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2024-04-22 40:17

相談は「ついでに」【GMV 967】

相手目線だから物思いに耽る。

サマリー

4月22日、久々の収録でありながらアップし忘れたり、PodcastとSpotifyの動きが過渡期的であることに触れながら、3ヶ月チャレンジ第6期の告知を行い、タスクシュートや手帳の使い方について話し、契約文化と人の共感について考察されています。 自由主義的な考え方や環境調整による問題解決について話され、マーケティングやライフハックについての価値観について考察されます。 大橋さんがタスクシュートについて答える中、タスクシュートのセミナーに参加している人々の心の悩みについて語られます。失敗が宿命づけられており、ニーズがニードに変換されることができない人々の寂しさと共感の重要性について考察されます。 相談は「ついでに」【GMV 967】では、相談を受ける側の立場から顧客目線や心の問題について話されています。

目次

収録トラブルと3ヶ月チャレンジ第6期の告知
おはようございます、グッドモーニングボイスです。
4月22日、月曜日、朝ですね。9時46分。ちょっと遅くなりましたが。
しかもですね、なんかこう、結構久しぶりな気がするんですよ。
いろいろトラブルがあって、どうしても撮れなかった日も先週あったんですけど、
撮ってるにも関わらず、アップし忘れたとかね。
これ、前とちょっと微妙に変わったんですよね。
Spotifyのなんかよくわからないんだけど。
僕の環境ならではなのかもしれない。
でもなんかこの、なんていうのかな、このPodcastとSpotifyのいろいろな過渡期的な動きって、
さまざまなユーザーで少し、なんかちょっと話と違うぞ、みたいなことが起きたり起きなかったりするじゃないですか。
多分、ただ単に僕が単にアップし忘れたという、もしかすると本当にタップし忘れたぐらいの可能性もあるんですけども。
後でね、空いた日になったらそれをちょっと差し込んでおこうかなぐらいに思っておりますけれども。
日にち言っちゃうしね。
お蔵入りっていうのもどうかと思うんだけども。
ちょっとそこを先取すればいいんですけれども、全くそういう気はないということでして。
後日ね、4月27日になってるのに4月19日ですとか言ってる可能性はありますということですね。
だからなんだよって感じもしますけどね。
日付そんなに関係ない話してますから。
でもあれだ、告知はね、多分ね、無駄極まりないことになっちゃう気もするんですよね。
そうそう、それでもうすぐですね、間もなく3ヶ月チャレンジ第6期を開催します。
最終お一枠用意しますので、4月いっぱいでお申し込みいただくという方は、
是非PTXの方から申し込みいただけますので、よろしければ是非。
タスクシュートや手帳の使い方について
なんだろうな、メルマガとか配信できればいいんですけど、ないし。
どうしようかなみたいな感じになっておりますが、本当どうしようかななわけですよ。
メルマガとかもやればいいのかもしれないけど、今更ね、これ以外もうやりたくないんですよね。
自分で発信する系。
そうだ、自己発信の話とか、そういう講座もちょっと作ろうみたいに思ってたんですけど、
幸いにもですね、ものすごく今忙しくて、首が全然、そもそもやるべきことができてないわけで、
新しい首をやってる場合かっていう問題もありまして、
どうせいずれ暇になるんで、その時にでもやればいいと思っております。
ので、もうちょっとですね、周辺が落ち着いてきてから。
Jさんも今忙しいんですよね。
だから彼の分も、できるところは僕は少ないけど、サポートもしていかなければなわけで、
新しい自分のことを拡大している場合ではないような気もしなくもなくもないぐらいなんで、
要するにどっちでもいいような気分なんですけれども。
あとそれとは何の関係もないんですけど、ちょっと値違いが発生して、値違い事案で、
これが起きるとさすがに痛いなって感じなんで、この辺もありましてですね。
ちょっと今文字通り首が回ってきた。ギャグじゃないんですけどね。
第6期のまず3ヶ月チャレンジね。
これもそもそもあんまり告知がちゃんとできていない気がするので、
もう一枠用意しましたので、1ヶ月お試しコースという、
誰がお試しって言葉をこの意味で使い出したのかっていうのを昔大橋さんと喋ったことがあるんですけど、
本当お試しコースも用意しますから、よろしければぜひお願いいたします。
これがめべりしていくとだんだん私もまた、
これやたら増えるって言い方は大変失礼なんで撤回しますけども、
でもやっぱりキャパはあると思うんですよ。
一方を一方とセッションするというので、
