1. 働くメンタルをとり戻す精神分析的ポッドキャスト
  2. 私はカップルに嫉妬はできず羨..
2024-11-05 44:36

私はカップルに嫉妬はできず羨望していた【1083】

なぜ私たちは快楽原則で生きていてはダメなのだろう。
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おはようございます。働くメンタルをとり戻す精神分析的ポッドキャスト、第1083回をお送りします。
11月5日、火曜日、朝7時24分です。まあ、お早いですね。
11月にしては、まだまだ暖かくて、このポッドキャスト収録場がですね、ただの洗面所なんですが、
非常にちょうどいい感じで、今がベストかもしれないっていう時期ですね。何回かこの話してますが、
これが多分10月に普通来ていたところが、今11月に来ていますね。
はい、別に地球温暖化についてのキャストじゃないんで、とっとと先へ行きますと、
あのですね、これ、本今読んでいて、松木くにひろさんのね、天意覚え書きはとてもよくて、じりじり読んでいるわけです。
ようやくですね、ようやく第一部だったかな。大体わかった気がする。気がするってすごい大事なんですよね。
何とも言いますけど、僕のこのポッドキャストはデタラメです。
まあ、これは謙遜も入ってはいるつもりですけど、謙遜っていうか、むしろ強打だな。
強打って難しいじゃないですかね。おびえですね。おびえと謙遜は似てるところにあると思うんだけど、入ってるんだけど、
のみならず、やっぱりこう、わかんないんですよ、ああいうことって。
なんていうかっていうと、コンセンサスは結構取れてると思いますけど、
心のモデルなどというものはですね、有名なフロイトの超自画と自画とSのやつもそうだけど、
だってあんなの嘘っぱちじゃないですか。解剖学的に断片付きって見せたところでですね、
そんなもんないわけですよ、超自画などというものは。脳に大脳があるのとは話が全然違うんですよね。
実体として見たことのある人はフロイト自身を含めて誰もいないわけだから、このようなものはないわけですよ。
すっげー超頑張って電子顕微鏡とかで見れば原子も見えますって話とは全く違うんですよ、これは。
だから転移とかもそうですし、グリッドとかベータ要素とかないわけですよ、そんなものは。
名付けてるだけの概念だけの話なわけですよね。
これでも面白いなと僕思ったんですけど、先日私のサンチャレタ手伝っていただいてるZoeさんが話されていた、
CPUの論理話とかの話、あれも概念ですよね。
ベンズがこの世の中にあるわけじゃないじゃないですか。
03:01
AcapBと、AcapBだっけ、なんかよくわかんないですけど、要するにANDとかORとかNORの世界ですけど、
わかんないというか、わかりにくいですよね、あの種の話は。
あれとは似てないけど、あれと全く同じような理由でわけわかんない話だと思うんですよね、転移とかそういう話は。
だから転移をご描きが読みやすくなく、私がわかったような気にしかなれないのはある意味当然なんだと思うんですよ。
で、今読んでる本もまた独特でですね、もう一つ読んでるんですけど、精神療法で私は変わったっていう。
すごい興味引かれるじゃないですか。
まあ常識的に、いや常識は別として、カウンセリングで私変わんないよねって思うじゃないですか。
大体の人は、普通に大体の人は。
精神療法で私は変わったっていう本のタイトル見たとき、まず一体これのターゲット誰なんだろうなって思ったんですよ。
これ昨日話したお話ですね。
ターゲット不明なはずなんですよ。
今いい、心理臨床で今いい本は。
多分ターゲットは不明なんですよ。
ターゲットが明確な顔をしているものはですね、超専門書家。
出なければ、昨日お話ししたとおり、めちゃくちゃ優しくなってるあれですよ。
フロイトを3日でわかる本とか。
3日じゃわかんないんですよね。
だからこの3ヶ月チャレンジもですね、3ヶ月もかけずに3週間で終わらせられればどれほどいいかと思うんですが、無理なんですよね土台ね。
1回お話し聞いたときの最初の50分とかでは、よほどの達人とかでない限り何もできない可能性が高いと思います。
だいぶ違うってこともあるんですけどね。
話を全く聞いてもらえない環境にいる方の場合には結構違うかもしれない。
誰が話を聞いたとしてもですよね。
身を入れて聞けば。
でも、普通に考えると蓄積されてきた6年も7年もの、例えば家庭内不和とか、10年とか得たすると言っちゃいますからね。
それを50分で解きほぐせたら、むしろそれまでは何だったんだって感じがするじゃないですか。
私のアトピーもそうだけど、30何年も育病で苦しんできたのに、1回この薬塗ったら激めになりましたみたいなのって、なんかおかしいわけですよね。
と思うので、この精神療法で私は変わったっていう、この不可解なタイトルがね、非常に私の興味を引いたんで。
増井たけしさんという方が書いたんですけど、この本をお勧めは相変わらず特にしないんですよ。
なぜならこれ誰に勧めればいいかわかんない本なんですよ。
で、3ヶ月チャレンジではこちらを紹介しようかなと思ってるんですけど、これは別にね、課題図書とかないんで別に。
