1. 佐々木正悟のライフハックからの精神分析
  2. マインドフルネスで「傾聴」す..
2025-04-02 37:19

マインドフルネスで「傾聴」する【1160】

人の話を聞きたくない時に、私がしてしまうこと。
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サマリー

このエピソードでは、傾聴の重要性とマインドフルネスがこの技術にどのように役立つかを探求しています。また、仕事に対する考え方やリクエストへのアプローチについても触れられています。さらに、マインドフルネスとスキーマに関して語りながら、注意を向けることの重要性やその過程で生じる変化について考察しています。特に、傾聴におけるマインドフルネスの役割を分析し、深い理解を得る方法に焦点が当てられています。マインドフルネスを活用した傾聴により、人間関係の中で相手の話をどのように聞くべきかを探求し、特に夫婦関係やクライアントとの関係における共感と聞き手の姿勢について考察されています。このエピソードでは、マインドフルネスの観点から傾聴の技術について考察され、カウンセリングや日常的なコミュニケーションにおける観察力とその重要性が議論されています。

傾聴とマインドフルネスの関係
おはようございます。人生相談のための精神分析的ラジオ第1160回をお送りします。
4月2日。2日か。2日だよね、たぶん。2日。あ〜。
水曜日。7時4分です。
もはや、7時半にやるとかなんとかいうのは、全然なくなってしまいました。
はい、今日もいろいろありまして、いくらかは短く切り上げなければならず、まあ稀にいらっしゃるかもしれない長いほどいい方にはちょっと申し訳ないんですよね。
本当、この常にインターネットラジオには、まあポッドキャストでもそうですが寄せられる、どうしようもないリクエストとして、
より長い方がいいという方が、たとえ1人であってもいらっしゃる。
絶対より短くないと聞けないっていう人、まあそういう人は聞かなければいいんだけど、でも聞きたいっていう方がいて、20分以内にできれば抑えろと。
絶対両立できないな、この2つはというのがですね。
だからマーケティングって言葉が出てきて、私には向かないんだなというふうに思うんですね。
私はリクエストに答えるというのは全部だと思ってしまうし、多い方に答えとけばいいとはもう少しも思わないので、
だって3ヶ月チャレンジして一番リクエストが多そうなターゲットにビジネスするんだったら、意味が全くない商売になっちゃうんですよね。
明らかにあれは頭を必ず打つようにできているんですよ。
そんなに僕が超人的に頑張ったって、1回につきお一人なんだから、その最大枠は僕が起きている時間に左右されるに決まっていますよね。
まして私は午前中やらないようにしておりますから、原則的に。
11時が最も早くてだなと。
8時からやるとかね、お医者さんでも8時からやってる人いないから9時からか。
9時からやり、午前中3枠絶対埋めるぞぐらいの勢いを持っていれば別なのかもしれませんが、私はそういうタイプではないので、
どっちかというと朝やったら夕方やって夜やる。最大3枠。
次回から最大4枠で週7で行ってもいいなぐらいに思っているんですよ。
そうしても28枠なんて埋まるはずがないので、まあでも18ぐらいはいけるかもなぁみたいに思っておりまして、
思ってるんだけど、それは、たとえそうだとしても18じゃないですか。やっぱ頭は打つわけですよ、絶対に。
このやり方をするということは既にマジョリティにマーケティングするという戦略とされているものには何の意味もないんですね。
だから私はすべての人のリクエストについて検討するというのを最近は職業柄やってる感じになったんですよね。
だから本書くっていうのがすごい離れてきたんですよ。あんまり最近書いてないじゃないですか。
書くっていう行為は今のようなエクスキューズをすごい入れにくくするんですよね、文章というのは。
すごい上昇になりますよね、今みたいなこと全部書いていったら。
でもだから勢い、一般論みたいな方向に寄せていかなければならないんですよね。
しかも我々は最近文章アクセス数、あれを僕はもう絶対見ない方がいいなと思うようになったんですけどね。
ようやく慣れてきたんですが、でもなんかやっぱり数が多い方がいいっていうこの、
僕なんかからすると、もはやお金を儲けるためだとしてもいい戦略とは思えなくなってきた人によるんですよ、結局。