全フリでこれにしちゃうっていう考え方もあると思うんですが、
なんかそういうわけにも現実にはいかないわけですね。
僕はやっぱり多種多様にやっていって整形を立てるというやり方できてるんで、
急に何か一本にしちゃうみたいなのも、
なんか私らしくはない感じがするんですね。
これのポッドキャストの位置付けそのものが怪しくなってきますからね。
これは本当に告知。
そして行き始めたのも多分500回超えたあたりからだという感じがするんですよ。
ちゃんとこれの告知効果ってあるんだなっていうのが分かってきたのは、
500回超えたあたりからなんですよね。
面白いですよね。大変ありがたいことですし、
何が面白いかって数が全然、
そういうSNSのプロフェッショナルな人からすると、
いや告知する数じゃないでしょって言われる実数としては間違いなくそうなんですよ。
すごい方は数千数万みたいなオーダーになるわけじゃないですか。
知らないですけど。
僕はもう数百ってオーダーから一度も出たことがないわけですね。
でもその割には、
これで告知するとしないとでは、
セミナーと全然違う感じがある。
全然違うは言い過ぎか。
でも違いははっきりあるなって感じがあるんで、
これ頑張っていこうみたいな。
ノートぐらいは本当書こうとは思っているんですけれども、
何のために自分がノートを書くのかと考えだすと、
豊か人でいいかみたいで、豊か人やってますね。
月に1回、僕だけタスクシュートからずれたこと書いてるようなんだけど、
これについても今日話せれば話そうかなと思っております。
そういうことで3チャレフォントに私としてはプッシュしたいのでよろしくお願いします。
本題はですね、
以前大橋哲夫さんがタスクカフェというのをやっていた頃に、
時々聞いされていた話にですね、
タスクシュートについての質問というより、
Excelについて聞かれることが結構ある気がするっていう。
これもタスクシュートについて聞いてるんだけど、
例えばここをこういうふうに動かすとこうなるっていう、
それはExcelの機能の話だよねっていうこういう話ですね。
僕これがですね、まあ差もありなんだし、
契約文化と人の共感
当然だよなと思ってたんだけど、
最近手帳が出たじゃないですか。
手帳が出て、あ、当然ではないんだっていうことをまずね、
当たり前なんですけれども、
まずそのことを再認識したわけですね。
つまり手帳でそれはあんまり起こらないよねってことなんですよ。
これはまあ先日Zoeさんとお話ししていて、
そういう話になったんですね。
まあ僕もその手帳を開くたびにそのことは確かに考える。
まずスイッチどこだろうって考える人は誰もいませんよね。
これ認知心理学でね、あるんですよこういう議論がね。
デザインの話と絡めて、
結局のところ人間は素朴で原始的で自然に近いものを扱うやり方は、
まあアホダンスという地で知ってるけれども、
デバイスというようなものになってくると、
そういう地の体系が全然通用しなくなるのでなりますよね。
だからタップの仕方だの、ダブルタップするとどうなるだの、
スワイプするとどうなるだのっていう問題で悩まなきゃならなくなっちゃうわけですね。
直感的にそれをどうすればいいのかが、
つまり手帳だったら開けばいいってことがわかるわけですよね。
どっから書くとかいうのも基本的にはないわけですが、
タスクシュートでエクセルで、
例えば僕もそんな使い方があるということすら思い浮かばなかったんですけど、
一番上の行から書かないとかね、そういう方もいらっしゃるわけですよ。
あるいは一行ごとに間を空けるとか、見やすくするためなんだと思うんですけど、
でもタスクシュート的には一行ごとに間を空けるっていう発想を、
ユーザーが持つと想定されてなかったと思うので、
私も聞いてなるほどと思って笑いが止まらないと言いますか、
すごい想像できる半径はやっぱり一人一人当然、
あって当然ですが限界があってですね。
まるで何かね、デザインの話みたいなのをしているように聞こえるかもしれませんけど、
全然そうではなくてですね。
私が言いたいのは、ずっとこの番組でも話してますけど、
大体この番組で話していることって中身についてか外見について、
全域なんですけどね。
グッドバイブスを取ってもグッドバイブスとはこういうものですっていうのと、
グッドバイブスを取り向く環境とのグッドバイブスとの関係みたいな話、
してるつもりなんですけれども、グッドバイブスだった場合はですね。
少し言うともう割と僕は中身についてここでしゃべることはほとんどないんだけど、
取りまく環境ってのがあるわけですね。
精神分析も精神分析だったらどっちかっていうと、
本の中で取りまく環境の話ばっかりだなっていうケースもあるわけですよ。
どっちに興味があるかっていうのは人それぞれですし、
