1. 佐々木正悟のライフハックからの精神分析
  2. 局所と対象をクヨクヨと考えて..
2025-03-31 31:24

局所と対象をクヨクヨと考えてみたら【1159】

超自我が気に入らなければやめて貰えばいい。
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サマリー

このエピソードでは、精神分析の歴史とフロイトの理論に基づく局所と対象の関係について考察しています。特に、ポジション論とフィールドの概念が人間の心理にどのように関連するかを探ります。また、局所的なポジションと対象の重要性が夫婦間のコミュニケーションや心理的なポジショニングにどのように影響を与えるかについても考察されています。フィールドにおけるポジションの変化が精神的健康に及ぼす影響について詳細に説明され、「お母さん」や「奥さん」としての対象の役割が強調されます。さらに、局所と対象に関する内的対象関係論について考察し、人間関係やポジションの重要性について語られています。高階先生の作品や個人的な体験を交え、内面的な感覚や認識の変化が実生活にどのように影響を与えるかを深く掘り下げています。最後に、内的対処と外的関係の相互作用について考察し、個人の思考が外界に与える影響を探っています。

精神分析と新たな挑戦
おはようございます。人生相談のための精神分析的ラジオ、第1159回をお送りします。
3月30日、おお、年度末大晦日みたいなやつ。3月31日月曜日、朝9時ちょうどです。
いや、あのですね、ちょっとびっくりしたんですけど、あ、でもあんまり今日はもたもたしてる暇はないので、パス。
あの、お知らせがありまして、明日から第3ヶ月チャレンジ、現在進行中の第9期の3ヶ月目に突入するんですね。
なので、明日から第10期の募集を始めようと思っております。
で、今回は10期ということで、前々から言ってましたが、10期でリニューアルをするのは、なんか縁起が良さそうなので、もはや縁起モードなんですけどね。
この番組では怒るとダメだ言っておきながら縁起モードなんですが、
第10期は少し募集枠を広げまして、ちょっと外形的なものの形を整えていきたいと。
10期もやってるわけだしねっていうそういう感じで、他のところはほとんど実は、内実は全く変わらないような気もするのに、外形だけ変えたがるというのはあれなんですが、
でもいいやと思って3ヶ月チャレンジ第10期5月から、来月、再来月から始めますので、
もし私が喋るような話に興味がありましたら、あまり深く考えずに、深く考えちゃうようなお値段なんですけどね。
でもこのお値段の設定は大筋間違ってないだろうと最近思うようになったんで、この話はどこかでできるといいんですけどね。
こういうことなんですよね、僕がやってること。これは一体何なのか。
ビジネス相談を中心とした人生相談に精神力動的に挑むぞというチャレンジ、私の方でのチャレンジはそういうことになっているわけです。
別にそれってビジネスコンサルなんだから認知行動療法を持ち込めばいいじゃんと、あれはワークとかも出てるよと言われると、それはそうなんですよ。
が、私の肌に合わないので精神力動で行くと。
それだけじゃないんですけど、精神分析で行きたいのは、もう一つは、もう一つの喋ってる暇はあんまりないんだけど、精神分析というのは100年前に発祥してるわけですね。
ジクブンとフロイトによって、ダイフロイトによってですね。
それに対するアンチ定性、僕の考えね、これを何かの歴史のようなものとして捉えてほしくないんですけど、
僕の考えではそれは構造的な欠陥というわけじゃないんだけど、
現代の社会でそれをそのままやろうとしても結構難しいので、ブルジョアジー階級のものだったので元々、現代にブルジョアジー階級とかないじゃないですか。
我々も精神力動とか精神分析で積み上げてきた知見を活用したいと、それ活用できないんだからって言われることになってるんだけど、でもしたいっていう欲求はできちゃうわけですよ。
そういうものがあるとね、有効そうだと思った人には僕みたいな、間違ってるかもしれないけど。
