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おはようございます、グッドモーニングボイスです。
7月14日、日曜日、夜の20時35分ですね。
相変わらず、おはようとお休みが、しり滅裂な挨拶になっちゃってますけれども、
今日も、僕自身はやたら元気なんで、これはね、ちょっと今日はその話を少ししようと思うんですけど、
グッドバイブス様々なわけですよ。
ちょっとこれも、グッドバイブス以前からあった不思議な現象なんですけど、
僕年をとるごとにね、毎年毎年確実にとは言いませんけどね、それは変なんで、
でも年をとるごとに健康になっているという、非常にこう、ある意味問題のある多分、なんだろうな、
何かあったんでしょうね、問題のある何かが。だってそれはおかしいですからね、やっぱりね。
年をとるごとに健康になる。何か明らかにおかしいじゃないですか。
この現象、僕の中では結構普通にあるんですよ。
何かね、明らかにだって、10代未満よりは10代の方が健康。
まあこれはね、割とあることなんだと思うんですけどね。
小学校上がってから元気になったね、みたいな人はいるとして、
小学校から中学校、中学校の時の方がやっぱ、ポータルで見ると健康だったし、
中学より高校の方が健康だったし、もうこの高校から後ですね、大学に入ってからは、
かなり元気な人みたいなところあったんですよ。いろいろ悩みはあったにせよね。
で、大学卒業後、まあこの辺はあんま変わんないけど、
20代より30代の方がやっぱ健康でしたし、
40代ちょっとつまずきはあったにせよ、30代に比べるとトータルでは40代の方が健康だったんですよ。
50代になってからは、かつてないほど健康みたいな。
どう考えてもそれはダメだろうって気もしなくはないんですよ。
毎年毎年じゃないですよ。階段登るように健康になり続けてるわけじゃないんだけど、
ポータルで見ると上昇気候になって、それはグッドバイブスの効果は極めて大なんで、
だから皆さんグッドバイブスファクトリー入りましょうって言いたいわけですが、
それはこれからどうやってその話もしていくかというと、
いろいろと探っているところなわけです。春になりましたしね。
春になると退職頭痛って人は多くいらっしゃるんですけど、
これ僕はもちろん寒暖差はあると思いますが、
かすんのっきんじゃないかなと思いますね。
僕は幸い花粉症がすごく全く、多分一生縁がなさそうな気がしてるんですが、
この日本の杉植えまくり政策というわけわかんない政策は、
これはいただけなかったと思うんですよ。
あとこれ有名なんですけど、僕スキーやってたからよくわかるんですが、
杉の木ってスキー場にやたら生えてるんですけど、
あそこ行くと花粉症がピタッと収まる人いっぱいいるんですよ。
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雪がね、やっぱりいいんだと思うんですよね。
なんかね、日本の関東の杉花粉の問題ってのは絶対良くないと思うんですよね。
湿気が少なくなるところに杉花粉もあっていて、
そこに高価なスモークが混ざってるわけですよ。
これは杉花粉だけの問題じゃ絶対ないなって思うんですが、
まあまあしょうがないというのは良くないけど、
ちょっと杉の木減らそうねって話ではあるんですよね。
なんか狂ったような数じゃないですか。
話聞くだけで花粉症になっちゃいそうなっていう、
僕はなんないんですけどね。
でもこれは絶対あると思うんで、
あんま簡単さだけが原因じゃないだろうとは思うんですけどね。
まあまあ、なんかこんな話していて3分使うつもりは全くなかったんですけど、
えーとですね、
お知らせをさせていただきますか。
タスクシュートジャーニーのフォースを20日土曜日、もう一週間ないね。
16時からやりますと。
これは高梨さんという方をゲストにお招きして、
まああのあれですよ。
タスク管理で百達生涯を乗り切ったっていうか、乗り切ったのか分かりませんが、
という高梨さんと全然違う精神力道に狂ったように入れ上げている私と、
あんまりそういうこととは縁のないJ松崎さんとね、話をすると。
まあ結構面白い話になるんじゃないかと思っておりますんで、
まあそうは言っても3人ともタスク管理には入れ上げているわけですから、
あの高梨さんはねタスクシュートをさることながら、
まあ多分あんまりやられてなくてタスクペディアっていうね、
一部界隈では絶賛活躍中のツールでして、
これもまたちょっと違った考え方をベースにやっておりますが、
まあ彼はね、ある意味でもすごい人なんですよ。
何がすごいって、タスク管理の本で10万部を突破したという、
日本ではおそらく最初の人だと思うんですよね。
私の知る限りタスク管理本では10万部はいかない。
多分これはね、もしかして空前絶後の可能性もあるぐらいの数字です。
7万とかまではいくんですよね、GTD本もいくんですよ。
でも10万いかないんですよ、日本では。
まあタスク管理の本で10万いくのは少しおかしいって思わなくはないんですけれどもね、
そういう類い稀な本なので、そういう意味でも面白いかなと。
残念ながらね、我々J松崎さんとの協調、所属もよかったし評判もいいし、
いいなと思うんですけど、やっぱね、10万ってのは本当に10万という数字はやっぱり、
ちょっとね、いろんな要素が脅威的にバタバタバタと噛み合わないといく数字ではない。
この業界で非常に偏った生き方ですが、長年生きてきたところのある私としても、
