1. 佐々木正悟のライフハックからの精神分析
  2. タイトル変えた理由と『心はど..
2025-10-21 42:01

タイトル変えた理由と『心はどこへ消えた?』の話【1267】

東畑開人さんの「カウンセリングとは何か?」が話題ですが、少し前に出たこの本もいいです!
---
stand.fmでは、この放送にいいね・コメント・レター送信ができます。
https://stand.fm/channels/658790a07376b3f9361fc70f

サマリー

このエピソードでは、ポッドキャストのタイトル変更の理由と新しいタイトル『心はどこへ消えた?』について解説されています。また、ライフハックと精神分析の関係や、自己や記憶とのかかわりについても議論が行われています。さらに、認知行動療法(CBT)とライフハックの関係性について詳しく考察され、心と現実の接点がどのように捉えられるかがテーマになっています。特に、ライフハックが心にどのようにアプローチし、精神分析とはどのように異なるかが言及されています。ライフハックと承認欲求の関係についても深く掘り下げられ、個人主義の観点から自立心や母子関係の影響について考察されています。また、心の中に存在する母親の目線が行動にどのように影響を与えるかについても触れられています。最後に、心の介入や母親との関係が個人の生活や習慣に与える影響についても考察されています。

タイトル変更の理由
おはようございます。ライフハックからの精神分析第1267回をお送りします。
10月21日火曜日、朝7時27分です。
まあ、また解題かよと言われておると思いますけれども、思われていると思いますが、まあ、
もういい加減にした方がいいぐらいやっております。
当分これでいきたいとは思ってますよ。だけれども、まあ、またやっちゃいました。
前のですね、サンチャレ通信は、いいと思うんですよ。いいと思うんだけど、
考えてみると、これってサンチャレに入っているか相当興味を持っている人じゃないと意味不明でしかないタイトルだという、
ごく常識的なことに後から気がついて、てか、後から気づかない、後からじゃないと気づかないんですよ、そういうことに。
で、考えてみるとサンチャレ通信はダメだろうと。サンチャレの存在を知らしめるっていう意味はすごくいっぱいあるわけじゃないんですけど、
でもやっぱり多少あるんでね、サンチャレを知ってる人にしか意味が通らないタイトルではダメでしょうっていうのが率直なところですね。
タイトルはいいと思ってたんですよ。
グッドモーニングバイブスとか、グッドモーニングバイブスはまだグッドバイブスを連想させるからいいとしても、
グッドモーニングボイスになっちゃうともう、タイトルとしては悪くないかもしれませんけど、
相変わらず特に何にもさせるわけでもなんでもないですよね。
ということでですね、やっぱりライフハックと精神分析のどちらかに興味がある人にはPRしていかなければいけないだろうと思ったわけですね。
なのでこういうタイトルにしました。
ライフハックから精神分析Aとかではないのは、別にライフハックを精神分析にしたいとか、
私はライフハックやめて精神分析にしますとか、そういうことを言うわけでもないからなんですね。
今日はちょっとタイトルについてのお話をしつつ、軽く違うお話もしていこうかなというふうに思っております。
最終のお知らせに近い、2つお知らせがあります。
11月からの新企画
1つは、これが最終の方のお知らせなんですけど、11月から3ヶ月チャレンジ第12期をします。
これは結構ですね、今鋭意、急速に整備をしているんですけど、はっきり言って間に合っておりませんが、
とにかく12期からまた1段と0.5段くらい、きちんと整備したところは整備していこうと。
少しホームページとかようやく整理されてきつつありまして、
いろいろなコースもようやく大体納得のいく形に、毎回そういうことを言っているので当てになりませんが、
でもだいぶそれなりに形が定まってきました。
それが今日の話と関係あるんですけどね。
戸畑階人さんのモデルのおかげもあってですね、
持ち上げているわけではないんですけど、そういうことがありまして、
まあまあまあ、それなりの形になってきつつあるなというふうに思っております。
12期、最終1枠くらいなんですが、もし今からでもですね、
お試し4回という、それの意味も説明する余裕が今ないんですが、
お試し4回はまだ使えますんで、ぜひもしご興味ある方はですね、
ちょっと今からでも間に合いますということです。
あとでも10日余りなんで、たぶん2枠はもう必要なかろうと。
1枠あれば12期は良かろうとあとですね、思っておりますんで、よろしければお願いします。
何しろ私一人でやっているものですから、
結局のところ全時間が生まれば原理的に一度に2人ってできないものなのでね、
一度に絶対1人なんで、最大枠は絶対決まっているわけですよ。
