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おはようございます、グッドモーニングボイスです。
5月7日にタスクシュートの魅力を語る会という、
語る会とか言っていて、僕が勝手に語るだけの会なんですが、
というのをやる予定でおります。予定でいるというか、やります。
ご参加無料なので、できれば、
これ聞いている方には少ないかもなんですけれども、
シュートというものがどうも納得がいかないとか、
さっぱり理解できないとか、名前を聞いたことがあるだけだとか、
もうちょっと違うので言うと、インストールしてあるばっかりで
使ったことがないとか、そういう方に来ていただけると最高かなと
思っています。もちろん、魅力は十分理解し尽くしているんだけど、
聞きたいと、実はこういう風の人の方が多かったりするんですよね。
多かったりするというのはつまり、魅力を聞きたい人は
魅力を知っている人だという意味です。
ロッテの魅力を語る会とかに、ロッテに何の興味もない人って
なかなか来ないじゃないですか。主催者側は広げたいというのはきっと
あるんだと思うんですけど、ロッテ大好きな人ばっかり来ちゃいますよね。
そういうことはあるにせよ、7日にそういうのをやってみますので、
よろしければ一度このタスクシュートというものについて
もうちょっと何か聞いてみようという気がつい起こっちゃったり
したら、ゴールデンウィークの最後の方ですけれども、
まだ中なので、そろそろ暇になってきたとか、そういう時に
聞いていただくといいかなと。それぐらい重めじゃないです。
ワークショップとか断じてやらないですから。
それどころか使い方みたいなのもほとんどやるつもりはないです。
30分くらいでですね。とにかく何が私にとってそんなにいいのかと。
実用的なものですけどもちろん。実用的な意味と割とそうでない意味も
含めて、しゃべるというか動画でやろうと思ってます。
動画にしたのはですね、別にポッドキャストでやればいいじゃないかと
最初思ったんですよ。だけれども動画にしたのはやっぱり
画面操作をちょっと見てもらった方がいいかもしれないと。
当日画面操作を果たして本当にやるかどうかわからないんだけど
やるとなったらですね、ポッドキャストじゃできないなと。
そういう制約を感じたくないなと思ったので
ズームにしました。無料です。無料だからポッドキャストでも
いいと思ったんですけどね。
ということで、よろしければぜひ聞いてみてください。
11時くらいかな。時間はちょっとまだ決めてはあって
発表もしているんですけれども、よろしければツイッターかなんかで
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たぶん散々告知とかはすると思うんで、ただ初限人数決めております。
前回4日のじゅんさんってやったやつはなんだかんだで上限ギリギリまで
40名だったんですけどね。ギリギリまでになったんで
お申し込みの上限ギリギリで、ご参加者はそこまでいかないんですけど
これが無料のあれなところなんですよね。お金払っちゃったら
もうこれは頑張ってでもこようという気になるじゃないですか。
それがないとどうしてもそうなるんですよね。
一方で、これはジレンマなんですけど、この種のものって
広げるというのがやっぱり目的の第一にあるので
なるべく多くの方に来てほしいわけですよ。
そういう意味で100円とか取りたいとは思わないんだけど
100円とかにすると画然減ると思うんですよね。やっぱお金が払うってなるとね。
だけれども、100円とか500円でも払えばですね、やっぱり
記憶への引っかかりは断然上がってくるんで
私これがカウンセリングは無料では効果が薄いって思ってる
重大な理由なんですよ。
記憶への引っかかりっていうものが本当に違うんですよね。
フリーと有料とでは。フリーって本ありましたけど
フレミアムっていうのはまさにそういう問題との
せめぎ合いだと思うんですよ。
お金を払わずに手に入れたものってどうしても価値が低い感じがします。
しちゃうんですよね。僕らがしつけられている
行動科学でしょうけれども、学習効果なんですよ。
なので本当はごく奨学でもいいと思いつつ
ごく奨学取るんだったらフリーでやりたいっていうのがあって
今回はフリーでやりますということです。
今日はその話じゃなくてですね
ここ最近考えているテーマに
ここ最近ようやくこれについてちゃんと考えられるようになってきたんだなと
年を取ってきたっていう意味ですけどね
軽蔑ということについてちょっと見下すでもいいんですけれども
考えているんですね。これはですね
昔からいい感じはしないんで
私たちはこれを回避したがってるんだけれども
どうしてもついしちゃうってことがあるわけですよね。
グッドワイブス流に言うと何か恐れているという話になるし