3ヶ月チャレンジは何もしなくてもいいチャレンジというふうに、チャレンジはするけど、何をワークしましょうみたいなのが特にない。
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1個くらい用意できたらなと思ってるんですけど、今のところそういうものは用意できない。
グループワークに行って、グループワークでお話聞いたりしたりして、私と周囲に1回お話したりしていただければ効果上がるはずぐらいに。
もうここにある程度の確信を持つ以外、私にできることはないなという感じでおります。
ただこの精神予報で私は変わったですね。読んでみたら大変いい本でした。
で、大して参考にならないんですよ。ここ大事なんですよね。
誰の参考になる本なのかが今の現段階では不明瞭なんですよ。不明瞭なはずなんです、この種の本は。
もしこの本がちゃんとしていれば、ちゃんとしてるんで。だから不明瞭になるんですよ。
精神予報で私は変わったという本は、一応患者目線ってことになってるんですけど、書いてる人が増井武さんという精神科医だと思う。精神療法科なんですよね。
で、分析科なのかというと分析的にも見える。でも認知行動療法的には僕には見えない。
非常に曖昧もことしている。ここ非常にいいと思いますね。
で、この本多分スーパーバイザーが見つけられない人向けかなと思うんですよね。
後書きに神田橋さんって方が書いていて、この人も精神分析科だと思ったんですけど、しかもその中にどれだけおさが出てきても絶対精神力導系だろうって思うんですけどね。
そういう読み方をするべき本だと思います。ということはユーザー向けじゃないよね。
でもこれは、この辺の本にしては専門書になってなくて、参考本1540円で売られておりますので、
しかも出しているところが、何なんだこれは。わからないからパス。
出しているところはパスですが、どちらかというと全然専門書っぽくはないです。
専門書っぽくないんだけども、専門家に向かっているようにしか見えない部分が多々あります。
山崎さんの本もそういうところがあるし、
遠畑さんの本はそうではないからすごいっていう、でもこれは非常にレアなわけです。
ターゲット読者が極めてはっきりしている心理臨床系の名著っていうのは難しいんですよ。
心理臨床系の名著いっぱいあります。
ただしそれはすごく専門家に向かっているか、誰をターゲットにしているのかよくわかんない。
どっちかですね。あるいは両方です。
だから書いてる人はどういうつもりなのかはあるのかもしれないけど、
09:01
出版社さんとしてはなるべく幅広く取りたいですからね。
専門家だけの間で読まれるっていう本になってしまうと、
もうある種の部数は絶対見込めませんから。
ある種の部数は見込んでないなっていう根付けですけどね。
3000円とか4000円とかで飛ぶように売れないじゃないですか、常識的に考えても。
4000円の本が10万部売れたら凄まじいですけど、
ちょっと10万人も読むようにはなってないよねっていう感じがする。
とはいえ公認心理師さんが全員買えば10万いくんですけど、
だからそういうことは期待できないってことなんですよね結局ね、多くの場合。
よほど良い本だとしてもですね。
そのよほど良い本ってそもそも誰にとってよほど良いのかってことがございますからね。
まあこれは何かのお知らせになってませんけれども、
あ、そうだ。お知らせしておきます。
これはもう義務。
11月17日の日曜日にタスク集と手帳術の会をやります。
なんかすごい唐突ですが、私なんか喋ろうかなと思っております。
ぜひ来て遊びに来ていただければと思います。
はい、じゃあ本題。
天意と扇望です。
またそれって感じですね。またそれって感じなんですけど、
僕これ以外の話をしたいというモチベーションは、
例えば他の話をしたいモチベーション1に対して、
9999くらいこっちなんでしょうがないと思ってください。
これを聞いてる人の宿命みたいな感じですね。
もちろんDNAとソフトバンクの話もしたいんだけど、
それはやっぱり1万分の1ぐらいしかしたくないんですよね。
したいんですよ結構それでも。
つまりその話ばっかりしてましたからね。
もう終わっちゃいました。
三浦番長泣いてたしね。
感動的でしたね。
DNAの三浦監督ですね。
うち一応神奈川県なんでね。
横浜そんな別に近くないですけど。
一応セリーグは僕はDNAをかすかに推していると。
ソフトバンクよりは全然推してますね。
そんな感じです。
僕はパリーグはロッテ以外は推してないんで一切。
基本的に負けてくれると嬉しいぐらいな感覚しか持ってませんので。
パリーグの方は詳しく知ってはいるっていう面もあるんですけど。
この話をするのの1万倍ぐらいは扇望の話がしたいってことですよ。
その扇望の話なんですが。
嫉妬と扇望って言うんですよね。
時々。
新聞説で。
私は嫉妬に行きつければ基本人間は正常だと思うんですね。
扇望がやばいんですよね。
というのが多分僕は対象関係論者の言い分だと思ってるんですよ。
扇望は2者心理学ですから。
嫉妬は3者必要ですからね。
2者で嫉妬っておかしいですよね。
嫉妬とは競争の心理ですから。
