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  2. やると決めたら必ずやる。でも..

「明日は絶対にやろう!」という自分との約束を確実に守るためには? | シゴタノ!

https://cyblog.jp/19932


こちらは大橋悦夫さんによるシゴタノ!の記事です。

自分との約束を守る「方法」については各所で言及されています。

サマリー

彼らはある種の組織に行くと、正気を保ちながら仕事を続けることが難しくなると考えています。特に先送りの連続が精神病の優勢化につながる可能性があります。この課題に注意を向けながら、正気を保つことが可能であると考えています。朝起きるのが辛い人や、同僚や上司のせいで職場で辛い思いをしている人に対して、精神分析やコミットメントを通じて3ヶ月チャレンジをすることで苦しい状況から抜け出す方法を提案しています。タスクシュートを使ってタスクにコミットし続けることの重要性について話すエピソード。食事やトイレなどの日常のタスクにもコミットすることが大事だと強調されます。約束を守ることと後悔しないことの矛盾について考え、自分の心で判断することの重要性について話しています。やることについて真剣に考えて決め、自分にとって正しい行動を取ることが重要です。

組織における正気の保持
おはようございます。グッドモーニングボイスです。
10月10日。10日なんだけど大陸の日ではないという。
これスポーツの日って今言うらしいですけどね。
10月10日火曜日、朝7時34分です。おはようございます。
おはようございますが、いい時間だなって思うんですけど。
寒くなりましたよね。3日くらい前は暑かったじゃないですか。
服がなくてですね。冬物ってどうしてもちょっと臭いはつきますよね。
うちの奥さん、そう言うと自分がディスられたと思っちゃうんで。
いやいや、それは全然うちの奥さんのせいじゃなくて。
最近がねって言っても全く聞いてくれないんで。しょうがないから言わないということにしてるんだけど。
まあでも臭いはつくわけで。一回洗えばすぐ落ちるレベルなんで全然なんてことはない。
そもそも私あんまり気にしもしない方なんで、なんてことはない。
うちの実家の服の方が、これはもう母親をディスることになるのか。そんなことはないんですけどね。
うちの実家の方がはるかに酷かったんでね。
いいわけですよ。いいっていうか。そうは言っても寒いんで、引っ張り出さざるを得ないじゃないですか。
引っ張り出しまくってわけわかんない無理矢理な着込み方をして、
これでさすがに僕も外に出る気はしないなって感じなんだけど。
家の中ではこういう無茶苦茶な格好をとりあえずしておいてですね。
とはいえ今日の午後あたりから暑くなるらしいんですよねまたね。
本当にこう、しばらくはこの出し入れがだもんだするしかないなっていうところで。
まああれですよ。おかげさまでと言いますか、3ヶ月チャレンジが第4期を迎えます。
これをね早くお口したかったんですけど、この話をちょっとさせてください。
3ヶ月チャレンジというのは、今どういう状況かというと、参加者が4名様ほどいらっしゃいまして、
最初には6万いただくんですけれども、継続だったら5万になります。
継続率はとても高くておかげさまでですね。
たくさんじゃないですけど、僕もこの仕事をそんなにたくさんの方とはできないと思っているんで。
僕のキャパ的に言うとそうですね、今の状況からして5名ないし、6がマックスかなと。
7になると多分厳しくなるタイミングが来るだろうと思っています。
これはもう別に、確かに先のことなんだけど、決してイリュージョンって感じではなくて、
もうやった実感としてですね、1日、週に1回のセッションというタイムを、これは任意なんですけどね。
絶対毎週毎週やらなければダメですとかいう、そういう認知行動療法的なのでもなければ、
いわゆる精神分析的心理療法みたいなのでもないんでね。
週に1回なんかあったら、毎週毎週お話しさせていただくケースがほとんどですけど、
絶対ではないんで、スキップもできるんで、別にスキップをしたからといって損するということも僕はないと思うんでね。
話がないのに、無理やり話を聞く必要はありませんから、
いわゆるこれは僕が以前やってたというか、今告知出してませんが、
60分対話をこのプログラム自体に組み込んでいるという形をとっているんですね。
これが多分有効に作用しているとは一つは思います。
もう一つは毎週1回ですね、作業タイムというものは毎週1回30分ほど土曜日にだいたいセットしてるんですけど、
これももちろん任意なんでね、別に作業タイムここでやらなきゃいけないのじゃなくて、
ここでもできますということであって、
この後でグループセッションというのを月に2度ほどやっています。
これはもうグループセッションなんで、録画アーカイブとかは一切なくてですね、
そもそも私結構しゃべっちゃってますけど、
私の発言が半分以下であるのが望ましいと、
僕はできれば人数であったぐらいがいいと、
だから5人だったら僕の発言は20%ぐらいに収まるといいと思うんですけど、
でもこれはただの適当な目安であって、
別にその時その時で一番話したい人が話されるのがいいと思うんですけれども、
というのもあります。
でもこれも任意でして絶対参加ってわけじゃないんですよ。
これ一つも参加しないと、だったらお金もったいないんですけどね、
これにいつでも参加できるという状態が望ましいかなと思ってるんですね。
で、ある種の事情グループって言っても、
別にこのね、みんながアルコール依存とか一人として依存症の人とかもいらっしゃらないんで、
事情グループって言い方変なんだけど、