それで今日は取りまく環境に近い話なんだけれどもですね。
私ライフハックの人たちというか、
ライフハックセミナーって私は大変よくできたものが多かったって今思うと思うんですね。
これが良いのか悪いのか、
マーケティング的な話も含めて良いのか悪いのかすると本当に微妙になってくるんですけど、
私はやっぱり臨床心理的な視点は絶対取っちゃう方の人間なんで、
これは昔からそうなんで。
やっぱり悩みを相談してきた人の視点というものに近いところに僕は入りやすいんですね。
日本人は割とそういうところもあるんですよ。
特に心理職の人はね。
ロジャーズが受けたってのはそういうことなんですよね。
共感しろ共感しろ共感しろみたいな。
来た人に共感しなさいと。
来た人のメリットになるように頑張りなさいと。
だからユーザーの不利益とかクライアントの不利益って言葉にものすごく敏感だと思うんですよね。
一見欧米でもそういうように見えて、だから契約があんなにしっかりしてるじゃないかっていう話は当然あるんですけど、
契約がそんなにしっかりしてるというのは意外とそうじゃねえんじゃねえかっていう風に、
そういう人はもちろんいっぱいいると思いますよ。
共感性豊かな人とかね。
私アメリカに行ってつくづく感じたのは、
この人に共感されない感覚というものを乗り越えないと、
ここでやっていくのは辛くなりすぎるっていう。
何回かそれで辛くなりすぎたことがあったんで。
やっぱり表面的に共感してくれてるのかどうかってのはやっぱりわかりますからね、人間は。
だけどそこを縛るためにある意味契約っていうのは存在してるわけで、
日本人は契約文化に慣れてないというのが大体ネガティブな意味で語られるんですけど、
私は大筋いいことなんじゃない、少なくともいい面があるんじゃないかっていうのはよく思うわけですね。
そこは絶対デメリットはありますけどね。
特に欧米的な世界観が地球全体を覆いつつあるような状況では、
日本は特にそうですけど、契約文化に慣れてないとかはダメだっていうのはわかるんですけど、
でもこれで結局縛られないと人に共感するのも難しいっていう難しさもあるわけですよね。
その難しさっていうのは日本人にはなんか私はなかなか、
僕アメリカ行ってこうなるっていうこれがわからんっていう感じがしたものなんですよね。
これがいいっていう人がいるのもわかる気がするんだけど、
いやーこれ辛いだろうっていう感じがですね、
立場がいい人は実にいいと思う人も多いでしょうけれども、
立場厳しい人にとってこれ辛いよねっていうのは非常に思うところはなくはなかったわけです。
その辺はどこ行っても同じっちゃ同じなところはあると思うんですけどね。
立場の弱い人が気楽に生きられる社会なんてないと思うんで、
そういう意味ではそうなんだと思うんですけど。
何が言いたいかというとですね、
なんでライフハックが私がよくできてたと思うかというと、
極力そこでは価値観が廃されるような、
そういう人が集まってるっていう面があったのと、
自由主義的な考え方と環境調整
自由主義的って言えばそういうことになるんだけど、
プラスですね、
自体をグッドマイブス的ではないんですけどね、
あえてここでそういうことを言いますが、
環境調整によって問題解決を図っていきましょうって考え方じゃないですか、結局。
仕掛け学とかいう本が一時ちょっと出ましたけど、
バスケットボールのカゴみたいなのを絵に描いて、
そこに狙っていくとゴミがゴミ箱に落ちるっていう、
新入学のデザインみたいなのをうまく扱ったようなね、
そういう話ですよ。
そういう話って、
ある意味環境環境環境しすぎるところはあるんですけれども、
全然人間の意志力みたいなものが、
すっごく宛にされてないところがあって、
それはそれで確かに、
よくないっちゃよくないのかもしれないんですけど、
これのただいいところは、
すごくある意味中立だってことなんですよ。
だから、
あなたやる気がなくちゃダメじゃないみたいな話を、
極力出さないように出さないように頑張るから、
必然的にですね、
特にお悩み相談になった時に、
素人っぽさは当然あるにしても、
訓練積んでるわけじゃないから、
カウンセリングの場に近づいていくんですよ。
われ知らずなんですけどね。
なぜなら、
科学史観が廃されてるからなんですね、ここでは。
ライフハックって僕は昔、
55年体制にもじってですね、
ライフハックってのは、
イデオロギー問わないんだよっていうことを、
東西冷戦みたいな話にもじってですよ。
要するに、
共産主義の人がね、
共産主義を広めるために時間を効率化したいといえば、
ダスクシュートを進めたりGTDを進めておけばいいし、
そうじゃなくて、
バリバリの保守派の人が、
日本をもう一度軍国主義にするんだって言っても、
じゃあダスクシュートでどうぞっていう、