私の方が魅力的なんだから私の方向いてよっていうのは嫉妬じゃないですか。
ってことは3人は必要なわけですよね。
私の方があの人よりも魅力的なんだからあなたこっち向いてよって3者いるじゃん。
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3者が認識できるということは現実検討式がかなりちゃんとしてるっていう意味になると思うんですよ。
この世の中に2者しかいない。
渡したい世界みたいだね。
これつまり渡したい母親なんだけど。
乳幼児の世界。
乳幼児の世界ですよ。
これはだから現実検討が微妙であると。
一時過程に生きている。
いいか悪いかしかない世界。
桃太郎さんの世界なんですね。
鬼が悪い。
私たちは良いもの。
鬼は悪いもの。
2者しかいない。
2者心理学の世界。
なぜ鬼が悪いのかとかはない。
そういうものはない。
鬼は悪い。
しかもあの鬼はめちゃくちゃ唐突に登場しますよね。
実はな、桃太郎鬼がいるんじゃよっていう。
鬼今まで一回も出てこなかったじゃんっていうね。
実は私その疑問を最初にあの話を読んだ時に思ったんですよ。
鬼どこにいたっていう。
鬼が村人に悪さをして困っておるんだ。
全然困ってる雰囲気が今までなかったじゃないかって思ったんですよね。
これ2者心理学の世界ですね。
良いおっぱいと悪いおっぱいがある。
他はないんですよ。
他はない。
良いおっぱいと一緒にいて素晴らしい良い世界があるのに悪いおっぱいがある。
悪い鬼がいる。
やっつけなければいけない。
非常に非常にシンプルな世界ですね。
ここから始めないと私たち何も始められないだろうっていう風に
バックラインの世界は言ってると思うんですよね。
ここを分けておかなかったら何もできない。
やっぱトイレに行って食事はしない。
食卓に排泄物は持ち込まない。
良いものと悪いものは分ける。
なぜ分けるのとかは基本問わない。
分けるに決まってるから分ける。
で非常に唐突ですよね。
急に赤ちゃんはお氏名にしたらダメでしょトイレに行きなさいとかって急に言われるわけ。
唐突なんですよこの世界が始まるのは。
良いものと悪いものは分ける。
なぜ分けるかは言われない。
そしていきさつが説明されないですね。
とにかく分けろと。
いきさつ説明して理解できる都市にまだ達してないんで。
ダメだからダメの世界。
ダメでしょっていうやつですよね。
言われるですよね。
あそこで理屈をいろいろ言う家になるとうちの娘っぽくなるんですよ。
理屈っぽくなっちゃう。
その人はね大きくなってから。
うちの親とかもきっと理屈っぽかったんですよ。
だから僕は理屈っぽくなったんですよね。
さっきの増井たけしさんの精神療法で私は変わった。
あれは理屈を言わない精神療法なんですよ。
あれはすごいなって思います。
名人芸的なところがあって。
やっぱり僕はそれはオンラインでは難しくなるんじゃないかと思うんですよね。
心地よい距離を探しましょうみたいな。
非常に一歩間違うとかなりスピリチュアルな自己啓発みたいになっちゃうんで。
やっぱり精神療法家、精神会の人があれを真剣にやってるっていうのはとても得がたいところがあるんですよね。
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ただあれスーパーバイザーされるとしてもですね。
あれを真似られるかっていうと私なんかには到底無理で。
だからあれはどうしても名人芸っぽく見えるんですよね。
本当はそうじゃないのかもしれないんだけど。
まんま真似できるかってまんま真似してみてて仮に。
それで効果は上がるんだろうかっていう疑問を内心で持ってる間は無理だと思うんですよね。
そういう本でした。
だから理屈っぽくないんですよ。
たぶんすっごいご本人の中では理屈があるんじゃないかどうか思うんですけどね。
僕はやっぱり理屈っぽいじゃないですか。
理屈でいくことによって二次過程を維持するっていうのがこのポッドキャストの趣旨でもありますし。
現実検討式をつけるってことですよ。
今何が起きてるかを理解するということですね。
LとかHを優先にさせないということですよね。
LとかHを優先にしてノーイングそっちのけにしないということですね。
何とか頑張って知りつつある方向へ何が起きているのかを把握する方向へ向かいたいですねっていう。
いや向かいたいですよねっていう。
向かいたくなんかないかもしれないけど向かいたいわけですよ。
そっちに向かった方が楽になれるはずだという。
ある種のこれだって結局ほことん突き進めればスピリッチャルみたいになっていくんですよ。
知りつつあることが役に立つわけって言われるとちょっと困るわけですよね。
役に立つと思いたいんですけど。
赤ちゃんはやっぱりお腹のところに悪いおっぱいが攻め立ててきているではなくて、
赤ちゃんはお腹が空いているって理解した方が自体に対する対処能力は上がるはずだし、
無駄に苦しむようにするはずだという。
でも悪いおっぱいがいるんだっていうふうに泣いている子に向かって、
あなたお腹が空いているっていうのを理解させることは実質不可能ですよ。
ここにグッドイナフマザーっていう言葉の意味があるんだと思いますし、