10万部っていうのは本当に一口で言っちゃいますけれども、
06:00
そんなにいくはずないよなと思いながら言ってる人もいるというね、
そういう本の作者さんをお招きして、非常にこう、
多分なかなか成長になるんじゃないかと思うので、よろしければ。
そんな高いセミナーじゃないんでね。
スクシュートジャーニーフォースをよろしくお願いします。
ようやくJさんもね、スクシュート2の大変な開発から少し目処が立ってきたということで、
最近、一時ね、もうなんかこうコードコードコードで、
まあ今もそうなのかもしれませんが、大変そうなんですけどね。
私のようにひまじんとは違うんで、
これから20日にはちょっとやっていきたいと思っています。
よろしくお願いします。
で、えっとですね、そうそう、
今日はとりあえずこうちょっと、
プラズノさんのGood Vibesの話を少ししたいわけですよ。
なぜかというとですね、最近こう、あ、そうだ。
今日、まさに今日なんですよ。
ファクトリー、Good Vibesファクトリーセッションというのは、
もうぜひですね、もっとこう皆様に、
これにご参加いただきたいと。
今日なんか精巧な方だったんですが、
ちょっとね、あの、
滅多にふざけた言ってないというのも不思議なんですよね。
これもね、ほとんどもう全部の質問、
あのお悩みにプラズノさんが全部お答えするというですね、
それを私のお話をしていただいて、
それをプラズノさんが全部お答えするというですね、
それを私は横で聞いているだけになって、
まあ聞いているだけではないんだけどね。
まあでも一応聞いているわけですね。
つくづく今回は本当に思ったのが、
皆さんですね、怒りというものの扱い兼ねるというのがですね、
悩みの大きな一つの、全てのじゃないですよ。
でも一つの重要なファクターになっていると。
これをプラズノさんすごい強調されているんですけれども、
つんですかね。
難しいんですよね。
グッドバイブスでも怒りを手放すって結構話してたんですよ。
最近あんまりプラズノさんがそれを言っているのを僕は聞いてないんだけど。
手放す。
手放すというのを言われると、
やっぱり人は怒ってはいけないってなってしまいやすいんだなっていうのをまず感じます。
これは別に必ずしもグッドバイブスだけじゃなくて、
いや怒りをどんどん表明しろとかって、
言う人もいるんだけど、できないじゃないですか。
そもそも普通の人は。
なんかね、四六時中怒って歩いている人って、
まあ見かけないし、見かけた場合、
その人はかなりいい扱いされてないんですよね、やっぱりね。
そりゃあまあそうなんですよ。
電車の中とかでもめちゃくちゃ怒鳴っている人ってたまーに遭遇するけど、
乗っている人がみんな好意的に見てるっていう光景は見たことないと思うんですね。
怒りっていうものは扱いにくい感情であり、
しかし結構人は持っているわけですね。
で、これを手放せと言われなくても手放したいわけで、
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だから怒っていると自分は思いたくない。
これをね、全カウンセリングで共通して、
この怒りというものをどう扱うか大事に考えようねってのはあってですね。
従ってですね、怒りを抑圧するっていうのはもう全然いいことじゃないと。
アンダーマネジメントっていう手法も世の中にあるんだけど、
怒りをマネジメントしましょうっていうのもやっぱり、
あんまりですね、僕は思うに市民権を得ることはないだろう。
正直思うし、あんまりやっぱりこう一般化されるといい話とも思わないんですよ。
怒りを他の感情に転換してはいけないとかもよく言われることで、
つまりそれはよくなされてしまうことでもあるし、
フロイトなんかは怒りを見ないようにしてジムマシンできるみたいなところまで解明していった人ですから、
つまり昔からお馴染みなわけですね。
フロイトの時代はすごいあれですよ、フロイトの話ってやっぱり今の時代にそのままは適用できないです。
だってあれはウィン末期なんで、ウィンビクトリア朝末期なわけですから、
ビクトリア朝って馬車に乗ってたんですからね人々は。
やっぱりそれは違いますよね。
だから貴婦人が夫が夜な夜な出かけていくのに怒ってるわけですよ。
怒っててヒステリーというその怒りを自分が認めない。
育ちのいい人ばっかりなわけじゃないですか。
めちゃくちゃ育ちが良いわけですよ。
僕らの時代にはほぼそういう人はいないんじゃないかくらい貴族ってことですから。
貴族がやっぱり夫が夜な夜な出かけていきますと、
自分怒っていることがよくわからないっていう人もいらっしゃるわけですよ。
そういう非常に上品な世界に生きていると。
自分は怒ってなんかいないっていうのが、
今の私たちとは違った意味でまた自分に対して完璧に認めしちゃうってことは起こり得るわけですよね。
それどころか猛烈に怒ってるんだけど全くそのことに気づかない。
そうすると乖離って起きていくんだけど、怒りますよね。
だからあの時代に流行ったカウンセリングが精神分析ですけれども、
こういう課題について扱っていくっていうのは非常に自然な話であって、
むしろそれまでどうしてたんだろうなっていうくらいな話でもあるわけですよ。
寝込んでしまうとかね。
おかしなことではないわけですよ。
でも自分寝込んでる理由もよくわかってないわけです。
だってですよ。
夫はそうだな、30代後半の時代、
40代前半とか。