こういう拙走の無さが、
ライフハックなんだっていう話をしたことがあるんですね。
今もそういうのはそうだと思っているんですよ。
要するに、
例えば、
メディアを使うじゃないですか、どっちも。
新聞も使うじゃないですか。
やることは、
主張は全く逆でも、
同じツールというものを通じてやっていくっていう点では、
変わらないわけですよ。
だから、
そこでは、
何主義でなきゃいけないっていうのがない。
っていうのが、
私が最初の頃にライフハックが非常に好きだった、
大学生ってそういうところあるじゃないですか。
大学卒業直後ぐらいで、
そういうイデボロギーもほんとやめてほしいわっていう、
そういう気分は、
私なんか寺だから家がね、
もうその、
イズムというもの、
一切廃した世界に生きていきたい。
無理なんだけど、
そういうことを無双するわけですよ。
ライフハックいいよなっていう、
そういうところが、
ノート術に何主義はないわけですよ。
モレスキーに使えみたいなのがあるのかもしれないけど、
基本は、
何使って何書いてもいいわけですよ。
術がそこにあるだけで、
思想はないってことですね。
だから私思想性があるライフハックとかいう言葉がすごく苦手だったわけですよ。
今のような文脈があったからね、
僕の頭の中に。
いや思想ないからいいんじゃんっていう、
哲学とか思想ないからいいんじゃんっていうね、
すっごいあったわけですね、
僕の中では。
そこが無色透明じゃなかったら、
もうライフハック、
辛くなるだけじゃないですかっていう、
そういうのがあったわけです。
REDとかね、
読むと、
なんか僕はそういうふうに、
やっぱりこう、
イデオロギーというものに、
こうアレルギーがあって、
自然な世代に生きてますから、
もう本当に、
白黒で浅間三相とかを時々見るとですね、
いやもう無理だわみたいな、
あそこまでは行けないわっていう、
あそこまで戻れないわっていうね、
あのがあったんで、
割とそれがしかも近いところの世代にあるんですよ。
10年ぐらいしか違いない。
せいで15年ってところなんで、
15年でこれじゃたまんないわみたいな、
15年だったらあっという間じゃないですか。
あっという間でもないけどね。
ライフハックやマーケティングの価値観
で、
そういうのがあったから、
ニュートラルなのがいいと思ってたわけですね。
ニュートラルじゃないんですけどね。
でもまあニュートラルな方だと。
で、
そうするとね、
答えられないんですよね、
お悩みに。
これがすごく大事なポイントなんですね。
答えてないわけです。
Lifehack偉いなって僕がよく思ってたのは、
特にセミナーとかで、
何にもこれといったことを答えられていないというのが偉い。
よく思ってたんですよ。
あの、
よくね、
心理職の、
それこそ正規の人が誤解するのが、
なんかこう、
Lifehack会とか自己啓発会は、
もうガリガリね、
押しつけがましくて、
えっと、
俺の言うこと聞け!みたいな感じに、
言ってるんだろう、
どうせぐらいのノリがあるんだけど、
そんなこと全然ないですよね。
特にLifehackって全然そうじゃないんですよ。
何でかっていうと、
えっと、
そういうのが多分苦手な人が集合しているから、
まず第一にないのと、
第二に、
あの、
すごくこう、
それこそ術じゃないですか。
仕組みとか、
ハックハックしてるわけだから、
えっと、
なるべくそこにイズムが入ってこない方が、
えっと、
方法論として優れているっていうのが、
価値観として、
これ価値観なんですけどね、
価値観としてあるわけです。
だからタスクシュートを使うから問題が解決するのであって、
えっと、
なんかね、
ここで、
えっと、
そうだな、
なんでもいいんですけれども、
あの、
こういうふうに言うとパッとは出てこないんですけど、
要するに、
何かを信じているからとか、
自社物価に祈ったからとかではないってことなんですね。
あの、
昔タスクカフェじゃなかったと思うんだけどあれは、
えっと、
私がセミナーやった時に、
いやでもね、
やる気とかを出して、
タスクシュートバリバリやって、
仕事をガンガンやってたら、
会社の歯車に鳴らされてしまうじゃないですかって、
これ作種問題を訴えてたわけなんだけど、
僕その時やっぱね、
答え淀んだんですよ。
で、
後から、
その直後は嫌だったんですよ。
淀んでしまった自分が嫌だったんだけど、
後から考えてみると、
あそこで淀んだってのがいいんだよなって思うんですよね。
なんかこう、
うーんってなるわけですよ。
この、
うーんが大事なんですよ。
これをまあ物思いと言ったりするんだと思うんですけど、
やっぱここで、
なんていうんですかね、
ズバッと出したものは大体、
こっちの都合を言ってるわけなんですね。
