1. 佐々木正悟のライフハックからの精神分析
  2. 精神分析は「デパート」だと思..
2025-10-31 41:42

精神分析は「デパート」だと思う【1272】

タスクシュートも総合商社。
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サマリー

このエピソードでは、精神分析についてライフハックの視点から考察し、タスクシュートの実践的な用途が議論されます。また、精神力動やメタ心理学の概念が取り上げられ、その重要性や関心の違いについて触れられます。精神分析は心理的負担を軽減する手段として説明され、その特異なアプローチが人々にどのように役立つのかが探求されています。タスクシュートに例えると、精神分析はさまざまな心の問題に対処できるデパートのように理解されています。エリフスコンプレックスや虚勢不安の概念を通じて、自己の欲望と不安の関係が深く掘り下げられます。また、幼児期の経験がどのように心理的な影響を及ぼし、ライフハックとの関連も考察されています。精神分析は多様な要素を組み合わせて結果を導くプロセスであり、経験や知識も重要であるが、必ずしも結果が良くなるわけではないことが強調されます。

ライフハックからの精神分析
おはようございます。ライフハックからの精神分析、第1272回をお送りします。
10月31日、10月が今日で終わりですね。金曜日、7時15分です。
昨日は、人間ロックをね、早朝から、この時間から、もう動き出していましたから、いや、この時間から動いてないか。
でも、もう1時間後には着替えて出発して、9時前には検診センターという感じでしたからね。
いや、もう本当に内視鏡もやったし、胃袋も見たし、いや、疲れましたね。
というわけで、全然関係ないんですが、11月の8日に土曜日、タスクシュートの完全活用術実践編をですね、
千里さんというユニテトレーナーさんのオーケストにお招きし、11月8日土曜日の16時からやりますと。
ぜひこれ、もし実践的にこれを24時間活用したいという方は、千里さんという方は実務家としては私より全然優秀な人で、
ものすごい実務的なことに、タスクシュートは実務的なこと以外に何に使えるんだってぐらいなんだけど、
そういうところで、私みたいに理念型の、いや、理念がないわけじゃないと思うんですけど、理念ってのは理想の話じゃなくてですね、
理屈をこねたがるという、私は理屈をこねるということが生き甲斐みたいな人間なんで、
実践ってのは大事だと思うんだけど、行動というのは必ずしも僕にとってそれほど重大な意味を持たないので、
今回のゲストは非常にこう、ある意味皆様が、皆様といっても一人一人違うんですが、
皆様がお聞きになりたい話が聞けるのではないだろうかと思っております。
私のほうは何の話をするかというと、実践編なんで一応実践の話もするんですけどね。
しかももう少し基本に立ち返ってというか、最近タスクシュートクラウド2の面白さというものを再発見しつつあるんですよね。
タスクシュートってのは僕からすると一生もので、もちろん別に使っても使わなくても、
タサキさんはもう行けるんじゃないかって言われれば行けるんでしょうけど、行けるとか行けないとかいう話とは何の関係もないようなところもある。
あと1日や2日はすりゃ行けますよ、当然。
だけど1週間、1ヶ月と使わないでいると使っているのとは違ってくるんですよね。
もちろん使わないほうがいいって考え方もあると思うんですが、
それはもうですね、私はそこはある意味考えすぎかなって思うんですよね。
使っても使わなくても基本は変わらないですよ。
ただ私は、そうだな、例えばノートを使わないって人が世の中にいると思うんですね。
あるいはスマホ使わないとかペンは使わないとか、いろいろあると思うんですよ。
自動車使わないとかね、いますからね実際ね。
私にとってはタスクシュート使う使わないっていうのはそういうことなんですよね。
車って使わないほうがいいっていう人だって当然いるわけじゃないですか。
でもそれはある意味私はイデオロギーだと思うんですよ。
別に車を使う使わないっていうのは、イデオロギーだって言うならもちろんそれはありですよね。
でも私はタスクシュートを使うどっちかっていうとイデオロギーなんで。
いろんな意味があるんですけれども、1日や2日、だって1日車使わないなんてことは私だってありますから。
1年使わない、1年タスクシュート使う、この差はあるんですよね。
それははっきりありますよね。具体的に言うこともできます。
ただそれがいいか悪いかってことになってくるとまた別の問題。
ノートを使う使わない、スマホ使う使わないは大きいじゃないですか。
大きい違いなんだけどそれはどんな違いなのかということ。
そしてやっぱり長期で使うことの習慣化ってことだけではないですよ、決してね。
習慣化ってものが魔法の万能薬みたいに言われてますけどしばしば、そういうことじゃないと思うんですよ。