昔、勝馬和夫さんという人が、今ももちろん普通に本とか出される方なんですが、勝馬和夫さんがですね、
有名にならないとお金が儲けられないから有名になったんだというようなお話をされていて、
これは一つの戦略だなと思うんですよね。
私はそうじゃない戦略でいけるなと思いますし、今はもう有名であることが、別にプラスにはそれほど働かない。
働くんでしょうけど、ものすごく働くわけじゃないと思ったので、レバレッジ効かせるって言うじゃないですか。
レバレッジを効かせないというのが私の発想なんだっていうふうに、だいたい固まってきて。
ま、全く効かせないわけじゃないけど、レバレッジがなんか、レバレッジっていうのは多分1をやったら3が出るみたいな話だと思うんですよね。
1対3ぐらいのあのテコの原理だから。
僕の場合のレバレッジっていうのは、1に対して1.1ぐらいのレバレッジなんですよ。
で、フクリとかを考えないっていうことね。
あんまりそういうこう、1.1×1.1は1.2で、1.2×1.2は1.4になって、1.4×1.4は2だよねっていうのがフクリ的な発想じゃないですか。
これもなんかこう素晴らしい感じがするんだけど、それは見入りの話をしているのであって、
私はこう3ヶ月チャレンジに関して言うと、疲労っていうものが、このポッドキャストもそうなんですけど、疲労ってものがないんですよね。
ゼロなんですよ、ほぼ。ほぼゼロなんだよな。
姿勢がずっと同じになる疲れってのがあるけど、それは10分ぐらいで取れるんで、だから10分休めば元に戻るんですよ、本当に。
これは多分そういうものなんで、僕にとってその仕事だとは思ってるけど、辛さって皆無なんですよ。
3ヶ月チャレンジとこのポッドキャストは。だからレバレッジを聞かせる理由が何もないんですよ。
これを何らかの形の投資とか疲労みたいなものだと換算するなら、レバレッジって意味あるような気がするんだけど、
僕は許されるならこれずっとやってたいみたいなところがあるから、別にレバレッジを聞かせる理由は何もないんですよね。
むしろこれでレバレッジは聞いてほしくそれほどないっていう、やっぱり事の性質なんですよね。
私が例えば誰かと話をしてるじゃないですか、プライバシーの話一切飛ばしましてね、
手品義務の話飛ばして、それを公開していくらいくらで売るとかはないんですよ。
公開して1万円で売って、それを1万人が買ってくれて1億円とかになるとちょっと悩んじゃいますけど、そんなことは起きないけど。
そういうことがしたいとは感じないんですよね。
その人と喋っている3カ月チャレンジのワンオンセッションで喋ることは、
似たような話が仮にあったとしても、その人との身しか意味がないもののように思うんですよ。
この話を今日は少ししていきたいと思っています。
つまりカスタマイズがその人用になってる。
だから大つらいの服を作ってるようなもので何着も同時には作れないということなんですね。
そういう商売が僕には一番向いているっていう感じがするんですね。
商売としてやるならば。
あとはもうその人たちと共に、それはその気ごとに変わりますけど、
私が生きていければそれでいいんですよ。
リクエストへのアプローチ
だからこれを使ってやっぱり1対1000にするとか、そうしたいわけがないんですよね。
そうすると1対1000にすることに考えてみると何にも響かないんですよね。
僕にとって1対1000にする話は全く考えつかない。
1対1の話しか考えつかない。
これを1対1にすればするほどいいっていうところがあるので、
せめて1対3にすればいいじゃんとかがないんですよね。
逆なんですよね、これがね。
逆なんですよ。
あんまり他の人に聞く意味はあると思うんです。
私はグロリアと3人のセラピスト、あれね、非常にいいと思うんですよ。
グロリアは大変かもしれないけど、やっぱりあれができる人がいるならあれはあれでいいと思うんですよね。
でもあれは確かに1対いくつかになりますよね。
多くの人が見てるから。
でもそうしたことの意味っていうのは、他の人がクライアントになるわけじゃないと思うんですよ。
グロリアさんの聞くことで私が癒されるとかはないと思うんですよ。
ロディアスってこうやるんだって感じなんですよね。
それはそれでビジネスだとは思うんですけど。
すいません、ちょっとね、ずれちゃいましたね。
何の話をしたいかというと、
最近アツさんの夫婦関係学ラジオを聞いてるんですね。