いやいや、
あのー、
歯車にならないから大丈夫だから、
タスクシュート使いましょうみたいな。
こう、意味わかんない。
でもこの方がいいっていう、
マーケティング的にいいって言われると、
非常に難しいところあるんですけど、
今のような答えじゃないですよ。
でもまあ上手いこと言うってわけなんだろうけれども、
そうではないんですよやっぱりね。
上手いこと言えないからいいわけ。
だと僕は思うんですね。
なんで上手いこと言えないかというと、
まあロジャーズなんですよ。
クライアントの立場に立てってことなんですよね。
クライアントにとってベストなのは、
何なのかってことを考えろってことだと思うんですよ。
まあ非常にこう、
これもありきたりで、
素人臭くて、
子供っぽいことを言ってるようなんだけれども、
綺麗事っぽいんですけどね。
でも、
ここからなんだと。
ですよね。
つまりクライアントのメリットってものを
大事に考えたとき、
その人はページの歯車になりたくないって
言ってるわけじゃないですか。
でもこのセミナーには来てるわけじゃないですか。
例えばやる気出すだの、
タスクシュートやるだの、
ライフハックどうのっていう。
その人はつまりどういうニードを持ってるのか。
ということがやっぱり大事だと思うんですよ。
私がこういう風にやってみたらいいんじゃないでしょうかって
さらっと言ってしまうと、
これは僕都合で喋ってますよね。
大体そうなるんだけど。
私都合で喋っちゃいますよ。
時間にも限りがあるし。
でもいつまでも物思いにふけてると、
こいつなんかアホなんじゃないかって思われるのが嫌だとかね。
でもこれは僕都合ですよ。
やっぱり僕都合で喋っちゃダメだと思うんですよ。
で、お客様都合を考えていくと、
お悩み相談とクライアントのニード
どこに行き着くかというと、
外してそういう質問が飛んだ時は、
この人はニードがニーズになってないんだってことに
行き着くしかないんですよ。
つまりこの人は何を望んで何が不満なのかを
こらえきれてないんだっていうのが分かる。
これに分かるには時間がかかる。
仮にこれが分かったとしてですね、
じゃあ何を提供すればいいのかっていうのは
いよいよ分からんじゃないですか。
だって相手が何望んでるかが分かってないのに、
こっちが何提供していいかが分かるはずがないですよね。
これは見にくいことですけどね。
ここに失敗というものが出てくるわけですよ。
この時僕は100%失敗することがもう
宿命づけられてるようなところがあるわけですよね。
いやでもそこをあえてやっちゃったくされるかも、
懸念があるかもしれないけど、
慎重に気をつけてでも、
例えばですよ、
言うとか言ったってわけじゃないんだけど、
例えばこういうふうに言うとするじゃないですか。
もうここはタスクシュートやってみてください。
騙されたと思ってみて。
これはすでに失敗してますよ。
これは相手はそんなことを言ってほしいわけではないわけですよ。
こういうふうに人は現実とめぐり合うことができるわけですね。
つまり私がここでこの人にね、
実はすっごいその人が望んでることが、
いやもう会社辞めてしまいたいんだっていうことだったとするじゃないですか。
そうか、タスクシュートの話しに来てるわけですけど、
あなたの作種っていうのを聞いてわかった。
あなたは会社変えたいんでぜひ転職をお勧めします。
なんならいい転職サイトを教えます。
で、相手がすっげー喜んだとするじゃないですか。
これはまずいわけですよね。
いいんですけど、たまにこういうことが起こるのもいいんですけど、
そういうことも起こんないですしね。
大橋さんのタスクシュートに対する答え
でもこればかりがその人に、その人の人生でこればっかりになると、
その人は永遠に自分の外に出ることはできなくなってしまうという話は散々しているわけですが、
散々しているわけですよ。
要するに自己愛一変等で、自己愛が完全に満たされる世界に生きていくことになるわけですね。
そんな人生は送ることができないので、
どこかでひどいトラウマを食らうことになってしまうので、
悲惨じゃないですか。
だからそれは良くないわけですよ。
まあそういうことはできないんですけどね、さっきも言った通り。
100%僕は失敗することを宿命付けられてるんだけど、
失敗するということは相手にとって私がですね、無能だってことにレクアスってことなんですよ。
だってタスクシュートなりライフハックなりのセミナーにお金を払って、
わざわざその社会の歯車になりたくない方がやってきてくださったということは、
すっごい期待していたわけじゃないですか、どこかで。
表面的にあれですよ。
いやいやそんなね、ライフハックに対して期待なんかしてませんよって言うかもしれないけど、
