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  2. 【596GMV】売り込みは必要
2022-05-11 23:11

【596GMV】売り込みは必要

売り込まないとお互いが困る
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おはようございます、グッドモーニングボイスです。
昨日は、いきなり飛ばしてしまったんですけど、申し訳なかったですね。
朝から、いわゆるファイザー3回目なんですが、ワクチンの副反応が強烈で、
最悪の風邪にかかった感じで、関節は全部、激痛だし、今にも吐きそうだし、吐くもんないのに、
熱も8度から9度の間を行ったり来たりして、どうしようもなくて、起きるのがやっとだったんですよ。
最初、娘を車で送る予定でいて、パン焼いたり、お湯沸かしたりしてたんですけど、
物が二重に見え始めて、歩くたびに腰と膝が痛いみたいな、コンドロイチンが欲しくなるわけですよ。
ダメだと思って、奥さんに謝って、寝てたら、気が付いたら、夜の12時になってて、すっきりしたんですけどね。
そんなことで飛ばしてしまいました。すみませんでした。
お知らせが2つほどありまして、1つは、かき上げ塾第6期です。
1期半年だから、3年もなりますね。
倉園圭三さんとのかき上げ塾で、ある意味、グッドバイブスなんですが、
倉園さんとのお仕事で、結果を残せたなと言えるのの1つがこれだと思っているんですね。
やっぱり、書き方ライター塾みたいなのがいっぱいありますけど、正直私は一応プロなんで、
書き方塾みたいなのを何度か実は潜入して体験したことがあるんですけど、
これではうまくはなんねえって思ったんですよね。
申し訳ないんですけど、ライターにはそれなりのいろんな要素があって、文章がうまくなることが全てじゃないですからね。
これをいくらやってても、自分はダメだって思ったことしかなくて、
でも今回、倉園さんと共同で運営してて、これなら絶対うまくなるって思えたんですよ。
自分はうまくなってるって思うんですね。ここが大事なんですよね、スキルって結構。
人がそう言ってくれるかどうかわかんないじゃんってのがあるじゃないですか。
どんなスキルでもね、例えば私の場合、これでパッとノリによぎるのが、泳ぎとスキーなんですよ。
子供の時からやってたから。でも間違いなく自分はうまくなったって思う瞬間っていうのは、
人に習ったりしてもそうなんだけど、わかる時があって、間違いなくこれはうまくなった。
だいたいそういう人って教え方すごいうまいんですよね。
それは人がそう感じなくても、自分では間違いなく違うっていうのがわかる瞬間があって、
それがかき揚げ塾にははっきりあるんですね。
こういうのをね、書業で一冊も出す前からわかってればどんだけ違ったかと思うんだけど、
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そんなことを言ってもしょうがないですから。
一つはですね、私、完全に話がずれるんですけど、
モーグルってあるじゃないですか、私モーグル用のスキーっていうのも買って滑ってたぐらい、
結構のめり込んでたんですけど、あれでですね、小指の使い方を教えてくれた
ライセンスのプロの先生がいて、その人に小指をこうちょっと使ってごらんっていうのを何回か言われてから
めちゃくちゃ変わったんですよね。
ああいうところがあるんですよ、勘どころってやつは。
いくらいろんなことを聞いても、いまいち上手くならないな、何の変化もないわけじゃないんだけどっていうのがある一方で、
この小指、足の小指ね、足の小指っていうのだけでこんなに変わるんだっていうぐらい変わることってあるんですよね。
わかる人にはわかるってやつなんだけど、そう言ってしまうとしょうがないんですけどね。
そういうものがあるので、ぜひこのかき揚げ塾は、
かき揚げ塾は第6期、永遠に続くかどうか、続くものではないと思うので、しばらくは続くと思うんですけどね。
良ければぜひ文章をたくさん書く、あるいは文章を書く機会があるっていう人は、
正直ですね、私なんか時間がないから無理だけど、うちの奥さんとかにやらせてあげたいぐらいですもん。
連絡帳とかに書く文章を一つで悩むと、悩まなくなるはずなんですよ、そういうものではね、絶対に。
そういうところをぜひ、連絡書じゃないんですけどね、論文とかいろいろあるじゃないですか。