それはそうなんですよ。そうなんですが
なかなか抜けないなって時もあるんですね。
特に人じゃない場合、本とかね
あるいはSNSとかでどうしても出ちゃうと
いう時にこれは何なんだろうって
ちょっと考えてみたわけです。
その結論だけから言うとこれは
一つの人に近づくアプローチの
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ニュアンスみたいなものかなって思うんだけれども
ラベルと言ってもいいと思いますが、ラベルを張るんですけど
ニュアンスにラベルを張ってるんですね。軽蔑という
愛の反対は無関心とかって言うじゃないですか
軽蔑は無関心より愛に近いんですよ。この言い方が正しいならば
そうした時にどんな愛なんだろうって
考えてみてるんですね。
愛の反対が無関心であるならば愛とは関心だってことになるじゃないですか。
この辺はグッドファイブ素敵だなと思うんだけど
関心だってことになるということは軽蔑とは
ある種の関心の一パターン、一タイプであるってことになるじゃないですか。
そうするとどんな関心の抜け方に対して
私たちは軽蔑というラベルを張るんだろうって考えたんですね。
つまりそれはXだと思うんですよ。
これもグッドファイブ素敵ですけど、というか倉園さんがよくおっしゃることですが
グラデーションって言うじゃないですか。全ての軽蔑は違うわけですよね。
いろんなグラデーションの軽蔑があって、それらに
ある程度ここら辺のくくりに軽蔑っていう名付けをしているわけで
これは意味付けですよね。つまりそれっていうのは
私がある種の関心の抜ける、ただ愛という呼び方をするには
程遠い関心の抜け方をしている
その抜け方に対して私は軽蔑的というニュアンスを感じて
そういう名前をつけているわけですよね。
非常に込み入ってますが、そういうことだと思うんです。
軽蔑って
2種類あるかなと。2種類ないんですけど、これもグラデーションなんだけど
対別すると2つ感じられるなっていうのがあって
1つはこいつバカだなっていうやつね。
あれは頭が悪いって言ってるわけじゃないんですよね。
こいつバカじゃないかみたいな。
昨日ね、ロッテが、大体私の話はロッテなんだけど
さよならのチャンスを逃したんですよ。大きなチャンスを。
和田というですね、たぶんリーグで1,2番ぐらい足が速い
人が1なると3類にいて
もうこれだけでさよなら感満載じゃないですか。
速い人が3類にいるんだから同点でね。
もう何夜ごろでもさよならっていうのに近い状態で飲ましたんですよ。
バカじゃねえかと思っちゃったわけですね。
これなんですよね。これ別に頭の良さを
問題にしてるわけじゃないんですよね。この場合のバカって何なんだろうって思うんですよ。
これ、愛の反対は無関心っていうのをよく表していて
ロッテが好きでもなんでもなかったらたぶんそんなこと思わないんですよね。
現にうちの娘とかは全く何も感じでなさそうでしたから
つまりバカじゃないんですよ、別に。
このバカじゃないんだろうかって僕らが思うときに愛してるんだけれども
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この愛は独特の屈折がありますよね。
そのニュアンスを僕はちょっと今考えているというところなんです。
つまり軽蔑というものを通してもっといい感じに
関心を相手に持つアプローチができるんじゃないかなと思ってるわけですよ。
どうしてもしちゃうんだったら、まあしちゃうのはしょうがないとして
ここから踏み込んでいけばいいんじゃないかなと。
軽蔑してるものからは遠ざかるっていう処刑術もあると思うし
ものすごい警戒心の高い人はそうしちゃうと思うんですけど
私そんなことすることはないような日もしてるんですよね。
特にカウンセリングとか、じゃなくても
コーチングとか何かアドバイスする人っていうのは
少し考えるんじゃないかなと。つまり寄ってくるというか
すごくお客さんとして重宝するんだけど
でも軽蔑する気持ちが抜けないみたいな問題って
きっと残ると思うんですよね。そういう人に距離を空けるでは
ビジネスとして僕はダメだなと思うんです。
必ずしも相手はバカなわけじゃないのに
こいつバカじゃねえかと思って切り捨てるみたいなこと言ってたら
だからといってこの軽蔑心は良くないから
もっと好きになろうとただしても
なかなかそういうわけにも行かず自分が分裂しちゃうと思うんですね。
自分はこの人がどうも見下してるのに
お客様で大好きだと思おうと頑張るみたいな
お客様神様だからとかってそういう風に考えていても
何かいい感じにならないような気がするんです。
僕も時々そういうのに当たって
嫌な思いはしてきたんですけれども
赤裸様に見下す人っているじゃないですか。
でもしょうがないなと思いながらこっちも言ってるし
