2025-04-23 53:17

問題を解決したい?

3チャレの基本方針を改めてまとめました。
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https://stand.fm/channels/658790a07376b3f9361fc70f

サマリー

このエピソードでは、3ヶ月チャレンジの進行状況と方向性、さらにコミュニケーションツールとしてのDiscordの導入について語られています。また、問題解決思考や現代の働き方の変化に関連するさまざまなテーマが展開されています。問題解決のアプローチとして、個人の思い込みや罪悪感が心の苦しみに与える影響が探求されています。さらに、ブリーフセラピーやタスク管理が心の平安に与える寄与についても考察されています。このエピソードは、問題解決のアプローチに焦点を当てており、特に環境マネジメントや個人の認知の変化についての議論が展開されています。夫婦関係の課題やコミュニケーション、ラポールの重要性についても言及されています。問題解決思考や心の苦しみの取り扱いについても議論があり、特に行動することが必ずしも心の苦しみを軽減するわけではないことが強調されています。問題を解決するためには、自分の心の苦しみと向き合う必要があり、特に幼少期の記憶がその影響を与えていることが強調されています。

3ヶ月チャレンジの概要
おはようございます。人生相談のための精神分析的ラジオ。
今回は、封別説明会みたいなものなんですけど、3ヶ月チャレンジというものの10期において、
また今後3ヶ月チャレンジでこうやっていこうみたいな方針を何となく話すという回で、
投資番号関係でこういうことをやっているということのほかに、
5月から始まる3ヶ月チャレンジ、間もなく募集終了とさせていただきますけれども、
事前にこういう方向性でやってますよということだけをもう1回かけてお伝えしたいと思いました。
説明会の総集編みたいな。なんだかよく分からないですけどね。そういうものです。
いろいろとね、最近山崎隆さんのYouTube動画を拝見したりしておりまして、
またつい昨日ね、新井さんとの対談もアップさせてもらいまして、
頻繁にこれについて考えているわけですよ。
とはいえ、枠組みはもう固めましたし、一応これをお伝えしておこうと思ったんですけど、
Facebookグループで長らく3ヶ月チャレンジは9期までですね、運営しておりました。
これを10期以降はDiscordに全面移転しまして、
もうDiscordしか基本的には3ヶ月チャレンジはDiscordでやるということにします。
連絡手段はですね、別にメールであろうと、ご希望であればですがLINEであろうと別にいいわけなんですけど、
これをなるべくDiscordに集めた方が間違いはないなと、私は何しろうっかりミスをする人間なんで、
Facebookのメッセンジャーとかからもそこに皆様集中的にしていただいていたので、
ちょっと悩んではいるものの、アカウント2つも3つも改めて取っていただくのは申し訳ないので、
DiscordもFacebookも自分普段はアカウント持っていませんという方もいらっしゃると思うんですよね。
だからなるべく1つにしようとは思っております。
Discordはもう絶対アカウント取っていただかなければならなくなりますので今後。
これはですね、やっぱりチャンネル横断できるというのがすごく、非常に実はいいんだなということを知ったというのが、
Facebookの場合チャンネルの横断とかいう概念がそもそもないんだなということを、
グループを作りまくればいいんですけれども、多分わけわかんなくなっていくと思うんですよ。
Discordはそうは決してならない、まあなりにくいですよねすごくね。
全然見え方が違うんで。
あと、権限といっても結局三角チャレンジに入っているか、それとも入っていないかぐらいの、
入っていないんだけどもDiscord扱うみたいな、そういう権限しか実質ないですけれども、
細かく分けるというつもりはないですけれども、
それでもですね、見やすいことは間違いなく慣れてしまえば見やすいので、
Facebookは下の方にスレッドが行ってしまうとこれを大きになるかというと、
とてもならなくなってくるよねという、
3ヶ月前だって結構大変だなというふうになりますんで、
業務連絡しか見ないよという方だとしてもですね、
それでも毎週毎週、今週グループセッションいつですみたいな、
まして今度から2度ずつになるのでですね、
これはもう早急に何とかしなければ、
多分Facebookやってると見落とされるという方が後を絶たないのではないだろうかというか、
後を絶たないってことはないにしても、
新しい入ってきた方は多分メインクラウンではないかと思うようになったんで、
今回からやっぱり頻度を増やしますからね。
その関係で早々にというか全然ゴテゴテに回ってたんですけど、
回すことにしました。
合わせてですね、結局5期に間に合わなさそうなんですけど、
10期に間に合わなさそうなんで5期が出てきたんですか、
10期に間に合わなさそうなんですが、
問題解決思考の考察
ホームページも用意しますんで、
これで何とか体制が整うかなとは思ってます。
何の体制なんだよっていう気もしますけれども。
私この説明とかもノートとかも変容すればいいんでしょうけどね、
なかなかそういう感じになっていかないのはですね、
昨日も話した通りそもそも読まれるのかって話もあるんですけど、
もう一つ上がってきました。
これは他の手法を取ってないということとも、
つまり精神分析にすごく寄っているということとも関係があるんですが、
これはもう私の見解の浅さなのかもしれないんですけど、
だからおいよい、それこそスキーマ療法とかブリーフセラピーとかも
勉強しようと思ってます。
で、もう滅多にそれを懐賃と言いますか、
心理臨床やってるわけじゃないからってのは本当あるんですけどね、
あるんですけど、別にいいんですよ。
1ヶ月だけという方はいらっしゃらないにしても、
3ヶ月だけで終わりますという方もいらっしゃるでしょうから、
でもそこに無理やり分析的なことを入れなくてもいいんじゃないかという風に
思うことはあると思うんですよ。
すでに分析的にやってる方は、
分析の話題に十分入ってる方はいいとして、
ただグループセッションがあるから、やっぱり急に今回ちょっと
ブリーフセラピーの話しますねって、それもいいのかもしれないんですけど、
これは何を言ってるかというとですね、
ここは難しいなと最近思うようになったんですよね。
山崎孝明さんがイベントの度に、
ものすごくアンビバレントな感覚、感情のお話しされるなと思いつつも、
やっぱりYouTube動画で無料で開陳されてるのは、
