この的は、先日も申し上げた通り、精神分析ではないぞというメッセージなんですよ。
間買い物ですよということ。聞こえるかもしれない何か、だけどそのものでは決してない何かなんですね。
そこが大事だと、私は思っているので、本当に。間買い物であるということはとても大事。
純金コンプレックスって言葉があって、これはもう普通の相談とか、あるいは山崎孝明さんの最新の当事者と専門家っていうオレンジ色の本を読んでいただきたいんですけど、
興味があればね、別に私は今や純金コンプレックスを私が抱く理由もさらさらないなということに、当然のように、当然の結論だと。
だって私は純金になろうという努力を一切していないのに、純金コンプレックスもヘッダフレもないじゃんっていうことが意識されたわけですね。
私、肩書きがないんですよ。昔からね。タスクシュート教会理事という肩書きを、いつも思うんですけどね。
私はこう、私のエリプスは大橋烈雄さんなんじゃないかという気が時々するんですよね。結局私が社会適用ができているのは彼のおかげなんですよ。
だから結局彼のおかげで僕はこの肩書きが手に入っているわけですよ。僕自身は一生肩書きのなさそうな人間なんですね。
会社員だったことすらないんですよ。実際ね。
ビジネス著作家とかとってつけたような肩書きを名乗ってはいますが、それだけで食えてたことも結局ほとんどない。
数ヶ月あったね。数ヶ月全部合わせると2年ぐらいあるかもしれないけど、51年生きてて、2年だけ生きていられるものを肩書きとは呼べない気もするんですね。
肩書きの厳密な定義なんかないから、それはそれでいいんですけどね。
でも今、やっぱり出版業界、改めてこうやって喋ってみると厳しい時代は迎えてますよね。いくらなんだよ。
だってタイトルで50タイトル以上は確かに出してるんですよ。50タイトル以上出してる人間が物書きとしては生きていけないっていうのは、これはやっぱさすがにどうかと思いますよね。
でもまあ僕はそういう時代だと思いますし、そのことが良くないとか残念だとかは思ってないんですよ。でも昔だったらそれで生きていけただろうなとは思いますね、さすがに。
めちゃくちゃ贅沢三昧してるとか言うんだなともかく、私はたぶんここら辺にお隣さん、そのお隣さん、お迎えさんお家と、
だいたいここら辺にお住まいの方は、まあでもみんな同じじゃないか。でも例えばバスの運転手さんとかなんですけど、生活レベル同じですもん。
バスの運転手さんが生きていけるんなら、作家は生きていけてもいいだろうっていう感じがするわけですよ。生活レベル同じですもん。
僕の方が圧倒的に良い生活してるとかでは全然ないです。むしろお迎えさんの方が車良い車乗ってるしね、
そうなんですよ。犬飼ってるしとかそういうことがあったりするわけですよ。犬は飼ってないかもしれない。
適当言いました。でもまあそういうことですね。うちじゃ目高かってるぐらいですからね。うちの方が明らかにお金かかんないことやってますから、その辺のことについてはね。
車も大して良いの乗ってるわけじゃないしね。僕は大して車に興味ないってこともありますけどね。話が盛大にそれてるんですけれども、元にどこが元だったかが思い出せないんですよ。
だから精神分析的というのを何でやってるか。私ライフハックではなくなってるのは、でもですね、私はやっぱりライフハックから来たんですよね。
仕事のご相談から始まったんですよ。タスクカフェで東映同一化っていうものを意識するっていうのが、
一つの皮切りにはなって、皮切りぐらいですけどなってて、あの頃に思えばですね、転移っていうものをもっと意識しておけばよかったなってやっぱ思うシーンはたくさんあるんですよ。無理でしたけど。
やっぱり転移が起きてるっていうことは起きちゃってる。起こしたいとは少しも思ってないけど起きちゃったっていうこれはね、あったんですよね、当時からね。
ああいうことを意識せずにはできない商売だった。僕にとってはね、僕がやるとそうなるってことですよ。僕がやると転移が起こるんじゃないですよ。転移は起きますよ。大橋越夫さんだろうとジェイマス関さんだろうと。
ただそれを意識せねばって思っちゃうのは僕なんですよ。多分。これを他のアプローチだって別に構わないわけですよ。
