1. 佐々木正悟のライフハックからの精神分析
  2. ライフハックからの精神分析と..
2025-10-28 30:51

ライフハックからの精神分析とはどういう意味?【1271】

ライフハックでは収まらない問題。
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サマリー

ライフハックと精神分析の視点から、新自由主義に影響を与えたライフハックの変遷を考察します。ライフハックは元々大学の研究者たちのアイディアから始まり、時代の変化によってメンタルタフネスやお金に対する不安と結びつき、現代に適応する過程が描かれます。エピソードでは、ライフハックと精神分析の関係について探求し、現実と空想を織り交ぜながらメンタルヘルスの課題に対するアプローチを示唆します。特に自己理解と、依存しない自己肯定感の重要性が強調されます。フロイトは、患者をロクでなしと考えつつも、そのおかげで生計を立てていることについて考察します。このエピソードでは、無意識の欲望や正義感といったテーマがライフハックとの対比を通じて論じられます。

ライフハックの始まり
おはようございます。ライフハックからの精神分析第1271回をお送りします。
なんていうのか、10月27日月曜日21時43分です。
すでに何か言い間違えているあたり、この動画を撮るというのがですね、いかに僕にとって現状邪魔かというのがよく分かりますよね。
あの、ちょっと慣れるしかないと。慣れるまでは、あのいつもの得意の、得意って別に長所じゃないんだけど、ダラダラモードが再燃しないですよね。
多分30分ぐらいでこれ終わっちゃうんじゃないかという気がしています。なんかこう意味もなく緊張すると言いますか、ここには私しかいないのにですね。
はい、えっとですね。まあ、解題ってやつですかね。ライフハックからの精神分析。これは一体何を言わんとしてこういう変なタイトルになっているかというと、
あの、まあこれもすでにお話ししたことだと思うんですけど、ライフハックっていうのはですね、結局、
まあこれ僕の考えなんですけど、どうして発展してきたかというと、これがね、あの新自由主義に結びつくっていうのは少し考えれば当たり前だったのかもしれないんですけど、実は始めはよく分かってなかったと思うんですよ。
その、東方カイトさんのあの地球儀のモデルですね。横、あれは赤道付近にあるのが、何でしたっけ、原発ですね。で、北極と南極を結ぶ井戸に、慶とか、慶戦にあたるやつ、伊戦と慶戦の慶戦にあたるやつが、あの、が勝ちということになってんだけど、ライフハックって思いっきり原発じゃないですか。
それも言うなら、システムエンジニアさんたちの原発ですよね。それがIT産業というか、世界のIT化がぐんぐん進んでるんで、まあ、そもそもシステムエンジニアさんの原発が、全職種の原発と化していくわけですよね。そうするとそれが価値に近いものになるんじゃないかという気もしなくはないんだけど、まあそういうややこしい理屈は置いといて、まあとにかく原発なわけですよ。
だって現場の工夫の集合地ですから、まあ現場地の権限みたいなもんですよね。そのライフハックというものがですね、もともとどこから来てるかというと、あれは私は大学の研究員さんたち、なんなら大学教授さんたちの現場地だったと思うんですよ。
梅沢先生でしたっけ?知的生産の技術、大ベストセラーの、まあライフハック界のある種の経典みたいになっている本なわけですけど、あれが全くライフハックの原点だと思うんですよね。
新自由主義との関係
野口裕強さんの超整理法もそういうものの一種だし、河木田さんでしたっけ?経済法もそうだったと思うんですけど、要はあれらは全て研究者たちの現場地なんですね。
それが昔のサラリーマン、ビジネスパーソンと呼ばれる前のサラリーマンと呼ばれる人たちが、非常にある種の人たちはやっぱり知的なんで憧れるわけですよね。
自分らは会社員やってるんだけど、実は研究者になりたかったんだぜっていうのがね、研究者のノート術とか研究者の情報整理とかにすごく憧れがあったと思うんですね。