ほとんど精神分析の話だというこの事実がですね、
物語ってるなやっぱりと思うんですよね。
問題解決思考という言葉がありますけど、
3ヶ月チャレンジだっていかにも向いてそうじゃないですか、問題解決思考。
問題の解決ができればいいじゃないですか、という話はあるわけですよ。
で、私はその極端な方にいたわけですよ。
ライフハックって問題解決思考以外の何者でもありませんからね。
まさに問題解決思考なんですよ。
しかもそこに何の疑問も抱かれないという方も、
世の中には今多数派だと言っていいぐらいの、これってすごいことですよね。
これはある種の宗教ですからね。
問題解決が人生で一番大事なんだっていうのは一つの宗教ですから、
別にそんなことを神が言いましたとか、
神が問題は解決しなさいとか言ったわけじゃないじゃないですか。
そんな宗教一つもないですよね。
つまり人生で一番大事なのは問題の解決ですよとは、
別に誰もそんな哲学者がそれ言ってるって話もあまり聞いたことないし、
宗教家も滅多にそれを言わないし、
でも世の中にはそれが広がってるわけですよね。
自然と、ある意味自然とですよね。
個人主義とかありますよ。自由主義とか資本主義とか。
でも私、資本主義教大好きですとかっていう人、
あんま聞いたことないじゃないですか。
私は背筋教ですみたいな、お金拝んでます毎日みたいな。
あんまり聞かないんですよ、僕はね。
多分真面目にそれが言える人って少ないと。
だってこれ代わりに、私毎日聖書読んでますっていうのは、
確かに宗教色強い感じはしますけど、
まあ普通に聞けるじゃないですか。
私毎日お金拝んでますっていうのを、
これと同じぐらいの真面目さで言ったり聞いたりできるかっていうと、
私はこれはなかなか難しいと思うんですよね。
問題解決志向っていうのはすごいですよ。
これが一つの価値観として、
昨日ニュース2スリーというですね、
まあうちの奥さんが好きで見てるからいつも一緒に見てるんですけど、
ニュース2スリーのその、なんだっけな、
静かな退職とかいうのがやってたんですよ。
まああんなのは別に名前をメディアがつけるんでしょうね。
静かな退職なんて言葉、僕聞いたことないし、
今広がっている静かな退職とか言ってるんだけど、
あれは昔で言う窓際族であって、
今ではちょっとそれをかっこよく若い方がね、
もし会社にもう全力全振りしてもしょうがないんだっていう、
三宅さんって方だったかな。
あれ万葉集の確か研究家だったと思うんですけど、
今はもう売れに売れてますよね。
なぜ仕事をしていると、なぜ働いていると本が読めなくなるのかみたいな。
僕は働いている時の方がやや本を読んでいて、
働いてない時は本なんか一切読まなかった気も。
つまり働いてる時は電車に乗るから本読むんだけど、
電車に乗らなきゃ本なんか読まないよなっていう話だったんですけどね、
僕の中では。
僕は別に万葉集とかに詳しくなれるほど、
自分の方が大好きな人間じゃないって実際のところは。
全然スマホをいじってる方が楽しいじゃん。
それ別にそんな不思議なことではないと僕は思うんですけどね。
本ね、そんなにまでして本読むかって言われても困るなっていう感じが。
でもあれが飛ぶように売れてるというのは、
ある種の罪悪感を刺激するんだろうなぁと思うんですけどね。
別にいいじゃんねって感じがしますけどね。
好きなもん読んでゲームしてればいいじゃないですか。
なんで本じゃないといけないという。
これは本当なのかな。
本当に本ってそんなにいいんですかね。
すごい僕は疑ってるんですけどね、そこのところはね。
フロイトの本とか僕2週ぐらいは一応してるんですけど、
あれじゃ分かんなかったですもんやっぱり。
僕完全に誤解してましたからね。
分かるようになるのに結構YouTubeっていうのに助けられた部分はありますからね。
YouTubeはもうちょっと別の方向で頑張ってほしいところあるんですけどね。
難しいですよね。
あの本当にこう実際に例えば藤山直樹さんの
なんか落語について喋ってる不思議なYouTubeの動画とかがあるんですけど、
ああいうの大事だと思うんですよ。
この人を見たこともないっていう状態で精神分析理解するのは
非常に困難だなっていう感じがしますね。
人となりっていうのがものすごくものを言ってしまうんですよね。
やっぱりね。
その俗人性が強い発想なんだなっていうのを感じますね。
ちょっと今の余談でした。
その三宅さんもやっぱり会社に忠誠心丸出して
善振りしちゃいけないんだよみたいなことをニュアンスとしてそんな感じだったんですけど、
まあどの程度それテレビで喋ってることだから分からないんですけどね。
でも何でこの静かな退職って発想になるかっていうと
コストパフォーマンスって言葉がパッと出るんですけど、
コストってのはその場合労力とか時間って意味ですよね。
それはコストなのかなって感じがまずするのと、
パフォーマンスって言葉に何を意味してるんだろうな。
給料なのかなって感じ。
だからより少なく短く働いて、
ギリギリのお金をもらっとけばいいから静かな退職って言うんでしょうけど、
どう考えても窓際族とかね、
昔働かないおじさんとか言われている話と何にも変わらない。
昔あれ本当にもう死後ですけど今となっては新人類なんて言葉があって、
僕らの時代も白家世代、もうちょっと前なんだと思うんですけどね、
言われたりしていて、
とにかく会社で残業とかはしないし飲み会とか行かないし、
そんなのは平成になる直前ぐらいでも全く同じ話あったんですよ。
なるべく少なく働いて、
ギリギリ給料をもらっておいてそれでいいじゃんっていうやつですよね。
絶対あれがですね、全体を覆うことはないんですけどね。
なんかすっごい合理的で、いやそれ賢い生き方だよねみたいな話にもなるんだけど、
一方で絶対24時間働きたくなっちゃう人っていうのもいて、
簡単にこういう話が決着したのは見たことがないから、
こういうのもそういう話がありますよねっていうことだよなと。
逆に全員が全員24時間働きたくもならないんですよ決して。
みんながリゲイン飲んでますって話は聞いたことがないんですよね。
絶対飲みたくないですって人はいるんですよ。
そういうもんですよやっぱり。
人間違うんでね。
自分のこの番組では長寿がのルールって言ってますけど、
自分の長寿がのルールは全世界のルールであるっていうふうに思うんですよね。
思った時に私は神経症水準ではこれを信じた時に苦しみがかなりマックスに近づき始めて、
すごく抑鬱的な自分を引き受けなければ。
だって全世界のルールと自分の長寿がのルールが一致するってことは、
そのルールは非常に厳しく適用されてるってことになりますから。
思い込みと罪悪感の影響