車使う習慣はあるわけじゃないですか。車は別に習慣化のために乗ってるわけではないですよね。
ただ車を1年間使う生活と使わない生活は確かな違いを生むと思うんですよ。
普段は意識しないと思いますけどね、そんなもん。
そういうことだと思いますね。私は電子レンジに匹敵するのがタスクシュートだと思ってますから。
それは使うと色々と変わってくるんですが、そんな変わってくるというのは何なのかっていうのをちょっとお話できたらいいかなと。
そんなに大それた話ができるのかっていうと微妙かもしれないけど、できたらいいなと思っているわけですね。
早速では何でもないですが、とにかく11月8日よろしくお願いします。
タスクシュートの実践
では本題ですね。
このボトキャストのタイトルは間違いなくそうなってるはずなんだけど、今ちょっと心配になってきたんだけど。
来伯からの精神分析という変なタイトルなんですけど、
ここですね、私こんなこと気にする方は気にするんですけど、気にされない方は多分意識もされないと思うんですけど、
僕の3ヶ月チャレンジは精神力動的な、ちょっと間違って書いちゃうというか色気が出て書いちゃったことはあるかもしれないけど、
精神分析的なとは基本抑えているんですね。書かずにおいている。精神力動的なビジネスコンサルですね。
精神分析的なビジネスコンサルではないんですよ。そのうちちゃんと統一しようと思ってます。そのうちっていつだよって感じですか。
でもおおむね精神力動的って書いてるはずなんですよ。
で、この番組はでも来伯からの精神分析であって、決して来伯からの精神力動ではないんですね。
これはこれが精神分析だって言いたいわけじゃなくて、興味の対象の話をしてるわけで。
精神分析に興味を持つとか、対象関係論に興味を持つとかいうことはあると思うんだけど、精神力動に興味を持つっていうのはなんか僕の中で釈然としないんですよね。
なんかこう、なんつうんですかね。例えばちょっと先日話題になってたからこの話もしようと思ったんですけど、
すぐ忘れる濱内さんという方がYouTubeでA番組をYouTubeで出されていましてね。
私もそれを非常に楽しみにしているわけなんですけど、そこで久しぶりにこの言葉を人が喋ってるのを聞いた。
読むことは僕はしょっちゅうあるんですけど、メタサイコロジー、あるいはメタ心理学。
まあ同じことですけど、あのメタ心理学かっていう、もはやちょっと知りたい人とか言って全然ちょっとじゃなくなってきてるよねって、
それも番組の中でも言われてたけど、メタ心理学って言葉は久しぶりだなと思うんですよね。
メタ心理学ってなんだって感じがするでしょ。濱内さんがそれはメタ認知のことだったっけみたいな、なんかこうややわざとらしく僕には聞こえたんだけど、そうじゃないのかな。
とにかく世の中にはメタ認知ってものすごく流行ってますよね。だから絶対ここでメタ認知って言いたいんじゃないかって思っちゃったんだけど、
メタ認知とメタ心理学のメタの使い方は全く違います。
メタ心理学というのは、番組に聞いていただいた方がより正確なんだけど、端的に精神分析のことを言ってますが、精神分析の理論のことをメタ心理学とかって言うんですよね。
なんでだって思うじゃないですか。これはね、皆さんAIに問いただした方がいいです。そうじゃないとこの番組がこの説明で長々と取られることになり、しかもほとんどの人は多分何の興味もないと思うんですよ。
とにかくフロイトは自分の精神分析を理論化するにあたって、メタ心理という言葉を使いやがったんですよ。
ほんと勘弁してほしいと思うんですけどね、メタ心理学ってなんかもう、何て言うんだろう、変なスピッケの自己啓発、いやいやいやいやいや、撤回します。
そういうのが僕は別に良くないと思ってないのに、今みたいな言い方をするべきじゃない。世間に乗っかっちゃうんですよね。
ただですね、なんかこうアカデミーでは受け入れられそうにない言葉の使い方だとは思いますよ、はっきり言って、メタ心理学。
だって、そうだなぁ、日本語であえて言うなら超心理学って感じですよ、漢字としては。
だから僕メタ認知って言葉もすごく好きじゃないですよ。これを言うとまた世の中的に逆風に向かっていく感じになるからいいですけど。
なんかこうですね、私そのメタとかいう言葉を使うというのは、基本的にはタケタやめですよ。
野口幸男さんが超生理法って出したじゃないですか、あの人はすごいと思います。
つまり、そういう若者に何か物申し訳ないおじいさんがですね、いきなり超やべえとか言っている時代に超生理法とか出しちゃうわけですよ。
そしてミリオンを出すと。僕もそうありたいと思います。
僕なんかまして若者に物申し訳ないおじいさんなんで、あの超やべえとか言っちゃう人間なんで、
なのに超生理法とかは作れないっていうのはすごく残念な気がするんですよ、我ながら。
でもフロイトとハロウキとか超心理学って、なんかこう、でもそれは僕の偏見なのかもしれないんですけどね。