僕起きている時間がそう長い方の人間、つまり睡眠時間長い人間なんで、
起きている時間は短いので、限界はすぐ来ちゃうというところがありますんで、
まあ今期、来期はあと1枠とさせていただきますんで、チェックしてみてください。
X見ていただければ、Xの抜き場を見ていただければ、
これを聞いている方はご存知かと思うんですけど、固定にしてありますんで、お試し4回。
お試し4回、4回だけで終わってしまっても別段問題ないものですからね。
はい、そんな感じで一つよろしくお願いします。
ライフハックと心の関係
4分使っちゃった。もう一つお知らせがあって、11月8日にですね、
これはセンリーさんという方とタスクシュート完全活用術の実践編。
過去2回、ゾエさんという方と認定トレーナーの、いずれもタスクシュート認定トレーナーのゾエさんという方とやってきたのはですね、
これは概論なんですよ、基本的には。私の実践は含みましたけど、私の概論。
今度は私の話はしますけど、センリーさんは会社役員の方で、
長くタスクシュートを使いで、非常にガッツリとやってきていらっしゃる方なんですね、タスクシュートをね。
実践の、実例の話をお伺いしつつ、私がまた、会ってもなくてもいいような、
真相真理のタスクシュートとかね、マニアックな人にだけ刺さるような話を、また相変わらずしていきたいと思っています。
これはね、よくそんなに話すことがあるなっていうか、つまり、なんで真相真理とかいうのと絡めたがるのかという話もあるんですけど、それは趣味なんですけどね。
僕が言ってるのは、そこからのアプローチは結構いろいろできるよっていうことなんですよ。
前回、マテ・ブランコとか、ほぼタスクシュート界隈と何の関係もない人の名前を引っ張り出してきましたけど、
私は二家理論って非常に大事だと思ってるんですよ。僕らは二家理論なんですよ、もちろんね。
二家理論なんだけど、それで生きてるんだけど、そのことをよく信じていないんですね、これがね。言葉ってそういうもんですけどね。
だから、明日、今日は絶対に確定申告の準備をするぞとか、今日は絶対に絶対にですからね。
絶対に原稿書くぞとか言っても、今日は書かない日だとか平気で言うわけですよね。
二家になってないわけですよ。絶対に書くってことは書かないって選択肢はもう取れないわけじゃないですか。
両立しないはずなんだけど、その人の中で平気で両立しちゃうんですよね。
という話を前回しましたね。
今回はまた別の話をしたいと思っております。
よろしければ11月8日土曜日ですね、の夕方。
アーカイブ動画ももちろんありますんで、ご予約いただければアーカイブ配信を。
取って出しなんでね、終わったらすぐにでも配信させていただこうと思っております。
編集をしないということですね。
では本題、本題というか、さっきの話の続きで。
なんでライフハックからの精神分析なのかというと、からのなのでね。
ライフハックというのは、東方カイトさんの図なんですよ。
カウンセリングとは何か、今話題になってますね。
10万部突破するんじゃないですかね、あれね。
そんなタイトルで10万部をあっという間に突破するということ自体が、超人的だなあの人はって思うんですけどね。
私は別に、なんていうのかな。
さすがにですね、やっぱビジネス収穫人間として、ただただこう、
あぜんとしてるだけではいけないだろうとは思ってるんですけど。
実際にはただただあぜんとしてるんですが、
あの本の中にですね、図がありまして、あの図が私は秀逸で、
あの図のためにあの本は買っていいと思うんですね。
あれはフロイトの図を横にしたような、別にフロイトの図を縦にしなきゃいけないとか横にしなきゃいけないというのはないんだけど、
フロイトは縦に書いてたはずなんだけど、長字化とか書いてあって、変なところに点々と線が書いてあって、
見方がよくわかんないという意味不明な図になっちゃうんですけど、
まああれは心の局所第一だったからすぐこれが和訳者になるのは僕が否定期である証拠なのかもしれませんが、
第二局所論か第一局所論か、えっとど忘れちゃう。
第一とか第二って名前いかんのですよね。
あのうちの大学もね第一等とか第二等とかすぐわかんなくなっちゃうわけですよ。
名前ちゃんと個性的につけろよって感じがするんですけども、
どっちが6でどっちが1だったかとか、5と6は間違わないですよね。
でも1と6は間違うんですよ。
それで私早くテスト遅刻しそうになったんで、
本当に同じような形のものを同じような場所に並べておいて数字で区分けをするなんて、
最低だなと思うんですけど、絶対必然性ないじゃないですか、どっちが1であるかなんて。
フロイトの方はあるけど、なんか違う名前にすればいいのにねと思うんですけどね。
意識全意識局所論、意識局所論と自我局所論とかにしてくれれば絶対間違わないわけですけど。
第一とか第二だと順番だけだから、歴史的に精通しとけって話なんでしょうけど間違いますよね。
