まあ自己啓発であり、スピであり、野の医者の世界なわけですけどね。あれあれって言われてもできないと思うんですよね。
じゃあお前は何なんだって言われると大変困るんですけど、いや私はすっごくまた私で、まあ私らしくやってるんだなって。ライフハックってでもある意味、
ちょっとやっぱりすごい独自路線なんだなっていう感じがしますね。 あの、エアイアンもするとスピであっても別にいいわけじゃないですか、ライフハックなんて。
こういう言い方をすると怒り出す人いっぱいいらっしゃるかもしれないけど、でもライフハックにはスピ感全くないですよね。
もうなんか何かといえばITアプリを探し出してくるというのがエヴァノートだとか言ってくる、その先がちょっと
ある種自己啓発的でありスピ感出せるんですけど、まあないですよね。 なんか超自然的なものがそこには何もないっていう感じですよね。
でも、じゃあ臨床心理臨床化っていうと全くそうでもないし、 自己啓発化っていうと別に何かを啓発してもいないんですよね、ライフハックそれ自体は。
これでよく1ジャンルを今まで形成してきたなっていう感じがしますね。 やっぱりそれをさせるのが野の医者は笑うの本でしたね。
面白い言葉が出てくるんですよね、野の医者は笑うには。 もうすでに本題に入りつつありますが、要するに10期になるにつれてですね、
私野の医者なのは定義上野の医者になっちゃうと思うんですけども、正規じゃないですからね。 一方でやることはすごく正規に寄せたがるというこの路線をどうやって維持しつつ成果を上げていくか
というのが成果が上がっているとしたらですけどね、 成果を上げていくかというのが常に私に突きつけられるであろう課題だと。 だから野の医者はやっぱり結構、あれは大変良い本ですね。
あの本なかったら私はこの仕事やっぱりしてたと思うんですけど、 安心してできてたかって安心しきってるわけじゃないけど、安心してできてたかというとすごい難しいところあっただろうなという感じがします。
結局どれをとっても参考資料じゃないですか。 私がやってることを先駆けてやってくださっている人はいないわけですから、いないと思うんだよな。
だからしょうがないんですよね。 だからどれをやっても参考にしかならなくて、精神分析の本読んでも参考にしかならなくて、ロジャーズの本読んでも、
ロジャーズの本とかは薄いんで結構しょっちゅう読むんですけど、参考なんですよね。 一番ある意味参考にしてるかもしれないんですけれどもね。
でも彼は、ロジャーズって人は、ある意味転生の人のような気がするんですよ。 あれでまた雷談社中心、雷談社中心療法って名前からしても既に非常に説明的ですよね。
雷談社中心じゃない療法ってなんだよって感じもするし、クライアントセンタードセラピーってやつね。 あんまり意味のない名称だなって感じ。人間中心主義とか人間主義的とかね。
なんか説明的であり、かつ何の説明にもなっていない説明みたいな、そういう感じがしなくもないんですけど、でも非常にある意味、素人を引き寄せますよね、当然。
だって人間中心にやろうと思ってる人ならできるんでしょって感じが。 だから僕、野の医者ってある意味すごく善意の人だと思うんですよ。
松木さんの本とかでは善意の人が徹底的にストイックに批判されているんですけど、まあでもああいう批判っていうのは、それはそれとして入れておいて、今日はこういう話、毎日こういう話ですね。
なぜこういう話を外に向けてしなければならないのかというと、うちに向けてはしなくていいからなんですよね、ある意味では。
既に私のを受け入れてくださってる人にしてみれば、受け入れるか切り捨てるかのどっちかだと思うんですよね。体験されてるわけだから。洗脳でもされてない限り。
で、私の手法って洗脳性は低いと思うんですよ。ゼロだとは言いませんけど、低いと思うんですよ。別に何かを、
既に述べている通り、何のゴール設定も目標設定も進捗調査も一切していない、アセスメントもないという、つまり何もないわけですよね、ここにはね。
だから、辞められない理由とかを特に持っていらっしゃらないと思うんですよね。辞められない理由があるとすると、唯一役に立ってる、何らかの形で、でもどう役に立ってるかのチェックを私自身がしてないわけですから、
