収録の状況と精神分析的アプローチ
おはようございます。働くメンタルをとり戻す精神分析的ポッドキャスト、第1084回をお送りします。
11月6日、水曜日、朝7時33分です。昨日と似たような天気で、似たような気温で、似たような時間に収録しておいて、でも全然違う一日だなぁってやっぱ思うんで、
僕はなかなかこう、改善というものが信じられないんですよね、やっぱりね。
よく、昨日まさにね、J松崎さんと3WAYSで3本収録、きついんですよね。
彼テンションね、少し上げてくるんですよ。あれ、普段からあんなテンションで彼は生きてるわけではないと僕は思うんですよね。
普段はあそこまで高くないんですよ、僕と喋ってる時は。僕に引っ張られてる面もあるんでしょうけど、あそこまではないんですが、
収録となるとやっぱパッと切り上げられるのが彼の、彼のすごいところで、私は実は引っ張られて上がってんだけど、多分それに気づかれるレベルではないと思うんですけどね。
僕の場合、1が10%増しぐらいになって1.09ぐらいになったんだけど、だけどね、これをやっぱり1時間やると
反動がきて0.93ぐらいになっちゃうんですよ。疲れるんですよね、やっぱりね。
まあそのようなことはほぼどうでもいいとしてですね、余計な時間を使いたくないです。
昨日である方と収録の打ち合わせなどをしていてですね、僕ちょっと考えたことがあったんですけれども、
この精神分析的ポッドキャストというのを改めてですね、佐々木がやっているわけをちょっとやっぱ時々随時話しておかないとなっていうのを考えたんですね。
というのはやっぱり僕は人から見ればですね、もう今更ですけど、ライフハックな人以外の何者でもライフハックでタスク集団な人なんですね。
それはそれで、僕は別に嫌なわけじゃないんでいいんですが、今これで全然そういう話してないじゃないですか。ほぼ全然。
でもこれは精神分析ではないんですよね、もちろんね。私はカウンセラーでもない。精神分析家でも精神療法家でもないわけですよ。
で、私のこれはスタイルだし手法だと僕はもう今や信じているんですけれども、
でもちょっと待ってね、ここで、まあいいや、ちょっとこの話にまずは行きますが、
今日割とグダグダ回になりそうなんですよね。テーマが定まってない。昨日までは奇妙なぐらい統一されてたんだけど、今日は解けてますね。
頭ん中が。
なんでこの番組をやってて、なんでこういう番組タイトルになってるかというと、精神分析的でありたいからですね。
純金コンプレックスと肩書きの考察
この的は、先日も申し上げた通り、精神分析ではないぞというメッセージなんですよ。
間買い物ですよということ。聞こえるかもしれない何か、だけどそのものでは決してない何かなんですね。
そこが大事だと、私は思っているので、本当に。間買い物であるということはとても大事。
純金コンプレックスって言葉があって、これはもう普通の相談とか、あるいは山崎孝明さんの最新の当事者と専門家っていうオレンジ色の本を読んでいただきたいんですけど、
興味があればね、別に私は今や純金コンプレックスを私が抱く理由もさらさらないなということに、当然のように、当然の結論だと。
だって私は純金になろうという努力を一切していないのに、純金コンプレックスもヘッダフレもないじゃんっていうことが意識されたわけですね。
私、肩書きがないんですよ。昔からね。タスクシュート教会理事という肩書きを、いつも思うんですけどね。
私はこう、私のエリプスは大橋烈雄さんなんじゃないかという気が時々するんですよね。結局私が社会適用ができているのは彼のおかげなんですよ。
だから結局彼のおかげで僕はこの肩書きが手に入っているわけですよ。僕自身は一生肩書きのなさそうな人間なんですね。
会社員だったことすらないんですよ。実際ね。
ビジネス著作家とかとってつけたような肩書きを名乗ってはいますが、それだけで食えてたことも結局ほとんどない。
数ヶ月あったね。数ヶ月全部合わせると2年ぐらいあるかもしれないけど、51年生きてて、2年だけ生きていられるものを肩書きとは呼べない気もするんですね。
肩書きの厳密な定義なんかないから、それはそれでいいんですけどね。
でも今、やっぱり出版業界、改めてこうやって喋ってみると厳しい時代は迎えてますよね。いくらなんだよ。
だってタイトルで50タイトル以上は確かに出してるんですよ。50タイトル以上出してる人間が物書きとしては生きていけないっていうのは、これはやっぱさすがにどうかと思いますよね。
でもまあ僕はそういう時代だと思いますし、そのことが良くないとか残念だとかは思ってないんですよ。でも昔だったらそれで生きていけただろうなとは思いますね、さすがに。
めちゃくちゃ贅沢三昧してるとか言うんだなともかく、私はたぶんここら辺にお隣さん、そのお隣さん、お迎えさんお家と、
だいたいここら辺にお住まいの方は、まあでもみんな同じじゃないか。でも例えばバスの運転手さんとかなんですけど、生活レベル同じですもん。
バスの運転手さんが生きていけるんなら、作家は生きていけてもいいだろうっていう感じがするわけですよ。生活レベル同じですもん。
僕の方が圧倒的に良い生活してるとかでは全然ないです。むしろお迎えさんの方が車良い車乗ってるしね、