でもある種の事情グループっていうふうに僕はみなしています。
だからその運営をしているのが私で、運営費をいただくという格好をとっているわけですね。
で、何の事情なのって言われると、
これが答えられないんですけど今言ったようにAAみたいなものではないですしね、
あれはすごい僕は大事なグループワークだと思うんですけれども、それとは違う。
私はそういうのの専門家でもないし、そういうことはできない。
私がやっているのは、つまりずっとやってて思うんですけど、
一応先送りしないとか書いてますが、それは一つの象徴みたいなものであって、
先送りは象徴的に出がちですからね。
一番何が、告知文に書くとしてはちょっとキャッチーじゃなさすぎるんだけど、
やっぱですね、参加者の方が何回かおっしゃってくださったんですけど、
正気を保ちながら仕事を続けるっていうのが、
このグループの一つのコンセプトかなって思ってます。
別にGood Vibesでもいいじゃんと言われると本当に困っちゃうんですけれども、
それとはまた一つ違ったグループもあるよぐらいな感じにしておきますね。
つまり正気を保つっていうのが何であっているかというとですね、
なんかやっぱりその人は正気でいられる人だし、
つまりこの精神分析のようで言うとその人は欲打つポジションにちゃんと維持できる人だし、
神経症水準ぐらいでとどまれる人だし、
決して人格障害でもなければ、まして精神病水準なんてことはあり得ない。
もちろん美音が言う、美音という人が言ってたんですけどね、
精神病部分と非精神病部分は私は全ての人が持っていると思うんですよ、その2つの部分は。
だから精神病っぽくなることは僕らはあると思うんです。
学校との違い
極端に言うと夢見たまま起きちゃって、動き回っちゃったらその人は精神病状態ですよ。
でもそれは続かない。
こういう我々のような人間の中ではですね、続けようとしても無理。
普通だと思うんですね。
この普通っていうのはすごくややこしい言葉ではありますが、
でもまあこの場合はそれで過ごさせてもらって、これは一応告知ですから。
精神病水準ではない、神経症水準で大筋抑鬱ポジションにいられる私たちが、
一番正気を危うくするのはですね、やっぱり現代では仕事だと思うんですよね。
子供の場合は学校かなって感じ。
これすごい学校や組織を批判しているようにも聞こえるかもしれませんが、
それは僕は現代のシステムのまだ不備であって、学校は多分いいんですよ。
必要だと思うんですよ。
でも正気を欠くぐらいなら行かない方がいいと思うんですね。
行かなくても別に構わないところだと思う。
行くことにしておくことは大事ですよ。
家に閉じ込めておいて無茶苦茶するっていうか、
無茶苦茶を子供にしちゃうっていう親御さんはどうしても一定数はいらっしゃるんですよ。
それだけ取ったって行くってのはいいことだし、
現代社会ではリテラシーの問題もあるじゃないですか。
でもあのレベルのリテラシーをただ得るだけなら、別に学校に行かなくても得られちゃうと思うんですよね。
でもそれだけじゃないから学校に行くっていうのはですね、
人脈もありますしね。
人脈っていうのはこの場合友達って言えばいいんでしょうね。
で、それとはまた違うけれども、
会社組織というのはもっと全然違うことをやりますけどね。
学校とは全く違うんだけど、
でもどっちにしてもですね、
僕はこれはある種のシステム不全だと思うんですよ。
学校に行って子供の正気が損なわれるっていうのはナンセンスだなって思うんですね。
だったら不登校という形を取った方がマシで、
不登校っていうのは正気を保つための正気の子供の場合はですよ、
家庭が正気の場合、家庭が正気なのに子供が毎日学校に行くことによって、
少しずつ精神病部分が優勢になっていくっていうことが起こってるならば、
不登校に、この話は本当に言ってて微妙なんですけど、
あくまでもこれは告知なんで、本当にあくまでも比喩なんです。
なぜなら簡単に言うと3カ月チャレンジは学生さん、
少なくともお子様の受付はしておりませんんでね。
基本大人のためのサービスですからね。
大学院生となってくると、これはもちろん引き受けますけれども、
小学生とかはダメなんで、だからこれはあくまでも比喩なんですよ。
つまり僕らはある種の組織に行くと残念ながら正気を欠いてしまうことがあるわけですね。
で、完全に行くたびに狂気になっていくっていうの。
例えば行くたびに絶対どんどん鬱になるとか、
それはもうブラックなんで、行かなければいいっていう話になるんだけど、
そうではないんだけれども、行っているとその人の精神病部分っていうべきなんだと、
僕もあるんで、これは偏見ではないんですよ。
それが優勢になってしまうというのを、
なんとかその組織から離れることなく、
非精神病部分を堅持していくっていうのが、
僕が今やっている仕事の意味だなと思っています。
先送りの連続
一番それが分かりやすい形で出てくるのが、先送りの連続ってやつなんですよ。
先送りをしまくる、あれによって出てきているのが多分、
精神病部分というものの優勢になりかけている、
一番最初の最初のステップになっているんだろうなと思うんですね。
だからそこに注意を向けていれば、
多分正気を保つということは十分可能だろうと。
もちろん鬱も含めて鬱にならないというために、
先送りの連続というものが、
これは先送りが3日4日続いたって話ではないですからね。
先送りが3ヶ月、それもかなり大事なプロジェクトなりの関連で続いてしまって、
明らかに絶対もう手をつける、今日こそ手をつけるぞという状態が、
3ヶ月ぐらい放置されている。
だから毎日毎日手をつけるぞと思っているのに、
100日間ぐらい手がつかないと。
言ったことがあったら、この3ヶ月チャレンジというのを
