3ヶ月チャレンジの概要
おはようございます。3ヶ月チャレンジ通信第1265回をお送りします。10月15日水曜日、7時39分です。
はい、えー、最近まあ、3ヶ月チャレンジの来期のお知らせだったり、
東方カイトさんのカウンセリングとは何かだったり、色々こう、まあ、あちらこちらに言ってますけれども、
まあ、結局戻ってくるとですね、昨日あの、3ヶ月チャレンジの中で、グループセッションの中で、
東方カイトさんのあの、私はあの本の肝は何回か言ってる通り、あの図にあると思うんですね。
自己・心・世界の図ですね。フロイトの図に世界を付け加えるという改編を加えた図なんですけど、
それを横にした図なんですけどね。あの、あそこで心と言われているものに、まあ、直接介入しないことがそもそも流行ってるわけだと思うんですね。
それは私、アメリカの留学中だから2000年から2005年の頃、あのテロが起きた直後付近からずっとですよ。
私テロが起きる1ヶ月前には都米したんで、あの、そこで、こう、万葉最古ソーシャルモデルと、
あそこに書いてあるところにまさにそういうモデルが書いてありましたけどね。
あれを先に読んどけば、先に読むことは絶対できないけど、出てなかったから。
先に読んどけば、あのアメリカでの苦労の、まあ、1割ぐらいは減って、だから、やっぱあの本はいい本なんですよ。
アメリカでは盛んにそれが主張されていたときに、ちょうど私は留学にドボーンと入ってたんで、
思いっきりもうそれが自貧満々に語られてたわけだし、リアルにそれは行われてましたね。
私、あのアメリカの医療制度っていう、オバマケアもない時代ですから、いわゆる国民健康保険が存在しない時代に、
いかにこう、病院に通っちゃダメか、薬処方されてはならないかってことを、
バンドエイド買ってもらったら2万円ぐらい取られるっていう世界だったんで、
どういう計算だよって思うんだけど、本当にね、保険、インシュランスの重要性というものを、
それについても、もう10時間ぐらい、何の因果でアメリカの保険制度について10時間も私が、
あの、なんか日本ではどうなの?みたいなことを言われて、ああいうの好きですからね。
日本では国民解保険があって、それはコミュニズムじゃないの?みたいな、
そんな、考えたこともないわ、そんなことっていうね。考えさせられるんですけどね。
で、論破されるわけですよ。あの、今の皆様が好きな。
いや、今日時間が全然ないんで、急いで切り上げてみようと思ってるのに、
こういうくだらないこと喋っている暇はないんで、先行きますけど。
アメリカの医療制度と心の介入
まあ、要は、バイオ、サイコ、ソーシャルモデルで、基本バイオとソーシャルなんですよ。
もう圧倒的でしたね、はっきり言って。
あの、もう何と言ったって、心の調子が悪くなったら薬も飲むんですよ。
本当に、向こうの人たちは。
すごいなんかね、あの、インディグリーデンスの内容物があり得ないほど細かく書いてあって、
まあ、製造物説明法がすごい厳しい国ですからね。
あり得ないほど細かく書いてあって、
絶対そんなちっちゃい字読めないし、また余計なこと喋ってんな。
あの、そうなんですよ。
そこで、抗不安薬なら抗鬱薬なり、抗精神薬なり、
まあ、あの、とにかくそういうものがバイオ側にあり、
ソーシャル側にもなんかもう処方いつでも行ってきてね、みたいな。
で、行くと結構、今予約中とかで全然空きがなかったりするというね。
あの、でもなんかやたら言ってくるんですよ、そういうことをね。
こう、ソーシャル的な支援が非常に信じられている。