ご本人でしていただくより他はなくて、ご本人でされていて役に立たないと思ったら、捨てるのにそんなに惜しいもんではないと思うんですよ。
だから、捨てたいと思えば捨てられる。この私の3ヶ月チャレンジ、これは私は正規でもそう遜色ないというか、正規になってもこのやり方は通ると思っているやり方の一つとして、
私自身は継続を促さない原則として、誰にも全く一回も促さないようにするって言うほど絶対厳密的に促さないっていうことを、
なんかそれだと何かこう、そういうルールがまるで有効であるかのようになっちゃうんで、そうは思わないんですけど、でもまあ原則を促さないが、
続けたいと思う人が長く続けるほどいいっていうのが私の3ヶ月チャレンジの考え方の一つなんですよ。
で、これは別に正規の人だと、正規になったとしてもこのやり方で通るはずだと。
だから来期も続けましょうねとは一切言わないし、原則そこはユーザーさんが選んでいただくより他ないと思うんですよね。
契約に近いものだと思う。契約書化はしてませんけど。これもまた私は正規とは違うぞっていうね。
僕に何の資格もないのに、僕が契約を書くことに意味があるとは思えないんですよね。
契約はしないし、なんならですね、なんならってこともないんですけど、
あのやった人が全く役に立たなかったぜっていうことをブログに延々書いていただいても一向に構わないと思うんですよ。
まあ一向に構わなくはないんだけど、原則構わないと思うんですよね。結局これは、あの口コミってやつは取り方なんでね。
その、なんていうんだろうな、そこが潔いとかそういう話になるのかもしれないんですけど、そういうことではないと思うんですよ。
あの、ブリーフセラピーってものがありますけど、話があっちゃこちゃ飛んでますけど、まあ今日はそういう回ですね。
何しろ1週間開けましたから、言いたいことは山ほどあるわけですね。
あのあれですよ、だから長くかかってるじゃないですか、分析なんてなんだかんだ言ったって5年とか平気で言い出すわけですよね。
5年とかかかるっていうことはですね、極論5年は最終的な効果を見ないかもしれないっていうことなんですよね。
インフォームドコンセントも何もあったもんじゃない世界だと思うんですよ、精神分析とかは特に。
これに対する指定3ヶ月っていかにも短いじゃないですか。
ちなみに取ってる金額は精神分析の方が高いぐらいだと思うんで、1回あたり、週に2回受けてくださる方には1回あたり4、5千円になってるはずなんで、セッションの回数だけで割ればね。
私はセッションの回数で金額割るのは自分の中ではナンセンスだと思ってるんで、えーとそういうことではないんだけど、
でもまあ目安としてそうされることはあると思うんですよ。
で、1回あたり4、5千円、高くても6千円っていう数字は精神分析だったら破格だと思うんですよね。
まあ1万円は突破すると思うんで、1回あたりのセッション。
それ5年とかですからね。
しかも人によっては週4回でしょ。
週4回って本当に辛気狼のようなものって誰かがおっしゃってたんですけど、これは言い得てみようだなと。
本当にそれどっかで行われてるんかねって、行われてると思うんですけどね。
するんですが、滅多に行われてはいないっていうのは確かだと。
辛気狼のようなものの週の4回でなくても、週に2回でも、1万円で結構じゃないですか。
週に2回なら毎週2万円で、えーと4週で8万円で、これ毎月ですからね。
まあだから年間で100万円だとしても、5年で500万かかるわけですよね。
3ヶ月チャレンジってのは、まあ3ヶ月で最大10万円ぐらいで、一定の結果を出しましょうぐらいのノリがありますから、
やっぱり一応ビジネスコンサルなんでね。
そうなってくると、もう僕はここに洗脳だの、搾取だのを考えてもしょうがないなと。
だからそんなこと誰でも考えつくじゃないですか。
はっきり言って、継続してほしいとか、フィットネスジムとかでやってるやつですよね、ある意味ね。
初回入会金を取るのもそうですし、なるべく継続するように継続するように促してくるじゃないですか。
そんなこと誰でも考えつくじゃないですか。
あの、十分知的にやりとりしなければならない、この3ヶ月チャレンジみたいな発想もガラッと変えますから、
慣種慣性とか言っちゃうわけですから、僕慣種慣性以外の言葉がないかなと一生懸命、
