何によってどう伝えるかというのは
非常に微妙なんですよ
その人が言葉をしゃべれようとしゃべる前とですね
今日ちょっとたまたま
そういう話はある方としたんですけれども
非常に後ろめたいことを
タスクシュートにかけるかどうかというのは
大きな意味を持ちますよね
私だったらこの場合
ファン座ですよ
ファン座に2時間とかかけちゃいました
みたいなのっていうのを
私はもうベロッと書いちゃいますけれども
なぜベロッと書くかというと
これは私意識的にやりたいと思っていることと
ちょっと違うから
こういうのを書けないというのは
つまり否認ってことになるんですけど
分析的な用語で言う
カウンセリングでも言うから
否認っていうことになる
否定の非に認め
要するに認めないってことですよ
で面白いんですよ
フロイトがすごいところは
ある人が人に隠すことがあると
でもそれを自分にも隠しちゃう
つまりあるものがなくなったと
他の人に言って相談して
一緒に探しましょうと言い始める
つまり人に隠してるものを
自分にも隠して
でもそれをどこかで隠していてはいけない
という思いがあって
ある人に呼びかけていって
一緒に探してくださいとか言い始める
こういうのを探す
発見したのがフロイトなんだって
私はあれはすごい
全く正しいと思うんですよね
現にそういう経験自体があるんですよ
割と認知症みたいな話の中にも
出てくるんですけれども
あるものをある
例えば財布みたいなものを
夫が浪費家だから隠すみたいな
ところが隠したことを
自分でも忘れちゃう
財布ないのよねとか言って
夫と一緒に探し始める
これは非常に精神分析的なんですよね
このどこにも潜在意識という言葉は
出てくるべきではないですよね
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無意識ってやっぱり言うべきだと思うし
隠されているっていう
隠してるのは自分に対してなんだけど
自分で自分に
それを隠したい動機もあるから
自分では気づくことができないんですよ
だからセルフマネジメントばっかりしていても
何にもならないような気がする
そういう時によく感じることなんですよ
そういう時によく感じることなんですよ
そういう時によく感じることなんですよ
そういう時によく感じることなんですよ
そういう時によく感じることなんですよ
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