なぜエフロイト的にアプローチしようとする。やっぱりそれは私だからなんですよね。だから私はそういうタイプだし、そこで起きてることをそういうふうに見てしまうということが避けられない人間だから、そこで無理やり避けることはもうないと思うんですよね。
それがこういうふうに展開したわけだなと思うんです。
タスクしようと使っててもやっぱり、有料で時刻通り終わりませんとか、記録が残りませんとか。
普通の質問ですよね、それはね。ある種のタスクが進みませんとか。
昨日Jマスタキさんが3waysでそれに対するお話もされていた。でも僕はああいうアプローチではないなと思うんですよ。彼の言うことは最もだと思う。
聞き様によらず僕に言ってるのより大抵の人が最もだと思うでしょう、と思います。
ただ僕はああいうアプローチにならない。
僕はやっぱりそこに定義を言わなかったら見てしまう。
昔から投影を見てしまうとか、いちいち精神力動的なものの見方を取りたくなっている。
気がつくと取りがちである。
そういう言葉を意識できなかった時ですら、感じ方としてはそういう感じ方をしてたんですよ。
なぜできないのか。
それは行動科学的な観点を僕は結局取ることがない。
認知の歪みみたいな話ですら全然ない。
必要なのが、そう言われればそう言われるのは少しは近いんだけど、
やっぱり僕は育て直しとか修正常動体験ではない。
修正常動体験じゃないんですかって言われると困るんですよね。
修正常動体験でもなくはないです。
そんなことを言えばですね、認知行動、認知療法的でもありますよ。
非常にしばしば。認知の歪みというのかな。歪みじゃないと思うんだけど。
だからやっぱここら辺なんだよね。
こだわりがそこにちょっと出ちゃうんですよね。
でも認知修正的なことはやってるじゃんと言われるとやってます。
やってますけど、そういう気がしない。
まして行動変容というものを促す気は、
僕はそれが少なすぎるのかもしれないけど、僕はあんまり促したくないですね。
行動を変えるっていうのはリスクがでかいって感じがやっぱり感覚的に来ちゃうんで。
行動は変えようとしないままに、気がついたら行動が変容されているのはいいけど、
行動を変容させようとして、させようとすればさせられてしまう人も、
神経症水準ではやっぱこういうことを使っちゃいますもんね、神経症水準ではっていう。
やっぱりだから神経症水準でなくなってきたら、行動変容なんてダメだろうっていうか、
ダメではないけどできない、できなくはないかもしれないけどやっぱだから同じなんですよね。
言ってることがだんだんそっちの知識なしではできないことを意識してしまうんですよ。
やっぱボーダーの人と神経症水準の人と精神病水準に踏み込みがちな人とでは、
やることが変わると思うんですよね。アプローチも変わらなければならないと思うんですよ。
なんならアプローチしないとか、他の人をお勧めするとか。
でもボーダー的に僕のところにいらっしゃってる人に、
他の人を勧めてしまったら、これが正義に繋ぐだろうと、医療に繋ぐだろうと、この言葉は正しいんですけど、
そのマクロに見れば。でも僕がそれを口走れば、口にすれば、見捨てられたって感じられると思うんですよ。
僕はこの種のミスを何回か犯したんですよね。少なくとも一度はやってるんですよ、僕の中で。
これを僕には手に負えないかも、正義かも、みたいに思うだけでもダメだなっていうのを感じ取ったんですよね。
これを思ってしまうと、やっぱりこれを見捨てられ体験として変異してしまうということが現実に起きちゃうんですよね。
私はそれを気づかずにやるなら許されると思うんですよね。それはしょうがないから。
専門家じゃないし、気づかないことはあり得ますからね。まして1対1じゃないところで気づかないってのはもう気づきませんよ、そりゃ。
セミナーで50人来てる人がいらっしゃってる時に、私の態度一つによって見捨てられたとか、私の機嫌が悪くなったとか、そんなことは起きてないんだけど、
そのように捉えられてしまうのを、私が気づけないということはありますよね。
でも気づいてしまったら、やっぱり見捨てるわけにはいかないような気がするんですよ。気づいてしまったら。
相手は赤ちゃんじゃないでしょうと言われると、私のもちろんサービスを受ける、取るお客様は赤ちゃんではない。
でも課題となっているのは精神病部分なんですよ、その人にとっては。この人が精神病だった私ではないですよ。精神病部分はみんなにあります。私にもあって。