奥様は20代前半、下手すると10代後半。
で、夫は当然のように出かけて行って、
当然のようにその話をしない。
で、女性の方はめちゃくちゃ怒ってるけど、
私はそんなことに怒るはずがないって思ってる。
こういうことは起きてしまうわけですよね。
で、もちろん精神衛生上全く良くないですよ。
で、この話を我々の中で、
応用しようとしてるのであって、
そのまんま持ち込もうとしてるわけではない。
12:00
と思うんですね、当然。
で、応用するってのはどういうことかというと、
怒っていたらそれには気づきましょうっていうことなんですよ。
やっぱり。
これはグッドファイブスでも何ら否定はされてないと思うんです。
怒りを手放すということ。
怒りを認めないってことは全然違うじゃないですか。
怒りはとりあえずこう、
怒りを認めないってことは全然違うじゃないですか。
怒りはとりあえずこう、
認める必要があって、
で、結構小さくても認めるっていうのが大事だと思うんですよ。
これを非常にグッドファイブスに引き付けて言うと、
そもそも、あの、あれですよ。
クラゾノさんが怒りを手放しましょうと言ったから、
私は婚輪際起こんないことになりましたって言ったら、
多分その人はクラゾノさんに怒っちゃうんですよ。
こういうことを細かく見ていく必要があると思うんです。
で、
僕のこのポッドキャストでもいいですよ。
佐々木なんかが怒るなって言うから、
私は怒らないことに決めたって言っている人は、
もうすでに僕に相当怒ることになっちゃう。
相当じゃなくても、
少しは絶対怒ることになっちゃうと思うんですよ。
このような系列で、
なんていうのかな、
このようなプロセスはまずいと思うんですよ。
これだったら怒った方がマシなぐらいで。
怒らないことに決めると何が起きるかというとですね、
例えば私はポッドキャストって、
すごい今考えついたものが単純だった。
単純に言うと、
なんか私はポッドキャストって向かないと思う。
っていうような話になってしまうんですよ。
これが隠ぺいなんですね。
この種の隠ぺいは無意識に進行していくので、
非常に取扱いにくいものになっていくわけです。
だからポッドキャストが全体的に好きになれなくなる
っていうことになったら、
明らかに私のやってることはいいことじゃないじゃん。
だから、
ポッドキャストが好きになれなくなるということになったら、
明らかに私のやってることはいいことじゃないじゃん。
だから、
明らかに私のやってることはいいことじゃないじゃないですか。
で、
でもこれっていうのは、
やりようによっては避けがたいわけですよ。
私がポッドキャストで喋るということ、
それ自体がこういう事態を引き起こすっていう。
この種の話を、
織り込んで頑張ってやりましょうねって話をしていくと、
こんな情報発信ってできなくなっていくじゃないですか。
今そういうこと、
そこかしこで起こってる気がするんだけど、
やっぱりこの、
怒りというものは、
取扱う必要があるわけですね。
特に、
この様なある感情の中でも、
優先的に取り扱う必要があると。
優先的に取り扱う必要があると。
で、
この中の一つの言われていることが、
私は妄想分裂ポジションって言葉で表現されてるものだと思うんですね。
私は妄想分裂ポジションって言葉で表現されてるものだと思うんですね。
あれはポジションって言ってるのは、
すごい大事な言葉で、
妄想分裂ポジションって結局、
妄想だって話なんだけど、
大事なのはですね、
これが、
あなたの怒りは妄想が原因ですって言われると、
腹が出すでしょ。
だから、
妄想分裂ポジションって言うのは、
全ての人がこのポジションに入りますっていうポジションなんですよ。
ポジションって言うのは、
野球のポジションがそうであるように、
どこにいることが絶対確実ですってものじゃないですよね。
野球詳しくない人は、
15:00
ちょっと申し訳ないんだけど、
あるんですよ、
セカンドというポジション。
でもセカンドというポジションは、
ずっと同じ場所にいるわけじゃないんですよ。
その人しかも、
状況によってはですね、
サードというポジションに、
チェンジするわけですよ。
ポジションはチェンジできるわけ。
私は昔、少年野球やってたとき、
ファーストというポジションにいたんですけど、
しばしばやっぱり、
佐々木はセカンドに行けとか言われるわけですよ。
で、やっぱりファーストが空いてくると、
ファーストの方に戻れみたいな、
こういうことが起こるわけですね、ポジションだから。
ポジションは、
フェーズじゃないし、
ステージじゃないんですよ。
段階じゃないってこと。
つまり何が言いたいかというと、
フェーズというものに人は入るんですよ。
でもそれは怒りを抱く段階とか、
フェーズじゃないってことなんですよ。
だから、
そこを卒業するとかいうことはできない。
できるのかもしれないけど、
少なくとも精神分析とか、
カウンセリングの世界では、
このポジションを卒業はできないと考えるんですね。
だから、
僕はそういうふうに
グッドワイブスも見たほうがいいと思うんですね。
倉園さんはわかんないです。
でも私はね、
私は怒るというポジションに入っていることはしょっちゅうです。
怒りを、
怒らなくなりましたみたいな、
そういう卒業ステージじゃないってことなんですよ。
怒るというポジションに入ることもあるんだけど、
怒らないというポジションに移ることもできる。
そういうふうに見ることによってですね、