毎度ちょっと僕聞き方が変わって、今私は夫婦関係ではそんな悩んでないんだなっていうのが分かってきたんですよ。
だから聞き方変わるんですね。
前はやっぱりここにヒントを探して、夫としてダメな部分を何か少しでも微修正しようみたいに思ってたんだけど、
今あんまり思ってないんですね。
そのうち思うかもしれないけど。
この夫婦関係学ラジオをどう聞いてるかというと、多分僕は力度的に聞いてるんですね。
なぜアツさんは今こう言うんだろうとか、
何故これが聞くっていうふうに思うだけでなく、
それをホットキャストで発信するという力度は生まれるんだろうっていうような聞き方に多分変わってるんですよ。
そうしてるうちに、私はこれはですね、ここで言われてることは私からするとってことになりますけど、
同じ話を私がするとって話にしかなってないんだけど、
あそこで言われてることはコミュニケーションの何かなんだと思うんですね。
それはそうでしょうけどね。
夫婦のコミュニケーションがうまくいってないって話が主だなと。
これはですね、3ヶ月チャレンジに通じるんですけど、やっぱり聞くってことなんですよね。
聞いてないんですよ。
奥さんも旦那さんも奥さんも夫も聞いてないんですよ。
人の話を聞いてないってやつなんですよ。
どっちかがどっちかを攻めるか、両方あるいはそれで攻めてるかもしれないんですが、
どっちにしても聞いてないんですね。
僕らは、これは3チャレンジやっててつくづく思うんですけど、聞けないんですよ。
そんなに人の話なんて。
傾聴っていうのはあちらこちらで言われてますけど、傾聴さえできれば大体なんとかなるなと思うんですね、私は。
問題なのは傾聴ができないことだなと。
で、傾聴はなんかね、この話がね、ほんとね、やってても嫌なんですよね。
まるで自分が傾聴の名人みたいなノリになってきちゃうじゃないですか、どうしても。
これは訓練を積んでないからやっぱり聞けないんですよね。
一番ね、私に刺さってるっていうか、私への影響が強いのはやっぱり松木邦洋さんなんですよ、最終的に。
戸畑さんの聞く技術も読んだんですよ。
で、言ってることは同じなんですよ、結局。
ロジャーズも傾聴、共感、自己一致でも、あれほどの人の3大コアが傾聴ですからね、3個の字の1つが。
で、傾聴と共感はほぼほぼ同じことを言ってるんで。
だから傾聴と共感というですね、まあ大事だからみんな言ってるんですけど、これが難しいんですよ。
なぜならば、なぜなんだろう、マインドフルネスの難しさと。
だからそうだ、昨日あるサルサンチャレの参加者さんとお話ししたんですけど、スキーマとマインドフルネスという本が今出てるんですね。
これも伊藤恵美さんね。いや伊藤恵美さんももう仕事しまくりだなと思うんですよね。
私ももうどこかでまとめていっぱい読まなきゃなと思っているんだけれども、今は松木さんの本を買うだけでも手一杯なんで、他の人の本を買う余裕がないんですよね。
金銭的なね。
まあお金くださいって言ってるわけじゃないですよ。
ただまあ他にもいろんなものを買わなきゃならないわけじゃないですか。
娘も高校に行かせなきゃならないですし、まあそのいろいろとありますよね。
マインドフルネスの重要性
維新も頑張ってくれてるけど、まだでも全部を国は持ってくれないから、少なくとも神奈川県は持ってくれてないから、やっぱりこういろいろあるわけですよ。
他にもいろいろあるし。
実家の方からもなんやかんや言ってくるしですね。
いろいろ実家に行くだけでも一手間かかるわけですよ。
なんかよくわかんない話になったな。
スキーマとマインドフルネスっていうタイトルはいいですよね。
そして結局自分の言いたいことを言っちゃってるしね。
スキーマとマインドフルネスなんて今すごい受けそうじゃないですか。
あれは受けるだろうなと思います。
しかも伊藤さんの素晴らしいところは、そこまでの努力と気づいたものがあるおかげなんですけど、
同じようなタイトルで何冊か出すんですよね。
これだとどれかがヒットしなくてもヒットするまで出せるみたいな、そういう確信があるからできることなのかと思うんですけど、
お前だってなんとかハックで山ほど本出したじゃないかって言われるとそうなるんですけどね。
なかなか一発必中というわけにいかないんですよ。
不思議なんですよ。
そっくりのタイトルがちょっと表紙変えてちょっと違う山本さんから出ると売り上げが10倍ぐらい違ってくるという、
この社交新聞はおりそうな世界の出来事なんで、
そういう部分絶対ありますから。