例えば自分がATMで後ろに列作った人は悪人であるってルールを信じてしまって、
しかも全世界の人がそう信じてるとなったら、
もう本当に後ろに列ができた瞬間に恐怖に囚われるじゃないですか。
だからこのルールをどの程度自分だけのルールだと思えているかどうかっていうポイントなんだと思うんですよね。
この話は3ヶ月チャレンジでは頻繁に出ることになったんですよ。
これはクラインの話をベースにして、僕が僕なりに理解して、
僕なりにビジネスの場で出てきそうな話で、
僕なりに言葉に直してるだけで、
結局のところこれは罪悪感と分裂の話でいいんですけれども、
そういうふうに言うよりは今みたいに身につまされないと始まらないので、
身につまされた時に何に身につまされてるのかっていうのが大事なので、
後ろの人は別に何とも思ってないかもしれないっていうか、
全然何とも思ってないケースもいっぱいあるんで、
僕昔も郵便、郵貯かな。
郵貯って1個しかいていないところあるじゃないですか。
一番前に並んでて後ろに列ができてるんだけど、
あるやっぱり女性の方がものすごく恐縮してるんですけど、
僕はずっとその時ロッテ西部線が満塁だったんで、
さよなら負けしないかと気が気じゃなくて、
列に並んでることはほぼどうでもよかったんですけど、
こういうことっていくらもあるんですよっていうことですよね。
私は別に列に何分並んでると全然気にならない。
上にその時は別のことに気を取られてたから、
もう全く腹を立ててなかったんだけど、
前の人はもう完全に僕に何かを投影してるんで、
私が怒ってることになってるわけですよ、
その方の頭の中で。
でも怒ってるかもしれないじゃんっていう言い方をされるときに、
つまり全世界の人が怒ってると思ってる方が、
身構えておけるから安心だって話になるんだけれども、
そんなことはないと思うんですよね。
全世界の人が怒ってる方が安心ではないと思うんですよ。
怒ってないかもしれないんで。
この話っていっつもそうなんだけど、
結局その人がどのくらい自分の長時間に囚われてるかによって、
この恐怖感の度合いは決まっていくしかないんで、
他の要因になかなか左右されようがないじゃないですか。
後ろの人が本当に怒り出せば別なんだけど、
後ろの人の本心を確かめる手段はない以上、
やっぱり本人の思い込み度なんですよね。
いくらも全く気にしないって人もいるんだけど、
日本ではそういう人は少ないので、いくらかは気にするけど、
このいくらなのかっていうの。いくらかはいくらなのか。
1から100の中では、やはりその人の苦しみは1から100なんですよね。
1の人もいれば100の人もいて、1の人は悪ですよね。
このシチュエーションに関わりが深い生活を送ってるならばってことになりますけどね。
だからどのようなシチュエーションでどんな罪悪感を、
どのくらいの思い込みの深さで実感していくかということが、
やっぱり私はその人の心の苦しみのかなりの部分を左右してしまうだろうと思うので、
この件についてはこだわりたいんですね。
ブリーフセラピーの意義
本当に怒ってるかどうかっていうのは、それに比べれば、
僕の人生経験の中では相当後ろに回るなって感じがするんですよ。
だって本当に怒られた回数と怒られるかもしれないという回数を比で表したら、
1000対1ぐらいに僕もなっちゃいますよ。
最近減ってはきましたけど、それでも10対1ぐらい。
10対1って1000対1よりは全然減ってますけど、でも10倍ですからね。
現実に怒られる回数より怒られるんじゃないかと思い込んでる回数の方がずっと多いんですよ、この場合。
だからそれ10分の1にはできますよねっていうこと。
怒られることと殴られることは全然違いますからね。
殴られたことって僕、実質ないに等しいんで、
殴られること対怒られるかもしれない恐怖みたいになったら、
1対1億ぐらいになっちゃうと思うんですよ。
そういう言い方をするならばですよ。
コストパフォーマンスみたいなこと言うならば、
9999万ぐらいは無駄になってるじゃないですか。
でもやめられないって話なんですよね、これはね。
そんなもんだから、そういう話をサンクリスチャレンジというところではしてます。
この話なんだけど、別にブリーフセラピーで解決すればいいではないかって話。
ブリーフセラピーってのは結局心理療法の中でも一番環境設定主義的なところがありまして、
問題を解決できるために使えるものは全部使いましょう。
そして短期で集結しましょう。問題を解決していきましょうというような方向なんだ。
なるべく環境を動かすという環境マネジメントに近い部分ですよね。
いわゆる心理臨床とか心理カウンセリングの話では。
いかにもライフハックでやってきたことのような感じがするじゃないですか。
でも本当にそうなのかって思うんですよね、私はいつも思うんですよ、これが。
表面的な理念はその通りかもしれないけれども、実際そうかって本当に思うんですよ。
山崎貴昭さんがCBTと精神分析について、まず問題解決でいけばいいんですよと。
まず心身症だったらまず体の検査をしましょうと。私もそれは同意なんですよ。
体痛いと言ってんのに、それは地球から出てきた時のまだ地球に残っていたいという苦しみなのかも。
これ大事なポイントなんですけどね、なのかもしれませんというよりは、
でもまず払板を疑おうと。まずパンの食べ過ぎについて考えようというのはそうだと思います。
そうだと思うんだけれども、彼だって本音のところで本当にそう思ってるかどうか結構微妙だと思うんですね。
いやそうじゃないだろうなっていう。それはCBTより精神分析だって思ってるってわけじゃないですよ。
この順番でやると思うんですよ。
まず身体、次に環境マネジメント、それでもダメなら力動的っていうこの基準、この優先順位は意識されてると思うんですけど、
でもYouTubeでいきなり話し出す、彼が山崎さんが無料で話し出すのは精神分析の話なんですよ。
決してCBTの話ではない。専門家ではないからっておっしゃるかもしれないけど、僕はそれだけではないと思うんですよね。
あのぐらい色んなものを一気にインプットして一気に理解を深めていくような方であれば、
たぶんCBTだって集中的にやって、CBTを本当に先にやるべきだって思っていらっしゃったら、
分かんないですけどね、これはね、その方じゃないと分かんないんだけど。
でもCBTの話をYouTubeで無料配信しても全然、
それは他の人がやればいいっていう風に考えるってこと、それ自体が僕はすでに力動よりの力動が働いているっていうか、
ややこしいですが、そういう風に考えるんですよ。
どうしてかっていうと、それは僕の勝手な考えで、彼の本心は全然違うのかもしれませんが、
でも私はそう感じるわけですね。