よっぽどコミュニズムじゃねえかって思うときがないわけではないんだが、
まあ、そういう、でも非常にそれがね、
こう、なんか、なんつーのかね、あれもね、
透明な壁が次々にぶつかっているような不思議な支援のされ方をするんですよね。
気がつくと、こう、出口にいました、みたいな。
あれ、なんで入ってきたばっかりなのに、もう出口にいるんだろう、自分、みたいな。
そういう不思議な体験になってましたけどね。
悪く言ってるわけじゃないんですよ、これは。
よくできてる面もたくさんあるんだけど、理由がわからないと、
なんかすごい不思議な体験でしかなくなっちゃう部分はありました。
なかなか心そのものへの介入なんて、
まあ非常に個人主義が発達してる国ですから、ある意味。
だから本当にこう、話聞いてると、
気がつくと社会的支援か、あの、生物学的な支援になっているというね。
ほとんど心に入ってこられる。
だから精神分析でも受けるしかないんだけど、
もちろん保険など聞くはずもないので、
そんなもの受けようがないですからね。
もうあっという間に破産するじゃないですか。
一期分のこの大学の費用とかが、
なんかもう一月で消し飛ぶぐらいな息は、
まあその2つはわかんないか。
とにかく大変なことになるんで、そんなことはやってません。
ということでですね、私は3ヶ月チャレンジで、
心のモデルと支援の考え方
まあ誰もそうは信じてくれないと思うんですけど、
これが精神分析的なものであるならば、
まあかなり格安だなと自分では思ってるわけですね。
なぜならば安くしたいっていう意識が結構強く働いてるんで、
あれやっぱり富裕層向けのものなんですよ、もともと。
だってあのドラさんとかもそうですけど、
あの時代のあれをやれる人、
要はフロイトを個人的に雇える人なんだから、
金持ちに決まってるっていうか上流階級の人しかいないわけですよね。
で、我が国は一応一億総中流とか呼ばれた地域もあったわけで、
なんとかこれをですね、上流階級とかに向かってたって、
しゃあないじゃないですか。
そんなものがどこにあるのかもよくわかんないような国なんで、
あるんでしょうけど、だからやっぱりこう、
まあ中流、中流というのかな、
一般的なものにしたいっていうのがありますよね。
で、そんなのは放っといたってそんな風になるはずないから、
もうひたすらライフハックここはするしかないなと。
すべてがオンラインになってるのもライフハックですし、
Googleカレンダーに予約システム投入してるのもライフハックですし、
ライフハックを駆使して精神力動を提供するというのが、
ある意味3ヶ月チャレンジなんですよ。
で、チャレンジとかいう名前をつけてますけれども、
私は、私のパーソナリティというのは気質ですよね。
道場とか好きじゃないんで、
道場とか絶対行きたくないなって思ってる人間だから、
道場とか死に着くとかナンセンスだと思うんですよ。
で、私が思想的になるとかもありえないなって思うし、
嫌なんで、だから僕スーパーバイズって難しいと思ってるんですよね、自分はね。
着くのが、指定関係なんですよね、あれやっぱりね、
あのーなんだっけ、なんとか神話の世界ですよ。
藤山直樹さんの好きなようなんだけど、
僕は好きじゃないんですよね。
藤山直樹さんのことは僕は好きだけど、たぶん、
あのーなんとか神話の世界は、
あのーあれですよ、
違反しないように、これを度忘れしてるわけじゃない。
とにかく好きじゃないんですよ、
ああいうこう、あのー
ドイツの世界みたいな、ドイツじゃなくて、
日本にも今めちゃくちゃありますけど、
デッチ暴行っての?