しかもそれが優勢になることだって、無論あります。夢見の体験の時は間違いなくそうなっている。それは夢見でしょって言われればそうなんだけど。
夢を見ているように起きている時間帯っていくらもありますから。運転中は極力ないように頑張ってますけど、これ寝てるって意味ではないですよ。
起きてながら夢を見ている。これが定義なんですけれども、定義だと僕は認識してるんですけどね。
で、こういう話をすること自体がビジネスパーソンが仕事ができなくなった時に必須だと私は思ってるんですよ。
今日はグダグダ回ですから、途中どんどんどんどん飛ばしますからね。何の話をしてるのかよくわかってないですから、僕自身。
これも僕にとっては夢見体験に近いんだけれども、そういうふうに喋るんですよ、この番組はね。
この番組は私が頭で整理しつくしたものを情報として発信している番組では全くないですからね。
この話を情報だとか正しい何かのように受け止めては絶対ダメです。何の意味もなくなっていきますよ。
これは僕が夢の中で喋ってるようになるべく喋ろうという努力のもとやってます。
時々もろんもう少し頭が冴えて情報っぽくなることはありますが、決してそれも情報じゃないんです。
これでそういうのは認められない炎上しますって言ったら炎上してくれていいんですよ。
これはリアルな話ではないってことですよ。夢の中で僕が喋ってる、この調子に近いんですよ、僕夢の中って。
ものすごくこの番組の僕は一番のコアが今出てきてるなって感じがするんですよ。
いつもこうやってるんですけどね。いつもこうやってるんですよ。
だからこの特にこう冬場できて非常にある意味冬場の方がこの番組はやや僕にとってって意味ですけど、
マシかもしれません。真っ暗にしてるんですよ。真っ暗にして喋ってるんです。
ただ日が差しちゃうから、特に夏は真っ暗にならないんだけど、基本的には真っ暗にして喋ってるんですよ。
以前から聞いてくださっている方の中には、もしかしたらお前目の前にナスが見えるとか言ってたじゃんっていう人もいらっしゃるかもしれない。
それは正しい指摘ですけれども。でもですね、見てないんですよ。
このあるカーテンをよかせば見られますが、見られるはずの光景ですけど、見て喋ってるわけじゃないんですよ。
見えてるような気がしたらそれを口走ってるに過ぎないんですよ。これは夢見体験なんです、僕にとっての。
そうじゃない回はありますよ、もちろん。そうじゃない回もありますけども、なるべくそっちの方がいう風にしてるし、その方が圧倒的に多いんです。
だから実際には完全に夢見のように、完全に自由連想っぽくやっちゃったら、もうわけわかんなくなるかもしれないから、ある程度整合性を整えつつ喋ってるから、これが僕の夢とイコールだとは言いません。もちろんね。
でもかなり近づけてるんですよ。起きている時間帯としては近づけている方。
特にこの番組の名前を精神分析的ポッドキャストっていう風にしてからは、一貫してこの方向に向かってます。
はっきり意識してやってますからね。
それまではそうであったりそうでなかったり、タスクシュートの話してみたりそうでなくなったり、グッドモーニングボイスだったり、グッドモーニングバイブスだったり、グッドバイブスだったりしてましたけれども、今はそうではないです。
今はもう完全にこれは精神分析的ポッドキャストです。
だから僕にとってこれは定義であり夢であり、ドーラにとってのヒステリー症状の時のドーラみたいなもんだって。
こういう風に僕は自由連想をしながらこのポッドキャストで喋ってるんですよ。
だから皆さんにとってこれの何がどのように役に立つのかというのは実はかなり怪しいんですよ。
これがでも僕はサンチャレで有効だはずだ、有効であるはずだと。
私が分析家になるのではなく、私と利用者さんとが両方同時に定義状態を作り出し、そして両者ともにある程度どんなに薄くても構わないから分析的な知識を持ちつつ、それを2人で自己分析し合うという。
僕の方がされなくてもいいんですよ。
僕はお金をいただいている側だから。
でもどちらかの話を、どちらかが完全に親側に立たずに、実際には絶対そういうことはあり得ないはずだからね。
相互にコンティニし合う形で分析をし合うということをすれば、主題がどちらかのものであったとしても結果必ず同じものになるはず。
