3ヶ月チャレンジのリニューアル
おはようございます。人生相談のための精神分析的ラジオ、第1161回をお送りします。
全然おはようという時間ではありませんが、4月4日金曜日18時22分です。
まあですね、朝から撮ろう撮ろうと思っていたら、気がついたらこの時間になっていたということで、
さっきもおやつを食べちゃって、これからお風呂に入るぜっていう時間帯になぜかなっちゃいました。まあいろいろあります。
はい、えーとですね、今日は3ヶ月チャレンジの第10期に向けてのお話をさせていただこうと思っておりますが、今まで話していたことはですね、
これまでのね1160回までに3チャレンジの第10期リニューアルするぞーみたいな話をしてきましたけど、一切忘れていただきたくてですね、
リニューアルはします。リニューアルはしますけれども、3ヶ月チャレンジはだいぶ、なんて言うんですかね、今までの初心に帰るってことに近いと思うんですけれども、
やっぱりこう精神力動的な方向で頑張ろうと、昨日いきなり思いました。昨日ね、たまたま藤沢というところに行ってですね、藤沢には割と大きな、
なんちゅうのああいうの、ビッグカメラとか純駆動とか、ラビックスとか、そういうお店がいっぱいある、山田電機とか、で、純駆動に行ったんですね。
ついでに、僕ビッグカメラとか大好きなんで、ほとんど何も買わないんですけど、入り浸っていろいろ見てたわけですよ。珍しくそういうことがする余裕があったんですね。
そしたらですね、純駆動に行って、純駆動がビッグカメラの上にあるんでね、変わった作りなんですけど、そこで週1回という、とんでもないというか、すごい良い本見つけてしまったっていうか、知ってたんだけど、存在してたのは。忘れてたんですよね。
今、私そんなに金銭的な余裕も時間的な余裕もふんだんにやるわけじゃないので、端的に言ってお金がないわけですよ。
お金がないと、ああいうお高めの本をバカバカ買ってるとですね、本当に生活費に差し障ってくるので、悲しい話ではありますが、松木さんの本を買うだけで精一杯なのにですね、あちこち手を出している場合ではないわけですね。
それで、まあそれでもですね、昨日は奮発して4000円ぐらいの本を、週1回という山崎隆明さんの本を買って、タイトル素晴らしいじゃないですか。週1回ですからね。週1回ってどういうタイトルだよっていう感じもしなくはないんですけど、本当にこう、まさに僕には鈍尾者で、山崎隆明さんのはタイトルからしてそうなんですけど、私が書いて欲しい本を次々に出してくれるという、なんかすごいなっていう感じがするんですよ。
だって昔私が精神分析というものについて、もっと概略から網羅的に知りたいと思って、いきなり精神分析のある聞き方がドーンと出て、わーって思って買って、すぐ書社に連絡してしまうという、まあ私の悪い癖みたいなもんなんですけどね。これが1点目。
それで、山崎さんそういうお話、興味あるようでしたらポストってなりますって言って、ポストっていう本がどんどん出て、それも私がわーってなって、これが2点目。
最近その頻度というものについて、3ヶ月チャレンジャー第8期あたりから、9期からかな、8期あたりからだったと思うんですけど、各週、つまり2週間に1遍というコースも設けて、各週毎週、週1、週2って今なってるんですね。
で、この違いが何を意味するんだろうなぁと、まあ単純にお値段の違いになっていくんだけど、実際私は3ヶ月チャレンジで3ヶ月間でワンセットみたいに考えてるんで、私と喋る回数ってものは何を意味するんだっていうのはね、前々から悩んで、これがすなわち心理臨床系の悩みだし、ワンオンセッション、コーチング、その他あらゆる精神分析はもちろんのことですね。
ところで、いったいあって話すと何が違うのっていう、どういう効果があるのっていうことに繋がってくるわけじゃないですか、そのことばっかり考えるようになってたら週1回という本がドーンとあったわけですよ。
で、もうやっぱりこう読んでみるとですね、昨日一晩で全部読んでしまうという本だったわけですね。
まあ要するに面白いわけですよ。
だって松木さんの本だってそんな風には読まないですからね。
ほとんどですね、昨日たまたまなんですけど、夜の5時ぐらいから、夕方の5時ぐらいからたまたまちょっとね、家族のものがいなかったという珍しいことだったんですよね。
夜の5時ぐらいから、結局真夜中の2時ぐらいまでずっと週1回読んでたんですよね。
しかも同じところ何回も読んじゃうんですよ。
特に藤山直樹さんの章、第4章なんですけど、第4章って覚えてるというね、おかしいじゃないですか。
朝も読んだんですよね。