慣種慣性って僕、原子力学聞いた時もすっごい苦手で、何言ってんだかよくわかんない言葉だなと思ったんですよ。
でも他にいい言葉ないんで、慣種慣性になっちゃうんですよね。
最初のハーファーの物言いからしても、エリスの物言いからしても、間違いなくアンチ精神分析だろうこれ。
まあ自我心理学の方ですけどね。
だからどっちかしかないと思うんですよね、極端に言うと。
CBTを選ばないんなら精神力道だっていう感じがするんです。
まあロジャーズってありますけれども、あれはどっちかというと基本姿勢の話に近いと思うんです。
基本姿勢だっていけるところあるんで、かなりいけるんだよっていう考え方に近いと思うんですよ。
もうとことん雷弾車両を中心で行くんだみたいな。
あの人がそうですよね。
もう一人いましたよね。
ダメだ、忘れた。
あの、ロジャーズじゃない方。
あ、いいや。
とにかくそういうことだと思う。
なんかミスズ処方とかからよく出てるような感じですよ。
だけどあれも、力道とはまた別の意味で、取り尽くしまがないというか、すごい捉えどころがないじゃないですか。
共感、敬重とかって。
敬重とか共感は、そりゃするだろうって思うじゃないですか。
意外としないんだけど。
だけど、しようとするはずじゃないですか。
常識的にある程度。
このある程度を相当程度やれっていうのがロジャーズだし、松木さんもそういうふうに書いてるし。
とにかくあの、お前ら聞いてないからみたいな、言ってみればそういうことですよね。
あの北山治さんも書いてましたよね。
基本的に話聞いてないからみたいな、そういうことですよ。
だから話聞けってことなんですよね。
ノート取ったりせず話聞けってのはそういうことなんですよね。
話覚えとけってことじゃないんですよね。
話聞けってことなんだと思うんですよ。
これはでも、聞け以上のことって言えないから。
昔ほら、よくロジャーズの話でね。
結構悲惨な話で、クライアントが良くならないのはお前が聞いてないからだっていうことで。
聞いてないからだ聞いてないからだってめちゃくちゃ責められて、他にできないからそうなっちゃうわけじゃないですか。
結局聞いてないからかもしんないけども、何か善意の人が多いわけですよ。
野良さんだけじゃなくてね。
正規の人も善意の人が多いから、先輩からさ、お前は聞いてないんだ聞いてないんだって言われるやつ。
なんかもう悲しくなるじゃないですか。
多分泣いたりもすると思うんだよね。
だから結局のところそういうことになっちゃうわけですよね。
なんかサディズムみたいになっていくわけですよ。
なんかロジャーズって一見優しそうな世界なんだけど、
めっちゃそこで行われてることが、なんかしばきまくることになっちゃうわけですよね。
私はそれは、ご面孔を塗りたいので聞こうと思いますけれども、
自分が聞いてるかどうかなどというものを先輩とかに聞いてほしいとは思わない。
それだったら目の前にいる相談者さんに聞けばいいと思うんですよね。
私が聞けてるかどうか。
それは私がアンケート調査をするとかじゃないんですよ。
それだとさっきの進捗チェックみたいになっていくんで、そうじゃないと思うんですよね。
聞いてるか聞かれてるかどうかっていうのは、見えてくると思うんですよ、ある程度。
ただ、結局これは超短期間では無理だと思う。
1回で聞いてるかどうかを判定しろって言われても困ると思うんですよね、お互いに。
ここも結構厳しい言葉があって、
分析とかカウンセリングの世界でも強制関係とか強依存とか書かれるんだけど、
僕はでもね、これ難しい話をしてるしすぎないのも大事だと思うんですよね。
強依存とか強制ってのはある程度あるはずだって思うんです。
私なんかはね、機質かもしれないけど、
そんなだって5年とかかかったりするわけじゃないですか、1年とか2年とか、精神分析とかも。
ある程度強依存的な雰囲気っていうのが全くないんだとすると、
それはすっごいストイックにやっている松木さんのような方ではそうなのかもしれないけど、
僕は強制とか強依存っていうのは違うことを意味してるっていうのは分かるんですが、分かるつもりなんですが、
でも家族っていうのも結局強制とか強依存みたいなところ。
だって全ての家族が健全になってるわけがないっていうか、