そうなんですよ。犬飼ってるしとかそういうことがあったりするわけですよ。犬は飼ってないかもしれない。
適当言いました。でもまあそういうことですね。うちじゃ目高かってるぐらいですからね。うちの方が明らかにお金かかんないことやってますから、その辺のことについてはね。
転移と行動変容の可能性
車も大して良いの乗ってるわけじゃないしね。僕は大して車に興味ないってこともありますけどね。話が盛大にそれてるんですけれども、元にどこが元だったかが思い出せないんですよ。
だから精神分析的というのを何でやってるか。私ライフハックではなくなってるのは、でもですね、私はやっぱりライフハックから来たんですよね。
仕事のご相談から始まったんですよ。タスクカフェで東映同一化っていうものを意識するっていうのが、
一つの皮切りにはなって、皮切りぐらいですけどなってて、あの頃に思えばですね、転移っていうものをもっと意識しておけばよかったなってやっぱ思うシーンはたくさんあるんですよ。無理でしたけど。
やっぱり転移が起きてるっていうことは起きちゃってる。起こしたいとは少しも思ってないけど起きちゃったっていうこれはね、あったんですよね、当時からね。
ああいうことを意識せずにはできない商売だった。僕にとってはね、僕がやるとそうなるってことですよ。僕がやると転移が起こるんじゃないですよ。転移は起きますよ。大橋越夫さんだろうとジェイマス関さんだろうと。
ただそれを意識せねばって思っちゃうのは僕なんですよ。多分。これを他のアプローチだって別に構わないわけですよ。
なぜエフロイト的にアプローチしようとする。やっぱりそれは私だからなんですよね。だから私はそういうタイプだし、そこで起きてることをそういうふうに見てしまうということが避けられない人間だから、そこで無理やり避けることはもうないと思うんですよね。
それがこういうふうに展開したわけだなと思うんです。
タスクしようと使っててもやっぱり、有料で時刻通り終わりませんとか、記録が残りませんとか。
普通の質問ですよね、それはね。ある種のタスクが進みませんとか。
昨日Jマスタキさんが3waysでそれに対するお話もされていた。でも僕はああいうアプローチではないなと思うんですよ。彼の言うことは最もだと思う。
聞き様によらず僕に言ってるのより大抵の人が最もだと思うでしょう、と思います。
ただ僕はああいうアプローチにならない。
僕はやっぱりそこに定義を言わなかったら見てしまう。
昔から投影を見てしまうとか、いちいち精神力動的なものの見方を取りたくなっている。
気がつくと取りがちである。
そういう言葉を意識できなかった時ですら、感じ方としてはそういう感じ方をしてたんですよ。
なぜできないのか。
それは行動科学的な観点を僕は結局取ることがない。
認知の歪みみたいな話ですら全然ない。
必要なのが、そう言われればそう言われるのは少しは近いんだけど、
やっぱり僕は育て直しとか修正常動体験ではない。
修正常動体験じゃないんですかって言われると困るんですよね。
修正常動体験でもなくはないです。
そんなことを言えばですね、認知行動、認知療法的でもありますよ。
非常にしばしば。認知の歪みというのかな。歪みじゃないと思うんだけど。
だからやっぱここら辺なんだよね。
こだわりがそこにちょっと出ちゃうんですよね。
でも認知修正的なことはやってるじゃんと言われるとやってます。
やってますけど、そういう気がしない。
まして行動変容というものを促す気は、
僕はそれが少なすぎるのかもしれないけど、僕はあんまり促したくないですね。
行動を変えるっていうのはリスクがでかいって感じがやっぱり感覚的に来ちゃうんで。
行動は変えようとしないままに、気がついたら行動が変容されているのはいいけど、
行動を変容させようとして、させようとすればさせられてしまう人も、
神経症水準ではやっぱこういうことを使っちゃいますもんね、神経症水準ではっていう。
やっぱりだから神経症水準でなくなってきたら、行動変容なんてダメだろうっていうか、
ダメではないけどできない、できなくはないかもしれないけどやっぱだから同じなんですよね。
言ってることがだんだんそっちの知識なしではできないことを意識してしまうんですよ。
やっぱボーダーの人と神経症水準の人と精神病水準に踏み込みがちな人とでは、
やることが変わると思うんですよね。アプローチも変わらなければならないと思うんですよ。
なんならアプローチしないとか、他の人をお勧めするとか。
でもボーダー的に僕のところにいらっしゃってる人に、
他の人を勧めてしまったら、これが正義に繋ぐだろうと、医療に繋ぐだろうと、この言葉は正しいんですけど、
そのマクロに見れば。でも僕がそれを口走れば、口にすれば、見捨てられたって感じられると思うんですよ。
僕はこの種のミスを何回か犯したんですよね。少なくとも一度はやってるんですよ、僕の中で。
これを僕には手に負えないかも、正義かも、みたいに思うだけでもダメだなっていうのを感じ取ったんですよね。
これを思ってしまうと、やっぱりこれを見捨てられ体験として変異してしまうということが現実に起きちゃうんですよね。
私はそれを気づかずにやるなら許されると思うんですよね。それはしょうがないから。