とにかくその局所論の図を横にして、
フロイトは心のモデルを書いてるんで心しか書いてないんだけど、
戸端さんはカウンセリングの実践というか臨床の話から、フロイトだってそうなんだけどね、
書いてるから世界、つまり現実と心の関わりを図に入れたから、
現実世界ってものがフロイトの局所論の図の外側に相当する部分、
近くってところがあるんだけど、近くから先は世界でしょっていう、
現象学的にはどうなのかっていう、近くから先に世界があるってどうなのかって話なんだけど、
まあ常識的にはそうだよねという、目の外に世界がありますよねと、
ないかもしれないんですけどね、っていう話をフロイトはしてなくはないんだけれども、
まあでも常識的には世界があるだろうということで、近くの外に世界があります。
で、近くの外に世界を付け加えて横にすると、
なんかこう縦にしちゃうと世界が天井界みたいになっちゃうじゃないですか、
だから横にするのが正解だと思うんですが、
で、それとライフハックとの、私のこのポッドキャストのタイトルと何の関係があるのかと言いますと、
ライフハックというのは、あの心の周辺に介入していくんですよ。
あの、もうこれから言いますが、その条件がつくんですけど、でもそうなんですよ。
しかし心そのものにはほぼ介入しないんですよ。優れて現代的なんですよ、ライフハックというのはね。
心そのものには介入せず、あくまでも心の周辺、世界とか身体とか、そっちの方、
まあ、戸畑さんは自己プラス記憶を、自己のところに身体プラス記憶だ。
つまり、あの図の中で自己って書いてるところに身体プラス記憶なんですけど、
それってつまり人体のことを言ってるわけですよね。
自己が身体になってるなって感じがするんだけど、まあその自己に介入しますよね。
だってライフハックって記憶に思いっきり介入するじゃないですか。
だから記憶操作してますよね、事実上。
で、身体にもできれば介入したいと思ってますよね。
なんかウェルク問題ってあって、まあいいや、そんな話をしてる場合じゃないんで。
あの、とにかく身体にもできる範囲で、例えば筋トレとかしたがるじゃないですか。
これは身体への介入ですよね。で、もちろん世界には介入しますよね。
そもそもノートに書くって、ノートは世界ですから、ノート自分の中にないですよね。
あったらなんか、神食べちゃう、やばい人みたいになっちゃうんで、あくまでもノートって世界ですから。
世界にも介入すると。
心に直接介入するってことだけはあんましないですよ。
こういうところで心理ハックとか言ってる僕がウケるってのは、なんかそこにミソがあるんですよね。
メンタリストだいごさんもそうですよね。
なんかエバーノートとかが出てくるんだけど、メンタリストなわけですよ。
で、そういう方は、まあ僕なんかよりずっとウケてますけど、ウケるわけですよ。
これにはやっぱり僕は、ある種の、なんていうんですかね、そういうコツみたいなものがあるなとは思う。
僕の場合は、狙ってそうしたわけじゃないですよ。
あの像見て、そうだそうだ、こうなってる、確かに。
で、ライフハックっていうのはある意味無切層な世界なんで、イデオロギーないですから。
昔僕がよくジョークで、社会党の人も時間管理必要だよね。
自民党の人も必要だね。
自民党にしか効かない時間管理とか、そういうのはないですよね。
この手帳は、社会修行の達成のためには役に立ちますけれども、大日本帝国の復活にはダメですとか、そういうことってありえないですよね。
イデオロギー軽なものじゃないってことですよね。
なので無切層に、使えると思ったら何でも使うわけですよ。
CBTと心のアプローチ
つまり、世界と心の接面にCBTを彼は置きました。接点のところにですね。
で、多分あれを心側からよく見る方が認知両方で、現実側からのアプローチを迫るのが行動両方で、それをくっつけて接点なんで、
心と現実世界の接点のところを動かしていくというのが認知行動両方。
まさにそこに認知ってものがありますよね。世界をどう見るかと。
世界は自分にとって厳しいところだというふうに思ってるから、心が辛くなるんだったら、
でもそんなに厳しくなくて優しい面もあるじゃないですかって、もう話簡単にしてますよ。ものすごく。
優しい面に目を向けようとか、これを優しく解釈しようっていうのは、心にもアプローチしてますけど、
あくまでも相当表層のところであって、現実にも、例えば現実に優しくしてもらうために感謝の言葉をいっぱい述べるとかね。
そういう話もしますよね。感謝の言葉をいっぱい述べて、現実って優しいもんだっていう認知に切り替えていくっていうのは、
心と世界の両方同時にアプローチし、しかもその接点に向かってるからCBT。
いかにもこれはライフハッカーが割と好みそうな手法の考え方ですね。
だからCBT的な世界、つまり心と身体の接点にもライフハッカー思いっきり入っていきます。
