1. 佐々木正悟のライフハックからの精神分析
  2. 改めて佐々木正悟の活動を説明..
2025-04-21 51:06

改めて佐々木正悟の活動を説明します【特別説明会】

3ヶ月チャレンジで3ヶ月かけて提供できると思うもの。
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サマリー

この特別説明会では、佐々木正悟の活動やそれに伴うオンラインコミュニティの構成が詳しく説明されています。特に、100日チャレンジと3ヶ月チャレンジの違いや、それぞれの参加条件、提供されるセッションについても言及されています。本エピソードでは、精神病水準や理性的なやり取りが夫婦喧嘩に与える影響について考察されています。また、正規と非正規の心理師の区別や、マネジメントの重要性、カウンセリングに必要な連続性についても触れられています。このエピソードでは、佐々木正悟が3ヶ月チャレンジの内容を詳しく説明し、精神分析に基づく自己理解や情緒発達の重要性を強調しています。また、メラニー・クラインやウィニコットといった重要な理論家の名前も取り上げられています。佐々木正悟が提案するカウンセリングの新しいアプローチについて解説されており、特に現代におけるカウンセリングの意義や選択肢について討論されています。この中で、参加者は自身の価値観を見直す機会が提供されています。

特別説明会の概要
おはようございます。人生相談のための精神分析的ラジオ。今日はですね、特別説明会と称して、ちょっと会を飛ばします。これは後ほど事情を説明します。
言うこといつもと変わるのかというと、多分さほど変わらないです。4月21日月曜日、7時47分です。
改めて、いろいろな方に質問されたり、誤解されていたり、誤解というのはつまり、私のネーミングの問題が大きいなと、後からやっぱり思い直したんですけれども、
ついでに問い直されてみたり、改めて昨日様々なのは本当に忙しくてですね、今日この特別説明会みたいなことを言おうと思ったのは、昨日の異常な忙しさの中で、いろんな方と立て続けに接するという機会を延べ人数で同日で相当の方とオンラインでやり取りしたと思います。
これは改めて整理して、本当はノートに書いたりすればいいと思うんですけど、日によっては昨日ほど忙しい日も今はあるんだと、来月からもっと忙しくなるんだということを思うと、そうホイホイノートに書いてはいられないのでですね、
この辺のことはちょっと今まだ現在進行中ではありますが、ホームページを用意しましてですね、そっちの方であとコセンスってやつをもう少し使おうかなというふうにちょっと考えたりもして、本当はノーションとかにするべきなのかもしれないんですけどね、その辺ちょっとまだホームページはやります。
ノートね、まあまあいいです。ノートかもしれない。とにかく考え中です。つまりどういうことかというと、まず名称ですね。これがまず数名の方なんですけど、ちょっと混乱を生じさせてしまって大変申し訳なかったので、100日チャレンジは3ヶ月チャレンジと違いまして、100日チャレンジというのはJマスザキさんとやっていて、
この精神分析的云々とは何の関係もありません。基本的には先送りをしないということを目指す100名が参加するオンラインのコミュニティサービスです。で、この100日チャレンジは5月開催はありません。第11期100日チャレンジが6月中に開催、おそらく6月初旬に開催することになります。
これはほぼ確定なので、こちらでお知らせしておきます。ご参加いただく方はぜひ、かなり頻繁にこちらから告知を出していきますので、ただ割と満席になるのが早いですし、ほぼ確実に満席になると思われますので、現在のウェイティングレストの数からしてもほぼ確実に満席になってしまいますので、若干目で100以上を募集させてもらうことはありますが、
ここはもういつ100超えて閉じるかとかは本当に運次第になってしまいますので、ご参加確実にしたいという方はですね、早めにお申し込みしてください。これはもうチェックしておいてくださいとしか申し上げようがなくて、タイミングとしてはJ.MASUZAKIさんのツイートXをフォローしておいておくのが確実だと思います。
次に3カ月チャレンジ。これはですね、5月1日、つまりもう間もなくですが、5月1日から第10期が開催。開催と言いますか、こちらは最大でも15名となっていると思いますし、15いったことはないから、こちらは満席には多分ならないです。
なので、急がれることはありませんけれども、5月1日にはスタートなのでですね、それまでにお試し相談、2万円お試しっていうのがあるんだけど、お試しをするためには最低でもやっぱり5日ぐらい前じゃないとですね、お試しをし終わる前に5月1日が来ちゃうと。
それでもお試しをする回数どっかに追加で設けるとかやりますけれども、これだとちょっとですね、やや強引な終わり振りになってしまいますので、もしまだ検討中という方がいらっしゃったら今週中ぐらいにお申し込みいただけますとありがたいです。
これはJ松崎関係なくて、私単独のサービスです。これはもう精神分析的そのものっていうかな、精神分析に興味を持つというのが参加条件に今度から入れようかなと思っているぐらいで興味を持っていただければいいです。
本読む必要はありません。だから興味持ってるかどうかなんて本人にしかわかんないんで、興味持ってますと言っていただければそれで十分ですが、興味ない人にはちょっとあんまり面白くはないかもですよね。
ほとんど精神分析の話しか出てこないという時がありますから、もちろんその心理臨床の話が出てきたり、仕事術とメンタルみたいな話が出てきたりすることはありますが、基本的に精神分析と無関係にそれらの話をするということは私はもうほとんどしておりません。
