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おはようございます、グッドモーニングボイスです。
私、ポッドキャストをずっと続けるようになったのは、全くの偶然でして、
ブログの代わりにするとかなんとか、一切考えているわけではないので、
ブログも続けるつもりでいるんですよ。
スリーカードという有料のものは、おかげさまで登録していただいている方がすでにいらっしゃいますが、
引き続きお願いしたいところなのですが、
無料でブログというのか、無料というか、
とにかくブログを誰の目にも触れられるブログというものをやろうやろうとは思っているんですよ。
手が回っていないんですね。
辞めているつもりは妄当なくて、実際仕事は週一ながらもなんとか継続しておりますし、
私のブログはブログでやるつもりではいるし、
テーマももはや選ぶつもりはなくて、
佐々木老貴とかも全然出そうと思っているし、あんな話ってすごいじゃないですか。
歴史上一つもないような話を今できるわけだから、
これをしないでどうしましょうというぐらいなんだけど、手が回っていないんですね。
忙しいのかって言われると難しいところなんですけど、
やっぱり私は依然として過渡期でして、
ミドルクライシスはどうやら乗り越えたなと思っておりますが、
元になって戻りませんし、今年50歳ですし、
いろいろと、今年50歳じゃないか、49歳か、
なんとかなんとかしなければというふうに思っている面もあります。
というところで、ブログもこれと大して違う内容になっていくんでしょうけど、
私が質問を出せば、喋るのと書くのって違いますからね。
書いてもいきたいとは思っているので、
どのくらいの方が読んでいただくかはともかくとして、
出れば読むよという方には申し訳ないですから、
なるべく早く書こうとは思っています。
それとはあまり関係ないな。
スリーカードの方は、
寄付するくらいに思っていただくとすごくありがたいですね。
月500円だって早々は出せんよと言われれば、
僕自身がそうだからよくわかるんですけれども、
お金があればなるべく書けるというか、
お金さえあれば書けるというものではないんですけれども、
昨日、119歳の方が亡くなりましたよね。
100までは書いていきたいなと思っているんですよ。
最後はお金をもらわなくても書こうではなくて、
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お金をもらうことと書くことは、
完全には関係があるとは言いがたくて、
稼ぐために書いているわけではないけど、稼ぎがないと書けませんからね。
仕事として物書きはしたいとは思っているんですね。
無給でやるっていうのか、
資産家になったから趣味として真剣に物を書きますというのでは、
私は無理だなって思うんですよね。
それでは私の能力では十分ではない。
稼ぐために書くという側面がありつつも、
稼ぐために書いているわけではないという形が望ましい。
微妙なんですよね、この問題は。
でも私の中でははっきりとこうなので、
長い間やってきてこうなので、
お金をいただかなければ書けませんが、
お金をもらうために書いているわけではありませんという状態で、
永久的に書いていきたいというふうに思っています。
ちょっとプラゾの圭祖さんが珍しく体調を崩されていて、
でも発信されていて、私も基本Rでありたいというのがあります。
熱が9度あろうと、
これを言うとどうも仕事中毒者みたいじゃないですか。
私はそういうタイプじゃないと思うんですよ。
でも、何て言うんですかね、
これも非常に難しいんですけど、
寝たきりになってもものは書きたいタイプなんですね。
それは好きってことなんだろうと言われればそうなんだけど、
何て言いますかね、これも。
でもファン座の方が好きだったりしますよ。
ここが好きというものの難しさなんですよね、私からすると。
何かとこれを言うんだけど、
あんまり私交渉な例って好きじゃないんですよ、要するに。
モーツァルトの方が好きですって言うなら、聞こえが大変よろしくなりますね。
でも私はどっちもどっちじゃないかというのが本音なんですよね。
これも余談ばっかりですから本題に入りますが、
Nとは不快であるという話をだいぶ前にしました。
ニードとは不快である。
赤ちゃんは泣く。なぜならば不快だから。
それはニードがあるから。
それに対してお母さんは、環境としてのお母さんは、
つまりお父さんでもいいお母さんは、ニーズを提供する。
つまり提供するニーズと不快であるニードとは、
延長線上にあるわけではないということがとても大事だというふうに私は思っております。
つまりニードはニーズを生み出さないということです。
車は故障します。あるいはガス欠になります。
でも車はガソリンを入れて欲しいわけでも、故障を直して欲しいわけでもありません。
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ニードというのはニーズを提供する側がそれをニードと判断し、