で、とにかく活用したいと思った時に活用する方法がないので、だったらこうしてみたら、ああしてみたらということで、様々なアンチ定性と言いますか、大体案が出てきたうちの一つが認知行動なんですよ。
私の感覚では。行動両方も認知両方もブリーフセラピンは分かりやすいですよね。
長くかかりすぎでしょ、精神分析とか。お金かかりすぎるでしょ、精神分析とか。そんな週4回もやってられないでしょ。だから週1回とかね。だからポストみたいなものが出てくるわけですよ。精神分析的心理療法ってやつね。
すべてアンチ定性とまでは言わないまでも、精神分析を何らかの形で精神分析そのものじゃない形で活用できないかなと思ったものの末席に僕らがいると。
末席か何席か知りません。幕の外かもしれないんですけど、だから幕地点でね。そういうわけで野の医者なんですけど、そういう言い方をすればね。
とにかくそういう応用をしていきたいというふうに思った人間がここにいて3ヶ月チャレンジというものをやりました。
だから僕は精神力道が一番歴史が古いということがあるし、ここを理解するのがやっぱり私は心理臨床に関わる人とか心理支援に関わる人はみんなに必須なんじゃないかと最近思うようになったわけですよ。
別に方法論としてブリーフセラピーとか認知行動とかでいけないとは言うことはないと思うんだけど。
でも一番最初は何だったのかというと一番最初フロイトだったってことなんですよね。
別にフロイトのことをやらなくてもいいと思うんだけど、私も現実には精神分析やってないわけですから。
でも出力というのはお互いにですね、できれば私は自分が1ユーザーだったとしてもこれやっぱ知っていた方がいいような気がするなと思うようになれてきてめでたく10期を迎えますということなんですね。
ポジションとフィールドの議論
もうここ5分にしておこう。だから3ヶ月チャレンジ10期をチェックしてみてくださいと。
で、でですね。さっさと本題に入ります。
今日は20数寸しかないんで、出かけるんで。
あの第一極書論、第二極書論というのがそのフロイトにあるんですよ。
私が意味よくわからないなと思って、古典的なところだろうと思って、外説だけ読んでパスするぐらいな勢いなところだったんですけど、ずっと引っかかってたんですよ。
あれと対照関係論が一体どうなるんだっていうのがあったんですね。
なんかいきなり専門用語を連発で、訳わかってる人からするとこいつは何もわかってないと思うだろうし、訳わかんない人からすると、あのそういう用語のことはいいからって感じがすると思うんで。
つまり誰に向かって喋ってもこれはいい感じじゃないんですけど。
あれですね。でも最近大リーグ始まったじゃないですか。
佐々木朗記昨日投げてたじゃないですか。泣いてましたけど、いや本当にね、ロッテに帰ってこようよとかって思っちゃうわけですね。
ロッテ三連勝ですからね、開幕ね。
なんでこの話をしたかというとですね、極書というのはフィールドじゃないですか。
あれはポジション論に通じてくるんだろうとやっぱり思うんですよね。
で、どう考えついたのかというか、大リーグってすっごいポジション変えるんですよ。
野球詳しくない人申し訳ないんですけど、セカンドとかってあるのはわかるじゃないですか。
セカンドって場所なんですよ。だけどポジションでもありますよね。
こういうことって人間の世界では普通じゃないですか。
例えば足場築善の神は秀吉ですけど、築善の神という、あの人築善、築善って呼ばれてたじゃないですか。
なんで築善って呼ばれてるかというと築善の領主だからなんですけど、築善というのは場所じゃないですか。
でも築善の神は人じゃないですか。つまりそこを守る人なんですよね。
ポジションって2種類のことを同時に意味するんですよ。だって場所だから。
ポジションって場所ですよね。でもポジションは人ですよね。
つまりここで僕が一番取り出したいのが長寺賀大賞なんですよ。長寺賀大賞なんですよ。
長寺賀っていうのは、つまりここが第1第2局所論の話になってくるんだと思うんですよ私。