どうしてかというと、私がライフハックでずっとやってきて、ずっと表面上言ってきたことと、
現実に感じていることと、現実に僕が言っていることの乖離があるからなんですよ。
エフタさんという方と高梨さんという方が協調で書かれた仕事術図鑑、仕事術大全だった、仕事術図鑑だったと思うんですけど、要するに容量の良くない人のやつですね。
あれは、今ちょっと炎上したりもしていますけども、要するに発達障害の人、高梨さん発達障害カミングアウトされてますから、
タスク管理という手法を使うことによって、心の平和を保ちながら仕事をした方がフットワークも軽くなるし、パフォーマンスも上がるし、いいよっていう話なんです。
これブリーフテラピーに接続することは難しいことではないと思うんですよね。
まさに環境マネジメントすることによって、自分の心の平和というものを取り戻す。
その上で仕事をすると、実際それで成果も出してきたと、まさにブリーフテラピーのお手本みたいな話なんですよ、ある意味。
高梨さんはそれを実践されたし、一生懸命、一生懸命かわかんないけど、すごく誠実にその仕事をされてるわけですよ。
これでいいように思うんですが、ただですね、ここってことはそもそも環境マネジメントの話しかなかったわけじゃないですか。
ライフハックってそうじゃないですか。ところが目的は心に向かってるじゃないですか。
HSPでも繊細さんでもいいんですけど、要するにパワハラっていう言葉もありますけど、パワハラなのか、失績に対して過敏なのか、どっちであっても構わないから、
とにかく怒られるのは嫌なんだっていうところがまずあって、怒られるってことがもう自分にとっては致命的なんだっていうのがまずあって、
で、ちゃんとやっているし、ちゃんと成果も出すし、ちゃんとやろうという姿勢もこのタスク管理というものによって提示できるんだから怒らないでねってことなんですよ。
環境マネジメントですよね。で、確かにそういう環境が整備されたと思えれば、
自分はちゃんと仕事して成果を出せるんだってこういう立て付けになってるわけですよ。
これってでも環境マネジメントと言いながら目的はとにかく心の平安に向かってますよね。
だから僕はここを切り離すのがすっごい難しいなって思うんですよね。問題解決って言うけど、ここでは問題は解決されてる感じではないですよね。
環境の整備にとことん向かってる感じなんですよ。別だ問題がそこで、問題起きてるのかもしれない。
怒られたくない人が怒られるという問題、でもそれは可能性の話だし多分に抽象的ですよね。
タスク管理と心の平安
これと言って具体的な話ではなくて、ただ怒られたくない、怒られることが致命的に恐ろしいと思っている人が怒られかねない環境にいるという問題なんですよね、これはね。
それがタスク管理というものを提示することによって、私タスク管理というものをしてます。
これで結果出ますし、これはこれだけやってるんだから決してその静かな退職してるわけじゃないんですよと。
これは誠実な態度でしょうと、仕事をちゃんとする気あるでしょうと、そして仕事のパフォーマンスもちゃんと上がるんだから怒る必要ないじゃないっていうことで可能性の目を積んでるわけですよね。
僕はこれはブリーフセラピ的なのかどうなのかっていうのはブリーフセラピについての勉強がまだ不十分だし、だからしておこうかなと思ってるんだけど、
つまりですね、この方法論って心に向かっているわけですよ、僕の観点からすると。
で、どうしてもそこで気になることが一つ出てくるわけですよ。
なぜ怒られることがそんなにこの人は怖いんだろうと。
ここを問うか問わないかの分岐点なんだと思うんですよね。
ここを問うか問わないかがこの話の中にもあって、問わなくていいんだという。
山崎さんの言うところのCBTでまず行くっていうのも、問わなくていい時は問わなくていいじゃんという。
それは理念としてはそうだと思うんです、私も。
だから別にいいんだっていうスタンスは大事だと思うし、保っておきたいと思うんですよね。
ただですね、これは私の頼りだけじゃないと思うんですけど、
ここまで延べ、まあまあまあいいや、適当に10×9だとしましょう、適当にね。
9期までやってきた3ヶ月チャレンジで10×9で延べ90人。延べ90人×3ヶ月、かなりの日数ですよね。
やってきて、ことがそこで終わった試しがないよなと。
そこで終わった時はあまり満足されずに終わっちゃったなって感じがするんですね。
分からないんですよ、ここは。
確かに怒られなくなりました。タスク管理ができるようになりました。
すごくそれで幸せですってことで、終わるっていうハッピーなケースもあるんでしょうね。
あるんだろうなと思っておくしか僕にはないんですけれどもね。
私にはそうはならなかったってことがめちゃくちゃ大事なんですよ。
つまり何が言いたいかというとこういうことなんですよね。怒られなくはなるんですよ、ケースによっては。
ところが心が平安にならない。
私は相変わらず怯えているという問題が残ってしまったんですね、私にとっては。
私は高梨さんが要求する水準を遥かに先に行くぐらいタスク管理はやったと思うんですよね。
タスク管理という辺においては多分ここまでやらないと心の平安を得られない世では多くの人は全くこれを真面目に受け入れてくれないでしょうから。
私が言ったのはもう本当に24時間1分も余さず365日はつけられるっていうレベルまで入りましたから。
問題解決の視点
そしてそこにおいて自分比ですけどミスは100分の1ぐらいまで下げられるってところまで行きましたからね。
だからここまで来ないと発達障害の人にとって心の平安は無理なんですとか言っちゃったら多分ダメだと思うんですよ。
そんなものは受け入れられないと思うんですね。
でも私はそこまでやったんで、ここまでやっても私はちっとも心の平安ははっきり言えば1ミリも増えてないっていうか1ミリも心は平安になってない。
つまり問題は解決されてないんですよ。
表面的には怒られた、つまり僕は怒られたくなかったわけではないんですよね。
怒られるのはものすごく致命的だと思ってたんだけど、実は私が本当に問題にしてるのはそういうことではなかったんですよ。
これは散々言っておいてなんだって思われるかもしれませんけど、僕もこの番組で1000回のうちの100回は100回から300回ぐらいは奥さん恐怖症みたいなこと言ってましたし、
それは嘘だったわけではないんだけれども、環境マネジメントってこの場合すごく微妙になるじゃないですか。
そこまでやっても怒る奥さんなら別れましょうみたいなことをマネジメントだけでブリーフにやるならそうなのかもしれないけど、
いやだって子供と別れたくないもんみたいなのがあって、環境マネジメントってこの場合何を意味していくんだろうと。
奥さん変える?あるいは奥さんの気持ちを変える?