あのー寿司職人の世界みたいな、
技は盗めみたいな、師匠と弟子、
やけに好きな人もいるじゃないですか、
別に好きな人にするつもりはないですよ。
僕は好きじゃないという、
好きじゃない人間も、
ものすごく好きじゃない、
たぶんこれエニプス絡みなんですよね。
やっぱり父親との関わりの問題なんですよ。
うち坊主ですから、坊主の世界って、
完璧になんとか神話の世界ですから、
完璧に。
だって小僧とかって言われるんですよ、最初は。
あのー相撲の世界でも一番弱いというか、
一番こう、ランクが下のところが、
女の口っていうじゃないですか。
まさに女の口とか小僧とかの世界ですよ。
だって僧になってないから小僧なわけでね。
あのー小僧時代とかって言ってますもん、
うちの親父とか。
あいつは小僧だからみたいなね。
めっちゃくちゃ不安なんですよ。
男しかいないしね。
男しか、今ちょっと高市さんが、
もし総理になったら、
支配をどうする、
支配は関係ないか、
総理大臣派移動するんだ問題ありますが、
あれっすよ、ひどいですよ。
あのーうちのね、あのー寺とかに、
寺の一番の総本山のところ行くと、
この段から上は、
男性しか上がれない段とか、
さらにその段から上は僧侶しか上がれない段で、
さらにその上はみたいな。
うちの親父とかはかなり上の方にいたんですけど、
あっさり転落しましたから、
あの段がいかに象徴的で適当かっていうのを、
感じさせたんです。
転落ってあのあれですよ、
転んで落ちちゃったじゃないですよ。
今も転んで落ちそうですけど、
あのー、
クビになったって話ですよ。
本当に、あのー、
ああいう世界ってなんつーのかな、
アップダウンクイズだよなーってよく思うんですよね。
まああの、ご存じない方も多いと思うんですけどね。
で、まあ、
結局余談ばかりしているうちに、
10分が経過しようとしてますが、
そのー、心モデルの中でですね、
心にダイレクトに介入するということの、
目指すところは何なのかというと、
私はやっぱり、
それをメラニー・クラインが一番、
ある意味、直感的に、
まあ、フロイトなんですけど、
フロイトなんだけども、
これを直感的に分かりやすく提示してくれたのが、
クラインだなと思う。
なぜかというとやっぱりパッと出てくるのが、
このパッと出てくるって大事なんですよね。
だって、あのー、
参加者さんと喋ってる時にパッと出てこないものは、
やっぱり使いにくくてしょうがないですよね。
パッと思い浮かぶモデル。
良いおっぱい、悪いおっぱいなんですよね。
パッと思い浮かぶのが。
やっぱり、二分化ってことをしている。
その時、部分対称化ってものをしている。
すると事故も分裂する。
これだなって思うんですよ。
で、分裂するという部分が強調されすぎるんですけど、
良いおっぱい、悪いおっぱいは。
ある意味これは組織化もしているじゃないですか。
良いものと悪いものを集められているわけですよ。
ここに良いものを集めましょうって、
子供が見てるとよくわかりますよ。
本当にやるからね。
自分が好きなものを集めてくるんですよ。
例えばソファーの上とかに、
お寿司とケーキと何とかの
積み木みたいなものをガーッと集めてくるんですよ。
あれが良いおっぱいの世界なんですよ。
自己の分裂と悪い面の理解
全部、お寿司の模型とか、
ケーキの模型とか、
まさに部分じゃないですか。
ホールケーキとかでは滅多にないですよね。
ショートケーキみたいなやつなんですよ。
とにかく部分対称を、
良い部分対称を集めてくる。
で、そうしてにっこりしてるんですよ。
良い自己対称がそこに現れるわけですよね。
で、ガーッて急に泣き出すわけじゃないですか。
何か悪いことが起きてるわけですよね。
で、我々はつい、
悪いことが起きてるって思っちゃうんだけど、
違うんですよね。
悪い部分対称が、
そこに何かの形でガーッと
自分って集めてるんだけど、
だから、迫害不安っていうわけですよ。
本来、その悪いものは
自分の空想世界の空想でしかないくせに、
自分で集めてしまったものなのに、
それに怯えてるわけですよね。
何かこう、お化け屋敷にわざわざ行って
泣いてる子みたいな感じなんですよ。
で、それは悪い自分じゃないですか。
で、これ分裂って僕ら呼んでるんですけど、
分裂の前に組織化なんですよ。