これを卒業しなくて済むんですよ。
なんか未熟者と成熟した人みたいに言われると腹が立つじゃないですか。
そういうふうにこれを見なくても、
いいってことなんですよ。
なんかね、
昔はそうだったかもしれないですよ。
なぜなら時代が過酷だった。
あの、
言うじゃないですか。
よく、
そうだな、儒教みたいなやつね。
死の玉枠みたいな。
だから、倉園の死の玉枠みたいになると、
みんなやっぱりね、イライラすると思うんですよ。
特に今みたいな時代は。
どう考えても上位に出られていて、
我々は弟子だからまだ腹が立つという未熟者なんですみたいに、
思いたくないって人がいるのは自然だと思うんですよね。
で、今の時代って、
精神分析ですらポジションって見方を獲得したように、
これを卒業しなくてもいいはずだっていう考え方が、
なんていうのかな、
少なくとも一定の勢力を持っているわけですね。
だから、
その、
儒教みたいな時代ってのは、
やっぱり指定関係っていうのがあったわけですね。
エディプスなんだけどこれは。
これを、
そんなに重視しなければならなかったのはやっぱり、
なんていうんですかね、
時代が深刻だったから。
一本味があると殺されるとかそういうことがあったからだと思うんですね。
今だって世の中あるじゃないですか、
ガザチックとかイラン、イスラエルとかって、
言い出さないほうがいいと思う。
これをね、
あれなんですよ、やっぱり。
再現性をとことん求めようとすると宗教化していく。
なんで宗教化するかというと、
18:01
やっぱり、
明日は我が身だから、
私の身だからですよ。
よく言うじゃないですか、
そういう危機感を煽る世界においては、
明日はお前だってそうなるかもしれないんだぞ。
でも、
簡単にそうならないっていうのもまた事実なんですよ。
やっぱり日本にミサイルは、
そう簡単には落ちてこないんですよ。
わかんないじゃないですかっていう人もいらっしゃるかもしれないけど、
その人が言いたいことは、
世の中はあなたが思っているよりも深刻な場所なんです、
危険な場所なんですって話を、
その人はされたいんだと思うんですね。
で、
私は、
グラノンさんの考え方が、
中身がものすごく目新しくなくても、
マインドフルネスにも同じようなのがありますとか、
いろんなこと言われるんだけど、
中身の問題よりも、
これをどう適用するかにおいて、
彼の発想は新しいっていうのが、
今私がよくグッドワイブスで考えてるし、
伝えていきたいなと思っているポイントなんですね。
確かに、
仏教的にも同じような話ありますとか、
マインドフルネスにも同じような話ありますとか、
ケースによっては、
カウンセリングでもよく似たようなこと言われますねとは、
言えると思うんですね。
そういうことはあると思うんですよ。
言ってることがそんなに異常に全く違っているというのも、
問題なんですよ、
僕が思うにこの種のことで。
だけれども、
グラノンさんのお話のグッドワイブスの中の、
非常にユニークなところ、
つまり、
これまでにあまり見られなかったのは、
これは現代にほとんど見られなかったんです。
だから、
これまでにあまり見られなかったのは、
これは現代日本に適応しやすい考え方を、
彼が非常によく考えてアレンジしている
ところなんですね。
それだと、
現代日本社会に生きている人じゃないと、
なかなか適応し難いじゃないですかって言われると、
すると、
それはそうだと僕は思うし、
その方がいいと思うんですね。
これをウクラインに持って行ってもダメですよ。
危険なところに持って行っちゃダメなんですよ、
むしろ。
でも、
そうする必要ないじゃないですか。
実はね、
少なくとも私たちにとってはあまりないじゃないですか。
それはウクライナの人に役に立たないんじゃないですか
っていうのは、
この場合はあんまり
欠勤の議論ではないと思うんですね。
ところが、
我々は不思議なことにね、
これを言いたがるんですよ、意外とね。
なんでなんだろうなっていうのを、
私はいまいろいろ考えてるんだけど、
私がタスクシュートについて言っていることも
ちょっと似たようなところがあるんですね。
これは昔から私がそうだったところが、
あるんですよ。
そんなに再現性いるかって話なんですよね。
で、
再現性というものを、
人々が言いたい、
再現性ってものを言いたがる人ってのは、
常にもっと深刻な状況でも
適応できるのかって話をしたがるんですよ。
当然なんですよ、これは。
もっと気楽な状況でも適応できるんですか
っていうのは、
適応できるに決まってますからね。
ことが悩みとか、
仕事術とか、
いったものを、
いったものであっても同じですが、
何かについて、
特に何か、
特別なケアなり、
21:01
方法なり、
メソッドなり、
同じか、
適応しなければならないというのは、
今、私たちがうまくいき損ねているか、
適応し損ねているかなんですね。
もっと楽な状況だったら
うまくいきますよっていう話を
あえてする必要はないじゃないですか。
むしろ逆ですよね。
そんなGood Vibesでも、
こんなに厳しい状況でも大丈夫
っていう話を人はしたいわけですよ。
でも、そんな話をする必要は
ないんじゃないだろうか
っていうことなんですね。
だいたい授業とか流行ったのは
紀元前の話ですから、
紀元前なんてあれですからね、
まず冷蔵庫がない。
もちろん防疫みたいな、
疫病の考え方も考え方があったとしても、
現実はない。