特にビジネスショーは、伊藤恵美さんのビジネスショーではないかもしれませんけどね。
なんでスキーマとマインドフルネスなのかなと、
タイトルしか私まだ見てないからこれについて何かを言及する資格はない気もするんだけど、
あえて言うなら多分聞くことがマインドフルネスなんだなと思うんですね。
注意の集中と傾聴
それはそうなんですよ。
精神分析ですらおそらくそうだと思うんですよね。
ただ精神分析は例の平等に漂う注意ってやつがありますんで、
なんかこうあれは藤山直樹さんかな、
注意を宙吊りにするみたいな表現があったんですけど、
あれはですね、なんか達成しようとしてできるような話じゃないから、
基本スルーしてるんだけど、
時々そういうことが起きるような気はするんですね私。
話聞いてるってクライアントさんには思われると思うんですけど、
アクチューム乱すことが起こるんですよ。
お話をかかっていて、
もうなんかこうひどい、例えば、
私の3ヶ月チャレンジの話ですから、
お父さんがひどかったみたいな話が出た時に、
そのひどいお父さんの夢を私が見始めるんですよ。
そうなると目が虚ろになっていくと思うんで、
聞いてないように思われるかもしれないけど、
これ聞いてなければありえないことじゃないですか。
この感覚で聞くことが入るためには欠かせないと思うんですよね。
東映ドイツ化が起きるっていうことでもあるし、
変異が起きるってことでもあると思うんですけど、
私精神無敵やってるわけじゃないから、
ただ力度ははっきりあるなっていうのは分かるんですよね。
だって相手のお父さんの夢を見てるわけだから、
私のお父さんじゃないから、
本当のところ全然違うものを見てるに決まってるわけで、
相手のお父さんのこと僕知らないわけですからね。
話聞いてるだけで勝手にイメージしてるってやつなんだけど、
イメージする能力って僕ないんですよ残念ながら。
起きてるとイメージできないんですよ。
どうしてもできないんですよね。
結構訓練してるんだけどできないんですよ。
ところがまどろみ始めると、
さすがに視覚イメージは結び始めるんですね。
相手のお父さんのお話を激しく伺ってるうちに、
相手のお父さんがひどいことを言っていたりするんですよ。
僕に向かってではないんだけど。
それってもう白昼夢じゃないですか。
この感覚が寝てるのか起きてるのか、
でもこれは完全に明石無の感覚と同じで、
僕明石無って何回かしか見られないんだけど、
10回は見てるんですよね。
10回、30回ぐらいは見てると思いますね。
やっぱり明石無ってのは寝ながら夢を見てることに気付くんで、
よく似ている意識状態だと思うんですけど、
ちょっと違って起きてることは確実なんですよね。
あの白昼夢ってやつは。
起きてるんだけど、
私の視覚イメージ能力ではありえないほど、
写実的な、だから幻想、幻覚に近い何かなんですよね。
これを私は多分物思いというと思うんですよ。
精神分析かの言っている。
精神分析の途中で物思いに沈み始めると、
多分これに似た心理状態が出現するんじゃないかなと。
これはこれも松木さんの言葉なんですけど、
ロジャーズ的に一心不乱に相手の人の話を聞いていたのでは、
出てこないんですよね。
なんかこうぼやーっとする必要がどっかにあって、
これを多分フロイトは分かんないですけど、
平等に漂う注意っていう変な表現で、
注意が平等に漂うわけがないですから、
注意ってのは何かに一点集中するから注意なのであって、
平等に漂ったら注意にならない。
ただ、これも微妙な話になるんだけど、
だからここ本当にややこしいなと思うんですけどね。
高速道路でアメリカみたいに広い道路で真っ直ぐで、
何にも他に人も車もたまに見かけるのが牛ぐらいっていう世界に入っていると、
平等に漂う注意のような状態で運転し続けないと寝ちゃうんですよ、むしろ。
だから注意が拡散されているんだけど、
はっきりと覚醒もしているっていう状態の維持が、
ある種の場面では必要とされていて、
だってどこかに一点集中しようがないじゃないですか。
6車線も車線があって、何にも見えなくて美しいんだけど風景は、
いくらなんでも飽きるし、正面には地平線しかなくて、
時々牛がいるっていうそういうところで、
何に一点集中するんだよっていう安全運転とか言ったって、
基本的に安全ですからね。
120キロ出してたってそこに危険性は何もない。
もし危険性があるとすると勝手にタイヤがパンクするとか、
それぐらいしかないわけですよね。