だから下毒っていうことの意味があるわけですよ。
まあまだ今ちょっとここまで話を飛ばしてはいけなくて、
嫉妬と煽放ですね。
私は非モテだった話してますけれども、
大学時代の私は嫉妬に行き着くことができなかったんですよ。
全部煽放になってた。
そういう意味では大学時代の私は精神病部分が優勢とも言えると思うんですよね。
精神病部分と非精神病部分、この話はもっと強調しなければいけないと思うんですよね。
このポッドキャストでも3ヶ月チャレンジでも、
このポジション論でもいいんだけど、
精神病部分と非精神病部分のこの理論の何と言ってもいいところは、
多分老発がある。
精神病部分優勢だけれども非精神病部分がもっと優勢だから、
この人は現実検討式が高いと言える状態。
そういう不良っぽい人っているじゃないですか。
ヤンキーな感じの人っていう。
なんかこう基本的には一時過程で動いてる風なんだけど、
いやでもやっぱりなんかボスみたいな人。
実は二次過程がちゃんと働いてるよねみたいな、
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そういうタイプの人っているじゃないですか。
一時過程も優勢なんだけど、
二次過程の方が優勢だからこの人の現実検討、この人が正気に見える。
この人は結構狂気な部分も強いんだけど正気に見える。
あれ厳しいと思うんで、ポジション論ってそうじゃないですよね。
いわゆる妄想分裂ポジションのPSとDは、
Dポジションを取った時はPSポジションではないって感じがあるんですよね。
戻るけど。PSにも戻るけど。
ポジションってそうですよね。
やっぱりこうファーストにいる人がライトに行ったら、
ファーストとライトの両方同時にいることはできないわけですよ。
交換はできますよ交換はね。
でも同時にはいられない。
ただ、これもうまたがってる感じってありますよね。
PSとDまたがってるような人。
ただしこの人は正気だと思いますね。
PSとDまたがっててPS優勢っていうよりやっぱりD優勢って感じがするんですよね。
ほらあの大リーグで最近、セカンドだかショートだかわからないところに守ってる。
セカンドベースの真後ろあたりに守ってる人いるじゃないですか。
どっちとも言えないような。野球詳しくない人申しすみません。
フィッチャーとギャッチャーとかはどう考えても同時ポジションは取れないんだけど、
セカンドとショートなら同時のポジション取れるんですよね。
あとライトだかセカンドだかわからないぐらいガイアが前に来てるケースってありますよね。
ああいう感じでポジションがまたがってるってことはあると思うんだけど、
それだったら精神病部分と非精神病部分、
つまり精神病部分だと一時過程で現実がよくわかんなくなって、
悪いおっぱいがお腹にいるになっちゃうんだけど、
Dポジション、非精神病部分、つまり正気の部分が優勢になってくればですね、
いや今私はちょっと取り乱していて激好してるけど、
こんなに起こることじゃないんじゃないかなぐらいにわかってくるみたいなのがむしろ優勢になると。
それが非精神病部分の優勢ですよね。
だからやっぱり精神病部分優勢ってことはあり得ると思うんですよね。
普通の人でもここをもっと強調しなければいけないと思うんです。
私大学に行った時、別に一時過程で生きてたわけじゃないですから、
大筋二次過程で生きてたけど、こと彼女ができない問題とか、
なんかねキャンパスで男女が手つないでいるのを見ると発狂するわけですよ。
簡単に言うとそういうことなんですよ。
で、ここで大事なのは僕は嫉妬っていう真理を理解できてなかったんですよ。
だからモテてる男に嫉妬できたことはないですよ。
モテてる男とでも平気で仲良くなっちゃうんですよ。
これは扇望なんですね。
だからあの男にとって変わりたいという感情はなかったんですよ。
いやあの男にとって変わるの無理でしょみたいに。
この赤ちゃんになってしまってる。
つまり私はお父さんお母さんカップルから排除されている。
だからその苦しみを訴えてたんですよ。
これを訴えてるようでは、大学で彼女を作るのは非常に難しいと思うんですよね。
今思うとよくわかる。
あの大学に行って、大学のカップルに排除されている自分っていうポジションを意識して、
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つまり二者じゃないですか。
ここに三者がいない。
えっとかっこいい男かわいい女の子、私ではないです。
かっこいい男とかわいい女の子はセットになっちゃってるんですよ。
要するに原稿形に近い。
これは言い過ぎな気もするんだけど、でも原稿形に近いんですよね。
子供がお父さんとお母さんのセックスを見ちゃいましたと。
これは強烈な排除じゃないですか。
なんで二人で楽しそうにやってて、僕はそっちのけなわけ。これが一つ。
もう一つは、それの意味は新しい競争相手を作るという目的で、自分いらなくなるよねという恐怖。
これはどの程度理解されるかわかりませんけれども、
根源的な恐怖ですよね。
大学生になれば、もろん理解されますよね。
だから二人でセックスしているシーンを思い浮かべては、絶望するわけですよ。