それが、ある種のなんて言うんですか、まあ虚勢不安と僕は言いたくなるんですけど、現場会社員、会社なわけじゃないですか、会社っていうのは当時は女性のお茶組に代表されるようなですね、もののみ理不尽な世界でもあったわけですよね。
能力主義とかをこわだかに唱えたくなるような、知的な人はね、絶対そうだったと思うんですよ。
能力主義をこわだかに唱えたくなるような、要は年功序列主義で、しかもなんかもう本当に全然知的じゃない世界だったと思うんですよね。
体育会系で、画伝系で、とにかくその割にはめちゃくちゃ卑屈な世界でもあって、
私がバイトしていた、昭和じゃない、平成なんだけど、平成の居酒屋は多分にそういうところはまだまだあったんで、別に仕事できるとか関係ないわけですよね。
声がでかいとかね、礼儀正しいっていうか、なんかある種の独特の礼儀正しさって言いますか、そういったものが幅を利かせる世の中で、
なんかこう、IT的なノートで知的に工夫すると、そういう連中を出し抜いて、
あいつらなんかこう、やたらとこう、元気だけはあって、なんかこう、やたらと上位かたつだけど、
その、仕事はできないじゃん、みたいな、そういう反骨精神というのかな、ある種のこう、自由な精神みたいなものがライフハックを育んだんだけど、
それが、ある、まあ、その心理臨床の世界で言うと戸方さんが言うところのですね、
心は、物は豊かになったが、心はどうかとか言ってられなくなって、物は全然貧しくなったじゃん、みたいになって、
急にライフハックがですね、新自由主義みたいなものに回収されていく、そういう転換点がどこかにあったと思うんですよね。
僕はそれは、まあ、やっぱり、東北震災があった頃にはもうその流れは完全に決定的なものになってて、
あの頃、ライフハックは一時期、流世紀を誇るんですけど、そこからやっぱり衰退していきますよね。
単なる、何かこう、マネーハックみたいになっていくんですね。
メンタルタフネスとライフハック
ライフハックじゃなくて。で、もう、その能力主義みたいなものが、
以前のその年功序列というような、ある種のガラスの天井というのか、
もっとカッコとした、本当の天井みたいなものがあったんだけど、どんなに頑張ったって、
あの、ある種の年齢になるまでは、係長にも課長にもなれないし、みたいな。
代わりに、あの、一生面倒見てもらいましたし、日本の大企業は潰れませんでしたし、
あの、ナンバーワンとしてのジャパンだったわけです。ジャパンマネーの時代だったから、
理由人ではあったけれども、
我慢していればいい思いはできるというか、少なくとも金銭的に本当の意味で困ることはないみたいな。
ところで、ライフハックっていうのが、まあその、自由を求めての世界だったんだけど、気がつくと、
なんかこう、いやお金めちゃくちゃないし、会社クビになるし、
あの、年功序列とかはとっくになくなっていて、能力主義は当たり前ですよね、みたいになっちゃって、
全然こう、ある種はしご外された感みたいな、ちょっと違うんだけどあったわけですよね。
で、
この中でライフハックっていうのは、まあ言ってみれば変質していくと思うんですよ。変質っていうのは悪いことって、
必ずしもそういう意味ではないんだけど、
なんていうのか、急々としてきて余裕がなくなる。
その中で何が起きているかというとですね、
情緒的なことはさておき、行動を起こすんだっていうのが、
ライフハック的な工夫に代表される考え方として、切り替わっていったんですよね。
つまり、情緒に引きずられない、
ある種のメンタルタフネスみたいなものと、ライフハックが結びつき出していくんですよ。
最初はそういうことなかったと思うんです。
あの梅沙穂さんが、なんかこうね、情報、兄弟式カードとか、
ローマナイズで分かち書きするんだとか、
ノートはやめてタイプライターで打つんだみたいなことを言っていた時代、あるいは
農集協さんがA4の封筒で整理、書類整理するんだぜみたいな、全部縦に並べて、
全部整理すればいいじゃんっていう、そして使ったやつは前に並べ替えるんだよみたいなことを言ってた時は、
別に、そのメンタルタフネスはあんま関係なかったわけですよ、それは。
単なる書類整理の話だったり、情報整理の話だったり、来るべきパソコンの