専門家じゃないし、気づかないことはあり得ますからね。まして1対1じゃないところで気づかないってのはもう気づきませんよ、そりゃ。
セミナーで50人来てる人がいらっしゃってる時に、私の態度一つによって見捨てられたとか、私の機嫌が悪くなったとか、そんなことは起きてないんだけど、
そのように捉えられてしまうのを、私が気づけないということはありますよね。
でも気づいてしまったら、やっぱり見捨てるわけにはいかないような気がするんですよ。気づいてしまったら。
責任と感受性の問題
提案するのはいいんですよね。でも手に負えないからこっちにつなぐってのはダメだと思うんですよ。
でも手に負えないことは起こり得るじゃないですか。だからそういう時に、責任と無責任って言葉に振り回されてはいけないと思うんですよ。
だって、子供が病気になった時に、とてもじゃないけど自分じゃ治せないからお医者さんに見せに行くってこれは妥当じゃないですか。
でも子供によっては、赤ちゃんによっては、これをやられると見捨てられたという意識になる子はいると思うんですよね。
ゼロ歳とか。でもしょうがないじゃないですか。それは責任の問題としてはやっぱり見せに行くべきだし、見せに行くと見捨てられたい権を持ってしまうかもしれないけど、そこはもうしょうがないと思うんですよ。
で、これ気づかなくったって別にいいじゃないですか。気づかないからって母親の責任だとは僕はとても思わないんですよ。
そこはだからグッドイナフの範疇だと思うんですよね。気づかないんだったら、でも気づく。非常に敏感な親御さんもいらっしゃる。
でも気づいたとしてもやらなきゃならないことはありますよね。これはだからホールディングっていうとある意味思うんですよ。
コンテーニングの方がいいと思うけどこの場合は。つまり、抱えているからこそ手放さなきゃならないような抱え方ってあると思うんですよね。
こういうことを全部、修正上等体験ではやっぱり説明しきれない気がするし、言うまでもなく行動変容ではありえないと思うんですよね。赤ちゃんは行動の変容は自分ではできないからね。
相手は赤ちゃんじゃないでしょうと言われると、私のもちろんサービスを受ける、取るお客様は赤ちゃんではない。
でも課題となっているのは精神病部分なんですよ、その人にとっては。この人が精神病だった私ではないですよ。精神病部分はみんなにあります。私にもあって。
しかもそれが優勢になることだって、無論あります。夢見の体験の時は間違いなくそうなっている。それは夢見でしょって言われればそうなんだけど。
夢を見ているように起きている時間帯っていくらもありますから。運転中は極力ないように頑張ってますけど、これ寝てるって意味ではないですよ。
起きてながら夢を見ている。これが定義なんですけれども、定義だと僕は認識してるんですけどね。
で、こういう話をすること自体がビジネスパーソンが仕事ができなくなった時に必須だと私は思ってるんですよ。
今日はグダグダ回ですから、途中どんどんどんどん飛ばしますからね。何の話をしてるのかよくわかってないですから、僕自身。
これも僕にとっては夢見体験に近いんだけれども、そういうふうに喋るんですよ、この番組はね。
この番組は私が頭で整理しつくしたものを情報として発信している番組では全くないですからね。
この話を情報だとか正しい何かのように受け止めては絶対ダメです。何の意味もなくなっていきますよ。
これは僕が夢の中で喋ってるようになるべく喋ろうという努力のもとやってます。
時々もろんもう少し頭が冴えて情報っぽくなることはありますが、決してそれも情報じゃないんです。
これでそういうのは認められない炎上しますって言ったら炎上してくれていいんですよ。
これはリアルな話ではないってことですよ。夢の中で僕が喋ってる、この調子に近いんですよ、僕夢の中って。
ものすごくこの番組の僕は一番のコアが今出てきてるなって感じがするんですよ。
いつもこうやってるんですけどね。いつもこうやってるんですよ。
だからこの特にこう冬場できて非常にある意味冬場の方がこの番組はやや僕にとってって意味ですけど、
マシかもしれません。真っ暗にしてるんですよ。真っ暗にして喋ってるんです。
ただ日が差しちゃうから、特に夏は真っ暗にならないんだけど、基本的には真っ暗にして喋ってるんですよ。
以前から聞いてくださっている方の中には、もしかしたらお前目の前にナスが見えるとか言ってたじゃんっていう人もいらっしゃるかもしれない。
それは正しい指摘ですけれども。でもですね、見てないんですよ。
このあるカーテンをよかせば見られますが、見られるはずの光景ですけど、見て喋ってるわけじゃないんですよ。
見えてるような気がしたらそれを口走ってるに過ぎないんですよ。これは夢見体験なんです、僕にとっての。
そうじゃない回はありますよ、もちろん。そうじゃない回もありますけども、なるべくそっちの方がいう風にしてるし、その方が圧倒的に多いんです。
だから実際には完全に夢見のように、完全に自由連想っぽくやっちゃったら、もうわけわかんなくなるかもしれないから、ある程度整合性を整えつつ喋ってるから、これが僕の夢とイコールだとは言いません。もちろんね。