目の前のカップルに原稿形を見るのってどうよって、お前関係ないだろって感じ。
でもこの関係ないが嫌なんですよ。
関係ないから恐ろしいわけですよ。
恐ろしいっていうのは、ものすごく孤立するんですよ。
これを、例えば大学のサークルとかに、まんま全域に投影しちゃうんですよね。
だからサークル全体、200人とかいるサークル席とかがあったんだけど、大学わかっちまうな。
そういうサークル席全部に、病性偶有の親を、つまり合体している親の像っていう、時々出てきますよね。
夫婦合体ゾーン。
夫婦合体だから最強なわけですよね、向こうはね。
夫婦合体なんでもできちゃうじゃないですか。
しかもどっちか一人だって自分を圧倒しているのに、父親か母親で自分3歳とかなんだから2歳とか。
それが合体して向こうが2人でこっちが1人。
これがつまり、これをサークルとかに見てしまう私は絶望するわけですね。
ああもう自分は排除されている、もうダメ。
男としてもダメだけどそもそも人間としてダメでしょみたいな。
だから二者心理学は危険なんですよ。
人間としてダメになっちゃうんですよね。
男としてダメならば、これは嫉妬の世界で三者なんで、頑張れる余地があるわけですよ。
頑張れてもダメな気もしたけど、だからその辺が僕の非常に精神病部分、優勢だったんですよね。
頑張れる気がしなかったっていう感じなんですよ。
男友達と仲良くなるみたいなのもちょっと違うんですよね。
それはあれじゃないですか。
要するにお父さんと仲良くする女の子になる戦略。
これは同性愛的な方面に向かうんですけれども。
精神分析の力度では説明すると、この辺もすごい今嫌われますよね。
非常にこういうのが今嫌われると思うんですけど、
僕この観念は正しくはないかもしれないけど意識はしておいた方がいいと思うんですよね。
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別におかしな話ではないと思うんで。
お父さんと仲良くする男の子っていっぱいいるじゃないですか。
競争相手のお父さんに今はかなわないから仲良くやっておこうみたいな。
そういうのはありだと思う。
私はそこまで行きつけてないわけですよ。
この件に関しては。
これも大事なんですよ。
テーマごとに変わるんですよね。
だから教室で普通にやっている授業とか受けてる時は全然僕は普通でいられる。
二次家庭に生きてるから。
男女の排除の世界に生きてないから。
男女的世界に入ると僕は途端に発狂するわけですよ。
頭おかしくなってしまって。
ああ、なんか世界対私。
もうダメダメで。
世界対私なんかダメに決まってるじゃないですか。
宇宙対私とかね。
勝てるはずがないんですよね。
なんか向こうは寿命が何か100億年とかで、
広さも何か100億光年とかの広さがあって、
なんか自分は1メートル50センチぐらいしかなくてみたいな。
勝てるはずがない。
この世界に、世界観に生きてしまうのはとてつもなく危険な話なんですよね。
相手が良くしてくれない限りはどうしようもないわけです。
良いおっぱいをくれる以外は何も期待できない。
悪いおっぱいになってしまったらもうただただ絶望するしかないわけですよ。
だからもう、でも排除されるわけです。
だって、なんか楽しそうに話していたとしても、
3,3,5号になると男女がいなくなって、私だけは1人で取り残されるじゃないですか。
そういう時に僕は正気を保つのが非常に難しくなっていたわけですね。
だから目当たり次第声をかけるみたいなことができた。
正気を保ってないからできたことだったと思うんですね。
ここまでが戦亡の話。
今の真理が戦亡だと僕は思っています。
特定の誰かに嫉妬する。
あ、すみませんすみません。途切れてしまいました。
今ゴミを捨ててきて、だから嫉妬に行き着けなかったんですよ。
特定の男に嫉妬するっていう、そこまで僕は情緒が発達していなかったんで。
この男よりも優れた奴になれば、つまり競争関係ですよね。
この女の子は私に魅力を感じてくれるみたいな発想は一切なかった。
それは三者一体初めてできる発想であって。
私の頭の中にはカップル問題は二者しかいないんで。
私対結合したカップルになっちゃうんですよ。
結合両心臓になってしまう。
それと戦わなければいけない。
この戦いは絶望的なので、だって何も手に入りませんからね。
相手をただ呪うしかないみたいな世界になっちゃうんです。
死ねばいいのにみたいな、そういう発想になっちゃうわけですよね。
これが戦亡の辛いところなんですよ。
全てをダメに、台無しにする以外に選択の余地がないんですね。
奪い取るみたいなものがないわけですよ、最初から。
奪い取れないからっていうこともあるし、奪い取る対象がないから。
27:03
奪い取るためには三者が必要だから。
この時の私の世界には二者しか基本いないんで。
カップルを意識した時の大学生時代の私に割っていいんですからね。
これがDHロレンスについての論文を書く時には僕は、
頭は正常になるんですよ、いきなり。
十分三者いる。三者も四者も五者もちゃんといるわけですよ。
途端に二者侵入分の世界に入るのは、カップルの世界に入った時だけなんですよ。
だからこそ、私はやっぱりポジション論が正しくて、