思い出してみていただくといいと思うんですね。
東京ライフ研究会である方がおっしゃっていたんですよ。
佐々木さんに3ヶ月で何かを達成するチャレンジというコンセプトは、
何かそぐわないんじゃないかみたいな。
要するに僕のノンベンダラリとした感じというものを
よくご存知の方のお話だと思うんですけど、
このチャレンジは消去を保つチャレンジなんです。
これは100日でやりたいことをやっていくぞというのに比べて、
僕は勝るとも劣らないという言い方はこの場合変だけど、
それに遜色ないぐらいチャレンジックだなと思うんですよね。
容易なことではない場合は容易なことではない。
だって会社に朝全然行きたくないまま1年間ぐらい続いている状態で、
この3ヶ月間、この1年間、行きたくないところに毎日、
毎日じゃないけど、本当に頻度高く朝早く起きて行き続ける。
なんかこう辛いじゃないか。
朝起きるのが辛い人への提案
この辛さが既に消去を保つのを困難にしていく感じが、
消去は保てますよ、そのぐらいだったら多分。
でもなんかもう本当に気が狂いそうだみたいなね、
気持ちになりかねないと思うんですよ、場合によっては。
しかもその原因が同僚なり上司なりにあるっていう場合も多いでしょうけれども、
なんだかよくわからんみたいなね。
朝起きてもそもそも起きる気が全くしない。
無理やり起きても朝何も食べる気がしないとか、
これは既にある種の正常な状態からかなりそれづつある感じ。
そんなに簡単に人はそれないんですけど、そこから。
それづつある感じ。
この状態だったらチャレンジする価値はあると思うんですよ、3ヶ月ぐらいはね。
というとこ、ここが僕がお勧めしたい一つのポイント。
朝起きるのが辛い人が来ましょうっていうのではないですよ、
お分かりいただけると思うんですけれども。
こういうことではないです。
先送りがなくても全然一向に変わらないです、本当はね。
先送りくらいはあるだろうなとは思うんですよね、その状態になったら。
でも先送りないということはあり得ます。
そういうことではないんですよ。
例えばある種の取引先の人にこの人からメールが来ると本当に胃が痛いみたいな、
でも絶対来るみたいな、あるじゃないですか、そういうことって。
そしてそれが本当に自分の職場人生を非常に影を落としているとかね、
それさえなければ本当に普通に働けるのに、
普通に働ける感じを取り戻すなり維持するなりを3ヶ月かけてやっていきましょうという。
精神分析と組織への問題提議
3ヶ月間その状態を維持するために、精神分析の話は頻繁に出てきます。
僕は一番やっぱりこれが必要だと思うんです。
知識としてですよ。
精神分析を受けるかどうかとか、精神分析をここでやるなんてもちろんナンセンスでそういうことはしないです。
そういうことじゃなくて、知識として何をあれは問題にしているのかということを知ると、
今自分にどういったややこしい課題がどういうふうに起きているのかが分かると、
もう分かりはしなくても分かってくると思うんですよね。
今までさっぱり意識していない部分だと思うんですよ、現代の人たちは。
これが第2の理由ですね。
現代社会においては組織に属するというシステムにはいろんな難しさがあって、
それは制度の不備から来るところが大きいと思うんです。
それは制度がちゃんと設計されていけば、もっとこう健やかにっていうのも変ですが、
皆さん組織に属していけるはずなんですよね。
またこんなに多くの人が属さなくてもいいんじゃないかとも思うんですよ。
でもまあ今まだ時代はそういうところにはないので、
その過渡期なので少々きしむのですね。
きしみの中に僕らは入っているということが多々あるので、そこをサポートしていきますと。
もう一つはせっかくある知見が全然活かされてないんですよ。
全身分析というのは重大な知見だと思う。
知識リテラシーですよね、要するに。
グッドバイブスもそうだし、ある種の自己啓発もそうなんですけど、
何しろこういうものがどちらかというと学校みたいな正当派の教育水準の中から排除されてしまっているので、
精神分析もそうですよ。
あれは大学では絶対教えられることがないんです、今ではね。
絶対ではないかもしれないけど、
かなりものすごく断片的に時々哲学の教授が口にするとかそういうものですね。
なんつうのかな。
要するに正当なカリキュラムにはないんです。
だから僕らは知らないんですよ。
教育水準が相当高い人でもあんなものぐらいな感じなんですよ。
コミットメントとタスクシュートの重要性
フロイトでしょ、みたいな。
そしてその人はフロイトについて何かを知ってるわけではないという、
ただ詐欺すんでるだけみたいなね。
この状態が僕は自分の正気をかきつつあるときに、
一番最初に使えるといい知識が全然出てきてない。
代わりになんかこうよくわからないミタミンドリンクを飲むみたいになってしまってて、
それはないでしょうっていうのが僕の考えるところなんですね。
代わりに、別にこれは何が悪いというよりじゃないんだけど、代わりにライフハックするとか。
ライフハックすることはいいんだけど、この場合文脈に合ってないと思うんですよね。
それによって、例えばなんだけど、全く行きたくない会社、朝起きるのもつらいという会社で、
その人の作業効率だけの問題なのかってことなんですよ。
そこで素早く仕事が片付けば、朝行きたいっていう気持ちが少しでも起きるんなら、
まだ別なんだけど、作業効率は上がってて、仕事はちゃんと進んでるんだけど、
これはちょっと微妙かな。やっぱ合わない気がしますね。
ライフハックはしてるんだけど、朝起きる気は全くしないってことはあり得るわけじゃないですか。
その時に、いくらライフハック大全100みたいなのを読んでも、
効果は極めて薄いと思うんですよね。やっぱり話が違う気がするんですよ。