あの局所って場所ですよね。局所だから。つまり局所っていうのはフィールドなんですよ。
フィールドすなわちポジションですよね。しかし長寺賀って動くじゃないですか。
あのねこれは3ヶ月チャレンジずっと入ってくださってた人が素晴らしい私は自風アニメだった。
これはこれだったら分かるわっていう見て僕もなるほどって思ったんですよね。
ああいうイメージは持ってたんだけどやっぱり見るのとイメージ、僕の貧弱極まりない想像力を使うのとでは違うんですよ。
で問題なのは動くってことですよ。力量は動くんですよ。ダイナミック。
サイコダイナミックスですから。サイコアナリティクスはサイコダイナミックスですから。動くんですよ。
ポジション変えるわけですよ。セカンドがここにいました。
なんかね大リーグって変だから極端なんですよデータに基づくから。
こいつらもサードの方しか打たないからファーストもセカンドもみんなサード寄りに守るぞみたいな。
あんまりやりすぎるのダメよっていうのが最近ルール改善だったんですけどめっちゃ極端だったんですよ。
そこらへんに3人同じようなところにいたりするわけですよ。
だから空中飛ばさないとこいつら抜けないからヒット狙うんじゃなくてホームランだっていうのが大リーグでホームランが量産されるようになったわけだったんですけどね。
無意識とセカンドの考察
ショートがここにいましたみたいな。そこにいちゃいけないところにいるわけですよ。
ポジション変えるわけですね。
これってつまりポジションというものは人でもありフィールドでもあるということを言ってるわけじゃないですか。
でもここもちょっと端折りますけれどもごめんなさいね。
今回今日また明日ゆっくりしゃべろうと思いますが最近ですねこうして脱線していく高梨涼子さんの70年目の告白ですね。
ドクトペンという漫画を読みましてこれはやっぱりフィールドとポジションのデモの両方セットで見ないとわからないことがいっぱいあるなと思ったんですね。
その人その人の例えばSというのはSというのは力道だからどっちかっていうと対象っぽいんですけれどもでも無意識ってフィールドじゃないですか。
無意識って場所に近いじゃないですか。
無意識だいたい心の底だから下の方を指すんですけど下の方ってすでに場所じゃないですか。
じゃあSと無意識って同じなのみたいなことを言ってまた分かってねえなみたいなことを思う人もいるかもしれないけどでもSと無意識が同じようなものの感じがするのはしょうがないと思うんですよ。
ここに私はセカンドという場所とセカンドという人と考えていく必要がある。
どっちかというとSというのは無意識の人の方で無意識というのは無意識の場所の方だと思うんですね。
フィールドとポジションの一つに分かれると思うんですよ。
だけど野球詳しい人は分かるんですがセカンドできる人はみんなじゃないんですよ。
特にキャッチャーとか決まってるんですよ。
大谷翔平は何でもできるけどキャッチャーは無理だと思うんですよね。
ああいうピッチャーもできてガイアンも守れてスゲースラッカーだって人はまずいないんで。
ユーティリティープレイヤーって言葉があるぐらいどこでも守れる人は偉いんですよ。
でも大体の人はサードならサード専門なんですよ。
ポジションの重要性
つまりこの話は何を言いたいかというと長寺賀という場所に何を入れるかというのがすごく大事だってことを私は最近思うんですね。
奥さんと言い争ったりするじゃないですか。奥さんと言い争ったりすると僕らはここ大事ですよね。
PSポジションになるんですよ。取るポジションが。
PSポジションっていうのはポジションなんで奥さんがまたそういうのじゃないって言ってPSポジションですね。
つまりPSポジションっていうのはスプリッティングでどういうポジションを取るかというと私は良い、あなたは悪いっていうポジションを取るわけで。
これはスプリッティングにつながってるんですけどね。
るんですよね でまぁさっきだからドクトペンを読んだのは何だったかというとですねお母さんはなんか
たかしな先生に怒ってばっかりですね怒ってばっかりですね でお姉ちゃんのことは可愛がってばっかり言ってこれはポジションなんですよね