情報社会、情報化社会に備えてみたいな話だったはずなんだけど、
いつしかそれがですね、もうパソコンはみんなが持ってた当たり前で、スマホもみんなが持ってた当たり前で、
工夫なんて、相位工夫してどんどん生産効率を上げるのが当たり前になってみた場合、
なってみた時代にはですね、そんな今さらライフハック言ってるわけじゃなくて、
ライフハックは常識で、その上で成果主義になったわけですよね。
みんなでライフハックをやり、中でも成果が上げられる。だから結局、
一周回って体育会計に戻っちゃってるんですよ。
で、その中でですね、メンタルタフネスがここに迫ってきたわけですよね。
ライフハックをやるのは当然であり、かつ、
ライフハックをいかに体育会計的に24時間、
24時間働けるかどうかじゃなくて、24時間成果を出し続けられるかどうかみたいな、
ある種過酷な世界が、
しかし非常に機械化された清潔な世界の中での、
何か蟹光線で本当に何かこう泥臭く船に乗って死ぬ思いをするんじゃなくて、
コンピューターの前で死ぬ思いをしなさいみたいなね、そういう
ライフハックになってたんだと思うんですよね。そして日が付くとライフハック本とか全然売れてなくて、
マネーハック本、マネー2.0とかお金の教科書とか、もう何かこう、
オブラートに包まない世界がやってきたわけです。
こうなってきた時に情緒っていうものが、もともと情緒は問題じゃなかったわけですよ。
情緒的安定はそれはそれとして、
まず兄弟式カードで情報をどう整理するかとか、
書類をA4の調整理述でどう整理するかとかいう話だったんだけど、
そこがライフハックと
メンタルをもう止まないためには、そもそも行動を起こすんだっていうタスクをため込まず、
成果を出し続けることによって、その結果から
メンタルに触れさせないみたいな仕事をし続け、
時間もきちんと守って、
成果も出し続けて、お金も稼いで、
世の中にお金の周り良くなくなってるけど、自分の懐具合はちゃんとして、
IT機器とか投資とかも自己投資ね、バリバリすることによって、
バリバリというか、きっちりすることによって、
自分のメンタルが揺れるような、そういう環境でない環境を構築しなさいと、
なんかですね、機械化された万能としての母親みたいになってきたんですよ。
なんか、機械化された環境としての母親、そんな感じになってきたわけですよね。
IT化された環境としての母親っていうのかな。
その中にいれば情緒は安定するでしょうと。
なんなら情緒は、その万能空想に囲まれたところで、
やっぱりゴイングオンビイングさせておくのが一番良いみたいな感じになってもいるわけですよね。
なんていうのかな、その情緒を現実に触れさせるなんてそもそもダメだと。
それやるとトラウマになるみたいなのがミニコットなんだけど、
だったらトラウマは一切やめようぜっていう感じになって、
こう、偽りの事故で自分を取り巻くのは、
ライフハック的には当然だよねっていう、そんなのは全然当然じゃなかったんですけどね。
なんかこう、脳科学みたいなのも駆使して、とにかく情緒は安全なところに安置しておいて、
環境は、そのスムーズに動くライフハック、
これがただ止まったら大変なことになるよっていう、
お金なくなったりしたら大変なことになるよっていう、
あるいはその、何だろうな、
ハッカーに破られるような古いシステムのパソコン使ってたら大変なことになるよっていう、
だから大変なことが絶対起きないように、
あの最前線はすっごいきちんとしておいて、そして、まあ非常に脅迫的ですよね、その世界は。
そこに守られている、
こう、非常にこう柔らかい私みたいなものは、がっちり囲んで安全なところで、
安心、安全な、
本当の自己は守られた世界に置きましょう。これが、
ライフハック時代の、
メンタル、タフネスではだからないんですよね。でも、はっきり言って破られちゃいますから、
こんなこといくら頑張ってやろうとしても、本当に24時間生活は出し続けられますかって無理ですから、
結局のところお金がなくなることもあるし、
老後が不安になることもあります。つまりどっか破られているわけですよ。現実に、