全ての手術は麻酔なしでやらなきゃならない。
ほとんどの人は、
10代を前に死んでしまう。
そういう人たちに対して、
現実ならなんとかなるって話は
当然難しくなりますよ。
だから、現実は何ともならなさそうに見えれば見えるほど、
現実ならなんとかなるって話は
難しいんですよ。
同じように見える話でも、
ブッダが言っているレベルと
倉園さんが言ったレベルが
同じである必要はないってことですね。
そして、私たちが信じるレベルも
同様ですね。
1歳が食うってのを、
確信を持って信じなければ、
むしろやってない。
やってられない世界もあるってことですよ。
どう考えたって、
例えば、
あれはあれなんですけれども、
スードラっていう奴隷階級であれば、
別に主人が望めば、
いつでも何をしても大丈夫だみたいな
世の中であった場合に、
現実ならなんとかなるとか、
1歳は食うであるっていうのは、
むしろ、
確信を持って頑張っていかないと
やばいわけですよ。
それに比べると、
今の我々は、
そこまでとことん信じなくても
いいわけじゃないですか。
そこまでとことん信じられなくても、
大概の時は平穏に暮らせるからこそ、
そのぐらいで平安というものが
保てるという状態なわけですよ。
こういう、
比較的、
比較的ですよ。
現実に恵まれた、
つまり物質的に、
物理的にって意味です。
恵まれた、
暑くなったらクーラーを入れればいいような環境で、
物が腐りそうになったら冷蔵庫というものが、
何を持って平安か平安じゃないか
というのを考える時には、
やっぱりイリュージョンについて考えるのが
一番大事なんですよ。
現実はそこまで過酷でないのにも関わらず、
私がもう、
いやー、とっても生きていけないって思いそうになっている時には、
夢を見てるんじゃないかって疑うというのは、
非常に大事なポイントなんです。
なぜならば、
私たちは、
100%空想であっても、
その相手に対して、
真剣に腹を立てられる生き物だからなんですよ。
この点は、
もう先日もね、
この話を時々するんですけど、
私は非常に静電気というのが苦手だった時期があるわけですね。
24:01
静電気恐怖症ぐらいになっていた時期があるわけです。
アメリカなんかで暮らしていたからいけないんですけどね。
今日もカリフォルニア大雨降ってたのに、
なんか知らないけど、
湿度38%とか言って、
非常に乾いてるんですよ、あそこはね。
だから砂漠もあるんですね、アメリカは。
静電気バシバシ来るわけです。
で、僕はアメリカからそれで逃げ出したようなところがある人間なんだけど、
こないだあの夢を見ている最中に静電気を受けたんですよ。
パチーンとこう親指に。
びっくりしたんですよね。
なぜならその時僕は夢を見てるって思ってたから。
なのに静電気を受けたわけですよ。
その時の感触は全く100%
静電気を受けた時の感触そのものは当たり前なのかもしれないけど、
だったわけですよ。
で、受けてないことは確実なんですよ。
目覚めたからその。
こういうことがやっぱり僕らの脳はできちゃうんですよ。
そう言ったらやっぱり目が覚めたからその。
こういうことがやっぱり僕らの脳はできちゃうっていうところが厄介だなって本当に思ったわけですね。
だから、見ず知らずの人に真剣に夢の中で腹を立てるということができちゃうわけですよ。
でもその人いないんですよ。
こういうことが起きていて、目が覚めている時も起きてないなんて言われても言えないですよね。
僕ら空想で、見ず知らずの人に真剣に腹を立てることができちゃうわけですよ。
だから、グッドバイブスでね、そういう意図は全くなく、全くなくですよ。
浦園さんがグッドバイブスで攻撃を手放しましょうと言って、
くれてしまったおかげで俺は腹を立てることができなかったということに、
怒りを小さく覚えたのを自分に隠蔽してしまって、
それをですね、全く違うところで適用しちゃうんですよ。
例えば、その浦園さんに対して怒った。
なぜなら怒りを手放せって言われたから怒った。
でも怒りを手放せと言われたから怒ったようなことは、
グッドバイブスを辛抱している自分としては認めたくないと思った。
思ってしまったから怒ることはやめることにしました。
で、怒ることをやめることにしたからこそ怒っているんですというこの気持ちは
どこにも持っていくことができませんというわけで、
今日会社に行って上司に対して怒りを覚えられない。
怒りを覚えられないとなると会社に行けないことになりかねないんですよ。
こういうことが起きるからカウンセラーの人はみんな言うわけです。
怒りを隠蔽するのはやめましょうと。
抑圧もダメですと。
怒りを心の中から切り離すのもダメですと。
なぜそれをやってはいけないかというと、
私たちはそれをやると、いけないと言われても困るんだけど、
私たちはそれをやると妄想分裂ポジションというところにドーンと入っていくわけですよ。
自分からポジションとして。
ポジションチェンジするわけです。
普段はいる、僕はもうウィニコットに習ってこれを歴史的ポジションと言いますけど、
時間の流れの中で物事を統一的に見ることが一応できてね、
例えばなぜあなたは好きでもない、アワハラっぽいと言っている上司に会いに行かなければならないのですか。
27:04
その会社に入ったからですよねと。
なぜ入ったんですかと。
入りたかったからですよねと。
これを一応、統一的にプロセスを終える。
これが我々が平安でいるために必要なポジションなんですね。
歴史的ポジション。