半数ぐらいは不健全な家族構成だったりしても別に不思議じゃないと思うんですよね。
私んちはすごく健全だった方だと思うけど、病的なところもいっぱいありました。
何にしろ子供2人とも心身症みたいな病気になってますからね、
兄弟もう1人はもっと厳しい病気になってるわけですよ。
親がすっごい悪かったかっていうとそんなことはなかったし、
すげー貧困だったかってそんなこともなかったし、
だから健全な家庭とか言っても強制も強依存も支配関係も過干渉も過保護も一切ないみたいなのって、
どういう家なんだろうなって感じが私はしちゃうんですよね。
グッドイナフで十分じゃんという感じが。
なんかねこれここにはやっぱりいきなりグッドバイブス出しますけど、
いきなりグッドバイブスですけど、なんかねこうおかしな損得感をここに持ち込むんですよね。
私の人生を返してみたいな。
そんなことを言い出せば私だって40数年間おそらく母親院に近い部分から来る心身症、
アトピー中心に患ってきたわけですが、別にそんなことどうでもいいと思うんですよね。
もうそうじゃなかったら今が50年間とかはないと思うんですよ。
ここの感覚なんだよね。
なんか50年間をもっといい人生が過ごせたみたいな誤解をするから、
あの突然損得感情がそこに生まれて私の人生を返せみたいな話になるのかもしれないんですけど、
もっと厳しい目に遭えばそういうふうに考えるのかもしれないし、
私の兄弟もそういうこと言うんですけど盛んに。
なんか聞いてて釈然としないんですよね私としてはね。
これが聞いてないってことなんですよ。
松木さんに言わせると。
でも私は憎しんは無理だと思ってるんで正直。
憎しんのカウンセリングって本当無理なんで。
なぜならばなんかいろんな経験がありすぎてですね。
だってもう私が4歳の時向こうなんか1歳とか2歳とかそういう人じゃないですか。
そういう頃からの付き合いってカウンセリングに向かないんですよ絶対に。
と思いますね。
だからフロイトがあんなフロイトの精神分析できたっていうのは、
とても普通の神経とは僕には思えないんですけれども。
なんか常識的にそんなことを避けるだろうって感じがするんですよね。
だってさ、お父さんが他の女の人と愛人が作っていて、
私はそういうお父さんに殺意を抱くんですって、
実のお父さんに向かって言っちゃうわけじゃないですか。
言っちゃったりしかねないわけですよね。
言ってないと思うんだけど。
そんなことができるかっていう。
だからそこまで聞けないじゃんっていう感じ。
そこまで言えないと思いますし。
だから兄弟は難しいなと思うんですが。
ただ、うちの兄弟でいい話をしていて、
私もなるべく聞こうと。
とにかく傾聴しようというか、
とにかくロジェリアンのようになって聞いてるんだけど、
聞いていても、そうかなーっていうのがやっぱり多すぎるんですよね。
確かにそうなんだけど、
でもそれはまあそう見えると言えばそうなんですけどねっていうのが、
なんかもう100分ぐらい続くわけですよ。
確かにそうですけれども、
でも別にそんなこと言ってたってっていう感じになりやすいんだよね。
これが参加者さん、ユーザーさん、
3ヶ月チャレンジの参加者さんならそうは感じないんですよね。
なんかミラクルでもなんでもないような気がするんですよね。
祖先の礼を敬わないのかっていうのは、
あなたは息子にお父さんの言うことを聞けと言いながら、
自分はお父さんの言うことを聞かなくていいとでも思ってるのかってことじゃないですか。
三角形は上があるわけじゃないですか。
だから祖先の礼を敬うようになったら、
子供が学校行くようになりましたって話は、
聞くと口頭無形な感じもするし、
そう行くかよって思うんだけれども、
でもあり得ない話ではないような気もするんですよね。
つまりお父さんのナルシシズムが強すぎますよってことに聞こえるんですよ、これは。
ある意味ではそうは言わないかもしれないし、
それは僕がただ力度に被れてるだけかもしんないけど、
分析にね、被れてるだけかもしんないけど、
つまりはそういう話をしていると、
聞く人は絶対聞くよなーって感じもしなくはないと思ったわけですね。
だからこう考えるうちにですね、
三ヶ月チャレンジは、
いやだったら祖先の崇拝じゃなくてもよくない?