これがどっちもできないならば結局自分が変わるって話になるじゃないですか。
この自分が変わるってことを極力しなくていいんですよねって話に戻っていくんで、結局この環境マネジメントの話って、
例のそれは社会問題なのか心の問題なのか問題にじわっと近づいてるんですよ。
そんなことを短いセラフィーの間で問題にもそもそもしてないのかもしれないけど、環境いじるってそういうことですよね。
やっぱり環境の側に問題があるって言ってるわけじゃないですか。
環境とその人の間に問題が関係性とか言うんですけど、関係性って言葉がこういう学術用語にすらなろうとしていることに、
なんかこうもにょっとそれこそする、もやるってやつ?はっきり言って。
関係だろそれ、関係性じゃないだろって思う。
関係性ということで一段中小化してるつもりでいるのかもしれないけど、そもそもそれは関係という中小概念じゃんって思うんですけどね。
自分と環境の間の関係を調整するわけでしょ。
関係性を調整するんじゃ、関係性でもいいのかもしれないけど、なんで関係性なんだよって思わなくはないですけど、
少し心に寄ってるとでも言いたいのかな。
わかんないですけどね。
リレーションシップなんじゃないですかね、英語では。
リレーションシップモードとかじゃないと思うんですよね。
リレーションシップライクとか。
変じゃないですかそれじゃ。
書き上げ塾みたいなことを言ってますけど、
性感対敵はですね、極力取るべきですよね。
取れないものまで頑張って取らなくてもいいと思うんだけど、
具体的と中小的はちょっと敵取ると感じが違ってしまうというのはあると思うんですけど、
本当になんとか感とか恐怖感、恐怖でしょっていうか不安感に至ってはまして不安だろうって思うんですよね。
不安感って、もともと不安は感なんですからって思うんですが、
関係性って学術雑誌に出てくるもんな最近って。
関係だと思いますけどっていう感じが余計なお世話ですけどね。
とにかくブリーフセラピーでは私と環境の関係性を調整する。
分かりますよそれは。
でもそれってやっぱり僕は環境マネジメントになっていくだろうな、
現実的にやるとなるとなって感じがするんですよね。
だって認知も変えるってなったらそれはただ短い認知行動療法じゃんって感じもしますしね。
何かをこっち側もその人自身も何かを変えるっていうのでは、
やっぱり10回ってのはすごい難しいと思うんですよね。
無理あるよなって感じがします。
私はブリーフセラピーの方が難しいんですよ。
なぜなら私には構造化された組織力みたいなものは何もないからですね。
手持ちでできるだけのことをつったって僕は会社に働きかけられない。
何かの調整もできない、リファーもできない、何もできないんですよ。
僕にできることはやっぱり観点というものだけなんですよね。
もちろんハラスメントだと言ってるのに対して、
いやそれはあなたの認知が歪んでるんですというつもりは全くないんですよ今ではね。
昔は何か一生懸命その辺も探ってたんだけど、
これはみんながただみんなをよほど許容量のある人じゃないと、
そんなのは受け入れていただけるはずないから、だからラポールって話になるんだけど、
ラポールがあったとしてもですね、そんなに簡単にそういう話が受け入れられるはずないんですよね。
夢とコミュニケーション
奥さんとの関係で、夫婦関係学のアツさんが苦慮されてるところですよね。
あの方は基本的にやっぱり旦那さん向けに発信されてますけど、
奥さんがどんなに悪くてもあなたが代わりましょうって、
あれはここをギリギリどういうかみたいな勝負になってる。
実際の話になったらそこを一層、あれよりも遥かにセンシティブにそこをやっていく。
だって本当に奥さんがめっちゃ暴力的かもしれないんでね。
それはわからないわけですからね。
ただ、ここが野良カウンセラーの泣きどころの一つなんですよ。
何にも援軍を頼む背景を持ってないから。
だからグループセラピーを標榜されてる方もいればいいのかもしれないけど、
でもこれも精神分析家の方がよく苦労されてるように、
例え両親設定を、家族両方を設定したとしても、
お父さん来ないよって平気で言うんだよ。
お父さんとかは、昔は特に父親は面接室のところまで送りには来るが、
面接室には決して入ってこなかったって。
これ自体が力動的な問題だろうと思うんだけれども、
とにかくそういうことは起きるわけですよ。
ましてこの奥さんがめちゃくちゃ問題があるんで、
ここに奥さんも連れてくるんで、
お説教してやってくださいって言いたくなると思うんですよ、
アツさんとかには。
でも奥さん連れてこれないでしょ、そういう人にはなかなか。
だから結局外に問題があるのか、
私の心に問題があるのかではなくて、
心しかいじれるものないじゃんっていうこと。
心しか扱えるものがそもそも、
ここに来てるのはあなただけですし、
マッサージもできなければ、
ハグもするわけにいかない私の立場として、
私はましてオンライン越しですから、
私にできることはコミュニケートだけなんですよね。
コミュニケートだけでパワハラの上司のありようというものを
変えるなどというのは、
そしたらもうオカルトになってしまうんで、
こういうわけには3ヶ月チャレンジみたいなサービスでは
絶対にいかない。
絶対にいかない中では、
認知ぐらいは何とか調整をかけていただくより他、
しようがないんですよね。
それは嫌だっていうところからスタートするんですよ、
この種のものは原則的に。
私が変わらねばならない筋合いは一つもない。
世の中変わらなければいけないんですって言いながら
来ているのはその人だけなんですよね。
世の中の一部ですけどね、その方も。
世の中を変える力がない人のところに、
ただ一人の人がやってきて、
使える手段はコミュニケーションのみで、
でも悪いのは世の中なんですよ。
このたてつけから始めるしかないんですよね。
このたてつけから始まって、
でも結局のところは心のって話になってくるんだけども、
僕はですね、そこでやっぱり認知を変えるとか、
環境マネジメント、慣れるだけのことはしますよ。