だいたいノートってそうですよね。自分の認知について書く。書くってことは行動だけど、その毎日日記をつけるとか。
認知行動両方の世界にもありますが、毎日日記をつけるとか。
タスクシュートとかに、あるいはライフログに至っては、毎分のように日記つけてるとも言えるじゃないですか。
病気、病の記念。たまたまですよ。
分期でも時期でもいいんですけど、要するに日記よりも小さなタイミングでどんどんつけるわけですよ。
この小さなってのがライフハックの一つの特徴になってます。
つまりライフハックは世界、身体、身体と体の心身的なところ、あんまり得意じゃないけど、
でもあれですよ、きっとEMDRとかが容易に使いそうだったらライフハックは取り込んでると思いますね。無拙走なんで。
どこにでも行くわけですよ。認知行動的な世界にももちろん行きます。日記つけたりします。
ただし、ライフハックは分をすごく沸きまうんですよ。
ライフハックはスピリチュアルとかと一番ある意味その生き生地の世界の中では遠くて、ある意味非常に合理的なんです。
ライフハックはですね、ミラクルを起こせないんですよ。あくまでも日記をつけるんですよ。やることが地味で、しかも小さいんですね。
で、分を沸きまえ、分を沸きまえすぎてる面もあるんだけど、だから急に分を沸きまえなくなる時があるんですけど、分を沸きまえていて、自分がすぐにできることに手を出すんですね。
人の力を借りるのを嫌うっていうか、人の手を煩わせたくないんですよ。
で、権威と定職もしたくないんですよ。だから、紙に何かを書くって誰がやっても絶対オッケーじゃないですか。そこを取り締まり始めるのはもうかなりヤバい世界じゃないですか。
紙に何かを書く。自分の考えを書くとかね。自分でできること。そしてすぐにできること。お金のかからないこと。時間もかからないこと。
そして無切層にそれをやる。医療の分野だろうと、DBTの分野だろうと、社会活動の分野だろうと、そんなことは気にしない。
とにかくどこの分野のことであってもいいから手を出して、しかし自分ですぐにできるところに限定し、ミラクルは一切起きない。
ライフハックの特性
代わりに何をするかというと、繰り返すんですね。膨大な数それをやる。だから量が質を量がするみたいな世界ですよ。
質と量で言ったら圧倒的に量です。物量作戦です。とにかく数をこなす。だから毎秒毎秒記録をとる。日記とかではなくてね。
毎分毎分記録をとる。あるいは考えついたことは全部書き出す。気になったことは全部書き出すということをやるわけですね。
筋トレでやれば小さな習慣ですね。毎日5回でいいから腹筋する。ただし何年も続けるみたいなね。あるいは朝昼晩と何年も続ける。
1万時間の法則を使うわけですね。とにかく数をこなす。で、自分にできる半径で代わりにやる。
ダイソーのメモでいいからメモをいっぱいとる。だからデジタルを使う。リピートする。繰り返す。小さな習慣でやる。
感謝の念を述べるなら毎回ごとに感謝の念を述べる。そういうやり方ですね。
自己啓発も取り込むし、スピリチュアルだってなんなら取り込むんだけど、とにかく1回で奇跡が起きることを一切期待しない。
ひたすら1万時間の法則で何万回とやるっていうことをやります。
来伯JPで私がiPhone情報整理術とiPhone習慣術でご一緒した堀正竹さんがですね、来伯大全だったかなの中で
ある種のしつこさが大事ですっていうようなことを書いていて、あのしつこさっていう風に畑目には見えるだろうなんていうような
そういうニュアンスがありますね。それが来伯の特徴になっています。
無欠奏に全領域に入っていき、自分一人の量分でできることであり、無理はしないがものすごくたくさんやる。
お金もあんまりかけず、時間結局かかるんだけど一度にかかる時間を短く切り上げてっていう考え方。
で、そうするとあの世界の中でほとんどの領域に来伯入っているんだけど、だから来伯とは何かって言い出すとよくわからないものになっちゃうんですが、しかし
心そのものには入っていってないんですよね。
で、一番相性が僕は良くないと思うのが精神分析なんですよ。ここ完全に手つかずになってる。
なぜなら精神分析っていうのは真相真理に真っ白に向かっていく、ほぼ唯一のと言って私は思っている、それは本当じゃないかもしれないが私はそう信じている唯一のアプローチ。
特にそれの中でも色濃くやるのが対象関係論だと思ってるわけですね。そこをやってる。
なぜならそこが完全に来伯は手つかずにしがちだと思うんです。
手のつけようがないって考えていて、なぜかというとまず量化できないですね。何度も何度もやるってことはできますけど、それが一体何になってるのかがわからない。
進捗状況は数値化も量化もできないし、数値化と量化は同じことかもしれないけど測定ができない。
効果測定ができない。こういうものをLifehackはやらない。手を出さないんですね。
仕組みを作ることによって、例えばテキストエキスパンダというのがありますね。