つまりいいいい 何種のかないい子供はお姉さんの方のポジションだし悪い子はそのたかしな先生の
ポジション与えられているポジションです だから殴られてばっかりですねそこに置かれちゃうと殴られちゃうわけですよ
たかしなさんが悪いことをするとか関係ないわけですね 何をしてもそこにいると悪いもの悪いものポジションにいるからこれ喧嘩の種になります
よね たかしな先生の場合親子だから一方的に殴られてたかもしれないけど私は夫だからやっぱり
一方的にやられはせせずにいやいやバババババって頑張ってやるわけですよね あんまり弱いけどこれも ps ポジションですよね
で下手にこういう時に d ポジションに入っていやーあの奥さんも疲れてるからなぁ大変 だからなぁとか言って一生懸命頑張ろうとするとリーダーんでリプレッションになって欲打つポジションに
入っちゃうわけですよ自分がね でなんてこういうことが起きるかとまあ起きるんですけど普通に
なぜなら我々は ps と d を言って永遠に卒業できませんから ps か d ってことがほとんどなんで
球場のポジションと心理
ポジションとるポジションとしてだけど ps と d っていうのは大雑把な形であって本当はここに だからコンステレーションとかいう言葉が出てきたわけですよ
あの星座みたいないろんなポジション体系があるわけですよ これをねなんか昨日こういうことを思いついたねやっぱり大リーグ見てたからですよね
ダイヤモンドバックスというチームじゃなかったデトロイトタイガスか あそこはねすっごいポジションを複雑に取るんですけど
監督が番号書く番号を書いてしかも紙で出すんですよね なんかでベンチににとか書いてあるんですこれはにのポジションを取れよって言ってるわけ
ですよ 野球のポジションというのもあの基本は決まってんだけど
フリンがだいたいレフトライトセンターセカンドファーストライターサードショート みたいになってるんだけどそこを微妙に動かすんですよ
この微妙な動かしすごい大事じゃないですか野球ではすごい大事なんだけど我々も すごい大事だと思うんですよ
何が大事ってつまりこのポジションが正常かかなりいびつかでこの人の精神病 水準神経症水準健常者水準
ボーダー水準というものが変わってくるんだと思うんですね 私は何をしがちか
今日長寿がフィールドに置きがちなんですよ 長寿がポジションが守れそうな人っていうの変だけど長寿がポジションが取れそうな人すぐ長寿
がフィールドに置いちゃうわけですね だから奥さんとやっていて苦しくなるわけですよね
奥さんあの昔グッドバイブスでクラゾン系のさんがうまいこと言ってたんですけど まったく同じことを例えば奥様に言われるのと娘さんに言われるのとでは全然違うはず
だと パパそのさら間違ってるよって言われても奥さんが言うとかちんとくるのに娘さんが言うと来ない
だからイリュージョンなんだっていうのは大筋として全くそうだと思うんですね私もね だけどこれを言われただけでいや全くその通りですから
今後奥さんに腹は立ちませんとはならないじゃないですかなかなかなぜなのか うちの娘には長寿がポジフィールドをさすがに私といえても長寿がをうちの娘には
任せてないんですよね やっぱり娘が長寿がポジション取れないんですよ
長寿がポジションに入れるのは奥さんですよ ここで大事なのは長寿がポジションに奥さんが入ってるわけじゃないってことなんですよ
それは奥さんの私が持っている奥さん対象を長寿がに置いている 長寿がフィールドだからセカンドにセカンドを置くみたいだけどあのセカンドを守っている
なんとかそのまま入りましてショートみたいなこと言うんですよ つまり野球はポジションチェンジができるポジションなんで別に場所違うところ行っても
いいわけですよ守れるならばこれと全く同じことを私はやるから 昔は長寿がフィールドに大筋母親しかいなかったんだけどここに奥さんを
あ安易に設置するから設置っていうか安易にそこにポジションを取らせるから 私はあの母親に昔感じていたような恐怖を