それって注意をタイヤに集中しててもしょうがないじゃないですか。
そんなことできないし。
どうせオンボロ中古車ですしね。
よくああいうのであんなところまで行ってたよな自分。
それは良いんですが、つまりそういうことなんですよ。
やっぱり平等に漂う注意っていうのは、
表現としてはすこぶるへんなんだけど、
どこかにそういう感じってあるんですね。
マイナフルネスは近いと思ってます。
ここで私は大橋裕男さんのある種弟子でもありますから、
何が言いたいかというとタスクシュートが出てくるわけですよ。
タスクシュートっていうのはですね、
タスクシュートの活用
昔々なんですけど、
大橋さんがドアの写真を撮るという、
ドアノブの写真を撮るっていうね。
あれは私は見ようによってはドアノブの写真ばっかりね。
iPhoneの写真のストレージにわーってなってると、
ちょっと病的に見えるかもしれないけど、
あれは私はすごく瞑想っぽさを感じたんですよね。
だから私もやったことがあるんです。
今やってないけど。
つまり、こう開けるという作業は、
ドアを開けるでもいいんですけど、
ドアを開けて閉めるじゃないですか。
ここのところによく脅迫症の話出てくるじゃないですか。
小島にちゃんとしたかどうかを確認したくなると。
それはそこで注意が落ちてるっていう証拠ですよね。
人間って不思議なもので、
区切りになるところで注意が少し落ちるんですよ。
だから私はタスクシュートでですね、
これも一匹ほんのちょっとね、
ある種の人たちに言って、
すこぶる不評だったんで引っ込めたんですけど、
僕、気弱いから。気が小さいからね。
本当はタスクシュートっていうのは、
僕の考えでは、
開始ボタンと終了ボタンを押す瞬間に、
全意識を込めるべきなんですよ。
ここが最もやばいんですよ。
その時のことを一番軽く僕ら考えてるんですよね。
終わったって言って終わらせる。
これができれば、そもそもこれができませんって話を
大概の人しちゃうんだけど、そうじゃないんですよね。
本当はあの先がありまして、
1分の間を空けずに取るだけでなく、
この開始と終了を押すタイミングに、
最大の注意量が来ないといけないんですよ。
この時ほど僕らの注意が、
どこを向いてるのか分からなくなってる瞬間ってないんですよ、きっと。
これも昨日ね、お話を伺っていて思い出したんですよ。
そのスキーマとマインドフルネスのことを、
ファンを教えてくださった方に、
それは僕買ったんですけど、
つまり、マインドフルネスっていうのは、
そういうこと言わないけど、
瞑想では、この瞑想に入る瞬間の心理状態というのを、
もっとよくモニタするっていうのを
言わないといけないんだって。
これは本当にそうなんですよ。
一心不乱に話を聞く前には何やってた?
話聞いてなかったわけじゃないですか。
この空撃に大事なことが語られてるんですよ。
これをですね、
私は3ヶ月チャレンジで、
めちゃくちゃ意識するようにさせられたんですよ。
いつもここで僕はミスるっていうのがあったんですよ。
僕が喋ろうとしちゃう瞬間ってある。
喋るのはいいんですよ。
話聞くから、
松木さんも書いてるんですけど、
一心不乱に話を聞けと。
何か反論したり、
口を挟みたくなった時こそ注意しろっていう。
安易に口を挟むなってことなんだけど、
だとすると、
何が一番起きがちかというと、
口を挟もうとするその瞬間の、
相手の話を聞く気が全くなくなってる瞬間があるわけじゃないですか。
この時に意外なほど大事なことが語られるんですよね。
不思議なことに感じますけどね。
一番聞きたくない話をどうやってスルーしようかとした時に、
我々は相手の話に被せるんです。
つまり一番聞きたくない瞬間がそこにあるわけ。
要するに防衛でいう否認ですよね。
否認って本当に大事な防衛規制で、
タスクシュートをやっててもですね、
タスクの記録が落ちるというのは、
たまたま起きてないんですよ。
忘れちゃうんですよとかって軽くおっしゃるんだけど、
その忘れるっていうのが偶発しないってのを、
マインドフルネスでも、それこそロジャーズでも、
瞑想でもみんな言ってるところなんだと思うんですよね。
傾聴の重要性
その空撃が危ういんだってことなんですよね。
その空撃に答えがあるんだってことなんですよ。
注意が落ちてるその瞬間に、
注意はたまたまは落ちないんだって言ってるわけ。
だから注意を落としてるわけだから。
注意を落とすということは聞きたくないって言ってるわけですよ。