これも難しいんですけど、要するに、例えば大工さんやってて家作りに行くんだけど、
そこの職場の逃げかけがすっごいつらいっていう時に、道具を買い替えるとかでは、
意味はあんまり効果ないと思うんですよね。
そういった時に思い出してもらえればいいんじゃないかというのが3カ月チャレンジでした。
長い。18分。でも久しぶりにちゃんと告知文打ったんで、
TikTiksで探していただくなり、私のTwitterなり、Facebookなりをチェックしていただくと、
これからしばらくちょっとノート書こうかなと思ってるんで、
この書こうかな今日ちょっと話題にしようと思ってるんですけどね。
話題ってもう20分も喋ってるのにこれから話題かよって感じですが、これから話題です。
先日日曜日に、ここまでで告知おしまいね。先日日曜日に八王子の方に行きまして、
八王子のその駅の名前がですね、50歳になったからなんじゃないかな。
昔ならこんなことはなかった。行った駅なんですからね。おとといあたりに。
八王子の方にですね。行ったわけですよ。橋本の次の次の駅なんだよな。
橋本は昔から知ってる名前なんで出てくるんですよね。こういう時にね。
最近になって頻繁に耳にはするんだけど、子供の頃は一回も耳にしなかった。
駅名とかこういう時パッと出てこなくなったんだな。
いいや。倉園圭三さんのお住まいの方に行ってですね、
Good Vibes Factoryというのの動画収録をしたわけですよ。
ここまで出てくるのに駅名が出てこない。
まあいいや。それで、倉園さんがですね、この日もいろんなお話を、
このテレビ収録の時に僕はいろんなお話を仕入れてきて、
それをいろいろと僕なりに紹介する過程をここに喋ることが非常に多いんですけどね、このポッドキャストは。
そうは聞こえないかもしれないんだけど、
それはテレビ収録にご同席されている方が倉園さんと矢部聖子さんというスタッフの方だけだからしょうがないんです。
他の人はいないんでね、その場には。
しかもそれも私の主観を通じて喋るんで、もはやなんだかさっぱりわからない話にはなっちゃうと思うんですけど、
その時の話ですね、倉園さんがですね、コミットという話をされたんですよ。
コミットというのはですね、よく考えてみると僕はコミットという言葉の意味がわかってないんですよ。
このわかってるような日がして、わかってない言葉っていうのが世の中には結構ありまして、
僕には結構ありまして、そのままわりと調べもせず使ったりするので一層よくないわけですけど、
精神分析もわりとそうですよね。
多くの人が言葉としては知ってるんだけれども、内情は知らないんだけれども、
まあ気にせずそのままスルーしてまっすぐ行くという。
コミットって考えてみると、コミットメントとかって言うけど、
どういう意味なのかをはっきり知ってるとは言えない気がするんですよね、私なんかは。
なんとなく使ってる。参加?みたいな感じだけど、たぶん参加という訳は間違ってる気がするんです。
役というか、僕が勝手にイメージしてるって意味ですけどね。
でもこの日の倉園さんの話聞いていて、それは私は昔やったなという記憶があってですね、
それは昔タスクシュートで散々やってきたことだったなっていうのを漠然と思い出したんですね。
漠然とというのはつまり、一応はっきり覚えてはいるんですけれども、
何しろそれは昔なんですよね、割とね。タスクシュート始めたちょうどその頃にやったことなんですよ、主に。
なんとなくそれがもうすっかり自分の中に入っちゃったので、
それは確かにコミットと言えばコミットなんだけど、
これをコミットだという意識を再確認しながらやるっていうぐらいの漠然としてるんですよね、要するに。
記憶はあるんだけど、はっきりもしているんだけど、本当にそうだったかって言われると悩んでしまうみたいなところが、悩む必要はないんですけどね。
簡単に言うと僕はタスクシュートにコミットしたってことなんですよ。
これはもう間違いなく言えるなって感じがします。
なぜなら毎日使うですね。
使うという、誓いを立てたとか、固く決意したとか、そういうレベルではないんですね。
なぜなら例えばGTDだって私はそれなりに固く決意したけど、速攻挫折して即やらなくなったんですね。
こういうことはいっぱいあるじゃないですか、毎日英語の勉強するぞみたいな、
ああいう固い決意という名前のもと、その決意は少しも固まってないというあれですね。
タスクシュートは全然そうじゃないですよ。
使い出してから今日まで、おそらく20年は行ってないけど15年は行ってるまで、1日もそれを使わなかった日はないんです。
これは仮に誰かが何の意味もないと言っても、僕はそれに何か意味を認められないんですよ。
何の意味もないと仮にしても、その言葉に意味がもうないような。
これはまるでですね、毎日食事をしている、その食事には何の意味もないっていうのと近いんですよね。
そんなことを言ってみたところで、それに何か意味むしろあるかって感じがするような話なんですよ。
例えばですね、ちょっと変な話かもしれないですけど、私はここ10年以上妻と暮らしている。
つまりこの結婚生活を辞めたことはないわけですね。
これコミットだと思うんですよね。
そんなことを続けることには何の意味もないよって誰かが言ったとしても、それに意味を認めるのがむしろ難しい。
だからタスクシュートも惰性でしょうって言われると、一日も惰性ではありませんでしたというつもりはないんだけど、
惰性だということがこの中に含まれていたとしてもですね、
惰性だけでは続かないだろうなぁとは思うんですよね。
子育てみたいなのもそうですよ。
育児放棄って言葉が世の中にありますが、僕はそれをしたということはないんです。