いずれにしてもメタ心理学というのは精神分析の理論のことを言ってるんですよ、基本的には。
だからそういうメタ心理学とかいう言い方をするならば、ユング心理学とかアドラー心理学とか、
ほらやっぱりユングとかアドラーの方はそういう奇妙な名前を、フロイトってネーミングセンスが抜群にいいと思いますね。
精神分析ってなんか名は体を表してないのに、素晴らしい言葉じゃないですか、精神を分析することができるぜみたいな、
そういうなんかちょっと若者っぽさがあるという気がするんですよね。
だからユングとかは結局自己分析とかなんかそういう言い方になってしまって、
僕はフロイトからたもとをわかったというには、フロイトのアリュー感がどこへまで行っても拭えないという感じが、
どうしてもユング心理学なるものの言葉の使い方からは、
このユングとかアドラーとかフロイトとかはお互いがお互いがあいつらと全然違うんだって言いたがるんで、
これをひっくるめて精神力動みたいな言い方を、これざっくりとした説明ですね。
でも力動派には力動の共通項目が間違いなくあるんですよね。
無意識の力によって情緒が動くみたいな、その情緒の動きの巻き込まれによって人間関係が難しくなったりいろいろするし、
それを小さい頃にそういう母親と子どもの力動関係というものは子どもの方は覚えてないから、
無意識に自分が情緒が動かされてしまってやる気しないとか、
あの上司はもう顔を見るだけでもつらくてつらくてしょうがないみたいなことが起きますよっていうような話を
力動って言うんだけど、力動って言うと思うんですが、精神力動に興味がありますっていうのは
興味の対象が拡散しすぎて嘘だろって感じがしちゃうわけですね。
そういう意味では精神力動って言葉はライフハックって言葉とちょっと似てるんですよ。
ライフハックに興味ありますっておかしくないんだけど、やっぱおかしいじゃないですか。
タスクシュートに興味があるとかGTDに興味があるとか、それこそ超生理法に興味があるとか、
最近で言えばノーションが好きですとか、オブシリアンがいいですとか、
ロームリサーチが好きですとか、ワークロイがいいですとか、なんでもそういうの。
ひっくるめて私は手帳派ですとかわかるんだけど、ライフハックが好きですってなんか広すぎないっていう感じがするんです。
なんか興味がえらく拡散してるんではないだろうかっていう、そういう感じがしますよね。
だからその精神力動ってのはましてやですね、なんかもう右と左に行っちゃう感じがするんですよ。
同じ共通項目はあるけれど、お互いが違うぜって言ってることに対してそれひっくるめて大好きですみたいな、
まあそういう人もいますからね。でも私はライフハックから精神力動へ、からの精神力動とかってさすがにちょっとなんかどっちもどっちなんですよね。
すごくね。だから興味の対象が移りましたという興味の対象とした精神分析でいいと思うんだ。
ライフハックから対象関係へって行きたいぐらいなんだからの対象関係とか言いたいぐらいなんですけど、
精神力動とその考察
これだとあまりにも伝わらない感じがするんですよ。
それってもうもはやライフハックからのメタ心理学とか言っちゃってるようなもんで、多分誤解を招くとしか思えないんですよね。
絶対誤解もできますよね。ライフハックからのメタ心理学って言ってることはライフハックからの精神分析と何ら変わらないのに、
なんか明らかにライフハックからのメタ心理学って言うとなんかすごく変じゃないですか。ある意味ウケそうな気もするんだけど、
なんちゅんだろう、ついに神がかってしまったかって感じがちょっとするじゃないですか。これが言葉のニュアンスの不思議さですけどね。
これがまたライフハックからの精神力度とかになっちゃうと、なんかもう本当に堅苦しいけど何言ってんだかよくわかんねえということで、
どっちにも一応同じような気もしてきましたけど、そういうことなんですよ。こんなことで14分も使っていますけどね。やめましょう。
メタ心理学というのは実践的ではないんですよ、あんまり。すごく僕そういう世界好きなんだけど、
ラカンとかが好きになってしまう人が好きになってしまうってのはよくない。好きになってもいけないことは何もないと思うんですよね。
別にだって臨床、そうでなくたって精神分析かっていう人たちは勝手に臨床すんなってすごく言うわけじゃないですか。
だから臨床ができないのに本があったらもう知的興味をそこに向けるよりほか仕方ないじゃないですか。
言うならば、昨日あれですね。言うならばこういうことなんですよ。3ヶ月チャレンジというのは。
そうそう昨日ありがたいことにレビューを一ついただいたんですけど、しかもそれは非常に私がやってる通りの内容に近く。
あれを読んでいただければ、あそこのお客様の1,2,3章を読んでいただければ、3ヶ月チャレンジとは何かということで、
本来誤解はないはずだってだって書いてある通りなんで。しかも僕は手を一切入れない。