精神分析と言って悪ければ精神力度、精神分析的心理療法、この辺のことにまるっきりからきり興味ないよと、でもタスクシュートには興味あるよっていう方は是非ですね、タスクシュート協会の認定トレーナーさんが開催されている様々なものがあったり、100日チャレンジがそれこそあったり、J松崎さんの活動があったりしますので、そちらの方チェックした方がいいと思います。
私の方から3ヶ月チャレンジの中でタスクシュートについて言及することがあるとすればですね、私がタスクシュートを使ってますという程度の言及、これ以上の言及はほぼないと思ってください。
時々出ますよ、もちろん3ヶ月やるんだから、でも本当に時々です。ほとんど毎回タスクシュートの話じゃなくて精神分析の話だと思ってください。
このポッドキャストがそうじゃないですか、最近もほとんどタスクシュートとか仕事術かなり減ってますよね。かなり減ってると思うんですよ。ほぼ精神分析の話してますよね。ないし心理臨床化、心理カウンセリング、こういう感じです。これよりも精神分析よりだと思ってください。
これが3ヶ月チャレンジ。だから3ヶ月チャレンジと100日チャレンジは期間も似てれば名前も似てますが中身は全く全然違いますので、その3ヶ月チャレンジは5月1日から5月、6月、7月、31日をもって終了します。
セッションと参加条件
100日というのは3ヶ月以上だから、6月に始まったら9月には終わりませんよね。6月、7月、8月、9月に終わりますよね。4ヶ月目に突入しますということですね。開催期間も微妙に違います。中身はもう全く違うと思ってください。
その3ヶ月チャレンジについての特別説明会ということで、一応説明をしていきますが、ここからも普段のポッドキャストとあまり変わらないかもしれないですね。
3ヶ月チャレンジでは特に第10期から週に1回ないし週2回以上の佐々木との個人セッションを持っていただきます。
ということなので、例えば10名の方が参加すれば延べ最大で20回週に私はセッションをしているということになります。これは私の方の事情であって皆さん関係ないので、最低でも私と週に1回の個人セッションを受けていただく。
これはもうベースです。もう一つベースがありまして、第10期からは週に2回のグループセッションを設けようと思っています。毎週絶対週に1回にできるかというと、休日これはいただくと思いますが、基本的には週に2回のグループセッション。
だから最低でもこれに参加した方は大体において最低でも週に3回、お休みでなければ週に3回佐々木と接触する。週に2回の個人セッションを持つ人は週に4回佐々木と接触する。まずこれがスタンダードな形だと思ってください。
週1回の方は7万円プラス税だから7万7千円。7万円だと思ってください。税は消費税なんで、私も国に収める方になっちゃいましたから。なっちゃったというか、要するに的確なんとかとかいうやつにインボイスですよね。収めてますんで、消費税はもう関係ない感じ。関係あるけど関係ない。
週に2回の方は11万円です。これ一応割引期間を持ってて、週に1回が7万円だから単純計算で倍すると14万円になるんだけど、割引下げて11万円ということにしてあります。それ以上の方を相談という形になっております。
これなんですけどね。一体これは何を得られるのかと。ここで野良だ正規だの問題、あと搾取だの問題が出てくるんですけど、私はこれがですね、もう何て言うのかな、10期やってナンセンスの極みだと思うようになってるんですよ。
この話はただ直接関係ないような気もしてるんで、この番組では喋るんだけど、普段はあんまり喋ってないんですよね。この搾取ってのは一体何なんだっていうふうに最近思うんですよ。
それは何を意味してるつもりでいるんだろうと。まず第一にお金の価値みたいなものがあると思うんですよね。お金って何より大事だっていう感覚を持ってると、お金がかかるものは全部搾取になってしまうんですよ。極端に言うとね。
7万円っていうのは僕はこれ以上下げられない、ギリギリのラインだなって今思っています。でも下げるだけ下げたいんですよ、個人的には。なぜならこれはやっぱり対人支援サービスなんで、困ってるという意味で下げれば下げるほどある意味困り度は上がってくるわけですね。
困り度っていうのは実は測れないんですけれども、それでも無理やり測るしかないんですね。測れないから。無理やり測ると何が起きるかというと、ここで私は心理、精神症尺度というようなものを使うしかないと思って、これは僕の勝手な言葉ですよ。
いわゆる神経症水準、ボーダーライン水準、精神病水準、この水準を見ていこうと。ただしこれ個展であって、今はすごくこれは否定されきったとは僕は思いませんけれども、これほど単純な指標は今は使いません。
でもこの指標はやっぱり捨てがたいところがありますんで、私は意識します。これは人が精神病なのか神経症なのかを見る尺度としては使いません。私はそうは考えない。私が考えるのは、私たちは皆、私も精神病水準とボーダーライン水準と神経症水準を持っていると考えます。
それはどういうことかというと、もうこの辺から話が本格的になってしまうんですけど、説明会でもなんでもないじゃんって感じなんですけど、説明会なんです、これは。私はゼロ歳から、つまりほとんど思い出せない時代の記憶というものを宿してるんですよ、脳が。おそらく痕跡と言ってもいいと思うんですね。
とにかくゼロ歳から4歳ぐらいまでだな。私が昔は青森県にいた頃までのことはほぼ覚えてない。だから青森県にいた頃までの記憶水準、これが私の精神病水準。だから持ってない人はいないんですよ、今生きてる以上は。持ってるんです、みんな絶対に。
次にボーダーライン水準、これは多分私が4歳から思春期ぐらいまで、もうこの辺はざっくりですね。だってどの頃の記憶はここに収められてますなんて、ハートディスクではない脳はそういう分け方してないはずなんで、ただそういう痕跡はあるはずですよね、間違いなくそれはあると思う。
だから4歳頃から思春期ぐらいまで、これがボーダーライン水準、当然持ってます、その頃の記憶なんで。