で、惰性だろうって言われると、惰性では無理だろうなと思いますね。
どんな人だとしてもですね。
惰性でこれができるかっていうと、私が何か特殊な能力を持っているわけじゃないんですよ。
このことはウィニコットって人が言ってますね。
人は母親なり父親になるために行動教育はいらない。
コミットの重要性
これはものすごく僕はいい言葉だし重要な言葉だと思うんだけど、
だからといってオートマティックにこれが行えるかっていうととんでもないわけですよ。
みんな子育てが楽だっていう話を僕は聞いたことがないんですよね。
これは子供を持つ前にいろんな人が生まれるときに言った言葉なんですよ。
大変だと。
例外がないことってすごいなって思うんですよ。
普通例外ってあるじゃないですか。
人によって捉え方が違うってよく言うじゃないですか。
この世の中で例外がないことっていうのがいくつかあって
とっても不思議だといつも思ってるんですよ。
例えば渋滞が好きって人がいないんですよね。
僕知る限りではいないんですよ。
特に車の運転をする人で十分上手くて
渋滞なんて散々経験してるであろう人でも
渋滞ってのは嫌われてんなっていう。
渋滞は嫌われている。
で、子育ては大変。
あとはもう口にすると問題視されるんで口にしないんですけど
ある種の虫はなぜか全人類は嫌いだってことになっている。
非常に僕不思議なんですけどね、あれはね。
なんかもう強力な圧でもかかってるような感じで
ナチズムかそれはぐらいな感じでですね。
全員一斉に同じ反応をしなきゃいけないことになってるものってのが
世の中には確かにいくつかありまして
その中の一つに子育ては大変。
だから僕はこれは多分オートマティックにできるようなことではないと思うんですね。
でも放棄したこともない。
だからコミットしたってのはそういうことなんですよね。
で、タスクシュートってはこれを何て言うんですかね。
あれにはいろんな機能が実はやっぱりあるんだけれど
いろんな側面がある。
コミットということを一つ盛り上げて言うならば
コミットしやすくするような環境、環境ってかな。
何かを整えるためのツールですね。
ちょっと長ったらしくなっちゃいましたけど
あれやってるとコミットしやすくなるんですよ。
それにあえて逆らうような信念を持ってなければなんだけど
やると決めたことをやるって話は
あれはですね、実はすごいやりやすくするために機能しやすいんですよ。
ただ、ここにややこしいところがあるんだけど
私たちはすでにコミットしていて
コミットするタスクの選び方
そのことによく気を回していないっていうものがいっぱいあるんですね。
これをタスクシュートは浮かび上がらせてくるんだけど
これをそうではないものとして考えてしまうというケースが
僕らすっごい多いんですよね。
例えば食事がそうです。
食事に僕らコミットしてるし
僕はコミットし続けるべきだと思ってるんだけど
いやいや食事なんかどうでもいいでしょっていう風になりやすいんですよ。
そうすると結局のところ
何かいろんなものにコミットしたいんですっていう要望が
タスクシュートに来てしまう。
タスクシュートに来るって本当は正確じゃないですよね。
僕のところに来たりジェイマンすさきのところに来たり
大橋えつおさんのところに行くって話なんだけど
僕はこれがまず一つ大きな問題だろうと思うんですよね。
せっかくタスクシュートがあなたが今コミットしてきているのは
こういうことなんですよということを繰り返し言うのに
そこをあえて無視するとか
そこへのコミット動作を上げるとかね
そういう風に使おうとすると
あのツールは非常に機能を落とすんですよね。
昔マーク・フォースターという仕事術の人がですね
ゲッティングシングスダンに向こうを張って
ゲッティングエブリシングダンとかって言ったんですけど
まあ僕はこれは気持ちはよくわかるんだけど
GTDをGEDと言い換えてみたところでですね
それは普及しないだろうなって感じもしちゃったんですが
でも彼はとっても僕は仕事術としては
非常に優れているとよく思っていてですね
僕はタスクシュートの方が優れてると思ってるんだけど
だからタスクシュート推しなんですけどね
このマニアーナ法則っていうやつを提唱している人で
彼への考え方は近いんですよね
人はコミットできるものは限られているんだ
っていうことを彼は強く打ち出している人なんですよ
それでわかりやすくはない例を持ち出すのが好きなんだけど
彼も上手くないってことなんだよね
これはわかりやすいはずなんだけど
なぜかわかりやすくならない
彼はですねベートーベンは音楽が趣味でしたとは絶対言わない
それは全くおかしいっていうことを一生懸命書いてるんですよ
あれはベートーベンは音楽にコミットしたんだという
それもあり得ないレベルでしたんだっていうことを
彼は言いたいわけなんですよ
つまりその趣味で音楽をやっているっていうレベルで
あれこれ手を出してもそこにコミットしないんだったらば
そのようなことは自分たちの自分の活動にはなっていかない
ってことを彼はすごい強調してるんですよね
これを言ってることはだからタスクシュートとマニアナの法則は
僕は告示してると思って
マニアナを昔ごたので書いたりも紹介したりもしたんですけどね
あれは若かったなという気がしますけどね
でそのマニアナの法則のフォースターっていう人が
言ってることとタスクシュートでやってることは
もう本当に文句に似てるんですよある面ではある面では
多分マニアナのフォースターが本当のところタスクシュートを理解したら
同じように使ってくれたんじゃないかなって思えるほど
発想は近いんですよね
でそのマニアナの法則に出てくる一つの2
タスクシュートでも言うようになったんだけど
ちなみに相互に知らないですからね相互には