って思う私がいるわけですよ。
祖先の礼を敬うのはいいですが、それは非いいですが、
でもだったらそれを言うだけであれば、
それを伝えるだけであれば、
あの口頭無形さってむしろいらなくない?
だけれども、
いるって人には響かないでしょうね、
私のような言い方では。
で、それは審議臨床の世界でも同じだろうなと思うんですよ。
だからこれはマジョリティに向かおうとするならば、
よほどの仕掛けがいると思う。
その仕掛けがないとは言いませんが、
なんで占い師と僕は比較するべきではないと思うんですけどね。
なぜかというと占いとか、
そういう口頭無形さというのは、
マジョリティに向けるための仕掛けだと思うんですよ。
やっぱりそれって一つの技術じゃないですか。
つまり一輪車で綱渡りするというのは相当の技術じゃないですか。
それは松木さんが書く書かれるように、
一心不乱で一期一会の形状にたどり着くには、
生優しいものではないってのはわかるんですよ。
生優しいものではないと思うんですよ。
でも一輪車で綱渡りするのって結構生優しいものじゃないじゃないですか。
このサーカスってのはファンとサーカスって言いますが、
サーカスってのはやっぱりマジョリティに向ける時には、
一つのなんていうんですかね、
必須の技術だったと思うんですよね。
今はちょっと違うかもしれないんですけども、
私は今はちょっと違うかもしれないという方に賭けてるわけですが、
ラインハックってそうだと思うんですよね。
少なくとも一輪車で綱渡りするほどのインパクトないじゃないですか、
タスクシュートにしても。
あんなに細かくて凄そうに見えても、
まあ例えばモレスキンのノートとかにしてもそうですけれども、
でもやっぱり象が玉乗りするのもインパクトに比べると薄いと思うんですよ。
ただしインパクトとはまた別に直接自分に関係してくるなっていう印象は全然違うと思うんですよ。
象がいくら玉乗りしてるのがすごくったって自分と何の関係もないわけですよね。
自分と関係があるからもう少し地味なものでもいけるんじゃないかっていう話であって、
そうすると私はタロットカードとか祖先の霊を敬うよりも、
もっと自分に直結した話っていうものがあるんじゃないだろうかと。
でそれの多分究極形にですね、傾聴されるっていう体験があるんですよ。
個人の体験としてこれはまあ心理臨床の正規の方の、
まあ私はどっちかというとやっぱりそれを推したいとは思っているんで、
その来日いろいろ難しいところとか、
あの正規だからと言って有効なのかどうか議論みたいなのはずっと今後も続くと思うんですけれども、
でもやっぱりAIも出てきましたしね。
いよいよ心理臨床の世界を推したくなる理由というのは、
条件は整いつつあるという感じが私はむしろしているんですよね。
それがCBTであれスキーマ両方であれなんであれですね。
傾聴は絶対必要なんで。
で問題なのは、いかにサーカスを廃しても成立できるかっていうところにあると思うんですよ。
でサーカスを廃するためには、
少なくともやってる人は何を自分がやっているかについて自信持ってないと難しいと思うし、
でどうして自信が持てないのかというと一つは長くかかるっていうのと、
実際のところは何が効果があるのかというものがなおもって、
少なくとも廃者の治療さん、廃者の治療ほどははっきりしてないからだっていうのはそうだと思うんですけど、
でもですね、そこに人が来て話をしたいというニーズっていうのは絶対にもうなくなることはやっぱないんです。
私は将来の野の医者がいなくなることは絶対ないと今は思って、
もうほぼ野の医者は笑うで確信してるし、
ハロットがこの世から消えた方がいいとすらもう思わないんですよ全然。
水晶玉にせよパワーストーンにせよ。
ただ、さっきも言いましたけれども、渡吉博士のような方のですね、結局何を伝えようとしているのかというと、
なんだかんだ言っても、これ不思議に逆説的なんですけどね、ダスオカルトなんですよね。
オカルトまっしぐらなものを振りまいておいてなんだって思われるんだけど、私はこれダスオカルトだと思うんですよ。