でもかなり近づけてるんですよ。起きている時間帯としては近づけている方。
特にこの番組の名前を精神分析的ポッドキャストっていう風にしてからは、一貫してこの方向に向かってます。
はっきり意識してやってますからね。
それまではそうであったりそうでなかったり、タスクシュートの話してみたりそうでなくなったり、グッドモーニングボイスだったり、グッドモーニングバイブスだったり、グッドバイブスだったりしてましたけれども、今はそうではないです。
今はもう完全にこれは精神分析的ポッドキャストです。
だから僕にとってこれは定義であり夢であり、ドーラにとってのヒステリー症状の時のドーラみたいなもんだって。
こういう風に僕は自由連想をしながらこのポッドキャストで喋ってるんですよ。
だから皆さんにとってこれの何がどのように役に立つのかというのは実はかなり怪しいんですよ。
これがでも僕はサンチャレで有効だはずだ、有効であるはずだと。
フロイトとドーラの関係
私が分析家になるのではなく、私と利用者さんとが両方同時に定義状態を作り出し、そして両者ともにある程度どんなに薄くても構わないから分析的な知識を持ちつつ、それを2人で自己分析し合うという。
僕の方がされなくてもいいんですよ。
僕はお金をいただいている側だから。
でもどちらかの話を、どちらかが完全に親側に立たずに、実際には絶対そういうことはあり得ないはずだからね。
相互にコンティニし合う形で分析をし合うということをすれば、主題がどちらかのものであったとしても結果必ず同じものになるはず。
僕のBIONの理解がある程度正しければ、10%正しければ絶対そうなるはずだと思っているんですよ。
基本僕は松木国弘さんを理解できればいいはずだとこの件に関しては思っているので、そうならなければおかしいと思うんですよね。
フロイトが条例ドーラで失敗しています。
ドーラのケースを扱うのに失敗したんだけれども、失敗っていうのはそもそも非常に精神分析的な言い方なんですよ。
なんであれが失敗なのか。
精神分析ではそうなろうし、心理印象でもそうなんでしょうけど、だって患者さんがやめるのは患者さんの自由じゃないですか。
中断だから失敗だったんだっていうのはフロイトが主観的に知っていることでしかないですよね。
ドーラがそう思っているかどうかはまた別の問題じゃないですか。
もちろんあれは失敗なんでしょう。
でも失敗をどう定義するんだという二者しかそこにいないのに、しかも第三者的にそれを失敗と事前に定義されているかどうかも怪しげなのに、
失敗がどうかっていうのは結局わからんじゃないかっていう感じがする。
フロイトの心の中ではそうなんでしょうよ。
でも私にとってもそうなのかっていう話。
他の誰かにとってそうなのかという話。
精神分析を認めていない人にとってもそうなのかっていう話、全然違うと思うんですよね。
とにかく数ヶ月、極めて短い期間で打ち切られてしまったし、
フロイトがそうであると期待していた流れとは全く違う打ち切られ方をしたから失敗だった。
端的に言うと、ドーラの定義が扱えてなかったっていうわけですよね。
端的にっていうのかわかんないですけど、
ドーラはフロイトに父親を見て、その父親に性的な誘惑をされていると感じて、
恐れと怒りにおののいて早々に退散したってそういう話なんでしょうけど、
だってそんなことわかんないじゃないですか、結局。
本当にそれが正しいのかどうかなんてことはですね、
それはいかにも精神分析的な解釈で、私がそう言われれば、はいそうだと思います。
全くそうだと思います。すごいですってことになるけど、
それは私がそういうふうに呼ぶからですよ。
何の戯言だよこれはっていう人がいても別に不思議はないですよね。
それが夢ってもんじゃないですか。
事前は夢占いですよね。信用しない人からすればですね。
でも小麗ドーラの話を読んでいて、私はやっぱりそうか、やっぱりこういうふうにしていくしかないよねと。
つまり、なんつうんだろうな。
だからあれがあそこに転移っていう判断がなされていくんでしょうけれども、
それってつまり、普通に考えればですよ。
普通に考えれば、ドーラはお父さんにヒステリーという経病を使って愛人と別れると言ってるわけですよ。
私その愛人とあなたが一緒にお父さんが一緒にいると気分が悪くて、
気絶したりいろいろ体調悪くしたりするから、
でもお父さんが別れてくれれば元気になってあげるからってそういうことですよね。
フロイトは指摘した。その指摘はめちゃくちゃ正しいけど、こういう指摘の仕方はダメですよ。
あなたそうやってお父さんを脅しちゃダメですよ。こういう説教しちゃダメですよ。
それは人生相談ですよね。でもそういう人生相談をしたくはなりますよね。
だってそれは事実そうなんだし。
それはいろいろありますよ。その時代その時代の文化的なモラルとかね。
お父さんが悪いじゃんみたいな。今だったらそうですよ。
でもあの当時だったら、そうやって脅してお父さんを。
お父さんは愛人と別れた方がいいかもしれないけど、あの時代ですらね。
でもそうやってやるのは良くないよねとは言いますよね。
でもこれをどんなに上手い言い方したってドーラからすると、
ドーラからするとっていうか、この言い方って結局のところ前導じゃないですか。