僕のBIONの理解がある程度正しければ、10%正しければ絶対そうなるはずだと思っているんですよ。
基本僕は松木国弘さんを理解できればいいはずだとこの件に関しては思っているので、そうならなければおかしいと思うんですよね。
フロイトが条例ドーラで失敗しています。
ドーラのケースを扱うのに失敗したんだけれども、失敗っていうのはそもそも非常に精神分析的な言い方なんですよ。
なんであれが失敗なのか。
精神分析ではそうなろうし、心理印象でもそうなんでしょうけど、だって患者さんがやめるのは患者さんの自由じゃないですか。
中断だから失敗だったんだっていうのはフロイトが主観的に知っていることでしかないですよね。
ドーラがそう思っているかどうかはまた別の問題じゃないですか。
もちろんあれは失敗なんでしょう。
でも失敗をどう定義するんだという二者しかそこにいないのに、しかも第三者的にそれを失敗と事前に定義されているかどうかも怪しげなのに、
失敗がどうかっていうのは結局わからんじゃないかっていう感じがする。
フロイトの心の中ではそうなんでしょうよ。
でも私にとってもそうなのかっていう話。
他の誰かにとってそうなのかという話。
精神分析を認めていない人にとってもそうなのかっていう話、全然違うと思うんですよね。
とにかく数ヶ月、極めて短い期間で打ち切られてしまったし、
フロイトがそうであると期待していた流れとは全く違う打ち切られ方をしたから失敗だった。
端的に言うと、ドーラの定義が扱えてなかったっていうわけですよね。
端的にっていうのかわかんないですけど、
ドーラはフロイトに父親を見て、その父親に性的な誘惑をされていると感じて、
恐れと怒りにおののいて早々に退散したってそういう話なんでしょうけど、
だってそんなことわかんないじゃないですか、結局。
本当にそれが正しいのかどうかなんてことはですね、
それはいかにも精神分析的な解釈で、私がそう言われれば、はいそうだと思います。
全くそうだと思います。すごいですってことになるけど、
それは私がそういうふうに呼ぶからですよ。
何の戯言だよこれはっていう人がいても別に不思議はないですよね。
それが夢ってもんじゃないですか。
事前は夢占いですよね。信用しない人からすればですね。
でも小麗ドーラの話を読んでいて、私はやっぱりそうか、やっぱりこういうふうにしていくしかないよねと。
つまり、なんつうんだろうな。
だからあれがあそこに転移っていう判断がなされていくんでしょうけれども、
それってつまり、普通に考えればですよ。
普通に考えれば、ドーラはお父さんにヒステリーという経病を使って愛人と別れると言ってるわけですよ。
私その愛人とあなたが一緒にお父さんが一緒にいると気分が悪くて、
気絶したりいろいろ体調悪くしたりするから、
でもお父さんが別れてくれれば元気になってあげるからってそういうことですよね。
フロイトは指摘した。その指摘はめちゃくちゃ正しいけど、こういう指摘の仕方はダメですよ。
あなたそうやってお父さんを脅しちゃダメですよ。こういう説教しちゃダメですよ。
それは人生相談ですよね。でもそういう人生相談をしたくはなりますよね。
だってそれは事実そうなんだし。
それはいろいろありますよ。その時代その時代の文化的なモラルとかね。
お父さんが悪いじゃんみたいな。今だったらそうですよ。
でもあの当時だったら、そうやって脅してお父さんを。
お父さんは愛人と別れた方がいいかもしれないけど、あの時代ですらね。
でもそうやってやるのは良くないよねとは言いますよね。
でもこれをどんなに上手い言い方したってドーラからすると、
ドーラからするとっていうか、この言い方って結局のところ前導じゃないですか。
良い方向に導いてるだけじゃないですか。
ドーラお前は正しくないって言ってるんじゃないですか。究極的には。
当然これは面白くないですよね。ドーラ的には。全然。
で、それだけではなくて、
ドーラはヒステリーなわけだから、現実見当が怪しくなっている部分がたくさんあるわけだから、
そもそもこの先生、本当にそう思ってるのかしらって思うじゃないですか。
18歳だし、そうでなくても非常に性的に興奮しやすくて、高んな年ってやつですよね。
私は昔この辺のことが全然わかってなかったから、女性に性欲があるってことが、
うちの母に寄せると女性に性欲がないから。
だからこういう風に精神病部分っていうのは活性化するわけですよ。