ブログとか何にでも効果出ますから、良ければどうぞと言いたいですね。
もう一つが、時間管理情報発信クロストーフというのを立花たけしさんという方と、6月4日の土曜日にやります。
これは初めて告知するわけじゃないですけど、今正式に告知が出ていて、
ノーセカンドライフというブログ記事に、最新の記事で今上がっているはずなので、
ここから読んでいただければ、分かるし、どういう内容か分かるし、申し込みもできますと。
これ多分ですね、私の感じでは、立花さんは割とやっぱり有名な方なんで、すぐ埋まりかねないのでですね、
無限、無制限というわけにはいかないんで、よろしければ早めにお申し込み、6月4日、1ヶ月あるんですけれども、
もしかすると満席になるなみたいな、私のいつものやつとちょっと違うんですよ。
ノリがちょっと違って、結構早く動いていくんで、早めにチェックかけてください。
今日にも申し込みましょうとは言いませんけれども、あんまり6月3日でいいやみたいな感じ、
いつもだったらそうじゃないですか、私がやるやつってね、6月入ってからでいいやってのは分かるんですけど、
6月入ってからだと本当に際どくなるかもしれないんで、分かんないですけどね、
それなりの人数、オンラインセミナーですから人数とってありますから、
だけどあいのって増え始めると早かったりするじゃないですか、みんな同じこと考えてるからなんですけどね、
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よろしければ、これはですね、時間管理と情報発信と、
田島奈さんは私とだいぶ昔から私、東京ライフ研究会で知り合いだった方なんですけど、
少しポジションが違うかなっていうところ、ライフハックと自己啓発なんだけど、
かなり自己啓発寄りで、強い確信みたいなのがあるところが一つの魅力になっているっていう感じです。
私のは確信が強いというよりは、ロジックのこだわりで頑張っちゃってるみたいなところあるじゃないですか、
私のは多分、タスク習得はこうこうこうだから絶対いいはずなんだぐらいそういうノリの人間だと思うんですけど、
こういうのが好きな方は私の話に多分興味を持ってくださるんでしょうが、
一般的にそうじゃないような気がするんですよね、自己啓発というのは。
ロジックで押すようなものとはちょっと違う。
でも田島奈さんはガジェットとかライフハックの方面だったんで最初はすごく、
結構ロジカルでもあるんですよ。
だから話としては噛み合いやすいんですね。
私が知らない自己啓発系で私が知らない話も結構あって、
ビジネスにどうそれを活用するか、生かしていくかっていうところが私よりはだいぶ語れるので、
私は結局ビジネスにそれを活かすというよりは、
サボらずにやろうねみたいなそういうノリなんですよ。
自分のビジネスをよりそれでどう大きくするかとか、
展開を早めて広めていくかみたいなことよりも、
目の前でやらなきゃいけないことで躊躇して時間を失っていくのをやめましょう的な、
そういうのが私のどっちかというと既知なんですね、これは。
なんか私はあの時にイメージしているものが掘り物なんですよね。
目の前に地蔵みたいなのがあって掘り物と言わないのかな。
それと向き合っちゃってる人みたいな、そういうところが私のイメージにはあって、
タスクシュートでもこのタスクに向き合っていくために、
他のこういう思考、ああいう思考、こういう後悔みたいなものを
作ると様々邪魔されるんですけれども、
その中でも人間関係も含めて邪魔されるんだけれども、
最終的には蔵園さんの言うところの全てを地蔵の作成に集約していける
自然な流れがあるんだみたいな、そういう話をしたがりなんですね。
じゃあその地蔵は高く売れるのかとか、多くの人が欲しがってるのかというと
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誰かの依頼であるっていうのは大事だとは思うんですね。
私もそのことはよく思うんです。
明らかな自己満足だけで作ろうとすると出来上がらないんで、
私も商業で本を書いていて本当に思うんですけど、
編集さんはいません。出るのもいつ出るのか分かりません。
そもそも物になるのか分かりませんみたいなものは書き上がっていかないんですね。
同じところでぐるぐる回ってみたり、急に書き進めてみたりっていう、
誰かの待っているところに書き上げたものを納品しなければいけないっていうのが