良い方向に導いてるだけじゃないですか。
ドーラお前は正しくないって言ってるんじゃないですか。究極的には。
当然これは面白くないですよね。ドーラ的には。全然。
で、それだけではなくて、
ドーラはヒステリーなわけだから、現実見当が怪しくなっている部分がたくさんあるわけだから、
そもそもこの先生、本当にそう思ってるのかしらって思うじゃないですか。
18歳だし、そうでなくても非常に性的に興奮しやすくて、高んな年ってやつですよね。
私は昔この辺のことが全然わかってなかったから、女性に性欲があるってことが、
うちの母に寄せると女性に性欲がないから。
だからこういう風に精神病部分っていうのは活性化するわけですよ。
女性の性欲に関する誤解
現実見当が狂うでしょ。女性に性欲がないだなんて。
女性に性欲がなかったら、人類の半分には性欲がないってことになって、
どうやって人類はここまで来るんだよってことになっちゃうじゃないですか。
何万年も子孫増える一方ですけれども、未だに依然として。
人口爆発って言われてるぐらい増やしてきましたけれども、
いや人類の半分には性欲ないからみたいな。
こういう訳わかんない信念を簡単に信じてしまうという、
そういう私は精神病部分を持ってるわけですよ。
現実見当が著しく怪しくなるわけですよ。
母親の、たった母親の人類学とかをやってるわけじゃなくて、
商業高校を怪しげな方法っていうわけじゃないんだけど、
適当に上手いことやってっていうのかな、
当時の母としてはね、ソロバンさえできていけば、
あそこは卒業できるからっていう母の戦略によって、
卒業しただけの人が言う人類論ですよね。
女性に性欲はない。
そんなものを私はコロッと信じちゃうわけですよ。コロッと。
だから精神病部分なんてものは、いくらも活性化するんですよね。
女性に性欲はないという信念に基づいて、
私は肝手だったっていうのを脱するために、
何人も何人も目についた女性には基本的に声をかけるっていう、
そういうことをやったわけですから、明らかに狂ってますよね。
明らかに狂ってるわけですよ。どこか。
正常なんだけど狂ってるんですよ。
そういうことはあり得ると僕は思うんですよね。
これも僕の信じるところですよ。
本当はそうじゃないのかもしれません。
本当はアンナフロイトが正しくて、
退校したり卒業したり、発達したりするのかもしれない。
でも私はそうは思わないんですよね。
ポジション取ってるだけだと思うんですよ。
妄想分裂ポジションと抑鬱ポジションでもいいし、
一時過程と二次過程でもいいんだけど、
一時過程がなくなっているとは、僕の中では全く思わない。
一時過程は絶対私の心の中にはガンとして残っていて、
現実なんか知らん。
現実というものは、女性に性欲がないというマイナス経齢をあっさりと無視される。
フロイトとドーラの事例
女性に性欲がないというのは、
40億以上の女性の一人にも性欲がないという言葉の通りになると、
そうなっちゃいますからね。
私はそのような事実はどこにも全くない。
うちの母を含めてないなと思うんだけれども、
ない人はいると思いますよ。
でも女性にって言ったら守護めちゃくちゃでかいですからね。
これを言えるんだったら、
男性に性欲もないも言えてしまうと思うんですよ。
そしてそれだったら、
人類は一体何をやってきたんだって感じがするじゃないですか。
やりたくもないことをこんなに多くの人が、
こんなにも金出して、こんなにもやって、
その現実の見方は、
花々おかしいですよね。
花々。
で、私はそういう見方に沿って動いちゃってたわけですよ。
行動化してたわけね。
で、ドーラですよね。
ドーラも自分の性欲というものを、
あんなにあったのにガンとして認めようとしない。
あるんだかないんだか分かんないけどないふりを従う。
いろんな意味でそういうことを従う。
で、いろんな意味でそれに振り回されてるのは、
フロイトぐらいの年齢のおじさんにとってはもう、
あまりにもあからさまなんだから、
あなたはこうこうこうこうこうです、
こうこうこうこうこうですみたいな感じで、
フロイトが正しいものを知ってる。
そうなんですけど。
そうなんですけれども。
でもフロイトが正しくてドーラが間違っていて、
ドーラをフロイトが全動するっていう、
そういう含みが、
口にしなくても口にしてますけどフロイトは僕は思うに、
垣間見えるだけでも、
あの状況ではもうかなりダメだと思うんですよ。
でももう垣間見えてるところではなくて、
かなりあからさまに露骨にそういうことをやってるわけですよね。
ここにずっとドーラが反復してきた事態、
彼女が要するに大人たちの非常に悪いと思うんですけども、
暴力的な何かによってケイ氏に接近させられるわけですよ。
でもフロイトはリアリストなのでね、
ケイはイケメンなんだよってあっさり書いちゃうわけですよ。
そうなんだよなという。
ケイに無理矢理キスされて、
ドーラは吐き気がしたっていう風に言うんだけれども、
でもケイはイケメンなんだよということを書くわけですよ。
夢と現実の境界
しかもそのケイ氏っていうのは、
ドーラのお父さんの愛人である奥さんの旦那さんなんですよ。
もう本当にぐじゃぐじゃなんですよね。
ぐじゃぐじゃですよね。