ファーストタスクって言ったんですよ
これもコミットってことだと思うんですよね
つまり1日の最初にやる
何でもいいから何でもいいからっていうよりも
コミットしたいことを5分やる
とにかく起きてすぐそれやれっていう
この辺が彼のややストイックなところ
イギリス人らしいなって僕思ったんですけどね
起きてすぐそれやれと
だから論文書けませんって言っているような学生に
それは書かないからだと
非常に僕はいい言葉だと思うんですよね
サムデイリストとかそういうこと言うのは
ナンセンスだと思うんですよこういう時に
書かないから書けないで書かないから論文は
仕上がっていかないんですよ
書きゃいいんですよ
で何を置いてもとにかく書けってことなんですよ
これは要するに
それってつまり先に食事を取りましょうって言う
ってことは食事の方が大事だって言ってる
ようなもんじゃないですか
そういうことを自分に認めていると
自分の中でですね
このファーストタスクの優先順位が
ファーストじゃなくなっちゃうわけですよ
日常のタスクへのコミット
なんかの正当みたいですけどね
だからファーストって言うからには
ファーストにやれと
だからそれにコミットしろってことなんです
僕はタスク中途というのは
その場にあるリストのうちに
一番上に来たものは
自動的にするファーストタスクだから
本当はファーストタスクを決める必要なんかないって
思うんだけれども
思うんだけれども
コミットということが大事である段階においては
このファーストタスクって
いい考えだろうなと思ったんですよ
でもやっぱりですね
イギリス人のように僕らはなかなか行かなくて
イギリス人の仕事人間みたいには行かないんで
まあまあ食事は先にする
歯も磨く
顔も洗うよ
ホイルにも行くしね
結局ファーストタスクは
最初にする仕事というような
割とマイルドな概念に
タスクシュート上では変化していた
変質と言ってもいいのかもしれませんけど
最初にやる仕事としましょうと
現実的は現実的だと思うんですけどね
このあたりがね
だから僕がよく言ってきたのがですね
このファーストタスクに
カコつけて言うならば
会社に最初に行って
メールチェックスのやめよう
これもね職種によるんで
ちょっと難しいところあるんだけど
メールチェックはファーストですかってことなんですよ
メールチェックにいきなり
コミットしちゃダメでしょうという話
ダメでしょうは強すぎるんだけどね
しても全然いいんですけど
仕事するんだったら
ソリティアするよりはいいと思うんだけど
要するにそういうことなんですよ
でもプロジェクトXがすげえ大事なら
まず真っ先にプロジェクトX見ようよ
っていう話
だけどこれもですね
タスクシュートを長らく年使って
愛用しているような人に
あえてわざわざ言うような話ではないんですね
ファーストに何やったって
別に構わないんですよ
僕はコミットという話を
タスクシュート上で言うなら
やっぱり人との約束だけなんですよね
つまりよく僕がしゃべる言葉で言えば
予定とタスクを分けようねってこと
予定がコミットなんですよ
タスクはコミットに違いはないんだけれども
タスクシュートにコミットしている限り
タスクと言われているものはですね
どうせ絶対やるはずなので全部
そのうちの1つをピックアップしたり
3つをピックアップしたりする理由は
本当はないんです本当は
本当僕に言わせれば
食事にコミット僕らしているしするべきなんです
なんとなく食事しちゃダメだと思うんですよ
でここは多分ね
伝わってないと思ってるんですけれども
例えばトイレにはコミットするべきなんですよ
なんとなくトイレに行ってると
お腹壊しますよと言いたくなるんですよ
本当はましてトイレの中で
スマホ見ちゃダメなんですよ本当はね
でもこういうことばっかり言ってると
どっかの校長先生みたいになっちゃうじゃないですか
しかも僕はこういう人に言いたくはない人間なんですよ
全然少しもね
超自我的にしかならないと思うんで
こういうことを言ってて
だから絶対全てのタスクにコミットするってことを
僕は別の言い方をしてるんですね
でみんながよく聞いてるあの言葉です
やらざるを得ないことだけおきましょう
結局やらざるを得ないことが全部タスクシュートにあり
しかもそれしかなければですね
僕らタスクシュートにコミットしてることにならざるを得ない
そこにあることを絶対全部やるんだから
そこに身を入れるよりも
仕方なくなるじゃないですか
そこに身を入れないんだったら
生きることに身を入れないってことになってしまいますからね
で中でも開始時刻の動かせないやつ
動かせないやつですよ
それは人との約束ですよ
この約束がコミットなんだと思うんだけれども
そしてコミットという言葉を
約束と後悔
クラウドの慶応さんがGood Vibesの中で使うということは
それは自分との約束っていう意味を含むと思うんですけれども
私はタスクシュートユーザーの方には
いろんな意味でそこのところのハードルをあまり上げたくないという気持ちが
ずっと強いんで
なぜならこれをやるとですね
これをやるとみんなそうなるんですけれども
多くの人がですね
自分との約束を破った罪悪感ってやつが生まれがちなので
僕はそこの逆のケアばかり言ってきてますから
そこで罪悪感もやめようねと
ここはすっごい矛盾する言い方になっちゃうんですよね
やる前は絶対やるぞっていう約束をしてほしいんですよ
でもできなかったらそのことに対して
一つも後悔してほしくはないんですよ
これは両立できると僕は思っているので
こういう言い方をいつもしているんだけど
なんか矛盾するように聞こえてしまうじゃないですか
時系列の上に置くと
タスクシュートでは時系列の上にこれを間違いなく置きますから