コロンMとやるとメールアドレスがパッと出る。日本語変換で似たようなことがやれますけど、それの効果測定するんですよ。
あなたは何秒得しました?普通のタイピング速度で計算、あるいはかなり早めの速度で打ったとしても、
あなたは今回のテキストエキスパンダを使うことによって1ヶ月で何分得をしました?って書いてある。
モモカって感じなんですけどね。そういう世界なんですよ。効果測定ですよ。
全然ミラクルは起きません。だって何ヶ月もかけても何分とかしか得しないわけですからね。
全然ミラクル感がない。こういうのを超積み重ねることによって成果を出すというのがLifehackの考え方ですね。
だからある意味いかがわしくはないわけですよ。ただそれで本当に効果上がるのかっていう問いは立っちゃうんだけど、
でも何にもなってないとは決して言えないわけですね。だって実際何かになっているってことが目に見える。
数値に変えられるのでね。ただそれは例えば心の底には、あるいは心のコアには母子関係がありとか言って、
いやいや、なぜそれがあると言えるんだとかいう話になってくると非常に困ったことになるし、仮に母子関係があるとしよう。
それを何で精神分析かと毎週毎週セッションしていると、それがなかなかの話で良い感じっていうのも非常に無理があるんだけど、
良い母親対象との良い関係が築けるって、そうなったっていう証拠はどこにあるんだという話になる。
1万セッションすればそれだけの成果が上がるっていう何の保証もないですよね。何の測定もできないですよね。
そういう世界にはライフハックは向かない。だから私はライフハックにはこれがいる。
だって手つかずになってるからこれがいるじゃないですかっていう。
夢日記をつけるっていうのもライフハッカーはあんま得意としないんですよ。
あれほど日記記録って言っていても夢の記録も取ってる人もいっぱいいるんだけど、
それがどういう意味を及ぼしていくのかということについては何とも言えない。
何とも言えないライフハックっていうのは一番ある意味ライフハック…
失礼しました。ちょっとゴミを捨てなければいけない時間が来たんで途切れました。
続きを喋りますと、精神分析にダイレクトにつなぐ、つまり心の領域にダイレクトに入っていく方法としては
私にはこれが一番ストレートだし意味あると思えたと。
そのコアになる部分に母子関係っていうようなものが浮かび上がってきたんだと思うんですよね。
でもね、臨床という営みっていうのかな?を通じて。
それでそれはライフハック一般にもひどく関係がある。
例えばですけど、小人欲求って言葉があるじゃないですか。
あれすごく扱い兼ねてると思うんですよ。
日本の特にライフハックなんていうものが好きな人は自立で生きていくんだ。
小人欲求なんぞに寄りかかっている奴はダメだっていう気持ちがあるから
あの言葉の評判が良くないんですよ、きっと。
だからリストってものを作る、タスクリストみたいなものを作るとですね
もう非常に簡単な話で部屋の片付けっていう一行があったとして
これが、例えば奥さんがいる。
例えばね、奥さんがいてその奥さんが大好きと。
だから仕事をするんだ。
これ小人欲求のように思うわけですよ。
しかもこれ非常に嫌なものに感じる人っているんですよね。
そういうことではいけなくて、一人っきりになっても部屋は自分のために片付けられるし
一人っきりになっても生きていかなきゃならないんだから仕事をしなきゃいけないんだから
奥さんがいてもいなくても同じようにバリバリ仕事ができるのが
独立している良い人なんだっていう、良い生き方なんだっていうようなことを
こういうベースになる価値観みたいなのがライフハックの人には強くあると僕は思うんですね。
なんでかっていうとさっきのと似てるんですよ結局。
まず心にはダイレクトに入っていけないっていう前提を持ってるんで
それは測定が非常に難しいし、というか不可能だし測定なんて
目にはもちろん見えませんし心なんだから
脳の写真一生懸命撮って心の代わりに使用しようって頑張る人が多いんですけど
頑張る、それができるように思っている方すら結構いるんだけど
そんなことできるわけないわけですよ。
感情が写真に映るっておかしいわけですよ絶対に。
それはまあなんか考えるまでもないくらいそうだと思うんだけど
今はあまりにも技術が進んだんでなんかそこがね
自己実現の探求
わかりにくくなっているように感じている人もいるんだと思うんですね。
でもそんなことはあり得ないわけですよ。
心が写真に映るはずないと思うんですよ。
物じゃないから心なんですよこれはね。
で、この測定しにくいしかも自己領域を限定したと
今すぐ自分にできることをするんだと
これは何を言うかというとやっぱり組織や社会というものに
頼らずに生きていくんだっていう思いが相当程度あると思う。
それは自分の中に無力だった時にも何かができるんではないかと
ある意味非常に前向きでいい発想だと思うんですそれ自体は。