だから最大のマネジメントの一つが、
これも非常に不思議なんですけれども、
弱っているその人がここで休めるっていうような、
メタファーですけどね、これはね。
もうちょっと違う。
でもどうせ精神分析だってメタファーですからね。
カウチが母の腕だって言ったって、
メタファーに決まってるじゃないですか。
椅子は椅子であって、お母さんの腕ではないんですよ。
でもその人の感覚想起なんですけれども、
昔子宮の中にいた感覚もその人は持ってるだろうぐらいの
想定を精神分析はしています。
だから世の中にいろんな人がいるだろうって言われても、
でもお母さんの子宮にいなかった人はいませんよねっていう前提を持ってるわけですよ。
だからそこにこだわるんですよ。
未来は千差万別でどうにもこうにもならないから。
まだ来てないし。
でも過去はどうにかこうにかなるじゃないですか。
例えばその人はまず間違いなくお母さんから生まれたであろうと。
今お母さんが生きていらっしゃろうとどうであろうと。
お母さんから生まれたことは間違いなかろうと。
で、今いなくてもいても一人の父親というものがいたであろうと。
父さんが血のつながったお父さんが二人いますってことはまあ考えられない。
将来は知り、未来は分かりませんが現在は考えられない。
子宮にいたことがあるだろうと覚えてないでしょうけどね。
だから夢で子宮から出たような夢みたいなものをメタファーとして見るってことは起こりうるよねと。
こういうふうに見ていくのが多分結局力動的ってことになると思うんですよね。
精神分析的ということに。
やっぱり私は精神分析はやっていないから夢の報告というものは必須だと思わないし、
する人としない人と言いますよね。
でもこの人夢の話は決してされないなっていう方と、
この人はまだ一期目なのにもう夢の話が3回目だなっていう人はいらっしゃる。
そしてなぜ前者は精神分析的にはまずい感じがあり、
まずいとは言ってないんですよ。
精神分析で夢の報告が出ない分析はまずいですとは言ってないです。
でも藤山直樹さんはほぼほぼまずいですと言ってます。
夢の話が全く出てこないということは何かまずいことか。
これは精神分析だからですよ。
リアルに空間を共有しカウチというものを使っていて、
しかもきちっと定められた時間、おそらくシュース4回ぐらいあってるって方が、
夢の話を一切しないのはまずいっていうのは、僕はもうその感覚はわかる気がします。
そんなことはきっとないはずだとは思いますが、
僕はそういうことしてないんで、
オンライン越しだし週1回だし時間もきちっとは決めてないし、
しかも精神分析じゃないんで別に夢の話が出なくても全然いいんですけど、
ブリーフゼラピーで夢の話とか多分問題にならないと思うんですよ。
もちろん使えるものは何でも使うんだから夢の話だって使うし、
夢が出るってことはそれこそ関係性なるものは間違いなくそこに発生してる。
人に夢の話しないですよね。
私たちは例えばガチッとした感じのエンジニアで気難しい上司とあんまり喋ったこともなくて、
いきなり夢の話とかすると絶対怒られそうじゃないですか。
しないですよねそういうことは。
だから関係性というものはすごくこういうところに出てくるんですよ。
夢の話ができるかできないかというのは、
警戒心というものをよくよく表していると思うんですよね。
で、私は力動的にここも考えちゃうから、
その前にそもそも夢の話をできるためには、
夢を見たという意識を持たせる必要が無意識側にあるというふうには思いますよね。
つまり、あなた、私はって無意識を持ってるとしましょう。
そういう擬人化は無意味なんですが、
私はこの人に夢を覚えさせておくのが不安だ。
この人の精神の安定上、この人に夢を見させる。
夢は見るんだけど、夢を見たという記憶は消しておこう。
っていうふうに処理されてしまうことはあり得ると思う。
で、まして人に喋らせないようにしておこう。
っていうふうに処理されている可能性はあると思うんですよね。
これがまずいことが起きているっていう、つまり警戒が解けてない。
ということはつまり分析家のことを信頼できてないと。
ラポールの形成が不十分だってことですよね。
で、そういうことは当然あると思うんですよ。
1年2年と会っていて、何でも話せる先生は本当信用できますって言っておきながら、
夢の話は一切しないっていうことは本人も気づいてないと思うんですよね。
問題解決思考の探求
で、こういうのだって、僕は3ヶ月チャレンジと今では射程圏だと思うんですよ。
これそのものを取り扱わないにしても、こういうテーマで話をするということはありだと思うんですよ。
別に私に夢の話しなくてもいいってことなんですよ。
例えば旦那にはするとか、実家で親にはするとか。
それも、あ、そういえば最近奇妙な夢見たんだけどみたいな話はできる人がいると。
こういうことなんですよ。いればいいんですよ、別に。
それはその話をする相手が私でなければいけないということはないんですよ。
これは本当は分析の場でもそうだと思うんですよ。
でも、外して分析に行ってるような方は、孤独っていう問題では悩まれていますから、
だから夢の話が分析家に対して1年経っても1回も出てこないというのは何かがあると考えるべきだろう
っていうような話だと思うんですよね。
私はそういう話を知っときゃいいと思ってるんですよ、別に。
ただ問題解決思考っていうのは、私はですね、やっぱり3カ月チャレンジというサービスの性質上なのかもしれませんけれども、
心の苦しみと解決
これが僕の言うところの情報なんですが、問題を解決する思考というもので問題を解決していきましょうねと。
問題が解決するということは、しかし人は望んでないんですよね。
多分。よくタスクシュートで批判されたんですよね。
タスクシュートを人はしたいわけじゃないんですよ、佐々木さんと。
それによって問題を解決したり仕事がしたいんですよ。
私は言ってることは最もだと思うんだけど、信用できないなってよく思ってたんですよ。