すっごい期待してるところがあるわけですよ。
それなのに私がうーんって言って、はかばかしい、何も言えない、無能だ、
ああもう本当絶望的だわっていう、これがすごい大事ですよね。
こういうふうになって、自分は何か自分のために何かを見つけ出さなければいけないっていうふうになるじゃないですか。
やっぱりその、中ちゃんの前からお母さんがいなくなるというのは時代秘事なわけですよ。
だから泣くんですよ。
泣くんだけど、赤ちゃんだから、何で泣いてるかは分からないわけですよね。
これはお客さんを馬鹿にして言ってるわけじゃないですよ。
僕らみんなこうなんですよ。
ニードがニーズに変換できないんですよ、自分ではですね。
だってニードをニーズに変換してくれたのは母親であって、
この世の仕組みというものを全部教えてくれたのも基本的には親であって、
その国の言葉とかね、全部僕ら一つとして自分では開発はしないものばかりなので、
環境というのはそういうものなのであって、
だからニードをニーズに変えるっていうのは自分一人では決してできないんですね。
で、泣く。泣くとお母さんが出てくる。
ということはつまり、何かに失敗しない限り、人は自発的努力ってものを始めないわけです。
自発的努力を始めたというのはお母さんが世話に失敗した瞬間から始まるわけですよ。
で、絶対失敗はするじゃないですか。
失敗しないってことはずっと子宮にいるってことになる。
これがだから自己愛の究極形なんですけど、ずっと子宮にいるってことになっちゃうわけですよ。
欲しいものがあれば即座に出てくる。
その場にただ黙っていさえすればいい。
それはもう私という概念は当然ないし、
人という概念も外部という概念もか、現実という概念もない世界ですよね。
だからそのようなところに生きていくことは不可能なんで。
そうすると手塚治虫さんの書いたカプセルになっちゃうんで。
でも情緒的にはそれに近いところに生きていたいっていうふうに、
我々は思う生き物なわけですよ。
だから例えば、仕事術的に即して言うということですけど、
社内プレゼンの練習を30時間頑張るみたいなことが起こるわけですよね。
虚空の壁に向かって、
では今日はこれから私佐々木翔吾がプレゼンさせていただきますみたいな。
やばいここをとちったから直そうみたいな。
これ完全に自己愛の世界なわけですよ。
自作自演をやっているわけですよね。
聴衆も自分が想像した人間ならば、
失敗というのも自分で定義して、
何を言うべきか、何を言えばいいのかも自分で設定して、
全部自分なんですよ。
取り巻く全てが自分になっていく。
その中で自分をどう出すかと。
自分が自分に向かって喋り、自分が自分を評価して、
っていう世界から出られなくなってしまうわけです。
だからそこで起こる嫌なことというのは自分で定義する。
そこで起こる悪いことも自分で定義する。
いいことも成功も気持ちの良さも全部自分で定義する。
これはつまり他者とは出会わない世界なわけです。
だからその人にとっては会社の歯車になる。
でも嫌なことですよ。
だけれども私にとってはそうではない。
でも同時に私はこの人は嫌なんだろうな。
だからタスクシュートでバリバリ仕事ができるようになるということが
必ずしもいいことじゃないんだろうな。
でもタスクシュートのセミナーに来ちゃうんだな。
そういうふうに考えているうちに答えはむねるじゃないですか。
思い悩むじゃないですか。
つまりあれですよ。
物思いにふける。
ふいにそこから私が周りに人がいてね、
セミナーに来て登壇しているということも忘れて、
隣におかし先生がいるということも忘れて、物思いにふけちゃう。
この私の姿はその人が自己愛の世界に
つまりタスクシュートされたくないんですって言っている人が
実はセミナーに来ているように見えて
どこにも来ていないっていう姿そのものですよね。
それが私に東映ドイツ化していくわけですよ。
私のほうでね。
私がその人の世界に入っていく。
隔絶された世界に入っていく。
物思いをふけりながら入っていく。
一瞬ですよ。
僕はそのまま30分黙ったってわけじゃないですよ。
一瞬だけどそういうことが起こるってことですよ。
そしてよくある漫画とかでうまくやりますよね。
心の中にスポットライトが当たって、周りが薄暗くなって
人の存在感が消えていく。
そういう世界にいると寂しいですよね。
その寂しさこそ多分その人が訴えてきた
搾取されるって寂しいじゃないですか。
自分がやりがいを持って仕事をするというのにも関わらずですね。
そうやって頑張っているものは全部ただ会社に吸い上げられていって
その中で一番わずかな部分だけ戻る。
これが世の中なんだっていう生き方をするのは寂しいですよね。
この寂しさを理解するのが共感ってことになるんですよね。
ロジャーズ的に言うと共感大事っていう話ですよね。