恐怖というか怒られた場合ね怒られた場合は長寿がにまあ要するに虚勢されるっていう 言い方をすればいいんですけど
長寿がに虚勢されるっていうのはそのまま奥さんに虚勢されるって言う 奥さんに虚勢されるってことほどまあ
世の音の避けたいところの一つなわけですよね奥さんに虚勢されたくないよねって いうねこれはちょっと違う話なんでまたこの話をしているとここから50分
その話だけしなきゃならないんでパスするんですが とにかく長寿がに置いちゃうからこういう人間関係がで私は人長寿がポジションに置き
勝ちなこれがうまくいくこともあるんだけどこれをやり続けるとダメなんですよ 例えばあの私のまあそのパートナーの仕事上のですね
大橋越夫さんという重要人物がいるわけですよ私 重要人物というのは何を言ってるかというと取り込んで対象にしましたって
ことなんですよ 大橋越夫さんという人は私の外にいるからポジションとかに置けるはずがないんだけど
を取り込んじゃってるから僕がそして対象作っちゃうんですよ で僕はああいう人安易にああいう人じゃこういう対象安易に長寿がフィールドに置くわけですよ
そうすると最初はいいんですよ長寿がフィールドに置いて昔敬っていたお父さんお母さん に対するように大橋越夫さんに対する僕はただ対象に相対しているだけなんだけど
正しさと拒成の回避
自然これを現実の社交会では社交会を変化 とにかく現実の関係では大橋さんに向かっていくから対象通じて向かってこの言い方はピン
とこない人は声の思い浮かべてほしいですよねドラえもんが ドラ焼きを頭の中にフォアフォアって浮かべてるじゃないですか
これ見てあードラえもんはドラ焼きを想像したいのかっていう人は漫画読めてない じゃないですか
あドラえもんお腹空いてるのねって思うのが正しいでしょう だからこの対象というスプリットスプリットしてますよねドラえもんは心の
中でこのスプリットがピンとこないかもしれないですけどでもドラえもん という1個のドラえもんはですね
一部がドラ焼きになるっていうのはやっぱりスプリットなんですよ だってドラえもんはドラ焼きじゃないわけで何やってるかっていうと
ドラえもんの食欲がドラ焼きに向かっているわけですよね 脳内に思い浮かべる対象というのは欲望の対象なんですよ
だから私は結局のところこの人に従いますという これも一種の欲求なんですねこの欲求の対象長寿がに向ける
この長寿がフィールドでもあり対象でもあるわけですよ だから最初お母さんがだいたい置かれてた長寿が対象にこれで人間関係
だいたいうまくいくんですよね そう最初期の頃はお母さん頼りにしてるよ
お母さんの言うことは聞くよってお母さんに怒られたらごめんなさいするよってのは全部 長寿が対象に向かうわけですよ
ここに別の取り込んだ対象を置くわけですよね だからあれなんですよねつまり
喧嘩をしがちになるということはまずまずそれを避けたければなんだけど あの長寿がフィールドにお母さんを置かなきゃいけないんですよ
私最近そのことをすごい意識するようになったんですね そうすると
同じことを言われても全然腹が立たないとは言わないけど 腹の立ち方が変わってくるんですよね
ほとんど腹立たなくなる 友達フィールドみたいなところに置くんですよね
そうすると長寿が対象じゃないので拒成はされない全然 拒成されないというのはつまり私の正しさがくじかれることはないってことでいいと思うん
ですね簡単に言うと権力的に正しさがくじかれるわけではない 結局正しさ争いみたいになるじゃないですか
あなたが間違ってるいやあなたが間違ってるっていうののやり取りこの応酬が つまり ps ポジションで得意な応酬なんだけど
だるなら良いと悪いをスピリットするからでみんなこれをしてるんだけどしてない と思ってるんですよね我々はねでもしてるに決まってるんですよ
ゴキブリとカブトムシでどっちが良い虫かっていうと まあ虫全部嫌いっていう人はともかくとしてどっちかって言われればみんな
ゴキあの カブトムシって言うんですよ良い虫はでそれは人間の勝手な都合でこれはつまりいい