もし構成的な意味で文字を直すってことになれば、なんかツが抜けてるとかだったら入れますけど、
基本的に内容には一切触れないので、めちゃくちゃあそこで批判されていてもそのまま乗っけようと。
ただめちゃくちゃ批判するぐらいだったらXとかで勝手にすればいいわけであって、別にだってあれ結局僕が掲載するんでね。
めちゃくちゃ批判しているのを佐々木さんこれめちゃくちゃ批判したから乗っけといてくださいってことになるわけじゃないですか。
それはさすがにどうかと思わなくもないんですけど、だからめちゃくちゃ批判するんだったらノートとかXとかに書いていただければいいわけですよ。全然。
それはそれでいいじゃないですか。僕にとって良くはないけど、まあまあそれはいいと思うんですよね。
だけどわざわざ3ヶ月チャレンジのサイトでめちゃくちゃ批判を僕が乗っけなきゃならないとはさすがに思わないんですけど、
基本的にそうでないものは全部そのまま乗っけちゃいますから私は。だってお客様の声なんで。なんか僕の声じゃないんでね。
でも非常にありがたい票をいただきまして、そこで僕が思うというか改めてお伝えしたいことはですね。
要するに分析に関しては臨床ができない。臨床というか精神分析はできないんだから精神分析科でもなくて精神分析科を受けたこともなくてスーパーワイズもついてないから精神分析ではないわけですよ。定義上。
3ヶ月チャレンジの意義
しかもやっちゃダメだって言うからやんないわけですよ。で、やんないんだけどでも本は一応行くところに行けばいっぱいあるわけですよ。しかも高いわけで。
あ、また書いてるな。しかもなってないな。しかし高いわけですが、まあ絶対買えないような金額じゃないですから買って読むじゃないですか。そして面白そうじゃないですか。
これ自体が僕は癒しになると思うんですよね。治療効果がこれだけでもあると。で、何であるのかの説明というものは精神分析的になされると思うんですよ。
これをやってるんですよ。3ヶ月チャレンジでは。他は普通のビジネスコンサルの体でいけますよね。つまり相談業というのはそれはありますから。
心理カウンセリングではなくて精神分析でもなくたってそれはカウンセリングっていうものはこの世の中にあるじゃないですか。セラピーというものでもいいですけどそれはやりますよね。
それは結構がっちりやりますと。ワンオンワンというのが最近流行っていますがそういうことです。これはがっつりやりますと。
で、そのがっつりやってる中で何が起きてるのか精神分析的に私がグループレクチャーとかグループセッションという名のもとに説明をコンコンと。
この時こういうことが起きたんですよっていうのではなくて一般論として今ここで喋ってるようなことですけどこれをもっと本に基づいてですね。
こういうことが起きているんだみたいなことを一生懸命説明すると。これを繰り返しているうちに独特のものにはなっちゃいますけどある種のものにはなっちゃいますけどことが起こるのではないかと。
簡単に言うと心理的心的負担が下がるというか心の負担というものが例えば心的負担がどっかにばら撒かれている。
特に自分の身体とかにばら撒かれているっていう事態を一旦避けるとともにそこにある種の道筋を見つけることができるはずだと思うんですよね。
自分の経験からして。だからまずこれを体にひたすら回すっていうことをやめるだけでも体への負担は下がる。
そうすると心への負担は上がるんだけど心がそれをどう持ちこたえるというか持ちこたえるっていうことは心の中でですね。
現象として表すのではなくて行動とか身体化とかではなくて病気とかではなくて持ちこたえるっていうことができるんだと。
できないときには精神科とか心理臨床とかの専門家とかそういうところもあります。
こういうところまで展開していくとひたすらひたすら自分の中で内圧が高まってどうしようもないですっていうようなことではないんですという認識に切り替わっていくのではないだろうか。
だからそこには認知行動に少なくとも認知療法的なものはないわけじゃないんですよ。
それは当然あると思うんですよね。私は話が画伝引水滴になりますがタスクシュートっていうのは時間に関する総合管理だってよく言ってるんですよね。
総合管理ツールだと。総合管理ツールだということが総合管理ツールってなんか特徴なさそうに見えるんだけど
総合管理することっていうことが一つの一大特徴になるわけですよ。
普通は専門どっかしちゃうから。よくアブハチ取らずで何でも放り込んでダメなツールだっていう。
それも日本的だって日本的は余計な批判だと思うんですけどアメリカにもそういうツールいっぱいありますから。
ただ総合管理できるっていうのは非常に大事なことなんですよね。
僕は精神分析っていうのは心理臨床のデパートメントって感じがするんですよ。そこが一大特徴になってる。
基本的に例外なく何でも対応できますっていう。AIの使い方とかには対応しにくいと思いますけど