でもこれに整理をつけるとすると、
やっぱりフロイトが言ってる通りなんだとは思うんですよね。
ドーラに対して。
気になる人は読んでください。
雨の日の心理学読んでいただければ、
あらまし分かると思います。
全然あの通りでいいと思うんですよ。
あれは東畑さんに言わせると、
東畑流に映画化されてるんですけど、
でもああいうことだと思うんですよね、別にね。
ドラマタイズしなくたって。
ゆんぐくんはその辺のことをやや批判的に書きましたよね。
あのなんだっけ、言ったっていうのかな。
そんなね、そういうちわ話みたいなんだったら、
そんなに学術的に頑張らなくたって。
あのなんだっけな。
キャベツ農家の小屋に覗けば、
男女がそこで何やってるのかなんて、
分かり切ったほどだみたいなことを言って、
ある種のフロイト批判なのかもしれないですけど、
私それは何の批判にもなってない気がするんですよ。
だからこういう風な話してるんじゃっていう風に、
僕はむしろあれ思うんですけど、
あれはゆんぐが明らかに不公平だと思うんですけれども、
何かをすごいついたような感じでいて、
逆なんじゃないかっていう風にやっぱ私は思っちゃうんですよね。
これも見方ですよね結局ね。
私の見方ですよ。
だってよく言いますよね、
何でも性欲に還元するのはアホだみたいなこと言うけど、
だけど犯罪統計見ると、
生理からの率の高さを見てみた方がいいと思うんですよ。
少なくとも人類は結構食にもこだわって、
食レポ食レポで、
どのワイドショー見ても常に食レポって入ってくるぐらい、
皆さん食べるの大好きで、
割とその辺になってくると人類残酷で、
カニ茹でるとかね。
茹でてんですからね。
子牛を焼きまくってやたらうまいと、
優しそうな女の人もみんな言ってますけれども、
それぐらい食に貪欲な我々も、
食にまつわる、これは現代が恵まれてるせいなんですけど、
犯罪より性にまつわる犯罪の方がずっと多いじゃないですか。
今の時代、統計的には。
食にまつわる犯罪って、
性犯罪と言うけど食犯罪とは言わないから、
実際にはもっとあるのかもしれませんけど、
でもやっぱ性ってすごいですよね。
だからすべてを性に還元するっていうことでは、
全然フロイターないと思うけど、
そもそもすべてを性に還元して、
そんなにおかしいかとは思うんですよね。
すごいみんなこれに振り回されてるじゃんという感じが、
私はしますけど、否認も含めて、
つまりうちの母が言うみたいに、
いや女に性良くないからみたいなことも含めて、
性に振り回されてますよ。
と思いますね。
自分だけは違うみたいに、
みんな言いたがるんだけど、
それは嘘だろうと。
それはもうしかも嘘なだけでなく、
その嘘みんなにもうバレてるじゃんお互いっていう感じが、
やっぱするんですけれども。
でもそれはどうでもいいんですよ。
そうは言うけれども。
思うにそれはどうでもいいんですよ。やっぱり。
大事なのは変異なんですよ。
性じゃなくて。
性は変異に非常に直結してると思うんですけれども、
直接関与してるとは思うんですが、
善意の第三者では全くないと思うんですが、
でもやっぱり変異なんですよ。
性欲というよりは。
つまりドーラは性欲に振り回されているし、
それは当然なんですよ。
男の子も女の子もこの際関係ないと思うんですよね。
と思えるようになったのは僕も40の中盤過ぎてからなんですけど、
自分は男だったとき、
どれくらいエロ系の雑誌とかを隠し持ってたかと。
隠していたってバレてるんですけどね。
大量だったでしょ。
女性、女の子だとしてもね。
問題なのはそこにあるわけじゃないんですよ。
これに振り回されていて、
軽視には吐き気がする。
吐き気がするのを疑ってるわけじゃないですよ、フロイトは。
軽視はイケメンだと。
吐き気はするんだろうけどね、当然ね。
イケメンなんですよ。
ここが大事だってことなんですよね。
この持て余し気味になっていて、
自分には、自分では否認したいと。
で、お父さんはこれさえなければ立派なお父さんで、
最高に、ドーラはお父さん好きですからね。
非常にいいんだけれども、
これが非常に許せない。
それをドーラは許せないと思ってるんだけど、
なぜ許せないんだっていうことを、
フロイトは問題に従うというか、問題にしてるというか、
なぜ許せないのかは分かるでしょっていう感じなわけですよ。
で、ドーラは分かりたくないわけじゃないですか。
これを分かるでしょと迫ってくるフロイトは、
私に迫ってきてるんだということになっちゃうわけですよ。
天意ってのはこういうことだと思うんですよね。
ドーラは火事の夢っていう有名な夢も、
見たことになっていて、
あれだって結局見たことになってるだけだと、
もう言えなくはないと思う。
夢の報告ですからね。
夢ってそうじゃないですか。
これ顕在夢と潜在夢みたいな言い方するんだけど、
本当に見たのかって言われると困るじゃないですか。
本当に夢、その夢本当に見たの。
そのままだった。火事起きたって本当。
火事起きてなかったんじゃないのって困るじゃないですか。
事実じゃないんだから夢は。
でもドーラの火事の夢は有名ですよね。
火事はつまり性的危機、
ドーラの夢とフロイトのセッション