で、まあ何と言いますか、これを読んで心を入れ替えたというか、茫静してですね、これじゃいけないんだって思ってですね、サンチャレをリニューアルしてコースを減らそうと。
週1回セッションの重要性
何を思ってるのかというとですね、各週をやめようと思ったわけですね。
週1と週2だけにしようと。
もうそれではしたくないですという方はしょうがないですっていうことでですね。
ギリギリ計算しているつもりなんですよね。
例えば7万5千円っていうのは、3ヶ月で7万5千円ってことは、月2万5千円じゃないですか。
月2万5千円ってことは、週1回に直すと、週1回の中にはセッションが1つとグループセッションが1つと、絶対2回は設けられているんで、2万4千円としても6千円になるわけで、6×4×24だから大体6千円になりますよね。
ってことは1回あたりのセッションは3千円相当に一応なりますよね。
計算の話ですよこれはあくまでも。
で、仮にグループセッションは2千円だとしても4千円ですよね。
これがMAXの値段にしてあるということは、めちゃ高いという状態は避けられているはずだっていう、保険が効くとかになるといいんですけど保険が効くはずはないので、保険は当然効かないものとしてここが限界点だろうぐらいに、
お互いのギリギリの接点になり得るだろうって一応考えてあるわけですよ。
で、問題なのは結局この私はですね、心理臨床ないし精神分析に興味はあるが、何らかの事情があって受ける気はしないないしは受けられないという事情をお持ちであると、こういう方は間違いなく多くいらっしゃるんで。
プラス、もし存在を知ったならば大いに興味を持つんだが、そもそも存在を知らないか、存在に対して大きな誤解をされている、まあこれは要するにそれについてちゃんと知らせている機関がないからそうなるんだけど、そういう方に向けて私はこれをやってるつもりなんですね。
情緒のアプローチと心理臨床
だから私のこの3ヶ月チャレンジには2通りの意味があって、代替にはならないんだけれども、でもやっぱり心理臨床的なものの代替、ただこれは働くということを軸に置いた上でメンタルというのがネックに1つなっていますと、昨日全くそれに近い表現がですね、週1回の中の鈴木智美先生という方の彼女は週1回を指示している方、基本週1回ってみんな指示してるんですよ。
なぜならほとんどの人は週1回しかしてないから、この話を今日ちょっとしたいんですけども、この話が全てにかかってくるとやっぱり、だから週1回素晴らしい本なんだけど、だけど本のタイトルがいきなり週1回じゃですね、いやそれはちょっと何の本だかさっぱりわかんない人にはわかんないから、結局専門家にしかわかんない本になっちゃうよね。
だって週1回って何それって感じじゃないですか。すぐにサイコセラピーって書いてあるんですけど。しかも週1回は問題だっていう問題策なんだけれども、大体の人は週1回って何が問題かさっぱりわかんないですよね。普通に週1回だろうぐらいに思っちゃいますよね。週1回でも多すぎるぐらいに思う。週1回は少なすぎるっていう意味の本なんだけど、普通にはそうは考えないじゃないですか。
この辺にやっぱり日本の現状というものがあると思うんですね。それが良いとか悪いとか遅れてるとか進んでるとかではなく現状がここにあると思う。大体日本人って週1回って好きじゃないですか。この話を先にするわけにいかないんで、先に鈴木智美さんの書いていらっしゃったことが、要するに鈴木さんはですね、すごくベテランであの道長くいらっしゃる方で、
すごいこう多分藤山直樹さんと同じぐらいは多分ベテランだと思うんですよね。あんまりそういうふうに全面に出るって感じの人じゃない感じなんですけど、印象ですからね、全然存じ上げないんで。ただですね、彼女が書いていることってすごい常識的で僕には非常にしっくりくるなと思ったんですけど、要するに無意識っていうものがその人の生活に差し障りがあるならば、
その無意識について修正をかける知識と方法があるなら、それを用いてそうするのは当然でしょうっていうスタンスなんですよ。別にそれにアドバイスするしないとか、転移外解釈するとかしないとかいうのは、その時その時で考えたらいいじゃないですかっていうニュアンスなんですよ。私も基本こういうニュアンスなんですよ。分析家でもなんでもないくせになんですけど、そういうニュアンス、スタンスはそういうことなんですよね。
私の場合そういう訓練積んでないし、正式の知識もないしなんだけれども、常識の線でまずできることはあるだろうって思うんですよね。私はただ仕事術から来た人間だから、やっぱり仕事術というものを運用するにあたり差し障りがあるならば、ここからはもう同じですよ。
仕事術というものを運用するにあたり、あるいは応用するにあたり無意識が差し障っているならば、そこに何らかのできることをやっていく手を当てていくというのは当然でしょうと。