発達成長論みたいなのは信用ならないわけですよ。
あの時の私には、二つのポジション行ったり来たりは頻繁だったし、
ゼミでも起こるじゃないですか。サークルでも起こるじゃないですか。
教室でも起こるじゃないですか。どこでも起きますよね。
しかも、精神病と非精神病とが同居していた。
私のことを発狂しているとは誰も言わなかった。
ただし、このひもて問題になると、
ザヒクの言ってることは極端すぎるぐらいなことは言われましたよ。
だからその時には、非常にバランスがおかしいよねというのは他人の目にも明らかだった。
そういうことなんですよね。
ほいで、そのように私が戦亡の世界に叩き込まれると、
つまりそれはそれを対抗と自我心理学的には思いっきり言うんでしょうけど、
まさに対抗なんですけれども、
用事帰りしてると言われるんでしょうけれども、
用事帰りじゃないんですよね。やっぱり共存してるんで。
すごい前に来てるライトなんで、
セカンドなのかライトなのかわからんみたいなそういう人になってるだけなんで。
対抗ってからには、やっぱりライトよりセカンドの方がいいみたいな世界じゃないですか。
そんなことは別にいいのかもしれないけど、三者は二者心理学よりね。
でも我々は二者心理学を出し切れないんですよ結局は。
と僕は思うんですよね。特に最近は痛切にそれを思います。
やっぱり3ヶ月チャレンジやっていて、つくづく思いますね。
私たちはみんな適応障害と言われるべき存在ではないんですよ。
そんなことを言えば全ての人がどこかで適応障害だと、私はもう思うんですよね。
世の中には確かに非適応的にしか見えないような振る舞いを続けている人もいるし、
適応的な振る舞いが圧倒しているように見える人はいますが、実際はそんなことはないなと。
一般的に見れば多分これを聞いていらっしゃる方もみんな適応度が非常に高いとみなされていると思いますが、
その中には非適応的な部分がいっぱいあることを本人はよく知っている。
私もそうですが知っていると思うんですよね。しょうがないんだと思うんです。
そしてその非適応というのは適応すべきものがまるであるみたいじゃないですか。
だからここで多くの課題が出てくるんですよ。
例えば適応障害と言われましたけれども会社はブラック企業でしたみたいな話。
30:03
この問題を脱するためにもBeyondの定義っていうのをやっぱり私は持ち出してくる必要があるんだろうなと理屈っぽく私は思うわけですね。
増井たけしさんのようにではできない考えられない私としてはやっぱりここはBeyondのように考えるより他僕には仕方がない。
戦亡という話、陰性治療反応という話では、創的防衛という話では十分じゃないんですよね。
一体どっちが悪いのかって話にさせられてしまう。
ここにはグッドイナフマザーの考え方が抜け落ちてますよね。
あなたのそれは戦亡なんですと。
結合両親像に対する戦亡であり、このカップルにひたすら戦亡の目を向けるあなたのその異常な状態を脱しましょうと。
一見これは対照関係論っぽいんですけれども、ここにあるのは何か結合両親像の方が正しいという、正しいんだけど正しいというの意義があるじゃないですか。
でも対照関係論は二者関係なんだから、客観的正しさはどっちにもないはずなんですよ究極的には。
非常にここは私にとって最近の、以前から喋っていたことの中にも含まれてはいるんですけどねきっとね。
でも最近の、そういうことを言いたかったんだと。
だからビヨンが必要でローゼンフェルドで留まってはいけないんだなと。
僕はやっぱりローゼンフェルドはすごい非常にある意味推しなんですよ。
なぜならあれこそ私の問題を指摘されていたから。
まさに戦亡と総的防衛こそ僕の問題だったんで、ローゼンフェルドの話っていうのは非常に非常に参考になったんですよ。
だけどビヨンがさらにその先へ行こうとしていて、多分言ってて、なんでそれが必要なのか僕よくわからなかったんだけど、正しい、結合両親は正しいのかっていう問いなんですよね、ここにあるのはね。
お母さんが授乳はする、寝かしつけはする、涼しさ、あったかさ全部やっている、でも赤ちゃん泣き止めませんと。
この子なんで泣いてるのかわかんないわみたいなのではダメでしょうと言ってるわけですよ、ビヨン。
それはコンテーニングの失敗だよねと。赤ちゃんが戦亡に苦しんでるんではないよねと。
こういう言い分なんですよね、ここにあるのはね。
それはコンテーニングの失敗ですよねと。赤ちゃんが戦亡している、お母さんをダメにしようとしている、おっぱいに噛みついているっていう話にしてはいけませんよねって。
お母さんはさらにそこで軽でノーイング頑張りましょうねと。今何が起こりつつあるのかを知ろうと頑張りましょうねって、これは臨床の話ですよね。
患者が戦亡している、しているんだけど、患者が精神病科に戦亡している、治療者に戦亡している、ユダがキリストに戦亡している、ではダメですよねと。
33:04
キリストなんだから、やっぱりコンテーニングしないと。ユダに何が起きつつあるのかを理解しようとしないと。
それは戦亡であると。自分があたかも正しい側に立っちゃいけませんよねと。
結合量心臓は正しいんですけど、アップルを見て勝手に戦亡している僕がいけないんだけど、そうじゃないよねと。