一致しましょうね、相手の気持ちとってことですよ。
別に今日私はロジャーズの紹介がしたくて
この話をしているのではなくてですね。
これが起こるよねってことなんですよ。
Lifehackのセミナーでも。
ダイレクトに心の悩みをお聞き、話しくださいとか言ってるわけではないわけです。
つまりたてつけとしては仕事術であり
どうやったら効率的にできるんでしょうとか
どうやったら平時は無理でも1時間ぐらいの残業で帰れるんでしょうとか
どうやったら家に帰っても少しは元気でいられるぐらいの働き方ができるんだろうとか
そういう話をしているうちに
ついに心の話に入っていくっていうたてつけができてるところが
Lifehackの良いところだって僕は思うんですね。
心の悩みを聞きしますというたてつけではないにもかかわらず
それが起こるっていう状態。
だから私は冒頭で大橋さんはタスクシュートについての質問を受けているようで
実はExcelについて答えていたっていうのは
そういう話をしたかったわけですね。
こういうことは往々にしてあるんですよ。
だから手帳がいいとかいけないっていう話じゃないんだけど
タスクシュートがExcelでできているからこそこれは起こるわけ。
っていうのが結構僕は馬鹿にできないってよく思うんですよ。
タスクマンについて答えているようでも
実はただスマホの操作についてあるいはスマホの環境設定について答えてるってことは
すごい多いんですよ。
もう5割超えてるかもしれないんですよ、はっきり言って。
通知設定を変えるとかだって通知出すぎるんですよ、タスクマンって。
いやそれは通知の設定の問題なんで
iPhoneの設定変えましょうねみたいな。
これはiPhone屋さんになってるわけで。
でも人の相談ってこういう風に起こるんですよね。
だから僕は心理職の人が
お気持ちはよくわかりますけど
心の相談が業務独占になってないのがいけないって言っても
業務独占にはできっこないよなと思うんですよね。
例えばスマホの操作を業務独占にできるかっていう話なんですよ。
パソコン教室って巷にありますけど
そして行ってる人はちゃんといますけど
パソコンの操作の仕方そのものを習いに行こうっていう人は
ある意味、これは非常にある意味なんですけど
意識高いわけですよね。
年配の方でそういう方が頑張って行ってるっていうのは
いろんな理由があると思うんですけど
基本的には意識高いと思うんですよ。
多分多くの人は
パソコンの操作を聞きに来るというよりは
やっぱりタスクショーを作ってるうちに
パソコンの操作が不慣れであるということに自分で気づいて
どっちのことを聞いてるのかよくわかんないんだけど
パソコンの操作について教えてもらいました
みたいになるはずなんですよね。
こういう意味では
iHack界っていうのはすごい節制していたというか
自制心高かったなと思う。
明らかにその質問に対しては
心の領域に入るよねっていうところでは
多くの方が答弾している人の方ですよ
言い淀んでるっていう印象があったんですよ。
言い淀みたくなかったと思うんですよね、みんな。
でも言い淀んじゃうと。
言い淀みたくなければ
心の悩みと失敗
もっともらしいことをずばずば言うってことは
実際可能なわけですよ、やろうと思えばね。
言い淀むってのがすごく価値があると僕は思うんですね。
分析的に見る癖があるから。
やっぱりそこで物思いにふけりかねないっていうのが大事だなって思うし
そこでやっぱり失敗するっていうのが欠かせないよなと。
失敗しないとやっぱり
こいつらに聞けば何でも答えてくれる世界っていうのがあるってことは
泣きさえすれば
私が一番望むことをやってくれるという風なぐらい
お母さんを絶大的にお母さんに信頼しきるっていう
それは一見ある種の理想のようなんだけど
全然そうではないし
大体そこには嘘があるわけですよ。
ほとんどの場合、失敗は宿命づけられてるわけですね。
ニーズを発した時に出すニーズは全て間違っているはずなので
そうですよね。
赤ちゃんは泣く。
寂しさと共感
それはお腹が空いてるんでしょうけどミルクが欲しいだけじゃないんですよ。
だから母親は必ず失敗するっていうのは本当に正しくてと僕は思うんですね。
やっぱりあそこの登壇してる人はみんな環境都市の母親だから
失敗は宿命づけられてるんですよね。
ニードが発された時には
ニーズがはっきりしてれば別ですよ。
このタスクまでの並べ替えはどうしたらいいんですか。
これはもうニーズなんで最初から。
ここで間違うことはないですが
何言ってるのかよく分からないような質問が飛んだ時は
決まってニードが発されているので必ず間違う。
この間違いにしかも自覚的であるほど僕はいいと思うんですよ。
お母さんだってなんでこの子泣くのかな。