そのための方法論というものも実は日本にはいくつか用意されていて、例えば認知行動療法とかスキーマ療法とか、ブリーフセラピーとか、笑っちゃいけないのかな、精神分析とか精神分析的心理療法とかいろいろあるんだけど、それぞれは一体どうしてどういう関係になっているのかということを知るだけでも知っていく中で、自分の何が差し障っているのかと。
そもそもそれは仕事術の運用だと思ってたんだけど、実は無意識の方の問題、心の問題なんではないんだろうかって考えるアプローチもあり得ますよね。
心の問題のアプローチを考えるっていうのは、こういう学派はこうやってますし、ああいう学派はああやってますしっていうのを比例していくっていうか、それをディスカッションしていくとですね、思い当たる節が出てくるんですよ。
ほとんどの人の場合に、3ヶ月チャレンジの経験ではですね、かなり多くの割合で思い当たる節が出てくるんですよ。
この思い当たる節に向けて、思い当たる節というものを焦点化っていうんでしょうけど、あるいは焦点付けとかっていうんですが、フォーカスしながら、仕事術ではなくてね、精神力道の話をしていくとですね、溶けていくことがいっぱい急にクリアになることがあるんですよ。
なぜならば、我々はこういうことをあまりにもしてこないできてるから、こういうところに行動と仕事と仕事術とお金と時間の話ばっかりしてきたから、あるいはITとかの話ばっかりしてきたから、情緒の話がないわけ。
で、その情緒に直接焦点付けしようって言ってる精神力道をここに持ってくると、それは新しい発見がいっぱいあるはずなんですよね。
つまり、何て言うんですかね、こういう話前もしたと思うんですけど、ずっとね、体調が悪くて風邪気味だった人が体調のことを頭から無視して、ひたすらひたすら何か頑張ってきました。
それを見兼ねてある人が15年ぐらい経ったところで、ちょっと体調を見てみましょうって言ったら、体調にはいっぱい問題があって、で、その体調の方に手当てをしていったら、うわぁ、すごい体調良くなったわってのは当たり前じゃないですかって話に近いんですよ、これは。
あまりにも情緒のことは無視することに決まっている世の中ではですね、私にはそう見えるってことなんだけど、ちょっと情緒的な専門の話をここに持ち込めば、たちまち効果が絶大だってことはあり得ると思ってやってるのがこの3ヶ月チャレンジというものなんですね。
精神分析の違い
で、まあそういう路線って様々あるし、最近ではスキーマ両方とマインドフルネスみたいな話ってすごい面白かったんで、いろいろ考えてあれこれコースをですね、各週とか月一とか、ロム、要するにリードオンリーとかのを考えるっていうのも、これも一つの線としてありだなと本当に思ったんだけど、違うんだっていうことを昨日ですね、週1回の本で頭をガーンとやられてですね。
えー、思い直して週1と週2だけにしようと。ある種の方からすると、ある方からすると残念な結論かもしれないんですけど、ちょっとその話をしたいということなんですね。
で、要するにまず藤山直樹さんの第4章が僕はまあ一つの肝だと思う。まあそれを受けての本だと思いますから。
まあアムステルダムショックって言葉があるんで、アムステルダムショックなんてね、世界史かよって感じがするじゃないですか。まさか精神分析の話してるなんて、なんかね、あのトランプ大統領がまたアムステルダムはうちの領土だとか言い出したのかというようなショックではないんですよ。
アムステルダムショックというのは、あの精神分析というのは週4でやる、週4以上でやると決まりがあるんだと。週4か週5なんですね。
週4か週5、カウンセリング受けなきゃダメなんですよ。とにかく分析課と一緒に、同じ部屋で同じ曜日の同じ時間に。
なのに日本ではなんか週1で精神分析とか言ってやがるけどいいのかみたいな問題がすっぱ抜かれる格好で、確か言っちゃえばそういうことで、そのことを受けて藤山直樹さんが精神分析学会の会長だったときに講演して、
4と1では全然違うんだぞっていうか、要するに1は精神分析、これを平行移動仮説とかって言うらしいんですよ。平行移動というのは要するに週4でやってるのがベースであった知見。週4以上で週5ですよね、実質ね。
そういうものをベースにやってきた知見、それで高めてきた知見を、そのまま週1っていうので同じようにカウチに寝っ転がって、同じように自由連想して、それを転移解釈するということで、果たして同じ精神分析をやってると言っていいのかってことで、良くないですよっていうのが多分結論なんですよね。