ニーズだというふうに提供する側が決めて、勝手に提供するものです。
この構造を自分の中に取り入れることができた人を自立した人と言います。
私は思っているんですね。
例えば私が不快になりました。この段階では何がしたいか分かりません。
仮に水を飲んでみると喉が渇いていた。これがニードがニーズに。
ニードがニーズによって生み出された瞬間です。
でも実は水を飲んでみたらお腹が空いていたんだということ、
つまり喉が渇いていたという解釈は間違っているのかもしれないですよ。
これもとても大事です。
ウィニコットは非常に皮肉屋なので、
すなわち究極的にニードというものは生み出し得ないという考え方を取るんですが、
そこのともかくとして、私はこの説は大いに重要だとは思いますが、
一旦置いておくとして、ニードは不快なんですね。
ということはつまりニードがどこまでも続く状態を作り出すやつは悪である
というふうに私たちは考える癖があるんですよ。
これ非常に重要だと思っております。
今、私たちはあの人早くやめればいいのに、
あるいは死ねばいいのにと思っている人がいますよね、北のほうに。
これは何を意味するかというと、ニードがあちこちに多発し、
ニードが継続するからなんですね。
ニードがあちこちに多発し、満たしえないニードが多くの人の上に蔓延しているという
その状態が持続する状況を私たちは地獄と呼んでいるんだと思うんですよ。
非常にこの私たちのニードが満たしえない状態というのがどれほど厳しいかというと、
HSPの話を久しぶりにいたしますと、怒られるというのが怖い人は、
私は究極的には自分の中のニードを持続させるという状態を持続させるという状態が
究極的には自分の中の怒りを呼び覚ますなと言っているように聞こえるんですね。
最近、ずっとそのことを、最近ではないんだけど、ずっとそういうことを考えるんですよ。
究極的に自分が一番恐れているのは何だろうと思うと、
奥さんとかに怒られた時に、昔からこのことが不思議だったんですよ。
なんで怖いのかと。これは蔵殿さんに指摘される前からもう気になったんですよ。
これの何が怖いんだと。だいたい相手のほうが強くないですしね。
殴り合えば勝てるんですよ。殴り合ったことないけど。
もしかしたら勝てないかもしれませんね。でも多分勝てるんですよね。
僕のほうに財力があり仕事もあり、究極的に喧嘩して負けるはずはないんですよ。
何が怖いんだろうと。前々から不思議だったんですよね。
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本当に怖いのは何なんだろうと思って考えると、
自分がもっと怒ることのような気がするんですよ。
赤ちゃんってなんで泣いてるんだろうって昔から私不思議に思ってたんですよね。
なぜ赤ちゃんは泣くんだろう。火がついたように泣きますよね。
うちの子すらそうでした。大人しいんですけど普段は。
火がついたように泣き止まなくなる。あれは何をやろうとしてるんだろうと。
お水をあげても、ミルクをあげても、抱っこしてあげても、何をしても。
時々竹本ピアノのCMを流すとピタリと泣き止んだりするんだけど、ほぼ不可能。
あれは一体何なのかなと。これ以上自分のNを巨大化させるなっていう訴えに聞こえたんですね。
自分の中にドラゴンがいるんですよ。
昔バスタードっていう漫画があったんですよ。
暗黒の、全然思い出せませんね。その中に破壊神っていうのが。
洋楽が好きな人はほとんどすべての呪文とか敵とかの名前が洋楽のバンド名になってるんだと思うんですけど。
私、残念ながら一つたりとも知らなかったんで。
かっこいい名前だなどれもと思いながらも、ハーローイーンとかって言うんですけど意味がわかんないんですよね。
意味わかるはずはないんですけどね。
とにかくそれでどっかのツタヤのレンタルショップでそれらを見つけたとき大笑いしてしまったことがあるんですけど。
ここから取ったのかと。でも考えてみるとそんなの知らずに読んでたら僕ぐらいなもんだったかもしれないんですよね。
それはいいんですけれども、暗黒の破壊神かな。
とにかく破壊神を目覚めさせる人類が滅亡するんですよ。
よくある話ですけど、あの破壊神が僕らの中にいてですね。
あれを呼び覚ますから怖いんじゃないかと。
結局倉野さんがお話しされてた通りで、つまり怒らせたくないのは自分なんですよね。
傷つけたくないのは自分なんですよ。
怒る相手も自分なんですよ。
これ変なんですけどね。
でもよく考えてみるといつも思うんだけど、これ以上俺を怒らせるなとかって言うじゃないですか。
そういうこと言う人いるじゃないですか。
なんかカッコつけたセリフだなと思うこともあるんですけど。
でも僕も奥さんとやりとりしていて、お互いその状態に深刻になればなるほどこれに近づいてる。
これ以上私のことを怒らせないでよ。
こっちこそそれが言いたいみたいになっていくんですよ。
あれは変だなと思うんですよね。