我々人間というのはナルシジウムとオカルトがセットなんですよね。
気がつくとガスコンロの火がついており、気がつくとなぜかドアが何回も閉めているのに開いちゃうし、
気がつくと自分がそこにいるだけで場の空気を悪くする。
場の空気を悪くするってオカルトじゃないですか。
このオカルトをどうやって配置するかにかかってると思うんですよ。
気がつくと子供は実質に引きこもりっぽく、引きこもってしまって学校に行かなくなるという、
それはてこでも動かないというオカルトに近いと思うんですよね。
そしてそれはてこでも動かさなければいけないという思い込みもまたオカルトに近いと思うんですよ。
だから面白い問いが立っちゃったわけですよね。
かわい早尾さんの話に出てくるような。
ボタン一つで月までロケットを運べるのに、1キロ先の学校まで息子を行かせられないのはどういうことだっていう、
これはオカルト感を感じるんですよね。
人間のパワーは絶大なのに何でこんな簡単なこともできないんだって言いたげだけど、
それが簡単じゃないから困ってるわけですよね。
実はボタン一つで月までロケット運ぶ方が簡単なんですよ。
それができるっていう意味において。
なんで私たちは結局そういう祖先崇拝をして、
子供が学校行くようになったとか部屋から出てきたっていうのはすごいミラクルのように見えるかもしれないけど、
実は僕らはそういうことが起こりにくいような生き方をしているから、
祖先の霊を敬わないとかね。
敬わなくてもいいんだけど、敬わなくたって自由だろうってことを言ってきたわけじゃないですか、我々は。
だから敬わないっていうのはどういうことかっていうと、
文化的な長寿がの言うことなんてクソくらいだってことですよね。
こんなこと知ったことじゃないと。
だけれども自分の言うことは子供に聞いてほしいとか、奥さんに聞いてほしいとかは言い出すんですよね。
これはナルシシズムですよね。
っていう話っていうのが、つまりオカルトじゃないところなんですよ。
だけどこれだってオカルトだって言われればそういうことになっていくじゃないですか。
そんなものどこにあるんだって言われると困るわけですよ。
オカルトじゃないというのは結局は、それはそこらへんにありふれた出来事として起こり得ることだよねという、
ミラクルってそうじゃないってことですよね。
だからみんな像の玉乗りを見たくなるわけだし、当たる占い師のところに行きたくなるわけですよね。
日常では起きないことが見える人でなければ、
この私のもうどうしようもなくなった意味不明な苦しみを解くことはできないからだって感じがするってことなんですよ。
そういう意味で多くの人にとって、抗鬱剤というのは、その機条を知っている人に含めてなおですね、
なんか魔術的な力みたいなもんだと思うんですよね。
飲むと鬱が治るみたいな。飲むと元気になれるみたいな。
そういう感じで抗鬱剤じゃないですけど、製薬会社のお薬ってそういう感じでCMしてるじゃないですか。
シュワーみたいな感じで、なんか超自然的な力がそこで働くみたいな感じで、
なんかウイルスとかも変な顔とか持っちゃってるし、それがバシュバシュバシュって消えていくじゃないですか。
ああいうこと絶対起きないじゃないですか。オカルトそのものですよね、あんなものは。
僕らはやっぱりオカルトを保守するというのは非日常を保守するってことだし、
それは日常の力ではもうどうにもならないっていう告白だと思うんですけど、
実はそれはすごく日常のありふれている出来事だっていうことを教えてもらうというか、
見えるように、元にはなんか見えなくなるようにしちゃったものを見えるようにしてもらうっていうのが、
ある意味心理相談みたいなもんだと思いますよね。
だからそれはオカルトじゃないんですよ。
だけどオカルトじゃないものに頼れない心理状態にある人に、
オカルトじゃないものを勧めるというのは動機づけとして弱くなる。
だからあんまり大多数の方面に向かっていくことはできないだろうって3カ月チャレンジはやっぱり少数性なんですよ。