全くないものは作り上がらないっていう問題はあると思うんですけど、
でもこのお地蔵さんなりを1万台にしたら1億円になりますみたいな
発想は僕はやっぱりあんまり頭の中になくて、
ここでぐずぐず回り道をしていないで魂を一気に込めていこうみたいな
そういう話が気質的に好きなんでしょうね。
これだけじゃダメだろうと思っているんですけどね。
そういうクロストーク、私の苦手分野をきっちり話してくれる方とのクロストークなので、
私はタスクシュート2が出るというのをやっぱり一つのポイントにおいてしゃべりますけれども、
情報発信はそれだけでは回りませんので、よろしければこちらチェックしていただければと思います。
この話を今日は少し展開しようかなと思っているんですけど、
どういうことかというと、要は売り込まなきゃダメだって私は最近本当に思うようになったんです。
昔からは思ってたんですけど、フリーランスというのは売り込まなければ始まらないと。
売り込みというのはいろいろと引っかかるところがあって、売り込みと言わずに済ましたいところもあるんですよ。
でもやっぱり私はこれ結局売り込みだなって思うんですね。
何で売り込むのかというと、端的にというか結論から言ってしまえば、わからんからなんですよ。
例えば私はタスクシュートだったら、タスクシュートなんてわからないんですよね。
だからありとあらゆるアプローチで、ありとあらゆる人に機会があればことごとくそれを捉えて、
とにかく売り込まないと始まらない。売り込もうとしている中で相手は必ずハテナってなるんですよ。
そこをどういうふうに説得するかということを考えているうちに、タスクシュートの魅力というものが何なのかが自分にわかってくるんですね。
このプロセスを踏まないと結局わからないんですよ。
SNSで日本だからってことはあるんだけど、売り込みというものが行き過ぎるという問題について一つ一ついろんな批判が飛ぶんですよ。
それは一つ一つ見るとごくごくもっともなので、つい売り込みに私たちは二の足を踏むんですよ。
みんなあると思うんですね。振り切っちゃって頑張るって方もいらっしゃると思うし、
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私もこれから振り切って頑張らないとって思うんですけど、振り切って頑張る決意を固めてもすぐに二の足を踏むんですよ。
カッコよくない感じがするってやつがあると思うんですね。
求められて出すのはカッコいいけど、これは私は甘えだと思うんですけど、これは甘えというのはいつものあの文脈の甘えですね。
求められて出すっていうのはつまりあれですよね。赤ちゃんがNを発してます。それに対してニーズを出します。
この形がカッコいいっていうわけじゃないですか。スムーズだから。
でもこれを期待するっていうのはこの形がカッコいいのとはまた別だと思うんですよ。
実際にニードがありました。それに対してニーズを出しますというのはいいのかもしれない。
だけども実際に世の中にNはない。だけれども自分はニーズを出すというのが仕事だから出したい。
その代わりにお金が欲しいっていうのはお金が欲しいという自分のNに対するニーズが提供するべきニーズがないんですよね。
だから無理やりニードをそこらへんに見出したいって話になっていくじゃないですか。
これは私は甘えの一種だと思うんです。これを脳裏に描くってことはね。
つまりニードが実際にあってそれに対して何かを提供するというのは甘えが成立する形なんですよ。
でもこの形を作り出したいっていうのはそれとは全然違う話になってしまうんですよ。
一本間違うとあれですよ。赤ちゃんは赤ちゃんを自分が可愛がっている母親であることを知りたいからまず殴って流せてそれでよしよしするという。
完全にあれじゃないですか。マッチポンプの病気ですよね。
これが甲汁から吹き弾尺症候群になっちゃうわけですよ。
こういう話はそこかしこにあるわけだけどもニードを無理やり作り出しちゃいけないわけですよね。
だからこそ倉園さんがおっしゃるように誰かに依頼されたら即座にそれに応えると。
今度そういうある種のニードを期待するっていう人はこれはしたくないって言うんですよね。
自分が原稿を書いている時に奥さんに戸棚の上の方をやつ取ってって言われるとうるさくて
それでは仕事にならないからカフェに行くとかいう話をするじゃないですか。