以降私は多分神経症水準以上で機能してるだろうから、だいたい思春期以降は神経症水準。この3つが並行して脳の中では当然ですよね、だって脳の中にはその痕跡があるんだから脳を使えば常に精神病水準、ボーダーライン水準、神経症水準、健常水準というものが動いていくわけですよ。
問題なのはそれを3ヶ月チャレンジのような普通の社交の世界で、この水準がどういった割合でどういう勢力で、つまり精神病水準が優勢というのはどういうことかというと、
その時の脳の機能というのかな、脳の働きとして、乳幼児の時にふさわしい脳の働きというものがその痕跡から強くアクティベートされながら、なお私とのやり取りをしているということが起きた場合、それは精神病水準というものが優勢と考えるんですね。
この優勢の割合を直感的に測るしかないんだってことが分かってきたんですよ。分かんないんですよ。いわゆる心理テスト、バームテストとかロールシャッカーとかやれば、もっと細かく分かるんだってことになるのかもしれないけど、私はそんなことをしてまで、このことを細かく知りたいとは別に思わないんですね。
基本、言葉のやり取りができる以上、その人はいわゆる健常者水準は持ってるんですよ。もう確実に。なければ、多分私と象徴的な、ましてがオンラインの画面越しで意味のあるやり取りができるわけがないんですね。これができたら原則OKなんですが、これができるからといって、さっきの言ったような精神病水準が優勢にならないなどということではない。私だってなるんだから、誰だってなるんですよ。
精神病水準と理性的なやり取り
その時、精神病水準が優勢になったとしても、健常者水準の邪魔にならないんだったら、別段問題は起きないんですよ。
乳幼児の時の痕跡が動いたからといって、その時の言葉での冷静なやり取りっていうのかな、理性的なやり取りの妨げに特別ならないのであれば、別に精神病水準が動いてるから精神病だってことにはならないと思うんですよね。
ただし、しばしばこれやっぱり、理性的な社交的なやり取りの妨げになり得る。私もそうなんですよ。だから夫婦喧嘩って起きちゃうわけですよ。私の場合ボーダーライン水準が激しく動くんだけど、これが起きると理性的なやり取りは成立しなくなる。
理性的に冷静に話し合いましょうって言うけど、それはこの水準の痕跡が邪魔をしない場合に限る話であって、邪魔をしてくるわけですよ。理性的なやり取りはさせないぞって脳が頑張る時があるわけですね。
だからそうなった時にボーダーライン水準で動くと、それは良いんですよ。このやり取りをしてもなお良いんだけれども、このやり取りをしているということが認識ができなくなっちゃまずいんですよね。
だから私は認識できるようにしておかなければいけないと。だから途中で私はそれを週に何回やるのか、私にとってはそれはどういう意味を持つのかというのをユーザーさんや参加者さんには関係ないんだけど、私が週に20回やるとかは関係ないんだけど、皆さんに結局関係してくるんですね。
これがたぶん私週に50回やってしまったら、ボーダーライン水準がどうだとか、マネジメントするとかが不可能になっていくんですね。このマネジメントする構造を持っている人たちが正規の心理師なんですよ。これはだから正規・非正規というものと作種というものを直結させるのはナンセンスだと僕は思うんですよね。
正規か非正規かというのはもちろん知識の差はあるとか力量の差があるということにしておきましょう。私これを測るのもすっごい難しいことだって最近思うようになったんで、もう個人のその力量だのなんだの言うのはあんまり気が進まないんですけど正規の方があることにしておきますが、それよりもこの場合大事なのはマネジメントをするための構造を正規の人は背景として持ってるが、非正規の人はあんまり持ってないってことなんですね。
だから構造の有無の方が大事なのであって、個々人の力量をそこに区別するために見るっていうのはですね、相当程度目安しか多分ないだろうなと。これは別に正規・非正規の方を持ちたいという話を別に僕がしているわけではなくて、僕は実はポジション的に非正規の方って持ちたくないポジションなんですよ。立場から言って。
非正規バッシングとかされていると、アイデンティティの問題で僕は自分を守らなきゃみたいに思うのかもしれないんだけど、実はそれはどうでもいいことであって、なぜなら私の場合、この仕事をカウンセリングって名乗ってるわけではない上にですね、ものすごく外に向かってPRしていかなければ成立しないっていうわけではないんだなということになってきたので、別段非正規を私が守りたい理由とかってないわけですよね。
むしろどっちかというとそれってライバルなんで、正規の人はライバルじゃないんで、もともとある意味ではかぶらないんですよね。正規の人は大抵構造の中にいらっしゃっていて、例えば病院で仕事をしている。例えば学校で仕事をしている。学校で仕事をしている方はスクールカウンセラーとかってよく言われてますけど、利用者の大半は学生さんかその保護者じゃないですか。僕と全然接触点がないから。
実は正規の人というのはですね、ライバルではないんですよ。全然全く。ビジネス上のっていう意味ですよ。どっちかっていうと、非正規の方が僕はパイの奪い合いという意味ではしてないですけど、してるという意味ならそっちの方がしてるってことになるんですよね。
結局。だから正規と非正規ってのは実はする意味のない議論なんではないかと、最近ね、先日本の炎上もありましたけれども、あれも正規非正規議論になぜかなるんですけどね。よっぽどここはみんながセンシティブに感じるところなんだろうなと思うんですけど、あれそうじゃないですよね。
連続性の重要性
私の中からすると産業カウンセラーなんて立派な方だけなんで、全然正規じゃないって感じがするんですよね。あれが良くないのは非正規がやってるからでは全くないと思うんですよ。だから良くないとすれば良くないとしたら何が良くないのかは、あれは野良カウンセラーがやってるからではないと思うんですよね。