言ってる相手を怖がってるんじゃなくて、自分の中のものを怖がってるみたいじゃないですか。
まるでこれ以上やると破局に至るから、自分の中の何でもいいんですけれども、
その破壊心を呼び覚ますなみたいな、目覚めさせるなみたいな感じですよね。
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でもそれが言いたいんじゃないかなって最近思うんですよ。
Nは不快だから。
これ以上私のNを刺激するなってことなのかなと。
そう考えると、もともとNを抱え込んでいる人ほど怒りっぽいという、
私が以前からこの番組で矛盾した話だと言っていることが見えてくる気がするんですよね。
愛情いっぱいで甘やかされている子どもほど、大人になるとあんまりわがまま言わないっていう、
昔から話題になっているあれが結構あるんですよね。
なんかこの人って理不尽な要求してくるなという人は大体子どもの頃苦労している。
不思議だと思うんですよね。苦労知らずとかってよく言うじゃないですか。
でも例えばうちの父母を見ていても、大体理不尽なことを言って怒りだすのは母だったんですよ。
母の方が親が非常にややこしい方だったんですね。
母方の方が。
父は穏やかなんですよ。トータル的に見ると怒るってことがほとんどない人だなと。
父はやっぱり親に虐待されたとかそういうのが全然聞かない家なんですよね。
非常にね、これが気になってたんですよ。
その割に父母とも苦労知らずな人はわがまま言うって言うんだけど、
どう考えても苦労している母の方がわがまま言うんですよね。
子どもの方が。
非常に父母とも苦労知らずな人はわがまま言うって言うんだけど、
どう考えても苦労している母の方がわがまま言うんですよね。
子どもの目から見ると。
父が苦労知らずとは言えないですけれども、
その種のことで苦労したことのない父、苦労が少なかった父の方が、
あんまり人に対して理不尽な言う気はしないし、わがままは全然言わないタイプなんですよ。
非常に不思議だなって。
昔から言ってることと状況が一致してないなってことだったんですね。
でも、昔誰だった?コリン・ウィルソンかな?
ベートーベンとモーツァルトを比較して、
モーツァルトの方はよっぽど甘やかされて育ったんだけど、
だいたい人に対して無邪なことは言わない。
ベートーベンっていうのはすごく有名ですよね。
父親がすごい狂った絵作教育みたいな人で、
狂った教育ママみたいなパパですけどね、ベートーベンの場合。
明らかにあの人は、いろんな電気とかを読んでも映画とかを見ても無茶苦茶なことをやる人ですよね。
ああいう人って子供の時苦労してたこととかがとても多いんだけど、
あれ何なんだろう?と思ったんですよね。
Nだというのが僕の一つの結論で、
つまりNが刺激されがちだと。
Nって結局不快なわけですよね。
水飲めば満たされたり、ご飯食べれば満たされたり、
断を取れば満たされたりするならいいんですが、
腹立たしいっていうNは満たしにくいですよね。
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正義が通らないとかね。
会社に行って正義が通らないことは多々あるじゃないですか。
だからといって社長に鉄欲出すとか、そういうわけでは絶対いかないですよね、原則的に。
だからNは満たされないんですよ。
Nは満たされない。
N、悪がのさばっている。
上司はパワハラで悪がのさばっているというNを抱えたときに、
これはまだNだからね。
どんな形にすればニーズとして提供され満たされるのか考えてみると、
例えば部長を百叩きの刑にするとか、不可能ですよね。
だからこの問題に深刻に悩んじゃう人ほど、
このままでいいんだろうかっていう、
これが社会的な怒りなのか何なのかよくわからないもので、
何ヶ月も悩むみたいな話になってくるわけですね。
これがつまりニーズという形を取ってくれないニードなんですね。
自分の中の満たし得ない不愉快。
このニードが簡単に刺激される人と、
そう容易くは刺激されない人といるんですが、
どちらかというとニードが適切に満たされてきた、
幼少時代を送ってきた人の方がニードで悩まなくて済む気がしません。
例えば喉が渇いたらお水がもらえると、
眠くなったらベッドで寝かせてくれると、
それは大したことじゃないんですけど、
ある意味当たり前のことなんですけど、
この当たり前が全然当たり前にならずに、
例えば喉が渇いても放置されると、
眠くなっているのに親は大音量でテレビを見ていると、
こういう過酷な環境で育っちゃった赤ちゃんの場合、
ニードというものの処理が非常に難しくなりますよね。
ニードが適切にニーズの形になって提供されることが
あんまりないみたいなことになってくると、
世の中とかに不信感を抱くようになると思うんですよ。
倉園さんは現実ならなんとかなると言いましたけど、
どうもこの赤ちゃんにとって現実というのは
ちっともなんともならないんじゃないかと、