いいと悪いいいおっぱいと悪いおっぱいに分けて悪い方をゴキブリポジション ゴキブリというポジションは悪い方が与えられているからそういうことになるわけですよね
だからこれがあの ドクトペンですよね高梨
あの高階良子さんのドクトペンであのお母様はどうしてもこう 兄弟のお姉さんとかを良いおっぱいをお姉さんに与えて悪いおっぱいをあの
梁高階先生の方に与えるから新しい先生の方を一方的にめちゃくちゃ攻撃しても まあそこには非常にいろんな複雑な家庭事情があったということをよく読み直すと実に
よくわかってこれは完全にフロイトの世界でこのお母様は精神分析受ければこの家は もっと違ったかもしれないけどそうすると高階先生のあの
私が子供の時に読みまくった漫画集も作品集も生まれてなかったかもしれないと思うと 世の中難しいなぁと思いながら大変複雑な気持ちで読んでいたんですけれども
キシボ人神話と母親の影響
あの中にねあの赤い沼というキシボ人神話をベースにした話が出るんですけど あれ読んだの私間違いなく小学校2年か3年なんですよなぜそんなことが言えるかというと
あれピアノの先生の教室で読んで帰り道帰るのが超怖くなって母親を呼び出してめっちゃ怒られた という
その時母親がなんかちょっとキシボ人のように見えたので非常にあの時思ったことがありまして あの高階先生のお母さんって実はものすごい怖い人なんじゃないだろうかと思ったのが
小学校2年か3年の時なんですよね あの買ってその後読んだんであのピアノの先生地で高階先生の作品いっぱいあったんで
私ピアノの練習するの長夜だったんでひたすら漫画を読みに行っていたというで そしてあの漫画を一通り読み終わってピアノを弾こうとすると全く練習してないんで
その先生めっちゃ怖いですよ だからまたキシボ人みたいに見えてあのやっぱり高階先生はキシボ人みたいなお母さんだったんじゃないだろうかと思った記憶があるんですよ
ピアノの練習してたピアノは僕もそんなんだったんで超やり止めたくて 中学校4年の時やめたからピアノの先生地で読んだ漫画はすべて小学校4年以下で読んだという
あのそういうことになってるわけですね まあその後も赤犬まあすごい大傑作だと思ったんでうちの妹とお金半分ずつ出し
あって買って本半分に割れるまで読みまくってたんですけどもね あれは非常に怖かったんですけどあれが怖いのは母親の怖さなんですよね結局ね
でこういうふうにスプリットというものを良いおっぱいと悪いおっぱい分けると 問題なの問題になるのが良い方じゃないじゃないですかだいたい悪い方に決まってるわけですよね
シンデレラだって死んじゃったお母さんの子なんてほとんどその後出てきやしないじゃない ですか
基本的にはママ母こそ大事ですよねだからあの 悪い方が問題なのであって長寿がもう別に長寿が悪いわけじゃないんだけど
長寿がというものには攻撃的な要素が起こるわけですから長寿がって 起こるそして何かをさせまいとする禁止するっていうもののフィールドに与えてしまうという
のが一つの我々の局所的な感覚なんだと思うんですよね第1局所論なのか第2局所論 なのかだから冒頭で第1局所第2局所局所って場所じゃないですかだからね
長寿がとりがちな場所と長寿がを担いがちな人っていうのか見直せがちな人ですね 私たちが勝手にやるわけですからね
別に私を生産を長寿が対象にする理由は何もないわけですよ 別に彼と雇用契約結んでるわけじゃないわけですし
雇用契約を彼に結んでいたとしても社長だから長寿がですってことはないわけですよ 妄想しやすいですよもちろんね
だから大谷商品にキャッチャーやらせないやっぱピッチャーか dh をやらせるとか あの誰それにはセカンドを任せるっていうのはその人がふさわしいからだから
ポジションとフィールドっていうのはですね 勝手にどんどん好き勝手にどんどん変えるっていうのはまずいわけですやっぱり現実に即して
いるってことが大事だし さっき言ったように大橋さんとの関係は最初は長寿が対象として置いておくっていう
のは悪くはないですねリスペクトしている感じになるし この人との約束もしっかり守るようになるからいいんだけどこれをずっと続けてると