聞きたくないことってのは大事なことなんですよ。
なんで聞きたくないのかということを、
少なくとも考えなければいけないはずであって、
聞いたくないことを話すはずはないんですよ。
3ヶ月チャレンジで私がまずやらなきゃいけないことは、
余さず聞くことなんだから。
聞きたくないという私の気持ちは、
私のナルシシズムなんですけど、
これが出るってことは、
これほどのサインはないわけですよ。
聞きたくなくなった瞬間、
つまり私が口を挟みたくなった瞬間ですよね。
この時に何かが当たられる。
で、口挟んじゃうかもしれないじゃないですか。
もう止まらないから。
それで相手の話を聞くっていうモードが消えるんですよね。
この辺のことをですね、
私はすごい考えるようになりました。
考えるようになってわかったことが、
夫婦が口喧嘩を始めるというのは、
相手の話を聞きたくないということ。
どっちもですよね。
どっちかではない。
必ずどっちもなんですよ、これは。
そのことを、
夫婦関係学ラジオを聞きながら考えてたわけですよ。
聞きたくなくなるんだと。
両方ともですね。
だから形状からは程遠い状態に、
口喧嘩って形状から一番遠い状態だと思うんですけど、
共感より以前に形状がなくなってしまう瞬間っていうのが
必ずあるはずで。
で、形状してないというのはもう明らかなんですよね。
だって、奥さんの話聞きながら
スマホとかいじるじゃないですか。
絶対僕はいじる。
スマホいじらなくてもどっかに目をやる。
そういう時によく喧嘩が起きるんですよね。
私なんか時計に平気で目をやっちゃうから、
癖なんだけど。
当然そこで喧嘩になる。
相手はそういうのを見逃さないですからね。
だからこれを聞いて、こういうことを考えていると、
つくづくこう、
人の話を聞いてないというのは奥が深い。
本当に形状が100%は無理だけど、
できるんだったら、もうそれだけで
カウンセリングって成り立つだろうとは思うんですよ。
精神分析ではないですけど、
多分成り立つだろうなと思うんですよ。
それぐらいこれは100%は当然無理なんだけど、
しかしですね、これだけできれば
人間関係で悩むことは本当はないんだろうなと思いますね。
夫婦関係のダイナミクス
いやいや、夫婦でカウンセリングは無理だよというのは無理なんですよ、本当に。
夫婦ってのは、肉親もそうですが、
実に難しいです。
親の話を余さず形状するなんて、
本当に難しいんですよ。
疲れるとかでは全然ない。
疲れるっていう話も、
いるのは辛いよっていう本で戸垣海斗さんが、
疲れるさっていうふうにデイケアの職員さんが言うと、
でも戸垣さんは、
俺はそんなに疲れないな、どうしてなんだろうと、
臨床心理師だからなんだっていうふうに考えると、
あれは戸垣さんが臨床心理師だってことをよく示してるし、
疲れないんですよ。
一見意味不明なことを言われていても、
それは意味が不明なわけじゃないっていうのが一つと、
やっぱり形状の訓練を受けてますから、
思いっきり、いろんな意味で、
お前、形状してないぞっていうのを聞かされますからね。
この形状してないぞっていうのは、
昔のあれみたいに、
話聞いてないからだって言って、
ひたすら詰めるっていう、
そういうスパルタ教育みたいなのではなくてですね、
藤山直樹さんが言われてたのがあったんですね。
多分戸垣夫さんに言われてたんじゃないのかな、
スーパーアバイザーの。
わかんないですけどね。
なんかこう、あなた、
君はこんなに患者さんのクライアントさんの話を一生懸命してるけど、
それよりも何よりも、
クライアントさんの話を聞いてる間、
君はこんなに抑鬱的になってるのに、
全然気づいてないじゃないかって言われたっていう話が確かあったんですよね。
それで気づくんですよ。
自分、このクライアントの話聞いてるうちに抑鬱的になってんだと。
こういう感じなんですよね。
盲点になっちゃうんですよ。
なんでなのかわかんないんだけど。
自分、気落ち込んでるなんて気づいてもいないんですよね、
人に指摘されないと。
こんなに抑鬱的になっているっていう、
多分、畑目からはそうなんですよ。
本人はそういうつもりはないんですよね。
聞いてるうちに抑鬱的になってるじゃないかと。
それが聞いてないって、
つまりそのことに気づいてないっていうのが、
患者のことを無視してるってことなんだよっていうね。
心理療法とクライアントの理解
昨日もたまたま人と会ってですね、
他人ごとみたいなことを夫は言うっていう話を聞いたんですよね。