だから週1はダメって言ってるんではないんですよ。週1でやってるのは精神分析的でも精神分析用でも、精神分析とは全然違うことをやってるんですよというような趣旨で、週1は週1で意味がありますよっていう感じで講演されてるんですね。
ただそこでのですね、第4章がすごいインパクトって言葉がよく出てくるんだけど、それこそインパクトがあってですね、迫力があるんですよ。さすがに週4と5で長らくやってこられている会長ですしね、迫力があって、なるほどこれが精神分析というもののインパクトなのねっていうのが非常に実感としてすごい伝わってきたんですよ。
まあどうせあれなんですよ、精神分析やったものでなければわからんって言われるんだけど、わからんなりにわかることが増えてくるんですよ。こういう言い方変ですけどね。とにかくこれは抱えるというか、つまりカブチってものがまずですね、この週5ともなってくると、もう会わない時間って最大23時間でまたすぐ会うわけじゃないですか。23時間経ったら会う、23時間経ったら会うって感じになるわけじゃないですか。
その人生活して、もしかして仕事もしてるのに帰り道では必ず精神分析やるみたいな、帰り道では必ずサザエさんの並兵さんがおでん屋で一杯やるみたいな感じですけど、ああいうある意味感じ、生活感が猛烈に出てくるわけですよね。精神分析や生活療法っていう言葉が確かあったと思うんですけど、なんかそういう感じで、そこでは言いたい放題なわけですよ。精神分析の場では自由連想なんだから、好きなこと喋っていいわけですよ。
しかもカウチにね、転がってるわけですよね。そこは要するに家族だし、言うならお母さんのところに抱っこされてる。なんかフジクフジオ映画ね、そういういいおじさんになったおじさんがバブバブってやって赤ちゃんとして綺麗な女の子に抱っこされてると幸せになれるみたいな、そういう、それとは違うんだけど、でも結局そういうのってすごくある種望まれてるじゃないですか。
いろんなところで。だって生きていくの大変だからね。働くのも大変だし、働くのなんてすごい大変ですよね。だから男女ともそういうことをやりたいわけですよ。あのゆりかごに寝っ転がりたいわけですよね。そしてしかも解釈してくれるわけですよ。解釈好きですよね。自分が適当なこと喋ってると、あなたは今お父さんがいなくなって寂しいんですねとか言ってくれるわけですよ。ある意味すごい最高じゃないですか、これって。
しかもその、言ってくれる、解釈してくれる人はものすごく知見を積んでですね、ものすごくいろんなことを知っていて、訓練して、もうとにかくもう、あの、的確なのかどうか知らんけど、的確なわけですよね。しかも週4、前に言った週5、もうこうずっと会っていて、一番自分のことわかってくれていて、で、あの、24時間と空けずに会ってくれると。
で、一番僕はやっぱり、まあいろんなところにこれのインパクトを感じたんですけど、インパクトがね、あった一つが、本当、なんて言ったっかな、えー、一回キャンセルしたって明日があるんだと。これは響いたんですよ。たまたま昨日ですね、あの、あの、なんていうのかな、たまたま昨日その要するにあったんで、
まあ週1のセッションがキャンセルされるとし、これはまさに書いてあったんですよね、その週1回の方に書いてあったんですよ。週1セラピー、週1回ですよね、今日本で流行ってるというか、ほとんど全部そうだけど、週1回の精神分析的サポーティブセラピーとかそういったもので、一旦患者さんがキャンセルすると、2週間会えなくなるんだぞと、13日は空くんだぞと。
だけど精神分析というのは1回キャンセルしたところで、週に4回会うことになってんだから、残りの3回会っとけば、このキャンセルの衝撃はちゃんと吸収されるんですよと。ある意味だから楽なんですよっていうことを言ってるわけなんですよね。早まなく会ってるわけだから、そこで転移が起きる、転移を起こすぞみたいなこと、割とそういうことが議論になるんですよ。
ここの関係が恋愛関係みたいになっちゃいますとか、お父さんとお母さんみたいな、お父さんと息子みたいになっちゃいますとか、これが転移ですけど、これが現れたときにそのコジレを、すごいざっくり言いますけど、このコジレを専門家が修正していくことで、その人の神経症が治っていくみたいな、そういう割と美しい構図があるわけですよね。精神分析にはそういう理論があるわけですよ。
だけどこれ、転移が起きないことには始まらないんだけど、週に1回ごときで転移がそんなにすいすい起きるのかっていう問題が一つあって、だから転移は起きるんだとか、起こすべきでないんだとか、解釈した方がいいんだとか、週1回ならむしろしない方がいいとか、いろんな議論が当然噴出してくるんだけど、週4だったら絶対起きるんですよね。