そこが見えるようになっちゃってますからね
だからまず最初は人との約束を守る
これすら守んない人いっぱいいますでしょ
この日ですね
倉園さんがすごい面白いお話をされていて
人の名前も本の名前も出しませんけれども
ある方は5分遅れて
倉園さんが5分待ち合わせに遅れてくると
なんかすごいネガティブになるらしいんですよ
まあ起こるのかなわからないけど
私が言いたいのはそういうことではないんですよ
ここも矛盾するようなんですけどね
絶対約束は守った方がいいけど
別に10分ぐらい遅れたっていいと思うんですよ
精神分析とかだったらダメですよ
ここに意味が出てしまうからね
行きたくない無意識の発露っていうようなものを
そこに見なければならなくなりますが
でも精神分析やってるはずはないから
精神分析って日本ではほとんど行われてませんから
精神分析的心理療法やってる人は
いらっしゃるかもしれないけれども
マジョリティではないし
ここはそういう話じゃないと思ってほしいですね
あれはあれですごいコミットなんだけど
あれはもうコミットの濃密なやつなんだけど
僕が言う約束を守るというのは
待ち合わせ場所にだから八王子に
十四時に行くってなったら
八王子に十四時に行こうとしている範疇の
社会的な常識の範囲内なら全部OKなんですよ
これは僕が勝手に決めたルールみたいなところがあって
コミットと自分の心
良くないのかもしれないですけど
でも僕はやっぱり文化的な長寿がの
顔を立てる頃まででいいと思うんですよね
文化的な長寿がって言葉を使って言うならば
文化的な昔で言うお父さんが
そうしないとダメだよっていうものは
そうしないとダメだよなと思ってるぐらいでいいと思うんですよ
なんかそうしないと無知で打つとかね
そういうことでない方がいいと思うんですよね
だから三時にズームですってなったら
三時に入ろうとしていればですね
三時四十分とかじゃダメだと思うんだけど
この辺の基準はどこに置くんだってことになるんだけど
三時最大十五分みたいなところまでは
連絡を入れれば許容範囲じゃないですかね
と私は思いますね
それはコミットしたことになると僕は思うんですよね
なんかですね
人にはいろいろ様々な
やっぱりバックグラウンドと事情がありまして
コミットするからといってですね
機械のようには動けないと思うんですよね
機械のように動くことに意味がないわけじゃないと思うんだけれども
ほんまに僕はそこに意味を認めない方がいいような気がするんですよ
自分との約束とかになってくると
いっそ曖昧になるじゃないですか
時間も動かせるしね結局
でもさっきの約束の時間の話には
僕にとってはなかなか大事なポイントがあって
動かせないんですよ原則として
でも動かしちゃいますよね
たとえ1分でも動かすじゃないですか僕らは
動かせないんだけど動かすというところに
実はコミットの意味があると思うんですよ
動かせない動かせない言ったって動かせるわけですよ
締め切り日なんかもそうですよね
つまり本当にやりたくないと思ったらやらないで済むんですよ
不登校の話最初しましたけどよく僕言うじゃないですか
この番組では本当に行きたくないと思っているお子さんは
とにかく1年生だって行かせることはできないんですよ
かわいはようがうまいこと言ってたんですよ
我々は彼の時代だから特にですね
今は割とそうじゃないけどね
月までボタン一つであの日はおかしいんだけど
でも確かにその通りですね
ボタン一つで月までロケット飛ばせるのに
なんでうちの子はわずか500m先の学校に行かせることも
親である私はできないんだ
本当にかわいはようにそういうことを言った人がいたって
かわいはようさん言ってんですけどね
なんかボタンみたいなのがないのかと
あなたのその心理療法でね
ボタンを押したら子供が学校行くようにしたい
まあすごい発想だなと思うんですけどね
でもかわいはようさんがそれは無理なんですと
なんせならお子さんは生きてるからっていう話をされちゃうんですよね
こういうことだと思うんですよね私は
生きてるから動かない
コミットに意味があるのは生きてるからなんですよ
相手が機械であればロケットみたいなすごい機械だとしても
機械であればコミット関係ないんですよ
一方的にこっちがボタンを押せば動くんですよ
ちゃんとその設計されてさえいればですね
人間は生き物だからやっぱりそうはいかないんですよ
うちの目高ですらそうですよね
あの水替えするときに鉢からバケツに移すんだけど
簡単には移されてくれないんですよやっぱり生きてるからね
殺しちゃったんじゃ意味ないじゃないですか
こういう場合にはやりたいことと何の関係もない
で我々はコミットするときにやっぱり自分を自分の心ってよく言うんだけど
殺しちゃったんじゃ意味ないと思うんですよね
自分の心を殺して15時に機械のようにっていうのはそういうことなんですよね
確かに来るんだけど心は死んでますみたいなんじゃダメだと思うんですよ
でタスクシフトやってるとつくづく思うんですけど
別に心殺さなくても多すぎに守れるんですよコミットしたことなんてのは
だからこれをですね私は長寿がのよく言うんですけれども
Good Vibes以来特にですね
依頼はすぐやった方がいいっていう話になると
依頼なんでもやるんですかみたいな
依頼と命令は違うんですよ
依頼と命令は違うと思うんですよね
だからそこは分けなきゃいけないと
どうやって分ければいいのかって聞かれるんだけど
そういう問いが僕は機械的だなって思うんですよ
それは自分の心で判断してください
そうだと思うんだよねやっぱり
結局依頼だの命令だのって言っても言葉ですから
本当は一つ一つの事象には一つ一つの個性があって
一つ一つ違うんですよ
だからその都度自分で判断するしかないんですね
ここを僕らはね変に怖がるんですよ