いつしかそういう議論になってしまうんだけど、大半の非正規のカウンセラーはそもそも名の知れた出版社さんから本出せませんからね、はっきり言って。だからそういう問題じゃないなって思うんですよ。思うんだけれどもそういう問題になりやすい。
私はもう一つ作種っていうことで言うと長く時間がかかる論なんだけど、でも精神分析の人はみんな長く時間はかかるんだっておっしゃるわけですよね。つまり正規の人の方がむしろ時間の要求ってあるわけですよ。これは私は心理臨床に携わるプロであればはっきり言って絶対そうなるよなって感じがするんですね。
するんだけどこれだって長くかかるから時間的作種なんだって平気で世の中では言われるわけじゃないですか。そういう言い方をするとですね、たぶん私は統計とっちゃえばですけど、あの正規の人は分が結構悪いんじゃないかなって感じがするんですよね。
だって占い師に毎週毎週通い続けて5年通いますなんて話聞いたことないじゃないですか。ほとんど。よく占いとカウンセリングは占いよりカウンセリングの方が科学的なのになんでみんな占いなんか受けるんだろうって言うんだけど、占いってのはすぐ終わるんですよ。
そのことを何かねすっ飛ばしている気がするんですよねこの種の議論っていうのは。占いに週に4回通って5年通いましたなんてこと。そういう人もいらっしゃると思いますよ。世の中広いんだから。だけどもまあそういうことはまずないと僕は思うんですよね。そんなことあるはずないじゃんっていう。
占いっていうのはどっか1回行ってその街角占いみたいなのは終わるっていうケースが。つまりあれですよね。大抵の面接は1回で終わるっていう。インテークは1回っていうようなああいう話そっくりなんですよね。占いってそういう一発勝負みたいなもんだと思うんですよ。
だから長くかかることがいけないっていうならば、一般的には心理臨床っていうのは無害商売じゃないと思うんですよ。
ブリーフセラピーっていうのはものすごく特殊なものであって、だからあの今回の臨床心理学だったっけかな。オレンジ色のね。
ムック本みたいないわゆる学術系の雑誌にロングなブリーフセラピーはいけないのっていうシュールなタイトルの論文があったんですけど、やっぱりロングなブリーフセラピーはいけないんでしょうね。だってブリーフセラピーだからね。
なんかこう、ロングなショートパンツはいけないのみたいなノリな話で困ってしまいますよね。それではね。で、時間がかかるという話は、だからつまり3ヶ月で着れるはずがない面はありつつも、僕は最近3ヶ月チャレンジやってて3ヶ月には意味があるって思うようになったのはですね。
ここからはここで何が行われるかって話になっていくんですけど、なぜ週にさらに1回に追加して2回にし、グループセッションを週に2回やって合わせて4回もセットしたいかというとですね。やっぱりこれは、何と言えばいいのかな。
ケアって言葉は今流行ってるからケアで行きたい気もするんですけれども、連続性なんですね。これはね。連続性っていうのはウィニコットって人の理論だけど、僕はもうこの連続性ってことをすごく重視したくなっております。つまり話をしているときはまだいいんですよ。ある種の人にしてみると。
話をして、ある意味仕事術だってそうじゃないですか。大橋えつおさんなり、偶然ですけど名前が出てきますが、Jマスザキさんなりとラスクシュートの話をして、こうやってこうやってこうやりましょうと言ってるときはすごい前向きな気持ちになりますよね。
セミナーとかで出て、この自分が連続しませんよね。家に帰ってしばらくすると途切れる。異なるパーソナリティに切り替わる。そして、まったくさっき言ってたことがエソラ事のように聞こえてきて、全然それをする気がしなくなってくるってことが起きますよね。これが神経症水準でははるかに厳しいレベルで起きると思うんですよ。
話をしているときは、例えばグッドバイオスで倉園圭三さんと話をしているうちは、あの、いやもう一つ意識だと。あの、うちの旦那を許せなかったけど、今はすごい許せる気持ちになったと。倉園さんのお話を1時間聞いて、もう全然許せるって思うんだけど、家に帰ってきてただいまって言うともうたちばち喧嘩するみたいな。異なるパーソナリティに切り替わっちゃうじゃないですか。不連続が起きますよね。
この不連続をどうするかっていう問題をまず第一に考えたいってことになったとき、精神分析は最強なんですよ。だって、カウチに寝そべって同じ人に同じ時間に1時間ずつ週5回聞いてくれるわけですよ。これはもう最強ですよね。これよりやるっていうことになってくると、もうほとんど一緒に生活するしかなくなるっていう感じがしますよね。
つまり連続性というふうにウィニコットが言ったのは、やっぱりユニコットって人はこういう感覚がすごい鋭いなと、小2回だけはあるなと。つまり子供って不連続ですよね。子供はまだアイデンティティすら確立できていないから、私は私であるっていう感じを連続して持ってい続けることがほとんどできないわけですよね。
だから親は感覚的に育むなんとかっていうんですけど、育む心みたいなものをなんとなく宿している人は、子供を連続的な状態にしておこうと自然とするんですよ。
例えばスヤスヤ寝ている赤ちゃんはそっとして起こさないようにしようと。あれやるとなぜか起きちゃうってことが起こるんだけど。これはもちろん親の方に仕事をしたいというような事情があるんだけれども、でも連続性ってそういうことなんですよ。仕事をしたいというのはですね、やっぱりあまりに時間が寸断されていると、隙間時間とかって言いますけど大体あれは嘘で、やっぱり1分の時間があちらこちらに超散らばっていて60分。だから1時間の仕事ができますなんてことはなくて。