こういうことなんですよね。
他人ごとみたいなんていうのは、
つまり聞いてないからなんですよ。
入ってないと言ってもいいんですけれども、
私そのやっぱり、精神分析の転移というのがすごい大事だと。
ちなみにそのスキーマ療法とマインドフルネスとか言い出したら、
そこに転移が出現しないわけないじゃんって思うんですけどね。
この辺をちょっと伊藤恵美さんの本で確認したいんだけど、
クライアントさんがやってきて、一生懸命話してますと。
それを普通にロジャーズっぽくまず、
初学者っぽくね、一心不乱に聞こうとすると。
そのうちにマインドフルネス的になっていきましたってことになったら、
僕みたいな訓練受けてない人間だって、
転移って出現せざるを得なくなる。
そこでもう何かの役割をやらされるんですよ。
だって奥さんの話でてよくわかりますもん。
やっぱり、あ、この怒りは奥さんの母親に向いてるものだったと。
それはわかりますよ、やっぱり。話聞いてれば。ずっと付き合ってれば。
お母さんに言ってんだこれ。俺に言ってるというよりは。
これは話聞かないとしかし、わからないんですよ。不思議なほどですけどね。
だからお母さんの葬式に出て、このお葬式っていうのはそういうものなんですよね。
物作業ってことになりますが、葬式に私も出席して、
画税減りましたよね、この種のことは。
だってもうお母さんはこの世にいないから、
代理の人に同じ怒りを向ける意味もほぼないわけですよね。
やっぱり、いなくなって普通の、いくらかも問題があった、
こじれていたとしても、普通の親子関係でお葬式が終われば、
恨みつらみってものがやっぱりなくなっていくわけですよね。
フェードアウトしていく、急速に。
その怒りが代理人が必要だったわけですよ。
直接言いにくいし、直接言えない間柄だったり、
しかも遠く離れていたりすると。
電話すると喧嘩始まっちゃったりするってことあったと思うんですけど、
電話もそういうことになることがわかってるとしないじゃないですか。
だから転移が起きるわけですよ。夫との間に。
これは理不尽だって話になりやすいんですけど、
その理不尽とかは全然面白い話ではなくて、
理不尽かどうかなんて、面白いのはここで転移が起きることなんですよ。
僕の感じでは。
それはお前がこういう商売が好きだからだと言われりゃそうなんだけど、
面白いと思うんですよね。
それってすごい不思議というか、ある種の達成じゃないかと。
これですね、難しいんですけど、奥さんだからこう考えることもできると思うんですよね。
例えば昔、自分がすげえ、
僕なんかいっぱいありましたけど、
すっごい気にしてる女の子がいると。
もう何でもいいから話したいとなったときに、
相手がお母さんに対して言いたいことを自分を代理人にして言ってくれたら嬉しいじゃないですか。
めちゃくちゃ。
これはモテない男だけが考えることかもしれませんね。
でも僕はそう思うんですね。
入り込める。これほど入り込めるところに入り込めなかったってことが結局残ってますけど、
残ってないですけど、僕にもさすがに。
そんなことはもうどうでもよくなってますが、
そういうことって起き得るんですよね。
つまりそれってある種の達成だと思うんですよ。
アンデルセンの影っていうね、あんまり読まれていない童話に、
誰もが知りたいけど決して知ることができない、
お隣さんのプライバシーを私は全部見てきたんですっていうその影っていうね、存在が言うんですよ。
そうしたらすっかり人間なんて低劣でしょうもないものだと思うようになりましたね、みたいなことを。
つまりお隣さんの隠し事っていうのはすげえ気になる。
それはすごい覗き見趣味的な世界なんで。
ピーピングトームですけど。
でもお隣さんの隠し事っていうのがある意味、人の安全に職地だと世間的には思われてるわけですよね。
あのセリフはすごいアンデルセンっていうのは随分とまあと思ったんですけど、
それにしてもマッチューリのシューズのアンデルセンですよ。
影っていうのを読むとヨアラーミ文庫とかにもあるんで、よかったら読んでみてください。
お隣さんの隠し事って表現があったと。影が興味を持つものだからね。
この先があるんですよ、人の心の中に。
お隣さんの隠し事は大したことじゃないですよ。
それは大したことかもしれないけど、まあ大したことじゃないですよ。
今フジテレビで中井さんという方が随分、僕よく詳しく知りませんけど、