何が起きるか ねあの思春期になれば親父に反抗するじゃないですか
いや大橋はそう言うけどさ俺俺にも事情があんだよみたいなこと言ってお小遣いを かもっと欲しがるとかそういうことが起きると人間関係おかしくなりますよね
ずっと長寿が対象にその人を基本的には長寿がじゃない人を 長寿がを担わせなくてもいい人を担わせてしまうと勝手にこっちが恨みがましくなるとか
いうことが必ず起きるわけですよ でこれが築きやすくするために内的対象関係論てのすごい良いと思うんですよね
内的な対象関係なんであって大橋へとその人と私の関係とは直接これ関係ない やめようと思えばやめられるわけですよ
違うポジションに置けばいいだけの話なわけじゃないですか 奥さんとの関係もそうで喧嘩するためにはそのねえとケアが大事だとか大事なんです
けど僕は何より大事だなでも人は対象に向かってるんであって本人に向かってるん じゃないんだと
その対象の置きどころは勝手にというのも変だけど 自分なりに現実に合わせるつもりでいるけど微調整は絶対聞くはずでだって内的対象
なんだから聞くに聞くお人形遊びしているようなもんだってあなたこの役 あなたこの役でこっちに置いてあっちに置いてって言ってるのは私なんで
これに完全にとらわれるというこのこのポジションから動かせながらコンステレーション って言うんですよね
このポジションを変えられないんだってなった時に我々発砲塞がりってもにハマり込むんですよ だから奥さんをケアしなければとか言ってなんかこう奥さんのあの状況を考えて
もっと落効させてあげなければって勝手に考え始めるのは良くないと思います その前にどういうポジションをあなたはと奥さんに取らせて自分はとっているつもりで
いるんですかという いやそれは現実ですからっていう人もいるいるんですけどそれは現実ではないんです
よね ここがやっぱりそこに神的現実という言葉の意味が出てくるんですよ
あの現実にとれるポジションの変更を することができずにで現実には
そうなるに決まっているっていうまだ決まっていない未来を勝手に確定することによって 僕ら苦しむわけですよ
一番は端的にわかりやすいのはあのドアは閉めたはずなんだけど 閉まってないかもしれないというこの思いが現実に変わった瞬間に
ドアは開いてるかもしれないがドアが開いているになってしまった瞬間に我々は 閉まっているドアは開いてるかどうかを確認しに戻ってっちゃうわけじゃない
ですか でこれがやめられなくなるというのはそういう神聖が凝り固まるっていうことですね固定化されるとつまり
それはポジションが固定化されるとでもポジションが固定化される筈がないんですよ 親子関係であればしばらくは動かせないけど親子関係だって変わりますからね
親は永年生きるわけじゃないですし でこの話がどうしてもいや毒親の苦しみをわかっていないっていう話になりやすいんですよ
高階先生だったかしな良好先生もそのことをブログかなんかに書いていらっしゃ本の 後書かな書いてたんだけどそれはそうなんですよ
あれだけの目に合えばそれはそうだと思うんです あの亡くなったお母さんが生き返って自分に攻撃してくるような夢を見る
やむを得ないそれは内的対象関係なんだけどでもしょうがないよなとは思うんですよ しょうがないとは思うんだけれどもでもそれは外的な事実ではないっていうこと
あのそれがすぐには動かせなかったとしても内的なものと外的なものは 全く直接の関係にはないという我々が自分で関係づけない限りは関係はないという
ドラえもんが創造したどら焼きというものはないわけですから 空腹の対象としてどら焼きを作り出しただけなのであって現実にどら焼きを食べたいと思ったら
行動を起こすしかないわけですよね 内的対象をどんなにいじくり回してみたところで何の意味もないというか
現実は変わらないはずなんです変わったら困るじゃないですか 内的対象を動かすことによって現実も変わりましたってことになってしまったら完全にオカルトの