そういうのはつまり、人は別にタスク管理というものをしてまで仕事をしたいとか問題を解決したいわけではないんだと思うんですよね。
ああいうツールを使う時というのはですね、やっぱりそれこそ関係性に問題があるんですよね。
ブリーフセラピーで言うところ。
関係性に問題があるというブリーフが、ブリーフセラピーがセラピーだというのはどういうことなのかと問題を解決すると言っておきながら、
コーチングとかではなく、ライフハックというものでもなく、仕事術でもなくて、いわゆるソリューションの何かでもなくて、そうではなくて、
つまり製品紹介とか製品の提供でもいいわけじゃないですか。
問題解決が目指すところであるならば。
最近、虫の実家で真空ラップっていうものを買ってたんですよ。アイリス大山さん。問題解決的な会社さんじゃないですか。
魚とかにピッとやって真空にしてくれるとかそういう感じなんですよ。問題を解決してくれてるじゃないですか。
ジップに入れると空気が入るじゃないですか。そうすると悪くなるの早いじゃないですか。
虫の奥さんとか怒るわけですけど。で、そういう問題解決だったら商品とかでもいいわけじゃないですか。
別に僕はブリーフセラピーは商品の紹介でもいいですよっておっしゃると思うんですよ。
なんですが、そこで目指されているのは問題解決ではないと思うんですよね。問題解決だったらタスク管理もタスクシュートもいらないと思うんですよ。
結局これは心の苦しみを取り除くためにセラピーをやってるわけですよね。
じゃなかったらそれは製品でいいことになると思うんです。やっぱりそれがセラピーになってるというのは問題解決志向と言いながらやっぱりカウンセリング志向なんですよ。
家庭環境と成長
心の苦しみを取り除こうとしてるわけですよ。で、そうなってくると私は取り除かれるんだろうかって思ってしまうんですよ。
私は問題解決志向で15年は仕事をしてきて、ついに心の苦しみというものは減ったかどうだかぐらいな感じだったんです。問題は解決するんです。問題は激減するんですよ。
僕の当社費で言えばほぼゼロになる。5%ぐらい残るんだけど、もう統計学的に言って5%未満はいいんですよ。虚無仮説的に車掌しちゃえばいいんですよ。捨ててしまえばいい。どうせ5%ぐらいは人間を見せるもんです。
でもほぼゼロになったけど、心の苦しみが減ったとは思わなかったし、今は心の苦しみの方がむっと減ったんですよ。
そしてライフハックの方は好きでやってるけれども、もはや心の苦しみを取り除くためのライフハックは僕は意識しなくなったんです。何かの役に立ててくれればそれでいいよって感じなんですよ。
タスクシュートもそうですよね。タスクシュートはするんですよ。でも僕の心の苦しみとタスクシュートは別物だってことになるんですよ。
少しでも減るならいいって考え方もあります。でも私はやっぱり心の苦しみの方はもっと根本的にやっていかないと。
そしてそれは、実は10日で問題を解決したいと思っている人でも、苦しんでいることはもっともっと時間とお金をかけてもいいと思っている感じがするんですよね。
これは作手だとか、これが素人がやっちゃいけないんだとか、これが能芸家なんだとか、これが大井を取るなんだっていうのが、まあまあ教訓というか、解律としては効いておくけど、
それを言ってると、やっぱりものすごく多くの人の心の苦しみが手つかずになりかねないっていうわけで、3ヶ月チャレンジなんですよ。
なんつうんですかね。私はタスクシュートとかライフファックが、これだとまるでタスクシュートとかライフファックを落としめてるみたいに聞こえかねないんだけど、
解決しようがないと思うんですよね。私は六市に住んでいた頃に病弱だったということで、ある写真に布団がこう…なんていうのかな。
布団5枚ぐらい。5枚はちょっと大げさだけど、でも本当に布団の山かよみたいな、その下に2歳ぐらいの僕が潰れてるんですよね、ある意味。
ある意味潰れてるんですよ。略体とかじゃないんですよ。親は心配してやってくれてたんですよ。汗かけ、もっと熱くして、早く治せみたいな感じで。
でもあれは明らかにどうかしてるわけですよ。でもまあね、昭和50年の頃の布団ってのは今のようじゃないから。
ニトリさんに行けばお値段以上で、すごい軽くて柔らかい素材で温度持ってんのもあるけど、昔はやたらと重くて暑いだけでまた一杯なんだけど、大して温かくはならない。
まして青森県では寒いんで、ならないわけですよ。何が言いたいかというと、こういう両親の元に育っている私は、しかも両親20代なわけですよ、当時ね。
私なんか自分の娘、36の時の子なんで、それは僕の方が知識も豊富だし、それこそ幼児心理学みたいなものでも学んでるわけだし、しかも人生経験もある意味長いわけだから、そりゃ穏やかにうまい子と育てられますよね。
26の時のうちの母とかじゃ、もうほんとにすぐパニックになるだろうし、すぐかなきり声出すだろうし、もう十分想像がつくわけですよ。
普通の家ですよ、うちは。全然。別に父親がアル中だったわけでもないし、うちのお母さんが精神病性、うす病だったとかいうわけでも全然ないんだけど、でもやっぱりダメなわけですよ、簡単に言うとね。
で、そのお母さんの顔色を伺うということが、なんか顔色を、親の顔色を伺う子供に育ってしまうみたいな。育ちますよ、そりゃ。
少しでも頭が回るなら、僕は一応離発だってことになってたんで、2歳3歳の頃に母親の起源というものを取るのを、自分の史上の命題にするのは当たり前じゃないですか。
なんか、そんな当たり前のことを言ったってしょうがないじゃんという、3歳時に親の起源を取るのやめましょうねって言ったって無駄じゃないですか。お母さん大好きなんだから。
だから、それが僕の心の真相にガッチリ根付いたわけですよね、間違いなく。
だけれども、あの時代の、この番組でも繰り返しやってますけど、買ってもくれないくせに私に兜、兜セダがあるわけですよ。単語のセックとか大好きなわけですよね。
だから僕が鎧兜セットを東武デパートの7階に行ってはずーっと1時間ぐらい、四ツ谷大塚っていう塾の帰りずーっと眺めてたんですよ。