だから黙ってたって別に転移は起きるし、何なら同じようなことも何度も何度も起きるし、解釈もスムーズにできますと。要するにそれはそうですよね。訓練している人なら特にそうだと思うんですけど、してなくたってなんとなく想像がつきますよね。そんなことやってれば、ほら学校の先生とそうじゃないですか、週5も会うから、やっぱり学校の先生って親代わりにしちゃうお子さんいらっしゃるじゃないですか。
だからよく問題になるのが、学校の先生が特にその子のためにお弁当作るとかやってあげると、ろくなことが起こらないっていうか、大変困ったことが起きるから、ダメですよみたいなのをでも作っちゃいますみたいなことがですね、やっぱり時々問題になったりしたんですよ。私の行っている学校の話でもそういう話を聞いたことがあります。
つまり、変異って起きるんですよ。変異があってればあっているほど起きるはずなんですよね。で、この問題なのは、変異が起きるということはですね、逆の問題も起きますよね。親にしっかり抱えられていて、なんなら母親のゆりかごみたいです。とても気持ちいいですってなるんだけど、はい、時間が来ました。あれですよね。時間には限りがありますって、なんか弾丸ライナーみたいですけど、そういう番組ありましたよね。時間には限りがあるんですよ。
時間は50分ときてるわけですよ。短い。すごい行きたくなった人からするとすごい短いですよね。この50分というのは。だからここで変異解釈が云々とか、あの分析がどうしたこうしたっていうことよりもすごくある意味大事なのがこのリズムだってことなんですよね。まあ、だから僕、精神分析って読めば読むほどトータルだなと思うんですよ。
共感も傾聴も、変異解釈、変異外解釈、アドバイスも全部大事なんですよ。やっぱり。そういう意味ではロジャーズとか楽波とか認知行動療法とちゃんとかぶってんなと。まあ、ワークはしないと思うんですけどね。その家でのワークとかしないと思うんですけど、すごくかぶってんなって思うんですよね。いろんなものが。すごいトータルでやってることなんですよね。きっと。
なもんだから、なもんなんだけども、とびきりやっぱり分析をある意味分析らしくするのは多分、週1回の第4章の藤山さんが書いてる通りなんだと思うんですね。その頻回合うということは頻回別れるということじゃないですか。その時の辛さですよね。まあ、あの、辛いと。
だって自分はまた荒野に放り出されてですね。せっかくだからおでん屋ってそうじゃないですか。ある意味おでん屋さんって。なんかもうここにずっといたいわってなるじゃないですか。だから最後まで居ちゃう人っていますよね。酔っ払ってるし気持ちいいし。でも絶対家に帰んなきゃならないじゃないですか。家に帰るとなんか鬼のような、まあそりゃ当然のような気もするんだけど、酔っ払って帰ってきたらあのめちゃめちゃ怒られるとかね。それが現実って思うんじゃないですか。現実は厳しいってわけですよね。
その厳しい現実に入っていかなきゃならないんだけど、でも明日また来るからねっていうのが精神分析なんですよね。だから土日の休み以外はいつもいつも明日また来れる。明日また来れるっていうのにある意味猛烈に入っていく。そうすると当然対抗も起きますよね。そこでは特に。
会社ではそんなに対抗して実行とか言うわけにいかないけれども、精神分析の場ではものすごく対抗しようと思えばできるはずなわけですよね。きっと。
分離のインパクト
まあただそこにはいろんなまたあれがあるんでしょうけど、とにかく対抗もできるし、また向かっていくこともできるっていうそのリズムを作り出せると。その時のリズムが5日対2日、つまり5対2だったり4日対3日、4対3だったりするのに対して週1って何でしょう。
1対6。そんなんで大丈夫なのっていう話。しかもそこで依存が始まっちゃうとすごくここに来たいっていう気持ちがむしろ非常に高まって困らないでしょうかっていう話も出てくるわけですよ。
なるほどなーって思ったんですよね。もうなんか人によってはそれは分析家を恨み出すぞみたいなそういうニュアンスさえ感じられたんですよ。
だって50分しか会ってくれなくて、すっごいここにいると心地いいし入り籠だわってなってるのに、はい時間が来ましたって言って放り出されて会社毎日行って頑張ってねっていう感じで。
その間、藤山さんの書く内容によると何ら環境供給もされないまま放り出されるみたいな感じで書くんですよね。
この分離のインパクトがものすごく大きくてほとんどインパクトで埋め尽くされるだろうぐらいな感じ。この分離インパクトのこれを外傷って書くんですよね。藤山さんはトラウマだって言うんですよ。