例えばこれはあれなんですよね。
子供がお金もなくて理科の実験したいよみたいに思っている
理科実験マニアな子供がいる。
昔時々いたんですよそういう少年がね特に少年が。
でもお金ないじゃないですか。
高いフラスコとかかなり高いしそもそも買えないですよね。
どこにフラスコとか売ってんだって話ですよね。
昭和の時代の少年の手の届くところに
フラスコとかがあるはず絶対ないわけですよ。
でそれを例えば輸入便で工夫するとかこれがライフハック的な発想。
つまり無力感って無力感じゃないんだけど無力なんですよねそこにあるの。
個人の無力さ限界みたいなものにすぐ突き当たっちゃう。
だけれどもその中でもできることがあると。
幸いと言いますか今は時代が進んだので
ライフハックと個人主義
個人がその気になれば例えば3Dプリンターとかお金かかりますけど
いろいろあるわけですねパソコンとかITとか
使えばその輸入便しかなかった時代よりは
はるかに個人の範囲が拡大して広範囲になっているわけですね。
いろんなことができると。
つまり人に頼りたくないという気持ちが
生かしやすい時代は来ているわけです。
それはまあ輸入便の時代だって来てたんですけどね。
そもそも個人が煙突掃除の少年やってなきゃならない時代は
そういうことすらやってられなかったんで
進んでるんですよね個人主義という意味では。
それとライフハックは間違いなく関係があるんですよ深く。
そもそも自分の行動を記録に取ることに意味があると感じるためには
自分ってものを相当高く見積もってないと多分しないですよね。
日記なんか絶対取らない。
まして自分の見た夢の日記取ってどうするんだってことになると思うんですね。
だから個人主義は個人主義なんですよね。
ライフハックはそれとすごい関係があって
社会の中、社会活動の中の個人がすぐできそうなところ
心身症へのケアの中の個人がすぐできそうなところ
医療領域、医者がもともと見るべきところの
個人がすぐできそうなところ
例えば歯一つ取ってもなんかデンタルブラシのすごいやつ買って
すごい歯垢っていうんですか歯垢を手手的に取るみたいな
そういうようなのもライフハック的じゃないですか。
ロフトとか行くと売ってますね。結構本格的な器具
この本格的な器具が好きっていうのもすごくライフハック的なんだと思うんですよね。
医療領域なんだけど自分でできるところは自分でやる。
承認欲求の影響
つまり自分でできることは自分でやるっていうその領域の拡大を目指すところに
ライフハックらしさっていうのがあるわけ。
で話を戻すと承認欲求っていうのはこれとひどく相性が悪いわけですね。
だって気持ちの上で他人に乗っかってるわけですからね。気持ちの上で。
ところがこれが意外と一見個人主義的な人がライフハックを始めると
ここにぶち当たるんですよ。
だから私はライフハックからの精神分析なんだけど
なぜか奥さんがいると掃除ができている。
部屋ピカピカにできるんだけど自分一人になるとなんかやる気がしなくて
ちょっとほこりっぽくてカビ臭い部屋の中で
シンクに物もたわってるんだけどなんか起きる気もしなくなったなみたいな。
なんかそれってすごいある種の自立心というものに向かってる人からすると
嫌なことだしダメなことのような感じがしてくるんだけど
でも実際に体はあんまり動かないしやればできるんだけれども
だから行動主義みたいな話になってくるんですよね。
行動療法みたいな。
なんかこう明らかに御用なんですけれども
作業興奮、あれはどっちかと言うと統合出張症の話をしてるんだけど
作業興奮とか言い出すんですけれども
そういうどっかから取ってきたようなものを概念として引っ張ってきて
ライフハックに生かそうと頑張るわけですよ。
規律不対称みたいな言葉もそういうところで出てくるわけですよ。
これは規律不対称なのではないかと。
それを治療することによってガバッとまた起きられるようになるのではないかと。
でもそれもまたすごく身体にアプローチしてますよね。
決して心にアプローチしないんですよね。
なんかこう規律不対称という脳の不具合なのか神経の不具合なのかがあって
そこに何か適切な薬を投入することによってガバッと起きられるみたいなね。
私はそうは思わないんですよ。
これは母親がここでちょっとね、ここに手元にいい本があって
心はどこに消えたって、心はどこへ消えたって。
文春、文春の連載なんですねこれね。
だから彼はこの時バジー・トーハだとかいうよくわかんないキャラになって頑張って書いてた。
これねあの山崎孝明さんの先日山崎さんと戸畑さんのイベントで
この本に紹介してたんですけど
これを書いてた時はさぞ大変だっただろうなと思ったんですね。
大変なんですよ、紙の連載ってのは本当に。
すぐ1週間経ちますから。マジで週間連載ね。
本当にすぐ1週間で経ちますから。
私はウェブ連載しかしたことないけど、あれでさえそうですからね。