一見自分は依頼を受けてそれにすぐ答えるのがかっこいいと言っておきながら
現実にそれが起こるとそれを嫌うっていう形になりやすいのは
いかにニードとニーズの話を作り出そうとしているかってことになっちゃうと思うんですね。
私はこれをやるぐらいだったら売り込むべきだと思うんです。
売り込むというのは私がニードを持っているということですよ。
お金に困るとか仕事に困るとか一番確実に言えるのは
必要とされないという状態には困るわけです。
つまり私は甘えられないという状態には困るわけですよね。
だからニードを出すわけです。
いわば私はこういうものを出せますと。
もうちょっと言うと私はこう言ってしまえば困ってますってことなんですよ。
困ってますだけだと相手の負担は大きいわけですよ。
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どう困っているのかまで推測してニーズを出さなきゃならない。
だからどう困っているのかはこっちで言わなきゃいけないと思うんですね。
大人だったら子供だから泣けば済むんだけど
やっぱりこっちは大人なのでせめてどう困っているのかを言うと
これが売り込むってことだと思うんですよ。
私はこういうことができるんだけども
そういう依頼を受けることが少なくて困ってます。
これが売り込むってことだと思うんですね。
そう考えていくと売り込むためにやっぱり正しさを手放すっていうのは
本当にグッドバイブス的になってきましたけど
非常に重要だなと思うんですね。
何かと正しさになっちゃうじゃないですか。
売り込み過ぎとか、SNSをビジネスに使い過ぎとか
あるいは必ずしも紅葉がそれほどでもないものをキラキラまぶして
人生が大幅に好転するような顔をして
ほとんど詐欺に等しくて引っかかった人はお金を奪われるし
希望も失望に変わると。
そういう話をされてみるとそうだなと思っちゃいそうになるじゃないですか。
だから正しさっていうのはやっぱり手放さなきゃいけないと思うんですよね。
そこで売られているものが何で、それをどう取り締まるかみたいな話は
我々がするところの話じゃないと思うんですね。
それはそれでルールと役割が必要な世界もあると思うんだけれども
とにかくとも自分が提供できるものの価値というものを
自分が知っているならば、これを売り込む形がたまたま
宗教上の壺を売る商売と似て見えるから
その形を取るべきではないみたいな話に
抽象的にくっつけていくのは許した方がいいと思うんですよ。
しかもほとんどの場合、壺を売るという側について
我々は知っているような顔をして知らないんですよ。
私が家が寺だったから少し知っている話なんですよ。
宗教上の効果について、我々はないものと決めているんですよね。
意味づけなんですよ。
あれがうさむくさいとか近づきたくないとかいうのは全然いいんですよ。
私もそう思うべきだと思うんですね。
それが例えば伝統仏教であろうと何であろうと
簡単に今のような時代の価値観の中で近づくときには
一向するところがいっぱいあると思うんです。
でもあれは何であるか自分は知っているという態度は
私は相当いい加減なものだとは思います。
それはですね、そうだな。
例えば時代劇というのはくだらないと思って
そういう規定の下で批判的に見るようなものです。
そう思えばですね、いくらでもあるじゃないですか。
江戸時代側であったはずがないとかいくらでも言えることがあるんだけど
何で時代劇を多くの人が見るのかの説明には
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それはなっていないと思うんですよね。
それと同じようなことが宗教というのはいっぱいあってですね。
だから宗教というのは基本ほっときゃいいんですよ。ある意味では。
少なくとも宗教の売り込み方と似ているから
自分の売り込み方に二の足を踏むというのはやめといた方がいいと思うんですね。
まず第一に似ていないから。
似ていないということを理解できるぐらいには
宗教というものを理解してもいいかなというふうには思うんですよ。
やろうとしてみれば、少し理解しようとしてみれば
いかに似ていないかというのは分かるはずなんですよね。
あれの手口は分かりきっているじゃないかというのは
私、信仰宗教について何回か聞いているんだけど
手口が分かりきっているように一見見えても
あの通りにやったら失敗すると私は思うんですよね。
つまりそういうものではないんですよ。