向こうも赤裸様に見下してるからってバカ二度と来るなとか言わないじゃないですか。
多分問題になるし、やっぱりそれじゃ商売にならないと思うんですよね。
いくらお医者さんでも。その辺のことを考えながら
そういう気持ちはどういうシチュエーションで生じがちなんだろうと
見下すみたいな。怖いってのは分かるんだけど
怖いと言ってもすげえビビってるとかじゃないですよね。
見下してるくらいだから。
見下しておかないと何かが失われるっていう言い方も
なるほどと思うんですよ。何が失われるんだろうな。
ケースバイケースでややこしいですよね。
何が失われるんだろうね。勝利が失われるんですけどね。
でも別に見下したことによって勝利は得られませんしね。
見下してないですしね。
しかもなんか腹が立ってるんですよね。
この場合失われてるのはさよならのシーンだと思うんだけど
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なんですかね。VRのゴークル眼鏡をかけて
一人でエッチなシーンに向かって
ものすごい強に入っている人を見たら
なんか軽蔑しそうですよね。僕らって。
これが近いなっていうのを僕はちょっと感じるんですね。
軽蔑というものには。
すっかり一人の世界に入っているのって
子供がやるならまだしも。子供がやるとかわいいんですよね。
ここらへんに愛の反対の剣が出てきてる気がするんですよ。
それにハマっている人はどこかかわいらしいところがある感じがあって
一方ですごく若っぽく見えるところもある。
人から見るとどんな人もある程度はそうだと思うんです。
私なんかはそう見られることは結構多いだろうなっていう気がします。
自分の世界に入り込むってやつですよね。
そういうことの多い方ですからやっぱり。
今すごい減らそうと努力してるけどものかきっていうのは
偉いぐらいの勢いがあるから。
昔アルキメデスだっけですかね。星をずっと見上げて
ドブに落ちたみたいな逸話がありますけど、
ああいうものに対する独特の見下し感だと思うんですよ。
あれはアルキメデスですら見下せる部分があるっていうのが
人の心をつかんでるから逸話が残ってると思うんですよね。
だってギリシャ時代ですからね。
そんなしょうもないものが
2000年の時を経て人の言い伝えとして
事実として残るもんかなと。
今のお話で
自分の世界に入り込んでいる
居すぎるという態度に対して
僕らがある種の軽蔑というものを抱くのであれば
コンセリングに接近してきた感じはあるんですね。
どういうことかというと、これってつまりナルシシズムですよね。
ナルシストっぽいじゃないですか。
自分の世界にどっぷり浸り込むっていうのは
漫画なんかでも笑いの対象になっちゃってるナルシストと
よく似てると思うんですよ。
あれはめちゃくちゃ自分が格好つけて
つまりあれが笑えるということが
ナルシストが笑われる理由なんですよね。
私たちはそれをすごく気をつけているから
そうならないように努力しているけど
赤ちゃんも最初みんなそうだったに決まっていますから
この人なんかバカだなと思った時に
嫌味がバカだと言っているわけじゃないんだと思うんですよ。
自分の世界に入り込むという人に対する
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私たちの愛し方の一つがこれなんだと思うんですよね。
多分その人の世界
その人自身をすっかり愛すということは
嫌味をすっかり愛すということは完全に見下されるじゃないですか。
なぜかというと彼はナルシストですから
つまりナルシシズムの人に接近するためには
軽蔑というある種の警戒というのかな
ある種の構えを必要とするんだろうなと。
そうしないとどっぷり浸っている人のところに
例えば恋人になるみたいに考えると
私の場合相手が女性でその女性が完璧なナルシストで
しかも私がその人と付き合うとなると
完全に見下されるというか下僕のようになるしかないですよね。
そういうアプローチをとるんじゃないかなと思うんですよ。
そうやって考えてみると少なくともある程度の部分までは
説明がつくかなと。
全部は無理なんだけどこれでは。少なくともある程度の部分は
説明ができるなという感じがするんですよね。
このナルシシズムというのはいきなり話が難しくなってきて恐縮なんですが
こういう話ですよ。
ナルシシズムみたいなものですよ。私は私の世界にどっぷり浸っているじゃないですか。
これを聞いて楽しんでいただけるというのは
かなりの部分私の話がよっぽど好きみたいなところが
ないとおかしいので、これはですね。
軽蔑しながら近づくという人がいても不思議はないと思うんです。
そういう意味では今の考え方はある程度正しいかなと。
つまりこれにどっぷり浸るということは
佐々木論はすごく正しいということになるじゃないですか。