だから分析さえ始めてなければトラウマなかったはず。分析っていうか分析的心理療法さえなければこのトラウマもなしですんだのに、むしろこうやって抱えられてしまうから放り出された時の痛みがインパクトが強すぎるんじゃないかっていうその難しさは週4より週1の方が難しいっていう風に書いている。
あれを読むとですねうわぁすっげぇもっともだわっていう感じがして心から反省させられるんですよ。でもあんまり反省ばっかりしてるとやめたくなっちゃうじゃないですか。世の中は週1ばっかりが現実なんですよ。週4なんてですね、その本の中でも新疲労って書いてありましたけどどこにも見たことがない。
私だってそりゃ藤山直樹さんは新宿だかどっかでやってるかもしれませんけれども、我々はそんなのは見たことがないですよね。私はないです。週4やってる人なんて聞いたこともないです。ですし週1です。週1というのはあっちの子も昔ね、バイオリンという楽器で週1回やってたけど、やっぱ週1回ですよね。
本当に一時集中的にやるときに夏休みとかになってなんかうち妙にねうちの奥さんが頑張ってて週2行くぞみたいな感じだけど、せいぜい週2ですよ。そうはいったって。週4なんて。週4ってプロ目指してんのかって感じじゃないですか。だって家帰ってきたってすぐバイオリン弾いてたんですよ結構。
まああんなに弾いて何になったかっていうと今時こうね、部活でちょっとエバれるみたいな。まあ結構だいぶエバれるのかもしれないし、なんかちょっとエバってるのかもしれないですけど、それはね、そんな普通の高校生はバイオリンなんて中学生の時からやっとやりましたみたいな感じなのに、3歳からやってたらそりゃうまいよね。だからまあいいのかもしれないけどせいぜいそんなもんですよ。そんなに一生懸命いっぱいやっても大概の人はですね。
13歳でですね、あのベルリンフィルのソリストになってやるぞみたいなことはできないわけですよ。普通の人はね。まあそれはいいんですけど、つまりでも週4ってそういうインパクトですよねということなんですよ。
で、僕が考えたのはつまりこれってまずとにかく何とかしなければいけないのは、この環境供給というものを断続的にしているという感覚をもたらさないことにはならないんだって思ったんですね。
転移だとか解釈だとかは常識の先だよね。考えてみればと思うんですよ。あれは確かに特殊訓練の賜物でもあるけど、ある程度知ってしまえばやっぱりこれも常識の先だなっては思うんですよ。
私はやっぱり人の空想、無意識的空想ってやつだと思うんですけど、まあ私なんかね、別に母親でもなければ誰の父親、うちの娘の父親ではありますが、誰のパートナーでもなければうちの奥さんのパートナーではありますが、何者でもないわけですよ。
何者でもないというものは何者かにされやすいわけではありますが、やっているうちに私は何者かになっていくんでしょう。昔、目の前の人が知り合った母親だったり、目の前の人が知り合った弟だったり兄貴だったりになっていくんでしょう。悪いお父さんになったりするんでしょう。
これをラポールって僕は言うんじゃないかと思いたいんですけれども、つまりその人の空想の中に入ることができるようになるとか言うのはしかしですね、やっぱりそれは長らくやってりゃそうなるよなって感じがするんですよ。問題なのはそうじゃなくて環境供給が途絶えたまま、確かに参加している方を放置するっていう状態を作り出すのは避けられるもんだら避けたい。
けれども、週1というのが現実的であることは確かで、みんな週1でやってるのはそういうことですよね。あのバイオリンを教えて、私に役に立ってもしょうがないんだけど娘のバイオリン、なるほどなと思うのはやっぱり教えられた日は上手くなるんですよね。これが放置されるってことですよね。
グループセッションの追加
週6は自分で頑張るしかないと。私なんかピアノは全く頑張らなかったから、うちの娘偉いなと思ってたんだけど、本当に偉いなと思ったんですけど、私なんか週1で放り出されたら以降ピアノに触りもしなくて、全く同じ状態で行くからめっちゃ下手なままでしたけれども、だから行ったときしか練習しないってやつね。行った先で練習してちゃダメなんですけど、そうなっちゃうわけですね。
この感じを考えるに、やっぱり週4はちょっと無理だが考えたわけです。週2はやりたい。週2やることによって私の3ヶ月チャレンジはグループセッションがあるから、週2やってグループセッションに参加していただければ週3になる。これだと随分来られる。3対4まで来ますからね。
で、思ったんですよ。ここにグループセッションもう1個追加することは可能だと。値段末置きのままでも可能だと。要はセッションの回数が頭を打つんで、グループセッションというのは週1回増やせばいいだけなんで、精神分析じゃ考えられないことですけども、私はグループセッションというものがある種の環境供給にはなり得ると思うんですよね。AAじゃないですけれども。