そうじゃなくて心の相談になった時に特化してないことが精神分析なんだって僕は思うんですよね。
だから最終的にアドバイスがすごい難しいとか、
法説的に法説的に法説的にいけばいくほどああいう風になっていくってことが感じられるんですよ。
例えばアドバイスをしても無駄だと感じたときどうするかとか
アドバイスはもうみんながこの人にしてるんだけど一向に受け付けられないときはどうするかってなってきたときに黙るとか
黙ることをも扱えるのが精神分析だし、でも思わずアドバイスしちゃう。それも扱えます。
アドバイスに聞く耳持ちません。それも扱えますってこういう風になっていくのが精神分析的だって私は思うんですよね。
つまりデパートメント化していくんですよ。タスクシュートっていうのもそうで何にもする気がしませんをタスクシュートは記録するんですよ。
何にもする気がしないってことをね。これが他のツールではできないことなんだと思うんですよね。
あるいはタスクシュートを開けません。すらもタスクシュートになんとか収納できないかと私は思う。ある意味逃げられない方法論なんだけど
精神分析をするところなんですよ。キャンセルをも解釈しちゃうから逃げられないじゃないですか。中断とかいうものまで解釈してかかるんで。
でもそうでないとですね。そっちは無理ですって話で終わってしまうじゃないですか。そしてそれ自体が一つの態度なんですよね。やっぱりね。
相談に対する。あなたの相談は受け入れられませんと相談師が言うっていうスタイルなんですよ。これだってやっぱり一つの態度だと思う。相談にすでに乗っちゃってるという気がするんですね。
そういうのが精神分析的だなと私は思うんですね。だからより多くの人を門前払いにしないっていうことがむしろ私は
これは私の勝手な解釈である部分もあるんだけど私はそう思っているんですよ。
そうしないとすぐ頭で想定してしまう。私はその頭の想定がすごい間違ってるなっていうのはむしろタスクシュートにおいて学んだんですよね。
タスクシュートって一般的に時間管理って言った時にこう管理するもんなんだっていう勝手な想定があるんですよ。それが専門特化につながっていくんだけど。
だから何でも入っているダメなツールだって言われるんだけど何でも入っているツールである必要っていうのはユーザーがどう使うかを一切想定していないところから来るんですよ。
GTDも優れていたのはそういうことだったと思うんですよね。基本的にあそこ気になることを書き出すという意味においてはかなり広範囲に扱えるじゃないですか。気になることをとにかく書き出せばいいんで扱える幅が広いんですよね。
タスクシュートとGTDっていうのはアプローチがすごい違うんでそこはいいところだと思うんですけど私はどっちも創設できる幅が非常に広いという点ですごいと思うんですよね。
だって何かをやっているおよび何もやっていない時間の記録を取るっていうことになればほぼ全部がそこに入ってくるわけじゃないですか。
精神分析っていうのも沈黙も扱う、治療抵抗も扱う、精神分析家に対する憎しみも扱う、中断も扱う、キャンセルも扱うってなってくるともう扱えないですっていうものはほぼない。
それでも限界ギリギリに近づいていくのが確かに聞いて喋ってるんだが何を言っているのか何なのかがわからないっていうケースですよね。
それが精神病水準なんだけどそこにだからクライン派が切り込んでいってビオンが相当の開拓をしたんだと思うんですよ。
結局それも扱う範囲を広げていくっていう流れの中にあると思うんですよね。
だからこの扱う範囲を広げていこうとすると特徴がなくなっていくんですよね。
それもやるしそれもやるしそれもやるんで。
だから精神分析ってこれをやるんですよねって言うとだいたい嘘になってしまうわけですよ。
これをやる、それをやるけれども他のこともいっぱいあるんだよってことに必ずなるじゃないですかそんなこと言ってたら。
これはタスクジュードでも同じようなもんで。
タスクジュードってチェックリストですよねってなるとそれもやるみたいにリマインダーですよなってなるとそれもやるってことになってタイムログを取るんですよね。
それは当然やるみたいなね。
だけどそれだけではないからそういうことを言っていると定義不能なものになっていくわけですよ。
実際になってますよね。
心の負担を軽減するために
そういうふうに定義不能になっているものはしかし非常に私は有効だと思うんですよね。
まずそうすることによってその人独自の態度というか態度なんですけどその人独自の価値観態度
特に脱価値化的な世界観これに対応できる。
ここがやっぱりとびきり重大な特徴だと思うんですよね。
脱価値化的な価値観というものに対応できる。
これにやっぱり我々は大いに苦しむ。
昨日のお客様の声いただいた時もやっぱり脱価値化っていうものがこの世の中で生きていくことを根本的に難しくする問題だとの一つだと少なくとも思うんですよ。