抑鬱ポジションとも言うんだけど。
なぜかというと、私が自分からこの会社に入ったのか。
ああ、というふうに抑鬱的になるから抑鬱ポジション。
歴史的であるということは、自分に責任が多少あるということを必ず認めることになるので、
非常に抑鬱的になる理由を持ちやすいんですね。
これが抑鬱ポジションですよ。
例えば、ああ、俺なんで怒り手放せなきゃならないんだっけ。
ああ、倉園さんが言ってたから、なんで倉園さんの話なんか聞いちゃったんだっけってなると、
抑鬱的になるでしょ。怒りが自分に向かうわけですよ。
これが全くそういうことに無自覚な人であれば、100%無自覚であればって意味ですよ。
非常に妄想的になるんだけど。
いや、怒り手放せとか言われたから俺は怒れなくなったんだけど、
その責任全然俺にないよねってことになる。
そういう人って滅多にいないんだけど、そういうふうになると非常に分裂的になるわけですよ。
一つ一つの出来事が完全にバラバラになってしまっていて、なんでこうなったのか。
考えられないポジションってあるわけです。
これが妄想分裂ポジション。
なんで会社にいるのかって全く考えられない。
会社にいないと給料もらえてないよねってことを頭から無視できると、
あのパンハラの上司がいるから俺の人生めちゃくちゃになったんだ。
100%そうなると非常に分裂的になるわけですよ。
こういう時は当然多責的になるんですね。
他の人が全部悪いと。で、怒ってばっかりいることになるわけですよ。
この怒りを全部でも封じ込めようとしてしまったら、大変なことになりますよね。
だって周りの人はご確認ばっかりなのに、自分は怒ることもできないんですよ。
そしたらもうガタガタ震えて、家の中から出られなくなるじゃないですか。
これが非常に危険な状態になるんです。
これだったら怒れた方がまだマシだって考えがあるわけです。
普通この状態にはならないです。
で、私たちはこういう風にポジションをあちこちチェンジするんですけれども、卒業はできないんですね。
だから怒ることは怒るんですよ。
その時に怒ってるってことをまず理解するという。
そしてその上でですね、その上で普通にこの歴史的な経緯を追えるように追えるはずなので、大努力はすると。
つまりなぜこの会社に行くのかと。腹が立つのにね。腹は立つんですよ。
手放そうとするのはいいんだけど、手放そうとするということは怒りを忘れ去るとか切り捨てるってことではない。
マネジメントするんでもないんで。
アンガーマネジメントで90秒数えてその間に怒ってない自分を取り戻すっていうのは良いかもしれないけど、それは怒ってるってことですからね。
怒りを怒りを忘れたってことじゃない。
30:01
怒ってるんですよ。
で、怒ってる時は非常にさっき言ったように分裂ポジションに入って入って言いやすいんです。
入ってると思った方がいいです。分裂ポジションにいるから。
なんで自分がそこに行くのかっていうのが、厳密にはよく思い出せなくなる。
怒りでムラムラしてる時に、どうして上司に会いに行かなきゃいけないんだっけ、すっごい会社に入りたかったんだって思い出すの嫌じゃないですか。
思い出しにくくなってるんです。
心というのはそういうことをしてくれちゃうんですよ。
やっぱりこう、あなたにそんなに辛いんだったらそれを思い出さないようにしてあげるからってことになっちゃいやすいんですよ。
で、そうすると思い出しにくくなるんだけど、そこを頑張って思い出しつつ怒りというものを持っているんだけれども、それを自分に向けないと。
もちろん他人にも向けないと。
こういう努力をする流れの中で、例えばグッドバイブスの考え方っていうものが採用しやすくなるはずなんですね。
こういうことでもなかったら、わざわざ採用なんかしないじゃないですか。
手放そうともしないし、攻撃しまくってもいいんだったら攻撃しまくっちゃうじゃないですか。
攻撃しまくっててもいいって言われても多分できないじゃないですか。
上司に向かってめちゃくちゃ、めちゃくちゃ膜仕立てるってことは多分できないと思うんですよ。
そうするとそのエネルギーは全部結局自分に向いてしまうじゃないですか。
全部自分に向かって膜仕立てるってことになりかねないわけですよ。
あるいは家の中で上司をめちゃくちゃ責めさえ否む。
でもそれは自分が何やってるかわかっているので、気分は晴れないんですよ、やっぱりね。
というところで、ようやく以上を持ちましてグッドバイブスに入っていくっていう話の流れになるわけです。
いろいろあります。いろいろ本当にあるんですよ。
本当にクラズノさんが今日までいろいろなワークとか、今日のグッドバイブスとかで書かれていることは3桁になっていますから。
4桁にはなってないけど、3桁になってますからいろいろあるわけです。
それは直接そっちを当たってほしいと言いたいんですけれども、
これを聞いている人は続きをそのままこれで聞いてしまった方がてったり早いと思われるので、
手放すというのは抑圧するわけではないし、切り捨てるわけでも忘却するわけでもないんですよ。
マネジメントするわけでももちろんないわけです。
ただ方法論そのものはすげえ目新しいですとは限らないわけです。
さっきも言ったような理由で。
ただですね、私たち現代の日本に生きている私たちの全ての人の環境は違いますけれども、
おそらく少なくともウクライナに住んでいる人よりは過酷じゃないでしょう。
過酷ではないと思われる環境の中では、私たちは例えばですよ。