直面してしまって、
環境としての母親は破られて、環境が破られて、
現実のこう、寒風に晒されるわけですよ。
そういうことにも備えるために、心を鍛えると。
レジリエンスとか、メンタルタフネス、タフにしておけば破られても大丈夫って、
なんかこう、だんだんだんだん言ってることもやってることも、
余裕がなくなってやばくなってきているわけですよね、結局はね。
そういうことはあったんだと思うんですよ。
その中で私は、このやり方は、無理だって思ったわけですよね。
最初はITシステムによって、
柔らかい事故は、そもそも下界に触れさせないようにしようと。
ライフハックの限界
柔らかい事故は、アニメを見たり、空想に浸ったり、
なんかこう、ゲームの世界に浸らせておいて、とにかく過酷な現実は、
IT自動化によって、何とか切り抜けていくんだ、
っていう小舟感はあるんだけれども、その小舟を、
なんていうんですかね、全自動システムによって、小舟を重大無人に操るみたいな、
そういうこう、ある意味ジェットコースター間外のやり方を取ろうとしてたんですよね。
で、一方で私のような人間に期待されてたのは、
心理学学んできたそうだから、ライフハックをメンタルにも活かす、だからメンタルハックとか、
マインドハックとか、まあメンタリストみたいなお言葉もありますけど、
そういったものによって、メンタルも大丈夫なシステムの運用の仕方みたいな、
それは結構、実は単位がなくて、怒りに触れそうになったら6秒数えなさいとか、
そういう、なんかライフハックなのか、本当に有効なのか、それみたいな方法が、
割と、手のこの辺のツボを押しましょうみたいなのとか、筋トレしましょうとかですね。
どれをとっても有効そうにも見えるんだけど、有効なのかどうかが、結構微妙な、
こう、ライフハックが、大量に考案されてきたわけですね。
私は、無理があるなって思ったわけですよ。率直に。
これで本当に上手くいくとは思えない。メンタルに、例えばタスク集とか、有効は有効だけれども、
そんな、その、メンタルが真に危機に瀕した時に、
果たしてライフハックをいっぱいやる、そしてそれは実際破られる、
ライフハックいくらやっても24時間働けるはずないのに、
中年の危機と自己探求
24時間働け働けいうような企業は、現実にあったりする。
それは破られるし、
で、破られた時に、筋トレいっぱいしているからメンタル大丈夫っていう理屈はいかにもおかしい。
それから、なんか腹筋は鍛えられても、心は鍛えられるとはとても思えないじゃないですか。
で、私はそういう中で実際自分は破られて、
ミドルエイジークライシスみたいな、中年の危機みたいなのにも晒されて、
もうどう考えても人間関係破綻していってるし、
破綻してなくても怖くてしょうがなくなっちゃってるし、
土壌なくなったなっていうところに、クラズノケイゾウさんですよ、グッドヴァイブスですね、と出会って、
そもそもそんなに恐れる必要があるかっていう、そういう問いを立ててもらったわけですね、彼にね。
アルガマ王の自分というのはそんなに弱々しい存在なのか、
っていう、そういう問いがあったわけですね。それは鍛えたり、
ITで張り巡らせなければ、
守ったりできない、こう脆弱のものだとして、
そういうものを守るとか鍛えるという方法でうまくいくのかと。
あるいはこう、自分で自分の面倒を見るっていうけど、
その自分が信用ならないと思っていて、自分が宛にならないと思ってるのに、
どの自分がどの自分を面倒見るんだっていう、そういうね、
自分で自分を肯定するとか、そういう言葉遊びみたいなことを一切取り払った、
あの観点というものを彼がまあ提供したんですよね。
私はあれだから、もっとライフ発売で流行るべきだと思っていますし、
流行ったら、流行っておかしくないと思ったんだけど、なぜか全く流行らないんですよ。
これがね、なんか私とか倉園さんと一緒に仕事してた時、つくづく思ったんですけど、
この2人が組んでやっていても、あまり未来が切り開けそうにはないと。
で、2人とも結構お金的にも厳しいし、
倉園さんはそのあるがままでやっていて、大丈夫っていうのを信じる。