まあ世の中に隠し事はいっぱいあって、スキャンダルってものに多くの人は興味を持ちますけれども、
僕はそんなもんではないとさすがに思うんですね。
あれはあれでひどいことなのかもしれないけれども、
でも社会が問題にする、ある意味ひどいことっていうのは、
あのあたりがやっぱり、あのあたりで最も騒ぎになるんですよね。
でも僕は自分自身のことを思っても、悪事をするとか犯罪をするとかいう意味ではなくて、
心の秘密ってのはそんなものではないと思うんですよね。
もっとずっと先があると思いますよね。
で、そのずっと先というものは人に共有されることが、
ミニコットに言わせると、永遠に知られない秘密を一生抱えて人は生きるっていうような表現を取るんですけど、
傾聴の重要性
僕はそれは正しいと思うけど、そこはだって永遠に秘密なんで触れられないじゃないですか。
その一歩手前のところまでカウンセラーは行き着き得ると。
だからその難しいって言うんですけど、僕はでもやっぱりそういうふうに考えるのはダメだろうって思うんですよね。
一見この話をしちゃうと、カウンセリングっていうのは本当に超特殊な人間にしか開かれてない世界みたいに聞こえるんですけど、
昨日ね、たまたま中日大巨人という、私もそれほど興味のないカードなんですけど、
見てて、一瞬、通り過ぎる瞬間ってあるんですけど、スライディングするじゃないですか。
で、スライディングって手から万歳するイメージあるんだけど、
プロ野球の選手で手から万歳するというのはよっぽどひどい状況なんですよ。
で、怪我するかもしれないからね。
だから、こうスライディングしていく感じになるんだけど、そこにタッチするダウトになるんで、タッチされちゃいけないんだけど、
手でスライディングしていく感じなのに、タッチしに来たグローブをさっと避けるんですよね。
あんなことできるんだって感じ。
なんてことないシーンですよ、ある意味では。
ものすごい選手の大谷翔平がやったとかそういうことではないですよ。
でももうなんかあれができたら神業だよねっていう感じが。
だってあれって条件反射で勝手に出ていくところを自分でコントロールしてるわけですから、ある意味では。
ああいうことができちゃうんだなっていう感じが。
でもこれはあのレベルのことを、
例えばコミュニケーションでやるとか、そういうことが慶長の先とかにあると思うんですよ。
私はだからそれだったらですね、見てびっくりはしなくたって、慶長なんて誰もびっくりしないじゃないですか。
でも見てびっくりはしなくったって夫婦でやってることって、
例えば一瞬私が時計に会話中目をやると、
そうすると奥さん怒り出すってある意味神業だなと思うんですよ。
すごい観察力だなと。
そして自分が何を話すときに私が嫌がるのかが、
私の無意識に近いレベルでもうすでに分かってんだなってことが分かるわけですよ、これで。
まあやや迫害妄想的な部分もないわけじゃないですけどね。
でもやっぱりこれは一種神業みたいなもんだなと思うんですよ。
コミュニケーションの神業
夫婦だから出てくるんですよね、こういうことが。
別に訓練とか受けてなくても。
これを言うならばあんまり面白い言い方じゃないですけど、
善用っていうのは良い使い方をすればいいだけなんですよね、これをね。
話を聞くってそういうことだとやっぱ思うんですよ。
聞いてないって言われるのもやっぱりある意味聞いてないのも神業じゃないですか。
ここってところで口を挟んじゃう。
そうすると相手の話を全く聞かずに済むわけですよ、その瞬間は。
一番聞きたいところで自分が口を挟むっていうことをやる。
だから話の腰を折られるというのが人がイラッとするわけですよね。
一番聞いてほしいところでおそらく邪魔が入るわけですよね。
これの応酬になってしまうというのを避ける。
で、その時に分かることがあるわけじゃないですか。
自分が一番聞きたくない話、特にこの人から一番聞きたくない話は何なんだろうというのが分かるわけですよね。
それはおそらくその人があらゆる人に遮られてきた話であるはずなんですよ。
それを聞くっていうのが仕事になるのは、それはなるよなって感じが私はするんですよ。
で、これは仕事じゃなくても使える手なんじゃないかとも思うんですよね。
そこにだから慶長のマインドフルネスっていうかっこいい名前を当てたっていいんじゃないんですかねっていうことを伊藤恵美さんは考えたんでしょうね。
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