例えば、今の自分に文教をそのまま適用してもいいわけですよ。
33:04
こういう目新しさを僕は感じているんですね。
普通に考えると善の修行を積んでとかになるんだけど、それはここであればそうした方がいいです。
なぜならば突き詰めないとまずいからね。
突き詰めないと本当に命が危ういっていう状況になれば、
グッドバイブスの本を読んだぐらいでは一切はイリュージョンかもしれないとかはいけないんですよ。
すぐ横でドローンから何かが落ちてきますっていう状況では、
一切はイリュージョンかもしれないとか考えている。
そこをとことん考えるためには、やっぱり相当の精神修養のスキルがいるんですよ。
時間も必要ですし。
そして、とことんやらないと脇に打たれるぐらいはしないと無理なわけです。
だけども我々はそういう環境に幸いながらいないので、
平安というものを信じやすい条件があるはずですね。
こういう時にまめに、平安というものを信じやすい環境にいるというこの状況を利用して、
うまく活用して、本当に行かなきゃならないのかっていうのに対して、
むしろ少し環境に対して有利に、何て言うんですかね。裁判です。裁判ってあれですよ。
疑わしきを被告人の有利にってやつですよ。
どちらかと言えば、自分のイリュージョンの可能性を多めに見積もっておいてもいいんじゃないかって話なんですよ。
変だって話はわかりますよ。
そうは言っても上司が本当に責めてきたり、会社がブラックであったら危険じゃないですか。
つまり環境に要因が本当にあるかもしれない。本当に環境に対して起こらなければいけないかもしれないじゃないですかっていう話でしょう。
より深刻な条件というもの、再現性というものに対して、あるいはその自分のイリュージョンを疑ってばかりでいいのかというのは、環境の厳しさについて言ってるわけですよね。
確かにそれはそうなんですよ。双木ほど恵まれてないかもしれないですよ、私はっていう話ですよね。
双木は恵まれてるからそういうことを言って、イリュージョンを疑っておいて、怒りを解除してもいいかもしれないけど、私はダメなんですって話ですよね。
この種の話で議論になるのはそこしかないと思うんですよ、私は。私の環境はもっときついんだ、それはその通りだと思う。
ただ、でもこれを聞いていらっしゃる皆さんの環境は、多分ですよ、多分優しくほどじゃないと思う。
だから、つまり、今怒りを解除しても、命に別状はないですよねってことなんですよ。
何か問題は発生するかもしれないですよ、でも命に別状はないですよね、ここが昔の仏教とグッドファイブスの違いなんですよ。
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仏教は命に別状があった中で釈尊が考え出した、これはイリュージョンかもしれないんですよ。
すっげえ無理があるんですよ、もともと。だって釈迦族って水川さんの漫画にもありますけど、高皿国に滅ぼされますから、みんな殺されちゃうんですよ。
その中でもこれはイリュージョンかもしれないっていうふうに仏陀は考えられたんですよ。
クラノンさんに同じことができなくてもいいだろうって話なんですよ。
それは、とりも直さず、我々にも同じことができなくていいだろうって話なんですよ。
我々はイリュージョンかもしれないと疑うことによる危険が、釈迦族ほどは絶対ないと思うんですよね。
分かんないですよ。あなたの置かれている環境はそうなのかもしれない。
今すぐこの警戒と防御を解くとね、はちまち釈迦族みたいな目に合わされる環境に日本にいるにも関わらず運悪くそうなってるっていう方もゼロではないと思います。
でも僕が思うに多分そうじゃないと。僕自身は全然そうじゃないしね。
解除すると、もし環境が平和であればめちゃくちゃいいことが起こる。
例えば私で言えばジンマシンが一斉に効くとかね、ということが起こったわけですよ。
で、解除したからといって私は当然なんだけどね、これが難しいところなんですよ。
でも我々の大能っていうのはある種現実を見せる天才なので、天才っていうのかな、すごいシステムを備えているから、
だから変に全く何にも起きてなくても静電気がパチッとなるし、もちろん充電十分のMacBook Airを触ると同じ現象が起きますよ。
これは現実が背景にあるクオリアと現実が背景にないクオリアが全く同じものが作り出せるっていう凄まじさなんですね。
それが脳の凄さなんですよ。だから本能と隔てられちゃうんですよ、我々は。
現実がバーチャルのリアリティに囲まれているにも関わらず現実だと思い込むから。
だから我々は起こらなくていい条件に対して怒っちゃうわけですよ。いいんですよ、でもそれは。
しょうがないんです。脳のシステムが凄まじいから、しょうがないんですよ。
しょうがないんだけど、この怒りを解除したら絶対ダメだって思うかもしれないけど、大丈夫なんですよ、多くの場合。
なぜなら日本は平和だから。
言うほど平和じゃないじゃんっていう話をここでしない方がいいってことです。
というかここでその話をする前に一旦解除するということをやってみましょうってことです。
しかもその怒りはほぼ確実にやっぱウクライナにいる人たちほど強く大きく持っているはずはないんですよ。
なんならば多分、そうだな、昭和最後の頃のブラック企業もなかなかすごかったんで、
あれなんですよ、マブルキって結構ブラックなところはどんどんブラック化していくってところがあるんで、
そういうところにいる人に比べてもですね、多分今の我々は怒りを解除していいだけの