いやだって昨日書いたばっかりじゃんって気持ちなんですよ。
なんだけどもう翌週の文がはい、来ましたって感じで来ちゃうんで厳しい。
まして紙は厳しい。構成の時間が必要ですからね、もっとね。
それはいいんですが。
この中にですね、見られるって話があるんです。
これが承認欲求のことを言ってることになると思うんです。
精神分析の側から見た。
で、見守られているのと見張られているっていう。
あのちょっと引用してしゃべりますね。見られるは不思議だ。
それは見張られていることでもあり見守られていることでもある。
どちらかというと普段の私たちは見張られているを感じることが多い。
社会は厳しい。気を抜くと叱られる。失敗の責任は追求される。
見られたくないところばかり見られているような気がする。
これが母親なんですよ。目線。母親目線。
つまり承認欲求ってのは私は母親が見守ってくれているからできる。
だから奥さんがいるから仕事ができるというのは
やっぱり大好きな母親を喜ばせるために一生懸命仕事をするっていう
そういうメタファーで説明がつくと思うんですよね。
母子関係が心のコアにあるってのはそういうことなんですよ。
この場合の母ってのはもしかすると旦那である可能性も大いにあるんですよ。
あるいは自分の子供である可能性すらある。
自分の子供が母親って変ですがそんなことはいくらもあるんですよ。
我々は心の中に母親を持って
それを非常に親密の身近な他人に投影するっていう言い方をするんですけど
それをするんですよね。
これを少し複雑にした形に承認欲求とバッシングって問題があるような気がするんですね。
結局のところお母さんに褒められたい。
だから投稿していいねがいっぱいついたら
ほらお母さんいいね1万もついたよすごいねっていうこれが欲しい。
私はこれが承認欲求だと思う。
でもこれって一本間違うと
あのー
あのー
ツイッターであなたすごくひどく悪く言われてるんだけど大丈夫なわけみたいな
これが見張られているですよね。
見守られているのと見張られているのはとても似たようなものなんですよね。
だってどっちも結局母親が見てるってこと。
この目が恐ろしくて落ち着かないっていう人もいれば
この目がこの目に見守られているからこそ何でもやれるっていうこともあるわけですよ。
同じですよね。
でも現象としては見られているっていうその現象としては。
でこの見守られていると見張られているは非常によく似ていると。
でこのようなことが分析家の手にかかると
必須の承認欲求を脱するとか
そこから自立するとか
そういう発想を取らない。
いつも話題になってるじゃないですか。
炎上が嫌だとか
承認欲求が欲しがってるとか
抜けないじゃないですか。
いつまで経っても。
これはやっぱり僕は心のコアにこの母子関係と目線みたいなものが
はっきりあるからだと思うんです。
そういうことを認めてしまった方が手っ取り早いというか
話の真相に近づけると思うんですよね。
だから見守られていなければ
仕事も掃除もやる気がしなくなるっていうのは
つまり母親目線というものが意識できなくなると何もしなくなる。
心の中の母親の目線
一方で母親目線を気にしすぎていると何にもできなくなる。
同じことを裏表から言っているだけだと思うし
それに承認欲求とか炎上という異なる言葉を
これは結局、失責と見守りなんだと思う。
失責と見守りってまさに親の目線じゃないですか。
もうちょっと違うところ、すぐ近くのところから引用しますけど
よく見てくれている人には見えるのだ。
この辺がうまいですよね。文春の絵の連載ですね。
あの母が懸命に娘のことを思っていたこと
あの娘が懸命に苦しいことを乗り越えようとしていたこと
そういうものは自分では見えないけれども外からは見えた。
そして見えていると伝えられると自分でも実感できる。
これなんだと思うんです。
見えていると伝えられると自分でも実感できるって不思議ですよね。
人が見てくれてなくたってやったことはやったことだっていうことを
ライフハックな人は言いたがるんですよ。
人が見てようと評価しようと評価しまいと
描いたものはいいものを描けばいいものを描いたんだし
掃除をすれば部屋はきれいになるんだ。
これのみのこの推進力で生きていこうとしてるんですよ。
ライフハックというのは個人主義だから。
そして個人が限界を迎えやすいことをよくよく承知した上で
ミラクル起きないことをよくよく承知した上で
工夫と個人的努力によってあるいは膨大な小さな習慣の繰り返しによって
自分の現実というものを動かしていくのがライフハックなんですよ。
だから非常に優れて個人主義なんですよ。
これに対して承認欲求は邪魔なんですよ。
他者を必要とするじゃない。他者の目線を。
でもみんなものすごくそれを意識しているわけで
一見自立して見える人は母親目線がただ心の中に取り込まれているに過ぎないと思うんです。
要するにその人は一人で自分は自分のために掃除をし
自分のために仕事をしていて