ある意味ではすごい長寿がって大事だっていう感じもするんだけど長寿がってのは結局なんだかんだ言って現実に踏みとどまりたいっていう時に
言うようなツールですから長寿がというのは。
松木くにろさんだかビヨンなのかちょっと難しいところですけどの長寿がの結局位置付けっていうのは欲望の保障って言い方をするんですよね。
私はそれは北山治さんが母子関係が過剰に迫近することで三者関係が壊れることを切断するっていうような表現を図示されてるんですけど
そこでも書いてることと基本一緒だと思うんですよね。
子供の欲望を保障してやるそれは非常に父親というのか家というのかものの機能ですよね。
狼の家みたいなのをあのアナグラみたいなのを考えてみると分かりやすいと思うんですよ。
安全が保障されている安全保障ですよね。
安全の保障は安全の欲求っていうのはマスローは最下位に置きましたけど最低でもそれは必要じゃないですか。
あの寒い思い暑い思いもしすぎたくはないですよね。
そういう欲望の保障そして子育てもしたい食事もしたいセックスもしたい全てそこで保障されるんだけど
エリフスコンプレックスと虚勢不安
そこで保障できない欲望の重大なものがエリフスコンプレックスを思うわけですよね。
私はお母さんとセックスしたいそれはダメってやつですね。
その欲望は保障できないそれをやりたければよそやいけ非常に極端ですけど
それをやりたければよそやいけっていうことは今は言わないでしょうけど
ていうか本当にそれ言われることはないでしょうけど
切断つまり虚勢っていうことになるんだけど
虚勢不安というのはこの穴蔵には価値があることとセットじゃないですか。
穴蔵に価値がないんだったら虚勢は不安を生まないじゃないですか。
別にこの家から出ていけって言われてもこの家がもはや何の価値もないような家だと
そのそのこと自体を不安に思う理由はないわけですよね。
これがいつも会社では問題になると思うんですよ。
アップルではファッキンマネーって知りませんけど本当のことなのか
スティーブ・ジョブズはそういうのを発明したらしくて
要するにファッキンって言って出ていくだけのお金を渡しておいて
それでも来たい奴がアップルで働けみたいな思想らしいんですけど
これは完全に虚勢不安というものと無縁で働けってことだと思うんですよね。
どこでもいくらでも稼げる人材が
ブラックみたいなところで働くためにこそアップルはあるみたいな
そういう思想にも聞こえなくはないんだけどそういうことですよね。
これってやっぱり虚勢不安というもののデカさを
幼児期の経験の影響
むしろ案に語ってると思うんですよ。
やっぱり追い出されたくはないですよね。
俺どこに行っても大丈夫だからって言っていても
内心ではそうは感じてない人はいっぱいいるわけじゃないですか普通に。
私もそうだけど。
でもこの虚勢不安というものは不安だから結局
実際には追い出される気配とか全然ないんだけど
勝手に妄想募らせるということは多分起きるわけですよ普通に。
これも私もしょっちゅうですけれども
この家から出て行けってことかみたいなことを
うちの母も時々意味もなく口走ってましたけれども
そんなこと誰も言ってないだろうっていう事案なわけですよね。
で結局ですね。
あのーなんていうのかな。
外に出るとか出ないとか
外に追い出すとか追い出さないとか
そういうものが言葉で語られていて
意識的にやり取りされているうちはですね
喧嘩になるでしょうけど
まあまあ対応可能な話になると思うんですが
私たちはそれを言葉を直せないところ
そして記憶に残ってない時に
本当はやり合ってないのかもしれないんだけど
心の中でやり合ってしまったりしているわけだという話をしてるんですね。
難しい話はしてないんですが
これは大変難しく聞こえてしまうんですよ。
私もブフロイトを読み始めた時の最大の困惑は
その辺にあったと思うんですよね。
あの夢判断だったかなにしてもそうなんですけど
幼児期憲法とか言った言葉を彼は使うんですよね。
それが私の常識にあまりにも著しく反していたから
そこがよくわかんなくなっていたわけですね。
2歳児までの子供は
我々は4歳ぐらいまでの子はだいたい忘れていると
でこれを幼児期憲法と言うんだみたいな
でそれがね既にこれ憲法なのかっていう
常識的に脳の発達で学ぶわけじゃないですか。
私なんかはアメリカで心理学やったから
脳から始まるわけですよ全ては。
最初の項目がブレインですから心理学だけど
脳の発達っていうものから考えて
もう4歳児までの子供で覚えてないよねみたいな
それを抑圧とかいう概念で説明しようとするのは
昔はよくわかってなかったからそうなったかもしれないけどさ
っていう気持ちになる上に
書いてることも一層よくわかるわけですよね。
書いてることも一層よくわからなかったから
さっぱりわからんって感じがしてたわけですよ。
今思うと確かにそれはその抑圧かどうかは
ともかく一旦置いておくにしても