やっぱり1時間なら1時間。これも我々タスクシュート協会等ではですね、まとまった時間というのはそんなに簡単に取ろうと思っちゃダメなんだって話もしますが、本当はまとまった時間であった方がいいんですよ。やっぱりパーソナリティにとっては時間が寸断されてしまうとパーソナリティも分裂していってしまうんですね。拡散していってしまうって言うべきかな。
赤ちゃんの心は常に拡散してるんで、だからさっきまでにこにこしていた赤ちゃんがいきなり火がついたように泣き、火がついたように泣いてると思ったらまたにこにこするってことが起きるじゃないですか。どんどんどんどん人格が変転していくっていうことを多分ウェニカットって人はものすごく承認会だったし観察力のある人だからよく知ってたんでしょうね。
子供の連続性が大事なんだと。連続性を保つためにはあれですよ、遊びですよね。遊び非常に大事ですよね。だからママごとやってるとき女の子が私お母さんとやってるときお母さんとしてのパーソナリティが連続していきますよね。こうやって何かが育まれていくわけですよね。
その人にとっての母親パーソナリティみたいな父親パーソナリティみたいなものが成立していって、これのいくつかを使って僕らは日常生活を営んでるわけじゃないですか。
これがあれですよ。それほど出来がいいと思いませんけど、ホームドラマとかで見ることができるわけですよ。あれはパーソナリティというものがどういうふうに動いていくかっていうのを見せることによって、こうやって人って生きてるよねっていうことを納得して、だから連続朝の連続ドラマ小説とかは人気があるし、連続で同じ時間に毎日毎日毎日やってる15分ですけど、私はあれ好きじゃないから見てないんですけど。
パーソナリティの連続性
非常に精神分析的なノリってあるなーって感じがするわけだったりするわけですよね。うちの母なんてあれに抱えられているなーって感じが。あれずっと見てますからね。おしんの時代からずっと見てますからね。こうやってうちの母は自分のパーソナリティを連続させてるわけですよ。
朝の連続ドラマ小説を見る私っていう私が間違いなく彼女の中にいて、私なんかもそのことをなぜ思い知るかというと、普段見ないのに。一緒に旅行図とか行くと8時15分にもう律儀に起きてきて、絶対それを見てからじゃないとどこにも行かないというね。
なんでこれそんなにいいんだろうって聞くと、いやそんなに面白くはないよとかって言うんですね。これがいいんですよね。非常にいいんですよ。人間やっぱりこれを見て何になるかとかがないんですよ。
連続、その人が連続的になってる時っていうのはウィニコットって人が言ったことですけど、これも静かに息づいてるじゃないですか。赤ちゃんが一番連続してる時ってスヤスヤと寝てる。あの時間大事だっていうのは、あの時代の子供を育てた親なら大体みんな知ってるんですよね。
あそこでいちいち頻繁に起こしている人がいるとすると、その子は結構将来厳しい状態になるだろうなってなんとなく感じられる。だけど赤ちゃんってのは大したもので、少々うるさいぐらいじゃ起きないんですよ。面白いことに。あれはね、私は育ててみてやっぱり人間ってすごいなと。
名前呼んだりすると起きちゃうし、親がどっか行くっていう感じになると起きちゃうんだけど、例えば道路工事してますじゃ起きないんですよね。これはやっぱりすごいんですよね。音で起きるとは限らないんだなって聞いてるんですよね。あれは結局のところ何かをね。
連続性というのは、やっぱり守られてるという意味であって、寝ていても大丈夫だという意味だし、安全だという意味で、安全じゃなきゃ遊べないじゃないですか。安全だから遊べるわけですよね。安全だから夢を見ていられるんですよ。
だからこの安全であるということを知ってるということと、自分のパーソナリティが連続しているということは深い関係があって、残念ながら最近新卒で社会人になりましたみたいな状況とか、仕事を始めたりすると様々な意味でパーソナリティの連続性って寸断されやすくなるので、一番単純に言って会社に行って家に帰ってきたらパーソナリティ切り替わっちゃうじゃないですか。
こういうパーソナリティの連続性というものを提供するのが3ヶ月チャレンジの一つの仕事なんですよ。つまり週に最大で4回私と接触する間は、私と接触するパーソナリティというものがおそらく時間的にも1時間なり確保されて、この人がよく自分の時間って言いますよね。
あれは自分のパーソナリティを連続させるために必要な時空間ですよね。これを私は空間提供はオンライン空間になってしまうものの、しかしオンラインには空間らしきものがやっぱり感じられるんでね。オンライン時空間で提供しているっていうのがこれが仕事の一つなんですよ。
もう一つが、ほとんど同じような意味ばっかり続けていきますけれどもね。もう一つが精神分析に興味を持つってこれなんですね。私はこれは3ヶ月である意味十分なところがあるなって思っていて、ものすごくはしょって一気に説明しちゃいますけど、まずフロイトって人がいました。
フロイトには第一世代の弟子がいたんだけど、これは全部吸っ飛ばして、メラニー・クラインという女性の重要な弟子さんと自分の娘アンナ・フロイトという重要なお弟子さんがいました。最終的にこの2人はいずれもフロイトも含めて3人ともユダヤ人だったからドイツで迫害されてイギリスに逃げることになる。
途中フランスを経由するからラッカンがフランス派、フランスではラッカン派っていうのが重要だったりするんですけど、ナポレオン・ボナパルトの孫娘かな、マリー・ボナパルトとかいう人の世話になったと思うんですけど、いいとしてロンドンに行きますと。だからロンドンは精神分析のメッカなんですよ。
このメラニー・クラインとアンナ・フロイトが大喧嘩をして、メラニー・クラインの方は対照関係論、アンナ・フロイトの方が自我心理学という名称で、さらにアンナ・フロイトはアメリカに行って大成功を収めて、事実上多分精神分析といえば僕なんかアメリカに行ったんで、アンナ・フロイトの自我心理学のこととイコールぐらいに感じられるようになって、いやーあれ全然私向かないなと思って。