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環境的な条件が整ってると思うんですね。
環境は要するにいいってことです。
ここはどこまでも平行線をたどれるんですよね。
そんなことはないんだって言われれば、どこまでも言えてしまう。
この解除が難しいっていうのは確かです。
なぜならば、脳のバーチャルリアリティの出来がいいからですよ。
素晴らしく現実そっくりに模倣できてしまうので、人間の見る現実ですけどね、
非常にカラフルで、非常に質感が良くて、
どう考えても嘘だとは思えない、完璧なマトリックスの世界ですよ。
だから我々は解除できないんですよ。
恐れと不安と怒りがね。
だけれどもその目はおそらく小さい。
バーチャルだということをどっか知ってますからね、脳は自分で作ってるんで。
小さいので、小さいうちに目をつむ。
ならば、小さいうちにプラズマさんに相談する。
小さいうちの方がいいんです。
カウンセラーもよく言う、これは。
いざという時になったらカウンセラーを頼ろうと思っている人が多いようだけど、
いざという時になると、我々ができることはむしろ少なくなります。
これは非常に大事なポイントだと思います。
だけれども逆になりやすいんですね。
これ昔、医者でもよく言われてたことです。
取り返しがつかないようになってから、うちのところに来るんじゃなくて、
検診受けましょうって話ですよね。
怒りの目は小さいうちにつむ。
そういうことはないんですよ。
住みやすいからね。
だってそうじゃないですか。
最近、共同診験の問題が非常にテーマに上がってますけれども、
それやっぱり何年も何年もDV受けてきた人が、
共同診験の法案が通る時に見る光景と、
ほぼそういうことのなかった家に育った人が見る光景と、
じゃあ絶対違いますよね。
どっちが現実的かって話をしても、
さっきから私が言っている通り、必ず平行線をたどるはずです。
見えるものが違うんで。
見えるものというのは脳が見せるものですから。
今日ですね、大橋劣法さんが主催されているフォローアップ会というところで、
私が今置かれている原稿の状況と本をぶっちゃけ話してみたんですよ。
やっぱり皆さんの反応を拝見していると、
あくまでも画面越しの拝見ですけれども、
拝見していると、やっぱりこの種の議論はなかなか平行線だなと思います。
一人一人が見る現実は全然違う。
置かれている現実の過酷度、僕はそう違わないと思います。
僕のはゆるゆるですが、
そうは言っても、私の周りにいる、
例えば大橋劣法さんが私よりは過酷な状況にいたとしても、
ロシアにいるわけじゃない。
やっぱり同じ日本にいるはずなんですよ。
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一人一人の方がひどい目に合う、ひどい目に合う、
そのひどい目というのも、
私が思うに私が合いそうな目と大して変わらないと思うんですね。
これをどれぐらい深刻度、どういう尺度で見るかによって、
その過酷さというのは違ってくると思うんですけれども、
だからといって我々が脳が見せるものから完全に解放されるとは思わないですよ。
精神分析がポジションといったのは言い得てみようだったと思うんですね。
私たちはサードのポジションに入ることもできれば、
ライトのポジションにつくこともできる、
全然違うポジションだけどできるんですよ。
高谷翔平がやってるじゃないですか。
ピッチャーになってみたり、ガイアンを守ってみたり、
指名出しになってみたり、ポジションを簡単に変えられるんですね。
ステージじゃないってことなんですよ。
我々は大脳の見せるイリュージョンに対して怒ったり、
ブルブル震えたりするというのが、
それがそう言われると滑稽だと思って、
自分が滑稽だと思って腹が立つってこと自体もイリュージョンだし、
そういうイリュージョンを必ず見るんです。
だから多分ですよ、
倉園さんはGood Vibesであんなにも慎重に、
ここにステージを持ち込まないってことと、
指定関係を極力廃するってことと、
宗教的にしないっていう風にしていらっしゃるんだと思うんですね。
これは非常に現代日本的なんですよ。
禅官とかの時代じゃ無理なんですよ。
指定関係にするしかなくなるんです。
そうしないと危なくてしょうがないんで。
そして多分何も学ばないうちに死んじゃったりするんで。
そういうことになるから、
シャクソンとかも耳に栓詰めて、鼻にも栓詰めて、
呼吸が一瞬止まった瞬間にもう頭発狂するぐらいの
苦行とかを彼はすることになったんですよ。
8日間飲まず食わずの断食して、
あのガンダラ芸術にあるみたいに骨と皮だけになっちゃったりもしてる。
ほんとね、彼があのまま死んじゃったら大変だったわけですけど、
仏教ないからね。
でもそういうのって多分誰か別の人が
研究院のところ発見したりするんでしょうね。
我々はあれを彼のような目にあってまで見抜かなくてもですね、
空なんだよって言ってくれたから、
空なんだなと思っておけるだけの環境にあるんです。
見抜けるだけの環境にいられるってことなんですよ。
そうすると、
そうだな、
見るものの10割が空じゃなくていいわけですよ。
3割空だと思えれば、
3割は空なんて間違いなく、
だって僕らクオリア見て生きてるわけですからね。
3割空だと思えれば、そして現実が過酷でなければね、
平安でいていいはずなんですよ、という話なんだと思います。
ご清聴ありがとうございました。