これいいなーって思ってたんですよね。僕に全然似つかわしくないですよね、鎧兜着て刀振り回してたら。
僕たぶん10代で死んでますよね、そんなことやってたら。やってるじゃないですか、でも。
バイクとか乗って、模造の刀とか、おもちゃの兜とか被ってるじゃないですか。
普通にあるじゃないですか、男の子にはね。お母さんの無意識のでもなんでもないですよね。
意識的にそういうふうに男の子は会ってほしいと。やらせることは勉強ばっかりで、小学校4年の時から四ツ谷大塚行かせてるくせに、兜と刀を振り回す男の子でも会ってほしいんだけど、両立しませんよね。
そんなこう、布団5枚も2歳の時から被せないと、なんかもう熱出て、気管支援になって、熱40度ぐらいになっちゃって、お母さんがもうパニック状態になって、かなきり声を上げて、なんか強めーの薬をガブガブ飲ませて、注射をなんかお尻と肩に1本ずつ打ってみたいな、そういう育て方をしているようでは、そんな鎧兜には全然マッチしないわけですよね。
これが僕の深層心理にあったわけですよ。ユング的に言うと深層心理にあったわけですよ。これをマスク管理とタイムマネジメントでビシッと、それこそ武士のようにできるようにならないじゃないですか。ただ仕事ができるようになるだけであって、武士のようにビシッとはならないわけですよ。決してなよなよっとしちゃうわけですよね。
こういう私が今の私であるような感じで。で、私がこういう時々武士のようにビシッと長時間に、もっとビシッとやれみたいな感じで、内面でいつも言われているわけですね。もう聞こえないわけですね、心の奥底だから。
不意に飛び出してくる。あんまりにも奥さんにゴニョゴニョゴニョゴニョゴニョゴニョ言われて、割とカナキリ声みたいな、うちの母が怒った時みたいに、使う皿が違うとか、皿が汚れているとか、まだこれが水に濡れてるのにちゃんと拭けてないとか、いろいろ言われてるとブチッと切れて、いきなり武士が登場してきて、すっごい怒るということが起こるわけ。
その時に、うちの娘が、「もっと優しいパパだったのに、昔は。」って言ったんですよ。あれはうちの娘が2歳か3歳くらいですね。昔はもっと優しいパパだったのに、「あ、そうなんだ。」っていうのがまず僕は驚いたんですよね。これが真相真理なんですよ。
あ、そうなんだと。自分は別に武士のようであることを全然望まれてないんだと。結局のところ、自分は娘にであれ妻にであれ、うちの母を投影してるわけですよね、どっかでは。必ず、母を投影している。
変異というよりは、妻に対して腹を立てるとか、娘の期待に応える父親みたいな像っていうものは、その時作ってるものではあるんだけど、当然そこに私の実際の母親の希望というものを、ものすごく希望だと僕は考えてるものを。
フォーブデパートの中で単語のセックスに見惚れていた自分というものをここに感覚想起としてガーッと想起してるわけですよね。で、この想起には全然気づかないままタスクシュートをやってるわけですよ。で、ビシッとやってるつもりでいるんだけど、それは全然少なくともうちでは誰もそれを僕に期待してなかったと。
私にはそれを望んでいる人、ましてうちの娘は全くそれやめてって感じたわけですよ。私はそれやんなきゃと思ってるわけだけど、それやめてっていうふうに、そういうことをやる人はここの家には来ないでくださいぐらいのノリなわけですよ。前にいた人を連れ戻してきてくださいみたいな感じなわけですよね。
だから、そういうふうな経験を経てですね、望まれてないことをやるのはやめようと。でも、望まれてないことをやるのはやめようなんだけど、自分もそれを望まれてると思ってやってたわけですよね。別に刀振り回したくて、刀振り回すのは自分の性には合ってないなと思いながらも、こんなに頑張って刀を振り回してるのに、なんで自分は怒られなきゃならないんだろうと思ってるわけですよ。
こんなに頑張って刀を振り回せと言っていたのは、これを長寿がって言うんでしょうけど、相互的な長寿がかな。うちの母なんですよ。でも、うちの母は果たして本当にそういうことを望んでたのかどうかというのはわかんないわけじゃないですか。
こういうところに真相真理っていうのがあって、関係性の調整、そうすると、私は優しいパパとかいうのでいればいいのかって話になるんだけど、話としては何ら変わらない気がしますよね、それでも。でも私はそうではないと思うんですよね、やっぱりね。
ここで最も僕にとって要因的にでかいのは、うちの実母なんですよ。あの人のあの価値観というものを僕がこんなにのめり込んでいなければ、この問題はそもそもない問題なんですよね。別にうちの奥さんにこづかれるようにして怒られても腹は立たないんですよ。
私はやっぱり腹が立ったときに何を言っているのか、うちの母にだらしないなお前はって言われてる感じがするんですよ。実際言いそうな気もするけど、実際には言わないような気もするんですよ。だから真相真理なんですよ。
心の苦しみと向き合う
湧き上がってこないと認識できない。カチンと来たぐらいのときにはまだまだ全然自覚できていない。もうめちゃくちゃ腹が立ったときにこれがあるってことに気づくんですよ。そして一旦これがないものとしてみようと、それでも腹が立つだろうか。立つんですが1億分の1ぐらいになっちゃうんですよ。
だからやっぱり私はこの私にとっては心の苦しみというものをこの家出ていきたいというのと娘と一緒にいたいというのは苦しみになるじゃないですか。猛烈に分裂するじゃないですか。完全に避けるぐらいに分裂しちゃうんですよ。
これを作っている要因として、優しいパパがいいとかそういうことはどうでもいいことなんですよ。このものすごい勢いで昇ってくる自分の母親の記憶、おそらく私が2歳半ぐらいだったときの記憶がなければあるんだけど、なければそもそもこの問題はない。ほぼない。1億分の1ぐらいになっちゃう。
僕はこっちが解決したい問題なんだと思う。これは問題ではないですよね。結局私の心の問題ですよね。
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