さっきミルクあげたしなんとかだしなんとかだしなんとかだし
なんでなのかなってなった時に物思い吹けるわけじゃないですか。
これがいいってもんじゃないですか。
これがあるからこそ
相談を受ける側の立場
こういう時になお物思いに吹けるっていうのは
この子のために。
でも泣くならば私としては全部やったと思うんだけど
やってあげたいって思うから。
つまり顧客目線ですよね完全に。
相手都合で考えて。
自分都合で考えればいやもう私やること全部やったんだから。
あとは勝手に泣いてないよみたいになる。
そういうこともあるし。
それもまた必要なんだと思うんですけれども。
でもどっちにしてもそこで葛藤がある。
この葛藤がないと多分すげードライですげー冷たいっていう感じになるか
それとも葛藤のない世界に生きるというものすごく寂しい生き方になっちゃう
という話なんだと思うんですね。
だから話元に戻るんですけれども。
ある事柄について聞いたときに心の問題が返ってくるという
ある種の失敗が割と欠かせないたてつけだなと。
心理専門のカウンセリングはそうでは決してないですよ。
専門のカウンセリングは心の悩みを話しに来てくださいという看板になってて
そこに行くと。
のの医者は微妙なんだけどライフハックってずっとそうじゃなかった。
ある種ののの医者もそうではなかったと僕は思うんですね。
例えば専門にしているところはそうだと思うんですよ。
夫婦カウンセリングですみたいな。
多分そこには夫婦じゃない問題が持ち込まれていくんですよ。
ほぼ確実に親子問題とか金銭問題とかね。
でもそこで、何て言うんだろう。
跳ねつけはしない。
でも思い悩みはする。
っていうのが出るはずだと思うんです。
なんならファイナンシャルなんとかに相談に行くっていうのもあると思うんだけど。
それだってその話はこっちですみたいにはならない。
僕らだってそういうふうにはできないじゃないですか。できないんですよ。
仕事をどこまでも先延ばしにしてしまっても心がとても苦しいみたいに。
それはちょっとここじゃなくてニンチコード旅行のあの人のところに行ってくださいみたいに。
言ったこと一回もないですもん。僕そういうのは。
そういうふうに簡単にできる話ではないっていうのも合わせて、
このHiWiでは機能しているんだよなと。
ただそれはあれなんですよね。
心の問題との葛藤
空発的な産物なんで。
だからもっとこれを、私なんかはですけどね。
他の人はそういうふうに思わないかもしれないけど。
私なんかはそれをうまく、うまくっていうのかな。
システムとしてとは言わないんだけど。
システムとしてやらない方がいいと思うんですけれども。
でも滑らかに回るような何かが環境的な拡充ですよね。
充実がなかれるといいなぁみたいには思ってるわけです。
なんかちょっと先日ちらっとしゃべったかもしれませんけど、
自己発信みたいな話をやろうかなと。
今そういうことをやってるのには首が回らないっていうのは冒頭で言ったんだけど。
つまりそういうことなんですよね。
自己発信というものが一つ鍵になるだろうという感じは抱いているわけですね。
合わせて何かあるだろうなっていうのがあって。
これは割と会話の充実みたいな話に近いところもあるんですけれども。
今世の中の流れはすごい変わっておりますしね。
よく言うんですけどね。正式の心理師に繋ぐみたいな話。
繋ぐべきだみたいなのもあるんだけど。
繋ぎたくてもできないしねっていう。知らないしねっていう。
そういうところがいろいろあるので。
それがおかしな形ではない。おかしいですから。
今そのまんまストレートにこれをやっちゃう。
先送りでしたらこの心理師さん。
女子のパワハラが嫌だったらこっちの心理師さん。
絶対おかしいんで。
これは医療窓口みたいになっちゃうんだけどそういうんじゃないんで。
そういうことではないだろうと僕は思うんですよね。
明らかにそうではないと思う。
だから大橋さんがタスク集と並べ替えの話だったらできるエクセル読みなよみたいなの言ったらおかしいじゃないですか。
でもそれが不自然じゃない形でできるエクセルみたいなのがあればですね。
示すことはできると思うんですよ。
そういうものが実は心の領域にはほぼ一切ないという。
全くなんかないんだけどでも非常に希薄なんですよね。
手薄なんです。
エクセルとかの充実ぶりに比べるとめちゃくちゃ充実しすぎていて。
書店さんが困ってるんじゃないかと思うぐらい充実してますけど。
あれに比べると心の問題なんてもうほんと手薄もいいところで。
全然何をお勧めすればいいのか誰も知らないみたいな状態になっている。
あれをもうちょっとなんとかできるはずだというのと合わせて今日みたいな話になったわけです。
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