この組織化が非常に大事なんですよね。
組織化の重要性
世の中というものは、
現実というものは最初から、
これね、何でこんなこと
僕喋んなきゃならないんだろうって
よく思うんですよね。
自明で常識じゃないですか。
世の中というのは別に
最初から良いものと悪いものに
分かれてるわけではないわけですよ。
そして自分が考えるところの
良いものが良いもので、
悪いものが悪いものなわけじゃないわけですよ。
今度、総理になれるか分からない総裁と
おっしゃってましたけど、ご自身で。
が、あの人が良い人なのか
良くない人なのか
人によってはめちゃくちゃ違うじゃないですか。
で、良い人だと思ってるのは
騙されてるんだって
平気で言う人もいますけど、
そうかもしんないけど、
そういうふうに決まってるわけではないですよね。
それは自分で
そういうラベリングなりレッテルなりを
貼るということはつまり
無分対象化しているということですよ。
だって私たちは
あの総裁のことをどんなに大好きな人だって
知らんでしょ全部は。
大抵の人は会ったことないでしょ。
直接話したこともないはずです。
つまり悪いっていうのは
自分の中で悪いという
なんていうのかな
自分の中で不快なものをかき集めて
そこに寄せてるわけじゃないですか結局。
それは
スプリッティングじゃないですか。
でもそれって組織化の一種ですよね。
これまでの総理と今後の総理は
絶対違う人になる。
たぶんね、同じ人になる可能性も
示唆されていますが
とてもちょっとそれはありえないだろうと思うんで
違う人になる。
そうすると
日本の総理大臣というものを
思い浮かべた時に
今度我々は組織
自分の心の中の組織化を
変えなきゃならないわけですよ。
だって現実変わったからね。
総理大臣とかこういうものだったら
これまでのイメージと
これからのイメージは
少し変えなきゃならないわけですよ。
こういう風に世界は動くんで
我々は組織構造を変えなきゃならないわけですよね。
そうすると
一度全体をまとめたとしても
つまりですね
良いおっぱいと悪いおっぱいっていうのは
非常に最初の
現象的な組織化なんですよね。
お菓子みたいなものとか
好きな色、黄色い色のものを
全部集めて
これ良いものをみたいに
そうじゃないものを悪いものをみたいに
心の再組織化
これは組織化なんですよね。
でも良いおっぱいと悪いおっぱいって
要するに一人のお母さんじゃないですか。
一人のお母さんっていうのは
全体として統合した時にはそう見える。
その時に
良いおっぱいに対する私
良い私と悪いおっぱいに対する悪い私も
実は同じ自分だったんだ
ここに自分の発見ってものが出てくるわけで
そうすると自分も一人の人間という風に
統合されていくわけですよ。
これが難しいんですよ。
我々は
自分が本当に一人の自分なんだろうかと
疑問に思うようなことは
しょっちゅうやらかすわけですから
ダイエットを決意してみたり
無茶食いしてみたりするわけですから
同じ人間なのか自分っていう
同じような意思で統一されてると
これで言えるだろうかって
思うわけじゃないですか。
絶対あの人と結婚したら
幸せになれるとかいう人と
今すぐ離婚しないと
もう不幸のどん底だって
同じ人が言ってるわけじゃないですか。
その決断どっから来たんだ
っていうことになるわけですよね。
やっぱり時間っていうものを
投入しないとここに
統合ってできないわけですよね。
だけど統合を一度してもですね
やっぱりもうやっぱり
ずっと結婚していくわっていう風に
一度統合しても
全体としての一貫性を保てるように
思えたとしても
もう何か10日ぐらい経つと
というか10時間ぐらい経つと
もう真逆の決断を
平気でしていたりするわけですよね。
だから統合と分裂を
つまり現実世界が変わるから
やっぱりPSとDは
入れ替わり立ち替わり
動かさないとならないわけですよ。
心を拡散させて
再組織化っていうことを
しなきゃならない。
こっちは良いものだと思ったけど
この一部のやつは
悪いところに入れておこうと。
でもこの良いと悪いは
結局同じことだからねっていう
この繰り返しを
やっていかないと
ならないと思うんですよね。
そのことを一番ある意味
物理的な比喩まで用いて
端的に伝えているのが
クラインらしいところなんですよ。
良いおっぱいと悪いおっぱい