大学は佐々木をちゃんとコンテーニングしないとしてくれたんですけどね。
コンテインの失敗なんですよ、私の存在というもの。それでよしとしてはいけないんですよね。
佐々木の自業自得でしょう、ではダメなわけです。
そういう観点で見ていかないと、この転移というものを見落とすことになるという話につながっているんですね、あれは。
転移、何が転移かと。私は、乳幼児時代の母親にされたことを恨んでいるというその状態を大学に転移しているわけですよ。
何なら大学に、典型的にいる結合量心臓に転移しているわけ。原光系を見ているわけですよ、そこに。
だから私は発狂するわけですよ、ギャン泣きする赤ちゃんになっちゃうわけですね。ギャン泣きする赤ちゃんになるというのは転移なんですよ。
だって転移ですよね、そこにあるのは。治療者に恋をしてしまうクライアントと同じで、大学に母親への恨みをぶつける乳児になっていくと。
しかし、だからそんな子供っぽいことではいけませんよねって言っても始まらないんですよね。
そこでどうコンテインするかを大学が理解する。ここまで行かなかったら大学がやっていることの意味っていうものはおそらく半減以下に減ってしまう。
つまり大学というのは佐々木をコンテインすることによって大学が佐々木にコンテインされるんですよ。
この関係が両立するように持っていく方向に行かなきゃダメなんですよ。だって私が大学を選んであげたんだから。
そうですよね。お金を払っているんだから。払っているのは親ですけど。払ってたのは親ですけど。
でも私が生き、親がお金を払う価値を認めるから大学の存在価値って出るんじゃないですか。認められるわけじゃないですか。
学生をコンテインにしない大学だったら大学の存在意義って消滅してしまうと思うんですよね、やっぱりね。
まして治療者、そうですよね。患者が勝手に陰性治療反応を起こしてますと。もう来なくなりました。
あれは患者が悪いよね。で、切ってしまったらそのクリニックの存在意義って半分以下になっちゃうじゃないですか。
つまり、戦亡であるという認識では甘いんですよ。やっぱし、きっと。
そこに転移が起きているってことを理解しなければいけない。
この問題ってきっとヤングケアラーの問題だとか、さっき言ったブラック企業だとか青原上司、全てに当てはまるんですよね。
どっちか一方がコンテインにする側であることに決めることはできないみたいなことなんですよ。
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だから青原上司、この話で僕が先へ進めるなと思ったのは、結局会社に行ってひどい目に遭うというのはイリュージョンなのかどうなのか問題というものの先へ行けるかな。
この問題の話をすると必ずここにぶつかることになってしまうんですよ。会社で行くとひどい目に遭う。
確かにそれは空想なんですよね。でも行くと実際にひどい目に遭うじゃないかっていう、これはどうなるんだって話になってしまうんですよ。
それはどちらかっていうないしは両方のコンテイニングの失敗なんですね。会社は会社員をコンテインしなければいけないんですよ。しようとしなければ。
会社は会社員をコンテインすることができれば会社員は会社をコンテインすることになるんですよ。
これは甘えさせるの話と同じなんだけど、もっとここには言えることがあったんだなと。ここで行き詰まらずに済むはずなんですよね。
お互いコンテインしようとするときには必ずお互いの定義に気づかなければいけない。いくらかはね。
専門家じゃないんだから定義に気づくことはできないかもしれませんけれども、でもやっぱりそこには定義的なものがあるっていうことには関係者は両者とも気づき得るはずだっていうこと。
で、仮にそれに失敗したとしてもそれはあくまでも定義が続いているという話であって、グッドイヌフマザーであるという事態に変化はない。
だから失敗してはいけないわけではないんですよ。失敗しないほうがいいかもしれないけれど。
つまりパワハラじゃなくて何に会社に専門しているだけかもしれないのかもしれないんですけれども、この先へ行けるってことですよね。
あるいはブラック企業なのかもしれない。だからそのブラック企業は結局、これは扇望とは言いませんけれども、
ブラック企業は結局のところ社員が何を望んでいるのかさっぱりわかりません。で、終わっちゃってるんだけど、
それではダメだっていうことが言えるし、しかもそれではダメなんだけれどもそういう風にだってなるよねという話もできる。
そういう意味でやっぱりこの定義がここに持ち込まれていて、扇望の先へ行こうとするっていうのは大事だなっていう感じが、
最近私はし始めているということですね。
Kが優勢になりつつある。どこかで断ち切らずに済む。マイナスKで終わらずに済むっていうことですよ。
陰性治療反応というのはやっぱり結局はマイナスKなんですよ。答えがわかっちゃってる時の言い回しですから。
陰性治療反応なのですって終わってしまっているんで、そこで治療が中断するのは仕方ないよねっていう仕方なくはないってことですね。
仕方なくはないと多分美音は言いたかったんだろうし言ったんだろうなって感じがしたんですね。