だから当事者グループみたいな話もありますが、そこまで言わなくてもですね。グループセッションというのは何かしらの環境供給になるから、週2プラスグループセッション2ならば週4までなるじゃないですか。ちょっと無理やりこじつけてるような感じですけれども、なるじゃないですか。
これで少しこの力道感の方に寄せたところで、何かが供給できるということは考えられると。ついでに週3というコースを作っちゃえばいいんじゃないんだろうかと。そうすると週3プラスグループセッション2で週5まできますよね。
全部を出ればの話ですけど、ここまでくれば多分途絶えている感じよりも途絶えていない感じの方が多くなる。会社とか仕事場に行くのにそこまで誰かが支える必要とか抱える必要あるのかって言うと、私はあるっていうふうに断じて言いたいですよね。
だってサザエさんのアニメ見ると、僕サザエさん現象っていう、日曜の夕方になると月曜が憂鬱になる時サザエさん見てるってやつはすごい象徴的だと思っておりまして、ナミ兵とかマスオさんとかめっちゃ抱えられてるじゃないですか。あんなに理想的な環境供給はもう今の日本では望むべくもないですよね。
家府調整は崩壊してるんだしほとんど。おでん屋の屋台さんだってそうはないし、いっぱいあるけど、まあまあいつもいつも飲んでられないですよね。そしてそんなことは許されないですよね。しかもマスオさんはまあお婿さんですよね。あんな風にならないですよね、今時。
家がガッチリあって、2世代あって、女の人はみんな買い替え意識、ひたすらひたすら抱えてくれる。そんなものはもしそうならば、仕事に行くのは全然行けますよね。まあわかんないけど、あそこまで抱えられても仕事って結構過酷ですからね。でもあれがあるとないとじゃ全然違うじゃないですか。
今時普通は僕は思うんですよ。あの奈美平さんみたいに髪が薄くなっている人ですら、家に帰ってくると家は暗い。もしかすると家はアパートである。アパートでないにしてもワンルームマンションみたいなところで家は暗いと雑然としていて、朝自分が出た通りの状態で家に帰ってこなきゃなんだ。
それでしたら抱えられてないとは言えないけれども、抱えられている度からすると半端なく貧弱になってますよね。乏しい環境供給ですよね。この乏しい環境供給の中で僕らやってかなきゃなんないじゃないですか。私は精神分析のようなものというのはようなものですよ。
そういうようなものは今しがたは昔より実は全然いるようなんじゃないかと思うんだけど、だからといって週5回も分析家を雇うほどのお金も余裕も今時はないわけですよ。ましてその効果の方ももはや人は信じなくなってきていると思うんですよね。
それだけにここはやっぱり値段設定と工夫がどうしてもその工夫の集大成が週1回という本に現れているわけですよ。私はその山崎さんの書と山崎孝明さんの書と高野明さんの書と、あとさっき言った鈴木智美さんの書。
この書が週4と週1は質的に違うんだぞっていうのに対する一つの一つずつのそれぞれのお答えかなって感じを持って読んでいて、これで行こうみたいに。これでってどれでなのかわかんないけど、さんちゃれこれで行こうって思ったわけですね。
力道に戻そうっていう。もともと力道から全く一歩も動いてないようなものではありましたけど、僕の意識の中の話ですね。もっと焦点を力道に力道に寄せていこうというふうに感じたんですね。もう何と言われようと。まだ何回言われたことないんだけど。まあ何と言われようと力道に寄せていこうというふうに思ったわけですよ。
だから3回チャレンジの第10期はリニューアルというか、コースを減らすリニューアルみたいになっちゃうんですけれども、週1週2で、いわゆるお値段大相談ってやつで週3に加えてグループセッションの回を週に2回持ちますと。
まあ内容と内容にするか。一つは同様にしようと思ったんですけど、もう一つが内容にするか決めてませんけど。プラステキストベースのやり取りっていうのはこれまでもあったんですけど、これをもうずっと今後もちろん全コース共通で提供すると。ここまで環境供給設定を用意しておけばですね。
まあその分析的にはならないです。分析と同じとかには全然ならないですけど、そういうことを目指しているわけじゃないですけど、大事なのは環境が途切れているという感じをなるべく減らす。分析にしたってなんだって結局1時間あって23時間あってないわけですよ。24時間あってくれるわけではないわけですよね。
もちろん分離の時間も大事っていうのもあるんですけど、2人でいて1人とか、1人でいて2人とか、2人でいて2人とか、いろいろ必要なんだと思うんです。現実というのは様々な形態がありますからね。