これを信じることは私もできたんですけど、
そうは言っても、この収益を2人で割っているっていうのはちょっと、
余りにも余りだと思ったんで、やっぱり僕は独立、独立はしてましたけど、
倉園さんともう別々にやっていって、別々に開拓をしていく必要があるなと思ったわけです。
やっぱりこう、このまま2人で半分ずつはまずい、2倍稼がないとっていうね、
それはちょっと思ったわけです。
家族もいますし、家族はグッドバイブス丸々頭から信じ込んでいて、
どんなに貧乏になっても十全十美だから、みたいに思えるというタイプとはちょっと違うんでね、
やっぱり、自分がそれを好きでやるのはいいけれど、
私はそれを好きでやっててもいいと思ったんですけど、
ちょっとこれは難しい、
状況的には難しい、厳しすぎるなって思ったところに、
Jマスザキさんがドイツで悶々としていたところから、こう、なんか彗星のごとく元気になって、
これはもう1回Jさんと、Jさんちょうどなんか、
僕らを、僕らを助けるために自分はやるんだ、みたいなことをおっしゃってるし、
僕らちょうど助け、僕は特にね、助けを必要としていたんで、
まあ、
ちょっとここで頑張りましょうって思って、それがうまく
軌道に乗ることになったわけですね。
その時に僕はそのJさんのお話を、
Jさんの話を聞きまくったっていう程度なんですけどね、僕はね。
聞いているうちに、そしてクラズノケイドさんからの、
そのグッドバイブスの、ある意味教えですよね。
そういうものを仕入れているうちに、やっぱりもう1回精神分析っていうところ、
一番僕のやっぱり頭の中で、これが光ってたというか点滅してたんですよね。
昔、自分が何かつい書で無理やり勉強させられてきた、例えば、
大学時代にDHロレンスのゼミで繰り返し出てきたあのDHロレンス、
そして、まあフロイトですよね。
そしてあの繰り返し読んだのはカワイハヤオでしたけど、
カワイハヤオとユング。まあある意味、ユングはフロイトと出会った時10時間も話し込んだそうだので、
よっぽどうまかったんでしょうね。ケンカ別れしちゃいましたけどね。
あのユングと。
やっぱりそっちの世界なんだろうなと自分は、もともと何かこう訳もわからずのめり込んでいたのはその世界だったし、
その世界なんだろうなというふうに思ったのが精神分析だったわけですね。
で、この精神分析をその時に、
グッドバイブスが大きかったんですけど、Jさんの話も大きかったんですけど、
そのその観点、その観点というのはつまり、今までのいろんな僕の
人生方針とか、
人生戦略みたいなものを全部
あの脇に置いて、
普通に、普通にというか、その
藁をもすがる面もあったんですけど、依然として中年の危機は続いてたし、経済危機も続いてましたからね。
クラザノさんとの
タッグで一番解決できなかったのがこのお金の問題なわけですよ。
精神分析の再発見
断続的にお金は要求されてくるんで、まず税の支払いってあるじゃないですか。
あれ、昨年度の収入に基づくんで、
やっぱり税の支払いだけを滞らせないためでも、僕はもう馬車馬のように働かなきゃならなくなってたんですよ、既に。
あまりにも経済的に厳しかったんで。
サンチャレとかもやってなかったし、今思うと言って何で生きてたんだろうねっていう感じがするぐらい
一時酷かったんですよね。
で、まあお金を儲けたいから精神分析やってたわけじゃないんですけど、やっぱ中年の危機っていうのを
あの河合俳夫さんの本にあったんだけど、中年の危機読んでてもそっくりなんですよ。
あのもう奥さんと別れて、自分の会社も辞めて
トルストイを読みながら、モーツァルトを聞きながらワインを飲んで
田舎の小屋に引っ込むんだぜ、みたいなことを考えている
そういうおっさんが出てくるわけですよ。
そっくりだと。同じこと目論んでるわけじゃないけど、俺そっくりだと思ったんですね。
で、そのおっさんが、そのおっさん、そういうおっさんはですね
結局のところ自分を貫けないんですよね、ある意味では。
いろんなことがあって小説の中で、まあ大した小説、小説って長い小説じゃないんですけど
いくずらのかのことがあって、奥さんが最後
本当に出ていくの?