同じものなんですという。
でもそうは思えないよねっていう
この感じがよくよく伝わるんですよ。
だから今日は良い気分
明日は悪い気分
でも同じ私の気分だから
私はこの良い気分と悪い気分の
交代でやっていって
でも悪い気分って
そう思えないですよ。
もう二度とこの気分からは
変えられないんじゃないかって思う。
つまり赤ちゃんにとっての
悪いおっぱいって致命的なんで
何が言いたいかというと
悪いおっぱいというものを
乗り越えてきたよねみんなってことなんですよ。
これを統合させる力が
ないはずはないよねという
どっかにあるはずだと。
つまり今の悪い気分は
最悪で絶望的で
もう自分も世界も
信用ならないかもしれないけれども
でもこれよりひどい気分を
もっと幼かった未熟だった時代に
乗り越えてきたことがあるんだからね
っていう
含みまでここにあるんですよ。
この含みがあるから
やってられるわけですよ。
どんな人でも希望はあるんですと。
だってあの赤ちゃん時代の
大変な状況を乗り越えてきたんだから
っていう。
あの時は持ちこたえる力も
全体対象も言語象徴化機能も
今より低いのに
今よりひどい目につまり
もう悪いおっぱいは来ましたと。
いいおっぱいは来ませんなんだけどそれは。
死にますと。
もうだって植えるわけですからね。
しかもそれがどういうことかも分かりませんと。
絶望ですけど
絶望って言葉も知りませんと。
こんなひどい状態を
あんなに幼かった頃に
乗り越えてこられたんですよと。
だから今もっていう話じゃないですよ。
乗り越えてこられたんですよと。
乗り越えてこられたはずなんですよ
としか言ってないんですよ。
で今
すごい気分は悪いかもしれないけど
良い気分が自分
つまり良い自己対象というものを
知っていて
良い自己対象と悪い自己対象は
同じ自己の一部分
一側面であるというのも知ってますよね。
今回の出来事は
生まれて初めての出来事
どんな出来事もそうですからね。
生まれて初めての出来事だから
絶対に乗り切れるの横城が先にあるわけじゃないけれど
でも
いろんな意味でこれよりも
ディスアドバンテージが大きかった状態を
乗り越えてきたことは
間違いない。乗り越えてきてないんだったら
今正気でお保っている
はずはないから
どこかで乗り越えることはできたんだと
いうことを
含み置いておいて
組織化の原点に立ち戻ると
良いおっぱいも悪いおっぱいも
同じお母さんで
良い自己対象も悪い自己対象も
同じ自分で
それは時間によって組織化されている
っていう話が
DからSからDで
DからPSでPSからDなんですよね
でブリトンはそこに成長という
成長の螺旋階段ってものを
大体ものを僕はつかないんですよ
途中言った通り
指定関係つかない人間なんで
回答が良いとか
結果そうなるんですけどね
そういうことよりも
なんつーのかなぁ
安易だと思うんですよね
そういうなんかなぜ勝手に成長とか言い出すとか
思うんですよ
何があると思ってるんだろうってやっぱ
思うんですよね
成長って概念を導入すると
未熟って発想が
同時に出てくるはずなんですけど
なぜ未熟と言い切れるんだろうって思うんですよ
なんかどっかで人間は
豚とか鳥より
自分の方が賢いとでも思ってるようなんだけど
本当にそんなことが
この間接近くしかできない
生き物がどうして直接近くよりも
優れているって思ってるのかが
やっぱり気になる
ところではあるんですよね
なんで地面を這うよりも
トイレに行って
用を足す方が偉いのかっていうのを
証明できるんでしょうかっていう感じが
しますよね
できないと僕は思うんで
だったら誰も私の師匠ではないと思うんですよ
私より上っていうのが
おかしいと思うんで
下っていうのもおかしいと思うんですけどね
だからどうしてもPSからD
あのPSNから
DNA
あとPS
Nプラス1が
DNプラス1A
PSとDの関係
の次にPS
Nプラス2
DNプラス2A
このブリトン的な発想ですね
なんかこれがね
気になるというか気に入らない
何度読んでも全然納得できない
って感じがするんですよね
まあリオンの
PSとD両矢印の行ったり来たり
この効果僕には全然リアリティが
感じられますね
残念だとここを考える人は
私はPSの組織化というものを
軽く考え
過ぎてると思うんですよね
良いものと悪いものを