自分のNがいつまで経ってもNのままだと、
つまり自分はいつも不愉快だと。
いつも不愉快な人って、
つまり大人としてみると、
いつも不機嫌な人って感じがするんですよね。
この人は昔からいろんなことを我慢してきたんですけれども、
だから故にニードが刺激を常に抱えていると。
自分が腹を立てているときとか、
例えば理不尽なことを言われてすごいドキドキしていて、
身体反応があるときっていうのは、
ついついその要因を塞いでいきたくなるんですよ。
子どもが恥ずかしいことばっかりして、
気をもんでいる親の気分っていうのが、
自分の体内に抱え込んでいるみたいな感じになるんですよね。
あんまりそういうことはないお子さんも多いと思うんですけど、
例えばまだちょっとよく分かっていない子が、
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国道を歩かせなきゃいけないみたいなそういうとき、
しかも目を離すと飛び出しそうだ、
こういうときにハラハラするじゃないですか。
このハラハラ感がニードなんですよ。
子どもをしかり飛ばしたところで、
必ずしも適切な道路交通法に基づいた行動って取れませんから、
まさにニードなんですね。
なかなか綺麗にニーズになってくれないと。
子どもが黙って真っ直ぐ歩いてくれればニーズになるんだけど、
子どもを自転車に乗せたみたいなときに、
こういうところを走らせるとよくあると思うんですね。
今思うとむちゃくちゃな時代だったんですけど、
私なんか自転車に乗り始めの頃に、
父親と3人で国道254、川越海道沿いを走ってた時期がありましたね。
父親もむちゃくちゃな人だったなというか、
あの時代本当そういう時代だったんですけどね。
死んでてもおかしくないですね、あの時に。
ああいう時に心配症の親ならば、
心配症の親ならそんなことしないと思うんですけどね、
ニードを抱えたまま動くんですよ。
めちゃくちゃ怒りっぽくなりますよね。
危ない、そっち行くなとかって言うと思うんですよ。
この状態がニードをずっと抱えている不機嫌な人の心理状態だと思うんですよ。
それってつまり、俺をこれ以上怒らせるなと、
俺をこれ以上怯えさせるなと言ってるのと同じですよね。
もうちょっと僕の言葉に寄せると、
私のニードをこれ以上、つまりもう早くニーズを頂戴よって言ってるんですよ。
ところがシチュエーションとして、ニーズがすぐには手に入らないシチュエーションなんですね。
部長に早く鉄槌を誰か下してください。
無理なんですよそれは。
部長を早く電気ショックを与えてください。
それは無理なんですね。
だから自分のニードはずっとニードのままであって、
なんか別のことで腹を立てるんですよ。
プリンターが余熱になってるとか、
そういうことでいちいちカリカリしなきゃならないわけですね。
これがたぶん怒りっぽい人が、
それが良いくる日がどうであれ。
ただし良いくる日が厳しいものだと、
余計このニードは抱えたまんまで、
生涯過ごしがちなので、
怒りっぽくなってしまうんですね。
その時一番良い方法というか、
唯一の方法はニーズを自分で用意して、
自分に提供する。
これができるのが自立だと言いましたけれども、
これしか方法ないんですね。
つまり、どういう方法であってもいいんですけれども、
それこそ倉園さんのグッドファイブスで、
現実ならなんとかなるという風に信じるのでもいいんですよ。
最初に言いました。
ニードに対する適切なニーズというものが、
提供するニーズというものが、
常に100%適切であることなんてないんですよ。
信じるとか、心を落ち着かせるとか、
といった提供は、
ある種のニードに対しては、
10%くらいしか有効でないかもしれない。
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だけれども、自分で自分に提供できるようになるということが、
自立なのであって、
水飲むほどピタッとは来ないようなケースは多々ありますよね。
多々あるんだけれども、
大事なのは、自分で自分に提供する気になれるということなんです。
外から提供されなければならないと思い込んでいる限り、
1%も満たされることがないニードって、
世の中にいっぱいあるわけですよ。
痛いの痛いの飛んでいけってあるじゃないですか。
あんなので飛んでいくはずないと思ってはいけないってことなんですね。
あれで飛ばそうと思う気になると、
いくらかは必ず満たしうるんです。
なぜか、それはニードを満たしてほしいというニードが、
私たちの中にはあるからなんですね。
ニードを満たしてほしい。
何でもいいからニーズを提供するという姿勢を取ってほしいっていうニードがあるんですよ。
これを土井さんが甘えと呼んだんですね。
この甘えを自分で自分に提供できるようになるということが、
たぶん、生きていく上で必須事項なんだと思うんです。
これがなぜ外から提供されないんだと問い続けるという状態が、
たぶん病理なんだろうと思うんです。