ないし性欲によって振り回されている危機的状況みたいなものかもしれないですよね。
いずれにしてもそこでドーラはやっぱりお父さんに起こされてるわけですよ。
夢の中での話。
火事だ。ドーラ起きろって言ってるのはお父さんだ。
お母さんでは。他の誰でもない。
お兄さんもいたしね。お父さん。
一番危機的な時に、
どうして出てきてくれるのはお父さんなのか。
夢ですから。
結局はその人の心が作ってるものですから。
この夢がそのままフロイトのセッションだというのが定義ですよね。
そういう解釈ですよね。
で、ドーラは火事の家から脱出する。そこで目が覚める。
そしてフロイトとのセッションは早々に打ち切る。
やっぱりフロイトから迫られるのは危険なことだと判断して。
これは僕はおかしな判断だ。おかしな話ではないと思うんですよ。
むしろこれでフロイトがこの件に気づかずにこれらの話を全部聞いていたっていうのが
やっぱり発見することの難しさだなと僕は思うんですよね。
後からカウンセリングを今時やっている、つまりフロイトの
定義も知ってる、無意識も知ってる、病も知ってるっていう人が読めば
これはやっぱりそういうふうに見るしかないように見えるはずだけれども
当のフロイトはなんでなんでここで打ち切るのになっちゃったわけですよ。
それってすごいですよね。
投影同一化というか定義というものの見えにくさってことですよね。
常識的にはなんでってなるのかもしれないです。
でも自分がそういう話をしてきたくせに、そしてそういう家事の夢の話も聞いているくせに
この状況そのものにそれを適用していないっていうことの不思議な盲点ぶり
これこそが僕らは置かれている状況だと思うんですよ。
僕らも全く巻き込まれている人の妄想だか空想だか定義だかに
人が男のことを勝手にお母さんにしたり勝手にお父さんにしている
そういう世界にどっぷり浸ってながら
僕らはそれに全く気づかずにやり取りをしてしまう。
転移の概念
全く気づかずにマスクシュートに記録が残せません。
そうですかじゃあタイマーつけましょうとかって言ってしまうこの
このなんていうか
滑稽と言っては申し訳ないかな。
でもやっぱり滑稽じゃないですかある程度は。
僕はそこで昨日も昨日じゃなかったね先日申し上げましたね
わざわざ遠くからいらっしゃっているもしかする外国からとかいらっしゃるんですよ
あのだって中国に駐在している方とかいらっしゃるわけですから
佐々木さんあの記録取れないんですよ
そんなこと言いにわざわざ来るか
ねえおかしいじゃないですか
これはやっぱり
うるせえババアってのと変わらないと僕は思うんですよね
違いますかねこれはやっぱり僕がフロイトに毒されてるんですかね
僕にはやっぱり私をお母さん扱いして
そんな勉強なんかしてらんないんだよって言われてる感じの方が
当然するべきであったと思うんですよね当然
当然じゃないですかねこれはこじつけがわしいですか
私には当然のような気がして仕方がないんですよね
反抗したいというその気持ちの現れだと思うほうが
断然ピンとくるんですよ
だって別に僕にメールで1行書けばすぐ話じゃないですか
佐々木さん記録なんか取れませんそんなこと言われたって
1分おきとかダメ無理に決まってますって
だってそんな遠くにいるんだからわざわざいらっしゃって
わざわざ渋谷に来て朝の何時とかに来て
いっぱいいろんなの待って話もいろいろ聞いて
で記録取れませんって言う?言いにわざわざ行く?
僕なら行かないと思うんですよ面倒くさい
行きたくなるってことは行きたくなるってことは
ビール瓶に火つめて市内とか持って
ババババってやりたいという
むしろそっちの真理の現れだと考えたほうが
だってあれわざわざするじゃないですか
僕夜中の12時とかに起きてあんな寒い中で
服に字いっぱい書いた服とか着て
やろうという気が全く起きませんもん
そこまで反抗したり抵抗したり戦ったり
何かを支援したりしたりしたいという
発想感覚がない僕の中に
僕はわざわざ外国に行って
誰それさんの仕事術について
何かを言うという気持ちにはならない
やっぱり僕はそれは
親に対して言いたかったという
言っていたのかもしれませんが
そしてドーラがお父さんの夢をわざわざ
家事から起こしてくれたのはお父さんだったという夢
しかもそのお父さんはお母さんに向かって
お母さんは宝石箱とかを探してやがるんで
お前のことなんか置いていく
俺は子供たちを守るって言うお父さん
すごい良いお父さんじゃないですか
ドーラの中では結局愛人とか作って
その愛人の旦那を自分に差し向けるという
結構もう本当にクソ親父っぽいのに
すげえ夢の中では良いお父さんじゃないですか
良いお父さんと悪いお父さんじゃないですか
分裂しちゃってるじゃないですか
夢の中ではそういう素晴らしいお父さんが
お母さんのこと置いて
自分を取るっていうこの
だからヒステリーですよね
嫉妬だと思うんですよね
僕はやっぱりこれエディプスコンプレックスじゃないかと思うんですよね
お母さんより私の方がいいじゃんって感じがしません
僕はやっぱここにそれを読まないんだったら
何を読むんだろうって感じがするんですよね
この夢の報告をロイトは受けてるわけですよ
だって夢の話なんか聞かないでしょ他の人に