もう一回何とかやれないかなっていうふうに言われると
結局旦那は、まあ絶対そう答えるのがあの賢明なんですけど
うん、うんって2回言って
あのトルストイとモーツァルト諦めると。これが諦められないっていうのがね
大きな問題の一つなんですよね。もう一回青春をやりたくなっちゃうという
僕なんかその時、なんか狂ったようにトルストイ読んでたんですけど
非常に身につまされるものがあったんですよね
で、あの
精神分析っていうものをもう一回探り始めてみたときに
やっぱあれは分かったことが一つあったのは、中年になるまで自分にこれは分からなかったなってことだったんですね
頭では
理屈はいくらか分かるようになってもやっぱり
実際にお金に困る、実際に妻子を食わせるっていう
それが昭和的であろうと平成的であろうと、令和的であろうと
理不尽であろうとなかろうと、とにかく食わせるのと食わせられないのとではどう違うのか
その時たまたまですね、Xである実業家さんがですね
つぶやいてたのを読んで考えさせられたことがあって
北海道かなんかでね、なんかこう
非常に不幸なほどに凍えて亡くなっちゃった親子っていうのがいらっしゃったんですよね
僕は北海道生まれなんで、北海道の吹雪の中外を夜歩くというのはどういうことかというのは
それなりに知ってるわけでして
いや本当に可哀想になぁと思ったんだけど、その富豪の人が
あのものすごい
お父さんは偉いけど、でもやっぱり
二人とも生き延びなきゃダメだみたいな、中国の富豪の方なんで
それはやっぱりバイタリティのあること言うなみたいな、これ言えば絶対Xでバッシングされるじゃないですか
死も涙もないアホめみたいに言われるに決まってるじゃないですか
でもこれを言わずにはいられない
そういうこう
精神があるんだなっていうのをまず読んで
やっぱりこう妻子に食わせるみたいなのってのはどういうことなのかと
その全然感謝されるとか関係なくですね
それは非常に動物的な何かですよね、なんか狼のオスが
なんかとにかく子供が腹すかせてんだからなんていう想念も持つことなく
外に行っているはずもない鹿とかを探すわけじゃないですか
なんで探してるのかも狼とかはわかってないわけじゃないですか
でも自分だって腹減ってんのに
何のために探してるのかって厳密には言語化もできず
記憶想起とかもできないはずの狼がですね
あの鹿とかうまいこと手に入れた子鹿とかをあの血まみれにして手に入れると
それ全部自分では食わずに巣に持って帰って食わせるわけじゃないですか
これって何なんだろうなって思うそういう観点がないと
あのフロイトってやっぱ読んでてよくわかんない気がするところがあるんですよね
やっぱトルストン読みながらモーツァルト聞いてる場合じゃねえなっていうのは
どっちの方に意味があるかって話とはちょっと違うような気がするんですよ
で私はライフハックで何とか
あの人生逃げ切ろうと思ってたんだけど失敗して
トルストン読むのも失敗して結局そのことを考えなきゃなんなくなった時に
精神分析っていうのをこう
なんて言えばいいんですかね
とにかく小綺麗にまとまるはずはないなっていうのは大きかったんですよね
このこれ全然スマートに
スマートに落ち着くべきところに落ち着いていない私が手を出すものが
小綺麗にまとまるはずはないんですよね
で実際私は精神分析家になれるとも思わなかったしただ
これがフロイトを読んでいてその少年ドーラも読んでいて
その前のアンナ王も読んでいてこの
なんかね
いい大人がですね不倫だの何だののために下手な芝居に自分で自分を騙していくというこの
なんつうんですかね
このどうしようもなさ
そういうどうしようもなさみたいなフロイトが言ったとか言わないとかいう話に
フロイトのロクでなしの考察
あるんですよあの患者はみんなロクでなしだと
でも
私はそういうふうに
言ったというのが問題なのかどうなのかみたいなのが問題視されるのっていうのの
その虚しさみたいなものを考えるようになったんですよね
ロクでなしだっていうのは逆転移だと思うんですよ
でロクでなしだって思っているフロイトがでもその
その人たちのおかげで食えるとフロイトははっきり書きますから
7人とか8人とかしか年間には取れないんだと
お客なんてだって1日7人あの人週4回とか5回見るから
1日7、8人来ちゃうわけじゃないですか
そうすると7、8時間が
セッションで埋まるわけじゃないですかしかもはるばる来るわけじゃないですか