世界になってしまう唯一僕らができるのはコミュニケーションの最中に東映同一化ができると だからまあ私の例で言うとですね奥さんなら奥さんを怒ってる母親だと見立ててあんた怒ってる
でしょ怒ってるでしょって言えば相手は怒り始めますよね イラッとしますよねこれがどう東映同一化ですよね
これをやめるって言うんですよねあのやりあのそれによって不都合があるというならば これ僕らしょっちゅうやってるんですけど
atm で後ろの方が列が並んでくるとこいつふざけんな早くしろよ何もたもたしてんだっていう 像を勝手に作り出して私たちはそれが怖くなってもたもたし始めて本当に向こうの人が後ろ
で並んでる人がイライラするという形で 東映同一化っていう自分の空想を現実のものに変えていくってことをしちゃうんですがこれは
ポジションの変更と自己認識
リアルにそれをやってるときにしかできないことだって脳内で空想してるだけならば それが実現するはずはないんですよ
それがあったらオカルトですよ だからやっぱりこの脳内で空想してそれを実現したくなければ
ポジションはチェンジできるんだし少なくとも微調整はできる 私はこのポジションでずっとやってきて人生うまくいってるんですからポジションを動かしたくないんです
ってよくわかるんですよ 高梨隆子さんのようなああいう自分にとって都合がどう考えても悪いポジションでも
どうしても動かせないとあんなに自分でお金儲けられるようになって漫画バンバン売れた わけですからね
ピアノの先生地には全集があったぐらいあったんですからみんなが高階先生の本買って あんなにお金いっぱいなのに全部そのお金お母さんが管理して私のお金が全然ないお
小遣いちょっとしかもらえないからどこにも出かけられないとかよくわからないことが 動き始めるわけですよね
これはまあ高知の先生のお母様が完全に内的対象だけの世界に住んでしまっていて 外的外界がどうなってるかというものに興味が持てなくなってしまうっていう時代から
進行しているんだろうとやっぱ思うしかないわけですけど あのこれは口からでもがせしゃべってますからね
精神力道とは僕はこういうもんだと思っておりますけれどもそれはもう 間違ってるかもしれないんですよでもこれは僕は間違ってるが正しいかは大事だけどそんなに
大事じゃないというか今僕が喋ってる限りにおいてそう大事ではないと今は思ってます なぜかというとこれはこういう発想を取ることが大事なのであって
どうしていいカブトムシと悪いゴキブリがいるのかというふうに発想することが大事なので あって
もちろん厳密さ学問的な厳密さというのは大事なんですけど奥さんとは例えば私が 喧嘩する時にですね
内的対処と外的関係
あの相性が悪いとかフィーリングがってないとか思いやりが足りないとか あのなんかこう私が私は告知でばっかり頭でばっかり考えるから
リクスで問い詰めがしだとかそういうことあるかもしれないの関係ないんですよ あんまりむしろスプリッピングをしている自分いいものと相手は悪い相手は悪い長寿が
長寿がフィールドに起き母親に怒られている自分が虚勢されるのがとても怖いから いやーそれだったら逆に虚勢支配してやるぜっていう勢い勢いをつけようと頑張って
だったら家を飛び出しても自分一人でも行けられるんだからいくらいくら稼いでいるんだ からって一生懸命考え始めるというこういうことをするっていうことが内的対処をいじくり回して
いるにすぎないんだという ことであればですね外界との対関係というものは実はどう
にでもなるような感じがしてくればなぜなら外的と外界と内的対照会話 別々で何の関係も実際にはないからですね
僕勝手に作り出さなければそもそも私が奥様の私の奥さんの内的対処を作っている ということをこれ自体が取り込みの結果なわけですから
僕勝手に取り込んだんだから向こうがこれを私の中に無理やり詰め込むことできないわけ ですから根本的に
好きで行ったことなんですから嫌ならば消せばいいわけですよ 相手は消えないんですからここを我々はポン
工作して 誤解しているんですよ
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