それを自分で適切に評価できる自立している人だって思ってるのかもしれないけど
精神分析的に見れば違う。精神分析的に見ると
それは心の中に自分の母親の目線というものをすでにインストールしてあって
その目線に見守られているから
部屋をきれいにするとしょうご部屋きれいにしてえらいねーと
心の中の母が褒めてくれる。
そして仕事をするといつも奥さんのためにお金を稼いでえらいねーと
心の中の母が言ってくれる。
だから一見自立して外からは見えるし
だって心の中の母親は他の人には見えないですから
一見したところ自立して見えるし
自立的に動けているように見えるんだけど
やってることは何ら他の人に承認されることによって動いているという点で
何にも違いがないわけだと思うんですね。
だからしくじりたくないと思っちゃうんですよ。
心の中の母がああそれはもうダメだねーみたいに言って
で動けなくなるってことが起きるから
だからしくじりたくないんですよ。
しくじりたくなくうまくやりたいというのは
結局は他者目線を心の中に置いている他者の目線を
気にして動いているに過ぎなくて
実際にそれを奥さんに投影していて
だから奥さんがいると動きやすいとか動けないとか言っているのと
僕が心の中だけでそれをやっているのとは
実際に心の中で動いている動きとしてはほとんど変わらないと思うんです。
ただこれを実社会の現代の個人主義社会の中に置くと
私の方がはるかにうまくやっていると思ってしまう人もいるんですが
私にはそうは思えないわけですよ。
結局これは母親目線というものを使ってやっていることを使ってというのかな
それに動かされていることに違いはないと。
で私はこれをさっさと諦めるべきだというか
ここから脱しようなんて考えない方がいいと思う。
なぜなら心のコアには母子関係があるのであって
ここから脱せると思っているから
炎上という話が嫌になって承認欲求も嫌になって
なんかこう動きづらいみたいな話に
ここと違う力に頼っていると思いながら
この力に実際には頼っているっていう
こういうことはよくあるんですけれども
心のコアに自分一人しかいない
中心事故みたいなものは僕はいないと思うんですよ
それが精神分析では私の中では
心への介入とその影響
ものすごく明快になって説明されていると思うんですよね
それが心にダイレクトに介入を入れていくために
必要な知識だと思うんです
実際には3ヶ月チャレンジで
心にダイレクトに介入を入れるみたいなことは
極力避けられるんだったら避けてます
それこそが正規と専門家の仕事なんだと思うんですよね
ダイレクトにこれに手を入れるということは
やらずに済むんだったらやらずに済ませたり
できることは他にもあるんで
ただこのカラクリは踏まえておいた方が
私はこのカラクリが写真に撮れるわけじゃないし
実証できる何かがあるわけじゃないから
あくまでもメタファーの意見は絶対出ませんけど
だってそれは旦那が母親ですとか
本来的におかしい
旦那は男なんだし母親でないことは明らかですよね
でも私はこのメタファーで説明すると
物事がとてもわかりやすくなる上に
対応もとてもしやすくなると思うんですよ
だから旦那が見てくれていると
夫も見てくれていると仕事が進むとか
家事ができるというのは
当然起こることなんですよ
別にそれは何する人がでもいいじゃんって言えば
いいんだけどいいんですけど
愛する人を愛するというのは
何でなのかっていうような話になった時に
やっぱ母親とのいい関係ってものを持ち出した方が
話が早いと思うんですよね
こういうことは本当に随所に起きているので
どういう目線で見ればね
随所に起きているんで
タスクの一行目
起きるでもいいんですけど
起きられませんっていうことが起きた時に
そもそも最初に自分起きる時どうしてたんだっけ
っていう
起きてすぐお母さんのところに行ったりしてなかったっけっていう
私はこれをポッツというのだって
規律不対称というのだっていいんですけど
それでうまくいくっていう話も
大いにありだと思うんですが
私はねやっぱりこう
母親と暮らしてみたら起きられるようになったとか
そういうことが本当に起きちゃっているんで
それミラクルでも何でもないじゃないですか
ある意味ね
習慣を引きずってるとも言えるわけじゃないですか
どうしてそれじゃいけないって思うのかってことなんですよ
それではダメだと
なんかこう脆弱だとか
弱々しすぎるとか
もっと強くありたいとか
それが多分に個人主義ってものから来ていると
究極的に言うと結局個人主義ってものは
やっぱり僕はエディブスコンプレックスって問題だと思うんですよね
となってくると
いかにもフロイトの話に舞い戻ってくるのが
一番僕には有効だったし
現にこれを手に入れて
この観点を入れるようになってから
私はそういう問題で一切悩まなくて済むようにはなってるわけですよ
皮膚病も良くなりましたしね
42:01

コメント

スクロール