あれの何が向かないってあれなんですよ、論語なんですよ。40にして不悪とか50にして何とかとか、70にして自重とか、ああいう私からするとすごいナンセンスなグレードアップ感のある世界、あれが大好きなんですよね。
エリック・エニックスの世界ですよね。第一話、不信対愛着みたいな、絶対的信頼対不信みたいなああいうやつで、そこを卒業すると第二段階みたいな、人間どうしてそういうグレードによって成長すると信じる、さっき僕が途中でチャラっと言った精神病水準、神経症水準、ボーダーライン水準は同時に動いていると思うから意味があるのであって、
いや2歳で精神病水準を卒業し、20歳で神経症水準はボーダーライン水準を脱却し、とかって言って40になれば不悪ですとか、そんなわけないじゃないですか、どう考えたって、どこをどう見たって40歳の人がみんな不悪になったりするわけじゃないし、だからそういうグレードみたいな、それにそれって差別的ですよね、この発想というのは。
私この発想ものすごく嫌いで、基本的に今、あのあれですね、えーなんだっけ、儒教がこれと同じことを言ってるわけじゃないのはわかるんですけれども、どうしてもあの数字で切っていくと、あの発想になんか通信棒もらってるみたいな、私通信棒はオールAの人間なんですよ、体育もできる方だったんで、図画工作だけダメなんだけど絵が描けない。
だから絵以外はオールAに近いんですけど、だいたいああいうものが性に合わないんですよね、なんかもうあの小中学校のは焼却炉に入れて火につけて燃やしましたからね、なんかこう悪くはないんだけど好きじゃないんですよ。
だから取っておけばよかったなと今思うとちょっと思うんですけどね、面白いっちゃ面白いんで、でもまあそれはいいとしてですね、えーとですね、この発想を自我心理学から取ったんだけど、でも僕はこの発想取ったばっかりにしばしば健常水準の人が精神病水準みたいに転移が起きますからね、
カウンセリングルームでなるということが分かって対抗という言葉が出てきちゃうわけですよね、意味ないじゃんって思うんですよね、対抗って元に戻るってことですよね、卒業したら元に戻るはずないじゃないですか、しかも対抗という概念の残念なところは対抗したとき自分その人がじゃあバブバブってなっちゃうのかと赤ちゃんみたいになって言葉を失うのかってなんないですよね。
だから並行運動してるっていうふうに捉える見方を残しておかないと、結局のところあれ対抗と言っておきながら転移とも言ってみたり、東映同一化という話もしてみたりして、結局のところなんか中途半端で対象関係論そっくりに僕なんかには見えるわけですよね、自我心理学っていうものは。
私はもう最初に聞いたときから好きになれなかったんですけど、対抗して元に戻るって感じじゃないじゃないですか、その人は正常さを保ったまま対抗もするって感じが私は全然するんですよ、話し聞いてても全然する。
そして私のような仕事、多くの人が省庁水準でやり取りができて、非精神病部分、抑鬱ポジションの確立というものをしている人たちとやっていると、やっぱり対抗するのではなくて、どこが活発になってきているっていうふうに見たほうがはるかに見やすいんです。
僕は対人支援に力動系の感発想を取り込むって言ったときに、今言ったチャラチャーと述べた説明の中で、一番私はメラニー・クラインの対象関係論だって思うんですよ。
だから私が言ってるのは、対人支援に精神力動の発想を取り込むなんですけど、あるいは支援して使う、リファーする、参照してやってるってことなんです。
これが私の第二の仕事なんですが、同時にこれを皆さんもやったらいいんだって思うんですよね。
3ヶ月の中で集中的にこれを、つまり精神分析に興味を持つんですけど、端的に言うと対象関係に興味を持つであって、もっと言うとメラニー・クラインとウィニコットに興味を持つなんですよ。
ついでに日本で藤山直樹さんと町木邦弘さんと山崎孝明さんに興味を持つと。
基本これだけやっとけば、3ヶ月で急速にその人の心的状況が良くなることが起こり得る。
なぜかというと、それは対象関係論がすごいっていうよりも、すごいと僕は思ってるんですけど、あるいは僕が何か気の利いたことを言ったりやったりできるってことは、僕はそういうことは全然できる気がしないんですけど。
そうではなく、あまりにも私たちは情緒的発達というもの、自分や自分の周囲の人たちの情緒的発達というものに無関心すぎるんで。
情緒的発達の重要性
この精神、対象関係論に集中的に3ヶ月の興味を持ち続けていれば、ここで扱われている用語の意味って全部情緒の話してるんで。
特にボーダーライン水準の情緒に関しては、これはとっても良い影響を及ぼすんですよ。
ただ興味を持つだけで。
なぜ私たちは取り乱し、なぜ私たちは起き上がりたくなくなり、どうして先送りを繰り返し、忘れ物や遅刻という形で他者を攻撃してみたり、あるいは自分をマゾキスティックに攻撃してしまったり、いつも片付けたいと思っているって言っていて。
何だかだけは捨てられないとか、ずっと汚い部屋にいるっていうことに、ある種の上がるいがたさみたいなものを感じるんですけど、つまり現状維持をしたいとかではないですよね。
そういう一連のものって全て情緒的な問題だと思うんですよね。
人に世話されたいとか、人を世話したいとか、自分は子供を世話したいけど手近に子供はいないとか、逆に自分は子供として世話されたいけど親は横にいるわけじゃないとか、誰かを親代わりにしたいけど親代わりにした人と恋愛関係に陥っちゃうとか、全て情緒的な問題。
これを僕らは全然取り扱いたくはないんですよ。
ライフハック会議にいたんで、僕はまして取り扱われたくないと思うんですよね、多くの人。
これをノードとかに書いて、でも私はノードに書く言葉っていうのは、もっと率直になりすぎるか、書面的に技術的になりすぎるか、自分は恋愛をしているって恋愛して困ってる人は言わないじゃないですか。