しかもそんなに際どいプライベートな夢を
際どいってことにドーラも気づいてないんですけれどもね
多分だから喋っちゃってるんだと思うんですよ
こんなこと散々散々散々喋ってきたから
当然フロイトは私に気があるって思っちゃいますよね
フロイトはそこで転移性恋愛っていう
そこで書いたわけじゃないんですけれども
結局書くことになるんですよ
だってヨングという一番弟子ですよね
フロイトは精神分析のフリンスとか
わけわからないことを言って
いかにもだからお父さんなんですよね
王子様だぞみたいな皇太子みたいなことを言って
これから彼が率いてくれるんだって言ったら
そいつは裏切っていなくなっちゃうわけですよ
しかも患者の女の人と愛人にして
それで治療だみたいな顔をしているわけですよ
フロイト的に言うと全てがダメダメなわけですよね
耐えがたいですよね
耐えてフロイトは転移っていう概念を
考えだしたからすごいんだと思う
つまり転移っていうのは
自分が弱みを握られてるっていうことでもあると思うんですよ
だって親っていうのは結局のところ
子供にある意味弱みを握られているわけじゃないですか
しかもそれはムーメランに近いですよね
昔こうしなさいこうしなさいみたいな
だいたいあの時代なんて
過不調性でひどいもんなんだから
ドーラにちゃんとしなさいと
性的にはもう潔癖でありなさいと
言いながら自分は平気で愛人を作り
この愛人の旦那をドーラに差し向ける
なんかもうむちゃくちゃ偽善的な世界なわけですよね
ドーラがイライラするのは
非常に最もなんだと僕は思うんですよね
でわけわかんなくなっちゃって
だからそこの部分に現実検討が書いている
だからフロイトは現実はこうこうなんだよ
って言っているそのやり方が
そもそもフロイトのダメなところだったわけですよ
でもしょうがないんですよ
転移って言葉そのものがないんだから当時はね
ないもので考えるってすごい難しいじゃないですか
現にすごい難しかったと思うんですよね
だから夢とそのお父さんの出来事と
警視から誘惑されるってことの
魅力と怒りと嫌悪とか
ぐちゃぐちゃになっていて
それをフロイトとのセッション全体に
見ていくわけですよ
その話してるわけです
で私はまさにそれそういうことを読んで
しかも我々は転移って言葉も
一応勉強はすることができていますから
これを使わない手はないんじゃないかと思うんですよね
セッションの中でやっぱりこういう話をすることによって
自分の置かれている状況について
自分はどういう転移に巻き込まれて
何が見えにくくなっていて
実際見えなくなっているんだろうかと
記録取れないことを
佐々木に文句を言っているってことは
どういうことなのか
これが分かることによって
記録が取れるようになるんじゃないかと
僕は思うわけですよ
記録を取れなくなっていることの
いくらかは全部じゃないですよ
いくらかは
親に反抗したいからじゃないのか
っていう話ですよ
これは結局ね
でもそういうのは
いや俺はそんな子供っぽくないからって
言いたい気持ちはよく分かるんですよ
僕も
家族関係の影響
でもこういう過程を取らないで
記録を取れば報酬が得られるとかね
記録を取るのは実は難しくないんだとかね
ハードルを下げるとか
すっごい僕は
それは何て言えばいいのかな
僕の視点を取るとですね
だってそれじゃあですね
私だったらあり得るんですよ
正直言って
例えばこういうことですよね
お母さんと似ても似つかない女性が
さっきの記録取ったら付き合ってあげるって
おかしいでしょそれ
でもそう言ったら
僕は記録バリバリ取るって話ですよ
バリバリ
お母さんと似ても似つかないと
なぜ言ったかというと
私はお母さんが大好きだったから
変異というのは
素直に出てこないときは
多々あるはずなんですよね
だって定義なんで
母親というものが
私に良くしてくれなかったから
私は腹を立てていたわけであって
良くしてくれないというのは
性的にって意味ですよ
でその性的に良くしてくれないのは
当然なんだけれども
でも0歳の私にそんなことは分からない
だから性的に良くしてくれる女の人は
母親と似ても似つかない母親なんですよ
でも母親
その人が
つまり私の面倒を見てくれるのであれば
記録ぐらい取りますよ
ここに報酬と行動の変容の繰り返し
っていう話を持ち込むってのが
私にはなんていうかな
転移の影響
あまりにも話
なんて私と関係のないものがやってきた
例えばタスクシュートに
ちゃんと記録を取れば
飴玉1個あげますと
ふざけんなって感じがするじゃないですか
でもその飴玉をくれるのが
その母親と似ても似つかない
親切そうな女の子だった場合は
めっちゃ飴玉もらうでしょ
そういう話なんですよ
これはきっと僕が思う
で僕は仕事ができないうちの
全部とは言わないけど
そのこの言葉を僕は繰り返し出してますけど
全部とは言いませんか
78.9%ぐらいは
これが理由だと思う
そして人によっては
99.8%ぐらいは
こういうことが理由だろうと思う
少なくとも私は
今のですね
仕事コーチングでも
ビジネスコンサルタントでも
仕事術でもライフハックでも
なんでもいいんですけど
GTEでもね
この種のことを無視しすぎてると思うんですよ