だからヤングケアラーもヤングにケアラーさせちゃダメでしょって終わってはいけないってことなんですよね。
39:03
それは母親のコンテイニングの失敗なんだけど、それは要は取り返しがつくってことかな。取り返しもつくし、変異であることに気づかなければいけない。
たとえいつになったとしてもいくつになったとしても気づいた方がベターだ。
そう言えないんだったら気づいた方がベターだとは言えないことになりますよ。
多分今のように話してみたところで、今ザラーッと話してみて分かったと思ったんですけど、納得感がある話になっている気がしないなと思うんですよ。
でも二者心理学であるということは忘れてはいけないんですよ。
治療者とクライアントの関係だとしても、親子の関係だとしても、二者は二者なんだから相互にコンテインし合おうという努力は永遠に挑戦され続けるべき課題なんですよ。
どっちかがどっちかをコンテインするんだっていうふうに一見どれほど見えたとしても、母親が赤ちゃんをコンテインするのは当然じゃんって言う。
でもやっぱりビオンがわざわざおっぱいは赤ちゃんによってコンテインされるんだと。
おっぱいを差し出しているお母さんは夫婦を満たしたいというコンテイントになっているわけですよ。ニードを持っているわけですよ。
赤ちゃんの口というものがそれを吸ってくれなければ、そんなに意義が失われる。つまりコンテインされなくなってしまうんですよ。
さっきの私と大学の関係と同じなんですよね。というふうに抽象化できるところがポイントなんですよ。
私と大学の関係、私と企業の関係、ブラックかもしれない企業との関係、私と奥さんの関係、すべてにこれは適用できるんですよ。
潜防と陰性治療反応と相的防衛で終わってしまうと結局のところ途切れちゃうじゃないですか。
ビオンは確かこれをリンクへの攻撃みたいな表現を取ってたと思うんですけれども。
とにかくその繋がりを断ち切るということにおいて、そこで終わってしまって良しとするんだったらば、心理臨床っていうものがある必要はないわけですよね。究極的にはね。
だからなんで赤ちゃんが泣いてるのかわからないことあるんですよ。結局ね。泣きやませることができないこともある。
でも、後からでもいいし、事後生でもなんでもいいから、分かろうとする。
軽優勢な部分を保っておくということ。それが非精神病部分というものが生きるというか生かす方法なんだろうなと。
つまりですね、母であるか子であるか、私であるか大学であるか、私であるか企業であるか、私であるか妻であるかは関係ないということですよね。
その時に非精神病部分を優先にできる人がそこをカバーするみたいな感じ。精神病部分というのはいつでも活性化し得るものだし、誰でも活性化し得るものなんだけど、
でも非精神病部分が優先になった方が人が生きる上では良いことだ。
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言っていることは今まで言っていることと対して半歩も前へ出られている気がしないんですけれども、
でも私としてはこの旋暴から転移に話が移りつつあるということは結構僕の中では大事な進展があったわけですよ。
ようやくこれで私が言っている企業は私がイリュージョンを見ているのか、それでも本当にブラック企業なのか問題から脱しつつあるなって感じが私はするんですよね。
やっぱり相手がブラックだろうと何だろうとコンテインするべきなんだと思うんですよ。コンテインしようとするべき。
可能な場合は失敗すればそれでいいと思うんですよ。
で、ブラック企業だろうと、だからそんなものは本当はないんだけど、相手はただ分かってないだけなんですけれども、ここが大事ですよね。
分かってないんですよ。
なぜ顧客、なぜ社員が泣いているのかが分かってないんですよ。私は分かりませんではいけないってことなんですよ。
たとえそれが何企業であろうと、グレーだろうとダークグレーだろうと分かろうとするっていうのをやめてはいけないっていう話なんですよね。
で、やめてしまいたくなるときには常に転移が動いているはずだという話。
やっぱりもう一方ぐらいは納得的に話をする必要がある。
ただしこれはカスタマイズもされる必要があるんですよね。
だって問題なのはどこやのかブラック企業なのかでは実際全然違うじゃないですか。
抽象化するからこそコンテインの話にできるし、転移の話にもできるんだけれども、でもやっぱり具体的に起きている出来事は違うんですよ。
大事なのは転移というものは結局最後まで転移であってはいけないのであって、最後はこの関係は本当は何なのか。
ユングと女性患者の本当の関係は医者と患者ですよね。
恋人同士ではないですよね。
だから転移というものは何らかの形で手放す必要がおそらく人間社会の中ではあるんですよ。
これが動物だったらいいんですよ。
くっついてホラーなで2人でいればいい。
だけれども人間社会では、なんで人間社会ってそうなんだっていう話もなくもない気もするんだけど、でもやっぱり人間社会ではそこでロミオとジュリエフをやってちゃダメだっていうお話だと思います。
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