今と違ってITでやるわけじゃないんだから
そういうことを繰り返してやっているみんながロクでなしならば
フロイトはロクでなしの人たちがいなければすぐに食いっぱくれるっていう人なわけですよね
プロフェッサーだろうとドクターだろうと
そしてナチスがどんどんどんどん強くなっていてフロイトのようなそういうこう
気の狂ったですね
えーとなんかすべてはフェニストなんとかでとか言っているだけでも
週4、10日に連れて行かれかねない世の中の中で
みんなロクでなしだとか言っているそのロクでなしの人たちのおかげで
なんとか命をつないでいてまあ最後は結局亡命するんですけど
そういう人じゃないですか
あれがやっぱり僕はすごい考えさせられる話だよなって思ったんですよね
絶対あれアウシュビッツとか行ってガス室じゃないですか
本当に冗談抜きでそうなっちゃうじゃないですか
あれほどのことを考えだしたって
そんなのもうなんか最もこの世でどうでもいいものだぐらいに
扱われてしまうわけじゃないですか
現にビクトルフランクルなんてそうだったわけですから
あの人アウシュビッツにいたわけですもんね
この辺のことをトータルでトータルでは無理ですが
なるべくこう幅広く幅広く考えようとしていったときにやっぱ小綺麗にまとまらないはずの
話なんですよね絶対に
小綺麗にまとまるはずのない話をここでは展開されていると
だから
そういうような状況であって
あの
フロイトがだからさっきも言ったけどわざわざ書いてるわけですよ
一人失うということは交通事故を起こすようなもんですよっていう一人を
可哀想だと思ってタダで人生相談乗ってあげるっていうのは
車の事故を起こすようなもんですよとそれぐらいの損害が
つまり一人当たり100万円くれるんだったら100万円がパーンになるわけじゃないですか
同情心で人を見たりするってことは
でもこれを書くってことはね同情心で人を見たくなることはこんなフロイトに
もう起こるってことを案に言ってるわけですよねこれはね
じゃなきゃそんなこと書かないと思うんですよわざわざ
主旋徒のように金を取るわけじゃないですかある意味
キャンセルしようと金もらえますからねと一回1万円
黙ってこなくっても
何か事情があってこなくっても
セドラックさんの僕はノートに書いたことがありますけど
あのお父さんのお葬式だろうとお母さんのお葬式だろうと金取りますからねと
それが同情からいやあなたはただで
製品分析やってあげますとか言っちゃうと
あなたは交通事故を起こしたのと同じことだよっていうそういう経済的にはね
そういうこうなんていうのかな
禍々しいくらいの欲望ですよねそういうものを扱ってるんですよ
無意識の欲望とライフハック
ある意味ではでそれをお互いそうなんですよフロイトもそうなんですよ
それがなんちゅんだろう
私が思うにリアルってことだと思うんですよね
全然
ちゃんとしてないというか美しくないしスマートではないし
理にかなってもいないんですよね
理不尽なんですよね
そういう理不尽な不合理な
無意識の欲望というもの
そこから出てくるのは
冗長的で原始的な
松木先生が書くところの
松木くにいろさんが書くところの
鍵カッコつきで超自我ですよね
超生理法みたいに
鍵カッコつけて超自我ですよ
要するに二歳児が
ダメって言われた母親に対して
正義の鉄椅を
振り下ろしてね
母親を亡きものにする
これこそ正義だっていう
そういう無茶苦茶な正義感が
自分の中にあるもんだから
実は上手く渡りきれないわけですよね
あいつら全部断罪してやろうみたいに
私がJさんと断罪して
自分で自分の首を絞める
どっからどう見ても賢明でない
行動を取るのは
私の二歳児時代の超自我とかが
アホみたいに
ネタを振りたがるからなんですよね
でもこれが人間ってものなんだ
ということで
何のいいことは
起きないけれども
でも自分がそれを
飲み込めないとか
飲めないとか
それを飲むくらいだったら
二歳児の超自我にネタを振るわせてやる
そういう不合理さっていうものを
扱うからこそ
大人の人生相談なんですよね
私はこれがライフハックでは
追いつかないと
そういうふうに思うわけです
別にそれはライフハックを批判することには
ならないだろうとも思うわけですよ
30:51

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