集合組織化できるということの
重大性というものを
そしてそれがある意味
心に自然と備わってる
わけじゃないですか
僕らこれに振り回されてる気がするから
備わっているにも関わらず
備わってることを軽く考えて
そしてDへの統合を
やけに重視するんですよ
PSへの病理的対抗とか
平気で言えてしまうのはそういうことだと思うんですよね
なんかねフルマインが
みっともないとかね
それはヨーロピアンな感じがするんだけど
そういうことから
その偏見そのものが非常に
PS的だと思うんですけどね僕は
だからPSは悪いという言い方が
できる資格のある人なんて
いないと思うんだけど
それは困るかもしれませんよ
自分の目の前でも
眼前でPSが展開されれば
困るかもしれないけど
困るってことは既に自分は
PS的になってるわけで
つまり困ることを肯定するならば
相手のPSが
否定されるものでない
少なくとも肯定できなくても
否定されるべきものではないという
ふうに思えなければ
ならないだろうと
少なくともカウンセラーという
人たちはそうでしょうと正規正規
そこまで言うんだったら
そして正規が安全で非正規が危険だとまで
言うんならせめてPSぐらいは
乗り切ってもらわないとみたいな
ていうかでもPSが乗り切れるんだったら
それはもう十分カウンセリング
なんですけどね
でその
PSとDってのは
僕はやっぱり両矢印の行ったり来たり
以上のことは言わないほうがいいんじゃないかな
と思うんですねブリトンには悪いですけど
ブリトンすごい人だと思いますけどね
でもあの螺旋階段を登る
じゃあその頂点には
何があるんですかって思いますよね
そのすごい情報にある
PSNプラス
159みたいなのは何なんだよ
っていう感じがね
それはそんなに偉いPSって
どういうものなんだよっていう感じがですね
納得がいかないんですよね
なんかそこに
上昇とか成長を私は
認められないそれは
成長でも何でもないと思うんですよ
そうじゃなくて再組織化と
再分裂
あるいは
改不改原則に
基づく三界と
現実
堪えた上での全体統合の
再再再再再再
統合みたいな
そりゃそうですよ毎日やってますよはっきり言って
絶対毎日やってると思うね
毎日成長するか
人間はっていう感じが
私はしないんですよね
私は20代の時よりも
今80代になるという
父はそんなに
あれは成長した後なんだろうかっていう
感じがするわけですよ
そこに病理的対抗
ということを言い出せるほど
ブリトンは偉いのかって思っちゃうわけですよね
全然僕はそうは思わない
彼がいくら偉いとしても
松木さんは
僕よりずっと偉いと思いますよそりゃ
僕は彼のこと師匠だと思ってるわけじゃないんで
彼も
私のような弟子を絶対取らないと思いますしね
だから
なんかピンと来ない
という感じもするわけですね
いずれにしても私は
あれですから
PDCAという概念を
絶対に認められない
人間ですから
PSTも同じです
改善などしない
ただ統合というのは
振り子の
運動のようなものに
構造を与えることだし
そもそもPS自体が構造である
ということだし
それをですね
心の動きと認識
細かく細かく
認識していく必要があると思うんですよね
だって人は例えば
泣くから悲しいのかっていうと
そんなことないじゃないですか
笑ってるということは楽しいのかっていうと
そんなこともないと思うんですよ
非常にその辺を
なんていうんですかね
絶対捉えすぎていると思うんですよね
情緒の動きというものを
もっともっと
いくらでも考えることはあると思うんですよ
改善といったって
その場合の善とは何なのかということ
善というのが多分に
超自我的な
押し付けだったりするわけで
その人が
例えば何でもいいんですけれども
昔はだらだらと
ゲームをやっていた時間に
英語の勉強やりました 善です
なぜ善だっていう話なんですよ
誰かがそう言ったからでしょうって
言ったのは誰ですかと
誰それさんと誰それさんと誰それさんです
その人たちは英語の勉強してるんですか
と次々な
問いが出てくると僕は思うんですよね
その人たちは
なぜ善を善だという
保証を与えることが
できるのかと
多分できないと思うんですよ
そっちの方がいいじゃないですかって言われることも
僕よくあるんだけど
全然そうは僕は思わない
かけらほども思わないから