失恋をして悲哀のどん底にあるとか書かないですよね。
なんかもっとこう、違うこと書くと思うんですよ。
だけど、だけどですよ。
なんかね、あの、あんまり子供っぽく書けば、なんかね、心のことを率直に書きましょうって書いてると、今度はそうなっちゃうんですよね。
なんかケンジのバカ野郎とか、そうも書かないだろうって思うんですよ。そうじゃないだろうと。
どっちも違うと思うんですよね。
だから、そういうふうに技術的に書いてみたり、過度に無理やり率直に書いたところで、あまり大したことにはならない気がする。
もっとこうですね、メタファーというものは、やっぱり真剣にやらないと。
そういうふうに、なんかこう、片手間にちょっとやっとけばうまくいくっていうほど、情緒って簡単に扱えるものではないと思うんですよ。
なので、この情緒に関しては専門用語を使って、フルに3ヶ月集中的にやると、これが私が提供している2つ目のものですね。
いい時間になってきてしまった。
私が3ヶ月チャレンジ提供している3つ目は、だから1個目はマネジメントってことです。
その人のパーソナリティにとって連続した時間を用意すると。
2つ目はその時間でフルに集中的に自分の情緒的なことばっかり、しかも非常に高度に専門的に扱うと。
特にこう、2、3歳児の頃の自分の情緒というのは覚えてもいないので、そしてどう記述すればいいのかよくわからないので。
なぜお漏らしをするのが怖いのか。
お漏らしをするということと、自分がうっかり発言をするということはどの程度どこまで似ているのか。
カウンセリングの新たな視点
その時、うっかり発言をしてしまった自分の親そっくりの女性上司というものは自分にとって何者なのかとか、そういうことなんですよね。
これが2つ目ですね。
3つ目が、もうここからは短くいきますね。
3つ目がですね、この3ヶ月で、しかし集結を一旦は確実に迎えるということと、
これが非正規であるということの意味について、うっすらとでも考えていただくということなんですね。
これ山崎隆さんの精神分析の歩き方が集中的に取り扱っているテーマではあるんですけれども、
正規っていうところに、あつらえられたところに僕らがポッと行って、そこで何かを得るっていうのは現段階ではなかなか難しいことなんですね。
一つにはそれがよくカウンセラーの人が書いてますけれども、話を聞いてもらうだけで何か解決するんですが、これなんですよね。
これとさっきの搾取ってものが関係しているんだけれども、お金に価値があり行動に価値があり、物に価値があるっていうふうにも、
我々の時代はそういう信念を持っているので、だからお金を払って人に話を聞いてもらうだけという、何かがそこに物が残るわけでもスキルが残るわけでも、
習慣化が残るわけでもないものに価値がないように感じる。
あるいは誰かがそれを弁護してくれるとか、訴えることができるとか、代わりに掃除をしてくれるとか、そういう一切そうではないものには意味がないような感じがするという、
この感覚そのものが問題だと僕は思うんですよね。
この感覚からいきなりカウンセリング受けるってなった時に、意味が本当はないと思っているほど難しいのがあっという間に中断したくなると思うんですよね。
やっぱ薬が欲しくなると。
でも薬を飲むってことは病気だってことになるじゃないですか。
そしてその病気だってことはどういう意味なのかについて、我々はそんなに詳しく習ってこないじゃないですか。
さっき言った古典的な精神病、ボーダーライン、神経症だって、神経症と精神病ってそんなに違うものなのとか、ボーダーラインっていうのはちょっとヒステリックになるやつみたいに、
そのぐらいの感じしか抱いてないのに、病気だから脳に効く薬を飲みましょうっていうことに対する抵抗があるか、
でもお金を払うんだったら薬ぐらいは欲しいってなるぐらいの抵抗を突破しても、カウンセリングってなかなかいかないと思うんですよ。
保険が効くわけじゃないとなるという訳ですね。
このことを3ヶ月かけて考えてみるという。
で、3ヶ月で終わるときに継続するかどうかについて、僕は一切何も基本的には誰にも絶対とは言わないですから、例外ってありますからね。
だけど基本的にはそれこそ削除っていうのが、つまり困ってる人に向けて継続しましょうっていうふうに促すというのはやっぱり倫理的な問題ってこともあるんだけど、
もう一つはですね、これを継続するってことは自分の価値観が変わっていくってことに、現代ではならざるを得ないと思うんですよ。
だって僕薬出すわけじゃないし、医術提供もしない、CBTやるわけではない、心理臨床もしないってことになってくると、
お前は何をやってるんだってことになるじゃないですか。
3ヶ月体験してみて、それが了解されないか、あるいは了解して得たものはこういうものだったということになったときに、改めて決定してもらう。
これが多分僕が3ヶ月かけて提供できるもう一つのものなんですよね。
グループセッションにおける、つまり他の人は何を得てるんだろうってことも合わせてここで確認していただくと。
そうするとですね、僕は3ヶ月後にはカンセリングというものの意味がその人にとっては大きく変わると思うんですよ。
ここで正規のカウンセリングの意味ってものがすごく浮上すると思うんですよね。
正規で国が公認している人が何万人と言って、これは私たちが使おうと思えば使えるリソースなんですよ。すぐにでも使えるリソース。
これをどう使うかっていう視点が手に入ると思うんですよ。
多分それまではなかった視点だと思うんですよ。
誰をどのように選んでどう使うかっていう視点が使用ですよね。
ここもやっぱり言いにくいことなんですけど、ユーズなんですよね。だからユーザーなんですけどね。
これを私は視点として提供したいと。別にそれはシニカルカウンセリングを受けましょうって意味ではさらさらないです。さらさらないです。