ライフハックやってても思うんですよね
機械的に区別して機械的に動きたいみたいに見えるんだけど
そうじゃないと思うんですよね
自分で決めてやるのが一番ある意味いいじゃないですか
自動的に決まってる何らかのカテゴライズに基づいて動くっていうか
いいように思うっていうのは僕は不可解ですね
これは例えば建設的なのか生産的なのか
これは時間の無駄なのかみたいな議論が
前のタスク管理食事会みたいな不思議な回でも
すごい出たんですけれどもね
みんなそういう人たちだからやっぱりみんな無駄用語なんですよ
これが面白いところですよね
生産性用語っていう人の方がマイノリティなんですよ
そういう会ではむしろ
やっぱりどうやって無駄なことをするかみたいな
あるいはそれは無駄なのかみたいなことが繰り返し
こういうことを話題にするってところが
タスク管理的なんだろうなって思ったんですけど
面白い話ですよね
無駄かどうかは究極自分で決めるしかないと思うんですよね
本当に絶対それをしないんだとなったら
僕らやっぱりしないんですよね
学校にだって会社にだって行かないってことはできる
私からするとタスクシュートを使うまでもなく
ゴミ出しにはコミットしてるんですけれども
ゴミ出さないってことは僕にとってあり得ないけど
出さないことはできるじゃないですか
別にゴミと共に暮らすことだってできなくはないんですよ
そういう人はいるわけですしね
やっぱりそこには自分の選択ってものが
最終的にはあるはずなんだけど
ないって感じがしてきた時には
やっぱり少しですね
僕は思うに
僕らとしては正気をかきつつあるんじゃないかなって思うんですよ
本当に子どもがまだ年半もいかない子どもが
親に完全管理下に置かれてるとか
ほぼそれは虐待なんだけど
という特殊なケースは別として
例えどういう生育歴であってもなくてもですね
今日お風呂に入るかどうかは
自分で決められると思うんですよ
僕なんか風呂とか好きだし
そこに何の苦労も認めないから
風呂に入るとかはコミットとか考える必要は一切なく入れるんですけど
むしろ入らずにいるためにはコミットが必要なレベルなんですけれども
お風呂入りにくいって人はいっぱいいらっしゃるんですよね
僕はこれは勉強になったんですけどね
タスクシュートのいろいろやってて
セミナーとかやっててもお風呂がめんどくさい
つまりそれは選択だしコミットだし決定だし意思だし
やっぱり生きてるってことなんですよ
だって生きてもいないものが
お風呂に沈めるのは別に何の苦労もないじゃないですか
一方で犬とかあれですよね
飼ってた人ご存知だと思うんですけど
根本的にシャワーとかされるのすごい嫌いですよね
ああいうことなんだと思うんですよね
生きてるものはそれをするしないの意思をやっぱり持ってるんですよ
犬猫であったとしても
まして僕らはそれをすごく尊重されてきている
世の中で生きてるのに何もわざわざですね
これをやった方がいいから機械的にそれをやる
そうやると決めたんだから何時になったら必ずそれをやるみたいな
のでない方がいいと思うんですよね
動かそうと思えば動かせるけれども守るってところに
意味がやっぱあるんじゃないですかね
だからめんどくさいかもしれないけど
やっぱり私は思うんですよ
タスク習得の
最近はもうジェイマン・スザキさんも
百日チャレンジなどでおっしゃってる通り
めんどくさいというか
そんなことまでしようとするから
挫折するというぐらいならば
やることについて真剣に考える
数を絞ろうというのは最もだと思うんですよ
でも私は私に関して言うならば
やっぱ全部やるんですよね
一つ一つについて
これを今これから今日やるのかやらないのかを
問い正してからしかやらないようにするんですよ
これはですね
それをやるのは後になったら
もうやったらですね
逆にそれについて
やるべきだったかどうかの問い正しはしないんですよ
意味がないと思うんですよねそれはね
だからレビューをするときっていうのかな
あんまり僕やってないですけど観点と
これから何かをするときの観点は違うんですよやっぱり
意思決定といわゆる内政は違うんですよ
命令と依頼が違うように
意思決定と記憶早期は違うんですよ
過去のことについての
これをやるかやらないかについて考える
というのは僕は成り立ってないと思うんですよね
そこはどこか何か
僕らは
なんて言うんですかね
要するに空想を見てるんですよ
やはりこれじゃないことができたんじゃないだろうか
いくらそれ考えてもできないんじゃないですか
だからそれは僕はある種の誤解だと思うんですよね
これからやることならいいんですよ
ていうかこれからやることなら
必ずやったほうがいいぐらいだと思うんですよ
これからウッドモーニングボイスを取るのか取らないのか
でも取らずにピクミンをやってしまいましたっていう
後になってこのピクミンやるべきじゃなかったよね
もっとグッドモーニングボイスとかできたんじゃないのって
問うのはすっごくダメだと思うんですよね
だからここが矛盾してるふうには聞こえるかもしれませんけれども
やる前はこれをやるかどうかについては
真剣に考えていいと思うんですよ
やるとタスクシュートみたいなものを
持ってない人もいるだろうから
持ってるんだったらタスクシュートに乗ってることは絶対やるか
やらないんだったら削除するっていうぐらいでいいと思うんですよね
コミットってそういうことだと思うんですよ
でもやらなかったんだったらやらなかったのが100%正しいんですよ
自分にとって正しい行動を取る
やるべきだったといくら思うんだとしても
そうじゃない観点を見つけ出すべきだと思うんですよね
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