なぜなのかを私に
理解ができるように
納得じゃなくて
理解ができるように言ってほしいんですよ
と思うんですよね
この種の話をされるんであれば
ですよね
だからPSは
Dになるけれども
なった方がいいというか
なる必要があるときはありますが
DがPSになる必要があるときもあるんですよ
統合されたままでは困るんで
統合されたままでいいんだったら
我々は赤ん坊のままでいいんで
何ら
赤ん坊って分裂してませんからね
だから
それでいいんだったら
そもそも改善でも成長でもないじゃんって
思うんですよね
それを改善とか成長と言う以上は
PSが必要だと言ってるのと
何ら変わらないんで
PSが必要だというのはやっぱり
つまり分裂は必要だってことなんです
組織化こそが善であるとは
言えないってことなんですよ
というか統合こそ善であるとは
言えないってことなんですよね
統合されてればいいってもんではないんで
現実は動くわけですから
現実に合わせて何がいいか
何が悪いか変わるわけで
そうすると何がいいか何が悪いかが
変わってるのに
自分の中のいい自己対象と悪い自己対象は
固定化されたままでいいんですってことには
ならないわけですよね
しかし統合された結果というのは
自分が統合されただけなんで
世の中は
違う形でまた分裂していくんで
それに合わせて私は
散開していく必要が
散開の散は散
散るね 開くです
散乱ではないな
その後また再組織化していく
つまり新しいPSの
ポジションというのを
考えていく
作っていかなきゃならないんで
そうすると分裂しちゃうんで
だからやっぱり統合する必要がある
あれですよね
科学の実験とかでよく
ずっと振ってると赤い液体になるやつがあるじゃないですか
ずっとそれを振ってると
青くなったりしてさらに
ずっと振るとまた透明になって
っていうのをずっと繰り返せるやつがあるじゃないですか
あれなんですよね僕のイメージは
相当あれに近い
自己組織化するんですよ
振るってことを通すことによって
そのうちに赤青白赤青白
自分赤青白っていうパターンを
作るんだなっていうことを
自ら知っていくんですよ心は
自己組織化と成長
液体は自らは知らないですけど
つまりこの
液体を外から見る目線というものを
獲得するんですよね心は
これが自分があるってことだと思うんですよね
それって
時間の経過と関係があるわけじゃないですか
またこの振るみたいな
力度との絡みがあるわけじゃないですか
そういうものを目線を手に入れると
同じことが起きても
同じことが起きても
全く同じことが起きてるのとは
全然違うことが起き始めるわけですよ
そういうのを
なんて言うんだろうやっぱり心の
この心の
目線を獲得するみたいなのっていうのは
やっぱり私は生まれつき
持ったものだと思うんですよね
機能を発揮できてるかどうかは別として
しかも持っていて
発揮したことがある人もさっき言いましたけど
赤ちゃんの時にそれを乗り切ったことがあるはずだと
それの発揮のさせ方を
見失うってことがあるんですよ
私たちは
しょっちゅうあるんですよしかも
だから
ビオンがやっぱり僕は
近いと思うんですよ
彼は言っていることの中には
PSとDが
同時にですよ
行き来じゃなくて同時に
同時に発生するんだと
それって破局的な状態じゃないですか
おかしいですよね
統合なのに分裂していて
分裂なのに統合しているみたいな
でもそういうのが来るんですよ
そういう進撃状態があるってことに
気づく
これに気づくってやっぱり一つの観点の獲得だと
ビオンは観点という代わりに
頂点とかここで言い出すんだけど
あくまでも帰化をやりたがるんですけどね
でも
観点私だと視点って言いたくなるんですけど
そういうものを獲得するんですよね
そういう獲得が
私は
でも3ヶ月チャレンジを通じて
なんかこう
理解できる気がしてきたんですよね
そういう状況を
目撃する瞬間が
起こる
だから人は何で泣いているのかは分からないし
私にももちろん分からないし
昔っていうか
安易に動揺しちゃいけないと思うんですよね
なんかこう
私が泣かせたんだろうかみたいな
これはもうPSなんだけど
そういうことでも全くない
私が開罪して目の前の方が
涙を流されていると
でもそれは何を意味しているのかは
分からないわけですよね
心の構造と複雑性