覚えてない時にやったであろう親との膨大なやり取りは
まあしばしば非常にまずい結果を招くことはありますよねと
いうことはわかるわけですよね。
子供は親はね別にお母さんとイチャイチャして
から家から出ていきなさいとかって言わないし
考えもしないと思うんだけど
子供はそういうことを勝手に妄想しますよね。
でこの松木さんなんかはもうはっきり書いてますけど
後半の方の
あの割と新しい方の本では
新しいと言ってもつい最近出ましたって本当は
でもつい最近も本出てるからな
どの辺もつい最近というかわかんないですけど
まあ空想をする
ひどくひどい時には幻覚を見るってことが起きるわけですよ
つまりお母さんがおっぱいくれないと
くれないというか
まあくれないんですよね
ないと
これはひどいっていうことで
そのひどさは
なんか一時的にからかうとか
そういうことだってあるでしょうけど
子供からするとめちゃくちゃひどいことが起きるわけで
その時に
そこで全く持ちこたえられない人は
これはだから知的な問題じゃなくなっていくわけですよね
その人の知力が十分高くても
その件に関しては全く考えようとしないってことが起こるわけですよね
そして
まあ誰かが私に対して悪意を抱いている
例えばもしかすると来年お給料くれないんではないだろうかと
いうような空想を始めるわけです
で空想はまだいいんですよ
あんまりよくはないけど
これだって大変なことになりがねないじゃないですか
だって給料くれないんですよ
来年来月給料くれないつもりかもしれない
だからこの間私に対してそういえば
こうなんだっけ
例えば給料のフォームのURLを教えてくるの
私にだけ遅かったようだみたいな
そういう妄想燃料関係燃料ですよねほとんど
だけれどももっといくと
つまり赤ちゃんはもっといったってことになる
赤ちゃんは空想と幻想の区別がついてないですから
本当に見ちゃうわけですよ
お母さんが私に意地悪をしている悪い
魔女のようなお母さんを空想してるんだけど
赤ちゃんは空想と幻覚の区別がつかないレベルだと
本当に見ちゃうわけですよ
でそれを大人になって
このちょっとした苦しみなんですけど
例えばそのURLを教えてくれるのが遅れたとか
教えてもらう日に自分風邪ひいたとかね
それはもうちょっとした苦しみじゃないですか
だから例えば今年は
今月はクレジットカードの支払いが苦しそうだとか
ちょっとした苦しみですよね
そういうちょっとした苦しみはありますよね
だけどこれが赤ちゃんの時代の膨大な苦しみに
記憶の中でリンクしてるから
そこからこう苦痛がガッと広がってですね
ライフハックと心理的影響
そしてこの苦痛に対する対処を幻覚を見ることだっていう
赤ちゃん時代の対処の仕方が幻覚を見ちゃうわけですよ
お父さんは家から出て行きなさいと言ってる幻覚を見る
お父さんは家から出て行きなさいと言ってる幻覚を見ましたみたいな
あるいはこのあなたは会社
この会社ですね
この会社からいなくならなければいけませんという通達を見る
もう見るってのはまずいじゃないですか
ここにその紙あるしみたいな
そうなると周りの人はかなり手が出せなくなりますよね
空想が来るかもしれないという
紙が来るかもしれないというね
通達が来てしまうかもしれないという空想もかなり問題がありますが
来たというその紙を見てしまう
こっちは幻覚ですね
こういうことが不安というか
あるところにいたいのにいられないっていうことになってくると
だってもしね狼の赤ちゃんがね
外は吹雪で熊もいますみたいな
今日本中に熊がいるようですが
熊もいますって時に穴蔵から出ろみたいなことを
お父ちゃんが言いますみたいな
それはもう死刑宣告ですよね
つまりこの恐怖と
この組織にいられなくなるかもしれないという不安は
どっかで繋がってきているわけですよね
そういうようなことが
その子に対して力を与える
やばいこの父ちゃん殺そうみたいな
銀玉噛めば殺せるかもみたいな
そういう力を生んでしまうという
この力を力動と言ったり
ダイナミクスと言ったりするんだと思うんですけど
そういう精神力動に
私はライフハックからの
つまりライフハックずっとやっているとね
そういうことを考えないわけには
考えて話を伺わないわけに
基本的には相談だから
すぐ答えられるものはすぐ答えたいわけですが
そこで力動的に
この相談というものを捉えていくと
だんだんここで何かを返すってことは
まずいんじゃなかろうかっていうようなことを
力動的に感じるっていうことが起こり始めるんですよ
なんでそれが起きるのかっていうのは
精神分析の本を読むと
どっかに書いてあるんですよ結構ですね
今どっかにじゃなくて
そんなことばっかり書いてあるんだってことが
なんかこれ読み方なんですよね
読めるようになってくると
書いてあることは基本的に
そういうことしかないんだっていうようなことが
感じられてくるんですよね
最初はどっかには書いてあるっていう感じだったわけなんですけどね