そういうのにはまりたくない部分が自分の中にある場合に
でもこれに興味があるという人はですね。
軽蔑しながら近づくことになると思うんですよ。
冒頭で言った偶然ですけどね。タスクシュートの魅力を語るとかいうのも
同じだと思うんですよ。全くあんなのに
朝から晩までタスクマとかタスクシュートクラウドとか
使えないのかなって言ってる人の方が賢いってわけじゃないですよね。
ただそこには何かマイワールドあるいは
アワワールドにすっかりはまり込んでいる人たちに近づくときに
ある種の軽快感と同時にでもちょっと興味があるみたいなときに
さあどうするかという場合、愛の反対無関心で
全く無関心ならばそもそも何も感じないと思うんですよ。
でもなんかこのタスクシュートっていうのは
本当にどうしようもない人たちが使っているどうしようもない道具ねと言いながら
触ってみるとかね。こういう時に軽蔑っていうのは役に立つんだろうなと
そんな気がしますね。
これつまり何かというとやっぱりこういう話になっちゃうんですけど
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ある程度まではメラニクラインかなって感じがするんですね。
良いおっぱい悪いおっぱいなんて言ってる赤ちゃんは
つまり可愛らしいじゃないですか。
なんですかね。よくどこかでも出てきますよね。
人参ダメ人参嫌いみたいな感じで人参見ると泣くのって
可愛らしいってのはどういうことかというと馬鹿っぽいですよね。
人参見て泣くほどのことかってみんな思うじゃないですか。
つまりこれは自分の世界にそっかり入り込んでいる態度なんですよ。
これ完全にクラインの良いおっぱい悪いおっぱいの世界ですよね。
自分の世界が自分にとって良い世界ならば大好きだし
同じ世界がちょっとでも自分にとって気に入らなくなると
途端に火がついたように騒ぎ出すと。これを大人がやるんですよ。
それをヒステリーと僕はヒステリーが良いと思うんですよね。
これを乖離と言ったらもう絶対行き過ぎだと思うんで
ヒステリーが良いところだと思うんだけど禁止予防なんですかね。
いずれにしてもこれをですね
例えば同じ同僚に対してこれを平気でやるっていう人がいたら
自分が悲傷になっちゃうと思うんですね。ある程度。
こいつバカだなっていうのが付き合う上でギリギリ必要なラインだと思うんです。
ではない人はもう無関心になって距離を置いちゃいますよね。
バカだなと言いつつ付き合ってくれるという人は
その人は好意的なんだと思うんです。
つまり私今日ヒゲが悪いのとか平気で言ったりできて
翌日になるとちょっとパソコン調子悪いんだけど
見てくれるとか言う人ですよ。
それが今のウィニコットっぽいんですよね。
メラニックラインの相手次第で
感情の起伏が巨大極端に出るという感じなんだけど
とにかくそういう人って結構見かけるわけです。
アプローチするならば、そういう人に近づくならば
一定の警戒心を持つから
警戒心というものになって現れるのは真意はないなと
この人にとことん付き合って振り回されちゃたまったもんじゃないけど
まあまあ付き合ってはおこうみたいなときに
心理が出るんだろうなと。
そうすると関係性は持てますよね。
その人の考える通りになったんでは
自分はいつもいいお母さんでなきゃいけないからたまったもんじゃないわけですよ。
言い続けていて。しかもしばしばそれでも怒られるみたいになってしまうから
だからある種の警戒心というものを心に抱えながら
一応付き合うと。
これが非常に巧みにできる人は
人間関係って相当上手いんだろうなと思うんです。
これをあんまりにも真に受けるというのは
誰かが心理的に不器用な人という表現を取ったんだけど
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不器用だとこの相手のヒステリーな引用を
思いっきり受けちゃうので
あの人は本当にとんでもない人だってことになって
この反応、軽蔑では全くないじゃないですか。それよりはるかにシリアスですよね。
そういう反応にならないための
一種の処制術だったのかなという感じがしてます。
このところぐらいまで
考えてみると軽蔑ってあんまりしなくて済むんですよ。
そうか、この人のワールドにはまり込まないんだったら
この警戒いらなくなりますからね。
つまりある種の軽蔑っていうのは
政治思想にめちゃくちゃのめり込んでいる人に近づく時っていうのは
私たちうすらといらっくんですよね、どうしても。
あの人たちちょっと危ないよねとか言ってる時のあの態度っていうのはそれなんですよ。
つまりそれはそれに取り込まれるということに対する警戒感であって
取り込まれないことが明らかでかつ仲良くなるだけで
いいのであればですね、いらなくなるんですよね。
その辺は、あ、これはグッドバイブ素敵だなと思った次第です。