ただなんとなく分かるのは
自分が例えば泣く場合でも
そうだと思うんですけど
怒る場合でも笑う場合でも
泣くって言うとなんか特別な意味が出てくるじゃないですか
泣いているのを
ここで言っていいのかみたいな
そんなはずはないんですよ
僕からすると笑っているのをここで言ってもいけないし
そんなことを言えば
怒っているのをここで言ってもいけないし
そんなことはないんですよ
なぜなのかが分かっていると思うから
それが良くないことのように思うんですよ
私たちは多分
PSが良くないと思っているのと同じなんですよ
そんなことを言ったら
参加者さんがセッション中PSになります
というのも暴露していけないことになっちゃうじゃないですか
でも僕はPSとDの
両方にならないようなセッションは
全く意味がないと思うんで
なっているというのが
私にとっては
いい情報だと思うんですけれども
もちろん
PSとPS DとDということは
東映ドイツ化によって
起きますから
その時私はでも
自分がPSになっていると同時に
セッションが維持できているということは
間違いなくDでもあるということなので
DとPSが息きを
高速に繰り返しているのかもしれないが
同時に発生しているのかもしれない
と思うんですよね
PSとDが同時になったということを
目撃したら
涙を流しても何ら不思議ではないと
私は思うんですよ
これは悲しいからではないし
腹を立てているからでもないし
恐ろしいからでもなく
でも
幸せだからでもないんですよ
こういうことって僕らは
分かっていかなければならない
と思うんですよね
どう考えたって
自分のことなんだし
しかも自分の非常に
何か重要な局面というものの
サインなのだから
これについて分かっていこう
ということが起こらなかったら
多分
考えるということは決して
できるようにならないような気がするし
放棄するという
防衛になってしまうような
気もするんですよ
ちなみに防衛もどんどん
中小化していくので
防衛というのが古典的な
精神分析で防衛すなわち
良くないみたいな感じなんだけど
そうでは全くないんですよね
防衛と言われているもの
あるいは防衛ではない場合もあると思うんだけど
防衛と言われているものは
非常に良いことなんだと思うんですよ
その中小度が上がっていく
ということは心が
高度に構造化され
高度に組織化されていく
現実は複雑ですから
何が良い何が悪いっていうのだって
非常に複雑だし
その良いものと悪いものが
同じものであったり
違うものであるということであったりが
急速に動いていくのが現実ですから
心がそれに合わせて
適応していくっていうのは
かなり高度なことを
やっていくしかなくて
つまりものすごく複雑に
組織化されていかなければならないはずで
心をシンプルにするっていうのは
つまり大抵の場合は
良いおっぱいと悪いおっぱいに
分けるっていうだけ
不快なことは避けて
自分にだけになってしまう
しかもそれだって
実は決して簡単なことではないんですよ
ものすごい単純に言ったところで
例えば無職よりも
仕事がある方が良いです
というかもっと簡単に
お金がある方がお金がないより良いです
っていう風になった時に
朝の4時から夜の12時まで
働くこの仕事
ないよりあった方が良いよねってことになったりすると
え?って感じじゃないですか
でも今自分がつける仕事は
そこしかないと
そこにものすごく良い人がいて
ものすごく長時間拘束されるけど
ここはいいところかもしれないと思うかもしれないけど
そこにもうなんか
ブラックの塊みたいな上司もいて
っていう話になった時
そこは良いところなのか悪いところなのか
そこに行くのは良いことなのか悪いことなのか
っていうのは
こんな単純な話でもかなり複雑じゃないですか
現実はもっとずっと複雑なんですよ
なのに
そんなにシンプルな
個人的構造で
切り抜けられるはずはないので
高度に組織化するためには
しょっちゅう分解していかなきゃ
ならないと思うんですよね
このバラしては組み立て
組み立ててはバラすっていうような
作業をずっとしていくうちに
組み立て方とかバラし方が
よく分かんなくなりますってことも
しょっちゅう起きるはずなんですよ
ちなみにこういう話を
扱っているという
考え方自体が
この世の中には
留守していないんですよ