だから力がかかってくると
例えばこうなんだろうな
AIが私の仕事を奪うみたいな
これってその人のある種の不安を
AIの発生とか発展みたいなものの中に見ているわけですよね
ここに力がかかってくるわけですよ
こうしてはいられないみたいな力が
こういうことがライフハックというものにも
ちゃんとあるわけですよね
無視はできないわけですよ
いやAIが奪うじゃん実際にっていう風に
お話しされるかもしれないし
それはAIは今のところこうですよね
こうですよねっていう
だからすぐには奪わないですよ
いろんな話ができるんだけど
しかしそういう話をしても
無駄な気がするこの人の場合は
っていうようなことが
感じられてくるわけですよね
力がかかってくるわけですよ
そんな話してんじゃないぞみたいな力が
だけれども
そんな話をしないと
なると自分黙ってるしかないわけじゃないですか
こうやって黙ってればいいんだろうかっていうと
何か話してくださいみたいなこと
言われるかもしれないじゃないですか
何か話してくださいっていう
ではないとしても
それぞれ何かちょっと本当に
力をかけてきてるみたいだから
佐紀さんはどう思いますかみたいなね
これに対して
私はAIに関してはまだ
あなたの仕事を奪うとは思わないなと思う
っていうのか
どうなの
これって相談のことを言ってますよね
だから相談なんですよ
普通に
別に普通に相談して
普通に回答していればいいんだけど
そこで
でもこの人これを全く受け付けないだろうなって思う
そうした時に
いや大丈夫じゃないですかねと
よく分からないけど軽い慰めを出すみたいな
これは軽い慰めを出せと言われているという
転移が上がってる可能性もあるんですよ
でも私は
そういうことをもともと言いたがって
言いたげなタイプの人間なのかもしれないですよ
ここにですね
知的な何かを入れておけばいいんだっていう
ものの考え方をする人もいるわけですよ
でも私はそうは思わないんですよね
こういうことが分かって答えていればいいんだっていう
つまりそこに正解がある理論ですよね
クリエイションと感情の重要性
そんなものはないと私は思うんですね
この時に
出していく答えは
どういうものであっても
クリエイションだって思うんですよね
だから
これを
どういうものであっても
クリエイションだって思うんですよね
そうすると結局は
本当はそう思ってないとか
本当にそう思ってなくもないとか
そういうものが
全部組み合わさって
クリエイトするしかないですよね
でもどっかで
無駄かもしれないっていう
感情も絶対いると思うんですよ
あるんだし
やっぱりいると思うんですよ
だってそれは相談でしかないわけですから
結局のところは
気持ちも必要だと思うし
それは事実に
そうですよね
相談でしかないんで
で、天意もあれば
デパートとしての精神分析
本音もあるだろうし
偽りもあれば
やっぱり本当のところもあるでしょうし
そもそも佐々木にはAI分かってないってこともあるじゃないですか
でも分かってる部分もあるってこともあるじゃないですか
こういうことを
全部ひっくるめるために
あるんだろうなと思うんですよ
途中言いましたよね
総合商社でデパートだと
そういう必要があるんですよね
ここで失敗をしたとしても
こう
ちゃんとしたアドバイスができる場合にはこう
ちゃんとしたアドバイスができない場合にはこう
それによって相手が黙っちゃった場合はこう
こうっていうのは
対処法があるって意味じゃないですよ
そういうことはあるよねってことですよね
相手がそれによって
なぜか泣き出してしまった場合はこうとかね
それについて考えてることや
解釈してることや書いてあることが
正解だって話でもないですよ
でも相談って
そういうこと
たとえ精神分析や力道の知識が
全くない相談だったとしても
やっぱりやってることは同じですよね
なるべくそれについての知識を
豊かに保っておくことは
いいことかもしれないけど
そうしたほうが相談の結果が
良くなるというわけではないじゃないですか
良くなる確率は高くなるかもしれないけど
だから東方会長さんは一生懸命
臨床をやるよりも
無試験クリニックさんのところに行って
みるみる行って
集中力を持って
集中とかやってれば
統合主張症は良くなるのかもしれないんですよ
臨床心理の人はあれですよね
いやでもそれは本当は治ってないんだけどね
っていうこの本当はを言うんですよね
でこの話は何週も何週も
この番組でもしてますよね
だから本当は治ってないっていうためには
本当はどうすれば治り
元気になっただけで
治ってないということについては
どのように説明できるのかの説明が
きちっとできなければいけませんよね
でその上で
きちっと説明できるのに
お前は治してくれないんだっていう非難にも
耐えなきゃならないですよね
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