でもオプションとしてあるんですっていうことが、これをやっていただくことで圧倒的に見えやすくはなるんじゃないかと思うんですよ。
で、自分にはいるのかいらないのかの判断だけでもできるじゃないですか。
特に精神分析的心理療法と呼ばれているものを、自分にはいるのかいらないのか。
使う気になれば使えるというのが、多分日本国内であればどこにお住まいであっても可能であると。
それは結構意味があるんじゃないかなと思うんですよね。
つまり周りにお医者さんかかるのが好きっていう人はいないと思うんですけど、でも医者にかかるのは嫌って人でも、周りに医者はいませんと言うのって怖いじゃないですか。
とにかく医者はいるんですと。今すぐ行く理由は別にないんだけど、医者とはどういうところで、病院とはどういうところでってことを知識として持ってると。
僕はこれが心理に関しては誰も知識としてすら持ってないというケースが誰もではないけど、日本では普通に多すぎるというふうに思うんですよ。
で、これは言葉でいくら野良と正規、だいたい野良と正規の議論の面白くないところって、野良は危険ですしか言ってないということなんですよね。
正規は何してくれるんだって話になると、途端になんかこうあやふやになったり自信なさそうになるんですよ。
私が先日お招きした山崎と赤崎さんイベントのね、ああいう声がなお太くて筋肉もあってお父さんみたいな、いかにもエディプス感のお父さんみたいな人はまれで、どっちかというとあれほどズバズバっと割といろんなことを知ってて言い切れるっていう人はまれで。
それでもあそこはクローズな場ですから。
オープンになってくると野良の批判してるときは、野良カウンセラーの批判してるときはすごく威勢がいいのに、じゃあカウンセリングって何してくれるんですかっていうと黒子でとか。
なんかね急にこうわかるんですよそれは当然そうなる。当然そうなんだけど黒子に徹するのが良くとか言ってまずは話をしっかりと聞きとか。
なんかね、何を提供してくれるって話になるとえらい口ごもるみたいな感じになってしまうというのは、やっぱりこれは何か手を打つ、何かこう違うことを考えていかなきゃいけないんじゃないかなと思うんですよね。
すごいやっぱりボーダーでずっと生きるってことだって、ボーダーってのは思春期の10代、9歳ぐらいの情緒がすごく優勢に活発に動き出すっていうぐらいに考えておいていただければとやや思うんですけど、これはすごいいい加減な言い方ですけどね。
すごく頭が良くても、やっぱり社会でやっていくということになると、特定の職業に就かない限りは結構厳しいと思うんですよね。
最近大物の芸能人の方がすごい不思議な苦労をされてますけれども、情緒の発達って難しいんですよ。
ものすごく多くの人に注目されるとかいう普通の人の知らない生き方をしてしまった場合は特にですね、そう簡単には収まりきらないことってあると思うんですよ。
ああいうケースこそカウンセリングだろうと思うんだけど、違う話になっていくんですよね。
で、多くの人が、特に司法系の人はこういう人が特殊な薬飲んでるんじゃないかって疑うんだけど、それを疑うんなら、もっと精神的なケアをしようよって感じがするんだけど、話がそっちの方向にはなかなか行かないんですよ。
だいたい誰がピンク色の薬を、ピンク色の水でいいや液体をちょっと飲らんな人なんだけど、あなたの心のためにピンクの薬を用意しておいたから飲んでる。
飲まないじゃないですか、普通は。
で、正規の人がおっしゃってることって、このピンクの薬、水飲むのはものすごい危ないからやめておいた方がいいよと。
代わりにここにミネラルウォーター出しておいたからって感じなんですよ。
そうじゃないですよ、言ってることは。
でもまるでそう見えるんですよね。
果たしてミネラルウォーターをこれで積極的に飲みたいと思うだろうかっていう、ものすごい苦しんでる人ならむしろ、毒々しいピンクの水の方を飲みたくなっちゃうんじゃないのかっていう感じすら受けなくはないわけですね。
まあどっちかというと、やっぱり僕としては焦げた胃もりとかを食べない方がいいと思いますけれども、これがまた尾形さんののの医者を笑うでもそうだったけど、なんか胃もり食べてみたら保護主張症治っちゃいましたって人が出てきてしまうんですよ。
これがやっぱり心の世界の難しいところだなって私は思うんですよね。
ぜひですね、でもやっぱり毎日薄い塩分とミネラルの含んだ水を5年にわたって飲むというようなことは、ではなくて、ではなくてですね、実は精神分析で結構劇薬なんだってことを知るぐらいでもですね、3ヶ月かけてですね、知る意味があるんじゃないだろうかと。
これが3つ目かなと。
今日は特別説明会という予定を装って、全くいつもと同じような話をしてしまったんですけど、なんかご理解いただけたらですね、ありがたいと思います。
サンチャレでやることは他にも私の頭の中で山のようにあるんだけれども、でもまあ結局基本的には私と話をしていただいて、グループセッションに出ていただいて、なんなら動画を見ていただいて、
あとそうだ、テキストでのやり取りはもう24時間受付中なので、全部に24時間以内に答えを出すなどと私は言いませんけれども、あれをじっと読んでですね、一生懸命考えて、なんかスタンプだけってことにも関わらずあるんですけども、お答えを出すという、
つまり週1回、ないし2回、プラスグループセッション2回、プラステキストでのやり取りは100スクロールでも1000スクロールでもやりますという、そういうストロークかストロークでもやりますという、そういうサービスですね。
つまり、常時これについて考え続けられる連続性というものを端的に言ってしまえば提供したいと、それがいかに私たちの日常生活に欠けているかということも合わせて認識していただきたいという、そういうサービスです。
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