週1回の精神分析の可能性
ただ、少なくともここにいれば抱えられるという時間帯をもう少し確実なものとしてセットしていくということの意味がですね、私がだからそこが一番分析を分析らしくするんだなと。全然分析じゃないんですけどね、それってね。名前良くないよね、精神分析って。
なんか名前が良くないなーって思ったんですよね。昨日の藤山さんのその章を読んだ時に一番すごいこれだって感じがしたんですよ。そのやっぱりインパクトって言葉が表しているそのインパクトですね。分離のインパクトがそんなに大きくちゃダメなんだっていう。我々は外に放り出されていてそれで生きていけるようだと思うようでは、そんな風に思ってちゃダメですよねっていうことを言ってるわけですよね。
彼はやっぱり別の本の中でも出てくるんですけどね、ヘルプレスネス。夜べなさと人間は夜べなさと戦っているんだっていうのがですね、あれほどこう切々と伝わってくる良い論文ですよねと思いました。
もう一方で鈴木敏さん、山崎孝明さんのもそうなんですけど、一方で週1回という現実があって、週1回しか我々は基本環境設定できないんですよっていうのがあって、その中でできる最大限のことを模索するという内容の中では山崎さんのと高野さんのと鈴木さんのは非常にこう、なるほどなっていう別種の説得力を感じたんですよ。
鈴木さんのはもうさすがにベテランのおそらく藤山さんとほぼ同世代だと思うんですが、意気で常識でいきましょうねって感じがあるんですよね。常識的にいきましょうねと。理論とか原理はそうかもしれないけど、週1だって精神分析的にはなるんですよと。
変異だって、変異解釈を毎度毎度しなくったって、ここって時に変異解釈をするとかしないとかを考えることができるじゃないですかっていうそういうニュアンスがあったんですよ。
例もです。臨床例も非常にオーソドックスな感じの臨床例では、そうだよな、わかるよなっていう、こういう人ってきっといっぱいいるよねっていう感じの臨床例で、やっぱり変異が起きるんですよね。
鈴木さんという分析家をよくいるタイプですけども、頼りないお父さんと頼りなくて何にもしてくれなくてダメお父さんみたいな、仕事はちゃんとしてるのかもしれないけどほとんど何もしてくれないと。
お母さんがひどいのに全然介入してきてくれない、エリフスとしての機能が非常に貧弱なお父さんという変異が起きるんですよね。だから先生はそこに座って黙って見ているだけで私に何もしてくれないんですねみたいな恨み事を聞かされると。
これはもう非常にオーソドックスなパターンだよな。でも週1回でもちゃんとそういういかにも精神分析みたいなことはちゃんと起きていて、私はそういうあなたにとってはダメなお父さんなんですねっていう定義解釈もちゃんと普通にして、それが患者の心に届いていくっていうそういうパターンっていうのかな、そういうストーリーはまさに精神分析のそれなんだと感じがやっぱり感じられる。
そういう感じがしたらそれでいいじゃないですかということですよね。週4じゃないかもしれないけど、精神分析と同じじゃないかもしれないけど、これだって十分じゃないですか。役に立てばねっていうようなニュアンスで。
なんて言えばいいのか分かりませんが、今時怒られるかもしれませんが、成熟した女性の常識感ってものにあふれていてとてもいいなと思ったわけですよ。だからこの2つをやっぱりどうやって両立させるかですよね。第4章の藤山さんのインパクトと、そういう人間生きていく上では何もかもは揃いませんよねっていう感じの常識感みたいなもの。
それをどうやって創意工夫して答え出していくかっていうのが、私は非正規ですけど、非正規でも野良でも同じだろうと思うんですよ。やっぱりサンチャレはサンチャレなりに工夫して、別に力道じゃなければ力道でなくてもいいかもしれないけど、私は力道で生きたい人間だから、力道しか信じられなくなった人間だから。
この精神力道的な夫婦というもので、週4で大金取りますみたいな、そもそも私は精神分析家じゃないですっていう、こういういろいろな欠落を夫婦で埋めていくというやり方が今求められてるんじゃないんでしょうかね、と思ったわけです。
とにかく週1回はいい本でした。心理支援をやるっていう方、非正規でもぜひ読んでいただくといいのかもしれないなと思ったんだけど、読まないか、あんな本別にっていう感じも。あんな本っていうのはつまりですね、そんなことでそんなに深刻に悩まないんですよね、確かに普通に考えてみれば。
でも私は悩んじゃってるんですよね、きっとね、やっぱりね、こういうの純金コンプレックスって言うんでしょうけれども、ここを僕はこだわって悩むのが一つの三チャレの、もしかしたらいいところなんじゃないかなと思うわけです。