で、売り込むと。
私はフリーランスとして売り込んできたと思うんですね。
なんだかんだ言って出版社さんに売り込んできた。
有権無権ありますよ。
毎回毎回必ずA4の企画書を書いて
出版社さんのところに持って行ったかというと
そういうことをしたことは
もう多分100回中1回あったかないかなんですけれども
どうすれば本が出せるかみたいな話も聞かれるんですけど
そんなのを私が聞いていると
そんなの分からないです。
私に分かっているのは売り込まなきゃいけない。
そしてその売り込み方は千差万別で
一人一人全く基本的には違う。
形式的に信仰宗教と似ていようと似ていないと
似てないです。
似てもいなければ共通点もありません。
そういうことが分かるようになったのは
本当最近ですよ。
グッドファイブスで正しさというものを
我々は抱え込んでいるという指摘を受けて
初めて少し分かってきたことです。
つまりあの宗教のやり方は正しくないよね
というそういう思い込みだね。
そういう正しさを持っちゃっているから
それとちょっとでも似て
自分で勝手に判断して勝手に意味付けして
勝手に理由を持つわけですよ。
宗教的なそういうやり方と同じやり方をしている。
それは嘘なんだけど。
そして同じやり方は正しくないやり方と
同じやり方なんだから正しくない
というわけでできなくなっちゃうわけですよ。
みっともないとかね。
これを手放していくとですね
あれとこれとは全然違うというのが
私は分かりやすい立場の人間になったかもしれないけど
分かるようになってくる。
そうすると売り込むという時に
自分がやっていることの
これも倉園さんの言うところの
解像度を上げるということなんですが
現実に迫ってみて考えてみると
これはつまり
やらなかったら全然理解されないことについて
人に理解してもらうという
一つの最初のプロセスになっている。
これをやらないで済ませようというのは
非常に虫のいい話なんですよ。
分かるはずのないと思っているものについて
でも分かってほしいと言っているわけですからね。
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これを甘えと言わずして
何を甘えと言うくらい甘えてるんですよ。
だからここで甘えてちゃダメだなということなんですね。
ここは甘えるところではないんですよ。
甘えさせるところなんですね。
なぜならば分かってもらうというのは
相手が分かっていないニードというものがあって
つまり不快ですね。
喉が渇いているのか
抱っこしてほしいのか分かっていない赤ちゃんは
もしかすると泣かないかもしれないんですよね。
寝てるかもしれないんですよ。
でもおむつは取り替えてほしい。
で、起こしておむつを取り替えると
泣き出すんだけど
それこそがニーズを提供することであることもあるんですよ。
実際に子育てしていると
そういう場面には遭遇します。
だから私たちは
そんなのいりませんよって言ってるからといって
文字通りそう受け止めてはいけないんですよ。
だから押し売りしていいって話じゃないんですけどね。
いずれにしても
相手は何を分かってないのかなって分かってないし
分かる必要もないし
分かんなくてもしょうがないんですよ。
でも分からせてあげることは
ニーズを提供するということなんですよ。
子育てしていることは
ニーズを提供するということには
なり得るんですね。
赤ちゃんを無理やり起こして
おむつ買えたとして
赤ちゃんはそんなこと望んでなかったよ
と思うかもしれませんけど
でも放っておいたら被れちゃうんですよ。
そういうことが売り込むってことの中には
含まれているから
だから何をやってもいいとかいう話には
ならないんですけれども
こうやって抽象化してはダメなんですよね。
自分が具体的に
何かをやりに行った時に
非常に狭くて
リアリティがあって
つまり今ここでやることの
意味ってものだけに
焦点を当てておけばよくて
それが何に似てるとか
儲けだとか
小遣い稼ぎだとか
言われている話に
引きつけて考える必要は
一切ないんですね。
だから自分はこれから
どこまでできるか分かりませんが
売り込みに行こうと
売り込みに行くということは
なぜ説得しなければ
ならないのかというと
説得しないとお互いに困るから
ということなんです。
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